【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ11 (^^)v

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856処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/12/27(水) 12:11:02 ID:ane0O64Y
確かに裁判記録ではイエスについての不利な証言は皆、食い違っていた
らしいからな。
857名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 12:12:39 ID:tf47ISkB
それはあなたが言ったことだ
858名無しさん@3周年:2006/12/27(水) 12:19:42 ID:tf47ISkB
キリストは噂の流布に配慮していたが広まってしまった。
噂に抵抗せず受け止めた。
ピラトも噂まみれになる法廷の場で、なんの反論もしないイエスに疑問をもったのだ。
859処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/12/27(水) 12:22:47 ID:ane0O64Y
そう、イエスはあからさまに自らをキリストと決め付けることには
消極的だった。なぜなら、それは正しく信仰に属する問題だから。
860処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/12/27(水) 12:27:33 ID:ane0O64Y
>>858
ってか、福音の中味に踏み込まれたくないのバレバレ
861ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/27(水) 23:47:54 ID:T8yf0Hil
>>857
>それはあなたが言ったことだ
これは、「それはあなたの言う通りだ」ですよ...今でも、そういう
訳もある(新改訳)

マルコやマタイが書かれた時に、 「それはあなたが言ったことだ」
だとね、イエスの再臨を期待する人達は白けるんですよ...

ユダヤ戦争直後でイエスがメシアとして再臨する事を期待するんだったら
イエス様が「私はあなたが言うようにメシアだ、必ずや再臨するぞ」と
言って十字架に掛かったのであれば、信者は「そうだきっとイエス様が
再臨してくださる」なんだけど、そのときに「自分がメシアなどとは、
あんた方が言ってる事だ(俺が言った事ではない)」と言って十字架に
掛かったのだったらインパクトが全く違うだろ...ところが何十年経
とうが、何百年経とうが何千年経とうが一向にイエス様が再臨する気配
がないだろ...だから、途中で解釈が変わってしまって、翻訳の仕方
も変わってしまって自分(イエス)はそんな事を言ってるのではない事
になってしまったのさ...
862mono ◆HfNWSGfVro :2006/12/27(水) 23:54:02 ID:Q6ZMiqv8
>>847
パトモス島はちょっと遠過ぎますよ
行ってみたいけど、その前に寄るとこいっぱいあるような気がしますね。
ちょっと牢屋敷であった切支丹屋敷跡を散策したくなりました。

ヨハネだとイエスは1人で十字架担いでいるけど、他の福音書だと
シモンがイエスの十字架を担いでいるでしょう。
これは何ででしょう?

シモン、大変なお役だったんですね。
863ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 00:17:39 ID:aec5JlWt
>>862
十字架の横木だけだと、一人で担げるンですがね(20−30Kg)、
縦木も一緒だと、重くてとても一人では担げない(合わせて50−100Kg)
んです。それで2人で担がせた話になるんでしょうが、僕は2人でも
難しいと思いますし、そんな事をする非合理性はローマ統治の世界では
ありません。ローマ軍がワンサカいるんだから、数人がかりで
一本の大木を運んだら良い話ですし、どうせ処刑する人間にそんな事で
過酷な事を強いるメリットは全くありません。キリスト教徒のアホが
受難物語を過酷な物語に描く時のフィクションで、あり得ない話を作ってしまった
だけの事です。

それで、どうやら事前に人足(ローマ軍)が刑場(ゴルゴダ)に縦木
を常時数十本用意していて、横木が裁判所にあって死刑執行の時に
死刑囚に担がせたらしいんです。
864ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 00:36:16 ID:aec5JlWt
だからね、権力側(ピラタウス)から見ても、当時の行政府
(ユダヤ教団の司祭たち)からみたら、イエスは所詮厄介者か
煩い狼藉者でしかないんだよ...イエス如きに特別の配慮を
したなんて言うのは、全部アホキリシタンの作り話ですよ

ピラタウスにしてもユダヤの官憲にしても社会の治安の為、社会の
安定の為、市民の健全な生活のためにイエスなる煩い厄介者を
処刑しただけなんですよ...

どう考えても、イエスのためにそれらの人達が特別の配慮をしたとは
思えないし、特別に過酷な処刑をしたわけでもない、普通に死刑囚
を処刑しただけの事です。

865ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 01:10:36 ID:aec5JlWt
ピラタウスの携帯電話からユダヤの材木管理センタへ...
「もしもし材木管理センタか?」
材木管理センター
「はい、ピラタウス様さよでございます。」
ピラタウス
「ちょっと厄介な人間を多分数人処刑するので、十字架の縦木を
10本 程手配したいが、在庫はあるか?」
材木管理センター
「在庫はないが、今週は30本程伐採してるので、今週末でしたら
 10本はご用立てできます。」
ピラタウス
「それじゃ、今週末に軍の人足を50人用立て貰いに行くので
 管理センターの広場に並べておいてくれ」
材木管理センター
「かしこまりました、毎度ありがとうございます」「お支払いは?」
ピラタウス
「カイサルの貨幣でええか?」
材木管理センター
「もちろんOKよん」
それで、ローマ軍が金曜日に貰いに行ったら、実は7本しか
なかったんですね...それで貰いに行った軍団の指揮官から
ピラタウスに携帯電話が入って...
「ピラタウス様、7本しかないみたいですが、間に合いますか?」
ピラタウス
「しゃーないな、とりあえず7本貰ってきてくれ」
...しゃーないな、数人は懲らしめるだけで保釈するか
誰が候補だろか...まあ良いや...その日に集まった奴に
決めさせよ...


...続く...
866名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 09:34:44 ID:PUoN4E72
死刑に値する者が10人いたが、
縦木7本を50人で背負って帰ったということか...
普通に考えたら、7 7 7 7 7 7 8 だろうな

867名無しさん@3周年:2006/12/28(木) 10:58:55 ID:l1BRImd7
>>863
亀ですが…
横木だけでもイエスにはしんどかった、ってことかもしれません。

たしかルカによれば、イエスは十字架刑の宣告の前に鞭打ちの刑に処せられてるんですよね。

普通はそれで終わるのですが、結局ピラトは十字架刑を宣告した。
つまり、他の二人の受刑者と違って、イエスは刑がダブってるんですね。
なので横木を運ぶ体力もすでになかったと思われます。

他の受刑者は刑の終了時にまだ息があったので足を折られた(窒息死させるため)けど、イエスはすでに死後反応が出た
(わき腹を槍で刺すと、ただちに血と水が出た→生きていればすぐには出ない)
、というのはイエスの体力の消耗が他の二人よりも大きかったことにもよるのかも。

まあ、結果的にそれで
「彼の手足は折られず…」という預言が実現した、という話になるみたいなんですが…
868mono ◆HfNWSGfVro :2006/12/28(木) 19:11:05 ID:JRhesmwN
ヨハネ6:65
そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ
だれもわたしのもとに来ることができない』と言ったのだ。」

ヨハネで、イエスがたった一人で十字架を担ったのは、イエスのもとに来た人の為に
その者たちの為に、自ら背負ってくれたんですよ。

それで、父から許しのある者っていうのは、まったくわからない。
66章で多くの者が離れていくし、弟子たちにも「離れていきたいか」と聞いているので
今 信仰を持っている人が、必ずしもお許しがでているってわけじゃないしね。
>>864
遠藤周作「沈黙」の井上筑後守の処刑方法は、ほんとにひどいな。
ピラトはせっかちだったんだ。
869ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 20:55:24 ID:aec5JlWt
何年か前に、パッションと言う映画を見て、ふと考えたんだけど
戦争なり、統治者が残酷な処刑をするのは理由があるんですがね
要するに「見せしめ」でしょ...「オレ(お上)たちに逆らったら
こんな目に合うんだぞ」と言う事で、相手(民衆)に恐怖心を
持たせるんですよ...と言う事で実は死刑囚に過酷な思いを
させてもあまり意味がなくて、むしろその死に様の残酷さ、惨たらしさ
を人々に示す事に意味があるんですよ...それで十字架についても
刑場に晒しておくのがセオリーですよ、死んだ後猛禽鳥が肉を齧りに
来るんで、それこそ惨たらしい姿になっていきましてね...ところが
キリスト教会は十字架かける前にさんざん痛めつける状況を描くんですね
...聖書に書かれてる状況よりも遥かに過酷に痛めつけてるんですね...
普通は「どうせ殺されるんだからそんなに苦しめないで早く殺せ!」って
なるでしょ...
だから、キリスト教会が言ってるところの死ぬ前の陵辱と言うのは
真っ赤な嘘なんですよ(受難が非常に過酷であった様に脚色してる)...
...これはキリスト教徒がそういう趣味を持ってるだけなんですよ...
870ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 22:33:11 ID:aec5JlWt
>>868
>ヨハネで、イエスがたった一人で十字架を担ったのは、イエスの
>もとに来た人の為にその者たちの為に、自ら背負ってくれたんですよ。
共観福音書がキレネ人シモンを書いていて、ヨハネがそれを省いた
事情は、むしろ共観福音書が何の意図でシモンの事を書いたのかが
よく判りません...ヨハネが書いた十字架は、実際にイエスが磔になった
十字架ではなくて、ユダヤ人の多くが背負った重荷の事ではありませんか?
...そして、その重荷から救われるのは、「この道しかない」と言う事を
ヨハネは言いたいんだと...僕はそう思ってます。


871ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 23:42:45 ID:aec5JlWt
十字架は横木だけか、縦木と組み合わさったものか...
マタイ福音書27/32
”兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、
 イエスの十字架を無理に担がせた。”
マタイ福音書27/35
”彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、...”

おかしいと思いませんか...イエスが十字架を担いでいたのであれば
27/35で張り付けられた十字架は何処にあった十字架ですか?
イエスが担いできた十字架であれば、それは張り付けられて担いだのでは
なくて、張り付けられない状態で担いできた物ですw...それで
ゴルゴタまで担いできてそこで張り付けられたんですよね...

もうちょっとマジに読んでみましょうか...イエスと同時に2人の
強盗が十字架に張り付けられたんですね...その人達は自分ひとりで
担いできたのですか?それともその人達もシモンみたいに助っ人がいたん
ですか?

実はイエスの受難のところだけマジに精査しても、疑問だらけと言うか
物語の信憑性がなくなってしまうんですw...

福音書の編者の都合で作られた話なんですw...
872ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/28(木) 23:54:57 ID:aec5JlWt
>>871 の続き
それでね、僕の結論から言うとイエスが裁判所から縦横の十字架を
そこで張り付けられて、それをゴルゴタまで担いだと言うのは、
それが助っ人の助力があったとしても、どう考えても不可能な事で
あり、ローマの官憲がそんな不合理な事をするメリットも事情も
ありません。アホのキリスト教の信者が作った・くだらない・ありえない
・馬鹿しか信じない・疑問だらけの・キリスト教団のお得意の・
本当は疑問を呈したいが疑問を唱えると誰かが喚き散らして異端
呼ばわりし・疑問を呈した人間の個人攻撃に奔走する類の話だと
思います。
873名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 00:22:59 ID:FWioibZi
担いで行った十字架に架けられたでいいじゃん。
他の二人は一人で担げたんじゃない?鞭で打たれなかったんだから。
三人ともローマの法律で死刑を宣告された罪人ではなかったか?
シモンは違うでしょ。でも背負わされた。
十字架を背負うのは罪人だけじゃないんだよ。
874名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 00:38:51 ID:FWioibZi
誰かに教えて欲しいのですが、
「悔い改めたら罪が赦されます」と
書いてある箇所ってあるの?
875名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 00:49:57 ID:FWioibZi
「悔い改めなければ罪の赦しはありません」でもいいんだけど...

876ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/29(金) 00:55:43 ID:cJkhLiqh
>>865 の続きね
ユダヤの木材管理センタと言うのはローマの肝いりで作った
ローマ式の今で言う第3セクタ−方式の現地法人で
マルコ福音書5章の豚の養豚と同じでっさ
それで、7本しか十字架の縦木が入手できなくてと言っても、それは
他の大きな注文の為に、十字架用の縦木を猶予してくれと言う
お願いだったわけです、
それでピラタウスさんは、やむ得ない...無理を言っても現地法人と
喧嘩したくないし、死刑囚の処刑も先延ばしの策がないわけでもなくて

どういう策を練ったかと言うと、それがバラパの釈放だったんですね

ただバラバはまた事件沙汰を起こしちゃって結局処刑されてしまいますた

もう寝よ...次の物語は3日後ね
877名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 01:00:11 ID:UB6HqonU
自分の罪を清算させる者は神の権威を持つ者のみ。
繰り返しの罪か。他人の罪を赦さないと自分の罪は赦されない。
878ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 01:10:17 ID:oulcodVC
>>874

ルカ 24:47
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる

使徒 8:22
この悪事を悔い改め、主に祈れ。
そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。

使徒 11:18
この言葉を聞いて人々は静まり、
「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」
と言って、神を賛美した。
879名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 09:40:10 ID:UB6HqonU
くり返す時々の悔い改めと、根源的な悔い改め。
赦さない者は赦されない、というのは聖霊の存在をあらわしているのか。
880名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 11:56:31 ID:UB6HqonU
悔い改めることにより赦される。というより、赦すことにより赦されるだな。
赦すことの中に悔い改めが含まれる。
881月見 ◆GQVAicDWLY :2006/12/29(金) 12:00:36 ID:cSmFF8gK
悔い改めは神に対するもの。
882ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/29(金) 17:32:53 ID:cJkhLiqh
>>881
>悔い改めは神に対するもの。
全くその通りだよ...間違っても馬鹿教団や馬鹿信徒なんかに悔い改め
てはならない...こいつらが何時悔い改めるかを傍観してれば良いよ...
883名無しさん@3周年:2006/12/29(金) 17:35:28 ID:FPh8ZlKK
>悔い改めは神に対するもの。

もとい・・・だなっと
悔い改めは己の心に・・・・・・・・・・・・・だろ?
884キュロス:2006/12/29(金) 17:38:47 ID:MJHGsaqx
悔い改め(メタ ノイヤ)なんね。
メタは ひっくり返す
ノイヤは 思考

つまり ものの考え方を180度ひっくり返す事なんだね。
神の国 を求める事が 考え方が180度 変わった事だから
そのことが 悔い改めなんだね。

だから「赦すことの中に悔い改めが含まれる。 」で良いのじゃない?
885ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/29(金) 21:23:32 ID:cJkhLiqh
悔い改めについて、また調べて見るか...非常に面白い特徴として
ヨハネ文書には「悔い改め」が一言もない事だw...
ヨハネ教団は「悔い改め」などと言うアホな概念を考えてないと言う
事だと思うw
新共同訳で検索して58こだったから、自分でも調べられない事は
ないだべ...また例によって、キリスト教団(信徒)の言ってる
「悔い改め」と聖書に示されてる「悔い改め」は、多分全く違うんだべ

と言うより聖書の「悔い改め」は、それぞれ具体的な内容が書かれてる
のであろうが、キリスト教徒はそれを全く無視して、自分等で勝手に
「悔い改め」るべき内容を決めてるんだろうから、聖書の「悔い改め」
を調べる事は、またキリスト教団のいい加減さを明らかにする事になり
そうダベ...
886ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:18:38 ID:oulcodVC
>>885
>ヨハネ文書には「悔い改め」が一言もない事だw...
>ヨハネ教団は「悔い改め」などと言うアホな概念を考えてないと言う
>事だと思うw

ヨハネ福音書にも「悔い改め」はありますよ。
新共同訳の聖書からは削除されているのです。
以下の部分が、その問題の箇所です。

ヨハネ福12:40 (口語訳)
「神は彼らの目をくらまし、心をかたくなになさった。
それは、彼らが目で見ず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである」

ヨハネ福  12:40(新改訳)
「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。
それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」

887ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:23:11 ID:oulcodVC

ヨハネ福音書の特異性は、とくに『十字架』という
キーワードについて顕著です。

つまり、パウロは『十字架』を中心命題として
書物を書いていますが、ヨハネは『十字架』をそのように
扱っておりません。

ここに、ヨハネ福音書の奥深い秘密があるようです。
ヨハネ福音書は、他の福音書とは異なる観点から描かれた
イエスについての証なのです。
888ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:26:16 ID:oulcodVC

『十字架』というものは、固有名詞をもった自我の自分を
殺してしまうことを意味しているのです。

だから、イエスの十字架の罪状書きには、
「ナザレのイエス」と書かれたのです。
しかも、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語の
三つの言語で書かれたことが聖書に記録されています。

このことは、世界中の人へ向けてのメッセージだからです。
889ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:29:01 ID:oulcodVC

ヨハネ福音書というものは、自我を捨てた人に向けて
書かれた書物ですよ。
だから、普通の人が普通の感覚で読んでも意味が理解できないのです。

しかし、パウロの手による福音書は、十字架を自ら背負うことを
決意する前の状態の人へ向けて書かれているのです。

福音書には、この両方の視点から成り立っているのです。
こんなことは、おそらくどこの教会でもほとんど教えては
くれないことです。
890ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:30:35 ID:oulcodVC

ヨハネ福音書だけは、他の福音書とどこかが違う、という
ことに気づいただけでもココモスキーさんはたいしたものです。

そんなことに気がつく人は、おそらく百人に一人もいないと思います。
891ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:39:40 ID:oulcodVC

先日、ある教会関係の人たちの集まりに出席しました。
その祭、以下のように話しかけられたのです。
「○○クンは、毎日聖書を読んでいるの?」

僕は、「もちろん、ほとんど毎日読んでいますよ。
適当に聖書を開いて、その開かれたページを読むようにしています。」
と答えました。

そうすると、「僕はほとんど読まないよ。」と驚かれたので
かえって僕のほうが驚いてしまいました。

教会に熱心でも、聖書には熱心でないというのは、
僕にとっては不思議なことです。
892ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/29(金) 23:41:46 ID:oulcodVC
>>889
訂正します。

>しかし、パウロの手による福音書は

>しかし、パウロの手によると思われる書簡は

に訂正しておきます。
893ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 00:14:43 ID:5ku5eCAl
>>886
ヨハネ福音書12/40
τετυφλωκεν αυτων τους οφθαλμους και πεπωρωκεν
αυτων την καρδιαν ινα μη ιδωσιν τοις οφθαλμοις
και νοησωσιν τη καρδια και επιστραφωσιν και
ιασωμαι αυτους

でしょ、マタイ福音書の「悔い改め」の μετανοειτε じゃナイン
ですよ...僕はむしろヨハネの編者が意図的に μετανοειτε を
使わなかったのだと思います。 μετανοειτε と言うのが、共観
福音書とパウロ書簡の重要な言葉である事を知ってるハズですが、それに
疑問を持っていたと言う事です。違う言葉を辛うじて無理やり同じ意味に
捉えてヨハネ福音書の思想をウヤムヤにするのが、キリスト教団の手法です。

数日かけて、また例によって旧約から「悔い改め」の意味を調べて
行きます。そうすれば、ヨハネの編者が何故 μετανοειτε を使わ
なかったかも判ってくると思います。
894ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 00:24:49 ID:5ku5eCAl
>>893
続き...新共同訳が敢えて使わなかったら、それは削除では
ありません(新共同訳の翻訳者がわざわざ削除する理由が不明)...
新共同訳の翻訳者達が、より正確に翻訳しようとした為です。
895ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 00:59:06 ID:5ku5eCAl
悔い改め−旧約では
旧約では、ヨブと第1イザヤとエゼキエルだけです。
個々の悔い改めた(なかった)人(達)が誰であるかを考えたら、
どういう内容をどの様に悔い改めた(なかった)かが判ります。
詳細は省きます。

ヨブ記42/6
”それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、「悔い改め」ます。”
ここで悔い改めた人はヨブさん自身です

第一イザヤ1/27
”シオンは裁きをとおして贖われ、「悔い改め」る者は恵みの御業によって贖われる。”
第一イザヤ6/10
”この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、
 耳で聞くことなく、その心で理解することなく、「悔い改め」ていやされる
 ことのないために。」”
これは「悔い改め」なかった。シオン(ダビデ王朝)の退廃を批判した言葉です。
敵の攻撃でボロボロになった、ユダの国の退廃した様子が描かれてます。
イザヤはそのボロボロの中から新たなる
新根の様な物が出てきて、ユダの民の再生を預言します。

エゼキエル14/6
”それゆえ、あなたはイスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。
 「悔い改め」て、お前たちの偶像から離れ、すべての忌まわしいものから顔を背けよ。”
エゼキエル18/28
”彼は「悔い改め」て、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。
 死ぬことはない。”
896ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/12/30(土) 01:17:16 ID:5ku5eCAl
>>895
続き

エゼキエル18/30
”それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、
 と主なる神は言われる。「悔い改め」て、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。
 罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。”
イザヤ以降、ユダの国は何人かの王によって、何度か持ち直したのですが
バビロンと言う強力な国家の侵略によって、ついにユダ王国は崩壊します。
エゼキエルは、その時の状況を描いてます。
897名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 01:26:20 ID:sbOBJGhd
誤解を生じやすい表現しかできないのだけど、
悔い改めたから罪が赦されるわけではないと
思うんですよ。
むしろ「あなたがたの罪は赦されたのだから、
肉の思いではなく神の思いへと変わりなさい」
と教えているように思える...
だからと言って、悔い改めが必要ないというのでも、
罪がなくなったというわけでもない。
十字架を負ってついて来なさいと言われた。
898ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 01:58:28 ID:zzflRGYq
>>897
>むしろ「あなたがたの罪は赦されたのだから、
>肉の思いではなく神の思いへと変わりなさい」
>と教えているように思える...


結論ですが、人が神の思いに変わることはできないことと思います。

人が自分の思いを捨てること。これは十字架です。
これは可能です。

その後は、イエスを信じてイエスに全面的に従うこと。
これしかないと思います。

『悔い改め』というのは、今までの生き方を
根本から変更することを意味しています。

それは具体的には、自分を主とせず、イエスを主として生きることです。
899ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 02:00:51 ID:zzflRGYq
>>894
>新共同訳の翻訳者達が、より正確に翻訳しようとした為です。

なるほど。ギリシア語での言葉が違っているのですね。
どのような違いになるのか、ココモスキーさんが調べてくれるのを
待っていますね。
900ダニエル ◆o31oshrvYE :2006/12/30(土) 02:04:15 ID:zzflRGYq

『悔い改め』というキーワードについて、かなり誤解されていると思います。
これは、くよくよしたり、悩んだりすることと違いますよ。

自分の考え方、立ち位置、行動規範のすべてを
新しいものと取り替えることを意味しているのです。

つまり、イエスを主(あるじ)として生きることを意味しております。
901名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 08:25:16 ID:NqsAXJeZ
「僕は聖書読まないよ」
物理的に読むことは必要ではないんだよな。
脳のキャッシュメモリに相当する所に置いて、現実に則して研究・応用する。
902カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 08:58:09 ID:Ksru5aXF
なんだ、ちょっと見ないうちにまたバカモスキーが
珍説たてて調子に乗ってるようじゃないか。
イエスをただの厄介者を処刑にしたにすぎないというのはトンデモである。
この言い方は、たとえば、ヒトラーを自殺する前に逮捕し、
裁判にかけ、処刑したと仮定したとする。この場合も、言い方によっては、
ヨーロッパをかき回す厄介者を処刑にしたにすぎない。と、表現できる。
こいつの主張は、詭弁に過ぎないのさ。
え?イエスと、ヒットラーじゃしたことが違うって?
馬鹿言っちゃいけない。注目すべきは、紀元100年ごろに書かれた
フラビウス・ヨセフスというユダヤ人の『ユダヤ古代誌』という本で、そこにイエスは
こう書かれている。

>「さてこのころイエスという賢人が現れた。
>(彼は奇跡を行うものであり)、また喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。
>そして、多くのユダヤ人と(少なからざるギリシア人と)を帰依させた。
>(彼こそはキリストだったのである。)ピラトは彼が我々の指導者たちによって告発されると、
>十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは彼を見捨てようとはしなかった。
>(すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。
>すでに上の預言者たちは、これらのことやされに彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、
>それが実現したのである。)なお彼の名にちなんでクリスティアノイと呼ばれる族は、
>その後現在にいたるまで連綿として残っている」
903カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 09:02:31 ID:Ksru5aXF
>>902 続き
ま、括弧内の文言は、後世の者の加筆だという説もあるそうだが、それを抜きにしても、
彼、イエスは、当時のユダヤ人たちかなりの影響力を持っていたのはあきらかで、
当時のユダヤ教支配者達は大変な脅威をもったに違いないだろう。
また、ユダヤ教などにまったく興味を持たなかった、当時のローマ人でさえ、彼の証言を残している。
有名どころでは、2世紀の初頭にローマの歴史を書いたタキトゥスの『年代記』で、
彼はネロ皇帝によるローマの大火の記述に関して、その当時帝都にいたキリスト信者に言及し、

>「この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、
>ティベリウスの治世下に元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた」

と記録されている。ただのちっぽけな、たいした影響力もない、
頭のイカレた、ただの大工の息子が処刑されただけでは、当時ユダヤ人たちのメジャーな宗教であ
ユダヤ教でさえ、当時のローマ人は眼中になかったのに、その分派ともとれるイエスがとる、その教団が、
このような歴史書に記録されるはずもない。彼は、ただの厄介者ではなく、
当時の人々に、大変なインパクトを与えたと十分に考えられる証拠でもある。
事実、彼の残した教会は後にローマ帝国の国教にもなり、一躍ヨーロッパのメジャーになり、
現在も、多かれ少なかれ、我々の歴史に影響力を与える。
なにがただの厄介者が処刑されたにすぎないだ、バカモスキー。
おまえは本当に馬鹿だな。お前の目の中のでっかい梁が、おまえにまともな判断もさせないでいる。
ムハンマドがいるから、イエスをちっぽけな存在にしたいか?愚かな男だ。
904カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/12/30(土) 10:24:42 ID:Ksru5aXF
聖書に記されている、イエスの十字架の場面の矛盾を
あれこれつついて悦にはいるなんざ、聖書の読み方をまったく理解していない証拠である。
そんな事はどうでもいいんだよ。愚か者は、木を見て森を見ない。
旧約聖書は、メシア、イエスを証するものである。また新約聖書は、イエスが、旧約で約束された
メシアであることを明かすものである。メシアとは、キリスト。油塗られし者。

〜イザヤ7:14
>主は、みずから一つのしるしをあなた方に与える。見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
>その名はインヌマエルととなえられる。その子が悪を捨て、
>善を選ぶことを知ることになってよ乳と蜂蜜とを食べる。それはこの子が悪を捨て、
>善を選ぶこと知る前に、あなたが恐れている二人の王の地位は捨てられるからである。

この預言は、イエスのことを表していると、推測するに、容易である。
905カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
さて、十字架の記事だが、

旧約詩篇22:11
>私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見 捨てになるのですか

これは、新約のマタイ.27:46にて成就される。

旧約詩篇22:6
>私は民に侮られる。すべて私を見 る者は、私をあざ笑い、頭を振り動か して言う、
>「彼は主に身を委ねた、主 に彼を助けさせよ。主に彼を救わせ よ」と

これは新約の、ルカ.23:35; 8:53、マタ.イ27:39、マタ.イ27:43にて、成就。

旧約詩篇22:18
>彼らは互いに私の衣服を分け、私の 着物をくじ引きに

これはマタ.イ27:35にて成就。