「魂」って一体どこにあるのですか???

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97名無しさん@3周年:2007/03/04(日) 00:44:09 ID:coZvMziZ
理不尽なことに出会えば魂はいきどおる。
98名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 11:54:18 ID:PZWOEUP+
魂について語れる人と波長が合わなくなったかな、
このスレは。
99名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 12:13:27 ID:BXdp9bAo
上司に逆らって人を無職にし、遂には餓死させたり盗賊に落すのが魂。
だから芥川龍之介「羅生門」が全て。
100名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 17:07:48 ID:821RmZ01
結局のところ、魂のありかは神しかわかりません。
101名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 09:55:30 ID:slitXuyf
>>100
人の本体である魂は神であるが、
「本体と離れている私」に染まりきっている人は、
本体である魂が神であることを理解できない。

しかるにその人は、
魂も神もどこにあるのかわからない。

するとその人は、こんなことを言い始める。
「魂がどこにあるかなんて誰も知らない」

更にはこうなる。
「魂のありかを知っていると言うコイツは変だ」

こうしてますます魂から離れていくのだ。
102名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 13:21:33 ID:Vq0FILch
>>101
>人の本体である魂は神であるが、

いきなり論点先取
あんたがそう信仰しているからと言って、それが事実とは限らない
事実であると人を納得させたいなら、それを証明してごらん
(体験すればわかるというのは、やばいカルトの論法と同じだぜ)

>「魂のありかを知っていると言うコイツは変だ」

言うだけなら、なんだって言える
あんたは
「魂は古来より伝えられる直腸にある尻子玉である
 括約筋を鍛えることによって、魂も鍛えられる
 疑うのならまず鍛えよ、さすれば魂の存在を実感できる」
という主張を聞いてどう思う?
103名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 13:43:53 ID:OhsXUAja
>>102
人が何を信じようとその人の自由。
いちいち絡んできて、証明してみろだの何だのってうざいんだよ。
誰もお前みたいな精神障害者のために証明してやる必要もなければ、
説明してやる義務もない。
何度も言うが、誰が何を信じようとその人の勝手だ。
104名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 13:49:03 ID:qkG9nVOn
>>1

キンタマに決まってるだろ、金のタマスィーがあって、
それを注ぎ込むと子が生まれるぐらい小学のガキでも知ってらぁ。
105名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 13:53:31 ID:slitXuyf
102は101の実例。
106名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 18:01:03 ID:Vq0FILch
>>103
>>101は信仰告白ではなく、霊魂が存在することをまるで事実であるかのように語っている
であるなら、他人から実証することを即座に求められてもしかたがない
それがなければ例に出した尻子玉や>>104さんのキンタマのような世迷いごとと同レベルだ
(それを信仰するというのは知ったことじゃないが)

そういう話を検証も疑問もなく信じるなど理性の退嬰だ
また他人に言っても「魂のありかを知っていると言うコイツは変だ」という反応は当然だ

もう一点、「人の本体である魂は神である」という主張はキリスト教の教義に乗っ取ったものだろうか?
これはキリスト教に基盤があるとは思えない
なんというかオウムなどと同じ胡散臭いオカルトであろうと思う
107名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 18:05:35 ID:Vq0FILch
まあ、オカルトに嵌るメンヘルさんは
「自分の言うことを理解しない一般人は馬鹿だ」
「一般人に理解できないことを知っている自分はすごい」
とまあ、こんなことで安いプライドを維持するものだ

俺ってすごいぜ
魂が尻子玉ってことを知っているんだ
ま、常識にとらわれ、魂から遠ざかった一般人には理解できないけどな ふふん
ってな
108名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 12:06:24 ID:8UjqHQv4
ID:Vq0FILchさんへ

何を信じるも自由だが、
他の人を道連れにすべきではない。

あなた一人で離れていきなさい。
109名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 14:48:40 ID:sjFyvLQL
>>106-107
自分の主張をね、そっくりそのまま相手の立場と入れ替えてごらん。↓

まあ、唯物論に嵌るメンヘルさんは
「自分の言うことを理解しないオカルティストは馬鹿だ」
「オカルティストの馬鹿どもに理解できないことを知っている自分はすごい」
とまあ、こんなことで安いプライドを維持するものだ

俺ってすごいぜ
魂なんてものはないことを知っているんだ
ま、迷信にとらわれ、科学的思考様式から遠ざかったオカルティストには理解できないけどな ふふん
ってな


これでも意味が通じてしまうんだなw
つまり、お前自身も同じ穴のムジナだってことだよ。ふふんw
110名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 18:20:13 ID:SXmtmmk7
>>109
魂が「無い」などと私がどこで書いた?
私はそんな間抜けなことは言わないよ

言っていないことで非難されても何とも
111名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 21:04:27 ID:8sVZTiJQ
>>110
どうせ、魂とは脳の生化学的反応だ、と言うんだろ?w
112名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 23:47:36 ID:SXmtmmk7
>>111
魂は一般的に非物質的な性質であるとされる、
であるから科学で取り扱える形而下の何かに魂と言えるものはないだろう

では形而上の範囲には魂はあるのか?
それは科学の範囲を超え、計測することも普遍化することもできない。
ある人間が形而上の事象(それが魂でも神との合一だろうと)を体験したからと言って、
それが実在する証明にはならない。
たとえ当人がそれを主観的に知ったとしても、それが事実であるのか幻影であったのかは、
当人にも他人にも証明できない。

私は自分の理性に誠実な人間なら神秘体験をしても、
それが普遍化でき得るものかどうか疑問を持つものだと思う。
少なくとも自分の宗教的体験が他人に理解してもらえないと考えた方がいい。

そういう疑問もなにもなく、単純に神秘体験を事実であると吹聴する人間は相当おめでたい人だ。
113名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 23:49:44 ID:SXmtmmk7
それはそうと、人間の魂=神ってのは何か典拠のある話なのかな?
キリスト教から被造物=創造者って教義はでないだろう

似たような話はオウムなどがやっていたらしいが、
いかにもオカルトやら神秘主義者の好きそうな話だ。
114名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 00:16:48 ID:gLx7IdqI
>>111
>魂とは脳の生化学的反応だ

ああ、魂=意識って観念か
そりゃ、ずいぶん単純な話だ

意識は脳神経が受け持っているな
それは脳や神経の破損が人間の意識に多大な影響を与えることを見れば明らかだ
それに脳内物質の多寡が心理に与える影響も計量されているようだ

つまり、意識は脳によって作り出されているという主張には科学的な根拠がある
意識=魂と考えるなら「魂は脳の生化学的反応だ」ってことになるな
そして魂のありかは脳神経ってことになる

で、魂=意識なのかい?
それはインド辺りの考え方とは違うな、キリスト教はどうか知らんが
115名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 02:17:45 ID:l2g5idBD
112〜114は同じ人なのだろうか。けっこう納得しました。
 
体験したのではなく、学んで発言してるなら相当の知識人だと思う。
 
わたしは知識ではなく、体験から霊魂を認めています。
116名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 09:31:06 ID:erVtMQlw
>>112-114
あのねぇ、ここはそんなクソ真面目に議論するようなスレじゃないんだよ。
そういうことを突き詰めていきたければ自分で別にスレを立てなさい。
そういう趣旨のスレであることを明記してね。
勝手に他人のスレを乗っ取って私物化しちゃダメですよ。
117名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 10:51:27 ID:qKyrqlkd
>>115
思いて学ばざれば即ちくらし
学びて思わざれば即ち危うし

といいますから、どちらもいいところがあります。
同じ出典からこう言うのもあります。

つきあって為になる友は3種類。

誠実な人、頑固な人、博識な人

118101:2007/03/13(火) 11:18:52 ID:rZxVMr+7
>>113

  人の本体は霊である、肉体ではない。
  そして人の霊の本体は、神である。
  故に人は、内なる神から学べばよい。
  その方法を私は示そう。

これがイエスの教えだった。
だが、民衆を支配するためにイエスの教えを利用しようとする人達にとって、
これは迷惑極まりない教えだった。理由はこれ。

 内なる神に学べばキリスト意識を得られるのだと民衆が知ったら、
 私達の権力が無くなってしまう。

それ故、こうなった。

 ならば、イエスのこの教えを削除してしまおう。
 代理人たる私達を通してのみ人は天国にいけるということに
 しようではないか。

こうやって発生したのがキリスト教。
この教えがキリスト教に無くて当然だったのだ。
119名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 19:13:50 ID:l2g5idBD
>>117
「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」・・これは孔子の言葉です。
 
孔子の言う<道>は聖霊であり、霊魂ではないと思っています。
 
あるいは聖霊と霊魂の両方かもしれない。
 
聖霊を体験した後に霊魂を体験するはずだから、順序から考えたら
 
霊魂だけということはありえない話です。
120名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 19:43:31 ID:l2g5idBD
老子の胡蝶の夢から、
霊魂は蝶ではないかと推測している人もいる。しかし
  
臨済宗の夢窓国師は、「いかなるか典外の法」という問いに、
「八角磨鏡、空裏を走る」と答えている。
さらに空海は、三教指帰で「明星来影す」と記している。
 
夢窓も空海も何を話しているのか。
簡単すぎて、なんのことやらよくわからないだろう。
  
夢窓や空海は、なぜもっと詳しく話さないのか。
わたしが思うには、あとから来る人が
霊魂を体験できなくなることを恐れているからじゃないか。
121名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 21:16:05 ID:gLx7IdqI
>>115
いや、付け焼き刃と知ったかぶりだよ
私の話は原始仏教の霊魂などへの態度の受け売り

>>118
お答えありがとう
それはグノーシス?
グーシス主義がローマ帝国に反するものであるのはたしかだね。
でも、他スレでマイナーだったころの原始キリスト教でも
グノーシス主義を異端視していたと読んだけど

>>119
「樊遅、知を問う。子の曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし」
孔子は理性に誠実な不可知論者だったのだと思う
理性では測り得ない形而上の問題は詮索しても無駄だから、
神霊などは不可知のものとして敬うに止め、本分を全うするのが知であるとね
あるいは人間の行動基準を神霊に求めず、自分の良心に照らし合わせなさいということかも

>朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
の道も神秘主義体験というより、正しい道徳や道理と解釈する方が普通では?
(ひょっとしたら、それは天に基づくものかも知れないけどね)

>>120
神秘体験なんて詳しく話せば話すほど陳腐になるしね
122101:2007/03/14(水) 11:39:51 ID:Jw9HP+pQ
>>121
>マイナーだったころの原始キリスト教でも
>グノーシス主義を異端視していたと読んだけど

ローマカトリックがグノーシス派を疎んじていた最大の理由の一つはメルキジデクの存在。
「イエスはメルキジデクに等しい位についた」をどうしても認めたくなかったから。

 イエスは人として最高の存在である。
 そのイエスの教えを守る私達はそれ故、最高の宗教に属している。
 だからイエスと同等な人がいたなどと認めてなるものか。
 メルキジデクとグノーシスに関することは
 聖書から削除してしまえ。

この傾向は、原始キリスト教にもある。
特に今も残っているものには。
123名無しさん@3周年:2007/03/14(水) 21:53:32 ID:cta4/6Yo
霊魂も不思議な言葉だけど、三途の川も不思議な言葉だよね。
だれかが体験して、その体験を周囲に話したから知られていると思う。
語られなければ、こういった言葉は存在しないのではないか。
 
三途の川を渡ってしまうと死んでしまう。
三途の川を見ること自体、かなり危ないことをやっている。
見ている自分が、三途の川に沈んでしまうと霊魂になる。
霊魂になったとき、地上の自分は仮死状態になっている。
こういう話だから体験者がほとんどいない。
124名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 01:01:29 ID:HwGWGEla
最初に聖霊を体験したほうがいい。
安全だし、これこそは人生のきわまるところ。
 
神に守られてから、坐禅でも瞑想でも、霊魂に挑戦してください。
その入口は神が用意し、その出口は仮死状態の中、自分を呼び戻すチカラ。
125101:2007/03/15(木) 11:24:47 ID:fJaLdXzv
>ヘブライ語の霊魂の語源は、息吹、を意味するそうだしな(>>79)

これについて話そう。

ヘブライのカバラでは、神は宇宙の創造主とされている。
その宇宙創造のために用いた力が、“神の息吹”。

そして、「内なる神」は神の分神。
だから内なる神も、神の息吹を用いることができる。
つまりヘブライ語でいう霊魂は「神の息吹の創造物」というより

  神の息吹を用いられる存在

とした方が近いのだ。そして、

  仮面で覆われたその存在が
  肉体から肉体へはかなく移ろい行く

ことを描写したのが、【魂】という字なのである。(>>19
126123:2007/03/15(木) 19:02:21 ID:HwGWGEla
>125
霊魂の性質に関しては、その見方がかなりちがっているように思う。
鋭敏で精妙だけど、霊魂はひたすら前方を見て、反省することがない。
与えられた自分の性質でひたすら走り抜けていく。
はかないどころか、永遠の硬さをもって、猛スピードで走り抜ける。
127123:2007/03/15(木) 19:13:36 ID:HwGWGEla
魂の性質は、前方を見るだけで反省しないから、
この魂を呼び戻すことができるのは、魂ではない別の存在になる。
それが仮死状態になっている地上の自分。
128名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 19:40:34 ID:CXwkfLlq
>>122
メルキゼデクって旧約聖書にも創世記と詩編にしか出てこない人物でしょ
原始教会が疎んじたとしても、ユダヤ教が疎んじるいわれはないわけで
削除されたってのはどうかと思う。

新約でもヘブル書で
「イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。」
と言う文言は残っているみたいだし、削除されたって訳でもなさそうだけど

>>123
臨死体験の報告は沢山あるね
川みたいな所を渡ったら花園があって神格に遇うって話
(神格はその人の地域で信じられるものの姿を取って出てくる)

ただ、それは幻覚じゃないかという反論もされている
129名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 20:06:48 ID:CXwkfLlq
>>125
魂、と一口に言っても、その概念は一定じゃないようだ

ある時期から人類は死を認識した
そして、おそらく生と死の違いは何か?生命の本質とは何かを考えるようになった
死んだ人間は腐敗し土へと還ってしまう。
土へと還る肉体と、いまだ生命をもった肉体の違いは何か?
そこで生命の本質として魂を考えるようになったという

観念の一つは霊魂を意識作用であると考えるもの
死んだ人間は意識を失ってしまうからね
(寝てみる夢は霊魂がどこかへ飛んでいる状態であると説明される)
この魂は個性を持ったものということになる

もう一つは生命活動を起こさせる力を霊魂とする観念
こちらは霊魂を意識作用とするのではなく、肉体を維持せしめる力そのものを霊魂としている
この場合の霊魂は個性があるものとしては見ない
(意識を失った人間でも生命を維持しうることを確認したのかもね)
生命活動を観察したとき、呼吸というものが生と死を分けるものである
呼吸の停止が死を意味する。
この意味での魂という言葉には息、風、を語源とするものが多い
たとえばヘブライ語ruah、サンスクリット語atmanやprana、ギリシア語psycheなどである

世界が神の息吹(普通は神の言葉かな?)で生まれたという創造神話を持たない文化でも
息を魂の語源とするのは、上記のような霊魂観があったからだと思うよ

(ただ、神(一なる原初の巨人やらなんやら)から世界が流出したという神話なら沢山あるけどね)
130名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 20:15:57 ID:CXwkfLlq
世界が神の息吹(普通は神の言葉かな?)で生まれたという創造神話を持たない文化でも
息を魂の語源とするのは、上記のような霊魂観があったからだと思うよ

つまり、ユダヤ教の霊魂観もインドなんかと同じで生命活動を魂と見る文化だったんじゃないかと
だからこそユダヤ教やキリスト教では、肉体を離れた復活というのが考えられなかったんじゃない?
131名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 23:28:32 ID:yVCyXYLm
米帝の衛星に間借りしてるよ
132101:2007/03/16(金) 08:54:57 ID:y5KxonuW
>>126
あなたにとっての霊魂と魂の定義は?

それを明らかにしてからでないと
話は噛み合いません。
133101:2007/03/16(金) 09:07:40 ID:y5KxonuW
>>128
メルキジデク教団とエッセネ派は同じ組織に所属していた。
エッセネ派だったイエスは、メルキジデクの知恵を直弟子達に教えていた。
だから直弟子達は、メルキジデクへの豊富な知識を持っていた。

今日残っている聖書は、ギリシャ語の教典をもとに作られた。その聖書の原形には、
メルキジデク関係の事柄は最初からあまり載ってなかったのだ。

それを更に削除していった結果が、今日の状態。
わずか数行を残すだけの。
134101:2007/03/16(金) 09:17:08 ID:y5KxonuW
>>129
>魂、と一口に言っても、その概念は一定じゃないようだ

その通り。そしてだからこそ争いが生まれてしまう。
霊は万人にはっきり目に見える現象ではないため、特にそれが多い。
だから、同じ事柄について話しているにもかかわらず名称が違うというだけで
言い争いになる。
同じく、違う事柄なのに同じ名称を用いていた結果、言い争いになる。
こんなことは霊の世界では日常茶飯事だ。

だからこそ、先ず最初に【定義づけ】が必要なのだという事。
135名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 09:50:13 ID:QkcAvPa1
まず、先生から【定義づけ】をお示しくださると
議論は進むかと思われますが、いかがなものでしょう。
136101:2007/03/16(金) 10:41:12 ID:y5KxonuW
>>135
ちょっと待った、私を先生などと呼ばないでください。
ああ、やっぱ普通の“ですます調”で話そう。

魂という漢字については>>19に、
魂の三つの解釈については>>23に書いてます。
読んでみてください。
137名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 21:54:28 ID:nsX9VVkn
>>133
>エッセネ派だったイエスは、メルキジデクの知恵を直弟子達に教えていた。
>だから直弟子達は、メルキジデクへの豊富な知識を持っていた。

それを証明する文献は?
まさか公開されていない死海文書とか言う?

>今日残っている聖書は、ギリシャ語の教典をもとに作られた。

死海文書の旧約聖書が最古の物だと思うけど、
それのヘブライ語のものとギリシャ語聖書とで、そんなに差があったという話は聞かないけどね

>>134
魂についての概念に幅があるのは、それが不可知の領域のものだからだろう
その点ではオカルトに限らず宗教は争いの種の一つだ
自己の存在意義をそこに見いだしている人間同士の衝突は本当にタチが悪い

魂の定義については、私は仏教系の人間なので魂と言われると
バラモン教のアートマンを思い浮かべてしまう
人間だけではなくあらゆる物にひそむ不変不滅の本質、実体である「我」
138123:2007/03/16(金) 23:07:56 ID:uIcTyC8L
>101
わたしが言っている霊魂は137にあるアートマンです。
>137
臨死体験は、<三途の川>を渡って体験するのではなく、
いきなりあの世に行って体験する話ばかりではないですか。
この辺はそういった報告書を調べればある程度わかることですが、
その体験が実際にあの世なのかどうかには疑問の余地がありそうです。
 
三途の川を渡っていないなら、この世にもどれても当たり前。
三途の川を渡っていたらもどれない・・・と思います。 
139名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 23:12:07 ID:rJrTpu1A
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

140101:2007/03/17(土) 11:16:57 ID:4kzFZ0qv
>>137
>それを証明する文献は?

公表されてるものには無いでしょう。
ローマ法王なら調べられるでしょうが。

>ヘブライ語のものとギリシャ語聖書とで、そんなに差があったという話は
>聞かないけどね

ギリシャ語の聖書は直弟子達がいなくなり、孫弟子達も少なくなった時に
書かれたもの。

また、ヘブライ語には「書き留めるさいには母音を省く」という特徴があります。
なのでどこにどの母音を入れるかで、ヘブライ語の書物は意味が違ってきてしまう。
つまり、秘伝を書き写すには打って付けの言語だったのです。

ですが「どこにどの母音を当てはめるか」は、時代を経るごとに忘れられて
いきました。そんな時代に書かれたのが、ギリシャ語の聖書なのです。

というか、イエスはアラム語を話していたのですが。
141101:2007/03/17(土) 11:23:22 ID:4kzFZ0qv
>>138
>わたしが言っている霊魂は137にあるアートマンです

なるほどそうですか。私にとってのアートマンは>>118で書いた

>人の本体は霊である、肉体ではない。
>そして人の霊の本体は、神である。

でいうところの霊でしょう。
あらゆる物質の本体は、霊ですから。

ただ私は、人にとっての霊の本体を魂としています。
「内なる神」という言葉も使ってますね。
142神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 20:49:06 ID:SA1LgAz0
霊も魂も幽霊も妖怪も存在しません。空想物です。
143神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 19:03:43 ID:VzD/iuBp
空海の神秘体験
「谷響きを惜しまず、明星来影す」
「明星来影す」はどういうことかわかった。
しかし「谷響きを惜しまず」とは何か。
144神も仏も名無しさん:2007/03/30(金) 21:03:22 ID:DmLeKWm6
空海の「谷響きを惜しまず」とは何か。
霊魂を呼び戻す<声>が響いている。空海は霊魂を体験した。
145神も仏も名無しさん:2007/03/30(金) 23:41:30 ID:JoDLy6R5
日蓮は梅に降りた光と話をしていたとか。
146神も仏も名無しさん
>>145
それは霊魂ではないですね。日蓮の場合、霊魂らしきものは、
竜の口での法難のさい、鬼門から裏鬼門に抜けていく
「月のごとくひかりたる物」でしょう。
残念だけど、これは霊魂ではありません。
だれかの脚色か、火の玉のようなものですね。