親鸞は「自然」という概念を知らせるための資料だと言う。では、阿弥陀仏という架空の補助線を
使って知らせたい「自然」とはどういうことか。そんな疑問を持つだろう。これはとても大事なと
ころだ。今、多忙だから書けない。その内書くだろう。
親鸞会系のスレは流れが速い。もしタイミングが良ければここに書く。だめなら、
○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179146870/ ↑ここに書く。
架空の阿弥陀様に「私は救われました」などという妄想を教えるカルトに嵌るなよ。
カルト親鸞会は阿弥陀仏に救われるという。ありもしない「弥陀に頼」んで溺れる者にわらを掴
ませるのがカルトだ。先人は「弥陀を頼め」と言っている。「に」と「を」では大変な違いなんだ
が、いまの君たちにこの違いを説明することはできない。
自然という概念が分かれば、おのずから分かってくるだろう。
数日間、カキコ不能