なにがなんでも親鸞会

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319渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 親鸞は「自然」という概念を知らせるための資料だと言う。では、阿弥陀仏という架空の補助線を
使って知らせたい「自然」とはどういうことか。そんな疑問を持つだろう。これはとても大事なと
ころだ。今、多忙だから書けない。その内書くだろう。
 親鸞会系のスレは流れが速い。もしタイミングが良ければここに書く。だめなら、

○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179146870/

 ↑ここに書く。
 架空の阿弥陀様に「私は救われました」などという妄想を教えるカルトに嵌るなよ。

 カルト親鸞会は阿弥陀仏に救われるという。ありもしない「弥陀に頼」んで溺れる者にわらを掴
ませるのがカルトだ。先人は「弥陀を頼め」と言っている。「に」と「を」では大変な違いなんだ
が、いまの君たちにこの違いを説明することはできない。
 自然という概念が分かれば、おのずから分かってくるだろう。

 数日間、カキコ不能