950 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 08:50:57 ID:MosKiET1
観自=自を観る→自問自答瞑想禅
観自在菩薩=自を観つめて在る菩薩
(´・ω・`)瞑想禅自問自答している菩薩様が出てきますが?
そしてこの菩薩様が行(自問自答瞑想禅という)を深め般若波羅蜜多という状態に達した時
照見五薀皆空度一切苦厄
五薀を空に照らし合わせ見た時
一切の苦厄を度する
つまり
自問自答や禅瞑想しながら
空を見極めれば一切の苦厄は解決する
(´・ω・`)
教科書じゃなくちゃんとお経読もうね
951 :
日々是修行:2007/07/19(木) 09:51:05 ID:c9HHTktZ
>>950 ちょっと待って下さい!
『観自在菩薩=自を観つめて在る菩薩』
これは貴方様の解釈ですか?
『自在を観る菩薩』と思ってましたが。
観心自在、観時自在、観地自在、観衆生自在、観一切自在。
すべて「心無掛碍」。そして、行深般若波羅蜜多時・・・
「般若波羅蜜多の行を深めて・・・」つまり、
「布施波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜・・・などの行を極めて」
浅学の者で、恥じを忍んでお伺いしたく存じますが、お如何でしょうか?
だから、南無は、いんちき霊媒師w
水子の霊障で、仏教スレで大騒ぎし、
いんちき写経を布教した「自称仏教徒」
面白いから、もっと、言わせてあげてください。
ちなみに彼は、仏教質問箱の公認名誉長老です(^o^)/
仏教、凄いですw
953 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 10:47:10 ID:MosKiET1
>>951 お釈迦様はどのようにして悟られたか?
それは
自という観を見て
つまり
菩大樹の元で瞑想禅自問自答して悟られた
って聴いたことありますか?
死んだ後に残る魂のようなものを仏陀は否定していると本で見たんですが、そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
輪廻というと魂が別のものに乗り移るようなイメージが自分の中にありまして、どういうことなのかよくわからないです。
>そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
輪廻の主体を設定しようとすると、即常見に陥るだろう。
「縁起は輪廻する」という以外には無い。
>輪廻というと魂が別のものに乗り移るようなイメージが自分の中にありまして
その前提が間違い。
956 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 11:38:40 ID:lO3Nseqe
輪廻(回転)だから当然主体(中心点)があるということだけれど、
前の記憶はなくなって、記憶は無意識のほうに転写されているんだよね。
957 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 11:47:17 ID:MosKiET1
>>951 自在って
変幻自在とか
自由自在とか?
修飾語のない自在って国語辞典でしらべてね(´・ω・`)
958 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 11:57:42 ID:MosKiET1
>>954 死んだ後に残る魂のようなものを仏陀は否定していると本で見たんですが、そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
死後魂のような残るものは無い?
微妙な発言ですね(´・ω・`)
@魂は残るが魂のようなものは残らない
A魂もまた魂のようなものも無い
Bその他
ちなみにお釈迦様は霊に付いては
無記つまり触れて居ない
触れていないということは肯定も否定もしていない
否定しているとの主張は間違い
ナムが珍しく正しい事を書いてるが、アンカー打つと負けなので、打ってあげない。
960 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 12:46:41 ID:McQssqmg
>>950 観自在菩薩は観世音菩薩(観音様)の別名で、
つまりは固有名詞にすぎないのではないでしょうか。
太朗君と聞いたって、いちいち太くて朗らかな人だと思う必要ないでしょう。
さて、般若心経には、
「是故空中 無色 無受想行識…」とありますが、
これについてはどう解釈したらよいでしょうか?
961 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 12:57:46 ID:McQssqmg
色受想行識は空(くだらない妄想にすぎない)だから、
色受想行識は無い、という意味じゃないの?
962 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 13:03:45 ID:MosKiET1
>>960 (°∀°)
あのさ
すげー大切
般若心経は
お釈迦様が悟りを開いた時を説明したお経
どのようにしてお釈迦様は悟ったか
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
つまりお釈迦様は瞑想自問自答禅で悟った
そして
悟ったお釈迦様は悟りとはなんぞやを
舎利子に説明しているんです(´・ω・`)
誰が誰に何を伝えたくて説法してるのかをイメージしないとね
是故空中無色の意味も変わってくるの
無受想行識も
是故空中無色は
空と色受想行識は別ものって意味だね
963 :
南無大師遍照金剛:2007/07/19(木) 13:23:54 ID:MosKiET1
是故空中無色
是れ故
空の中には色は無い
つまり空と色は別もの(´・ω・`)
色即是空を色=空って解釈は間違いだね
文章の意味が通じなくなるから
空と色は同じ
是れ故え
空の中には色は無いってのはナンセンス
そこで空=色は間違いって気付かなきゃね
・心経を思想的に解釈したいなら(本意を探したいなら)、サンスクリットから考察するべきでしょう。
・そうではなく、漢訳を読み解きたいなら、訳者が(心経中で)用いる語をどう位置づけているか、も必要でしょう。
各語義の定め方は勿論、文脈の繋がりと、訳者の意図(立場)への視線も必要でしょう。
・また、訳語から見る思想的変遷を知りたいなら、
サンスクリットは勿論、諸漢訳の異本間の相違を知る必要があるでしょう。
・また、数多ある古い解釈解説であっても、それらは著名な僧たちがどのように読んだかということ
→「彼らの(立場からの)読み」であることも忘れない方がいい。
・また、自身に合った、恣意的な解釈で構わないという場合でも、各用語の語義について、
どういった解釈を採用するか、という足場の決め方が必要となります。
どんな読み方をするにしても、最低限これだけ(どの語義に拠っているか)は必要でしょう。
(その採用しているスタンスの表明が必要な場合もあるでしょう。)
でなければ、あまりにも無茶の過ぎるトンデモ解釈になってしまうでしょう。
漢訳は、訳者のよる恣意的な省略や意味の増広、恣意的な意訳が大きく行われたものである、
という意識は必要かと思われます。
ま、サンスクリット自体、強烈に凝縮された言い回しの集合なので、致し方ないとも言えますし、
古の漢訳者達のセンスには目を瞠るものがあります。
勿論、個々人による個々人の為の「読み」を可能にしてしまう所に、
心経の大きな魅力の一つがあるとも言えるわけですが・・・w
965 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 13:30:18 ID:IY+wq2Ss
>>……………………………………………………………………………
954 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 11:17:27 ID:ImQ6cDJ2
死んだ後に残る魂のようなものを仏陀は否定していると本で見たんですが、そうだとするなら何が輪廻するのでしょうか?
輪廻というと魂が別のものに乗り移るようなイメージが自分の中にありまして、どういうことなのかよくわからないです。
>>……………………………………………………………………………
仏教では、この世界を空(幻)と見ています。
だから、幻の我とは別に幻を見ている我があるわけです。
だから、この世で死ぬと、現実の我に目覚めるのですが、覚めたとたん
に次の幻を見るわけです。つまり再び人間の世界に赤ん坊として生まれ
てくるというわけです。これが輪廻転生です。
だからのりうつる魂のようなものを想定する必要はないわけです。
>>960 確かに固有名詞ですが、それは、
名付けられる対象の特性に着目して付けられていることを忘れてはダメです。
この場合を「太郎」に比するなら、「その人物が、太く朗らかだから、太郎と名付けられたのだ」ということです。
仏や菩薩の名前は、常にこのような関係の上にあります。
967 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 13:37:58 ID:IY+wq2Ss
>>960 >>……………………………………………………………………………
さて、般若心経には、
「是故空中 無色 無受想行識…」とありますが、
これについてはどう解釈したらよいでしょうか?
>>……………………………………………………………………………
『是れ故に空(幻)の中には、色無く、受想行識無し』
という意味です。
968 :
神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 13:39:36 ID:IY+wq2Ss
>>961 >>色受想行識は空(くだらない妄想にすぎない)だから、
>>色受想行識は無い、という意味じゃないの?
その通りです。
969 :
南無大師遍照金剛:
空と無は違うっていいながら空=無って何よ(´・ω・`)