952 :
名無しさん@3周年 :2006/12/08(金) 22:23:07 ID:w7Ed71If
3. とあり、「外界の存在そのものが直接そのまま認識されるわけではない」と続きます。 既に指摘したように一体、どこを読んだらそう読めるのか、私には見当もつきません。 完全な誤読であり、全く信用できません。しかも世親・唯識が彼の専門分野です。 専門分野でこれじゃ、他はより信用できないのが明らかでしょう。 私は唯識は全く素人、サンスクリットも初級です。ですが上の読みで、はっきりと彼よりはマシなのは分かります。 こんなレヴェルの人が以下のようなことを人に言うのはお笑いです。 >>サンスクリットを訳せない場合、もうここには参加するな。 >>それはあなたの能力を超えているが故に論じません。 自分がたいした能力を持たないことを自覚しないと、肥大した自我を甘やかして、 いつまで自我を護って自演、罵倒、ハッタリ、誤読、虚勢を続けるのか? 自我などないと悟らせるために、唯識は実体などなく知覚のみと宣言したのではないのか? いったい何のために仏典をよんでいるのが、無我でなく自我のためか? 全く倒錯している。
953 :
名無しさん@3周年 :2006/12/08(金) 22:25:23 ID:w7Ed71If
>>921 >>923 >>927 「外界の存在そのものが直接そのまま認識されるわけではない」というのは、
典型的な所謂「経量部説」ですね。例えば『タルカ・バーシャー』に説かれるような。
あるいは仏教論理学派(=有相唯識)の世俗諦ですね。
彼らはプラマーナ・シッディのために、つまり共通の論理領域として外界を認めざるえなかったのでしょう。
> また、「[唯]言者、爲<除>[色塵等]」「唯<遮>[外境]、不<遣>[相應]」の解釈においても、
> 「除」「遮」「遣」の意味することは、「外界の対象は存在しない」と明言している、と言
> えるのでしょうか。
> 「意味範囲から除外する」といった程度の意味でなく「外界無存在」の明言だ、とまで言
> えるのでしょうか。
『唯識二十論』偈頌だけでいいので、通読してみてください。
「外界無存在」あるいは「外界不成立」「対象不成立」の論証以外の何ものでもないことが、
はっきり分かると思います。「外界無存在」に対しての論敵からの反論が以下、
T31n1590_p0074c03(00) 若識無實境 則處時決定
T31n1590_p0074c04(00) 相續不決定 作用不應成
反論に対して例を挙げて退けるのが、以下。
T31n1590_p0074c15(00) 處時定如夢 身不定如鬼
T31n1590_p0074c16(00) 同見膿河等 如夢損有用
他ならぬ「外界無存在」論証こそ『唯識二十論』でしょう。
954 :
名無しさん@3周年 :2006/12/08(金) 22:26:01 ID:w7Ed71If
>>937 あの、
>>899 ではヴィヤーカラナによる語源分析もしてますが、 主たる根拠は『中辺分別論』『倶舎論』 の用例と
その漢訳と蔵訳です。つまり世親が使い分けていたこと、シナ・チベットでもハッキリ区別して使用していたことが分かります。
つまり、語源も用例も一致して区別される訳です。但し、サンスクリットの語形は同じなので、
漢蔵によって確認しながら読めば誤らずに意味を確認できます。
『唯識二十論』vijJapti-mAtraM 『解深密経』rnam par rig pa tsam の vijJapti は「知覚、了解」を意味し、
「表示」を意味しないのです。これは漢蔵から明らかで、もっと用例を詰める必要がありますが、
vijJapti-mAtraM、rnam par rig pa tsam といった場合の vijJapti は「知覚、了解」を意味することで間違いないと予想されます。
なんで以下のようなことが言えるのか、私には分かりません。
> 阿含経での心意識のありよう(境との関係)を解き明かすため、
> 唯識二十論でそれらとvijJaptiを同義としたことの意味合いを探るためでしょう。
「 阿含経での心意識のありよう」は、 阿含経から解き明かす以外ないと思われますし、
「唯識二十論でそれらとvijJaptiを同義としたこと」は、直接原始仏教には関係ないでしょう。
955 :
名無しさん@3周年 :2006/12/08(金) 22:26:35 ID:w7Ed71If
>>948 一体、何が仰りたいのか分かりかねます。
956 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/09(土) 01:07:34 ID:gMas9k7F
>w7Ed71If 対人言及てんこ盛りの、数年越し怨恨報復活動ご苦労さんです(笑)。
958 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 06:21:07 ID:OL25DKXc
>> 阿含経での心意識のありよう(境との関係)を解き明かすため、 >> 唯識二十論でそれらとvijJaptiを同義としたことの意味合いを探るためでしょう。 う〜む、なるほど。 つまり、原始佛教スレを継続しておったのは、こういうことが分らんかったのですね? で、どうにかこういうことを知りたいと、 こういうことを考えておったのですね? 六識なら、やはり堺目は気になりますね?当然です。 う〜ん、中観だったら問題にもならんのだが・・・ 「まさに住まるところなくして、その心を生ずべし」。ということか。 これならスッキリする。 とにかく、唯識の書き込みずいぶん参考になりましたm(__)m
961 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 10:33:50 ID:VA8br+7L
二畳半
962 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 10:35:05 ID:VA8br+7L
二畳半 連れ込み自慢 出禁バカwww
963 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 10:36:46 ID:90LB7Tey
いや〜、勉強になるな。 もっとも、成道には全く役立たずなトリヴィア知識がほとんどだが・・・
964 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 12:22:13 ID:90LB7Tey
12月8日は ゴータマ・ブッダ成道の日であり 真珠湾攻撃の日であり ジョン・レノンの命日であった。 諸行無常 生きとし生けるものが幸せでありますように 合掌
>>932 にヒントが書いてありますね。
>唯識論では「虚妄分別」といいますね。
「虚妄分別」で語ちても所詮は無理なんですが、あえてこれを私は「論理矛盾」というておるのです。
この世俗諦より透過しまして第一義空諦へと悟入して逝くわけです。
その前程となるのなら、もはや論理矛盾も致しかたあるまい。
この方法(手段)を方便などと言うたりしますが、
彼岸に到れば、こういうことも捨てきっていいわけです。
967 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 12:42:13 ID:VA8br+7L
尻穴も イイぞと自慢 出禁バカwww
彼岸に至れば捨てるものなし。合掌
969 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/09(土) 16:08:26 ID:gMas9k7F
970 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/09(土) 16:28:03 ID:gMas9k7F
尤も話に火が点くのは上掲スレのレス875以降ですが・・・。 終いの辺で「ちっ、憶えてやがれ」という風な三下チンピラ状の捨て台詞を吐いている、 えずくろしい輩が現れます(苦笑)。
>>951 >1 >勝手に iti を挿入してテキストを読み替えている。
これはあなたの誤解だと思いますよ。
チベット訳では於格助字(--- du rnam par gzhag ste の du ) が相当する。
漢語では直接話法を指示するための文字を使用する必要はない。現代中国語でも
古典でも同じ。
>2 >過去あるいは受動を意味する語形素はないので誤訳である。
質問です。 vijJapti の t は ppt. の接辞 ta の t が残存したものとは考えられないですか?
つまり vi-jJA の p-causative の ppt. vijJapta を女性名詞化する時に語尾の母音 a を i に
変えた形ではないかということです。
>>971 vijJapti の語形変化の手順ですが、
考えてみたのは、vi-√jJA-が、使役形の語幹vijJapaya-になり、それに
名詞化の語尾-tiが付くのですが、その際に過去分詞形vijJaptaにするときと
同じ形のvijJap-に-tiをつける、と解釈していましたがどうでしょうか。
これだと、知らしめること・もの、示すこと・もの、という意味になると思います。
自動詞か他動詞か、とか、誰・何が誰・何に何を知るようにするのか微妙な問題ですが。
使役形の語幹 vijJApaya- 知らしめる; vijJapaya- 知らしめる、示す vijJapti, vijJaptaの形になると、どちらの語幹から派生したか分からなくなります。 前者からの派生ならば、示すこと、という意味は出てきません。 倶舎論の当該引用箇所は、avijJapti-rUpa(無表色)についての記述のようなので、 後者からの派生ということでしょう。 唯識としてのvijJaptiも、唯識派の体系としては、どちらから派生したのか 厳密に確定するのは難しいと思いますが、いずれにせよ、 アラヤ識がらみで概念が発展・確立し固まっていった、ということではないでしょうか。 識を縁として名色があり、生長するを得る、という雑阿含の文言を 識をアラヤ識と見、名色の色(名もそうかも知れませんが)を外境と見て、 外境を「識から生じたもの」という風に解釈し、唯識という概念に至った、という事情なのかも知れません。
>>968 「捨てきる」も「捨てるものなし」も論理矛盾なわけです。
矛盾を承知のうえで、私は書き込みしとるんです。
真意は還滅にありまして、そのように了承いただけることを以心伝心とかいう。
この伝統を教外別伝とかいいますが、
ようするに唯識においても、こういったスキルにて拝すること肝要なり。
これも般若ですよね。
全てに通じるわけですから、やはり空諦こそ第一義なるわけです。
975 :
名無しさん@3周年 :2006/12/09(土) 18:19:01 ID:VA8br+7L
望まぬ子 堕胎奨める 出禁バカ このシャバに 居場所皆無の 出禁バカwww
いずれにせよ、この葦束の比喩は、中観・唯識両派の成立の契機として大きな意味がありそうですね。 中観には、相互依存関係として縁起を見るキッカケとなり、その縁起を用いて無自性を説明し、 さらに無自性を用いて空を説明する、というように。 唯識には、識があって色が生じる、ということで、色(三界)は識の所産である、三界唯識、となって、 さらには識とは、そもそも何かということから、六識やアラヤ識、ウダナ識(、アンモラ識)など 内面探求のキッカケにもなった、のではないでしょうか。
977 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/09(土) 18:25:16 ID:gMas9k7F
>>976 「稲竿經」類との関連なども興味深いでしょうね。
>>976 >いずれにせよ、この葦束の比喩は、中観・唯識両派の成立の契機として大きな意味がありそうですね。
相対性理論でいうたら、動態観察と静態観察の違いですね。
つまり視座の違い。
というても・・・
空諦においては視座そのものが空諦となりますから、
いわゆる観察者そのものを対象化するわけにはいかん。
というておるのが龍樹なんですね。
アインシュタインの相対性理論は、すでに2500年も前に釈尊によって発見されていた。
いや〜、驚くべきことです。
979 :
名無しさん@3周年 :2006/12/10(日) 10:46:54 ID:qrfWNZOV
子堕しも 罪咎なしと 出禁バカ 大病も 自己宣伝の 出禁バカ
980 :
名無しさん@3周年 :2006/12/10(日) 10:56:33 ID:qrfWNZOV
子堕しも 罪咎なしと 出禁バカ 大病も 自己宣伝の 出禁バカ
981 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 12:05:20 ID:pD4KDzz/
>ID:qrfWNZOV まあ、えらい剥き剥きで身も蓋もないこと言わはりますけど、えずくろしい外道壁蝨の身から出た錆ですさかい 仕様おへんやろ。ネット世間からさっさと消えへん限り付き纏われる旧悪でっしゃろな(苦笑)。
vi- √jJA- Nic(parasmaipada活用)の接辞-aya ktin(kRt接尾辞)の-ti rnam-pa --- piece, part rnam-par --- into the pieces, etc. (<- vi-) rig-pa --- verb, to know, to understand ; substantive, knowing, knowledge , soul (probably only in later literature) rnam-par rig-pa ナンパルリクパ --- as a verb(動詞), to know fully, to understand thoroughly. as a substantive(名詞), <但しここではSkt. vijJAnaとなっている> consciousness; in philosophy : one of the five phun-po (五蘊), perceptions, cognitions ; in popular language : soul, e.g. of the departed(故人), (later literature and colloquially)
>>977 「稲竿經」というと、龍樹の「廻諍論」での引用「縁起を見る者は法を見る」というのが思い浮かびますが、
この法というのが、事物(の本質を見る)なのか、真理の方なのか、「見る」の理解によっても
違ってくると思います。
縁起を見る、ということに関連して、次のような記述がありました。
> この行為を、あるがままに見る。
> かれらは縁起を見る者であり、業とその報いとを熟知している。(Sn. 653-654)
> 執着のこだわりを嬉しがっている人々には、これを条件として彼があること、
> すなわち縁起という道理は見がたい。(SN. VI.1.1)
> 「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」MN. Vol.I, pp.190-191
> 「世尊、亦如是説。若見縁起、便見法。若見法、便見縁起」中阿含経巻7、大正1、p.467上
「稲竿經」の漢訳を3種類ダウンロードしたまま、まだ読んでいないのですが、今週中には読みたいと思っています。
上記の外、何か留意して読むべきところはありますか。
なにを仰いますか? わたすは今まで、令嬢と明鏡止水にて悠久の時空を戯れてきたんですよ。 庭先では、水仙やヒヤシンスが春の訪れを待っておるというのに、 メクラではこういうことも通り過ぎる。 不風流処也風流とか言うんですけど、 品格というのは無為に顕現するもんです。 これは意外に人生では大事なんです。 そのために良家では、お茶とか、お花とか、お料理とかを習得するんですから。
985 :
名無しさん@3周年 :2006/12/10(日) 13:20:52 ID:qrfWNZOV
出禁バカ 言い訳効なく 失脚しwww 繕えど もはや手遅れ 出禁バカwww
986 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 13:32:13 ID:pD4KDzz/
>>983 T16n0712_p0823b20(00)?佛説大乘稻[艸/干]經
T16n0712_p0825b10(04)?此中業及煩惱。能生種子之識。業則能作種子識田。
T16n0712_p0825b11(01)?愛則能潤種子之識。無明能殖種子之識。
あたりの唯識思想との関連など興味深く思います。
「大乘」と銘打たれていることも含めて。
987 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 13:40:28 ID:pD4KDzz/
追記 上掲の經には「蘆束の譬喩」もみられます。 T16n0712_p0824c07(03)?名為空界。五識身相應。及有漏意識。猶如束蘆。 T16n0712_p0824c08(01)?能成就此身名色芽者。名為識界。若無此衆縁。
988 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/12/10(日) 13:50:08 ID:l/6jiWtx
法学板やオカルト板で”ネカマ”がばれた御仁がとうとうと原始仏教を 説いておりますが、お釈迦様はなんとお思いでしょうねえ。 私も決して褒められた日常生活をしているわけではありませんが、 ああも赤裸々にネカマがばれたらハンドル変えるか、自殺してますな〜。 よくもまあ面の皮が厚い〜〜。
989 :
波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2006/12/10(日) 13:52:28 ID:l/6jiWtx
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQさんヤツには失望しましたよ。 簡単に白旗をあげて縁を切っていました。 まぁバックレられないように全部逃げ道をふさいだから諸手をあげて 化けの皮をあらわしたんでしょうがね。 そのうちまとめてアップする予定ですからそれを見て判断してください。
990 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 13:55:04 ID:pD4KDzz/
ところで止観の観は、普通の思索とは質が違うのかなあ…
原始佛教 その19
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1160400642/988 988 名前:波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 [] 投稿日:2006/12/10(日) 13:50:08 ID:l/6jiWtx
法学板やオカルト板で”ネカマ”がばれた御仁がとうとうと原始仏教を
説いておりますが、お釈迦様はなんとお思いでしょうねえ。
私も決して褒められた日常生活をしているわけではありませんが、
ああも赤裸々にネカマがばれたらハンドル変えるか、自殺してますな〜。
よくもまあ面の皮が厚い〜〜。
994 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 15:37:20 ID:pD4KDzz/
空疎な藁人形をでっち上げて必死に釘打ち、鬱積したルサンチマンを晴らした気になってる間抜けチンピラが 徘徊彷徨してますな(苦笑)。
995 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 15:44:57 ID:pD4KDzz/
996 :
名無しさん@3周年 :2006/12/10(日) 15:46:12 ID:wfjT2NtC
>990スレ違いのルサンチマン発散は余所でどうぞ。 >994空疎な藁人形をでっち上げて必死に釘打ち、鬱積したルサンチマンを晴らした気になってる間抜けチンピラが徘徊彷徨してますな(苦笑)。 一体、誰が「ルサンチマン」を「発散」しているのか? 何が「藁人形」で、誰が「間抜けチンピラ」か? 最低人類0号 :sage:2006/12/05(火) 21:52:36 ID: JIi9Kjff (1) > 創価大で免職になった男が個人的恨みで自分をアンチ、と謳っているだけで > 実態は創価に疑問を持つ人の親睦会、といった感じ。 > 脱会工作なんて任せられる器ではない。また本人も、それが建前である事を認めている。 > 電波男は、罵倒による憂さ晴らしと、女を口説く事を目的として固定を続けている。 同じく「ルサンチマン」によってオカ板で罵倒による弱い者虐めを行っていた電波男=バスタは、 原告に攻撃されたのを根に持ち、裁判による人助けの「藁人形 をでっち上げて」 「ルサンチマン」を「発散」していた。「間抜けチンピラ」は他ならぬ電波男とその子分、阿呆陀羅經の君だ。 >956対人言及てんこ盛りの、数年越し怨恨報復活動ご苦労さんです(笑)。 このスレを見る限り貴方の発言の90%は下劣な「対人言及」のようだが、自分のことは棚上げか? >657 読解力学習能力ともに外道壁蝨並に皆無であることが露呈しておりますことで(失笑)。 以上のように電波男が「読解力学習能力ともに外道壁蝨並に皆無であることが露呈し」た。 また、波木井坊竜尊さんが言うように自演は完全にばれている。そして君が挙げた >969 の言語学者なんて 完全な自演だろう、なんだい言語学で「形容詞化」(笑)なんて用語聞いたことない。全く言語学的ではない。 知識や誤解の程度も電波と全く同じだし、言語学を学んでないのは明らか。自演と思わないのか分からない。 君はなんで認められないのか? このまま 電波男と心中したいのか? もう言わないからね。よく考えて。
997 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 15:49:47 ID:pD4KDzz/
はいはい、さっさと癲狂院(勿論ネット環境無し)へ帰りましょうね。おやすみなさいお大事に(冷笑)。
998 :
名無しさん@3周年 :2006/12/10(日) 16:02:51 ID:wfjT2NtC
>>957 電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k
>
>>954 > はい。やり直し。
早めに間違いは認めるものだ、君の欠点はそこにある。そして自分で言ったことぐらい守ろう。
>>814 > 非論理的だと断じるからには、その論理構造の瑕疵を指摘し、虚偽構造を明らかにしなければならない。
> またナンセンスと言うのであれば、その内包されている関連項目を列挙し、説明、例示を加え論評
> しなければならない。
私が間違ってるなら根拠を示して、論理的に説明したらどうかな。
「外界の存在そのものが直接そのまま認識されるわけではない」という記述が『唯識二十論』にあるなんて
蔵訳か漢訳をコピペするだけで済むのだから。できなければ「間違ってました」と言えばいいだけだ。
999 :
名無しさん@3周年 :2006/12/10(日) 16:04:02 ID:dD4nSB1/
まして電波男のようにバレバレのネカマは演じません!(ワラ)
317 名前:波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 [] 投稿日:2006/12/10(日) 13:35:26 ID:lhOl5ncO
>>315 私は名無しではかきませんよ。
まして電波男のようにバレバレのネカマは演じません!(ワラ)
私には”事務所の近隣の川向こうあたりから電波ジャックされた、なんて
電話では言い訳してましたけど、微弱電波の無線LANで川むこうからの電波ジャックは
物理的に不可能です。(苦笑)
1000 :
阿呆陀羅經 ◆JQPgxhpHHQ :2006/12/10(日) 16:04:40 ID:pD4KDzz/
監理の悪い癲狂院があったもんだ(苦笑)。
1001 :
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