【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ12 (^^)v

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1ココモスキー ◆VAutiIin4w
新規スレ立ち上げました。
2ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 11:19:14 ID:5ku5eCAl
聖書の聖句解釈について、クリスチャン同士で分かち合うスレです。
まだ未信者だけど興味のある方、求道者さんも歓迎致します。

一般的解釈だとこう言われてるけど納得できない…
ココとココの箇所って矛盾してない?
ココがどうしても良くわからない…とか
こんな解釈してみた!自分はこう思った!など皆で分かち合ってください。

お互いの解釈を照らし合わせつつ、議論してみてください。
新しい発見をお互い学び合えたら幸い!皆で語り尽くしましょう。

★議論のお約束★

◆他の人が読みやすいように気配りしましょう。
◆結論をはっきりさせるようにしましょう。
◆反論する場合は相手の立場で考えてみましょう。
◆議論に感情を持ち込むのはルール違反です。
◆自分の価値観や考え方をむやみに押しつけるのはやめましょう。

荒らし・煽りは放置しましょう。相手をしているとあなたも荒らしになっちゃいます!
3ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 11:21:21 ID:5ku5eCAl
悔い改めの中身を説明する前に、馬鹿どものくだらない論議はほって置いて、

「悔い改める」と言うのは、「考えを改める」とか「価値観を変える」と
言う意味なんです。だから具体的に「それまでどの様に考えていたもの」
を「これからはどの様に考えろ」と言う中身を言わないと、聞いても
「何の事かさっぱり判らない」し、「お前は何を言いたいのか?」と問い
直されるのがオチですよ...

だから、アホな聖職者や信者が「悔い改めよ」って言ってたら、こいつ等
頭おかしいんだよとか、胡散臭く聞いてるんだよ...「何をどの様に」
と言う中身がない為ですよ...それでそいつ等に中身を言わせたら
、大体お「前等なんかの言う事は相手にしたくない」と言うのがオチなん
だけどね...

「悔い改めよ」と言う時は、せめて「**をOOに悔い改めよ」と言う
表現をしてもらわないと、相手にもされないのが、一般社会の常識だよ

4名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 11:50:17 ID:Fymlpmfr
>>3
ヨブは、何をどの様に悔い改めたの?
5ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 12:46:21 ID:5ku5eCAl
>>4
ヨブ記だけは難しいです。ヨブ記全体に及ぶ事ですし、信仰の本質に
迫る問題です。平たく言えば、ヨブは信仰と言うものの価値観が
変わったと言う事です。
ヨブ記の今日的意義(新聖書辞典、いのちのことば社発行)
日本におけるキリスト教の受容は,新約中心主義であったと言われるが,
旧約聖書の中でも,詩篇,ヨブ記は例外的に親しまれてきた書巻であろう。
新約中心主義とは,罪の悔改めと十字架中心主義と言えるであろう.一方
日本においてすでに土着していた仏教は,苦悩の問題にその関心を集中
させてきた.罪の赦しの福音を正面にすえて伝道し,教会形成をしてきた
キリスト教会は,それはそれとして,一つの歩み方をしてきたわけであるが,
ヨブ記を旧約聖書全体の視座の中でとらえ,かりに「苦しみ」の問題を正面
に押し出してきたとすれば,日本の教会の姿はかなり変っていたと考えるのは
筆者だけであろうか。
旧約聖書においては,「苦しみ」は人間が堕落して以来,必然的なものとして
理解されている(創3:16‐19).苦しみそのもののあり方は多様であるが,
その背後にある創造神の存在については,少しの疑問もはさまない.そうした点で,
古来多くの宗教に見られる二元論とか,ヒンズー教,仏教に見られる現実認識の
逆転の思考はなく,一貫して有神論的であり,現実的である.ヨブ記においても,
この考え方は一貫して見られるところである(ヨブ5:9‐12等)。
6小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/30(土) 13:04:12 ID:nEDUhuaW
自作自演のサタンよ、主イエス・キリストが唯一の神であると告白できる
ならしてみなさい。それができないならただの嘘つきサタンです。
7名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 13:07:48 ID:NqsAXJeZ
先の噂が人を殺す構造は、
ココモスキーが噂を蒔いて、カラスが刈り取るのと同じだな。

抵抗というか、説明する時と殺される時がるんだな。
8ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 13:23:17 ID:5ku5eCAl
悔い改め−3  マタイでは 3/1−9

”そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
「悔い改めよ(お前達は考えを改めよ)。天の国は近づいた」と言った。
これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。
そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々が
ヨハネのもとに来て、罪を告白(今までの信仰が価値のないものになっている事を認識)し、
ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。
「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。
『我々の父はアブラハムだ(我々は誇り高きユダヤ人だ)』などと思ってもみるな。
言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たち(ユダヤ民族)を造り出すことがおできになる。”

洗礼者ヨハネがこの様な考えを持っていたかどうかは疑問ですが、キリスト教団の
デタラメな翻訳の為に、全く違う認識を持ってしまってる例です。
エルサレムが崩壊して、ユダヤの民に価値観の変革を迫ってる文章が、キリスト教流の
「悔い改め」と「罪の告白」に摩り替わってしまってるんですね。
この「悔い改め」をする人達は、ユダヤの民でありますし、その内容は
それまでのユダヤ教的な価値観、ユダヤ人として誇りをかなぐり捨てて
新たな価値観を追い求めよと言ってるんですね
9カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 16:37:37 ID:Ksru5aXF
前スレ容量オーバーで書き込めなくなったので、
書きかけの話をここに書くとしよう。

聖書に記されている、イエスの十字架の場面の矛盾を、バカモスキーのように、
あれこれつついて悦にはいるなんざ、聖書の読み方をまったく理解していない証拠である。
そんな事はどうでもいいんだよ。愚か者は、木を見て森を見ない。
旧約聖書は、メシア、イエスを証するものである。また新約聖書は、イエスが、旧約で約束された
メシアであることを明かすものである。メシアとは、キリスト。油塗られし者。

〜イザヤ7:14
>主は、みずから一つのしるしをあなた方に与える。見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
>その名はインヌマエルととなえられる。その子が悪を捨て、
>善を選ぶことを知ることになってよ乳と蜂蜜とを食べる。それはこの子が悪を捨て、
>善を選ぶこと知る前に、あなたが恐れている二人の王の地位は捨てられるからである。

この預言は、イエスのことを表していると、推測するに、容易である。
10カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 16:38:34 ID:Ksru5aXF
さて、十字架の記事だが、

旧約詩篇22:11
>私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見 捨てになるのですか

これは、新約のマタイ.27:46にて成就される。

旧約詩篇22:6
>私は民に侮られる。すべて私を見 る者は、私をあざ笑い、頭を振り動か して言う、
>「彼は主に身を委ねた、主 に彼を助けさせよ。主に彼を救わせ よ」と

これは新約の、ルカ.23:35; 8:53、マタ.イ27:39、マタ.イ27:43にて、成就。

旧約詩篇22:18
>彼らは互いに私の衣服を分け、私の 着物をくじ引きに

これはマタ.イ27:35にて成就。
11カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 16:40:36 ID:Ksru5aXF
また、イザヤ書53章全体が注目すべきキリストの死と復活に関する預言だといっても過言ではない。
例えば、

旧約イザヤ53:7
>彼はほふり場に引かれて行く小羊 のように、彼の口を開かなかった。

これは、マタ.イ27:12、14にて成就。

旧約イザヤ53:9
>彼の墓は悪しき者と共に設けられ、 その塚は富める者と共にあったので ある。

これは新約マタイ.27:38、マタ.イ27:57ー60似て成就。

等々、旧約にはイエスのことを預言しているともとれる、記事がいくつもあり、
新約には、旧約の預言者が言い表した、メシアは、イエスであることを明かす記事が多数見受けられる。
12カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 16:51:15 ID:Ksru5aXF
そして新約聖書にはこういう記述もある。

使途言行録26:22
>ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、
>小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、
>何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、
>また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」
1ローマ1:02-04

>この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
>御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
>聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、
>わたしたちの主イエス・キリストです。
1ローマ16:25-26

>神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、
>あなたがたを強めることがおできになります。
>この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
>その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、
>信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
ルカ16:31

>アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、
>その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
ヨハネ5:46-47
>あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。
>しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」
13カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 16:55:42 ID:Ksru5aXF
新約の十字架の記事がフィクションであろうがそんなことはどうでもいい。
新約の筆者達の思いは、イエスこそが、旧約で約束されたメシアだということを明かしたいという思いがあったのは
明らかだ。そのために多少、フィクションで、旧約の預言を成就させようと、各福音書を編集したとしても、
それがどうしたという話だ。預言とはそんなものだ。預言とは、言葉を預けると書く。予言とは違う。
聖書はあくまで、神をテーマにした、宗教書だ。世俗的な、当時の政治をテーマに扱ったものではない。
そんなのは、読めば子供でも分かる道理だ。形而上の存在である、神が、本当にいようと、いまいと、そんなことは
別にして、聖書は、その神をテーマにして書かれているのは明らかだということだ。
それを、自分達がそんなものはいないと思い込み、自分達の価値観にあわせ、なんでもかんでも、
世俗の政治上の話に解釈し、悦に入るなんざ、皆、トンデモさんである。

ちなみにイエスの言う天の父は、皆が考える、神とは全く違う存在だけどな。
14カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 16:56:49 ID:Ksru5aXF
どっかのバカモスキーは言った。私が聖書を研究しているのは、
当時の聖書の筆者の気持ちを知りたいというのが大きなウェイトを占めていると。あのなバカモスキー。
それを言うなら、新約聖書は、イエスが旧約が約束したメシアであることを明かすものであり、
当時の人たちが、命がけで福音を述べ伝えた、熱い気持ちがお前には分からんのか。政治的な話は、二の次三の次だ。
そんなことは、聖書を書いた、当時の筆者、当時の福音の伝道者にとってはたいした問題ではないんだよ。
なにが、当時の聖書の筆者の気持ちを知りたい偽りを言うなバカモスキー。おまえはただ聖書の粗探しをし、
聖書を意味の無い者にしたいだけだろうが。お前は救いようのない盲人だ。

さてここで問題がある。イエスは本当に旧約が約束したメシアなのかどうなのか?
彼はメシアで間違いない。なぜなら彼は、真理を語っているからだ。聖書では、全て彼の真理の言葉は喩えで
隠されているが、彼は明らかに真理を知っている。何も知らないで、ありもしない神を語り、世迷言しか語れない
ただの雇い人の羊飼いである、預言者とは違う。彼らは真理を知らない、ただの死人だ。
だがイエスは違う。彼は真理を知っており、真理を語る。彼はまごうことなき、キリストである。間違いない。
15カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 17:12:01 ID:Ksru5aXF
さて、ダニエル坊やは、悔い改めとは、自分を捨てて、イエスを主として生きる
ということだとのたまう。こいつも何も知らないのさ。

イエスという男はもういない。カトリックには、聖人の取り成しという教えがあるが、
そんなものもない。彼らは、もういない。彼らの自我は肉が滅んだとき、肉と共に滅びた。
自我とはそういうものだ。日頃自我を捨てなさいと、知った風な口を聞く御仁が、
イエスという名の男の自我に執着するなんざ、笑える話だ。
天の父は、外に探すものではない。己の内に探し、見出すものだ。

主は、己自身でいいんだよ。
16カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 17:12:43 ID:Ksru5aXF
ち、ちょいと野暮用が入った。また後で来るわ。
17ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 18:09:13 ID:zzflRGYq
>>15
>日頃自我を捨てなさいと、知った風な口を聞く御仁が、
>イエスという名の男の自我に執着するなんざ、笑える話だ。

イエスに自我なんてないですよ。また馬鹿なことを書き込みにきましたか。

イエスというのは、人の子なのです。
人は誰もが、この「人の子」として生きることが求められているのです。

あなたは、イエスが神の子であり人の子である、ということが
わからないから、馬鹿なことを書いて平気でいられるのです。

たとえナザレのイエスに自我があったとしても、なぜイエスの自我に
わたしたちが祈ることがありますか。

わたしたちは、キリストイエスの復活にあずかるために
イエスとともに十字架に己をつけるのです。
18ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 18:15:27 ID:zzflRGYq
すなわち、以下のように書いてあります。

ローマ6:5
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、
さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
19ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 18:19:46 ID:zzflRGYq

このロマ書6章5節により、わたしたちは主イエスに結びつき、
その死の様にひとしくなる(つまり己の十字架を背負うこと)ことが
なければ、イエスの復活の様にひとしくならないことがわかります。

これは、とても重大なことを述べている聖句であると思われます。
一般的な教会では、あまりこのようなことを言いません。
「イエスを信じるなら救われる」ということは語りますが、
イエスのように己の十字架を背負わなければならない、ということは
なぜか、あまり教会で説かれることがないのです。
ですから、注意してください。
聖書には恐ろしいことが、案外はっきりと書いてあるからです。

わたしたちは皆、イエスと同じ十字架を背負うべきです。
これは、肉の思いに従う自分を殺すということです。

20ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 18:35:09 ID:zzflRGYq
>>15
>イエスという男はもういない。

あなたは「イエス」が誰なのかがわかっていないだけのことです。
ナザレのイエスは、もちろん死んでしまいました。

しかし、イエス・キリストは神の右の座についておられます。
そして、ヨハネ福音書でヨハネが証しているように、イエスは
天地創造の前から存在しておられるお方なのです。

あなたは、『すべてが一だ』という言葉がお好きのようです。

確かにわたしたちは、いずれキリストに結びついて、ひとつの体となるのです。
聖書によれば、わたしたちはキリストを頭として、その肢体であり、
それぞれに各々の役割があることになっています。
これは、あなたが考えているような自我というものとは異なります。

自我ではなく、生まれ持ったキャラクターとか、特性とか、
パーソナリティーなどといわれる類のものです。

すべての特性が、神の言葉のもとに調和するのです。
21名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 19:35:23 ID:NqsAXJeZ
面白いこと言うね。
肉体イエス様の脳はラジコンの受信機の機能しかないのか。
22名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 19:44:23 ID:tGgs9TMG
うほっ。イエスは神により天に引き上げられたのです。
十字架で死んだとしてもそれは他の人です。
23名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 20:55:25 ID:NqsAXJeZ
解らんね。
死については詳細が判らない。
霊に、生きている霊死んでいる霊とあるとすれば、意識は情報だけ
の存在ではなくて、真の生は連続したものになる。

聖書から拾えんかな…
24名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 22:24:14 ID:NqsAXJeZ
キリストは、死んだ人を生き返らせる場面で、「眠っているのだ」
と明かすな。
全く生が途切れた後に復活する、ということではないな。
25ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/31(日) 01:47:53 ID:9yxn0LFh
悔い改め−4 マタイ福音書3/11
”わたしは、「悔い改め」に導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、
 わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物
 をお脱がせする値打ちもない。その方(イエス)は、「聖霊」と「火」であな
 たたちに洗礼をお授けになる(った)”

これも「悔い改め(意識変革)」を求める相手は、ユダヤ人たちであります。
「聖なる霊」は何かと言うと言ったらまた馬鹿が喚くのでやめときます。
「火」は戦火の事(つまりエルサレムを廃墟にした戦争の火)です。
マタイの編者は主の僕ネブカドネツァルがエルサレムを廃墟にしたエレミヤ記を
念頭に入れてます。つまりユダヤ戦争によって廃墟になったエルサレムの荒廃を
マタイ(他の新約の編者も含めて)の編者は「神の洗礼」だと言ってるんですね。
26名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 06:31:51 ID:DBRnGlZk
>>15
すみません、自我に執着するなというかたわら、
主は己自身でいいんだというカラスさんの主張はいまいちわかりづらいのですが、
それはどういう意味なんでしょう?
27カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 08:39:57 ID:pKQZnqoG
〜ヨハネ11:11〜15
>こうお話しになり、また、その後で言われた。
>「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」
>弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。
>イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。
>そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
>わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。
>あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」

>>24
いい視点だ。
〜ヨハネ5:25
>はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。

〜マタイ8:21〜22
>ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。
>イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」

キリスト教のいう死人とは、この世の生きる我々のことなのだよ。
存在するのは、”今ここ” しかない。だが相対世界であるこの世界は、”今ここ” が、次の瞬間には過去になり、
消え去る、幻のような世界だ。我々は幻のような、この世界に生きる。
これは釈迦の言葉だ。「この世界を泡沫の如し、陽炎のごとしと観ぜよ。されば、死魔の王も我をみない」
我々は本当の自己を忘れ、夢を見ている。

〜マタイ22:32
>『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
>神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」

どっかのアホは、イエスの言う生ける神は、この世に生きる我々の神であって、
死んでいる者の神ではないと、知った風な口を聞く。大変な誤謬だ。このアホは、なにもわかっちゃいないのさ。
我々は生きながら死んでいる、死人なのだよ。
もちろん、イエスの言う天の父は、生ける神であり、死んでいる者達の神ではない。この言葉の意味を悟る者は、幸いである。
28ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 09:35:35 ID:tbWHZGY6
>>27
>どっかのアホは、イエスの言う生ける神は、この世に生きる我々の神であって、
>死んでいる者の神ではないと、知った風な口を聞く。大変な誤謬だ。このアホは、なにもわかっちゃいないのさ。


カラスの唄さんは「この世に生きる」と書いています。
この世に生きている命が、まるで本当の命ではないかのような口ぶりです。
これが彼の思い込みの最たるものです。

命に嘘の命だとか、本当の命だとかはありませんよ。
カラスの唄さんの最大の誤解がここにあるようです。
この世で生きていることが嘘の命だと言うのなら、
早く死んでしまえばいいではないですか。
29カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 09:37:36 ID:pKQZnqoG
>>26
いい質問だ。君に復活とは何かを教えてあげよう。
これはグノーシスの教えでもある。

身体は滅びる。形あるものは、いずれは滅びるものである。
肉の復活などを待ち望むのはやめなさい。それは滅びる定めの待ち望むものなのだ。
どうして目に見える肢体が救われないことになるのか。
それら死せる肢体の中にある、活ける肢体は蘇ることになるのに。
復活とは一体何か?それは幻影のようなものだと、決して考えてはならない。
それは幻影ではなく、真実そのものなのだからである。
だから次のように言う方がずっと適切である。
この世界こそが、復活より、はるかに勝って幻影に過ぎないと。
生きている者は死ぬであろう。どうして彼らは幻影の中に生きられようか。
光あれば闇あり。生あれば死あり。生まれた者は必ず死ぬ定め。
富める者達は貧しくなり、王は投げ捨てられる。
万物は流転するものなのだ。存在するのは ”今ここ” 。この世界は、存在する、”今ここ” は留まらない。
存在する ”今ここ” は、すぐに過去となり消え去る。
だが復活にはこのような特徴は無縁である。なぜならそれは真理だからである。
30カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 09:38:33 ID:pKQZnqoG
>>29 続き
イエスとは、それは確固として立ち、真に存在する者の啓示、
事物の変容、新しさの変容である。すなわち不滅性が、可滅的なものに下ったからである。
また光が暗黒の上に流れ降ってそれを飲み込み、欠乏にあったものが、
再び充たされたからである。これは復活の象徴であり、模造である。それが善きものを生み出すのである。
聞く耳のある者よ、肉に即した生活を送り、肉との一体性を求めるのはやめなさい。
むしろあなたを束縛する、肉の鎖から抜け出しなさい。そうすればあなたは、すでに復活を手にするのである。
死に定められた者でさえ、自分自身を知り、自分が死ぬであろうこと、たとえ多くの経験をつもうと、
たとえ多くの生活をこの世界で過ごそうと、いずれ自分が死に導かれることを知っている。
なのになぜあなたは、すでに蘇っていることを信じないのか。あの死に定められた者達でさえ、
自分はすでに死ぬであろうと、自分自身を知っているのに、聞く耳のあるあなたが、
蘇りを手にしていながら、これからも死ぬであろうと考えるのか。
とすれば、どうして私があなたの訓練のなさを否定することができようか。
死んでいる者たちでさえ、自分自身を知っている。ならばどうして聞く耳のあるあなた方が、
自分自身を知ろうとしないのか。彼らは死んでしまっているが、聞く耳のあるあなた方は、生きている。
誰にとっても多くの仕方で実践を積み、この肉という要素から解き放たれることはよいことである。そうすればあなた方は、
迷うことなく、”再び初めから在った、自分自身を受け取るだろう”。
31カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 09:51:46 ID:pKQZnqoG
元からあった自分自身を受け取るということは、
自我を捨て去るということである。
人は、「一」を善と悪とに分けるという罪を犯した。これは人の心にエゴを産む。
そしてエゴは自我を産む。

今の自分とはどういう存在かを知れば、自分の罪深さに気づくだろう。
我々は悪い存在なのだ。このことを自覚するというのが、自ら十字架を背負うということなのだ。

ローマ6:5
>もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、
>さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

イエスの死に様は、聖書を見ての通り、徹底的な、エゴを捨て去るという行為に他ならない。
エゴを捨て去るということは自我を捨て去るということである。イエスの掟とはとどのつまりこれである。
我々は、己の心に巣食う、エゴという悪魔を捨て去ったとき、イエスの復活の様に等しくなるだろう。

32カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 10:00:03 ID:pKQZnqoG
>>17
>イエスに自我なんてないですよ。

おまえは本当にアホだな。
この世に生まれたイエスは、我々と同じ自我を持っていた。子供でも分かる道理だ。

>イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。
>もし命を得たいのなら、掟を守りなさい〜マタイ19:17

彼は誰よりも自分が罪人だと自覚していたんだよ。
そこのところが、お前達とは違う。そして彼は、十字架の御業により、徹底的にエゴを捨て、
自我を滅ぼしたんだよ。

我々は悪い存在だ。だからここにいる。
33カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 10:03:58 ID:pKQZnqoG
>>28
>早く死んでしまえばいいではないですか。

人には三つの状態がある。
生きながら死んでいる状態か、真の命の状態か。その中間の状態か。
もっとも忌むべきは、中間の状態である。人はこのとき何もできない。
死んでからでは何もできないのだ。真の命を受け取るのは生きているときにしかできない。
と・・・・・何度も言ってるんだがな、俺は。やれやれ。
34カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 10:25:54 ID:pKQZnqoG
>>25
あのバカモスキーさん。
エルサレムを廃墟にした戦争の火と、イエスの掟とどういう因果関係があるんですか?
また継ぎはぎだらけの、都合のいい聖句の一本釣りの勝手解釈ですか(爆笑)

あるイスラム教徒は言った。
世界の人々がイスラム教徒になれば、世界平和は実現する。
アホか。たとえ全世界がイスラム教化しようが、必ず分派が発生し、また人々は争う。
現に今でも、イスラム同士、スンニ派、シーア派と分かれ、殺しあっている。
キリスト教も、プロテスタントと、カトリックとに分かれ、いがみ合う。
あの仏教でさえ、大乗と小乗とに分かれ、お互いに貶しあう。これがこの世に生まれる人間なのだよ。
どっかのアホが、イエスの教えは、この世の世界平和を実現するものだ。
天国とはこの世にこそ実現されると、のたまう。アホか。こいつは頭がいいつもりでも、
救いようのない、アホだ。人は肉を持って生まれてくる以上、
どんなに理想郷を実現しようと、必ず争いは起こり、殺しあう。それは今までの歴史が証明するものだ。
この世に天国などあり得ない。それが肉を持つ我々であり、心にエゴを持つ、我々なのだ。
だから我々はこの世界にいる。この世という、地獄にね。
35名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 10:47:19 ID:EMuEHwfM
争わないことを実践すれば争いは有りませんが何か?
36小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF. :2006/12/31(日) 10:53:17 ID:BiEu7ucb
自作自演のおかま巫女。
37名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 11:18:29 ID:EMuEHwfM
 ∧_∧ 非暴力抵抗運動?ボコボコにしてやんよ
 ( ・ω・)=つ≡つ
 (っ ≡つ=つ
 /   ) ババババ
 ( / ̄∪
38名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 11:25:22 ID:EMuEHwfM
 ∧_∧ 北の核に対し核武装をもって平和実現してやんよ
 ( ・ω・)=つ≡つ
39名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 11:28:35 ID:EMuEHwfM
 ∧主∧ 人間?ボコボコにして平和にしてやんよ
 ( ・ω・)=つ≡つ
40名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 13:36:25 ID:l0OXZVe5
>>34
>あるイスラム教徒は言った。
>世界の人々がイスラム教徒になれば、世界平和は実現する。

まるで信仰問答スレのご隠居のようなことを言う人だな。
ご隠居の場合は「イスラム教徒」が「無神論信者」になるが。

絵に描いた餅はどこまでも美化される。
41ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 13:43:18 ID:tbWHZGY6
>>33
>生きながら死んでいる状態か、真の命の状態か。その中間の状態か。
>もっとも忌むべきは、中間の状態である。人はこのとき何もできない。
>死んでからでは何もできないのだ。真の命を受け取るのは生きているときにしかできない。
>と・・・・・何度も言ってるんだがな、俺は。やれやれ。

では、この世の命に価値がある、ということを
やはり認めるのですね?
あなたの主張はコロコロ変わるので困ります。


42ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 13:45:15 ID:tbWHZGY6
>>32
>>イエスに自我なんてないですよ。

>おまえは本当にアホだな。
>この世に生まれたイエスは、我々と同じ自我を持っていた。子供でも分かる道理だ。

イエスというのは、神の子であり人の子でもある、と
すでに書いたと思います。
このことを理解することが、あなたには難しいのですか?
43ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 13:47:59 ID:tbWHZGY6

カラスの唄さんは、「イエス」について
ただの人間とだけ思っているのでしょうか?

イエスは、この世に生きておられたときには
通常の人と同じように生活しておられました。

しかし、彼は自我に従っていきていたわけではなく
「人の子」つまり、人としてあるべき本来の姿で生きていたのです。
死ぬべき命で生きていませんでした。

イエスが自我に従って生きていた、というのは珍しい説だと思います。
悪魔の誘惑は受けましたが、彼はそれを退けました。
この世に生きていても、自我に従わずに生きることは可能なのです。
44ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 13:52:18 ID:tbWHZGY6
もしかすると、カラスの唄さんは「自我」と「自意識」の
区別がついていないのではないか? という疑いが出てきました。

「自意識」というのは、固体として生きていくうえで、
当然もっているものです。
これに対して「自我」というものは、自分中心に物事を捉える
考え方や思いのことです。

カラスの唄さんは、「自意識」までもいっしょくたにして
「自我」だと言っているように感じます。
45ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 13:58:19 ID:tbWHZGY6
カラスの唄さん。
この世の命とか、あの世の命などというものはありません。
もちろん、聖書にもそんなことは書いてありません。

命というものが本来は永遠であるものが、この世においては
不完全に現れているだけのことです。死があるからなのです。

ですから、この世の命に価値がないように主張する教えは
ことごとく偽りです。

いずれは「死」が滅ぼされて、本来の永遠の命として
現れるのです。
46ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 14:00:25 ID:tbWHZGY6

現在のこの世はもちろん、天と地が神の御座の前から
消え去って、どこにもなくなってしまうときがきます。

そして、そのときに、新しい天と地が現れるのです。
このことは黙示録に、はっきりと記載されております。
47名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 15:43:45 ID:EMuEHwfM
おおっ、繋った。
やはり龍は存在し続けるという意味で永遠の命があるようだ。
「永遠に生きる」は一様の状態を表すものではないようだ。

何故エデンで、善悪を獲て永遠に生きる者になりえるのかが謎だったが
説明できそうな予感
48ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/31(日) 18:08:36 ID:9yxn0LFh
悔い改め−5 発言者がヨハネからイエスに変わる 
マタイ福音書4/17
”そのときから、イエスは、「(悔い改め){考えを改め}よ。天の国は近づいた」
 と言って、宣べ伝え始められた。”
マタイ福音書11/20−21
”それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が(悔い改め){考えを改め}なかったので、
 叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。
 お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、
 これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって(悔い改め){考えを改め}たにちがいない。”
マタイ福音書12/41
”ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪
 に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて(悔い改め){考えを改め}たからである。
 ここに、ヨナにまさるものがある。”
ティルスとシドンはイザヤ書の23章を読んでください。BC8世紀にアッシリアに
滅ぼされた町です。
ニネベはBC8世紀のアッシリア(憎むべき敵)の首都です。ヨナ書はBC2世紀頃の
文書だと思いますが、熱烈な民族主義者達を揶揄した話だろうと思いますが、マタイの編者
は、それを意識して言ってる分けではないと思います。
ここで(悔い改め){考えを改め}よとうったえてる相手は、ユダヤ人(教徒)たちです。
これは言うまでもありませんが、ここでイエスが言った様な文章になってますが、
もちろんマタイ教団の聖職者達の主張です。
49カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 19:51:24 ID:pKQZnqoG
おや、ダニエル坊やは、もうほとんど、揚げ足取り
屁理屈坊やに成り下がっているな(苦笑)
別に無理に理解しなくていいよ。お前に理解してくれれとは頼んでいない。

自我の意味さえ悟らず、とんちんかんなことを言っている、お前の能書きは、
幼稚で、話にならないんだよ。
50カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:03:09 ID:pKQZnqoG
>>48
で、あんたの言う悔い改めとは、どういう意味なんだい?
まわりくどいことはいわず、そろそろ結論を言ってみたらどうだい。
論破されるのが怖くていえないか?ククク。
なんなら俺が変わりにお前の結論を言ってあげようか?
キリスト教の悔い改めとは、ユダヤ教徒達に、キリスト教に改宗しろということではないんだよ。
お前達のイスラム教じゃあるまいし、イエスの教えは、ムハンマドなどの能書きとは、次元の違うものだ。
あんな男と、イエスを一緒にするな。

もちろんイエスは、ユダヤ教徒達に改宗しろとは言っていないし、福音書にはそんな事は書いていない。
福音書のテーマもそんなことなどではない。あいも変わらず聖書の読めない男だな、あんたは。

気の毒な人だ。
51ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 20:08:40 ID:tbWHZGY6
>>49
>自我の意味さえ悟らず、とんちんかんなことを言っている、お前の能書きは、
>幼稚で、話にならないんだよ。


自我の意味がわからず、とんちんかんなのは、あなたですよ。
52カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:14:10 ID:pKQZnqoG
>>51
わはは。おまえ釈迦に説法だな。
おまえ、仏教徒の前で自説をぶちまけてみろ。
門前払いだよ。

全く無知とは恐ろしい。
53ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 20:14:17 ID:tbWHZGY6
>>50

カラスの唄へ

何度も書いていますが、
あなたの投稿は目障りで不快きわまりないものです。
しかも、その内容は聖書に反し、悪質です。

あなたは過去に聖書について「幼稚な書物」と書きました。
もしそう思っているのなら、このスレッドに関わる必要は
ないはずです。
あなたには聖書は無価値なのですから。

あなたが「価値がある」と思っているトマス書などの
偽典について語りたいのであれば、それ専用のスレッドでするべきです。

そこでルシファーでもシバ神でも、あなたの好きな神を崇拝しなさい。
54ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 20:17:25 ID:tbWHZGY6
カラスの唄へ

あなたがルシファーだかシバ神だかトマス書だかグノーシスだかの
スレッドを作ったら、たまにはそこへ遊びに行ってあげましょう。

そこで、思い切りのびのびと一貫性の無い自説を主張していなさい。
55カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:19:35 ID:pKQZnqoG
>>53
おまえ、他人様に指図するなと言っているんだよ。
何様のつもりだ、僕ちゃん(苦笑)

どこに書こうが俺の勝手だ。嫌ならお前がどこかにいけ。
俺の投稿が不快だと思うのなら、おまえがこのスレにこなければいい。
それだけの話だ。勘違いするなよ、別に俺の投稿は、スレの主旨に反するものではない。

56カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:20:42 ID:pKQZnqoG
>>54
俺の主張は全て一貫性があるぜ。
メクラのお前が読み取れないだけなのさ。
57ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 20:21:49 ID:tbWHZGY6
>>52
>わはは。おまえ釈迦に説法だな。
>おまえ、仏教徒の前で自説をぶちまけてみろ。
>門前払いだよ。

あなたは、仏教徒を何かよいもののように勘違いしていませんか?
彼らは、自我と自意識の違いもわからないし、自分勝手と個性の
違いもわからない人たちばかりです。

釈尊の教えが間違っていたかどうかは知りませんが、
仏教徒の言っていることは間違いだらけです。
第一、彼らは命である神について何もわかっていません。
58ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 20:24:06 ID:tbWHZGY6
>>55
>どこに書こうが俺の勝手だ。嫌ならお前がどこかにいけ。

まさにルシファーを崇拝している人にふさわしいご意見ですね。
人のことはどうでもよい、俺は俺の好きなようにする、という思想が
はっきりと現れていますね。
59カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:26:52 ID:pKQZnqoG
>>57
たしかに今の仏教徒は自性を語れない、不完全な者達だ。
だが、この世は、縁起=無自性=空。だと悟る彼らは、おまえより
はるかにましだよ。お前の能書きは、とにかく幼稚で、話にならない。
わかったかい?霊体ボディのお兄ちゃん(爆笑)
60カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:29:06 ID:pKQZnqoG
>>58
だから俺の投稿は、スレの主旨に反するものではないと言ってるんだよ。
わからん奴だ。エゴを押し付けているのは、お前のほうなんだよ。
61ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 20:31:01 ID:tbWHZGY6
>>59
>わかったかい?霊体ボディのお兄ちゃん(爆笑)

あなたは復活のボディというものが理解できないので
人をそのように罵っているのですが、聖書には復活の
ボディについて、明らかに語られているのです。

ですから、わたしはその聖書の記述を信用し信じております。

あなたの説である「復活は肉体の復活ではない」というお話は
申し訳ありませんが、信じるに値しないと考えております。
62カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:36:16 ID:pKQZnqoG
>>61
別にお前に信じてくれとは頼んでいない。
お前はお前の信じる道を行けばいいだろう。誰も止めやしない。

ただ俺は言っておく。
永遠の命とは、「私とあなた」。というものではない。そういうものではないのだ。
自我を愛する者に、永遠の命は理解できない。
63名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 20:47:50 ID:HHICXc65
プロテスタント特有だね。
聖書に載ってないことは、信用しない。

聖書の引用で対抗することで、カトリック信者をやり込めて
きたんだからね。

でもさ、聖書の記述にないからといって争ってたら
聖書の教えも無駄になるよね?
ひとつの宗教を信じることで、争いに加担することになるなら
無宗教のほうが、賢いような・・・
64カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:52:16 ID:pKQZnqoG
>>63
俺もダニエルもココモスキーもプロテスタントではないわけだが。
ちなみに俺はカトリックだ。ダニエルもそうらしい。
そしてココモスキーは、イスラム教徒。わかったかい?
65名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 20:55:01 ID:HHICXc65
>>64
これは失礼しました。プロテスタント的な感じがしたもので・・・
66カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/31(日) 20:57:43 ID:pKQZnqoG
>>63
>ひとつの宗教を信じることで、争いに加担することになるなら
>無宗教のほうが、賢いような・・・

君の言いたいことはわかるが、別にこの世に宗教がなくなろうとも、
人々の間に争いはなくならない。宗教が人々に争いを招くのではなく、
我々の心に巣食うエゴが、人々に争いを招くんだよ。
67ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 21:06:07 ID:tbWHZGY6
>>63
>でもさ、聖書の記述にないからといって争ってたら
>聖書の教えも無駄になるよね?
>ひとつの宗教を信じることで、争いに加担することになるなら
>無宗教のほうが、賢いような・・・

神を信じないほうが平和でよい、という、その考え方は誤りです。
そのような考えをしている人は、容易に新世界秩序に組み込まれてしまいます。

イエスは、次のように語っておられます。

ルカ 12:51
あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。
そうではない。むしろ分裂である。
68ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 21:08:28 ID:tbWHZGY6
たとえ争いが無くなったとしても、それで平和なのではありませんよ。
人の心から争いの気持ちがなくならなければ平和ではありません。

本当の平和とは、イエスの内にある平和のことです。
これ以外に平和はありません。

コロサイ1:20
そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、
地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によって
ご自分と和解させて下さったのである。
69名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 21:18:01 ID:HHICXc65
>>68
仏教徒は、間違いだらけと異教に対して排他的な態度をとることも
イエスの内にある平和ということになるのかな?
70名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 21:47:38 ID:EMuEHwfM
ないな。
71ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 21:48:18 ID:tbWHZGY6
>>69

>仏教徒は、間違いだらけと異教に対して排他的な態度をとることも

異教に対して排他的なのではありませんよ。
たとえそれがキリスト教であっても、聖書に反しているなら
異教と同じであると思います。

違いますか?
72ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 21:49:38 ID:tbWHZGY6

聖書は「イエスを証する」ものです。
ですから、これを基準とすることは当たり前のことです。
73ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/31(日) 21:51:58 ID:tbWHZGY6
>>63
>聖書の引用で対抗することで、カトリック信者をやり込めて
>きたんだからね。

聖書の引用でやり込められた、と思うこと自体が、
あなたが聖書を信じていない、ということではないのですか?

聖書にこう書いてあります、と誰かから指摘されたなら、
僕なら素直に「アーメン」をします。
僕は聖書を信じているからです。

74名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 21:51:59 ID:EMuEHwfM
だな。
75名無しさん@3周年:2006/12/31(日) 22:15:21 ID:HHICXc65
>>73
私は、カトリックではありません。
だから、私自身が、やり込められたと感じることは、ありません。

歴史上の経緯で、始めは、プロテスタントが、聖書のラテン語からの翻訳をして
別言語で出版し、誰でも読めるようにしたと聞きました。
そして、聖書の引用で、カトリックに対抗しているという話もね。
ですから、聖書に忠実なのは、プロテスタントなのかと・・・

ダニエルさんは、カトリックなのですね。

>仏教徒は、間違いだらけ

こういうことを言われれば、仏教徒も面白くないのでは?
仏教徒がどう思うかというのは、関係なく
聖書に記述してないことであれば、相手を罵っても正当化されるということですね。

イスラム教徒が、ジハードで事件を起こすことと同じじゃないですか?

76ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/31(日) 23:51:15 ID:9yxn0LFh
悔い改め−6  福音書の総括
福音書の「悔い改め」は、ヨハネ福音書(メタノイアが一語もない)
を別として、共観福音書と大体同じ内容です。「悔い改め」よと言った
相手は全部ユダヤ教徒(人)です。「悔い改め」を主張してる共観福音書
の編者もまだキリスト教会と言えるかどうかは議論の余地があります。

ここまでの「悔い改め」では、今日のキリスト教団の聖職者や信者が
好んで口にする「悔い改め」とは、全く違います。今日のキリスト教徒
は、異教徒や無心論者に対して「悔い改め」と言って、「神に帰る(教団
に戻る)」事を言ってるのでしょうが、当時のキリスト者は破綻した
ユダヤ社会やユダヤ教会に対して、「悔い改め」を主張したのですが
今日のくだらないキリスト教団や信者なんかより、遥かにレベルの高い
人達に対して「悔い改め」と言ってる分ですから、口の悪い人に言わせれば
「身の程知らず」と言われかねないと思います。
もっとレベルの低い教団だと、「悔い改め」をどうでも良いような罪を
反省する事だと思ってる御仁もいます。情けなさを通り過ぎて呆れる
ばっかりですが...まともな社会には来ないで、何処かの幼児学校
の先生でもやってて欲しいと思います。
77ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 00:14:11 ID:MQPqcXz6
>>76
続き...
ヨハネを除く福音書の編者が、なぜユダヤ教徒達にメタノイア(悔い改め)
と言う言葉を使ったのかなんですが、馬鹿信者が言ってる様に、これらの
主にファリサイ派の人達が、こちこちの律法主義で、横柄で、高慢で、神を
信じない人達なら、馬鹿信者も理解しやすいのでしょうが...実際は
律法主義に陥っていたわけでも(そういう奴もいただろうが)、横柄でも
(そういう奴もいただろうが)、高慢でも(そういう奴もいただろうが)、
神を信じない人達でも(そういう奴もいただろうが)なくて、悔い改め
を主張する人達ともかつては仲間だったわけですし、時代の大きなうねりの
中で、長年培ってきた物(ユダヤ教・ユダヤ社会)を堅持しようとする人達と
それの限界を感じ取っていて、それを打ち壊さないと新たなる再生は
困難だろうと考えていた人達との論争なんですね...それで、「メタノイア」
と言う言葉が使われたんだろうと思います。

78名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 00:22:07 ID:DUDT7IL9 BE:916766077-2BP(222)
>>75
その認識は微妙に史実とずれています。
ですがプロテスタントがカトリックより聖書を引用するのが好き
という傾向はあります。
英語の諺で聖書由来のものは非常に多いですが、
フランス語では少ないといいます。
79ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 01:02:56 ID:GWo9sEC7
>>75
>>仏教徒は、間違いだらけ

>こういうことを言われれば、仏教徒も面白くないのでは?

面白いとか面白くないとかの話をしていません。
何が真実なのかを聖句をもとに証しているだけなのです。

間違った教えをしている人がいたら、その人に間違いを
指摘してあげることは間違いですか?

誰かが不愉快になるから発言しない、というのが、あなたのお考えなら
あなた自身が他人に対して小言を言うべきではないでしょう。
80ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 01:28:15 ID:GWo9sEC7
>>75

イエスも、当時のユダヤ教指導者たち
ファリサイ派や律法学者を激しく非難いたしました。
彼らは、律法を都合よく解釈することをしていたのです。

ファリサイ派や律法学者は面白くなかったことでしょう。
この場合、イエスが間違ったことをしたと、あなたは考えますか?

もしそのように考えるのであれば、あなたは神を見ずに、人を
見ているのです。
81ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 01:30:03 ID:MQPqcXz6
>>79
>誰かが不愉快になるから発言しない、というのが、あなたのお考えなら
>あなた自身が他人に対して小言を言うべきではないでしょう。
僕もそう思うけど、僕が聖書に対しての何かを発言すると、わめきだす奴
がいて発言した内容とは全く関係のない自分が縁を持ってる宗教教団の
信者に対しての誹謗・中傷に終始する奴がいたらどうしますか?...
僕はそいつの知能程度の問題だと思っているので、かまいませんが
、僕が縁を持ってる信者の人達に多大な迷惑を掛けている様にも
思いますし、正直言って僕はイスラムの信者に申し訳ないと言う
謝罪の気持ちばっかりなんですよ...この手のキリスト教の馬鹿
信者達をどの様にお考えなのでしょうか...
82ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 01:34:58 ID:GWo9sEC7

このような間違った教え、つまり人道主義、ヒューマニズムと
いうものは人間の自我を擁護するのです。

こうしたまやかしの教えに騙されないように、わたしたちは気をつけなければ
なりません。鳩のように素直に、かつ蛇のように聡くあるべきです。
やがて、人権やヒューマニズムの考えが世界を覆うことにより、
戦争や紛争の原因としてキリスト教が、その罪をなすりつけられ、
国際機関から、キリスト教弾圧と棄教を迫られる時代が来るはずです。

ヒューマニズムというものこそ、羊の顔をした狼です。
83名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 01:37:22 ID:iRueuNti
ユダヤ・キリスト・イスラム教徒は同じ神をあがめています(笑)
84ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 01:39:10 ID:GWo9sEC7
>>81

え〜と、ごめんなさい。意味がよくわかりませんでした。
カラスの唄さんが、イスラム教のコーランのことを
ボロクソに言っていることについてですか?

僕はコーランを読んだことがないので、イスラム教については
よくわからないのです。ごめんなさい。
85名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 01:53:53 ID:DUDT7IL9 BE:74838522-2BP(222)
>>80
福音書でファリサイ人が攻撃されるのは必ずしもイエスの言動を
反映していない、むしろイエス語録を福音書筆者が作った状況に
あてはめて書いている、と現代の研究では指摘されていることを
一応ご指摘しておきましょう。
86ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 02:11:17 ID:MQPqcXz6
>>84
コーラン云々ではないんですよ...僕の聖書研究の意見を書くと
、全く関係のないコーラン云々を言い出す奴がいると言ってるんです。
僕が馬鹿教団は聖書から全く逸脱してると言うと、自分が今から
20年ほど前にたまたまそちらの文化を研究したくて、門を叩いたら
信者になる必要があるが為に、辞めたかったら何時でも脱退できるのか
どうか確認して入門した教団の聖典について言いだすんですよ...
聖書と殆ど関係のない話なのに、こいつらは僕が聖書とキリスト教との
関係についての意見を言ってるのに、その論議には全く関係なく
突如としてコーランの話を言い出すだろ...だから、僕はこいつ等の
オツムの問題だから仕方ないとおもってるのだけど、この手のオツム
の弱い連中の発言は、イスラムの信者達にあたかもキリスト教徒や
キリスト教研究者がすべてこの手のオツムの弱い連中であるかの
様な印象を持たせるリスクがあるんですよ...そういう事が
またお互いの誤解のもとになるんですよ...
87名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 02:17:10 ID:cq9VA2xD
>誰かが不愉快になるから発言しない、というのが、あなたのお考えなら
>あなた自身が他人に対して小言を言うべきではないでしょう。

不愉快だとか、そういう問題じゃないんですよ。
相手の気持ちは、考えないのですか?ということです。
仏教徒が間違っているという言い方だと、全否定じゃないですか。

聖書の引用にしても、ここで語っておられる信徒さんたちの解釈が
正しいとも言い切れないのでは?
ダニエルさんの解釈が正しいとすれば、議論の余地はないですよね?
88ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 02:18:37 ID:GWo9sEC7
>>85
>福音書でファリサイ人が攻撃されるのは必ずしもイエスの言動を
>反映していない、

あらあら。
89ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 02:22:59 ID:GWo9sEC7
>>87
>相手の気持ちは、考えないのですか?ということです。
>仏教徒が間違っているという言い方だと、全否定じゃないですか。

仏教徒が間違っている、と僕は書きましたか?
そのように全否定していましたか?

僕は、仏教徒は間違いだらけと書いたのです。
ご確認ください。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1167445018/57

90ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 02:25:35 ID:GWo9sEC7
>>87
>聖書の引用にしても、ここで語っておられる信徒さんたちの解釈が
>正しいとも言い切れないのでは?
>ダニエルさんの解釈が正しいとすれば、議論の余地はないですよね?

あなたが何を言いたいのか、さっぱりわかりません。
何についてケチをつけたいのですか?
ここは聖句について皆で語り合うスレです。
誰の解釈が正しいとかを決めるスレじゃありませんよ。
聖句について皆が考え、深く味わうためのスレです。
あなたのご意見は、まるでスレッドの趣旨を理解していない
おかど違いの意見です。
91ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 02:32:22 ID:MQPqcXz6
だからね、「メタノイア」を「悔い改め」と訳してる事がそもそも
幼稚な話で、今流に言うのであれば「意識改革」とか、今の日本の
政治家が好きなんであまり使いたくないんだけど「抜本的改革」
とか....すみませんあまり適当な言葉がありません...
それと、聖句のなかでは必ずこれと対になる「ハマルティ」を「罪」
と訳してるのも幼稚な話なんですよ...「ハマルティ」も本来は
「的外れ」ですが(これは、福音書の編者がボキャブラリーを
不足していたと思います)、正月早々でおとそ気分ですので
もう少しきっちりした事がいえるところでまた整理して言います。
92名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 03:02:12 ID:DUDT7IL9 BE:449028083-2BP(222)
いや、「仏教徒は間違いだらけ」は十分挑発に聞こえるが……
だいたい聖句の解釈がどうして仏教徒批判になるのか、それが不思議。
93名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 03:26:06 ID:cq9VA2xD
>僕は、仏教徒は間違いだらけと書いたのです。

それで、十分でしょう。全否定してるように受け取れますが?

>間違った教えをしている人がいたら、その人に間違いを
>指摘してあげることは間違いですか?

議論というより、指摘してあげるというスタンスなんですね。

94カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 03:30:01 ID:TTM9mjfH
悪人は悪人同士気が合うものだ。
闇は光を憎む。エゴの塊のような人は、邪悪であり、怖い人たちである。
95カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 03:48:08 ID:TTM9mjfH
クルアーン

2_191.
かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。あなたがたを追放したところから、
かれらを追放しなさい。本当に迫害は殺害より、もっと悪い。
だが聖なるマスジドの近くでは、かれらが戦わない限り戦ってはならない。
もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者ヘの応報である。

9_5.
聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、
拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。
だがかれらが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、
かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる

47_4.
あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。
かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。
その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。
もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。
だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。
凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを
虚しいものになされない

バカモスキーよ、おまえクルアーンには殺人教義などないと大嘘ついていたよな。
まともな人なら、自分が嘘をついていたら、素直に謝る。自分が間違っていたら素直に謝る。
ところがおまえは、沈黙したままで、決して謝罪しない。人に謝ることもできない
お前の神は、エゴだ。俺が悔い改めとは何か教えてあげよう。悔い改めなさいとは、お前のような人に対して言うんだよ。
人はエゴに基づいて生き、己のエゴを愛している。エゴを持つ我々は、悪い存在だ。それはイエスの教えをしれば
理解するだろう。それを自覚し、そのエゴを捨て去り、今までと180度違う価値観で生きなさい。
というのが、キリスト教の悔い改めなんだよ。それは=イエスの掟でもある。
あのなバカモスキー。聖書はあくまで宗教書。歴史書じゃねぇんだよ。そんなこともわからんのか?
お前は本当に馬鹿だな。
96カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 03:50:37 ID:TTM9mjfH
キリスト教は、どとのつまり、イエスの掟である。
それをないがしろにして、イエスの掟と全く整合性のとれない解釈は、
全てトンデモさんである。
97カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 04:18:37 ID:TTM9mjfH
キリスト教の滅びは、国が戦争に負けて滅ぼされるといったような、
世俗的なものではない。そんなのは、聖書を読めば、子供でも理解するだろう。
キリスト教には、神の千年王国が来ると約束されている。この時代に生きる人たちを、第一の復活だと
聖書は明かす。そして、キリスト教には、第一の死。そして第二の死というものがあるとされている。
これはどういう意味だ?お前の説で説明してみろよ。

しかしこの御仁は、自分はさんざんキリスト教徒を馬鹿にしていながら、
イスラム教を貶されるのは、我慢できないらしい。イエスを貶すのはOKだが、ムハンマドを
貶されるのは我慢できないらしい。
聞くところによると、イスラムでは、レイプされた女の子を、レイプされた女が悪いと、処刑したそうだな。
可哀想だな。そう思わんか?こんな宗教をやっているおまえが、どうしてキリスト教徒達に大して、
馬鹿教徒だと貶し、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿と言えるのか。
お前の宗教はそんなに立派なのか。なにが私の聖書研究は当時の人達の気持ちを知りたいだ。
嘘を言うな。おまえがここに書く動機は、おまえ自身が一番よく知っているはずだ。
ここでイスラム教が貶されるのは、お前の悪意が
帰ってきているだけだ。イスラムを貶されたくなければ、どうすればいいか、お前が考えろ。
つまり、筋を通せということだよ。
98カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 04:40:58 ID:TTM9mjfH
俺はカトリックの幼児洗礼者だが、正直今の教会の教えるキリスト教には興味がない。
だが、悪意のない者に、悪意をぶつける御仁は、我慢ならない。不正を行う者は、許す前に、
その不正を正す。それがキリスト教だ。イエスの言葉は、優しいが、時にはするどい剣にもなる。
黙示録に書かれた、イエスと思われる男の口に剣が生えていたという描写すら、ここのバカモスキー
さんは理解できない。喩えでしか書かれていない聖書を理解するのは、彼には無理だ。

ぶっちゃけ宗教なんかないほうがいんだよ。
人々の争いの根源は、エゴだが、宗教はそのエゴを増大させるものだ。
人は真理に基づいて生きるのが一番いい。宗教など必要ない。
残念ながら今の時代の人々は真理を知らず、また聞いても受け入れられない。
だが次の時代に真理は明かされ、今まで聞かなかった人々も、
その時代に初めて真理の言葉に聞く耳を持つだろう。だがその前に、大いなる生みの苦しみが待っている。
黙示録に出てくる偽預言者共とは、既存の宗教全てをさす。もちろんイスラムは言うに及ばず、中にキリスト教も含まれる。
偽預言者共は時が来れば、永遠に封印されるのだ。実際そのほうが望ましい。
99カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 04:58:11 ID:TTM9mjfH
>>83
>ユダヤ・キリスト・イスラム教徒は同じ神をあがめています(笑)

それがそうでもあり、そうでもないんだよ。
100名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 06:50:29 ID:toYD2Sft
>>86
因果応報。物事には全て原因があるから結果があるのです。
あなたの投稿は客観的にみて、キリスト教徒に対して悪意に満ちています。
ここでイスラム教、マホメットが貶される原因はあなたが作っているのですよ。
そんなこともわかりませんか?
101mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/01(月) 09:47:48 ID:7izlAvKb
あけましておめでとうございます
おもわず 布団干したくなるような
穏やかで気持ちのいいお正月です

今年もどうぞよろしくお願いします
102名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 10:10:56 ID:yiPReyKr
あけおめ\(^o^)/
神社で密かに主であるイエス・キリストに礼拝するこの寛容さ。
宣教は宣教の時にある人がすればいい。
103ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 10:28:00 ID:GWo9sEC7
あけましておめでとうございます。
ここのスレッドはいつもどうりなのだ。
これでいいのだ。
104名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 10:32:32 ID:yiPReyKr
鰯のあたまから徳川大権現、バアルにアスタロト
聖書のフィルターで、それらとの間にキリストを思い立たせるのだ。
旧約時代では許されんね
105ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 10:43:09 ID:GWo9sEC7
>>82 や >>83 のような人は何をしにここに来てるのか?

この人たちのしていることといったら、
もっともらしいことを書いて、他者を
やりこめたいだけの偽善者ではないですか。

とくに >>83 については
自分なりの聖書への見解や気持ちなどは書けないし、
書くつもりも、もともとない人だ。

聖書について語り合う気持ちがないのであれば投稿せず
ロムしていれば十分のはずなのだが、アラさがしのようなことをして
仏教徒でもないのに「仏教徒を全否定している」などと
平気で書いて、悦に入っている偽善者だ。
106ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 10:44:53 ID:GWo9sEC7
上記の投稿を訂正します。

>>82>>92
>>83 → >>93
107ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 10:51:06 ID:GWo9sEC7

僕も仏教については多少なりとも学んだことがあるのです。
般若心経くらいですが。

ただし有名な先生とかラジニーシなんかの解釈は読んでいませんので
彼らがどんな見解を主張しているか知りませんし、僕の見解とは
異なると思います。

般若心経についても聖書を読むときと同じスタンス、つまり
人の解釈によらず霊によって読む、という読み方で読みました。

仏教徒の頭の中は、ほとんどがどこかの本の受け売りになっているのです。
それは「ひろさちや」かも知れませんし、ラジニーシのようなうさんくさい
ものかもしれません。いずれにしても、それらは単なる知識です。

108名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 11:12:02 ID:cq9VA2xD
>>105
仏教徒でなくても、倫理観というものは兼ね備えているものです。
あなたは、平気で仏教徒は、間違いだらけと書いているでしょう?
聖句を語り合うことが、他者を罵ることでしょうか?

山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。1コリント13:2
109名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 11:12:32 ID:yiPReyKr
相手の気持ちを考えて声からトゲを抜いていけば、新しい抜け道がみえるのさ。
110名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 12:00:02 ID:WNaNuzhS
すべてを捨ててキリストに従うのは選ばれた者だけにゆるされた
神の祝福だ。信仰の薄い者は実をならせることも、種をまくこと
もできない。父の御許に行くことも、御心を行うこともできない。
父のお許しなしには悔い改めることもできない。
111名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 12:40:02 ID:PtLxWVN3
>>86
わはははははははする気にもなれないくらいムカついてるとみた。
>>100
カラスのイスラム叩きは嫌なムスリム見てイラついたというレベルを超えてると思う。
異様なイスラム叩きするクリコテは他にサロメくらいしか知らない。CDUと
神の愛の証言者も何だか変にイスラムを嫌ってたようだが。
112ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 12:41:05 ID:GWo9sEC7
>>108
>あなたは、平気で仏教徒は、間違いだらけと書いているでしょう?

それのどこがいけないことなのですか?このようなことを
書くからにじは、きちんと仏教徒が正しいという根拠を示してください。

>聖句を語り合うことが、他者を罵ることでしょうか?

他者を少しも罵っていません。
おかしいところを指摘しただけです。
むしろ他者を罵っているのは、あなたではないですか。

113ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 12:46:36 ID:GWo9sEC7
>聖句を語り合うことが、他者を罵ることでしょうか?

真実を求めて語り合うことが
ある人には、このように罵っているようにしか
見えないのかもしれません。

そして自分の目の中にある梁は見えずに
くだらない批判をして悦に入るのです。

このような偽善者というものについては
相手にしないことが得策だと思いますので
今後、無視することにいたします。
これ以上、このスレッドを汚しても仕方ないからです。
114名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 12:49:36 ID:cq9VA2xD
>>113
キリスト教談話室の方の信徒さんは、あなたとは考え方が違うようですね。
異教であっても大切になさるそうです。
115名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 12:50:20 ID:eHeP/RSL
前からちょっとこのスレはROMってるんだけど、さっきから見てたら>>109みたいな意見が増えて来てるよね。
まあ分からんでもないけど、このスレは

「聖句の解釈をマターリ語る」スレだよね。

聖句の解釈に「人の気持ち」ってどんだけのウェイトを占めるんだろ?
人の気持ちを考え過ぎるあまりに聖句そのものを曲げてしまう弊害の方が大きいように思うんだけど。

ココモさんにせよカラスさんにせよダニエルさんにせよ、解釈と主張にある種の「一貫性」みたいなものがあるんだけど、
仏教がどうの気持ちがどうのとか言ってる人たちには、そういう「主張」というか「筋を通す誠実さ」みたいなものが感じられないんよね(^^;)
なんだかんだで言ってることは結局「俺の気持ちをわかってくれ」みたいな。
それは悪いことではないけど、このスレでそれを言うなら聖句とその解釈から言うのが筋なんでないの?
116名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 12:59:32 ID:rdL2GAbx
人が大切にしているものは尊重してやろうよダニエルさん。
キリストを表現するなら身をもって表現することが第一じゃない?
117名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 13:02:40 ID:cq9VA2xD
>それのどこがいけないことなのですか?このようなことを
>書くからにじは、きちんと仏教徒が正しいという根拠を示してください。

正しいことを主張しているわけではないのです。
仏教徒が間違いだらけという言動が人を侮辱していることになりませんか?
例えば、聖書が間違いだらけということを言えば、侮辱と受け取れませんか?
愛をもって行動されている方なら、このような言動に至るでしょうか?

山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。1コリント13:2

聖書に書かれていることを実践されていないんでしょうか?

118ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 13:06:20 ID:MQPqcXz6
悔い改め−7 黙示録編
「悔い改め」を今日のキリスト教団と同じ様な意味で捉えてるのは
黙示録くらいのものだと思うw...黙示録の編者のオツムと語学力
の乏しさを考えたら、今日のキリスト教徒と同じで、メタノイアを
自己流に解釈して、「不道徳な行いを改める事」と理解したんだろうと
思います。キリスト教のドグマに打ってつけなので、自分達で
探してください。
119宮崎希美 ◆55nynIr58w :2007/01/01(月) 13:17:02 ID:WbXO2htD
>>114
キリスト教談話室スレ住民の、希美です。
カトリックと天理教は、お互いを大切にし、ローマ、天理市で二回の対話する時を、持ちました。
http://www.tenrikyo.or.jp/ja/act/media/publ/taiwa.html
http://www.tenrikyo.or.jp/ja/act/media/publ/taiwa2.html
120ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 13:21:54 ID:GWo9sEC7
>>115

同意です。
このスレッドについての的確な見解だと思いました。
感謝。
121ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/01(月) 13:27:02 ID:GWo9sEC7
>>117

>例えば、聖書が間違いだらけということを言えば、侮辱と受け取れませんか?

受け取れません。
それのどこが侮辱になるのでしょうか。
そう考えるあなたの考え方に、おそらく問題があるのだろうと思います。

ただし聖書が間違いだらけだと主張するのであれば、
そのことを証明するための材料を提示するべきだと思います。
そして、聖書を信じる人は、信じている根拠を提示すればいいのです。

こういうことが出来ずに、自分と異なる見解について侮辱だとしか
思えないのは、精神的、人間的に未熟だということなのです。


122名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 13:29:23 ID:DUDT7IL9 BE:841928459-2BP(222)
>>115
私は仏教徒ではないよ、断っておくが。
聖句の解釈といいながら他教を大した根拠もなく断罪しているから
イエスのケリュグマのどこにそんなメッセージがあるかと問うているのだが。
123名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 13:30:32 ID:DUDT7IL9 BE:336770892-2BP(222)
人を裁くために聖書を用いるというのは福音的でないね、ともいっておこう。
124名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 13:32:12 ID:rdL2GAbx
聖句を信仰的に語っているつもりでも、交わるうちに
呪いと裁きの言葉になってるんだよな。
125名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 13:43:50 ID:cq9VA2xD
>ただし聖書が間違いだらけだと主張するのであれば、
>そのことを証明するための材料を提示するべきだと思います。

仏教徒が間違いだらけというだけで、そのことを証明する材料を提示しましたか?
126名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 13:50:15 ID:PtLxWVN3
聖書を正しいとする立場なら、聖書と仏教の相違点は全部、
仏教の間違いということになるよ。
127名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 14:05:06 ID:DUDT7IL9 BE:449028364-2BP(222)
歴史的にみると釈迦はカトリックや正教の聖人なんだけどね。
釈迦という名前で出てくるわけじゃないけれどね。
カトリックは聖人暦から外しちゃったけど、正教はいまでもそのまま。
カトリック事典によれば「暦から外しただけで聖人でなくしたわけではない」
というので、カトリックでもいまでも聖人であるといってもいいんだろう。

釈迦の伝承をきいた教父たちが、神とともにある人にのみ認めうる
ようなひとつの聖性を見出した、そのことの重みをもっとかみしめ
たほうがいいんではないだろか。

いずれにせよ、「仏教徒は間違い」じゃ茫漠すぎてコメントしようがない。
私はそれほど勘のいいほうじゃないのでね。聖句と対応があるわけでも
ないしさ。「仏教徒は間違い」というのもきにかかる。教えでも行動でも
なく、人を裁いているようなひびきがある。

上座部仏教的観点から「大乗仏教は仏教じゃない」とかいうのと
それはたぶん違う話だろう(でこれは根拠のある主張だ)。……
いっぽう、聖句の話をしろといいつつ、どの聖句から「仏教徒は
間違い」というのが出てくるのか、あなた示していないんだが。

 垂木を抜け、という言葉はご自分におちてやきませんか?
 ダニエルさん?

それからキリスト教が正しいということをいうのに、○○教は間違い
ということから始める必要はないんだよね。必ずしも。
128名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 14:06:59 ID:eHeP/RSL
>>126

こだわるねぇ(^^;)
「仏教が正しい・間違ってる」みたいな考えがすでに仏教的ではないような気がするんだけど…

気分を害してるのは分かるけど、
誰も「仏教徒は発言するな」って言ってるわけではないんだと思うよ。

ただ「仏教的立場からの聖句の解釈」なり、「(例えば)ダニエルさんの解釈はおかしい」として、当該聖句の仏教的なアプローチからの解釈を示せばいいんだよ。
実際カラスさんはそれに近いことをやってるように見える
(「彼は仏教徒だ」って言ってるわけではないよ、念のため)。
彼はだからといって仏教が正しいとかキリスト教はどうだ、とかの話では終わってない。
あくまで「聖句の解釈」を書いてるんだよ。

そういうのなしに、仏教がどうとか、だからキリスト教はどうとかだけの話なら談話室にでも行って好きなだけどうぞ、ってことなんでは?
129名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 14:09:26 ID:v5BuuMAU
仏教的に見てキリスト教は間違い。
なぜなら、仏教的でないから。
130名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 14:27:52 ID:DUDT7IL9 BE:112257623-2BP(222)
だから「仏教徒が間違い」はいかなる意味で聖句の解釈なのか、
と訊いているのだけど。
131名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 14:30:45 ID:cq9VA2xD
>>128
だから、カラスさんの仏教的な解釈のアプローチというのは
具体的なんですが、ダニエルさんの仏教徒に対しての聖句の解釈からの
アプローチは、具体的でないから、ただの罵りと受け取れるわけですよ。
132ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 15:25:05 ID:MQPqcXz6
>>127
キリスト教団の信徒は、口を揃えて言いますよ
>仏教徒は間違いだ。
>ユダヤ教徒はこちこちの律法主義で、悪魔だ。
>イスラム教徒は野蛮な殺人鬼だ。
連中は自分達の信仰(?)にこれが担保されてないとアカンのですわ
このアプローチでないと、彼らは自分達の存在理由が説明できんのでしょ
133ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 15:31:05 ID:MQPqcXz6
>>130
そんなの幾ら聞いても何の説明も得られないよ...
このwebをROMしたら判ると思うけど、彼らは異教を
理解するどころか、聖書そのものも殆ど理解してないんですよ
彼らが信じてるのは聖書とはおおよそ関係ないキリスト教のドグマ
か、自分達で勝手に妄想したドグマですよ...
134カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 16:03:32 ID:TTM9mjfH
〜ヨハネの福音
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

〜ヨハネのアポクリュホン
彼は計りがたきものであり、身体的でもなければ、非身体的でもない。
彼は大きくもなく、小さくもない。彼はどのくらいの大きさと言えるような者でもない。
彼はいかなる被造物でもない。また彼は何人といえども把握することができない。
そもそもなにか存在する者ではなく、むしろそれらより優れたものである。

〜スッタニパータ
〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「その、滅却に至った者(解脱者)ですが、あるいはまた、
彼は、〔もはや〕存在しないのですか。それとも、まさに、常恒であるため、無病の者(永遠不滅の存在)となるのですか。
牟尼よ、どうぞ、わたしに、それを説き示してください。この法(もの・こと)は、まさに、あなたによって、
そのとおり〔あるがままに〕知られたのです」〔と〕。
世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、滅却に至った者(解脱者)には、量ることが〔すなわち、
量るべき尺度[よすが]が〕存在しないのです。それによって、彼のことを〔あなたに〕説こうとしても、彼には、
その〔量るべき尺度〕が存在しないのです。一切の諸法(もの・こと)が完破されたとき、一切の論〔へと至る〕道もまた、
完破されたのです」と。

>>133
だから聖書は形而上の存在である神をテーマにしているものなのか、
それともあくまで形而下のことである、政治的なことなのか、答えてみろよ、バカモスキー。
どうして答えない?聖書はお前が答えるまでもなく、形而上の存在である、天の父がテーマだ。
これを否定するのは、とんだトンデモさんだ。その形而上の存在である天の父をテーマにしているのに、
なんでも、形而下の出来事にすぎない、世俗的な政治的なことで完結する解釈をするものは
とんだトンデモさんである。メクラなんだよ、メクラ。んま、おまえは人に謝る事もできなければ、どんなに
自分が間違っていようとも、決して考えを改めない人のようだがな。可哀想な人だ。
135カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 16:05:53 ID:TTM9mjfH
>>133
悔い改めよ。

ククク。これはお前のためにあるような言葉だな。
わはははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははは。
136ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 16:14:12 ID:MQPqcXz6
昔、自分のwebに問い合わせてきた質問の回答メールの冒頭に
”慈悲深く慈愛あまねき唯一の神の名をもって愛情深く”
と書いたら、
”素晴らしい聖句ですね、聖書の何処に書かれてますか?”
と尋ねられたので、
”コーランの冒頭です。自分は一応イスラムに在籍してるので
 私の返信には、これを付ける事が多いです”
と答えたら、私たちには二度とそんな言葉を書かないでくれ
と言い出したw

このスレでもやった事があるでしょ...ヨハネ福音書の
冒頭かストア派哲学の要約かって...結局どちらだとは
言えなかったでしょ...殆ど同じものをどちらとは言えないし
どちらでもあるとも言えるんですよ...ところがキリスト教徒は
理解できないんですね...聖書に書いてあるものがすべて正しくて
、それ以外のものは野蛮で・軽薄で・間違ってるんですよ...野蛮
で・軽薄で・間違ってないと、キリスト教徒の信仰(?)とやら
言うものが担保されないんですね...
137カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 16:21:06 ID:TTM9mjfH
>>133
お前は聖書を理解しているかのような物言いだな。
トンデモさんのくせしやがってよ。

聖書の筆者の思い、行き着く先のテーマは、皆同じだ。
それは黙示録とて同じ。悔い改めの意味も、皆同じ意味だ。
お前のような、この福音書の悔い改めの意味はこうで、ここの福音書の悔い改め
はこう言う意味で、黙示録にでてくる悔い改めはこういう意味。なんてものではない。
お前の解釈は、いつもここの箇所はこうだけど個々の箇所ではこうと、継ぎはぎだらけじゃないか。
おまえたちと、ノストラダムスの預言解釈者と、一体どういう違いがあると言うのだ?
各福音書、書簡、使徒言行録、黙示録、それぞれ筆者は違えど、ベースはイエスの教えである。
そこのところを間違えるんじゃねぇよ。イエスの教えノテーマは、形而上の存在である天の父か?
それとも世俗的な、政治的な革命のことか?そんなのは聖書を読めば、子供でもわかると言っているんだよ。

イエスの教えとはとどのつまり、イエスの掟である。
『あなたがたは互いに愛し合いなさい』。イエスの掟と、悔い改めの関係も読み解けない無能が。
お前の能書きはいつも、自説の都合のいい箇所の、聖句の一本釣りの勝手解釈ばかりじゃねぇか。
同じ単語でも、この箇所じゃそうとれなくもないが、違う箇所ではたちまち、その解釈じゃ意味が通らない。
そんなのばかりじゃないか。
138カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 16:25:25 ID:TTM9mjfH
>>136
だから宗教なんてないほうがいいんだよ。
イエスの掟ひとつあればいい。

唯一絶対の神なんて簡単に言うが、言ってる本人が、その唯一絶対の神とは
どういう存在なのか知らないじゃないか。我々は自分自身も知らないでいる。
139名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 16:32:10 ID:nYteVuLx
数人のコテで言い争ってるだけなら、ageないでくれまいか?
140名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 16:59:54 ID:rdL2GAbx
ダニエルとココモスキーとカラスの紛争と平行線は永遠に続くのか?
141名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 17:21:26 ID:aIXZKvka
続くし、それでいいじゃない?
142名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 17:26:02 ID:v5BuuMAU
ここだけで永久に続くことを切に願わん
143ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 17:45:07 ID:MQPqcXz6
悔い改め−6 ローマ人への書簡2/4
”あるいは、神の憐れみが(あなた)を「悔い改め(意識改革)に導く
 ことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。”

(あなた)とは誰の事でしょう?....なんて言う質問をすると、
キリスト教徒は全く反応しないどころか、答えられない事を逆恨み
するのがオチです。中にはこういう所でイスラムの話を持ち出す
どうしようもないアホもいます。
実は自分もよく判らないので、ローマ書簡を読み返しているところです。
何回か読み直せば、この(あなた)が誰であるか判ると思います。
普通の人であれば、パウロが誰に対して言ってるのか興味があるだろう
と思いますが、キリスト教徒はそんな事はどうでも良いのでしょう
「悔い改め」と言う言葉をパウロが使ってるだけで、後は十八番の
「神に帰る」か、「キリスト教徒になる事」だと言うドグマを
展開するのでしょう...それしか頭にないんでしょうね...
144ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/01(月) 18:05:28 ID:MQPqcXz6
悔い改め−8 第2コリント書簡
7/9−10
”今は喜んでいます。(あなたがた)がただ悲しんだからではなく、
 悲しんで(悔い改め{反省し})たからです。(あなたがた)が
 悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは
 何の害も受けずに済みました。
 神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通
 じる(悔い改め{反省})を生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。”
12/21
”再びそちらに行くとき、わたしの神が(あなたがた)の前でわたしに
 面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯
 した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、
 ふしだらな行いを(悔い改め{反省せ})ずにいるのを、わたしは嘆き悲しむ
 ことになるのではないだろうか。

この(あなたがた)はコリント人達です。
キリスト教会の好きな(悔い改め{反省する})は、どうやらパウロから
出たものの様ですね。共観福音書の(悔い改め{価値観を変える})とは
全然違うものだと思います。ユダヤ戦争の前後で、(悔い改め)の意味が
変わったのかも知れません。
145カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 18:47:11 ID:TTM9mjfH
釈尊は言った。
>まさに、自己は、自己の主[あるじ]。まさに、他者の誰が、
>主として存するというのだろう。なぜなら、善く調御された自己によって、
>得難き主を得るのだから。〜ダンマパタ

天上天下唯我独尊。
あの世もかの世も主人公は我一人。

私は、梵我一如の話をしているわけではない。
なぜならその表現は正しく無いからだ。復活とは、
”自我を捨て、再び初めから在った自分自身を受け取ることだ” と、
私は言った。聞く耳のある者よ、私が本当のキリスト教を教えてあげよう。
146カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 19:09:54 ID:TTM9mjfH
>>143
おや、俺にたいする当て付けのつもりかい?(苦笑)

キリスト教の悔い改めとは、今の自分と言う存在を悔い、肉の思いを断ち切り、真理にむいて生きなさいと言うことだ。
この世の生存は、我々の罪によるものである。
我々は「一」を、善と悪とに識別してしまったのだ。イエスは言われた。
誰でも自分の命を憎まない者は、私の弟子にはなりえない。我々は悪い存在なのである。
それを知れば、自分と言う存在を悔いるのは当たり前の話だ。
肉の思いとは、色欲、物欲などの欲望や、物への執着、自我への執着。
これらの心は我々の心にエゴを生む。エゴは再びこの世の生存をもたらすだろう。
エゴは分裂させるもの。分裂したものを再び一つにしないもの。それらのものを退け、
真理に向かって生きなさいということだ。真理に向かって生きなさいということは、イエスの掟を守りなさいということだ。
それは我々の心を、再びひとつにする道でもある。
それは日頃肉の思いに従って生きる我々の価値観とは、180度違うものである。
キリスト教のいう悔い改めとはそういうことだ。そう思って聖書を読めばいい。バカモスキーのように、
この箇所の悔い改めはこういう意味で、この箇所の悔い改めはこういう意味という、己のエゴに満ちた、継ぎ接ぎだらけの、
勝手な解釈とは違い、全て整合性の取れるものである。これはイエスの言葉となんら矛盾するものでもない。
この解釈で、なんら矛盾するものではない。

147名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 19:20:24 ID:DUDT7IL9 BE:673542566-2BP(222)
>>134
個人的には、なぜ前スレを使い切ってからこちらに移らないのかが
もにょり。このスレの初期を知ってるんだが、そのときの面子がぜんぜん
いないねえ。ここはいまある種の隔離スレなの? [y]
148名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 19:23:04 ID:rdL2GAbx
カラスが言ったことと、やってることが食い違いながらも
強気でいられる源泉があるんだよな。
149カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/01(月) 19:26:52 ID:TTM9mjfH
我らは一つだ。

裁くな。そうすれば裁かれなくてすむ。
お前は人を裁いているつもりが、自分自身を裁いているのだ。
許せ。そうすれば許される。
お前が許しているのは、ほかならぬ自分自身なのだ。だから許せ。
お前は自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられるのだ。
お前は自分の量る秤で量り返されるからである

そんなことは分かっているよ。

いまだ豚肉は食うなと盲信している幼稚な宗教をやっているおまえに
キリスト教徒が、馬鹿だ馬鹿だといわれる筋合いはない。
とにかくお前は豚丼を食え。吉野家の豚丼はうまいぞ。せめて10杯は食って来い。
話はそれからだ。
150名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 19:36:39 ID:rdL2GAbx
カラスはキリストに今以上の救いを求めていない。
キリストを神に由る教師として見ている。
151名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 19:42:32 ID:rdL2GAbx
強気でいられるのは何故か。
152名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 20:39:44 ID:rdL2GAbx
カラスはそれを、聖書の中から見つけだして確立することができない。
故に聖書のみから妥協し、直感する真理と思う根拠を他に求めた。

おそらくそれは…
153名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 20:40:25 ID:aIXZKvka
>>147
前スレは容量限界で書き込めない。
154名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 22:01:37 ID:rdL2GAbx
豚丼が旨い!?
  ( ゚д゚ ) ガタッ      
  .r   ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
  \/    /


 ⊂( ゚д゚ ) 今行くぞ!
   ヽ ⊂ )
   (⌒)| ダッ
   三 `J
155名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 22:12:15 ID:eHeP/RSL
>>149>>154
うん、豚丼うまいよね。
初めて見たときは牛丼が消えたすぐあとだったから正直「ヘッなんだこんな代用食ペッペッ」って感じだった(豚さんスマソ)が、
実際食うと「おっ…うまい!!」



…今じゃむしろ牛丼よりも豚丼が好きかも。
156名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 22:32:40 ID:gEUjcmbB
牛丼代用食としての豚丼もいけるが、本場帯広の豚丼はもっと旨いぞ。

しかしユダヤ教の食習慣に関する戒律はキリスト教よりもイスラム教の方に
(あるいはエホバの証人のようなカルトに)厳格に受け継がれているのが面白い。
だが、中東の食習慣にはユダヤ・イスラムの戒律が望ましいのかもしれないが、
キリスト教は全世界に広まっているので、食習慣について細かい規則は定められん。
否、定めなかったから世界宗教になれたんだがなw

野菜の取れない北方の人々は血を飲まないとビタミン補給が出来ないし、我々の住む
東アジアの気候では牛・羊の大量牧畜は不可能だ。そんなことしたら砂漠化と温暖化で地球は終りだ。
残飯やウンコ食わせてもおいしく太ってくれる豚の方が効率が良く自然に優しい(インフルエンザの
感染源というリスクもあるが)。
地中海の人々や我々日本人にとって、「うろこの無い海の生物」を食べないことなんてありえない。

「人はパンのみにて生きるのではない」が、食い物がなければ生きられないことも確かなので、
この点ではキリスト教と言うのは非常に合理的な教えを広めたと思うよ。
157名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 23:52:20 ID:rdL2GAbx
神がきよいと言ったものを、あなたはきよくないと言ってはならない
158名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 23:53:10 ID:rdL2GAbx
神がきよいと言ったものを、あなたはきよくないと言ってはならない
159名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 00:20:50 ID:WbcLWqLS BE:449028746-2BP(222)
>>153
了解。
160ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 00:51:36 ID:9e4+IGA0
>>147
>このスレの初期を知ってるんだが、そのときの面子がぜんぜん
>いないねえ。

は?もともとこのスレを最初に作ったのは僕ですが? (\<>\)???
161ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 00:53:30 ID:9e4+IGA0

このスレは最初は
「ダニエルさんと聖書の聖句について学ぼう」というスレでした。
けれども、個人のハンドルネームをスレッドタイトルにつけては
いけない、ということで、このスレッド名になったのです。

ですから、 >>147 の書いていることはデタラメなのです。
162ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 01:21:18 ID:9e4+IGA0

しかも、ココモスキーさんもここのスレッドの当初から
来ていた方です。

どうして >>147 は適当なことを書いたのでしょうか?
163ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 01:27:11 ID:9e4+IGA0

もともと僕は、「キリスト教@質問箱」というスレッドで
いろいろな質問に答えていたのですが、それをなぜか面白く
思わない「ケルベロスの犬」というお方に、お前の別スレを
作ってそこで勝手に質問に答えていろ!と言われたのです。

あんまりそのケルベロスというハンドルの人が執拗に嫌がらせ的な
書き込みをして困るので、前に述べた「ダニエルさんの・・・」という
スレッドを立ち上げたのです。
164ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/02(火) 01:31:02 ID:DBD0zsBs
悔い改めシリーズは終了します。本当はヨハネ福音書に何故
悔い改めがないのかを説明しようと思ってましたが、自分の経験から
その様な事をすると、ヒステリー患者はますますヒステリーが悪化します。

つぎはシリーズ名を「私は誰、あなたは誰」をしたいと思います。
聖書を文章として読んでるか、単語だけ拾ってるかがこれでハッキリし
ます。と言うより馬鹿教団や馬鹿信者は殆ど回答不能になるのが目に
見えてます。

題材はいくらでもころがってるので、ご希望があれば焦点を**書位に
絞っても良いでしょう...
165ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 01:31:18 ID:9e4+IGA0

僕はそのころ、まだ2ちゃんねるの初心者であったので、
スレッドタイトルにハンドルネームを使用してはいけない、という
ルールがあることを知りませんでした。
そのため、自治スレを当時仕切っていた「メェ○{・囚・}○」という
人に、現在のスレッドタイトルをすすめていただいたのです。

当初は、そういうわけで、質問スレで誰も答えない質問について
この聖句スレに誘導していただいたりしていたものでした。

ココモスキーさんは、このスレの1か2くらいのときに
すでに投稿をしていたと記憶しております。

もうこのスレも長くなりました。こんなに続いたのは
みなさんのおかげです。なんちゃって。
166真実を語る口:2007/01/02(火) 09:23:25 ID:LlwWCnRF
>>164
どんなに論破されても、無視することで必死でブランドを保とうとするココモスキー。
反論ひとつできやしない。本当はヨハネ福音書と悔い改めにちいて言及したいが、
また論破されるのが怖くて書けない情けないココモスキー。
キリスト教徒の前で、キリスト教は必死で貶すくせに、
キリスト教徒にイスラム教を貶されると頭に血が昇る、とっても身勝手なココモスキー。
どんなに自分が間違っていようと、決して考えを改めず、いつまでも珍説を垂れ流し、
嘘がばれても決して決して謝らないココモスキー。
いやぁ、この人物は観察していると、まことに興味深いですな。

ちゅうか、人格障害だろ、この人。
167真実を語る口:2007/01/02(火) 09:34:46 ID:LlwWCnRF
>>166 訂正
×必死でブランドを保とうとするココモスキー。
○必死でプライドを保とうとするココモスキー。
×ヨハネ福音書と悔い改めにちいて言及したいが、
○ヨハネ福音書と悔い改めについて言及したいが、
168名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 10:48:46 ID:UFJf2wFC
興味深い→益になる

裏をかえせば(裏の裏か)こういうこと。
真実は神から来ることを考えれば、ココモはバビロンでありペルシャなんだよな。
169名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 11:01:27 ID:UFJf2wFC
奇跡を見て悔い改められないコラジンやベトサイダという所は、ユダヤのことなのかな。
170ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/02(火) 13:02:12 ID:DBD0zsBs
>>169
>奇跡を見て悔い改められないコラジンやベトサイダという所は、
>ユダヤのことなのかな。
どちらも、ガリラヤ湖近く(北部)の町です。またカファルナウム
(ペテロの出身地)も近くにあります。
171キュロス:2007/01/02(火) 16:47:31 ID:qbtWHAWn
イザヤ 6章10節 新改訳
>この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。
>自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、
>いやされることのないために。」

この箇所の後半の 「立ち返って」と訳出されている言葉は
新共同訳では「悔い改め」と訳出されている。

詩篇 6編4節 新改訳
>帰って来てください。主よ。私のたましいを助け出してください。
>あなたの恵みのゆえに、私をお救いください。

この箇所の「帰ってきてください。」も 上記と同じヘブライ語だ。
新共同では「主よ、立ち帰り」と 訳出されている。
この箇所では 人間が神に対して 立ち返ることを 望んでいる。
172キュロス:2007/01/02(火) 16:48:07 ID:qbtWHAWn
ホセア 11章9節 新改訳
>わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。
>わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であ
>からだ。わたしは怒りをもっては来ない。

この箇所は 神が 神本来の姿に立ち帰りる というのだね。
つまり ヘブライ語聖書では 立ち帰る(悔い改める)のは
人間だけではなく 神も神に立ち帰る と言う考えが有る。

ヨハネ福音書にも 人間が悔い改める のではなく
神が神に立ち帰って人間に臨む という考え方が有るような気がする。
173キュロス:2007/01/02(火) 16:55:20 ID:qbtWHAWn
つまり ヨハネ福音書では イエスが十字架刑に対しての態度が
共観福音書とは違って イエスが自ら進んで十字架に掛っているような
描き方をしている。

これは 神が人間に対する態度を 今までの方法とは変えている
とも解釈できる。
つまり 神が人間に対する態度を 悔い改めて 変えたとも解釈できる。
174カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/02(火) 18:55:54 ID:cfh4M1V9
しかしクルアーンの、当初、キリスト教徒に対して、
非常に好意的だったムハンマドの能書きが、キリスト教徒達が
自分達に味方しなくなってくるにつけ、
「今に見ておれ、あの者たちに必ずアッラーの怒りが落ちようぞ」
に変わっていくさまは、何度読んでも笑えるんだよね。
何がシリーズだよ。おちょくってると、「ムハンマドはただのおっさんだった」。
を、シリーズでお届けするぜ(笑)言葉には気をつけろよ。
175カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/02(火) 19:02:10 ID:cfh4M1V9
質問箱に時代から、ココモスキーは、ずっと
キリスト教徒に対して悪意をぶつけている。それは過去を知る人なら
よくご存知だろう。キリスト教会と何があったのか知らんが、恨みがあるんなら、
当事者に対して文句を言え。ここで悪意をぶつけるのはお門違いだ。

ココモスキーに注意するイスラム教徒はおらんのか?そうすればイスラムも、
少しは見直しやるんだがな。
176名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 21:49:39 ID:7NApj86Q
空気読まずにしつもーん。

創世記によると、神はまず男を造り、「人が独りでいるのはよくない」
ってことで、いろんな動物を持ってくるけど、男に合う助け手が見つからない。
だから、男のあばら骨を抜き出して女を造ったってあるけど、
裏を返せば、動物の中から助け手が見つかっていたら、
女は造られなかったんですかね?
となると、神はもともとどうやって人間を増やす気だったのだろ?
いや、もしかして最初は増やすつもりなんてなかったのか?
なんて考えてみたり。
ここらへん、みんなどう解釈してるんだろ?
ちょっと気になった。
177ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/02(火) 21:56:41 ID:DBD0zsBs
私は誰・あなたは誰−1
ヨハネ福音書21/21−23
"ペトロは(彼)を見て、「主よ、(この人)はどうなるのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。「(わたし)の来るときまで(彼)が生きていることを、(わたし)
が望んだとしても、(あなた)に何の関係があるか。(あなた)は、(わたし)に従いなさい。」
それで、(この弟子)は死なないといううわさが(兄弟たち)の間に広まった。しかし、
イエスは、(彼)は死なないと言われたのではない。ただ、「(わたし)の来るときまで
(彼)が生きていることを、(わたし)が望んだとしても、(あなた)に何の関係があるか」
と言われたのである。"

いろいろ出てきますね...(彼)が4回、(わたし)が5回、(あなた)が3回
あと(この弟子)と(兄弟たち)ですね...当然これらがそれぞれ誰であるか
を理解していないと、ここの聖句は理解できないと思います。
ここの聖句は多分2世紀以降の追記で、実は「イエスの再臨」を望んでる人達に、
それが空しい事であると言ってるんです。
178名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 22:03:17 ID:Izac3AXh
マタイ書は主の公現して最初に会ったのが東の異邦人なんだってね。
179ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/02(火) 22:09:34 ID:DBD0zsBs
>>176
>裏を返せば、動物の中から助け手が見つかっていたら、
>女は造られなかったんですかね?
>となると、神はもともとどうやって人間を増やす気だったのだろ?
この物語を作った人がアホだったんです。動物の殆どは多分雌雄別々
でしょうから、動物の一種である人間も当然最初から男女があります。
この物語の荒唐無稽さを修正したのが、創世記1/21−27です。
2章の人類創造の話はユダヤに残っていた古い伝承(J伝承)で、
1章の人類創造は、より高度なバビロンの科学を吸収した伝承です。

180ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 22:25:40 ID:9e4+IGA0
>>176
>裏を返せば、動物の中から助け手が見つかっていたら、
>女は造られなかったんですかね?

聖書からは、そのように読み取れます。
つまり、アダムにとって動物は助けにならなかった、という
ことを意味しています。

神はアダムのところに獣と鳥を連れてきて
それらに『アダムが名前をつける』のを見ておられたのです。

しかし、アダムは彼らに名前をつけたのですが、ふさわしい
助け手が見つからなかったことが神にわかったのです。
181ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 22:28:53 ID:9e4+IGA0

「名前をつける」ということは、その対象物について
アダムがどのように認識したか、ということを表しているのです。

アダムにとって、それらの動物は、なぜ自分が生きているのかに
ついての明確なインスピレーションにならなかったようです。

そこで、アダムからあばら骨(人の胸にある大切なもの、すなわちハート)
を抜き取り、それを肉体的に表現した「女」を創ったのです。
182名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 22:32:22 ID:7NApj86Q
>>179
1章と2章ってなりたちが違うんですか?
1章を詳しく説明したのが2章かなって思ってたけど、
たしかに微妙に言ってることが違うのが気になってたんですよね。
とはいえ、物語を作った人がアホで済ませると、
そもそも聖書の解釈もクソもなくなるんで、そこはスルーしときます。
183ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 22:42:43 ID:9e4+IGA0

「名前をつける」という行為は、神と人にしかできません。
「言葉」を操る能力についても、動物にはないものです。

この点においても、人は神の似姿に創られたことがわかります。
184ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/02(火) 22:43:26 ID:9e4+IGA0
>>182

なりたちは違うようです。
185カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/02(火) 23:42:30 ID:cfh4M1V9
〜ヨハネ17:24
>父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。
>それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。

〜ヨハネ1:01〜03
>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。
>万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

イエスは何も特別でもなんでもない。
我々と同じ人である。ただ彼は、左のものを一切捨て去り、右のものとして生きたのだ。
言葉は人間だけが持つもの。それは人の心でもある。
言葉は識別するもの。そしてこの世界は、相対世界。男は在ってある者であり、女は男のハートである。
そして男と女は本来一つであった。二人が分かれたとき、人に死が入り込んだ。
つまり肉を持ったとき、人は死ぬ存在になったのさ。父とは肉の存在ではない。ならば彼に似せて創造された
人は、本来肉の存在ではないと言うのは、子供でもわかる道理だ。
父に似せて創造された人は、本来、天地創造の前から父の懐にいた。それが善と悪とに分けると言う自らの
罪により、獣に過ぎないこの身体に生れ落ちた。
天地創造の物語は、獣の身体に落ちた人を、本来の人と喩えて、人が堕落した模様、男と女の意味を
喩えて書かれている物語なのさ。ま、お前らにいくら言ってもわからんだろうが。

ちなみにヨハネ冒頭の万物を創造した言とは、そのまま読むと、イエスになるわけだが、
そんな単純な話ではない。みんな神とは何者か、この世を創造した本人は一体誰なのか、知らないのさ。
186カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/02(火) 23:46:47 ID:cfh4M1V9
>>177
で、お前は誰?
187ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 01:57:44 ID:HG06DQQ2
>>185
>そして男と女は本来一つであった。二人が分かれたとき、人に死が入り込んだ。
>つまり肉を持ったとき、人は死ぬ存在になったのさ。

お言葉ですが、人が肉を持ったのは男と女に分かれたときではありません。
聖書によれば、エデンの園で罪を犯した後のことです。

創世記3:21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。
彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。


188ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 02:01:18 ID:HG06DQQ2

聖書に書かれていないことを、勝手に捏造して主張してはなりません。
そのようなことは、自説や人間の考えを主張していることになります。
謙遜な人は、そのようなことはしないものです。
189カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 02:25:28 ID:uIiroCnG
>>187
だからさ、人は自ら善と悪とに識別した罪により、
この世に生れ落ちた。つまり肉を持つ存在になったと言っているんだよ。

父とは肉の存在ではない。ならば父に似せて創造された人とは
本来どういう存在か、わかろうというもの。
父に似せた創造された人は、父の懐にいたが、自ら善悪を識別したことにより、
父の元を離れ、肉の存在となり、死ぬ存在となった。
人は善悪を知る知恵を付けたとき、そのとき死んだんだよ。
創世記はは獣に落ちた”人間”をもとに、この話を喩えているんだよ。
イエスは天の御国とは、人と人の間にあるといっただろう。わからん奴だ。

名前は識別するものである。名前を付けるのは「言」である。
「言」は、万物の母である。この世界は、相対世界だ。
男は在って在る者。女は男のハート(心)である。
なぜ創世記に、エバは男のあばら骨から創造されたかの意味をおまえは悟らない。
男と女の意味もお前は悟らない。
男と女は一つだった。男と女が分かれたとき、人に死が入り込んだ。
これはグノーシスの文書にははっきり書かれていることだ。カトリックでも言っているだろう。
父と子と聖霊は、三位一体だと。意味もわからず、三位一体の神など言ってはいけないよ、僕ちゃん。
190カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 02:41:08 ID:uIiroCnG
イエスの祈り〜ヨハネの福音7:05〜26より。

>父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
>世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、
>あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。
>わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。
>なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを
>本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。
>彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。
>彼らはあなたのものだからです。 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。
>わたしは彼らによって栄光を受けました。 わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、
>わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。
>わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
191カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 02:45:04 ID:uIiroCnG
>わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。
>わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。
>しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、
>わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
>わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、
>彼らも世に属していないからです。 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、
>悪い者から守ってくださることです。 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
>真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
>わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
>彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。
>また、彼らのためだけではなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
>父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。
>彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、
>信じるようになります。 あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。
192カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 02:46:22 ID:uIiroCnG
>わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
>わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。
>こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、
>世が知るようになります。 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。
>それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。
>正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを
>知っています。 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。
>わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

真理を悟る者は幸いだ。アーメン。
193カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 02:55:10 ID:uIiroCnG
なぜ父の名を、皆悟らないのだろう?

俺は不思議に思う。
194ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 03:06:30 ID:HG06DQQ2
>>189
>男と女は一つだった。男と女が分かれたとき、人に死が入り込んだ。
>これはグノーシスの文書にははっきり書かれていることだ。カトリックでも言っているだろう。

カトリックでそんなことを言っているとは初めて聞きました。
カテキズムのどこにそんなことが書いてあるのか教えてください。
よろしくお願いします。
195カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 03:11:24 ID:uIiroCnG
言っておくが、イエスも釈迦も同じことを言っている。涅槃と、永遠の命は、同じことを言っているのだ。

スッタニパータ
1073
〔尊者ウパシーヴァが尋ねた〕「一切に眼ある方よ、もし、彼が、〔何ものも〕追い求めることなく、また、
多くの年月を、そこにおいて安立するなら、まさしく、そこにおいて、彼は、〔欲の炎が消えた〕解脱者として、
〔欲の炎なく〕冷静に存するのでしょうか。〔それとも〕そのような類の者の識別作用(識:認識作用一般、
自己と他者を識別する働き)は、〔解脱後も〕有るのでしょうか」〔と〕。
1074
世尊は〔答えた〕「ウパシーヴァさん、風の勢いで飛び散った炎が滅却し去り行くと、
〔もはや〕名称に近づかない(名づけようがない)ように、このように、名前と身体(名身)から解脱した牟尼(沈黙の聖者)は、
滅却〔の道〕へと去り行き、〔虚構の〕名称(概念)に近づくことはありません(名付けを離れた存在となる)」と。

1036
尊者アジタが〔尋ねた〕「あるいは、知慧こそが〔諸々の欲望の流れの統御となり〕、あるいは、
気づきが〔諸々の欲望の流れの防護となるなら〕、さらに、尊師よ、〔つぎは〕名前と形態(名色:現象世界)についてです。
〔問いを〕尋ねられた者として、これを、わたしに説いてください。この〔名前と形態〕は、どのような所で消滅するのですか」と。
1037
〔世尊は答えた〕「アジタさん、〔あなたが〕尋ねたこの問いについて、それを、あなたに説きましょう。
名前(名)と形態(色)とが残りなく消滅する所とは、識別作用(識:認識作用一般、自己と他者を識別する働き)の止滅によって、
この〔名前と形態〕が消滅する、〔ほかならぬ、いま〕この場のことです」〔と〕。
196カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 03:14:12 ID:uIiroCnG
名前は識別するもの。識別は二元世界を生むだろう。つまり形態あるこの世界のことである。
名前は「言」によって成る。「言」は万物の母。「言」による知恵は我々を地獄に落としたが、地獄から救うのも、
「言」による知恵だけなのである。輝く明けの明星、ルシファーよ、おまえはどうして地に落ちたのか。
お前の罪は許されたと言うのか。お前はいと高き子となり、雲に乗り、我々の前に現れるだろう。だがおまえは、
地の底に永遠に封印される。我々を識別した「言葉」は、時が終われば、永遠に封印されるのだ。
197ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 03:14:50 ID:0wE1XXL8
>>182
>1章と2章ってなりたちが違うんですか?
>1章を詳しく説明したのが2章かなって思ってたけど、
>たしかに微妙に言ってることが違うのが気になってたんですよね。
>とはいえ、物語を作った人がアホで済ませると、
>そもそも聖書の解釈もクソもなくなるんで、そこはスルーしときます。
アホが書いたと言うのは僕の言い過ぎかもしれませんが、1/1−2/3
と2/3−4/26の編者が全く違うシナリオを基にしてるのは、98%
位確かな事です。それで僕は前半の方を書いてる祭司派(P資料)の方を
創世記の主張として読むのですが、教団の方々はJ資料の方が(つまり
神話的なほうが面白おかしく説明できるので使ってるだけだと思います)
信者さんたちに面白いテーマとして、教会の話術として多用されるン
だと思います。(分けの判らない神話の方が信者が色々考えてくれる)
それでややこしい事を言い出したら、それこそ教会の権威やら何処かの
オッサンが喚きだしてだまっとれになるんですよ...それで、この創世記
の神話も、BC6世紀頃にP派の編者が、このJ資料に対しての
改定を1/1−2/3で書き足した事で、創世記としては決着してるんだろうと
思います。あとはアホのキリスト教徒たちが好きなように遊んでるだけだと
思います。
198カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 03:15:15 ID:uIiroCnG
>>194
捏造はいかんな。
俺は

>カトリックでも言っているだろう。
>父と子と聖霊は、三位一体だと。

と、言ったんだよ。そして男と女が一つだったという教えを理解しないおまえらは、
三位一体の意味を、知らないと言っているんだよ。
199カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 03:33:05 ID:uIiroCnG
さて、バカモスキーさんのHPだが、
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/index.html
彼の主張は、一昔に学者達にはやった、聖書を唯物論的に、歴史絵巻として捕らえる
と言うアプローチで、今の学者はこのアプローチで聖書を研究する者は少ないと申し述べておきましょう。
なぜなら聖書はあくまで宗教書であり、形而上の神を扱っている書物だからです。頭のいい人なら
そんな簡単なことはすぐに気づき、そのアプローチで研究するものです。それをいつまでも、
なんでも2千年前に書かれた宗教書を、なんでも今の常識に当てはめ、唯物論的に頑固に解釈しようとする人は、
すべてトンデモさんです。たとえは悪いですが、彼らは、SF小説の宇宙人を、そんなものはいるはず無いから、
この宇宙人は、ローマ帝国で、侵略された地球人は、ユダヤ人だと無理やり解釈して、悦に入っている、アホです。
200カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 03:36:09 ID:uIiroCnG
さて、彼のHPを見てみましょう。たとえば永遠の命です。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_forever.html
ここをみてもわかるように、彼は、永遠の命とは、この世にこそあると聖書は明かしていると考えているようです。
アホかおまえ。たとえば、イエスの身元にいく弟子について、先にあげたイエスの祈りの中で、
こう言っているよな。

〜ヨハネ17:14〜17:16
>わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、
>彼らも世に属していないからです。 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、
>悪い者から守ってくださることです。 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。

つまり父と一つになる彼らは、この世に属していないと言っているんだよ。他にも、

〜ヨハネ12:25
>自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

と言っている。これらの記述と、お前が永遠の命とはこの世にあると言う説と、どう整合性が取れるんだ?
お前の解釈は、いつも継ぎはぎだらけで、この箇所はこう取れるが、他の聖句と照らし合わせると整合性が取れない。
そんなのばかりじゃないか。聖句を自分の都合のいいように、自分勝手に解釈しているのはお前のほうなんだよ、盲人。
さて私は、彼のHPの彼の説が、いかにトンデモさんなのか、シリーズでお届けしたいと思っています。
201ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 03:52:18 ID:HG06DQQ2
>>198
>カトリックでも言っているだろう。

は、次の行の

>父と子と聖霊は、三位一体だと。

にかかっているんですね? 行を変えているのでまぎらわしいですな。
202ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 03:58:13 ID:HG06DQQ2
>>200
>彼は、永遠の命とは、この世にこそあると聖書は明かしていると考えているようです。

当たり前のことです。こんなこともわからないカラスの唄さんの
レベルが低い、ということです。この場合のレベルとは知識レベルの
ことではなく、霊的なレベルのことです。

命というのは、この世であろうがなかろうが「永遠」なのです。
この世においては、死が干渉しているために不完全に現れている
だけのことであって、この世に生きている命は、そのまま神の命の
現れであるのです。

イエスが「この世に属していない」と言っておられるのも当たり前です。
命とは、神がわたしたちに働いておられる、ということであって、この世に
属する事柄ではないのです。

203ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 04:02:01 ID:HG06DQQ2
この世に属するとは、次のような状態になっていることを指す言葉です。

1コリント 6:9
それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。
不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、
貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。
204カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 04:14:34 ID:uIiroCnG
>>202
〜ルカ14:26〜14:27
>「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、
>更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
>自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。

我の強い者ほど、この世を愛する者だ。
おまえはせいぜいこの世を愛し、この世の自分の命を愛せばいいさ。
今の教会の聖職者達は、全てこの世に執着を増す教えを信者に与えている。
だがこれは、滅びの教えなのだ。

俺は自分が悪い存在だとよく知っている。我々がどういう存在なのかもよく知っている。
御国に入るには、なぜイエスの掟が必要なのかもよく知っている。
誰もが自分のこの世の命を憎み、この世の命を捨てないと、真の命を得ることはないだろう。
これは自殺をしろと言うことではない。己のエゴを充たす行為は、全て、迷いの生存を生むのだ。
そうではない。己のエゴを滅ぼし、善の修行を完成させよ。これしかないのである。これはこの世の命を殺す道である。
イエスの掟は、この世の命、つまり我々の魂の、解消への道なんだよ。
自我を愛する者には、これは理解できないだろう。
205ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 04:29:18 ID:HG06DQQ2
>>204
>我の強い者ほど、この世を愛する者だ。
>おまえはせいぜいこの世を愛し、この世の自分の命を愛せばいいさ。

あなたの書いていることと聖書に書かれてあることとは、かなりの隔たりがあります。
神が、この世を愛してくださっているのですよ。
すなわち、あなたの主張には弁解する余地もありません。


ヨハネ福3:16
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
206カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 04:39:59 ID:uIiroCnG
たしかに、皆信仰真に溢れ、真理を知り、
イエスの掟を皆が守るような世界が現れれば、神の国は地上に現れたと表現しても
差し支えないだろう。なぜなら彼らは真の命を受け取るからだ。
事実、黙示録には、大いなる戦いの後、神の千年王国が来ると約束されている。
この時代に生きる者を、第一の復活だと黙示録は比喩する。俺はその意味をよく知っている。
もちろん本当の復活はその先にあるものである。
おそらくその時代は、今までの人々の価値観とは正反対のもので、イエスの掟は、その時代に初めて
人々に受け入れられるのだろう。その前に、人々に意識革命をもたらすため、大いなる生みの苦しみが待っている。
ひとつ勘違いしていけないのは、そこは神の王国だと表現しても差し支えないものだが、
それは永遠の命ではないということだ。永遠の命は、相対世界である、この世にはない。

〜ヨハネ10:34〜36
>そこで、イエスは言われた。
>「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。
>神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。
>それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、
>どうして『神を冒涜している』と言うのか。

ここに神々とは、神の言葉を受けた者たちだとイエスは言っている。
つまり人だ。神も、悪魔も、人が作り出したものだと、俺は前に言った。
根源はそれらを超えている。つまり善悪を超えているんだよ。神の千年王国は地上に実現するが、
永遠の命は、相対世界であるこの世にはない。神の王国と、永遠の命の、因果関係を、なぜ悟らない。
207カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 04:46:18 ID:uIiroCnG
>>205
>神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
>それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

それは父が、独り子をこの上なく愛していたからだよ。
父が、子が滅ぶのを、そのままにするものか。
誰もが自分自身愛している。自分を愛さなく誰を愛するのか。
父はなんでも許して下さる。自分自身を許さなくて、誰を許すのか。
父とは愛である。自分自身を愛さなくて誰を愛する。「一」は愛そのものなんだよ。

父と子は一つだ。
208ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 04:46:43 ID:HG06DQQ2
>>204
>自我を愛する者には、これは理解できないだろう。

自我に従って生きていてはいけない、ということは
あなたが力説するまでもなく、真面目なキリスト信者なら
誰でも理解していることなのです。
なぜ、そのように大げさで偉そうに語る必要があるのですか?
そのようなことをしている自分が恥ずかしくないですか?
209ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 04:52:39 ID:HG06DQQ2
カラスの唄さん、

聖書には、あなたの言う「この世の命」などという言葉はないのです。
そのような概念は、あなたの捏造であって、あなたの自説に過ぎません。
命には「この世の命」とか「あの世の命」などというものはありません。

では、聖書では何についていけないと言っているのかといえば、
『自分が命を所有している』という考え方についてなのです。
これが自我の大本の原因となっているのです。

ですからイエスは「自分の命を憎め」と言っておられるのです。
210カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 04:54:26 ID:uIiroCnG
>>208
は?
お前は客観的に見て、我が強い。自分のことがわかんねぇ?(苦笑)

おまえ、他人様に指図するなよ。
211カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 05:06:49 ID:uIiroCnG
>>209
>では、聖書では何についていけないと言っているのかといえば、
>『自分が命を所有している』という考え方についてなのです。
>これが自我の大本の原因となっているのです。

は?それこそ聖書にはそんなことかいてねぇだろ。なに言ってんだよ、この人は。
自我についてもまたおかしなこといってるし。

〜ヨハネ12:25
>自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

この文言は別に、他の箇所のイエスの言説からも、この世の自分の命を憎む人と解釈しても
無理のないものである。

おまえさ、お前の信じる道を勝手に行けと言ってるんだよ。おまえは釈迦に説法だよ。
忍耐。これほどの苦行はない。とはよく言ったもんだ。
212名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 05:26:27 ID:3Oqj4pTp
革新的なカラス論は多くの理解が隠されてる感じだね

龍とも一つになるのかな?
213カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 06:20:59 ID:uIiroCnG
>>202
しかし読めば読むほど、こいつはなんもわかっとらんな。

一切行無常。

この世のものに恒常普遍の永遠なるものなんて、なにもないんだよ。
自我は残らない。永遠の命がこの世にあるなんて、とんだトンデモさんだ。

この程度の輩が俺に意見する。
ま、この程度の輩だから他人様に自説を押し付けるんだろうけどな。
214mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/03(水) 11:24:37 ID:zehqYt3A
>>144
Uコリント7:11
神の御心に適ったこの悲しみがあなたがたにどれほどの熱心、弁明
憤り、恐れ、あこがれ、熱意、こらしめをもたらしたことでしょう

ユダは後悔して死んでしまったのは、この世の悲しみなんです。
神の御心に適った悲しみが、神の望んだ悔い改めであって、
それは、悔いるだけでなく神に希望をもつということなんですよ。
215ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 11:36:48 ID:HG06DQQ2
>>213
>この世のものに恒常普遍の永遠なるものなんて、なにもないんだよ。

それが違うというのが、あなたにはわからないだけなのです。
「この世に属するもの」が永遠ではないだけです。
「形あるもの必ず滅する」というのは理です。
しかし、命というものは、この世には属していないのです。
命とは、神のことだからです。
「この世の命」という特別な命があると思っているのは
あなたや聖書を信じない人たちが考える迷信に過ぎないのです。

>自我は残らない。永遠の命がこの世にあるなんて、とんだトンデモさんだ。

永遠の命がこの世にある、という言い方がなんだかおかしいのです。
永遠の命は、この世にも現れているということです。
命は、この世には属していないのです。
216ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 11:39:46 ID:HG06DQQ2

命は、誰の目にもあきらかなように
あらゆる動植物、そしてもちろん人に貸し与えられているのです。
それは期限付きではありますが、偽者の命ではありません。
こんなことは、あたりまえのことです。
偽者の命だと思うのなら、早く死ねばいいのです。
そんなことが出来ないのは、命の尊い価値について
誰もが本能的に知っているからなのです。
217ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 11:43:13 ID:HG06DQQ2

永遠の命は、一瞬一瞬ですが、世に存在しているのです。
死というものもまた、一瞬一瞬ですが、世に存在しています。

これが交互に現れる状態が、時間というものになっているのです。
存在しては消え、存在しては消え、を繰り返すのが世です。
肉体としては、これは新陳代謝しているのです。

この世において人は、神でも死でも選択できるのです。
これは大変怖ろしいことであると僕は思います。
218ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 11:51:59 ID:HG06DQQ2
>>213
>この世のものに恒常普遍の永遠なるものなんて、なにもないんだよ。
>自我は残らない。永遠の命がこの世にあるなんて、とんだトンデモさんだ。


自我は残らないならさばかれることもなかったでしょう。
おわりの時には、あなたも含めてすべての人の記録が神の御前であばかれて
さばかれるのです。
自我は消えるのではなく、さばかれるのです。
これについても、あなたはわかっていないから、「自我は消える」などと
言っているのです。
219ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 11:55:47 ID:HG06DQQ2

>>218 については、聖書にはっきりと書かれていることですので
ご要望があれば、該当の聖句を提出いたします。
220ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 11:59:43 ID:HG06DQQ2
>>196
>だがおまえは、
>地の底に永遠に封印される。我々を識別した「言葉」は、時が終われば、永遠に封印されるのだ。


あなたは、何を根拠にこのようなことを書き続けているのですか?
聖書にはルシファーなんてものは出てきませんよ。これを悪魔と
読み替えたとしても、永遠に地に封印されるなんてことは、聖書の
どこにも書いてありませんよ。どこからこんなデタラメを発想したのか
根拠を示してくださいませんか?

221カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:13:37 ID:uIiroCnG
>>217
>永遠の命は、一瞬一瞬ですが、世に存在しているのです。

そういうのは刹那滅といって、永遠とは言わないんだよ。
お前の話のレベルは、、私の命も、あなたの命も、同じ命。と言う話のレベルだ。
だが少し考えれば同じ命でも、違う命だとすぐに気づくだろう。
この世の命とは何だ。それは今の自分を認識している自我であり、魂ともいう。
ではこの自我と、魂は、独立してそれ一本で存在できる者なのか?
答えはNOだ。これらのものは、肉と縁起して成るものだ。五蘊については前スレで説明したろ。
肉は永遠か?自我も、魂も、これら縁起するものが無くなると、存在し得ない
無自性な空である。たしかに永遠の命も、この世の命も、命は命である。だが俺はそういうレベルの
話をしているのではない。無自性な命と、命そのものである自性は、同じ命でも、違うんだよ。
222カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:16:46 ID:uIiroCnG
>>219
ほう聞かして貰おうじゃないか。
言っとくが、聖書は全て喩えで書かれている書物だ。
文言のまま解釈する奴は、全て誤謬する。
復活の記事をそのまま鵜呑みにするお前は話にならない。
なぁ霊体ボディのお兄ちゃん。

早く聞かせろ。
223ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:19:17 ID:HG06DQQ2
>>222

黙示録20:12
また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、
御座の前に立っているのが見えた。
かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。
死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
224ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:23:16 ID:HG06DQQ2

「かずかずの書物」、とか、「諸々の書」と日本語に訳されているもの、
これが、各々の個人の記録のことです。

では「いのちの書」とは何のことでしょうか。
これは、イエスのことです。つまり「人の子」のことです。
「人の子」というのは、人としてあるべき姿のことを言います。
この「人の子」が、各々の人の記録である魂をさばくのです。
魂には、自叙伝のように、その人の生前の行いや考え方が
記録されております。
神の前でこれがあばかれること。これがかずかずの書物が開かれた、
という聖句なのです。
225カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:24:41 ID:uIiroCnG
>>220
なにいってんのおまえ?
ルシファーとは明けの明星の意味だろうが。
しっかり聖書に登場するが。

しかしこいつ、何スレか前に、いっちょまえに、俺に対して五蘊について
能書き垂れやがった(苦笑)

言ってる本人が全然意味がわかっていないのには笑える。
五蘊を理解していれば、自我が永遠に残るなんて、口が裂けても言えないはずだが(爆笑)
恥ずかしい男だ。おまえは釈迦に説法なんだよ。
226ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:26:01 ID:HG06DQQ2

「人の子」がさばく、というのは
聖書的な言い方であり、なおかつ大変おそろしいことです。

「人の子」であるイエスが基準となっているからです。
もしこれによって正当にさばかれたなら、誰もがおそろしいことに
なってしまうのです。
だから、さばかれないための方法が聖書には書かれていると思います。
227ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:28:27 ID:HG06DQQ2
>>225
>ルシファーとは明けの明星の意味だろうが。
>しっかり聖書に登場するが。

そうですか。では、イザヤの言葉がバビロン王のことではなく
あなたの言う悪魔ルシファーだとしましょう。

そのルシファーが『永遠に地に封印される』、というのは
聖書のどこに書いてあるのですか?
教えてください。大変興味深いです。
228名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 12:29:02 ID:3Oqj4pTp
情報だけの意識が、生きていないと思うのは自明の理か。
霊も息という動作をあらわしているな。
229カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:31:34 ID:uIiroCnG
>>223
〜黙示録
>死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、
>彼らの行いに応じて裁かれた。
>海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、
>彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。
>死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
>その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。

だからその第二の死とは何だと言ってるんだよ。
”死も陰府も火の池に投げ込まれた” と書いてあるぞ。


230ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:38:37 ID:HG06DQQ2
>>221
>この世の命とは何だ。それは今の自分を認識している自我であり、魂ともいう。

ですから「この世の命」が「自我であり魂だ」というのは
あなたの自説に過ぎません、と言っているのです。
そんなことは、聖書には書かれていないからです。
いつまで同じことを言わせるつもりですか?
231ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:43:23 ID:HG06DQQ2
>>225
>五蘊を理解していれば、自我が永遠に残るなんて、口が裂けても言えないはずだが(爆笑)

自我が永遠に残ると書いていません。
自我はさばかれるのであって、消えるのではない、と書いたのです。
もっとも、永遠にさばかれるのだから、あなたの言うように
「永遠に残る」というのも間違いではないかもしれません。

232カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:44:43 ID:uIiroCnG
>>227
〜イザヤ
>黎明の子、”明けの明星よ”、あなたは天から落ちてしまった。
>もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
>あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、
>わたしの王座を高く神の星の上ににおき、北の果てなる集会の山に座し、
>雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。 しかしあなたは陰府に落とされ、
>穴の奥底に入れられる。

〜黙示録22:16
>わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。
>わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」

〜黙示録22:10
>そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。
>そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。

俺は、知恵=言=蛇=ロゴス=キリスト=神=悪魔 だと前に言った。
勧善懲悪、善悪二元論の思考から開放されないお前が、理解できないだけの話だよ。
てかさ、人の揚げ足取りのような真似はするが、自分の都合の悪いことはスルーか?
五蘊に縁起してなる自我は、永遠なのか、滅びるものなのかどうかと聞いてるんだよ。
お前五蘊のこと、よく知ってんだろ(嘲笑)
233ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:45:41 ID:HG06DQQ2

「自我が消える」などということは聖書のどこにも書いてありません。
しかし、聖書には魂がさばかれることは、はっきりと書いてあります。

つまり、「自我が消える」というのは、カラスの唄が勝手に妄想した事柄に過ぎません。
234カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:47:20 ID:uIiroCnG
>>230
だからお前の言っていることは、私の命も、あなたの命も、同じ命。
私の部屋にあるみかんも、あなたの部屋にあるみかんも同じみかん。と言うレベルの話だと
言ってるんだよ。こういうのを、屁理屈と言うんだよ。
235ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:47:32 ID:HG06DQQ2
カラスの唄さん。

ごまかさないで、次のことに、きちんと答えてください。

ルシファーが『永遠に地に封印される』、というのは
聖書のどこに書いてあるのですか?
教えてください。大変興味深いです。
236カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:52:17 ID:uIiroCnG
>>233
勝手に言ってねぇよ。お前人の投稿読んでないのか?
人は、その行いによって、第二の死を迎えるとかいてんだろう。
お前は第二の死を迎えると黙示録に書いてるといってるんだよ。
お前はその第二の死を理解していないだけだ。
それは永遠の命とは対極にあるものだ。どちらもそれ一本で成り立つ。
かたや、完全な命(有)であり、かたや、完全な無である。
237ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:56:32 ID:HG06DQQ2
>>236
>かたや、完全な命(有)であり、かたや、完全な無である。

それは違います。
「完全な無」ということも聖書には書かれていないことです。
「人と硫黄の燃える池」というのは地獄のことであって、無ではありません。
そこは、永遠に苦しみのある場所のことである、と聖書にあります。
すなわち以下のように書いてあります。

黙示録20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
238ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 12:57:23 ID:HG06DQQ2
カラスの唄さん。

ごまかさないで、次のことに、きちんと答えてください。

ルシファーが『永遠に地に封印される』、というのは
聖書のどこに書いてあるのですか?
教えてください。大変興味深いです。
239カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 12:59:04 ID:uIiroCnG
>>235
おや聖書には陰府に落とされたと書いてるから、そう表現しないといけないかい?
聖書には、火と硫黄の池に投げ込まれたと書いているから、火と硫黄の池に投げ込まれると表現しないといけないかい?
お前の問いはとっくに回答済みだ。揚げ足とって喜んでんじゃねぇよ低脳。

おまえこそごまかさないで答えろよ。

>自我はさばかれるのであって、消えるのではない、と書いたのです。

こういうのは言葉を返せば永遠に残ると言うことだろ。なに言葉遊び、屁理屈でごまかしているんだ。
五蘊に縁起してなる自我は永遠に残るのかどうかと聞いてるんだよ。
おまえ五蘊のことよく知ってるんだろ?
240カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 13:03:45 ID:uIiroCnG
>>237
>「完全な無」ということも聖書には書かれていないことです。

だから聖書は全て喩えで書かれているものだと言った。
聖書に書いて無いからと、類推もできない者は、聖書原理主義者の、盲人である。

おまえの理屈じゃ、第二の死とは、火と硫黄の池に投げ込まれ、昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる
という永遠の裁きということになるな。あほかおまえ。聖書原理主義者のおつむはおめでたい。
241ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 13:04:23 ID:HG06DQQ2
>>239
>聖書には、火と硫黄の池に投げ込まれたと書いているから、火と硫黄の池に投げ込まれると表現しないといけないかい?
>お前の問いはとっくに回答済みだ。揚げ足とって喜んでんじゃねぇよ低脳。


そうですか。僕は、あなたの言うように低脳かもしれません。
あなたの書いている意味がわからないからです。

「火と硫黄の燃える池」のことを、あなたは「永遠に地に封印される」と
表現したのだ、ということでいいのですね。

では、なぜわざわざ、そのような違う言い方をするのかを教えてください。

242カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 13:12:00 ID:uIiroCnG
>>241
サタンとか言われる者は地に属する者だからだ。
だからそう表現した。彼は識別とも呼ぶ。

善悪を知る知恵=蛇=サタン=竜

ま、地も無くなる訳だから、正確には、永遠に封印されるの方が正しい。

ところでおまえ、『火と硫黄の燃える池』って、本当にそういうところで、文言の通りのことが
行われると思ってるわけ?聖書原理主義者のおつむは、真におめでたいね。

243カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 13:21:31 ID:uIiroCnG
>>241
で、ダニエルさん。
第二の死とは、火と硫黄との池に投げ込まれ、 世々限りなく日夜、苦しめられることなんですね。
この聖書の文言の通りなんですね?

お前は幼稚園児か。
244名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 14:01:54 ID:0MYCJqdX
明らかにレベルの違うカラスに
対抗意識むき出しで必死に絡むダニエル。そしていつも論破され、
それをスルーするしか能がない、哀れなダニエル。
論では勝てないので、相手の揚げ足が取れそうだと知るや、
ここぞとばかり突っ込むが、見事返り討ちにあう惨めなダニエル。
みていてなんとも滑稽ですな。
245名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 14:24:42 ID:3Oqj4pTp
カラスの簡単なようで難解な文章が矛盾して見えるのは、
多分カラスが情報を出し惜しみしてるから。
246名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 14:35:42 ID:3Oqj4pTp
カラスの唱える仏教論理が正しいことを聖書で説明するのが
説得の筋じゃないの
247ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 14:39:26 ID:HG06DQQ2
>>244
>そしていつも論破され、
>それをスルーするしか能がない、哀れなダニエル。

いつカラスの唄さんに論破されましたか?
一度も論破などされていないので、あなたの投稿内容は不思議です。
どのように論破されたのかを示してみてください。
248ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 14:45:05 ID:HG06DQQ2

結局カラスの唄さんは、聖書に書かれていないことを
主張していることを認めたのです。

聖書に書いてあることをそのまま信じるのは
彼からすると幼稚園児のようなことだということです。

もしそうであるなら幼稚園児と言われることは、大変な光栄です。

永遠の苦しみを受ける、と聖書に書いてあるにも関わらず、
それは「無になるだけ」と彼は主張しているのです。

黙示録の言葉を引いたり足したりしたものは、その報いを必ず受けます。
僕は、彼を気の毒に思っています。

聖書に書かれてあることを信じずに、かえってカラスの唄さんが
自説を書いているのを、何か特別にすごいことであるかのように思う人は、
カラスの唄さんと同質な人なのでしょう。


249ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 14:51:16 ID:HG06DQQ2

ここは聖書の聖句について語り合う場であるので、
自説を主張したり、聖句を捻じ曲げて解釈する人たちの場では
ないのです。

体の復活について信じない人は来なくてもよいです。
イエスが人間として生活し、現在は神の右に座しておられることを
信じない人は来なくてもよいです。

そのような人たちは、クリスチャンではないからです。
250名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 14:51:19 ID:0MYCJqdX
>>247
子供の屁理屈ですな。
君はいつも論破されている。
悔しかったら先のカラス氏の問いに答えてみな。
みてると君は都合の悪い問いはいつもスルーしてごまかしているが、
カラス氏は、いつも君の問いには答えている。君は卑怯者だよ。
あと儂、子供の屁理屈には付き合うつもりはないんであしからず。
251ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 14:54:40 ID:HG06DQQ2
>>250
>子供の屁理屈ですな。

どこが「屁理屈」なのですか?
あなたが、「いつもカラスに論破されている」と書いていたので
論破されたということについて教えてください、と書いているのです。

何が「あしからず」ですか。
デタラメを書いておいて、あとは知りませんですか?
あなたのしているようなことは「卑怯」という類のことです。
252ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 14:57:56 ID:HG06DQQ2
>>250

早く、何の事柄について彼に論破されたのか
教えてください。
あなたがデタラメで卑怯者でないのなら、
言いっぱなしではなく、きちんとそのことを示しなさい。

もし示せないのなら、自分のしたことを反省したほうがよいと思います。
253名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 14:58:24 ID:0MYCJqdX
>>249
ではココモスキー氏も、ここには来るなということでよろしいね?
254名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:00:40 ID:0MYCJqdX
>>252
子供の屁理屈ですな。
255ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 15:01:42 ID:HG06DQQ2
>>253

話をそらすつもりですか?
質問に、きちんと答えなさい。
256ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 15:03:36 ID:HG06DQQ2
>>254

いや、答えられないのならそれでいいです。
答えられないということが、あなたの発言の嘘を証明しているからです。
257ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 15:06:37 ID:HG06DQQ2

あんまりくだらないことを書く人ばかりなのでしたら
僕がここを去ってもかまいません。

ここを見捨てても、かまわないということです。

聖書の聖句については、他者には教えない、というのもアリだと思っています。
258名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:07:55 ID:3Oqj4pTp
疑ってかかってはなんも見えんよ。
サタニストとか刺激的なカラスの発言も挑発的であるが。
259名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:09:18 ID:0MYCJqdX
>>252
だから悔しかったらカラス氏の問いをスルーしてごまかさないで、答えてみなさいと言った。
答えられないのは論破されたと判断されてもしかたありませんな。
さぁ儂は答えた。今度は君の番だ。きみの論ではココモスキー氏もここには来るな
ということいいんだね?答えなさい。それともまたお得意のスルーですか?
260ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 15:11:11 ID:HG06DQQ2
>>259
>だから悔しかったらカラス氏の問いをスルーしてごまかさないで、答えてみなさいと言った。
>答えられないのは論破されたと判断されてもしかたありませんな。

ごまかさないで、きちんと答えてください。
どのように僕が論破されたのかを、きちんと示してください。

あなたもカラスの唄さんも、ごまかしをするという点において
非常に似ていると思います。
261ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 15:16:27 ID:HG06DQQ2
>>259
>だから悔しかったらカラス氏の問いをスルーしてごまかさないで、答えてみなさいと言った。

あなたのような人に、何を書かれたとしても悔しくはありません。
あなたがデタラメを書いていることについて指摘しているのです。

第一、あなたは「いつも論破されている」と書いていたのです。

今度は、「問いをスルーしてごまかしているから論破されている」
と、変更してきました。 こういうのを、卑劣なごまかしというのです。

カラスの唄は、こちらが聖書の聖句を提示して、明確にごまかしなく
カラスの唄の主張の間違いを指摘しても、認めないような御仁なのです。
262名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:18:05 ID:0MYCJqdX
>>260
子供の屁理屈ですな。
で、結局儂の問いもお得意のスルーですか。
263ダニエル ◆o31oshrvYE :2007/01/03(水) 15:18:09 ID:HG06DQQ2

ここを見捨てることにします。
今までロムしてくださった方たちには感謝いたします。

別のスレッドを立てるかもしれませんので、そのときは
よろしくお願いいたします。
264名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:23:53 ID:0MYCJqdX
>>263
見捨てるってあんた、とんだ思い上がりですな。
君の話はその辺の聖職者の話に毛が生えた程度のものにしかすぎないように思える。
265名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:30:17 ID:3Oqj4pTp
カラスが正しいとしても、
つまづかせる者は不幸だ。
カラスの真理からダニエルは去ってしまうぞ。
266名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 15:40:43 ID:0MYCJqdX
結局ダニエル氏は儂の問いにも答えずか。
いつものパターンですな。どうやら彼の脳内では、論破される話題も、
スルーすれば論破されないことになるらしい。根性汚いね。卑怯者。
267カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 17:13:14 ID:uIiroCnG
おやダニエル坊やは死亡かい。ククク。

>>265
聞く耳のない者などほうっておけ。
俺は聞く耳のない者に、聞く耳を持つよう説得をしようと、語っているのではない。
聞く耳のある者に、語っているのだ。そこんところを勘違いしてはならない。
二千年前の男もそうした。聞く耳のない者などほうっておけ。彼らの魂の責任は、
私にはない。

ごく少数ながら、聞いている人は聞いている。そして彼は悟るだろう。
中には私より能力のある人がいるだろう。残念ながら私は全てを知っているわけではない。
兄弟よ、私を導け。それを待っている。
268名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 17:27:12 ID:3Oqj4pTp
そこ矛盾してるぞ。
不幸でいいのか?
269カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 17:27:32 ID:uIiroCnG
私は、聖書は間違っているとはいっていない。
聖書は喩えで書かれている書物なので、全て文言の通り解釈すると、
誤謬すると言ったのだ。

さて、聖書原理主義者は、見ての通り聖書の文言の通り解釈する。
彼らに言わせると、たとえば黙示録のこの部分。

>わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、
>燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
>その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、
>足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。
>右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
>わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。
>すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、
>また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。

を、文言の通り解釈する。もちろんこんな人物はありえないのは子供でもわかるだろう。
彼らの能書きを聞いてると、思わずわははははと笑ってしまうところだ。
これはたとえだと、私は言ってるんだよ。たとえば、『口からは鋭い両刃の剣が出て』と言うところは、
その方の言葉は、鋭い剣にもなるという喩えだといっている。
言葉は平和をもたらしもするが、争いも招くものであり、人の心を幸せにもするが、
言葉一つで、人の心を殺しもする。
もちろん第二の死とは、黙示録の文言の通り、我々が、実際に火と硫黄との池に投げ込まれ、そこで 世々限りなく日夜、
苦しめられるというものではなく、これは、ひとつの喩えですよと言っているんだ。
普通に考えればわかるだろ、そんな文言の通りのことなんざ、ありえねぇって。
270カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 17:32:16 ID:uIiroCnG
>>268
どの道を選ぼうが、本人の自由だ。
私のエゴを押し付けてはならない。誰彼に言われるまでもなく、
彼の羊は、彼の言葉を聞き分ける。彼の羊は、真理の言葉を聞き分ける。

皆、自分の魂の責任は、自分自身にあるんだよ。他人にあるものではない。
どの道を選ぼうが、それは本人の責任なのだ。
271名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 17:36:24 ID:jPYRPDWE
せっかく議論が始まろうとしているんだ
剣の解釈よりさきに268の問いを検証しよう
我々は忍耐をもって議論ができるかどうかに
興味がある。そんなもの必要ないというなら
かまわない。議論の果てに見いだすものがある
という者が現れるのを待とうじゃないか
272名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 17:39:24 ID:jPYRPDWE
>268はなぜそう思ったのかが知りたいが
議論を好まないのなら仕方ないが...
273カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 17:41:30 ID:uIiroCnG
>>248
>黙示録の言葉を引いたり足したりしたものは、その報いを必ず受けます

これは詭弁だな。性質の悪い男だ。黙示録の

>この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、
>神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。
>また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、
>神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。

は、黙示録の巻物の文言を、勝手に削除したり、勝手に付け加えたりする者は災いがあるということで、
解釈のことではない。そもそも黙示録は、解釈なしでは、内容はめちゃくちゃなものである。

274名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 17:54:58 ID:3Oqj4pTp
次からは、お題目をマターリではなく、殺伐とに変えるべきだな。
元々ダニエルは解答者オンリーワンの質問箱を創設したかったんだから
ストレスも溜ってたんだろうな。独自の掲示板も作ってたこともあったし。

ダニエル神学 と銘うてば、公的な意味として独自のスレが立てられる
んじゃないかな?
275カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 17:58:45 ID:uIiroCnG
さて、最後の審判だが、黙示録には裁かれる者は

>火と硫黄の池に投げ込まれ、昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる

と表現されるが、福音書ではこういう表現もある。

〜マタイ13:37〜42
>イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、
>畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
>毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。
>だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。
>人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、
>燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

黙示録とはまた違う表現だ。だから聖書は、喩えで書かれているものであり、文言のまま解釈すると
全て誤謬すると言った。もちろんこれも喩えである。この通りのことが、そのとき行われるわけではない。
我々の魂、自我などは、肉に縁起して成る。では世の終わりが本当にあると仮定しよう。
つまり形あるものが消滅すると言うことだ。この世界がなくなれば、もちろん肉もない。肉がなければ魂、自我も
生起しえないものである。ならば行き場のなくなった魂の運命はどうなる?消滅するしかないではないか。
ゲヘナの火は清めの火。時が終わるとき、毒麦は全て焼き払われる。え?この世の終わりなんてないって?
おいおい、生起したものは、なんであれ滅びるものだ。それはいつかはしらないけどね。一切は、無常である。
276カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 18:07:24 ID:uIiroCnG
>>274
俺はもともとスレッドの主旨に反する投稿はしていない。
自分の気に入った投稿よくて、自分の気に入らないことは書くなとは何事か。
あいつは自己顕示欲が強いのさ。自分より目立つ奴は邪魔なんだろ。
俺からあいつに文句をつけたことは一度もない。
それどころか、あいつが叩かれていたとき、俺はかばっていたくらいだ。
あいつは隣人に石を投げたのさ。

愚か者はいつも正しいものを裁き、正しくない者の肩を持つ。
277名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 18:19:39 ID:jPYRPDWE
いろいろな解釈をもとに議論して学びましょう
ってスタンスじゃなかったの?
278カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 18:24:19 ID:uIiroCnG
>>277
あいつは、俺には書くなだとさ。
279カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 18:44:09 ID:uIiroCnG
一致があるところは完全である。
欠乏が起こったのは父が知られなかったためで、
父が知られたのならば、欠乏はもはや存在しないであろう。
その人の無知は、闇も、光がさせば、闇は消え去るように、その人が
認識すれば直ちに消え去るだろう。
そのように欠乏も完全の中に消え去るのだ。
この瞬間から姿かたちが見えなくなり、完全なる一者と融合の中に消え去るだろう。
今は彼らの業が残されているが、やがて一者が場所を満たすだろう。
一者の内にそれぞれ自己を受け取るだろう。知識のうちに彼を、多様性から、一者へと
浄化するのだ。彼は物質を炎のように呑み込むだろう。そして闇を光によって、
死を命によって呑み込むだろう。もしこのことが、私達一人一人に起こったのなら、
私達はとりわけ家が清いであろうか、一者の為に安静であろうかということを考慮すべきである。
それはところどころによくない器がある住居から引越しをした人のようである。
彼らはその良くない器を打ち砕くだろう。そして家の主人は被害を受けないであろう。
むしろ彼は喜ぶであろう。悪い器の場所に、完全で満たされた器が置かれるであろうから。
これが天から下された裁きである。
280ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 19:45:45 ID:0wE1XXL8
>>263
>ここを見捨てることにします。
>今までロムしてくださった方たちには感謝いたします。
>別のスレッドを立てるかもしれませんので、そのときは
>よろしくお願いいたします。
しばらく様子を見たほうが良いと思いますよ...僕がよく遭遇
する、精神破綻者の末期状態ですよ...思い込みと支離滅裂を
見たら判るでしょ...
281ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 19:55:15 ID:0wE1XXL8
大分前にシリーズで取り上げた題材を自分のwebにまとめた
ので、紹介しますね...大分歯抜けしてるんですが、ここの
スレがkakoファイルに入ったら補充します。
 天の国 http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/tennokuni.html
 永遠の命 http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/eiennoinochi.html
 黙示録 http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/mokushiroku.html
です。
282ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 20:22:48 ID:0wE1XXL8
>>263
純粋に聖句の解釈の問い合わせなら、自分やダニエルさんに聞くまでも
なく、webの何処かを調べたら判る事でしょ...奴等は、僕やダニエル
さんが、やつらの言ってる事と全く違う事を言ってるのが気に入らない
か、恐ろしくやつらのアホな教義が破壊されるんですよ...やつらの
メンツが成り立たないだけですよ...僕のwebが一日に何百人もが見
に来て、累計で何十万人にもなってると言う事が頭に入ってないで
しょ...世の中の多くの人がやつらとは違う考えであることも頭に入って
ない(いや認めようとしない)僕が他のクリスチャンや学者の論文を紹介
しても認めようとしないでしょ...完全に自己陶酔に陥ってるんで
すよ...何を答えようが関係ないんですよ、僕やダニエルさんが答えてる
事自体が不愉快だしヒステリーがつのるんですよ、精神障害者が陥る坩堝
ですよ...人の考えなんて絶対認められないんですよ...その上に僕が
アホ扱いするから、まもなく破綻します。
....わははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははは
283ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 20:40:51 ID:0wE1XXL8
>>263
以前僕が友達のカトリックの聖職者に悪霊について調べてもらった事
を説明した事があるでしょ....9割が何等かの病だろうって
普通なら...「ああそうなんですか、よくお調べいただきまして
ありがとうございます。」なんだけど(ダニエルさんもたしかその様に
言われたと思います)、アホ信者は絶対そうは言わないでしょ...
トマス言行録を翻訳したら、「お忙しいのによく研究されましたね」か
「異教徒なのによく研究されましたね」が普通なんでしょ...
ところが、馬鹿どもは全くそんな気にならない、あくまで自己顕示に拘って
るんですよ、人がどれだけ努力したかなんて、全く頭にないんですよ
...ただひたすら、自己顕示するだけなんですよ...世の中の人達が
どれだけ賢いかなんて全く眼中にないでしょ...ただひたすら自己顕示する
だけなんですよ...
284カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 21:03:05 ID:uIiroCnG
>>282
どのみちキリスト教の総本山カトリックも、次の教皇の代で終わりだ。
イスラム、ユダヤ教は、キリスト教と共に心中するのだ。それが定めだ。
我々は一神教を含めた宗教の徹底的な破壊と、無神論者共の徹底的な破壊
を貫徹するだろう。その後ルシファーの宇宙的啓示、普遍の真理がお前達を救うのだ。
バカモスキーよ、すでに我々の組織は、お前をマークしている。せいぜい言葉には気をつけるんだな。
わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは











はぁアホクサ。なにが奴等だよ。お前一回病院で診てもらえ。
285カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/03(水) 21:31:51 ID:uIiroCnG
>>283
悪霊いついては聖職者に聞くまでもなく、俺様がおしえてやっただろ〜〜〜バカモスキー〜〜〜〜。
おまえのいう聖職者の適当な、あいまいな答えじゃなく、具体的にな。
おまえの目は節穴か〜〜〜〜〜お前の耳は聞こえないのか〜〜〜〜
わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

可哀想な奴だ。
286名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 21:42:17 ID:3Oqj4pTp
グノシススレ見たぞ、そういうことか…

だから直感的にか、カラスが神道嫌いなのも頷けるものがある…
…不思議なものだなこれは
カラスは自分が嵌っている可能性を検討したのかな?
287名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 23:28:20 ID:0MYCJqdX
>>282
>やつらの言ってる事と全く違う事を言ってるのが気に入らないか、
>恐ろしくやつらのアホな教義が破壊されるんですよ...やつらの
>メンツが成り立たないだけですよ...

それは客観的にみて、あなた方のほうですね。なにかのギャグなんでしょうか?
カラス氏の言説は非常に論理的で、筋が通っている。
貧弱な教義なのはカラス氏になにひとつ反論できない、あなたがたのほうですね。
まるで負け犬の遠吠えですな、あなた。
288ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 23:29:40 ID:0wE1XXL8
それにしても不思議に思うw...そもそも今の管理人は自分なんだけどね
前はダニエルさんなんだけどねぇ...ROMして僕の解釈が気に入らなか
った、「あの馬鹿は何言ってるんだ」と思って、そのままどっかへ行けば
良いだけなんだけどね。その解釈に納得する人もいるだろうし、納得しない
人もいる。文章の内容を見れば、どの位の知識と見識があるかは、判る人は
判るんだろうし、それをアホがワーワー言ったら、誰が見ても良識が欠如
してるとしか思われないに決まってるw....不愉快だったら来なきゃ
良いだけなのにね....自分の感情をはき捨てる場もないと言う事ヤロ...
289名無しさん@3周年:2007/01/03(水) 23:42:23 ID:0MYCJqdX
>>288
管理人?あなたは2Ch失格ですな。
なぜスレタイにコテハン禁止なのかおわかりか?あきれた人ですね。
一度2Chルールをよく読んで出直してきましょう。
ただオナニーをしたいだけなら、自分のHPでしていてください。あなたのような人は2Chでは迷惑です。
たくダニエル氏といい、なに勘違いしてんだか。これだから自己顕示欲の強い人は。
290ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/03(水) 23:47:31 ID:0wE1XXL8
それにしても不思議に思うw...僕がどういう解釈しようが
僕の勝手なのにね...それがアホなのか、納得できるかは
一人ひとり各位のご判断でしょ...「なんでそんな解釈
するんだ」なんて言うアホな言い分は不可解としか思えない
特に聖書は万人のものであって、ある特定の解釈をする人達
だけのものじゃなかろう...人や教団によって千差万別、学者
によっても千差万別...
旧約聖書なんかはユダヤ教の経典でもあるんで、とあるキリスト教徒
の解釈とは天地ほども違う...そういう物を調べたりしたら
常識のある人は「へぇーそういう解釈をしてるんですか」と感心
するのが、普通だけど...
>>287
どうもIDが気になるなぁ...あなたが果たして客観的に
見れる立場なのかどうか疑わしい...チャント自分の
トリップを造った方がいいですよ
291名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 00:09:16 ID:i8ya2bSX
>>290
そう思うなら、あなたも他人の言説に、
アホだの馬鹿だの罵るのはやめたらどうですか?
あなたの理屈だとキリスト教徒がどういう解釈をしようと勝手。
あなたに馬鹿だのアホだの言われる筋合いはないですね。そう言われれば、
じゃおまえの説はどうなんだと反論されるのはあたりまえの話ですね。
それとも自分はよくて、他人は駄目なんでしょうか?頭がおかしいのですか?あなた。
292名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 00:11:59 ID:PbyGHl9e
イスラム教徒とキリスト教徒と異端と見物人の罵り合いを見て
救われる者なんてあるんだろうか?
神の子に最も重い罰を下されるだろうな。
293ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/04(木) 00:18:49 ID:omn+/mJt
僕がアホだの馬鹿教会だの言っても、自分がそうではないと
自信があるのであれば、それは「確かにその手の馬鹿教団もあるなぁ」
で終わりですよ...僕が馬鹿信者って言ったら「確かにその手の
馬鹿な信者もいそうだ」で終わりですよ...僕は賢い人達に
馬鹿と言ってるのではありませんよ...僕が馬鹿教団と言った時に
「自分達の事だと勘ぐる」のがおかしいんじゃないですか?
294名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 00:32:08 ID:i8ya2bSX
>>293
嘘を言ってはいけません。
あなたはここに書いてるキリスト教徒個人に対して、今まで相当、
彼らが自説を述べると馬鹿だのアホだの罵ってきています。
あなたは嘘付きですね。
295ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/04(木) 00:45:53 ID:omn+/mJt
>>287
そもそも客観的な立場と言うからには、自分はどういうもので
どういう立場であるがと言う、言明が必要だろ...名前は
適当なハンドルで良いとしても、何処に所属していてあるいは
無宗教でもいいが、どういう立場からみてどういう部分が
こう言う事で客観的にみると***である言うのが客観的な
物の言い方ですよ...お前は前も出てきてるだろ...
296カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/04(木) 00:58:10 ID:ZHpXq0Ln
>>294
そいつになに言っても無駄だよ。
誰かも言っていたが、そいつは典型的な人格障害だ。
一連のやり取り見てもわかるだろう。
こいつがいかに自己中心的な人間かってことが。
この手の輩は、自分がどんなに間違っていても決して謝罪しない。
自分の嘘がばれても、決して謝罪しない。
人に謝ることができない。そいつはみんながクルアーンのことなど知らないと思い、
クルアーンには殺人教義などないと大嘘をつき、
替わりに、旧約の石打刑の一文を取り出し、あたかもキリスト教が殺人教義があるかのように
皆をミスリードさせようとした男だ。かなり悪質だ。言っとくがイエスは古い律法を廃止し、新しい律法で
律法を完成させに来た男だ。で、クルアーンの有名な殺人教義の部分を俺が載せてやったら、
こいつは謝罪するどころか、だんまりさ。こいつはそういう人間なんだよ。
297名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 00:58:18 ID:i8ya2bSX
>>295
私は無宗教ですが、それがどうかしましたか?
298カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/04(木) 01:06:04 ID:ZHpXq0Ln
>>293
>僕がアホだの馬鹿教会だの言っても、自分がそうではないと
>自信があるのであれば、それは「確かにその手の馬鹿教団もあるなぁ」
>で終わりですよ...僕が馬鹿信者って言ったら「確かにその手の
>馬鹿な信者もいそうだ」で終わりですよ...僕は賢い人達に
>馬鹿と言ってるのではありませんよ...僕が馬鹿教団と言った時に
>「自分達の事だと勘ぐる」のがおかしいんじゃないですか?

だったらおまえもここでピーチクパーチク言ってねぇで、黙ってろよ。
自分は、イスラム貶されりゃ、たしかにそういう馬鹿教団、馬鹿宗派もあるなと、軽く流せやしないくせによ。
今だ教義上で正当化し、テロを起こすお前達の馬鹿教団ぶりは、キリスト教の非じゃないだろう。
おまえはイエスは貶すが、ムハンマドを貶されると許せない。キリスト教は貶すが、イスラムを貶されるのは許せない。
どこまでも自分勝手なんだよ。自己中男が。
299カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/04(木) 01:09:15 ID:ZHpXq0Ln
>>293
お前の論理だと、自分が賢いと思っていれば、
他人からいくら自説を貶され、馬鹿だと罵られても、
自分だと勘ぐるのはおかしいよな。なんでここでうだうだ文句言ってるわけ?

鬼のような自己中は、反吐が出るんだよ。
300カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/04(木) 01:18:04 ID:ZHpXq0Ln
ココモスキーよ。おまえがここに書く動機は、ただ自説を披露したいというものではないだろうが。
嘘ばっかりつきやがってよ。

因果応報。
お前の自説にケチを付けられなくなかったら、おまえがまず他人の自説を貶さず、
お前が馬鹿だと言われたくなかったら、他人を馬鹿だと罵らず、
自分の宗教を貶されたくなければ、まずお前が他人の宗教を貶さず、
お前がここで自説をのびのび披露したいのなら、
まずおまえが、他人が自説を語るのを邪魔をせず、のびのび語らせればどうなんだい。
そうすれば邪魔はなくなるんじゃねぇの?

おまえは、自分は良くて他人は駄目。言ってることが自分勝手過ぎるんだよ。
301名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 04:26:38 ID:+x8/gN/2
キリストは超因果応報なんだよな。
悔い改められない相手であっても、キリスト故に赦すという
のは偽善になるのかな。
でもキリストはココモを赦すな。
因果応報は御国での富を受ける量で適用されるか。
悔い改めの結果を、生きるか死ぬかの極端で語るとおかしくなるな。
302カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/04(木) 04:36:23 ID:ZHpXq0Ln
>>301
悔い改めない者は許されないよ。
毒麦は収穫の時がくれば、刈り取られ、炉に投げ込まれる。
言葉を聞いても、油の満たされない器は打ち砕かれる。

だがどんな悪人でも、悔い改める者は許される。そこに区別、差別はない。
どんな悪人であっても、悔い改める者は許される。
303名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 05:15:35 ID:+x8/gN/2
やっばり赦しというのは、存在することの基本的原理なんだろう。
一見、関係力理論が生きているように見えるな。
三位一体を考えると赦しに選択ができる必然となるか。
304名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 05:36:03 ID:UiE8ccTH
忍耐って、ただ我慢することではないんだろう
305名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 05:39:10 ID:UiE8ccTH
カラス的には、御国で差異があることがきにいらないんだろうな。
306名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 05:43:11 ID:UiE8ccTH
しかし、与えられるものの量が問題だな。
無限の中で上下が意味あるのだろうか
307名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 14:58:41 ID:gMdIK4G8
聖書の正しさを聖書で証明できるだろうか。
308名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 15:43:41 ID:gMdIK4G8
正しさとは何か。
309名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 17:22:57 ID:gMdIK4G8
カラス論を否とできる根拠は何か。
310名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 17:39:20 ID:gMdIK4G8
聖書の理解は、最初に得た真理と思われる事、つまり最初の一つの「読み方の約束事」
の積み重ねといえる。
311名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 18:53:19 ID:gMdIK4G8
聖書理解が約束事の積み重ねの連続であるとして、カラスの論もその連続であるように
見える。
聖句の取捨の幅を問ことは決定打にならないようだ。
312名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 19:24:38 ID:gMdIK4G8
最初に見つけた真理と思われる事が、重ねるうちに否代わる事もある。
キッカケとなる最初の一つは人各々違う。

正しい理解の核となるものは他の何かであり、聖書に普遍的な基礎と
なるものだろう。
313名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 19:43:13 ID:gMdIK4G8
真理を支持するものとしては、その実現や関連の充足性があげられるが
聖書の予告性から完全といえない。
314名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 21:15:45 ID:gMdIK4G8
核心となる約束事は何処にあるのだろうか。
聖書の冒頭である創世記に仕込むのが道理ではないだろうか。
カラス論もその約束事をエデンでの記述に探求した結果・過程
だと思われる。
315名無しさん@3周年:2007/01/05(金) 21:33:18 ID:gMdIK4G8
創世記一・二章を理解するための約束事を記述したものが他に
あるだろうか。
316名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 20:19:34 ID:mrG+zFMg
この土俵で正しさについて対立が起こる理由としては、
より基礎的な約束事の発見か、決定的なマクロ的不支持か。
マクロ的な不支持は逆真理の指摘のことであり、真理の追求は
否定されない。
317名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 21:50:19 ID:mrG+zFMg
実際カラスがどのような作業をしてきているのか。

真理と思われる前提、から発見した基礎的な約束事の積み重ね
結果、と前提とを整合させる志向性をもった追究 と思われる。
318名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 22:20:31 ID:EJBlUIW/
価値を論じるとき、価値は常に反価値を伴うとする思考に
陥りやすい。しかし反価値とは価値を否定することによって
はじめて対をなすことができるように思う。
逆もまた真なりという考えもあろうが、それは根源的な真理
というより単なる戯言、あるいは屁理屈のような陳腐で軽薄
な感じを免れないのはなぜか?
価値と反価値の根源にあるものは定立と反定立、
力と力の争いであり、反定立の力の源泉は『否』である。
319名無しさん@3周年:2007/01/07(日) 00:14:06 ID:Ovf9aVPu
基礎的な約束事、暗黙の前提、ドグマ、根源的な定言について
正しく『然り』と繰り返すか、あるいは正しく『否』と繰り返すこと。
神が天と地を創造されるより前の世界を指して『無』を唱える思想が
ある。しかし『聖書』は我々が『無』の世界に生きているのではない
ことを記す。あくまでも、創造主と被造物という世界観の下に与えられた
神と人との契約である。それは聖書にある全ての物語はこの言葉から
始まっていることからして明らかである。
『光よ。あれ。』
320名無しさん@3周年:2007/01/07(日) 10:07:54 ID:dQsUIaAs
通常、自分が存在していることを基礎的な前提にして思考する。

宗教はこの通常前提に対し、より基礎的な前提を示唆する。
321名無しさん@3周年:2007/01/07(日) 15:37:46 ID:dQsUIaAs
基礎的な約束事の一つは、エデンでの知恵の実を食べたこと。
これは自らの手で知恵を獲ようとしたこと。
知恵(聖書理解・真理)は神から授けられるものであり、
自らの力で得るものではないことの示唆。
322mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/08(月) 00:37:40 ID:zuJ65IRA
公現日でしたね 後手後手になっていたツリーを片付けなくちゃ。
イザヤ60:1〜7まで読む、そうしてマタイの2章を読むのです。

マタイはユダヤ人の為に福音書を書いたのだけど、東方の学者たちや
百人隊長などように、異邦人の信仰も書いてあるのですね。
マタイ8:13
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」
この御言葉は、かなり厳しいことばと感じますね。
323ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/08(月) 03:13:42 ID:8R275Jt5
ちょっと忙しいのでスルーしてますが、もうすぐ蘇りますので
待っててチョ...
>>322
ユダヤそのものがローマ帝国の直轄領でしたので、ユダヤ色の強い
マタイ教会も異邦人を無視するわけにもいかないでしょうし、一番
対ユダヤ対決色の強いヨハネ福音書にしても、結局はユダヤ人の為に
書かれたと言っても良いわけで...ユダヤ教の伝統を必死になって
守ろうとしたファリサイから、素朴にたどたどしく移行しようとした
マタイから、ソフトランディングに異邦人文化に移行しようとした
ルカからラジカルに突き詰めて移行しようとしたヨハネまで複雑な
姿があると思います。また普通の聖書にはないグノーシスでは、もっと
複雑な姿があります。キリスト教徒が考えてる様な簡単な仕切りでは
到底理解できないと思います。
しようとした
324カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/08(月) 04:51:40 ID:ReMtFbia
>>323
あいも変わらず聖書、福音書を、当時の国対国の政治的争いの物語
ユダヤ教VS当時の新興宗教であるキリスト教、これらの勢力争いの図でしかないもの
としか理解しようとせず、肝心の、イエスの教義、イエスの教えには、
全く理解できず、全く言及できない哀れなココモスキー。まさに木を見て森を見ずとは、
この人の為にあるような言葉だ。何十年もキリスト教を研究しながら、
肝心要のイエスの教えは全く理解できず、イエスの教えとは全く関係のない話にばかり
注目し、イエスの教えとは全く関係のない能書きを垂れて、自分は頭がいいと勘違いをし、
余命もいくばもないのに、なにが正しく、なにが正しくないかの判断もできず、
世界一のカルトである、イスラム教に、救いを求めているこの男には、心底、気の毒に思う。

ま、今のキリスト教徒(特に信仰義認の連中)、ユダヤ教徒、イスラム教徒、皆、同じ穴の狢なんだろうけど(哀)
325ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/08(月) 13:27:50 ID:8R275Jt5
イエスの自己紹介
正月の余興ついでに、イエス様の履歴書を一発書いておこ

履歴書
名前       イエス
出身地      イスラエル国ガリラヤ県ナザレ村
主な活動地域   ガリラヤ地方
生年月日     BC7〜BC2年月日不明
没年月日     AD32年4月中旬
没前の家族    母  マリヤ
         妻  マリヤ(マグダレーネ)
         子供 不明
         弟  ヤコブ、ヨナ、...
言語       アラム(ヘブライ)語でガリラヤ訛が入っている
職業       ユダヤ教の司祭(ファリサイ派?)
         熱心党の最高顧問(?)
         自営業(大工家具職人)
趣味       酒、旅行
主義主張     改革派リベラル(もちろんキリストなどと言う自意識はない)
血液型      O型かA型(推定)
体格       160cm 50kg
賞罰       律法違反の回数は数え切れない、神殿襲撃の軍事行動にたいし
         国家反逆罪として十字架刑に処せられる
ホームページ   入門者向けに書いたものですが
         http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_first.html

326名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 14:18:11 ID:AWHK+uyT
考えた所、カラスとカラス論の正誤を議論することはは
無意義である、となった。
カラスと論じあうべきはそこじゃないのだ。

カラスは当初から住み別けを意図していた発言かある。
カラスが衝突したエネルギーは発見もあって有意義だけど、
そのカラスがスレに在ろうとするのを強引と感じることは然り。
327ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/08(月) 14:44:30 ID:8R275Jt5
聖書とは  
この聖句は、キリスト教会では、聖書が神の霊によって書かれた
とする根拠として好んで引用されるんですが、その割には
「人を教え、戒め、誤りを正し、 義に導く訓練をするうえに有益です」
だったら、それほどのご利益をあるとも思えないんですが、そんな事より
ここで言われる「聖書」なるものが、何を示してるかの方が興味が
あるので、それを調べてみましたス
第2テモテ3/16
"「聖書」はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、
義に導く訓練をするうえに有益です。"
ΠΡΟΣ ΤΙΜΟΘΕΟΝ Β΄ 3/16
πασα 「γραφη」 θεοπνευστος και ωφελιμος
προς διδασκαλιαν προς ελεγχον
προς επανορθωσιν προς παιδειαν
την εν δικαιοσυνη
「γραφη」はグラファイと読みますよ
田川健三「書物としての聖書」より
また、bibliaが単に文書という複数形抽象名詞である以上、同じく文書を
意味する「graphai」はより広く用いられた。(ユダヤ教が「書物」を
「graphai」と読んでいたので)ただしこの語は、旧約聖書のみを指していた。
ユダヤ教やその継承であったキリスト教にとって、「書物」と呼ぶに値するものは
旧約聖書しかなかったからである。キリスト教がユダヤ教からの新しい宗教としての
自立を明確に意識していたならば、彼らは自己の信仰の根拠としていくつかの新約の
文書を「書物」と呼んだはずである。しかし彼らは独自の「書物」を持つことはなく、
ユダヤ教の正典のみを定冠詞をつけた書物、すなわち聖書と読んでいたのだ。


328ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/08(月) 15:03:53 ID:8R275Jt5
>>327 続き
ΠΡΟΣ ΤΙΜΟΘΕΟΝ Β΄ 3/16
πασα γραφη 「θεοπνευστος」 και ωφελιμος
προς διδασκαλιαν προς ελεγχον
προς επανορθωσιν προς παιδειαν
την εν δικαιοσυνη

日本語聖書で「神の霊の導きの下に書かれ」と約してるのは
「θεοπνευστος」なんだけど、「神の霊の導きの下に書かれ」
はあまりにも大袈裟すぎるンですね...グノーシスが言う
霊(プレウマ)とは、あまりにも違いすぎるんです。適当な言葉が
見つからないんですが、日本語で言えば「霊験あらたかな」じゃ
ないかと思います。
だからテモテ3/16を僕が訳すと
"すべての書物(旧約)は、霊験あらたかな(大変ありがたい)書物なので
 人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。"
になります。はいはい確かにそうでございましょう
329名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 15:39:17 ID:gVWIZHDl
「γραφη」は「グラファイ」と読めないよん。
ηは「エー」でしょ。「グラフェ」か「グラフェー」でしょ。

んでさ「πασα γραφη」に定冠詞ついてないぢゃん。
「πασα」は「The」ではなく「all」だよ

1.「γραφη」は書くの名詞化で「書かれたもの」という意味なのね。
2.で、新約で「γραφη」というと、すべて聖書を指すわけ。
3.「πασα」は「すべての」とか「全体」という意味

ここから立場によって解釈が分かれるのね
4.「聖書すべて」と訳す立場
5.「聖書全体」と解釈する立場

定冠詞云々ではなくて3:15の幼い頃から読んできたから
この「書かれた物=聖書」は旧約と断定できるのだと思うよ

330名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 16:06:15 ID:R22k6Yi1
>>325
ココモさん
ひとつだけ指摘させて頂きます

>職業       ユダヤ教の司祭(ファリサイ派?)

とのことですが、ユダヤ教の司祭となれるのはレビ人(つまりサドカイ派)のみのはずでは?

イエスの母マリヤがユダ出身であるかは聖書からははっきり分かりませんし、
ヨセフは少なくとも血縁の上ではイエスの「父」ではないのですが、
一方、マリヤがレビ出身であるという聖書内外の証言も(当然かもしれませんが)ありません。

なのでイエスが「ユダヤ教の祭司」であった確率はかなり低いものとなります。

ただ、ファリサイ派の考えをほぼ踏襲していたのは事実のようです。
そして、ファリサイ派は「祭司」ではなく、
学者エズラの伝統を引く「(律法)学者(ヘブライ語ソーフェール)」です。

しかしながら通常のソーフェリームたちと違い、イエスは師を(少なくとも公式には)持たず、
「権威ある者のように(つまり師匠や他の学者の意見を引かず自分ひとりの見解で)」語った、とあります。

パウロも師であるラビ・ガマリエルにつきながらも自らの職業(天幕作り)を持ち、生計を立てていたようです。
なので大工でありながら語り続けたイエスは「祭司」であるよりはむしろ(かなり特殊な存在ではありますが)「律法学者」により近い立場にあったと言えるように思います。

些末な事ながら指摘を失礼しました
331キュロス:2007/01/08(月) 16:58:40 ID:67inNP2f
さて その「聖書」とは 旧約のことだろうね。
そこで 問題となるのが その旧約が ヘブライ語版ではなく
70人訳聖書だろうね。

エイレナイオス(130年〜207年)が 70人訳旧約聖書を
「神の息吹を受けた諸文書」と言っている。
また エウセビオスは 70人の長老がヘブライ語の旧約聖書の翻訳を
各自が別々に相談せずに翻訳して その70人の翻訳が一字一句

同じだったから「栄光は神に帰され(聖なる)諸文書は真に神聖なもの
と認められた」と言っている。
つまり70人訳聖書が 神聖なものだといっている

そこでだ このUテモテ3章16節箇所の 聖書 とは 70人訳の事を
「神の霊感を受けて」は 70人訳の翻訳 のことを
言っているような気がする。
332名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 18:57:44 ID:AWHK+uyT
半信半疑 受動的
全信
全疑

全信   能動的
全信半疑
全疑
全疑半疑

能動的半疑は理解が正しいか疑うこと。
333名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 19:46:37 ID:S4x9E62s
聖書=旧約...だから何なの???
新約聖書は霊験あらたかな書物ではない
     ↓(だから)
新約聖書は大変ありがたい書物ではない
とでもいいたい訳?
いいじゃん別に。聖書を拝むわけじゃないし...
 
 
334名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 21:06:35 ID:S4x9E62s
僕が今最も関心のあるのは聖霊とは何か?
なんだけど、これについては議論がほとんど
成り立たないことも予見されるので、まぁ、
解釈できる人がいたら参考にしたいので誰か
カキコして下さい。グッとくるカキコについては
質問をするかもしれませんが、議論をするつもり
はないのでそれ以外はレスしませんけど。
いくらか議論の余地がありそうなネタとしては
信仰とは何か?です。信仰に選択の余地はない
というのが僕の持論です。これについて異論・反論
のある方ご意見下さい。できれば聖句をあげて下さい。
検証してみたいです。
『信じる信じないはあなたの意思で決めるものではない』
335慈風:2007/01/08(月) 21:12:05 ID:BsRDmlYW
おはつです。
「信じる信じない」は関係ない。。これはある意味事実だと思います。

しかし、信仰は個人の選択。
これを認めないと、誰かの信仰が正論で、それ以外を排除することになる。

でなければ、さまざまな宗教があり、それを選択する人がいる事実を説明できません。

336名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 22:01:36 ID:S4x9E62s
>335
レスありがとうございます。
「信じる信じない」が何と関係ないのかがよくわかりません。
慈風さんは信仰が個人の選択だと考えるのですね。
僕もそう考えていたのですが、今は信仰と『信仰』を区別
しています。よく考えたことはありませんが、『信仰』が
正論で、それ以外を排除することになるのかもしれません。
その場合『あなたの隣人を愛せよ』はどういう行為になる
のかが問題になります。
『信仰』は個人が選択し得るものではない、ということです。
おわかり頂けますでしょうか?
議論によって何かを学べたらと思います。

337名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 22:07:27 ID:gVWIZHDl
>>336

まったくわからん。

「ある人がAという信仰を持っている」と事実に対して、
ある人はそれを『選択』だと言い、
別の方が『選択』ではない(「運命だ」とか「神からの促しだ」とか)と
言ったとしても
それは事実自体は一つです。
一つの「事実」なんだけども 見る視点にそれぞれ別の意味が
生まれているだけです
338慈風:2007/01/08(月) 22:15:58 ID:BsRDmlYW
その通りですね。
私が言った関係ないとは、「信じる信じないにかかわらず、神は在ることにかわりはない」ということです。
人の選択は自由。もし信仰が選択でないとすれば、それは強制であって、自由ではなくなります。
神が自己を否定するわけがないでしょう。
339名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 23:31:37 ID:AWHK+uyT
聖霊の現れは何か。
背景的な存在のイメージなんだよな。

法則とか仕組みとか。実体としてイメージすると、宇宙、
地球、大地、海、水、母、極端には聖母、天使…として現れている
って感じている。全信半疑。
神の存在を包む背景とか。背景から神が抜けても神の形が残る感じ。
ドウナンダロウね。ワクワクしてきた。
340名無しさん@3周年:2007/01/08(月) 23:53:43 ID:S4x9E62s
>337
>見る視点にそれぞれ別の意味が生まれているだけです
全くその通りだと思います。事実は意味を伴って現れる。
少し例えが曖昧のような気がして理解できません。
事実と意味は二人の当事者にとってそれぞれ不可分であって、
『一つの』というのは第三者の立場だと思います。
337さんは信仰とは『どちらともいえない』という立場だと
理解して宜しいですか?
>338
もしかするとまだ誤解されてるかも知れません。
信仰に選択の自由はありますが、『信仰』に自由意思はないと言う
立場なんです...
ぶっちゃけ、人間奴隷説です。これって異端ですかねぇ?
341名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 00:03:21 ID:rygfr4Gw
>>340

信仰というのは『主体の中の真実である』という立場ですね。

ある人がAと信じた。←客観的な事実です
A信仰をある人は自由意志で選択した考えた←主体の中の真実です。
A信仰を別の人は神から選ばれた故で私の意志ではないとした←主体の中の真実

むしろ「どちらとも言える」という立場かもですね
というより あなたの想定している枠組み自体に疑問を持つ立場です。
342名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 00:06:31 ID:rygfr4Gw
「事実」と「意味」は全く別物です。

同じ「事実」を体験しても
それを読み解く受け手如何により様々な『意味』が生まれます。
「事実」を超えて「意味」は創造される
あるいは、
「事実」と「意味」は別次元の事柄です
343名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 01:07:01 ID:0rCVNtUY
>341
340は337さんの思考法を推測しての見解であり、
信仰というのは『主体の中の真実である』という
ことになっていますが、僕の立場はあくまで個人
の選択には依らない真実ですから、内であろうが、
外であろうが、中であろうがどうでもいいのです。

341さんと337さんが同一人物かわかりませんが
「どちらとも言える」の方が適切かもしれませんね。
あまり深く考えて言ってるわけではないので、僕が
何を想定しているのか自分でもわかりません。
疑問を持たれた枠組みが何か教えてもらえませんか?
気づかない内に何らかのドグマに陥っているかも
しれませんので....
他人と『同じ「事実」を体験』していると考える根拠
がいまいち解りかねます。主体を認識の基礎に置けば
こそ生じる疑問ですが。
344名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 07:40:07 ID:ZDPNSHu2
343さんの『枠組み』は、
「信仰に選択の余地はない」が客観的な真実だと
前提されている点ですね。

343さんの内的な事実として「信仰に選択の余地はない」というのはありです。
同時に「信仰とは決心だ 選択だ 自由意志だ」という人がいてもよいわけです。
なぜならば、信仰とは「私にとっての出来事」だからですね。

343さんは、ここを「誰しもにとっての出来事」と前提されているため
『信じる信じないはあなたの意思で決めるものではない』
と考えられているわけです。
345名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 20:30:28 ID:0rCVNtUY
>344
丁寧な説明ありがとうございます。客観的真実だと前提していること。
その通りですね。主観にすぎないものを客観に飛躍させているとでも
いいましょうか。信仰は選択であると考える場合にはあくまで主観的
な心理状態にすぎないという結論に至ることはよくわかります。
ただ僕の解釈はもっと横暴で、独善的とさえ言えそうなものです。
従来の信仰とは341さんの指摘通り「主体の中の真実」を含むと考え
ます。しかしそうしたものと区別するためにあえて『信仰』と呼ん
でいるわけです。論点を明確にするために「決心、選択、自由意志」
によるものは聖書に記された『信仰』ではない、とまで言い切って
みます。従来の意味で信仰と呼ばれているものは単なる思い込み、
自己欺瞞と言い改められるべき代物であって、まことの『信仰』と
は全くの別物であると....
まぁ、このように主張する以上、僕は信仰とは何であるかを知って
いると大言壮語する者になるわけですが。できれば信仰によって神
の子とされたクリスチャンの意見が聞きたいのですYo!

346mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/09(火) 21:45:32 ID:NMIPARjq
>>345
聖書を引用してくれるとお話しやすいんだけど。

『信じる信じないはあなたの意思で決めるものではない』の根拠と
なったところとか
「決心、選択、自由意志」によるものは聖書に記された『信仰』ではない、
というところなど。
347ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/09(火) 22:25:46 ID:4l9L1/oT
ウィリアム・ティンダルと言う人物に興味がそそられて...

ウィリアム・ティンダル − ある聖書翻訳者の生涯
David Daniel 著、田川建三訳
2001年1月初版第1刷発行、勁草書房、8400円
を今度買って読んでみるつもりです...有名な欽定訳聖書の
元になった聖書翻訳家(ギリシャ・ヘブライ−>英語)
http://www.keisoshobo.co.jp/Tindal2.htm
http://www.keisoshobo.co.jp/Tindal3.htm
なんか面白い評論をしてるね...これだけ読んでると
ルーテルが「そうとういい加減な山師」だったかのかとも思うけど

何故か翻訳家と言うのは弾圧されるらしくて、最後は
「神よ、イギリス国王の目を開きたまえ」と叫んで焚刑
で処刑されたらしい。何時の世でもキリスト教会は、大事な
部分を自分達だけのものにしたがるらしくて、それが広く
一般に知らしめる事が嫌なんだろね...英語版の聖書が
できたら、英語圏の多くの一般の人達が読み出しちゃうでしょ...
教会のオッサンが偉そうに威張れなくなっちゃうらしいw
348名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 23:46:14 ID:1xIKZ6FE
>>345

真実体験しますと 創価でもカルトでもどこでも
私の信仰こそが「まことの信仰」と絶対化されますです。

単にカルトなだけです。

自分の絶対的な信仰(真実)体験を相対化できるのが
現代知性の最低水準です。
カルトはここクリアできません。
349名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 10:36:17 ID:SbR29woH
>自分の絶対的な信仰(真実)体験を相対化できるのが
>現代知性の最低水準です。
ということは、ココモスキーは新手のカルト教祖ということですね。
350ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/10(水) 23:21:04 ID:1iNvpKuI
神に帰る...
聖書に書かれてる「神に帰る」の神様は、ユダヤ人の神(つまり
YHWH)の事だよ...聖書でこの言葉が使われてる時期は
まだ、イエスを神とは捉えてない時期だし、「神に帰る」を
使ってる編者は全部ヘブライストだべ、離反したヘブライストに
呼びかけた言葉だろ...どこぞのアホ教団の神様に戻る事では
あるまい...
351キュロス:2007/01/11(木) 21:32:37 ID:82hnpmcC
>まだ、イエスを神とは捉えてない時期だし、「神に帰る」を

某レスで パウロと共観福音書では イエスを神としていない
と 主張している人が居たけど どうなんだろうね。

パウロや共観福音書の記述者にとって重要なのは 神としてのイエス
ではなく 救い主としてのイエス だったのだろうね。

だからと言って パウロや共観福音書の記述者が イエスは神
としていないとは思わないけどね

共観福音書では 明らかにイエスは 神の子 としているし
パウロも 養子論だけど 復活して神の子に定められた としている。
352キュロス:2007/01/11(木) 21:39:47 ID:82hnpmcC
救いは ユダヤ人から異邦人に広がった 或いは

イエスの出来事において 神はユダヤ人だけの神ではなく
異邦人の神である事を示した とすれば 

異邦人が神の民に加わる(救い)事は 人間が神に立ち帰る(悔い改める)
からではなく 神が神に立ち帰る からでしょ。
353名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 06:29:19 ID:plPJwPDE
イエスを神とするのはグノーシス派だね
ヨハネ書はグノーシス派。

これがアフリカのアレクサンドリアで人気が出て、
三位一体教義へと発展したのだよ

「神の子」は詩篇2:7で「神に養子とされたイスラエルの王」のことで
「神」ではない。

申命記14:1やイザヤ1:2の用法だとイスラエルの民が「神の子」だね

新約はこの二つの用法を継承しているのでしょ。
「神の子」→「養子」→「イスラエルの王」→「メシア」という称号と
イエスを信じる者は イエスとして「神の子」とされる

パウロも共観福音書もこの範囲をでない
354名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 06:54:10 ID:plPJwPDE
イエスが神どころか
初期教会のコリント教会には イエスの復活さえありえないと
信じない人たちがいた
パウロは怒っているわけだが(爆)

こういう背景があって トマスの話はできたのだろうね
トマス一人というより
イエスの復活を信じない栗をトマスが代表して
トマスを借りて その信じないトマスが信じた物語となる
355名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 08:01:56 ID:f+XOrTPe
直弟子だって傷に触れるまで信じなかった。
復活した現実が信じられなかったというよりも、主が復活した
という自分の認識が正しいかを確かめずにいられなかったのだ。
356名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 08:13:31 ID:plPJwPDE
福音書編纂者の意図は
「イエスの復活に立ち会えなかった自分たち」を
「トマスだけに現れなかった」という形にして、
トマスを通してイエスの復活の現場に立ち会えなかった私たちに
『見たことがないのに信じる人々は幸いだ』とメッセージするのが論旨だよ
357名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 17:48:34 ID:f+XOrTPe
聖書から取り出せる理解は間違っていなければ正解なのさ。
神と人との関係と、人の本質と有るべき姿を明かすことが聖書の目的
358名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 21:19:05 ID:eQRwApCm
難しい理屈言わなくても 好きに読んでいいさ

359キュロス:2007/01/12(金) 21:35:26 ID:aByieWoC
まあヨハネ福音書の イエスの復活は 肉体の復活を主張しているね。
ところで
キリスト教系グノーシスの 復活は 霊的復活 なのだそうだ
それに対して ヨハネ福音書の描く イエスの復活は 肉体の復活
なんだね。

イエスの わき腹にキズがあり 手に穴が空いてい からね。

まあ この復活したイエスとトマスの 再会の箇所からだけ
見ても ヨハネ福音書が グノーシスではないことは明白だと
思いますよ。
360キュロス:2007/01/12(金) 21:36:08 ID:aByieWoC
愚かな者達は心の中でこう考えている「私たちはキリスト教徒です」と、
力もなく口先だけで告白しさえすれば、実際には自分達を無知、
すなわち人間の死に引き渡しても、あるいは、自分達が何処に向かって
いるかも知らずに、キリストとは誰なのかも知らずにいても
自分達が生きることになるだろうと彼らは考えている。

彼らは迷っても いつの支配と権威の元に走り、彼らの手中にあるが
それも彼らの中に有る無知のせいである、なぜなら、もし仮に証しの口
先の言葉だけで救いを保証できるのであれば、この世界全体が、この
ことに耐えるであろう、そして救われるであろう。

しかし、彼らは、このようにして、自らに迷いを引き込んでしまったので
ある。 真理の証言 #5

まあ このグノーシスの文書では 信仰を告白するだけでは
ダメだ といてるね。
つまりトマスのような 信仰告白だけではダメだ と
グノーシスは言っているわけだね。
361名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 23:56:50 ID:Wf284Bkx
2ちゃんねるが来週で終わるそうだけど、みなさんどこで活動続けるつもりですか?
362カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/13(土) 00:10:54 ID:E9zrwJo2
〜ヨハネ3:05〜06
>イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。
>だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
>肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

>>359
>それに対して ヨハネ福音書の描く イエスの復活は 肉体の復活
>なんだね。
>イエスの わき腹にキズがあり 手に穴が空いてい からね。

だからそれは喩えなんだって。聖書は真理を全て喩えで書かれている。
それを文言の通り解釈すると、全て誤謬する。また、聖書の聖句は、自分の都合のいい
箇所だけを取って、そこの箇所だけの解釈で、判断してはならない。
全体を読んで、全体から判断しない者は、全て誤謬する。自分の願望を、反映しているの過ぎない。
グノーシスも、共感福音書も、ヨハネも、書簡も、黙示録も行き着く先のテーマは全て同じだよ。
君らの願望が、キリスト教ではないので、お間違いのないように。信仰義認は本当に馬鹿馬鹿しい。


363名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 03:23:50 ID:RW1hbxX1
ココなくなるのか…
見て発想したりできるエネルギーに満ちた場だったんだよな。
3ちゃんねるが在るみたいだけど宗教板がまだ無いっぽ
364mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/13(土) 10:57:03 ID:ELg3GPlu
ここを読むと家にある本(古いのしかない)を調べるんだけど、
ヨハネはグノーシスではない と以前教わったので
改めて調べたいと思い、「第四福音書におけるグノーシスの影響」という資料あって
それに使われているテキストが、ブルトマンとかいう人の「原始キリスト教」だったんだけど、

ブルトマンはいきなり読んでも分かるものなんですか?
そのまえに読んだ方が良い本ってありますか?
365名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 14:15:58 ID:buGUSEhE
ブルトマンについて知りたいなら、
熊澤義宣『ブルトマン(増補改訂)』(日本基督教団)がよい。
1980年代までの、国内外の、ブルトマンについての研究成果が網羅して解説されている。

ブルトマンのヨハネ福音書研究については、
・『ブルトマン著作集』(新教出版社)の第6巻『聖書学論文集T』所収の
 「最近解明されたマンダ教・マニ資料とヨハネ福音書」が代表作、
・また同シリーズ第4巻『新約聖書神学U』のヨハネ福音書の箇所も参考になる。
・あと、ブルトマンによるヨハネ福音書注解として、『ヨハネの福音書』(日本キリスト教団)。
366ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/13(土) 18:05:21 ID:NfoFWYRN
>>364
ブルトマンと言えば、プロテスタントは大喜びして、未だに大先生
として扱われる。しかし言わば聖書学の開祖としての功績は評価しますが、
如何せんその後急激に発達した聖書学から見ると如何にも古典的です。
電球を発明した御仁の功績は偉大ですが、未だにその当時の裸電球を
使ってるビルみたいな物で、レトロ趣味なのはいいですが、暗くて
どうしようもないのと同じです。

ヨハネ福音書とグノーシスの関係で言うと、果たしてブルトマンが
ナグハマディ文書を研究したかどうか定かではありません。とすると
グノーシスの文書を殆ど知らずに論じてる事になりますし、その辺の
アホ教団やアホ信者ならそれでも通用するかも知れませんが、
ブルトマン程の人であれば、ナグハマディを知ってるのと知らないのとでは
全く違う見解になるだろうと思います。

webで参考になりそうなところを探すと
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/spirituality/16johnsaiko.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/gnosis/naghamady.htm
これは蛇足ですが
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yohane.html
367ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/13(土) 19:17:48 ID:NfoFWYRN
桃降誕の奇跡
 昔々あるところにヨゼフ爺さんとマリア婆さんが住んでました。
 ヨゼフ爺さんは山へ芝刈りに、マリア婆さんは川へ洗濯に行きました。
 マリア婆さんが川で洗濯してると、上流から大きな桃が流れて着たので
 マリア婆さんが家に持って帰りヨゼフ爺さんがナタで割ってみると、中
 から大きな赤ちゃんが出てきました。その夜、マリア婆さんは夢をみました。
 マリアよ恐れるではない、桃から出てきた子は将来日本の民を救う子だから
 大事に逞しく育てなさい。その子の名を家洲と名づけなさい。
 それ以後マリア婆さんとヨゼフ爺さんの仲は悪くなり、ヨゼフ爺さんは
 悪霊により「あの桃の子は、実はマリア婆さんの隠し子ではないか」
 と考えるようになり、ヨゼフのオツムの弱さも手伝って、この疑念は
 確信となり、人を信じなくなりました。マリアもオツムの弱さも
 手伝って、この子は日本の民を救う救い主だから、霧洲都だと確信
 する様になりました。

 続く
 
368mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/14(日) 08:38:27 ID:19zJb8Zz
>>365 >>366
ありがとう
ちょっと難しそうなので、今日、帰りにでも本屋のぞいて
入門書を見つけてくる。
369365:2007/01/14(日) 11:03:27 ID:tMScvR+4
大貫隆『福音書のイエス・キリスト4ー世の光ー』(日本キリスト教団出版)がよいと思う。

グノーシス主義に興味があるなら、大貫先生の名前くらい知っているでしょ?
この本は、聖書学に興味のある素人のために、ヨハネ福音書について解説した本。
随所でグノーシス主義とヨハネ福音書の関係について触れている。

それから、、365がハードルが高いにしても、少なくとも、

ブルトマン『新約聖書と神話論』(新教出版社)くらいは読んでね。

これすら読んでないで、ブルトマンについてどうのこうの批評すると、
バカにされちゃうからね。まあ、そういう人って、けっこういるけどね。
370名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 11:17:43 ID:zlRHnz1+
>>369

かいつまんで それぞれがなんといっているかを紹介してよ
371365:2007/01/14(日) 12:07:57 ID:tMScvR+4
>かいつまんで それぞれがなんといっているかを紹介してよ

まず、ヨハネ福音書をかいつまんで紹介してくれ。はなしはそれからだ。
372ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 13:03:49 ID:BlFC9FnD
>>371
>まず、ヨハネ福音書をかいつまんで紹介してくれ。はなしはそれからだ。
アホなかいつまみをやると、プロテスタントの先生の解説書になってしまうよ
373ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 13:46:15 ID:BlFC9FnD
>>371
>まず、ヨハネ福音書をかいつまんで紹介してくれ。はなしはそれからだ。
ヨハネ福音書をかいつまんでなんて言う発想自体が甚だ幼稚な言葉なんだけど
ヨハネ福音書を編集した人達がどういう立場の人達かを大雑把に説明すると
(馬鹿どもはこういう書き方をすると、雑な捉え方と言い出すし、詳しく
 書くと紙面が足りない、何処かの資料を書き出すと、テメエの考えは
 どうだと言い出すし、自分のwebにたまたまあって紹介してもアクセス
 しないし....要するに新たに物事を調べようとする意思なんか
 全くない連中の事で、単に自分達の立場を主張する為の処世術を持ってる
 だけの連中の様に思う)

*第1ステップ 原ヨハネについては、多分洗礼者ヨハネの共同体にいた
  人達と、エルサレム原始教団にいた人達の共同編集(ヨハネ共同体も
  そういう人達) AD70−100年頃
*第2ステップ 原ヨハネに対して、ギリシャ哲学を習得した人が書き加え
  ている AD100−110年頃
*第3ステップ 1・2ステップに対して、ローマ帝国の息の掛かった
  人による、加筆・削除作業 AD3〜4世紀
  

374365:2007/01/14(日) 14:18:50 ID:tMScvR+4
>>373
アハハ、自分からかいつまんで紹介しちゃってるよ。
こういうの、お人好しっていうのかな?
375名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 14:38:58 ID:zlRHnz1+
つーか365は自分の意見を持たんわけだな(笑)

書評とか書いたことないでしょ
376365:2007/01/14(日) 14:58:20 ID:tMScvR+4
というか、ヨハネ福音書すら読んでない375に解説本の紹介するのも馬鹿げているからね(笑)
377ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 15:00:30 ID:BlFC9FnD
言葉が理解できないんでしょ
「ヨハネ福音書をかいつまんで」と「編集した人達がどういう立場を
大雑把に」が全然違う意味である事が理解できないんだと思うw
378名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 15:01:27 ID:zlRHnz1+
ちなみに岩波訳の解説で 小林稔は、
90年代にシリアかエフェソ成立説支持。
後世への影響という点ではアレクサンドリアと関係が深い、としているね

新共同聖書辞典 新教出版は、90-125年エフェソ説。

岩波キリスト教辞典で 大貫隆は、
使徒ヨハネがエフェソでというのは古代伝承で無根拠と退け、
1C末、パレスチナとシリア境界領域説が有力と紹介しているね

新共同訳略解では、松永希久夫が、
90年代初期説、エフェソ説を退け、パレスチナとシリア境界領域説を支持して
サマリア地中海沿岸ユダヤ人都市としているが、
この人の解釈(編集史説や福音書内証説)はあまり支持できないが、
執筆動機の項で、
ユダヤ教会堂から異端と追放されたユダヤ教ナザレ派が
ユダヤ教を脱皮しキリスト教として自立するために書かれたとされている点。
これは福音書の内証からだそうなので信憑性は薄いが、
ヨハネ書の特異性の背景になにがあったのかにひとつの示唆ではないかと思う
379名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 15:03:55 ID:zlRHnz1+
私はヨハネ書を理解できてないので その意味では読んだとは言えんが
少なくとも365よりは読んでるだろ(笑)。
380ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 15:16:26 ID:BlFC9FnD
僕もヨハネ書を十分理解してるとはいえないので その意味では読んだとは
言えんが少なくとも365よりは読んでるだろ(笑)。
僕のアサハカな知識では
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yohane.html
だけど、これを書いたのは3〜4年前で、その後いろいろ判った事が
あるよ...365のレベルの読んだ読んでないの言い合いは少なくとも
馬鹿にしたいんだけど、この連中はそれすら理解できないだろ


381365:2007/01/14(日) 15:38:51 ID:tMScvR+4
解説書はよく読むが、聖書を読まないクチかな(笑)。

『福音書のイエス・キリスト』で、大貫は1章を割いて、社会文化的条件、
社会的政治的条件、社会生態学的・社会経済的条件から、ヨハネ福音書は
1世紀末、シリアとパレスチナの境界線上に位置したアグリッパ2世の所領下の
ガウランテス・バタネア地方が有力であると結論づけているよ。
382365:2007/01/14(日) 15:43:39 ID:tMScvR+4
『新約聖書と神話論』さえ読んでいないでブルトマン批評をするから、
自他共に認める、アサハカな知識人に陥ってしまうんだな(笑)
383ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 15:44:50 ID:BlFC9FnD
>>378
>新共同聖書辞典 新教出版は、90-125年エフェソ説。
僕も一応エフェソス説を支持しますが。
>ユダヤ教会堂から異端と追放されたユダヤ教ナザレ派が
>ユダヤ教を脱皮しキリスト教として自立するために書かれたとされている点。
>これは福音書の内証からだそうなので信憑性は薄いが、
>ヨハネ書の特異性の背景になにがあったのかにひとつの示唆ではないかと思う
たぶん、僕が「エルサレム原始教団にいた人達」と言ってる部分だけど
ぼくは、4章のサマリア教団の女性についての記事を根拠にしてる。(使徒
8章のエルサレム原始教会のサマリア宣教参詳)...ただ、これについては
サマリア教団にいた人がエフェソスのヨハネ教団に参入していた可能性も
ある。
>>378 が説明している以外の事で、僕が数年前に判った大きな事柄は
「原ヨハネについては、多分洗礼者ヨハネの共同体にいた人達と」の部分
です。
洗礼者ヨハネの共同体にいた人がヨハネ福音書の編者の一人であった
理由は
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_yhanas.html
で説明したが、ヨハネ福音書において、洗礼者ヨハネの位置づけが
他の共観福音書と大分様相が違う事から判った事です。これは
現代では多くの学者が説明してる事ですが...
>>376
>というか、ヨハネ福音書すら読んでない375に解説本の紹介するのも馬鹿げているからね(笑)
お前等のオツムでは、どんな学者であろうと、何十年も読み返してる
人でも、「ヨハネ福音書すら読んでない」にしてしまうんだろね

384ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 15:56:00 ID:BlFC9FnD
>『新約聖書と神話論』さえ読んでいないでブルトマン批評をするから、
>自他共に認める、アサハカな知識人に陥ってしまうんだな(笑)

これが、僕が再々言ってる「アホのプロテ」の典型だよ...
「**すら読んでないで****批判をする」
「自他共に認める、アサハカな知識人」

と言うのが馬鹿どものの語学力なんだよ...

ブルトマンは裸電球だよ...馬鹿どもの教科書にはなるだろうが
所詮、とっくに在庫処分されてる古典だよ...


385ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 16:08:28 ID:BlFC9FnD
こいつら(アホプロテ)は馬鹿にされると使う言葉が決まってるんだよ
>解説書はよく読むが、聖書を読まないクチかな(笑)。
>『新約聖書と神話論』さえ読んでいないでブルトマン批評をするから、
>自他共に認める、アサハカな知識人に陥ってしまうんだな(笑)
どんな評論であろうと、学者であろうと、研究者であろうと
全部この手の単なる「処世術」・「話術」で片付けてしまうだろ
それらの論文を読む意思もオツムもないという事だよ...僕の
webを読んでいただいたら、普通の能力の人なら、どの位
聖書そのものを読んでるか判るんだけど、それを理解しようと
も新たに修学しようともしない...

「アホのプロテ」の典型だろ
386ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 16:09:37 ID:BlFC9FnD
>解説書はよく読むが、聖書を読まないクチかな(笑)。
>『新約聖書と神話論』さえ読んでいないでブルトマン批評をするから、
>自他共に認める、アサハカな知識人に陥ってしまうんだな(笑)
387ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 16:11:24 ID:BlFC9FnD
どうせ、このwebももうすぐなくなるらしいので、馬鹿プロテ
の話術として残しておきましょう

>解説書はよく読むが、聖書を読まないクチかな(笑)。
>『新約聖書と神話論』さえ読んでいないでブルトマン批評をするから、
>自他共に認める、アサハカな知識人に陥ってしまうんだな(笑)

388名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 16:19:37 ID:zlRHnz1+
『新約聖書と神話論』は今さら読む気せんが
ご紹介の
ブルトマン著作集 6 「イエス・原始キリスト教 」と
大貫隆『福音書のイエス・キリスト4ー世の光ー』を
とりあえず注文した。

今さらブルトマンかよ、と思いつつ読んでみるよ 興奮するな。
大貫本は、先行研究をうまくまとめ解説した上で持論述べてたりするので
その部分はとても便利で参考になるのだが、
大貫説は哲学的すぎて。。それはどうかな、という感じなんだが
「ガウランテス・バタネア地方」というのを見てみる
389ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 16:45:43 ID:BlFC9FnD
>>388
大貫隆は、確かに無茶苦茶頭の切れる御仁だと思うけど、どう
見ても「プロテスタントの奴隷」で、腐りかけの教団の意向に
従ってアホな信者の為に書いてる様な気がする。「イエスという体験」
などと言う強烈にくだらない本が、本当に大貫隆氏の本心なのかどうか
理解しがたい。

390名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 17:26:55 ID:KSRRNJQW
死んだ聖書学なんかツマランよ
391ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 17:49:27 ID:BlFC9FnD
>>390
>死んだ聖書学なんかツマランよ
「アホプロテ」が自分達を擁護する為の「慣用句」か、「アホプロテ」が
してる事を揶揄してるのかよう判らん...
392キュロス:2007/01/14(日) 18:57:13 ID:v9Baicq5
ヨハネ福音書の考え方を グノーシス的だ としているのは
E・ケーゼンマン らしいね。
しかし最近では ヨハネ福音書は グノーシスに対するアンチな
姿勢でかかれている書かれている とする説が主流らしいよ。

それと 東京神学大学の松永希久夫は 大貫隆氏や青野太潮氏に
批判されてるね。

>死んだ聖書学
大貫隆氏の ヨハネ福音書 の本は 文芸批評系の本らしいから
本文をバラバラにしてしまう いわゆる聖書学 ではないと思うよ。
393ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 19:31:53 ID:BlFC9FnD
ここにもアホプロテの典型がおるだろ...腐りかけの
 教団の中のドンパチが、業界の趨勢だと思ってるアホプロテだよ

>ヨハネ福音書の考え方を グノーシス的だ としているのは
>E・ケーゼンマン らしいね。
外から見たら無知蒙昧のアホプロテ以外の何者でもない
>しかし最近では ヨハネ福音書は グノーシスに対するアンチな
>姿勢でかかれている書かれている とする説が主流らしいよ。
外から見たら無知蒙昧のアホプロテ以外の何者でもない
>それと 東京神学大学の松永希久夫は 大貫隆氏や青野太潮氏に
>批判されてるね。
外から見たら無知蒙昧のアホプロテ以外の何者でもない
>大貫隆氏の ヨハネ福音書 の本は 文芸批評系の本らしいから
>本文をバラバラにしてしまう いわゆる聖書学 ではないと思うよ。
外から見たら無知蒙昧のアホプロテ以外の何者でもない

こういう文章を書くと一見賢そうに見えるだろ、それが
アホプロテの十八番技だよ、こうやって実際は聖書の聖句
の一行たりとも解釈できないアホが、あたかも聖書に精通してる
が如く振舞う。
アホプロテの十八番技だよ、こうやって実際は聖書の聖句
の一行たりとも解釈できないアホが、あたかも聖書に精通してる
が如く振舞う。
アホプロテの十八番技だよ、こうやって実際は聖書の聖句
の一行たりとも解釈できないアホが、あたかも聖書に精通してる
が如く振舞う。

394ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/14(日) 23:10:18 ID:BlFC9FnD
聖書を読んだか読んでないか...
 馬鹿信者とこの手の論議をするのは、無駄です。どれだけ聖書を
 読んでいようが、どれだけ聖書を研究していようが、馬鹿信者は
 聖書を理解していないと言います。
 こいつらは、自分達が聖書に精通していると言うマインドコント
 ロールされてるんです。全体からみたら・文字数で言えば、殆ど
 読んでないのにも等しい連中ですが、それでもこいつらは自分達
 が聖書に精通していると思ってまして、こいつらにとって部外者
 は、それが学者であろうが、何十年も聖書を研究していようか、
 何十回読み返していようが、翻訳をしていようが、こいつらにと
 っては、「聖書を読んでいない」「聖書を理解していない」「イエス
 を理解していない」なんです。その様に考える事が、弱いオツムに
 刷り込まれてるんです。
 僕はこんな奴等の言う事なんか、何等聞く価値はないと思います。
 ネットを調べるだけでも、こいつらの言う事なんかより遥かに優れた
 資料が読めますので、こいつ等馬鹿ドモの戯言は無視しても良いの
 だろうと思います。
395名無しさん@3周年:2007/01/15(月) 07:50:05 ID:Fe11QfNp
サマリア地中海沿岸ユダヤ人都市説に注目するのは、
サマリアと言えば使徒言行録に出てくるシモン崇拝があります。

アジア州のメシア信仰から影響を受け更に発展させて
シモンを「第一の神」として崇拝していたそうです。
(ジャン・ダニエルー『キリスト教会史1』p150)

メシアを神とする発想はヨハネ書が生まれる前の70年代には、
サマリアにあった。このシモン派の影響を受けて、
イエスを神とするヨハネ書が生まれたのではないか、と
396mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/15(月) 23:00:52 ID:C1A5BMIE
ブルトマンが電球なら、わたしのとこは蝋燭なんだろうな。
化石化しちゃってると言われるしね。

>>395
ヨハネ書は1世紀の終わり頃、グノーシスや他のものから
イエスの教えを守る為、年季の入ったクリスチャンが書いた
福音書って教わったんだけどどうなんでしょう。
397キュロス:2007/01/16(火) 19:10:44 ID:NLa8NxcQ
まあ その あれだ
ユダヤ教は 教義学とか要約された神論に基く信仰告白が
ないんだね。
ユダヤ教徒にとって 神について考える事は 律法を解釈すること
なんだね。
だから 三位一体論のような 神論はないんだね。

それと 当時のユダヤ教徒の気分として
神のような人間ではない 神的な存在が有る という発想は出来たんだね。
たとえば 箴言の「知恵」(8章) とか フィロンの「ロゴス」とかね。
398ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/17(水) 00:44:02 ID:BMkCSPvt
>>397
お前のオツムで難しい文献を読むと言ってる事が支離滅裂になるから、
僕から見たら犬か猫の反応と同じだ...
399名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 19:00:37 ID:HFnQkjvB
キリストの(働き?)を喩えるのに助け舟がイメージされるわけだけども、
この舟は、助け舟故に嵐的な存在がくっついているんだな。
キリストをキリストであらしめる存在。
400mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/17(水) 23:29:19 ID:ECXmu+LK
>>397
ありがとう 一つ勉強になりました。

ブルトマンという人は、救いは現在に於いて実現すると指摘
しているんですね。(本の受け売りですが)

それで「天国への旅人」という旧日基の流れをくむ牧師の
葬儀説教集を読んでいたら、11人中4人の牧師がヨハネ福
だった。なんでだろう。
401ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/18(木) 00:44:03 ID:N9zXqWKM
ヨハネ福音書とグノーシスの関係を考えるのには、どのグノーシス
を対象にするかを想定しないとアカンw
ヨハネ福音書はトマス言行録に近似性があるんだけど、トマスは
必ずしもグノーシスだけと決める事もできない、最近はユダヤ教の
改宗者やユダヤ系グノーシスがトマスを好んで受け入れていたらしい事
が幾つかの文献で見られる...
つまり、ユダヤ戦争で破綻したユダヤ人は、
 1...ユダヤ教との縁が切れなくてまたユダヤ教徒に戻った
 2...原始教会系(ユダヤ系キリスト教団)のキリスト教団に改宗した
 3...異邦人系キリスト教団に入った...ホンの少数派
*異邦人系キリスト教団の主体は、それより遥か前にローマ・ギリ
     シャ諸国に入植していたユダヤ人
 4...ユダヤ系グノーシスに改宗した
 5...キリスト教系グノーシスに改宗した
 6...その他
    *このその他が一番多くて、到底短い紙面では説明できない
ところが、それ以降のグノーシス文書は、どうもユダヤ系グノーシス
の影が薄くなってるので、どうも自然消滅した様にも見られる...
それでグノーシスの主流はギリシャ系グノーシスになるんだけど

こういう混沌とした中で、ヨハネ福音書やトマス言行録があるんですよ。
と言うかヨハネ福音書やトマス言行録からいくつもの潮流がバックに
ある事が想定されるんですね
402ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/18(木) 00:46:00 ID:N9zXqWKM
>>395
ヨハネ福音書でイエスを神としている部分は、実は1/14と1/18
だけなんです。それで1/14と1/18は日本語の聖書では明らかな
論理矛盾をしてるんです。
例えば、1/18には「神を見た者はいない」の「神」と「一人子である
神」の「神」は違う言葉です。
ΚΑΤΑ ΙΩΑΝΝΗΝ 1/18
θεον ουδεις εωρακεν πωποτε ο μονογενης υιος ο ων
εις τον κολπον του πατρος εκεινος εξηγησατο

僕はヨハネ福音書におけるイエスの神格化は3−4世紀の作業だと
思います。

403名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 07:15:57 ID:kVlwtkYa
それテキストが違うね
ネストレやUBSだと

1:18 θεον ουδεις εωρακεν πωποτε・
μονογενης θεος ο ων εις τον κολπον του πατρος
εκεινος εξηγησατο

ココモ異文だと「ο μονογενης υιος (ひとり子なる息子)」
UBSでは「μονογενης θεος(ひとり子なる神)」
404名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 07:45:28 ID:r+mtNWc0
ココモ異文はどこから来たの?
405名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 19:46:11 ID:aY3qdWKz
ちなみに岩波委員会訳新約聖書の「補注 用語解説 p46」

「わたしは/が・・・である 私は/が・・・である(εγω ειμι・・・)」の項に

ヨハネ福音書には、グノーシス文章以外に類例のない
補語としての象徴語句をともなった「私は・・・である」という
定式が繰り返し出てくる

とありますね

例えば
6:48 εγω ειμι ο αρτος της ζωης
など
406mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/18(木) 23:57:33 ID:+1Gd8irX
>>401
ありがとう また一つ賢くなった気がする。
グノーシスサイトず〜っと読んでいたけど、わたしには無理ちゅうのがわかった。

あーいう難しそうなものは、簡単で短い言葉で説明してくれるとありがたいんだな。
その点、ココモ先生はわかりやすく説明してくれるからありがたいですよ。
段落でまとめたり、( )があったりしてね。
407ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/19(金) 00:42:02 ID:8EirEyhg
>>403
だから、「神を見た者はいない」と「ひとり子(ナザレ村の大工)なる神」
が何の矛盾もなく成立するんだろ...何処かのアホが入れたに決まってる
だろ...ネストレやUBSを探った方が早いで...こういうものは
早いもの勝ちで、先にやった奴があたかも正しいとされるみたいだけど
後から調べたら、カスだったなんて言うのが多い...案の定
μονογενης θεος をやってら...もしかしたら πατρος もθεος
にしてへんか教えてチョ

408ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/19(金) 01:04:10 ID:8EirEyhg
>>403
僕はここに(ヨハネ福音書1/18)「一人子(なる神)」の(なる神)
を入れたアホは3〜4世紀だと思っていたけど、どうも中世〜近世みたい
ザンスね...もしかしてそれをしたのは「アホプロテ」ではござらん
か...こんな論理矛盾した言葉を平気で入れられるのはアホプロテ位か
もしれない...久しぶりに....わははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははは
ちゃんと調べなよ...
409ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/19(金) 01:24:13 ID:8EirEyhg
そういう分でね...ヨハネ福音書と言うのは、散々アホどもが
加筆・修正・削除で早い話が傷物福音書なんですよ...それが
早い段階で異端扱いされたグノーシスとは全然違うと言っても
それは違うに決まってるんですよ...アホが全然全然違う物に
してしまったものを読んで、全然違うと言っても何の意味もないんだよ

だから、トマスを原本にして原ヨハネを試みるんですよ(アホが傷物に
する前のヨハネ福音書...アレクサンドロスのギリシャ哲学被れの
文章を含むかどうかは各位の委ねます、3〜4世紀のローマ帝国による
加筆修正はクリスチャンとしても本来削除すべだと思います。中世の
アホ教団の加筆修正は世の中の良識として削除すべきだと思います)

僕がヨハネ福音書とトマス言行録に近似性があると言ったのは、僕なりに
原ヨハネを想定してトマス言行録(これは自分が一年位研究して翻訳した
事があるのでアホよりは一応理解していると自負している)との近似性が
あると言ってるだけです。
410名無しさん@3周年:2007/01/19(金) 09:54:40 ID:KX+lo5fG
ココモ異文は、Souter's Greek Textといっしょですね

http://www.bible-researcher.com/only-begotten.html

Souterの原文決定は、
What is more, the committee had a rather haphazard method for determining the original text,
allowing Hort (who generally favoured the Alexandrian text)
and Scrivener (who preferred a more Byzantine text) to state their cases,
then choosing between the two.

http://www.skypoint.com/~waltzmn/CriticalEds.html#Souter

無計画だったとありますね
アレクサンドリアテキストを選んだり
ビザンチウムテキストを選んだりと。

するとココモ異文の原テキストは
アレクサンドリアテキストかビザンチウムテキストかのいづれかで
現在の文献学では後代の修正と採用されてないということになりますね

実際のところはどうなのであろうか
411名無しさん@3周年:2007/01/19(金) 18:24:23 ID:s+CpcmdZ
舟の話と旧約の蛇に咬まれる奇跡は似ている。
弟子が聖書に明るい人ならばこのエピソードは成り立たなかった。
412キュロス:2007/01/19(金) 21:50:53 ID:m6vA8cNY
ヨハネ福音書は フィリピ2章6節以下のキリスト賛歌
を ふくらませた話のような気がするのだけど

神のような存在が => 人になり => また神になる
と言う 話の流れが 似てるような気がする 

話は変って
ヨハネ15章の 葡萄の木の喩え と
創世記40章の ヨセフの夢を解く話は 関係が有る様うな気がして
読んでいたら そこに

>40:13 三日のうちに、パロはあなたを呼び出し、
>あなたをもとの地位に戻すでしょう

こんな記述が有った つまり三日のうちに元の地位に戻すって。。。

ヨハネ福音書は モーセ五書と 関係が深いと思うよ。
413ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/20(土) 00:19:30 ID:eG3U5KVV
>>410
>現在の文献学では後代の修正と採用されてないということになりますね
Souterなんてオラ知らねぇ...と言うより、異文はともかくみんな
文献に値しない事にするんだろ...文献学なんて言う学問があんのけ

ヒントだけ教えるね、僕のソースは16世紀のgreek版だよ...
それはともかく、誰が何の利益があって「μονογενης θεος」を
「μονογενης υιος」 に修正する必要があんねん...キリスト教団は
「μονογενης υιος」を「μονογενης θεος」にしたいに決まってンだろ
さもなくば、もし幾つものソースがあれば「μονογενης θεος」の方が
良いに決まってるじゃん...その良いに決まってるソースがキリスト教団
では正規のソースになってるだけで、それ以外は根拠があろうと
なかろうと、修正されたものであり文献としての価値がないとするのが
キリスト教団よん...キリスト教団の十八番だよん...
414ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/20(土) 02:18:24 ID:eG3U5KVV
>>412
>ヨハネ福音書は モーセ五書と 関係が深いと思うよ。
こういう白痴に近いノータリンがプロテにはワンサカいると言う事だろ
創世記はあまねく、それ以降の旧約の編者も新約の編者もグノーシスの
編者もコーランにも影響を与えてるのは、よほどオツムが弱くなかったら
容易に推測できる事で、文章の類似性を言ったところで、テメエの幼児性
を暴露してるに過ぎない。こんな幼児は本当は摘み出したいんだけど
これもアホプロテの特徴なので晒しておきます。


415名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 12:44:09 ID:GhTXCgLs
御子を宿した母マリアは、嵐の舟と同義。
苦悩から集う教会も嵐の舟。
十字架単体と青銅の蛇を架けた竿は舟とは別の意義だな。
416名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 12:57:27 ID:GhTXCgLs
グノーシスを行う者の中にレビとか祭司は居たのかな。
417ゆみちゅん:2007/01/20(土) 13:10:04 ID:C6Eb7FTH
>412
通りすがり、チョイとお邪魔しますよ。
ヨハネ福音書は幕屋と関係ありです〜先ず犠牲となる小羊イエスを紹介し、水で清め 幕屋に入り、光なるキリストを紹介し、パンなるイエスを扱い、芳しき香りの主の最後の祈りから〜十字架の死により垂れ幕が裂け至聖所 復活しシェキナの光に包まれ天へ到る美しい構成です
418名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 13:18:05 ID:uu0NkOhO
優位なメスと劣位なオスの歴史

生物:生活能力のあるメスが生活能力のない矮小なオスを養う関係は生態系にはいくらでもある
それで、受精卵ができて、オスの精子が必要なくなる
すると、どのオスも追い出されるか、殺されるか、
メスの体内に吸収されるかのいずれかの運命になる

人類:人間も古代ではメスが優位
一例:アマゾンは狩猟民族で、狩猟の女神アルテミスを信仰していた
女のみの部族であるため子孫を残すためには男が必要である
このため時折捕虜として男を連れ帰ることがあった
捕虜となった男は全裸にされ手枷、足枷がつけられ子作りの道具として多数のアマゾンによって嬲られ精を搾られた
その結果、すぐに発狂するか廃人同然となり、男性機能が役に立たなくなった者から順に絞め殺された
男児が生まれた場合は即、生き埋めにして殺すか、不具として奴隷とする
女児の場合はそのまま戦士に育てた
こうしたメス優位な社会が古代ではごく当たり前であり、男は女に約5500万年間虐げられてきました
メス優位社会は母なる大地(女神崇拝)、自然崇拝が基本です

メス優位がオス優位?になったのは、キリストや仏陀や孔子などの男尊女卑思想登場前後からです
オス優位?社会は父なる天を崇拝、文明マンセーが基本です

ところが、昨今はフェミニスト(女尊男卑思想)によりまたメス優位となってきました
それにつれてメス本来の凶悪性が出てきました(オス優位?な時代ではおとなしくしていただけ、殴られちゃうからね
これらは、妻の夫殺しが年々ハイスピードで激増している事からも分かります
鬼嫁、熟年離婚、女だけ過剰な保護、貢ぐ君、不幸で悲惨な結婚生活、女子にのみ甘い判決、豪華な女子刑務所、金銭搾取、女優遇マスコミ、他多数

女の子は優しい?か弱い?(笑)メスは本来凶悪です。今後、更に男性差別が激しくなっていくでしょう。最終的にオスはメスの奴隷になります
オス優位な仕事場も、今後はどんどんメスに奪われていくでしょう(3k労働や兵役は残してくれるでしょうが・・・
こうして地位も経済力も生活力もやる気も無くしたオスをメスがどのように扱うかは上記を見れば分かります。
男性諸君!恋愛(避妊SEX)は楽しみつつ、不幸で悲惨な結婚生活は回避し、約5500万年間の恨みを晴らそう!
419名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 21:37:50 ID:GhTXCgLs
417
その現場を全ての立場の人が観ることができた。
神の側からの制限が無かったということなんだな。
420名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 12:04:00 ID:95ivhp/3
この二つのことが起きて、一つめを思い返すことによりその差が浮かびあがる。
この差はなんだろう
421ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/21(日) 16:14:33 ID:UdHe5+cs
イエスと神を関連付けてるもう一つの聖句はヨハネ福音書1/14だが
16世紀のギリシャ語版
και ο λογος σαρξ εγενετο και εσκηνωσεν εν
ημιν και εθεασαμεθα την δοξαν αυτου δοξαν
ως μονογενους παρα πατρος πληρης χαριτος
και αληθειας
新共同訳
言(ロゴス=神・理性・原理)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

そもそも、この1/14は後から挿入された文章なんだw...
1/1〜1/5・1/14・1/18 が後からの挿入
1/6〜1/13  原ヨハネ(洗礼者ヨハネの共同体にいた人の文章?)
 *ここで使われてる「言」は、挿入部に使われてる λογος ではない。
1/15〜1/17 (ここも後からの挿入かもしれない?)
それで、その挿入された部分を3〜4世紀以降、もしくは中世以降
にアホのキリスト教団が書き換えてるのが、今のヨハネ福音書ですだ
422ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/21(日) 16:15:17 ID:UdHe5+cs
>>421 続き
それはともかくとして
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」をキリスト教会的に
(肉=イエス)解釈したら、これを書いた人間のオツムを疑う事になるんよ
これを書いた人間は言(λογος)の意味を殆ど理解していない事になるんよ
そもそもイエス様の事を肉と呼ぶだろうか...「わたしたちの間に宿られた」
にしても、これを書いた時期にはすでに、イエスはいないよ...わたしたち
と言うのが、ごく限られた時代の限られた人達になって、その中にいただけ
になるんだよ...さらに「宿られた」わけじゃない、そのある時期に「生きた」
でしょ...
この「言」(ロゴス)は、「理性」の事なんですw...
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」は、
”神的な理は(理性として)肉体になり、わたしたち(人類)に
 (人間の属性として)宿った” と言う意味なんすね。
それで、「わたしたちはその栄光を見た。」の「栄光」は、人類に
理性が宿った事を言ってるのであって、イエスの事を言ってるのでは
ありません。(その時のイエスは、十字架の受難があるだけで、到底
「栄光」とは言える物ではない)...
それで、その次の「それは父の独り子としての栄光であって、恵みと
真理とに満ちていた。」が、3〜4世紀以降の書き足しではないか
と言うのが、僕の推論ですw

423キュロス:2007/01/21(日) 17:37:36 ID:Fl1Binwb
ピリピ 2章6節
>キリストは、神の形のうちにあったが、
>神と等しくあるこ、固執するべきものとはみなさず

これはパウロが 当時の既存の賛歌を引用した箇所だと言われている。
この賛歌は 「良いものが 悪くなり より良いもの」という 構成になっている。

これは 出エジプト から バビロン捕囚 そして バビロンからの解放 という
良い状態が 悪くなり そして以前よりより良い状態になる 聖書の歴史観が
表れているから この賛歌を創り出した人々は ユダヤ人だろうね。

まあ これは キリストが天地創造以前から存在する神的存在だとする信仰が
かなり初期からあった証明だね。

上の方で書いたけど 当時のユダヤ人には 神的存在が在る という気分は
あったわけで その気分の上にキリストを神とする信仰が広がっていった
と考えるほうが 自然だと思いますよ。  
424キュロス:2007/01/21(日) 18:09:03 ID:Fl1Binwb
マタイ福音書  6章12節 新改訳
>私たちの負いめをお赦しください。
>私たちも、私たちに負いめの
>ある人たちを赦しました。

ルカ福音書  11章4節 新改訳
> わたしたちの罪を赦してください、
> わたしたちも自分に負い目のある人を
>皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」


いわゆる主の祈りの 並行箇所
>われらに罪を犯すものを我らが赦すごとく
>われらの罪を赦したまえ

マタイ福音書とルカ福音書の 主の祈りは 罪を赦してください
という 神に対する願いが 先に祈られている。

しかし いわゆる主の祈りでは 人間の他者を赦すという行為が
先に神に対して宣言されてから 次ぎに人の罪の赦しという 願いが祈られている。

祈りの内容は 同じことを祈っているのだけど
神に対する 人の罪の赦し という願いよりも先に
人が他者に受けた罪を赦す ことが先に宣言される
と言うのは いかがなものかと。。。
425キュロス:2007/01/21(日) 21:26:36 ID:Fl1Binwb
>>424
マタイ福音書やルカ福音書の 主の祈りが

人間の神に対する罪の赦しの願いが 先に来て
人間同士の 罪の赦し合いが その次にきている。

この順序は 旧約の十戒の 順序なんだと思うよ。
十戒では まず人間の神に対す戒めが 列挙され
ついで 人の人に対する戒めが 並んでいる。

つまり マタイ・ルカ福音書の 主の祈りの
罪の赦しの願いは 十戒の罪 なんだね。
426ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/21(日) 22:21:38 ID:UdHe5+cs
それで、イエスの神性を示してると言われてる最後の聖句ですが
コロサイ書簡1/15−17
16世紀のギリシャ語で
ος εστιν εικων του θεου του αορατου πρωτοτοκος πασης
κτισεως οτι εν αυτω εκτισθη τα παντα τα εν τοις
ουρανοις και τα επι της γης τα ορατα και τα αορατα
ειτε θρονοι ειτε κυριοτητες ειτε αρχαι ειτε εξουσιαι
τα παντα δι αυτου και εις αυτον εκτισται
και αυτος εστιν προ παντων και τα παντα εν αυτω
συνεστηκεν
新共同訳
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方
です。
天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も
主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。
つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。
御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって
支えられています。

まるで、パウロ書簡とヨハネ福音書を足して2で割った様な文章ですが
...キリスト教団はコロサイ書簡をパウロの自筆だとしていて、
このヨハネ福音書の化現説(?)が、パウロからあったかの如く言いますが
コロサイ書簡はパウロの直筆ではありません。むしろユダヤ戦争以後の
AD80〜90年頃のパウロ派左派の教会の文章だと思います。
もしかしたら、AD80年代のギリシャの教会で、この様な化現説が
あって、それがヨハネ福音書の編者に影響して、ロゴスとしての化現説に
化けた可能性があります。
さらにこの化現説の部分はもしかしたら3〜4世紀の加筆かも知れません。
少なくともパウロ自身に化現説があったとするのは困難だと思います。
427ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/21(日) 22:36:50 ID:UdHe5+cs
そういうわけで、もしイエス・キリストが神であると言う事が
クリスチャンの必須条件であるならば、それはイエスや弟子達も、
聖書編者の殆ども(特にユダヤ系の編者は尽く)、グノーシスの
各派の人達も、当時の民衆達も、当時の信者達も殆どが
クリスチャンとは言えないだろうと思われます。
AD80年以降に異邦人系の教会・異邦人文化に同化しようとした
教会の中の幾つかの教会の人達がイエス・キリストを神と同じだと
考えたらしい(それでも、ユダヤ教の神YHWHの様な絶対的な
神ではない)と言えそうです。それが、3〜4世紀になって、政治的な
圧力で、強引にイエス・キリストは神だと言う施策によって、神様イエス
・キリストがキリスト教の基本ドクマになったんだろうと思います。
428名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 23:20:33 ID:UmR9jx2s
>>421
ココモ君はギリシア語わからんのか、その箇所のテキストはUBSでも
同じだが、ココモ君の行の切り方が意味不明。

και ο λογος σαρξ εγενετο そしてロゴスは肉(人間)となった。
και εσκηνωσεν εν ημιν,  そして私達のうちに宿った。
και εθεασαμεθα την δοξαν αυτου,そして彼の栄光を私たちは見た。
δοξαν ως μονογενους παρα πατρος,(それは)父のひとり子としての栄光で
πληρης χαριτος και αληθειας.恵みとまことに満ちていた。

σαρξは「肉」と訳されているのだが、第一の意味は肉なのでそれでマチガイ
ではないが、ココモ君みたいに読みたければ、「人間」と訳せばいいね。

ヘブライ的表現では「肉」という語で「人」を表すらしく
それに影響された例は使徒2:17でもそうで普通「人」と訳されている。

しかし前後の文脈からはロゴスはイエスだと私は思う。
ヨハネ編纂者のロゴス論は イエスの神格化であると
429ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/21(日) 23:25:09 ID:UdHe5+cs
トマスによる福音書14節
ココモ訳
弟子たちがイエスに言った。”あなたがわたしたちから去っていかれること
をわたしたちは知っています。だれがわたしたちの上に長となるのでしょうか”
イエスは彼らに言われた。”あなたがたが行く場所で、義人ヤコブのもとに
行くがよい。(天も地も彼のゆえに造られたのである)”。

グノーシスに現代のクリスチャン並みのアホがいたら、ヤコブ様が神様
になってるべ。「義の人ヤコブの為に天も地も造られたのである」と
書かれていたら、何処かのアホグノーシスが、聖書にヤコブは天と地の
創造主だって書かれてるぞって言い出しかねない...グノーシスに
そんなアホはいなかったと思うけど...現代のアホキリスト教徒は
そのくらいの事を言い出しかねないよ...ヨハネ福音書もコロサイ書簡も
その位の根拠にしかならんw...わはははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははははは
430ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/21(日) 23:31:21 ID:UdHe5+cs
>>428
悪いけどアホは無視するよ...もう一度 >>422 をチャント
読み直してね...
431名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 23:31:46 ID:UmR9jx2s
>>423

重要な点でミスを犯されていると思う。
キリスト賛歌を引用したパウロの論旨は
『イエス・キリストは主なり』です。
「キリストは神なり」(神と等しくある)は、パウロ引用のキリスト賛歌では
完全否定されている。
432名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 00:03:52 ID:fbADX4Qq
神と主は、父と子であると示してるんでしょ。
433名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 00:06:57 ID:sInZgrjB
コロサイ書をパウロの自筆だとする教会はかなりの保守。
新共同訳註解で聖心の宇佐美氏ですら、偽書説が支配的と紹介している。
宇佐美本人は真書説。
新共同略解では国際基督大の永田教授が端的に
「パウロの死後、パウロの弟子の一人がパウロの名によって送った」とし
真正書簡ではないと区別している。59-60年説
岩波委員会訳では保坂氏が
偽書の可能性を指摘する学者が多いと紹介し、
60年代前半説

信仰者向けで言うと
フランシスコ会訳がパウロの弟子エパフラスの代筆。
新共同ライフスタディ版が
パウロの死後(64.65年ごろ)、パウロの弟子が師の名前で書いたとしながら
信仰者に配慮してこの時代弟子が師の名前で手紙を書き、
師を称えるのは普通のことだとフォローしている。
新教出版の新共同聖書辞典は、パウロの真正の手紙(獄中書簡)と断定し、
グノーシス異端排撃のために書かれたとしている。

新教出版の新共同聖書辞典までくると学問を無視したトンデモ本に近い。
434名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 00:08:55 ID:sInZgrjB
主=神だから、パウロは、イエスを神と考えたとするのは
後代のキリスト教の与太話でまったくの客観性がない。

パウロは、イエス・キリストを神としていない
435ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/22(月) 00:19:32 ID:EIK8bfto
>>428
お前も「アホプロテ」だろ、切り返し方で判るので、また晒し者にするか
>ココモ君はギリシア語わからんのか、その箇所のテキストはUBSでも
>同じだが、ココモ君の行の切り方が意味不明。
436ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/22(月) 00:21:22 ID:EIK8bfto
>ココモ君はギリシア語わからんのか、その箇所のテキストはUBSでも
>同じだが、ココモ君の行の切り方が意味不明。
437ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/22(月) 00:25:23 ID:EIK8bfto
>ココモ君はギリシア語わからんのか、その箇所のテキストはUBSでも
>同じだが、ココモ君の行の切り方が意味不明。
438名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 00:34:58 ID:eMIjaq4p
>>434

>主=神だから、パウロは、イエスを神と考えたとするのは
>後代のキリスト教の与太話でまったくの客観性がない。

そうなんですか?

かつてヘブライ語での神名をあらわすYHWHはあまりに神聖であるためそのまま発音されず、
代わりに「主人、主」を意味する「アドナイ」と発音(ケレ)された、と聞きます。

この
「神名を「主」と読み替える」
ことは「不変の読み替え(ケレ・ペルペトゥム)」と呼ばれ、朗読者の間で周知の事柄であったとも聞きます。

ギリシャ語七十人訳はこの伝統をふまえ、神の名をそのまま「主(ギリシャ語キュリオスκυριοσ)」と訳しているそうで。

聖書の記者がイエスを「主」と言うとき、もちろんこの
「七十人訳における「主」の用語法」
を念頭に置いていた、と思うのですが。

つまり
「イエス・キリストは主である」とは、
「イエス・キリストは旧約聖書においてその名を「YHWH」と書かれた方と同じだ」
という意味ではないでしょうか。

439名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 01:22:12 ID:fbADX4Qq
守護霊 超越者 創造主
440名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 01:26:06 ID:fbADX4Qq
YHWHはどの神と仰ったのかな。
441名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 01:40:41 ID:fbADX4Qq
唯一の神であることの対象は異教の神だよな。
あと世の始めからあると。
442名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 02:10:19 ID:fbADX4Qq
主は、主である神であって、主を他の神とするのはおかしい。
神の定義に先入観があってはならんな。
443名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 02:32:29 ID:fbADX4Qq
異教の対象でない神はなんであるのか。
444名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 02:34:54 ID:fbADX4Qq
異教の対象ではない所で神はどのように表現されているのか。
445名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 02:56:46 ID:sInZgrjB
>>438

違います。
元々ギリシア語κυριοςは、κυρος(権力)という形容詞から派生して、
奴隷などの財産所有者、持ち主、主人という意味です。

70人訳でアドナイがκυριοςと訳されたのはそのとおりです。

多くの場合、新約では神とキリストに対してκυριοςと言っていますが
例えば使徒25:26では、ロマ皇帝に対してκυριοςと言っています。

κυριος(主)と言っているからといって神ではありません。
446名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 03:01:23 ID:sInZgrjB
イエス・キリストに対するκυριοςを 「神」と読み込むのは、
三一論以降のキリスト教ドグマの読み替えにすぎません。

パウロは、むしろ主イエス・キリストの信仰を通してしか
神の信仰は持ってないと言っていますので
確実にイエス・キリストを神と考えていません。
447名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 16:37:55 ID:fbADX4Qq
三一論以前から既に、三一論は奥義としてあった。
そう考えるのが本筋
448キュロス:2007/01/22(月) 21:52:09 ID:Gej+2iZL
ピリピ 2章9節〜 11節 新改訳
>それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
>それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、
>地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
>すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。

この箇所では 「神と等しくある」(2章6節後半 岩波訳)キリストが 神によって
一段と高い位置に挙げられた と言っているね。

2章6節後半の「神と等しくある」キリストが 天使のような神と人間との中間に位置
するの存在だとしても 2章9節で神のよって 以前の状態より高い位置に挙げられた
と言っているのだから 中間状態より 神の側に引き寄せられたのだろう。

これは 天使的存在を神にした という いわゆる養子論だよ。 
449mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/22(月) 23:59:23 ID:jSlfl1og
>>424
> 神に対する 人の罪の赦し という願いよりも先に
> 人が他者に受けた罪を赦す ことが先に宣言される
> と言うのは いかがなものかと。。。

そうそ 絶対、成立不可能な取引みたいな感じする。
なんでそういう順番なのか、昔から知りたかったんだわ。
450ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/23(火) 01:19:35 ID:wHYH/w6x
>>449
それが、聖書の遍者の疑問なのか馬鹿どもの教団の信者の疑問なのか
と言うと、馬鹿どもの教団の信者の疑問なんですよ...聖書の編者は
今の人間が納得はしないだろうが、少なくとも当時の編者としては
これしかないだろと言う物を書いてますよ...それを今の馬鹿どもが
読み取れないだけで、勝手に教団の教えに従って考えるから不合理で何
の結論も得られないで終わってしまうんだよ
451名無しさん@3周年:2007/01/23(火) 03:36:21 ID:Z/EKn1u7
順番については理にかなった解説を最近聞いたけど忘れた。
452名無しさん@3周年:2007/01/23(火) 08:01:51 ID:WnAKSOcs
>神は、キリストを高く上げて

「高挙のイエス」パウロの根幹なんですわ。
高挙されて神の右に座す。

ヨハネは、最初から神(ロゴス)で人となった。
降下の神ですね。

2:6 ος εν μορφη θεου υπαρχων
ουχ αρπαγμον ηγησατο το ειναι ισα θεω

οςこの者(関係代名詞でキリストを指す)
εν前置詞(+与格 〜中で、〜を用いて)
μορφη女性名詞(主格or与格or呼格ここでは与格)形、形態、姿
θεου属格(神の)
υπαρχων(一般的には、存在する、ある、備わっている、手近にある
    (+与格の場合)〜の所有に属する、〜所属する。
ισα 副詞的に 〜に等しく
θεω神に
ειναι 「ある」の現在分詞
ουχ客観的否定
αρπαγμον(単数・対格) 強奪、奪取、強奪品、
    (強引に手に入れたので)手放したくない獲物
ηγησατο(一過・直・三単)と思わなかった と見なさなかった

この者(キリスト)は、神の形に所属したが、
神に等しくあることを
(強引に手に入れ)手放したくないモノと思わなかった。

「神と等しくある」をここではαρπαγμον強奪品とみなし否定している。
つまり、文鮮明とかカルト教祖は自分を神格化するのだが、
ここで神格化は強奪品と痛烈に否定されている
453mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/23(火) 22:51:59 ID:+LsaOfNO
>>451
> 順番については理にかなった解説を最近聞いたけど忘れた。

最近聞いたことであれば、早く思い出してくださいな
でないと、老化を促進しますよ。

救いとは人を許すことができること。って聞いたけど前後の詳細は忘れた。
454名無しさん@3周年:2007/01/24(水) 13:02:41 ID:v9XDZWwS
ダニエルって女性なんだって。
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1166098948/546
455名無しさん@3周年:2007/01/24(水) 14:15:07 ID:Zjeu5TG0
男性名で一人称が僕だったからてっきり誤解しとったわ。
456キュロス:2007/01/24(水) 21:56:18 ID:7KTjuR/X
ローマ 8章34節 新共同 
> だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、
>復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、
>わたしたちのために執り成してくださるのです。

同箇所 岩波訳
>断罪するのはだれか、死んだ方、非、むしろ[その死から]起こされた方であるキリスト
>こそが、まさに神の右にあり、また私たちのために取り成しをしてくださる方なのである。

まあ パウロにとっての キリスト とは「神の右に座す」キリストではなく
「十字架につけられたキリスト」なんだね。

そして パウロは キリストと共に十字架に掛かっているんだね。

ガラテヤ 新共同
>2:19 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。
>わたしは、キリストと共に十字架につけられています。

まあ このへんが いわゆる「十字架の神学」なんだね。
457処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/01/24(水) 23:31:46 ID:mNJIwX39
人は二人の主に仕えることは出来ない。一方を敬い、もう一方を軽んじ
るからである。

この世の国に安住してる連中が俺を頼みにすんなや。殺されんだぞ、
ゴラ。
458名無しさん@3周年:2007/01/25(木) 07:08:27 ID:PVmLi+VF
>>456

なんのギャグか論旨がわからん。
口語訳
ローマ 8:34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、
神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。

τις ο κατακρινων;        罪に定める者は誰か
χριστος [ιησους] ο αποθανων,  キリスト(イエス)は死んだ方、
μαλλον δε εγερθεις,       むしろ、否、起こされた方(であり)
ος και εστιν εν δεξια του θεου, 神の右にある方であり
ος και εντυγχανει υπερ ημων.  また私達のために執り成している。

ロマ書のこの方でパウロは、キリストは、
神の右にあって(つまり神の右に座し)、
私達のために執り成していると言っているのだが、
この「神の右の座」は、十字架・復活の延長線上にあり
パウロにあっては矛盾していない。

キュロス君の理解では
「神の右に座す」と「十字架の神学」は対立するのかもだが
キリストと共に十字架にかかっているのは
「2:19神に対して生きるため」だね
そのために一旦「古い律法に死んだ=十字架」という論旨だね


459キュロス:2007/01/25(木) 18:49:12 ID:c4OSoMPu
ガラテヤ 3章1節
>ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑
>わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた
>姿ではっきり示されたではないか。

だからさ パウロに直接 顕現したイエス・キリストは
「神の右に座し」ている のではなく 「十字に掛かってる」
わけよ。

その十字架に掛かったままで 「神に執り成し」をしてるわけよ。
460名無しさん@3周年:2007/01/25(木) 20:01:48 ID:rpD7QIMY
αποθανωνって「死ぬ」の過去分詞 男性単数なんだよ
「死ぬ」という動詞を過去形にして男性名詞化した。
だからοと男性定冠詞がついている。
「キリストイエスは死んだ方」←これが「十字架」のことだね。
続いてμαλλονは、μαλαまったくの比較級で、
δεは後置の強い否定の接続詞だね
「キリストイエスは死んだ方」=十字架よりむしろ
「起こされた方」(復活)なんだと言っているわけだね。
その「起こされた方」(復活)が
「そして〜という方」であり「そして〜という方」という構文だね
ος関係代名詞(〜方) καιそしてという接続詞。

つまり「十字架で死んだ方」というより
「復活した方」だよ。
「復活した方」は
「神の右に座している方」であり「神に執り成している方」だ、
と書かれていますね。

1.十字架に架かったままで執り成していると書かれていないし、
2.神の右に座してないのだ、十字架に架かったままだとも書かれてない。

キミの信仰はキミの自由だし、聖句を好きに読まれてよいが、
書かれてない。
461キュロス:2007/01/25(木) 20:51:35 ID:coAUF6on
>>460
1コリント 2章2節
> なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、
>何も知るまいと心に決めていたからです

この箇所の「十字架につけられた」という形容詞は 
「十字架につける」の 受動態 現在完了分詞 なんだよね。
これは 「完了した動作が今も継続していることを、強調している」(岩波訳新約聖書の脚注)
そして この語はパウロが 1コリント1:23 2:2 ガラテヤ3:1 で使っている。

だから パウロのイエス・キリストは 今も十字架に掛かっている のだよ。

>「キリストイエスは死んだ方」←これが「十字架」のことだね。

それと 十字架と死を 結びつけているのは新約聖書の中で ピリピ2章8節 だけらしいね。
そして それはパウロの加筆だと考えることができるらしいね。

だとすれば 十字架と死を結びつけるのなら そのイエスの「十字架」もイエスの「死」も
一般的なキリスト教信仰の公式から解釈するのではなく
パウロのイエスの「十字架」とイエスの「死」 の理屈で考えるべきだろうね。
462ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/25(木) 21:45:14 ID:RaKpYhef
「聖書は神の言葉です。」...クリスチャンはこの言葉が好き
なんですかね...僕なんかは全部編者の言葉だと思いますが...
そんな水掛け論してても仕方ないので、少しずつ神の言葉の様に
表現されてる物を取り上げて、果たして
 1..聖書全部が神の言葉が語られてるかどうか
 2..本当に神の言葉かどうかの真偽
 3..言葉に思想の一貫性があるかどうか
 4..信者が言ってる事と矛盾しないかどうか
 5..誰に対して言ってるのか
 6..どういう神様なのか
あたりから、突っついてみたいと思います。
463キュロス:2007/01/25(木) 21:47:53 ID:coAUF6on
ヨハネ福  15章1節 新改訳
>わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

これは ヨハネ福音書のイエスの台詞 なのだけど、
だれも イエスのことを ぶどうの木 だと思う人は居ないよね。
ヨハネ福音書は この手の比喩を使った表現が多いから 一応すべて疑って読むほうが良いと思うよ。
批判的に読む っていうのかな。

一般的なキリスト教の公式に合うような表現は 特に批判的になったほうが良いと思うよ。

まあ 話は かわって 葡萄の木は地に根をはって動かないよね。
逆に言えば 地に根をはっているから実を むすべるのだよね。
地から切り離されたら 枯れるだけだよね。

つまり イエスは 天と地 の地に居るからこそ 実を結べるのかね?
464mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/25(木) 22:53:49 ID:x7EB/P45
パウロが言う「主は仰せられる」、と言うフレーズ何故か好きだなぁ。
465名無しさん@3周年:2007/01/25(木) 23:03:52 ID:rpD7QIMY
>>461
ちなみにパウロの手紙の「σταυροω」「συσταυροω」は以下の通り
過去
ローマ6:6 συνεσταυρωθη 一過・直・三単・受συσταυροω
1こり1:13 εσταυρωθη一過・直・三単・受σταυροω
1コリント 2:8εσταυρωσαν一過・直・三複
2こり13:4εσταυρωθη一過・直・三単・受
ガラ5:24εσταυρωσαν一過・直・三複
現在完了分詞

1コリ1:23 εσταυρωμενον 対格 単・男・現完分・受
1コリ2:2 εσταυρωμενον対格 単・男・現完分・受
ガラ3:1εσταυρωμενος 主格 単・男・現完分・受

現在完了
ガラ2:19συνεσταυρωμαι 完・直 一単・受

決して現在完了だけではなく過去も使われている。
岩波訳だとガラ2:19の注にそのことに端的に触れ、
ロマ6:6では一回行為を表すアオリストが使われていると指摘している。

全体を読まず 一部分だけを取り上げ 全部と解釈するのはどうかと
思うがね。

問題は、現在完了や現在完了分詞が使われている意味は何かだね。
その文脈に即した読みが基本だね
466名無しさん@3周年:2007/01/25(木) 23:54:34 ID:B03Sc1LU
ここではワザと奇少な選択を提示しているような気がする。

丁寧にデッサンを描かないように避けながら、
無作為的に、全体像への様々な要素を収集する作業をしている
ようにみえる。

キュロヌは真に基礎研究をしている感じ。
467名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 00:19:24 ID:ewudbZOh
現在完了は、「完了した動作が今も継続している」というより、厳密には
「動作が既に完了したものと捉え、その動作(の効果・影響・結果)が存続している
視点から眺めている」のですが、この基本パターン以外にも、
結果存続に力点を置いた使われた方や逆に成就・達成に重点を置く場合もある。
完了の意味が強まるパターンに劇的完了というのがある。
過去の出来事を生々しく印象づけるために、現在完了が用いられる場合である。
パウロでは例えば2コリ2:13や12:17がその例であり、パウロも使っていた。
1コリ1:23 ,2:2は劇的完了と訳してまったく問題がない箇所だね。

さてガラテア2:19と3:1.
これは岩波訳の解釈(青野さん)はユニークだと思うが、
これもまた劇的完了と訳してまったく問題がない。

但しパウロが十字架を現在まで継続しているものとしてだけ捉えたのではないことは
ロマ6:6他で明々白々。

>>466

文法をちと齧ってから モノ言ったほうがええと思うがね
468名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 07:45:53 ID:/5Xx6djh
あくまで継続に拘る場合、何が継続しているのかが大事。

劇的完了が「過去の出来事を生々しく印象づけるため」なので
過去と訳されていても、更に厳密には行為の結果かがなんらかの形で
継続しているニュアンスはあるはずともいえる。
しかも現在完了分詞では、現在完了分詞の行為が過去に完了していて
更にその結果が主動詞の時点まで存続しているはずなわけだ。

「十字架につけられた」は過去に完了したできごとだが
「キリスト・イエスが十字架につけられた意味(結果)」つまり『贖い』は
現在まで継続しているというニュアンスがあるとパウロは考えたというの
が穏当であろう。
469名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 08:06:29 ID:/5Xx6djh
1コリ1:23「十字架につけられたキリスト」の何が継続しているのか、
1:30に端的に示されている。「神から智慧」=「義と聖と贖い」である。

ガラ2:19の「十字架につけられた」は、継続ニュアンスが強いと私も思う。
ここの論点は「古い律法の義」で人は救われるのか
「新しいキリストへの信仰で義とされるのか」である。
新しいキリスト信仰という生き様は、
古い律法遵守からすると不義であり、罪であり、十字架なのである。
その十字架にキリストと共につけられてしまっているわけだ。

但し、ロマ6:6では「共に十字架にかけられた」という語は
アオリスト、つまり過去一度きりの出来事として書かれている

今もイエスを十字架に掛けているのは、パウロではなく
キュロス君であり、現代のキリスト教である。
パウロにその意図はなく、強調点が違う
470名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 13:13:13 ID:XMcAInKm
>>463

岩波委員会訳を お持ちならば 補注にきちんと説明してあるよね。
ヨハネ15:1「εγω ειμι」 は、「私は〜である」という定式だけども
これはヨハネ福音書の他ではグノーシス文章だけに見られる
補語としての象徴語句を伴った定式だね。

イエスの言葉として作ってあるれども
作ったのはキリスト教グノーシスだね。

カルトが信者を脅迫支配するために好んで悪用しそうな箇所だね
471キュロス:2007/01/26(金) 19:05:30 ID:qaqR/Tdb
ローマ 8章34節 文語訳
>誰がこれを罪に定めん、死にて蘇り給ひしキリスト・イエスは神の右に
>在(いま)して、我らの為に執成し給うなり。

同箇所 口語訳
>だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、
>よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さ
>るのである。

同箇所 新共同
>だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、
>復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、
>わたしたちのために執り成してくださるのです。

同箇所 岩波訳
>断罪するのはだれか、死んだ方、非、むしろ[その死から]起こされた
>方であるキリストこそが、まさに神の右にあり、また私たちのために取
>り成しをしてくださる方なのである。

文語訳では 座っていない キリストが 口語訳では 座った。
472ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/26(金) 19:19:52 ID:NReKszRL
神の言葉−2
聖書で神の御言葉を探すのは大変ナンス、神で探すと五万と
出てくるし、その聖句を読むだけで大変な時間を要します。
神の言葉の時は「神は******と言った」と言うのが
聖書の翻訳の特徴ですので、これである程度絞れますね...
ですが、「神は」と言っても必ずしも発言とは限らない...
それで、とりあえずこれだけ絞って、後は聖句を読んでみま
しょう。ところで、「神は」で検索したものと「主は」で
検索してみたんですが、実はそのどちらも一言も書かれて
ない聖書がありました。聖書は神の言葉などと言いながら
実は神様の発言など一言も書かれてない聖書が幾つも含まれ
てる事が判りました。

神は
旧約
エステル 雅歌 エレミヤ哀歌 ナホム ハガイ
新約
フィレモン 2ヨハネ 3ヨハネ  ユダ

主は
ネヘミヤ  エステル 雅歌

ガラテア  コロサイ 1テモテ テトス フィレモン
1ヨハネ  2ヨハネ 3ヨハネ
473ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/26(金) 19:29:44 ID:NReKszRL
神の言葉−3 創世記冒頭のP文書から(1/1〜2/3)
論評は次に行います。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。
神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実を
  つける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。
神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、
  日や年のしるしとなれ。
神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は
  地の上に増えよ。」
神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣を
  それぞれに産み出せ。」そのようになった。
神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、
  空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
  海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、
  すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
474名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 19:33:32 ID:KpSOGOjk
>>471

キュロス君 君のギャグだが、
ギリシア語ではεστινなので「ある」が直訳だね
文語・岩波が直訳風味で、口語・新共同の「座す」は、キリスト用語風味だね

例えば「十字架」と訳される語に「十字架」の意味はない「杭」だね。
だからといって「十字架」が間違った訳とはならん。

愚にもつかんギャグは 私を笑わすためなのかね
それとも何か意図があるのかね
475名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 19:36:04 ID:KpSOGOjk
ちなみに創世記冒頭の神は 複数形なので 神々だね
476ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/26(金) 19:48:53 ID:NReKszRL
神の言葉−4 創世記冒頭のP文書から(1/1〜2/3)
創世記の冒頭の神の言葉は、言うまでもなく天地創造の言葉です。
これを読んでて疑問に思うのは、神(エロヒム)は一体誰に対して
言葉を発してるのでしょうか...読み並べると判ると思いますが
神が言葉を発すると天地がその通りに創造されるんですね...
キリスト教徒のある人は「神が神に命令してる」とも言いますし
(それじゃ独り言か?...声を発する必要もあるまい)
多神の神が存在するのか?などとも考える人もいます。
ここが、ギリシャ哲学的に言うと、神の命令により天地を創造する
理(ロゴス)があると言う事ですし。グノーシス的に言うと、デーミ
ウルゴスである神が、それを超越した至高神(理)iに頼んでると
言う考えになります。それで、実は現代人の多くはこの考え方を
持ってる人が多いと思います。これを書いた人にとっては天地創造の
偉大な神でしょうが、人によっては、ただ天地創造のデザイナー
に過ぎない、そのデザインにより天地が実際に創造される場が
あった、その方が大変な事であると考えるんですね...
477キュロス:2007/01/26(金) 20:04:15 ID:qaqR/Tdb
>今もイエスを十字架に掛けているのは、パウロではなく
>キュロス君であり、現代のキリスト教である。
>パウロにその意図はなく、強調点が違う

まあ そういうことなんだね。
確かにオレは イエス・キリストを十字架に掛けている。
それは 間違いのない事実だ。

パウロもオレと同意見だとおもよ。

まあ このへんは信仰の問題だ。
478キュロス:2007/01/26(金) 20:06:58 ID:qaqR/Tdb
>>474
しかし なぜ そうも新共同訳の 弁護をするのか?
が疑問だね。
479名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 20:07:58 ID:KpSOGOjk
>信仰の問題

それだとキュロス君の自由だ。
キュロス君はキュロス君の読みでいいのだよ
私にはこうとしか読めない こう読む、と
480名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 20:10:02 ID:KpSOGOjk
新共同訳を別段 弁護しとらんぞ

新約に関して言えば 私の本音は
口語 新共同 新改訳 岩波の訳は大差ない

私はむしろ ギリシア語テキストに関心がある
481キュロス:2007/01/26(金) 20:13:32 ID:qaqR/Tdb
>>480
ルナン的な イエス が好きでしょ?
482名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 20:30:47 ID:KpSOGOjk
ルナン的のイメージは
史的イエス?
ヨハネ書に批判的な点?
ロマン的なイエス?
近代人感覚の人間イエス?

どのイメージで私が好きだと思ったん?
483キュロス:2007/01/26(金) 20:43:40 ID:qaqR/Tdb
>>482
>ロマン的なイエス?

いつも 弱いもに優しいく 愛にあふれているイエス
484ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/26(金) 20:53:09 ID:NReKszRL
神の言葉−5 創世記冒頭のJ資料から(2/3−4/26)
また書評は、次にします。
主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。
取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」
   女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、
   あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。
   お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
   お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた
   木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
   お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。
   今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。
主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。
   「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」
   主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられ
485名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 21:01:25 ID:KpSOGOjk
キライじゃないが、同時に
イエスは 宗教を嵩に来て他者を裁く善人に心底
神に対する冒涜だと怒ったのだと思うね
それと、陽気な大酒飲みのイメージもあるねー
弱さにくじけそうになりながら祈るイエスとか
女性にとても優しいイエス、
癒しをするイエス、
異邦人女性の信仰の深さに自分の狭さを破るイエスとか
いろんなイメージをもっているよ
486ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/26(金) 21:05:19 ID:NReKszRL
神の言葉−6 創世記冒頭のJ資料から(2/3−4/26)
J資料の神の発言は、P資料の発言と全く違うでしょ...
発言する相手が、具体的な個々の対象(アダムだったりイブ
だったり、蛇やカインだったり)で、誰が相手か判らないのは
最初の2つ位のものザンス。
それとP資料の様な高尚な言葉じゃなくて、「何々しろ」とか
「何々してはならぬ」とか「お前は***する」とか...
アダムに向かって「お前は何処にいるんだ」なんて、到底
天地創造の神様などとは言えませんなぁ...
これが、もともとのユダヤ民族にとっての神様だったんですよ
その民族がバビロン捕因によって、バビロンの神学(その他の
学問?)を吸収して高度に発展したのがP資料なんですね...
487キュロス:2007/01/26(金) 21:18:23 ID:qaqR/Tdb
>>485
>イエスは 宗教を嵩に来て他者を裁く善人に心底
>神に対する冒涜だと怒ったのだと思うね

愛しているから 怒るのじゃないかな?
イエスは 罪人を招くんのだよね
だとすれば イエスの周囲に居た 罪人とは ファリサイ派とその律法学者だよね。

マタイ福音書 13章15節末尾 とルカ福音書 28章27節末尾 の 70人訳の引用のは
「しかし 私は彼らを癒す」とも訳せるらしいよ。
488キュロス:2007/01/26(金) 21:30:36 ID:qaqR/Tdb
>>487
なんでもね 直説法の動詞を 接続法であるかのように 理解するのは無理がある
らしいよ。

保守的な 注解書や辞書には どう書いてあるか知らないけど。
489キュロス:2007/01/26(金) 21:50:49 ID:qaqR/Tdb
>>487

使徒の働き 新改訳 28章28節
>そこで、あなたがたは知っておくがよい。神のこの救の言葉は、異邦人に送られたのだ。
>彼らは、これに聞きしたがうであろう」。

そう ルカ福音書ではなく 使徒の働き に修正ね。

だから この「彼ら」を 異邦人ではなく ユダヤ人のこと だとすれば
イザヤの引用の末尾が 「いやされる ためである」 でもの 問題はないよね。

それに 使徒の働き・ルカ文書の最後を ユダヤ人に対する呪いの言葉 で終わらせる
って筋書きを ルカ がするかね。

490名無しさん@3周年:2007/01/26(金) 23:44:33 ID:KpSOGOjk
ごめん 意味がわからん

使徒27:28の末尾は「και ιασομαι αυτους」だが

「そして 私が癒す 彼らを」だけども。。。

καιは、第一に「〜と、そして、また」などandの意味だが
二番目の意味として反意的に「しかるに、しかも、しかし」とも訳せるね
ただ構文的にはκαι・・・καιと続いているので
わざわざ反意に取る意味がわからんが。。。
491ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 00:02:04 ID:NReKszRL
神に帰る...無心論者...
聖書には確かにこの言葉があります。使徒言行録だったかな
ペテロがエルサレムの使途会議で、神に帰ろうとしている
異邦人に「くびき」を造ってはならぬと発言しています。

一般の有識者は、キリスト教徒が言ってる「神」なんか情けなくて
到底信じる分にはいかない。神様とはもっと奥ゆかしく、威厳が
あって物事の真理そのものであると考えてるんですよ...キリスト
教のアホが言ってる「神」なんか到底信じる対象にはなり得ない...

それで、アホ信者はこの様な一般有識者を「無心論者」と言ってるん
だけど、それはアホ信者と言うか、アホ教団お得意の自己満足で
実際は、アホ信者が考えてる「アホ神」よりは遥かに崇高な神様
の存在を認識してるんだよ...ただそれをアホ信者には到底
説明し得ない(アホクリに幾ら言っても理解できない)からしない
だけだよん

だからアホクリが「神に帰ろう」と言われても、一般の有識者は
「お前等のアホ神は今更馬鹿馬鹿しくて信じる分にはいかないよ」
と言う事なんさ...

わははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
492ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 00:22:11 ID:PCdbYV18
プロテスタント教団は安い早い旨い、吉野家の豚丼は模範的で
基礎教育が行き届いていて、神学者が教育熱心で、ルーテルさんと言う
プロテスト意識の旺盛な創始者による優秀な研究者の多い立派な
教団です。特にブルトマンは豚丼の草の根的な人物で現代もなお吉野家の
伝説上の人物です。早い安い旨いのプロテスタントの豚丼を今後もよろしく
493名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 01:32:57 ID:jcDpgGGK
危険度があるうちは牛丼を出さないのもプロテスタント教団の良さなのか。
494名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 07:31:41 ID:maUu3Plo
使徒 15:19
それで、わたしはこう判断します。
神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません。

διο εγω κρινωそれゆえ 私は 判断する
μη παρενοχλειν わずらわすべきではない
τοις απο των εθνων異邦人のうちから
επιστρεφουσιν 帰する者らを(与格・複数・男性・現在分詞)
επι τον θεον神に

επιστρεφουσινの原型επιστρεφωの意味は、
他動詞の場合、「向きを変えさせる、立ち帰らす、転向させる、引き戻す」
自動詞の場合、「帰る、戻る、立ち帰る、立ち直る、帰依する、振り向く、向き直る」

この語はヘブライ語「シューブ 戻す」の意味をギリシア語訳したわけで
「方向転換」というニュアンスがありますね。

神を信じず自分中心の生きかたから、
神を信じる生きかたに方向転換した。
それが神に立ち帰るということですね

どちらに歩くべきか迷ったが
歩むべき方向が見えた。光が届いた。後は歩むだけ
信仰を考える上で 方向転換という語が古代に使われていたのは
とても興味深い。
まさしく神の霊感によって書かれたと私は思う。
495名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 08:26:30 ID:g5mTr7qe
ここでカラスニポワとの関連性をコメンとしてもらいたい
496ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 10:04:34 ID:PCdbYV18
>>494
>まさしく神の霊感によって書かれたと私は思う。
これがプロテスタントのオツムだよん...
「神の霊感」ではなくて、一流の劇作家ルカがテオフィロの命令に
よって描いた茶番劇だよん...使徒会議の様子は同席しているハズ
のパウロもちょこっとだけ描いてるけど...
ガラテア2/1〜10を読んでチョン
全く様子が違うねん...って言ってもどうせこっちは読まないだろうし
ルカの劇画の方が、アホどもには理解しやすいんだろうね...ところが
プロテスタントのアホどもは、その使徒言行録すら読まんだろ...
497ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 10:31:19 ID:PCdbYV18
>>494
10年程前にエルサレム会議の議事録を書いた事があるので、抜粋
して書き込んでみるよん...元の記事は
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_acta.html

「エルサレム会議」15/1−15/35
パウロの宣教によって入信した異邦人は、モーセの慣習による割礼を受けていなかった、そこでユダヤから来た信者達とパウロ達との間に意見対立がおこり、エルサレム教会(本山)の判断を仰ぐ事になった

会議議事録
日時   :AD48年頃
場所   :エルサレムの某所
出席者  :ヤコブ(エルサレム教会)、ペテロ(エルサレム教会)
     :使徒達と長老(エルサレム教会)
     :パウロ(アンティオキア教会)、バルナバ(アンティオキア教会)
議事テーマ:異邦人に対してもモーセの慣習に従って割礼すべきかどうか
議事内容 :
 ペテロ      ”神は精霊を受け入れるのに、私たちも異邦人も差別しなかった、
           それなのになぜ彼らに、我々や先祖たちも負いきれなかったくび
           きを負わせようとするのか、私たちはイエスの恵みによって救わ
           れると信じているが、それは異邦人も同じではないか”
 パウロとバルナバ  記録はないが、異邦人への宣教の次第を説明したと思われる
 ヤコブ      ”パウロ達の宣教の次第はシオメンから聞いている、預言者の言葉
           にも一致する内容がある、神に帰する異邦人を悩ませるべきでは
           ない、私はこう判断する、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行
           いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるようにと、書簡を書
           いて異邦人達につたえたい”
議決   :異邦人に対してはヤコブの述べた四つの掟のみを守り、それ以外の負担を強いない
      事を書簡にしたため、適切な人を託してアンティオキア教会で報告する事

ヤコブと使徒達はこの決議に従って、書簡を作製しバルサバ・ユダとシラスに託し、パウロ達に同行してアンティオキアへ赴き、教会で書簡を読み上げた
異邦人達はこの決議に喜び、シラス達をあつくもてなし、シラス達はエルサレムに帰還した。
498ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 11:25:17 ID:PCdbYV18
神の言葉−7 ノアの箱舟その前後 6〜9章
例によって書評は次の...
6/13〜21
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。
彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
−−−以下はは箱舟の作り方と洪水避難の仕方を事細かく説明しているが省略−−−
8/15〜17
神はノアに仰せになった。
「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。
すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を
這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」
9/1〜17
神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、
あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。
わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
−−−−以下箱船から出てきたノア一族との再契約ですが一部を除いて省略します−−−−−−

*ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
*わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく
   滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
499キュロス:2007/01/27(土) 14:17:07 ID:a8xn/RV+
マルコ福音書  15章31節〜32節
>また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
>「他人は救ったが、自分は救えない。
>キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」
>また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。

この箇所の 「他人を救ったが、自分を救えない」 の 救い とは何のことを言っているのかね。
たぶん「十字架から降りる」ことが 祭司長達の考える 救い なのでしょうね。
つまり 当面の肉体的な苦痛からの解放 のことなのでしょね。

また この前の29節〜30節では 群衆が下記のように言ってますね。
>道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。
>十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

彼らの考える 救い とは 十字架から降りること なのでしょうね。

マルコ福音書 8章34節で イエスは 下記のように言ってますね。 
>それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと
>思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

まあ イエスの弟子になる事は 十字架を背負いイエスに従がうことだ と言うことなんでしょうかね。
その 十字架を背負う弟子の前を 行くイエスは 十字架を背負っているのでしょうね。
どうなんですかね、、、、
500キュロス:2007/01/27(土) 14:39:38 ID:a8xn/RV+
>>499
>つまり 当面の肉体的な苦痛からの解放 のことなのでしょね。
これは 違うね。 
祭司長たちのいう 救いとは 律法の観点からの救いだね。

申命記 新改訳 21章23節
>その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。
>木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えよう
>としておられる地を汚してはならない。
501キュロス:2007/01/27(土) 15:52:10 ID:a8xn/RV+
マタイ福音書  27章43節 新改訳
>彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。
>『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」

マタイ福音書ではこれが マルコ福音書の15章32節の 祭司長達の 罵りの台詞に 加筆されているね。

マタイ福音書  27章40節 では マルコ福音書の並行箇所に 「神の子」を 加筆 してるね。
>言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

マタイ福音書での 祭司長の主張は イエスが真の「神の子」なら 自分自身を救えるのだね。
つまり 十字架から降りる ことが神の子の証明 なんだね。
なんで マタイ福音書は マルコ福音書に この「神の子」と言う台詞を 加筆したのかね。

祭司長達が考える イエスの十字架刑の艱難が 「律法で定められた呪い」 だとすれば
十字架から降りることは 「律法で定められた呪い」 からの解放 つまり 救い なんだね。

ところが イエスは十字架から降りない と言うことは
マタイ福音書での 祭司長達の考えでは それは「神の子」ではない 印し なんだね。
マルコ福音書では 祭司長たちは どう考えるか 「キリスト イスラエルの王さま」 では
ないことの 印し なんだね。

「神の子」は 律法の管理下の外にいると 仮定すればだよ。
つまり 律法は 人間に与えららたもので 神は律法から自由 だとすれば
イエスは 十字架上に居ても 神に呪われた存在 ではないよね。

しかし イエスが「キリスト イスラエルの王」だとすれば 律法の管理下に居るよね。
十字架上の イエスが律法の管理下にいるのなら イエスは神に呪われている よね。

しかしマルコ福音書では その十字架上で神に呪われた存在として死んだイエス見て 
隊長に そのイエスを 「神の子だった」と 告白させるよね。
ということは イエスは 「神の子」だから 律法の範囲外に居るから神に呪われていない」とす解釈と
イエスの十字架で 律法が更新され 律法そのものから解放され 神に呪われていない とも解釈できる。  
502キュロス:2007/01/27(土) 16:03:58 ID:a8xn/RV+
>>501
>ということは イエスは 「神の子」だから 律法の範囲外に居るから神に呪われていない」とす解釈と
>イエスの十字架で 律法が更新され 律法そのものから解放され 神に呪われていない とも解釈できる。  
を 以下に修正 加筆

ということは イエスは 「神の子」だから 律法の範囲外に居るから神に呪われていない とする解釈と
イエスの十字架の出来事で 律法が更新され 古い律法そのものから解放され 神に呪われていない

という 二つの解釈が出きる かもしれない。

ルカ福音書 での並行箇所を加えて みるともっと良く見えるかもしれないね。

マタイ・ルカ 両福音書は マルコ福音書を見て 自らの神学に合うように
マルコ福音書を修正してるから この三つの福音書を 比較すると 各福音書の神学
思想が 良く解るらしいよ

ヨハネ福音書は 伝承が別だから 比較は出来ないらしいよ。
ただ 良く知らないけど ヨハネ福音書は パウロ書簡を知ってるみたいだけどね。
503ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 17:37:22 ID:PCdbYV18
神の言葉−8 ノアの箱舟その前後 6〜9章
ノアの箱舟の物語そのものは、ギルガメシュ叙事詩のパクリですよ
物語のソースが何であるかと言うのは、それほど重要な問題ではないと
思います。(余程のアホ信者でもなければ、聖書の主張や物語が
何処かのパクリである事が示されても、その権威が崩れるとは考えない)
創世記の編者の一派であるヤハウィストは、この物語の中で
ユダヤ人の伝承的な掟、風習を神話化してるんですね...
これから先(バビロンから帰還して)のユダヤ人(ユダヤ教)の公儀
として律法にする為の布石なんですね...
ヤハウィストにとっての神は、P派の天地創造の神ではなくて、ユダヤ民族の
守護神です。だから「何々をしてはならぬ」「何々をしなさい」「お前は
何々である」と言う、まるでユダヤ民族の統治者の様な言葉を発するんですw
ノアの箱舟の物語には、民族浄化の論理があります。バビロンから帰還する
時に、純粋なユダヤ人の社会を再構築する為に、この物語を選んだのでは
ないかと思います。
504名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 18:17:23 ID:S5sZYQPu
イエスのおこなった神の権威(罪の赦し)、に対して救えないのか、って
理解するのが普通でしょ
505名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 18:33:31 ID:S5sZYQPu
立法学者がエリヤが来るかもって期待したんだっけ?
506キュロス:2007/01/27(土) 18:57:28 ID:a8xn/RV+
マルコ福音書 2章で イエスは 中風の人に対して 罪の赦し おこなっているね。

マルコ福音書での 祭司長達は 中風の人 の状態と 十字架上居る イエスの状態が 同じだ
考えているわけだね。

しかし イエスは十字架から降りない と言うことは イエスの置かれている状況が
中風の人 とは 違うって事だよね。

その理由が イエスは 神の子 だから律法の規定の外 に居るから 罪 の状態ではない
或いは イエスが十字架に掛かる事によって 律法そのものから解放されたから 罪の状態ではない
とも解釈できるし

いま 思い付いたのだけど

マルコ福音書 15章34節
>そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。
>それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

神はその時 十字架上のイエスを見捨てた つまり イエスを神の管理下から外したんだね。
神の管理下から外れると言うことは 神が人間に与えた律法の支配から外れるんだね。
律法の管理下から外れると同時に 神の呪い からも外れる から 復活する ってこと? 
507ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 19:34:33 ID:PCdbYV18
神の言葉−9 バベルの塔では (11/1−9)
11/5−7
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、
このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、
妨げることはできない。
「我々は」降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの
言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

この文章は、どの編者かよく判りません。物語そのものは、
BC7−6世紀のバビロン捕因時代に、実際にあった話だと
言われてます。JでもPでもなさそうですので、もしかしたら
エロヒムニストの文章かも知れません。
バベルはカルディア語で「神の入る門」の事だそうです。
バビロンの名前もバベルが派生したものです。ユダヤ人は
ヘブライ語のバレル(混乱する)と取り違えた様です。
それで、こんな理屈に合わない神話ができたんでしょうか?
東から移動してきた民がシンアル(バビロン)の平野に
レンガとアスファルトで巨大な建築物を建てようとしていたが
(技術的な未熟さ幼稚さ無知を揶揄してるんでしょうか?)
到底できそうもない事を大枚の労力や資金をはたいてしようとする
事の愚かさを言ってる様にも思います。それでその愚かさの
要因が、単一民族の単一言語によるとするのが、少し理解
できない部分ですが。外界の研究を全く吸収しようとしない
アホな教団の信者が平気で愚かな事を言ってる様子は散々
目にしてますので、それを言ってるのかもしれません。
508名無しさん@3周年:2007/01/27(土) 20:24:37 ID:S5sZYQPu
見捨てる…権威の外しか〜そんな気がしてきた
509キュロス:2007/01/27(土) 21:37:30 ID:a8xn/RV+
ローマ 6章7節
>それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

パウロは 死は罪に対する罰 だから 死ぬことにより罪から 解放されている
ってことかね。

マルコ福音書の場合は 最も悲惨状態で 最も神の恵みが働く って事だと思うよ。

ローマ 5章20節
>律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、
>恵みもますます満ちあふれた

人間の罪過が最大になったから 恵みも最大になる ってことなんだね。
人間の置かれた状況がそれぞれ違っていても みんな生きてゆけるのは 
それぞれのハンデを 神の恵みが そのハンデを 穴埋めしてるからね。

話は 変って
ユダ王国の バビロン捕囚は 当時の一般的な考えか方だと ユダ王国の神 が バビロンの神 に敗北を意味すのだね。
当時の国々は それぞれ国の神がいるわけよ。だから 国と国の戦いは その神と神の戦い なのね。
だから ユダ王国が バビロンに敗北した ってことは ユダ王国の敗北なんだね。

エレミヤ 27章6節 
>いまわたしはこのすべての国を、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、
>また野の獣をも彼に与えて彼に仕えさせた。
ところが この箇所では ユダ国の神が バビロンの神になってるのね。 
つまり 地上の人間のユダ国とバビロンとの戦いは ユダが負けたが
それに 先立つ 天上の神々の戦いでは ユダの神がバビロンの神に勝って ユダの神がバビロンの神になってるのよ。

地の人間の世界の状況と 天上の神々の世界の状況は 逆なのね。
510ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/27(土) 22:28:22 ID:PCdbYV18
>>509
>いまわたしはこのすべての国を、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、
>また野の獣をも彼に与えて彼に仕えさせた。
エレミヤのオツムもキュロス級だと言う事だよ...ネブカにしてみれば
ユダ王国みたいな何の役にも立たない糞みたいな国はどうでも良いんだけど
いくら威圧してもアホどもが言う事を聞かないからヤムヤム兵を出兵
してるんだよ...そのネブカの片手間のユダ侵略行為をお前みたいな
オツムの人間(エレミヤ)は、YHWHの部下がYHWHの命令によって
侵略してると勝手に考えてるだけさ...ネブカにしてみれば、YHWH
なんて言う神様はその存在も名前すら知らないかも知れない、ユダ国にも
神様がいるだろう位しか考えてないよ...
511ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/28(日) 01:36:53 ID:jENz2neN
欠陥が見つかった...神の言葉の検索方法として、「神」で検索
したらデータがやたら膨大になるので「神は」で検索して「**と言った」
で、十分拾えると思っていたが、よくよく読んでると「神の***が、
何々して、そしてモーセに対し神が言った」と言うのも神様の発言ですね
有効な検索方法だと思いましたが、100%は拾えていない事を認めます。
とりあえずは今のやり方で進めながら、漏れた物の拾い方を考えて見ますw。

誰か神様のご発言の検索方法の妙案がありましたらお知恵を授かりたいと
思いますw....アホは黙っててね
512mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/28(日) 19:05:07 ID:BpAL9UcE
>>499
へブル書10:18
罪と不法の赦しがある以上、罪を購うための供え物は、
もはや必要ではありません。

イエスの十字架は完全なので、その状態が進行形とか
再び十字架にかかるとは、考えたことないんです。

ここ いろいろとっかりがあっておもしろい。
ココモ先生はアウトサイダーでしょ。
キュロスさんは神学校をドロップアウトしたんでしょ?

わたしはツマンナイパートタイマークリスチャンなんだな。
513ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/29(月) 00:17:20 ID:8MRdkFPQ
>>512
>キュロスさんは神学校をドロップアウトしたんでしょ?
自分の娘も神学部へ行きたがってるけど、神学校へ行ってた
奴がキュロス級なら、自分は娘の神学研究を許可しないw
もっとまともな学部(外部の国立大学や自分の出身校も含めて)
で勉強させるよ....
514名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 07:39:57 ID:EuNkL0dT
>>496
ガラテア2:9も使徒 15:19も同じだよ

>>495
マルコはエルサレム神殿崩壊直前の危機状況中でかかれているので
その「十字架」は、イエスと同じように命を賭して苦難の道を歩めと
勧めているのでしょ。

>>500
祭司長の「救い」は 病癒しなどの「救い」と同格。
十字架死から自分を救ってみよ

>>501-502

十字架死は普通に考えれば愚かな敗北だったわけ
キリスト教はその十字架を「贖い」と解釈することで
新しい意味を見出したんだね
515名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 12:43:46 ID:+PPzqJLJ
祭司による判決を通した普通の十字架は、罪が故の負の購い。
罪らしい罪はないから、権威に対する暴言、つまり人を超えた
自称する神の権威に挑んでいる。
516キュロス:2007/01/29(月) 19:04:15 ID:J95Knkbp
>>512
>キュロスさんは神学校をドロップアウトしたんでしょ?

ただの聖書オタクさ。
517キュロス:2007/01/29(月) 21:38:27 ID:J95Knkbp
だからさ 何と言うか その、、、
たとえば Uマカバイ記7章の 七人の殉教者の話しから解るように
当時のイスラエルでは 殉教は賞賛されることだったわけよ。

それと 十字架刑は 全く違う話しなのよ。
ココモ博士が くわいいけど ローマ帝国が エルサレムの周囲で 2千人のユダヤ人捕虜を
十字架刑に処したのだけど それはユダヤ人の受難のシンボルにはならなかった。
また ユダヤ教の殉教者伝説には 十字架刑に処せられた者は1人もいないのよ。
 
これは 申命記の影響だといわれている。
518キュロス:2007/01/29(月) 21:52:11 ID:J95Knkbp
それとさ フィリピ書の キリスト賛歌は 創世記のヤコブ物語に似ているね。

彼は 身分 というか 地位 を 不正な方法で強奪 するんだよね。

そして かれは ラバンに対して 従順と言えば従順 なんだよね。
そして 彼は 神から イスラエル と言う 名 を 貰う。

それと
不正な管理人の喩え の新しい解釈が出きるかもしれない。
その前の 放蕩息子の喩え とセットでの解釈ことね。
519mono ◆HfNWSGfVro :2007/01/29(月) 22:03:46 ID:wtZD+Gnr
>>513
私塾みたいな小さい神学校しか知らないけど、まともな学部を
卒業してから入るのよ。何故か理系出身の牧師が多いのよね。

経歴を知っちゃうと、牧師なんかやんないで、サラリーマンとして
えら〜くなってたくさん献金を。って思うような人もごろごろ 。

ルカ23:46
イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
こう言って息を引き取られた。

マタイの絶望を思わせる状況でも、ルカでは希望をもっているんですね
にっちもさっちもいかなくなって、困った時に神に真剣に希むことが
できるかもしれない。

努力で解決できることは多い、「これは祈りによらなければ」と
いうのは、なんとなく鈍感になってきてるような気がする。
>>516
キュロスさんは、フルタイムでクリスチャンって気がしたもんだから。
520名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 04:33:49 ID:ViC/mbbt
空気読めてないのを承知で質問。新訳聖書をみていたら
空腹のイエスがいちじくの木を呪って(それも季節外れで実がなかった
からという身勝手な理由)、その木が枯れてしまうという箇所があったけど、
正直なんじゃこれ? こんな人物尊敬できるのか?
521名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 06:59:27 ID:U3H7X6yI
違う角度で応えるけど
おそらくググれば期待通りの答えが見つかるはず。

でも自分で聖書(の本質)と、問答・格闘の真剣勝負をして応え得
られた時は、格別の感があるのだ。

そして後、ググったりして他からの応えを会わせるとこれが更に深い。

応えを求めていると、想わぬ処に聖書因りの応えを視たりして
強い順風感があったりする。
ググることでも順風を感じることができる。

注意することは求めること。求めずに格闘は無いし、応えも無い。
また、物理的に聖書にあたることでもない。

筋を切られて歩き難くなることを受け入れたヤコブは、神因りの
親近感を得たことを意味すると思うんだな。
522名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 09:04:36 ID:Pm7wsag7
>空腹のイエスがいちじくの木を呪って(それも季節外れで実がなかった
>からという身勝手な理由)、その木が枯れてしまうという箇所があったけど、
>正直なんじゃこれ? こんな人物尊敬できるのか?

「役立たずで薄馬鹿な人間なんか呪われて死んじまえ」、

というイエスの呪い。
523名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 14:18:34 ID:trEwduwL
聖書を読めば読むほど、聖書がいかに虚しいのかが判るこのごろ。

新約の引用のほとんどが、70人訳で、ヘブライ語聖書じゃあないんだな(W

神学校じゃあなくて、進学校に逝きなさい!
524名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 14:50:03 ID:trEwduwL
>>空腹のイエスがいちじくの木を呪って(それも季節外れで実がなかった
>>からという身勝手な理由)、その木が枯れてしまうという箇所があったけど、
>>正直なんじゃこれ? こんな人物尊敬できるのか?
>
>「役立たずで薄馬鹿な人間なんか呪われて死んじまえ」、
>
>というイエスの呪い。

そのとおりだな(w

ぶどうの木は、イエスを象徴している。
ぶどうの木といちじくの木は、対になっている。
ぶどうの木が、イエスなら、いちじくの木は、来るはずだったメシアだよ。

役立たずのメシアなんか、いらないってこと(w
525520:2007/01/30(火) 16:23:39 ID:ViC/mbbt
しっかし、象徴的な意味があるのか知らんが(たぶんそうなんだろう)、
これじゃ聖書ってのもノストラダムスの予言書(諸世紀)と変わらんでは
ないか。どんな解釈でも認めてしまえば原典はほとんど意味を成さなくなる。
あ、予言とか信じている人は御免よ。はあ、最大のオカルトは聖書でしたか。
勉強になりました。
526名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 17:18:45 ID:4IfQty03
ノストラダムス 諸世紀 2−17

ベスタ神に仕えた乙女のいる寺の陣は
エセネとピレネー山脈から遠くなく
大きな路が壁に敷かれ
川は北に流れ ぶどうの木は駄目になるだろう
527名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 17:24:59 ID:4IfQty03
1 「さあ,わが愛する者のためにわたしは歌おう.そのぶどう畑についてのわが愛の歌を.わが愛する者は,よく肥えた山腹に,ぶどう畑を持っていた.
2 彼はそこを掘り起こし,石を取り除き,そこに良いぶどうを植え,その中にやぐらを立て,酒ぶねまでも掘って,甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた.ところが,酸いぶどうができてしまった.
3  そこで今,エルサレムの住民とユダの人よ,さあ,わたしとわがぶどう畑との間をさばけ.
4 わがぶどう畑になすべきことで,なお,何かわたしがしなかったことがあるのか.なぜ,甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに,酸いぶどうができたのか.
5 さあ,今度はわたしが,あなたがたに知らせよう.わたしがわがぶどう畑に対してすることを.その垣を除いて,荒れすたれるに任せ,その石垣をくずして,踏みつけるままにする.
6 わたしは,これを滅びるままにしておく.枝はおろされず,草は刈られず,いばらとおどろが生い茂る.わたしは雲に命じて,この上に雨を降らせない.」
7  まことに,万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家.ユダの人は,主が喜んで植えつけたもの.主は公正を待ち望まれたのに,見よ,流血.正義を待ち望まれたのに,見よ,泣き叫び.

(イザヤ書 5−1〜7)
528名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 17:35:23 ID:4IfQty03
>川は北に流れ ぶどうの木は駄目になるだろう

〜北に流れる川=ナイル=エジプト

3)そして私は、私の二人の証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
:4)彼らは、全地の主の御前に立っている二本のオリーブの木、また、二つの燭台である。
:5)もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
:6)預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
:7)そして、彼らがその証しを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
:8)彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
:9)いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
:10)地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。この二人の預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。

(ヨハネの黙示録 11ー3〜10)

>彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている

エジプト=ソドム
529キュロス:2007/01/30(火) 22:00:05 ID:UOMo3u3l
ルカ福音書の15章以下の喩え話しは

羊の喩え 金貨の喩え 放蕩息子の喩え これで一組
放蕩息子の喩え 不正な管理人の喩え 金持ちとラザろの話し これで一組

のような気がする。

それを 最初の 羊の喩え と 金貨の喩え がそれを暗示してるような気がするね。

前半の組みは わかりやすいけど
後半の組みは 気づかなかった。「不正」は 絶対悪だという先入観があったからね
ヤコブは 不正を働いて その地位を得たんだよ
だから ユダヤの人々はそのやり方を 絶対悪 とは理解しないのだね。
530ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/30(火) 23:27:56 ID:o01TrRuM
>>519
>キュロスさんは、フルタイムでクリスチャンって気がしたもんだから。
どう見てもプロテスタント病だよ...プロテスタント特有のマインド
コントロールたっぷりだ...それも神学らしきものはかけらもない...
プロテスタントは一番大元からしてガタガタだけど裾野信者にいたっては
まともな社会的存在とは言い難い...

時間があればプロテスタント病を時間を掛けて解析して、解析結果を
できるだけわかりやすく説明しようと思ってます。

「プロテスタント」と「エホバの証人」がキリスト教の悪さのすべてを
持ち合わせてる巣窟の様な気がするんだけど(それ以外は亜流の雑魚だろ)。
これが多くの人に判るように解析できれば、自分の使命の半分は終わるよ

531名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 03:18:33 ID:kgzLyxsw
>>530
どこからの使命だか知らんが、トットと終わって下さい。
残り半分も嘖々と終えて下さい。それで全ての使命は終了します。がんがって。
532ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/31(水) 22:50:07 ID:oreopQLt
神の言葉12〜13章 アブラハムに対してその1
アブラハムに対しての神の言葉は膨大ですので、2〜3編に分けて考えて見ます
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、
   あなたによって祝福に入る。」
主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に
   現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から
   東西南北を見渡しなさい。
見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの
   子孫も数えきれないであろう。
さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」

*空手形かどうかは各位のご判断に任せますが、主はこの手形を2〜3回切ってますね
 果たして、この手形はチャント期日に引き出せたのでしょうか(不渡りの様な気が
 しないでもないんですが)
 「見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」
*これも天地創造のPの神様とは全く違う、Jの神様です。アブラハム伝承です。
 アブラハム伝承は、カァナン地方がユダヤ人の土地である事の正当性を主張してるのだと
 思います。
533ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/31(水) 23:05:58 ID:oreopQLt
>>529
>ヤコブは 不正を働いて その地位を得たんだよ
>だから ユダヤの人々はそのやり方を 絶対悪 とは理解しないのだね。
こう言う発想が、プロテスタントのオツムの弱い人間の発想なんさ...
この発想をした人間は、
 1...ヤコブの立場を「地位」だと思ってる。
 2...その立場を不正を働いてまで得たい特権だと錯覚している
 3...不正とは、何であるか判ってない。(何でも不正と言ってれば
     馬鹿ドモの中では通用するらしい)
 4...こいつらは、集団指導体制と言う事柄が理解できない組織に
     いる(馬鹿プロテスタントの様な)。
 5...こいつらは、聖書のヤコブに関する諸人の発言を殆ど読んでいない。
 6...こいつらは、....
 7...こいつらは、....
 8...こいつらは、....
 9...こいつらは、....

あげたらキリが無いんだけど、要するに「幼稚」で「アホ」で「世間知らず」
で、「無知」で「ちょっと考えたらそんな事はあるまい」と思われる事を
平気で教団のドグマにしている。
534ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/01/31(水) 23:37:34 ID:oreopQLt
だから言ってるんだよ...聖書とは全く関係なく、何処そこの
教団が好き勝手に物語を造るのは勝手だけど、好き勝手に物語を
造ると、その物語の内容はその物語を作った奴の教養や社会常識
や日頃の生活環境まで露にしてしまうって...プロテスタント
のアホどもの造った物語は、シナリオが決まってるんだよ...
アホが妄想した物語は、そいつらの幼稚な世界でしか造れないから
幼稚な物語しかできないんだよ...


535名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 11:06:39 ID:GW77S7pO
キュロスになにか個人的怨みでもあるのかな。
こうだらだらと小一時間もかけて、ねちねちと攻撃文を書くなんて、
ちょっと尋常でない希ガス。ある意味、ストーカーみたい。
過去になにかあったの?
536名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 14:09:17 ID:WLqMzvTH
>>535
ヒント:福音派にハマってヒドい目に遭った過去がある
537名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 15:18:13 ID:GW77S7pO
キュロスは福音派なの?そんな感じしないけど。

福音派に酷い目にあったなら、福音派攻撃で返せばいいのに。
ココモは変な人だな。
538キュロス:2007/02/01(木) 18:38:57 ID:IYxSoXU3
ルカ福音書  16章17節〜18節
> しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。
>だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、
>夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。

ルカ福音書 20章35節
>次の世にはいるのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、
>めとることも、とつぐこともありません。

ルカ福音書の16節以下の 不正な管理人の喩え と ラザロと金持ちの喩え の間に
挟まっている 律法の話し なのだけど これは ルカ福音書20章35節以下の話を
読むことによって 理解できる。

つまり 次ぎの世に復活した者達は 天使のようになり 嫁ぐことも めとる事もない
から 姦淫の罪を犯す事がないのだね。

そこで ルカ福音書16章14節以下で イエス(ルカ福音書の編者)が律法の話しをした理由は
神の王国の住人は 天使の様であり姦淫の罪を犯さない。
放蕩息子の喩え と ラザろと金持ちの喩えに出てくる食卓は 神の王国の食事のことであり
神の王国の話し なのだね。

つまり そこでは 嫁ぐ、めとる等の婚姻活動 がないのと同様に 経済活動も ないのだね。
だから 経済活動がある この世で 富を使い果たしても問題はないよ と言ってるんだね。

放蕩息子は 不正で得た富を 使い果たす
不正な管理人は 不正な富で他者(隣人)に利益を与え 友を作る
金持ちは 富でラザロを 友としない。

そこで 気になるのは 放蕩息子が参加している宴会の 出席者名簿だね。

これらの話しは マタイ福音書25章30節以下の 「羊を右に、山羊を左」の話しと同じだね。
ルカで独自なのは 不正や失敗等が 益になる方法が有るって事だね。 
539ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/01(木) 21:26:31 ID:iQw9xY3V
アホ相手にしてもしょうがないけど、アホぶりを見てると
その教団の指導者がどういう性格の奴が集まってるか判るw
健全な社会人は、アホプロテには入らないほうが良いと言う事だ。
アホプロテのノリで、面白い事言ったろ...
 イエスは不正により、キリストの地位を得た。ところがその不正が
 ローマ帝国のピラトにばれた。ピラトからはキリストを返上すれば
 鞭打ちだけで釈放すると言われたが、オツムの弱いイエスは、キリスト
 の地位に固執したために十字架に張り付けにされた。これが十字架の
 真相だよーーーーん。わはははははははははははははははははははは
540ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/01(木) 21:36:18 ID:iQw9xY3V
続けて一発...
ルーテルは不正を働いて、カトリックの野党から金を貰って、新しい
教団を作った。
続けて一発...
ブルトマンは不正を働いて、カトリックの野党から金を貰って、
地位を得た。
続けて一発...
大貫隆は不正を働いて、プロテスタント教団から金を貰って、
「イエスという経験」作った。これにより大貫隆はプロテスタント
の看板学者になった。

541ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/01(木) 21:45:11 ID:iQw9xY3V
アホプロテ風ドグマ
 サタンは、YHWHより永遠の生命を進呈され、人類を支配する
 神となった。ところが不正を働き、人間から金を巻き上げたので
 悪魔に降格された。

単語....悪魔、不正、金、差し金、賄賂、買収...この辺を
並べて適当に御伽噺を作ったら、立派なプロテスタントの学者になれ
るよ...わはははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

 
542キュロス:2007/02/01(木) 21:49:31 ID:IYxSoXU3
そこから もい一歩 先に進んでごらんよ

カラバッチョって絵描きが いたらしいよ。
その絵描きが 聖母マリアの死の場面を描いているのだけど
後光を浴びて 昇天するマリア ではなく
腹部や手足が浮腫み リアルな女の死体 なんだね。

その 死んだマリアのモデルは 現実に死んだ娼婦 だったらしいよ。

NHKの日曜美術館 とか言う番組だったけどね。
その出演者が 死んだ娼婦こそ天国にふさわしい とか感想を言ってたけど
それは そうなんだねけどね。 
543キュロス:2007/02/01(木) 21:55:20 ID:IYxSoXU3
その カラバッチョの エマオでのイエスの顕現 なんだけど
チョット凄いね。 番組ではレンブラントの 同様な場面の絵と 比べていたけど
レンブラントの絵は 教会にはふさわしいかも知らないけど

カラバッチョの エマオ は凄いよ。
実際に そうだったのだろうと 思ったよ。
544mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/01(木) 23:14:32 ID:/npqjApF
アートバイブルを見てみたらあったあった。
この本、売れているみたいですね。
イエスは干物の魚が好きなんだろう、と思っていたから
この絵の食卓のごちそうはすごい。
545ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/01(木) 23:56:37 ID:iQw9xY3V
イエス・キリストは全知全能の神だポ...
イエス・キリストはパーフェクトだピ...

プロテスタントは正しい...わはははははははははははははははは...
はい、だーれも、嘘と捏造とアホ信者の集まりだとは言ってません。
プロテスタントは正しい...わはははははははははははははははは...
はい、だーれも、幼児級のオツムの集まりだとは言ってません。

ヨハネ福音書は藁の書だべ...トンタステロプ教団の創始者タルーが
言ってました
トンタステロプ教団の著名な神学者マントブルの奇跡解釈は偉大だ
546ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/02(金) 00:14:38 ID:jySFn3Uk
ルカ福音書は藁の書だべ...カントストスチナカス教団の創始者テターが
言ってました
マタイ福音書は藁の書だべ...イロハニホヘト教団の創始者ポーが
言ってました
マルコ福音書は藁の書だべ...ヘガクサイ教団の創始者ヘターが
言ってました

547ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/02(金) 00:51:37 ID:jySFn3Uk
神の言葉−11
創世記で神の言葉をピックアップしてると、多すぎる割に内容が貧弱
なんだけど、新約で調べると実は殆ど無くて困るんすね...新約では
神様はこの様に言いましたなんて言っても通用しない時代になってる
と言う事だろうと思います。新約で辛うじて見つけ出した神の言葉です。
これだけ読んだら、またアホがどうしようもない事を言い出しかねない
んだけど、とりあえず紹介だけしておきます。
ルカ福音書12/20
しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。
お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
548名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 05:07:51 ID:+3AoaEAv
あなたがたが新しく生まれたのは、
朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、
生ける、いつまでも変わることのない、
神のことばによるのです。

「人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ
草はしおれ、花は散る
しかし、主のことばは、
とこしえに変わることがない」
549キュロス:2007/02/02(金) 19:10:03 ID:YCK0ogGL
ヨハネ福音書 新改訳  7章38節
>わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

ローマ 新改訳 4章3節
>聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

ヨハネ福音書 と パウロ書簡の1部は この箇所のように
「聖書は 〜〜 と言っている」 というような 聖書を擬人化した 表現方法してるね。
550名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 20:20:33 ID:cXH2xqYP
擬人化の場合は主の言葉としてであって
そうでない場合は記者についてとか信仰の無い人が語ってる場面?

それ以外があるのかな?
551キュロス:2007/02/02(金) 21:57:46 ID:YCK0ogGL
ローマ 1章2節 

ο προεπηγγειλατο δια των προφητων αυτου εν γραφαι? αγιαι?
新改訳
・・この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので



ローマ  4章3節

τι γαρ η γραφη λ?εγε[ι] επιστευσεν δε αβρααμ τω θεω
και ελ?ο?γισθη αυτω ει? δικαιοσυνην
新改訳

聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。

1章2節の γραφαι? は 複数
4章3節の γραφη は 単数

まあ 1章2節は 聖書全体を指しているから 複数 とも解釈できる
4章3節は 聖書の一つの 巻 つまり 創世記だから 単数 とも解釈できる。

ちなみに 単数の γραφη 4:3 9:17 10:11 11:2 の4箇所
複数形は γραφαι?(与格)が 1:2  γραφων(所有格)が  15:4 16:26

なぜ パウロは書き分けているのか?


ギリシャ語の 辞書を引くのは 時間がかかるから イヤなんだよね。
552ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/02(金) 21:58:50 ID:jySFn3Uk
神の言葉−12
クリスチャンが聖書は神の言葉とはよく言いますが、それじゃ何で
実際に聖句を引っ張り出して、「神様はこの様におっしゃいました」
と言わないのでしょう?
答えは簡単です、聖書に書かれてる神の言葉は(神は***と言った)
クリスチャンの期待とは全く合わない発言が多いからです。
とりわけ神様の発言が多いモーセ五書は、創世記の冒頭のPの神様以外
は殆どがユダヤ人の守護神としての発言であり、ユダヤ人を律する為の発言
だからです。
クリスチャンはこの様な神様の発言を読むと、おそらく殆どの信者は
当惑して、大体はいい加減なその場凌ぎの注釈にとどまるのですが
民数記25/4−8
主はモーセに言われた。「民の長たちをことごとく捕らえ、主の御前で
彼らを処刑し、白日の下にさらしなさい。そうすれば、主の憤りは
イスラエルから去るであろう。」
これとて、ユダヤ人の守護神であれば、致し方ない話で、切った張った
で国(民)を守っていた時代では、民を守護する為に戦争命令を出す
守護神が必要です。それを天地創造の神様と切り分けできない、クリスチャン
のオツムが問題なんだと思います。
553キュロス:2007/02/02(金) 21:59:51 ID:YCK0ogGL
>>551 の 単語の数は ローマ書だけの話ね。

パウロ書簡全体で数えてはいないよ。
それと 新約の他文書との 比較もしていない。 
554ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/02(金) 23:28:54 ID:jySFn3Uk
>>548
1ペテロ1/23
αναγεγεννημενοι ουκ εκ σπορας φθαρτης αλλα
αφθαρτου δια 「λογου」 ζωντος 「θεου」 και μενοντος
εις τον αιωνα

「λογου」を「ことば」と約してるのは、キリスト教団のアホども
だけです。一般常識人に「神のことば」と言っても?????
だと思います。「神のことば」と言われると、「何処に書かれてるの」
とか「誰が聞いたの」とか、「なんで、ことばによって(あなたがたに)
新たに生まれてくるの」と問い合わせてくると思います。

アホどもにとっては、そんな理屈はどうでも良いだろうし、「神のことば」
と言えば、何となく神の偉大さを思うだけでしょうが、一般社会の
人間は、もっと確かな理屈が必要ですし新たに生まれるとはどう言う事か
説明して貰う必要があります。

「λογου」は「λογοs(ロゴス)」の事です。普通の人間が考える「ことば」
ではなくて、ヨハネ福音書の冒頭に使われているように、「宇宙原理」とか
「神的原理」とかあるいは「真理」(僕はとりあえずギリシャ哲学的に
「神的な摂理」と考えている)とか言われるものです。
だから、その前に「変わる事のない生きた」と言う修飾語が付くんです。

そういう事で、1ペテロ1/23僕が約すと
”あなた方は、朽ちる種(古いユダヤ教)からではなく、朽ちない種
(新たな教派、この教会のPR)から、神の変わる事のない摂理による
新たな人生の出発です”
となります。
555キュロス:2007/02/03(土) 20:35:52 ID:Xhv60zkW
ガラテヤ 3章8節  新改訳
>聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、
>アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。

これ 面白い表現だね。聖書が モーセによって書かれる以前から 「神が異邦人を信仰によって義」と
する事を 知っていた と言うのだね。

つまり 聖書 と言う 人格 が 書かれた聖書成立以前から いるんだね。
556名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 02:02:04 ID:ubcUyCnQ
だから結局「信仰」とは何か?が根本的な問題なんだと思う。
誰かギリシア語でもヘブライ語でもアラム語でもラテン語でも、
その語源にまで遡って意味を教えてよ。
ヨハネ福音書なんぞよりヘブル人への手紙の方がはるかに洗練
されてグノーシス的だわな。読んでも意味不明だから、またアホ
とかマヌケとか言われちゃうのかな?
557ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/04(日) 12:36:24 ID:wk5EZyFy
>>556
>ヨハネ福音書なんぞよりヘブル人への手紙の方がはるかに洗練
>されてグノーシス的だわな。読んでも意味不明だから、またアホ
>とかマヌケとか言われちゃうのかな?
「読んでも意味不明」な文章を「洗練されてグノーシス的」と言う
表現をするのがクリスチャンの論理なんさ...一般的には支離滅裂
と言いますよ。
信仰について疑問でヘブライ書を読むのであれば、11章を読んで
見てチョ...11章に10〜11回「信仰によって」と言う文章が
あるよん...これだけあれば、信仰とは何かの片鱗くらいは掴めるかも
しれないよ...
558ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/04(日) 17:17:29 ID:wk5EZyFy
>>556
>ヨハネ福音書なんぞよりヘブル人への手紙の方がはるかに洗練
>されてグノーシス的だわな。
あんまりアホ扱いはしたくないんだけど、この方は思想的なものでは
なくて「洗練」されたものを「グノーシス的」と認識してるでしょ
その辺の幼稚さをどうこう言いたくないけど、それがクリスチャンの
レベルだと言う事だろね
ヨハネ福音書よりへブライ書の方がはるかに洗練されてるかどうかは
僕は判断できない(ヘブライ書が詳細に調べるだけの価値があると思
えないので、ヘブライ書を詳しくは調べていない)けど、ヨハネ福音書
は何回も言う様に、ハッキリ言ってギリシャ語が得意な人の文章では
ありません、使い方を誤ってるところも幾つもありますし、これも
何回も言ってる事ですが、現代人が読んでるヨハネ福音書はさんざん
加筆修正の加えられた物です。とうてい「洗練」されてるとは言いがたい
文章です。
559名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 23:45:53 ID:vCnf842W
人は、創世紀にある「地に満ちよ」に対しどのような意義を帯て
いるのだろうか。

地に満ちよというのは、単体で満ちるのではなく、単一種で満ちる
というものでもないな。
現実に生命全体としては共存・共生での、弱肉強食の基に満ち
ている。
560名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 23:50:16 ID:vCnf842W
神様はどうして怒りが満ちるのだろうか。
人が満ちることに怒っている記述がある。
561名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 23:55:45 ID:vCnf842W
そもそも、エデンにいた人は地に満ちる構成員なのだろうか。
562名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 00:12:54 ID:dVbaab/q
人が、神で在ろうとしたということに深いところがあるな。
神様は単体で全域に満ちている、全体を俯瞰している存在だ。
来る御国では弱肉強食は存在しないとある。
563処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2007/02/05(月) 06:00:49 ID:zCjY7sp/
その日、その時には何を言おうかと考えるな。
564名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 12:45:26 ID:lndMqiDU
>>524-558

ノストラダムス、イザヤ書、黙示録では、作者、編集者に共通したものが、
少ないからな。こじつけに過ぎないでしょう。

簡単にかくと、

枯れたいちじくの木の話は、マルコ福音書が、残っているものでは、大本だ。
マルコ福音書で、ぶどう園の主人は神、その息子はイエスだ。
この件に関して、マルコに次ぐ、文献といえば、パウロを除けば、マタイ、
ルカ、ヨハネだ。そのヨハネ福音書には、イエスは、ぶどうの木と明示され
ている。
また省くが、マルコでは、ぶどうの木(イエス)といちじくの木の話は、対応
している。
さらに、マルコが書かれた時期は、A.D.70年ちょい前頃を想定している。
この時期、ユダヤでは、強くメシア到来が期待されていた、国粋主義の時代だ。
そんな時期に、「メシアが来ない」と、マルコは、明示して書けなかったのだよ。
それで、こうした象徴を使ったのだ。

象徴といっても、それぐらいの関連性や考察がないと、
ただのデタラメに過ぎないよ(w
565ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/05(月) 20:08:43 ID:tEnTo1S4
>>564
>そんな時期に、「メシアが来ない」と、マルコは、明示して書けなかったのだよ。
>それで、こうした象徴を使ったのだ。
今でも「メシアが再臨する」と信じてる人もいますよ...
クリスチャンと言うのはそういう人達なんですよ
566キュロス:2007/02/05(月) 21:45:32 ID:tPOEVK8e
ヨハネ福音書で 聖書 と訳されている 言葉は
主格 単数形の γραφηと その対格 複数形の γραφα? がある。

主格 単数形の γραφη は 2:22 7:38 7:42 10:35 13:18 17:12 19:24 19:28
                     19:36 19:37 20:9 計11箇所
対格 複数形の γραφα? は 5:39 の1箇所

主格 とは 文書の主語らしいよ。

たとえば 以下の箇所の 聖書 は何を指しているのかな。
ヨハネ福音書  2章22節 岩波訳
>それで、彼がが死人の中から起こされたとき、彼の弟子たちは彼がこのことを言っていたのを思い起こした。
>そして聖書とイエスの話した言葉を信じた。

この箇所の 聖書は 単数だから 5章39節の 聖書 とは違うわけだよね。

5章39節の 聖書は 複数だから 「律法と預言」 という意味だとおもよ。
つまり 2章22節の 聖書 は イエスを証しするもの ではないんだよね。

まあ 考えられることの一つは 単数の聖書は 「ヨハネ福音書」を指している
ということかな。
また一つは パウロ書簡のように 聖書という人格がいるのかな。
567名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 22:19:08 ID:dVbaab/q
キュロスの謎
568ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/05(月) 22:21:29 ID:tEnTo1S4
>>564
マルコがメシア(イエス)の再臨はないと言ってると言うところで
出そうと思ったんだけど、相変わらずギリシャ語で幼稚なオツムを
晒してるアホがいるんで....また「あなたは誰、彼は誰」を
しようとも思ったけど、答えられる奴がいないので...
ヨハネ福音書における、メシア(イエス)の再臨についての聖句だw
クリスチャンでまともに読み解ける奴はおらんヤロ、そもそも
愛弟子ヨハネが長生きしても(ヨハネが生きてる間に再臨したとしても)、
ペテロには何の関係もないと言う意味が理解できる奴はいないと思うw
「あなた(ペトロ)は、わたし(イエス)に従いなさい。」は、後代に
付け足した概念だと思う。

ヨハネ福音書21/22
イエスは言われた。「わたし(イエス)の来る(再臨する)ときまで彼
(愛弟子ヨハネ)が生きていることを、わたし(イエス)が望んだ
としても、あなた(ペトロ)に何の関係があるか。あなた(ペトロ)は、
わたし(イエス)に従いなさい。」

λεγει αυτω ο ιησους εαν αυτον θελω μενειν εως ερχομαι
τι προς σε συ ακολουθει μοι

569mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/05(月) 23:13:07 ID:Ki2f8iYR
使徒12:5
こうして、ペトロは牢に入れられていた。
教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

祈りについてだと、ちょっとここでは合わないかも。
でも聖書にかいてあることだから、いいよね。

なんで教会はヤコブの為にいのらなかったのだろう?
何度読んでも難しいとこだ。
570ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/05(月) 23:33:58 ID:tEnTo1S4
>>569
>なんで教会はヤコブの為にいのらなかったのだろう?
ヤコブさんは殺害されたんでしょ...この祈りは死んだ人を
弔う祈りではなくて、ペトロが無事に釈放してもらう為の祈り
(願い)と言う事ですよ...「神様、ヤコブは残念ながら
殺されてしまいました、何とかペトロは助けてやってください」
と言う祈りだと思います。
571ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/05(月) 23:55:51 ID:tEnTo1S4
>>569
ごめん、ちょっと説明不足でした...ヘロデの弾圧で
ヤコブが殺害されて、ペトロも捕まったんですね...
そのままだったら、ペトロも次の日に処刑されるんです
この祈りが功を奏したのか、(イエスの弟の)ヤコブが
策を練ったのか判りませんが、ペトロは脱走して処刑を
免れます。....僕はこの時に、原始教会の表の指導者
の権限交代(ペテロ−>イエスの弟のヤコブ)がなされたん
だろうと思ってます。
572ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/06(火) 19:40:50 ID:NzVFgi+S
>>571 続き
ペトロが脱獄した経緯については、幾つか説があるが、何処とは
言わないが(言わなくても判るだろうが)、牢獄の番兵に賄賂を
渡したと言う小学生並みの説をマジに言ってるアホ教団があるよ...
賄賂を貰っても、次の日に役人が来て罪人が脱獄した事が判れば
番兵は罪人を逃がした廉で処刑される。だから、金を貰ったら番兵も
それを持って逃走しなきゃアカンのやで...家族がいたら、そちらに
追求が及ぶで...家族を伴ってにげにゃアカンのや...そんな割の
合わない賄賂なんか貰う分けねえだべ...そもそも賄賂と言う発想が
その教団のオッサンのオツムを示してるだべ...ちょっと考えたら
そんな事はあるめい...それが、何処とは言わないが、アホ***
の教団のレベルさ...
573mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/06(火) 22:06:01 ID:OeFr6P8h
ヤコブが教会にとって重要な立場であれば、神はなんで
ペトロを思いがけない.方法で助けたように、ヤコブも助けなかった
のかな、と思うんですよ。ペトロだって後でネロにやられちゃうでしょう

ココモ先生はすっきりしているけど、わたしは、これは神秘と思う方が
なんとなく落ち着くよ。
574ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/06(火) 23:40:05 ID:NzVFgi+S
>>573
そこで言うヤコブはキリスト教団では「大ヤコブ」と言われてる
ゼベタイのヨハネの兄弟です。重要な人物だとは思うんだけど、
官憲の剣によって殺害されたと言う悲劇性がキリスト教団の宣伝に
よって「大ヤコブ」とされてるふしもあります。本当にそれほどの
大人物なのかどうかは疑問です。

その「大ヤコブ」が官憲の手によって殺害されたのは、原始教会も
予測し得なかったんだと思います。突発的に大変な事件が起こって
原始教団も事態の重大性を察知したんだと思います。それで次は
捕まったペトロも、イエスと同じ様に早々に処刑されるだろう事は
原始教団にとっても想定内の事です。
それで「大ヤコブ」を失ってペテロも拘束されて、原始教団は指導者
不在になったんだと思います。それでヤムヤム担ぎ出されたのが
本人もどれだけやる気があったのかどうか判りませんが、キリスト
教団では「小ヤコブ」と言われてる「主の弟のヤコブ」さんです。

僕の解説はそこまでです...後は使徒言行録を読んでください。
575mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/07(水) 20:05:11 ID:mW1ww5+l
あ〜もうやだ また恥かいた
おっしゃるとうりです ありがとうね。
576ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/07(水) 23:10:14 ID:Hmk/+OjV
神殿を見捨てた...違うよその様に考える教団の性格なんだよ...
原始教団はユダヤ戦争の時に、山岳地帯を命からがら逃げて、ベラ
の町に住み着くんですがね...マタイ福音書の24/15〜20
あたりはその事を知ってるが故の文章らしいが....

ところが、何処とは言わないが(言わなくても判るだろうが)
この原始教団の戦時避難を「神殿を見捨てた」と言ってるアホ
どもがいるんだよ...普通の人は、原始教団の指導者が機転を
働かせて、信者達を戦場から避難させたと考えるんだろうし、マタイ
教団もそれを見習って、この様な聖句を残してるのだろうが
、このアホどもは信者の性格のせいか、教団の体質がそうなのか
判らんが、ともかく原始教団を批判する事しか考えてないらしい
、それも幼稚な発想でしか考えてない様だ...こいつらの発言を
一つ一つ研究してみると面白いよ...神学者から信者に至るまで
如何に世の中の常識から外れたアホどもが集まってるか判るよ...
577ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/08(木) 01:19:28 ID:u6A0aJbW
大ヤコブ・小ヤコブ
聖書に「大ヤコブ」と言う名前が書かれてる分けではありません。
「小ヤコブ」と言う言葉は、唯一マルコ福音書15/40にあります。
マルコにおいても、この人と思える他の部分では「ヤコブ」だけです。
たったの一箇所と言うと、お決まりのキリスト教団の加筆じゃないか
と思うのですが、根拠はありません。
「大ヤコブ」「小ヤコブ」の呼び分けはキリスト教団の都合(基準)
によります。
イエスの12使徒の中にはもう一人「ヤコブ」さんがいますが、その
人については、特に「大」でも「中」でも「小」でもないので、どうやら
キリスト教団は、イエスの弟のヤコブさんをどうしても「小ヤコブ」に
したくて、それに対照的なヤコブとして官憲に殺された(殉教した)
ヤコブを「大ヤコブ」と呼んだのだと思います。(キリスト教団が
よく行う手法です)
殉教した事が、キリスト教団では最高の功績として称えられたのかも
しれません。(キリスト教団はこう言う話が好きです)
小ヤコブもこの20年ほど後に殉教するのですが、それは聖書には
載ってません。小ヤコブはAD60年代早々に処刑されたとヨゼフス
の古代誌に書かれてます。処刑理由は例によってキリスト教団が
好きなように言ってますが、自分は読んでもその理由は判然としません。
578キュロス:2007/02/08(木) 18:58:41 ID:eeA67MDk
逃げたのは エルサレム戦争だけではないのだね。
バルコバクの反乱でも逃げたんだね。

まあ バルコバクをメシアとは 認められなかったのだろうけど。
ラビ・アキバがメシア宣言を したんじゃなかったけ。
579名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 07:38:51 ID:7nV8/9/y
ラビ・アキバって限定的な愛を重視したためにイエスが
見えなかった人、って感じ?
580キュロス:2007/02/09(金) 19:09:15 ID:Ajgpi0K8
イエスの愛って具体的に どのようなことかな?

イエスは私達の罪の為に十字架に掛かって死んでくれました。
っていう 例の 代理贖罪論とか 代理生贄論 かな?
福音書とパウロ書簡には 代理生贄論 はないと思うけど。

イエスの愛 って具体的に何かね?
581キュロス:2007/02/09(金) 21:49:40 ID:Ajgpi0K8
ルカ福音書  6章20節 口語訳
>そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、
>さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
>あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。
>あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

まあ ここでイエスは 飢えている人は 飽き足りるようになるから 幸いだ と言ってるわけよ。
つまり 神の国では この世で飢えている人は 満ち足りる と言ってるわけよ。

そこで 主の祈りなんだけど
ルカ福音書 11章3節
>わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。

これが この世での食事の要求の祈り だとすれば 明かに6章20節以下と矛盾するから
主の祈りの 食物 とは 例のアブラハムの食卓での食事のことをだよね。

なにしろ この世で飢えているものは 満たされ
逆に 今 満腹している人は 不幸 なんだからね。
582mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/10(土) 00:33:47 ID:wcLBXbJh
1時間以上も考え込んでしまった
ラザロほど飢えてなくて、金持ちほど満腹でもないし、
どうしよう。
取り合えず寝よう。
583キュロス:2007/02/10(土) 17:17:44 ID:6kdLwgsD
ルカ福音書  16章31節
>アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、
>たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

15章32節
> だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、
>楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

16章31節の 死人が生き返って 家族の所へ戻る と言う話しは 放蕩息子の喩え の最後の方に出てくる
父の兄に対する話 と対応しているのだろう。

そこで この放蕩息子の話しは 15章2節の ファリサイ派のつぶやきに対する イエスの答え として話されている。
>すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

放蕩息子の喩え話しの 弟は食卓に付いているが 兄は付いていない 罪人は食卓に付いているが
ファリサイ派は付いていない つまり 兄はファリサイ派 弟は罪人 に喩えられている と言える。

だとすれば 罪人と同じ食卓に付くことは 律法上は禁止されている。
ここで言う ファリサイ派が重要視する律法とは モーセと預言者のことだ。
つまり モーセと預言者に忠実に従がうと イエスの食卓には付けない。

しかし ラザロと金持ちの喩えでは モーセと預言者によく聞かなければ 死人が復活しても その意味が解らず
アバラハムの食卓には付けない。

まあ 中庸 と言うことだろうね。この 中庸 が最も難しいのだけどね。
584ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/10(土) 18:41:59 ID:ZNwdO5Ct
>>582
2000年程前の金持ちと飢えた人間の事で、2000年ほど前の
聖書を書いた人の価値観が書かれてるんですよ。それはそれで研究
する価値はあると思うけど...アホが言う事は、それを引用して
現代のアホどもの社会の中で、弱いオツムの価値観で言ってるだけ
なんだから、そんなのはノイズでしかない。
そいつの話しそのものを聞くのではなく、何故その様なアホどもが
世の中に蔓延るかを考えるべきだと思います。
585名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 21:13:41 ID:OUvzrtep
中庸という結論はおかしいと思いまーす。
キュロスって謎。
586ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 13:40:53 ID:MH2JQ2hB
小ヤコブはアホが後から追記したのではないか...
小ヤコブは小柄なヤコブさんの事ではないか...

小ヤコブと言うのは、ギリシャ語の「ιακωβου του μικρου」を約した
物です。μικρουは英語で言うmicro(マイクロ・ミクロ)です。
そんな事はどうでも良いんですが、ここの聖句はマリアさんを他のマリアさんと判別する為に
「ヤコブとヨゼの母親の」マリアと言ってるわけですから、編者がここにわざわざ
「του μικρου」を入れる理由が判然としないんですね。...
他のヤコブと判別する為に、小柄であったヤコブに「του μικρου」を付けたので
あれば、事情は判るんですが。
キリスト教団のアホどもが考えてる様に、ヤコブを「格下」扱いしたとするのであれば、それは
写経していく中で編者とは別の意図(ヤコブと反目する人)があって「του μικρου」
を入れたと考えた方が自然ですね。
ネットを覗いてみると、この「小ヤコブ」を12使徒のアルファイの子「ヤコブ」と
混同してる人もいるようです。
いずれにしてもアホどもが、自分等の感情論で勝手にいろいろな説を作り出す世界なので、
真相は闇の中(馬鹿どもがどんどん判り難くしてる)と考えた方が良いでしょう。
馬鹿どもが何を言おうが、賢い人達はこの小ヤコブと言われたイエスの弟のヤコブ
が、パウロやペテロに勝るとも劣らない大物指導者だった事が理解されてますのでね
587キュロス:2007/02/11(日) 15:46:08 ID:+5w27UD5
愛 なのかな。
もし 愛 なのなら
父は 兄を 弟復活歓迎宴会 最初から招待しない理由が見当たらない。
父は 兄も弟同様に 愛 しているはずだ。



キリスト教的に言うと 神の自由な選び で兄は選ばれていない という
興味が無くなる つまり 面白くも何とも無い 無味乾燥な話し
で終わるのだけど 聖書がそんな 解り易い書物なわけが無いから
神の自由な選び とする結論は採用しない。
588ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 16:01:28 ID:MH2JQ2hB
マタイ福音書19/29
”わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を
 捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。”

この聖句だけを馬鹿どもが読んだら、どうなりますか...
社会的常識が全く欠落した人間が読んだら、家や家族や畑を捨てて
馬鹿教会の信徒になれって言い出すだろ...それがキリスト教徒なんだよ...
ある奴は、当時のユダヤ人にとってキリスト教徒になる事は、家や
家族や畑を捨てなきゃアカンかったと言い出すヤロ...それが
キリスト教徒なんだよ...

マタイ福音書19/27−28
”すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも
 捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるの
 でしょうか。」
 イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人
 の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、
 十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。”

つまりマタイ教団が「家や家族や畑を捨てて」原始教団の指導者になった
ペテロ達を褒め称えて、これらの人達が将来のユダヤの諸部族の指導者に
なり、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐだろうと言ってるんだよ

その後2000年後の信徒がキリスト教団とどの様に関わるべきかは全く
言及してはいないし、当時とて一般信徒に対してどうしろと言ってる事でも
ない。馬鹿どもが勝手に、現代の信徒に対して家や家族や畑を捨ててくれと
思ってるだけだろ...そんな事は今の社会でまともに受け入れられるわけが
ないんだけどね...

589キュロス:2007/02/11(日) 16:02:04 ID:+5w27UD5
法華経に 長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の比喩 という
放蕩息子の喩え によく似た 喩え話が ある。

そかしその 長者窮子の比喩 に登場する息子は1人なんだね。
しかし ルカの放蕩息子の喩え に登場する 息子は二人 なんだね。
この二人兄弟というのが この話しの興味深いところなんだね。

ルカ福音書には もう一つ有名な 良きサマリア人の喩え がある。
なぜか ルカ福音書は サマリヤ人に好意的なんだね。

このサマリヤ人というのは ユダの人達と共通の祖先 つまりヤコブの
子孫なんだね。つまい 兄弟民族なんだね。

あと 放蕩息子の喩え 弟が放蕩した国の人 が登場するんだね。
彼らは ブタ を飼ってるらことから 律法の下にいる民 ではないね。
つまり 異邦人 だろうね。
590mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/11(日) 17:19:17 ID:c7/obduL
>>587
> 聖書がそんな 解り易い書物なわけが無いから
> 神の自由な選び とする結論は採用しない。

カルヴァンでも自分が選ばれているかどうか、分からなかったらしいので
選びっていうのはなんだろうなあ〜と思う。

朝に感謝でき、信仰がチラチラと見え隠れする真面目な生活を送り、
夜、1日の反省ができ神を信頼して寝ることができる。
これを生涯全うできればもしかして選ばれているんじゃないか、
と勝手に思っている。
それで、それができないもんだから教会に行って軌道修正をするのね。

選びは、生き生きとして大胆であって、ある日突然 人の心を動かしたり
するものだと思う。
591名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 17:44:10 ID:/kx/+OF3
全ての人に救いがある。個人の選択と認識で、選びを拒否する。

兄は宴会を拒否したんだっけ?
592キュロス:2007/02/11(日) 18:37:58 ID:ENaUiXqr
>>591
ルカ福音書 15章28節
>すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、
>父が出て来て、いろいろなだめてみた。

そうなんだね 兄は 拒否してるんだね。
593キュロス:2007/02/11(日) 18:48:37 ID:ENaUiXqr
>>592
まあ父は その兄を説得してるわけだ。
そして その兄に対応しているのが 15章7節で イエスに対して
不平を言ってる ファリサイ派だと思う。

何処かに行った金貨も 迷子の羊も 自発的には 帰らないから
その管理者が探したんだね。

まあ 飢饉は誰が起こしたのか? と言う問題は有るけどね。
594キュロス:2007/02/11(日) 18:53:18 ID:ENaUiXqr
ある目的達成の為に神が人を選ぶ と言うのは有ると思うよ。
そして 神が人を創造する とすれば 全ての人には
ある目的が与えられている のだろう。

なぜなら この神が創造したものに 無駄なものは無いからね。
595>>594 を 修正:2007/02/11(日) 18:56:32 ID:ENaUiXqr
「この神」を「神」に修正
596ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 19:21:27 ID:MH2JQ2hB
>聖書がそんな 解り易い書物なわけが無いから
キリスト教のアホ信者は口を揃えてこの言葉を言い出すが
1..読む奴のオツムが弱すぎるから、この手の文章が殆ど理解
   できない為に、この言葉を口にする。
2..アホ教団のオッサンが、見ず知らずの人間が判りやすい
   書物だと言ったら実も蓋もなくなってしまうから、この
   言葉を口にする。
3..アホ教団のドグマとあまりにも違いすぎるので、聖書を
   キリスト教的に説明する事が非常に困難だから、この言葉を
   口にする。
4..アホ教団のでっち上げたドグマが、聖書に殆ど書いてないので
   この言葉を口にする。

この言葉を口にする奴は、1〜4の何れかに該当すると考えて良いですよん

>神の自由な選び とする結論は採用しない。
神が何で選択をするんでしょうね...「神の選び」なんて言うのは
アホが言い出した事だよん...現代は人間が「神を選ぶ」時代だよん
−−−>普通の社会人が、アホの集まりの教団かまともな人達が
    集まった教団かを選択する時代だと思うw

久しぶりにわはははははははははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははははは
597ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 19:40:57 ID:MH2JQ2hB
そもそも「神の選び」なんて、何処にも書いてナインだべ...
(何処かの言葉を繋ぎ合わせたら馬鹿教団の文章になるかもしれないが)
こんなの、アホ教団がアホ信者どもに「あたかも信者が神に選ばれた者たち」
であるが如くマインドコントロールする為の御伽噺ダベ
カルヴァンだって、そんなくだらないドグマを云々したくないから、
カルヴァン自身が「自分が神に選ばれてるかどうか判らない(自分は
そんなものを願って信仰してるのではない)」と言ってるんだよ...
カルヴァン程の聖職者が「自分が神に選ばれてるかどうか判らない」
と言ったら、賢い人は「そんなくだらない事を言うな」と言ってるんだ
と理解するんだけど、アホは今でも何の事か判ってない。
もしかして万が一「神の選び」があるとしても、そもそもそんなアホ教団
自体が「神の選び」の線に入ってると言う根拠なんか全く無いだろうし、
僕に言わせれば、キリスト教団すべてが失格だべ

598名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 20:17:21 ID:/kx/+OF3
イエスが神の御子であることを人が語る時は聖霊が言わし
ているのだから
599ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 21:07:56 ID:MH2JQ2hB
>>598
>イエスが神の御子であることを人が語る時は聖霊が言わし
>ているのだから
あなたは、「人」以外の物が「イエスが神の御子であること」を
聞いた事があるんですか?...これを言ってるのは、「人」以外
ないと思うんだけど...それもある時期(今から約2000年前)の
ある地域(中東のエルサレム周辺から小アジアからギリシャ地域)の
ある立場(早い時期にユダヤから周辺に移住したディアスポラと
ユダヤ教に愛想をつかした元ユダヤ教徒とユダヤ戦争後よって
生計の場を失った人達)に置かれた人達が「イエスが神の御子で
あること」を信仰信条として告白したんだと思います。
それが聖書に書かれてるんだと思いますが...この人達が信仰信条
を告白するにおいて、聖霊様からの指示があったとは到底思えません。
聖霊様の指示があろうが無かろうが、この人達は「イエスが神の御子で
あること」を信仰信条として告白したと思います。
それを何処かのアホがこの言葉に権威を持たせようとして聖霊様が
言わせてると言ってるんだと思いますが、現代の賢い人は、そんな
戯けた事を言い出すと「また馬鹿がくだらない事を言ってる」と聞く
だけで、結局この「イエスが神の御子であること」と言う信仰信条の
価値を著しく低下させてると思います。
600名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 21:54:30 ID:BZTrdlaX
>聖書がそんな 解り易い書物なわけが無いから
確かにな。
もし解り易かったら、こんなに長く読まれてはこなかったはず。
長く読まれる書物っていうものは、答えでなく、問いを返してくるんだな。
601名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 22:19:09 ID:/kx/+OF3
なにを善悪の基準にするかはともかく、善悪の認識ができる場合

正しいことを語るときには、正しい心が、悪い心に対して
正しいことを言わせている。

悪いことを語るときには、悪い心が、正しい心に対し
悪いことを言わしている。

信徒は基準とするものが聖書であるわけですから。
聖書を肯定的に受けるということは、自分ならざる聖を基準
として、自分中心を悪とするので、正しい物言いは、聖霊が
言わしていると
602ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 22:26:00 ID:MH2JQ2hB
>>600
>長く読まれる書物っていうものは、答えでなく、問いを返してくるんだな。
答えが書かれていても、アホがその答えに納得しないだけよん...
聖書が問い返してるのではなくて、聖書に書かれてる事がアホの妄想に
問い返してるんだよ...(お前らの妄想は嘘だろうが、何時になったら
それが判るんだと)

イエスは神様だとは何処にも書いてない(一部アホがそうであるかのように
修正したと思われるところはあるが)のに、アホがイエスは神様だと思ってる。
「答え」はイエスは神様ではないと聖書には書かれてるのに、アホはいつまで
経っても神様だと思ってる。イエスは神様ではないと言う答えを何時まで経っても
認めようとしない。それが聖書を読めば読むほど(賢い人達は)それが
妄想ではないかと思い出す。アホはいつまで経っても妄想から抜けない。
アホには何時まで経っても聖書には本当はイエスは神様であるとはかかれて
いないのではないかと言う「問いが返される」...これの繰り返しダベ
聖書には聖書が霊感によって書かれた物ではないと言う「答え」があるん
だけどアホは何時まで経っても「聖書は霊感によって書かれた」と言う
妄想を信じてる。(賢い人達は)それがだんだん理解できてくるんだけど
アホは何時まで経っても、それが理解できない。ところが聖書から霊感
らしきものを感じ取ろうとしても何も感じる事ができないと言う「問い返し」
が常に付きまとう....この繰り返しダベ
603ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/11(日) 22:40:44 ID:MH2JQ2hB
>>601
>信徒は基準とするものが聖書であるわけですから。
>聖書を肯定的に受けるということは、自分ならざる聖を基準
>として、自分中心を悪とするので、正しい物言いは、聖霊が
>言わしていると
それが、アホの妄想と言う奴で、本当に聖書が信仰の基準になるか
と言うと、それは不可能です。現代は聖書が書かれた頃とは時代も
社会背景も全く違います。現代において聖書が書かれた頃の信仰を
すれば、社会から弾き出されますし、教団そのものが社会から抹殺
されます。
教団が信仰の基準だと言ってる聖書は、ホンマの聖書の言葉では
なくて、アホ教団が聖書から教団に都合よく言葉をピックアップ
して、教団のオッサン達が好きなように作り出した独自のドグマです。
聖なる基準ではなく、教団のオッサンが考えた基準です。
604名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 07:49:32 ID:qR7zKQJc
違いを言い出すとキリがないよ。
総てのことに壁を置いた共感しかできなくなる。

聖書から読める中心的な意義の1つは互いの隔てを無くすこと。
605名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 07:53:12 ID:FPqmEdZ+
他宗教とも壁を無くしてみようか。
606mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/12(月) 08:43:10 ID:+x7E19y4
>>604
その通りだ 
イエスは、囲いの中の羊も外にいる羊も、すべて一つに
まとまることを望んでいたんだね。

梅が五部咲きぐらいかな
外に出た時、鼻のテストをしましょうよ。
607名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 09:16:55 ID:IFfYgaMQ
>現代は聖書が書かれた頃とは時代も
>社会背景も全く違います。
それは、仏典にしろコーランにしろ、同じこと。
だからといって、仏教やイスラム教をアホの妄想と言う奴は、アホ以外おらんよ。

聖典も法律と同じで、書かれた頃の社会背景が変わっても、新しく解釈されるもの。
解釈ではもうどうしようもなくなった場合でも、解釈で押し通そうとすることを
ドグマっていうのさ。

いずれにせよ、書かれた頃の社会背景にこだわると、聖典も法典も成立し得なくなる。

それに外国文学や古典文学を現代日本人が鑑賞することが可能であるように、
時代や場所がかけ離れて成立した文章も、同じ人間が書いたものである限り、
共感できるものが存在するんだよ。極端に唯物的な読み方をしている間は、
聖書が信仰の基準になるということは理解できないだろうけど、そういうものさ。
608ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 12:18:11 ID:LkMUZ9es
>>607
>聖典も法律と同じで、書かれた頃の社会背景が変わっても、新しく解釈されるもの。
>解釈ではもうどうしようもなくなった場合でも、解釈で押し通そうとすることを
>ドグマっていうのさ。
だから、その「新しい解釈」と言うのがオッサンの解釈だろ...
あんたが、そのオッサンに共感するなら、それはそれでいいよ、だけど
ハッキリ言ってアホでうざくてけちでエゴイストの忌わしいオッサンばかりだろ...
たまーーーーーに尊敬できそうなオッサンがいるだけダロ。
なんで、そんなオッサンのいう事を信じなきゃイカンのだ。
609キュロス:2007/02/12(月) 17:03:15 ID:Z3kQrakD
ルカ福音書 16章5節
>そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか。』と言うと、

さて そこで ルカ福音書16章1節〜8節の 不正な管理人の喩え なのだが
この喩え話しは 1節から解るように ファリサイ派の人々ではなく イエスの弟子達に 語られている。

主人とは 神のことを指している と考えて間違い無いだろうね。
次ぎに この管理人が 管理している「主人の財産」とは 何の喩えだろうか。
この世的な富では無いことは 明白だ なぜなら喩え話しなのだからね。

主人とは 神 の事だろうから この管理人が 神から管理を任されているものとは 律法 のことだろうね。
管理人とは 律法の専門家 つまり律法学者等の宗教的な指導者 のことだろう。
債務者とは 一般人のことだろうね。

罪(律法違反)を主の祈りで 負債と言っているからね。(口語訳 岩波訳)
管理人が債務者の負債を 2〜5割引にしてる ってことは 加減して律法を適用しなさい って事なんだね。
その様な管理人の振舞いを神は誉めているんだね。

中庸なんだね。 旧約聖書は ガミガミ五月蝿い律法っていう先入観が有るけど
じつは 箴言やコヘレトに代表される知恵文学も有るんだね。

伝道 新改訳 7章16節
> あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
610ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 17:04:12 ID:LkMUZ9es
こういうwebから案内が来たので、皆さんに紹介しますね
http://www1.bbiq.jp/mirokunoosie/

以下の質問をしたので、公開しますね

ナザレ村の大工イエスさんが再臨されたのでしたら、いくつかお尋ねしたい事
があります。教えていただければ幸いです。
1...イエスさんは何故十字架刑に処せられたのでしょうか?
2...マグダラ・マリアさんとは婚姻関係にあったのですか?
3...後の原始教会の宗主であるヤコブさんとは実の兄弟ですか?
4...イエスさんは日頃何語を喋っていたのですか?
5...イエスさんはコイネ(ギリシャ)語の読み書きができたのですか?
6...イエスさんの主張は何だったのですか?
    リベラルなファリサイ派? 過激な反ユダヤ教徒?
7...洗礼者ヨハネはイエスさんの師匠ですか?
611キュロス:2007/02/12(月) 19:07:08 ID:Z3kQrakD
ルカ福音書 16章11節〜12節
>ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
>また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう

これは 喩え話し ではないのだろうね。 この話しを 並べて見ると
11節の 「不正な富み」は 12節の「他人のもの」 11節の「まことの富み」は 12節の「あなたがたのもの」
にそれぞれ 対応している様に読める。

「まことの富み」とは 「あなたがたのもの」に対応して これはユダヤ人に話しているのだから アブラハム契約に
基く 神の国の富み のことだろうね。

だとすれば 「不正な富み」とは この世での富み のことだろうね.。

「他人のものに忠実」とは 他人のこの世での富みに忠実 ということで。 
つまり 他人のこの世での生活を尊重(気配り)する と解釈できる。

そこで 他人の生活に気を配っていれば まことの富み が与えられる と言うことだろう。 

612名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 19:17:19 ID:qR7zKQJc
与える者と与えられる者。
聖書では、人が神を超えたり並んだりすることを否定する。
人は人のみで生きられない足りない存在。
…なにか繋がりそう
613ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 19:46:21 ID:LkMUZ9es
>>610
の返信が来たよ、読んでて腹が痛くなるほど笑いこけた。これがアホ
どもの実体さ...わはははははははははははははははははははははは

以下返信内容
メールを拝見させていただきました。まず始めに飛鳥昭雄著書の「言霊でしか解けな
い」聖書並びに失われたイエス・キリスト「天照大神」の謎、失われたキリストの聖
十字架「心御柱」の謎を読まれたことがありますか?もし読まれていないのならば読
んでみたら「神」が少しですが知ることができると想います。さらに「最後の審判」
という預言を貴方は知っていますか?私も最初に「本物の神」と知らずに「その方」
に接触していた者の一人として忠告をいたしますが、有るときに教えを受けている弟
子の一人が「その方」の気に入らないことを行った時に逆鱗に触れて叱られた現場に
居たのですが今までに体験したことの無い、例えようの無い迫力の有る怒りの言葉は
鳥肌が立ち恐怖に、おののいた事をはっきりと覚えており「神」が怖いということ
を、まざまざと見せ付けられたシーンでした。「最後の審判」とは「神」の気に入る
ものか気に入らないものかで天国に入れるか地獄に入れるのか判断することを例えて
おり世界中の人間達は今も何も知らずに生きていることの怖さに気づくべきだと想い
ます。貴方の返信メールの内容を見た瞬間に凍りつくような感触を覚えました。「ナ
ザレ村の大工イエスさんが再臨されたのでしたら、いくつかお尋ねしたい事がありま
す。」などと軽々しく問いかけないほうが良いということを貴方には教えさせていた
だきたいと感じました。この世は「神」の好き嫌いで運命が創られており「神」の嫌
いな者の中に無意味なことを行う賢くない者が含まれていることを思い出してしまい
ました。「神」は本当に恐ろしい存在であることを知れば貴方の過去の質問など意味
を持たないものであり、とても質問など出来るはずも無いことを教えておきます。私
は天国に入れていただきたいので「神」の気に入る者に成りたいのです。それでは、
御免こうむります。
「真理」を学ぶ者の一人より
614ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 19:51:36 ID:LkMUZ9es
>>612
>聖書では、人が神を超えたり並んだりすることを否定する。
申し訳ないんですが、聖書にその様な聖句があったかのか
どうか記憶にありません、素学の手前どもに具体的な場所を
教えてください。
615ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 20:07:23 ID:LkMUZ9es
>>613
に対しての僕の返信です

僕が質問した事は、全部聖書に書いてある事ですよ。
もしお知りになりたければ、具体的に書かれてる場所を示しますよ。
それを神の冒涜だと仰るのでしたら、聖書は神を冒涜する書き物だ
という事ですか?
616名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 20:07:23 ID:qR7zKQJc
聖句をそのまま取り出したわけじゃないからね。
該当箇所は手元に聖書がないのでわかんね。
コヘレトも本質的にそのことを指摘してると想ってるけど、どうだろ。
617ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 20:17:04 ID:LkMUZ9es
>>616
>コヘレトも本質的にそのことを指摘してると想ってるけど、どうだろ。
マイナーな書物なので僕も正直言って殆ど読んでない。
旧約の編者にとって、そんな事(人が神を超えたり並んだりする)
はおそらく全く想定外だと思うw
新約の編者にとっても、そんな事は多分想定外だと思うよ
618ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 21:13:10 ID:LkMUZ9es
>>616
「人が神を超えたり並んだりすることを否定する」...
僕はこれを言ってるのも教団じゃないかと思うw
神の存在を信じてる人が神を超えようなどとは考えないだろうし
無神論者だって、そもそも神を信じてないんだから、乗り越える
も何も考えてないと思うよ。
教団が「人が神を超えたり並んだりしようとしてる」と言うのは
その人が教団を否定しようとする時でしょ
だから教団の本音は「人が教団を超えたり並んだりすることを否定したい」
と言う事じゃないですか?
619ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 21:46:20 ID:LkMUZ9es
「無神論者」・「唯物論者」
これも教団や信者が言ってる事で、そう言われた人がホンマに
「無神論者」・「唯物論者」かどうかは疑わしいダベ。
これも大概はその教団やドグマを否定した時に、反論として出てくる
言葉だろ。
だから教団の本音は「人が自分等の神観を否定したり、教団や信者以上に
詳細に物事を考えることを否定したい」と言う事じゃないですか?

620ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 23:02:09 ID:LkMUZ9es
>>615
の返信が返ってきましたので、そのまま書いておくね。僕の質問には
全く答えてはくれない...答えられないんだろうと思います。

以下返信内容(自分の文章のコピーは文章が長すぎて拒否されましたので
省略します)

先ほどのメールでは応対した同じ教えを受けている弟子の一人が感情的になり返信し
たようで申し訳なく想います。どうぞ気を悪くなさらないでください。

「その方」に以前に興味本位にイエスキリストで存在していたときの質問をした事が
ありまして「イエスキリストと同じDNAの肉体を持ち生まれてきたのならば答えら
れるが今回は全く違うDNAの肉体を持ち生まれてきている為に全く知りえない。記
憶とは脳(五感)による一時的な録画機能のようなものであるから肉体が機能停止
(死)になると消去してしまうのだ。夢で見て味わったことを時間が経つほどに鮮明
に思い出せなくなるのと同じだよ。」と教えていただきました。ですから上記の貴方
の質問をされても「解らない」と笑ってお答えになるでしょう。(※ただし1番の質
問だけは以前に教えていただいたように想いますが、はっきりとは覚えていませ
ん。)それよりもイエスキリストの再臨を示す「証拠は?」と貴方方は突っ込まれて
くることでしょうが、世界中の宗教が肝心な事を教えていない「真理」の答えを知っ
ていることこそが宇宙の創造主である証拠になることに目を向けて頂きたいと想いま
す。もしも興味が有るのでしたら一度でも会われることを薦めます。実際に会えば以
前の出来事が気になる思いも一瞬で消え去り何とも言えない感触に包まれて幸せを体
感することでしょう。体も健康的になり、それに願いが叶う出来事が頻繁に起こって
くるという不思議な体験をしますよ。
「神」を感じた者より
621ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/12(月) 23:41:16 ID:LkMUZ9es
>>620
の僕からの返信

僕はイエスの再臨を疑ってるわけではありません。それは聖書でイエスの再臨を
求めているのが、主にユダヤ系のマルコ・マタイ福音書であったり、異邦人系で
あってもマルコ・マタイを思想的に継承しているルカ福音書だからです。
この時期はイエスのメシアとしての再臨を願っていたと思います。それが
民衆が求めたものです。これらの福音書編者は民衆の求めに迎合する事
が使命です。
それでもう一つの福音書であるヨハネ福音書では、イエスの再臨を否定してる
と思います。この頃のキリスト教団としてはユダヤ系の教団がイエスのメシア
(イスラエルの指導者)としての再臨を願い、脱ユダヤ系のキリスト教団がイエス
の再臨の話しは捨て去ったんだろうと思います。それがイエス・キリストの神格化
の糸口を作ってると思います。
その意味でイエスの再臨はあったのかといわれれば、それは何回も再臨してる
とも言えますし、2000年間無かったし、今後もあり得ないと思います。
622キュロス:2007/02/13(火) 21:58:40 ID:s5ABVqWU
ルカ福音書 15章29節〜32節
> しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。
>その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
>それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、
>肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』
>父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
>だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、
>楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

この辺りの父に対する兄の台詞は パウロ的だ つまりローマ書 7章7節以下あたりね。
「遊女におぼれて」と言う兄の訴えは 弟をことさら卑しめるための 作り話 臭いね。
よするに 弟を偽証までして卑しめることで 父の戒めを守ってることを誇っているのだね。

話しは変って 兄の台詞を見ると この父は ケチだね。父は 兄とその友人の宴会の為に子山羊一匹 屠らせない。
そのケチな父が 盛大な宴会を開き 弟の帰還を喜ぶってのは 例外的な行為なんだろうね。

つまり 厳格な父が弟を赦し迎えるのは 例外行為 なんだね。
兄もその例外を認めれば 宴会に参加できるのにね。
623名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 04:51:21 ID:e9OAmYfw
この喩え話だけでみるなら例外ってなるんだろうけど、
他の喩え話と合わすと、普通?になるって感じ?

父・牧者・所有者・雇う人=神様、
兄・99匹・驕られる人・早く雇われた人=信徒・神の元にいる人・普通の人

不平を言うのは、既に神の元に居るって自覚している人。
624mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/14(水) 21:21:11 ID:1FuxqneL
兄は不満をたれるのに,食べ物のことを持ち出すなんていう
ケチ臭さがすごく身近に感じる。食べ物のことって切実だもんね。

この父は、おかしな父だと思う
弟の行く末が想像できたのに、ただ家にいるだけで探しにも行かない。
のたれ死になるかも、とは考えてなかったのだろうか、と考えてしまう。
625キュロス:2007/02/14(水) 21:33:14 ID:UBTqSkSw
ルカ福音書  16章29節 新共同
>しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』

一般的なキリスト教では 「聖書に聞く」と 言った場合 これは 神の言葉を聞く と言う意味になるように思う。
つまり 「全き知識を我等に与ふる 神に言葉にして」と日本キリスト教団の信仰告白に有るように
聖書は神の言葉 なんだね。

そして唯一神教の中での神の言葉とは 神と同等であり 例外が無い 絶対なんだろうね。
神の同等の 神の言葉に例外が有れば 神にも例外がありことになり 絶対な存在ではなくなるからね。

そこでだ このルカ福音書16章29節と31節に 「モーセと預言者」という言葉が出てくる。
これは 聖書を 擬人化して モーセと預言書 と呼んでいるんだね。
つまり 聖書を擬人化することにより 聖書を神とは別の人格が有る存在として表現してるんだね。
事実 当時は 天地創造以前から神と共に存在する 天使・知恵等の存在は 肯定的に考えられていた。

神から 聖書を切り離して別人格にする と言うことは 聖書の相対化なんだね。
絶対な存在とは対を絶する存在だから複数は存在しないから
神を絶対な存在だとすれば 聖書は相対な存在になるんだね。 

絶対名存在には 例外はあり得ないが 相対な存在には 例外が入りこむ余地が有るんだね。
626キュロス:2007/02/14(水) 21:44:47 ID:UBTqSkSw
>>342
そうなだね。年端も行かない世間知らずの青年に 大金を与えれば どういうことになるかは
解りそうなもんだね。

このへんの感じは ホセア2章7節後半以下 に似てるんだよね。
627626を修正:2007/02/14(水) 21:48:16 ID:UBTqSkSw
>>642
そうなだね。年端も行かない世間知らずの青年に 大金を与えれば どういうことになるかは
解りそうなもんだね。

このへんの感じは ホセア2章7節後半以下 に似てるんだよね。

628626を修正:2007/02/14(水) 21:51:41 ID:UBTqSkSw
>>627

>>642 ではなく >>624
629名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 22:25:10 ID:e9OAmYfw
父は、次男を心配してるから玄関の外で次男を見付けるんでしょ。

この喩えは話の結果ではなく、聴く人の現世(の長男)を対象に語ってるよ。
630ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/15(木) 00:47:14 ID:l54ELLie
アホが「聖書は神の言葉だ」と言ったら、普通の人間は何と考えるか
1...またアホがくだらない事を言ってる。
2...あいつ等はアホの集まりだから関わりあうのはよそう
3...あいつ等はまともに聖典が読めない連中だから、聖書とは
    どんなものかは、他で調べよう
4...あいつ等は日頃どんな所に収容されてるか調べよう

アホが「聖書は神の霊感によって書かれた」と言ったら、普通の人間は
何と考えるか
1...またアホがくだらない事を言ってる。
2...あいつ等はアホの集まりだから関わりあうのはよそう
3...あいつ等はまともに聖典が読めない連中だから、聖書とは
    どんなものかは、他で調べよう
4...あいつ等は日頃どんな所に収容されてるか調べよう

アホが聖書の注釈を説明しだしたら、普通の人間は何と考えるか
1...またアホがくだらない事を言ってる。
2...あいつ等はアホの集まりだから関わりあうのはよそう
3...あいつ等はまともに聖典が読めない連中だから、聖書とは
    どんなものかは、他で調べよう
4...あいつ等は日頃どんな所に収容されてるか調べよう

アホの話しを読んでるとつくづく空しさを感じるけど、これほどまで
アホは何時まで経ってもアホでいられるのか

    
631名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 09:12:41 ID:MEhdpmuh
自分が普通という人間が一番アホということも、往々にあるはなしだけどネ(;´Д`A ```
632キュロス:2007/02/15(木) 18:57:38 ID:AeSfe13m
ルカ福音書  16章31節 新改訳
>アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の
>中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

放蕩息子の喩え では 父が 弟を例外行為で迎え 宴会を開いた。
その宴会は 例外だから 兄の財産は保証されている。

不正な管理人に喩え では 管理人が 負債者の負債を 割り引く
これも 通常ではあり得ない 例外行為。しかも 負債が消えるわけではなく 残されている。

金持ちとラザロの譬えでは ラザロが 死人の復活と言う 例外を要求する
しかし アブラハムは モーセと預言者を尊重しないと 死がの復活しても 問題は解決しない と
例外行為を断る。

つまり 秩序が厳格に保たれているから 例外が発生するのだね。
逆に 無秩序な状態では 例外はあり得ない よね。 例外行為が 秩序を際立たせるのだね。

この様な 解釈できるね。
633キュロス:2007/02/15(木) 19:03:05 ID:AeSfe13m
>金持ちとラザロの譬えでは ラザロが 死人の復活と言う 例外を要求する
>しかし アブラハムは モーセと預言者を尊重しないと 死がの復活しても 問題は解決しない と
>例外行為を断る。

死者の復活を 要求するのは 金持ちだね。

上記の 「ラザロ」を 「金持」ちに修正してね。




しかし この辺の喩え話しの並べ方は イエス までさかのぼるのですかね。
なんか パウロ的だよね。 パウロがイエスの影響を受けている可能性も有るけどね。
634名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 20:30:06 ID:RksFKCW2
その例外を、雇い人の喩え話では「気前の良さ」と表現するぞ
635名無しさん@3周年:2007/02/15(木) 20:48:25 ID:RksFKCW2
なくして見つけた銀貨で、銀貨の価値を超える祝いをするなんて
気前が良いどころか常識でありえないど。
636ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/16(金) 01:12:13 ID:8Izzmxmb
アホの話しを読んでるとつくづく空しさを感じるけど、これほどまで
アホは何時まで経ってもアホでいられるのか

その章を2〜3回(アホ信者は50回)読み返せば、編者が何を
言いたいのか判るだろうと言うのは、何年も前から言ってるのに、
アホは何時まで経っても実行しようとしない...何時まで経っても
アホの繰り返し...呆れて物が言えない...
637ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/16(金) 01:31:10 ID:8Izzmxmb
賢い人達の為に、ちょっとだけ面白いヒント教えるとね...
新約でアブラハムが出てくるところと言うのは、パウロ書簡
もヨハネ福音書もいくつかあるんだけど状況が大体同じなんですよ...
新約の編者は、何かを言い換えてアブラハムを言ってる
んだよ
それが判る人は多いと思います...と言うか、それを説明
するのが大人ですよ。...アブラハムで手繰って出てくる所
を全部読み返してみると大体判りますけどね...アホには
到底無理な話だろうが...
638mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/16(金) 21:24:27 ID:D/+D6z/A
ホセア書読んだけど、なんであんなに辛い目に遭うんでしょう
弟も酷い目に遭ってね、なんか厳しいのよね。 わたしは
迷った羊や失くしたお金のように、一生懸命見つけてもらいたい。

>>630
> アホが「聖書は神の言葉だ」と言ったら、普通の人間は何と考えるか
> 1...またアホがくだらない事を言ってる。
> 2...あいつ等はアホの集まりだから関わりあうのはよそう
> 3...あいつ等はまともに聖典が読めない連中だから、聖書とは
>     どんなものかは、他で調べよう
> 4...あいつ等は日頃どんな所に収容されてるか調べよう

ココモ先生 4 をお勧めいたします。
639ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/17(土) 01:53:33 ID:BxDb7FgZ
>>638
>ホセア書読んだけど、なんであんなに辛い目に遭うんでしょう
>弟も酷い目に遭ってね、なんか厳しいのよね。 わたしは
>迷った羊や失くしたお金のように、一生懸命見つけてもらいたい。
ホセアが過酷な運命に遭遇した話は、筆舌に耐え難いんですね...
ホセアはそれを敢えて受容してるんですね...受容する事しか
できなかったんだと思います。残酷極まりないアッシリアの元で
辛うじて人間らしく、辛うじて人間のメンツを保ちながら、這い蹲って
生きようとするとホセアになるのかもしれませんね...ホセア書は
3章までがアッシリアの支配下に陥った北イスラエル地域に捕虜か
捕因か乞食か使いっ走りかよく判らない立場のホセアが書いたもので、
それがどうすり抜けたのか、まだ侵略が及ばない南のユダ王国にいた
親戚に伝わって、4章以降はその親戚がまとめたじゃないかと思います。
1〜3を書いたホセアはその後どうなったのか判りません。ホロコースト
で串刺しになったのか、打ち首になったのか、八つ切りにされたのか
そうではなくて、実は娼婦との結婚生活が案外楽しくて、アッシリアの
高級官僚に才能を認められて、その後の人生を気ままにエンジョイしてた
のかもしれないし...
それで、4〜はユダ王国にいた親戚が書いたものですが、ハッキリ言って
詰らない内容です。第1イザヤと同じで、国はかくあるべきだ、YHWH
信仰を貫くべきだと言う、キリスト教団の喜びそうな内容がレンレンと
続くだけです。

>>4...あいつ等は日頃どんな所に収容されてるか調べよう
>ココモ先生 4 をお勧めいたします。
申し訳ありませんが。もしかしたら自分の人生はこの先短いかも
知れませんので、そんなのんびりした事は辞退いたします。

640ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/17(土) 11:36:28 ID:BxDb7FgZ
聖書の登場人物は、最後がどうなったかよく判らない人が多いですね
パウロもローマへ護送された後はどうなったのかあまりハッキリしてないし
ペテロもアンティオキアでパウロから叱責された後はどうなったのか不明
ピリフォもゼベタイのヨハネもイエスの兄弟たちも(ヤコブだけはヨゼフス
の古代誌にアナノス2世に殺された事が書かれてる)、聖母マリアも
マグダラ・マリアも...
それでキリスト教会は男達のいくえは尽く悲劇的な殉教をした事になってる
けど、それがキリスト教団の趣味と言うかそういう話が好きなんでしょう。
実際はどうだったのかよく判りません。
どうせ判らないんだったら、僕はみんな宣教活動がアホらしくなって
ヤンピって言う事で、元の職業に戻ったんだよっと言うシナリオを信じましょう

ペテロやヨハネはガリラヤに戻って、漁師をしながら余生を送った。
パウロはローマの生活水準や学術水準の高さに圧倒されて、ローマ市民
の楽しさに浸りながら余生を送った。
聖母マリアは原始教団でヤコブ達の世話で隠居し、孫達の面倒を見ながら
余生を送った。
マグダラ・マリアも原始教団の世話で、お手伝い兼兄弟達の子供の教育係り
をしながら余生を送った。

現実はこれに近いと思うんだけど、それじゃキリスト教団は詰らないんだろね
641書くところ間違えたか:2007/02/17(土) 21:40:18 ID:BxDb7FgZ
パウロとペテロはローマ皇帝ネロの策謀でローマの大火の犯人がキリスト
教徒達の仕業として多くのキリスト教徒が受難に合い、パウロもペテロも
処刑されたと言うデマに近い話があるんだけど...この話もキリスト
教団の作り話でしょ...
 1..本当にそんな大火があったかどうか疑問
    大火があれば、ヨゼフスが記録してるだろうし...
 2..パウロはともかく、ペテロがローマにいる動機も資金も
    ない。
 3..ネロがキリスト教徒を認識していたかどうか疑問
 4..ネロが始末しようとしていたのはユダヤ人(教徒)ではないか
    ローマ皇帝がローマからユダヤ人を追い出そうとしていた事
    はヨゼフスも記録しているし、キリスト教徒より遥かに多くの
    ユダヤ人がローマにいた。もし実際に大火があって、それがネロ
    の企みで、何かにその責めを押し付けようとするのであれば
    ユダヤ人だと思われる。
 5..ユダヤ人の大半はまだユダヤ教徒である。
 6..ネロはAD66年に大軍を出兵して、レジスタンスユダヤの
    鎮圧を始めた(ユダヤ戦争の始まり)。
 7..聖書も外典も殆どこの事件を伝えてない。

僕はどうも、ネロがユダヤ人を弾圧する為に起こした事件を、後のキリスト
教団が、「ネロの残酷さ」とお得意の「殉教話」と「ペテロの理念化」の為
に作り出した物ではなかろうかと思います。
642名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 17:42:09 ID:DX5a2nJa
>>641さん

> 1..本当にそんな大火があったかどうか疑問
>    大火があれば、ヨゼフスが記録してるだろうし...

> 3..ネロがキリスト教徒を認識していたかどうか疑問

ヨセフォスは記録していないのかもしれませんが、スエトニウスは「皇帝伝」のネロ編の中に、
ネロの治世にローマのかなりを焼くことになった大火があり、ネロ自身の私邸
(なぜだか「ネロにしてはかなり地味な(私邸)」と但し書きがついてますが)も焼けたこと、
またこの大火に関連してネロがキリスト教徒たちを処罰し、
それが市民たちにかなり受けが良かったことを記録してます。

ヨセフォスが「戦記」や「古代誌」を書いたのはユダヤに関することをローマに紹介(報告?)することが目的であった、と聞いています。
ローマに関してはユダヤとの関連においてのみ記載があり、
ローマの大火などのかなり重要な事件でも、
ユダヤとの関連がない限り割愛してしまうことは充分推測できます。

ヨセフォスが記述しなかっただけで
「大火があったかどうかそもそも疑問」はいささか言い過ぎでは?

643キュロス:2007/02/18(日) 21:39:08 ID:zWbI+A6+
マタイ福音書 13章44節
>天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、
>行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。

これは見付けられる話しではなく 見つける話しだ。

この畑の持ち主は 畑に宝がある事を知らないのだね。つまり畑を小作に貸している地主だね。
また この畑を買う人は その畑を持ち主から借りて 小作をしてるか
或いは 日雇いで その畑で働いている労働者かもしれない。
そう言えば 農場で日雇いで働く労働者の喩えがあるね。

畑の持ち主が その畑に宝が有る事を知れば その畑の価値は上がり 値段が吊り上り
畑を買う人が買えなくなる 或いは 畑の持ち主が 宝を自分のものしして 畑を買う人が買えなくなる。

天の王国が力ずくで・・・・ ってのは このへんの感じなのかね。
644ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/18(日) 22:17:34 ID:TCEWXNRB
>>642
スエトニウスの「皇帝伝」は承知してますし、タキトウスもこの
大火について書いてるよ...ところがどちらも2世紀初めの資料
なんだw...ローマでもキリスト教徒が多くなって、社会問題に
なりつつある時期でね、一方ユダヤ人の問題はユダヤ戦争でローマ
としては一応の決着が付いてる時期なんだよ...

>ヨセフォスが記述しなかっただけで
>「大火があったかどうかそもそも疑問」はいささか言い過ぎでは?
これがキリスト教徒のお決まり口調なんだw...キリスト教徒以外
は何処にも「しなかっただけで」結論付けする馬鹿はいないよ...

645名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 23:34:37 ID:DX5a2nJa
>>644さん

つまりスエトニウスやタキトゥスのネロやローマ大火に関する記録は虚偽である、とあなたは判断している、
ということでよろしいのですか?

もっとも>>641さんの

>2..パウロはともかく、ペテロがローマにいる動機も資金も
>    ない。

…というのは可能性があります。

ペテロやパウロが最終的にどうなったかは聖書にも、
またヨセフォスもタキトゥスもスエトニウスも(当然かもしれませんが)記録されていません。

ペテロがローマに来ていない、となれば、
ローマ・カトリックのペテロ起源の使徒継承の正当性はかなり疑わしいものとなりますね。

これはローマ教会への告発となると同時に、
プロテスタント諸教派への弁護となるでしょう。

使徒教父文書にどのような位置づけを与えるかはまた各人の信仰によりますし。

646ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/18(日) 23:52:12 ID:TCEWXNRB
>>645
>つまりスエトニウスやタキトゥスのネロやローマ大火に関する記録は虚偽である、とあなたは判断している、
>ということでよろしいのですか?
こう言う短絡がキリスト教徒の特徴だと言ってるんだよ...そんな事
を簡単に結論付けする馬鹿は、キリスト教徒以外にはいないよ

>これはローマ教会への告発となると同時に、
>プロテスタント諸教派への弁護となるでしょう。
僕は馬鹿ども同士の宗争の具を提供してるんじゃない...馬鹿ドモが
何をネタに争いをしようが、それは馬鹿どもの勝手だよ...
ペテロはローマなんかへ行った事も無いだろうし、行きたいと
思った事も無いヤロ
647ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/19(月) 00:01:41 ID:zJFMr9Xi
>>645
あのな...ヨゼフスからして、底本が12あると言われてるんだよ...
その中の文言は明らかにキリスト教徒しか言わないであろう文章が
あるんだよ(特にクリストスに関わる文章は)...そんなの素人が
読んでも、アホのキリスト教徒のコピーストが書き足した事が判るンだよ
648ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/19(月) 01:55:31 ID:zJFMr9Xi
お前のカキコは幼児の書き込みだと何回言っても、アホは判らない
らしい...そんな事は大人はとっくに判ってる事だ、少しネットを
調べたらいろんな賢者が見解を示してると何回言っても、アホのオツム
には入らないらしい、賢者の意見なんか到底入る余地がないという事だ。
馬耳東風と言うのはこの事だよ...オツムの幼稚さを晒す事は、教団の
品位にも泥を塗ってる事だよ...(もっとも泥の上に泥を塗るのは、
その品位がそのまま維持される事なんだけど)...2世紀のローマ
のキリシタンがこんな連中の集まりだったら、ローマ皇帝がライオンの
エサにしたのも頷けるw...ローマ市民がライオンに食われるキリシタン
を見て、拍手喝采したのも頷けるw....
649名無しさん@3周年:2007/02/19(月) 15:56:22 ID:piX/3GaW
ココモ君、痛杉Y(>_<、)Y ヒェェ!

431 :ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/18(日) 12:34:42 ID:TCEWXNRB
>>418
>神ゼウスはギリシャ神話の主神でキリスト教とは無関係です。
新約聖書のギリシャ語は「神」を「θεον」「θεος」(ゼオス)と
言うんですよ...もしかしたら、キリスト教は聖書と無関係
なんすか?



432 :名無しさん@3周年:2007/02/18(日) 12:51:59 ID:xPzQoxog
>新約聖書のギリシャ語は「神」を「θεον」「θεος」(ゼオス)と
>言うんですよ

ココモ君 なんでもいいから文法書を一冊読もうよ
痛すぎ。
1.「θεον」は対格「θεος」は主格 格で語尾変化しているが一緒の単語
2.「θεος」は(ゼオス)と発音しないよ「theos」だね
650キュロス:2007/02/19(月) 18:39:15 ID:53BpPzFe
>>643
マタイ福音書 13章45節〜46節
>また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
>高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

さて 次ぎに来るこの喩え話しでは 天の国は 良い真珠を捜している商人 に似ている
って言うのんだね。
つまり畑の宝の譬えの様に 畑に隠してある宝が 天の国 に似ている つまり 天の国が 宝というもの
に喩えられている のではなく 商人に喩えられているんだね。

畑の宝の譬えでは 人間が 天国を手に入れる為に 持ち物を全て売って 天の国を手に入れる
それに対して この譬えでは 天の国が 良い真珠を見つけると 持ち物を売って それを買う って言うんだね。

良い真珠は 何を喩えているんでしょうね。良い人 の事ですかね?
良い人 では喩え話で話す意味は ありませんよね。

だとすれば アレ でしょうね。

651キュロス:2007/02/19(月) 18:49:01 ID:53BpPzFe
これらの 喩え話しは
毒麦の喩えの解説の後 に続いている話しなのだから。
毒麦の喩えばなしを 補足・強調の為にではないだろうね。

13章36節〜43節で 毒麦の喩え話しの説明は 完了してるからね。
後に 同じ内容の 喩え話しをする意味は 無いよね。

だとすれば その毒麦の喩えの解説に対する 喩え話し だろうね。
652ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/20(火) 01:24:04 ID:FBV7mrQA
>>649
>ココモ君 なんでもいいから文法書を一冊読もうよ
>痛すぎ。
これがキリスト教徒のオツムだよ、お前もアホのプロテだろ...
幼児学校のギリシャ語口座で70点位とりたいんか...
>>650>>651
これがアホのプロテのオツムだよ..幼児学校の次のテキストはなんだべ

ここは幼児学校じゃないよって言っても、いっこうに理解しないアホどもが
いるんだから、何か実力行動氏なきゃアカンヤロ....ダニエルさんが
いなくなっちゃったから閉鎖するか...馬鹿ドモはいつまで経っても
馬鹿ドモだし、一種の病的状態だとも思える...




653サロメおたあ:2007/02/20(火) 01:37:16 ID:FBV7mrQA
サロメ、希望があるぞw
http://www.christiantoday.co.jp/international-news-879.html

ハガード氏、3週間の治療で回復

▲テッド・ハガード氏


自分が同姓愛者であることを告白していた米キリスト教の福音主義連絡組織「米国福音同盟」(会員3000万人、以下、NAE)
元代表のテッド・ハガード氏(50)が、3週間にわたるカウンセリングを受けた結果、完全な「異性愛者」となったと7日付のニュー
ヨークタイムズ紙が報じた。

NAEの元代表であり、ニューライフ教会(同1万4千人、コロラド州)の主管牧師でもあったテッド・ハガード氏は、04年マサチュ
ーセッツ州が同姓結婚を合法化したことに対して全国規模で巡回しながら反対運動を開き、コロラド州で同姓結婚禁止法案が
採択されるよう積極的に活動してきたが、去年、同氏の同性愛の不適切行為が指摘され、全世界に衝撃を与えた。

ハガード氏は治療後、ニューライフ教会の関係者らに電子メールを送り、「治療を受ける期間がまるで3年のように感じられたが、
イエス・キリストはわたしを以前のように取り戻してくださった」とした上で、「私は自分が行った行為と他の人々に及ぼした衝撃を思い、
後悔していた」と明かした。

ハガード氏からのメッセージを受け取った同教会関係者は、「彼の同姓愛的行動は継続されなかった。
彼はもう完全な異性愛者となった」との見解を示した。
654あぼーん:あぼーん
あぼーん
655あぼーん:あぼーん
あぼーん
656あぼーん:あぼーん
あぼーん
657あぼーん:あぼーん
あぼーん
658サロメおたあ:2007/02/20(火) 01:42:51 ID:FBV7mrQA
マタイ福音書 13章45節〜46節
>また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
>高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

さて 次ぎに来るこの喩え話しでは 天の国は 良い真珠を捜している商人 に似ている
って言うのんだね。
つまり畑の宝の譬えの様に 畑に隠してある宝が 天の国 に似ている つまり 天の国が 宝というもの
に喩えられている のではなく 商人に喩えられているんだね。

畑の宝の譬えでは 人間が 天国を手に入れる為に 持ち物を全て売って 天の国を手に入れる
それに対して この譬えでは 天の国が 良い真珠を見つけると 持ち物を売って それを買う って言うんだね。

良い真珠は 何を喩えているんでしょうね。良い人 の事ですかね?
良い人 では喩え話で話す意味は ありませんよね。

だとすれば アレ でしょうね。

659あぼーん:あぼーん
あぼーん
660あぼーん:あぼーん
あぼーん
661あぼーん:あぼーん
あぼーん
662あぼーん:あぼーん
あぼーん
663あぼーん:あぼーん
あぼーん
664あぼーん:あぼーん
あぼーん
665あぼーん:あぼーん
あぼーん
666あぼーん:あぼーん
あぼーん
667あぼーん:あぼーん
あぼーん
668あぼーん:あぼーん
あぼーん
669263547:2007/02/20(火) 02:06:37 ID:FBV7mrQA
入ってくる言葉がどんなに善いものであっても、
出て来る言葉が悪いのものになってしまうんだよ。
それが器の悲しいところ...
いのちの泉から流れ出す水を全て受け止めることはできない。
小さな柄杓でくんだ水を分け与えることしかできないのだよ。
たとえ柄杓の水が枯れることはないにしても。
汚れた器は水を濁し、苦くする。
それだから贖われることを待ち望むんじゃないか。
主が再び来られる日まで羊たちにひもじい思いをさせるのは、
父の御心ではないと思う。
僕があなたたちに差し出す水は苦く、その渇きを癒すには足りないが、
求める人を拒むことはできません。
願わくば、主があなたがたの内に泉をそなえて下さるように....
670名無しさん@3周年:2007/02/20(火) 02:28:56 ID:a87NC08n
腐った宗教はやめましょう
DAISOで買い物をして
世界平和の資金作りに貢献しましょう!
創価学会バンザーイ
南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経

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671名無しさん@3周年:2007/02/20(火) 08:56:44 ID:KSJsUj4n
>653 :サロメおたあ :2007/02/20(火) 01:37:16 ID:FBV7mrQA

>652 :ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/20(火) 01:24:04 ID:FBV7mrQA

お〜い、ID同じだぞぉ〜
頭隠して尻隠さずに、荒らしてらぁ〜(プッ
いったい何年、2ちゃんねるやってんだぁ〜
672名無しさん@3周年:2007/02/20(火) 20:50:25 ID:jP9x4+u0
>>669
いい事書いてあるね ココモ先生。
疲れているの? 肩揉んであげようね。モミモミ。

良い真珠ってなんでしょうね?
今まで、そこで立ち止まったことなんて無かったなぁ
アレとはワレのことなんだと思い知らされた。

ココモ先生もナニだけど、キュロスさんも夜毎に人を
悩ませるツミな人だわなぁ。
673サロメおたあ:2007/02/20(火) 23:30:32 ID:KSJsUj4n
ココモタン、中傷にめげず頑張ってください。
674263547:2007/02/20(火) 23:34:21 ID:KSJsUj4n
>創価学会バンザーイ
>南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経 南無妙法蓮迎経

さすが、ココモ先生
いいこと書くな
675ココモスキー:2007/02/20(火) 23:36:40 ID:KSJsUj4n
ありがとう、サロメおたあさん、263547さん。
これからもめげずに頑張ります。
676名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 08:37:28 ID:4+5DC9xO
だまれ、しずまれ。

嵐る波風に対し擬人化してるな…
波にしずまれ、で風にだまれってことかな?
677名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 10:44:49 ID:4+5DC9xO
アダムから、エバが創られるために肋骨が取られたことは、
通常肋骨が12本あることと、肋骨が息をする助けになる
ことが関係している感じ?
678AZ:2007/02/21(水) 10:53:30 ID:2VZNYWL5
36 それから、イエスは群衆と別れて家にはいられた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。
37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。
38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。
39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。
40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
41 人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
42 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
43 そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
(マタイ 13章)

良い種は、福音、救済預言、聖書
人の子は、人間の子孫
畑は地球、地球人の歴史
毒麦は、サタン、とその手先、闇の子
収穫は、この世の終わり、地球人の時代の終わり
679AZ:2007/02/21(水) 10:54:20 ID:2VZNYWL5
地球人は、この世の終わりに、次の時代の自分達の主人を
キリストにするのか、それともサタンにするのか、
の選択をしなければならない。
二者択一である。
二人の主人に仕えることはできないのだから、どちらか一方を選択しなければならない。
地球人が選んだ方が次世代からの主人となる。

もし、地球人がキリストを主人に選んだ場合、キリストは毒麦、サタンに仕える不義なる者を排除して、
義人と共に、この地上に御国を建設していける。
ここでは、この場合を想定して述べてある。

しかし、地球人が自分達の主人にサタンを選んだ場合。
キリストは地上に降りて来れない。
地上に御国の建設する夢は断念しなければならない。
しかし、義人がいたなら、サタンに支配されるのは哀れだ。
その場合は義人を集めて、天に引き上げて、キリストが義人を保護し、引き取る。
これを、掲挙という。
つまり、掲挙とは、キリストが地球を取れなくて、かつ、義人がいた場合にのみ行われる。
680名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 11:52:29 ID:wKuU6LRZ
>>679

>二者択一である。
>二人の主人に仕えることはできないのだから、どちらか一方を選択しなければならない。
>地球人が選んだ方が次世代からの主人となる。

つまりどちらを選ぶかは人間の自由意志なんですね。
んで、サタンじゃなくてキリストを人間が選んじゃった場合、

>もし、地球人がキリストを主人に選んだ場合、キリストは毒麦、サタンに仕える不義なる者を排除して、
>義人と共に、この地上に御国を建設していける。

…という「粛正」が行われる、と。
なぜなら
「義人はいない。ひとりもいない。
誰もかれもみな迷い出て、皆ともに無益なものとなった」

とあるわけですから。

…となると、人類としてみれば絶対にキリストを選ぶべきではない、と結論されますね。
なにせ人間の自由意志で
「今の状態か、キリストによる滅びか」を選ぶわけですから。

>つまり、掲挙とは、キリストが地球を取れなくて、かつ、義人がいた場合にのみ行われる。

それなら早く「携挙」が起こってほしいものですね。
自称「義人」どもにはさっさと地上からお引き取り願いたいものです。
「地球を取るのに失敗したキリスト」ってのもなかなかオツな構図ですが…

681名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 12:38:59 ID:4+5DC9xO
掲挙される資格はなんだろ。贋キリストに従わず苦難を耐え忍こと?
682AZ:2007/02/21(水) 13:16:00 ID:2VZNYWL5
>掲挙される資格はなんだろ。贋キリストに従わず苦難を耐え忍こと?

27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
(マタイ 16−27)

ここに「おのおのその行ないに応じて報いをします。」
と書かれてあります。
イエス(天使)の目的、つまり、天使の地球復帰運動に協力して、その為に具体的な行動をした者だけを救うのです。
683AZ:2007/02/21(水) 13:30:05 ID:2VZNYWL5
>>二者択一である。
>二人の主人に仕えることはできないのだから、どちらか一方を選択しなければならない。
>地球人が選んだ方が次世代からの主人となる。

>つまりどちらを選ぶかは人間の自由意志なんですね。

24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
(マタイ 6−24)

神〜神の忠実なる僕である天使〜キリスト。

富〜マモンの神、シナイの荒野でイスラエル人が拝んだ偶像、偶像崇拝、拝金主義、異教信仰、バアル信仰、
 〜悪魔崇拝、サタン、反キリスト、獣。

地球人全体でどちらを主人に選ぶかの選択と
個人でどちらを主人に選ぶかの選択がある。

掲挙とは、
地球人が全体としてサタンを主人に選んだ場合に、
個人でキリストを選んだ人がいて、
その人が天使の為に協力的な行動をした場合のみに、
その人を救う為に行う救出作戦です。

>それなら早く「携挙」が起こってほしいものですね。

掲挙は2000年に予定されています。
684名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 20:37:27 ID:4+5DC9xO
なんで宇宙人画像が怖いんだろう。
685名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 20:38:45 ID:wKuU6LRZ
>>683
なんだ、2000年って携挙はすでに起こってるんですね。

これでイエス・キリストとかいう構ってちゃんの面を見ることもないわけだ…
人類にとっては厄介払いできて一安心といったところでしょうか。

686名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 20:47:47 ID:4+5DC9xO
ペンギンは人を怖がらなかった。
人の居ない地域の熱帯魚も人を怖がらないな。
687名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 21:11:38 ID:4+5DC9xO
神様を怖いと感じているのだろうか。
キリスト様はちょっと怖い処もあるけど怖くないな。
神様を怖く感じない人が一般的かな。人は悲観的でいられないから
都合良く想像する。
688名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 22:15:51 ID:acKiVohE
>なんだ、2000年って携挙はすでに起こってるんですね。

いえ、掲挙の予定は2000年の3月から6月までの期間だったんですけど、
今回は該当者がいなかったんで、中止になったんです。
聖書でも記述されていますが、より詳しくは、もう一人のメシアが記述してくれています。

ノストラダムス 9ー44

逃げよ逃げよ、全てのジュネーヴから逃げ出せ
黄金のサチュヌルは鉄に変わるだろう
巨大な光の反対のものが全てを絶滅する
イエスの再臨の前に、大いなる空は前兆を示すだろうが

逃げよ、逃げよ、獣、反キリストの支配が始まる前に逃げ出せ
キリストを装ったサタンの支配は、やがて本性を顕してきて、酷いものになる
大勢力の闇の子サタンの軍勢は汝らを全て使い捨てにして、汝らはこき使われて死ぬ
イエス再臨の前に天はグランドクロスという徴を示す
689名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 22:16:55 ID:acKiVohE
ノストラダムス 1−80

第六の天の明るき輝きより、
ブルゴーニュにて激しく雷鳴が轟かん。
それから醜悪極まる獣より怪物が生まれん。
三月、四月、五月、六月に、偉大な大工、そして反芻。

第六の天使がラッパを吹き鳴らし
金持ちに天罰が下される
その後で恐ろしい獣、サタンが姿を現す
2000年の三月、四月、五月、六月にイエスは約束したことを果たす

2000年の三月、四月、五月、六月に、イエスが約束したこと、
サタン来る前に義人を集めて引き取る、という掲挙が予定されている。
黙示録の第六の天使がラッパを吹く。
イエスが義人を天に引き上げた後で、
恐怖の大王であるサタンが天から降りて来て、姿を現す。
自分達が金持ちだと思っていた者達に、神の怒りと天罰が下される
690>689:2007/02/21(水) 22:49:36 ID:43fTjsBj
その前に、うざいココモを、罰してください。
691名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 23:35:28 ID:i+meaTgU
ココモは象徴を理解できない原理主義者です。
聖書の成立過程しか関心がないので、結局、聖書の真意を理解できません。
悪態をついて、馬鹿笑いするしか、能がありません。

聖書の最終有効期限、救済の最終期限はダニエル書の最後に書かれてあります。
692名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 23:48:07 ID:43fTjsBj
>聖書の最終有効期限、救済の最終期限はダニエル書の最後に書かれてあり
>ます。

では、ローマが滅んだ今となっては、再臨はない、ということでよろしいんですか?
693名無しさん@3周年:2007/02/22(木) 03:00:43 ID:qkS1l/we
ココモ釣れんぬ。再発したとか…
694名無しさん@3周年:2007/02/22(木) 07:45:08 ID:XVkpzf7s
ココモの聖書研究に反応してくれる奇特な人間といえば、このスレの常連くらいだから、
釣らなくても、自分のほうからホイホイやってくるってwww

>ダニエルさんがいなくなっちゃったから閉鎖するか.
こんな啖呵きっちゃった手前、顔出しにくいのさ
でも本心は聖書研究の成果を発表したくてウズウズしているのは間違いない
695AZ:2007/02/22(木) 08:18:43 ID:yJ86DGjH
>では、ローマが滅んだ今となっては、再臨はない、ということでよろしいんですか?

ローマ?
ローマ帝国のこと?
ノストラではローマはエルサレムの代用だけど。

ローマはともかく、掲挙は2000年に予定されていたんだけど、
今回は該当者なし、ってことで中止になっちゃたの。

>>聖書の最終有効期限、救済の最終期限はダニエル書の最後に書かれてあり
>ます。

簡単に計算できるよ。
666+1290=1956
666+1335=2001

だから、あと、黙示録11−3も参考にしてね。
696名無しさん@3周年:2007/02/22(木) 14:41:14 ID:qkS1l/we
ココモにアホプロテと称される人は、ココモ現象を快く思わない
という説があるが、ココモの何が本質的な悪なのか解る?
697名無しさん@3周年:2007/02/22(木) 17:22:19 ID:XVkpzf7s
ココモを快く思わないっていうか、呆れちゃうんだよね。
うちにホームステイさせてやっていたイギリス人を思い出すよ。
日本語がまったくできないし、覚えようともしないくせに、
日本はどうの、日本人はどうのとえらそうな御託を並べる奴でさ。
思い込みの激しくて、聞く耳持たない奴とは会話が成立しない。
ココモには呆れちゃうことはあっても、別に不快感はなかったな。
698名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 12:22:15 ID:Kwl8hAAm
>簡単に計算できるよ。
>666+1290=1956
>666+1335=2001

それでも、とっくにおわってる(w

699名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 13:06:51 ID:aF/C7vPE
>それでも、とっくにおわってる(w

だって該当者いないんだもん。
いなきゃ、迎えに来ないわな。
だいたい、イエスが来る時に現れるという「天の徴」
って、1999年のグランドクロスでしょう。
黙示録でも預言されていたじゃん。
1999年の7の月に「天から降りて来る大王」ってイエスのことだもん。
だって、あれは「恐怖の」って一般に言われていたけど、
「贖い主」って意味もあるんだもん。
1999年が締め切りで、それまでにイエスの指示を守った義人がいたなら、
翌年2000年に掲挙してあげましょう、
っていう計画で、それを預言しといたんだから、
言いつけを守らない奴なんか助けないよな。
イエスだって、「実のならない無花果なんて枯れておしまい(お終い)」
って役立たずの愚者を呪っただろう。
2001年には、天使の救済計画は全て完了しているんだってばさ。

そうそう、これから来るのはサタンだからね。
700名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 13:26:47 ID:Kwl8hAAm
>だって該当者いないんだもん。

予言がはずれたということ(w
701642:2007/02/23(金) 13:34:17 ID:VPbIpHSH
>>698

でもココモさんはけっこういいことも言ってるんですよ。

以前のレスでも「μετανοεω(μετανοια)の持つ意味の多様性」についてはかなり鋭いことを言ってます。
この言葉を自動的に「悔い改める(悔い改め)」と訳して、その目的語を勝手に「罪」にしてしまうという誤りは、以前正統教会ではかなり無反省に繰り返されてきましたから。

まあ、たまに「πασ(σの終止形は出ないんです、すみません)」を「冠詞」って言っちゃったりとかはありますが、
面白い視点から聖書を見てると思います。

ここは「聖句の解釈をマターリ語る」ところなので、別にその解釈がいわゆる「正統的」なものでなくてもいいし、
「正統的(と自分では思っている)解釈だけが正しい」との視点から他の意見の人を議論からはずれて執拗に攻撃すれば、
たとえ「正統的」な人でもここでは「荒らし」だと思います。

とはいえ最近のココモさんはちょっと変だったな…大丈夫かな?
ご病気だと聞いているので、心配しているのですが…
702名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 13:41:01 ID:Kwl8hAAm
悪霊にやられているのは、昔から。
703名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 13:46:34 ID:Kwl8hAAm
「ユダの謎解き」クラッセン著 青土社 における、「裏切り」と「引渡し」
については、どうよ?
704642:2007/02/23(金) 13:50:41 ID:VPbIpHSH
あ、ごめんなさい、>>701>>697さんへのレスです。
>>698さん、ごめんなさいね。

あと、私は病気とか犯罪や悪事、不信仰なんかをみんな「悪霊のせい」「悪霊に憑かれている」で片付けてしまう考えは、あまり好きではないですね。
そのような考えが聖書的とも思えませんし…
705AZ:2007/02/23(金) 14:46:36 ID:ZQv8SnE3
>予言がはずれたということ(w

違う違う。
あなた、預言の意味を理解してないでしょう。
聖書っていうのは、後から歴史に付加されたもので、作者の予定書、計画書なの。
だから、預言書(聖書)を書いた時点では、結果がどうなるのかは判らない。
掲挙を行う予定期間は告知しておいたけど、その時に掲挙すべき義人が何人いるのかは、
作者にも判らない。
それは、預言を与えた時間系がその時に達してはじめて判明することだからね。
706名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 15:25:36 ID:Kwl8hAAm
それっじゃ、予言の意味ねーじゃん!
707AZ:2007/02/23(金) 16:04:52 ID:SyxcsuDR
>それっじゃ、予言の意味ねーじゃん!

あなたが求めているのは予言でしょう。
自分でもその字を使っているじゃん。
予言というのは、ただ未来の出来事、事件を事前に予告すること。

でも、聖書は預言書。
預言というのは、神(または天使)から、言葉を預託されたもの。
預言は、ただの事件を予告するものではない。
「神の計画」を記した書物なの。
708名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 17:56:11 ID:Sjqssge1
預言と予言の、元の語はなに?
どうちがうの?
709名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 18:00:39 ID:Sjqssge1
当たらない預言は、神の預言ではないはずだが、、、
710AZ:2007/02/23(金) 18:43:00 ID:vFYaDpg5
>預言と予言の、元の語はなに?
>どうちがうの?


予言は未来を予め(あらかじめ)言うこと。
預言は、神(または天使)から言葉を預かって(あずかって)記述したもの。

予言は個人が勝手に述べたこと。

預言は、神(または天使)が作成した言葉を、神(または天使)が預言者に霊感(インスピレーション、テレパシー)
を用いて、そのまま書き写させたものだから、
預言の真の作者は、神(または天使)である。

>当たらない預言は、神の預言ではないはずだが、、、

それは、預言というのは、「この歴史だけを記述したものではない」から。
711名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 18:46:55 ID:Sjqssge1
>預言と予言の、元の語はなに?

あほ、原語だよ、原語だよ
712名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 20:41:15 ID:GDfdwD69
宗教板に来て、予言と預言の区別も知らない素人じゃあね。
日本語の勉強から始めた方がいいよ。

聖書は預言に決まっているじゃん。
日本語の予言と預言の意味も知らない奴が原語を知ってどうするの?

原語を知りたければ
自分で調べるか、
ココモに聞けば?

ところで、ココモはパラダイスに逝かれたのかしら?
713名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 21:10:11 ID:Sjqssge1
>>712
どっちも同じだ。聖書には、予言と預言のくべつなどない!
714名無しさん@3周年:2007/02/23(金) 21:15:23 ID:Sjqssge1
>預言書(聖書)を書いた時点では、結果がどうなるのかは判らない。
神の言葉じゃないってことだろ(w
715名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 00:44:56 ID:ML1uRSmL
ココモがこけたら、キュロスもこけた
なにか意味があるのか(w
716名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 09:36:30 ID:JozwNOPK
ココモ=キュロス=ダニエル=サロメ

皆さんパラダイスに逝かれますた。
717名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 11:14:46 ID:ujMiNzTy
謎なのはおまいらがココモが乙るとともに沸いてきたことです。
718うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/02/24(土) 11:25:02 ID:4nkNZ4s5

少し加えさせてもらうなら、

預言には予言が含まれていることがあるよね。

あと、天使の言葉というのは、神の言葉が伝えられたものなのだから、

結局すべて「神の言葉」だということになるね。
719名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 12:59:30 ID:MVtic/SG
あのね、聖書というのは、全て聖霊からの霊感によって書かれた書物なの。

だから、聖書は全て「預言」

聖書には、予言は一切含まれてない。

そんなの常識。
720名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 14:18:55 ID:ujMiNzTy
神様がアダムらに向けて表現した「命の木から」云々が予言の範疇っぽ
721名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 14:30:08 ID:ujMiNzTy
預言のなかにある予言みたいな?
722名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 20:52:14 ID:ujMiNzTy
基督教での信仰的な意味で予言とは、神様が設定した摂理を
予測し予告すること。
でいいのかな?
723名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 21:03:35 ID:ujMiNzTy
知恵の実を食べる選択をした事による、進行するべき摂理が、
命の実を手にすることであったため、神様は摂理を超える操作をした。
…何れ、人が命の実を手にすることは決まっていたということか??
724キュロス:2007/02/24(土) 21:03:39 ID:8z56YyVT
パウロが多用した予形論ってのも有るね。

当時のユダヤ教では、預言は止んだ と信じられていたらしい。
725名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 21:14:49 ID:ujMiNzTy
人が摂理の中にあり、その人とともに神様あることを表すのが
人が動物に名前をつけることから解るな。
726名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 15:46:09 ID:j0oZN15o
ココモが質問箱を荒らしてるぞ。
案の定、研究発表したくてうずうずしてたらしい。
しかし、質問箱に落書きしてどうすんのさ。
小学生じゃあるまいし、ルール守れないのか、バカモスキー先生よ。
727名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 18:11:56 ID:Z3nOjCfs
〉723 のでキリストが必然することの気配がする。
微妙だな―
なんで命の木を管理させ、実を得ることを禁じたのか…
728名無しさん@3周年:2007/02/25(日) 19:13:58 ID:HIaox4aU
test
729名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 00:20:19 ID:Wnchyexc
清いことと罪がないことは別か?
罪が有っても清い。汚れているのは悪い霊であって、
悪い霊に支配される善い霊は、罪はあるが清い。
730名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 00:24:59 ID:Wnchyexc
清いというのは大祭司以上の権威に判定して貰う。
731名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 00:34:49 ID:Wnchyexc
祭司以上の権威か。
汚れは努力(民間療法)で治そうとしたのかな?
732名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 01:23:50 ID:JF6zV5ZY
>765 :ココモスキー ◆VAutiIin4w :2007/02/28(水) 00:41:30 ID:xRbwzMqk
>>763
>>新約聖書にでてくるイエスさまの言葉って信憑性に欠けないか?
>だから言ってるでしょ...「イエスは***と言った」と言う聖句
>は生身のイエス様が実際に言ったのではなくて、「イエスは***と言った」
>と書けば、その文章に威厳がつくからですよ...だから生身の人間
>の言葉じゃないんですよ...
ココモが質問箱で初心者を惑わしているよ・・・。
この粗大ゴミどうにかならないの?
733名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 01:27:17 ID:JF6zV5ZY
なんかまた、質問箱でわけのわからないこと書いてる。
こんな鬱陶しい長文だれも読まないのに。寝るわ。
734名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 07:07:15 ID:6q/UONcD
>>727
実を得るための籠はどこにありますか?
735野次さん:2007/02/28(水) 07:46:50 ID:gNqOtiMu
新約の言語は、προφητης予言者。

προφημι(προ予め+φημι言う)予言するという動詞から派生。

預言者という訳語がキリスト教的に適訳とされるのは、
旧約ヘブライ語の「神に代わって民に伝える人」
「主より言葉を預かって語る人」の訳語だとされるからだね。

ギリシア語的には、
デルフォイの神託でピュトンの霊に憑かれて恍惚状態で意味不明の言葉を
語る巫女の言葉を通訳した人という意味(ヘロドトス)や
憑かれて語る人自身(プラトン)。
神の代弁者というニュアンスで使用。

イスラエルでも元々はギリシアと同じく
「押さえても押さえても中からあふれ出す者」という語で
恍惚状態で神の言葉を夢中で語る者や
未来予告という意味で「見る者」という語が使われていたそうだ

以上 織田昭 新約ギリシア語小事典p507より
ご確認あれ
736名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 15:34:31 ID:JF6zV5ZY
旧約で預言者といっても、神の人、ローエー、ホーゼー、ナービーと区別されているからね。
預言者か予言者か、一概にはいえないよ。
737キュロス:2007/02/28(水) 19:01:11 ID:qcrlDTlw
創世記 3章17節〜19節  新改訳
> また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが
>命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。
>あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

通常の食物は 食べる事によって 空腹が満たされる。
人間は 水を飲む事によって 渇きが癒される。

しかし エデンの善悪を知る木の実は 食べる事によって 飢える のだね。
欲望を満たす為に得るものは 欲望を満たさない。

逆に 喉が渇くから 水を飲む。或いは 空腹だから 食物を 食べる。
これらは 自然なこと つまり 特別なことではなく 普通の生活なんだね。

しかし エデンの善悪を知る木の実を食べる 事は 普通の生活ではないのだね。
食べる事によって 飢える のだから。これは 何を意味してるのかね。



まあ 平凡な面白くも何とも無い 解釈だと
知識というものは 知る事によって 謎が増える という事。
とか 神を知れば 知るほど 神が解らなくなる って事。
しかし これじゃ つまらないよね。
738キュロス:2007/02/28(水) 21:43:45 ID:qcrlDTlw
ヨハネ福音書  4章13節 新改訳
>イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

この世界に有る 水を飲んでもまた渇く とヨハネ福音書でイエスは 言っている。

シラ書 24節に興味深い 記述がある。
>私を食べる人は更に飢えを感じ
>私を飲む人は更に渇きを覚える。

ちなみに ここで言う「私」は 知恵 或いは 律法 だと言われている(岩波訳脚注)
知恵は 天地創造以前から 在る ものだと言われている。

創世記  1章2節
>地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
これは 天地創造以前のありさま だと言う解釈が普通である。 無からの創造 と言う考えは当時は無い。
無からの創造と言う考え方は 後世のものだといわれている。出典を探すのが面倒だから割愛する。
つまり 水は 神の創造物 ではない 可能性があるんだね。

さあ 解りましたね。
水を 飲めば 渇く。 善悪を知る木の実を 食べれば 飢える。

水は神の創造物ではい 可能性が在る。
とすれば  善悪を知る木も 神の創造物では無い 可能性があるね。
つまり 水も 善悪を知る木も この世界のものではない可能性が在る。

ヨハネ福音書での イエスのがこの世界にきた目的或いは この世界での仕事は
この世界外のものを 世界内 のもにすることかな。


739キュロス:2007/02/28(水) 21:48:10 ID:qcrlDTlw
ルカ福音書の放蕩息子関係のほうは 例外 の次は 時間(ネタ本の関係で)
を 解釈するつもりだったが ひらめかない。

>>737 の 水と渇く 関係の 書き込みは 削除してくれ。 
740mono ◆HfNWSGfVro :2007/02/28(水) 22:55:22 ID:HUT7cl9i
やっぱりおもしろいね。
善悪を知る木の実のとこを読むといつも思いだすことがあるのね。
他スレにも書いたんだけど、昔先輩が「人が罪を犯したのは食べたから
であって飲んだからではない」ってね。出所はどこだかわからないけれど、
なるほどなぁ〜と妙に感心したんだわ。

禁じられたのが善悪を知る木の実じゃなく、酒だったらつまんないだろうね。
飲むたびにチラッと創世記を思い出す。まぁそんなことないけどね

ココモ先生 早く戻って来てくださいな
メンツが揃わないよ。

741名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 08:39:49 ID:p9RbpkG3
>地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。

キュロスちゃん、よく読んでみて。、
ここに書かれてある「水」って物質としての水なの?
地球にある水?

あれ?
でも、これって、まだ地球ができる前の話じゃないの?
いや、この宇宙ができる前の話しかな?

それと、5節、6節読んでみて。
水の中に大空を創ったんでしょう。
大空の上(外)にも水があるのかな?
じゃあ、宇宙は水でできているの?
それとも、水って宇宙(の象徴、譬え)なのかしら?
742キュロス:2007/03/01(木) 19:01:55 ID:4Z17dGna
>>741
創世記1章1節から2章4節aを 読めば解るだろうけど この箇所は
世界の成立過程と言うよりも 分割 なんだね。

つまり 光り と 闇を分ける 1章4節
水と水とを 分ける 1章6節
乾いた所と 水とを 分ける 1章9節

分ける と言うか 散らす神と言う視点で 聖書を読むと また新たな発見が有るかもよ。

マタイ福音書でも 箕で集めて分ける 網で集めて分けるよね。
743キュロス:2007/03/01(木) 19:06:13 ID:4Z17dGna
先入観を どれだけ捨てる事が出来るか なんだね。
良い 悪い とかの 全ての先入観ね。

アルカリ性のものを 中和するためには 酸性のものを 加えると良いらしいよ。
744名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 21:09:25 ID:GgfZdOmU
蛇の悪が、アダムを主とするエバの正を悪に変えた。
そしてエバの悪が、主を主とするアダムの正を悪に変えた。

…中央の木は見ることは許されてるんだっけ?
745名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 21:24:06 ID:GgfZdOmU
神様は、存在することに於いて正であるのならば、求めは必ず聴かれるはず。
746名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 21:56:47 ID:QnmZa9CH
1)それから、七つの鉢を持つ七人の御使の一人がきて、私に語って言った、「さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを、見せよう。
:2)地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。

:15)御使はまた、私に言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦の座っている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。
:16)あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
:17)神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いを一つにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。
:18)あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。

:1)私はまた、一匹の獣が海から上って来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。

11)私はまた、他の獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
:12)そして、先の獣の持つ全ての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
747名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 15:45:44 ID:URvNSQXc
ノヴァ教授語録
自然の摂理として生きる事…行為する事は
それ自体すでに「悪」を孕んだものなのです。
その事実を受け入れる事ができなければ世界は生き難いものと
なる
詩人がそうであるようにね
748名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 13:08:52 ID:kgyOOSFN
多くの犠牲のもとに成り立つ世界。
犠牲は不足から起る。
そう、人は弱く、犠牲を悲しむ。
動物であっても弱くなったペットはこの犠牲に相当するものを悲しむな。
749名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 19:42:12 ID:kgyOOSFN
人が、悲しみ違和感を感じる世(地)の摂理。
違和感を感じる弱い心が神様の存在を思考するのか。
弱いというのは依存か。
750名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 19:46:44 ID:kgyOOSFN
犠牲が起きるために地が呪われて作物が得にくくなったのか。
751名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 19:54:24 ID:kgyOOSFN
御国やエデンでは不足が無い。
いや、アダムには不足があった。経験がなかったからか。
752名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 20:17:49 ID:kgyOOSFN
蛇の言った通りに人は経験し知恵を身につけたことになる。
人は蛇の言うことを利く能力がアダムの頃からあった。
これはどういうことだろうか。
蛇の所在する処につながる予感がするな。
753名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 20:43:43 ID:kgyOOSFN
蛇は只の被造物ではない感じがあるな。
被造物でないのかもしれない。
754名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 20:57:02 ID:kgyOOSFN
キリストに対する反キリストはま逆の存在だ。
反キリストは、肉の人と供に居たく、キリストは肉の人とは居たくない。
755名無しさん@3周年:2007/03/04(日) 03:27:18 ID:xsr8iD+6
生き残るのは、強い種でも賢い種でもない。変化に対応できる種だ。

宗教による心的変化は、進化なのか退化なのか。
756キュロス:2007/03/04(日) 21:41:36 ID:hLKrd50u
創世記 2章15節 新改訳
>神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

この箇所での「耕」すとは 守ること なんだね。
原始の大地は 風や水によって浸食される。
大雨が降れば 水は川となり大地を破壊して そこに有る物を運び去る。

つまり この箇所での「耕す」とは 神が創造した世界(水と分けた大地)を
守る ことなんだね。大地と川の境界を守る 或いは 大地と水との境界を守る 事なんだね。

全く解らないけど「レバナス入門」と言う 本を読んでいるのだけど

「かたちなきものは所有できない。原始的なものは、手によって形を
あたえられ〈手〉に従属し、労働する私の所有に帰することになる。」って
レヴィナスは言ってるらしいね。

「世界が我が家になる」 とか 言ってるね様だね 彼は。。。

もっと素人に解るように書いてもらうと良いのだけどね
入門書 と言ってるのだから。
757名無しさん@3周年:2007/03/04(日) 23:26:26 ID:xsr8iD+6
構造的に飛躍した想像ができるけど、飛躍した視点で妥当性が
あるのか、どこまで聖書は精妙であるのか。
新しい視点(理解)を見付けるとわくわくする。
758名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 21:08:43 ID:1UjN3mnM
test
759名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 21:11:26 ID:1UjN3mnM
てすと
760mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/05(月) 21:18:37 ID:UeF4m4RN
創世記3:7
すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、
いちじくの葉をつづり合わせて腰にまいた。

罪を気がつかない時は、裸でも平気なのね
服を着るのは、恥ずかしい自分を隠すためなんだな。
761キュロス:2007/03/05(月) 21:49:38 ID:1UjN3mnM
マタイ福音書 6章26節a 新改訳
>空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。

同 28節
>なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、
よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

この台詞は 創世記の善悪を知る木の実を 食べる前のことを 意識したものだよね。
善悪を知る木の実を 食べる前は 労働と食 が切り離されているからね。

26節は 男性に そして 28節は 女性に言っている のかもしれないね。

無花果の話しも

イエスが大工 で
カインが町を立てる者(創世記4章17節)

だと言うもの 労働と食とに 関連しているかもしれない。
762名無しさん@3周年:2007/03/05(月) 22:17:32 ID:V1Hl6R2P
実のなかった無花果の木(道?)が枯らされたこととも繋がるかもね
763名無しさん@3周年:2007/03/06(火) 13:34:01 ID:CFXUP/J8
サロメ、希望があるぞw
http://www.christiantoday.co.jp/international-news-879.html

ハガード氏、3週間の治療で回復

▲テッド・ハガード氏


自分が同姓愛者であることを告白していた米キリスト教の福音主義連絡組織「米国福音同盟」(会員3000万人、以下、NAE)
元代表のテッド・ハガード氏(50)が、3週間にわたるカウンセリングを受けた結果、完全な「異性愛者」となったと7日付のニュー
ヨークタイムズ紙が報じた。

NAEの元代表であり、ニューライフ教会(同1万4千人、コロラド州)の主管牧師でもあったテッド・ハガード氏は、04年マサチュ
ーセッツ州が同姓結婚を合法化したことに対して全国規模で巡回しながら反対運動を開き、コロラド州で同姓結婚禁止法案が
採択されるよう積極的に活動してきたが、去年、同氏の同性愛の不適切行為が指摘され、全世界に衝撃を与えた。

ハガード氏は治療後、ニューライフ教会の関係者らに電子メールを送り、「治療を受ける期間がまるで3年のように感じられたが、
イエス・キリストはわたしを以前のように取り戻してくださった」とした上で、「私は自分が行った行為と他の人々に及ぼした衝撃を思い、
後悔していた」と明かした。

ハガード氏からのメッセージを受け取った同教会関係者は、「彼の同姓愛的行動は継続されなかった。
彼はもう完全な異性愛者となった」との見解を示した。
764名無しさん@3周年:2007/03/06(火) 14:27:03 ID:vnio0f+v
>>762

>実のなかった無花果の木(道?)が枯らされたこととも繋がるかもね

16 あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
17 同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
18 良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
19 良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
20 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
(マタイ 7章)
765mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/06(火) 23:09:51 ID:TrRz542y
耕すことは人への命令かも知れないけれど、守るってことは
ほんとは神のお仕事よね それを人に委託しているんだから
誠実に働くことが義務なんでしょう。

どんなことでも義務はちといやだな。と思う。

766名無しさん@3周年:2007/03/06(火) 23:51:37 ID:oqYJAtzV
その守るものは、親から受け継ぐべく全ての財産、でないかな?
767名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 12:57:25 ID:M2zbif6m
耕すことは変化を表しているな。
守ることと、変化させると。
苦労なく変化させた色彩は、自由に採り食べることができた。
768名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 20:47:23 ID:M2zbif6m
喩え話の、家出息子にも蛇の語りかけがあったんだろう。
そして、「あなたのあの息子」と言う表現が、アダムが事後に主に対して評価したエバへの
表現と重なるな。
769名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 20:59:21 ID:M2zbif6m
弟は、兄が父に対し厳格であり窮屈そうに見えたので、良いと思う
自由の道へ出た。
実際兄は窮屈であったことを語っているな。

このことから蛇役は兄となるか。
770名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 21:01:31 ID:M2zbif6m
つまり兄は、アダム+蛇
771名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 04:26:26 ID:/KuAw+vi
>760
人は律法の木から葉を取って身に纏ったが、
神は彼らに皮の衣をつくって着せられた...
ってのはどう?
772名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 05:14:57 ID:/KuAw+vi
詩篇104章5-9は天地創造の物語をさすのか
ノアの洪水伝説なのかはわからないけれど、
この場合の『水』をどう解釈するか?

773名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 05:57:05 ID:/KuAw+vi
全知全能の神が人を探して呼びかけるのは可笑しい
という疑問はいかにも微笑ましい。素直な問いかけだ。
この箇所を違う視点から捉えることもできよう。
『呼びかけ』の意味を掘り下げて考える。
これはすなわち『応答』なのであって、『呼びかけ』
られることで人は自分が神の目を避け『隠れている』
ことを自覚することができるのである。幼児を相手に
かくれんぼをするのに似ている。ちなみにいないいないばぁ
は、赤子が母親を認知するという心理的発達を前提に
成立する遊びである。

旧約聖書の中にイエスがキリストであることを証言
している箇所を探す方が、解釈の幅があって議論する
には面白い。
774名無しさん@3周年:2007/03/09(金) 08:11:31 ID:l1sQ84gG
>旧約聖書の中にイエスがキリストであることを証言
している箇所を探す方が、解釈の幅があって議論する
には面白い。


ついで私に次のような主のことばがあった.
「捕囚の民であったヘルダイ,トビヤ,エダヤからささげ物を受け取り,その日,あなたはバビロンから帰って来たゼパニヤの子ヨシヤの家へ行け.
あなたは金と銀を取って,冠を作り,それをエホツャダクの子,大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ,
彼にこう言え.『万軍の主はこう仰せられる.見よ.ひとりの人がいる.その名は若枝.彼のいる所から芽を出し,主の神殿を建て直す.
彼は主の神殿を建て,彼は尊厳を帯び,その王座に着いて支配する.その王座のかたわらに,ひとりの祭司がいて,このふたりの間には平和の一致がある.』
(ゼカリア書6−9〜13)
775名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 12:07:04 ID:W76oCcXY
>>772
詩104編は創1章とパラレル構成なんだから、創1章だよ。
詳しくは詩篇の注解書を読んでみそ。
776キュロス:2007/03/11(日) 18:33:20 ID:ZVP+b9bn
創世記   2章15節
>神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

この箇所で 「耕す」と訳されている 言葉は 「労働」「働く」等の意味の他に
「仕える」とか「服従する」と言う意味があるんだね。

つまり 神の為の労働であり 
神の 天地創造への協力なんだね。
777キュロス:2007/03/11(日) 18:46:13 ID:ZVP+b9bn
創世記  2章16節
>主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。

マタイ福音書 21章19節
>道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。
>それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。
>すると、たちまちいちじくの木は枯れた。

天の王国は エデンと同じような王国だよね。だとすれば
イエスが 空腹をおぼえて(21章18節) いちじくの木には 実がなっている筈なんだね。
なぜなら 人間が空腹をおぼえれば 「園のすべての木」は 実が成っているはずなんだね。

イエスが空腹を覚えて いちじくに実が成っていない と言うことは
このいちじくは 天の王国の木 ではない あるいは 木としての使命がない のだね 
つまり イエスから見れば 木 ではないんだね。 だから 枯れたのだね。
778mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/12(月) 00:25:41 ID:uKI1qCXr
マターリし過ぎて、忘れた頃にレスをしてしまいます。
皆さんもそうですよね きっと。

説教が長いんで、凝ったしおりの主の祈りを眺めていたんですよ
御国を来たらせたまえってとこは、ほんと神との共同作業だと思った
神の国に行くことを望むよりも、この地上に神の国を作っちゃうんだから
神が手伝ってくれないとできないことだなぁ。と思いましたね。
779名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 03:40:39 ID:/AF9kKGF
しかしさ、派生的な語意は創世記が書かれた後に出てきた可能性
もあるよな。
古い文献は言葉本来の意匠に重みをおいたほうがいいかもしれんね
ココモ的にも後世の文化的誘導が正しいかどうか。
780キュロス:2007/03/12(月) 19:06:03 ID:DhUxdCMP
その箇所は 70人訳では たぶん 「εργαζεσθαι」 だと思う。

たぶん 仕事 くらいの意味かな。
781名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 12:22:13 ID:C9jixK6X
ヨハネの黙示録 / 22章 19節
また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。


マルティン・ルター
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC

ルターは旧約聖書の諸書の選択において、七十人訳聖書にあってマソラ本(ユダヤ教徒によって編纂されたヘブライ語聖書)にないものを旧約聖書から排除した。
また新約聖書でも『ヤコブの手紙』、『ユダの手紙』、『ヨハネの黙示録』は自分の義化のアイデアとそぐわないと考えたため、排除した。
ルターが排除した諸書は新約聖書ではやがて元に戻されたが、旧約聖書の方はルターによって外された諸書はそのままで現代に至っている。
ルターが聖書の翻訳において、自分の義化説に合うように本文解釈を行って訳したことも知られている。
782名無しさん@3周年:2007/03/14(水) 17:15:26 ID:EyLbvaj1
ヨハネの黙視録は、その内容を神と自身と他者との関係に
用いる書じゃなく
神と自身との関係ダケに用いる書だと思うんだけども、
そういう意味で全体から浮いていて、総合的な意義が薄い感じ?
要らないては言えないけど、削るんなら浮いてる黙視録?
みたいな?
783名無しさん@3周年:2007/03/14(水) 17:56:39 ID:IxqS3KY/
>>782
>ヨハネの黙視録は、その内容を神と自身と他者との関係に
>用いる書じゃなく
>神と自身との関係ダケに用いる書だと思うんだけども、

とか
>そういう意味で全体から浮いていて、総合的な意義が薄い感じ?

とは何でそう思ったのか教えてください。

私見では、黙示録ほど「聖書全体のシメにふさわしく書かれた」ものはないように思います。
だから逆に「よく出来すぎ=かなり後代によるもの疑惑」が起きたりもしそうですが。

24人の長老が子羊にひれ伏す場面なんかはモロに
「キリストは旧約聖書(世界?)の崇拝対象である」と言いたい文章だと思うので、

>神と自身との関係ダケに用いる書

という結論からは正反対なところに行くのでは?
むしろ黙示録の著者は
「子羊こそは最終的に全てを統べる」ことを言いたいんだと思います。
神=人の1対1関係よりも、
子羊が人類や世界に対して持っている権威や力を描いてるように思うのです。

784名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 10:32:08 ID:iUH84hk8
ヨハネの黙視録の正しさを証明するのは主ですから。みたいな?
人は、ただ黙視録を望むのみ。って感じ?
内容を議論して、勝手に真意を隠す方向を示唆したりすると、
死んじゃうからいけないって感じ?
785名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 17:27:15 ID:Ds++TSEq
>>784
えっと…素朴なことを伺いますが、あなた黙示録を読んだことはありますか?
786名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 21:40:35 ID:iUH84hk8
極端な話、ヨハネの黙視録は読んだ量が理解への絶対条件なの?
って感じ。
787名無しさん@3周年:2007/03/15(木) 23:28:13 ID:iUH84hk8
議論するべきところは、内容ではなく、その存在にあるっぽ。
788名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 09:08:34 ID:EJbfFZKl
ヨハネの黙示録を書いたのはイエス。
だから、黙示録の記述はイエスの言葉そのもの。
黙示録は聖書の最後を締めるに相応しい書。

この世の初めは創世記に書かれてあり、
この世の終わりは黙示録に書かれてある。

これで、預言書、神の計画書としての聖書が完結する。
789名無しさん@3周年:2007/03/17(土) 12:29:28 ID:BG3rQlIV
ヨハネの黙視録は集大成って感じ。内容の議論は要らない。
信仰の面向きのある人が経れて、確かに〆にふさわしい感じ?
でも、ソコが他と違うトコ。絶対な厳しさ成分が占めてて浮いてる
790名無しさん@3周年:2007/03/17(土) 14:10:31 ID:q5cxBbOJ
>>786-787>>789

えっと、>>784と同じ人かな?

>ヨハネの黙視録は集大成って感じ。内容の議論は要らない。

と言いながら、

>要らないては言えないけど、削るんなら浮いてる黙視録?
>みたいな?

となぜ言えるのですか?

あなた、例えばお友達からお手紙が来たら、どうされます?
普通はまず読むでしょ?
「お手紙来たよ、嬉しいな」っていってそのまま読まずに金庫にしまったりしますか?
しませんよね。

まして内容も見ないまま「削る」なんてしないでしょ。

>内容を議論して、勝手に真意を隠す方向を示唆したりすると、
>死んじゃうからいけないって感じ?

とおっしゃいますが、内容も見ずに「削る」ほうがよほど「真意を隠す」ことになりませんか?

>神と自身との関係ダケに用いる書

ならなおさらです。
内容を見るかぎり、黙示録(に限らず聖書全体)は「読まれることを欲している」書物だと思います。
日本などのいわゆる「御神体」のように、神棚の奥にしまい込み、万古不易の書として門外不出にするような書物ではないように思うのですが…

791mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/18(日) 00:42:24 ID:7VuHteBA
>>790
> 内容を見るかぎり、黙示録(に限らず聖書全体)は「読まれることを欲している」書物だと思います。

なんとも言えず嬉しいレスですね。
寝る前に読んでみようとおもいます。

792心と宗教と名無しさん:2007/03/18(日) 08:24:47 ID:D1FWds3c
読む量はゼロじゃないよ。
理解したと思い込むこと(改変的)を排除する旨を黙視録の最後で
明示してるよ?
只の手紙じゃないっぽ。

書そのものが、どのようなものなのか、内容については冒頭に、
書については最後に。最後に記すことに気がついたっぽ。
793心と宗教と名無しさん:2007/03/18(日) 08:36:11 ID:D1FWds3c
削るってのは、プロテスタンの創始者が黙視録を排除したかった
理由を、自分なりに考えたダケ。他の書との、用いかたによる
重みの差については、より支持するっぽ。
この書は浮いてる感じ。
794神も仏も名無しさん:2007/03/18(日) 19:32:14 ID:D1FWds3c
65巻の後ろだてがあってのヨハネ黙視録であるから
ノストラ予言とは格が違うっぽ。
795mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/19(月) 17:32:01 ID:0Gu2zezc
マラキ書2:17
あなたたちは、自分の語る言葉によって主を疲れさせている。
それなのに、あなたちは言う どのように疲れさせたのですか、と
あなたたちが悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるのか
主は彼らを喜ばれるとか
裁きの神はどこにおられるとか、などと言うことによってである。

いい御言葉ですね はじめて知りました。
わたし達は、何でもかんでも神に一々話しかけないようにし、
ま、一々報告はしてないけど、時々は、神をお休みさせなくちゃ駄目ってこと?
796神も仏も名無しさん:2007/03/19(月) 17:46:13 ID:4l5/yeOI
>>795
マラキ全体を通して言えることは
「神を自分や共同体の利害の為の道具として使うな」
ということかな?と思います。
797キュロス:2007/03/19(月) 19:10:03 ID:RNuDNLIG
ルカ福音書 9章57節
>さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、
>どこにでもついて行きます。」
>すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」

これ解らないね。この箇所は 「所」 がなぞを解く鍵かもしれないね。

枕する所もない ってことは イエスは「所」に行くのでは無い ってことかね。
解らないね。 ある場所に行く のではない ってことかな。

ルカ福音書の 喩え話しは 面白いんだよね。

798神も仏も名無しさん:2007/03/19(月) 23:45:48 ID:WHbua6Gp
MONOはクリスチャンハウスの子じゃないのか?
799神も仏も名無しさん:2007/03/20(火) 18:46:55 ID:j/pI45qY
聖書が存在することの原始的な意義は「関係」であり、
関係の基礎要素に、「好」と「憎」がある。
これらを『愛』とする。
800神も仏も名無しさん:2007/03/20(火) 18:52:10 ID:j/pI45qY
聖書にも現実にも「怒り」という要素が存在するが、
これについて考察する。
801mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/20(火) 20:04:17 ID:iIYk4Ckd
>>796
ありがとうございます。
狭量であり、手心を知らない。また、嫉妬心ムクムク。
驕っているし、自慢しちゃうし、衣食足りないから礼節は知らない。
損は嫌だし、怒りっぽくて、恨みは忘れず、不義は気にせず
真理はよく分からないし  以下 略。

「でも、こんなわたしでも神は愛してくださる。」って甘えちゃはいけないのよね。
>>798
里は、山賊の出って聞いています。
802キュロス:2007/03/20(火) 21:00:28 ID:pimlGoJG
ルカ福音書  9章59節〜61節
>イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。
>「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
>すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、
>神の国を言い広めなさい。」

イエスの 「わたしについて来なさい。」って呼びかけは 「神の国を言い広めなさい」と言うことなんだね。
そして それが「人の子には枕する所もありません」ってことなんだね。

この話しは エルサレムへ行く途中に交わされた会話だけど(9章51節)
イエスの目的は エルサレムと言う特定の場所・所 ではなく 「「神の国を言い広め」ること
なのかね。

そこで この箇所の「別の人」の父は 死んでいるのかね それとも まだ死でいなないのかね。
つまり 父が死ぬまで父の世話をして 父が死んでからイエスに従がう って言ってるのかな。
 
「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」 ここの「彼ら」は だれの事を言ってるのかな?
 最初の「死人」と後の「死人」は 別の死人だろうね。

何を 言ってるのかね わからんね。

色んな解釈が出切るね。 つまり 生きている喩え話し だね。
803神も仏も名無しさん:2007/03/20(火) 21:00:49 ID:j/pI45qY
「怒」や「嫌」という要素は、「好・憎」から派生する
発展型要素だ。
「好・憎」を変化させる基礎要素が「関係」に対する「無(関係)」
804神も仏も名無しさん:2007/03/20(火) 22:19:56 ID:j/pI45qY
怒りには、
805神も仏も名無しさん:2007/03/22(木) 16:33:24 ID:qgZDsbnd
政書はじめて読んだけど、はじめに夜実があったそーじゃん。それを光とヤミにわけても両方夜実じゃないんですかー?
806mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/22(木) 17:44:13 ID:evAkukTg
落語の「粗忽長屋」ちゅうのが好きなんだわ
生きている人間が、自分にそっくりな死体を見て「自分だなぁ〜」と
言うんだけどね、落語の世界って、生き死にってきちんと分けられて
いないのよね。

イエスも、生きているのか死んでいるのか分からないほどの、
信仰のない人のこと言っているんじゃないのかな?

立川談志が言ってたんだけど、落語の世界はどんなおかしな
人間でも否定しないんだって。

みなさん、たくわんとお茶を持ってお花見に行ってくださいな。
807神も仏も名無しさん:2007/03/22(木) 17:46:43 ID:evAkukTg
>>805
すみません 書いてあることがよくわからないのですが。
808神も仏も名無しさん:2007/03/23(金) 01:38:40 ID:9hCbX1C4
805の思考回路
はじめに「受精卵」があって分裂して「一卵性双生児」になっても元は同じ「受精卵」
でしょ

「夜実」をどんなもの・状態と考えているかなんだろうね
本来「無分別知」に属することだと思うが
809神も仏も名無しさん:2007/03/23(金) 10:56:17 ID:SiITlHae
>>805
>政書はじめて読んだけど、はじめに夜実があったそーじゃん。

どこのことでしょうか?
おそらく創世記かとは思いますが、はじめは「神が天と地を創造した」では?

その次に「地は混沌(tofu w-bofu、秩序以前の状態を指すとも言われるが正確な原意は不明)であった」と続き、そのあとやっと「やみが大いなる水の上にあった」と続くはずです。

であるので、聖書のはじめは「やみ」でなく「神」です。

ちなみにヨハネは「はじめにことば(λογοσ、名詞など「存在・性質をあらわすことば」を主に指す。
動詞などの「行為を示すことば」は普通ρημαと言われる)」とあります。

810809:2007/03/23(金) 11:00:08 ID:SiITlHae
失礼、>>809のヨハネの聖句は「はじめに、ことばがあった」でしたね。
書き損じてました、お詫びして訂正します。
811神も仏も名無しさん:2007/03/23(金) 11:25:13 ID:SiITlHae
>>807

おそらく>>805の言う
>それを光とヤミにわけても両方夜実じゃないんですかー?

のことを言っておられるのだと思いますが…

実は、「創造した」という意味のヘブライ語「bar'a」には「分ける」という意味があり、

>はじめに夜美があったそーじゃん
と言った>>805は創造の業を「やみを分ける」ことと解釈したのでしょうね。

私見では、神はここで地を「混沌から(を)分けた」、すなわち「秩序以前から(を)秩序を(に)分けた」過程がいわゆる「創造(bar'a)」であると解釈することはできても、
「やみを分ける、分割する」ことと解釈するのは少し難しいのでは?と思います。
それがすなわちλογοσであられる方、存在そのものであられる方の業なのかもな、とは思います。
812神も仏も名無しさん:2007/03/23(金) 11:27:49 ID:FDTtYW0K
このレスを見たあなたは確実に交通事故に会います



逃れる方法はただ一つ
↓このスレに行き
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/gamerpg/1174231454/


デア・リヒター最強



と書き込んでください。書き込まなければ確実に明日交通事故にあいますよ
813キュロス:2007/03/23(金) 21:10:53 ID:5sdDpYDk
>>801 山賊とええば

良きサマリヤ人の喩えの 盗賊に襲われた人の事なんだけど
この盗賊の 目的は 物取り ではないようだね。

「衣をはぎとり、滅多打ちにした後、半殺しにしたままそこを立ち去った」(9章30節)

衣を剥ぎとることが 目的なら その後の半殺しにするほどの暴行は 無駄で意味が無いよね。
さらに 殺さずに 半殺しにするってのも 律法てきだし。
要すに 物取りに偽装した テロ の疑いの可能性が濃厚だね。

その場を通りかかる二人が 「祭司」と「レビ人」で パリサイ系の人でないことも意味がありそうだね。

その襲われた人は エリコへ何をしに下って行こうとしたのだろうか?
エリコに何があるのか?
814キュロス:2007/03/24(土) 10:45:35 ID:lqcWpkMy
>>813
さて この事件が起きた場所は 「ある人がエルサレムから エリコへ下って行く途中、」
つまり バイブルアトラス(聖書地図) によると エルサレムから エリコへ行く適当な道順は
エルサレムから シロ シケムへ至る道を 10km程度北上して 海沿いのヤブネからエリコ
バラへ 至る道に行き当たる。その道を 東へ20Km程度 行くと エリコへ至る。

さて この被害者がこの道を通ったと仮定して このエリコへ下る行程の どこで
この災難 イヤ テロ に遭遇したのだろうか?

この テロ が起こった場所を 通ったのは 「被害者」「祭司」「レビ人」「サマリア人」
と 「加害者」の 5人或いは5集団だ。 このうち「祭司と「レビ人」は 1人つまり単独で
サマリア人も家畜を連れた単独行だろう。「加害者」は 複数だ。イエスが「盗賊ども」(36節)と言ってるからね。


被害者の身分 或いは 所属は どうだろうか?
まず 彼は サマリア人ではない。 ユダヤ人だろう。
サマリア人が サマリア人を助けた話しでは この喩えは成り立たないからね。

また祭司でも無いだろう 祭司なら通りかかった「祭司」と同郷 或いは 知り合いで
この「祭司」が 助ける可能性が濃厚だからね。
被害者が祭司なら この道を通る目的は 家へ帰るため だからね。
同様な理由で「レビ人」でも ないだろう。
要するに ローマ帝国と結託している 神殿体制側の 人間ではないだろうね。
815キュロス:2007/03/24(土) 10:57:51 ID:lqcWpkMy
>>814
この被害者は エルサレムから エリコ へ行く のではなく
エリコの方向へ 行くのなら その目的地は
例の 死海写本の集団 つまり クムラン へ行くことが目的なのかも知れない。

それなら 「祭司」「レビ人」等の 神殿体制側つまり マカバイ系の人間は
死海写本の集団は 助けないね。

彼らつまり 死海写本の集団は たしか ハスモン系 だからね。

この被害者の 所属 が解らないね。
816mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/24(土) 16:15:51 ID:khTtNipg
書いてある字面なら分かるんだけどね、そこまで考えが及ぶのは
すごいね。やっぱオタクって称号なんだなと思った。

イエスは、エルサレムへ入って、ことを成し遂げたでしょう
エルサレムから出るのはこの世に残っていることかも。

だから、盗賊はいる、見てみぬ人もいる、やな奴と思っていた人が
実は隣人だったとか。

ロバはなんだろう?
817mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/24(土) 23:06:20 ID:khTtNipg
>>811
いけない 
飛ばしてしまいました。
ありがとうございます。です。
818神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 21:01:54 ID:pr/l8HQq
聖書的な、男女関係における意義が、人の男女関係において
その意義が逆になる現象と、聖書的な裏付けとできそうな聖句
が一組あることに気がついた。
正しく聖書に応用ができれば真。できるかな…
819神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 22:08:56 ID:pr/l8HQq
上とは関係ないけど
ノアの箱舟に搭載される動物は、死の瀬戸際において主の命に
従い、争うことなく箱の暗き場所にいたのだが、この状況は、
信仰的に、現代においてあるべき状況を表しているんだよな。
そこで「様々な選ばれたつがいの動物」が現代の何にあたるのか。
820神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 22:22:17 ID:pr/l8HQq
箱舟が壊れる状況が、必然の神の怒りとして予言されている。
神の怒りの渦に飛込む状況が連想されるな。
ヨハネの黙視か。
そんな渦中で更に選びがあることが携挙の構造か。
821神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 22:43:50 ID:pr/l8HQq
いのちのことば社の新発売の絵本の広告をみて想った次第。
良い絵だなぁこれ。
822mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/26(月) 16:53:53 ID:+7ZmS3R1
先日、アークヒルズに行った時、これが方舟だったら嬉しいな、
と思っていたのね。
ホールはあるし、ホテル、食べ物や、ご近所に教会もあるし、
み言葉の石碑もあったしね。

泥舟に乗ってたって、「希望」をなくさなければ良いんだと思う。
823神も仏も名無しさん:2007/03/27(火) 09:35:24 ID:NLy2OE9n
やっぱりユダヤ人は選ばれた民族だと思うんだよね。
パレスチナ問題あるでしょう。常識的に考えたら迷惑な話だよな。
どう考えてもアブラハム一族は侵略者なんだから。
自分たちが生まれた故郷を出てこの世の土地に執着するなんて、
人類のお手本みたいなもんじゃない?
で不思議なのは、なぜ平和の神が彼らにそうした仕打ちをするのか?
ぜひともユダヤ教のラビにはシオニズムの再考を願うよ。
824キュロス:2007/03/27(火) 18:55:51 ID:qpThRg4E
ルカ福音書 10章25節〜29節
> すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、
>永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
>イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
> 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である
>主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
>イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
>しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った

この箇所の 「自分を正当化しようとして」を 岩波訳では「自らを義としたいとしたいと望んでいたので」
と 訳している。それと この律法の専門家の所属する 党派 がわからないね。
 
つまり サドカイ派にも ファリサイ派にも 律法学者はいるんだね。

この律法の専門家の今現在 置かれている状況が 義の状態ではないと自覚しているから
イエスに対して 質問したわけよ。つまり 「隣人を自分のように愛していない」ことを 自覚してるんだね。
ここでいう 隣人 とは ユダヤ人同胞のことね。

>>816 この話しは 登場人物が所属する党派が 重要なんだとは 思いませんか?
利害関係が ない第三者だから 他者に親切に出来る 或いは 
利害関係がない 第三者からの親切は 素直に受けられる
と言う状況は 有るよね。
825キュロス:2007/03/27(火) 20:07:57 ID:qpThRg4E
>>824
この律法の専門家は 隣人を つまり ユダヤ人同胞を愛せない 状況になっているんだね。
多分 党派対立で「祭司」「レビ人」が この「被害者」を 助ける事が出来ない のだね。

加害者が 「祭司」「レビ人」を 被害者と同じ党派に所属している と考えれば
今度は 「祭司」「レビ人」が テロ の標的になりかねないからね。

サマリア人は このようなユダヤ人世界の利害関係の外 にいるから 「被害者」を助ける事が
出来たんだね。

そこで 質問者の「律法の専門家」は 隣人をユダヤ人に固定してるから 隣人を愛せない 
といってるんだね。それに対して イエスは 隣人とは ユダヤ人だけではないよ と言ってるんだね。

つまり 「律法の専門家」は ユダヤ人以外の利害関係の無い隣人を 助ける事が出来る ってことよ。

親孝行 したい時には 親はなし
されとて 墓に布団は着せられず

って諺が有るけど これは 「律法の専門家」の 態度に似てるね。
年寄りに親切にすれば 良いだけの話しなんだけどね。 
826mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/27(火) 21:45:11 ID:SNLQ+4OC
御意。

親孝行 したくないのに 親はいる。
改めましょう と。
827神も仏も名無しさん:2007/03/28(水) 15:23:34 ID:olQ2ZvC9
むむ、ヒラメイタ。
あなたが悔い改めたなら、先祖も救われるよって場面があったな。
親孝行に置き換えると理屈が解るような気がする。
828神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 17:13:35 ID:pZe3eJ5Y
怒りは、自身の道理に反する存在に対し、反抗できる何らかの
暴力を有する時に起る。
829神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 18:53:18 ID:pZe3eJ5Y
怒り、は感情というより行動の範疇なのだ。
830神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 19:38:31 ID:6iMDYLyJ
>>808
その受精卵のたとえは微妙にニュアンスが違うす。
831神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 20:41:57 ID:EEqifRVv
あっごめんね
珍解釈を披露しちゃいましたー
832キュロス:2007/03/29(木) 21:56:32 ID:bGTIaFlo
>>825
ここに登場する 「律法の専門家」は 隣人対して親切にしない ことで
自分の 罪 を認めているのだね。なぜなら 自分を義とするための 言い訳をしてるからね。
自責の気持ちがない 人間が 言い訳をする事は無いから。

そこでだ この「律法の専門家」は 悪をおこなって 自責の思いが有るのでなく
善を行わないことが 罪だと感じ 自責の思いに囚われている。

しかしですよ 常に善を行うことが可能だろうか?
自責の思いに狩られて 善を行う対象を求めて歩かねばならない。
そして 善を行えば それで事が済むわけではない また善を行う対象を求めて
歩かねばならない。

つまり 自責の思いが一生涯晴れない ことにならないか?
罪を犯す以前に 自責の念 がまず有ることにならないかな?
○○しない事が 罪 なんだからね。

自責の思い が先に来て その自責の思いと平行して 罪の状態が永続すんじゃないか?

チョット 原罪 にこじつけ過ぎかな。
833キュロス:2007/03/30(金) 19:21:37 ID:Y77uohLO
>>832
マタイ福音書 25章:44節
>そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、
>裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』

○○しない罪の話しは マタイによる福音書のこの箇所が有名だね。
この左にいる者達は 罪を犯した自覚が無い罪 によって裁かれている。

これは アダムの罪によって全ての人が罪を犯した って言う理屈より
もっとリアルな罪 なんだね。 
つまり 過去に助けを求めている人が隣人としていても 気付かない場合が有るからね。

レヴィナスは 神の選民 とは 特権 ではなく 責任 だと言っている。
つまり 神に選ばれるとは この世の全ての事に責任を負っていることだ
と言っている

全ての空腹の人 渇いている人 旅をし裸で 病人で牢にいる人を
助ける責任があるんだね。

ここで言う 全てとは 空間で時間的全て だという。 
834mono ◆HfNWSGfVro :2007/03/31(土) 07:47:44 ID:RKOr9fYO
そうですね 
最近TV等で、えらい人達の無知の罪が指摘されているね
それは職務怠慢なんだから、糾弾されてもしょうがないんだけど。

転じて教会生活  例えば献金。
税金ではないのだから、さすがに義務だけとは思わないけど
これが権利となると、そこまではっきり言えないのは、知ろうとしない
努力不足を指摘されそうだ。
835キュロス:2007/03/31(土) 21:27:31 ID:nwjLyg4v
>ここで言う 全てとは 空間で時間的全て だという。 

ここで言う 全てとは 空間と時間全て だという。

に修正ね。

イエスは サマリア人の喩えで 隣人とは限定された集団ではなく
全ての人のことだと確認したんだね。

隣人を自分のように愛しなさい と言うことは 
この戒めを受け入れた人は 全ての人に対して責任が有る と言うことね。
そして マタイの喩えで 身に覚えの無い責任を問われる と言うことだ。

未に覚えなの無い罪で責任を問われる と言うことが
隣人を自分のように愛しなさい ということなんだね。

つまり 生まれながらのユダヤ人は 生まれた瞬間に 神に責任を問われ 
改宗者は その瞬間に責任を問われる と言うことだね。
836mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/02(月) 20:01:57 ID:KUiftbgz
なんと言いますか、イエスの説く愛は雲を掴むようだ。
結婚式等で聞く、Tコリント13の愛の讃歌はあまり好きではないのね。

あるお坊さんの話をラジオで聞いていたら、そのお坊さんは多くのことが
できるようになったけど、一つだけどうしてもできないことがあると言う。
それは「妬まないこと」。

つまり、普段の生活では共に喜ぶことは、人には難しいことなのよね。
しかしとっさの時に、身を投げて他人を助ける人はいるよね。

考える間もなく本能だけの方が、隣人愛を実践できるのかも知れない。
でも人を助けたいという本能は、日頃の生活の表れだと思うね。
837神も仏も名無しさん:2007/04/02(月) 22:31:36 ID:HVb1+HXE
本能とは、頂点に立とうとする生存本能のこと。
本能とは悪い属性であるのだ。
838神も仏も名無しさん:2007/04/02(月) 23:30:34 ID:HVb1+HXE
最大級である自己愛

自分を愛するように神を愛する。ここに繋がるな
839神も仏も名無しさん:2007/04/03(火) 18:20:01 ID:zzKpyacH
隣人を愛せよとか殺すなとかシンプルに教えられているわけ
だけども、人はその言葉の重みを、即刻読み取れる目と耳を
持たないんだ。
840mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/03(火) 22:30:50 ID:NGO1Y9zO
確かに、本能と言うと良いイメージじゃないよね。
また人間は、堕落していると教えられているし。

何年か前に、酔った人を助けるために、線路に飛び込んだ人、
最近、女の人を助けるために、遮断機を超えた人。

この人たちを、動かしたのは何なのかしらね?
841神も仏も名無しさん:2007/04/04(水) 05:44:05 ID:M0NXfG4H
自分自身を愛する故に、他人に同情・共感・罪悪感が起きるな。

エデンでのエバに対する感情表現は、自身の骨からできたエバ
であるからなんだ。

思わず助けるという行動は、危急の存在を見捨てる事の
自分自身への罪悪感が働いていて、自身がされたい事である、
救済という正義感として自身で基本設定してるんだ。
本能というより判断だよなこれは。
842神も仏も名無しさん:2007/04/04(水) 05:58:32 ID:M0NXfG4H
思わず見捨てる事や、判断で見捨てる事は弱肉強食の本能。
身内を救済するのは判断。
自動や機能で救済があるのではないな。
843神も仏も名無しさん:2007/04/04(水) 06:14:37 ID:M0NXfG4H
悪い判断(救済)は、人本来の標準装備する弱肉強食のことである
原罪といえるのか。
844神も仏も名無しさん:2007/04/07(土) 04:09:10 ID:+4ejbX/G
「暴力」のかたち・罰的暴力にみる弱肉強食の悪属性
社会体制にみる罰的暴力での社会安定と時代変化。

現代・近代に対する、古代の罰的暴力は、筋力・攻撃力を背景に
した搾取による地域社会の安定。

古代に対する、現代・近代の罰的暴力は…
845神も仏も名無しさん:2007/04/07(土) 05:18:53 ID:+4ejbX/G
聖書・キリスト教では、過去を否定するのはだめなんだよな。
過去を肯定するんだけど、究極には過去を、肯定もしない
ということになっているようだ。
この変化はなんだろうか。
846mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/07(土) 07:49:21 ID:QrYf1Wgr
おはようございます。
今日は暖かくなりそうですね。
夜桜がおすすめだそうで。

と言っても、明日はお墓参りやなんやかで一日教会でしょう?
近所でお花見をしたいですね。

>>845
> 過去を肯定するんだけど、究極には過去を、肯定もしない
> ということになっているようだ。
> この変化はなんだろうか。

何かヒントになるようなものがあれば教えてくださいな。


847神も仏も名無しさん:2007/04/07(土) 19:10:27 ID:+4ejbX/G
過去を肯定する事がどういう事か考える必要があるのかな。
848キュロス:2007/04/08(日) 16:33:12 ID:Uixv0Fig
マルコ福音書 16章7節
>ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。
>前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」

弟子達が イエスの復活を知るのは 過去の出来事として知るのだね。
つまり 使徒達にとって イエスの復活は 過去の出来事なんだね。
使徒を イエスの復活の証言者 だとすれば 
数時間後の過去も 2000年後の過去も 同じなん過去なんだね。
つまり 今の人間も 当時の使徒達も イエスの復活をその出来事に
遅れて知るのね。

そして 復活のイエスは 先行してガリラヤ行っている 或いは ガリラヤに居る
ここでも 人間が遅れて ガリラヤへ向かう。

人間の救いの出来事は 生前のイエスと寝食を共にしたイエスの弟子達と同様に
過去の出来事 つまり 人間が知らない内に起こった 身に覚えの無い救いの出来事 なんだね。
身に覚えの無い罪 に対する救いは 身に覚えの無い救い として起きるんだね。
849mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/09(月) 18:01:04 ID:26IFU3tK
>>847
ずいぶん後になって読んだんだけど、ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領が演説した
「荒野の40年」で、自国の過去との取り組んで、神と人に謝り、出直すことができる
ように努めることかな?

>>848の前が>>835だとすると、神からたくさんのプレゼントをもらった人は、それを
お返ししなくちゃいけないんだね。
「ノブレス オブリージュ」だったかな?そんな言葉を思い出した。
850神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 19:08:40 ID:jlw+voO6
人が人を罰することが最も肯定され根本的なことであるのは、
親が子に対して行う、共存に有効な知恵を授けるための罰。
すなわち親の愛。
この事以外の罰には悪い属性が入るな。
人は人を裁けない。相手のことは理解しきれないからだ。
851神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 19:39:08 ID:jlw+voO6
罰する事は過去を否定する要素がある。
否定にも二極あるな。切り捨ての否定と、存続の否定。
切り捨ての極以外は全て肯定の成分がある。
852神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 19:48:32 ID:jlw+voO6
キリストが、否定も肯定もしなかった、という逸話があるな。
853神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 19:51:43 ID:jlw+voO6
肯定と意宇のはまるで光のようだ。
854神も仏も名無しさん:2007/04/10(火) 17:13:46 ID:YyCPrA6p
人が単独でいる場合と、自身が如く愛する他者がいる場合では、
背景と選択する成分が逆転するな。
人が独りでいるのは良くない。とする原子的意義がこれかな。
855神も仏も名無しさん:2007/04/10(火) 21:36:10 ID:YyCPrA6p
大切なものがあると、神に対してポジティブになるってこと。
ならざるをえないか。
856神も仏も名無しさん:2007/04/11(水) 18:31:07 ID:ywRLxB//
ラザロの食卓での金持ちは、家族に対してはポジティブで
ラザロに対してはとことんネガティブ。別次元の人扱い。
857神も仏も名無しさん:2007/04/11(水) 18:39:16 ID:ywRLxB//
死んで最上の席に居るラザロを見ても、相手として見えない。
無関心、愛の無さ故の否定のかたちだな。
858キュロス:2007/04/11(水) 19:11:07 ID:TvwG8x5I
イエスの復活つまり 救いの出来事は イエスを埋葬した空の墓で 天使から
過去の出来事として 人に告げられる。

つまり 福音とは すでにアナタは救われてしまった という告知なんだろう。
そして その出来事を信じると言うことは 私が 救われてしまった私 を知る
と言うことかな。

私が福音を聞き 「私の救い」を知る時には すでに私の救いは成り立っている
と言うことを知る ことだ。
つまり 私は 私の救いから遅れて 私の救いを知る のかな

まあ ナタもとは レヴィナスね


>>849 律法と 救いの関係を アガンペンと言う人は
律法の不活性化 と言ってるらしい。

放蕩息子 不正な管理人 ラザロを金持ち の喩えの 律法の例外
のネタが このアガンペンという人の 律法の不活性化 なんだね。
859神も仏も名無しさん:2007/04/11(水) 21:22:18 ID:ywRLxB//
カラシだねの信仰ってのも、量の大小ではなく、このボジティブ
であるのかネガティブなのかという状態を述べているのだな。
860mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/12(木) 18:32:00 ID:p2Vi3vQh
神は、いつもわたしたちに働きかけているはずなのに、
そのことに気がつかず、いつも神をつっついている。
しばらくして、「あぁ あのことだったんだ。」とすこし分かる。

神の前にいるという自覚が無いと、何も気がつかないんでしょうね。
難しいことです。

>>859
イエスは絶望的な十字架の上でも、希望を持っていたのだから、
ポジティブでなくちゃ駄目なんだよね。
861神も仏も名無しさん:2007/04/12(木) 19:43:05 ID:Xh6BeqqL
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww12.plala.or.jp%2Fpsycho6%2Ft2-broken.htm&hl=ja&mrestrict=chtml&q=%E8%82%AF%E5%AE%9A%E3%81%A8%E3%81%AF&source=m&output=chtml&site=search

気になったとこ。


神の子として十字架で絶望しなければならなかったけど、
人の子として、復活の信頼と希望を示してた。

これは…
862mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/14(土) 11:05:54 ID:9QGlqkND
創世記44:31
この子がいないことを知って、父は死んでしまうでしょう。そして、
僕どもは白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのです。

ヤコブも辛いことがあると、つい本音というか、グチってしまうのね。
863神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 14:17:47 ID:KFZKSytP
創世の中後盤はシンプルな構造が複雑に繰り返されてるんだな。
それが重要な要素ということだろうけど。
それとは別に、後の聖書の完成を示唆するようなキーワードが
あやしげにでてきている。深い深い
864神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 16:36:17 ID:KFZKSytP
全否定を全否定しても全肯定になるとはいえない。
865神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 16:48:22 ID:KFZKSytP
とある雑誌から…

グローバリゼーションの中で、世論に影響を与え、国際政治そのものに影響力を強めてきた″ソフトパワー″…

ソフトパワーを簡単に定義すると、相手に無理やり強制するハードパワーに対し、″魅了する力によって、自分の望む結果を他者から引き出す力″(経済同友会:提言・意見書)ということだ…
866神も仏も名無しさん:2007/04/14(土) 18:41:55 ID:KFZKSytP
神が全肯定の神であるならば今の世界は相当しない。
神が全否定でないことは明らか。
神は肯定的であるが否定的ではなく。

過去の表面的な個々出来事ではなく、全体として肯定的というのが
肯定でも否定でもなく、あって欲しい希望と自由の尊重する
、ある意味対等な
867うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/16(月) 08:04:24 ID:6QdtEo0u
>>863

複雑に繰り返されているように見えるのは、複数の伝承を無理やり組み合わせているからだね。


>後の聖書の完成を示唆するようなキーワードが
>あやしげに

それは考えすぎだね。
868うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/16(月) 08:06:15 ID:6QdtEo0u
>>860

いつも「神が前にいる」と思いながら生活している人はちょっと変な人だろうね。
869うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/16(月) 08:09:59 ID:6QdtEo0u
>>858

>律法の不活性化

それは少しおかしいよね。マタイ5:17-を読むと、

イエス・キリストは「律法を完成するために来たのだ」、となっているからね。
870神も仏も名無しさん:2007/04/16(月) 14:11:21 ID:Vyu35eUs
人が交わりで、肯定と肯定がぶつかる場合の最小構成が父母子
原初の構成が主(神)男女
871mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/16(月) 18:57:45 ID:yvV4pCMc
>>868
じゃあ ウキャン君はそうしているんだ。
「コーラムデオ」ウチの教会好きなのよねぇ。
872うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/16(月) 19:36:07 ID:6QdtEo0u

「コーラムデオ」って何?
873うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/16(月) 19:49:17 ID:6QdtEo0u

ひょっとしてこういう系統の教会?

http://www.calvin.org/colamdeo1.htm
874mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/16(月) 22:31:29 ID:yvV4pCMc
>>873
はい ろり系です。
説教の長いのはかまわないんだけどね、長文読むのは忍耐いるわ。
875キュロス:2007/04/18(水) 21:58:59 ID:A//RxcTv
ローマ 11章4節
>ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない
>男子七千人が、わたしのために残してある。」

リスクヘッジと いう言葉がある。
当時は 自然災害や農作物の出来等は 神の恵みだと硬く信じられていた。
つまり 人間の神への対応で つまり 人間の神への捧げ物の 不対応で
神が不機嫌になり 自然災害 飢饉とうが 起きると信じていた。

つまり 未然に自然災害 農作物の不作による飢饉 を避けるためには
打てる手立ては全て打っておく のが 国を治めめる者の責務なんだね。
つまり 自分の民族の行く末に責任を持つ事が 部族の長老や部族長の
勤め なんだね。

つまり この聖書の箇所から読み取れるのは バアルにひざまずいた人と
イスラエルの神にひざまずいた人が いたと言うことなんだね。
これが リスクヘッジなんだね。つまり 飢饉や自然災害を避けるために
両方の神に捧げものをしておくのよ。片方だけでは心配だからね。

12弟子の ユダ に付いても リスクヘッジ という考え方で説明できるかもしれない。
876うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/19(木) 08:44:58 ID:UNs0TvMA
>>875

それはちょっと穿った観察だろうと思うよ。

リスクヘッジの為に、一応念のため色々な神に対して礼を尽くしておくことにする、
というのは不自然だと思うよ。
「・・・わたしのために残してある」と答えたのは神ご自身である、という記述であるわけだしね。

リスクヘッジ、というのはリスクを低減したり回避したるするための工夫をすること、なんだけど、
ユダの場合、リスクを蒙る危険性にさらされている人が誰で、リスクの内容とは何なんだろうか、
やはりちょっと無理がある説明だよね。
877mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/19(木) 18:14:06 ID:uvMUeN0J
ギデオンはたった300人なのよね。
それに比べると、男子7000人は多いような、、、、、
何で多いのかしら?
878キュロス:2007/04/19(木) 19:10:10 ID:U19/jlQf
>>876
まあそうなんだけどさ
その、状況を人間の側から見ると バアルにも イスラエルの神にも 両天秤を掛けるのは
民族が消滅しない方法だよね。アブラハムの切実な願いは 子孫繁栄だからね。
家のためなら その家の個人・一部はその家の繁栄の為に犠牲になる っていう考え方ね。

確か 関が原の戦いで 真田昌幸 幸村 とが西軍大阪方について
真田 信之 が 東軍徳川方について 戦ったのは

東軍 西軍 どちらが勝っても 真田家は残る っていう作戦だったと
司馬遼太郎の本に書いてあったような気がする。

ユダは 12人が生き残る為 或いは イエスの教えを後世に残す為よ。
神殿貴族・祭司等にも 一応掛けておくって考えよ。
ある一つの大義を行う為には 捨て駒も必要なんだと思うよ。
トンデモ系だけどね。
879うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/19(木) 19:53:10 ID:UNs0TvMA
>>878

なるほど。そういう考え方が全く無かったか、というと、

「絶対無かった」、とまでは言い切れない面が無きにしも非ず・・というところかも。

しかし、本論の流れには無いだろうね。

ユダの場合は、「真実であると知りながら」明らかに裏切った、と読めるわけで、

しかも、「金で売り渡した」と記されているから、捨て身の善意は汲み取れないね。

まあ、お話しとしては面白いところがあるのは確かだけど、

キリスト教的解釈で行けば、100パーセントの悪、救いようのない悪行、ということになるよね。
880キュロス:2007/04/20(金) 20:10:28 ID:FAaus0ks
ルカ福音書 10章25節
>すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
>「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

さて 哲板 一般読書板 では 評判があまり良くない 内田樹氏の「下流志向」
と言う本がある。 この本は ルカ福音書の一つの解釈だとしても読める。

この本のなかで 「等価交換」という言葉が出てくる。
等価交換的取引の特徴は 買い手はあたかも自分が買う商品の価値を
熟知している様にふるまう ことだと言っている。

ここで登場する ある律法の専門家は 「永遠の命」を熟知しているかのように
振舞っているんだね。そこで この律法の専門家の問いで 注目したいのは
「先生」といって イエスの教えをこう つまり何かを 学ぼうとしてイエスに
質問しているんだね。

内田氏は 教育とは「教育から受益する人間は 自分がどのような利益を
得ているかを 教育がある程度進行するまで 場合によっては教育過程が
終了するまで言うことが出来ない。と言うことにあります」と言っている。

つまり 教えをこう と言うことは 今から教えてもらうことが解らない
とい言う事なんだね.。
881キュロス:2007/04/20(金) 20:13:50 ID:FAaus0ks
ルカ福音書 10章42節
>しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

そう言うことだから イエスは マリアの選んだもの つまり

>マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。

話しを聞くことが大事なんだよ。 っていてるんだね。

エマオの 話しも こう言う意味だね。
882うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/20(金) 20:23:11 ID:pu4py0tc
「等価交換」を端緒に取り上げておきながら、

等価交換を置いてけぼりにして、暗黙に高い価値を認めた、という話しに決着しようとする、

また、

良いほうを選んだ、という一般的で色彩の無い話から、悪いほうの説明をして

良いほうの真価に及ぶのかと思ったら及ばない、

それで、あなたは一体何を言いたかったのか・・
883キュロス:2007/04/20(金) 21:09:31 ID:FAaus0ks
>>882
ルカ福音書 24章32節
> 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
>わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

エマオへ向かう二人は イエスを葬った墓が空であったことの意味を解らずにいる。
そして イエスの話しを聞きながらエマオに向かい 日が暮れたので宿を取る
そして イエスと食事を始める時に それが 復活したイエスだと気付く。

そこで二人はイエスを葬った墓が空だった意味を悟る。
この二人は イエスの話しを イエスの復活の意味 だとは知らずに聞いている。

永遠の命は 等価交換 つまり 何かと交換 するのではなく
師の話しを聞く ことによって得られる と言うことね。
マリアは イエスの話しを聞くことを選んだ。

ルカ福音書10章25節の 「律法の専門家」は 永遠の命と 自分が何か行為をする
或いは 自分の何かを犠牲にする事との交換によって得られる と思っているわけね。

マタイ福音書19章16節 の富める若者 の話しも同じだだと思うよ。
これは 永遠の命より 富める若者が支払う犠牲の方が より価値が高い と判断したんだね。
884キュロス:2007/04/20(金) 21:25:08 ID:FAaus0ks
まあ 内田氏の「下流志向」は面白いよ。福音書の解釈として読めると思うよ。
「私家版・ユダヤ文化論」も面白いけどね。

この人の勤める神戸女学院は ミッションスクールなんだね。
885神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 06:19:21 ID:sgPTX5M9
キリストとユダは、ボジティブな属性にあった相対する、人の代表。
共に神に遣えたが、何らかの悪循環に落ち込み、相対する行動と
結果を得た。

キリストは殺され、ユダは自殺した。一見復活は無いように見え
るが、ないのであれば収支が合わないな。
何かある。予感させる。
886神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 06:28:49 ID:sgPTX5M9
人の子であるキリストはボジティブの際であるが、ユダは
ネガティブの際ではない
887mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/21(土) 08:09:25 ID:r6hr2fHy
リスクヘッジって言葉で、わたしも真田父子を思い出した。
それでその後、お家存続の為家臣に辛く当たった黒田如水を思い出した。
如水は跡継ぎの長政が、家臣から好かれるようにと、わざとやっていたらしい。

良妻賢母とは、世間だ言われているような人ではなくて、その逆の人だと
なんかの本で読んだことある。

自分が死んだ時のことを考えると、夫には幸福な再婚、子供にも新しい母親と
うまくいくように願う。    良い妻、母だと残された方はウジウジ、ジメジメして
ふんぎりがつかないらしい。
黒田如水みたい。
888mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/21(土) 08:20:25 ID:r6hr2fHy
誰の詩か知らないけど
 教会の鐘の音のきこえる処で
 働きたいという人がいる
 わたしは地獄のすぐ手前まで
 助けの船を漕いで行きたい

この詩奥が深いと思う。
ミイラ取りがミイラになっちゃいそうだ。
>>885
神からも人からも見捨てられたユダを救うのは
やはり、神だと思いますよ。
889うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/21(土) 13:24:22 ID:JLaPGiRz

全く言い訳のできない悪いことを行ったもの、として表現されているのがユダ。

だから、できればユダが救われるように、と願うことは不毛なこと、無駄なことだと思いますよ。

人間は、何を願いどのように望むべきなのか、と探求することが大切なこと。
890神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 13:07:01 ID:FDxe2V+G
それは神の立場からみた裁きだよ。
キリストは人の子。そこに救いがあるはず。
ユダは、希望を持った人の子の友だから。
891神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 13:21:04 ID:FDxe2V+G
エジプトへ売られたヨセフに重なるな。まさに。
892うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 13:28:20 ID:1jdoRbg4

ヨセフとユダは重ならないと思いますよ。

まあ、同じ価値観になれ、と強要するようなことはしませんが、

僕は、聖書には良いものは良い、悪いものは悪い、とはっきり示されていると思います。

良いかもしれないが、悪いかもしれない、というような現実は示されていないとも思います。

ユダはどうかというと、「完全な悪」です。悪の象徴、と言ってもいいかもしれません。

真実である、と知りながら金で売り渡した、つまり、我欲を優先して、排除した、

ということになりますからね。

なぜ、ユダに拘泥して「実は悪ではない」といいたがる人がいるのか、不思議です。
893神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 14:20:15 ID:FDxe2V+G
完全な悪である人は、理論的にはありうる。
しかし、ユダは自殺したんだ。
キリストを信じている故の自殺。主の同情をかうその生涯。
完全な悪の権化といえないな。
894うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 14:24:56 ID:1jdoRbg4

日本人的文化的にはそういう感情を持つこともやむなし、かもしれないとは思うけど、

聖書文化的には、悪事を企て実行したうえ、反省し謝罪するどころか自殺(殺人)した、ということになりはすまいか、と感じますが、どうでしょうか。

悪である、とか、善である、とかいうことは、理論ではなくて実践の結果だと思いますね。
895神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 14:40:19 ID:FDxe2V+G
罪は悪だがユダは罪のみではない。
罪と人とを別けるのがキリストの大義。
ユダはそのものを完全否定することはキリストを否定すること。
896うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 14:44:47 ID:1jdoRbg4

なんとなく言いたいことはわかるのですが、

それは、神と本人との1対1の問題でしょう。

神が人それぞれに対して、個別にどのような評価をなさるのかは他人にはわからないことです。

そのことと、我々が「善と悪を識別する力」を育むべきである、ということは

別の問題なのではないかと思います。
897うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 14:47:31 ID:1jdoRbg4

ユダのように「真実を裏切る行為」を行っても、罪と人とは別だから、神は否定されない、

というようなことを展開していくのであれば、取りとめが無くなってしまいますよね。

罪と人とは別ではありません。罪は人が自分の判断で積極的に犯すものだと思います。
898神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 15:27:37 ID:FDxe2V+G
うきゃん君は聖書が説く処の1面を述べて、総括として語っているだけ。
旧約聖書を旧約聖書のみで総括するようなもの。
899うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 16:29:06 ID:1jdoRbg4

私がどのように感じているかを申し上げたまでです。

私の理解ではこうだ、という説明であって、あなたを批判しているつもりは全くありません。

あなたは、なぜ私の主張を一言で批評して終わらせようとするのでしょうか。

私の主張を潰してしまう必要があるようにお見受けするのですが・・

互いに主張し続けるのであれば不毛な言い争いが続くばかりだと思います。

あなたの考えについて説明してみてはどうなんでしょうか。
900神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 17:02:01 ID:FDxe2V+G
いや、だってここは議論するスレだし。
潰そうという気持からではないよ。
うきゃん君のレスは解釈ということでは展開しないんだな。
このスレの存在意義を無にしようとする行為なんだな。
レスが来ないような完結したレスをすればいいとおもうよ。
901神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 17:11:47 ID:FDxe2V+G
最後の一行は共存のための妥協ですよ。
902うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 17:12:29 ID:1jdoRbg4

議論って、言い争いのことじゃないと思いますよ。
903神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 17:19:18 ID:FDxe2V+G
ココモに匹敵する対義を発するうきゃん君はスレ的にも実に有益な存在
904神も仏も名無しさん:2007/04/22(日) 17:25:03 ID:FDxe2V+G
立場のちがいを指摘しただけだよ。
それに類似するレスをうきゃん君に以前されたけど、スルーしたよ。
あれは完結していた。
905うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/04/22(日) 17:48:04 ID:1jdoRbg4

そうですか、じゃ、

ま、この話題は以上にしときます。
906神も仏も名無しさん:2007/04/25(水) 10:41:17 ID:QrAiVOf1
キリストが受けた盃は、エゼキエルの蜜の味に変わる巻物にあ
たるとして、
ユダはユダの盃を受けたわけだけど、死亡するまでが苦い盃ならば
蜜味に変化するハズ。
907神も仏も名無しさん:2007/04/25(水) 11:14:59 ID:QrAiVOf1
ユダは捕えるのを決めて来ているのだけど、先手をとって
ユダの為ようとしていることを否定も肯定もせず、ただ友として
受ける発言をする。
908神も仏も名無しさん:2007/04/26(木) 13:54:27 ID:YPjUHGBl
裏表に書かれたというのが甘さの秘密かな。

エゼキエルは受け入れて主により巻物を食べさせてもらった。
キリストのユダの反抗に対する先手の発言は、この食べさせる
行いに重なるな。
909神も仏も名無しさん:2007/04/27(金) 18:50:15 ID:HBDy0P5i
イスカリオテのユダは、救われるべく、今のイスラエルと、本質として
の人一般に対応した、十字架現象に同時に関わる体現者。
910神も仏も名無しさん:2007/04/29(日) 09:23:20 ID:RkkJY4RY
とあるホームページの詞の一部分

光のない世界では
目は役に立たず
私しかいない此処では
言葉は使われず
全てが無に還る
911mono ◆HfNWSGfVro :2007/04/30(月) 07:59:20 ID:PGmbcU6a
新緑がまぶしいですね
ほんと気持ち良い季節です。

蒔いたものは刈り取る。と言われているけど、ロマ書9:16には
人の意思や努力ではなく、神のあわれみによる。と書いてあるのよね。

この二つのみ言葉は、平行線でなんとなく「あ〜こうなんだな」と思うこと
あるけどなんというか、ピシッと理解できなくてうずうずしている。

912キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/03(木) 18:09:31 ID:9zULeioh
さて ルカ福音書14章25節〜35章で イエスは弟子の条件について
喩えで話している。

塔の建設の話しは 自分の持ち物を調べてから物事を始めなさい と読める。
王と戦争の話しは 戦争に勝つのではなく負けない為には 自分の財産を断念する事も
その方法の一つだ と読める。

そこで 塩の喩え なのだが
25節〜33節の話しの流れでは 持っているものを捨てれば 一定の成果がある という主張なんだね。
ところが 塩の譬えでは 塩気が無くなればゴミとして外に捨てられる って話しで
塩味を捨てるな なんだね。 捨てないことで成果が得られる なんだね。

つまり 捨てる事と 保持する事との 二つの対立する事柄の葛藤があるんだね。
この対立する事柄を矛盾としてどちらか一方を切り捨てるのではなく
葛藤させる事なんだろうね。それが 知恵 なんだろうね。

どちらか一方に片寄るのは危険だからね。
913mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/05(土) 20:20:27 ID:Ic3bao9+
ありがとう おっしゃることよくわかります。

捨てる事と 保持する事の葛藤は知恵で解決するのですね。
確かに片寄るのは良くないと思いますね。
でも、片寄るほどの確かなものを持っているのかな と問われれば
持っていないな、と思う。
914神も仏も名無しさん:2007/05/06(日) 19:32:42 ID:EYxqe2rc
イエスの母マリアは第二のエバだと思う訳だけども、
アダム(人全般・男)に対する象徴として、娘から母に変わる

アダムの肋骨を取り出してエバを創った主は、アダムに対し
女の性質を現した。とするのは人からの視点であり早計か
915うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/14(月) 14:13:21 ID:1PukV4Xc

イスラエルよ聞け

我らの神ヤーウェはただ一人の神

心を尽くし精神を尽くし力を尽くし

お前の神ヤーウェを愛しなさい
916mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/14(月) 21:50:41 ID:fRVYz5b7
しかし主はまことの神である。
生きた神であり、永遠の王である。
917mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/15(火) 21:33:50 ID:5QKxjAuj
問1 人のおもな目的は何ですか。
答  人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。

聖書には600ぐらい「喜ぶ」という表現があるらしいね。

フィリピ4:4
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

取りあえず、礼拝に出ることだ!
918カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 21:41:11 ID:xtaStypM
>>917
礼拝にいくら出席しても救いには何の関係も無いよ。
あと口先だけの信仰告白もね.

残念だったね。
919mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/15(火) 21:46:55 ID:5QKxjAuj
>>918
うん そうだね。
救いには関係ないよね それぐらい知っているよ。
あたしはね、何事も形からはいるのが好きなのよ。
920うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 21:53:37 ID:3xLVS5O/
>>918-919

そんなことはないと思うよ。

礼拝に出席することと救いはむしろ関係深いと思うよ。
921うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 21:55:23 ID:3xLVS5O/

カトリックのように、「秘蹟を受けて救いに近づく」という意味でなら、

それはちょっと違うでしょ、とは思うけどね、

カトリックであれ、プロテスタントであれ、礼拝に出席することはある程度の意義を含むでしょ。
922うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 21:56:31 ID:3xLVS5O/

もちろん、礼拝に出席することが救いへの唯一の道だとは思っていないけどね。
923カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 22:11:11 ID:xtaStypM
>>919
わかっていればいい。
君は、馬鹿ではなさそうだ。

カトリックの秘蹟も、単なる儀式である。
だがあれは全て意味がある。儀式などはどうでもいいが、あの儀式の元の秘蹟の
本当の意味をしればそれでいい。その上で、カトリックが執り行う、儀式に過ぎない
それらの秘蹟を受けるのもいいだろう、イエスも洗礼を受けた。
彼は儀式に過ぎない洗礼をヨハネから受けたが、イエスは自ら、真の洗礼を自分自身に施した。
彼の心は洗い清められ、心の綺麗な者は、身体も洗い清められる。
儀式に過ぎない今の教会が授ける洗礼は、あくまで気分の問題だが、それを基に心を改め、
自ら心と、体を洗い清め、真の洗礼を自ら行えばいいだろう。それは善い事だ。

うきゃんは、馬鹿だけどな。
924うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 22:14:40 ID:3xLVS5O/

馬鹿で結構!

儀式なんて全部無意味。集団を統制する「号令」に過ぎない。

儀式に何か意味を見出そうとするような馬鹿に馬鹿と罵られる覚えは無い!
925カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 22:15:55 ID:xtaStypM
教会が執り行う洗礼式は、単なる儀式であり、それ自体は意味がないが、
自分がイエスの道を歩もうと決心をし、利己的に生きてきた今までの自分を捨て、
心のけじめとして、教会の洗礼式を受けるのは別に悪いことではない。
大いに受ければいいだろう。

うきゃんは、馬鹿だけどな。
926うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 22:23:48 ID:3xLVS5O/

>教会の洗礼式を受けるのは別に悪いことではない。

「号令に従う」という意味でならね。

「こころのけじめ」というのは「良い影響があるような気をもたらす、ある程度の勘違い」という意味ならOK。
927うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 22:26:10 ID:3xLVS5O/

まあ、あえてカラスを評価するなら、少なくとも、

聖書の一字一句残らず神の誘導によって人が操作されて書かれた結果だ、

などとは考えていない、というところだろうかね。それだけだけどね。
928mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/15(火) 22:26:50 ID:5QKxjAuj
教会に行くのは、イエスキリスト以外に救いはない ということを
教えてくれるから行くんでしょう?

カラスさんから肯定されるなんて、喜んでいいのかしら?
929カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 22:30:14 ID:xtaStypM
駄目だこりゃ。
930カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 22:48:00 ID:xtaStypM
最近、教会にはちょくちょく行くんだが、
カトリックは、宗派を超えて、皆が一つになれるよう。というスタンスだよ。

あらたにキリスト教徒になろうと考えている人で、どこの教会にしようか迷っている人は、
俺なら迷わず、カトリックを勧める。ここは、おかしな十一献金というものもない。
金銭的なトラブルもないし、案外放置プレイのここは、人間関係の疲れも比較的少ないだろう。

もちろん神父は、相談相手にもなってくれる。もちろん神父といっても人間であり、
千差万別。当たり外れはあるだろうがね。

ここはマリア崇敬などという変な教義もあるが、あれも本来の意味があり、
その意味を悟れば別に許せる範囲だ。むしろ、なんの価値もない肉の母であるマリアを崇敬している形を取っているが、
聖母崇敬の本当の意味を知れば、その象徴もないプロテスタントとは違いちゃんと、本来のキリスト教の
真理を元に、聖母崇敬、秘蹟などがあるのに、かえって驚くくらいだよ。
伊達に、イエスの言葉を直接聴いた直弟子達が残した教会だと思えるよ。ま、カトリックの教義は、真理のイミテーション。
バッタモンだけどな。だが真理の欠片もないプロテスタントの「教会などより、よっぽどましってものだよ。
931うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/15(火) 22:52:59 ID:3xLVS5O/
駄目だこりゃ。
932mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/15(火) 22:55:06 ID:5QKxjAuj
お後がよろしいようで。
ではおやすみなさい。
933カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/15(火) 23:00:12 ID:xtaStypM
カトリックより、プロテスタントのほうが迷いは深いな。

君らはイエスの教えより、ルターの教えを妄信している。
934神も仏も名無しさん:2007/05/15(火) 23:23:16 ID:GkQG6Okh
初めからカトリックを選んでいればよかった。
もっと早くに貴方に出会えていたら良かったのに。
935キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/16(水) 18:51:03 ID:YU2cYcbr
「新約聖書には、徳の基準、完達された律法の規準が挙げられている。だがそれは
不可能な徳の基準となる様に出来ているのである。道徳的に努力する人々は
その様な基準に直面して、自分が目標にはなを遠いと感じる。彼らは徳に絶望し
ついには慈悲ぶかいお方の胸に身を投げざる負えなくなる。

こうした結果のゆへにのみ、道徳的努力はキリスト教徒にとって、やはり価値の
あるものと見なされた。(中略)こうした努力のまた人間に「回心」や、道徳的奇蹟を
体験させるあの忘我の瞬間に招きよせるのは役だったわけである」 ニーチェ 暁日

これは マタイ福音書のいわゆる「山上の垂訓」のことを言っているのかな。
まあ 確かに「山上の垂訓」を題材とした礼拝説教を聴くと このような感想を
受けるね。

ニーチェは 牧師の息子なんだってね。
牧師の子供 っていえば アメリアカの ライスさんも プレスベテリアンの牧師の娘
なんだね。 長老教会なんだね。
936キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/16(水) 19:01:57 ID:YU2cYcbr
「道徳的に努力する人々」ってのは なぜ努力するんだろうね。
「道徳的に努力する人々」と言うのは いわゆる「罪人」でなないよね。

「道徳的に努力する人々」が 収税人になるかね。
「道徳的に努力する人々」で 思いつくのは パウロであって
収税人では ないよね。

イエスは 「道徳的に努力しない人々」を 招いたんじゃないのかね。
937カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/05/17(木) 00:34:36 ID:GRAYgg7D
儀式は所詮儀式に過ぎない。
その儀式の由来する本来の意味を理解すればそれでいい。

洗礼とは、心のけじめをつける為に行うものだ。
心の割礼を行わないと、儀式に過ぎない、ただ肉を傷つけるだけの割礼意味が無いのと同じで、
教会の洗礼と言う儀式を受けた後、真の洗礼ともいえる、心の洗礼を自分自身で執り行わなければ、
教会で受けた洗礼は何の意味も無いものになる。君らプロテスタントは、洗礼に対する動機自体間違っている。
洗礼と言う ”儀式” は、それまでの利己的に生きてきた自分を改め、イエスの道を歩むという決意表明
であり、君らのような、それさえ受ければ、口先だけの信仰告白をすれば救われるからと、
洗礼と言う儀式を受けるのは、単なる利己心によるものであり、本来の洗礼の意味から、逸脱するものである。
君らは致命的な誤謬をしている。

信仰義認説を取るものは、我執の強いものであるのはよくわかっている。
ま、君らにいっても聞く耳が無いのだろうが、聞く耳のある者は、本来の洗礼の意味を取り違うことなく、
洗礼式を受ければいいだろう。己の魂の責任は、己自身にある。誰のせいにもできない性質のものだ。
938神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 15:21:37 ID:lfqfGrsQ
道徳的行為は、イエス・キリストが私に先立って、私達に対し
行われた故に、よろこびと共に行うことができる。
その努力というのは、身を切る事であって、端的には財産・金・時間か
939神も仏も名無しさん:2007/05/17(木) 15:37:53 ID:lfqfGrsQ
キリストが、後を追って来た聴衆に対し食事の心配をし、
食べ物を探した上で奇跡を起こすんだよな。
突然、食べ物が奇跡で出現したんじゃない。
940キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/17(木) 18:59:26 ID:14j/2hnJ
ローマ 13章9節
>「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、
>「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。

十戒の後半の戒めを要約したものが 「隣人を自分のように愛しなさい」 だと言われている。

では「道徳的に努力する人々」の道徳とは 具体的に「隣人を自分のように愛しなさい」
という事だと言える。

例えば 「なぜ人を殺してはいけないのか?」 という 問いに対して
「自分が殺されたら いやだから 他人を殺してはダメなのです」という 答えがある。
これは 「隣人を 自分のように愛しなさい」という 戒めからも 納得できる答えに見える。

逆に言うと 自分が殺されても良い 人には 上記の理屈は通用しない。
つまり 自分の 命を大切にしない人は 他者の命も大切にしない といえる。

では そこでイエスが招いているだろうと予想される 「道徳的に努力しない人々」とは
「自分の命を大切にしない人々」と 言える。

つまり イエスの救いを必要としているのは「自暴自棄になった状態の人々」なんだろうね。

福音書は 「自暴自棄になった状態の人々」を 別の新しい領域に導く物語なのだろうか?
それとも 「道徳的な努力をする人々」を救いに導く物語 なのだろうか?
941キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/17(木) 19:03:07 ID:14j/2hnJ
まあ 「道徳的な努力をする人々」が その目標に失敗或いは挫折して
「自暴自棄になった状態の人々」になる ってこともあるな。
942キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/17(木) 19:06:13 ID:14j/2hnJ
「道徳的な努力をする人々」は 「等価交換」を狙っている様にも見えるな。
だとすれば 確実に挫折するな。
943社長:2007/05/17(木) 19:38:27 ID:TNRGOYaA
市川で白人を殺した市橋容疑者も母親の首を切って自主したガキも同じように愛しなさいと神様は言っているんだよwww
おバカさんwww
944キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/17(木) 20:09:22 ID:14j/2hnJ
「道徳的な努力をする人々」とは イエスの戒めを護れないから 挫折すんだよ。
挫折して 最終的に 神の胸にすがりつくように 導くから

道徳は役に立ってる っていってるんだね。
つまり 福音書の戒めは 実行不可能な戒め だと解釈するからね。

問題は 「道徳的な努力をしない人々」のゆくへ なんだね。
つまり その彼らに 無関心な人達なんだね。
945神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 18:06:42 ID:YFO7zav/
掟のための努力なら偽善だろう。
掟は神でも敵でもない。

聖く身を切る事の理由は二つあるな。主の為+人の為
どちらもキリスト(的)成分が入る。
「聖く」とは特別な見返りを期待しないこと。
「特別」というのは人が御国で承ける富以外
946mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/18(金) 18:27:59 ID:tNdhZ467
昔、家には大ばーさんがいて、和裁を教えていたの。
まず、「仕付け」って言って大雑把に縫う。
その後、チクチク本縫いをする。そうして きちんと
出来上がったら、目障りだった仕付け糸を抜く。
「躾」をしないと、美しく縫えないし出来上がらない。

「道徳的な努力」もいきなりでは難しいね。

努力をするってことも、簡単には身につかないね。

947キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/18(金) 19:16:57 ID:oitmlSiI
まあ そうなんだね 師について物事を習う ことなんだろうね。
師の話しを聞く 或いは 師の教えを受ける そして
それを また伝える なんだろうね。

ルカ24章31節の「私達の心は燃えていたではないか」
人の話しを 聞けない状態が 「自暴自棄の状態」で
聖書的表現をすれば 「心が頑な状態」 なんだろうね。
948神も仏も名無しさん:2007/05/18(金) 23:17:02 ID:YFO7zav/
旧約から新約を望むか、新約から旧約を望むかで趣きが異なる。
同じ掟でもキリストの有無で重さが代ったり、行為の真実味が増すな。
これもキリストの必然なのか
949キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/19(土) 21:34:57 ID:WcPanvi8
マタイ福音書  6章12節 岩波訳
>またわたしたちの〔もろもろの〕負債をお赦してください、
>わたしたちに負債あるもたちを私たちもゆるしましたよううに。

人間は 神に対して「負債」があるという事だね。つまり 人間が神に対して
返済しなかれば成らない負債があるが その負債は 返済しきれないほど
大きいのでその負債を 無かったことにしてくれ って事なんだね。

そこでだ 人間の神に対する「負債」を 「罪」と 解釈しているんだね。
そして 人間の神に対する罪を イエス・キリストが十字架刑で生贄死することで
罪が赦された ということになるんだね。

話しを 「負債」に戻すと 人間は生まれながらに「負債」を持って生まれてくる
と言うよりも 人間がこの世に命を受けて生まれた事が 神からの贈り物なんだね。
つまり 人間の命 或いは 生きている事が 神からの「借り」つまり「負債」なんだね。
950キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/05/19(土) 21:36:31 ID:WcPanvi8
>>949
そこで その死んだイエス・キリストは誰なのか? また誰が彼を殺したのか?
が 問題に成るね。イエスの十字架上の死が 自殺 或いは 殉教死 ではないとすれば
イエスを殺したのは 父なる神  もしくは 人間 のどちらかだろうね。

父なる神 だとすれば 父なる神が 人間の負債を許す為に生贄行為をした と言うことに成る
これでは 人間の側に また負債が生じ 問題の解決にはならない。
これは 神の側のポトラッチだからね。

人間が 神から与えられた救い主を殺した つまり 人間側がイエスを 生贄として神に捧げた
とすれば 人間の側の ポトラッチだから 神に対する負債は 解消される。

その救い主が 「神」だったら これは神の側のポトラッチになり 負債の解消には成らない
もしかすると イエスの十字架上での 最後の言葉 が時代と共に変っていった 理由は
この辺にあるのかもしれない。 つまりパウロ的養子論 から 神が人に成った と変ってゆくに
したがって イエスの十字架上の死 の意味が変っていたのかな。

もし ポトラッチが解らなければ 検索してくれ。
951うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/19(土) 22:13:19 ID:756wC3E2

「購(あがな)う」という言葉の意味は、「(奴隷を)買い戻す」という意味を含んでいるんだよ。

奴隷になっていたイスラエルの民をエジプトから買い戻した、という意味で、

この言い回しをいつまでも使いつづけているんだよ。
952うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/19(土) 22:23:04 ID:756wC3E2

「負い目をチャラにする」ということの意味は、

神はイスラエルをエジプトから買い戻したが、

だからといってイスラエルは神に代金を弁済しろとは言われていない、

ということの意味。

だから、神に倣って人も、道を外れるような弁済の求め方をしてはならない、

ということを確認しているわけだよ。
953神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 12:38:43 ID:kwhFSwAo
購いきれない罪の定義から矛盾を孕んでいるからじゃないの。
954神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 13:58:47 ID:kwhFSwAo
とある月刊紙の記事によると、洗礼者ヨハネとイエスの
「悔い改めよ。天の国は近づいた」は全く同じ言葉でも中身が
全く違うとある。
955神も仏も名無しさん:2007/05/20(日) 17:50:30 ID:kwhFSwAo
エバがアダムの肉のうちから造られ夫婦となったことは、マリアと御子の親子関係と関連する。

アダムは塵と主の息によって造られたことも此に関連する。
さらに、神が「光あれ」と御子を創造したことも同様の関連。
956神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 00:13:36 ID:UQ/dKezk
>>954
洗礼者ヨハネとイエスが共に「悔い改めよ。天の国は近づいた」と
言ったと書かれてるのはマタイ3/2・4/17だけです。(マルコは
イエスだけ、ルカはどちらもこの言葉はなく、ヨハネは悔い改めそのもの
が全くない)
多分、この言葉はヨハネのものでもイエスのものでもなくて、福音書を
書いた人達が、ヨハネやイエスが言ったと創作した言葉だと思います。

それで(「悔い改めよ。天の国は近づいた」は全く同じ言葉でも中身が
全く違うとある。)と言うのは、その月刊誌を編集した人達のご意見
だろうと思います。
957うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/05/21(月) 16:15:01 ID:v9h3a/Li
>>954

意味は同じだよね。違う意味が出てこないもんね。

同じことを言ったんだけど、言った人の役割が違うんだよ。

ヨハネはあくまで「旧約の人」であって、予告をする人、としての発言、

イエス様は「新約を携えもたらす人」であって、実現をする人、としての発言

という差があるわけね。まあ、そういう意味で「違う」といえば違うけど、

何を言っているかといえば同じことだね。
958神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 21:03:54 ID:GCTbxtA/
紙面を紛失した…
覚えでは
当時のユダヤの人々は、天の国の
到来即ち審判の時であり、罪を裁かれる事を怖れていた。
その意味でヨハネの洗礼が存在した。

イエスの場合は安心して悔い改めよという意味で逆であるという。
959mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/21(月) 21:28:32 ID:btABJgCe
>>935
> ニーチェは 牧師の息子なんだってね。
> 牧師の子供 っていえば アメリアカの ライスさんも プレスベテリアンの牧師の娘
> なんだね。 長老教会なんだね。

いい年しても、未陪餐会員の人もいるし、違うところに行っちゃった人もいて
牧師の子供は大変。でもおもしろい人もいるね 野宿は得意とか。

幼い頃から理想の子供像を、なんとなく押し付けられてお気の毒だと思う。
友達は犬を飼いたかったと言っていた。
960956:2007/05/21(月) 21:40:39 ID:UQ/dKezk
>>958
やっぱり、月刊誌の編集者達のご意見ですね
>当時のユダヤの人々は、天の国の
>到来即ち審判の時であり、罪を裁かれる事を怖れていた。
>その意味でヨハネの洗礼が存在した。
ヨハネの洗礼は、長年の修行により身が清められた事を神に示す為の
祭儀であって、天の国や審判などとは何の関係もありません。
またユダヤ人にとっての神の国はユダヤそのものであること。
ユダヤ人は、人によってはゾロアスターの審判を信じていた人もいた
らしいが、ユダヤ教徒は基本的に審判などと言うものは信じていない。
罪が裁かれるなどと言う考えもない。
>イエスの場合は安心して悔い改めよという意味で逆であるという。
これも殆ど根拠がないと思います。イエスが誰に悔い改めよと
言ったのでしょうか? ユダヤ民衆? ユダヤ教徒? 律法学者?
 ローマ人? サドカイ派の人?
961神も仏も名無しさん:2007/05/21(月) 22:10:17 ID:GCTbxtA/
マタ4・16かな
962神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 20:15:19 ID:PLNfs7Me
父なる神に御子は創造された、と理解することは、三位一体を
否定することにはならない。これは重用な仕組みな気がしている。
963神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 20:31:52 ID:PLNfs7Me
偶然気が付き拾ったピースから始まるジグソーパズルだが、
枠を獲ていることが大切だな。ボンヤリした枠とピースではあるが。
964神も仏も名無しさん:2007/05/22(火) 20:52:29 ID:PLNfs7Me
今死の境地にいて眼は霞んでいるが、次第に健康になり聡明になる様。
わたしは未だ真に眼を病んでいる。
好い香りに惹かれるか、嫌な香りに惹かれるのか。
好い香りに惹かれる者は枠を見つける。
枠をなんと喩えようか。
965mono ◆HfNWSGfVro :2007/05/23(水) 19:25:44 ID:y2lGGK+h
ちょっとお尋ねします。
950超えたんですけど、次スレは立つのでしょうか?

このスレ いつパンクするかわからないので、
もし立たないようでしたら、ちょっとお礼をね と思いまして。


すごく勉強になり、おもしろくて良かったですよ ありがと。
966神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 18:32:39 ID:t9dd5SWm
イエス様、次スレが起てられません\(^o^)/
しかし御心のままに。
967神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 09:48:00 ID:cmkQDZVd
主と人の関係を、結婚という形で表すのならば、離婚という形を
表したものもある。
として、主の離婚はありうるのか?
968キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/06/03(日) 15:48:39 ID:07K35FtD
マタイ福音書 新改訳 7章28節〜29節
>イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。
>というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

まあ 次レスは 次レスに考えてもらうとして。
この箇所は いわゆる「山上の説教」の終りの様子なんだね。
「山上の説教」の始まりの様子は 5章1節に記述が有るのだけど
そこでは イエスの話しを 弟子達は聞こうと 積極的にイエスに近づいてくるけど
群衆のことは 詳しい記述がないんだね。

そして 「山上の説教」が終わると 群衆はイエスの話しに驚き イエスが権威ある者
のようだ と思うんだね。 5章以前の 病の癒し等では 群衆はイエスが権威ある者
だとは 思わないんだね。

このあたりの事情は エマオの話しと 同じなんだね イエスの話しを 聞く事によって
イエスが何者 なのかが解るだね。つまり ありがたい「神の子イエスの救いに与る」ために
群衆が イエスの話しを聞きに集まる のではなく イエスの話しを 聞く事によって群衆は
新しいイエス観 つまり イエスが何者かが 解るんだね。

解るとは 人間が変る つまり 解る以前の人間とは違う人間になる ことだって
テレビ宣伝があったけど。 イエスの話しを 聞く事によって 群衆はそれ以前とは
違った群衆に成った ってことよね。

変ったから イエスの権威が 理解できるんだね。

良い絵画を 沢山見ることによって 最初は解らなかった芸術が解るようになるのと
同様に イエスの話しを 聞く事によって 群衆は 最初は解らなかったイエスの教えが
解るように成るんだね。
969mono ◆HfNWSGfVro :2007/06/08(金) 18:09:55 ID:O7fIZnj5
>>967
妻のことを考えているんでしょうけど、それを上手に表すことができず、
退職金もらった途端、離婚されちゃう夫っているらしいね。
不便に気づいても、双方歩み寄ろうとしないですむってことは問題だな。

神に共にいて下さいと願うだけじゃなく、自分も神から離れないように
しないと駄目だよね。
970mono ◆HfNWSGfVro :2007/06/11(月) 17:33:19 ID:EBOUJMej
相変わらず、変わった打ち方をする人だなぁ。

イエスの話を何度も聞いていると、分かってくると同時に
うかがい知れないのも増えてきて、もっともっと知りたくなる。
ぢつは教会行くのが好きなんだなぁ。
971キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/06/11(月) 21:34:16 ID:nH13aMCJ
ネタがないんだよね。

ところで 時間なんだけどね。
マタイ福音書の編者は マルコ福音書を 知っていた とすれば
マタイ福音書の編者は マルコ福音書4章26節〜29節を 自福音書に採用してないんだね。
この喩えは そん人がなんだか良く解らないうちに神の国に成ってしまった って話しだよね。

それと 種を播く人の喩えの説明で マタイ福音書(13章18節〜23節)では 「悟り」という
言葉を使っているけど マルコ福音書(4章13節〜20節)では 「受け入れる」に成っているのね。

「受け入れる」は 「悟る」と比べて なんだか良く解らないけど 取り合えずやって見るか
って感じがかな(かなり強引な解釈?) 

その マルコ福音書は 人がなんだか良く解らないけど取り合えずイエスの話しを聞いていれば
そこが「神の国」成ってしまった って感じがするね。
972キュロス ◆rD08MNkvxw :2007/06/11(月) 21:50:05 ID:nH13aMCJ
>>971 時間ってのを 言いかえれば 「道」なんだろうね。
門 をくぐると直ぐに目的の宮殿なり神殿があるわけではなく
そこへ至る道があるんだね。

聖書 あるいは イエスと言う名の道 を歩くとこが 「神の国」 なんだろうね。

伝統宗教には 答え は無いんだと思うよ。有るのは 問い なんだね。
聖書の中に 問い があるだけで 答え はないんだと思うよ。
973神も仏も名無しさん:2007/06/11(月) 23:48:16 ID:D8miTnds
アダムは広義では土から創られた男女を含む人類一般を指し、
狭義では神に選ばれた民イスラエルを指す
あばら骨の意味が解ればエバの役割がより明確になるのだが...
エバはアダムの一部属性を受け継いだかたちで生まれる
エバはアダムに服従し彼を通してのみ神と繋がる
蛇とは直接対話をし、アダムに死をもたらす手引きを為す
アダムはまたイエス・キリストの象徴でもある
アダムは額に汗して日々の糧を得、エバは産みの苦しみを
経て子を増やす
クリスチャンは男女を問わず花嫁と呼ばれる
ユダヤ教の儀式における家畜のあばら骨の意味とは...?

イエスの処刑に裏切りは重要な要素
ユダは欠かすことのできないキーマン
ゆえにその役を負わされた不幸を思えばこそ「生まれなければ
よかった」とされた
エバに通ずるものがある
銀貨と引き換えに売り渡したもの・失った代償が命
神は死ぬべきアダムとエバのために獣の衣を与えた
974神も仏も名無しさん:2007/06/12(火) 00:09:36 ID:YzVF08iD
【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ13 (^^)v
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1181574490/

立てますた。
975神も仏も名無しさん:2007/06/12(火) 00:51:01 ID:29zHaOWe
ヘブライ語ではあばら骨というよりわき腹全体を指すようだ
生贄の儀式では命の源である心臓や他の内臓を取り出すには
それらを覆っている肋骨を裂く必要があるみたい
ちなみにあばら骨付近の肉は少ないが美味いとか
そりゃカルビですから
わき腹を刺すと水が流れた、なんてのもあったな
976神も仏も名無しさん:2007/06/12(火) 01:13:50 ID:29zHaOWe
創世記の楽園追放の物語にはいくつもの象徴が
織り込まれている、と勝手に解釈をしてだ、
わき腹を刺したりあばら骨を取ったりするのは
『命』を落したり、分け与えることだと考えて、
アダムは命を与え、糧を作り、花嫁が苦しんで
子を産む様を表しているのだ、と
977神も仏も名無しさん:2007/06/12(火) 10:27:07 ID:29zHaOWe
ゴーレムと知恵の実(自由意志)の問題

アダム エバ 蛇
イエス 使徒 ユダ

神は全ての責任をゴーレムであるアダムに帰した...
と、これが聖書のテーマかつ福音・良き知らせ


978うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U :2007/06/13(水) 21:30:11 ID:Bk5IaQac

別にそんなに聖書には暗喩や暗号が必ずある、と疑いながら読む必要ないと思うよ。

書いてあることを、書いてあるままにそのまま読めばいいんじゃないですかね。

暗喩がたくさんあるのは「黙示文学」という分類に入る巻だけだと考えればいいと思います。

旧約ではミカ書、エゼキエル書、イザヤ書、ダニエル書。

新約ではヨハネ黙示。
979神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 22:41:02 ID:OaAPJ9do
 
980神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 22:42:32 ID:OaAPJ9do
980
981神も仏も名無しさん:2007/06/14(木) 02:00:40 ID:4Te4r4+R
人によって詠み方はいろいろだからね
他の解釈とつき合わせて修正すればいいんじゃないですか?
ただユダヤの慣習や時代背景が理解できないと意味が全く
わからないことも多いんだ
畑仕事をするようになってね、聖書の読み方がだいぶ変わったよ
家畜を飼うとまた違うんだろうね
ユダヤ人は旧約から全く違うものを読み取っているのかもしれない
ちなみに何度読んでもダニエル、黙示録には全然興味が湧かないんだよね
982うきゃん君 ◆DV4hb.MG/U
>>981

まさに生きている聖書が生き生きと働いているわけですね!

黙示録ですが、なぜわかりにくいあのようなものが書かれたのかといいますと、

新約聖書ではローマの圧制下(旧約の場合はバビロニア)で、理解し合えるもの同士が、

今、どのような希望を持てばいいのか、ということを伝えて励ましあうための暗号で

つづられた文章だということです。

ローマの官憲に文書を見つけられても、「これは方言で書かれた詩歌ですよ」といって見せれば、

キリスト教を伺わせる単語が見つからないので咎められることが無かった、というわけです。

たとえば666ですが、数字7は完全数で完全数に1不足の6という数字は不完全なものの象徴です。

不完全な数字を3回(十分に)繰り返すことで不完全の統帥、皇帝ネロを象徴しています。

また、「獣」はローマ帝国の意味です。

このような感じですが、意味が分からなくなってしまった暗号もあるようですね。

このように、黙示録というのは、その内容がどうか、ということより、このようなものを書かなくてはならなかった、

ということを記念するために聖書に加えられている、ということの意味合いがあって大きいのっではないかと

思います。