★ 江原啓之・スピリチュアル 肯定派専用その2 ★

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716神も仏も名無しさん
マジっすよ。
ある意味、ぼくはスピリチュアル肯定派です。

ただし迷信・妄信の類は危険だと思ってるし、自分自身が人生遠回りした
経験もあるので、言わずにいられないという心境で、こういうことを言うんです。

どうやって判断しているのか。
その判断基準というか、思考過程を以下に、なるべく簡単に書いてみます。
イヤなら読み飛ばしてください。
717神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 04:44:48 ID:36sCdoB3
まず、第一に。
物事というのは、どれも何かと何かの因果関係で成り立っています。
たとえば「物質」の存在も、原子と原子の相互依存関係の上に成り立っています。
「物質」よりも抽象度の高い「ものごと」というものも、何かと何かの因果関係で成り立っているわけです。たとえば人間関係。

意識と身体も、お互い相互依存関係にあります。
身体(五感と脳と神経系)があるから意識や思考が成り立つ。
また逆に、意識があるから物質世界を認識できる。
このように、すべての物事はお互いに相互依存関係の上に成り立っています。

宇宙広しといえども、何ものとも相互依存することなく、独立自存する存在というものはあり得ません。
では、魂や霊魂、前世や来世のヴィジョンは何に依拠して成立しているのでしょうか。
718神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 04:44:56 ID:36sCdoB3
第二に。
人間の知覚は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感です。
人間がなにかの存在を認識できるのも、この「五感」と「存在」が相互依存関係にあるからです。
人間がこの五感以外に何かを感じるのは「心」。これ以外にはありません。

人間が、この五感以外の感覚を主張したところで、それは結局、言葉のうえだけのことでしか
ありません。
なぜなら、人間の知覚可能な領域の外側のことを語っているからです。

では、魂や霊魂、前世や来世のヴィジョンは何で知覚しているのでしょうか。
五感で感知することもできず、機材を用いても検知することのできない霊や魂が見える、聞こえるというのは、あくまで心の中でのことです。その人のイメージでしかありません。
719神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 04:45:04 ID:36sCdoB3
最後に。
人間が知覚できる領域の外側の話をいくらしたとしても、存在証明のしようがないのですから、それは結局おとぎ話にすぎないということです。

しかしまた、知覚不可能であるということは「無い」という断定もまたできないわけです。
これはアンチにとっても理論的な限界です。
同様に、信じる側にとっても「在る」という断定はできないということ。

死んだ後の話は死んでからしましょう。
ただし、おとぎ話だと自覚している分には、方便として情操教育に用いても構わないと思います。
720神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 04:50:13 ID:36sCdoB3
そしてもし、江原さんが本当に第六感をもって、人間の認識可能な範囲の
限界を超えて世界の外側(あの世)を観ることができるとしたら、それは
釈迦やイエスを超える超人。新人類ということになります。

これは世界を揺るがす大事件といっていいでしょう。