887 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 16:51:59 ID:FROesBZZ
机さん、もう少し、分かりやすく、かつ具体的に説明してください。死後の世界はないのですか、あるのですか? 悟りとはどういう状態なのですか? 要するに仏教は生きてる間だけの宗教なのですか?
それはつまり云々の語調で流暢にごちゃごちゃ書く必要もなく
死後の世界はあるなぁ
わざわざ構える必要もなくあるなぁ
信仰をすることによって論法からくる信仰批判を恐れて信仰しないでいる価値はないなぁ
霊性が味わえる人の観念論以外はほんとうに観念論としての形骸しか感じられないからなぁ
889 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 17:40:32 ID:PRrQFbmg
おお、原始仏教スレから、『三合の戯論に、八石五斗の罵倒語』連中が
このスレに引っ越したのか!
結構、結構、このまま続行してくれ。
やはり台所と便所は分けるのが当然だ。
但し、元の台所スレは荒らすな。
相対性理論と仏教のそれぞれの体系に似通った概念が仮にあったとしても、それぞれ別個の体系として考えるべきじゃないか?
相対整理論では人は救われないし、四諦八正道とかいっても重力レンズの現象やは双子のパラドックスは説明できない。
たしかにボーアなんかは晩年は陰陽にかぶれたりしたらしいが、宗教などただでさえトンデモと境界点に位置しがちなんだから、無闇に変な話を持ち出すのは自殺行為だと思う。
オレは大学で仏教学をやってから、卒後に物理学科へ学士編入したが、自分自身がトンデモ化するのを嫌って専攻はわざわざ物性のそれも実験系を希望したくらいだ。
891 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/20(月) 17:53:06 ID:/aJlum4U
>>887 >要するに仏教は生きてる間だけの宗教なのですか?
2007年の8月20日に、こうして生きている。
このことを悟るわけなんですね。
それは昨日ではなく、明日でもなく、今日こうして貴殿と私が交信している。
まさにこの瞬間における全て。
これを一切というんです。
ここには生もなく死もなく、今ある自分。
これこそ永遠じゃ〜ないですか。
これを覚者は不死とか言うて、その境涯を語ちてきました。
もう迷うことはない。
輪廻からの解脱です。
892 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 18:04:31 ID:PRrQFbmg
>>887 机的立場からすれば、キーワード→中道、八不(特に不生不滅)、自受用三昧
戯論の消滅というめでたい縁起のことわりから自力で考えろ、気が付け。
おまえが今まで我執で構築してきた世界(観)が完全崩壊したとき、それが悟りだ。
結論はおのずから明らかなり。
以上
893 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 18:08:30 ID:FROesBZZ
>>891 そんなもん、どうだっていいじゃないですか。人生、苦しいことの方が多いんだし、まして私のようにハンディ抱えてる負け組にとっては、生きてることはつらいこと。一切なんて、どうだっていい。救い(答え)になってないですよ。
894 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 18:22:50 ID:PRrQFbmg
>>893 ⇒自受容三昧(
>>892)
* 「いのちの初夜」北条民雄(角川文庫1275)を読むことを薦める。
895 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 18:27:23 ID:FROesBZZ
>>894 仏教は方便の教えとはよくいったもの。じゃ、悟った人はどんな境遇においても、苦しみを感じないわけですか? そんな人間がどこにいます?
896 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 18:33:42 ID:egfEG3cB
アーナンダさんは焼身自殺です
よほど辛かったのでしょう
なんとかならなかったのかなあ?
897 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/20(月) 18:34:00 ID:/aJlum4U
>>893 >そんなもん、どうだっていいじゃないですか。
いやいや、どうだっていい。と悟るわけなんですが。
>生きてることはつらいこと。
ここに「どうだっていい」を接続すればいいんですね。
「生きていることは、どうだっていい」。
こういうふうに悟るわけです。
この諦観こそが涅槃寂静です。
(しかしながら、ここまでの諦観は凡人にはなかなか悟入は難儀ですね。
では僕は凡人ではないのか
きとう最中は骨折の痛みも消えるそうな
900 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/20(月) 18:44:45 ID:/aJlum4U
今からラーメンを食いに逝きます。
901 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 18:45:12 ID:PRrQFbmg
>>892 <スッタニパータ1092-1094>
カッパよ。
極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しの中にある人々、
老衰と死とに圧倒されている人々のための州を、わたくしはそなたに説くであろう。
いかなる所有もなく、執着してとることがないこと、これが州にほかならない。
それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
悟っても、肉体がある以上苦しみはあるでしょう。
しかし、いわば病気の原因がわからず病苦に苦しむ状態と、
原因(縁起)を自覚し処方箋も判っている状態では、全然境涯が異なります。
902 :
901:2007/08/20(月) 18:48:17 ID:PRrQFbmg
903 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 19:11:45 ID:FROesBZZ
どうだっていいなら、自殺も止める必要ないじゃないですか! 生きようが死のうがどうだっていいんでしょ?
904 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 19:15:54 ID:FROesBZZ
>>894 ハンセン病の方の話ですけど、死ぬのは「今」でなくてもいいとのことですが、逆にいうなら、何で、「先」じゃなきゃいけないのか? 今でも先でも一緒でしょ。仏教は救い(答え)になってないですね。
905 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/20(月) 19:34:16 ID:YV9gbMp7
>>881 >未来というのは、未だ来たらず。ってことだろうし、
>未だ来たらず。のものが来ることは有り得ない。
>つまり、永遠に来ることはないのが未来である。
頭大丈夫?
な、いかにこいつが、実の無いくだらない言葉遊びだけかってことが、よくわかるだろう。
それをいうなら、こういうんだよ。
過去はどこにある?それは私の記憶中に。未来はどこにある?それは私の未来を思う思考の中に。
過去も未来も、私の思考の中に存在する、実体の無い幻。有るのは ”今ここ” だけ。
だが、この ”今ここ” も、この世界ではすぐに過去となり未来への今ここになり、記憶の中に消え去る。
未来に今ここも、なってみればあくまで現在である今ここであり、その今ここもすぐに過去となり、記憶の中に消え去る。
このようにこの世は、存在しいぇいる今ここが留まらずすぐに消え去る、実体の無い幻だと知れ。
釈迦も言ってるだろう。この世を泡沫の如し、陽炎のごとしと観よ。そのように観ずる者は、死魔の王も彼を見ない。
とな。ま、邪見と言葉遊びにどっぷり浸かっているおまえの思考では、理解できん道理だろう。
しかし、永遠に未来が来ることが無いなど、どこのトンデモさんなんだい(爆笑)
おまえ本当に頭大丈夫?
未来が永遠に来ないなどと、妄想を語っているのはおまえのほうだろ。
俺が妄想を語っているのなら、釈迦も随分妄想を語っているよな。
なにせ輪廻を説いているのだから。それを説いていないとするのはおまえらの妄想だろう。
>自我が滅んだ後は、永遠の真我に合流する。ってことだろ?
なんて、合流すると言ってるおまえは、人の話を全く理解しとらんし。
906 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/20(月) 19:56:44 ID:YV9gbMp7
机の馬鹿は、何度言っても利他の意味を理解しない。
こいつの利他行の説明は、オウムの連中がやったことと同じ、単に
自分達のエゴを押し付けるということになっている。
俺はそんなことはいっていない。俺の言う利他の心とは、己の心に救う利己心(エゴ)を
滅ぼせ。ということなのだ。そうすれば自然と利他の心も生まれる。
なにも、エゴをそのままに、行である、利他行が救いには必要だと入っていない。
利己心を滅ぼしなさいといっているのだ。
はっきり言ってさ、机のように、釈迦の言う、なにが善で、何が悪かも判断できないものは、
いくら自称見性しただの、悟っただの、私は目が開いているだのと抜かしたところで、
そいつらは、釈迦がえた、不生不滅と同じ境地を得ていない。だから彼らは、何が善悪か判断できず、
釈迦の教えである、七仏通戒偈も、四正勤も、単に我々が社会生活を円滑に送るための
決まりごとの一つに過ぎないとしか理解できないのだ。
それはそうだ、普通合理的に考えると、イエスの掟である、「あなたがたは互いに愛し合いなさい」
も、なんでそれが必要なのか?理解できない。理解するとすれば、ただ、それは社会生活を送る上で、
そのようにしたほうが、トラブルも争いもないだろうから、道徳面で必要なのだ。だから、特段他人に迷惑
を架けなければ、そんなものは本当は必要ない。という結論しか見出せない。机などそのいい見本だ。
そうではない。その境地を知ればこそ、他人を自分のここと思い、自分を愛するように、他人を愛さなければ
いけないということを悟るのだ。はっきりいって、仏教者を自認していても、道徳を否定する者は、
釈迦の悟りの境地に達していない。ただ自分の考えを得意げに語っているだけだ。
何が善でなにが飽くかを知らず、八正道の必要性も悟らず、釈迦の説いた、七仏通戒偈も、四正勤が
なぜ必要なのかも悟らず、ただの我々が社会生活を送る上での法律みたいなものだとしか理解できない机など、
いくら苦難しい御託をいくら並べようと、単なる凡夫の一人でしかない。
907 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/20(月) 20:14:22 ID:YV9gbMp7
戯論の消滅というめでたい縁起のことわりから輪廻などないと悟ることが
涅槃静寂などとおかしなことを言っている、末法唯物断見仏教者がいるがよ、
だいたいよ、今の世の中、今の教育を受けた者は、はなから輪廻思想など信じていないわけよ。
それを、仏教などに手を出すから、輪廻思想に傾倒するんだろうが、
おまえらの理論だと、元々現代人は、輪廻など信じていないのだから、輪廻思想から脱却することが
解脱というなら、はなから仏教などやらなきゃいいんだよ。ちゅうか、仏教など最初から
ないほうがいいわけだ。この矛盾に気付いてる?まったく何言ってんだろう、この池沼さんは。
仏教に興味のある方。前にも言ったけど、輪廻思想を否定している仏教者は、
世界広しといえど、日本特有の、この唯物仏教者達くらいのもの。
伝統的な仏教の僧侶達に聞いてみるといい。まともな仏教とは、まず輪廻はあるものとし、
輪廻はこの世の迷いの生存を生む。この輪廻の鎖を断ち、再びこの世の生存である、迷いの生存から脱却する。
これが涅槃静寂であり、解脱なのだ。何度も言うが、まともな仏教では、輪廻はあることと前提している。
それをこの末法唯物断見仏教者達は、輪廻などないからはじまっている。
彼らは、根本的なところで誤謬している。唯物思想にどっぷり浸かり、輪廻思想など受け入れられなければ、
君らが仏教など捨てればいいだけの話だ。なに、輪廻を語る宗教で、必死で自分達の価値観に合うように屁理屈
紺ね繰り回して、曲解して悦に入ってるんだい?君らは何教の人なんだい?
908 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/20(月) 20:19:14 ID:YV9gbMp7
智慧のある人なら気付くだろう。
どんなに小難しい御託を並べようとも机を代表する、唯物断見末法仏教者達の仏教の行き着く結論は、
単なる気休め程度の心理カウンセリングレベルのものでしかないってね。
彼らの法論は、どこまで言っても単なる言葉遊びでしかない実の無いものだってこともね。
心理カウンセリングでいいのなら、今の世の中、いい薬もあるし、こいつらの能書き聞くより、
専門の心理カウンセラーや精神科医のほうが、よっぽど、現代人の、心の苦を取り去ってくれるよ。
こいつらの仏教って、本当にくだらないだろう(苦笑)
909 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 20:24:27 ID:FROesBZZ
>>907 カラスの唄さん、だから、解脱するには、具体的にどうすればいいわけですか? また、現在、地球上に解脱された方がいるのですか? その方は死後、どうなる訳ですか? それを聞いてるんですけど・・・。
910 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/20(月) 20:36:25 ID:/aJlum4U
>>905 >しかし、永遠に未来が来ることが無いなど、どこのトンデモさんなんだい(爆笑)
>おまえ本当に頭大丈夫?
頭がおかしいのは貴殿の方だよ。
未来が来るわけはないよ。来ないから未来という。
大体、未来が貴殿のところへやって来るのか?→笑える(*^。^*)
未だ来ないものが来ることは有り得んだろうよ。
よく考えたらいい。
未来は永久に貴殿には来ない。
また輪廻も来るわきゃないだろ?
何でこんな簡単なことが分からんのだろ?
君は頭、おかしくはないか?
911 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/08/20(月) 20:41:42 ID:/aJlum4U
今晩は、じっくり私が書いた
>>910を考えたらいい。
もしかしたら明日には悟るかもしれん。
では、おやすみ。
912 :
901:2007/08/20(月) 20:49:52 ID:PRrQFbmg
やっぱりここは魑魅魍魎戯論派専門の便所スレだな
このまま続行w 、ケロンパ・カラス頑張れ!
しかし、ブッダの説かれる不生不滅からは、来世・前世、当然「輪廻」観念など
抽出しようがない。当然、否定される。
戯論寂滅
ここから、無理やり一切外の超越存在を妄想するケロンパにブッダをペンキ塗り仕立てするのが
破れカラスの醜い動機なのだ。
そもそも、ブッダにとっては人々の「苦」の超克が全てであって、
戯論(形而上学的言説)などどーでもいいのだ。
ケロンパ馬鹿の裸踊りなどにかまっていられるか。
『「我なるものは無く、無我なるものも無い」と説かれ、そのような対象が滅すれば、
そこに不生不滅の世界<涅槃の世界>が現れるのである。』(中論 第十八章の七)
唯物論者には仮設的に有我を説き、自我への執着者へは無我を説く。
無我の教えを解したものには「我はなく、無我も無い」と説かれて、
あらゆる執着を断ち切るように導かれた。
カラスをはじめとする魑魅魍魎ケロンパどもは、言葉尻をとらえて
揚げ足取りをするしか脳が無い。カルト・レプリカントたるゆえんだ。
ブッダは名伯楽であり、対機説法の真髄者だ。
>>909 今出先なんであしからず。
ちなみに皆が思っているような死後の世界なんてないよ。
あるのは外側と内側。そして涅槃静寂。
それの徴とはなにか?それは、運動と停止(休息)である。
ま、あなたの問いは帰って気が向いたら答えましょう。
え?なんで気が向いたらなんだって?
ここで答えるのは豚に真珠を投げてるのと同じで、
ここで法を語るのはふさわしくない。
914 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/08/20(月) 21:36:16 ID:IiWSzsjq
>>913はおれな。
なんかいつも論破されてる人達が相も変わらず絡んできてるな。
アホは恥を知らんようで(嘲笑)
死後は想念の世界という側面が見落とされてるなぁ
お姿の蜜蜜としたエネルギーが光明してるときは
たしかにぐわわーんという不浄もふっとぶアマテラス力だったけど
解脱という極論でいうならまぁいいんだけど
ひとつひとつ地道にゆくという牛歩が重要だと思うんだぁ。
(・◇・)
916 :
神も仏も名無しさん:2007/08/20(月) 21:59:39 ID:dFGQiKBW
>>914 いや、カラスの唄さんは答えられないんだと思う。何度もその問いを向けられてるが
答えていないもの。
死後の世界なんてないなら、今、現在、苦しい状況にある人で逆転不可能な人は
生きる必要はない。
思うんですけど、内側と外側の話で、理由なく、内側が喜べることってないんじゃないでしょうか?
人間のしあわせは適度な快楽ですと言い切っていいと思いますが…。
917 :
167:2007/08/20(月) 23:22:24 ID:WGIYOb7r
この感じだと次スレが立つ際は「戯言と仏教」になりそうだな。
918 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:06:17 ID:oOxFFsfe
>>861 >無常でなければ、アートマンであり、無我説は壊れるよな。
まったく壊れませんが?おまえのボンクラ頭ではご理解いただけませんか。
無為が無常でないと言って、それが何ですぐに常住アートマンを持ち出す必要があるんだ?
おまえはすぐそれだ。欠けてたら、なんとしてでも補充したがる。
>釈迦は一切は、無我であり、無常だと問いただけなので、アートマンをおいても矛盾はないのだが。
だから釈尊に断りも無く勝手にアートマンを置くなってんだよ。それじゃ仏教じゃなくておまえの妄想経だろが。
まあアートマンを置くと言ったから、有我論者と認めたわけだな?
じゃあ、おまえのご高説では涅槃は無為だが、無為は無為法じゃないってことだな?
ダンマパダの一切行と一切法の違いが一向にご解説いただけてませんが?
なにか不都合でもございますか?
唯物論・断見?なにそれ。誰がどこでそんなこと言った?妄想ヘキもよい加減にしろよw
「釈迦の中道なんざ?」ほほう、なんざと来ましたかw 常見外道さん。
そんなヘボ文章で説明した気になってんのは、妄想経を説くおまえだけだ。
おまえが手に固く握ってるブツをよく見ろ。
釈尊のムガ真珠じゃなくて、そこらに転がってる只の常見石っころだ。
919 :
901:2007/08/21(火) 00:20:52 ID:43ihzuBv
>>916 あなたの判断基準は世俗我執そのものですね。
その苦しみはあなたの我執によって縁起している⇒
>>901 大部分の世の俗物たちは今のあなたのような刹那的な井戸のカエル的思考をします。
で⇒
>>892>>901 >人間のしあわせは適度な快楽ですと言い切っていい
だったら、どうぞ一生「適度な快楽」を追求していってくださいw
920 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:22:38 ID:kaIZl3fj
物理法則で宗教を説明しようとすると、宗教は壊れる。
921 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:30:49 ID:FFZJvb9l
>>919 では、原因と処方箋を教えてもらえますか?
私には理屈で妄想されているとしか思えないんです。
>おまえが今まで我執で構築してきた世界(観)が完全崩壊したとき、それが悟りだ。
それは教育や世間一般の価値を押し付けられてきたのもあり、私が構築したわけではありません。
ひとりよがりワールドを作ることが悟りなのですか?
922 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:49:37 ID:FFZJvb9l
178からの抜粋
たとえ体が朽ちたとして土となったとしても、その中では相変わらず同じように炭素の周りを6個の電子が、酸素の周りを8個の電子が回っています。
あるいは火葬されたとしても、体から出た煙の二酸化炭素の中では、相変わらず炭素の周りを6個の電子が、酸素の周りを8個の電子が回っています。
そしてその電子さえも、上述いたしましたように、元を辿れば波の重ね合わさった結果に過ぎません。
この波動の重なり合い方のバランスが崩れ、電子の分布が微妙に崩れ、炭素や酸素の構造に影響が及び、心臓や呼吸、脳の機能にバランスの崩れが及ぶと、所謂、病気になったり、それらの機能が停止すれば「死」ということになります。
海面に現れていた、さざ波が崩れ、海に同化する。死はそんなイメージです
非常に冷めた表現になってしまい申し訳ないのですが、これくらい連続的なものであり、生と死がそれほどドラスティックな変化ではないことを言いたかったのです。
もしかしたら意識についても生前と死後で連続しているかもしれません。
物質がこれだけ連続的なことを考えれば、意識についても連続的である可能性はあると思います。
阿頼耶識などには、人生の経験が全て蓄積されているといわれます。
それもこの人生だけではないようです。
一方で、量子論の波動関数も実は同じような概念になっていまして、電子や光子がたどってきた経路や歴史が全て含まれているというつくりになっているようです。
物理的に考えてみましたときに、私はこんな死生観を持っております。
-宗峰- 「だから物理研究家は・・・!!困るんだよ!!」って言われませんか?
「どんなに考えても、自分の死と物理的真実は別のものだ!!」って言われませんか?
-岸- はい、よく言われます(笑)。
ですので、小林さんに、華厳経について語っていただきたいのです。
923 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:51:26 ID:FFZJvb9l
この文面でいく限り、死後はある。
ただ、解脱とはどういうことなのか??
924 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:51:53 ID:BQbIBoIL
江戸時代もお盆にご先祖さまが仏壇にお里帰りするのにあわせて
やぶ入りといって、江戸や大坂へ行ってる奉公人が古里に帰っててたんですけど。
そのころの人は亡くなった方の霊をどう考えてたの。
輪廻とはいまいちちがうようなものじゃないですか。
五十回忌とかお弔い上げという風習もあって、
輪廻して生まれ変わってる人をずっとまつり続けるのも変だ。
インドとかチベットみたいに、すぐに遺体をガンジス川に流したり、鳥に食わしたり
するろとこは輪廻を信じてるとしえ、ほんとのところ江戸時代から日本人って輪廻を信じてたのか。
中国人も信じてなかったように、なんか儒教で先祖の祭りしてたんじゃないの。
925 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 00:56:46 ID:HmnNxHJU
熟睡してるとき意識はありません。急に起こされたときに一瞬にして
意識が生じます。死ぬとは熟睡がずっと続くようなものだと
考えると簡単だと思う。
926 :
167:2007/08/21(火) 01:25:22 ID:jdIjpLPp
>>922-923 それで「死後の世界がある」はちょっと早急すぎるだろ。
物質が連続的だから意識も連続的である可能性。なんて言うだけなら誰でも言えるし、しかも確証があるわけでもない。
ましてや人間からの観点で死後の世界を語ってる以上、死後に関しても確証が無い。
確実で無いものに関してまで断定してものを言うなんて事は、一応は量子論やってたんだろうからするべきじゃないだろ。
927 :
167:2007/08/21(火) 01:34:27 ID:jdIjpLPp
間違えた。
死後であって、死後の世界じゃなかったな。
まあ、どちらにしても死後が在るか無いか自体確実じゃない以上、量子論で語れるとは思えないが。
それとも、量子論ってそういう確証無いことでも語れる学問なのか?
だとしたら、物理学でも他の理学系でもない結構変わった学問なんだな。
928 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 01:55:08 ID:FFZJvb9l
>>926 じゃ、死ぬと同時に意識はなくなり、物質として存在し続ける…が正しいのかな?
しかし、意識さえも物質で出来てるんじゃなかったっけ??
929 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 01:57:55 ID:FFZJvb9l
早く、今、現在、地球上で解脱している人を挙げてください。
ダライラマ?
930 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 01:58:06 ID:kaIZl3fj
たとえ体が朽ちたとして土となったとしても、その中では相変わらず同じように炭素の周りを6個の電子が、酸素の周りを8個の電子が回っています。
あるいは火葬されたとしても、体から出た煙の二酸化炭素の中では、相変わらず炭素の周りを6個の電子が、酸素の周りを8個の電子が回っています。
結合の具合で電子軌道は変わるんだが。
931 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 01:59:28 ID:kaIZl3fj
そしてその電子さえも、上述いたしましたように、元を辿れば波の重ね合わさった結果に過ぎません。
この波動の重なり合い方のバランスが崩れ、電子の分布が微妙に崩れ、炭素や酸素の構造に影響が及び、心臓や呼吸、脳の機能にバランスの崩れが及ぶと、所謂、病気になったり、それらの機能が停止すれば「死」ということになります。
海面に現れていた、さざ波が崩れ、海に同化する。死はそんなイメージです
そこまで逝くと完全に妄想だな。
932 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 02:02:55 ID:kaIZl3fj
量子論の波動関数も実は同じような概念になっていまして、電子や光子がたどってきた経路や歴史が全て含まれているというつくりになっているようです。
それはかなり違うな。可能なすべての足し合わせという意味で。
>>910 机さんの仏教って、どこまで行っても、
所詮はただの言葉遊びでしかないんですね。
あなたの話は屁理屈ばかりじゃないですか。
くだらないですね。
934 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 05:39:55 ID:FFZJvb9l
カラスの唄さんもだよ。
935 :
神も仏も名無しさん:2007/08/21(火) 06:57:10 ID:3Q+lt2d9
カラスの唄さんへ。人のことを池沼だの何だのと馬鹿にする前に、今、現在、地球上で解脱している人を挙げてください。輪廻なんて絶対神と同じで無いでしょ? 釈迦は説いていないと思いますよ。
936 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :
>>923 >ただ、解脱とはどういうことなのか??
これは一瞬ですね。
たぶん、池田昌子とか正岡子規などはこの体験をしたかと推測する。
参禅帰りの白隠も、これと似たような体験してます。
釈尊が晩年に語ちた「世界はなんと美しい」。
という、このフレーズ(美しい)は全て共通してますね。
私も前に書込みしましたが、私の場合は信号待ちの車内での体験です。
季節とすると秋ですね。
車の前では枯葉が舞い散るのです。その瞬間ですね。
まるでそれはスローモーションの映画を観ているよぉでしたよ。
この世と思えんほど、実に美しい。
霧がパッと晴れたような状態。→だから眼が開くと言う。
過去も、未来も、現在も、あの世も、この一瞬にあるんですね。
これが「一切」なんですよ。
それは実に美しいですよ。
スーパーの駐車場の片隅にあるゴミでさえ美しいですから。
カラス氏に真珠を投げて貰わんでも、真珠以上の美しさがそこにはあるんですね。
その美しさというのは、取りも直さず「今ある自分」を垣間見た、その顕現に他なりません。
これは、正岡子規のように病床であっても「今ある自分」には全く差異はない。
<花押>