>>603 死んでしまう当人の話じゃないよ。残された者についての話w
ちなみに、解決(とまではいかないが)・慰撫の方法としても宗教の記述はないよ。(確か無かったと思う・・・w)
宗教書じゃなくて精神科のお医者さんの臨床記録。
てか、百聞は一見に如かず。りょん向きの本だよ。(てすとが又いちゃもんつけそうだw)
残された者が、どうやって心の穴を埋めてゆくか・・という記録。
リンク先のレビューは読んだ? どこの誰か知らないが、いいコメントをつけている。
>>607 私は宗教的解決について一言も述べていない筈。
(愛着を持つ心理が解らないというから、その理由への事例を幾つか挙げただけ。
で、そうした愛着が、最も顕著に現れた例として「喪の途上にて」を挙げただけ。)
もとより、りょんの見解を否定するものではない。 ただ、自分の足だけで大地に立っている人は、極少数だと思うんだ。
(その時用いる(用いている)杖の選び方・品揃えを、りょんは批判するのだろう。
そういう人に、「お客さん、いいブツがありまっせ・・・w」と近寄ってくるのを批判するのだろうw)
それは解る。けれども、りょんの謂いは狭き門だなぁ・・・と感じちゃうから、ついついレスを入れてしまうw
>安心感の根拠やよりどころを考えたくなるのは理解できます。っての。
>これに対する素人さんの見解はどうでしょう
その後に続く言葉や、或いは、あるべき姿の希求が、ハードル高すぎwww に見えるだけ。
りょんのその理想形が(たとえりょん個人のものでしかなかったとしても)、
まるで、お釈迦さんの悟りと同じベクトル、同じ高みを目指しているように見えるから・・・。
一般人向き(日常向き)ではないという共通点も含みながら・・・。
先の例も、災害地域なら向かうべきベクトルは明確だ。
しかしそうでない場合、どちらが良い選択か?の基準はどこに見出せるのだろうか・・・。
だから、
>>615 >宗教には一定の定義と禁忌事項がある。 に禿しく同意する。
(ま、実は、『○○には一定の定義と禁忌事項がある。』と言ってもいいわけだが・・・w)
付け加えるなら、『○○には一定の足場(視点)と制限事項、そして名札・看板がある。』と言えるかもしれない。