ドストエフスキーの罪と罰に、墓荒しの場面がありまして、
墓を掘り返して、その死体とセクスをする。というのがある。
これは九想図どころではなく、
死体そのものが良い。ってんですから、まあ、そういうのは
不浄観こそか萌えなんでしょうかね?
私にはそういう世界のことは解らんですけど。
また、同じく罪と罰に、
明日銃殺刑になる囚人の場面がある。
この囚人は銃殺の前に、池田晶子とか正岡子規のように悟ってしまう訳なんです。
禅で言いますと十牛図の八図ですね。
(池田と子規はこの段階ですから)
この段階になりますと不垢不淨となりまして、不淨観はすでに俗諦となりますね。