【浄土の真宗】がんばれ親鸞会

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355渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 興味深い書き物を発見しました。木像本尊論に、恐らく終止符を打つでしょう。
 親鸞は、背後に名号本尊を置き、前方に木像本尊を並置しています。
 名号本尊は、中央に「不可思議光如来」右に「南無阿弥陀仏」左に「無碍光如来」を配します。
名号本尊の前方に仏像を置きます。これは二尊方式です。阿弥陀仏を右、釈迦仏を左に置きます。
阿弥陀仏は第八の観、つまり鎌倉の大仏・中尊寺の阿弥陀如来のような座像です。
 一般の真宗寺院で来迎像を置いているのが不思議でしたが、親鸞の時代はやはり座像を使って
いたようです。これなら親鸞の教義に一致します。釈迦の像も併存するというのは意外でしたが、
考えてみると当然と思います。


  弁述名体抄  (存覚著 1290年7月11日〜1373年3月22日)
 高祖親鸞聖人御在生のとき、末代の門弟等、安置のためにさだめおかる、本尊あまたあり、い
はゆる六字の名号、不可思議光如来、無碍光仏等なり。梵漢ことなれども、みな弥陀一仏の尊号
なり。このほか、あるひは天竺・晨旦の高祖、あるひは吾朝血脈の先徳等、をのおの真影をあら
はされたり、これによりて、面々の本尊、一々の真像等を、一鋪のうちに図絵して、これを光明
本となづく。けだし、これ當流の学者のなかに、たくみいだされたるところなり。
 まづ不可思議光如来といふは、かの如来の智恵の光明その徳すぐれたうとくして、こころをも
てもおもひがたく、ことばをもてもはかるべからずといふことばなり。この不可思議光如来をも
て、中央にすへたてまつらるることは、弥陀如来の真実報身の徳をきめたてまつらるるがゆへな
り。これすなはち、聖人弥陀の身土にをひて真仏土・化身土をたてたまうとき、真仏土を釈すと
して、「仏はすなはちこれ不可思議光如来、土はまたこれ無量光明土なり」と釈したまへり、こ
のゆへに真仏の体なるをもて中尊とせらるとなり。そもそも、この不可思議光如来といへるは、
聖人のわたくしにかまへたまへる意巧か、また経釈のなかにその証ありやといふに、さらに聖人
の今案にあらず、経説よりいで、釈義よりおこれば、まづみなもとをたづぬれば、『大経』の四
十八願のなかに、光明無量の願成就したまへるゆへに、諸仏にすぐれて十方にきこえずといふこ