124 :
まちこ:2007/03/18(日) 10:02:27 ID:ov26Z7XD
いとぴょんさん、ありがとうございます。
いつも感謝します。
主にハレルヤ!
125 :
まちこ:2007/03/21(水) 00:54:33 ID:z8hp87Ig
いとぴょんさんの立てたスレは、あっという間に1000です。
凄かったですね。(笑)
もう家スレがたっても行きません。
私がいると迷惑をかけてしまいますから、ここで一休みさせてもらいます。
宜しく!
126 :
まちこ:2007/03/21(水) 01:03:39 ID:z8hp87Ig
誰もいなーいって、こういうことなのですね。
すごーくうれしい。o(^-^)o
好きに書けさせてもらいます。
第一ヨハネ2:5
しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現してます。
127 :
まちこ:2007/03/21(水) 08:51:58 ID:z8hp87Ig
おはよー。
神様、今日も一日、神様の御心のままに、ここの方々が歩めますように、イエス・キリストの御名によりアーメン。
128 :
まちこ:2007/03/21(水) 09:39:14 ID:z8hp87Ig
やはり、家スレに帰れの夢を見ました。
家スレのみんなには悪いけど、神様のほうが恐いので帰ります。
また来ます。
こんばんば☆ こっちは静かだね。
神の家スレッドが名無しの不法者で占領されてる時はこっちに集まろうよ。
130 :
まちこ:2007/03/22(木) 13:25:03 ID:3tlAky0G
つばささん、こんにちは。祈りのスレもありますので宜しかったら、どうぞ。
まちこー(笑)
おやすみ♪
(^・^)Chu♪
132 :
まちこ:2007/03/23(金) 03:04:25 ID:TEzGRmZ7
和水、元気になったみたい。(^_^)
よかったね。
いつでも祈ってあげるから、図々しく言ってね。(笑)
おやすみなさい。
ローマ 8:28-30
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのこと働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
>>128 ローマ 8:31b
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
ヨシュア 1:9
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。
135 :
まちこ:2007/03/23(金) 16:28:06 ID:TEzGRmZ7
いとぴょんさん、ありがとう。
今、最後の宗教革命家のところにいます。
136 :
まちこ:2007/03/24(土) 17:42:35 ID:iruQC9pd
主にハレルヤ!
\^o^/
がう〜
日本地図を見ていつも北の端の白塗りの部分を見て思うこと
サハリンは、今はどんなところだろう?
ここもかつては日本領だったのだ。。。
本当によく釣られますね。
その鋭い感覚を社会正義の実現などのためにお使いください。
ただし、思考回路に関してはもう少し磨かれますよう。
何だ、俺に言ってるのか?
訂正です。。。
5行目 サハリン宣教→ロシア宣教
143 :
さくら シャロンの薔薇 ◆Sis.Q9h9cQ :2007/04/08(日) 23:02:49 ID:+aHOIwas
このスレ挙げます。
過疎って、過去ログ倉庫入りを惜しみ、あげてみたんだけど・・・
愛する天のお父さま、御名を崇めて賛美します。
和水桜さんのために祈りなさいと示してくださったことを感謝します。
和水桜さんの心に不安定さを与えてる悪しき霊共よ、イエスの御名によって命じる。今、お前等を縛る、即刻彼女より離れ去れ、アーメン。
また、心の他に体のどこが病んでるなら、そのところにも御手を伸ばして触れてください。今、癒しの御手を伸ばして触れてくださって、癒してくださったことを感謝します。
人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである。
和水桜さんがいつも健康な日々を過ごすことができますようにお願いします。
そして、あなたが真の救い主であり癒し主であることを和水桜さんに示してください。速やかにあなたを主として受け入れることが出来るように導いてください。
尊き主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
いとぴょんすごい…
なんで私が調子悪いのわかったの?
心も不安定だし、身体の調子も悪いんだ…
でも祈ってもらったから大丈夫だね
ありがとうございます
(*^∇^*)
愛する天のお父さま、あなたの御名を崇めて感謝します。
あなたは、先程、のぞみさんの立てた談話室に導いてくださり感謝します。
そこで長崎市の伊藤一現市長が暴力団に拳銃で打たれて心肺停止状態で脳死判定をもうすぐ行うというほどで、とても危険な状態と知らされました。
悪魔は殺したり、滅ぼしたりします。でも、私の信じてるイエス様は羊に命を得させると聖書に書かれています。
イエス様は、無から有を生みだされる方であり、死人をもよみがえらされました。また、救い主であり癒し主であることを感謝します。
伊藤一長崎市現市長の命をとても危険な状態にし、殺そうとしてる悪魔、サタンよ。今イエスの御名によって命じる、お前を縛る、即刻、伊藤一市長より離れ去れ。アーメン。
我は主であって汝を癒す者なり。イエス・キリストの打たれた傷により癒されたり。アーメン。
速やかに伊藤一市長の健康を回復してくださるようにお願いします。
また、殺人未遂罪として現行犯逮捕された暴力団の人にも、働き掛けてください。彼が罪を悔い改めて、イエス様の救いの囲いに入れるようにしてください。
収穫が多いが働き人が少ない。収穫のために働き人を送り出してもらうように願いなさい。とあります。
二人が救われて真理を悟れるようにお願いします。
尊き主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
ヤコブ 1:19-25
わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。
だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。
鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。
神の家の諸原則
T. オースチン-スパークス
聖書朗読:詩篇132篇
「こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建造に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた」
これと関係する、読むべき聖書の箇所がたくさんあります。しかし紙面が限られているので、進みながら参照するにとどめなければなりません。
議論するまでもないと思いますが、人々の間の神の臨在の中心、すなわち神の家は、最も重要な事柄です。
神の家は神の臨在の中心です。なぜなら神の家は、主の関心事と権益に関する他のすべてを含んでおり、それと関係しているからです。
主の家は、神の権益と関心事という広大な領域の中にあります。最終的に、それは広大な領域に恩恵をもたらすでしょう。神はそれを通してご自身を現されます。それは彼の臨在の中心です。
旧約聖書のこの箇所に記されている偉大な型である宮を考えることにより、この神の中心的住まいの基礎と土台を成している諸原則を学ぶことができます。
(つづく)
信仰と従順の勝利
たった今読んだ節は、歴史的にも霊的にも
、多くの事柄に対する鍵です。初めに、次のことをふたたび指摘したいと思います。
すなわち、神の家、主の住まいの第一の原則は、他のすべてのものが塵になってしまった時に現される、信仰と従順の勝利です。アブラハムの希望と望み、そして彼に対する神の約束と神の契約は、すべてイサクにかかっていました。
イサク以外にアブラハムは何も持っていませんでした。それなのに神は言われました、「今、あなたの息子であるイサクを取り、全焼のいけにえとしてささげなさい」(創世記22章2節)。
ヨブの言葉によると、これは「あなたの宝を塵の中に置きなさい」(ヨブ記22章24節)ということでした。
ヘブル人への手紙の著者が言っているように、契約と約束がすべてかかっている者をアブラハムはささげました(ヘブル人への手紙11章17、18節)。
一つの面から見ると、アブラハムはまさに人生の動脈を断ち切り、希望、将来、可能性をすべて手放しました。この観点からすると、すべてが灰になりました。
神の介入がなければ、イサクはたちまち灰になっていたでしょう。実質的に、彼は灰になったのです。アブラハムの心構えと従順に関する限り、イサクはすでに灰になっていました。薪がそこにあり、祭壇と刀の用意も整っていました。
しかし、信仰が従順を通して勝利しました。そして後に、まさにこのモリヤ山が、宮すなわち神の家の建設地になったのです。神の家はこのような土台の上に建造されます。
これはカルバリを予表します。純粋に地的な観点から見ると、カルバリは一切の希望の終わりでした。
それは宝を塵の中に置くことでした。それは灰であり、終わりでした。この十字架の周りにいた人々にとってそれがどのようなものだったのか、私たちは知っています。すべてが終わったかのようでした。
しかし、この偉大な宇宙的ドラマの中心的特徴は、それが死に至るまでの、実に十字架の死に至るまでの信仰の従順だった、ということでした。今も昔も、神の家はこの土台の上に建造されます。これが一つの原則です。
それは大いなる現実であり、キリストに関する大いなる教理です。しかし、これは実際的なことです。つまり、この種のことが進む時だけ、神の家の基礎と土台の設置そして建造が可能になるのです。
(つづく)
いのちを捨てること これと関係する原則は、すべてが暗闇で何の希望もないように思われる時に、教会が従順と信仰によって自分のいのちを手放して、自分の魂を絶えず放棄することです。
従順な歩みが必要です。その歩みは、見込みも希望もないように思われることをするよう私たちに要求しますし、したがって、私たちの命、私たちの魂を放棄することを必然的に伴います。これが建造の道です。これまで常にそうでした。
若い男女がこの世の望みをすべて捨て、自分の宝を塵の中に置き、主の命令で出て行く時、彼らはこの世の希望と望みに関する限り、すべてを灰の中に置いたのです。教会はこのような方法で建造されてきました。
主に対する従順と信仰によって自分の利益を手放すことは、たとえそれが人生の目的に関わる偉大な行動ではない時でも、日常的なことです。こうして建造が進みます。
主が指を置いて「私はこれを望んでいます」と言っておられるものを惜しむことにより、神の家の発展はなんと遅らされ、妨げられることでしょう。私はこれをとても詳細に扱って示すことができます。
しかし、一般的原則があります。それは、すべてが灰の中に置かれる時、従順を通して信仰が勝利するということです。
アブラハムは神を信じました。この偉大な勝利により、神は彼の宮の建設地を得ました。この宮は、神のすべての御旨を成就する上で中心的な役割を果たすあの霊の家の、偉大な例であり型でした。
神はそのような家の中に住まわれます。しかし、この中心的な家は深い取り扱いを受けなければなりません。神の臨在のまさに中心であり、彼がご自身をお委ねになるこの家は、他のなにものにもまして多くの剥ぎ取りを経験しなければなりません。
これは必然的に深い働きを伴います。とても深い試みを通して、信仰が完成されるのです。
(つづく)
犠牲的な神の愛による神との交わり
このとても深い試みと並んで、犠牲的な神の愛による神との完全な交わりという要素があります。アブラハムは、愛する御子を惜しまずに私たち全員のために無償で与えて下さった方の御心の中に入りました。
このアブラハムの偉大な歩みについて語る際、私たちはこれまでしばしばこの要素を指摘してきました。
その歩みはまさに、神の愛のゆえに、犠牲的性質を帯びた交わりの中に入ることであり、代価を払って与えることでした。これが神の家が確立される唯一の道です。
愛のゆえに、代価を払って与えなければなりません。アブラハムにとってイサクは愛する大切な者でしたが、彼がイサクより神を愛したことは極めて明白です。
この素晴らしい宝を保つことより、従うことの方が遙かに重要であることを、アブラハムは理解していました。これが愛です。これが、「主を畏れる」と聖書が呼んでいるものです――愛による畏れの要素です。
これがどういう意味か、きっとご存じでしょう。あなたがとても重んじている人、その人の愛をとても高く評価している人がいるとしましょう。あなたはその人を失望させないよう、絶えず大いに気を遣います。これが主への畏れの性質です。
アブラハムは神を畏れました。神の家はこの種の畏れの上に建造されます。これには実際的な日常的意味があります――私たちの心の中にある神の愛は、私たちの高価な犠牲と贈与に至ります。
(つづく)
人の栄光は低くされる
次に、アブラハムからダビデに行きます。宮の建設地になったこのオルナンの打ち場は、人に栄光を帰すサタンの働きを断ち切ること、そして人をとても低くすることを表し、象徴していました。
イスラエル人を数えるようサタンがダビデを誘惑したことは覚えておられるでしょう――ヨアブのような肉の人でさえ、それを見抜くことができました。
「主が御民を今の百倍にして下さいますように。しかし、わが君なる王よ、彼らはみな、わが君のしもべではないのでしょうか?なぜ、わが君はこのようなことを要求されるのでしょう?なぜ、イスラエルに対して咎ある者となられるのでしょうか?」(歴代誌第一21章3節)。
「主はとても多くのことをして下さいましたし、それ以上のことをして下さるでしょう。しかし、自分の資産がいかに大きいかを評価するために、そして自分の王国の偉大さを誇るために、人数を数え始めないで下さい」
ヨアブは肉の人でした。しかし肉の人の中には、クリスチャンよりも原則について理解している人がしばしばいるようです。
しかし、ダビデは神の知恵と人の善良な知恵を退け、イスラエルを数えることに固執しました。その結果はご存じでしょう。
人に栄光を帰すようなことを行うこと、そして人の能力と達成を重んじることは、すべてダビデに対するサタンの促しから発していました。主は出て来て、それを容赦なく打たれました。
そして、人に栄光を帰すサタンのこの働きは断ち切られ、人はとても低くされました。オルナンの打ち場で、裁きとあわれみが出会い、互いに口づけを交わしました。その結果が宮でした。裁きは神の家から始まらなければなりません。
しかし、神に感謝します。それは完全な滅びに至る裁きではありません。それは裁きが混ざったあわれみであり、その結果は、裁きに対するあわれみの勝利です。
これがカルバリであり、神の家です。常にこのようであることがわかるでしょう。裁きがあるでしょうし、なければなりません。私たちはこれをとてもよく知っています。
(つづく)
主は彼の家の原則に反するものを見逃されません。
パウロがこれをコリント人たちに知らせようとしたように、私たちがこれを知ってさえいたら。今日、多くの人が様々な方法で苦しんでいます。
なぜなら、彼らは神の家の原則を守っていないからです(コリント人への第一の手紙11章30節)。
そこには裁きの面があり、裁きが進みます。しかし、ああ、神がそうなさるのは、ただあわれみを示すためなのです。
彼の目的はあわれみです。こうして彼はご自分の家の基礎を据え、こうしてご自分の家を建造されます。
(つづく)
神は人に借りをつくらない
神の家では、人に借りがあってはなりません。ダビデは神聖な原則に何とこだわり、今やそれに対して何と敏感なのでしょう!
精錬する火が私たちを原則に対して目覚めさせます。別の機会のダビデがそうでした。契約の箱がどのように車の上に置かれたか、覚えておられるでしょう。
ダビデは聖書を忘れていました。彼は苦しみの時を通り、ついに神の言葉の中に神聖な原則を見いだし、事態を正しました(歴代誌第一13&15章)。ここで、彼はふたたび原則に対して敏感です。
オルナンはダビデに打ち場を与えたかったのに、ダビデは言いました、「いいえ、私はあなたに十分な代金を払います。そうすれば、『神の家は人に借りがある』と誰も言えないでしょう。
後で他の人が、『そうです、私がそれを神に与えました。その宮の敷地は私の贈り物です』と言うことはできないでしょう」
いかなる備品の中にもオルナンを示すものがあってはなりません。神の家の中では、いかなる人も貸し手としての地位にはありません。そこでは人に借りはありません。
人は外に出されます。あなたはこれを適用することができます。
(つづく)
157 :
神も仏も名無しさん:2007/04/26(木) 21:39:10 ID:NxBb2upI
脱穀
これは打ち場であり、主の御前ですべてが脱穀される場所でした。
ここに籾殻はありません。現実的で純粋で真実で堅固でないものは、何もありません。建造に寄与しないものは何もありません。本物の穀粒でなければなりません。
神は常にこれをなそうとしておられます。神の家は打ち場です。私たちの籾殻、空虚さ、空しさは、すべて取り除かれつつあります。真に重要でないものは、みな取り除かれつつあります。
神は彼の家の建造の材料を求めておられます。別の比喩を用いると、神はからだを求めておられます。彼は穀粒を求めておられます。
籾殻は去らなければなりません。主の民の間における私たちの主との関係において、私たちは彼の家を構成している者として、彼は私たちの空虚さ、非現実性、籾殻を吹き分け、脱穀し、取り除いておられることに気がつきます。
しかしそうすることによって、彼は実際のものを得つつあるのです。彼は堅固なもの、残るもの、養いになるものを得つつあります。これが彼の建造の土台です。
これまで述べてきたことはみな、とても実際的な方法で成し遂げられなければなりません。用いられている絵図は型や象徴にすぎませんが、その実際は聖霊の御手の中にあります。
彼は、神の民の生活の中でそれらが成就されるよう、絶えず求めておられます。彼が私たちに働かれる時、それに全く協力するよう注意しましょう。
(おわり)
841:勝利する者 :2007/04/15(日) 19:02:10 ID:oCcvo5Ep [sage]
Lesson1
信じる、とは自分の命とイエスの命とを取り変えることです。
ヨハネ6#47
私、イエス、を信じる者は、永遠の命を持ちます。
信じるとは持つことです。
自分の命を持つか?イエスの命を持つか?どちらかです。
私達の問題は、自分を持ったままで、イエスを持とうとしていることにあります。
974:勝利する者 :2007/04/16(月) 18:10:01 ID:M9Z/FqRo [sage]
神様、どうか暗闇を手探りで歩んである私達を哀れみ、一人一人にあなたの光を当てて、お導き下さい。
Lesson2イエスを信じる者は、永遠の命を持つ。
イエスを信じる者は、永遠の命を持つ。簡単、明瞭です。この道をまっすぐ行けば、目的地に着きます。
イエスを信じる者は、永遠の命を持つのです。
イエスの血潮によって、保証されている聖書を信じようとしない人は、何に希望を置いているのですか?イエスが私の保証人です。
人のことには大層雄弁なあなた、あなたのその日は、確実に来るのです。
私が、話しているのは、あなたに向けているのです。
そんなことを言って自分はどうなんだ、死んでみろよ!と誰かが、言っていました。
神を信じるとはどういうことですか?イエスを信じる者は、永遠の命を持っています。
永遠の命が死を飲み込むのであって、死は永遠の命に触れることさえできません。
私は、からだではありません。さあ、これからが核心です。気違いは、どちらか?
290:勝利する者 :2007/04/17(火) 18:08:23 ID:DJm0r9ct [sage]
神様、どうか私達をあわれみ、私達に光を与えて下さい。
Lesson3イエスを信じる者は、永遠の命を持つ。
私はイエスを信じ、永遠の命を持っています。イエスが保証人です。
生命保険という物があります。生きているうちに入る物です。死んだ人は入れません。
生命保険は自分の命を守ってはくれません。私達は皆その日が必ず訪れることを知っています。そして何とか手を打とうとしています。
答えはイエス。イエスは神の言葉。神の言葉は聖書。聖書は生きています。聖書は決して嘘をつきません。
何故、永遠の命が必要なのでしょうか?永遠の命を持っていないからです。
人はからだではありません。からだは家で、その中の心が人です。
人は神の最高傑作です。神すらも決して犯せない、選択という特権を与えられています。
選択は力です。神は初めから人に選択を与えています。あなたが正しい選択をすることを信じているのです。
私達は、放蕩息子の側からしか物事を見ようとしません。放蕩息子を持つ親になったことがありますか?
367:勝利する者 :2007/04/18(水) 18:03:29 ID:Ez7SK2Nk [sage]
Lesson4イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
同じヨハネの福音書5#24に、神を信じる者は、永遠の命を持ち、裁きに会うことがなく、死から命に移っている、とあります。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ、信じる以前は永遠の死を持っている、ということです。
つまり、この滅び易い肉体だけで、かろうじて地獄に堕ちるのを免れているのです。
肉体の死とともに、永遠の死の世界に住むようになります。
誰も、死あるいは命を人に強制できません。
ある人達は、あなたの信仰通りになります、ということは、冷たい突き放す言葉だ、と非難します。
しかしあなたの運命を、あなた以外の誰が決められましょう?
神は、エデンの園以来ずっと命を、命の木を選びなさい、と言い続けています。
死の世界とは神の無い世界です。死ぬ、とは消え失せることではありません。
続く
544:勝利する者 :2007/04/19(木) 19:51:11 ID:0uu8aeqU [sage]
Lesson5イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
永遠の命が、人類のあらゆる問題に対する神の解答です。
エデンの園の中央には、二本の木がありました。アダムは命の木を選ばず、神に逆らって悪魔に従い、善と悪の知識の木の実を食べてしまいました。
その罪の結果、人は神との交わりを絶たれ、神を離れ悪魔の支配下で、自分を神としてしまいました。
正しい選択は正しい結果を、誤った選択は誤った結果をもたらします。神は全てをご存知です。
神の創った人は、霊であり、魂を持ち、体を住まいとしています。
霊を通して神と交わります。今、神を知らない人は魂と体だけで生きています。魂は自我を形成し、体は五感を通しこの世と接触します。
霊は神を離れ悪魔の支配下にあり、これを死と呼びます。
だから神が見えないのです。霊が死と結びついているからです。
イエスが人類の罪を拭い去った今、イエスを通して永遠の命を持つことが出来ます。
あなたが味わったことのないのが、命の木の実です。知識をいくら集めても命は創れません。
イエスを信じる者は、永遠の命を持つ。これが福音です。続く。
746:勝利する者 :2007/04/20(金) 20:45:55 ID:rkD5gyWw [sage]
Lesson6イエスを信じる者は永遠の命を持つ。これが福音です。あなたの心にある空洞、虚しさを埋める物は、この世にはありません。
今までで、自分は霊であり、霊が死んでいる、つまり神がいない状況にあることがお分かりになったでしょうか?
罪の報いは死である。イエスを信じない人は、罪があり、その結果、永遠の死を持ち、その死が不安、病気、貧困、神のいない世界、暗闇なのです。
死から命に移ることは、イエスが十字架にかけられ、全ての人の罪の代価を支払われた今、簡単です。
決心するだけ、選択するだけ、受け入れるだけ、信じるだけです。
宗教、神学、哲学ではありません。生きているイエスが救い主です。
教会、牧師、洗礼が救うのではありません。今あなたに一番身近な方、空気よりも近い隣人を受け入れましょう。神は何処にでもおられます。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
イエスがあなたの隣人です。イエスを愛する人は人を愛し、人を愛する人が自分を真に愛する人です。あなたは真に救われていますか?
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。イエスの尊い血潮によって、神が保証する永遠の命です。続く。
28:勝利する者 :2007/04/21(土) 20:27:56 ID:z9jc/Q3Y [sage]
Lesson7イエスを信じる者は永遠の命を持つ。これが福音です。残念ながらイエスの十字架の意味も、永遠の命の必要性も知られていません。
昨晩、何故救いが必要なのか、問うている人がいました。当然です。
Lesson1〜6までに、知りたい人のために解説していますが、何回でもご説明しましょう。
救いとは、死を免れることです。あなたには関心がないことですか?
まずあなたの今置かれている状況です。あなたの体は、どんな医師にも癒すことの出来ない、死という病を持っています。
人は遅かれ早かれ死にます。人は皆死刑の判決を下されています。
そんな事免れようがないだろう?ところが道があります。それが福音です。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。永遠の命が神の与える、人の死に対する解答です。
人が何故死ぬのか?聖書しか説明出来ないことを学びましょう。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。これは神の言葉です。神の言葉はあなたを救う力があります。続く。
163 :
信じる者:2007/05/06(日) 19:47:02 ID:JAmejO3Y
第1回ヨハネの福音書6#47イエスを信じる者は永遠の命を持つ。これが福音、良い知らせです。永遠の死から永遠の命に入ることが、イエスの十字架により可能です。
人は肉体ではありません。死んで終りならば、私達ほど哀れな生物は無いでしょう。
しかし神が霊であるように、神のイメージに創られた人も霊であり、自我を形成する意志、知性、感情を宿す魂を持ち、体と言う家に住んでいます。
霊魂は不滅です。この体が滅びても、自分は決して消え去りません。目に見える物は一時的であり、目に見え無い物は永遠です。
神に創られたサタンが、自らの美しさに自惚れ、神になろうと試みた、愚かな過ちに従ってはいけません。
地獄はサタンと堕落した天使を閉じ込める為にあります。サタンに従う人も同じ運命です。人には購いがあります。人はサタンに誘惑されたからです。目を覚ましイエスを受け入れなさい。
主あるいは主人は一人しかいません。イエスを主と認めるか、サタンと同様に自分を主と仰ぐか、何れか一つです。
この世に偽りの無い、聖なる書物は聖書だけです。聖書が崩壊すれば神が崩壊し、この世も全て崩壊します。イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
164 :
信じる者:2007/05/07(月) 00:32:13 ID:fGVtkf1c
第3回イエスを信じる者は永遠の命を持つ。これが福音、良い知らせです。永遠の命の他に何が必要でしょうか?
第一ペテロ2#24キリストの打ち傷の故に、あなたは癒された。
キリストが十字架に架けられる前に、支柱に両手を括り付けられ、先に金属片あるいは尖った骨を括り付けた、細い何本もの革紐で出来た鞭で、二人の憎しみに溢れた、頑強なローマの兵士に、交互に力一杯背中を打ちすえられました。
背中の肉は削がれ一本の畦道のようになってしまいました。
このように、傷や汚れの無い子羊の体が壊されたことにより、私達は病からの癒しを受けることが出来ます。
ある人達は、これは霊的な癒しで、肉体的な癒しでは無いと言います。
イエスは私達の為に、実際に体に打ち傷を負いました。普通の人ならこの時点で、十字架に架けられる前に死んでしまいます。
イエスが恐れたのは肉体の死ではありません。多くの殉教者が、主の為に肉体の死を恐れずに亡くなりました。イエスが殉教者に劣るはずがありません。
キリストの打ち傷の故にあなたは癒された。
ある人達の言うように、これが霊的な癒しかどうか見て行きましょう。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く
338:勝利する者 :2007/04/22(日) 20:47:39 ID:qaLUHjRA [sage]
Lesson8イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
私は永遠の命を持っています。イエスを信じているからです。私は決して死にません。私は死から救われているからです。私は繁栄し、健康です。キリストが私の命だからです。イエスが私の保証人です。
神は霊であり、神のイメージに創られた私も霊です。自分と体の区別は易しいのですが、難しいのは霊と魂の区別です。
自分が霊であることを知らないと、霊で祈る、霊に満たされる、霊に導かれる、キリストにある、肉と霊の戦い、信仰によって生きる、何のことか分かりません。
自分が霊であることを知らないで一番困ることは、考えが自分だと思い込んでしまうことです。
考えは変えることが出来ます。考えを変えることを、悔い改めるといいます。
考えの奥に、その考えを選んだ霊の自分がいます。病気の人、体が弱い人、タバコを止められない、酒を止められない、心配を止められない、薬を止められない、誰が決めたの?
真の自分を知らないからです。イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
563:勝利する者 :2007/04/23(月) 20:51:25 ID:uzi3NbQS [sage]
Lesson9ヨハネ福音書5#47イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
イエスを信じる人は、霊が罪を完全に拭い去られ、神との交わりが回復しています。
ローマ1#17義人は信仰によって生きる。とあるように、イエスを信じて義とされた人の生き方は、信仰生活と呼ばれ、クリスチャンでない人の生き方とは、異なります。
信仰によって生きる、とは修道院に入るとか、隠遁生活をするとかではありません。この世の光であることが私達の役割です。
私達は絶えず、呼吸をし続け、酸素を吸い、二酸化炭素を吐いています。呼吸を止めては生きていけません。
信仰によって生きるとは、呼吸と同じように、絶えず、命を取り入れ、死を捨てて生きることです。
私達は一日中選択に迫られています。イエスを主と仰いだ人には、絶えずイエスの導きがあります。
クリスチャンの生き方は、はっきりしています。聖書の教えは一つ。イエスに従いなさい。それだけです。イエスは絶えず命を選びなさいと命じています。
誰よりも、あなたの息よりも身近な隣人イエスが、あなたに何をすべきか教えてくれています。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
828:勝利する者 :2007/04/24(火) 20:54:55 ID:9VsF5nNN [sage]
Lesson10ヨハネ福音書5#47を6#47に訂正、イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
イエスは、創造主又購い主として私達に命じる権威をお持ちです。
私達を創るだけでは無く、私達自らの神に対する背きの為に、罪と死に売り渡されていた私達を、ご自分の貴い血潮に依って買い戻して下さいました。
それは全て私達を祝福するためです。神のみこころには、私達をどうやったら祝福出来るか、と言うことしかありません。
私達が自ら犯した罪を取り除く為に、私達の受けるべきのろいすなわち罰を、十字架で背負ったのです。
罪があるのは私達です、イエスに罪はありません。十字架に架けられるべきは私達です、イエスではありません。
神は限り無く良い方です。神は愛です。これが福音です。これが私達の信仰の土台です。
私達の判断は自分自身という、限りある乏しい基準の為、余りにも大きな、限り無く良い神を掴みきれ無いのです。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
9:勝利する者 :2007/04/25(水) 20:56:46 ID:+OStfmXs [sage]
Lesson11ヨハネ福音書6#47イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
神は限り無く良い方です。神は愛です。これが福音です。これが私達の信仰の土台です。
死、病気、貧困は神のみわざではありません。
死、病気、貧困は神の掟を破った罪ののろいです。ちょうど盗みをして、牢獄に繋がれているようなものです。
しかし神の恵みにより、イエスが私達の罪ののろいとなって、十字架に架けられ、私達の罪の代価を支払った結果、
私達はイエスを通して、罪を拭い去られ、神との正しい関係に戻り、神の持つ祝福を全て受け継ぐ者とされました。
イエスを受け入れることにより、継親である悪魔の支配から、実親である神の支配に移されるのです。
ちょうど貧困な私達に代わって、富裕な友人が保釈してくれたようなものです。
第一ペテロ3#9私達は祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
ガラテヤ3#14アブラハムの祝福は私達のものです。
詩篇115#12主は私達をみこころに留められた。主は祝福して下さる。
箴言10#22神様の祝福ほど素晴らしいことはありません。どんなに頑張っても、これ以上のことはありません。
イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
268:勝利する者 :2007/04/26(木) 20:56:42 ID:iP/1TblR [sage]
Lesson12ヨハネ福音書6#47イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
イエスを信じる者は死から命へと移っています。
あなたはこの神の言葉を信じますか?信じる人は、死から命へと移されます。信じる人だけが持つ。これが神の法則です。
キイを入れてから、車はスタートします。スタートしてからキイを入れません。薬を飲んでから癒されます。癒されてから薬を飲むのではありません。
信じ、信じ続けて癒されるのです。永遠の命は永遠に信じ続けます。決して諦めません。
病気の中で健康を信じる。罪にまみれた生活の中で、イエスを信じるのです。病気の中で病気を信じ、罪の中で罪を信じても、出口は見えて来ません。
この中に、教会や牧師や水の洗礼で救われると教えられ、実際には救いからほど遠い人はいませんか?救いは確かなものです。自分は騙せません。
イエスとあなたとの関係が問題です。イエスだけが救い主です。癒し主です。狭い門です。空気を吸って生きるのも狭い門、鼻からです。何故?人はそのように創られているからです。
生きるとは神に従うだけ、こんな簡単なことを、見る目を私達にお与え下さい。イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
638:勝利する者 :2007/04/27(金) 20:57:57 ID:0Ob08F28 [sage]
Lesson13イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
答は出ています。神が病気を与える、と信じている人達の欠陥は、聖書に私達の問題の解答が全てあることを、信じていない点です。神を知りません。
それが罪です。そして罪の報いは死です。
罪は一つだけしかありません。アダムと同じ罪、不信仰です。不信仰には神は見えません。
はっきり神はいないと言う人の方が、まだ救われる望みがあります。
その為聖書に人間の考えを加えてしまっています。
例えば目が不自由な子供が何故生れてくるのか、聖書を読んでいないため説明がつかないから、神は私達には理解の及ばない不可思議な考えがあるのだろう、と勝手な憶測をしています。
神を信じるとは聖書を信じることです。信じるとは、自分の考えを捨て去ることです。
病気が堪えられるうちはいいです、そのうち病気が進行して深刻になったら、医師にも見放されたら?
罪を犯している人と同じです、まだ大丈夫と思っているうちに、気が付いたら恐ろしいことに?
聖書は私達に一つだけしか求めていません。イエスに聞き従うだけです。
越えてはいけない一線があります。今日のうちにイエスを信じなさい。続く。
878:勝利する者 :2007/04/28(土) 20:58:25 ID:DGMw3Fj6 [sage]
Lesson14イエスを信じる者は永遠の命を持つ。
永遠の命を持つと死から命に移ります。
アダムは人類を、サタンの支配下に売り渡しました。イエスの十字架がなければ、人類は全て地獄堕ちです。
しかし罪の無いイエスが、私達の罪の為に死んだ恵みで、私達はイエスを通して死に、罪の罰を免れ、イエスの復活を通して永遠の命に入ります。
罪、死、病気、貧困はサタンの暗闇の支配下にある、のろいです。イエスの光の支配下には義、命、健康、繁栄の、祝福あるのみです。
聖書に全て答があります。私はイエスを信じ、主と告白して以来、病気で寝込んだことはありません。這ってでも起き上がります。するとイエスが助けてくれます。寝てようとすれぱ、イエスも助けられません。
死んだイエスを復活させた力を信じる、神に油注がれた者に、手を触れるな、病よ去れ!サタンは去ります。イエスの名によって命じます。
ヘブル4#10神の安息に入った者は、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休みます。
これが信仰で生きることです。信じた私達は安息に入る。自分のわざではありません。イエスを信じる者は永遠の命を持つ。続く。
172 :
神も仏も名無しさん:2007/06/04(月) 09:03:06 ID:Tpu4Wlzo
イエス・キリスト様いつもありがとうございます。
イエスと共にいますあらゆる環境で縁した人達に平和祝福あるように
日々平和に幸にイエス・キリストと共にアーメン
良縁ありますように。
173 :
神も仏も名無しさん: