神様とか救い主に憧れる思いは普遍的に世界的にある筈ですが、それがそのまま純粋に保持されたら良いのです。
キリスト教は神様とか救い主という概念やそういうミーム以外の悪魔的なミームがあり過ぎます。歴史上それに気が付いて
何とか解毒する思想を西洋で発表する人達も居ましたが、私としては失敗に終わっていると考えます。不純物に汚染されて
いるならばと気が付いて東洋思想や東洋の宗教に傾倒した西洋人も居ます。そこで和洋折衷の神秘思想なども作られまし
たが、西洋人にとってはどうしても歴史的な背景があるキリスト教文化圏から完全に独立する事は出来なかったと考えます。
「何々教」が人間に必要なのではなくその中味として必要な要素こそが大切です。キリスト教はユダヤ教キリスト派ですから、
本来西洋人には馴染めないものでした。
それを西洋人の元々ある文化や思想、宗教感を入り混ぜて理想的に仕上げてしまったと考えます。クラッシック音楽もクリスマスも
聖歌隊も日本人がイメージするキリスト教はユダヤ教キリスト派そのものではなく西洋化された西洋人が自分達の受け入れやすい
味付けをしたユダヤ教キリスト派の食べ物なのだと考えます。日本人のキリスト教に憧れる人も中東地域のギョロ目で毛深い民族
の土や砂埃の吹く世界をイメージさせられて言語としてもその地域のものだったら憧れなんてしないでしょう。
【殺戮教団】キリスト教とは、血塗られた教義
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1164451155/