>>949 それって、他人には案外簡単なことに見えるんですけど、結構根っこが深くて、自分で取り払うにはかなり大変な作業なんですよね。
そもそも、その潜在意識に気づくのが大変。
他人にはまず、わかりませんから、相談しても満足する解答が得られない。
だから余計に孤独になるから、悪循環といえば悪循環。
そんな感じに思えるんですよね。
>押入れの隅から古いお守りが誇りまみれで出てきて、むしろ普通の無宗教者の方が気にするんですよね、そういうのw
そうですそうです。
すごく気になります。
触らぬ神に触ってしまった、たたりを気にするんですよ。
私はそういう時は、いったん嫌なイメージがないかどうか確かめてから、捨てます。
いやなイメージがあったら、ためらわず捨てます(笑
どちらの場合も捨てるのは一緒ですヽ(^。^)ノ
>>951 罪悪感ですね。我々は自分の重荷を谷に負わせようとすることが大好きですがそのための手段として罪悪感を用いるのではないでしょうか。
墓に小便をかけるという行為と悪いことがおきるということはもともと関連付けはありませんが言葉はその両者の間に関連付けをすることが出来ます。
>>952 そうですね、本当、オームなんて見てるとなんでって俺でも思いますし。
ねじけてしまった信仰は危険だと思いますよ。
自分が客観しできない限り無理じゃないかと思います。
今はネットがあるから自分だけじゃないって分かりやすくて良いとも思いますけどね。
当時は自分だけがって気持ちが強くて、相談なんてそれこそ友達にも恥だと思って言わなかったし。
悪循環でした、ほんとに。
げんかつぎや迷信やって結構誰でもあったりしますしね。
自覚なしで不思議な現象を意識してるってのはあると思いますね。
たぶん俺の方が宗教にかかわってこなかった人よりもそういうのが少ない気がしますw
もっとも、未だに無自覚な部分もあるでしょうけど、悪影響があると感じないならそれでいいとも思ってます。
つか、特に最近そう思ういますね、考えなかった部分を考えたりしたから、そんな結論が。
>>953 悪いことが起こるってのは罪悪感じゃないと思いますよ。
何かしらの霊の力とか、先祖の祟り的なものを漠然とでも感じたりするんじゃないでしょうか。
>>950 待ってよ
私あなたのマジレスにマジレスしなかったのはその前に
私がここでは被害者意識なんてないからって誤解といてからの方が
議論やりやすいかと思ってそっち系の誤解とくレスの方からしてたのに。。
私が被害者のように扱われてる流れだとあなたもマジレスというかきつい突っ込み入れにくいと思って…
って考えすぎかな…w まぁもういいんだけどw 何を議論するのかもわかんないしw
さて、約束どおり次スレ立て行ってきますノシ
>>951 そういう具体的なものじゃないと思いますよ。
リアルだけど、抽象的なものなんですよ。
極端に言うなら、生まれてきたことの贖罪感みたいなものじゃないのかナァ〜
たぶん、両親との関係性のなかで潜在化されたのだと思いますが、
どのような形なのかは本人ではないとわからないでしょうし、本人でも客観視するのは難しいでしょう。
家庭に関わることが大きいという感じをものすごく多く受けます。
>>959 キリスト教だとどうなるとかは分かりませんけどね、概念も違うでしょうし。
両親との問題ってのは、それを与え続けたのが両親だというだけです。
で、落ちていくのは自分自身。
その過程にも親の一言一言や、組織の言葉がありますけどね。
そーかの場合には、少なくとも当時は、やめたら事故で死んだとかいろんな怖い話がざらにありましたし、
そーかの他の人にそれを聞いても、「だからちゃんと信心すれば問題ないから」としか言われませんし。
れっきとした犯罪だと思うんですけどね。
>>956 恐怖心ですかね。タブーとは何かということになるのでしょうか。
>>962 ふつーの神様に関係もない人に、はかにしょんべんかけてみろって言ったら嫌がりますよw
なんで?って聞けば、呪われたくないとか言う人もいます。
井戸一つ、神棚一つ粗末に扱えない無宗教者も多いですよ。
地鎮祭なんて未だに祈願する無宗教者も多いです、潜在的な宗教者ってことなんですかね。
おちですノシ
>>963 なるほど。
潜在的な宗教者なんでしょうね、
でも先祖やホーリースペースを粗末に扱える人って極少数かもしれません。
>>961 そう思うのは、それを乗り越えたからですよ。
仮に親を否定しても、親は親ですから親であることには変わりありません。
だから、自分の中で、なにを拒絶しているのかを明確に分けなければならないのです。
けれども、いくら他人から言われても、そんな自分を客観視することはすぐには不可能です。
それが、意味不明の議論や質問につながるんだと思いますよ。
宗教は死者の弔いが原点で原始人も墓を作り弔っていたというが死者への思いをどのように処理するかという単純な問題なのかも
>>948 >何かを愛することなんて人間には無理なんだろうだから人は神を作り出したんじゃないかな。
神を作り出したら人は愛することができるようになるの?
それとも神が愛ってこと?
>>963 それは、知らないからですよ。
他人の信仰を侵害にしないという素朴な協調性じゃないですかね。
地鎮祭も、何かあったときのための保険でしょう。
なにかあれば、お払いをしたからもう何もないだろうと思えるでしょうし、なにもなかったらそれでいいわけですし。
大きな意味はないと思いますよ。
みんながそんなものは無駄だと思えば、なくなりますよ。
今の葬式仏教も、そのうち消えるでしょう。
そんなもののような気がします。
>>967 自他の分別がある限りは無理では。生きてる限り無理っぽいけど。
>>969 じゃぁ子供が溺れてるのを見て我が身を返らずとっさに飛び込んで助けようと
する衝動なら愛と呼べるかな
>>970 我を忘れないと自分を犠牲にして助けることが出来ないのなら「我」が助けたことにはならないのかも
飛び込むことが問題なのか、助けることが問題なのか区別しないと。。。。。。
>>971 いや我を忘れた状態が他者に移入してる状態かと思って
我と他者が分別なくなった時が愛で、
でも我を忘れ「我」の分別能力は存在してないと、今分別がない愛状態とも判断できず我は永遠に愛を自覚できない ? 難しい愛。。w
>>973 愛のイメージというのは赤ん坊の頃の自他の区別がついていないときのかすかな記憶なのかもね、赤ん坊の時は我を知る我はいないから我を知ったらそれはもう失われたものかも、
>>974 へー。。逆に戻る視点か おもしろいね 愛はあって失われた
>>957 じゃあ更に突っ込み入れるけど救いから漏れるとか
漏れないとか気にしてる状態こそがまさに罪だよ。
君のキリスト教は天国と地獄しかないの?他の教えはどうでもいいの?
>>975 おもしろいっていうか、キリスト教だとこてこての概念だと思ったけどアダムとイブのなんだっけ
>>976 「地上では旅人であり寄留者であるあなたがたは」(ヘブル)(ペテロ)
あっちの世界が永遠に続く世界で本籍でそこ目指しなさいっていう教えなんだから
気にするなことが罪って言われても
>>977 墜落 原罪観 失楽園?
>>978 私は知っている。人にはその生きながらえている間、
楽しく愉快に過すより他に良い事はない。
また全ての人が食い飲みし、その全ての労苦によって
楽しみを得ることは神の賜物である。(伝道の書3:12〜13)
詐欺師にこっちのワンレスで終了気持ちいいw おち
とおちようしたら
>>979 それは愉快に過ごすことは良いことであって
本籍を意識することが罪というわけじゃないじゃないようだけど
>>980 それは、律法主義だからって言えば、分る?
>>981 本籍を意識しただけでパリサイで一括り?
>>982 イエスはパリサイ派だよ。知ってた?
ユダヤ教徒がユダヤ教徒に語っていることも知らずに、呼んでるの?
これって意味あるの?
>>983 意識せずに信仰もつの?
>>984 信仰は持とうと思って持つものじゃないよ。
ノシ
>>985 って言うと思った
だから自然に惹かれるのを待てばいいものだと幼児洗礼の話の時言ったじゃない
なんでプロは信仰で救い確信してるのに、救いから漏れる危機感を意識するカトより難しいというの?
例えばミサとか
「信仰者にとって救いを得るために新しい契約による秘跡が必要であると教会は教えています」(カトカテキズム)
カトだと応答基準が明確記載というか信仰が前提となってさらに っていうのが多いのだけど。救いを得る条件ででなく応答としてのはずが、記載により救いを得るためみたくなってると、厳しいのはカトだと思うのだけど
まぁ本当に信仰を持ってるのなら行いも自然とそうなるって話だろうし
行いのない信仰は死んだものって表裏一体だと思うしとか言われるかな
だけど、読めば読むほど、両親ネタは正しいような気がしてくるけど、本人は否定なんだろうナァ〜
難しいもんだ。。。。。
あ告解受けに行けば罪許されるからお気楽とか言われるのかな
でも後で告解すればいいと思って犯すことは明らかに罪だという認識があったことになる
知ってて犯すことが罪 罪と知ってしまった全てのことは避けなければならない
嘘一つつくことも 人に馬鹿と言う言葉を言うことも
それを小さい頃から意識して過ごすと緊張感を伴う
お気楽じゃないと思うけどな
>>988 あ 昆布さん そうですかね。。 そう北海道の寒さって長く住んでも慣れないものですか?
でも白銀の世界は綺麗。。
990 :
てすと:2007/02/08(木) 09:07:14 ID:MpXHO6m3
カトや神道はお気楽だと思うけど・・。後出しの方が必死感漂っていて痛い。
>>966 生存する人が、他者を手厚く葬る様に安堵して自分も安心を得るとかそういうことなんでしょうね。
>>968 意外と根深そうにも思いますけどね。
毎日新聞や雑誌に出ている占いをかかさない人もいますし、
そんなものを見て上がったり下がったりする人もいます。
実はそんな些細なことがマイナスに作用することもあるし、振り回されてる可能性もあるんですけど、
そんな自覚は出来ない。あほらしいと思いませんか?
自分の浮き沈みは自分が影響を作ったり解消したりするべきなんです。
でも、現実には潜在的でも習慣的でも外部の影響を受けやすいように自分を作用してしまうのかもしれない。
宗教の、特に不思議系なんかはその性質を利用していることも間違いないと思うんです。
>>979 >私は知っている。人にはその生きながらえている間、
>楽しく愉快に過すより他に良い事はない。
>また全ての人が食い飲みし、その全ての労苦によって
>楽しみを得ることは神の賜物である。
最後の神が比喩であるなら万人に通じると思えるんですけどね。
その楽しく愉快にを万人に通じさせようとするほど規制も生じるのは確かですが。
>>991 占いって、昔の宗教の代替だと思いますよ。
何だっていいんですよ。
どうでもいいことの気分転換みたいなもので、
日常のちょっとしたアクセントみたいなものでしょう。
今日のラッキカラーは赤とか、お昼はパスタが吉とか。
いて座の上司に気をつけろとか。
なにも考えなくていいわけですから、楽でしょう。
思考停止で宗教に騙されて、金と時間を取られておまけに健康を害するよりはマシかと。
でも、確かに、メンタル面の自己管理は重要だとは思いますし、賛成です。
私は、自分の直感や第六感も常に磨いておくべきだとは思いますし、必要だとも思いますよ。
しかし、それって、訓練だから、結構しんどいとも思いますけどね。
このごろ、私も弱ってるしナァ〜
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