1 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :
2007/02/18(日) 15:03:15 ID:oQUHkjo8 何だかんだといってる内に早22スレ目です。
ここで篩に掛け、下記のの板や某SNSへの誘導ロビーにすればいいかと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/6782/ ここではアーガマ(漢訳阿含經典など)やニカーヤ(パーリ佛典)に説かれている教法や教理 を中心に、様々な議論を重ねて行けた
らと願います。佛教の原点を闡明できる良スレにな る こと期待しております。引き続きよろしくお引き立てのほどを。
自説の主張に際しては、最低限の論拠や根拠を併せて提示されるようお願い申し上 げます。原始佛教関連以外の話題は当該スレ
ッドか新たなスレッドを建ててお願いいたしま す。 スレ違いの妄想デムパ発言には終始黙殺・完全無視が吉と思われます。
http://etc3.2ch.net/denpa/あたりへ誘導すれば宜しいかと存じます 。立論議 論に際しては首尾一貫・理路整然を心がけて頂きたく存じます。
※尚、当スレで得られる知見の使用等はあくまで各個人の営為に委ねられることをお含み置きを。
【前スレ】
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1169453597/ 【参照資料】
独り言 ◆ZZW30U26joさんのご厚意による過去ログ保管サイト(多謝深謝です)。
http://www.geocities.jp/jfcps873/index1.html 追記:スレに粘着寄生しては無意味有害有毒な病的無知蒙昧言説を排泄し続ける外道「机龍之介」、 同じく病的粘着を続ける「栗花 馨」
ならびに「カラスの唄」という、スレ穢し外道は一切 出入厳禁。カキコがあっても無視・スルーでお願いいたします。尚、これらにレスを与
える ことも荒し行為と認定いたします。
外 道 壁 蝨 ど も へ の 撒 き 餌 行 為 厳 禁 ! !
加えて、「ドグマタルチュフ・紐付き神学屋、宗義ゴロ・セクト奴婢」というべき輩が粘着占拠していますが、視線を合わ
さず門前払い、且つ敷居を決して跨がせないようにしながら生温かく観察しましょう。長大空疎なカキコもその意図
に全く反する廃物利用の可能性があるようです。
2 :
名無しさん@3周年 :2007/02/18(日) 15:29:08 ID:qa7cLyiH
3 :
名無しさん@3周年 :2007/02/18(日) 15:30:29 ID:qa7cLyiH
2006/12/06#896 で誤訳および根本的誤解が指摘される。以後、彼の過去の関連書き込みがリンクされ、
その誤りも指摘されるが、2006/12/09#957で「はい。やり直し」という捨て台詞を残して遁走。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1165378636/ に継続し
その後、代理名無し、アホダラ等が反論を試みるも当然、論破される。
2007/01/16#783で一ヶ月以上ぶりに再登場、彼の無茶苦茶ぶりはこのように単純にわかる
#783で「一つずつ答えてやるから列挙してみろ」と言ったので、まず否定しようのない iti の誤りを指摘すると、
#812で「 ”iti”? なんのことだ?言いがかり論法だな。」と知らんぷり、証拠を出すと
#814では「 一つだけじゃダメだよ。」
#796で「>157 のすべては論点先取です。」と言ったその舌も乾かぬうちに
#812「だれがすべてが論点先取と言ったんだ? 」
という無茶苦茶な非論理と詭弁が彼の本質です。
4 :
名無しさん@3周年 :2007/02/18(日) 15:31:13 ID:qa7cLyiH
彼の仏教的誤りは沢山あるが以下を
http://life.2ch.net/psy/kako/1029/10296/1029606807.html > MahAyAne " traidhAtukam vijNaptimAtram " iti vyavasthApyate
> 大乗では「〔われ、われが経験している〕三界とは認識された〔その内容〕に過ぎない」と言っている。
> とあり、「外界の存在そのものが直接そのまま認識されるわけではない」と続きます。
> 外界の存在否定などしてしまったら、当時の論理学的水準でも相対論に陥ってしまうため、そんなバカな事はしません。
沖和史「唯識」『岩波講座 東洋思想 インド仏教1』288の以下と対比するとはっきりするでしょう。
唯識は「すべてこの世界はただ心像のみにすぎない」ことを意味することばである。
つまり、あらゆる存在は認識された姿として立ち現れているだけであって、
実体的に存在する何かが認識された姿の背後にあると予想してはならない、
ということがこのことばによって主張されている。
まとめると:
1.「実体的に存在する何かが認識された姿の背後にあると予想してはならない」を
「外界の存在そのものが直接そのまま認識されるわけではない」と読み替えていること。
2.『唯識二十論』に勝手に iti を挿入し引用句と読み替えていること。
3. vyavasthApyate=「言っている」と誤読していること。
5 :
名無しさん@3周年 :2007/02/18(日) 15:41:16 ID:qa7cLyiH
http://www.geocities.jp/jfcps873/kanren2/yuisikitetugaku.html #875以下で
4. vijJapti=「使役受動」「認識された」という 間違い
5. 「形容詞化とは形容詞にするノミに有らず」といって名詞である vijJapti が
<動詞語根から派生していくことを「形容詞化」>と言語学で呼び、
「形容詞化」されるから vijJapti という「語の中に受動の意味が含まれて」いるとその場しのぎの言い逃れ。
vijJapti には「受動の意味が含まれて」いないことは使役形態の「表」、非使役形態の「識」の
どちらにしても明らかです。
そしてvijJapti のような名詞であっても<動詞語根から派生していくことを >「名詞化」と呼ばず、
「形容詞化」と言語学で呼ぶことは聞いたことがなく、私が知る限り全く言語学的ではないのです。
それを言語学的だというなら証拠を明示しなければならないでしょう。
6. phyi don khas mi len を「外界に対象を認めず」と誤読。
2007/01/22#949で電波男は私が「外界対象を認めず」と訳した phyi don khas mi len を
わざわざ「外界に対象を認めず」と訳していますが、全くの誤訳です。
「 phyi にdon を」と読んでいますが、これは phyi don が外界対象という術語なのです。
電波男のような珍説を述べるヤツがいたのかもしれません don だけでは誤解をまねくので phyi don としたのでしょう。
また、 phyi don を術語と読まなくても「外界に対象を」と読むことはできません。
チベット語では、la don が要請されます。電波男はチベット語の基本も知らないことも明らかです。
6 :
名無しさん@3周年 :2007/02/18(日) 15:42:36 ID:qa7cLyiH
7. 2007/01/21#917「原始仏教で、輪廻の主体が識や心相続などとする見解は阿含宗の捏造邪義です」 といっていますが、原始仏教で輪廻の主体が識とされることはあります。 「魂」(世界の名著1、456)「識別力」(悪魔との対話、52)と訳される viJJAna つまり、識! 中村元さんは註で「一種の魂、霊魂のようなものを考えていたのであろう」(324)としてます。 原始仏教について最も権威のある水野弘元先生も『仏教要語の基礎知識』初版149で、 外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、人格の主体として 業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これを認めている。 それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。 これが中観派で言われる縁起して旋火輪のように生成し同一性を保つように持続する心相続に他なりません。 これは死後だけでなく、現在の我々の自己同一性を保っているかのように見える自我意識も全く同じです。 だから、モークシャーカラグプタの輪廻の論証も次のように説かれます。中公の世界の名著2、532 心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。 死ぬときの心も、心にかわりはない。(だから来世の心と結びつく) 8.『翻訳名義大集』に記載されてないチベット訳語はないと勘違いしてrnam par rig pa/vijJaptiなどないと。 9. rnam par rig par bya pa と rnam par rig pa を同一視するチベット語初級にも達していないレヴェル。 10.『摂大乘論』は、 rnam par rig pa を表と訳すとするが漢四訳はすべて「識」と訳している。
7 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/18(日) 16:10:12 ID:G0jMh69b
早速破落戸ジョーユーが湧いて出た(嗤)。 セクト奴婢の恥千載見世物を生温かく瞥見するとしよう(笑)。
8 :
名無しさん@3周年 :2007/02/19(月) 18:29:27 ID:iZIuUIic
ふみひろくん、マジいますか
9 :
名無しさん@3周年 :2007/02/19(月) 19:51:59 ID:RU1VaLy/
ここは佛教スレなのに、輪廻説を説く人が現れると、『無条件にキチガイ扱いする』 変な断見キチガイが数名おられるようですね。 しかし前スレのこの断見キチガイの親分ともいえる電波男の電波男流の、 素朴実在論の珍説には、非常に笑えた。 あげくに佛教は素朴実在論だなんてね〜〜。電波教の皆さん、恥ずかしくないでつか?
10 :
素人 :2007/02/19(月) 20:12:27 ID:Xab83dCp
>>9 電波さんがどうかはともかくw
私個人は、(原始)仏教は素朴実在論だと思います。
唯識は知りませんwww
11 :
名無しさん@3周年 :2007/02/19(月) 20:26:22 ID:bQ3lNSzk
いずれにせよ、くたばったら経験できるかも? いくら指があっても、おのれの、そして坊主・学者どもの 真理名目の推測と希望的観測にしか過ぎん。 解らんことが解るのが悟りかもね。 スズメくたばるまで踊り忘れず
12 :
名無しさん@3周年 :2007/02/19(月) 21:05:06 ID:bEm60Lfw
>9 笑えるよね。いくとこまでいったというかんじ。 輪廻しない断見仏教、外界を否定しない唯識、経量部的素朴実在論、トンデモの宝庫。
13 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/19(月) 23:12:42 ID:n+JDSpcK
原始佛教については、形而上的思弁を伴わない素朴実在論を前提に説かれていると把握して差し支えは無いものと考えます。
14 :
名無しさん@3周年 :2007/02/19(月) 23:33:32 ID:IH3yLLkt
>>9 カルト系の人たちって輪廻と輪廻転生と混同してませんか?
15 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 05:58:40 ID:+6YIIXNz
またまた珍説、輪廻と輪廻転生ですか、苦しいな。
16 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 06:45:45 ID:VrzIS0gw
>>13 断見きちがいとはあなたのことですね。
>>14 原始経典に述べられている来世につながる輪廻とは、
単に今生の未来のことを言っているのですか?ならばそれは単に因果応報ということなので、
わざわざ輪廻と、因果応報という言葉を使い分ける必要性が見つかりません。
素直に原始経典を読む限り、あなたがたの解釈は、客観的にみて、正直苦しいものと言わざるをえませんね。
あなた方の自分の価値観にあう強引な解釈、手法は、その辺のカルト信者達と、
思考回路は変わらんものです。つまりカルト信者と、あなた達は、同じ穴の狢なんですよ。
17 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 08:04:13 ID:v9KS6la9
ここでは、教団ドグマやらセクトイデオロギーやら土着思想といった「村の掟」の類には一切顧慮しませんし関心もありません。 それにしても破落戸ジョーユーはまるで100円ショップのエンドレステープですな(笑)。
18 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 08:11:32 ID:+6YIIXNz
>16 アホダラは相手にしても意味ないよ。ただの罵倒ノイズ垂れ流しているだけだから。 電波だけが根拠なのだから、彼を叩けばいい話。 今回は、どういった詭弁が帰ってくるのか、それを待って、それを突けばいいでしょう。
19 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 08:38:30 ID:v9KS6la9
セクト奴婢は、事実の端的指摘を罵倒と変換する便利な装置を付けてますな(笑)。まあ、この種の「佛典バイブルベルト住民」には文理解釈など一切無縁のものであることは、過去のガラクタレスからも容易に解ります(笑)。 まさしくそこが破落戸ジョーユーたる所以なんですけどね(嗤)。
20 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 08:39:33 ID:SDA9vg5d
ぷ
21 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/20(火) 08:39:46 ID:Wt8H15oU
>>9 常見か断見か?という以前に、先ず自己同一性が問題になるやに思ふ。
まあ、普通は自己同一が継続されている。というのが一般感覚かと思ふ。
神秘体験とは、この自己同一感覚の麻痺に似てます。
(わたしの体験より)
作為的にこの陶酔状態に入っても逝けます。
(経験的に要領を学習できる)
輪廻転生思想とは、この自己同一を保持したままの継続か?
もしくは、ユングの集合意識状態を想像しているのか?
いずれにしても、ようは感覚の問題ですね。
人間の感覚などは非常に儚いもんです。
22 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 08:44:13 ID:yjEBc2ht
なんか、だんだんつまらんスレになってきたな。 これなら、カラスで荒れてるほうがましや つまらん、実につまらん 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ のボヤキ漫談は一番つまらん
23 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 08:54:07 ID:+6YIIXNz
>19 じゃ、事実を指摘してみて実証的に経典を引用してね。 君は、梵パ蔵のどれもできないのに、事の正否がどうして分かるのかな?
24 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 09:04:57 ID:v9KS6la9
>破落戸ジョーユー では、その「尊敬すべきw」語学力を駆使して、所説を学界にでも発表して「断見佛教」を一掃し、現代佛教学を大きく塗り替えて下さいな(笑)。こんな場末でくすぶっている場合ではありまへんで(笑)。
25 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 10:51:26 ID:v9KS6la9
大家・中堅等を問わず学者研究者の業績の信頼性に言及し得る程の「見識w」を持つ、破落戸ジョーユーのことですから、それは素晴らしい「学術的・客観的w」な論文を著すことでしょう(嗤)。 面白おっしゃろな(笑)。
26 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 11:28:14 ID:yjEBc2ht
ところがだ お立会い ! 「自分が音楽の道に入っていたら、政治思想のようなつまらないものはしなかった」と 告白した丸山眞男は、その優秀な頭脳のおそらく1/4はフルトヴェングラーのことを考えていた。 ところが、丸山はフルトヴェングラーの実演を体験したことがなかった。このことが 丸山生涯の痛恨事だったらしい(中野雄 丸山眞男 音楽の対話37,140頁〜)。 それでも、実に雄弁にフルトヴェングラーとベートーベン、ワグナーを語っている。 やはり彼の「日本政治思想史研究」以上に鋭く、面白い。
27 :
26 :2007/02/20(火) 11:29:56 ID:yjEBc2ht
↑すまん、誤爆した。↑
28 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 11:36:50 ID:pJHYXLXt
まさに中道を歩むというのは、鋭い刃先を歩むようなもの その道は決して広くない。ややもすれば断見か常見へとまっさかさま。 それにしても「断見仏教」とは矛盾した言葉ですね・・・
29 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 11:42:10 ID:pJHYXLXt
さて「仏教に輪廻思想は無い」と思っている人,「輪廻は確実に存在する」と 思っている人は中村先生の『自我と無我』を読んでみてください。 そうすれば仏教「輪廻思想の受容とその批判」の歴史が分かります。 「自我の自己同一性」についても倫理の面から仏教が受容せざるを得なかったことが 理解できるでしょう。 また「魂は存在し輪廻は確実に存在する」と思っている方にはシャンカラ・アーチャルヤの 言葉を差し上げましょう。 師は答えた「君は最高我であって輪廻しない。それにもかかわらず『私は輪廻します』 と「正反対に理解している。また行為の主体では無いにもかかわらず、『行為の主体である』 経験の主体では無いにもかかわらず『(私は)経験の主体である』、存在するにも関わらず 『(私は)存在しない』(と正反対に考えている)、これが無明で有る」Upadesasahasri 輪廻の「有無」の原因が「無明」であることは、あちらでも変わりません。
30 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 11:43:50 ID:v9KS6la9
>破落戸ジョーユー 盗作&剽窃はいかんよ(笑)。 爲念
31 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 12:21:07 ID:v9KS6la9
既述のように、「同じ穴の狢」とは、破落戸ジョーユーや「出禁バカ」の類のこと(笑)。
32 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 13:22:12 ID:yjEBc2ht
輪廻なんて観念は迷いの世界での蜃気楼・戯言にしか過ぎない。 だから、はやいとこ目を覚まして迷いの世間から超越して慶安に生きろよ、 というのがブッダの教えだろ。 だけど面白いのは、インド人は輪廻転生なんて何度も苦しむのは御免だで否定願望なのに、 糞リアリストで現世肯定と延命願望の中国人にとっては、金色の仏像と 何回も生きられるのはgood!と受けとっているのは俗物根性丸出しで笑える。 孔子も死後には無関心だし、荘子も有限の生を憂えず、胡蝶の夢で生死なんて つまらん相対的観念にしか過ぎず、自由自在に逍遥すべしだもんね。 いろんな受け取り方があって、人間という奴は面白い。
33 :
32 :2007/02/20(火) 13:31:45 ID:yjEBc2ht
× 金色の仏像に 〇 金色の仏像に算盤をはじき、
34 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 13:50:45 ID:pJHYXLXt
>輪廻なんて観念は迷いの世界での蜃気楼・戯言にしか過ぎない。 >だから、はやいとこ目を覚まして迷いの世間から超越して慶安に生きろよ そこまで仏教は単純ではない。 「輪廻は妄想」という知識のみで解脱できれば、科学的知識を持ったほとんどの現代人は 輪廻から解脱したことになる。 さらに「輪廻」という言葉を知らない無知なる子供や異教徒も解脱したことになる。 ブッタは知のみで解脱できると説いたのか? シャンカラは唯一vidyaによってのみ解脱できると説いたが、そこまで徹底していないと思うが?
35 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 15:24:38 ID:pJHYXLXt
関係ないけど 「科学が発達し、さらに類がことごとく科学的知識と合理性を身につければ 地上より迷信と宗教は消え去り、人類は幸福の道を歩むであろう」 という宗教が流行っていました。 でも現実は、そういう教義もまた迷信であることが分かってしまった。 宗教を批判するのはやっぱり宗教でした、という話。
36 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 15:27:45 ID:pJHYXLXt
宗教学のジレンマ 宗教と一定の距離をおいて宗教研究は出来るか? 離れすぎては見えないし、近づきすぎては喰われる・・・ 喰われた人は数知れず・・・離れた人は喰われない代わりに 何も見えない・・・・
37 :
32 :2007/02/20(火) 15:30:56 ID:yjEBc2ht
>>34 レスありがとう
>そこまで仏教は単純ではない
しかし、大事なことは解りやすく単純化するほうがいい。複雑化は馬鹿でもできる。
鴨長明なんか『仏の教え給う趣は、事にふれて執心なかれとなり』(方丈記)だよ。
>ブッタは知のみで解脱できると説いたのか?
もちろん違う。とにかく何が何でも最初に悟りの境地=彼岸に行ってしまう、
つまり、無常=無我=縁起の理を深く理解し(智)、全身的に納得し(情)、自得へ行動を決意し(意)、
これによってサンスカーラを可及的に排した澄み切った、世間を超越した心境で世間の只中で
生きる事で禅定を深めてゆく。
ここまで来れば、輪廻は迷いのサンスカーラ=(共同)幻想だとわかる。
科学現代人、自他の分別を始めた子供も(智)のレベルから問題になる。
智のレベルの真理は理である以上、言語や論理思考(差す指)で習得できる。
不立文字、教外別伝などは禅者の素人相手のこけおどしに過ぎず、(情)(意)レベルとの
混同だろう。感情や意思が言語で表現できないのは、楽器の音色が言語で的確に表現できないのと同じだ。
38 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 17:22:58 ID:HrHKWry2
初期仏教乃至後期仏教までを簡潔明快に説明した本を紹介してください。 図などメモ書きみたいなやつだと解りやすくて有難いです。
39 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/20(火) 18:45:54 ID:Wt8H15oU
>>36 それはよく言われますね。
サ鳥という鳥は、捕まえようとすると逃げる。
正法眼蔵にも「仏道といふ道はなく、ただ足跡が残るだけ」。などと記してある。
まあ、このスレは、そのベクトルじゃないから面白いわけで、
>>32 などは全くもって正論なのですが、
これは正論すぎて、2ちゃんらしさのカオスがない。
蓮華は泥水を好む。
40 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/20(火) 18:46:32 ID:v9KS6la9
思うに、最も強烈な素朴実在論者は、破落戸ジョーユーら「佛典バイブルベルト住民」ではないか(笑)。
41 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/20(火) 18:56:04 ID:Wt8H15oU
>>37 貴殿の書き込みは素晴らしい。
ってか、このスレで書くのは勿体無い。
書いても、分らん人が多いよ。
私は意味が通じるけど。
42 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 19:35:14 ID:yjEBc2ht
>>38 *『田上太秀監修 もう一度学びたい ブッダの教え』(西東社)
ビジュアル的にも、内容的にも結構充実しており、馬鹿にできない。
書籍・DVD(映画)の紹介も多数あって、十分発展させられる。おすすめ。
*『仏教要語の基礎知識』(水野弘元 春秋社)は定番の基本書
図やメモ書きみたいなやつではない。字ばっかりの教科書だ。
43 :
名無しさん@3周年 :2007/02/20(火) 19:45:21 ID:yjEBc2ht
>>41 ありがとうございます。
机さんには(もちろん他の方からも)いつも勉強させて頂いております。
44 :
名無しさん@3周年 :2007/02/21(水) 10:39:53 ID:uAebncXz
>37 こちらこそ有難うございます。 >しかし、大事なことは解りやすく単純化するほうがいい。 >複雑化は馬鹿でもできる。 その通りでしょうね。 日本では単純化しすぎてナンマンダブにナンミョーホーレンゲーキョー になってしまった。 >不立文字、教外別伝などは禅者の素人相手のこけおどしに過ぎず、 日本ではそういう人もいたでしょう・・・ しかし、インド人の言葉に対する探求はすさまじいものが有る。 なんで私が「日本では」を連発するかと申しますと 文化も宗教も風土や社会環境が異なれば、異なった理解をされるという事実があるからで、 (それはそれで良いと思いますけど) ともあれ、個人レベルで、ここで原始仏教にこだわるのも 結局はそれぞれの解釈を「仏説である」と信じるか否かの問題なのかもしれません。 文献学はその限りじゃありませんけど、なにせ客観性を求める学問ですから。
>>4 電> 三界とは/認識された〔その内容〕/に過ぎない
沖> あらゆる存在は/認識された姿(として立ち現れている)/だけであって、
両者をこうして対比してみると、ほとんど同じ趣旨だと思われます。
〔なお、後者の第二区は vijJapti-prati-bhAsa (表識-としての-顕現)の訳になるでしょう。〕
沖> 唯識は・・・意味することばである。つまり、・・・ということがこのことばによって主張されている。
は、すべて「唯識」という語の説明であり、
電>「外界の・・・」と続きます。
とは明らかに違う部分です。
「読み替えている」として同定している二つが、実は異なる部分であることを、確認してみてください。
46 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/21(水) 19:18:29 ID:swfC8fGq
唯識というのは、つまり一般的な哲学の話だよね。 そういったレベルなら、むしろドイツ観念論の方が面白い。 唯識というのは、つまり、 帰納法において勝義を説明する。というテーゼがないと、 いわゆる一般的な哲学で終始してしまう。 というか、 文献学というのは、この範囲の学問である。 ってことで、 この範疇を越える訳ではない。
47 :
名無しさん@3周年 :2007/02/21(水) 19:23:47 ID:Sdit1LlT
48 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/21(水) 19:43:47 ID:swfC8fGq
>>47 ニーチェは、非常に優れた思想を展開するかと思いきや、
反面、稚拙な思想という相反する・・・永劫回帰。
やはり分裂気質がどうも内在してるやに思う。
まあ、そこが謎であり魅力なんだろうけど。
49 :
名無しさん@3周年 :2007/02/21(水) 22:27:25 ID:+38gsn20
>>24 まるであなたの能書きを聞いていると、佛教は学問だと聞こえますが、
佛教は学問ではありませんよ。アホですね、あなた。
だから、あなたがたにふさわしいスレタイは、「原始佛教」ではなく「佛教を学門する」だといわれるのです。
どうやらあなたは、宗教的アプローチで佛教を理解しようとする人を無条件に嘲笑の対象にし、
今の常識に当てはめ、なんでも唯物的に、
学問的アプローチで佛教を理解する人を上にみているようだけど、そもそも学者なんてのは、
佛教のことなとなんもわかってないでしよ。証拠に彼らの中に阿羅漢は一人もいません。
彼らにとって佛教は、単に飯の種にすぎない。悟りなど二の次三の次。
そもそも悟りなんてもんも信じちゃいないでしょ。
そういう人達の能書きを、これぞ佛教!と、ありがたく聞いて、
わかったつもりになっているなんて、あなたも相当な池沼ですね。
50 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/21(水) 22:49:59 ID:t9Wsw/g4
>>49 基地外の標本が性懲りもなく現れるもんだことで(嗤)。
どうぞ破落戸ジョーユーの類へ飯の種でもせっせと献上なさいな。
阿羅漢サマ、聖者サマとかなんとか崇め奉って随喜の涙でも流しながら(嗤)。
尻毛まで抜かれて寒き二月かな
51 :
素人 :2007/02/21(水) 23:20:06 ID:6Ea4RnUJ
>>50 ところで、
奈良康明著「釈尊との対話」(NHKブックス554)
は読まれたことがありますか?
52 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/21(水) 23:21:47 ID:t9Wsw/g4
53 :
素人 :2007/02/21(水) 23:24:05 ID:6Ea4RnUJ
了解しました。
54 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 07:48:10 ID:aUgXQCln
>>49 こいつらは学問なんかしてないよ。
ただの常識に仏教の知識を加えて偉そうにみせたいだけ。
人を口汚く罵るだけで、何も言ってないよ。
親分は遁走、子分は口だけ。みっともない。
55 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 08:39:14 ID:U2vlNad1
だいたいソーカもオウム・アレフもカルトだよな
56 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 09:12:41 ID:BKYyiWiR
>>50 あんたの脳内では、宗教的アプローチで佛教を理解しようとする人は=カルトだと
即、変換されるようだね。やっぱアホだわ。
あのな、カルトも、お前らも同じなんだよ。どちらも自分達の考えこそが正しい。
自分達と違う価値観の考えは認めない。自分たちの価値観を他人に押し付ける。
お前も、お前がカルトだと罵るオウムの連中も同じ穴の狢だよ。どちらもエゴの塊。
あいつらは自分達のエゴを通した。あいつらの価値観は、自分達のエゴが一番大事。
それはお前らも同じこと。
他人をカルトだと貶せど、自分自身はどうなのだと、全く気づかないお前は、さすがアホ陀羅經だな。
57 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 09:26:50 ID:BYhpw5z0
論点先取にすら到らない稚拙な言い草は噴飯物でしかない(冷笑)。 大体、「価値観」なるものからして吟味・検討の俎上に載せる素材に他ならない。
>>56 >>57 たとえ、どのような思想・価値観・方向性等であっても、
必ず、基点となる足場が設けられねばならない。
電波氏阿呆陀羅氏に於いても、その他の人にとっても同じこと。
勿論、お釈迦さんでも同じこと。外せない基点があった筈なのだ。
それが、電波氏阿呆陀羅氏が採っている足場と同じかどうかは別だが・・・w
互いに異なる足場を持っていることに気付いていれば、
釣り煽りでない罵倒などできる筈もないのだが・・・w
59 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 11:37:28 ID:BYhpw5z0
>>58 因みに当方、「基点・足場」を措定されたものとして追究対象にしているのみであり、何らかのドグマ的・イデオ
ロギー的立脚点に依拠しているわけではありません。既述のように神学やらローカル思想といった「村の掟」に
も無関心です。尤も土着化を拒む「エミグレ哲学」としての佛教思想には強い興味を抱いていますが。
60 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 11:38:16 ID:Ld0u6uRf
対機説法を理解するためには、説教されている人の状況を理解する必要があると思います 仮に、全ての仏典が釈尊の言葉を忠実に再現したものであったとしても、それがなければ、何の意味もないと思います 仏典の細部を切り抜いてシラミ潰しにやって、いったい何の意味があります? 全てが方便なわけですから
61 :
仏教徒 :2007/02/22(木) 11:43:24 ID:nfw4cpsS
釈尊の教えは、法華経が全てですよ。それは、釈尊自身が言っています。
62 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 12:36:19 ID:U2vlNad1
>>61 五戒のひとつに不妄語戒(ウソつくな!)がある。
謹んでお前に投げつけてやろう。
法華経なんてトンデモ経やないか
63 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 12:43:22 ID:af7Aj8Dy
>>62 法華経は難信難解ですから、簡単には信じられないのは確かです。
ですが、法華経で予証されたように、末法に入って、
日蓮大聖人という仏様が、南無妙法蓮華経の宗旨を打ち立てられて
数々の法難に合われました。このことから、自分は法華経が真実である、と確信してます。
64 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 12:45:29 ID:tUvwoOXV
このスレの流れは、
「釈迦といういたずら者が世にいでて多くの人を迷わするかな」。by一休
これが正解です。
文献学?というのは、この一休の文面とおりに解釈する。
それだと意味は通じない。
>>60 が言うように、これは方便なんだから。
(アホダラ氏は、これ以上のスキルはない)
65 :
仏教徒 :2007/02/22(木) 12:46:00 ID:af7Aj8Dy
なにより、法華経を信仰している今の自分がとても幸せなのが、確信の根本ですね。^^
66 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 12:51:48 ID:BYhpw5z0
はいはい、ここは法華基地外の来るところではない。さっさと巣に帰ってあやして貰うように(嗤)。
67 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 12:56:32 ID:tUvwoOXV
>>63 法華経というのは、行者を讃えるような内容が記してある。
じゃあ、讃えられるような行者になるには、どうしたらいいか?
というのは書かれていない。
つまり未完の経典でして、なんらインパクトがあるとは思えんのです。
自己暗示的に行者になったつもりにはなれる。→(日蓮提唱の題目)
それを上手く教義に完成させたのが日蓮。
>>60 >説教されている人の状況を理解する必要があると思います
私もそう思います、経典なんて物は読んだ人の置かれている環境で解釈が如何にでもなりますからね。
>全てが方便なわけですから
これも同意です、彼岸へ渡る方法なんて自分で探すしかないです、説法や経典に拘った時点で道を踏み外す
と思います、全てを方便として自分に合った彼岸への渡り方を探すのが佛教だと思っています。
これは私の考えで他の方は別の方法があるでしょう、自分のやり方を他人に押し付けるのは無意味ですよね。
69 :
仏教徒 :2007/02/22(木) 12:58:23 ID:af7Aj8Dy
まあまあそういわずに(笑) 法華経以外の教えは全て法華経に民衆を導くための方便です。 これは釈尊自身が言ってますから、法華経を抜いた仏教なんてのは成立しないんです。
70 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 13:00:48 ID:tUvwoOXV
>>66 なにを言うとるんだね。君は
「法華基地外」とは無礼であろう。
即刻、陳謝したまえ。
>>65 そうでしたか。それは良ござんした。
71 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 13:05:53 ID:U2vlNad1
チラリと財布を確認した、処女をよそおう売春婦に「愛してる!」と言ってもらって、 『今の自分がとても幸せなのが、確信の根本ですね』と言ってるめでたい奴がいる(www
72 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 13:08:36 ID:BYhpw5z0
>>69 法華基地外、それも正宗系カルト奴隷ならあやして貰えるスレがいくらでもあるだろうに(嗤)。
ここでは「出禁サイコパス」同様、一顧だにもされんぞ(失笑)。
73 :
仏教徒 :2007/02/22(木) 13:09:08 ID:f0+6dRpK
>>67 その法華経の行者としての振る舞いをされたのが、日蓮大聖人です。
南無妙法蓮華経、つまり、命を法華経に捧げる、という意味の題目を唱えれば、誰でも成仏できると説かれました。
そしてこの題目を命掛けでお広めなさった。
法華経には、法華経の行者は必ず布教のさいに法難にあう、とあります。日蓮大聖人ほど、法難を乗り越えて法華経を広めた方はいません。
首切りの刑にあっても、死ななかったんですから、法華経守護の諸天善人の働きは確信してます。
74 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 13:19:00 ID:f0+6dRpK
>>71 ミスチルの歌ですか(笑)
>>73 レッテル張りではなくて、理論的な反論をお願いします。
75 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 13:20:27 ID:f0+6dRpK
76 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 13:22:49 ID:tUvwoOXV
>>73 >首切りの刑にあっても、死ななかったんですから
死ななかったけど、晩年に日蓮は痛風で苦しんだのです。
痛風というのは、普通の生活してればならない。
(私みたいな質素な生活者は、痛風には縁がない)
つまり、痛風というのは栄養の摂り過ぎです。
日蓮は、生活が乱れていたかと推測されます。
麻原(オウム)みたいな人物を想像しています。
(麻原は、ファミレスが好きで食欲は貪欲だったらしい)
題目では、痛風は治らんかったのです。
そういうことは日蓮自身がよく分っていた。
77 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 13:31:55 ID:f0+6dRpK
痛風とは、初めて聞きました。 どんな出典で言ってるのかは謎ですが、日蓮正宗の信徒は、信心していくなかで、医者がサジを投げたガンも完治しますよ。
78 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 13:39:15 ID:tUvwoOXV
>>77 >医者がサジを投げたガンも完治しますよ。
そんなことは、ありえんのです。
だったら、日蓮が自分の病気を治して当然なわけです。
貴殿は実直な人らしいし、若い日々を学会に捧げて悔いはないのか?
それだけが心配です。
79 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 13:42:15 ID:tUvwoOXV
>>77 >痛風とは、初めて聞きました。
御書に記述はある。
80 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 13:47:09 ID:U2vlNad1
鰯の頭も信心から。 今は情報の極少ない鎌倉時代とは違う、インド 学問的研究で事実が明らかになっている。 だから、宗教心から出たフィクションとして、宗教小説として 楽しめばいい、そいつの勝手だから文句はいわん。 ただ、事実と主張するな!と言っている。 もう一回、>五戒のひとつに不妄語戒(ウソつくな!)がある。 >謹んでお前に投げつけてやろう。 >法華経なんてトンデモ経やないか
81 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 13:48:59 ID:BYhpw5z0
>>74 基地外玩弄は当該スレで過去に飽きるほどやり、最早関心無し(冷笑)。
スレ違いにつき退去のこと。「出禁サイコパス」と同様に足切りの上“馘首”。(嗤笑)
82 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 13:50:32 ID:oGjHcrlx
あ
83 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 14:24:47 ID:U2vlNad1
首を切っても死なんし、末期ガンも完治するしって・・ おい、自分で実験・証明してTBSの『あるある〜』でみせろや(wwwwwww ブッダの教えとは無縁の言説だ(キッ! 仏教を名のってここまでブッダを侮辱するな。
84 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 14:50:11 ID:BYhpw5z0
さしずめ「準テンプレ」といった内容ですので、コピペしておきます。
881 名前:電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k [sage] 投稿日:2007/02/17(土) 18:01:03 ID:d7bJDC4m
さて、
1 中国語で絡んだ人(入門中国語で噛み付いた身の程知らず)
2 素朴実在論=唯物論=アインシュタインの立場だといった人(思想史を全く知らない)
3 輪廻転生はリアルとして存在するといった人(カルト全快)
4 唯識二十論では外界の存在を否定しているといった人(第10偈以降参照)
5 唯識二十論のvijJaptiの動詞語根は√jJaptiだといった人(思い込みだけのイカサマ野郎)
6 原始仏教は素朴実在論ではないといった人(論理破綻しているボケ)
7 原始仏教でsattaやvinnanaを「輪廻の主体」と考えるといった人、またそれが中村先生が言ったとした人(全部読まないスカタン)
8 縁起説での名色での説明は素朴実在論と結びつかないと断言した人(間抜け)
9 当該箇所の訳を捏造だといった人(確認を怠る人)
10 ボクの立場と、瑜伽論の立場を同一視して考える人(ボンクラ)
11 論理破綻してる人(ボクと松本史郎氏や袴谷氏と同一路線で括る人)
12 別スレの話を移入している人(裁判でコケタ人。まとめサイト参照)*1
13 有無の二辺に執着している人(輪廻転生を批判すれば断滅論だと極論。唯識無境は外界の存在否定じゃないといえば、外界が存在するのかという極論)
これらは邪魔ですのでお引き取りください。
*1 以下に移動おながいします。
【最凶】似非・偽霊能者は斬られた21【毒舌】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1171692675/
>>83 どこを如何すればここまでひん曲げられるんでしょうね、自分たち以外は全て「邪道」で一括りだし。
86 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 16:26:08 ID:BKYyiWiR
>>84 アホか。だからおまえらは原始仏教じゃなく、電波教だっていわれんだよ。
電波なんてのは、ただの我執の強いトンデモじゃないか。
その電波男を盲信するおまえらと、麻原を盲信するオウム信者とどういう違いがあるんだい?
どっちも同じ穴の狢なんだよ。わかったかい?電波教信者のアホウ陀羅經さん。
87 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 16:42:12 ID:BYhpw5z0
基地外はさっさと病室へ戻ってクスリ打って貰うように(嗤)。
88 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 17:28:54 ID:U2vlNad1
大体、『如是我聞』を付けて『仏説』にしてしまう大乗仏典そのものが、 不妄語戒に反するんだろう。 こういう方便名目のウソ八百がまかり通る既成『日本仏教(もちろん「ブッダの教え」ではない)』が、 世界の宗教のなかで実質的に衰退の一途をたどっているのは当然だろう。 別に『末法』(これ自体がウソ)なんて思想をでっち上げなくともいいんだよ。
89 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 18:34:20 ID:U2vlNad1
それよりもっと重大なことがある。 不殺生戒だ。 百歩ゆずって、人を殺すなという内容に限定してみよう。 なぜ、仏教徒はいかなる名目であれ『戦争反対!』と言わないんだ? 日本国憲法第9条改悪に反対の声をあげないのだ? 武士に刀を捨てろ!と言わなかったのだ? なぜ軍国主義に走る国家神道体制に自ら埋没していったのだ? この国の仏教徒はウソと欺瞞に満ちている。
90 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/22(木) 18:41:31 ID:oGjHcrlx
91 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 18:57:10 ID:U2vlNad1
先ほどの法華経との関連で言えば、 宮沢賢治や北一輝の法華経崇拝者の基本思想が、 個の自己犠牲を積極肯定したうえでの、全体幸福(はっきり言えば天皇だ) 追求理念のスタイルをとっていることだ。 これがブッダの不殺生戒とどう関わるか説明してもらいたい。 俺が子供のときは賢治の「銀河鉄道の夜」をよく読んだんだが・・・ 立派な行いと信じていたよ・・
92 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 18:59:54 ID:U2vlNad1
>>90 ヒンドゥー狂徒はピンサロにでも行って、すっこんどれ!
93 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 18:59:54 ID:dmPO2g5n
94 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/22(木) 19:03:12 ID:tUvwoOXV
>>89 >百歩ゆずって、人を殺すなという内容に限定してみよう。
>なぜ、仏教徒はいかなる名目であれ『戦争反対!』と言わないんだ?
必ずしも仏教が世俗の価値観に合体するものでもない。
何故なら仏教はそもそも行動原理ではないから。
こういうのを勘違いしているのがアホダラ氏。
95 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 19:03:39 ID:oGjHcrlx
不殺生戒って… プ♪ 馬鹿の一つ覚え?
96 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 19:20:05 ID:BYhpw5z0
>>89 佛教のようないわばエミグレ哲学も、土着思考に迎合し馴れ合ってしまうと、「土人の迷信」に頽落
した挙げ句、殺戮推進イデオロギーに成り果ててしまったりするのは古今その例に事欠きません。
97 :
大王 :2007/02/22(木) 19:38:17 ID:HP59le9V
なむさんが居たァ、、、、
98 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 21:18:56 ID:U2vlNad1
>>94 >必ずしも仏教が世俗の価値観に合体するものでもない。
>何故なら仏教はそもそも行動原理ではないから。
このような思考は現代においては問題がある。
ティック・ナット・ハンはこう主張している。
『瞑想は、社会から離れ、社会から逃げ出すことではなく、
社会への復帰の準備をすることです。これを私たちは<行動する仏教>(Engaged Buddhism)と
呼んでいます。
・・・仏教においては個人としてあるということはないからです。」(“Being Peace”)
私は
>>37 で>世間を超越した心境で、世間の只中で
>生きる事で禅定を深めてゆく。 と書きました。
私は、ティック・ナット・ハンの態度を支持します。
99 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 21:26:04 ID:aUgXQCln
>>86 そのとおり!
これ
>>84 と これ
>>73 って全く同じ論理だって気が付かないとね。
それから以下、この論理ならなんでもありで、なんとでも言えるよ。彼は相手にしても無意味。
> 601:阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ (74) ::2007/02/12(月) 12:36:38 ID: NKqrYiGH (1)
> >三世両重の因果真っ最中の輪廻転生を前提として再編集された経典。
> 蛇足かも知れませんが・・・。
> 霊魂的存在としての「識別力」や「識神」の類の実在を前提に、それを捜し求めるがごとき邪見・謬見に囚われた状態を
> 「悪魔波旬」として退ける意図も読み取れるのではないかと考えています。一種の外道批判かとも思えます 。
100 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 21:35:03 ID:BYhpw5z0
>そのとおり! 卑賎下劣の破落戸ジョーユーだけあって、総会屋の真似事までやり出す訳ね(冷笑)。
101 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 22:21:44 ID:BYhpw5z0
>All 糟禍等の正宗系基地外カルトの構成員と、破落戸ジョーユーらの“思考w”回路の構造は 全く同じであることにご注目(笑)。
102 :
名無しさん@3周年 :2007/02/22(木) 23:32:12 ID:KpALnbcG
>101 そもそも、何故にあなたは仏教に興味が有るの? 興味があります。よかったら吐露してください。 単なる知的好奇心? まさか、解脱したいとか、ましてや苦しむ衆生を救いたいとか言わないでしょうね? それとも、仏教とやらを「ちっぽけな自分の人生」に役立てたい?
仏教の教義からは不殺生を論理的に導き出すことはできない。 それゆえ僧団のルールとして不殺生戒を設けた。 戦前の仏教教団の多くはこのルールを適用しなかった。 むしろ戦争に加担あるいは協賛する方途を選択した。 ただ、一部の青年僧が不殺生戒を理由として兵役を拒否した例がある。 その代償は、特高による激しい拷問であった。 不殺生戒を持たずに仏教を弄べばオームになる。 釈尊といえどもこの戒律を破ることは許されないのだ。
104 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/22(木) 23:48:30 ID:BYhpw5z0
>>102 自他に関するあらゆる事柄を為すに際して必要不可欠な、誤謬・虚偽・欺瞞(含
>>102 の複問虚偽)等の排除駆逐乃至
却下についての有効な方法論を見出し得るが故に。
>>78 日蓮大聖人はとても寒い佐渡に流罪されてもビクともしない強靭な肉体でしたよ。
これは南無妙法蓮華経による生命力によるんです。論より証拠でしょう。あなたも唱えてみませんか。
ちなみに私は学会ではなくて日蓮正宗の信徒です。
>>79 痛風といっても、程度があるでしょう。
それが身をもだえるほどの苦痛なのか、はたまた蚊にさされた程度の痛みなのか、
明らかに後者でしょう。日蓮大聖人の生涯を詳しく知る人は確信できます。
>>81 あなたの言ってることは難解でよくわかりません。
>>83 それより、あなた自身がこの南無妙法蓮華経を唱えて、身をもって体験してみたらどうでしょう。
万人を救う宗教の王者ですから、きっと感激しますよ^^
>>89 不殺生戒は確かに一切の戒律のなかで第一ではありますが、
邪教徒や正法を誹謗するものは、むしろ法を守るためなら殺してもやむをえない、というのが仏教です。
しかし、命を絶つよりも、言葉で相手の間違いを破り心を屈服させてあげることが、仏の偉大な慈悲なんです。
キリスト教やイスラム教は、教義が浅い上に間違ってますから、話し合いなんて鼻からする気はなく、手がどうしても出てしまう、ということでしょうね。
107 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/23(金) 07:49:38 ID:DBKDYzyn
>>106 >しかし、命を絶つよりも、言葉で相手の間違いを破り心を屈服させてあげることが、仏の偉大な慈悲なんです。
これは慈悲じゃないです。とんでもないですよ。
こういうふうに勝手に「慈悲」をエゴの為に利用するのは、とんでもないです。
「慈悲喜捨」なんですから。
四文字熟語の半分だけだは全く意味が違ってきます。
私はこれについては、何度も掲示板で書き込みして、仏教の啓蒙に努めておりますが、
これは釈尊の法を破壊する法傍です。
こんなことを掲示板に書いてはいかんです。
108 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/23(金) 08:04:58 ID:DBKDYzyn
>>98 >社会への復帰の準備をすることです。
ここに書いてあるとおり「社会への復帰」というのは、勝義諦より世俗諦へ還滅することですね。
つまり、仏教では彼岸から世俗へ帰還せよ。
で、そこまでが仏教です。
帰還した後は、世俗の智慧で生きれ。ということまでです。
じゃあ、どうして生きていったらいいか?
は、自己責任。
そこまでは仏教は関知しない。
本来仏(自己)なら、世俗においてどうすべきかは、おのずと導きだされるやに思ふ。
109 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 09:37:50 ID:BQ0fin5u
>>106 >邪教徒や正法を誹謗するものは、むしろ法を守るためなら殺してもやむをえない、というのが仏教です
ここに言う『正法』とか『法』と言うのはどのようのものなんだ?
110 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 09:41:56 ID:tCXrVKCR
題目ファッショカルトの末端構成員たる法華基地外は、「出禁サイコパス」同様無視・スルーのこと。
>>106 >邪教徒や正法を誹謗するものは、むしろ法を守るためなら殺してもやむをえない、
>というのが仏教です。
それこそがオームの論理ですよ。
あるいは、自爆テロを正当化するイスラム原理主義者の主張です。
もしも目の前に金色に輝く仏様が現れて、
「彼が悪業によって地獄に落ちぬよう、そのカルマを絶ちなさい。
彼を救う道は彼を殺すことしかありません。」と告げられても、
それを拒絶することができるのは不殺生戒があるためです。
正法は誹謗されるがゆえに正法なのだと聞いています。
相手がヒトラーであれ信長であれ、はたまた凶悪な殺人者であれ、
これを殺してもやむをえないなどというのは仏教ではありません。
112 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/23(金) 09:59:57 ID:XSHFB+V/
ヽ(´∇`)ノタクちゃん♪ 遊ぼう♪
113 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 10:03:59 ID:fzOglJ0W
106は煽りだと思うけど、もし本気だとすると、 仏教的に言うと悪縁逆縁の真っ只中。 仏教系の新興宗教に入信したと言う時点で、仏教に無縁よりたちが悪い。 誤った仏教の布教に加担してしまったわけだから・・・ たとえ改心して脱会してもその罪は免れない。 よく、カルトから脱会して罪滅ぼしか脱カルトの手伝いをするやつがいるが 世間的には賞賛されても仏教的にはもはや手遅れ。 アングリマーラーじゃあるまいし、正しい仏教を学ぶ機会はもはや無い。 まして、来世は無く、今生限りのわけだから救いようがない。 例えば殺人犯が刑期を終えれば法的には罪は清算されるが、 それで遺族が納得し、罪が消える訳ではない。 同じく、間違った仏教に入信したものが改心しても、謗法の罪が消えるわけではない。
114 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 10:04:45 ID:tCXrVKCR
>>91 ここは原始佛教スレなので法華經は措きますが、佛教における不殺生戒は、殺害という事実よりも
殺意の有無が重要視される動機主義的傾向があります。律藏においても故意の殺生と過失致死で
は扱いが違います。
対象へ害意(→殺意)を抱くことによる苦の連鎖的発生への省察がなされた意業最重視の佛教独自
の業論との連携がそこに看取出来るものと考えます。
注目すべきは不殺生戒に於いて、ジャイナ教のようなアニミズム的霊魂(ジーヴァ)説が前提とされて
いないことです。
115 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 10:07:21 ID:J4jD85VS
>>106 >>109 と同じく『殺し』を積極肯定する『仏教』とやらを説明せよ。
>>108 そのような二諦説的無責任思考が、戦前に狂暴な軍国主義国家神道体制翼賛体制を
合理化する思想として機能した事実に対する反省が、まるでないですね。
でっち上げフィクションの法華経思想が、戦前の自爆テロ(特攻隊名目)肯定論に
直結して機能した事実を忘れるべきではない。日蓮宗の犯罪性は深い。
大乗禅僧侶が「生死一如」などと煽って、自爆テロを積極肯定していた事実も忘れるべきではない。
ナームちゃん、あーそーぼ。(`ー´)yヽξ
117 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 10:50:31 ID:J4jD85VS
ソーカ、日蓮宗はテロリズム積極肯定集団であることを 告白してしまったな。 >『言葉で相手の間違いを破り心を屈服させてあげること』 に失敗した場合、『殺してもやむをえない』とテロルわけだ。 カルトと認定されてもやむを得んな。
118 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/23(金) 10:56:16 ID:DBKDYzyn
>>115 >そのような二諦説的無責任思考が、戦前に狂暴な軍国主義国家神道体制翼賛体制を
>合理化する思想として機能した事実に対する反省が、まるでないですね。
「至上善追求」という思想もある。
かつて三島由紀夫が傾倒した陽明学だ。
これは行動哲学であり、行動にその真意がある。
人それぞれが「正しい」と判断するのは皆違う。
ならば、至上善と至上善の対立もある訳です。
(マルクスは、この対立によって善悪が決定される。という弁証法)
仏教は中道で、この行動原理には成り得ない。
>大乗禅僧侶が「生死一如」などと煽って、自爆テロを積極肯定していた事実も忘れるべきではない。
坊主が「生死一如」の四文字熟語を利用したか?
それとも「生死一如」の意味を知らないか?どちらかです。
「生死一如」というのは、勝儀諦の無分別の相の意でして、
坊主なら、これくらいなことは分っているはず。
>>114 >対象へ害意(→殺意)を抱くことによる苦の連鎖的発生への省察がなされた意業最重視の佛教独自
>の業論との連携がそこに看取出来るものと考えます。
確かに、殺意の有無による罪の軽重は、現代の刑法にまで受け継がれています。
ただ、故意による殺人より、過失による殺人のほうが苦への連鎖が起きやすいように思うのですが、
その辺についてはどうなんでしょうか?
たとえば原爆投下を命じたトルーマン大統領は、それを苦としなかった。
交通事故で人を殺めた者は、社会的経済的制裁を抜きにしてもそれを苦とする。
120 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/23(金) 11:08:51 ID:DBKDYzyn
>>114 >ここは原始佛教スレなので
( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
そうじゃないだろ?
>>84 の「準テンプレ」を参照されたし。
121 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 12:00:43 ID:tCXrVKCR
>>119 原始佛教に於いて重視されるのは、三毒に基づく害意などの不善業の所作によって起こる苦の連鎖を
その原因から制止することです。そしてこれは個人的・内面的な事柄といえましょう。
122 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 12:12:40 ID:tCXrVKCR
「果報→異熟とも」(過失による苦果など)そのものには善悪の性質は問えず、無記とされます。 そしてこれを起点にいかなる所作が為されるかに佛教の倫理思想の核心があると考えます。
123 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 12:30:39 ID:8XhZIDuT
ちょっと話がずれて恐縮なのですが、不殺生戒は一部カルトをのぞいて普遍的なのに、 肉食については宗派によりまちまちなようです 殺生の結果が肉料理になるのですから、食べないほうがいいような気がします そのへんはどうなのでしょうか?
124 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 12:41:38 ID:tCXrVKCR
>>121 >そしてこれは個人的・内面的な事柄といえましょう。
ならば、何故故意と過失とを律蔵で区別する必要があったのですか?
故意か過失かは善不善とは関わりがないように思います。
確信犯は故意であっても善業だと信じて殺人を犯すでしょう。
>>122 >「果報→異熟とも」(過失による苦果など)そのものには善悪の性質は問えず、無記とされます。
善悪の判断は結果によってなされるのではないのですか?
苦果を生じる行為を悪とし、楽果にいたる行為を善とするように。
過失による苦果そのものが単独で存在しているわけではないでしょう。
126 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 13:14:43 ID:8XhZIDuT
>>124 >大乗仏教では後に中国で大般涅槃経などにより肉食そのものが禁止された
釈尊が肉食を禁止していなかったとすると、
大般涅槃経は釈尊の教えではないということになってしまうのですかね?
>>126 郷に入っては郷に従う、ではないが、
伝播した各地域の文化・実情に合わせて、変更が許される範囲であれば、
変わってゆくものと思う。
勿論、その範囲(=絶対外れてはならない要素)が何であるか? は当然問われるべきではあるが、
それが、四波羅夷と言えるかもしれない。
現在、日本仏教はここに抵触するわけだが、
エッセンス・精神(スピリッツ)を重視するスタンスを取ることで整合性を保っている。
(大乗的といえば、これほど大乗的なスタンスはないわけだが・・・w)
部派分裂の歴史は、教義の変遷という側面とは別に、
律の解釈・改定の歴史という側面もあるだろう。
>>122 >「果報→異熟とも」(過失による苦果など)そのものには善悪の性質は問えず、無記とされます。
>そしてこれを起点にいかなる所作が為されるかに佛教の倫理思想の核心があると考えます。
善悪を問えない無記を起点とした行為のどこから、どのような倫理思想が派生できるのですか?
129 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 13:49:09 ID:tCXrVKCR
>>125 律藏規定の成立プロセスと、苦楽等の享受(→果報)から原因乃至理由(→業)を遡及考察する佛教の業観
について熟考して下さい。
過去ログも精読のこと。
>>126 大乗涅槃經の成立年代を考慮しましょう。
130 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 13:57:29 ID:tCXrVKCR
>>128 六因四縁五果をその内容共々考察して下さい。
>>130 あなたは因縁果を分類すれば仏教の倫理思想が導き出されるとお考えですか?
単純にいえば、「これあるがゆえに、かれあり。これなきゆえに、かれなし」ということでしょ。
あなたの倫理道徳がそこからどのように派生してきたのかをお尋ねしているのです。
あなたの行為の善悪を決定する倫理とはなんですか?
あなたの行為の結果に対する責任を律する道徳とはなんですか?
あなたは、あなたの過失で他人に危害を加えた時に、
あなたの苦しみに善悪は問えないよ、無記だからと安心なさいますか?
過失であれ、悪いことをしたと思うから苦果が生じるんでしょ?
倫理道徳を前提としているから苦しみがあるんです。
これ以上書くと粘着君と呼ばれそうなので筆を置きます。
ただ、仏教は世俗の倫理思想とは無縁な教説だと考えます。
だからこそ戒律がなければ危険な思想だとも言えると思います。
以上、蛇足でした。
132 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 16:13:26 ID:tCXrVKCR
>>131 しつこい&鈍感ですね(苦笑)。
何らかの現状(=果報)からその原因乃至理由(→業など)が追究され、以後の所作(善悪等の業)の
あり方が問われ始めます。佛教に於ける倫理的基盤はこの通り。戒もこれが大前提。
因みに戒は他律的なものではありません。
>>132 >しつこい&鈍感ですね(苦笑)。
以後は無視させていただきます。悪しからず(微笑)
134 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 16:39:35 ID:tCXrVKCR
>>133 粘着の挙げ句に自爆とは醜悪(失笑)。
まともに相手して貰いたければ論点先取病を治すこと(嗤)。
135 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/23(金) 18:19:29 ID:DBKDYzyn
>>132 >何らかの現状(=果報)からその原因乃至理由(→業など)が追究され、以後の所作(善悪等の業)の
>あり方が問われ始めます。佛教に於ける倫理的基盤はこの通り。戒もこれが大前提。
これは倫理という程もなく、
小学校の道徳のレベルじゃないですか。
無明のアタマが原因&理由を追究したとして、それは無明でしかない。
また(業)という概念は仏教にはない。
(方便としてあるだけ)
136 :
素人 :2007/02/23(金) 18:35:17 ID:GHq87xk7
>>134 なるほどw
あなたは、一般人と会話をしないということですか?
以前も言いましたが、
論理学に徹底則った会話をする人などごくごく少数ではありませんか?w
そして何よりも、仏教に興味を持ち、或いは疑義・異議を投げかける人は、
素朴な疑問を持っている場合が多いだろう。
そしてそして、そうした人たちの問い方・問いの進め方は、あなたの嫌う文章構成ばかりですよ?w
あなたは、研究室以外では仏教を語らないのですか?
或いは、このスレは研究室ですか?
研究室は電波氏のお膝元にあるんじゃなかったでしたっけ?w
あ、そうか・・そういえば、「ここで篩にかける。」と仰ってましたね・・・w
であるならば、(ここは関所として措いておいて)、
あなたがもし学問的言葉だけでなく、自分の自然な言葉で仏教を語ることがあるなら、
初学者へ解り易く語る気持ちがあるなら、仏教外の人の疑問に誠実に答える気持ちがあるなら、
あなた自身が、(たとえば原仏談話室など)別の場所へ出向いて(或いは別のスレを設けて)、
応対してみたらどうですか?
それとも、解り易い言葉は使えませんか?
怖くて外へ出れませんか?(嗤)。
137 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 18:41:58 ID:uorqp+Lo
>>136 症状が亢進してますな(苦笑)。
厨 房 は 質 問 箱 ス レ に で も 行 く べ し
とでも言っておきますか(笑)。
138 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 18:51:51 ID:F/95vBG5
電波自身が好事家なんだから、アホダラなんて.... 学もないのに、人には厳しいね。
139 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 18:53:17 ID:5avO9hdL
阿呆陀羅經の佛教による苦の滅は、単なる気休め程度のレベル。 佛教のテーマが、単なるこの世の精神的な苦しみからの解放ならば、 何も難しい御託も必要なく、現代の精神的カウンセラーや、精神科医のほうが 優れていると言える。釈迦の佛教が、この世の精神的な苦の滅を 説くだけならば、彼より現代医学を駆使する精神科医のほうが優れている。 釈迦は鬱病患者は救えないだろうが、精神科医は彼らを救うことが出来るだろう。 阿呆陀羅經の佛教はくだらなく、意味がない。 そんなことも気づかない阿呆陀羅經は、救いようのないアホ。 だからアホウ陀羅經なんだろう。合掌。
140 :
素人 :2007/02/23(金) 19:01:04 ID:GHq87xk7
>>137 質問箱と専門研究室との中間が無いからだろw
昔は、ここがその中間かと思っていたが、スレ主がそれを否定し敷居を上げているんじゃしょうがない。
しかも質問箱は原始仏教のみについてのものではない。
(あなたの嫌うw)仏教の各種文化的在り様についても書き込まれる所だ。
また私は、質問箱での掘り下げた議論へのベクトルには反対の立場だしw
その意味で、談話室の誕生は(その経緯はともかくw)、良いことではなかったろうか?
もっとも、現在有効利用できているかどうかはまた別だが・・・。(過疎ってるし、時々変なのも涌くしw)
たぶん、みんな、あなたの『肉声』が聞きたいんじゃないのかな?
別の場所(電波氏の研究室?w)でどうかは知りませんが、
少なくとも此処でのあなたの言葉からは、体温が感じられないんですよ。(わざとそうしてるのかもしれませんが・・・)
で、あなたは、「体温を感じたければこっちへ来い。」と言う。しかも高飛車に。
ehi bhikku^ になぞらえてるのかもしれませんが、
壁を作られたら近づき難いものです。
お釈迦さんの言葉に壁があったかどうか、スキルの高い者のみに近づくことを許したか、
自分から近づくことがなかったか・・・
考えてみられたら如何でしょう?
141 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 19:08:45 ID:5avO9hdL
電波教信者の彼らの佛教は、単なる自己満足。 で、中身はというと、精神科医の例を出すまでもなく、全く意味の無い 現代では必要のないくだらないものである。 それをあたかも自分達はすごいことを語っているかのごとく、 わざわざ普通の日本語ではなく、小難しい言い回しで悦に入ってるさまは、 観察しているとまこtに笑える。小難しい言い回しで 何かすごいことを語っているようにみえても、彼らの佛教の結論は とるにたらないゴミくずのようなもんです。 そんなことも気づかず、必死で自分達の値打ちをあげようと、小難しい言い回しで 簡単な結論の自分達の佛教を語っているさまは、観察しているとまことに笑えますな。 さすが、”アホウ”陀羅經です。
142 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 19:12:51 ID:O2M7hyim
>>140 ならばあなたが何処かへなりと、
粘着クレクレ厨用論点先取上等スレでも建てれば宜しかろう(笑)。
143 :
素人 :2007/02/23(金) 19:27:47 ID:GHq87xk7
>>142 だったら、(差別化の意味も含めて)スレタイの変更を要請するw
『 原始佛教 専門研究スレ 』とか、
『 【専門】 原始佛教 その** 【研究】 』とか、
『 【文献】 原始佛教 その** 【精査】 』とか、
『 【厳密】 原始佛教 その** 【詳細】 』とか、
『 【教義】 原始佛教 その** 【論理】 』とか・・・
(ちなみに、最近とんと御無沙汰してるが、談話室には時々お邪魔してるよ。 七誌の場合が殆どだが・・w
2ch的には談話室で十分と思うよ。)
>>6 >rnam par rig pa / 識
(1) 二十論の kathaM tarhi vyavasthApyate // de ji ltar rnam par gzhag ce na で、
vi- ava- √sthA という3要素を、蔵訳では rnam-par gzhag と2要素にしています。
必ずしも接辞すべてを逐一、蔵訳するわけでないことが分かります。
avijJapti (倶舎論) と vijJapti (二十論) の各々の蔵訳、rnam par rig byed ma yin pa と
rnam par rig pa を検討するときも、この点にまず留意すべきでしょう。
(2) 蔵語だけで見ると、rig byed と rig では、(使役の有無で)知る者が別になってしまいます。
前者では知る者は相手方で、後者ではそれ自身です。
しかし梵文法で見れば、使役の意味が弱まっても、「知る」だけとなって主客の逆転現象を起こす、
ということはありません。「知る」のはあくまで相手方です。//相手に「示す・教える・表す」=相手が「知る」
(3) vijJAna は rnam par shes pa というように、rnam par rig pa と同型に訳されています。
同じ語根 jJA を片や shes とし、片や rig と訳し分けているのです。語素分析による逐字訳なら、
それはあり得ないはずです。
同型に訳したのは、心意「識」と「了」は同じ、とする教義からであり、
逆に rig byed / rig の訳し分けは、教義上、表業と唯識を区別するためと思われます。
(4) 梵英辞典の vijJapti の項に、「唯識」を除いて、「知る側」と解する例がないことにも留意すべきでしょう。
「識/rnam par rig pa」が語素分析に基づく漢・蔵訳でないことの傍証となるでしょう。
以上をまとめると、<1>vijJapti は本義上「知る」側ではなく、「知らしめる」側であるが、
<2>そういうものとして顕現するものは、(経説「三界虚妄、但是心作」から)、心の所産、つまり
心作用の一種だと見、<3>vijJapti は vijJAna と一体であるとして、
<4>「識」や「rnam par rig pa」と訳せたのだ、と。
145 :
素人 :2007/02/23(金) 19:30:13 ID:GHq87xk7
てか、邪魔してすまなかったw ちょっと今、めんどい作業してるもんで、煮詰まった息抜きをさせて貰った。 申し訳ない。 m(_ _)m >>ALL
146 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/23(金) 19:34:33 ID:O2M7hyim
>>143 かような指図を受ける謂われなし。
却下。
>>141 >電波教信者の彼らの佛教は、単なる自己満足。
>で、中身はというと、精神科医の例を出すまでもなく、全く意味の無い
>現代では必要のないくだらないものである。
それは、唯物佛教論を唱える連中の共通したものですね。
学者の唱える宗教論ほどくだらなく、糞の役にも立たないものはない。
彼らにかかれば、釈迦の佛教は、単なる、精神的なもの。つまりカウンセリングレベル
だし、キリスト教にいたっては、形而上のテーマは全く無視して、聖書も
単なる歴史絵巻にされてしまう。宗教学者の唱える宗教論ほどくだらないものはない。
そもそも宗教なんてものは、学問じゃないって。
>>139 >精神的カウンセラー
精神療法の有効性(むしろ無効性というべきか?)に関しては『フロイトのウソ』が参考になります。
149 :
名無しさん@3周年 :2007/02/23(金) 20:17:07 ID:J4jD85VS
創価、日蓮宗はテロリズム積極肯定集団であることを 告白してしまったな。 それにしても、この粘着ぶりは連中のいつものやり口だなwwwwww シロアリやダニと同じだwwwwww
>>144 おっしゃるとおりですね。
その上で蛇足です。
チベット語の rig は自動詞ですね。
中村元著『ナーガールジュナ』に記すように、実は『中論』にも経部に似ている教義はありますし、 また、上に出てきた「四縁」説も説かれていますが、これなどは有部のものです。 しかし、実有(実体としての有り方。単独で存立し永遠不変)かどうかという段になると、 一転して厳しく峻別しています。 実有でなく、因縁が仮に和合して有るのだ、とします。 そして、このような実有か仮有かということを巡る考究を進めると共に浮上して来る疑問 「そもそも、そういうような諸現象として立ち現れてくることを、どう理解すべきか」 ということが問われて、それに「知るということ」そのこと自体の探求から答えようとしたのが、 唯識派の起こりなのでしょう。 また、そういう需要があったからこそ、窺基の『唯識二十論述記』で「西域の註釈は数十余家なり」 と書かれるように、盛んに採り上げられるようなことになったのでしょう。 なお、龍樹の『廻諍論』にも認識について採り上げられているので、こちらも検討しないとなりませんが。
>>107 きのう
>>106 を書き込んだものです。自分のレスの根拠は、日蓮大聖人が「立正安国論」で引かれた涅槃経にあります。
涅槃経に云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて、呵責し駈遣し挙処
せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、
是我が弟子、真の声聞なり」と。
又云はく「我往昔を念ふに、閻浮提に於て大国の王と作れり。名を仙予と曰ひき。
大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして麁悪嫉リン有ること無し。
善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已は
って即時に其の命根を断つ。善男子、是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と。
又云はく「如来昔国王と為りて菩薩道を行ぜし時、爾所の婆羅門の命を断絶す」と。
又云はく「殺に三つ有り、謂はく下中上なり。
下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・
畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。
何を以ての故に。是の諸の畜生に微かの善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受く。
中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで、是を名けて中と為す。是の業因を以て地獄・
畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。
上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。
善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず。
善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」
立正安国論では、災難退治の方途は誹法者をいましめることである、との主張に関連して、 ここでは、たとえ誹法者の命を絶っても仏法上は罪にはならない、との経文を挙げられています。 世間の仏法に無知な人は、この経文を見て、いかばかりか驚くようです。 おそらくこれまで仏教といえば、人を慈愛することを説いた教え、くらいに思っていたものが 厳しく激しいまでの金言に接して、あるいは、驚きを通り越して恐怖すら懐くかもしれない。 しかし、日蓮大聖人が幾度も述べて論証してこられたように、邪教・邪義こそが世の災難の根本原因です。 飢饉・疫病・戦争をはじめ、さまざまな天災・人災が、すべて邪宗・謗法によってもたらされた不幸であり これによってじつにおびただしい人命が失われていった。ゆえに、真に人々の幸せと国土の安穏を願うならば 不幸の元凶である邪教・邪義を憎み、根絶していくことは、当然の道理と言わなくてはいけない。 しかし、こうした釈尊の経文、日蓮大聖人の仰せは、文字通り謗法者を実際に殺害すべきことを勧めているかといえば、それは違います。 現に、釈尊も日蓮大聖人も、御在世におけるお振る舞いにおいて、謗法者の側から命にも及ぶ大迫害を加えられてはいても 自ら謗法者の命を奪おうとは、直接・間接を問わず皆無でした。
要するに、法華経を誹謗する邪義は、とことん憎み、破折していくことが大切である、ということです。
>>146 まったく・・・w
どうしてそういう敵意剥き出しの言葉しか書き込めないのかねぇ・・・ ;´ー`)y━~~
また、敵意はともかく、
日常語・口語・会話文で書き込めないもんなのかしらんw
もしかして普段もそんな口調?
これは、半分冗談としての一文だが、
「仏語を雅語に転ずることなかれ」ってフレーズが、どっかに無かったか?w
その辺に関しては、
電波氏の方がまだ言葉を選んでる姿勢が窺えるぞw
人を憎んだり、批判したりするだけでその宗教は下に観ますけどね、俺は。
電波氏にしても、阿呆陀羅經氏にしてもこの世に一人しかいない。 普段は穏やかな人でしょう? ネット人格とか、なにそれ?って感じがしてしまうです。
>>156 批判(≒批評・反駁・異議etc.)は必要では?w
てか、Rさんかい?
おやすみ ノシ
159 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 06:25:05 ID:ISJZrJSs
160 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/24(土) 07:16:02 ID:WrC9e2MV
ヽ(´∇`)ノ
161 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/24(土) 07:39:20 ID:M0OFz+jj
>>152 >涅槃経に云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて、呵責し駈遣し挙処
>せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、
>是我が弟子、真の声聞なり」と。
「法を壊る者」というのは日蓮のことですよ。
「日蓮宗または日蓮正宗」という仏教ではない新たな教団を作った人物なんですから、
こんなことは実際とんでもないことです。
>下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・
>畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。
これは読めば直ぐ分る。
「地獄・ 畜生・餓鬼」←これは最初に説かれた”方便としての経典があったはずです。
それをあたかも真理の如くに脳内変換し、新たに経典を書き加える手法です。
仏典には、こういうふうに脈絡がどんどん変化するのはよくあること。
162 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/24(土) 07:49:17 ID:M0OFz+jj
>>153 >世間の仏法に無知な人は、この経文を見て、いかばかりか驚くようです。
無知なのは学会の人たちですよ。
>ここでは、たとえ誹法者の命を絶っても仏法上は罪にはならない、との経文を挙げられています。
「経文を挙げられていた」ということだけで、鵜呑みに信じちゃう。
経文なんて誰が書いたもんか分らんだろうし、
ましてや日蓮が書いた経文なら、殆ど日蓮の我見のみしか書かれていない。
池田が「わたしはこう思う」の類です。
つまりエッセーとか随想の類。
こんなもん信じる方がオカシイ。
163 :
莫妄想 ! :2007/02/24(土) 08:06:07 ID:ccRcG8L1
フィクションを実体化し、妄想を真実とする独善殺人集団ーそれが法華経日蓮関連団体 独善折伏に失敗すれば殺せ!が奥義 ロシア・北朝鮮のオウム、南朝鮮の創価 カルトの巣窟
164 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 08:46:36 ID:b2OCJibp
南妙法蓮華経などと唱えることに意味があり、それを人に言わせようとするもんこそ、 正法を誹謗するものとして、虐殺するすることこそ、涅槃経に添うことだ。涅槃経は空をこそといているし、四諦の法門を説いている。 今の石原(都知事)も殺すべきではないのか?霊友会だそうだから。 そもそも法華経からどうして、涅槃経に移行したのだ?
165 :
莫妄想 ! :2007/02/24(土) 08:53:04 ID:ccRcG8L1
>>135 >日蓮大聖人が幾度も述べて論証してこられたように、邪教・邪義こそが世の災難の根本原因です。
>飢饉・疫病・戦争をはじめ、さまざまな天災・人災が、すべて邪宗・謗法によってもたらされた不幸であり
>これによってじつにおびただしい人命が失われていった。ゆえに、真に人々の幸せと国土の安穏を願うならば
>不幸の元凶である邪教・邪義を憎み、根絶していくことは、当然の道理と言わなくてはいけない。
できの悪い中学生でも、呆れるほどの痴保的独善性だなwwwww
科学的情報知識皆無の鎌倉時代でもここまで無知はいなかったwwwww
これが日蓮クヲリティー! 自己批判精神ゼロ! こんな奴らが現代にも生きているんだ 化石かあ?
166 :
莫妄想 ! :2007/02/24(土) 09:07:19 ID:ccRcG8L1
日本日蓮宗連中の第二次大戦中の態度を検証してみろや!wwwww 日蓮宗が『邪教』である検証結果が確実に出るwwwwwww 自分で自分を『憎み、根絶』しろよ!wwwwww それが『当然の道理』だろ。確実に実行しろ!
167 :
莫妄想 ! :2007/02/24(土) 09:13:02 ID:ccRcG8L1
『キチガイに刃物』とはよく言ったものだ
168 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 09:23:47 ID:b2OCJibp
末法の大悪現る!!日蓮を根絶せよ!!
169 :
莫妄想 ! :2007/02/24(土) 09:30:13 ID:ccRcG8L1
ICチップスを植えつけられた狼少年が、独善自己中な野生チップス狼のままで、 現代の都会で生きるには、狼の論理でフツーの人間に牙を向けるしかないわな。
170 :
莫妄想 ! :2007/02/24(土) 09:37:43 ID:ccRcG8L1
171 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 09:46:25 ID:b2OCJibp
(池田大作氏発言) 「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共 産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあら ゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 (扶養研修所での指導) 「アッ、クリントン元気かしら、ああっ、そう、あのよーにね、口をうまくね、うんと、うんと人 を誤魔化してね、あのー、あのー警察につかまんないように、ンフフフ、まあーいいや、 ね、口をうまく、クリントン以上に口をうまくね、折伏戦でやってください。 指導してください。口をうまく、口下手なんて言うのはね、時を遅れています。 クリントンは口がうまかったんだから。」(ロサンゼルスアメリカSGI&関西合同総会) 「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、 最後に総合商社を作って決戦だ!」 池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」P63 「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」 池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P65 「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを知 らねばならない」
172 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 09:54:54 ID:b2OCJibp
池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P67、P316 「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」 「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」 池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P93 「釈尊出世の本懐である法華経でさえも末法の今日に は まったく力はない」 池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P70 「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の 衆生は基本的に幸福になれないのである。」 池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P303 「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立たないしろものである。これを使用するから生活に破錠 をきたすのは とうぜんである。」 池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P321 「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては 発狂する者ができたりして〜」
不殺生戒を持たずに経典を妄信すると、日蓮宗や創価にならざるを得ないという一例です。 時の権力者に阿る連中は、仏教を隠れ蓑にして敵対者を抹殺した。 大乗経典はそうした外道が紛れ込んで来たという歴史書でもあるのだ。 真偽を見抜く眼を持たない脆弱な精神にとって、経典は悪魔の書ともなりうるのだ。
174 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 11:08:33 ID:b2OCJibp
天台が元凶。天台は仏教を知らなかった。きょうてんの優劣を妄語した。 伝教、日蓮は同じく仏教を知らずに天台に盲従した。法華経を誤読しているのは、 そしてそれに気づかなかったのは、仏教を知らなかったからである。 仏教はあくまで縁起と空:無常:無我である。
175 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 12:01:13 ID:J+L/yoAw
スレ違いの、基地外・間違い・見当違い雑談は余所でやること。 ここはテンプレも読めぬ文盲の来るところではない。
176 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 12:28:44 ID:bEHQ/3L7
たまには君がスレに合ったカキコしてみたら。
177 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 12:48:40 ID:ccRcG8L1
わが国の宗祖たち(空海、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍など)にとってはパーリ語なんて 知識ゼロ、シナで強烈変態させられた大乗ブッダしか知らない。 いわゆる天台智の教判も経典成立の歴史展開について、まったく誤まった前提に立っていたのだ。 そのシナ仏教の誤まった前提を輸入したわが国の全ての大乗仏教の大前提も誤まっていることはいうまでもない。 誤りは正すのが当然だ。ところがわが大乗仏教は誤まったまま平気で今日走っている。衰退の道を。 坊主は、生きている人間に向かって生きた日本語でブッダの教えを説かず、 死んだ仏壇や墓に向かって「漢訳」経を読経するというナンセンスな光景を 無批判に繰り広げている。 パーリ三蔵の経・律蔵を明晰にして始めてゴータマ・ブッダに出会えるのだ。 このスレの存在意義もここにある。
178 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 12:55:18 ID:J+L/yoAw
>>177 パーリ佛典は、南方分別説【部】大寺【派】という、いわば「部派」佛教の伝承であることを常に留意すべき。
「尊重すれども崇拝せず」くらいのスタンスが妥当なところだろう。
179 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 13:47:23 ID:J+L/yoAw
補足 >「尊重すれども崇拝せず」くらいのスタンスが妥当なところだろう。 これはいかなるテクストに対してもいえることだが。
180 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 14:04:49 ID:ccRcG8L1
>>178 しかし、俺は強烈な方言を伴っただろうマガダ語なんぞ知らんがなwwwww
>>153 :南無妙法蓮華経
あんた、智の教判「五時」は、現地調査して客観的事実として確認したものではなく
ばらばらに入ってきた経典をシナ大乗的に想像のうえででっち上げたフィクションに過ぎないこと
は解るね?フィクションを実体化して事実と主張するのは不妄言戒に反するって解る?
まさか源氏物語を事実と考えているんじゃないだろうなwwwww
法華経や維摩経のようにフィクションだからこそ物語だからこそ語れるものがある。
埴谷雄高「死霊」も、知りえない事を知っているかのように語られるあらゆる事は物語という
形式にならざるを得ないということを自覚して書かれている。
物語を事実と主張するとき、悲劇が生まれる。
立正安国論=日蓮教がそうだ。客観的な前提が誤まっているのだ。
181 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 14:30:22 ID:b2OCJibp
法華経の方便品の読みがまったくトンデモ読みなんだ。 質問をしたいと思わせる釈尊の言動と、それに基づく質問と、そして答えと、この関係を 全く解っていないのだ。 確かに法華経は、ギクシャクした叙述である。しかし、それをもってトンデモ解釈する ことは許されない。トンデモ解釈するのは仏教の何たるかを理解していないからである。
182 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 15:18:15 ID:J+L/yoAw
183 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 15:23:33 ID:gVRD3ms+
わずが256文字の般若心経に「舎利弗」という3文字が2回もでてきます 釈尊の直弟子に説教を聞かせるという形をとることによって、大乗仏教の素晴らしさを誇示するためだ、と、何かで読んだことがあります そうなんですか?
184 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 15:39:50 ID:J+L/yoAw
>>180 「不合理故に吾信ず」の法華基地外と遊びたいのなら題目ファッショカルトスレへ。
185 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 15:50:01 ID:b2OCJibp
法華経と言うのは、初天法輪教を拡大した経典であると言うのが正しいのだ。
また、法華経に置いて、声門、縁覚のニ乗は菩薩乗に他ならないといって、
原始経典に回帰しているのだ。大乗経典というものを話そうとしないなら、原始経典をも話さないことになるだろう。
>>183 そんなことありませんよ。大乗の教えと言うのは原始経典における修行の内容に焦点を当ている経典なのだ。
186 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/24(土) 15:59:53 ID:M0OFz+jj
>>183 般若心経は、彼岸に至るまでの説明書のようなものだし、
彼岸に至れば後は用なしじゃないでしょうか?
(これは、あらゆる仏典にも言えること)
なんの道でも本懐というのがありまして、その達成後の研鑽が大事かと思います。
つまり、いつかは卒業せねばならん。
「業」の卒業です。「行」とは違う。
187 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/24(土) 17:11:36 ID:WrC9e2MV
ヽ(´∇`)ノ 歩けるようになったら 歩かなくてよいの? 走れるようになったら 走る必要なくなるの? 悟れば後は 悟る必要ないの?
188 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 17:19:22 ID:ccRcG8L1
ヒンドゥー教徒は月と月を差す指の区別がつかんらしいwww
189 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 17:20:48 ID:b2OCJibp
190 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/24(土) 18:37:30 ID:M0OFz+jj
>>187 そうじゃない。
例えば、高校なり大学で学業を修める。つうことは、
つまりその学業なりをどう社会で生かせるか。
というところに”学業としての本分”があるんだろうし、
そこまで進歩せねば学業の意味がない。ってことだよ。
いつまでも学生気分で甘えておったら、それこそ本末転倒。
アホダラ氏に進歩がないのは、いわゆる自己への甘え。でしかないということ。
(自己満ともいう、つまり仏教においての魔境)
つまり「修業」において「修行」双修でなければ魔境に入る。ってことです。
禅においてはこれを自省(行)というて本願に至る重要なことです。
この話を浄土門の方に言うたら、
浄土門では自証というらしい。
やはり意味は同義。
>>186 凄いね、般若心経をが説明書ね、確かに方便ではあるが、まるで完全に彼岸へ往った人の解釈を聞いている様だ。
真の御仏か、魑魅魍魎か・・・どちらにせよ、パンニャーパーラミッタの御高説をタレルのだから、蓮如よりはましな御仁だろう。
192 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 19:10:19 ID:J+L/yoAw
>>191 テンプレ参照。
虫喰いが増え腐臭が立ち籠めるので、「出禁サイコパス外道」には不可触のこと。
193 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/24(土) 19:37:38 ID:M0OFz+jj
>>191 >確かに方便ではあるが
方便というよりも、月指す指が書かれてますから重要な経典であるのは間違いない。
>まるで完全に彼岸へ往った人の解釈を聞いている様だ。
般若心経において(法灯明)彼岸に至らぬなら、心経はそれこそ何の役にもたたんだろう。
>>192 公案スレも逝ってるけど、ここも逝ってるって事だよ。
>>193 十人いれば十通りの解釈がある、彼岸への渡り方もそうでしょ、あんたの解釈を人に説明しても
全く無意味なんだがね。
196 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/24(土) 19:49:04 ID:M0OFz+jj
>>195 解釈はなにもない。
だから、月指す指も解釈のしようがない。
197 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 19:54:19 ID:J+L/yoAw
>ID:2/lS/dFd
>>192 参照。
汚 穢 撒 布 幇 助 厳 禁。
198 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 20:37:05 ID:ccRcG8L1
>>195 横レスすまん。
おいらも般若心経って彼岸到達への煽り文書、プロパガンダ、応援歌だと受けとめてるよ。
それっ、 大死一番、死んだつもりでみんなで彼岸へ飛べ!って煽りまくってるじゃん。
あんたにとって、何なのさ。単なるお札かい?シロート相手のこけおどし文書かい?
チラシの裏に書かれていても、同じだよ。
199 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/24(土) 21:12:06 ID:WrC9e2MV
般若心経には 彼岸の行き方 彼岸がどういうものか そして彼岸に行けない人でも 大丈夫だよって 説明してます
200 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 22:03:51 ID:J+L/yoAw
『般若心經』関連のスレも、題目ファッショカルト関連スレ並みに乱立しているので、「出禁サイコパス外道」 共々出て失せるように。ここではスレ違い。 以上
201 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 22:21:09 ID:TR25YtGK
202 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/24(土) 22:24:49 ID:WrC9e2MV
ヽ(´∇`)ノ机タンアショボ♪
>>198 何を如何信じ様が君の自由さ、般若心経を如何解釈しようが君の自由。
204 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/24(土) 22:32:17 ID:J+L/yoAw
205 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 22:32:41 ID:9SAVzRUK
>>201 と論破され遁走して他で迷惑を掛ける電波だった。
>>205 なに一つ論破されてないんだけど?
有効な反論を待っているだけ。
そして、少し忙しい。
仕方ないな。少し前スレ発言するか。。 あいつ、馬鹿だから理解できるかな。。。。
208 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/24(土) 22:44:01 ID:WrC9e2MV
ヽ(´∇`)ノアホタン遊んでチョ♪
209 :
名無しさん@3周年 :2007/02/24(土) 23:28:41 ID:ccRcG8L1
しかし、般若心経を彼岸への煽動文書と考えるなら、 デキがわるすぎだな。編集がヘタクソ。 これをまとめた学僧(龍樹か?)は煽動家としてはかなりイマイチで、落第だ。
>>161 >「法を壊る者」というのは日蓮のことですよ。
>「日蓮宗または日蓮正宗」という仏教ではない新たな教団を作った人物なんですから、
>こんなことは実際とんでもないことです。
いいえ。釈尊は、自らの入滅後における教法の流布すべき「時」を大別し、
正法・像法・末法という三つの 時代があることを説かれています。
この正・像・末の三時の期間については、経典などによって種々の説がありますが、
日蓮大聖人は『撰時抄』において
「大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。
所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、
次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、
次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
と説かれています。
>>161 末法時代とは、釈尊の仏法の力がなくなり、
人心は悪化し、世相の混乱によって争いが絶えない末世法滅の時代をいいます。
この末法時代は、衆生は仏法に対して下劣な考えをもって慢心・疑惑などを懐き、
また法華経の教義を盗み取って我賢しと主張するなどの多くの邪義が続出しました。
それにより思想は混乱し、衆生の生命も貧欲・瞋恚・愚痴などの煩悩が旺盛となり、
世のなかも荒んで争いごとが絶えず(闘諍言訟)、さらに天変地夭の連続による末世の様相を呈し、
退廃的な風潮が蔓延していきました。
このような濁乱の世相である末法において、釈尊の教法(白法)は隠没し、
末世の闇を根本から救う日蓮大聖人の南無妙法蓮華経(大白法)が出現するのです。
この大白法が末法に流布すべきことを釈尊は、法華経『薬王品第二十三』に、
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」
と説かれ、五箇の五百歳の最後・第五番目にあたる末法において、一切衆生を済度する仏法として、
末法の法華経である南無妙法蓮華経が出現し、
永久に断絶することなく広宣流布していくことを予証されています。
これについて天台大師も「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」と述べられ、
また伝教大師は「正像稍過ぎ已って、末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」と、
末法時代は南無妙法蓮華経流布のときであることを示されています。
>>162 >無知なのは学会の人たちですよ。
学会の人は確かに無知ですが、私は学会員ではなくて日蓮正宗の信徒です。
正宗カルトよ。 出て行け。お前たちのは仏教じゃない。
>>213 では、どこがどう仏教ではないのか、論理的に話してください。
「カルト」と根拠もなくレッテル張りするほうがカルト的な思考だと思いますが、いかがでしょうか。
>>214 論理的じゃない馬鹿になぜ論理的に話さないといけない?
「三法印に反する」
それだけで十分だね。それとそのキチガイ脳みそ。プゲラ
>>215 三法印は確かに釈尊の教えの一つにありますが、これは、南無妙法蓮華経と比較すれば、非常に小さな水溜りのような悟りです。
しかも、釈尊の教えの極意は、法華経に尽きる、と釈尊自身が言っています。
それに今は釈尊の力が及ばない末法時代です。
これは釈尊自身が予言されていることですから、
「三法印」に固執して、「南無妙法蓮華経」をあなずるということは、
水溜りの教えに固執して、大海原の教えを馬鹿にするようなもので、理論的に狂ってます。
>>216 それが論理的に狂っているのです。
法華経はかなり後代に編纂されたものであって、釈尊からは離れていますね。
経典編纂史は嫌と言うほどやりましたからおなかいっぱいです。
で、法華経も三法印から離れていないのですが?
釈尊の力?馬鹿ですか?釈尊は魔法使いですか?妖怪ですか?バケモノですか?
218 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 00:54:50 ID:zbuqeMnm
>>210 >釈尊は、自らの入滅後における教法の流布すべき「時」を大別し、
>正法・像法・末法という三つの 時代があることを説かれています。
ICチップスを相手に したくはないが、法華経を造ったのは誰?末法思想を
造ったのは誰?ブッダが説いたとのことだが、その出自根拠は?
フィクションと事実の区別は正常にできますか?
仏教を政治的に利用しようとした勢力は、そのことのために滅ぶ。 日蓮しかり、創価公明党しかり、さらには中国によるチベット侵略。 これを、末法と呼ぶ。
220 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 01:01:55 ID:zbuqeMnm
>>220 >>177 >>180 釈尊は、東国に、未だかつてない仏が出現するとはっきり予言されていますから、
インド仏教が中国を経て、日本に渡った経緯などは、私からすると何も矛盾を感じません。
末法に出現する日蓮大聖人の仏法は、久遠元初の大本の仏様でありますから、
経典が漢語に昇華して、より強度が強くなったのは当然の経緯だと個人的に思います。
>>177 さんは、日蓮正宗以外の葬式仏教を見てきたから、このような感想をもっているのかと思います。
日蓮正宗は、現世利益もしっかりありますから、衰微するどころかますます栄えているのが現状です。
どうか疑いの心をなくして、日蓮正宗に帰依してください。
>>222 所詮、日蓮正宗は日蓮宗の亜流だろ。
マガイモンだからソーカやケンショー会を生み出したんだろうが。
テメーでひり出した糞や小便ぐらいテメーで始末をつけろや、ボケッ
224 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/25(日) 08:25:36 ID:kZPxdkEy
>>212 >学会の人は確かに無知ですが、私は学会員ではなくて日蓮正宗の信徒です。
日蓮正宗に、そもそも問題がある。
富士大石寺でひっそりやってれば良かった。
ある熱心な法華信者(牧口常三郎)に寺の軒下を貸したのが、そもそも間違い。
戸田城聖→池田大作と代が変わる過程において、
ついに寺の本堂まで乗っ取られて、それでもまだ気がつかでウハウハ気分でいたんだろ?
学会がここまで伸し上がったのは日蓮正宗に責任がある。
牧口の時代に、早く手を打っておけばこんなことにはならなかった。
学会は、今は政界のキャスティングボードまで握る存在になってしまった。
これ以上逝ったら、もう亡国しかないだろ?
どう責任をとるか?
全ては日蓮正宗に掛かってる。
225 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/25(日) 08:45:55 ID:pWPgAxk+
テンプレ参照。 ここは基地外底辺カルト奴隷や、「出禁サイコパス外道」の来るところではない。 汚 穢 が 発 言 出 来 る こ と な ど 皆 無。
226 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/25(日) 08:51:02 ID:ebdHlsZg
ヽ(´∇`)ノアフォタンメッケ♪
227 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/25(日) 09:04:31 ID:pWPgAxk+
>>217 ここで法華經を話題にするならば、最低限原始佛典との思想的対応くらい射程に入れておく必要が
ありましょう。「仕切り直し・原理主義としての一乘思想」とか・・・。
しかし、ここで騒いでいる籾殻どもにそんなこと振っても「ブタに真珠」にもならないでしょうが(苦笑)。
228 :
218 :2007/02/25(日) 09:22:46 ID:zbuqeMnm
>>222 >法華経を造ったのは誰?末法思想を
>造ったのは誰?ブッダが説いたとのことだが、その出自根拠は?
>フィクションと事実の区別は正常にできますか?
答えてください。
>釈尊は、東国に、未だかつてない仏が出現するとはっきり予言されていますから、(
>>221 )
出自の根拠を明示して下さい。
フィクションの上に築かれた砂上の楼閣を事実と信じることを、狂信といいます。
そもそも大乗は在家重視ですから大衆迎合主義的なマーケットインの発想をします。
フィクションですから数千もの経典を勝手に創作できます。アイドル、スーパースター、神格化
という、かつての「いかにも一般大衆が喜びそうな・・」というコマーシャル通りになります。
日蓮もそう。オリジナルは強烈に大乗的に歪曲されて「仏教」ではなくなっているのです。
そして、このスレの意味は、あるがままのオリジナルなブッダに邂逅したいとの思いにあります。
あなたも、偏見なしで虚飾なしのオリジナル・ブッダを求められてはどうですか?
日蓮はしなかったし、できなかったのですよ。当然、そのブッダイメージは歪んでいますよね。
229 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 10:36:59 ID:4NRsOMoT
オイ、日蓮教徒、おまえは(正確に言うとお前と言うか日蓮なのだが)、仏典を誤読してんだよ。
>>210 >日蓮大聖人は『撰時抄』において
「大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。
所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、
次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、
次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
と説かれています。
「白法隠没せん」とここまでしか引用しないな。当該経典は、御没させないで、このような末法において。、
この白法を広宣流布させることの功徳を説いているのだよ。白ほうが意味を失って違う法が生まれると言う意味
では無いのだよ。
そこでお前の根拠を経典から引用し、それがおまえの言うような意味になると言う説明をしてごらん。
>>211 >この大白法が末法に流布すべきことを釈尊は、法華経『薬王品第二十三』に、
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」
と説かれ、五箇の五百歳の最後・第五番目にあたる末法において、一切衆生を済度する仏法として、
末法の法華経である南無妙法蓮華経が出現し、
永久に断絶することなく広宣流布していくことを予証されています。
末法の法華経である南妙法蓮華教」というのは論点先取りと言うべきだ。
法華経が末法に説かれる経典であるとしても、それが南妙法蓮華教という題目になる
という理屈は無いからだ。ここにも重大な方便品の誤読があるんだが、おまえの主張する根拠を
理論的に開陳してみろよ。
230 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 10:49:16 ID:4NRsOMoT
>>229 前段の「経典から引用し、・・・・説明してごらん」に言う経典は大集教だよ。
日蓮の書いたものを経典と言うのではない。
231 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/25(日) 12:15:44 ID:pWPgAxk+
このスレでは『法華經』そのものは、何ら根拠にはなり得ない。 テンプレも読めん能無しは去れ。
232 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/25(日) 12:22:42 ID:ebdHlsZg
ヽ(´∇`)ノキャ〜 アフォさん素敵♪
三法印を否定するのは仏教ではない。 三法印とは仏教であることを主張するための思想として最低必要条件だ。 解釈や主張に問題があっても、これを根本にしている。 興門流は日蓮を本佛として、それまでの仏教を否定する。 日蓮こそが仏であり、釈尊などはどうでもいいとする。 その流れで三法印を否定する。 よって、日蓮正宗は三法印を基底とする仏教ではなく、日蓮を開祖とする日蓮本佛教である。 だから、釈尊を探求しようとするこの原始仏教スレには二度と来るな。
234 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/25(日) 15:07:43 ID:kZPxdkEy
>>214 >「カルト」と根拠もなくレッテル張りするほうがカルト的な思考だと思いますが、いかがでしょうか。
闇の部分は非常に深いです。
層化の中核部分は統一教会と繋がる、半島カルト集団です(オウムも同根)
この半島(北鮮)というのは、驚くべきことにユダヤ資本(ロックフェラー財団など)などと
密接な繋がりがあります。
(核開発も、この関係の延長線上にあります)
じつは小泉・竹中の時代に、日経平均株価が底値圏のとき、ユダヤ資本は日本の株を買いまくりました。
これにはカラクリがありまして、やはり闇の部分は全部カルトと繋がってます。
(郵政民有化における350兆円の行方も、この延長線にあります)
9.11テロも、やはりこの闇の部分に繋がっていて、
WTCビル崩壊は純粋水爆によるものと、今では定説になってます。
植草教授は、政府のインサイダー取引疑惑をテレビで発言して(りそな銀行疑惑)
即、国策逮捕になりました。
(これを調査しようとした国税職員も猥褻罪で逮捕されてます)
じつは、こんな話はいくらでもある訳で、
つまり、一団体のカルト集団では済まなくなってるのが現状です。
既に遅く、今や日本は亡国となりまして半島&ユダヤ系資本に乗っ取られているんです。
この先、どこまで日本を追い詰めるのか?
君たちは、その手先じゃないのか?
235 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 16:56:33 ID:zbuqeMnm
法華経は狂気に満ちた 偽経(ファンタジー)だよ それに日蓮の排他的独善的且つ凶暴な性格が融合して 狂気の集団となった 一種のファッシズム運動だ
236 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 17:41:11 ID:S4LhTtwO
9.11は何かおかしい部分があるな、と思って報道を見てましたが、WTC7が「崩壊」した事実を知って確信しました 火事だけで立派なビルがあんなにも見事に崩壊するはずがない あれは「破壊」されたんですよ
237 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 19:03:32 ID:4NRsOMoT
>>234 wikipedia
さらに週刊誌『女性セブン』にて、今までに警察沙汰だと分かっている3度の逮捕以前にも、1992年ごろからチェック柄のスカートを狙った痴漢事件などで被害者と示談を7回していたことが掲載された[1]
238 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 19:18:43 ID:d77Q469x
そもそも「佛」の定義は何なのか?
239 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/25(日) 19:38:10 ID:kZPxdkEy
>>237 それは植草が否定してるし、
最初の手鏡事件にしても、管轄外の警官が植草を尾行していたって、
なにやら官憲の工作が露呈してます。
以後、裁判においても目撃者の供述に一貫性がなく、ついには目撃者も出廷しなくなった。
国策逮捕に間違いないですね。
240 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 19:38:28 ID:4NRsOMoT
241 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 19:46:20 ID:4NRsOMoT
>>239 いずれにしても、そのような可能性(陰謀の可能性)があることが解りました。
242 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/25(日) 19:56:34 ID:kZPxdkEy
>>241 植草は現在、政界を震撼させる程のインサイダー取引暴露本を出版する予定でしたが、
この本を出版すると関係する政治家とか財界人がボロボロ出てきちゃう訳です。
これじゃ〜出版を阻止せんとあかんでしょう。
しばらく植草には大人しくして頂くつもりなんでしょうね。
243 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/25(日) 23:10:16 ID:pWPgAxk+
244 :
名無しさん@3周年 :2007/02/25(日) 23:43:07 ID:cTyd7Qjc
歴史的にも古くは『元亨釈書』近くは『本朝高僧伝』でも日蓮宗は仏教と見られていません。 さらに日蓮は中世神道と同じ宗教ナショナリストにしか見えません。 日本中心、自分中心で仏教的知識を利用して国粋宗教を構築した。 だから、排他的で自分を慕うものには優しいが嫌うものには厳しい。 そんな人は仏教を説いてはいけない。法を説くなら『法華経』のように包括的で、 あらゆる人に平等な態度で接しなければならないのです。 日蓮の『法華経』解釈は全く倒錯していて排他的です。それは間違っていると言わねばならない。 日蓮のように排他的、国粋的な大乗仏教は他に見られない異常なケースです。
>>229 「闘諍言訟して白法隠没せん」とは、
争いが盛んになって、釈尊仏法の秩序が混ぜこぜになり、隠れてしまう、という意味ですが
末法を予証した釈尊の金言は、ずばり、この掲示板の有様を言い当てています。
もちろん、白法が無くなって、全く違う法が出現するなんて、自分は一言も言ってないです。
こういう時代だからこそ、法華経の寿量品の文底に秘沈された、
すべての根源である「南無妙法蓮華経」が、流布される時代になった、といっているんです。
ちなみにあなたの言う「南妙法蓮華教」は自分も初耳(初目?)なので、良く分かりません。
246 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:09:57 ID:RAO/JOPQ
>>244 日蓮の法華経解釈に同意しなかった日本人が昔からいたことは日本人に幾らかの理性があったと言う証拠と言うべきです。
日蓮関係の宗派、団体は、今も昔からも内紛が絶えず、気の毒でもあります。
>>224 日蓮正宗では、それまで他の宗教を熱心に信じていた人であろうと、
また、日蓮正宗に対して悪口を言って嫌っていた人であろうと、
その人が日蓮正宗の話を聞いて信心したいと願うのであれば、
どのような人であっても入信を許し、受け容れています。
もし、日蓮正宗が非寛容であるならば、
それまで他の宗教を信じていた人を受け容(い)れ、
入信を許したりしないでしょう。
それどころか、日蓮正宗では、どんな人に対しても、
こちらから声をかけて真実最高の仏法を教え、あらゆる人々に門戸を開いているのですから、
これこそ寛容であるという証拠であります。
248 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:20:19 ID:KjgGc1X7
>>144 (1) upasarga と 接尾辞は違う。rnam par rig byed と rnam par rig pa は混同されません。
(2) rig byed 能動/使役などに対応するのはrig bya 受動/未来など
(3)チベット語とサンスクリットは、別の原語だよ。しかも系統の違う。無理なこというね。
> 同型に訳したのは、心意「識」と「了」は同じ、とする教義からであり、
> 逆に rig byed / rig の訳し分けは、教義上、表業と唯識を区別するためと思われます。
チベットでは唯識は重要しされてないのに、唯識説から一般的な rnam par shes pa という訳語が決定されたと、
なんでそんな無理な理屈を思いつくのかな?
(4) 逆に今まで jJap に気づかなかっただけと考えた方がスッキリするでしょ。
だから『解深密経』『リョウガ経』が原始仏教的「心・意・識」以外に vijJapti を使ったから、
vijJapti を「心・意・識」の同義語と言ったわけ。
もともと『二十論』の目的は『解深密経』『リョウガ経』の正当性の論証でしょう。
249 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 00:23:38 ID:vH5O/Tyw
出る幕皆無の題目ファッショ池沼外道は消え失せよ。 行く先々で嗤い物になるだけ。ここの住民(出禁サイコパス外道以外)は退屈済み(冷笑)。
250 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:28:19 ID:RAO/JOPQ
アホさん、お休み。
251 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:28:21 ID:KjgGc1X7
>>26 ■0.
実証が面倒なので1983年版『日本政治思想史研究』に限定させてもらいますが、
1.丸山真男は、戦前への反動形成でしょう。
2.丸山真男は、自虐的西洋崇拝者
3.丸山真男は、時代精神にあったから広く受け入れられた。
4.これからはお笑いでしかない、と思うけど。
以上の四点を順番に実証してみましょう。まあ、原典批判とかしてませんので、適当ですけど。
以下、頁数のみの引用は上記1983年東京大学出版会版『日政思研』です。
引用にあたって、*付きは代字。ウムラウトや傍点、ルビ、生没年などは転写していません。
252 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:28:55 ID:KjgGc1X7
■1.主張1.丸山真男は、戦前への反動形成でしょう。 この主張は全く正しい、端的に丸山自身が次のように述べています。 (逆にここまで明記されているのに、みなさんが何故、読みとれないのかが謎です) >「近代の超克」論と、それを背後から支えている全体主義的な思潮とに >対して強い抵抗感を持った知識人や研究者は、それぞれの分野で、まさ >に贖罪羊にされている「近代」を擁護するのを自分たちの義務と感じた >のである。時代の潮流に逆らったリベラルと、マルクス主義者とが、こ >の知的戦線において「近代」の擁護の側に立った。 [396-7頁、また372、391、398頁も同様] 要するに戦前の全体主義への反動としての近代擁護が、著作の動機なのです。 しかも、戦中に書かれたため、江戸思想史の中に近代擁護を投影した。実に政治的で、非学問的な著作なのです。 それゆえ近代主義者には受けた。この『日政思研』は、その思想基盤の一つとなるヘーゲルがいう、 次のような著作ではないでしょうか? >その思いつきたるや、それが大胆であればあるほど、つまり、根拠が薄弱であればあるほど、 >そして、歴史上の明確な事実に矛盾すればするほど、かえってすぐれたものと見なされるような代物です。 [長谷川宏訳『歴史哲学講義』岩波文庫、1994、上21頁(名訳だ)]
253 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:29:29 ID:KjgGc1X7
■2.1.主張2.丸山真男は、自虐的西洋崇拝者 これは彼の近代擁護に端的に表れています。 では、彼の言う近代とは何か? それはこのようなことです。 >それに続くウイリアム・オッカムらの唯名論者は、盛期スコラ哲学の >「主知主義」との闘争において、人間の認識能力に広汎な制限を附与 >し、従来理性的認識の対象たりし多くの事項を信仰の領域に割譲する >ことによつて、一方に於て宗教改革を準備すると共に、他方に於て自 >然科学の勃興への路を開いた。徂徠学や宣長学に於ける「非合理主 >義」もまさにかうした段階に立つものにほかならぬ。むろん古学派や >国学が唯名論と同じからぬごとく、朱子学「合理主義」とスコラ的 >「合理主義」との間には決定的な相違が存する。しかし、後期スコラ >哲学がトマス主義に対して持つた思想史的意味と、儒教古学派乃至国 >学が朱子学に対して持つたそれとは看過すべからざる共通性を担つて >ゐる。 [185-6頁、この主張には註2が付され言い訳が書かれているが重要ではない] つまり、近代とは西洋近代であり、単純にいえば宗教から科学へ、 「名より実へ[96頁]」つまり、観念論より唯物論へ、 言い換えればイデオロギーから歴史へ、「農奴から市民へ[189頁]」 というマルクス主義的唯物史観を、江戸の思想史に読み込んだのです。 彼の言葉で言えば「自然」より「作為」へ、要するに、次のことを主張したかったのです。 >維新以前の時代においても伝統主義者が美化しているほどには、「近 >代」と無縁な「東洋精神」が歴史的変化から免れて持続していたわけ >ではない。徳川時代の思想も、「底流」に着目すれば、近代への引続 >いた発展の相において(sub specie)とらえるのは可能である。[398頁]
日蓮、大作、正日。唯我独裁は仏教に非ず。
255 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 00:33:10 ID:vH5O/Tyw
リアルでもネットでも余所で相手にされない言説空間禁治産者は速やかに退去のこと。資源の無駄遣い。
>>249 この下種仏法を誹謗していると、頭破七分といって、頭が狂って不幸になります。
現に、あなたのレスの内容は意味不明ですし、心配になります。
どうか、おごり高ぶる気持ちを収めて、日蓮正宗に帰依しましょう。
257 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:34:48 ID:KjgGc1X7
■2.1.主張2.丸山真男は、自虐的西洋崇拝者 これは彼の近代擁護に端的に表れています。 では、彼の言う近代とは何か? それはこのようなことです。 >それに続くウイリアム・オッカムらの唯名論者は、盛期スコラ哲学の >「主知主義」との闘争において、人間の認識能力に広汎な制限を附与 >し、従来理性的認識の対象たりし多くの事項を信仰の領域に割譲する >ことによつて、一方に於て宗教改革を準備すると共に、他方に於て自 >然科学の勃興への路を開いた。徂徠学や宣長学に於ける「非合理主 >義」もまさにかうした段階に立つものにほかならぬ。むろん古学派や >国学が唯名論と同じからぬごとく、朱子学「合理主義」とスコラ的 >「合理主義」との間には決定的な相違が存する。しかし、後期スコラ >哲学がトマス主義に対して持つた思想史的意味と、儒教古学派乃至国 >学が朱子学に対して持つたそれとは看過すべからざる共通性を担つて >ゐる。 [185-6頁、この主張には註2が付され言い訳が書かれているが重要ではない] つまり、近代とは西洋近代であり、単純にいえば宗教から科学へ、 「名より実へ[96頁]」つまり、観念論より唯物論へ、 言い換えればイデオロギーから歴史へ、「農奴から市民へ[189頁]」 というマルクス主義的唯物史観を、江戸の思想史に読み込んだのです。 彼の言葉で言えば「自然」より「作為」へ、要するに、次のことを主張したかったのです。 >維新以前の時代においても伝統主義者が美化しているほどには、「近 >代」と無縁な「東洋精神」が歴史的変化から免れて持続していたわけ >ではない。徳川時代の思想も、「底流」に着目すれば、近代への引続 >いた発展の相において(sub specie)とらえるのは可能である。[398頁]
258 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:35:57 ID:KjgGc1X7
重複スマソ ■2.2. 彼はこのように言う、 >近世日本の思想界はシナ帝国と同じく真の思想対立を知らず、正しい >意味における思想的発展をもたないことになる。[13頁また48頁も同様] この「正しい」に彼の否定すべからざる西洋崇拝が表れています。 それは「シナ歴史の停滞性[4頁]」に対立する正しい歴史、 と彼が信仰しているからです。その正しい歴史とは例えば、このようなものです。 >歴史がなんらかの道学的規準の奴婢となつてゐる間は、如何なる意味 >においても本来の歴史を語ることは出来ない。ヘーゲルのいはゆる実 >用的歴史叙述(pragmatische Geschichtsschreibung)の徹底的な >超克の後に、真の歴史叙述は始まる。 [189頁また26頁、100頁も同様] 実用的歴史叙述とは、要するに丸山が否定した朱子の歴史書・通鑑綱目のようなものです。 [26頁、100頁][長谷川宏訳『歴史哲学講義』岩波文庫、1994、上18頁以下] 要するに通鑑綱目や、シナの正史のような鏡としての歴史は、 正しい歴史ではないというのです。
259 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 00:38:20 ID:vH5O/Tyw
スレ違い題目ファッショ外道は永劫玩弄されて三界に寸毫の居場所も与えられぬ憂き目を感受しなければならない。 当然ここにも居場所絶無。
260 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:41:10 ID:KjgGc1X7
■2.3. さて、ここまでくれば、丸山の次の言葉の意図がよく分かるでしょう。 >私の脳裏にはあきらかに、徂徠学と宣長学との思想構造の連関を、 >ヘーゲルとマルクスのそれにたとえる意図があった。したがって、初 >稿には、「宣長学にとって、徂徠学的思惟方法は"逆立ちした真理"で >あった。宣長はこの逆立ちした真理を再転倒させることによって、徂 >徠学を継受した」というふうに表現されていた。[380-1頁] (連関は、マンハイムの言葉、確かに『日政思研』は多くの術語を 『世界の名著』56参照から使用しているようですが重要とは思えません) "逆立ちした真理"とは、『資本論』第二版へのあとがきに、このように述べられることです。 >私の弁証法的方法は、根本的に、ヘーゲルのそれと異なっているばかりでなく、 >それとは正反対のものである。ヘーゲルにとっては、彼が理念という名のもとに >独立の主体に転化さえしている思惟過程こそが、現実的なものの造物者なのであって、 >現実的なものは、この造物者の外面的な現象をなすにすぎない。私のばあいは逆に、 >理念的なものは、人間の頭のなかで置き換えられ翻訳された物質的なものにほかならない。 [『世界の名著』43、94-5頁。本来『資本論』第二版序文よりの引用なのですが、 『世界の名著』では省略されていて、未確認。ですが同じことでしょう。 高島善哉訳『マルクス 経済学・哲学論集』河出書房新社、1969、265頁も同様] つまり、ヘーゲルは神を信仰したが、マルクス・エンゲルスは神を否定し、 世界は物質から造られ発展するそれが歴史だとした。単純にいえばこれが史的唯物論です。 同様に、徂徠は天を信仰したが、宣長は否定した、それこそ日本の近代だと丸山は主張するのです。 [188、250頁] これを西洋崇拝と言わずしてなんというのでしょうか?
261 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 00:41:29 ID:vH5O/Tyw
破落戸ジョーユー錯乱発狂の模様(冷笑)。 都立●沢×院に収容監禁か(嗤)。 お大事に。
262 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:41:51 ID:KjgGc1X7
■3.1. 主張3.丸山真男は、時代精神にあったから広く受け入れられた。 これを直接実証する手法を私は思いつきません。ですから間接的に証拠をあげましょう。 これらは自明といえば自明であり、陳腐なことばかりです。自明でも敢えて確認してみます。 まず、丸山自身が、このように語っています。 >一九二○年代の後半から日本のアカデミックな世界をまきこんで、 >知識人を台風のように襲ったのは、マルクス主義であった。[387頁] 1950年にはGHQの赤狩りがあった。コミュニストは結構いたのです。 1960年代は安保闘争、学生運動が盛んだった。 つまり、当時もマルクス主義は流行していたのです。しかも戦時中の抑圧がなくなったから、 潜伏していたコミュニュストが、大いにここぞとばかり、日本を変えるという意識で 立ち上がったに違い有りません。その直中の 1954年に、丸山真男の公的なデビュー作『日本政治思想史研究』を出版、 丸山もペンで日本を変えようと思ったのでしょう。 しかも、その中で戦前からマルクス主義的唯物論を貫いたという勲章を持ったこの著者が、 不屈の男、真実の人とか思われ、称賛をもって迎え入れられたことは簡単に想像できるでしょう。 たとえてみれば隠れキリシタンが、観音像にマリアを刻んだように 隠れマルキストの丸山が、『日政思研』にマルキシズムを潜ました。 その行為はほとんど半殉教者扱いされ、その筋の人に英雄視された。
263 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:42:25 ID:KjgGc1X7
■3.2. 史学界でもマルクス主義は流行していたようです。 辻善之助『日本文化史』の序文で高柳光寿は、次のように述べています。 >終戦後は唯物史観が史学界を風靡した。出版される歴史書という歴史書の殆ど全部が >いわゆる進歩派の人々の著述であった。(第一巻1959年版2頁) 同様に宮崎市定は、唯物史観を批判しならがこのように述べます。 >一時期学会を風靡したのは、唯物史観派による三時代区分法であった。歴史学研究会を始め、 >進歩派の史学と称する人達は争ってこれを奉じて金科玉条とした。ところが私は、 >この時代区分三分法がヘーゲルの歴史哲学に基づいていると聞いた途端にがっかりした。 >周知の如く、ヘーゲルの三時代のうち古代史とは、君主一人だけが自由人で他の人民は >全部が奴隷である社会と規定する。だが併し、こんな社会体制が実際あり得たであろうか。 >もしそんな体制が成立つならば、どのような過程を経て、どのようにして出現し得た。 >またそれが如何なる理由によって、如何ように次の中世に移行し得たであろうか。 >こんな社会は全く哲学者の空想の産物ではあるまいか。またそんな仮設から導かれたのならは、 >唯物史観の三時代説も怪しくなって来はしないか。[『自跋集』岩波書店、1996、302頁] まさに宮崎の言うとおり空想の産物で流行っていた唯物史観による日本史やシナ史などは、 今は滅多に見ることはできない。
>>259 スルーして、自分達は自分達の流れを続けていけばいいのに、
なぜ、そうやって絡むの?
「嵐に構うのも嵐」ってフレーズなかったっけ?
阿呆さんは、寂しがり屋さんなのかな?(´・ω・`)
265 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:43:50 ID:KjgGc1X7
■3.3. やっとこのスレのテーマに繋がります『日本政治思想史研究』384-7頁にかけて、 国民道徳論としての思想史への反動者として二人の学者が挙げられています。 和辻哲郎と津田左右吉です。そして丸山真男、この三人に共通の思想があるように思えます。 まず丸山と和辻は口を揃えて以下のようにいいます。 >孔子や荀子は実践的倫理に終始して形而上的な思索をむしろ排してゐた[201頁] >孔子が死や魂の問題を取り上げなかったばかりではない、孔子の学徒においてはかかる問題を >取り上げることが恥ずべきことであったのである。こういう気分から見れば、孔子が死の覚悟 >の問題や、生死を超越する問題や、死人の蘇りの問題や、魂の不死の問題などをすべて取り上 >げなかったということは、むしろ彼の特徴をなすものと見られねばならぬ。 [和辻哲郎『孔子』岩波文庫1988、126頁。同じく以下に引用されます 子安宣邦『「事件」としての徂徠学』ちくま学芸文庫、2000、100頁] 子安宣邦は、名著『「事件」としての徂徠学』の中で以上の二人の立場が伊藤仁斎を源流とする 一つの解釈であることを明かしています。それは例えば、 >仁斎は、孔子は鬼神について明弁せずというけれども、しかし鬼神に事えるあり方として >語っているではないかと、徂徠は『論語』為政篇の孔子の言を徴としてあげていうのである。 [『「事件」としての徂徠学』114頁] なぜ、丸山と和辻は形而上的な思索を排したと解釈したのでしょう。 それは孔子は合理的であると言いたいからです。孔子に鬼神を論じられては困るからでしょう。
266 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 00:44:45 ID:vH5O/Tyw
>>264 失礼、つい昔の「遊び癖・いけず癖」が出てしまった(笑)。弄り飽きてるんだけどね。
267 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:45:07 ID:KjgGc1X7
■3.4. その近代主義解釈によって和辻は、仏教についても合理的だと言いたいために、 次のように輪廻を排除したり、有名な陳腐な無明解釈をしたりしました。 >我々は経典自身の証拠からも、また経典以外の証拠からも、業による輪廻の思想が >四諦の体系と立場を異にするものであることを明かにした。しかしこれによつて >我々は業による輪廻の思想が「仏教」に属するものでないと云うのではない。 >それは阿含の経典が示す如く明らかに原始仏教の中に取り入れられている。 >我々の主張するのはこの思想が原始仏教に特有のものでないこと、 >及びそれが原始仏教特有の実践哲学に属せざることである。 [和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』岩波書店1927、461頁。以上の引用は結語です、257頁も同様 無明解釈については366頁以下、津田真一『反密教学』リブロポート、1987、24-6、32-3頁参照] 津田左右吉も、次のようにシナ人、日本人は非論理的で、あたかも論理とは西洋だけのもの、 正しい文化は西洋のものと考えていたようです。
268 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 00:49:18 ID:KjgGc1X7
>知り得たシナ思想に論理的な思索の迹が無く、學ばうとしたシナ人の思惟の方式が論理的實證的でないのと、 >これらの事情のために、現實の日本人の生活とシナ思想とを對照して、その間の齟齬や矛盾を發見する力が >養われず、その意味で知性が發達しなかったからであり、 [『国民思想の研究』第一巻、岩波書店、1951、180頁。同じく17、61頁] 丸山は、このように、 >学は真理に対する学であつて「教え」に対する「学び」ではない。 >主体と客体との関係は師弟の間から、学とその対象の間のそれに移される。[166頁] これらの根底には科学信仰、常識信仰があります。 つまり、彼らの信じる科学に合わない思想が記述されていると、 それを無知蒙昧な前近代的思惟と捉え、なんとかそれを排除あるいは否定しようとする。 あるいはもっと限定して学問、ヴィッセンシャフト信仰というべきかもしれません。 もちろん、科学や学問に一定の有効性があることは私も認めざるえないが、 彼らはそれを絶対視していたように思えます。 そしてこのような信仰は、明治に起源を発し、今に至るまで続いている。ここでも電波教が瀰漫してます。 テキストに書いてあることは、テキストどおり読むのが第一でしょ。彼らは常識が重要で、なんでもそう解釈してしまう。 そして未だにそれに共感しちゃう人がいるんですね。
269 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 00:51:41 ID:vH5O/Tyw
破落戸が 虚ろへ向かひ吠ゆるとて すべてみずくと消ゆるばかりぞ
>>268 日本語に問題ありと言われてるぜ。
で、科学信仰?常識信仰?なんのことだ?そんな信仰してナンになるんだ?馬鹿め。
「先ほど100円持っていた。50円のガムを買って、そこから50円支払った。だから、手元に50円残っている」
これは当たり前のことだ。このような事実を認めるべきだと言ってるのだ。それが常識信仰か?
お前は「ジャータカなどの生まれ変わりの御伽噺」を輪廻転生は【リアルに】存在すると主張する。
ボクは確認検証できないことは断定不可能だと主張する。決して輪廻転生は存在しないと言っていない。
この理屈は迷信や人を惑わす教えからわが身を守るのにも有効であると考えます。
存在の確認や検証の出来ないものを押し付けるのであれば、何でもありになってしまい、まさに釈尊が否定したものとなります。
この考えを否定するのに科学信仰、常識信仰ですか、、、、。カルトの自己正当化ですね。
>>268 そこの浅さがよくわかった。
↓のレスと質、内容とも同レベルだ。もう好いから二度と来るな。
> この下種仏法を誹謗していると、頭破七分といって、頭が狂って不幸になります。
> 現に、あなたのレスの内容は意味不明ですし、心配になります。
> どうか、おごり高ぶる気持ちを収めて、日蓮正宗に帰依しましょう。
272 :
26&27 :2007/02/26(月) 08:09:44 ID:BfcFhI5Z
>>268 いま気がついた。俺は
>>27 で誤爆したことを謝ったが・・・
おいおい、このスレでこういう論理展開にもってくるとは考えもしなかったよ。
いまから生業の稼ぎにいくので、また後で。
273 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/26(月) 08:13:29 ID:VpBv5h0j
>>247 一信徒というレベルでしたら、層化であろうと正宗であろうと統一教会であろうと、
善良な小市民であることは皆同じですね。
ところが、この信徒が組織になりますと、その組織中枢の意向により本人の意思に関わらず
どうにでも方向性が決定され、
信徒は何の疑いもなく組織に順応して逝きます。
わたしが問題にしてるのは、この部分です。
(個人的なレベルの話をしている訳じゃないのです)
例えば、ライブドアの野口氏などは、個人レベルでは優秀な堀江の側近だったかもしれません。
しかしながら、この野口氏を組織の一員として考えたら、全く評価の違う野口氏が浮かび上がる。
堀江が株価操作している時に、豊富な資金を何処で調達してるんかな?
とか、誰でも不思議に思う。
当時、資金は外資が相当入ってる。とか噂がありました。
堀江逮捕後は、全くこの資金のことは話にも出ないですね。
(マスコミは一斉に口を閉ざしています)
その後、野口は怪死を遂げ、沖縄県警はそく自殺を発表。
(素人判断でも自殺は不可能であるが、マスコミも全くこの件はタブーです)
これも私が前述した「闇の部分」です。
つまり、個人レベルでは善良であっても、闇の部分ではその善良が悪に利用されているのです。
この論理が、つまりカルトの所以なんです。
274 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/26(月) 08:34:43 ID:vH5O/Tyw
>>7 >>17 >>19 で言及した通りの展開になっていることで(冷笑)。
元の唯識論書の教証引用関係に戻ります。
>電波男さん
『二十論』冒頭は、特定經典の部分引用というよりむしろ、通阿含の教理から抽出されたものと考える方が
適切なのでしょうか。また『十地經』の「三界唯心」部分など十二因縁の註釈縷説という論書的傾向がみら
れるように思います。
佛教は能書きではない。黙ってトイレ掃除です。
276 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 15:27:04 ID:SVhyk60E
>>275 天下万物に貴賎や善し悪しはない、その概念が有るのになぜトイレ掃除?
278 :
名無しさん@3周年 :2007/02/26(月) 16:59:42 ID:SVhyk60E
トイレ掃除に問答は無用である。
280 :
悟りは要領 :2007/02/26(月) 23:26:39 ID:BfcFhI5Z
トイレ、お風呂、キッチンの掃除はそれぞれ2〜3分でキレイ!にできるように 合理的に設計しましょう。 莫迦牟尼佛 ◆6.4oHoukEI はん、痔には温水ウォッシュレットがいい気持。 クセになりそう、オカマの気持がよくわかる。 全自動温水器バス、ウォッシュレット・トイレ、食器洗浄器付きIHキッチンでオール電化。 セントラル自動空調、外(+断熱)断熱・躯体蓄熱、高気密・高断熱で地球環境に優しい超快適住まいで 仏道に励みましょう。 こんなに快適なら、退屈しない執着だけ。さあ、楽しさをみんなで分け合いましょう。 苦の基は不快適さです。ひとつひとつ不快適さをなくしてゆきましょう。 お悟りも速いですよ。
281 :
277 :2007/02/26(月) 23:26:59 ID:ZJ5I9Xrw
お釈迦様もトイレ掃除したのかな?
>>282 繕い物など身の回りの世話も含め、
病気の比丘の看病はしたようです。
その病気も、もののけ姫のえぼしが面倒を見ていたような
あんな系統の病気らしい。
>>280 オール電化は電磁波の影響が拡大されるとの事で、人体に対する影響が大きいそうな。
そのため、原因不明の体調不良を訴える人々もおられるようですぞ。
災害等の停電時における対策も考慮されたし。
285 :
名無しさん@3周年 :2007/02/27(火) 06:54:20 ID:ixF3G6pk
レンジでチンの御飯は不味い
286 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/27(火) 08:11:08 ID:TKqU+cJP
>>284 >オール電化は電磁波の影響が拡大されるとの事で、人体に対する影響が大きいそうな。
それもそうなんですが、
じゃあ、高圧電線の下に住んでる御仁はどうなるのか?
っていうたら、これは大変なことになる。
大変なことになるから、マスコミは一切この件に関してはタブー。
まあ、普通に考えたら高圧電線の下に家を造るのは考えられない。
(建築基準法では問題にならないので、住んでいる人はいる)
あと、昔は企業が鉱物資源の廃棄物(有毒)を普通に平地に捨てていた。
この平地は現在は宅地になっとるんですが、
あれは非常に危険です。
これも誰も問題にはしない。
問題にするとパニックになるから。
(私はその場所を知ってますが、これは機密事項です)
287 :
悟りは要領 :2007/02/27(火) 08:51:43 ID:e1Mz6vqx
電磁波といえば、パナウェーブ研究所とかいう白装束の カルト宗教が一時問題になったな。 それより、ゴルフ場や農場の大量の農薬散布のほうが問題だ。 ゴルフも農作物も危険ではないか。当然、地下水は汚染されている。
288 :
名無しさん@3周年 :2007/02/27(火) 08:55:55 ID:ixF3G6pk
289 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/27(火) 09:58:12 ID:PpqjWcay
>All テンプレ参照。 オール電化も電磁波陰謀論基地外、「出禁サイコパス外道」もいずれも場違いスレ違い。便所に流してしまうこと。
>>289 そうした発言が呼び水になっていることに、まだ気付かんか・・・
291 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/27(火) 10:30:57 ID:PpqjWcay
世間の壁蝨たる破落戸の駆除掃討後は、元の教証引用関連の論題等に戻ればいいだけの話。 とはいえここは「ロビー」なので、コアな話は別所にてとなりますが。 当然、論外基地外・間違い・スレ違いどもは端から対象外としますが。
292 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/27(火) 11:22:55 ID:TKqU+cJP
>>288 私が職務上知りえた情報(つまりシークレット)ですから、
ここで書いたら大変な事になるんですよw
低湿地滞に沈殿された害毒は、長い年月のすえ凝固され、
それを普通の土砂で覆い被せ、宅地に造成した。
(それしか土地の利用の方法がない)
草木は殆ど育たず。
いかん、いかん、こんなことを書いては・・・やば過ぎる(>_<)
293 :
名無しさん@3周年 :2007/02/27(火) 13:27:01 ID:ixF3G6pk
中村元氏の何かの本で読んだのですが、 「釈迦は数多くの仏陀の一人に過ぎない。彼独自の理論は何一つない。 釈迦が傑出しているのは、その教示手法である。」
294 :
悟りは要領 :2007/02/27(火) 13:31:21 ID:e1Mz6vqx
化学系や非鉄系工場の近辺は確実にヤバイ。 覚悟しーや。 日本ではごく最近では石原産業、 古くは足尾銅山、東邦亜鉛などの公害が著名だが、 中小零細工場に完璧な処置を求めるのは無理。 中国なんか現在でも完全に処置なしの垂れ流しでむちゃくちゃ。 日本の数十倍以上の公害が発生し続けると思われる。 世界の大問題になるだろう。
295 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/27(火) 16:51:59 ID:TKqU+cJP
関東平野のような地形は、自然な水路が形成され、水路は湿地帯を形成して逝く。 この自然に出来た水路を利用して農地改良などがなされるが、 もともとは、これは自然の水路です。 ということは、 水路がある。ということは土地が低い。ということで、 こういう土地は水害になりやすい。 水害になりやすい場所は、昔は廃棄処分場になってたとこが多い。 こういう場所は人はあまり住まない。 特殊にこういう場所に住む人もいる。 (人権問題になるので、詳しいことは書けない) じつは、こういう場所に特別予算を組んで、地方自治体は都市整備事業をやったのです。 こういう事情を知ってか?知らずか? 土地はよく売れましたw 木造家屋の減価償却は30年です。土地が悪いと30年頃には家が沈んで逝くんですね。 こういうことは知っているんだろうか? 土台が地面すれすれになってきますと、柱は腐ってきます。 土地を買う場合は水路に気を付けた方がいい。 (現在は、水路はカムフラージュされている場合が多い)
296 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/27(火) 17:55:31 ID:PpqjWcay
>>294 はいはい、別板へ。
それでは軌道修正。
1.阿含經典を含む三蔵典籍
↓
2.その註釈文献
↓
3.阿毘達磨論書
↓
4.↑↓の思想内容を反映した經典(含“大乘”經典)の編纂
↓ ↑
5.“大乘”論書の述作
という佛典成立のプロセスが想定可能と考えます。
297 :
名無しさん@3周年 :2007/02/27(火) 20:28:24 ID:ixF3G6pk
HowToSeI本を1000冊読破して博学なんだけど、素人童貞、みたいな人っているよね?
298 :
南無大師遍照金剛 :2007/02/27(火) 20:34:26 ID:wzNGzGDY
(´∇`)ノぁぃ♪
>>293 過去七仏の一人、カナカムニ仏の出身地の都城の遺跡
舎衛城の遺跡の近くに、いくつかの塔がある。
ルンビニー園の西北ニガーリー・サーガル。
外道との対話の仕方とか弟子への説き方もそうだし、
四諦とか縁起とかも独自な気がするけどね。
300
301 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 00:03:21 ID:Gzmb6wo7
>>293 >彼独自の理論は何一つない。
真理:真実には独自なものというものは有り得てはならないでしょう。
302 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/28(水) 07:03:15 ID:pC05RvSB
>>297 人生は、ある程度の経験は積んだ方がいいと思います。→身心ともに健康であるなら。
そういう経験なりを経ての諦観ですから。
(両極の経験における中道)
なにも想いを残さず死んで逝くのが一番いい訳です。
ということは、
つまり「生きざま」が大事かと思いますね。
(大死は不死である)
303 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 08:31:45 ID:uMkYZywM
>>293 ブッダの教法の、いわば普遍妥当性を主張・強調するために“加上”され続けて成立したのが過去佛→多佛思想
と言えるでしょう。
それには、ジャイナ教の祖師伝承など外教の影響も看取されると考えられます。
304 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 09:23:54 ID:NZYkQw69
株価 大暴落! 仕込みのチャンスですよ! おいらは後場で買いまくるぞ!
305 :
304 :2007/02/28(水) 09:29:05 ID:NZYkQw69
但し、仏教の祖国 インド、中国市場が開く11時過ぎで インド、中国の確認要。暴落続行なら明日まで手出し無用。 諸君の奮闘を祈る! 尼は手出し無用、怪我どころか首の骨を折るぞ。
306 :
304 :2007/02/28(水) 09:42:51 ID:NZYkQw69
ただし、おいらはプロだから5405住友金属を2万株564円の大バーゲンで買った!
307 :
304 :2007/02/28(水) 09:46:47 ID:NZYkQw69
現在5405で約40万円の利益が乗っております。
308 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 09:47:27 ID:uMkYZywM
アブク外道は別板へ。 >303補足 雑阿含の短經から長尺の經へと編集増広されて行くプロセスも興味深い考察対象です。
309 :
304 :2007/02/28(水) 09:52:37 ID:NZYkQw69
>>308 仏教をやると冷静に判断できる。
賢者のお遊戯です。
310 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 10:03:45 ID:uMkYZywM
スレ違いは他板で。 下衆の賢者気取りは「出禁サイコパス外道」と同類の醜悪な自己顕示。 過去佛を説く「大本經」類など、短經が合揉・増広されて成立したものと考えられる。 「涅槃經」類も同様であろう。
>>309 うちもマネーゲームに興味がある!
適した場所をご案内下され
312 :
304 :2007/02/28(水) 10:17:06 ID:NZYkQw69
本日の全仕掛け株売却、約80万円の利益確定。 約40分の勝負でした。 では、遊びに行ってまいります。
313 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/28(水) 10:30:13 ID:pC05RvSB
ニューヨークは取引制限において引けてますから、まだ売り残が大量に残ってます。 日本時間・今夜の深夜にまたニューヨークは下げると予想。 それを受け、明日は東京がまた下げる。 そして政府が「やばい、やば過ぎる」。のコメント。 これで貧乏人と機関投資家が大量のギョクの投げ。 それを拾うのがロックフェ−ラ系資金。 というシナリオ予想。 わたしは株はやらんけどね(^^ゞ
314 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 10:34:43 ID:uMkYZywM
>>311 >>312 損益は勝手に。ここには関係なし。スレ違い書き込みは荒らし行為。
上記「二十論」においては、冒頭に阿含から抽出されるいわば総論として「三界唯心」が主張され、
後段で各論の阿含を教証とした議論が行われ、冒頭の主張が論証されるというプロセスが見出
せると考える。
315 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 10:42:49 ID:uMkYZywM
思うに、『解深密經』や『楞伽經』などの“大乘”經典は、
>>296 のようなプロセスで編集された
“阿毘達磨論書型”經典といえようか。
316 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 11:25:12 ID:IksBSZx5
>303 たしかに誰でもすぐ思いつく発想ですね。 まず学問は客観性を求めます。あらゆる可能性を想定すべきだと、私は思います。 ピシルスキーやシャイエルの論文でも読んでもう少し視野を広げたら どうでしょう? 仏教だけが「特別な思想」とか「近代合理主義に耐えうる思想」なんて いう思い込みがあると、どうしても都合の悪い部分は排除する傾向になる。 カルト特有の傾向と近似しておりますね。 ヴァーサナーとは恐ろしいものです。形を変えて何度でも出てくる・・・・ >315 それも既に指摘されて久しい。 今時、大乗仏典が初期経典と断絶して成立したと考える学者はいません。
317 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 11:28:02 ID:IksBSZx5
鉄鋼株が続落 俺は三菱鉄鋼を買うつもりだ
318 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 11:47:21 ID:uMkYZywM
>>316 は?「近代合理主義」?
それって呪文かなんかですか(笑)。
ドグマ的スキーマを駆除払拭し続けるためには
>>315 のような視点は常に確認する必要があるでしょう。
荒れたスレだなぁ。 唯識以降は仏教とユガとか道とか神とかのアイノコだからなぁ、 認めたく無いバカチンが必死になっても仕方無いのになぁ。(`ー´)yヽξ
ならば無意味な戯言を吐かしてないでトイレ掃除でもしてなさい
>>311 お前もな。
ゲザが足らんようだからな。
322 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/02/28(水) 14:11:03 ID:pC05RvSB
>>315 阿毘達磨は、部派が独自に発展させた哲学ですから、
必ずしも大乗経典群がこれらの脈絡を受け継いでいる訳ではない。
(一部学派が発展させただけである)
323 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 18:27:16 ID:6TP1D6A4
>316 ごもっとも! でも彼は電波教信者だから何を言っても無駄でしょう。 因みにアナタはここの唯識問題をどう考えますか?
324 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 19:37:37 ID:Gzmb6wo7
原始仏教談話室その五が何故カキコできなくなったのですか?
325 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 20:32:34 ID:NZYkQw69
>>324 >このスレッドは512kを超えているので書けません!
とのことです。
>>317 5632三菱製鋼は一昨年のわたしの中軸得意銘柄。
今夜のCME次第で、ある銘柄にターゲットを絞ります。
こんな地合のときは現物以外は持ち越し厳禁。
デイトレに徹するべきです。
>>248 > (1) upasarga と 接尾辞は違う。
vyavasthA の接頭辞 ava と vijJApayati の接尾辞 paya の取り扱いが違う点はわかっていました。
言いたかった点は、要するに、蔵訳でも、必ずしも逐字訳ではない、という点の指摘です。
蔵語の語素を、梵語の語素分析にそのまま適用できないのではないか、という疑問です。
> (2) rig byed 能動/使役などに対応するのはrig bya 受動/未来など
短くて趣旨が取りにくいのですが、能動/受動の対応を述べたのではなく、
使役者/非(被ではない)使役者という対比です。
> (3) 唯識説から一般的な rnam par shes pa という訳語が決定された
言っているのは逆のことです。
先に「識」蘊があって、それとの同定から、同型に唯「識」を訳したと。
(4) 菅沼前掲書の「使役受動は使役の意味を失って受動の意味だけを表す」ということが、
jJApyate (彼は知らしめられる)を「彼は教えられる、告げられる」に留まらず、
さらに「彼は知られる」にしてしまうのでしょうか。
327 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 21:47:37 ID:Gzmb6wo7
>>325 >このスレッドは512kを超えているので書けません!
もうこのスレは消滅でしょうか?
328 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 22:04:06 ID:uMkYZywM
消滅は“対岸”の談話室でしょう。
329 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 22:11:05 ID:Gzmb6wo7
>>328 だから対岸のスレは消滅?新たに建てられない?
330 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 22:19:44 ID:Gzmb6wo7
>>325 一服ね。
上海はニュウ―ヨークみたいに高層ビルが林立していますね。その一つ一つのビルの姿が、
美人を装っている。これから上海旅行がはやるかもしれません。
331 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/02/28(水) 22:20:23 ID:uMkYZywM
>>329 当方の関知するところではありません。対岸のスレ主にでも掛け合えば如何?
332 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 22:32:49 ID:Gzmb6wo7
>>331 どうやって掛け合うのか?それなら、
暇人さん!!原始仏教談話室の6を建ててクレイ!
333 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 22:57:09 ID:6TP1D6A4
自分で立てればいいじゃない。 それにしても暇人さんは、無宗ださんとならんでコテハン良識派だね。
334 :
名無しさん@3周年 :2007/02/28(水) 23:21:44 ID:Gzmb6wo7
>>332 以下のような物が出るんですよ。
ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。
名無しさん@3周年 (1)
335 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/01(木) 00:24:46 ID:X6gELlYZ
なるほど、破落戸は同類を褒め称えるという寸法か・・・(冷笑)。
336 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/01(木) 06:54:37 ID:Gcp8PSlc
>>335 基本的な仏教史観を把握してないから、スレが荒れているんですよ。
まあ、私の関知するところじゃないですがね。
337 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 07:29:33 ID:sxXG0MBp
>336 そういう問題じゃないでしょう。間違いを認めないことと傲慢不遜で口汚いから スレが荒れるんですよ。
このスレにはボクが裁判に関わった極悪人が名無し潜伏しています。
特徴がありますが
1 内容が理解できていない
2 ボクを煽り、陥れるのが目的
3 内容に言及しようとするときもありますが、明後日の方向
その他、限がありません。
今後、発言されるかたは、出来るだけ意味・内容のある発言に心がけてください。
>>337 あなたには何が間違いで、そこにどんな指摘があるかを理解できていますか?
ただ、かの輪廻転生絶対君がそういってるから便乗してるんでしょ?
339 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 07:52:03 ID:egQ/MKMS
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ は頭が固い、硬い、堅い、過怠、難い、うえに シニカルで口汚く、幇間スネオめいた人格だ。 このうえ、短小・包茎・早漏だと絶対オンナにもてない。 馬鹿にすんなよ
340 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/01(木) 07:57:50 ID:Gcp8PSlc
>337 >間違いを認めないことと 電波先生には間違いを認めますから、 アホダラ氏にしてみれば、先生が唯一の師であり、他の連中はゴミみたいなもんでしょう。 私もゴミなんですがね(^^ゞ アホダラ氏は、エンドレスにスレを立ちあげて、 ひたすら先生の降臨を待っておるのです。 あとは邪魔。 ゴミだから。
341 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/01(木) 08:09:40 ID:X6gELlYZ
虚へ向かい何やら羅列し、己がルサンチマン・コンプレックスによる憤懣をを喚き立てている痴れ者 が居ますな(冷笑)。
342 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 08:12:35 ID:sxXG0MBp
>>338 例えば、これなんか誰でも分かる矛盾ですね。これでも間違ってないと
>3
>
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1165378636/ に継続し
> その後、代理名無し、アホダラ等が反論を試みるも当然、論破される。
> 2007/01/16#783で一ヶ月以上ぶりに再登場、彼の無茶苦茶ぶりはこのように単純にわかる
> #783で「一つずつ答えてやるから列挙してみろ」と言ったので、まず否定しようのない iti の誤りを
> 指摘すると、
> #812で「 ”iti”? なんのことだ?言いがかり論法だな。」と知らんぷり、証拠を出すと
> #814では「 一つだけじゃダメだよ。」
>
> #796で「>157 のすべては論点先取です。」と言ったその舌も乾かぬうちに
> #812「だれがすべてが論点先取と言ったんだ? 」
>
> という無茶苦茶な非論理と詭弁が彼の本質です。
343 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/01(木) 08:13:19 ID:Gcp8PSlc
はいはい、ルサンチマン・コンプレックスです。 ( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \ ( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \ ( ゚∀゚)アーーッハッハッ八ッ八ノヽノヽノヽノ \ / \
344 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/01(木) 08:23:21 ID:X6gELlYZ
破落戸ジョーユーは前スレで駆除放逐完了のようです。 落命・絶命王は致命王ともども、早晩娑婆から駆除放逐を喰らうでしょう(嗤)。
345 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/01(木) 08:32:46 ID:Gcp8PSlc
心理学的に言いますと、普通は「ルサンチマン・コンプレックス」の想起は異常です。
347 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 09:09:48 ID:sxXG0MBp
>346 こちらの議論はみなそのようなものだというのです。 間違いを認めず。ハッタリと罵倒で言い逃れる。 それがかなわないと自演ですね。 つまり、話にならない。
>>347 だから、どこがどう間違っているのかを指摘しなさい。
1 真以外の箇所をしめす
2 なぜ間違いなのかを順序だてて論理的に説明する
3 間違いであることの結論付けをする
せめて、この手続きを踏みなさい。
訂正だ 1 間違いの箇所をしめす
350 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 10:10:41 ID:egQ/MKMS
,. -‐v―- 、 ヽ / //_/ノハL!L!i r‐、 i 彡 .i ,-ァ ヽ ヽ!_ 彡 fて) fて) .Y -く [i 6 ●( ヽ ^ __,. ●ト、/ < てめーら!いい加減にしろ! . ト-' 、 `  ̄ ̄ .ノ > ___ <_ /ヾ ヽ ヾ ヽ\ / | ◯不死屋◯ |/ヽ
351 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/01(木) 10:34:09 ID:Xpq1kDru
破落戸の断末魔は見苦しいばかり(冷笑)。
破落戸の 遠吠え空し 春来るw
353 :
316 :2007/03/01(木) 10:59:32 ID:Bz+QoQw1
このスレを見た仏教徒は、諍論がいかにむなしいものか理解するでしょうし 非仏教徒はいかに仏教がくだらないことを積み重ねていたことかを理解するでしょう。 仏教も宗教である以上、いつになっても神学論争は絶えることがありませんね。 簡単に理解し、簡単に実践でき、簡単に成就できるなら世間はホトケだらけでしょう。 私のスタンスは「仏教を特別視しない」ということ。 これこそが、仏教を正しく理解する道だと思います。
354 :
316 :2007/03/01(木) 11:04:14 ID:Bz+QoQw1
>ブッダの教法の、いわば普遍妥当性を主張・強調するために“加上”され続けて成立したのが過去佛→多佛思想 >と言えるでしょう。 私はこのような発想があまりに安易であるため批判しているのですが・・・ 残念ながら理解されていないようです。 確かに「権威を増すために意図的に神話を作り出した」このような解釈が一昔まえまで流行っておりました。 また、オウムやアゴン宗も教祖の権威を高めるために「神話」をせっせと捏造しています。 しかし、その理論を仏教神話に持ち込むのはどうでしょうね? 結局ここも特定の宗教のスレなのでしょうか? いやはや習気とは恐ろしい・・・習気?いや無表業かもしれませんね・・ とにかく見聞を広めることこそ、客観性を高める唯一の方法です。 いまや、文献学と言えども学際的になっております。 考古学、歴史学、宗教学、神話学、民俗学・・・多角的なアプローチが必要でしょうね。
355 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/01(木) 11:25:44 ID:Xpq1kDru
読解力なしの藁人形屋は始末に負えぬ(苦笑)。
356 :
316 :2007/03/01(木) 11:35:07 ID:Bz+QoQw1
>ブッダの教法の、いわば普遍妥当性を主張・強調するために“加上”され続けて成立した この理屈で言いますと そもそも「仏教の開祖、教祖はゴータマ・シッダールタ、シャキャムニ・ブッタである」・・ これこそ作られた神話かもしれません。 「仏教に開祖がいる」そう、一般に信じられているに過ぎ無いのでは? そうなると、「これこそブッタの真説」なんてものも虚構ということになります。 実はわたしもそのように考えております。矛盾してますが・・ その根拠の一つが「無師独悟」というパターン化された言葉です。
>>356 > 「仏教に開祖がいる」そう、一般に信じられているに過ぎ無いのでは?
> そうなると、「これこそブッタの真説」なんてものも虚構ということになります。
そのことは例えば仏教の開祖は舎利弗であると思っている宗派もあり、古くから言われていることです。
「釈尊の真説」などどこにも無く、出来るだけ時代的に遡ろうとするのが現在の原始仏教の姿勢ですよ。
大乗非仏説と言うが、阿含も非仏説。
そこに来ると、阿含宗やテーラワーダ仏教協会、オウムなどは絶対的に釈尊を前提とします。
伝統仏教も同じですが、そのことにまで言及はいたしません。
> 実はわたしもそのように考えております。矛盾してますが・・
> その根拠の一つが「無師独悟」というパターン化された言葉です。
358 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/01(木) 11:51:08 ID:Xpq1kDru
徒に藁人形を積み上げる馬鹿は、放置の上生暖かくヲチしましょう(笑)。
藁人形 積んで積まれて 釘打たれwww
360 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 12:29:00 ID:egQ/MKMS
>>359 なんや、また出てきたか。
株に手を出したが、昨日の暴落で弾き飛ばされたかwwwwww
愚か者めがwww
頭悪い奴にはトレーディングは無理やwwwwww
361 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 12:35:04 ID:egQ/MKMS
仏教で大事なのは、誰が開祖かなんかよりも、 法灯明、自灯明の精神だろ?『ブッダ』の教えのとおりだ。 個人崇拝、仏神崇拝、モニュメント崇拝、経典崇拝はおよそ非仏教的だ。
362 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 13:48:29 ID:HVoGPZ7T
マハーヴィーラはシャーリプトラが開祖だと思っていたらしいね
363 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/01(木) 17:22:04 ID:Gcp8PSlc
>>353 >このスレを見た仏教徒は、諍論がいかにむなしいものか理解するでしょうし
むなしい。とか、むなしくない。とかの二項より離れたるが、貴殿のいう
>まず学問は客観性を求めます。あらゆる可能性を想定すべきだと、私は思います。
これなんでしょうね。
まあ、粗茶でもどうぞ。
なにげに喫茶去。
>>360 古漬けカブ売っ払って、利益確定できたら、早めに足洗えよw福沢桃介にならって。
というか、某教団見習って、各都道府県立図書館に、大蔵経とまでは言わないが、
原始仏典の叢書でも寄贈しろw
365 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 21:49:23 ID:sxXG0MBp
>348 え、これでも分かんないの。どんな頭してんの? 読解力0、それとも羞恥心0 非論理的言説の見本であることを見せましょう。 > 783:電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :2007/01/16(火) 09:01:13 > 一つずつ答えてやるから列挙してみろ。 と言ったので、このようにどうしようもない間違いを指摘され、 > 808:名無しさん@3周年 ::2007/01/18(木) 00:31:21 > まず、どう詭弁を弄そうと明らかに誤りなものが 3.『唯識二十論』に勝手に iti を挿入した間違い > これは、どうして論点先取なのか? そして、間違いでないなら理由をのべなければならない。 > 812:電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k (28) ::2007/01/18(木) 08:09:10 > ”iti”? なんのことだ?言いがかり論法だな。 と知らぬふり、 > 813 +1:名無しさん@3周年 ::2007/01/18(木) 08:34:10 ID: 42hXBlkE (9) > > 218 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆c9KW8mn4ss :02/11/09 08:09 > > MahAyAne " traidhAtukam vijNaptimAtram " iti vyavasthApyate 証拠を出されると、 > 814 +2:電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k (28) ::2007/01/18(木) 08:36:08 ID: hvh25Vxm (10) > 引っ掛ったね。はい、やり直し。 一つだけじゃダメだよ。 とたった二日前に言った「一つずつ答えてやる」を素知らぬ顔で撤回し、 取り繕うために「引っ掛ったね。はい、やり直し」と完敗かつ非論理なのに勝ってるように印象づける 姑息なハッタリ。以上、間違い、非論理、恥知らずの詭弁であることを論理的に論証した。
366 :
名無しさん@3周年 :2007/03/01(木) 21:52:00 ID:sxXG0MBp
>352 >359 こいつが復活、電波男に時間ができたからか? 不思議なことに机さんにではなく、こちらに付いているのは何故?
ところで、電波氏は、 「仏教はダブルスタンダードである」という言明についてどう思われますか? (勿論、在家・出家(比丘)、世間・出世間、俗・聖、という意味合いですが。) 教義的には一味であるという意味で退けられますか? それとも、総体としての(文化的存在、社会と接点を持たずに存在し得ない)仏教は スレ違いということで、このスレでは不問としますか? それとも、真っ向から否定されますか? もし宜しければ、阿呆陀羅氏にも聞いてみたい。
368 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/03/02(金) 06:48:13 ID:HwJhONi9
真理は自分の心にある。 それを知った者が、どうして自分の心を、他人に証明できよう。 私は夢を見た。自分の夢の内容を知っているのは自分自身だけだ。 どうして他人に自分の見た夢の内容を証明できよう。 自分の見た夢の内容を知っているのは自分だけであり、証明できるのは自分自身だけなのである。 猜疑心の強い相手に、自分の内に観たものを、どうして証明できようか。 それを確かめるのは、己自身しかいないのだ。 釈迦は八正道を説いた。八正道を否定すれば、それはもはや釈迦の仏教ではない。 仏教を語りながら、八正道を否定する者は、もはや、原始仏教ではなく、新興宗教なのだ。 八正道に方便も糞もない。八正道は、八正道なのだ。詭弁が仏教ではないのだ。 法を汚す者は、決して許されない。 八正道には、正定というのがある。なぜ、釈迦は、瞑想を説き、正定を説いたのか。 真理は、他人が証明できるものではない。自分の本当の心は、自分自身でしか確かめられないのだ。 本当の自分は、自分自身にしか確かめられないのだ。どうして自分自身ことを、他人が確かめられるというのか。 釈迦は待機説法の名人であると聞く。猜疑心の強い相手に、己でしか確かめられない事柄を、 信じろと語ったところで、何の益があるだろう。ただのエネルギーの無駄である。 釈迦は待機説法の名人であると聞く。事実彼は、相手によっては、形而上の事柄を黙して語らず、 無記を通たが、人によっては、形而上の事柄を語っている。釈迦は待機説法の名人だと聞く。 彼は、形而上のテーマを、人によっては、黙して語らなかったが、人によっては語っている。 釈迦の待機説法の意味も悟らない盲人達よ。お前達は見える目があるのに、エゴというでっかい梁で、文字が読めても、 文意は読めないでいる。盲人達よ、お前達は、原始経典を読んでもあるがままを、あるがまま読めず、何も悟らず、 己のエゴを盲信している。
369 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/02(金) 06:54:25 ID:L725/lvy
>>361 >法灯明、自灯明の精神だろ?『ブッダ』の教えのとおりだ。
そうですね、せっかく仏縁に触れたのなら、それを生かしきらねば意味はない。
井戸茶碗も消耗品ですから、使わねば何ら価値(意味)はない。
(使えばいつかは壊れる)
茶碗も、しまっておくだけなら何世代でも保存はできるが、それじゃ茶碗の意味がない。
(国立博物館の、利休使用の茶碗は飾りもんでしかない)
骨董品は、残して逝くと家族に迷惑がかかる。by机龍之介
「不爲兒孫買美田」→子孫に美田を残さず。by西郷隆盛
生かしきらねば、使いきらねば、仏縁の意味はない。
370 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/02(金) 07:36:48 ID:RnqO1wXO
潰されし壁蝨破落戸はめしひにて まへもしりへもわからざるなり
>>367 別スレでも建てて存分に。
以上。
371 :
名無しさん@3周年 :2007/03/02(金) 08:02:01 ID:U6M+zsvV
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのラストシーン ロバート・デニーロが阿片窟でニッコリ あれは悟りだと思う 糞まじめにセコセコ生きて、どうやって悟れる? 白骨観の最中に蛆のわいた元美女を犯して悟った僧侶がいるという話がある 悟りとはそういうものだと思う 八正道は方便
372 :
悟りは要領 :2007/03/02(金) 08:38:27 ID:sdztT7l3
>>364 >古漬けカブ売っ払って、利益確定できたら
100円以下の住金とかいろいろ「古漬け蕪」がある。
いまみたいな時は、両建かまして笑ってみているのが一番。
気が向けば、信用デイトレで賢者のお遊戯を楽しむ。
>>371 >糞まじめにセコセコ生きて、どうやって悟れる?
逆だろ? 悟りが最初だろ。先ず、彼岸に飛ばないと手間がかかってしょーがないし、
手間をかけてもしょうがない。
W・ジェームスの言うように、人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。
とすれば、無常=無我=縁起を体感した死者の視点から現在の「行動」を律して
こころも調えてゆけば、そのようになれる。先ず悟ったように現在行動だ。
日常をキチンと思い残すことなく合理的にやる、それだけだろ。
>>370 経蔵中では、とか、
原始仏教では、とか、
日本仏教では、とか、
東南アジアでは、とか、
チベットでは、とか、そういう知識的情報でなく、(勿論それらも重要だが)、
貴方個人の見解(→貴方の受け止める仏教においてどうか?)に興味があったのですが・・・。
スレ違いということですか? それとも、(貴方にとっての)無記ということですか?
貴方個人の雑感が聞きたい場合は、やはり電波氏のお膝元に参じなければなりませんかね?w
私には、判らないから逃げてるようにしか見えませんがね。
判らないなら、「判らない」 と言えばいいだけなのに・・・ (´ー`)y━~~
374 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/02(金) 09:59:34 ID:L725/lvy
>>373 >貴方個人の見解(→貴方の受け止める仏教においてどうか?)に興味があったのですが・・・。
アホダラ氏は、滅多なことでは自己の核心部分は板には書かないですね。
スレの流れで釣られて書く場合がある。
これは盟友でもあるペロ氏も疑問を呈する内容。
(ペロ氏も反論w)
途端に反論があるので板には書かない。
(本人は、このことは自分で分ってる)
アホダラ氏が、エンドレスにスレを立ち上げるのは、それなりの理由がある。
(皆さんは、このことに関心があるんじゃないですか?)
375 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/02(金) 10:23:29 ID:RnqO1wXO
>>373 重症の複問虚偽病を治さぬ限り、何処でもまともに相手にされないだろう。
376 :
316 :2007/03/02(金) 11:14:20 ID:6kg6foKI
>法灯明、自灯明の精神だろ?『ブッダ』の教えのとおりだ この「自灯明法灯明」というフレーズも「無師独悟」と非常に関連があり、 仏教神話において重要な意味を持ちます。 そして、これこそがウゾウムゾウのインチキ仏教系新興宗教が湧いてくる 原因でもあります。 私は本来仏教も原義としての「ウパニシャッド」であったと考えております。 それが過去仏の神話へとつながる。
>>375 一般の人、普通の人と仏教について語り合う・説明する・談笑する場合には、
あなた方のやり方は邪魔なんですよ。それが判りませんか?
私は何度も何度も何度も同じことを言っている。
あなたは、論文形式においてのみしか仏教を語らないのか?と。
学者でないキリスト教徒が、学者でないユダヤ教徒が、学者でないイスラム教徒が、
宗教を勉強し始めたばかりの学生さんが、墓参りに来たおばあちゃんが、
おばあちゃんについてきた青年のお孫さんが、・・・・・・
「仏教はここがおかしくないですか?」と問うてきた時、
あなたはどうするのか?
あなたは、日常会話をする人が周りに居ない孤独な人ですか?
私が、あえて(貴方の言う)複問虚偽の形で問い続けていることの意味はここにあるのだが、
一向に届かないようだ・・・(^^;
378 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/02(金) 15:01:55 ID:RnqO1wXO
>>377 気に食わんなら余所に厨房スレでも建てて雑談に興じればいいだけの話。
こちらへは複問虚偽病を治すまで来ないこと。
379 :
316 :2007/03/02(金) 15:18:27 ID:6kg6foKI
新日鉄有難う!
380 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/02(金) 15:30:16 ID:RnqO1wXO
>>379 此処はパチプロのアブク自慢の場に非ず。
疾く失せよ。
381 :
悟りは要領 :2007/03/02(金) 16:00:24 ID:sdztT7l3
>>397 おめでとう。
今日の新日鐵は凄かった。数億円単位で秒単位でド迫力の攻防戦!
おいらもトレンド確認後834円から乗ったが、843円の9円抜きで降りた。
あれ以上はヤバイ。
おそらく自社株買いの強制上昇で1000円狙いだろうが、デイトレに徹するべきだ。
・・とお釈迦様が言っておられます。シャカサマになるかも知れません。
382 :
悟りは要領 :2007/03/02(金) 16:06:56 ID:sdztT7l3
383 :
名無しさん@3周年 :2007/03/02(金) 16:10:19 ID:nWr13hEo
マネーゲームは戒律に反しないからサンガでも金貸ししていたそうだが。゙
385 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/02(金) 17:48:25 ID:L725/lvy
>>377 >「仏教はここがおかしくないですか?」と問うてきた時、
単純な質問ほど答えるのは難しい。
それは客観性を求められるからだ。
それがまた核心でもあって、
究極的には無為になる。
何故かというと、客観性そのものは作為に依るから。
このジレンマは脱し難いが、
必ずしも脱っせない訳ではない。
解脱ともいう。
386 :
名無しさん@3周年 :2007/03/02(金) 20:07:06 ID:Zt96cw2R
>>367 >「仏教はダブルスタンダードである」という言明について
\\対機説法、応病与薬//
相手の機根(性質・状況・能力など)に対応してふさわしい説き方をする。
病気の種類に応じて薬を選んで与える。
子どもを失って悲嘆のあまりに狂奔する母親には、その状況を一旦受け止め、
まず正気づかせるための言葉をかける。
雷雨で気温が下がり、暑中の上半身ハダカのままでいると腹痛を起こす。それを防ぐため、
その因果関係を説明しても理解できない幼児に、「カミナリ様におヘソ取られるぞ」。
これらは、相手の苦を抜くための工夫。大悲心という動機から発する行為。嘘も方便、の本来の意味。
二枚舌、両舌とは本質的に異なる。こちらは自己の利益を図る目的でつく嘘。
ちなみに、キリスト教の聖母崇拝なども、福音書からは出てこない発想ですね。当時の
宗教混淆(シンクレティズム)の状況がもたらしたものか。イスラムにも聖者崇拝というのがある。
これらは、本来の教義からすると異質だけど、民衆の要望も根強く、許容されている。
388 :
悟りは要領 :2007/03/02(金) 20:37:07 ID:sdztT7l3
縁起とはネットワークであり、インターネットはネットワークである。 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ はインターネットで縁起を発しているのであり、 それが良縁か糞縁かは各人にとっての問題であって、縁は異なもの味なもの、 あるがまま よしよし、それでいいのだ。 下手なボヤキ漫談を無料で楽しませてもらえるのだから よしよし、それでいいのだ。
第一義諦と世俗諦の二諦ということは、『中論』の発明かというと、 そうではなく、原始仏典にルーツがありました。 『多界経』(世界の名著 1、p.491) 真実を見る人が、生成する何らかの存在を永遠なものとして考えるとすれば、・・・それは道理ではない しかし凡人ならば、・・・永遠なものとして考えても、・・・それが道理である
390 :
名無しさん@3周年 :2007/03/02(金) 22:34:13 ID:Zt96cw2R
>388 電波は、天然ボケで偶に笑えるけど、アホダラは笑えたことないな〜。 せめて笑えるといいんだけど。
392 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/02(金) 23:26:02 ID:RnqO1wXO
この世にて干乾しにされし破落戸が あだに足掻けるさまぞ見苦し
393 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 06:01:47 ID:G2bDwc52
親分は何をやっても許されるヤクザ世界らしい。
394 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/03(土) 08:23:34 ID:eGSi6ETz
>>389 >第一義諦と世俗諦の二諦ということは、『中論』の発明かというと、
>そうではなく、原始仏典にルーツがありました。
それは勿論ですよ。
スッタニパータの第一章から面々と綴られているのは二諦のことです。
ただ二諦という体系だったものはないだけのこと。
そのことしか書かれてません。
395 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/03(土) 11:07:15 ID:8198uyY+
破落戸の穢なき骸風に鳴り 愚癡の谺の響く虚しさ
396 :
悟りは要領 :2007/03/03(土) 11:07:51 ID:0lYOFmb1
またスレ違いと阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ に怒られそうだが・・ 2月23日に池田晶子さんが腎臓がんでお亡くなりになったと知り、 衝撃を受けています。46歳でした。言葉もありません・・・ 哲の女、哲学の巫女らしく生死一如、みごとというしかありません。 ソクラテスとハイデガーを媒介としてほとんど仏教的悟りにまで 入っておられたような・・ 今頃、生存していたのでは解らない存在の神秘に触れて、 驚喜しておられるかもしれません。 そうであれば、ご冥福をお慶び申し上げます。
397 :
316 :2007/03/03(土) 11:49:01 ID:+vCwFa+x
いかに自分の欲をコントロールするか、それが問題です。 「もっと上がる」という欲をどこで節制するか・・・ それが中道であり、歩むに困難な道では? デイトレも修行も目的は違えど、人の営みには変わりない。 まずは実践・・・うまく行けば龍となり、下手をすれば頭を打って死ぬ龍門滝 株の本を万冊読むだけでは、一銭も儲からない。 万巻の仏書を渉猟してただけでは悟れない。
398 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 12:00:45 ID:50PT8g9I
>>397 これからの株の動きはどうなるでしょうか?
原因結果の縁起の理法によれば、どの様に変化すると見なすべきでしょうか?
今の事象があれば、相対的に別の事象が既にあるというのが縁起の理法です。
どのような事象が縁起しているでしょうか?
なことより、春咲あずみはいいぞ。
400 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/03(土) 12:46:23 ID:8198uyY+
401 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/03(土) 15:01:40 ID:eGSi6ETz
<株式経済学> 株式投資により、実績年間100マンの利益は固い。と仮定する。 この100マンの労働対価は安いか?高いか?で損益が確定する。 必ずしも数理的なもので利潤を算定できるものではない。 アルバイトで年間100マンの収入を得た方のが、労働確率としていい場合がある。 ようは、自己エネルギー消耗率と労働対価の比において、それは決定されるべきである。 >これからの株の動きはどうなるでしょうか? 東証で18000円を付けたあとの1000円下げですから、 調整局面だろうし、果たして戻す材料があるのか?(資金もそうだけど)
402 :
316 :2007/03/03(土) 15:54:22 ID:+vCwFa+x
>400 なんと所有欲、独占欲の強いお方・・・ でも、その欲をコントロールできればどんなにすばらしいことか・・ 経済の話が嫌いみたいだが、経世済民の意味を再確認すべきでしょう。 さて、古代インドにおいて、なんでヒンドゥーにくらべ仏教のチャイトゥヤ、 ヴィハーラが巨大で豪勢であったのか? それはサンガや帰依者が金持ちだったからである。仏教はうまいこと、新興勢力である 武士階層、海洋貿易で財を成した商人階層をスポンサーに出来た。 その最初より経済とは結びつきがある。 ブッタは山奥ではなくアランニャに住せよといった。おかげでサンガは都市の近郊に 巨大な寺院を持つことになる。 ちなみに今年度中に20000はいくね。喉もと過ぎればみな熱さを忘れる。しかし、 それがピークだろうけどね。ともかく、調整局面が早く来てよかったよ。
403 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 16:25:54 ID:50PT8g9I
物事が生じるとは、相対的にしか存在し得ない。人が誕生するとは、人が死ぬと言う 事無く、有り得ないのである。我々が死んだらどうなるだろうか、と言う質問には、 生まれた時にどうであったか、と言う質問にも答えなければならないだろう。 死と言う実体は無く、誕生という実体もないのである。 老齢になるとは、若返ると言う事無くありえないのである。老齢になるとは死に向かって入るという意味になるが、 若返ると言うことも、誕生以前に向かっているのであり、それは消滅に他ならないだろう。 前進するとは後退すると言う事無く有り得ないのである。故に前進すると言う実体はなく、また後退すると言う実体もないのである。 今株価が暴落しているということは、株価が暴騰しているという事無く有り得ないのである。 そこで、今の株価の暴落を観る者は、その幻を観ているものであり、同じような株価の暴騰をも同時に見ているものである。 そして、この暴騰は同じく幻である。そして、この暴騰と言う幻は既に暴落に伴って生じてしまっているのである。 今までが暴騰であって、今回が暴落であると言うのなら、今回の暴落に伴って、新たなものが暴騰しているのである。 それは前回の暴騰とは異なる相のものであろうが。いずれ埋め合わせは既に生じてしまっているので、 自分が絶壁の上に建たされ、周りには何も無いと言う状態なのではない。 とこう思うのですが、どうでしょうか?
404 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/03(土) 16:26:11 ID:eGSi6ETz
私は安定株主だから、株の売買はあまりやらない。 電力株の安定株主は多いかと思うけどね。配当取りで。 (ちなみに私は電力株は手放した) デイトレとかは、暇なニートとかがやってるんだろうね。 夢を持つのはいいかもしれん。 だけどそれだけじゃ〜人生は儚いんじゃないのか? デイトレーダーが、あまりの儚さに儲けた金をぶちまけた事件があったが、 あれは極限状態だったんだろう。 寝ても醒めても株しか頭になくて、殆どエネルギーを消耗し尽くした。 仏教も同じで、寝ても醒めても仏教のことしか考えてない御仁がいるが、 これも極限状態に入ってますね。 偏せざるば中道にあらず。 なにごとにおいても、これは大事なことです。
405 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/03(土) 16:38:16 ID:8198uyY+
>>402 何を言い立てたところでスレ違いはスレ違い。何処ぞにパチプロ自慢スレでも建てて存分に御託欲を充たしていればいいだけの話。
406 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 16:49:15 ID:50PT8g9I
>>402 >調整局面
これはどう言うものでしょうか?
>405
仏教を現実に適用しているのです。
407 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 17:25:00 ID:v2fcJGuB
イエスはこれを聞いて言われた。 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、 罪人を招くためである。」 (マルコ2:17)
408 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 17:41:40 ID:50PT8g9I
>>407 誤爆じゃないの?w
>>403 このようにあるものが生じているということは、それに相対してあるものが生じているということであり、
その縁起は十方に無限に生起しているのである。これを「諸行」と言い、縁起しているそれぞれのものは
実に実体のない虚妄なものであり、これを「無常」「無我」というのである。
409 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/03(土) 18:04:41 ID:8198uyY+
>>406 適用、損益・破滅は各自の勝手。
此処はスレ違い。余所でやれ。
410 :
316 :2007/03/03(土) 18:15:59 ID:+vCwFa+x
例えば、金本位制でなくなった今、紙幣の価値の裏づけは信用です。 経済も人の心とは無縁ではありません。 心とは別に客観的に経済が成り立つなら、株価はいかなる場合も適正でしょう。 全ては心の顕れです。実体があり、実体がない。その虚妄に泣き笑いし、死んだり生きたりする。 心を扱う仏教と経済は別なんて考えている御仁は、結局はマスターベーション・・・ どうぞ一人でお楽しみ下さい。 仏教はあくまで他者あっての宗教だと思いますがね。 あと、だれも儲かったとは自慢して無いでしょ?パチプロ? あなたの思い込みに答えるすべはありません。
>>267 和辻氏の文の引用箇所で、
>業による輪廻の思想が
>(1)四諦の体系と立場を異にするもので
>(2)原始仏教特有の実践哲学に属(さない)
これ以外、とくに気になるところはありませんが。
上記についても(1)と(2)が同じこと、つまり(2)が「特有の実践」ということから、
四諦の道諦を指しているとすれば、
あとは、(1)の業報輪廻説と四諦説が「立場を異にする」かどうかの判断にかかってくる訳ですが、
引用箇所だけからははっきりとは言えません。
が、業報輪廻説が「原始仏教に特有のものでな」く外部から採り入れたもの、借り物で、
四諦説が仏教特有のもの、自前のものだとすれば、
(前者をどのように受容していたのか、という議論とは別に)
「立場を異にする」かどうかという一点に関しては、
この引用箇所自体、特に問題があるとは言えなくなると思われます。
ただ、これは引用箇所だけから考えたことであり、彼の説の細部には、当然、
今日から見て修正すべきものを含んでいるだろうと予測できますが。
>>268 >テキストに書いてあることは、テキストどおり読むのが第一でしょ。
まったく同意見です。第一にすべきなのはテキストの正確な読解だと思います。
ただ、次の段階としては、現形にまとまってきた形成史を丹念に追うべきだと思います。
それを飛び越して、一字一句を文字通り、丸ごと鵜呑みにする方向へ行くことには疑問があります。
たとえば、「湿生」やガンダルヴァによる再生ということは文字通り受け取るべきだ、と言えるのでしょうか。
雑阿含経 卷12 (288) 名色縁識・・・識縁名色 名色を縁として識あり・・・識を縁として名色あり (294) 内有此識身。外有名色。 内にこの識身あり、外に名色あり 294では、名色を外部のもの、識身を内部のもの、と捉えているようです。 この見方だと、288の名色縁識は、外の名色を縁として識が生じる、という解釈もできそうです。 また、この見方からの識縁名色では、識から心身が生じるという、いわゆる胎生学的な十二縁起の解釈は出来にくいですね。
413 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 20:58:57 ID:50PT8g9I
善因善果、悪因悪果 これが問題だ。 縁起しているものには悪も善もないからである。 むしろ、善と悪は縁起している。つまり、善因悪果、と言うことになるのである。 また、悪因善果なのである。 善因善果、悪因悪果というのはすごく程度の低い因果関係を言って居るものではあるまいか?
414 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 21:04:31 ID:50PT8g9I
>>407 病人ばかりの世には、キリストが必要なのだ。病人と医者は因果関係にある。
しかし仏ばかりの世界にはキリストは必要が無い。善因善果は因果関係を言うものではない。
同様に悪因悪果も因果関係を言うものではない。
415 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 21:06:44 ID:50PT8g9I
416 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 21:23:28 ID:nehEBTot
>>414 私はキリスト教信じてた時代、心の病気になったよ
強迫観念の強い宗教だからね
洗脳が解けて精神的にマジで救われました
今は幸せ
417 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/03(土) 22:12:41 ID:8198uyY+
ログも読まぬ(読めぬ)文盲馬鹿が引きも切らず涌いて来ることで(冷笑)。
418 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 22:55:04 ID:G2bDwc52
読めもしないのに他人に厳しいとこは、親分そっくりだな
419 :
名無しさん@3周年 :2007/03/03(土) 23:14:44 ID:50PT8g9I
悪因悪果、善因善果、こんなことをいうものは、アホダラ以外にない!!。w アホダラ教さん、レスを。
さて、
>>367 に関して、電波氏がスルーするか絡んでくるか・・
暫く待つとしましょうw
(>373>377についても、阿呆陀羅氏を庇うかどうか、静観させて頂きます。)w
ついでに、少し367をアレンジしておく。
367を分解してみると、以下のようなポイントがあると思われる。
1・原始仏教はダブルスタンダードであるか?
2・釈尊の仏教はダブルスタンダードであるか?
3・これについてどう思うか?(→ダブルスタンダードであるかどうか?)
4・注記:ここでいうダブルスタンダードは、
在家・出家(比丘)、世間・出世間、俗・聖、一般人・宗教者、等という意味合い。
教義的に言う、術語としての「ニ諦」「世俗諦・勝義諦」とは、その指し示す範囲にずれがある。
勿論、
>>387 のような意味合いではない。
5・どう思うか?ということに関して、想定される幾つかの仮説をネタとして提示する。
a:教義的には一味であるので
(ニ諦という分別は原形には(或いは実存的受けとめ方に於いては)無いという意味で)退ける。
→条件付でダブルスタンダードな在り様を許容する。
b:総体としての(文化的存在、社会と接点を持たずに存在し得ない)仏教については、
このスレでは扱わない。
c:aとbの複合として、教義の中ではダブルスタンダードは見られないので、考究に値しない。
d:(aとほぼ同様だが)そのような区分は原始仏教の中にはない。
e:(aとほぼ同様だが)そのような区分は釈尊の仏教の中にはない。
電波氏は過去、ニ諦を退ける立場を表明していたので、その流れから、aではないかと想定される。
けれども、術語としてのニ諦が指すような意味合いでの二種ではないので、
(勿論、被る部分はあるが)、別の理由でもって
「ダブルスタンダードではない」とするかもしれない。
421 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/04(日) 07:47:36 ID:FdzCuAVH
ログもまともに読めずに虚問を並べ立てても失笑を買うだけ(嗤)。
422 :
悟りは要領 :2007/03/04(日) 09:03:32 ID:/tGoRqxj
生死の何たるかをおまいたちは判っているのか? 『私にとっては、自分が存在しているというこのこと以上の神秘はありえない。』 『存在の神秘は、いかなる仕方によっても理解することができないということを、 私は理解している』 『「存在する」ということは、それ自体で生死を超越しているのだから、 「生前」「死後」が眼中になくなる。逆に、存在の神秘の前には、そういうものは すべて物語だということがはっきりと見えるのである。 「毎日を生きている」と、とりあえず言ったが、その意味では毎日が死に瀕している。 毎日が臨死体験である。生きていることの神秘を知れば、死後の神秘に用はない。』 池田晶子が亡くなる約半年前の文章だ。おそらく彼女の事だから、医師からあと半年の生命との 告知を受けていただろう。それを知ったうえで取り乱すことなく、上記のように書いたのだ。 そのうえで『古人は言った。生死事大。無常迅速。』と禅語を出す。 カッコよすぎるではないか。まいったよ。泣けてくる。
423 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 10:58:12 ID:3nqSK1g0
>>422 >池田晶子
こんな人知らないがどんな人?
424 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/04(日) 11:22:57 ID:FdzCuAVH
425 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 11:39:56 ID:3nqSK1g0
そんな人気のある人だったのにな。
426 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 17:19:17 ID:eJu59CY8
>>422 ふーん
たまには哲学的なことも言ってたんだ
ただの美人印税寄せパンダだと思ってた
でも、独身と偽っていたのには笑ってしもた
427 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 17:35:45 ID:wPgvwGsm
>私にとっては、自分が存在しているというこのこと以上の神秘はありえない 孔丘も同じことを言ってますね。
428 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/04(日) 18:16:31 ID:STrxlOqK
>私にとっては、自分が存在しているというこのこと以上の神秘はありえない これは庭前柏樹子のことだね。 この趙州和尚の話を後で隠元(黄檗宗々祖)が聞くのだが、 あまりにインパクトがあったので、隠元愛蔵々書は何も役にはたたんじゃないか!! と、ついにそこで大悟をする。 まあ、腫れ物と大悟は時と場所を選ばんで突然にくるもんだよ。 正岡子規も、若いのに悟りましたね。 なかなか、ああいう生き生きした詩は無心でなけりゃ書けるもんじゃない。
>>420 そもそも「世俗諦」という言い方自体にも問題があるかも知れない。
本来は、単に「世俗の言葉」ということで、「諦」(真理)という付加価値はついてない、という見方もできる。
>>389 でも、真実を見る人、凡人、という色分けしかしてない。「真実」を云々しているのは前の方だけ。
また、俗人相手と弟子相手で立場・基準を替えているかどうか、という点では、
教義とか、実存的受けとめ方、とか言っても、何についての基準を問うているのかが不明だね。
もっと具体的な表現で、俗人相手のこの説教と、弟子相手のこの説教では基準が違うように
思うがどうか、とか。あと、自分の意見も添えた方がいい。
430 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 22:08:36 ID:eJu59CY8
殺生を禁じているのに、布施の肉は普通に食べるというのは、勝義諦と世俗諦なのかなあ? 肉なんか食うべきじゃないと主張したダイバダッタは極悪人扱いだしょ? なんだかよくわからない 俗諦即勝義諦ということ?
431 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 22:22:48 ID:3nqSK1g0
>>430 スッタニパータ
242 「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、──これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。
243 この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
244 粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
245 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
246 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
247 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
248 これら(生けるものども)に対して貪り求め、敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は、死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。
249 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、
粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、
不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、
それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
250 通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。」
432 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 22:25:06 ID:j0MUNpvx
悟りとは閃きではない。 無常がなんであれ、因縁がなんであれ、 なるように任せて黙ってトイレ掃除をする姿が佛である。
433 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 22:38:06 ID:3nqSK1g0
>>430 イエスキリストも同様の教えです。マタイ伝
口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。
15:18> しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。
15:19> というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、
15:20> これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。
434 :
名無しさん@3周年 :2007/03/04(日) 23:28:05 ID:3nqSK1g0
>>430 汚れるとは(このことを生臭いと言う)真実に反している状態を言う。生臭いとは
嫌な匂いが漂う状態を言い、それは清浄の反対であって、清浄は、諸行無常と悟って(理解して)
無常なものに実体を認め執着しないことにより達成できるものであり、反対に執着すると生臭い匂いが
漂うことになるんである。執着により縁起する主体となる事が生臭であり、汚れている状態なのである。
これは世俗諦が支配している状態なのである。しかし縁起している主体から離れ、縁起している諸法には実体がないと
知って離れるならば、その状態は勝義諦に支配されている状態である。
二重基準(double standard)というと、主に外交や経済社会の事柄に使うね。 大抵は、それを非難する文脈で。 思想史で言うと、西欧中世の神学と哲学の二重真理(twofold truth)は、 スコラ学の崩壊をもたらした、という見方がある。 スコラ学が崩壊しても、神学自体は残っているわけだが。
436 :
1/2 :2007/03/04(日) 23:56:47 ID:cyFOI0ad
>>429 >そもそも ・・・・・
>けれども、術語としてのニ諦が指すような意味合いでの二種ではないので、
>(勿論、被る部分はあるが)
>俗人相手と弟子相手で立場・基準を替えているかどうか
『釈尊個人の「その場その場の」「対応の仕方」がどうか』ではない。
『個々人の在り様(生き方)として、二種認めていたかどうか』ということ。
>もっと具体的な表現で・・・
引用では書ききれない。ていうか、探すのめんどいw
今思いつく限りでは、
a:行法の違い。 b:設定されるゴール地点の違い(涅槃か生天か)。
c:制限される生活の違い。 d:教義の核は同じ。
e:グラデーションのような個々人の資質・個性の幅を超えた、明確な分水嶺があるかどうか。
f:dを享けた上で、真の解脱・真の涅槃(→真の安楽)は在家と出家とで違うか同じか。
など。
437 :
2/2 :2007/03/04(日) 23:57:46 ID:cyFOI0ad
>>429 >あと、自分の意見も・・・
私は、ダブルスタンダードだと考えています。
ちなみに付加するなら、(現代)日本仏教は、e の分水嶺の消失した状態、
個々人の資質・個性というグラデーションのみがある状態、と言えると思います。
そして、形式としての(名前だけの)出家である、と。
そして、真の出家と形式としての出家との整合性の拠り所として、
「精神・スピリット・(内面)の【最】重視(→これこそが、(所謂)大乗の根幹だと私は考えているのだが・・)」
「上記 d 」「現実の社会・歴史・慣習等への適応」などがあるであろうと。
「諦(sacca)」と言われるようなものを言っているのではない。
視点の足場(受けとめ・実践する際の基準)として、二箇所を容認しうるか?ということ。
「諦(sacca)」と言うならば、それは出世間レベルのものでしかないだろう。
私だって、便宜上「(世)俗諦(pa^liで何と言うか忘れたw)」という語を使用することはあるが、
それはあくまでも、対比する上で必要となるラベルに過ぎず、「(真の)諦」とは見做さない。
(マーフィーの法則w、ことわざ、おばあちゃんの知恵袋的な位置付けにとどまるものと考える)。
「諦(sacca)」「聖諦(ariya sacca)」(→(仏教の枠の中で言う)「真理」)とは、
出世間のレベルにあるものだと思う。
438 :
名無しさん@3周年 :2007/03/05(月) 01:41:31 ID:itockNbP
損益だがパッとしない銀行株を売って、勢いのある新日鉄か トヨタで銀行株の損益を穴埋めしようと思うのだが、 賢者の皆様のお考えはいかがなものでしょうか? まだ持ってれば銀行も上がって来ますかね?
439 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 07:08:31 ID:rj7fZwl9
>>438 >勢いのある新日鉄か トヨタ
三月期決算だから利幅取りで大型株が動いてるじゃないでしょうか?
ある程度、利が乗りましたら機関投資などはギョクを売ってきますから、
短期なら勝負を掛けてもいいけど、そんなに長続きはしない相場かと思いますね。
だがしかし、大抵は勢いのある時が天井だったりしますから、
今から買うんじゃ難しいところ。
わたしだったら、新年度相場を睨んでギョクを仕込みますね。
440 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 08:37:20 ID:ps8EMmW1
害資は1390万株の大幅売り越し 兜町のランダムウォーカー(酔っ払い)が外人売春婦に 袖を引かれてる。
441 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 09:04:29 ID:ps8EMmW1
大型銘柄は売り気配一色ですなあ。 外人売春婦は強引やわ
442 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/05(月) 09:49:28 ID:Ht3rz9Cm
アブク餓鬼は退き下がれ。
443 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 10:57:31 ID:rj7fZwl9
こういう軟弱な地合いでは、かえって上げを期待するより下げを待つ。 ここから下げてきますと自立反発を狙えますから、 今はその反発分の利喰いに徹すべきかと思うね。 基本的には「休むも相場」の時期でしょう。 年度末だから個人投資家の出る幕じゃない。 日銀の利上げにより、市場の資金は他にシフトされますから、 戻すにはエネルギー不足。 せっかく景気上昇の波動も、この利上げで冷えたかたち。 結果的には、日銀が景気の頭を抑えてしまった。 政界とか、財界とか、最近の日本は狂ってきてるね。
マネーゲームも楽しそうだな。
445 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 11:28:36 ID:ps8EMmW1
2003年以来の中期上昇相場は大転換したと感じる。 ポスト北京オリンピック以降を睨んだ動きだよ。 中国は内戦に突入する可能性が高い。 長期的には2009年がアメリカ帝国のピークで、長期没落トレンドに入る。諸行無常。 日本はそれらのあおりを受け、2015年近辺で国家財政破綻=デフォルトとなるだろう。 格差社会が激化し、底辺では塗炭の生活苦に見舞われるだろう。 世界の覇権国が交代するときにみられる歴史的現実だ。 日本が復活の道程に乗るのは2018年以降となるだろう。 2050年ごろ、日本は覇権超大国となっているだろう。 現在とは全く異なる社会が見られる筈だ。
446 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/05(月) 12:32:11 ID:Ht3rz9Cm
ゼニゲバアブク餓鬼は専用餓鬼道スレでも建てて退下のこと。
447 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 13:59:21 ID:rj7fZwl9
昨年の全上場企業の利益は約40兆円。 この40兆のうちの10兆ぶんは、非正規社員とかで浮かせて得た利益。 つまり、本来はこの10兆は市場に出回るはずの金です。 ようするに消費マインドが落ち込んだ状態の企業利益ですから、 このままで消費の伸びが見込めないとすると、企業は在庫を抱えてしまう。 インフレ懸念は全くなく、むしろデフレからますます脱却できない。 (金利を利上げする経済状況でないのは明らか) 企業は一時的に人権費をケチって金を集めた状態ですから、 いつまでも続くわけはない。 つまり、安い労働力を使ったとしても製品が売れなけりゃどうしょうもない。 今、貧乏人は閉店間際のスーパーで半額の商品しか買わなくなった。 日用品は安い中国品で充分だし、 このままでは覇権超大国どころか、劣等国にしかならない。 少子化で国力は衰退するだけかと思うけどね。
448 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 14:46:42 ID:ps8EMmW1
兜町は阿鼻叫喚の地獄状態です。 SQの9日まで続行下落か? 今日は見物だけ。 現物に両建かましといてよかった。
449 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 16:15:38 ID:rj7fZwl9
もう新年度相場を睨む動きになってるんじゃないでしょうか? 7月の参議院選挙が焦点です。 すでに自民の勝算がないので、公明が逃げる姿勢でいますねw 公明は勝馬にしか乗らないですから、公明の選挙協力がないと自民は大敗です。 もう決まったようなもんです。 外資の保有株は充分に利が乗ってますから、いつ手放してもいい訳です。 政局が不安定になりますと、外人が投げてきますね。 いくらグローバル化と逝っても、外需だけでは限界があります。 (内需は見込みはない) 今はこの段階かと思いますね。 売り買いが一巡すれば相場が落ち着きますが、 政策が後手に廻っているので、買い上げる材料がない。 しばらくは持ち合い相場かと思います。 <相場師・机龍之介>
450 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 16:51:47 ID:ps8EMmW1
>>446 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ はん、あんたほんまに頭固いなあ。
『業務に精励して生活をたてていて、それに関して巧みであり、怠らず、
それについての手段、方法である考察をなしとげ、なすに足り、
はらうに足りているならば、これこそ聖霊の徳を備えていると言われる』(増一阿含)。
四摂事を尊び、一方で努力精勤して蓄財し、他方でそれを有効に用いるという
バランス感覚が仏教的な経済倫理の基本として教えられるのである。
(宗教の経済思想 保坂俊司 光文社新書128−129頁)
よければ一読をお薦めします。
「ゼニゲバアブク餓鬼」なんて上品な言葉使い(正語)があらたまる鴨。
451 :
名無しさん@3周年 :2007/03/05(月) 18:08:47 ID:6fE102hP
アホダラ氏はそもそも「金は汚いもの」というドグマに囚われていますね。 なぜか経済を語るものを極端に卑しむ・・・ アホダラ経のわりには洒落が分からぬ御仁 門前払いと言いながら「ゼニゲバアブク餓鬼」と罵るが関の山 門戸が開かれた公園で、ここはボクの遊び場だと主張するようなもの。 そんなに意に反した書き込みをされたくなければ、2チャンから出て 自分でHPでも立ち上げればいい話だ。
452 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 18:09:06 ID:rj7fZwl9
ずいぶん今日の東証は下げましたね。 つうか、わたしは最近の東証のシステムはよく分ってません。 今は立会い銘柄がないんでしょ? 全部の銘柄がコンピュータ処理でやる。 そうしますと、どんなに商いが膨らんでも処理できる。 これだったら上げでも下げでもブレますわな。 ザラバでも板寄せ中断すれば、そんなに相場はぶれない。 人の思惑で値段がとんでもない方向に逝ったとしても、コンピューターだとあくまでも機械的処理。 考えようでは、そこがコンピューターの欠点ですね。
453 :
名無しさん@3周年 :2007/03/05(月) 18:09:59 ID:6fE102hP
円高がピークに達したところで外貨投資
454 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 18:21:11 ID:rj7fZwl9
まあ、利上げでどんどん債券に資金がシフトして逝きますね。 それだけ株式の妙味もなくなる。 ってのは、いたしかたない。
455 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/05(月) 18:25:19 ID:Ht3rz9Cm
卑賎のスレ違いアブク餓鬼は、足切り済みにつき即刻退下のこと。
456 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 19:08:05 ID:ps8EMmW1
節分天井 彼岸底
457 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/05(月) 19:12:25 ID:rj7fZwl9
>>455 坊主に逢えば、宗教の話はしますし、
経済人に逢えば、今後の日本経済について話ますし、
議員に逢えば、地域の活性化など話まふ。
教員に逢えば、教育論について話ますし、
社長の令嬢に逢えば、素敵なオジサマとして場を和みさせるのです。
その場、その場にナリキルのを一期一会ともいい、
この人脈こそが私の飯の種なんですよ。
銀座のクラブで数十万の金を使うというのは、それ以上の魅力があるからです。
人のスキルとは、それを生かしきれるか?そのままスルーするか。
の違いで、その差は大きいですね。
458 :
名無しさん@3周年 :2007/03/05(月) 19:25:03 ID:j/1DLAyG
銭ゲバの衆生どもが大騒ぎ ロスチャイルドのおこぼれを拾い集める餓鬼ども 佛教スレから去れや あほ机を筆頭に
459 :
悟りは要領 :2007/03/05(月) 20:47:12 ID:ps8EMmW1
たしかに仏教と経済行為との関係については、 経済行為が『執着心』と強く結びつきがちなだけに 徹底して考えるべきテーマだろうね。 ブッダ当時の原始仏教を支えたのは豊かな商工業者であり、 平等主義の教えのもかかわらず、サンガの出家者は超エリートがほとんどだった。 経済行為でも実体経済とマネー経済では質的な違いがあり、 「仏教」でも聖俗峻別か聖俗不二か、原始仏教と大乗仏教とでは 思想が違う。 このスレでも増伽の無尽物による高利貸行為が問題となった。
>>436-437 初期に於いて、仏教教団に囲い込まれた形での在家信徒のありようが、
果たしてどれほど成立していたのかよく分からないけど、
ジャイナ教やアージーヴィカ教などの出家遊行者たちにも供養していたとすれば、
ダブルというかトリプルも認容されていたような気がします。
出家仏弟子・在家仏教信徒・非仏教在家者。最後の立場も、それなりに認めていたのでは
ないでしょうか。「よき生き方」をするという点では、必ずしも仏教信徒でなくても認めると。
この辺、abcあたりに関連してくることですが。
defになると、出家仏弟子かどうか、第一義諦かどうか、ということと分けて考えるのは
やはり難しいような気がしますけど。
で、在家のあり方の意義を別に認めていたとして、それをどういうように考えていたかというと、
最高のあり方だとは見ていなかったのではないか、と思います。宗教や思想としての切り口から見たら。
日本の現状は、梵網戒とか大乗戒壇とか親鸞の宣言、明治政府の仏教抑止政策とかの歴史的諸要素が
複雑に絡んでいて、正直、結論的な意見は持っていないです。
461 :
名無しさん@3周年 :2007/03/05(月) 23:14:21 ID:VYF+68Fu
縁起してるものは消滅する運命であり、その時は近いなどと言ったもので、株暴落が始まったんじゃw? 何しろここだって、世界を相手にしてるわけだから。
バタフライ効果も雛形思想も、初期仏教とは関係無いな。 つーか、雑談スレか?ここわ?
463 :
名無しさん@3周年 :2007/03/06(火) 06:25:14 ID:zHL2scxD
武道あわせて20段とかいう輩がいるが、こういうのは何一つ完成されてない屁たれだ、 と、大山倍達が言ってたような気がする
464 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/06(火) 07:04:35 ID:WYRmttr1
人が生存して逝くのは、単純な因果律によって成されている訳ではなく、
グローバルな経済とか、政治、社会の動向に充分関係があってこそです。
林檎ひとつにせよ経済の潤滑があってこそ、人は東京でも食べられる。
>>422 に書き込まれた池田昌子氏にしても、
自己の究極な抽出は無限なる大局観をもたらす。
という、覚者と殆ど同じ境涯にまで達観してますね。
人は情報をキャッチするのは簡単ですが、
それを生かすのは至難です。
行学二道の「行」は、生かしきることです。
465 :
名無しさん@3周年 :2007/03/06(火) 08:07:24 ID:zHL2scxD
林檎と仕手戦に何の関係があんの?
>>465 それは経済の基本でありますし、あえて私が論ずることもないですが、
簡単に説明いたします。
価格は需給バランスにおいて決定されます。
林檎も株も、この基本システムにおいて値が付きます。
林檎は青果市場。株は証券取引所です。
私が仕手戦の仕組みまで説明することもないので割愛します。
原因を取り除けと言われても、一つの結果に対して数多くの原因があるから全てを取り除くのは事実上不可能に近いと思う。 理想や目的はともかく、方法論と速度計算が提示されていないのであれば指標として採用するのは厳しいと思う。
>>467 「車が走る」ということにも、それを成立させる様々な要因があるが、
その中で、「タイヤを外す」、「或いはキーを抜く」、などの方法を採るようなもの。
別に全ての要因を排するわけではない。
主要な条件(ある事象・心的現象を成立させるのに決定的役割を果たしている要素)のみを遮断すればいい。
(言い換えれば、除去しても大なる影響が無い場合もある。
ハンドルを取り去っても車は走れる。ブレーキを取り去っても車は走る。)
勿論それ(ある事象の主要な原因・主要な条件)は一つではないかもしれないが、
複数・沢山あったとしても、そのうちの一つ或いはある幾つかが、
遮断の対象として(仏教という枠組みに於いては)選び取られている、ということになると思う。
>>468 人の心が車ほど簡単に制御できる思えませんけどね。
なにがタイヤなのか?どうしたら外せるのか?どのくらい時間がかかるのか?
>>468 補:
方法論については、
八正道を筆頭に種々説かれているし、「戒」も指針と見做せるだろうし、
「律・パーティモッカ」も、形式的制約として方法論のうちに含めることもできよう。
或いは、釈尊や(初期の)弟子達の行履も、方法を示していると見ることもできるだろう。
速度計算については、
仏典の記述は、主要な事跡(或いは、「きっかけ」と「(所々をピックアップした)中間報告」と「結果」)
しか述べられていないのが殆どだが、それでも、多くの事例(弟子達の逸話)を総合することにより、
ある程度の目安は立てられるだろうし、(理想としての)決まり文句として「涅槃は現世に於いて(忽ちに)見られるもの」
と言われたりもする。 ^^^^^^
勿論、きちんと筋道だった方法を採った上でということになろうし、個人差も当然あろう。
>>469 そういう喩えの仕方ではありませんでした。
タイヤが何に当たり、ハンドルが何に当たるか、は全く考えていませんでした。
ただ、俯瞰してみた構図として構造の類似をもって喩えたまで。
ですから、469の問いには答えられません。 ごめんなさい。
>>66 イエスはそうだったとして、周りの連中は違うでしょ。それにそういう人は他にもいたでしょ、あーめん。
誤爆です。
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQさんて、どんなお仕事してるんでつか?
475 :
名無しさん@3周年 :2007/03/06(火) 16:35:34 ID:AAtjsPDg
>>474 N225先物および為替ディーリング
だから株ディーリングみたいな難しいことをやってる連中を罵る。
(466のつづき) 林檎とかを生産するには、肥料とか農薬とか使う。 この原材料は海外から輸入したりする。 ここで商社などを介在とするが、為替がおおいに関係する。 原材料を化学企業が製品にする。 林檎は流通ルートに乗せませといけませんから、陸運企業などが関係してくる。 この流通コストは原油価格によって違ってくる。 ここにおいても為替は関係してくる。 (円が強ければコストは安い) 関係しあって企業の業績も損益が左右され、その思惑で株券が評価される。 株売買システムを利用して思惑を誘いチョウチン付けるのが仕手株買い。 林檎ひとつにも、いろいろな関係性において成立つものであり、 池田昌子にせよ、正岡子規にせよ、究極にまで自己を滅するところに、 無為に生かされる自己そのものにまで深く洞察して逝けたんでしょうね。 これは過去とか未来のことではなく、現にある自分のことです。→現観 (池田にせよ、子規にせよ、これは全く共通している)
477 :
名無しさん@3周年 :2007/03/06(火) 21:16:14 ID:HpNQPpzd
>>467 >原因を取り除けと言われても、一つの結果に対して数多くの原因があるから全てを取り除くのは事実上不可能に近いと思う。
重大な勘違いだと思うよ。原因を取り除くなどとどの経典が押しているのだろうか?
ものは原因と結果に拠って存在している、これをお互いに縁起しているといい、相対的存在であるというのである。
原因となるものその結果となるものは、それこそ無限にあるのである。しかしいずれにしろ相対的存在である子とは
理解できるのである。結果となっているものが原因にもなっていると考える事ができる。これは相対的存在であるからである。
時間的流れの中では、過去未来があるから、過去が原因になるのであり、未来は結果になる、これは変える古都が出来ない、
とこのように考え勝ちである。しかし、過去なくして未来があろうか?未来なくして過去があろうか?必ず過去があって始めて未来があると
一方通行なのであろうか?一方通行ではない、双方通行なのだ。双方通行なので、過去未来は相対的存在なのである。
相対的存在であるなら、相方には実体が無い、つまり、あると思っているのは妄想による幻である。
つまり、原因なく結果というものが無いのである。原因を取り除くと言うことは必要もなくできもしないことなのである。
両者に執着しない態度、または、両者を平等に観る事が要求されているのである。
478 :
名無しさん@3周年 :2007/03/06(火) 21:35:23 ID:HpNQPpzd
>>477 つづき
そこで、どうして一方通行に考えるのであろうか?換言して原因を取り除こうと考えたりしたのであろうか?
それは執着して居る物があるからである。そのものを基点と考えているからである。それが苦しみの元であるのだ。
であるから、その苦しみから解脱する為には、原因と結果を平等に見ると言う必要があるのである。平等に見るとは、
どちらにも執着しないと言うことになるんだ。原因と結果は相対的存在であるからだ。
十二し縁起の初めは無明である。無明とは、このものは相対的にのみ存在していて、実体として存在していないという
真理を知らないことを言うのだ。あるものに執着すると行 識 名色 六入 触. 受 愛 取 有 生 老死 ...という風に妄想の世界を形成するのだ。
そこで、この無名以下のものがすべて縁起していると理解し、縁起して居るものには実体が無い、幻であり、その幻は自分の無明から
生じたものであると理解するなら、無明以下のものを平等に観る事が出来るようになるのだ。平等に見るなら、どちらにも執着していない。
平等に見るなら、そこには変化というものが消滅している事になる。変化が無いなら一相であり、無相であり、空相である。
十二支縁起の前には必ず、「これあれば彼有り、これなければ彼無し、これ起これば彼起こり、これ滅すれば、彼滅す」という説明が
必要であり、それは教説に具備している。ここには、色の縁起と、心または時間による縁起が説明されていることに注意である。
「識」の定義、部派仏教での「第一義」の扱い、原始仏教での「六道」観、 部派仏教での「輪廻の主体」の諸説、について 識(viJJANa/ヴィンニャーナ, vijJAna/ヴィジュニャーナ) は vi (分かち)-jJA/ジュニャー(知る)-ana (こと、もの) と分解され、「分かち知ること」とは【認識】判断の【作用】を意味し、「分かち知るもの」とは 認識判断の主体としての【心】を意味する。…原始仏教で識は右の二つの意味に解されるが 心としての場合が多い。(p.200) 仏の説法の中には、…第一義的なものもあり、…中等程度のものもあり、 …初歩的のものもあるという風である。(p.216) アビダルマでは、『阿含経』に説かれている種々様々な仏の教えの中から …【普通一般の通俗的な教えを標準として採用】し、第一義的な高級な教えは除き去ってしまった。(p.217) 地獄・餓鬼・天上などの名は原始経典にもあるとしても、原始仏教では事実的存在としてではなく、 人間の【心の状態】として観念的に説かれたもの、または【譬喩】としてのものにすぎなかった。 それがアビダルマの具体的業報(ごっぽう)説によって、地獄等が地域的場所的に存在するとされるようになった。(p.222) 部派仏教のアビダルマにおける心識論では主として表面心が取り扱われた。しかし…潜在心をも 考えざるを得なくなってきた。例えば…業を担っている【輪廻の主体がなければならない】として、 これを【一種の潜在心】と見るようになった。パーリ仏教のアビダルマにおける前述の【有分識】が それである。その他、例えば化地(けじ)部の【窮生死蘊(ぐうしょうじうん)】、大衆(だいしゅ)部の 【根本識】、経部の【一味蘊】、犢子(とくし)部の【非即非離蘊我】等…(p.237) 以上、水野弘元「原始仏教・アビダルマにおける心理学」(『講座仏教思想 4』所収)より引用。 なお、著者には『パーリ仏教を中心とした仏教の心識論』という著書がある。
480 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 06:31:07 ID:yxZPf1GK
>>478 続き
いささか間違っているところがあると思う。それは、執着心そのものが縁起したものであると言う
ことを言って居ないことである。この執着心こそ無明且つ無明から生まれたものであり、これが・行 識 名色 六入 触. 受 愛 取 有 生 老
を縁起(生起)させているのである。この執着心はあるものの結果なのであり、且つあるものの原因となっているのである。執着心が無いなら、その人の心に縁起するものが無いのである。
これを涅槃と言う。どうかな?
481 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/07(水) 12:10:07 ID:LjT2inzm
>>479 > なお、著者には『パーリ仏教を中心とした仏教の心識論』という著書がある。
残念ながら品切もしくは絶版のようです。偶に古書店で見掛けても法外な値段が付いており手が出ません。
パーリ佛教の心理論についての書籍では、佐々木現順氏による『アッタサーリニー』の和訳註解『仏教心理
学の研究』もありますね。架蔵していますが遅々として進みません(苦笑)。
482 :
悟りは要領 :2007/03/07(水) 15:25:13 ID:6Yw0i7hd
本日 新日鐵で1日で80万円近くのネタを溶かしました。損切り。 久しぶりの大惨敗。もうメタメタの暴力相場です。 世界の余剰投機資金が暴れまわっている感です。 まあ、こんなこともあらーなwwww(苦笑 おかげで、比較的冷静に損切りできるようになりました。 休むも相場かな。
「鉄は熱いうちに打て」とか言いますから、やはり熱いときが手仕舞うにはいいんでしょうね。 そういうふうに、なんとか銘柄(玉)をコジツケて人間の欲から一歩退いた 相場を張る智慧が生かされていたのかと思います。 さんざん玉と遊んだら、もうそろそろ吉原の大門は閉めの時間です。→大引け 好きなオネエサンともお別れ。 粋ですね。昔の人は。 相場も道楽と考えていたんでしょう。
484 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 17:13:24 ID:yxZPf1GK
>>483 市場の株価と実体とはどう違うのでしょうか?
市場で株を買った人は、その会社の株主になって、資本家になったのではないですか?
しかし、会社は市場でついた株による収入をどの様に使うのでしょうか?
マネーゲームとか言われる意味がわかりません。
教えていただきたいのです。
485 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/07(水) 17:26:14 ID:LptwA6nS
忽ちにみなわと消ゆる餓鬼が金 取り返さむと泥沼に墜つ
ここは雑談スレじゃないよね。 テンプレにも >原始佛教関連以外の話題は当該スレッドか新たなスレッドを建ててお願いいたします。 ってあるよね。 なんでやめられないの?
487 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 17:44:06 ID:yxZPf1GK
人が執着しているものに付いて知らないまたは感知しないというのは仏教ではない。 どんな事象にも的確な判断を下せる様にならないと修行が足りないと言うべきだ。 つまりどのような縁起関係にあるかを知ることである。仏教に関係ないなどとは言えない。
488 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/07(水) 17:47:58 ID:LptwA6nS
足切りテイノーは退下のこと。
489 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 17:48:27 ID:yxZPf1GK
一切知とか一切種知とか言うのを知らないのであろうか? 釈尊は一切種知を得て居るという評判を聞いた人が、釈尊に自分の職業である 放牧の知識を尋ねているのを知らないのか、これは原始経典に出ている。
>市場で株を買った人は、その会社の株主になって、資本家になったのではないですか? 株主は、会社に投資し株主総会の議決権はありますが、よほど株数を保有しない限りは じっさい一般投資家が団結しても不信任決議するほど株数は集まらないかと思うけどね。 つまり、浮動株はそんなに市場にはないですから。 (資本家というほどでもない) >しかし、会社は市場でついた株による収入をどの様に使うのでしょうか? 株数×一株あたりの値=会社の評価(値段)ですから、→時価評価額 有価証券のままならただの紙で、換金しなけりゃ自体のある値段には成り得ないですね。 株券は「投資した証明書」ですから、その範囲で売買するのは自由。 (株の収入は直接的には、会社には関係ない) 会社は、企業で儲かった分を株主に配当するだけです。 >マネーゲームとか言われる意味がわかりません。 株式は証券取引所で売買されます。 買った値段より高く売れたら、その差額分が儲けになります。 また、株券を借りて売り、その後、下がったところで買い戻すやりかたもあります。 (これが空売りです) 他に信用取引などがありますが、これは決済日が決められてるので素人には あまりお奨めできない。 現物取引がオーソドックスなやり方です。
491 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/07(水) 18:02:28 ID:LptwA6nS
稚拙杜撰な「譬喩の誤謬」をでっち上げ、ブッダに擦り付ける 足切り底辺馬鹿は出て失せよ。
492 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 18:46:10 ID:yxZPf1GK
>>490 >株数×一株あたりの値=会社の評価(値段)ですから、→時価評価額
有価証券のままならただの紙で、換金しなけりゃ自体のある値段には成り得ないですね。
株券は「投資した証明書」ですから、その範囲で売買するのは自由。
(株の収入は直接的には、会社には関係ない)
会社は、企業で儲かった分を株主に配当するだけです。
時価評価額が低くなると言うことは、その原因としてその会社の営業が社会の為になら無いと言う
評判であって、当然業績と直説的関係が本来あるものである、ですから 評価額が下がって
ゼロに近づくと、配当もゼロになる、と言うことですか?つまり、会社の営業が成果をあげて業績をあげているのに、
時価評価額である株価が低下すると言うことは有り得ないと?またその反対も有り得ないと?
このようなものなら、概ね時価評価額は、その会社の業績の実体を表しているといっていいですね?
その会社が倒産した時は、株価もゼロですし、配当もゼロと言うことですよね?
>概ね時価評価額は、その会社の業績の実体を表しているといっていいですね? 業績の実体というよりも、数年先とかの「会社の将来性」が主に株価に繁栄されますね。 繊維不況で殆ど将来性が見込めないアパレル関係会社でも、配当を付けてるとこもありますし、 また、無配の会社でも、半導体関係で将来有望視されていて時価総額のいい会社もある。 つまり投資というのは、今の会社の・・・その将来に投資するんであって、 それが本来の投資スタンスですよね。 銀行では資金調達が限界があるので、市場から資金調達するのが本来の株式の発行なんですから。 株券というのは、本来はそういう証券なんですが、 それをもっと流動化させようじゃないか。 というんで証券取引所があるんですから。 業績を一応は参考にしても、値というのは人の思惑とか人気、または欲とかに左右されます。 株は女(玉)に譬えられ、ゆうならば証券取引所は美人投票所のよぉなものです。 人気のある新日鐵は人がワンサカ投票しますし、 大引けまでは、いくらでも遊女と遊ぶのは自由です。
× 繁栄 〇 反映
安定株主になりまして、議決権を行使するやり方もあります。 あまりオーソドックスな方法ではありませんが、 株主の権利は最大限に活用すべきです。
496 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 19:47:18 ID:ERKC5v+Q
ワーテルローの戦い知ってるよね あんた、遠隔操作されてんのわかっててよくパチンコなんかして喜んでられるなあ すってんてんにならんと悟れんのか?
497 :
名無しさん@3周年 :2007/03/07(水) 20:16:47 ID:yxZPf1GK
>うーん。井の中の蛙に過ぎないバスタの武芸自慢に おちょくりを入れたかったってのも実はあるw >タルンタルンに脂肪に変わった筋肉 要するにデブの中年バスタが 何をやれるかってたかが知れてると、言いたかったw >単に下半身ブラブラ男が一人冷笑されるだけってのが見えないのかね? >私にサルの画像をいともたやすく見せようとしているところも丸見えだったし。 >そもそもメッセログ公開の運びとなった流れの元が「己の見栄の為に嘘をついた=虚勢から」ってのもわかってない。 >自分が支援した青森ニフティ裁判でも負けたくせにw >バスタ自身がやった行為は 綺麗に脳内から削除され >【自分の権利】だけを他人に執拗に求める傾向ってのは、ヤッパアレでしょ。 タルンタルンに脂肪に変わった筋肉 タルンタルンに脂肪に変わった筋肉 タルンタルンに脂肪に変わった筋肉 要するにデブの中年バスタ 要するにデブの中年バスタ 要するにデブの中年バスタ 単に下半身ブラブラ男 単に下半身ブラブラ男 単に下半身ブラブラ男 >過ぎ去ったことです。忘れるというか、自然と記憶から憎しみとか腹立ちが消えてしまっています。 だってさwww バスタは脳に疾患があるって言ってたから忘れることが出来るんだろね。 普通なら忘れるとか出来る? ここまでコケにされてwww
あひゃー 誤爆しました・・・すいまそん。 荒らしじゃないです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・orz
500 :
名無しさん@3周年 :2007/03/08(木) 10:48:52 ID:ZV1DcNBR
>498-499 おもひろいからいいよ
久しぶりにスレを覗くと仏教の話でなくて、株の話になってるように見えます。 正法誹謗のものは悩乱して貪欲が増大してしまうのでしょう。 どうか、一時もはやく日蓮正宗に帰依されることを祈ります。
>>491 これ以上続くようなら、削除依頼を出すのも一つの手だと思う。
>>486 もっとも原始的人間社会とういうのは、原始共産性社会です。
そこから経済が発展して逝きますと、人は蓄財の概念(所有)が生じ、
それを等価交換というシステムを発見してくる。
これはまた損益という判断も必要になってくる。
(これが重要です)
経済の発展は同時に執着をもたらし、人は好むと好まざるに関わらず
現在における”高度に発展した経済システム”に組み込まれなければ生きてはいけない。
という現実があります。
この現実から離れた仏教は、到底ありえません。
何故なら、
仏教のテーゼは四苦だからです。
504 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/08(木) 12:56:32 ID:AEh0YtGe
>>502 そうですな。銭ゲバアブク餓鬼の資源浪費駄ボラは削除依頼対象でありましょう。
「出禁サイコパス外道」の汚穢吐瀉は、その恥を過去ログで千載万劫晒し物にすべく放置という手もありでしょう。
業に時効はありませんからね(笑)。
505 :
悟りは要領 :2007/03/08(木) 13:20:02 ID:eEANeVr2
どうやら、悟りとは世間から隔絶した実験室でやるものだと誤解している奴が 多いようだな。 おまいら俗物小物連中(日蓮正宗フィクションインチキカルトを含む)には、 一休の境涯はとうてい無理だ。 世間を超越したうえで、清濁(本来区別無し)合わせ飲むスケールの大きな生き方など 想像もできんだろうな。
506 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/08(木) 14:26:34 ID:AEh0YtGe
文盲でテンプレも読めぬ上、空気すら嫁ぬところが餓鬼の餓鬼たる所以(冷笑)。 アブク地獄に永劫沈淪しなければならんわけだ(嗤笑)。
507 :
悟りは要領 :2007/03/08(木) 15:42:30 ID:eEANeVr2
もはや できあいの思想には倚りかかりたくない もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない もはや できあいの学問には倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない ながく生きて 真底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある 倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ (茨木のり子『倚りかからず』)
>>501 >正法誹謗のものは悩乱して貪欲が増大してしまうのでしょう。
そもそも人間の欲望とは何なのか?というのを、簡単に
>>503 に書いておきました。
自己所有概念は生得的なものではなく、社会システムにより派生されるものである。
これを体系つけたものが十二支縁起であり、
四苦におけるテーゼの帰結点は無明に帰すのである。
これあらずんば、もはや仏教とはいえん。
南無妙法蓮華経(現世ご利益)の原点は無明に依りてもたらされる。
ということは、
もはや逃れられるまい。
509 :
悟りは要領 :2007/03/08(木) 16:43:14 ID:eEANeVr2
>>506 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ は 空気嫁 にて昇天し
安上がりなことで
510 :
悟りは要領 :2007/03/08(木) 16:56:43 ID:eEANeVr2
>>505 訂正
× 清濁(本来区別無し)合わせ飲む
〇 清濁(本来区別無し)併せ呑む
511 :
名無しさん@3周年 :2007/03/08(木) 17:31:58 ID:iZ2z7ngg
>>507 >いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
真底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
茨木と言う人もしらず、詩というものをも理解しませんが、意義のあることを言って居ると思います。
仏様のことを「両足尊」とも言いますね。
512 :
名無しさん@3周年 :2007/03/08(木) 17:39:34 ID:iZ2z7ngg
>>501 仏敵よ、また出てきたか。
論理的に根拠をだして証明しろといったはずだ。所がそんなことできないことを知っている。
お前の間違いを指摘し、日連を捨てる様に教えてやる。
513 :
悟りは要領 :2007/03/08(木) 18:06:39 ID:eEANeVr2
去年は 茨木のり子(06/2/21) 今年は 池田 晶子(07/2/23)と同時代に生きていることを とても素敵に思える 女流詩人と哲学の巫女が先に逝っちまった。 ちょっぴり、脱力する。
514 :
名無しさん@3周年 :2007/03/08(木) 18:15:48 ID:ZV1DcNBR
ニフティ時代からトラブルを起こし続けるヒロシ君(ヒロヘロ、電波男、バスタ)は、
2ちゃんでは宗教板で活躍する。しかし宗教板でも本来の無能ぶりが露呈し、
オカ板へ来て弱い者いじめをして憂さ晴らししていた。
ところがオカ板でも馬脚を現し、逆に集中砲火をうけボロクソにやられる。
特にリベリオンに落とされた時の逆上ぶり、罵倒ストームが絶品である。
また、この時の法律少女自演も傑作である。
形勢不利になったヒロシ君に、サルと裁判中の革命王が絡んだのを幸いに、
敵の敵は味方、且つ援助するという大義名分を得たヒロシ君は、
「サルさんを命がけで守る」といって革命王を堂々と罵倒して復讐する。
そこに主婦という第三者がかかわり、ヒロシ君はサルと主婦の間で揺れ、
女自演者とバスタ名の書き込みのID一致というお笑いのピークを実現。
だれもがここで恥じて引退すると思いきや、どっこい、ヒロシは只者ではなかった。
無線LANただ乗りという無謀な笑える言い訳と共に復帰するも、
サルがヒロシ君のいい加減さに耐えきれなくなったのか、決別宣言し、
現実でもヒロシ君が卑しいことが発覚する。
大義名分も失い完全な笑いものになったヒロシ君は、無謀にもまとめサイトを作り
名誉回復を図り、このスレを立て今に至り、またいつもながらみんなに弄ばれここに至る。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1173102866/ これががヒロシ君の姿と想像する。
http://jimaku.in/w/pkPIBc1AFjI/XklVXIsZpou 誰かヒロシ君のお笑い名言まとめサイト作らないかな。
515 :
悟りは要領 :2007/03/08(木) 23:28:32 ID:eEANeVr2
516 :
名無しさん@3周年 :2007/03/08(木) 23:33:17 ID:iZ2z7ngg
>>501 日蓮は自分がトンデモ無い間違いをしており、それは自分のおろかさに他ならないのに、自分を智慧第一だと妄想しているのだが、
それは究極の馬鹿としか言い様が無い。世界一のアホダラでさえも日蓮教徒のお前を
罵詈雑言するぞw。だからAチャンネルから消えるとゆうよりも歴史上から消えてまえ。日本人の知性がどれだけお前ら(日蓮の教えを受容する全ての教団)に拠って
低下されてきたことか。
517 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/08(木) 23:42:17 ID:AEh0YtGe
蟷螂の鎌振り狂ふ致命王 さらに甲斐なく駆除さるるなり
>>516 日蓮大聖人は、自分の智恵を信じなかったです。
ただ、経巻のとおりの法難がおこったことで、自身が久遠元初の仏である、と悟りました。
ですからあなたは何も知らないのにめちゃくちゃなことを話している、と見えます。
>>518 「九死に一生を得る」というのは、凡人・仏に関わらず誰にでもある場合がある。
じっさい私がそうでした。
だからと逝って、私は久遠元初の仏とは勘違いはしない。
ようは、勘違いするか?しないか?の違いです。
まあ、随分いろいろ経験しました。
そのお陰でいろいろな方と縁をもちましたけど。
(これは癌末末期患者たちです)
あと、筋ジストロフィーの疑いあり。で、検査入院したことがありますが、
これもいろんな経験をしましたね。
貴重な経験でした。
まさに結果的には「九死に一生を得た」ことになる。
が、しかし、
私はなにも仏教にコジツケテ「九死に一生を得た」。というふうには全く認識しておりません。
たまたま生き永らえた。だけのことですし、
いつか死ぬことには皆同等ですから。
>自身が久遠元初の仏である、と悟りました。
これは日蓮の慢心というべきであり、
だいたい、この発想自体が民衆を冒涜するものである。
520 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/09(金) 11:37:55 ID:fs9V62z8
このスレは「出禁サイコパス外道」、ホッケ基地外題目ファッショ末端構成員や 銭ゲバアブク餓鬼という足切り底辺壁蝨どもの発言出来る場ではない。 即刻退下を命ず。
縁起を見る者は、行為(業)とその報い(異熟)を正しく知っている。(スッタニパータ653)
種子から発芽し、やがて樹木となって果実をつけ、それが熟するように、
善悪の行為が熟して苦楽の結果をもたらす、と。
>>481 「アッタサーリニー」というと、パーリ仏教の業説について詳しいようですが、
どうりで佐々木氏には「業」に関する著書が2冊もあったわけですね。
その1冊を読んだことがありますが、文体がとてもユニークだったな、という覚えがあります。
>遅々として
相撲の心技体ではないですが、心の欲するものと対象との時期が合っていないのかも知れません。
仏教を学び始めた頃、『仏教要語の基礎知識』を一字一句ないがしろにせず、むさぼるように
読んだものですが、いま、それを繰り返せるだろうかと考えると、集中力が続くかどうか。
(つづき) 私は一冊の本を書けるくらいに、いろんな人と語ちりました。 で、感じたことは「人は生死の狭間にいると次第に余計なことは考えなくなる」。 これは殆どの人の共通点です。 ゴルフの好きな、ある末期患者が最期のゴルフを楽しんで、そして病棟に帰ってきてから そのまま亡くなった人がおりましたけど、 あれは既に悟っていたのかと思います。 外出すると生命が危険なことは本人は分っておったのですから。 あと、 末期患者が「あの世」のことを心配するのか? という疑問があるかもしれません。 そういうことは全くないですね。 心配するのは健康の証左です。 まあ、一度死に際に直面するといいかもしれません。 業報輪廻とか輪廻転生とかの観念も吹き飛びます。
>>523 氏も戯言吐かさなくなったら悟っておろう
525 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/09(金) 19:49:23 ID:fs9V62z8
戯言と、妄語虚言という無間業は全く相違する故、混同せぬよう。
526 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 20:49:46 ID:+t6AGnSw
と断見者が偉そうに言ってる。にゃはは!
<二諦の原語>
paramArtha-satya 最上義の真理
loka-saMvRti-satya 世-俗の真理 (パ sammuti-sacca)
vyavahAra 俗事, 慣用語 (パ vohAra)
<以上の3語は、中論24から>
パ sacca-sammatA 格言
聖俗両方を真理とする中論の立場は、
>>389 の、
「真実を見る人」が「A」と考えることは道理ではない
「凡人」が「A」と考えることは道理だ
の立場とは質的に、根本的に変化しているように思えます。
このことは「縁起」という語、「空」という語にも、前から感じていたことですが、
中観派と原始仏教では、微妙に概念の間で定義がずれていると思います。
528 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 22:04:10 ID:9iTEvi2F
>>519 日蓮は理法ではなく、名称に執着しその間違いを知ることがなかったのですね。
スッタニパータ
648 世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。
649 (姓名は、かりに付けられたものにすぎないということを)知らない人々にとっては、誤った偏見が長い間ひそんでいる。知らない人々はわれらに告げていう、『生れによってバラモンなのである』と。
650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。
529 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 22:17:01 ID:9iTEvi2F
>>528 元を正せば天台と言うアホダラが元凶なんですね。このアホダラは、題目に仰々しい意味をつけているのです。
それにしても、理法にほど遠いことをよくも虚言できたものだと思います。
竜樹は八宗の祖とされていますから、理法は明らかになっていたのに。
やはり、天台は仏教を、換言すれば、竜樹をよく理解していなかったといわなければならないと思います。
530 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 22:20:22 ID:9iTEvi2F
>>519 それにしても、机さんの忍耐力には感心しますね。
531 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 22:58:46 ID:EQhA5DaM
もう一回張っとく 177 :名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 12:48:40 ID:ccRcG8L1 わが国の宗祖たち(空海、最澄、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍など)にとってはパーリ語なんて 知識ゼロ、シナで強烈変態させられた大乗ブッダしか知らない。 いわゆる天台智の教判も経典成立の歴史展開について、まったく誤まった前提に立っていたのだ。 そのシナ仏教の誤まった前提を輸入したわが国の全ての大乗仏教の大前提も誤まっていることはいうまでもない。 誤りは正すのが当然だ。ところがわが大乗仏教は誤まったまま平気で今日走っている。衰退の道を。 坊主は、生きている人間に向かって生きた日本語でブッダの教えを説かず、 死んだ仏壇や墓に向かって「漢訳」経を読経するというナンセンスな光景を 無批判に繰り広げている。 パーリ三蔵の経・律蔵を明晰にして始めてゴータマ・ブッダに出会えるのだ。 このスレの存在意義もここにある。
532 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 23:24:22 ID:EQhA5DaM
天台智がキチンとインドの現地調査もせず、妄想のなかででっち上げた空想物語=ウソを前提に 我が大乗『仏教』=空想教が成立している。中国で大変態させられた『仏教』しか知らないんだから、 気の毒だが、ウソを教えられた民衆へはどー責任をとるんだ? 天台はどーすんだ?天台指向の日蓮はどーすんだ?法華経=妄想馬鹿インチキ空想経を信じるかあ? さらに、教師の握り締めた秘密などないとブッダは言っておられるのに、 『世尊拈華』話をでっち上げ権威付ける禅宗連中も、目くそ鼻くそだな。
533 :
名無しさん@3周年 :2007/03/09(金) 23:41:12 ID:+t6AGnSw
あらら、で上座部は現在、多くの結果を出しているのでしょうか?
534 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 00:14:50 ID:Nsj/sFny
ごろごろとw。
535 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 00:22:25 ID:b0JH6/5Y
そうかな、アルハットは数えるほどと聞いてますが。
>>532 >さらに、教師の握り締めた秘密などないとブッダは言っておられるのに、
そのとおり。
もともと仏教というのは理法というものはなくて、
一応は「俗諦の理法」として部派仏教が仏教を発展させていった。
この脈絡は大乗においても然りです。
例えば
>>527 の
>paramArtha-satya 最上義の真理
>loka-saMvRti-satya 世-俗の真理 (パ sammuti-sacca)
これにしても、「仮設としての真理」の意味であり、真理ではない。
このことは
>>528 にも書いてある。
>スッタニパータ
>648 世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。
>(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。
この「かりに設けられた」の部分です。
つまり、こういうコンセンサスがありませんと、
勝義諦への悟入は至難かと思いますね。
537 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/10(土) 11:05:58 ID:f+flSpfV
>>521 > 文体がとてもユニークだったな、という覚えがあります。
重厚とも晦渋ともいえるその文体は、どちらかといえば苦手の部類に入ります。新書版の『業の思想』
も読み難かった印象があります。
> 心の欲するものと対象との時期が合っていないのかも知れません。
なるほど、機が熟していないのかも知れません。寝かしておいて折に触れて読み込んで行くのも一つの
手かなと思います。
538 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 15:01:01 ID:Nsj/sFny
>>531 >シナで強烈変態させられた大乗ブッダしか知らない。
これは少し間違いである。大乗経典の中に、「無量義経」というものがある。
この中に、未だ40年間真実を説いていない「未見真実」という文言があるのだ。
これが天台を狂わせているのだ。この経典は偽書といわれている。その由縁は解らないが、
意味内容からしてこれは偽書であると断じることができる。この書は法華経の為に、造られている。
これを作った人は、法華経がよく理解できず、更に、仏教をよく理解していなかった為に、未見真実の文言を
挿入したものと判じられるんだ。大乗経典だけを知っている学者でも、大乗経典をよく読んで理解すれば、
未見真実の文言が偽りで、あることを観ぬけるところだ。しかし、原始経典をも知り、大乗経典をも知り、
相すれば一相この未見真実の文言が偽って挿入され、それは法華経につなぐためのものであったことが理解できると思う。
この未見真実の文言を基準にすると天台の教相判釈を生み出すことになる。それにしても、大乗経典の何処に
真実の教説を段階を踏んで展開している証拠があるというのか、無いのである。
天台はこの教相判釈を当時の仏教者達を相手に論争し、自分で勝った勝ったと誇って居たのであるが、それを日蓮は踏襲しているのである。
天台の論争の相手方が沢山居たのであるから、大乗が中国でまったく曲解されてしまったわけではない。
日本においても、空海等は、天台の系ではないし、天台の系であってもそこから離脱した法然、親鸞など
天台の間違いから免れているといわなければならないだろう。
いずれにしても法華経は般若教群の一つである。また、原始経典から少しも外れるものではない。
縁起と空の理法が大事なのであって、どの仏様が説こうが、その仏様がどの様に空中に上ったり幻覚を生じさせたり、
そのような事象は縁起と空の理法からもたらされる副産物である。
539 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 15:49:54 ID:tI1etgNV
是諸罪衆生とは、業煩悩衆生を指して是の諸の罪の衆生と名づくるに非ず。 正に権教・権門の行者を指して是諸罪衆生と名づくる也。 何には、四十余年の所説は皆是れ未顕真実にして嘘妄方便の経々にして此の 嘘妄の説は咸く是れ罪の法なり。 此れ罪の法を行ずる故に罪衆也。故に無量義経に云く、以方便力四十余年未 顕真実云々。行敏会通卅七(卅一ヲウ)に云く、未顕真実とは妄語の異名也 云々。
540 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 16:13:28 ID:Nsj/sFny
>>539 これは日蓮の教説だろう?これは仏教を知らないから、こんな大胆な間違いをするのだ。
これに基づいて、方便品の解釈もトンデモ無いものニするのだ。日蓮の間違いはすごく
解りやすい。日蓮を捨てましょう。
日蓮は、一念三千の法を天台からパクッテ、題目だけがオリジナリティーですね。
542 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 16:22:05 ID:Nsj/sFny
>>539 >権教・権門
日蓮はしきりに権教・権門などといって貶します。それでは、権教の特徴となるところを
引用し、これが権教の権教たる所以のところであると論証してください。
単に権教。権門などと言って居るだけじゃないですか?
543 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 16:38:56 ID:Nsj/sFny
そうすると日蓮の信じたのは、偽書である無量義教であり、その中の、「未顕真実」という文言なのであるといわなければならない。 日蓮がどうして法華経の行者であろうか!
544 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 16:45:02 ID:Nsj/sFny
日蓮は偽書の偽りの文言を信じ、真実の正法:仏教を誹謗中傷するものとなっているのです。 末法の悪魔であり、蒙古来襲も日蓮のような正法を誹謗中傷するものが出てきたからであると言えないでしょうか?
545 :
名無しさん@3周年 :2007/03/10(土) 17:15:40 ID:Nsj/sFny
こんな張氏で平和憲法をもトンデモ無い解釈をし、隣国で何十万人という人が飢え死にしているのに、 有り余りその始末に困っている食物を、飢えている人にやるくらいなら焼却した方が良いなどという論法が発生するのではないでしょうか? 拉致されている人を無視するわけではないが、その人達は小人数であり、虐待される為に拉致されている事実も無いのです。 日蓮を信奉する創価が政権の座に居ることは、このような憲法違反の政治の原因になっていると言えると思うのです。 錯乱し物事の是非をも出来ない様になって居ることは、政治に限りません。創価日蓮教徒の非行は極限に達して居ます。
>>527 の追加と敷衍
パ loka-vohAra 世間の言語習慣
【空】
原始仏教
講堂が、「牛に於いては空っぽ」だが、比丘に於いては空っぽではない。
中観派
諸法は、「(常住不変で単一主宰の)自性がない」、という意味で、空と名づける。
説一切有部などの自性実有論を前提にしている。
【縁起】
原始仏教
基本的には、時間的な因果関係を指していると思われる。
〔しかし、中観派では、定型句「此有故彼有。此起故彼起。」で、因となる「此」が、
文法的に於格・従格の2つの形である点(前者が因果が同処、後者が異処になる)を
根拠に、前者から相対関係と受け取ったようだ。〕
中観派
相対関係(大小、父子、など)で生滅する。語「涅槃」などもこの意味で捉えている節がある。
定型句の解釈から出発している点、及び、束蘆の譬喩に基づくようだが、
阿含経にはこれしか例がないらしい点、また、言語上の関係と事物の関係を
同一視している点(これが最も大きな疑問点)が、いささか不審だ。
547 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 03:43:13 ID:Z8tOjWGp
>>543 自分でこけてしまった。日蓮は法華経が真実であると言うのです。
それ以前のものが虚妄方便の教えであると言うのです。
そこで、法華経とそれ以前の教の違いを言ってくれと言って居るのです。
私は違いは無い、と思っているのです。
>>547 >日蓮は法華経が真実であると言うのです。
日蓮にとっては真実かもしれないけど、万民すべてに真実というのは有り得ない。
つまり、真実とか真理とかいう普遍性なるものが実在している訳ではない。
もし仮に真実というのが普遍性として実在していたとすると、
それは真実ではなくる。
つまり、虚偽なき真実は有得んのです。→相対としての概念に過ぎない
ですから、もし真実とおっさるなら仮設として真実。という他は有得んし、
ということは・・・
真実そのものは俗諦でしかない。→
>>536 参照
この範疇の話であり、
もし未顕真実なるものが実在しておるなら(仮に)
この俗諦より解脱せにゃあかんかと思いますね。
これがつまりは釈尊本懐ですから。
549 :
芥川賞審査委員会ワースト課 :2007/03/11(日) 09:18:28 ID:Hu+Wj4iq
法華経の創作者と天台智さんに共同で芥川賞を差し上げたいのですが・・ もちろん、アマチュア空想宗教小説集としてです。 ノンフィクション賞ではありません。 SFの筒井康隆さんにはとうてい及ばないんですが、 後世、健全な批判精神の足りない方々に、珍妙どたばた劇を演じさせる力量は秀逸。
550 :
芥川賞審査委員会ワースト課 :2007/03/11(日) 09:27:49 ID:Hu+Wj4iq
ついでに、維摩経の作者にも共同で受賞していただきます。 最後のシーンの、あの冗舌だった維摩さんが突然黙り込んでしまう あのクサイ演技がたまらなく笑えると評判です。 昔はああいう感覚でもありがたがる人が多かったんですねえ。
551 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 10:09:18 ID:Z8tOjWGp
>>550 ユイマの沈黙に付いては、空の実体を表す解答であるとの解釈が一般じゃなかったか?
552 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 10:25:46 ID:Z8tOjWGp
三乗と言うのは大乗の専売特許化と思っていたら、原始経典にしっかりと有るようののだ。
ここまで意味ある内容を伴ってあれば、翻訳の問題ではないでしょうね。
http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htm 施分別経(四〜五)について述べよ
四 そして、アーナンダよ、個人に対する布施には、十四のものがあるのだ。
如来・応供・正等覚者に対して布施をすること、これが第一の個人に対する布施である。
辟支仏に対して布施をすること、これが第二の個人に対する布施である。
如来の弟子である阿羅漢に対して布施をすること、これが第三の個人に対する布施である。
阿羅漢果を現証する途上にある者に対して布施をすること、これが第四の個人に対する布施である。
553 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 10:27:23 ID:Z8tOjWGp
三乗と言うのは大乗の専売特許化と思っていたら、原始経典にしっかりと有るようののだ。
ここまで意味ある内容を伴ってあれば、翻訳の問題ではないでしょうね。
http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htm 施分別経(四〜五)について述べよ
四 そして、アーナンダよ、個人に対する布施には、十四のものがあるのだ。
如来・応供・正等覚者に対して布施をすること、これが第一の個人に対する布施である。
辟支仏に対して布施をすること、これが第二の個人に対する布施である。
如来の弟子である阿羅漢に対して布施をすること、これが第三の個人に対する布施である。
阿羅漢果を現証する途上にある者に対して布施をすること、これが第四の個人に対する布施である。
554 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 10:36:52 ID:ShybEDwN
>ID:Z8tOjWGp スレ違いの駄弁を垂れ流した挙げ句、目にするも穢らわしいオウム文書を貼り付けるとは。 汝はカルトの工作員か? 卑賎臭穢の下衆は即刻退去せよ。
555 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 10:45:31 ID:Z8tOjWGp
>>548 >もし未顕真実なるものが実在しておるなら(仮に)
この俗諦より解脱せにゃあかんかと思いますね。
これがつまりは釈尊本懐ですから。
仮にじゃなくて、このとおりだと思います。
>>555 >仮にじゃなくて、このとおりだと思います。
「このとおり」な訳はないですね。
わたくしが書きました文体をよく読んで下さい。
>>もし未顕真実なるものが実在しておるなら(仮に)
未だ顕されず真実が「実在」しようがないです。
つまり、言葉のマジックとして「引っ掛け」が仏典などにはよくあります。
愚者はこの方便の譬えまで本気に信じ込みますが、
論理矛盾というのは仏典にもよくあることです。
(この意味は月射す指で、あえて矛盾性を表出させたものも多数ある)
愚者と覚者の違いというのは、この矛盾に気が付くか?そうじゃないか?
が先ず一歩です。
557 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 11:14:46 ID:Z8tOjWGp
>>556 >未だ顕されず真実が「実在」しようがないです。
上の日本語が解らない、もっと説明を。
>>557 未顕ですから「未だ顕されていない」という意味で、
つまり真実というのはないけど、将来において真実があるやもしれん。
という希望的観測を「未顕真実」という。
つまり「今は真実というのはない」訳です。
ならば「今、真実というのが実在している訳ではない」。
こういう意味なんですね。
未顕真実というのは、つまり観念論になりますから、
それ自体は妄想になります。
今に真実がなくて、将来に真実が生起する訳はない。
559 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 11:46:52 ID:Z8tOjWGp
>>554 仏教とは真理の教えと言う意味である。真理であればすべて仏教なのである。
真理の教えであるもんを原始の真理、現代の真理と区分できないのである。
真理に付いて原始、大乗と問題にするものは真理に敵対するものである。
お前は隠れ日蓮ではないのか?悪魔で無いのか?
>仏教とは真理の教えと言う意味である。 花が紅いのも、花に魅せられて蝶が集まるのも、真理も贋物もないですね。 真理とか贋物とかは識別作用の範疇であり、これを法という訳ではない。 あくまでも俗諦における真理でしかない。
561 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 12:09:21 ID:ShybEDwN
>ID:Z8tOjWGp 盲滅法に真理真理と喚くところが如何にもオウム臭い(冷笑)。オウムを却下駆除すれば隠れ日蓮だと(失笑)? 「出禁サイコパス外道」並に生き恥を晒すだけだからもう人前には出て来るな。スレ違いの汚穢よ。
562 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 12:10:17 ID:Hu+Wj4iq
>>559 >隠れ日蓮ではないのか?悪魔で無いのか?
これだけでおまえの正体がわかる。頭悪過ぎwwwwwwww
<さて死んだのは誰なのか> (池田晶子 墓碑銘)
563 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 12:18:34 ID:Z8tOjWGp
>>558 >つまり真実というのはないけど、将来において真実があるやもしれん。
という希望的観測を「未顕真実」という。
な〜るほど、相言う意味ですか?相しますと、無量義経において、釈尊は、
未顕真実といったと言うのですが、将来において真実が明らかになるやも知れないと、
言う程度のことを言ったのでしょうか?所が釈尊は真実を体得して居るという
のです。相しますと、真実を知っている人が、将来において真実が明らかになるやも知れないといったのですから、
明らかにおかしいですよね。ここにおいても、無龍義経は偽の経典であると言われる由縁があるというべきでしょうね。
>>563 >釈尊は、未顕真実といったと言うのですが
釈尊がそんなこと言う訳はないですね。
釈尊は悟ってますから。
やはり仏教の本懐というのは、悟る他ないかと思います。
人間には寿命というのがありますから、
生きているうちに悟らねば、仏縁の意味もない。
悟らぬうちは、モノゴトの真贋というのは分らんもんです。
真贋を付けるのを仏眼とか慧眼とか言います。
つまり俗諦にてどうか真贋見極めの智慧を会得して下さい。
565 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 12:40:56 ID:ShybEDwN
スレ違いの上、支離滅裂の基地外駄法螺排泄は余所でやれ。
566 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 13:07:56 ID:Z8tOjWGp
567 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 15:07:42 ID:Hu+Wj4iq
ウダーナ冒頭 『まことに熱意をこめて思惟する聖者に かの万法のあらわとなれるとき かれの疑惑はことごとく消え去れり 縁起の法を知れるがゆえなり』 仏教の本質は、これに尽きているだろう。 現代の仏教徒なら誰でも知っているこの超有名な詩句を前にしてもなを、 知らんくせに『未顕真実』とほざくかあ?アホか! そもそも、釈尊の肉声に最も近い原始仏典が日本に入ってきたのは 明治以降だ。宗祖たちは全員が読んではいない、未知なのだ。 知らない事を真実の如く語る詐欺的な漫画状況がここにある。 裸の王様だな。 まるでモリエールの喜劇だ。馬鹿馬鹿しい。
568 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 15:17:46 ID:Hu+Wj4iq
宗祖たちは明白に間違いを犯す普通の人間であったというだけさ。 日蓮の排他的独善性を棚上げしても、こいつも仏でもなんでもなくて、 単なる裸の妄想人間にしか過ぎぬことは客観的に明らかではないか。 ほとんど天皇は神なのか人間なのかという問いとおなじくナンセンスなのだ。
569 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 15:19:55 ID:ShybEDwN
>>567 漢訳にパラレル有り。
五分律卷第十五(彌沙塞)
T22n1421_p0102c21(07)?於是起到鬱?羅聚落。始得佛道坐林樹下。
T22n1421_p0102c22(07)?初夜逆順觀十二因縁。縁是故有是縁滅則是滅。
T22n1421_p0102c23(04)?
T22n1421_p0102c24(20)?
T22n1421_p0102c25(35)?所謂無明縁行行縁識識縁名色名色縁六入六入縁觸觸縁受受縁愛愛縁取取縁有有縁生生縁老死憂悲苦惱。
T22n1421_p0102c26(06)?若無明滅則行滅。行滅則識滅。識滅則名色滅。
T22n1421_p0102c27(05)?名色滅則六入滅。六入滅則觸滅。觸滅則受滅。
T22n1421_p0102c28(04)?受滅則愛滅。愛滅則取滅。取滅則有滅。有滅則生滅。
T22n1421_p0102c29(01)?生滅則老死憂悲苦惱皆滅。
T22n1421_p0103a01(07)?見此義已即説偈言。
T22n1421_p0103a02(00)? 生縁法皆爾 梵志初始禪
T22n1421_p0103a03(00)? 既知此縁法 能除一切疑
T22n1421_p0103a04(00)? 生縁法皆爾 梵志初始禪
T22n1421_p0103a05(00)? 既知此縁法 能除一切苦
T22n1421_p0103a06(00)? 生縁法皆爾 梵志初始禪
T22n1421_p0103a07(00)? 破魔之闇冥 如日昇虚空
>>566 仏典の、ある一文がその人の運命を左右するかもしれんし、
その人だけに留まらず、周囲の人にまで波及することもある。→これが厄介
えてして仏典が全ての民衆に良果をもたらす訳でもなく、
むしろ仏典に全く縁がない方が健全な場合もある。
発菩提心は、それぞれその動機は人皆違う。
(むしろ菩提心もなく健全な生活してる人の方が多い)
自己の求める問いに答えを導き出せたなら、それでいい訳です。
(それ以上なものはない訳ですから)
自分の問うているのは、果たして何なのか?
ということです。
問うていることが分らんでは、答えは導き出せる訳はない。
572 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 16:59:37 ID:juZifynh
>>572 私が既に、そういうことは書いておきました。
>>571 のとおりです。
よくよく私の文意を受け止めること肝要なり。
>問うていることが分らんでは、答えは導き出せる訳はない。
これ↑です。
574 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 17:20:53 ID:juZifynh
>>572 本人に聞いたら?
みんなが思ってることだけどw
576 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 18:06:08 ID:ShybEDwN
新手の壁蝨汚穢は差し当たっての駆除処理対象。 最底辺の文盲まで涌いて居るようだ(蔑嗤)。
>>576 その発言が、>>1で禁止されている撒き餌になってることが判らんのかな?w
自己矛盾乙w
578 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 19:26:59 ID:ShybEDwN
虫喰い外道壁蝨は端から無視黙殺の対象。 わざわざ脊椎反射して手を挙げるテイノー自己言及乙(冷笑)。
579 :
名無しさん@3周年 :2007/03/11(日) 22:17:40 ID:jKi7NVFB
しかし、汚いカキコだな。
>>578 意味は通じるのでどうでもいいことだが、「脊髄反射」が正しい。
>>578 >虫喰い外道壁蝨は端から無視黙殺の対象
アホ自身が無視黙殺できずにカキコ。
しかも、
>わざわざ脊椎反射して手を挙げるテイノー自己言及
と、自己分析(電波と同じ、名は体をあらわす)
582 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/11(日) 23:45:14 ID:ShybEDwN
視界から消去抹殺しているモノに一瞥も呉れてやらないし、 新規の壁蝨汚穢掃討については>>1で何ら言及していない。 底辺文盲は恥を千載万劫に晒せばいいのだ(蔑嗤)。
583 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 00:00:49 ID:jKi7NVFB
汚いカキコの君が恥ずかしいだけなんだが
584 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 00:12:40 ID:3+v6Ek24
汚穢壁蝨どもををそのまま鏡に映してやっているだけだがね(冷笑)。
585 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 00:14:23 ID:NrWtL66N
いやいや自分の心を映す鏡でしょ、言葉は。
586 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 00:33:14 ID:3+v6Ek24
鏡に映る己が醜穢の姿に耐えられぬ、汚穢壁蝨が性懲りもなく涌いて出ることで(蔑嗤)。
587 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 06:39:34 ID:lAdNKGFJ
苦行の目的は苦しむことではない ジャイナ教では苦行の成就者以外が食を放棄することを禁じる この表現は正確ではない 苦行を成就すれば食う必要性そのものがなくなるからである ゴータマは苦行の成就に失敗した 落伍者である 敗者である ジャイナ教とは「勝者の教え」である 佛教は敗者の教えである マハーヴィーラ、ゴータマ、両者とも悟りを得たと考えられる
>>587 インドの食文化は、カースト制と深い繋がりがあります。
例えば、カースト上位クラスの者が宴を設けますと
参加者以上の分の料理が作られます。
当然、宴が終了すれば料理は残る訳でありますが、その料理を回収する専門業者がいます。
専門業者は、残飯を市で売るわけですが、
これは料理としてはハイクラスなものとして高値で取引される。
もちろん、貧乏人には買えないので、買うのはカーストの中堅どころです。
カースト下位の者は残飯でも食えないわけで・・・
じつは、生きることと食うことは切り離せない問題でありまして、
仏教のテーゼである四苦にしても、一応は「食う」ことがテーゼの前程であります。
こんなことはアタリマエなことなんですが、
じつは、こういうアタリマエなことに逝きつく訳なんです。
590 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 07:58:13 ID:lAdNKGFJ
仏教は無我をとなえる、すなわちアートマンを否定 ウパニシャドはアートマンを想定 よって、両者は相反する立場である という考えは誤謬である なぜなら、ブラフマーとアートマンの融合の境地は、すなわち無我の境地だからである
>590 >なぜなら、ブラフマーとアートマンの融合の境地は、 普通は、こんなことは考えないし、 もし、こういうことを提唱している教団があったとしたらカルトです。 (アレフなどが考えそうなこと) >すなわち無我の境地だからである 無我の境地というのは、世界観がないことですね。
592 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 10:32:59 ID:lAdNKGFJ
ウパニシャド哲学では、宇宙の根本真理・根本原理が存在すると考えます。 これを「ブラフマン」といいます。 これを中国で漢訳したのが「梵(ぼん)」という言葉です。 宇宙の根本真理「ブラフマン」をつかもうとわれわれはどこかを探すのですが、考えてみれば「私」も宇宙の中の一部です。 宇宙に根本原理があるならば、「私」も宇宙の一部なんだから、「私」の中にも宇宙の根本原理が宿っているはずなんです。 どこか遠いところに真理があるのではなく、自分の中に真理はある。 この「私」の中の真理を「アートマン」といいます。 教科書では「個人の根本原理」と書いています。 漢訳では「我(が)」。 私の中に「アートマン」=「我」があって、それが「ブラフマン」=「梵」と究極的には同じモノであるとウパニシャド哲学は教えます。 これを「梵我一如(ぼんがいちにょ)」とう。
593 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 10:34:31 ID:lAdNKGFJ
誰もが自分の中にアートマンを持っているわけですがそれが簡単には自覚することができない。 なぜかというといろいろな物質や欲望によって心が曇っているからです。 だから、何らかの修行によって心の曇りを取り払い、自分の中に「アートマン」を見つけだしたらどうなるかというと、 それは「ブラフマン」と同じなわけですから、二つは一体化する。 一体であることを「私」が理解する。 その瞬間に「私」は「宇宙」と一体となるわけね。 一体となるということは、言い方を変えると自分が消えるということです。
黙ってトイレ掃除です。非梵非我
595 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 11:07:16 ID:lAdNKGFJ
無我の境地に達した人はもはや、新日本製鐵のことなど気にならないと思います
>>592 >考えてみれば「私」も宇宙の中の一部です。
そぉなんですね。随分いいことに気が付きました。
>「私」も宇宙の一部なんだから、「私」の中にも宇宙の根本原理が宿っているはずなんです。
ここに矛盾があるんです。
つまり、全て根本原理であるならば、もはや根本原理そのものの意は消失します。
何故ならば、対象化されなくば根本原理には成りえない。
と、こういうことなんですよ。
(果たして私の論理は分るであろうか?)
簡単に説明いたしますと、全てのあらゆる女が美人ならば、
もはや美人はおらんのです。
何故ならば、対象化されなくば美人には成りえない。
こういうことなんです。
簡単に言いますと。
597 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 11:12:03 ID:jyaYOv5z
勝手な寝言=形而上的言辞は誰でも言える。言論思想は自由だし、簡単な事だ。 だったら、経験的に実証してみろよwwww 形而上的言辞やフィクション=創作物語を「事実」と主張するところに 悲劇が生じる。人類という生命スタイルはその愚を繰り返してきた。 ヒンドゥーはじめフィクションを事実と主張する「信仰」宗教は 全て落第だ。 ブッダの実存的経験主義存在論だけが、上記の批判を免れうる。
598 :
597 :2007/03/12(月) 11:18:51 ID:jyaYOv5z
597は
>>592 >>593 へのレス。
ブッダの問題意識は生老病死の苦からの解脱=涅槃寂静だ。
この目的に資さない言辞は相手にするなということは、
まともな仏教徒なら判っているはず。
599 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 11:29:46 ID:lAdNKGFJ
>>596 そのように論理を摩り替えて自己正当化ばかりしているから、いつまでたっても新日本製鐵が気になって気になってしょうがないのです
>>599 いや、どうも恐れ入ります。
ちなみに私は株式の売買は殆どやりません。
多少の株式は持っていても安定株主です。
私の存命中には、この株式も全部処分しようかと考えておりますが、
とりあえずは日本経済の行く末を鑑みまして、
まだ処分するには早計かと、
かように思うております。
601 :
597&598 :2007/03/12(月) 11:46:43 ID:jyaYOv5z
>>599 5401新日鐵とN225先物の動向をチェックしているのは俺様さwww
鉄は国家なり、賢者のお遊戯に皮肉っぽい小物めいたイチャモンをつけるな、馬鹿め。
602 :
597&598 :2007/03/12(月) 11:53:40 ID:jyaYOv5z
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 【天才】池田晶子・17【問題発言】 [哲学] デイトレーダーが集うスレ81 [株式] 【5401】新日本製鐵【目指せ4ケタ】 [市況1] 【5401】新日本製鐵【とりあえず上場来高値】 [市況1] 【5401】新日本製鐵Part17【NY急落関係ナシ!】 [市況1] これって、全部俺じゃん、まいったなwwwwwww
>>599 >そのように論理を摩り替えて
念のために書き込みしますが、わたしは論理の摩り替えはしていない。
根本原理というのがあるなら、それは客観性において成立つ原理だろうし、
客観性のない原理など、あろうはずがない。
こんなことは、仏教というより常識の範疇だろうし、
こういうことまで分らんのかな?
というのが、
正直な感想です。
もっとも、論理学というのは、ある意味こういう矛盾において成立つものである。
というのも実際のとこなんだが・・・
604 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 13:01:27 ID:lAdNKGFJ
諸行無常・諸法無我・一切皆空というのは、根本が無いということではないですか? 梵我一如の境地は、ブラフマーとアートマンという根本が同時に消滅した瞬間だと思います 仏教もウパニシャドも、導き方は違うが言っていることは同じに思えます
605 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 13:37:23 ID:DAD1FkF4
>ID:lAdNKGFJ 言い古された不当&虚構前提を持ち出す馬鹿がまた現れた(失笑)。
606 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 15:47:04 ID:lAdNKGFJ
阿呆陀羅經さんはよく笑いますね 瀬戸内寂聴さんのファンですか(爆笑)
607 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 16:04:15 ID:DAD1FkF4
外道馬鹿は空笑いの末に脳天爆裂死のようだな(嗤笑)。
>>604 >梵我一如の境地は、ブラフマーとアートマンという根本が同時に消滅した瞬間だと思います
そもそも、ブラフマーとかアートマンとかいう意味は、
人がイメージ化して作りだしたものです。
例えばですが、二次元のアニメ美少女というのは、人の限りない美の追求として誕生しました。
眼ん玉が限りなく大きくて足は牛蒡のように細長い。
イメージ化されたものはイメージ化された範疇だけの世界です。
覚者と凡人の違いは、この分別が付くか?付かないか?
の違いですね。
609 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 16:37:20 ID:lAdNKGFJ
アニメを見て、もし悟れるとしたなら、それはそれで結構なことではありませぬか? 魂は不滅だということを信じて、苦が減少するとしたなら、それはそれで結構なことではありませぬか?
>>609 >魂は不滅だということを信じて、苦が減少するとしたなら、それはそれで結構なことではありませぬか?
方丈記の鴨長明みたいに、庵において個人的に信仰するなら問題はないんですよ。
しかしながら長明にように、そこまで信仰を高めるのが自信がない人が多いので、
たいがいは何らしかの教団とかに入団する人が多い。
(つまり人間というのは、それだけ弱い存在である。とも言える)
何処かしこのセクトに入ってからが、実は問題になってくる。
私はカルトバスターとして、この問題に真っ向から対峙します。
611 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 18:13:52 ID:Lt3QRCn1
>>609 梵我一如と言うとシャンカラですか?
ちょっとシャンカラをググッて見たのですが、究極の真理真実として「空」と説いているようですが、
どうして空なのかに付いて、仏教のように、縁起の理法を説いていないみたいですが、
縁起を説けば、受容できますが、縁起を説かないで、空と言うのは他にどんな説明をしているのでしょうか?
またシャンカラとは日本ではそれ程有名ではありませんが、やはり、縁起を説いていないから日本人に理解されないのではないのでしょうか?
612 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 18:16:47 ID:DAD1FkF4
ヴェーダーンタ≠原始佛教
613 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 19:51:25 ID:9at+7UTO
?
>>597 >だったら、経験的に実証してみろよwwww
あなたは涅槃寂静を経験的に実証されたわけですね。
615 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 20:34:41 ID:lAdNKGFJ
ヤージュニャヴァルキヤ、あらず、あらず
>>587 > ジャイナ教では苦行の成就者以外が食を放棄することを禁じる
それ、おかしくありませんか。いつの時代からの規定ですか。
教祖ヴァルダマーナの両親は、「苦行の成就者」でもないのに、自らの意志で餓死したそうですが。
また、ジナ(勝者)とは仏の異名の一つでもあって、(煩悩に)打ち勝った人、ということ。
梵天勧請でも「英雄、戦に勝利した人」と言われています。
617 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 21:10:59 ID:Lt3QRCn1
しかし、自殺でも餓死と言う方法は悪くないんじゃないw。
618 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 21:12:15 ID:Lt3QRCn1
>>604 >>609 >魂は不滅
アートマンという霊魂不滅の本体が人間に内在している、という主張を
原始仏教では否定しました。人間を構成する五蘊の各々について、
色はアートマンでない、受はアートマンでない、等々と否定してゆきます。
このように、アートマンが内在している、という立場を否定するところが、
他のインド諸宗教と仏教との、根本的な相違点です。
シャンカラのマーヤー(幻)も、一見、仏教の「空」に似ていますが、
あくまでも、アートマンの内在を説くウパニシャッドを所依とする
ヴェーダーンタ派の中の考え方です。
620 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 21:57:53 ID:Lt3QRCn1
>>619 >ヤージュニャヴァルキヤと言うのはシャンカラのことでしょう?
シャンカラは何故「あらず、あらず」と否定し、その根拠は何ですか、という質問です。
619はその解答ではないでしょう?
621 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 22:40:31 ID:K25OeYP7
危篤馬鹿は、調べもの一つ出来ぬらしい(嗤笑)。
622 :
名無しさん@3周年 :2007/03/12(月) 23:01:46 ID:NrWtL66N
自分はできるつもりで、他を貶すのも心の鏡
623 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/12(月) 23:39:11 ID:3+v6Ek24
鏡に映る己の醜穢の姿に毒づく破落戸がまた涌いた(蔑嗤)。
>>619 よく見たら、まともなのも、いるじゃん!
>>624 生まれ代わりの主体である魂は神の創造の4界全てにアプローチできるから
物質界の視点のみで正確に表現するのは無理じゃないかと思うよ。
光を纏っているという表現も出来るけど、光の塊っていう言い方もできるから。
光そのものでは形がない。
627 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 07:12:49 ID:IIV7xe4R
マハーヴィーラは餓死したわけではありません ブリザリアンは餓死しません 衰弱死です 現在でもジャイナ教徒のヒラ・ラタン・マネク氏が水だけで元気に生きています
>>624 >個人的には、「すべての真実において、生まれ変わりの主体の存在をを証明し得るものは何一つない。」と、解釈したい。
長い人類の歴史において、最初から「生まれ変わり」の思想があった訳ではなく、
誰かが「生まれ変わり」を想像した人がいて、
それを発端として「生まれ変わり」の思想が定着して逝った。
ということを前程としなければならない。
仏教は、その「生まれ変わり」の観念が生起する以前の主客未分へ透過することにおいて、
その思想そのものの本性にまで直覚するを本義とし、
これもって「生まれ変わり」そのもの思想自体が俗諦となりまして、
真諦はこの二項には依らないわけです。
ですから、先ず大事なのは基礎をしっかり習得するのが大事です。
そこからでないと真諦までは辿り付けんのです。
629 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 07:38:07 ID:IIV7xe4R
「生まれ変わり」を想像し、苦しみ、たとえば新日本製鐵の株価が気になって気になってしょうがない、 ことから逃れられれば、それはそれでいいじゃないですか? 真諦までは辿り付こうとは思っているんだけど、苦しみ、たとえば新日本製鐵の株価が気になって気になってしょうがないんであれば、 それは悲しいことじゃないですか?
630 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 08:52:34 ID:4bP6UetY
坐水月道場 修空華万行 これで調っておりますが、何か問題でも?
>苦しみ、たとえば新日本製鐵の株価が気になって気になってしょうがないんであれば、 それは悲しいことじゃないですか? 悲しいとは限らないんじゃないでしょうか? 大手銀行のディーラーなどは、新日鐵の株価を気にするから仕事として高給が保障されていますし、 1500マンから2000マンくらいの年収はあるんじゃないでしょうか? まあ、どっちかと言いますと、 悲しい。というか、 リッチ。という方が正解かもしれませんね。 こればかりは、私が推測するのも無粋というべきなんでしょうけど、 他人の生活までは、本当のところは計り知れないですね。
632 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 08:56:16 ID:bpYg5KFI
http://enlighten.fc2web.com/ss32.htm?s32.htm%3E01 執着があれば、それに酔わされて、ものの姿をよく見ることができない。執着を離れると、ものの姿をよく知るこ とができる。だから、執着を離れた心に、ものはかえって生きてくる。
悲しみがあれば喜びがあり、喜びがあれば悲しみがある。 悲しみも喜びも超え、善も悪も超え、はじめてとらわれがなくなる。
まだこない未来にあこがれて、とりこし苦労をしたり、過ぎ去った日の影を追って悔いていれば、刈り取られた葦[あし]のように痩[や]せしぼむ。
633 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 09:15:59 ID:4bP6UetY
おたくら浅いね 執着を客観視して、それを楽しみ、笑い飛ばせばいいんだよ。 病む時は、病むがよろしく早漏 死ぬときは、死ぬがよろしく早漏(良寛) 糸瓜咲いて *なんで「咲き」ではないんだ? 痰のつまりし 仏かな (正岡子規 辞世) みなさん調えておられますが、なにか問題でも?
634 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 09:19:49 ID:4bP6UetY
死ぬときは、笑って死のうよ、ね。
635 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 09:33:00 ID:4bP6UetY
だから、笑って生きようよ、ね。
636 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 09:45:35 ID:4bP6UetY
>>614 >あなたは涅槃寂静を経験的に実証されたわけですね。
そんなこたー知らん。経験した事がない人間が、これが涅槃だなどと
どうして実証できるんだ?勝手な思い込みかもしらんやないか。
そんな観念に執着はない。そんなんから離れろや。
>>633 「痰(たん)一斗 糸瓜の水も 間に合はず」
「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」
「をととひの へちまの水も 取らざりき」
辞世の三句ですね。
「咲く」では、へちまと自分との関係が切れてしまう。
死の床にあって、自然との命の結びつきを実感した子規は、
痰の詰まった自分とへちまの花をひとつのものとして仏と表現した。
だから「咲いて」と置いて仏に繋げた。
俺ならまず間違いなく「咲く」としていたところ。
平凡と非凡の違いかな。
>>636 >勝手な寝言を言いたければ経験的に実証しろ。
>涅槃寂静に資さない言辞は相手にするな。
>経験した事がない人間が、これが涅槃だなどとどうして実証できるんだ?
わたしは、あなたが涅槃寂静が寝言でないことを、
既に経験的に実証されておられると思って質問いたしました。
では、涅槃寂静を経験的に実証されておられないのに、
涅槃寂静を経験的実証以外の方法で主張されるのですか?
それでは涅槃寂静が寝言だと、あなた自身が主張しているように聞こえます。
また、経験的に実証されない涅槃寂静に資するか否かをどのように判定なされておられるのですか?
>>633 「咲き」だと、まだ継続しているニュアンスが感じられる。「咲きつつ」のような。
「咲いて」だと、「咲く」が完了した次の段階のニュアンスが感じられる。「咲いて何々して」と。
字余りにすることで、ここで一旦切れている感じが表される。
−−季語の糸瓜(へちま)は、つまらないもの、また咳止め薬でもある。
華麗に咲いたことどもも、今となっては糸瓜の花の如きものよなあ。
痰の詰まった仏というも又風情があろう。
諦念というか達観というか、いわゆる仏道成就の悟りではないが、
死への覚悟のほどを示したものだろう。
また、糸瓜・痰詰まり仏ということで、諧謔味をも出している。
640 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 11:18:23 ID:bpYg5KFI
1.わたしをののしった、わたしを笑った、わたしを打ったと思う者には、怨[うら]みは鎮[しず]まることがない。 怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。
641 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 11:19:11 ID:bpYg5KFI
心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。 怨みを抱く人のなすことよりも、かたきのなす悪よりも、この心は、人に悪事をなす。
わたしをののしった者はののしれ。 わたしを笑った者を笑え。 わたしを打ったと思う者に打ち返せ。 怨[うら]みは晴らすことによってしか鎮[しず]まることがない。 怨みは忘れることによって鎮まらない。また思い出すからである。 怨みを晴らして、はじめて怨みは鎮まる。
643 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 13:17:17 ID:IIV7xe4R
仏典を逆手にとって、 楽して金儲けして何が悪い? ギャンブルして何が悪い? 女遊びして何が悪い? って人が多いようですね 最後は笑い飛ばせば笑ったもの勝ちなんですか? そういう人は最終的に、人を殺して何が悪い?とニヤリと笑うんでしょうね カルトバスターとか言ってご満悦のようですが、あなた自体がカルトなんじゃないですか?
心のなかで悪事をなした者は、実際に悪事をなした者よりも罪が重い。 心のなかで悪事をなした者は、そのことを忘れるからである。 心のなかで悪事をなした者は、そのことを忘れあたかも善人であるかのようにふるまう。
645 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/13(火) 15:28:52 ID:r5PM9G1h
雑魚どもは、昔あった分相応の談話室スレでも建て直して薄甘ポピュリズムを称揚しながら“仲良く” 駄弁を並べておればいい。 こ こ は 厨 房 の 雑 談 室 で は な い。
>>643 大手のディーリングルームになりますと、24時間休むことなく稼動してます。
つまりディーラーというのは、簡単に言いましたらプロのギャンブラーのことでして
勝負事の好きな人じゃないと務まりませんし、
また逆に言うたら、そういう勝負師がおるから世界経済は動いて逝ける訳です。
これは良いか、悪いかの問題ではなくて経済システムがそういうふうになってるんです。
大事なのは、そのシステムのお陰で今晩の夕食の刺身も食べられる。
好むと、好まざるに関わらず、そういうシステムにおいてしか今の自分は生きられない。
という、現実があります。
つまり、現実であることと・・・
そうでないことと・・・
それを明確に分別することが、今においては大事なことです。
カルトというのは、この後者に入ります。
これが議論をする上での大前提になります。
本論は、それからです。
<カルトバスター・机龍之介>
647 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 15:56:54 ID:eGNNz6yo
特技:難しい漢字を使える 性格:怒ってばかり 好きな言葉:笑 最終学歴:三流大学 中身:なし
電波バスターひろしアホ 仏教オタクらしい唯我独尊ブリですね。
649 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 16:03:55 ID:+ltJMaZC
特技:トリビアルで一貫性のない知識 性格:貪欲、瞋恚、愚痴そのもの 好きな言葉:キチガイ、バカ、アホなどの罵倒語 最終学歴:三流大学 中身:エロ・とっちゃんボーヤ
650 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/13(火) 16:39:38 ID:r5PM9G1h
>>643 因果撥無の無間業常習外道によって為されぬ悪はありませんな。
こやつらは“三世三界悉皆悪趣”の断善根なのです。
651 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 17:07:12 ID:IIV7xe4R
>これは良いか、悪いかの問題ではなくて経済システムがそういうふうになってるんです。 >大事なのは、そのシステムのお陰で今晩の夕食の刺身も食べられる。 >好むと、好まざるに関わらず、そういうシステムにおいてしか今の自分は生きられない。 >という、現実があります。 その経済システムにのっとり、郵政は民営化され、アメリカやユダヤに根こそぎ持っていかれるわけです 好むと、好まざるに関わらず、嬉しそうにお刺身を食べている間にです という、現実があります さて、どうしたらいいのでしょう? さあみんな、救済活動を行なおう!みたいなのは無しですよ
652 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/13(火) 17:16:14 ID:r5PM9G1h
>ID:IIV7xe4R
スレ違いゴミは却下。テンプレと
>>243 を読み、アタマ冷やして出直しのこと。
>>651 >さて、どうしたらいいのでしょう?
刺身を食えばいいんじゃないでしょうか?
>さあみんな、救済活動を行なおう!みたいなのは無しですよ
ユダヤに何か持っていかれるのが、何故あなたは心配なのですか?
ようは心配なのが問題であり
持っていかれるのは、その二義的なもんです。
そこのところを充分に問うこと肝要です。
池田昌子とか正岡子規が余計な心配はせんだったでしょうに。
まあ、こういうところは先達に学ぶべきですね。
話はそれからです。
654 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 18:54:40 ID:IIV7xe4R
私は持っていかれるような財産がありませんが、世の中、住みにくくなるのは間違いないでしょう 働けど働けど楽にならない日本人が増えるでしょう 今だって十分そうだと思うけど・・ なんせあいつらは戦争のドサクサに紛れて人々の財産を根こそぎ持っていくからな ワーテルローの戦いで、どんだけ大儲けしたか しょうもない株主どもは根こそぎやられるんだよ 池田昌子? 知らぬが仏?
655 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 20:13:47 ID:f8Bmv7XN
>>647 アホダラにはもう一切触れない様にした方が良い。アホダラはもう少しで精神病院に行くだろう。
放置。
656 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 20:48:56 ID:bpYg5KFI
スレ主があらし、すごいスレだ。
657 :
636 :2007/03/13(火) 21:05:55 ID:4bP6UetY
>>638 >>643 誰の主張かを含め揚げ足取り的自己中捻じ曲げ編集を相手に論ずるに値せず。
黒く描いて黒さを批判する手合いに付き合う暇はない。
生死事大、無常迅速。
答えは
>>597 >>598 及び
>>630 ,>>633-
>>636 を素直に読めばマトモなら解る。
よって、却下。
>>637 >>639 ありがとう。勉強になりました。正岡子規の墓をよめばずいぶん茶目っ気のある人で、
達観した諧謔精神と受け止めていました。
>>656 スレ主以外が全員アラシって見方もあるだろ?
時に、アホダラ経のアホダラ経は聞けないのか?
ドグラマグラのアホダラ経は好きだから、かなり楽しみなんだが。
659 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 21:35:45 ID:f8Bmv7XN
そのアホダラの知見が聞けないんだな。他人のこき下ろしばかりじゃないか。 スレ違いと抗議するのは、ダイナミックに発展するものを引きとめる作用をするのだ。
660 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 21:41:35 ID:IIV7xe4R
どうして簡単なことを言うのに糞難しい漢字や横文字を使うのかなあ? それって女子高生が大人にわからないような言葉を使って喜んでるのと同じじゃないの?
661 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 21:43:00 ID:f8Bmv7XN
リテラシーかW。ルサンチマンかw。パラレルかW。
662 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/13(火) 21:48:33 ID:TGN0+MqP
癲狂院の檻籠の中から喚き声が・・・(嗤笑)。
663 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 21:51:45 ID:f8Bmv7XN
ま、アホダラはこのスレを卒業しているというのがベターじゃないの?
664 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 21:54:37 ID:f8Bmv7XN
――――――――来た―――――――――――― 無・・・・死
665 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 22:04:50 ID:IIV7xe4R
また難しい漢字かよ ピーターフランクルもビックリだ
666 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/13(火) 22:14:36 ID:TGN0+MqP
「字引w」一つ使えぬ文盲には、知見も何も読めはしない(失笑)。 字引の使用法を習得して出直すように。
667 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 22:31:22 ID:bpYg5KFI
テラワーダ協会の和訳
慈経より
http://www.j-theravada.net/sutta/Metta_Suttam.html どんな場合でも、ひとを欺(あざむ)いたり、
軽(かろ)んじたりしてはいけません。
怒鳴ったり、腹を立てたり、
お互いにひとの苦しみを望んではいけません。
あたかも母が、たった一人の我が子を、
命がけで守るように、
そのように全ての生命に対しても、
無量の [慈しみの] 心を育てることです。
慈しみの心を、一切世間(すべての生命)に対して
限りなく育てることです。
上に、下に、横(周り)に[棲む如何なる生命に対して] も、
わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てることです。
668 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 22:33:12 ID:IIV7xe4R
女子高生の隠語を調べる価値があるかどうかが問題だ
669 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 22:35:10 ID:uCxM7EN8
>>658 ドグラマグラで四十業処の不浄観を思い出した。
これは煩悩の強い人向けって話だが、保護者なしでやりだすと危なそう。
>>659 要は、シュリハンドクが、払子(ほっす)で
「塵を払ひ給へー、浄め給へー」ってことじゃ?
地検は
>>1 過去ログの4あたりに出てるけどね。
670 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 22:58:16 ID:f8Bmv7XN
671 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 23:23:33 ID:4bP6UetY
君たちは阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ を誤解しているよ。 彼はひたすら仏教を楽しみたいんだ、知りたいんだ。菩提心は別だ。 それに難しい漢字が大好き。 漢字マニア+仏教趣味者=阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ だから、(阿含経典中心の)漢訳仏典中心のマニアックな議論がなされる事が 彼の当然の前提となっている。 ところが、このところ本来あるべき原始仏典中心のマニアックな議論ではなく 腐りきった大乗系の与太話か、トレーディング話ばかり。 欲求不満なんだよ。たまってんだよ。仏教漢字を射精したいのに射精できない狂おしさ! 判ってやれよ。 このスレは、あくまで阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ がメインだ。
672 :
名無しさん@3周年 :2007/03/13(火) 23:50:13 ID:f8Bmv7XN
>>671 >このスレは、あくまで阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ がメインだ。
無視。スレを私物化してるだけ。真面目誠実ではない。
何よりも見解が無い。放置。
673 :
名無しさん@3周年 :2007/03/14(水) 00:33:56 ID:xX60Mswx
本来あるべき原始仏典中心のマニアックな議論ではなく 腐りきった大乗系の与太話か あの人の弟子? まったく
マニアックもいいが、小難しい原始仏教は嫌だな・・・。 釈尊の言葉が、 もっと素朴に、ストレートに胸に響いてくるようであってほしい・・・。 その意味でいくと、このスレタイは、看板に偽りありだなw
675 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/14(水) 00:53:52 ID:oGHXd+HJ
菩提心は破落戸最後の隠れ家。 ここは足切り底辺文盲風情が来られる場ではない。
676 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/14(水) 00:56:11 ID:oGHXd+HJ
>>674 はいはい、厨房談話室スレでも再建してせいぜい薄甘ポピュリズムで馴れ合ってなさい(嗤笑)。
677 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/14(水) 01:10:54 ID:oGHXd+HJ
チューラパンタカ(周梨般特)説話の詳細 T23n1442_p0794a23(13)?根本説一切有部毘奈耶卷第三十一 T23n1442_p0796c28(01)?爾時世尊。便喚愚路授兩句法。我拂塵我除垢。 T23n1442_p0796c29(00)?此亦不能隨言記憶。 T23n1442_p0797a01(09)?世尊見已知其障重教令除滅。告愚路曰。 T23n1442_p0797a02(10)?汝能與諸?芻拂拭鞋履不。白佛言能。汝今宜去為諸?芻拂拭鞋履。 T23n1442_p0797a03(00)?即既奉教而作。諸?芻不許。 T23n1442_p0797a04(05)?佛言汝等勿遮。欲令此人除去業障。其兩句法汝等應教。 T23n1442_p0797a05(00)?時諸?芻令拂鞋履教兩句法。 T23n1442_p0797a06(05)?愚路精勤常誦此法。積功不已遂得通利。 T23n1442_p0797a07(06)?時愚路?芻便於後夜時作如是念。世尊令我誦兩句法。 T23n1442_p0797a08(01)?我拂塵我除垢者。此之字句。其義云何。 T23n1442_p0797a09(03)?塵垢有二。一内二外。此之法言。為表於内為表外耶。 T23n1442_p0797a10(00)?為是直詮為是密説。作是思惟忽然啓悟。 T23n1442_p0797a11(01)?善根發起業障消除。曾所不學三妙伽他。 T23n1442_p0797a12(02)?即於此時從心顯現。 T23n1442_p0797a13(00)? 此塵是欲非土塵 密説此欲為土塵 T23n1442_p0797a14(00)? 智者能除此欲染 非是無慚放逸人 T23n1442_p0797a15(00)? 此塵是瞋非土塵 密説此瞋為土塵 T23n1442_p0797a16(00)? 智者能除此瞋恚 非是無慚放逸人 T23n1442_p0797a17(00)? 此塵是癡非土塵 密説此癡為土塵 T23n1442_p0797a18(00)? 智者能除此癡毒 非是無慚放逸人 T23n1442_p0797a19(00)?爾時愚路憶此頌義。如理修行?除三毒。 T23n1442_p0797a20(01)?勤勇無怠斷諸煩惱。於須臾頃證阿羅漢果。
678 :
名無しさん@3周年 :2007/03/14(水) 07:06:36 ID:u//e5/S/
すいませんが
>>677 を平易な日本語に訳していただけませんか?
>>654 >なんせあいつらは戦争のドサクサに紛れて人々の財産を根こそぎ持っていくからな
「持っていくからな」とは、つまり持って逝かれちゃった?後のことですね。→(過去)
「現実」というのともまた違います。
(お気づきでしょうか?)
>>633 の正岡子規、辞世句を参考にされたし。
>糸瓜咲いて
>痰のつまりし
>仏かな
これは「おお!!今ここに糸瓜の花が咲いておるではないか」。という
今の瞬間の心象を表したものかと思いますね。
「咲く」という過去のニュアンスではなく「咲いておる」。
この違いです。
現実というのは現在のことでして、それを観ずる。
これを現観。縁起の現観などと言うたりします。
龍樹がいう「往くものは往かず、去るものは去らず」。
も、つまりはこの現観のことを言うております。
680 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/14(水) 10:10:55 ID:oGHXd+HJ
>>678 図書館等へ行き、当該箇所の和訳読み下しを国訳一切經等で読むかコピーする。→解りにくい語句や字句は訳註や
辞書やグロッサリーを参照して調査学習する。←最低限これくらいの努力は惜しまず読み遂げる。
上記を怠ると“出禁サイコパス外道”の如き為体に早晩陥る。
681 :
名無しさん@3周年 :2007/03/14(水) 10:20:32 ID:rbOPXwTZ
おろかなるものも おのれ愚かなりと思うは 彼 これによりて また かしこきなり おろかなるに おのれかしこしと思うは 彼こそ まこと おろかと いわるべし
682 :
名無しさん@3周年 :2007/03/14(水) 10:22:45 ID:rbOPXwTZ
茗荷が喰いてーなあ
>>680 677に
>T23n1442_p0794a23(13)?根本説一切有部毘奈耶卷第三十一
と貼り付けがしてありますから、おおよそは書いてある内容は分ります。
で、説一切有部から唯識の流れ以外が外道。
とするところが根本的な我見固執かと思いますね。
時間がとれたので、『国訳一切経』『国訳大蔵経』が利用できない人のために現代語訳を試みました。 利用できる人は、是非、そちらも参照してください。また、三毒などの語句は辞典で調べることをお勧めします。 その時、ブッダがパンタカを呼んで2句からなる法を授けた。「私は塵を払い、私は垢を除こう」 これさえも言葉のとおりには覚えられなかった。 ブッダはそのことを見終わって、彼の障害が重いことを知り、その障害を除き去らせようとして、 パンタカに告げて言った。「あなたはビクたちの履き物を拭き浄められますか」 パンタカはブッダに申し上げた「できます」 ブッダ「それでは、行ってビクたちのために履き物を拭き浄めなさい」 パンタカは教えのごとくに行った。ビクたちは許さなかった。 ブッダが言った「あなたがたは、さえぎってはいけません。この人に障害を除去させたいのです。 あの2句の法を、あなたたちも教えなさい」 そこでビクたちは履き物を拭き浄めさせながら2句の法を教えた。 パンタカは勤め励んで、常にこの法をとなえた。功を積んでやまず、ついに覚えることができた。 あるときパンタカは未明にこう考えた。「世尊は私に2句の法をとなえさせた。 『私は塵を払い、私は垢を除こう』この字句の意味はなんだろうか。塵垢には2つある。 一つ目は内側の心の塵垢、二つ目は外側の塵垢。この法の言葉は内側を表しているのか、外側だろうか。 これは直接そのままの言葉なのか、深い意味があるのか。こう考えているうちに忽然として悟った。 善根を生じて障害が消え除かれた。 そして、かつて学んだことのない3節からなる妙なる詩が、この時、心から現れ出した。 この塵は欲望であり土塵ではない 密説にはこの欲望を土塵とよぶ 智者はこの欲染を除くことができる 慚愧なき放逸の人ではない この塵は怒りあり土塵ではない 密説にはこの怒りを土塵とよぶ 智者はこの瞋恚を除くことができる 慚愧なき放逸の人ではない この塵は愚かさであり土塵ではない 密説にはこの愚かさを土塵とよぶ 智者はこの癡毒を除くことができる 慚愧なき放逸の人ではない そして、パンタカはこの詩を覚え、さだめの通りに修行し三毒を除いた。 勤めて怠らずに煩悩を断ち切り、またたく間に悟れる者となった。
686 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/14(水) 13:16:14 ID:g8okP6WE
>>685 懇切簡明な現代語訳ありがとうございます。
佛語に含意される密説(→密意)についての「如理作意」の重要性を
説く、興味の尽きぬ説話と思います。
687 :
678 :2007/03/14(水) 14:31:38 ID:u//e5/S/
ありがとうございます
>>639 >「咲き」だと、まだ継続しているニュアンスが感じられる。「咲きつつ」のような。
>「咲いて」だと、「咲く」が完了した次の段階のニュアンスが感じられる。「咲いて何々して」と。
>字余りにすることで、ここで一旦切れている感じが表される。
う〜ん、なる程。
そういうことも言えますね。
「咲いて」ってのは、語句じたいが美しいですね。
句全体が「咲いて」で際立つ。
そこが作家(プロ)の所以なんでしょうけど、
実に素晴らしい句です。
糸瓜咲いて 仏 山頭火ならこんな感じ。
203 :主婦だが何か ◆wdTAiK13ns :2007/03/10(土) 01:59:46 ID:aSOyDNtL
真面目な話
>>195 >MLという塹壕前に
MLメンバが女ばかりだというのは知ってる。
しかし、こういうバスタ原理主義者は、他のMLメンバにとっても疎ましい存在なんじゃないのかな と推測。
あまりに感情的過ぎる。
主婦だが何か ◆wdTAiK13ns :2007/03/10(土) 01:47:37 ID:aSOyDNtL
以下は、私に私怨のMLの1名らしき発言の列挙 まぁあいまいなサーチだがね。
バスタが主婦と馴れ合いをした事自体が許せないという気持が共通
バスタは主婦を転がしているんだと力説、
バスタに盾突く主婦、思い知ったか ここら辺が顕著なレスね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
へ〜女ばっかりなんだ。
さんたな、とわ、すが、はるな この4人の中の誰かが
他のメールメンバにとって疎ましい存在ってか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・誤爆しました。 めんご。
692 :
名無しさん@3周年 :2007/03/14(水) 22:57:53 ID:rbOPXwTZ
ん〜〜〜〜〜〜、なんとなく自分の中で 良寛ー漱石ー子規ー兆民が近しくなったような。 これに山頭火が加わり「人に物を貰うコツは、相手を呑み込むことだ」などと言うと、 そーとーな不良グループですなあ、怖ろしや。 俺も早いこと中年不良に、なろ。
「キサーゴータミー説話の系譜」
ttp://www.takamatsu-u.ac.jp/nlibrary/kiyo/no34/no34akamatsu.pdf 長尾雅人氏が『世界の名著 2 大乗仏典』22ページで、
ブッダによる対機説法(1)・応病与薬(2)の例として、チューラ・パンタカと共にとり上げている、
幼子を失った母親キサー・ゴータミーの物語が全文、和訳され、詳しく紹介されています。
そのハイライトとも言える部分から、
'tumhe kira me puttassa bhesajjaM jAnAtha bhante' ti.
あなた様は私の息子のための薬を知っておられるということですが、尊者よ、と。
'Ama jAnAmI' ti.
そのとおり、知っています、と。
注1 たいき せっぽう。相手の状態に合わせて、ふさわしく法を説くこと。
注2 おうびょう よやく。病気の種類に応じて、薬を選び与えること。
子規の句は、開放された無限の広がりを感じます。 これは糸瓜の句にしても、薔薇の句にしても同様です。 子規は病床の身でありましたから、たぶん子規の世界(仏教でいう一切)は 庭先が全てだったのかと推測する。 この狭い庭先において、子規は無限なる大宇宙を顕現していたのですね。 それは句を拝すれば分ります。 これは殆ど茶道の茶禅一味の世界です。 風雅というんでしょうか? 病床の身でありながら、凡人にはなかなかこの域にまでは達っせられんですね。 こういう生き方を菩薩道と言うんですね。 つまり人を救済するとか、余計なことを考えなくても、 その生き方そのものが民衆を救済していることになる。 <慈悲喜捨>
695 :
名無しさん@3周年 :2007/03/15(木) 07:42:36 ID:AFAEPSyr
>>689 >糸瓜咲いて 仏
いいですね、南無仏。
696 :
695 :2007/03/15(木) 07:59:00 ID:AFAEPSyr
。
697 :
名無しさん@3周年 :2007/03/15(木) 12:19:53 ID:fg7OHSg2
経済活動は僕たちに林檎やお刺身を届けてくれる、とーてもいいものだよ、 と信じ、株式ゲームに没頭する自己を正当化し、 そんな偏狭な世界を大宇宙と勘違いしている愚か者がいる 197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、 198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。 199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
698 :
695 :2007/03/15(木) 13:05:00 ID:AFAEPSyr
>>697 m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
捻じ曲げ揚げ足取り理解能力ゼロの貧瞋痴まみれは カコワルー !! ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ・・
おいらはもう、おまいを呑み込んでいらー
妙地に達した者には、197〜199も縁起であり、美しくもその精密さは驚異に満ちていると感じる。
なんら肉体は忌避すべきものではない。
曲がり根性の無明が独善でイチャモンをつけるな、馬鹿め。
699 :
695 :2007/03/15(木) 13:16:22 ID:AFAEPSyr
お馬鹿のために、念のため追加 なんら肉体は忌避すべきものではない。+もちろん、執着すべきものでもない。
>>697 >そんな偏狭な世界を大宇宙と勘違いしている愚か者がいる
あはは、
面白いことを言いますね。
愚か者がおるから、仏典など歴史的に大量に編纂されて、
人はその解釈に日夜アタマを悩ませるんじゃないでしょうか?
もうスレも(その22)まできたんだし、
このへんでそろそろ止めようか。とか思った瞬間に、人は呪縛から開放される。
背反することにおいて人は真に目覚めたりもする。
仏道とは、この道程に過ぎない。
仏道といふ道はあらずして、それは軌跡だけが残るだけである。by道元
701 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/15(木) 13:29:13 ID:UR+Aak5f
“出禁サイコパス”やアブク餓鬼、その他能無し厨房どもは
>>683 で案内されてる分相応の
専用スレへ退下のこと。
702 :
名無しさん@3周年 :2007/03/15(木) 14:14:39 ID:dRT+/lec
確かに原始仏教談話室の方がレヴェルも高くドキュンもいない。
704 :
名無しさん@3周年 :2007/03/15(木) 15:47:33 ID:fg7OHSg2
705 :
名無しさん@3周年 :2007/03/15(木) 16:08:47 ID:fg7OHSg2
>>700 しゃべればいいってもんじゃないよ by田原総一郎
>>705 いやいや、私はスレ主が
>>677 にコピペしたから、その流れで書き込みしとるんですよ。
677の主旨というのは不可思議のことですね。
つまり思議を越える(不思議)。
そのテーゼによる
>>700 です。
『中論』の「相互依存関係としての縁起」という発想は、言われているような、空・無自性・縁起 という三段階を経て出て来た、ということではなく、有部などの「自性」説がまずあったわけだが、 それを受けて『般若経』では「空」と直観し、方や『中論』では自性の定義上のひび割れにくさびを 打ち込み、その無効化を図った、という事情なのではなかろうか。 自性の持つべき「自主独立性」に、対立概念である「相互依存性」をぶつけることで、 自性の成立根拠を失わせようとした。 ここで、縁起を表す「此有故彼有」※の「故」を相互依存性(相互観待)と【読み替える】ことで、 「縁起」と相依性を結び付けた。 本来、縁起という語を持ち出さなくても相依性だけで自性説は崩せたはず。 自性 <-> 空 <-> 相待/縁起 -> 無自性 注* 「これ有るが故にかれ有り」 此有故(imasmiM sati、有りつつある此れに【因って->於いて】)、彼有(idaM hoti、これが 有る/成る) 甲がある【場に於いて】乙もある -> 「長」がある処に「短」がある -> 「子」がある処に「父」がある 誤解しやすい点だが、「父・子」などは言葉/役割レベルの話であって、 存在自体を指しているのではない。意味論上の差異に注意。 これを、たとえば、長嶋一茂がいるから長嶋茂雄がいる、と理解すると、 訳の分からない空論、空回りになってしまう。 そうではなくて、子(=長嶋一茂)がいるから父(=長嶋茂雄)とする、と理解すべき。
中観派の陥りやすいこと 大小・長短など相対思考の習慣で、常に対立概念を想定してしまうこと。 二項対立で物事を捉えがちになること。 龍樹が本来意図したのは、こういう対立項の想起を止滅させることと思われる。 「有なり」と唱える者に対して「無なり」と唱え返すのではなく、ただ「有に非ず」と述べる。 また、「無なり」と唱える者に対しては「有なり」と唱え返すのでもなく、ただ「無に非ず」と。 有無の二辺、つまり両極端を離れた中道。 中観派の限界、あるいは特殊事情 部派仏教の洗礼を受けているため、部派仏教の中での、その一部の批判になっている。 多くは部派仏教から受け継いでいて、全体の基調は部派仏教のものである。 用語も原始仏教のもの(無我など)でなく、部派仏教のもの(自性や縁起の4説の1つなど)を多用している。
709 :
名無しさん@3周年 :2007/03/16(金) 00:21:17 ID:HOx9LkW6
違うね
710 :
名無しさん@3周年 :2007/03/16(金) 06:31:06 ID:WYraedMP
>>708 >多くは部派仏教から受け継いでいて、全体の基調は部派仏教のものである。
用語も原始仏教のもの(無我など)でなく、部派仏教のもの(自性や縁起の4説の1つなど)を多用している。
それは必然でしょうね。そして部派仏教の間違いを告発しているのでしょう?
欲を言えば、部派仏教を根底にしている資料をもみたいところですがね。
参考になりました。
>>708 >中観派の限界、あるいは特殊事情
中観派の限界という訳ではなくて言語の限界なんですね。
例えば「生起する」という言語表記にすれば、じゃあその主語は?
となれば、どんな言語を使おうがそれは二項対立になる。
言語の特殊性があります。
つまり「生起」にしても、それは俗諦としての論法であり、
論法上の生起である。ということが先ず念頭にありませんと
中論解釈は中途半端に終ってしまう。
仮設と丁寧に念をおしてるんですから。
もともと中論というのは部派仏教におけるアンチの論法であり、
論法に意味があるんで、
例えば今後、龍樹以外の学僧が新たな論法を開拓するかもしれん。→殆ど無理ですが
しかしながら言語には限界がある。
というのは、なんとしても避けられない。
>>706 参照
712 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/16(金) 09:27:57 ID:uPPd6N0u
713 :
名無しさん@3周年 :2007/03/16(金) 10:30:23 ID:MwIXnRn/
>>712 にーちゃん、玉でーへんぞ。もっかいやり直せ。
>>712 >佛教認識論ひいては言語論について何らかの示唆が与えられそうなので購入。
「示唆が与えられ」る訳ではないんです。
自らが感得するもんです。
子規の最期に、たまたま糸瓜が咲いていた。
糸瓜でも薔薇でも言語にさしたる意味はなく、
季節的に糸瓜であった。ということです。→これが季語になる
糸瓜を通して子規の心象世界を共有することにその本義がある。
本義とは、糸瓜や薔薇から与えられるもんではない。
(ここが大事)
自らが悟らねばなるまい。
>>706 参照
715 :
名無しさん@3周年 :2007/03/16(金) 11:22:19 ID:HOx9LkW6
バカだな、認知言語学やるんだったら、辻の2辞典を手にレイコフ、ラネカー、山梨あたりを読むべき。 そういった基本的知識なしにこんな本読んでもなにも分からない。 格と態の認知言語学―構文と動詞の意味 (単行本) 二枝 美津子 (著) 君や電波のやり方は、いつもそうだ些末な知識を適当に仕入れて誤解と倶に垂れ流してく、 そして誤解が指摘されると無理筋で、ゴネまくって相手が呆れると勝利宣言な。
>>711 で触れられている「俗諦」という用法についてですが、
岸根敏幸「チャンドラキールティの二真理説」によれば、
> 二真理説(satyadvayavada)は、ナーガールジュナが提示し、
> その後の中観思想家たちがとりわけ重視した学説である。
> もともと、ナーガールジュナ以前にも存在し、かつ、
> 説一切有部や唯識学派などでも使用されているが、
> バーヴィヴェーカはこれを、中観学派の独自の学説として強調する。
というように、二諦説は説一切有部で使われたようですが、原始仏典にその根拠はありますか?
もし
>>389 の経典記述のようなものしかないとすると、世俗「諦」・世俗「真理」とするのには
無理がある、というか、両者の間に微妙な評価の転換が起こっていて、
原始仏教の文脈で考えるときには避けた方がよいのではないか、と思えますが。
>>716 二諦説というのは、論法上において便宜的に使われるものでして、
体系として確立したのが龍樹かと思いますね。
スッタニパータなどを読んでみると、二諦という思想が垣間見える。
が、しかし、普通に読むのは意味不明です。
で、二諦説という下敷きにおいて解釈すると、意味が容易に解釈できる。
般若心経もそうです。
真諦も俗諦も真理という訳ではなく、論理構成上においての分別であるが、
本来は分別はない。
色即是空。
718 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/16(金) 15:12:53 ID:z9XLEzbR
ほう、買い物が破落戸の癇に障ったと見える(冷笑)。
(つづき) >真諦も俗諦も真理という訳ではなく、 言語とは主客相対において成立つ概念である。 例えば「春には桜が咲く」。というのは果たして真理なのか? それとも虚偽なのか? というと、それはなにも言語に当て嵌める必要はない訳で、もし定義とするなら真諦ではなくなる。 真諦とはつまり主客未分なのである。 俗諦における真理とは、 個別性を形成する構成要素における共通性(普遍性)を相対とした一辺である。 つまり、人類が培ってきた経験上におけるノウハウの最大公約数として言語の概念となり、 人類の歴史とともにその語意も変化する(言語は生きているともいう) 人類は、ある程度のコンセンサスにおいて言語を日常において使うだけである。
721 :
心と宗教と名無しさん :2007/03/18(日) 11:11:01 ID:RorrXk1F
722 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/18(日) 11:13:53 ID:RorrXk1F
>>707 >本来、縁起という語を持ち出さなくても相依性だけで自性説は崩せたはず。
では「どうして相互依存関係があるのでしょう?」。という場合、それだけでは論法的には未達です。
だから「縁」と「生起」で縁起とする訳です。
でも生起だと論理矛盾はある。
「主体なき生起」ですから「生起にはあらず」。→これが真諦
論法上においての「生起」です。→これが俗諦
とりあえずは縁起という仮設において論理構成をなす。
(論法上においては問題はない。それ以外の論法は考えられない)
生起は、つまりは生滅していることになる。
(光は同時に影がある。の論法です)
つまり、中論は時間系列における生起とは違う。→これが大事
論理整合性はあるにしても、それは俗諦の論理であり、
そもそもが真諦の論理は不可思議です。
724 :
心と宗教と名無しさん :2007/03/18(日) 14:22:16 ID:FsQYWi4a
「わかりません」と正直に認める。→これが真諦 適当に言いつくろって、その場を逃れる。→これが俗諦 色即是空・・・全部わかりません 空即是色・・・わかりません全部 →これが大事
関係性というのは述語であって、主語は「関係性には含まれていない」。→簡単に言えば (主語というのは主体ですから自性の意味になる)→中観は無自性 中観は、この関係性(縁)を第一義として「第一義空」が論法の根幹です。 縁起があるから自己とその対象を分別できる。 (この場合の縁起が空で、分別が色、色即是空) 唯識論のように「先ず識ありき」をこの論法で論破したのが龍樹。 縁起があるから、自己を認識できる。→自己同一性。これが龍樹の論。 (縁起は自己が生起するものでもなく、ましてやその対象が生起するものでもない) これが >「主体なき生起」ですから「生起にはあらず」。→これが真諦 これの意味ですね。
無我であるから、縁において我は生起する。 自性ではないから生起はするがそのまま生滅する。 生起は論法上は実体有となすが、生滅することにおいて実体無となる。 実体有・無にあらずんばこれ中道なり。 (この相が真諦)
727 :
神も仏も名無しさん :2007/03/18(日) 20:57:53 ID:FsQYWi4a
偶然父と母はめぐり合い、私は生まれました なんだかわからないけど、生まれはしたもののそのまま死ぬようです 私が生まれたことは事実のようですが、死ぬことにより私は無になります わたしは存在している、私は存在してない、と考えなければいいわけです ということ?
728 :
神も仏も名無しさん :2007/03/18(日) 22:38:12 ID:sn8Y00ep
すべてが勝手な仮説 ブッダの教えも当然そうだよ。 そんなこと、判ってやってんだろ? 特定点に凝り固まれば簡単だ。 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. のわかった風な二諦説も同じ。 所詮、空念仏ですわ。 だ〜から、なんやねん?・・・・なーんも、ない! 今現実の家庭内暴力を「正常化」できるか? できません。 友人の連帯保証の借金苦による一家離散を「正常化」できるか? できません。 中学・高校の壮絶なイジメをなんとかできるか? できません。 どの国もやった、従軍慰安婦のあるがままを把握できるか? できません。 無力なんです。 が、だからこそ仏教が好きやねん。
729 :
神も仏も名無しさん :2007/03/18(日) 23:43:41 ID:2EZk02nY
>>728 阿呆陀羅さんに言わせれば
「スレ違い」の一言で終わりますねw
彼はそういうことを問題だと認識してないでしょうからwww
730 :
神も仏も名無しさん :2007/03/18(日) 23:59:23 ID:rqH8lIm8
「神も目覚めた人も名無しさん」
731 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/19(月) 00:00:30 ID:I8RkH7wc
蟲喰いサイコパス外道は癲狂院へ、 厨房どもは分相応スレへそれぞれ退去&閉門蟄居のこと(冷笑)。
732 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 01:11:29 ID:4oKAUIFH
そんな醜悪な文字を並べるより、自ら原始仏教を論じたら
>>727 >わたしは存在している、私は存在してない、と考えなければいいわけです
そういうふうに、二項を対立してその整合性を求めるのが論理ということでしょ?
説一切有部は実有論を立ててそういうことをやってきた訳ですから。
でも釈尊の成道における”中道”からすれば、それは少しオカシイんじゃないか?
ってのが中観の考えかたです。→(実有⇔中道、に矛盾)
存在の有無を論理的に解明するのは無意味です。→これが結論
では、なんで無意味なのか?
ってのを体系付けたのが龍樹ですから。
簡単に言うと、言語というのは日常生活に使うためには便利なんですが、
釈尊の成道を語ちるには非常に不便なのです。
で、人間というのは「言語で思考する」訳です。
だからいくら思考してもそれは言語思考の範疇を越せんのですよ。→不可思議
(ここが厄介なのです)
でも、なんとかこの関を越すことは出来ます。
(これが八正道の完成で、釈尊の成道たる本懐です)
「言語」について、暇な時に書き込みします。
734 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 07:45:32 ID:roCrk1cV
[編集] 正語 (samyag-vaac, sammaa-vaacaa) 妄語を離れ、綺語を離れ、両舌を離れ、悪口を離れることである 難しい漢字で悪口ばっかり言う人がいます この人は八正道がてんでできてない悪い人なのですか?
無意識に悪口が出るのと方便で使用するのとはチョト違いそう。 でも他人からみた場合には、その違いは判らない。 故に、迷惑を被らない限り「他人は放っておくのがよろしかろう。」ということに。 唯、悪口の感覚も日常使用による麻痺があるし、快感さえ呼ぶだろうから、常に内観の必要はあるだろうな。
>中学・高校の壮絶なイジメをなんとかできるか? できません。 イジメは連鎖による場合も多く、その根底にはストレスがある。 縁によりイジメが発生しているわけで。 だから個々の八正道が大切ということになるのだと思う。 八正道はキリスト教でも同じ。人の正しい道だあね。 八正道に勤めれば、八正道が身につき、類は友を呼ぶで、同じような人が周りに集まり、 ストレスが軽減し、そのことでより一層八正道を行ない易くなる=幸せになる。 縁ですね。
内観は大切。 自分のがわかることにより他者がわかる。 他者がわかることで、自分と他者の境界線が引ける。 境界線が引ければ、イジメは無くなる。
738 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 09:20:12 ID:IfnLqzyG
>>733 言語という表現手段には、道具として表現機能上の限界がある、そんな簡単な事は
中学生でもわかってらー。
>人間というのは「言語で思考する」訳です。
この把握の仕方がそもそもの間違い。言語で思考しているわけではない。
根本はどろどろ感情を含むイメージなんやなー。
言語は便利で結果的な(あと付けの)整理、表現手段でしかない。
ブッダの伝えたかった事も然り。べつに神秘的な意味なんかあるわけではない。
だから、始めに言葉あり(聖書)とか、人間はロゴスだ(ソクラテス)とかは、間違い。
だからこそ、音、色、動作、味、それらの総合、などを手段とする異なった芸術様式がある。
スタイル=流儀(スーザン・ソンタグ)さ。
日常を含む「真相(真理は理=論理=言語手段としてその一部)」の様相だよ。
>>738 >日常を含む「真相(真理は理=論理=言語手段としてその一部)」の様相だよ。
例えば「真相」にしても、その語義としてならしめる条件というのはある。
何が(客体)何において(主体)において真相である。
というように、対象化(客体)されたものを言語において”名づけた”もの(主体)が真相になる。
これは言語自体がそういう特殊性がある。
という一例です。
私が言うておるのは、そういったある特殊性において、そのベクトルで全てが語ちれる訳ではない。
ということで、
何も神秘的云々の話ではない。
(よく誤解する者が多い)
>真理は理=論理=言語手段
論理の整合性があったにしても、それは俗諦の論理であって、
例えば真諦にすれば意味不明ということにもなる。
(これが厄介なことなんです)
言語においてコミュニケーションを諮るには、語義において最低限のコンセンサス(共通認識)が必要です。 一般的に掲示板において書かれている「論理的に説明しろ」。というのは、 コンセンサスを前程として書き込みしますから、 もちろん誰にでも通じるように書きます。 しかしながら、名称およびその形態は、ほとんど意味がなさない。 あくまでもコミュニケーションの手段に過ぎない。 (これも言語の特殊性です)
(つづき) >何が(客体)何において(主体)において真相である。 第一義空ですと、主客相対は二義でありますから当然この主客論法は俗諦になります。 唯識派における外境云々の話も、とうぜん俗諦の範疇でしかない。 (それが悪い、という意味ではない) 外境が存在するか?しないか?よりも、その思議そのものを越えることが 唯識派の本懐かと思うけどね。 さして二項正邪は意味はありゃらん。
「自分がわかる」ということは、「自分ってわからない」ということが解ると言うことであり、 「他者がわかる」ということも「他者は自分と同様にわからない」ということが解るのであり。 自他同じになり、境界線はその時点で自然に消えるか。 後は、自然のままに。
743 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 18:48:29 ID:t7f1cOSQ
釈尊は待機説法をされたと言う事であるが、その意味は、縁起が見出されない限り、 説法も有り得ないと言う意味ではないだろうか?聞く耳のないものに、ある説法をするのは無意味なのだ。 机さんはどのような縁起があって、言語とかに付いて話しているんだろうか?どのような質問に対する答えなんだ?
>>742 その通りです。なかなかいい書き込みですね。
「わからない」というのは「分らない」の語義が本来の意味です。
>>743 > 机さんはどのような縁起があって、言語とかに付いて話しているんだろうか?どのような質問に対する答えなんだ?
基本的には
>>719 に書いた
>言語とは主客相対において成立つ概念である。
このことですね。
で縁起というのはそもそも主客が縁起する訳じゃないから、このベクトルで「論理・論理」と言うても
殆ど意味のない論法になる。
意味のないことを長らく続けてスレを消費しては遺憾ので、
少々わたしが提言しちょるんです。
746 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 20:05:40 ID:t7f1cOSQ
>>745 >縁起というのはそもそも主客が縁起する訳じゃないから
主客が縁起すると思うけど、どうして縁起しない?
747 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 21:03:53 ID:t7f1cOSQ
つまり主無く客無し、客無ければ主無し、という具合。
縁起というのは関係性のことだから、それがないとそもそも何が客で、 何が主だか分らんかと思うけどね。 例えば、ご飯と貴殿がおったとして、その場合の関係性というのは食うこと。として、 食うという関係性だけ考えれば、 食わなければどちらが主だか、客だか分別はつかんだろう。 味を受ける者(主)とその対象(客) 先ず縁起があって、主客があるわけです。
もうそろそろ寝ますが、何か質問でもありましたら書いてください。 明日ロムります。
750 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 21:20:37 ID:t7f1cOSQ
>>748 縁起と言うのは一般的抽象的表現。
それに当てはまる具体的なものとして、客と主人が縁起関係にある、と言うのでは?
客と主人がお互いに縁起している、相依関係にある、というのです。
751 :
神も仏も名無しさん :2007/03/19(月) 21:22:45 ID:t7f1cOSQ
Ok
>客と主人が縁起関係にある、と言うのでは? この論は、客対と主体が対立する関係であって縁起とは言わない。 唯物論に近い考えだよ。 別にそれが悪い、って言うんじゃないけど、その論法では縁起の解釈は出来ない。 あくまでも「縁起」でしたら、違う理解が必要です。 もっと簡単に説明すれば、人間には眼・鼻・口・耳などが付いているけど、 付いているだけじゃ何の機能もしない。 (この段階においては主体とは言えない)→これは解りますか? 縁に触れ人は五感が関知する。 (この段階において、関知する主体とその対象が明らかになる。→これは解りますか? 何が第一義であって、その属性とは何か? これは仏教理解において重要かつ基本となるものです。 三法印の根幹をなすものです。
753 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/20(火) 07:32:01 ID:l2u8qyLe
矯正見込み皆無の出禁サイコパス外道、足切り厨房、リソース資源を喰い荒らす害虫はいずれも専用廃棄場へ退下のこと。
初学者の疑問ですが。 仏教の教えを極めたら、つまり阿羅漢になったら、 在家でいられなくなるというのは、本当に本当なのでしょうか。 仕事もできなくなり、家庭の一員でもいられない人というのは、 俗世間の凡人の視点では、社会不適合者であり、 社会全体としても、増えすぎては困る人種だし、 その阿羅漢となった人の周囲の人々としても、出家されては困る場合もあるかと。 目指す最終段階が、そのようなある意味反社会的な人間であっていいのかと 思ってしまうのですが。 あまりにもハイレベルな境地であり、阿羅漢が増えすぎて困るなんてことは ありえないから大丈夫、と理解すればいいのでしょうか。
>>754 色即是空 空即是色となってますから、彼岸(空)に至ってから俗世(色)に帰還して終了です。
つまり空諦というのは俗世間的にはなんも役にたたん訳ですから、
空諦で留まっていたのでは”俗世間的価値観”においては廃人のようなもんです。
(極端にいうなら)
色即是空で彼岸へ至るわけです。
そこから空即是色において此岸(俗世間の価値観)で生きる訳なんですが、
空(仏智)を生かした生き方を般波羅蜜多の完成と言われてます。
八正道における正覚にしても、凡人には「何が正しくて、何が正しくない」。
の分別つかん。→これを無明という
だから正しく分別をつけるのは、どうしても正覚を得なければならんのです。
正覚(空諦)より俗諦に還滅すり智慧を、仏眼とか慧眼とか言いますネ。
つまり明智のことです。
この完成こそが仏教2500年の歴史において、
行者が求めてきたことに相違ないのです。
こうして今も、貴殿も私も求めておるではないか(^o^)丿
× 般波羅蜜多 〇 般若波羅蜜多
>>752 のつづき
>何が第一義であって、その属性とは何か?
つまり第一義空諦ですと、その属性たる主客概念(言語概念)では説明不可となります。
(これが前述した不可思議の意です)
基本的には説明不可なんですが、
仏教の長い歴史においては、これを延々説明しておるんですね。
(ですから論書とか経書とかの類も多い訳です)
また、そういう話も暇な時に書き込みします。
#、なんせ今は卒業シーズンなもんですから、来賓とかで呼び出しが掛かって多忙なんです(^^ゞ
(末席ですから、私などは数揃えだけで逝くようなもんなんですけど)
758 :
神も仏も名無しさん :2007/03/20(火) 22:48:34 ID:I4NDZi74
759 :
神も仏も名無しさん :2007/03/21(水) 00:26:48 ID:9ZO6q52S
>>757 >第一義空諦ですと、その属性たる主客概念(言語概念)では説明不可となります。
何故ですか?その実体的理由はなんですか?説明できない定義だから説明できない、ではナンセンスです。
第一義空諦だから、龍樹が言っているからとかではトートロジーで無意味です。
左脳機能と右脳機能、パスカルの幾何学的精神と繊細的精神(パンセ)、論理と直感などに
対応した、本当は真俗という便宜的「分別」にしか過ぎないのではないですか?単なる便宜主義ではないですか?
本当は仏教教団が生き延びるためのご都合主義でしょう?
「諦」に値する何も喝破していないのではないですか?シロート相手のコケオドシですか?
例えば、国家命令で特攻隊として自爆テロを行って敵兵、民間人多数を殺傷することは
「二諦説」からはどう合理的に説明・行動しますか?命じられた特攻隊員にどうせよと、あなたはいうのですか?
>>755 「正覚(空諦)より俗諦に還滅すり智慧」で解き明かしてください。
カラス氏から、また空理空論空教徒と罵られますよ。
>>759 > 例えば、国家命令で特攻隊として自爆テロを行って敵兵、民間人多数を殺傷することは
> 「二諦説」からはどう合理的に説明・行動しますか?命じられた特攻隊員にどうせよと、あなたはいうのですか?
仏教のテーゼというのは四諦ですから、この四諦が行動原理にはならないはずです。
もしも「なる」というなら、それはカルトです。
二諦説にどんなイデオロギーがあるのでしょう?
むしろ「ある」って言う方がオカシイんじゃないでしょうか?
仏教には、そういったものが一切ないのです。
> 「諦」に値する何も喝破していないのではないですか?シロート相手のコケオドシですか?
わたしはこういったテーマを、なるべく平易な言語で、
なお且つ懇切丁寧に書き込みしてきたつもりでりますが、
それでも解釈は困難でしょうか?
暇な時に、もっと解り易いような妙案が閃いたら、もっと簡単に説明します。
>「正覚(空諦)より俗諦に還滅すり智慧」で解き明かしてください。 > カラス氏から、また空理空論空教徒と罵られますよ。 「解き明かす」ってのは、限られた言語でコミュニケーションを諮る訳ですから、 おのずと限界ってもんがあります。 その限界を突破せにゃあかんですね。 自灯明ですから。
762 :
神も仏も名無しさん :2007/03/21(水) 08:02:15 ID:FF8GKf/l
風が吹けば桶屋が儲かる式の、すごい論理の飛躍があるんじゃない?あるいは詐欺師 では?
似非禅机に論理を期待する人がいるとは驚きだ。 たまに暇つぶしで彼と遊んでいる人は見かけるけどね。 彼が般若心経に逃げ込んだらそれでおしまい。
>似非禅机に論理を期待する人がいるとは驚きだ。 まったくその通りです。 論理構築以前の話をしておるんです。 言語(この構築を論理という)の話も、このテーゼがあってのこと。 期待することはない。 捨棄。
765 :
759 :2007/03/21(水) 13:26:17 ID:9ZO6q52S
>>761 >第一義空諦ですと、その属性たる主客概念(言語概念)では説明不可となります。
何故ですか?・・・まだ直接的にお応えいただいておりません。
ブッダの仏教上の真「理」は無常=無我=縁起、四諦であって、明瞭に言語概念で
説明できております。
その実践的目的は四苦八苦の超克です。→涅槃寂静の『境地』=心的自己体験:真理とは別範疇
これ以外のブッダの仏教上の真「理」なるものがあるのですか?ないのですか?
第一義空諦なる概念を勝手につくって、『涅槃体験』と真理という別範疇概念を混同使用しているだけではないですか?
ブッダは四苦八苦の克服につき十分言語で説明し尽くされ、
教師の握り締めた秘密は無いと言っておられます。それなのに、真理はまだ言語で説明できないと主張されるのですか?
ブッダの「真理」と、禅の「真理」は異なるのですか・
766 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/21(水) 13:36:59 ID:pO5Wot2c
出禁サイコパス外道は言語器官が欠損・壊滅しており、触れると汚穢散布が起ります。
>>1 を参照し、絶対不可触で。
>>765 >第一義空諦ですと、その属性たる主客概念(言語概念)では説明不可となります。
言語といふのは、主客という相対において語義として成立つものですから、
その相対以前の主客未分(空諦)においては語義そのものの意味が無くなります。
つまり、もう少し簡単に説明しますと、
例えば、全て同質という形態があったとする。
この場合は”同質が同質を説明しようが無い”
それどころか、同質という形態そのものも”同質という意味も無くなる”
ようするに、
同質という名称は、それ自体(名称)は無意味になる。
同時に、その形態自体が形態である意味もなくなる。
よって、言語による説明がしようがない。
このような説明でどうでしょうか?
769 :
768 :2007/03/21(水) 14:31:19 ID:AOMZsfPs
さらに質問したい気もしましたが、 よく考えてからまた改めようと思います。
770 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/21(水) 15:10:36 ID:pO5Wot2c
サイコパス外道いじりは厨房隔離スレで。
>>765 >ブッダの「真理」と、禅の「真理」は異なるのですか・
そもそも仏教に「真理」などないです。
(これは禅においても然りです)
三法印は、簡単に言いまいたら「うつろい逝く世俗の相」を言うたまでのことです。
よく語意を確かめたらいいかと思います。
真理というのは普遍性なものではなく、あくまでも個別性の問題になります。
日蓮にとっては題目が真理となりますが、
題目を真理とする者もおれば、また虚偽とする者もいる訳です。
もしも恒久普遍な真理というのがあるとすれば、それは真理ではなくなるのです。
何故かと言いますと、虚偽のない真理とは既に真理の名称およびその形態に意味をなさないのです。
空諦とは真理でもなく、ましてや虚偽でもなく、真贋はすでに無い無相であります。
772 :
759 :2007/03/21(水) 18:37:37 ID:9ZO6q52S
>>767 >その相対以前の主客未分(空諦)においては語義そのものの意味が無くなります。
主客未分が境地というならともかく、アプリオリに言語が存在(機能)し得ない客観的真理と設定されるなら、
(1)客観的真理と担保する原始仏典上の根拠を示してください。ブッダの主張ですか?
(2)主客未分状態を如何にして客観的に把握・自覚できるのですか?単に観念上の仮説にしか過ぎないのではないですか?
夢を見ている時、悟りの時、発狂の時、幻覚性薬物の影響でラリっている時、イタコなどのシャーマンの時、泥酔の時・・・・
(3)観念上、主客未分を仮設できても、それを「真理」と主張する根拠を示してください。
形而上学的断見ではないですか。「無記」との関係はどうですか?
(4)私の直感ですが、主客未分思考はブッダの仏教ではなく、他の思想からの剽窃ではないですか?
例えば、ヒンドゥー的な主(我)客(梵)一如、老荘思想(未分化の胡蝶の夢)から
禅的に再編集、再構築、焼き直した非仏教思想ではないですか?
(5)縁起思想とどうかかわるのですか?
773 :
759 :2007/03/21(水) 18:43:39 ID:9ZO6q52S
774 :
759 :2007/03/21(水) 19:05:30 ID:9ZO6q52S
「諦」って真理の意味じゃなかったの??????????
>「諦」って真理の意味じゃなかったの?????????? 俗にいう「真理」の意味です。そうでありますが、 これは「真理」か「虚偽」か?というなら真理に”相当”ですから。 つまり、言語というのは手段に過ぎなくて、手段は殆どが”二項に依り”ます。 その二項択一における真理でありまして、 この真理が即、空諦という訳じゃない。 仮に真理とした訳で、言語のこれが限界であります。 よって、言語自体の意とするところは全てが俗諦と解すべきです。 (これが空諦、言語表記不可の理由であります) <俗にいう真理です>→これが大事 では、もう寝ます。なにかありましたら書き込みして下さい。 明日ロムります。
776 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/03/21(水) 20:32:15 ID:LhMu93kW
>>767 アホめが。言葉は識別するもの。真理は、
中道であり、一相、無相であるものであるから、
相対概念で成り立つ言語では、説明できない性質のものである。
と、このように、言葉で真理について説明できるんだよ、たわけめが。
このことを理解できるのは、言を持ち、
言語で思考することができる、我々、人だけである。
言を持たない獣は、悲しいかな、このこと(真理)を、逆立ちしたって、理解できないものである。
真理を悟ることが許されているのは、言を持つ我々、人だけなのである。
言ってる意味がわかるかな?わかんねーだろうな。屁理屈空教が佛教のアホには。
要は、詭弁家机は、真理は言語で説明できませんよ。 なぜなら真理とはなんたらかんたらと。 だから言語では説明できませんよと、 しっかり言語で説明してるわけだ。バカじゃねぇ(苦笑) 机の詭弁をありがたかって聞いている人がいるのには驚きだ。 自業自得。世の中馬鹿が多い。正しい者の言うことには耳を貸さず、 正しくない者の言うことには、一生懸命耳を貸す。 自分の愚かさによる報いは、自分自身が受けることになるだろう。 詭弁が佛教だと思っている空教の皆さん。 一生言葉遊びで悟ったつもりになって、遊んでいてください。 いくらもっともらしいことを言ったところで、所詮詭弁は詭弁。 利口な人なら、一発で、中味の無いことに気付くんだけどね。
778 :
カラスの唄 :2007/03/21(水) 21:04:50 ID:LhMu93kW
簡単な事を難しく説明するのが佛教ではありません。 簡単な事を難しく説明する人は、どんなに頭が良くても、アホです。 ここは頭の良い馬鹿が、沢山いますね。
779 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 05:42:10 ID:NPDHoOun
テーゼ サイコパス アプリオリ
>>776 >真理を悟ることが許されているのは、言を持つ我々、人だけなのである。
「糸瓜が咲いている」ことに真理も虚偽もないのです。
自然無為に咲いている。
なんの作為があろうはずがない。
眼は横に付いていて、鼻は縦に付いている。それだけのこと。
生まれいずるときには既に付いていることに、なんの属性もあらんのです。
>言を持つ我々、人だけなのである。
これは大間違いですね。
人は言を持つゆえに迷うのであります。→言語の特殊性
迷うておるのは人だけで、世界はすでに悟っております。
>>779 なるほど、
そう言われてみれば、そうですね。
>>780 あなたの理屈でいうと、真理などない。
という事が、真理ということになりますね。真理などないというあなたの屁の理屈は、
論理破状していることに気付いていますか?
>あなたの理屈でいうと、真理などない。 >という事が、真理ということになりますね。 この論法ですと無限ループに陥ります。 >論理破状していることに気付いていますか? 悟入には先ず、論理破状は必須です。
784 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 08:19:26 ID:+FF8oj5m
論理破綻だろ? ときどき、こういうギャグを咬ますから、笑える。 両方ともボケでは漫才にならん。
785 :
784 :2007/03/22(木) 08:26:13 ID:+FF8oj5m
御免、撤回。
786 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/22(木) 08:28:21 ID:0XI1As+/
出禁サイコパス外道、足切り文盲厨房ともに
蟲喰いスレ汚穢につき
>>1 参照の上、即刻退下を命ず。
>>784 前から思っていたのですが、ここは言語学、文献学のスレですか?
他人のタイプミスばかりつけこんで、
文意をまったく無視する人は、仏典の、肝心のテーマは脇にやり、
やれパーリ語の文法は、どうだかこうだかと、本末転倒の議論を講じて悦に入る愚か者そのものですね。
ここはそういう人ばかりのようですけど。
>>787 真理などないんなら、悟入も、へったくれもないだろうがwww
たく、なに言ってんだか、この邪見の塊、屁理屈の王様、サイコパスはwwww
789 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/22(木) 15:21:50 ID:0XI1As+/
はいはい、厨房はとっとと隔離スレへ。
>真理などないんなら、悟入も、へったくれもないだろうがwww 世の中にはいろんな人がおります。 才能に恵まれ、なんも不自由なことはなく安泰に生活している者もおれば、 乙武のように五体不自由であっても、強く生きておる者もおれば、 また、五体満足であっても心を病む者もおります。 池田晶子や正岡子規のように死期に直面する者もおれば、 現世より死後生にだけ関心がある者もいる。 悩みは尽きぬ。 テーゼは、今ある縁に真っ向から対峙する心象にあります。 これを菩提心と言うておりますが、 この心あらずんば、貴殿のおっさることは真っ当なことです。 まったく仏教の意味はない。 煩悩なくば、また菩提もない訳です。
他スレから転載。仏教系スレ(専門スレ)ではありません。 (念のためw) >心の在り方を説いてるのが仏教、でいいんですよね? そうですね。 けど、じゃあ「心の在り方」は『それのみで存在できるのか?』ということです。 そこに肉体(→実践する者、具体的生活)なしには、どんな思想も存在し得ないのです。 だから、経と律(≒戒)は併せて説かれ、学ばれるのです。 「心の在り方」が「身体の在り方」を規制・誘導し、 「身体の在り方」が「心の在り方」を規制・誘導し、 「心の在り方」が「身体の在り方」を規制・誘導し、 「身体の在り方」が「心の在り方」を規制・誘導し、 ・ ・ ・ 理と行が不可分であるということ、身口意の三業と言われる理由、 智慧が最重要視されているにもかかわらず、なぜ八正道が説かれるのか、 など仏教を巡って説かれる様々な言辞は、 こうした、両輪であるべきことを示すものであろう。 具体的在り様、具体的生き方、具体的実践があって初めて、 仏教は真にその姿を顕すことになるのです。
792 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 15:40:59 ID:MGe2wjUI
>>790 なんだ?
株でひと儲けしてやろうと、新日本製鐵に真っ向から対峙している人は、
菩薩心に満ちあふれているということか?
>具体的在り様、具体的生き方、具体的実践があって初めて、 この為に八正道がありまして、 八正道成道の為に智慧がありまして、 智慧の完成を般若波羅蜜多と言うております。 これが、 色即是空 空即是色、の意味です。
>>792 それは真心が我欲に翻弄されているだけの話ですね。
えてして勝負事は、欲が絡むと負けてしまうのは、よくあることです。
勝負師は、これを経験的に学習します。
795 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/22(木) 16:16:11 ID:0XI1As+/
銭ゲバアブク餓鬼絡みのスレ違い駄ボラも厨房隔離スレでやるように。
796 :
鉄は国家なり :2007/03/22(木) 17:31:49 ID:+FF8oj5m
>>792 現代社会のご理解が相当足りないようですね。あるがままを観ない痴からくる偏見かもしれませんよ。
ウォーレン・バフェットとまではいいませんが、日本人なら本多静六さんの生涯を
研究されてはいかがですか。
ブッダ成道時の社会的背景として、マルクスのいうG-W-G'の商品交換社会の勃興があったことはご存知ですね?
「およそ資本主義的生産様式の行われている社会の富は、商品の形態で現れる。
従って、我々は先ず商品の分析から始めなければならない。」(資本論の冒頭テーゼ)
「商品」が株であろうが、労働(サラリーマン)・農産物・サービス(葬式仏教を含む)・金融などであろうが
変わりがありません。ただ、実体経済とマネー経済の違いがあり、今や後者が前者を10倍以上
上回っていることに注意しておくべきです。
ひたいに汗する古典的な価値観だけが「正しい」わけではありません。
あるがままを観られない偏見は捨てましょう。
「銭ゲバアブク餓鬼などという阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ は偏見の塊ですな。
797 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 17:32:42 ID:+yfik6hu
引っ越しおばさんのようなホストだな。もうちょっとなんとかなんないの?
798 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/22(木) 18:12:37 ID:0XI1As+/
却下排除済みのスレ違い与太話を蒸し返そうと必死になったところで無駄無駄。サイコパス外道&テイノーどもはさっさと厨房隔離スレへ逝けよかし。
鼻風邪の特効薬はありましかー!?
800 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 20:18:37 ID:MGe2wjUI
>>796 なんだ?
ウォーレン・バフェット?
そいつはロスチャイルドよりすげえのか?
801 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 20:46:38 ID:+FF8oj5m
春分の日の昨日、檀家となっている臨済宗の寺へ墓参りをした。 そこで「仏事、追善供養、法事のしきたりと教え」なる小冊子をいただいた。 そこには日頃住職の和尚と話している内容と全く異なる「葬式仏教サービス便覧」 であり、六道と輪廻転生思想による先祖供養行事のてんこ盛り! 忌日には、不動明王(初7)、釈迦如来(27)、文殊菩薩(37)、普賢菩薩(47)、地蔵菩薩(57)、弥勒菩薩(67)、薬師如来(77) 観音菩薩(100)、勢至菩薩(1周忌)、阿弥陀如来(3回忌)、阿悶如来(7回忌)、大日如来(13回忌)、虚空蔵菩薩(33回忌)と サービス商品売り込みのための大乗仏教のスター達が勢ぞろいで、何でもあり! 臨在禅からみて・・なんて野暮は言いますまい。 葬式仏教は世を忍ぶ仮の姿、世のニーズに答えるサービス業が大乗仏教のスタイルにピッタリ!なのか。 あ〜〜〜〜あ。
802 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 20:47:21 ID:VnnA/Vtp
803 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 20:56:58 ID:MGe2wjUI
>>794 相変わらず、政治家顔負けのような答弁、ありがとうございました
804 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 21:09:16 ID:hXp4r/pi
みなさん 新日鉄株を買いましょう 新日鉄はかたいぞ 安心するぞ 全ての憂鬱を忘れるぞ 仏教なんかより苦を滅却してくれるぞう
805 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 22:52:07 ID:MGe2wjUI
貪りと憎しみにとりつかれた人々が、 この真理を悟るのは簡単なことではない。 これは世の流れに逆らい、 微妙であり、 深遠で見がたく、 微細であるから、 欲を貪り暗黒に覆われた人々は見ることができない。
806 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 23:15:56 ID:+FF8oj5m
>>805 5401新日鐵の株価の話ですね?
欲に乾いた我輩は見ることができる。
新日鐵は日本資本主義そのものである。
新日鐵と東京三菱銀行が外資の軍門に下ったとしよう。
その影響は限りなく深く、日本資本主義の終焉を意味する。
だからこそ、激しい戦いの中で、懸命な資本政策が行われている。
807 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/22(木) 23:16:47 ID:0XI1As+/
銭ゲバアブク餓鬼の損失・破滅や文盲テイノーの吐瀉は、サイコパス外道の無間業同様に。 当スレとは一切無縁&無関係。かかるスレ違い駄ボラは厨房隔離スレへ。
808 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 23:19:45 ID:VnnA/Vtp
>>807 なるほどw
自分自身の生き方、生活態度に触れる部分は
徹底無視ということですかwww
そんな態度は
お釈迦さんに失礼だと思いませんか?w
809 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 23:28:27 ID:MGe2wjUI
最近、「外資系企業からの政治献金を認める法案が話題になってるだろ。 今の法律では外資比率が50%以上だと献金できないんだが、その50%以上の企業が、ここ数年で激増しているんだ。ほら、これみてみろよ。 三菱UFJ銀行33.7% 三井住友銀行39.4% キヤノン47.3% 武田薬品43.7% 花王49.5% HOYA54.3% ローム51.6% 富士フイルム51.1% 塩野義製 薬41.5% アステラス製薬47.3% TDK44.6% ソニー50.1% ヒロセ電機 39.3% コマツ35.6% 東京エレクトロン49.8% SMC49.3% 任天堂41.1% 村田製作所37.8% パイオニア37.8% 小野薬品35.0% 日立製作所39.5% 三菱地所38.3% 三井不動産45.0% 大和證券37.1% 野村證券43.6% セコム 43.3% 栗田工業37.3% 第一三共32.3% コニカミノルタ41.4% リコー39. 0% 参天製薬36.3% 日東電工55.9% 信越化学36.3% ヤマト運輸31.2% JR東日本30.6% KDDI31.4% 三井化学29.7% 積水化学33.6% ホンダ 35.5% スズキ35.7% ヤマハ発動機31.9% 京セラ34.8% 東京ガス32.7% オリンパス34.7% 大日本印刷34.2% 日立39.5% えー、うっそー。なんだよ、これ?いつのまにか、日本の主要企業が40%とか、50%とか外資に買われちゃってるじゃん。 なんで、こんなことになったんだろう? ソニー、キャノンなんていうトップ企業も半分ユダヤ人の所有かよー。 なんまんだ〜
810 :
神も仏も名無しさん :2007/03/22(木) 23:42:17 ID:VnnA/Vtp
電波も出てこないなw 調べるのに必死か?www
>>809 >えー、うっそー。なんだよ、これ?いつのまにか、
詳細は、私が
>>234 に書いておきました。
この暴露本を植草教授が出版する予定だったんですよ。
しかしながら、これを出版したら大変なことになる。つぅんで、
植草は蒲田で二度目の国策逮捕になったのです。
現在、植草は無罪であることを主張してますが、
そんなことはどうでもよくて、
とにかく、今のところは植草を拘束するのが重要なんです。
何故かと言いますと、植草の暴露により、日本の政・財・官が激震になるどころか、
全世界に余波は走り、結果的には株式の大暴落ということも有得る訳でして、
植草の件においては、そう簡単な猥褻事件じゃないことを念頭に入れるべきですね。
>>776 >アホめが。言葉は識別するもの。
猿から人類に進化する過程において、人は言語を獲得しました。
いわゆる人とは、言語を話し道具を使う(人間の条件)ということになり、
また迷いも生まれるのです。
例えば狩猟をする場合には、
仲間とのコミュニケーションによって合理的な方法が見出すことが出来ますし、
狩猟方法の発達は、また高度な言語も発達してまいります。
言語発展の初期の段階では、単純な言語でよかった訳です。
ところが、人が嘘をつくことを学習した者がおったのでしょう?
で、「うそ」という言語が生まれたのです。
よって、相反する「ほんとう」の言語も同時に生まれる。
つまり、言語というのは人が思考すると同時に生まれたのです。
人類の発展は、やがて「うそ」が虚偽とか、「ほんとう」が真理とか言うようになったのです。
つまり、もともと虚偽とか真理とかなく、
また、一相とか無相とかもない訳です。
たまたま人類が高度な文化を発展させまして、
その結果として真理概念も同時に脳にインプットされちまったのです。
どうか、そこのところをお含みの上、私の書き込みを呼んで頂きたいもんですね(^o^)丿
>>704 情欲の熾盛な者には不浄観、慢心の強い者には白骨観が相応すると言いますが、
九想図のような、どぎつい方法は疑問です。
かつてオウムでは、事故死者の生々しい拡大写真を座の前に貼って観想させていたそうです。
大象跡喩経でのサーリプッタの教えのように、体内不浄観想、嫌悪そして離欲、
というプロセスの方が間違いを起こしにくいと思います。
いずれにせよ、精神的に不安定な状態の時は避けるべきでしょう。
814 :
神も仏も名無しさん :2007/03/23(金) 16:21:48 ID:ULfmuvy3
815 :
神も仏も名無しさん :2007/03/23(金) 16:35:04 ID:rJiImG4w
私は肉好きだったのですが、屠殺映像を見てから、ほとんど食べなくなりました ショックだったし二度と見たくないけど、それも、ひとつの不浄観だったのかと、よかったと思っています 経済活動も「美味しく」「栄養豊富」なんでしょうが、裏に潜む「屠殺」を知れば、 金に対する執着も軽減するのではないかと思ったのです
ドストエフスキーの罪と罰に、墓荒しの場面がありまして、 墓を掘り返して、その死体とセクスをする。というのがある。 これは九想図どころではなく、 死体そのものが良い。ってんですから、まあ、そういうのは 不浄観こそか萌えなんでしょうかね? 私にはそういう世界のことは解らんですけど。 また、同じく罪と罰に、 明日銃殺刑になる囚人の場面がある。 この囚人は銃殺の前に、池田晶子とか正岡子規のように悟ってしまう訳なんです。 禅で言いますと十牛図の八図ですね。 (池田と子規はこの段階ですから) この段階になりますと不垢不淨となりまして、不淨観はすでに俗諦となりますね。
>>810 電波男はもうコテでは書けなくなったんですよ?
コテで出て来たら訴えられるかららしいですよ?
818 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/23(金) 17:52:03 ID:KNqQr7HM
また性懲りも無く、セクト破落戸、致命・落命王の類が迷い出たか(冷笑)。 九相図そのものの腐瀾壊滅の様は不浄観に格好の所縁だことで(笑)。
819 :
神も仏も名無しさん :2007/03/24(土) 06:26:11 ID:CCbdCYGp
阿呆陀羅くん、君も引退したら
>>815 >私は肉好きだったのですが、屠殺映像を見てから、ほとんど食べなくなりました
>ショックだったし二度と見たくないけど、それも、ひとつの不浄観だったのかと、よかったと思っています
あれは不淨観ですかね?
私はどちらかというと人間への嫌悪感のようなものを感じましたけど。
人間の嫌悪。ってのは、つまり自己への嫌悪なんですけど。
人類は最初、狩猟において獲物を捕獲していたけど、それじゃあまり不合理だ、
ってんで家畜を始めた。
家畜を育てる時は家族同様に育て、やがて屠殺の時期を迎える。
家畜は合理的であるにせよ、結果的な屠殺という理不尽がある。
ここになんとも言えない虚しさがあるのかも知れませね。
わたしは歎異抄(親鸞)の一節を思い出したのですが、
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。の、
この悪人というのは自分自身な訳ですね。
所詮人間が「善」とか「悪」とか言うても、
やはり家畜とかの命を頂いて生きておるんですから、
これは既に善悪以前。ということになる。
これが大慈・大悲なんでしょうね。
>>817 いろいろ忙しいだけだ。ボケ。
サル?あいつが訴えると言ってるのか?ばっかでー。
暫く忙殺されています。皆様ごめんなさい。
822 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/24(土) 10:19:57 ID:baO3AGX/
いずれにせよ… 破落戸ジョーユーやサイコパス外道、致命・落命王類といった沙婆 世間の壁蝨どもが、駆除淘汰される眺めは結構なものだ(嗤)。
>>791 >仏教は真にその姿を顕すことになるのです。
そういうことは無い訳です。
仏教が姿を顕すことはないですね。
では、一例をもって話します。
ある不妊治療をしておった御婦人がおりまして、子供がほすくてたまらんかったそうです。
しかしながら長年の治療も虚しく、ついに子宝を諦めたそうです。
そして、
諦めてしばらくしたら、自然懐妊したそうです。
この時は、子供を諦めた訳ですから、どうしても産む気になれず堕胎したそうです。
人間の心は揺れ動くもんです。
向井亜紀(42歳)も、この方も癌で子宮を取ったら、急に子供がほすくなったそうです。
(この方は、仕事に忙殺している時は子供のことは考えなかったそうです)
人間は、無くなれば不可能を可能にしたい欲求が出でてきます。
真理とは、個別性の次元である。というのは私が前記しましたけど、
その時に子供がほすいのは、それが真理であり、
また、子供がほすくなくなったのも、その時の真理であります。
諸行無常であり、仏教が姿を顕すことはなく、
全てが、そのように心が生起(生じる)しているに過ぎんのです。
真理もまた、表れてはそのまま消えて逝く儚いものです。
824 :
素人 :2007/03/24(土) 12:08:33 ID:fIGg5XpC
825 :
神も仏も名無しさん :2007/03/24(土) 19:26:53 ID:afThDpsN
826 :
神も仏も名無しさん :2007/03/24(土) 20:22:10 ID:JYRaX1fS
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 善人というのは決められたレールの上を決められた速度で決められた時間に走る列車のようなものかと 悪人というのは道なき道を気まぐれで走る壊れたダンプカーのようなものかと で、悪人のほうが視野が広くなり、悟る場合が多い、という解釈はだめですかね?
仏教は自身に対する勧善懲悪を前提とする。 ただ、人間とは善業だと信じてサリンを撒くことが出来る動物だ。 親鸞さんは、人間という存在の宿業を、悪人正機という観点から見据え続けた稀有の人でもある。 八正道を行じて解脱に至る善人の方法論を廃して、 阿弥陀一仏の他力本願に己が宿業を預けることで善悪を超克した。 その時、念仏とは一心に履物を磨き続ける行為に等しい。
>>827 これさっぱり訳のわからない話ですねえ
まあ仏教の在家五戒を考えてみて 仏教の「ぶ」の字もしらず宗教に
全然関心のない人で見事に守れてる人がいるとしましょう
その人はやはり心が安定して幸福な環境にいる人と予想できるのではないですか
観念的にこの戒律が「神様」からでたものだとか
「解脱」を目指すためためのものだとか考えると 神を認めないと殺してしまえとかいう
本末顛倒の話になるのです
「浄土に行くために百人殺せ」と言われたとしましょう
気持ち悪くてできませんよね 履物より現実感覚を磨くことです
>>826 社会秩序は、社会規範という共同認識において保持されている訳ですから、
人はなるべくなら、ここより逸脱しないように生きていくのが普通ですね。
人類が創生において、共同体を形成するようになってから、
この暗黙のルールは継承されてきた訳です。
これある故に人類は進歩を遂げた。とも言える訳ですが。
>悪人のほうが視野が広くなり、悟る場合が多い、という解釈はだめですかね?
悪人というのは極論ですが、
「悟り」というのは、前記・共同認識とは全く別もんですね。
(つづく)
例えばですが、 自分が失敗をやらかしたとします。 こういう場合は誰でも「いい訳」ってのを考えますね。 その「いい訳」の前程になるのが社会規範です。 失敗は、社会規範に繋げて自己の正当性を主張する。 これは、無意識のうちに人間が生活において学習してきたものです。 (論理の整合性とは、この構築をいう) 釈尊の成道とは、前記ベクトルには全く組みしないもんですね。
831 :
神も仏も名無しさん :2007/03/25(日) 09:21:01 ID:5rpWhs05
八正道を実践すれば悟れるというよりも、悟れば八正道になるということではないでしょうか?
共同認識は、共通認識において成されますが、
共通認識の方法として、人類は言語を獲得しました。
つまり言語とは、共同体を形成するには有効である。ということで発展してきた。
ということを、先ず自覚する必要がありますね。
石飛道子という論理学者は「ブッタ論理学5つの難問」において、
この上記・論理のベクトルで著書を出版しましたが、
これだと釈尊の法は台無しになるんです。
私が「自覚する必要がある」というのは・・・
この自覚なんです。
八正道とは、上記・自覚(気づき)と、それによる自己変容においての正道です。
これなくして本義には至らんですね。
>>831 そういうことです。
>>828 あなたの話のほうが意味不明です。
在家五戒が神様からでたものという主張は初耳です。
またそれがどうして
>神を認めないと殺してしまえとかいう
>本末顛倒の話になるのです
という結論になるのかわかりません。
>「浄土に行くために百人殺せ」と言われたとしましょう
>気持ち悪くてできませんよね
それをしたのがオームでしょ。
オームを別世界の絵空事にしている現実感覚のほうが問題でしょう。
>>827 >その時、念仏とは一心に履物を磨き続ける行為に等しい。
そうそう、ただ行じるだけですね。
全て如来にオマカセして作為から離れる。
禅門においては「瓦を磨いても仏にはならぬ」。ってのがありますが、
浄土門の「磨く」とはえらい違い。
しかしながら、これは肯定も否定もまったく同義ですね。
言語は手段に過ぎなくて、
その意とするところは同義なり。
<机龍之介・花押>
>>716 これについては自己解決しました。
平川彰「原始仏教の認識論」(講座仏教思想 2) pp.41-42 によると、『相応部』のヴァジラー尼の
偈に「車という名称(sammuti、共通の理解・常識)」という用例があるが、(世界の名著1 p.544にも掲出)
>世俗諦・勝義諦(第一諦)という言葉は、原始仏教にはまだ現れないが、
>しかしすでに『ミリンダ王問経』には見出される。
とのことです。ミリンダ経での語形は sammuti-sacca (俗諦)。
ミリンダ王は前150年ごろの人。経自体の成立は後1世紀ごろまで。
ちなみに
>>712 に触れられた言語論関係では、同頁に「仮」の原語プラジュニャプティ (prajJapti) のパーリ語形の
>パンニャッティは「知らしめる」(パンニャーペーティ paJJApeti) という動詞から派生した
>過去受動分詞で、「知らしめられたもの・現象したもの」の意味である。
と書かれていました。斯学の泰斗による過去受動分詞という解釈もあったのですね。(
>>5 の4参照。
ちなみに自説は辻p.214の9ですが、語根に関しては後続研究の発表を待つことにします。
芳村博実「VijJaptiについての一考察(1)(2)」『仏教学研究』という論文もあるようです)
なお、『佛教語大辞典』には、
>「表業」知らしめる行為の意。vijJapta
>「表示」おもてにあらわし示すこと。vijJapti
と書かれていて、vijJapta の ta は ti の誤植かと思っていましたが、
モニエルで vijJapta の項のもとに vijJapti が入れられていること、平川氏の文と合わせ考えると、
もしかしてそういう用例があるのかも知れません。この点、更なる調査を要します。
ついでに白四羯磨と表業の関係なども書こうと思ったのですが、うまくまとまらなかったので、いずれ。
一つ、疑問が湧きました。 十無記で、死後のありようを問うとき(タターガタ=如来とすると) 「阿羅漢は」と言ったら良さそうなものを、なぜ「如来は」と言ったのか。 如来1人だけの死後が不可思議ってことはなく、阿羅漢全員も同じはず。 もう一点の疑問は、過去ログからの引用ですが、 > 業報輪廻、梵我一如思想が 古代インドの「強固な社会通念」だというのは、誤読である。 > 当時から、業報輪廻が一般には受け入れられてなかったと考えた方が分かる。 > 輪廻を受け入れるのは、解脱を目指すもので、解脱を目指さない一般社会では、 > 見えない体験できない輪廻が非常識だったことは諸文献にも現れております。 仏伝やインド哲学史などの本の記述によると、ブッダ当時の輪廻思想の一般社会への普及に関して 曖昧な記述のものと、ブッダ当時すでに普及していた、とするものを見かけます。 たしかにウパニシャッドには、業報輪廻説は秘密の教えとされていますが、ジャイナ教や アージーヴィカ教は輪廻を説き、また死後生はないと逆の立場で言及した六師外道の1人もいますが、 これら沙門たちの活動していた時代になっても、まだ沙門・婆羅門だけの秘密の教えで 一般社会には普及していなかったというのは、どういう文献に出てくるのでしょうか。
838 :
神も仏も名無しさん :2007/03/25(日) 20:11:43 ID:5rpWhs05
「ミリンダ王の問い」は仏典ではなく、準仏典でしかなく理論もおかしい、と何かに書いてあったような・・・
839 :
神も仏も名無しさん :2007/03/25(日) 23:43:12 ID:YzQfE4Vz
ブッダの仏教(情けない事に、ゲテモノがはびこっている故に、マルクスのマルクス主義と同様の言い回しが必要) にとって、誤りの始まりが『ミリンダ』だ。もう、イヤ。不貞寝する。
840 :
839 :2007/03/25(日) 23:59:17 ID:YzQfE4Vz
おーい! 阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ よ。 シニカルな冷笑・愚痴ばっか出さずに、『ミリンダ・パンハ』を全面批判しろよ! おまいの実力をみるにふさわしいテーマだろ?てめーの頭で自力で考えやがれ! ヘマなことやりやがったら、嘲笑、あざけり笑いしてやるぜ! 「仏教」における救済主義とは何か?
841 :
神も仏も名無しさん :2007/03/26(月) 07:14:28 ID:RMPtqc5a
>>837 >十無記で、死後のありようを問うとき(タターガタ=如来とすると)
>「阿羅漢は」と言ったら良さそうなものを、なぜ「如来は」と言ったのか。
>如来1人だけの死後が不可思議ってことはなく、阿羅漢全員も同じはず。
例えばですが、茶席においては「粗茶ですが・・云々」と言う言い方をする。
実際は粗茶ではないとしても、立場上において視座を変える。
粗茶じゃないなら高級茶なのか?ってのも、これも視座による。
>> 輪廻を受け入れるのは、解脱を目指すもので、解脱を目指さない一般社会では、
>> 見えない体験できない輪廻が非常識だったことは諸文献にも現れております。
これなんかもいい例ですね。
社会通念上においての解脱というのは、ある状況からある状況へと主体(本体)が移動することですね?
普通は大体、そんなふうな理解が一般的かと思います。
俗諦においては論理矛盾はないにしても、
やはり視座の変化で矛盾はどうしても避けられない訳です。
ある意味、その矛盾を黙殺することにおいて、かろうじて論理の整合性が保てる。
ってことはありますが、それなら一般的な哲学理解と同じことです。
如来にしても、解脱にしても、その意とすることよりも、
それ以前にもはや論理矛盾があるかと思いますがね。
843 :
神も仏も名無しさん :2007/03/26(月) 09:56:19 ID:Ro630/xU
/ /二__,--、r'"___、 ヾト、.ヽ レ'"~,-,、 ! ! ' '" ̄ .ノ\ヾ:、 K/ー'~^~_/ ヽミ:ー‐‐'" ヽ i !〉ー―'"( o ⊂! ' ヽ ∪ Y」_ / i ∪ ,.:::二二ニ:::.、. l | うわあ〜 ! :r'エ┴┴'ーダ ∪ !< .i、 . ヾ=、__./ ト | 俺をいじめるな〜 天下御免の阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ
845 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2007/03/26(月) 10:35:11 ID:itsnLW5X
>>836 「假設」や「世俗の言語慣習」について、原始佛典に遡って考察するのも興味深いと思います。
『ミリンダパンハ』における教証引用関係についても同様でしょう。
ttp://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn12/sn12.017.than.html アチェーラ経 (SN 12.17)
'The one who acts is the one who experiences [the result of the act]' amounts to
the eternalist statement, 'Existing from the very beginning, stress is self-made.'
「(因業を)行う者と(その果報を)受ける者は同じである」とすると、
「原初より存在して、苦は自分で作ったものである」という常見に至ってしまう。
'The one who acts is someone other than the one who experiences' amounts to
the annihilationist statement, 'For one existing harassed by feeling, stress is other-made.'
「行う者と受ける者は異なる」とすると、「感受に悩まされて存在している者にとって、
苦は他者の作ったものである」という断見に至ってしまう。(註)
註 This statement is annihilationist in implying that personal identity is simply a series of
radically different persons, one disappearing to be replaced by another repeatedly throughout time.
この断見が意味するのは、アートマンは根本的に異なる者の連続、つまり、
繰返しずうっと、消えては他者に置き換えられる者に過ぎない、ということだ。
In other words, the X who did the action whose fruit X is now experiencing is a radically
different X from the X who is now experiencing it.
言い替えれば、X2が今その行為の果報を感受しているわけだが、<その行為をしたX1>は、
<今感受しているX2>とは根本的に異なる。
That first X has disappeared and has been replaced by a different one.
その最初のX1は消え、別のX2に置き換えられている。
The Buddha avoids this error -- and the eternalist error of self-causation --
by refusing to get entangled in questions of personal identity.
ブッダは、アートマンの論争点に巻き込まれることを拒むことで、これらの誤りを避ける。
>>846 そこに記述してあるのは、つまり論理構築の無効性について説明してある訳ですね。
共同体は、相互に共有しあう論理規範において護持されるが、
仏陀の成道とは、これから全く離れている。
松岡子規は、共同体の価値基準から全く断絶した状況におりましたし、
この状況を作為的に作りだすのが「犀の如く歩む」。
これが先ずスタート地点かと思いますね。
スタート地点以前について論じていても、それまでにいつかは寿命が尽きる訳で、
せっかく仏縁に触れたのなら、やはり成道してもらいたいもんです。
× 「犀の如く歩む」。 〇 「犀の角の如く歩む」。
無我ということ
「アートマン」には、形而上学でいう「実我」と、普通に言う「自己」という両様の意味がある。
仏教で言うのは後者である。
実我とは常・一・主・宰の実在とされるが、仏教では、そもそも「実我が存在する・しない」
という見解には立脚していない。決着のつかない実我の有無論争という形而上学の問題には
関わらない、というスタンスだ。
(したがって、厳密に言うと、無我を「実我ではない」または「実我が存在しない」と訳すのは
適訳ではない、ということになるだろう。)
そうかと言って、自己が存在しない、と言っているわけでもない。
色(1)、受・想・行・識の個々(2)、また五蘊個々の総体(3)が、自己なのではなく、また、
それらを離れて(4)自己があるわけでもなく、(以上は、四句分別を用いて分析されている)
それら五蘊が和合して自己を成り立たせている、とする見解である。
二重の意味を兼ねる「アートマン」という語を用いた意図は、
>>686 で言及された「密意」と
いうことにも関わってくるだろう。(『真理のことば 感興のことば』383ページ参照)
(この点、
>>845 で触れられた仮名、施設、「世俗の言語慣習」や勝義諦などとも関連していて、
ウパニシャッドで実我概念に高められた言葉を、再び世俗の意味に引き戻した上で、真理を述べる、
という仏教での術語の用い方の一端が伺える。)
以上は根本仏教での話であり、三法印の「諸法無我」という言い方には、体系化に伴う、実我的な
ニュアンスがあるだろう。上記の点を理解した上で用いる分には、問題ないだろうが。
sabbe dhammA anattA. (ダンマパダ 279) 一切のものは実我でない。
850 :
神も仏も名無しさん :2007/03/26(月) 21:56:11 ID:RMPtqc5a
こらっ 阿呆陀羅經っ 南無妙法蓮華経に帰依しなさい。
852 :
神も仏も名無しさん :2007/03/26(月) 23:30:02 ID:2TWOw49I
>>851 お前は強いものにこびへつらう性質の人間に過ぎないじゃないか!
アホダラがさんがお前に見習うなどと思うな!
>>396 悟りは要領 讃江
> 哲の女、哲学の巫女らしく生死一如、みごとというしかありません。
> ソクラテスとハイデガーを媒介としてほとんど仏教的悟りにまで
> 入っておられたような・・
「それ」に仏教的も非仏教的もありません。
仏教ではそれを悟りと呼ぶというのならまだしも。
孔子なら「知道」、ソクラテス-プラトンなら「イデア認識」とでも
呼ぶでしょうか。
(でもセム圏でいう「回心」とはさすがにちょっと違うようですが。)
虚構の戯言を吐かしてないでおのれの生活態度を反省しなさい。 そして黙ってトイレ掃除をしてなさい。それが佛道である。
>>842 のつづき
>例えばですが、茶席においては「粗茶ですが・・云々」と言う言い方をする。
ここにおいて、粗茶とはどいう性質のものか?を論考するのは愚です。
粗茶の意とするところは相互の暗黙の了解があることを前程としての「粗茶」です。
語義そのものよりも、相互了解が第一義となる。
(これは文化として人類が学習した一例です)
これに類似する手法が仏典にありまして、
ある言語を提示することにおいて(俗諦)、その語義そのものを否定する(方便・手段)。
相互了解にまで昇華することにおいて帰結となす(真諦)。
(この場合は文意解釈よりも、直覚的感得が第一義となる)
『大毘婆沙論』巻23に出てくる4種類の縁起のうちの「刹那縁起」が、 中観派で多用する、(同時同処の)相互依存性としての縁起解釈につながったのではないか。 〔刹那縁起とは、一刹那に同時に各支が関係するものであり、 他の3つの、時間的に前後する解釈とは異なる。〕 また、本来、縁起の発見が、以下のような「(四諦の)集諦、苦の原因」探求に始まるものだったとすれば、 順をおって原因をさかのぼってゆくものであり、同時発生的なものとは言えないと思う。 kiM-paccayA jarAmaraNaM. 何に縁(よ)って老死が(あるのか)。 jAti-paccayA jarAmaraNaM. 生に縁って老死が(ある)。 (出)生を生起、老・死を衰・滅、つまり、生・異・滅の三相、と解釈することで、 存在論上の分析にも縁起を用いるようになるが、 これも、成道直後の期間に想定された縁起の本義ではないと思われる。
いささか古いファイルですが、<2001.6.6
原始仏教に関連する写本もかなり発見されているようですね。
ttp://www.classics.jp/Contents/Assets/publication/NLpdf/NL07/NL07Mats.pdf バーミヤン渓谷から現れた仏教写本の諸相 松田和信
ガンダーラ語の『大般涅槃経』(2世紀)の断簡
いずれの漢訳にも一致しない未知のヴァージョン
散文で因縁物語のついた『法句経』の断簡
阿含,律,阿毘達磨の三蔵文献の断簡も数多く
パーリ中部経典の第95経に対応するもの
漢訳阿含には見い出されない経典
説一切有部『長阿含』のギルギット写本
漢訳大蔵経に残る『長阿含』は法蔵部教団が伝えたものであり,
説一切有部のそれは漢訳されていない。
『四衆経(Catusparisatsutra)』の中程(Waldschmidt ed.,§27a)から最後まで,
『大本経(Mahavadanasutra)』のほぼ全文
859 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/03/28(水) 07:15:55 ID:E4DfUXAp
>>857 論題とすると非常に優れてますね。
私は、こういうテーマでレスポンするのは好きです。
いろいろ書きたいことがありますが、しかし、
わたくしが書いてしまっては、アホダラ氏の出番がなくなりますので、
ここは師に、いろいろと教示を賜りたいですね)^o^(
だがしかし
>>845 の如く、意味のない書き込みは遠慮願いたい。
860 :
神も仏も名無しさん :2007/03/28(水) 08:35:28 ID:V9GVMJ0r
>>853 ,:'/ ヽ、 ゙、\
{,:' , , ,',' l , ゙、 ゙、 ヽ
/ / ,' l|{ | ',', , , ', ', ゙、
{ ! { ノl|゙、 ゙、','\ ',', ',| | }
| l { _ゝー"~ ̄ ̄~゙二゙ヽ、',', |! | |
', ',、ィ'゙ ,;'''テ、 "{(゙フヾ、 ヽ,' ,'| | |
'´ ',ッ'{ー'.:} |.:.:.:.:} ,' ,'-'、 l ,' 花のいのちは短くて
{} ゝ-' ゙ー" ,' ,'、) } ,' ,' 苦しきことのみ
゙'l 丶 ,' ,'ノ_ノ ,' ,:' 多かりき
ノ人 ⌒ || 7 /_/
/,:' ゙ヽ、 , |h,ヽ、 ノ
// ゙ヽ、__、、- ' |、 ', ヽ
( ( | 〉冖7‐''" ゙、} } お父様、晶子は寂しいより、悔しい。
ヾ'、 ノ/ / /彡-' "ノ ノ
ヾ, _, -'/ / / ノ/ \ この世では知りえない、あるがままを知りたいわ。
_ノ / (ノ / _,, - '' " ゙、
あなたは、お知りになったの? この世の存在の神秘を。
そして、私は知りました 全ての存在の神秘を!
一切行無常 一切法無我 一切皆苦 涅槃寂静
861 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :
2007/03/28(水) 12:45:31 ID:E4DfUXAp >>857 >存在論上の分析にも縁起を用いるようになるが、
これは十二支縁起で、釈尊成道とは直接関係ないのですが、
これを論法的にアタマをゴチャ混ぜにして、掲示板に書き込みしておる某コテハンがおりますね。
わたしは何度もそれを指摘したことがありますが、
全く意味が解らんようです。
>これも、成道直後の期間に想定された縁起の本義ではないと思われる。
勿論そうです。
本義じゃないです。
>『大毘婆沙論』巻23に出てくる4種類の縁起のうちの「刹那縁起」が、
>中観派で多用する、(同時同処の)相互依存性としての縁起解釈につながったのではないか。
これなどは実にいいモチーフですね。
自性における縁起は理論上は簡単です。自性があるんだから。
果たして無自性の縁起とは?
これですね。比較検討が一番わかり易い。