原始佛教 その19

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401名無しさん@3周年
>>304で紹介されている所の論義の中から、同じ内容でありながら微妙に表現の違う2文について。

> vaya-dhammA saGkhArA
> Skt. vyaya-dharmAH sarva-saMskArAH

> 他は dharmin になってるんで意味が異なってしまいます
> aniccA vata saGkhArA
uppAda-vaya-dhammino
> Skt. anityA bata saMskArA utpAda-vyaya-dharmiNaH

複合語vyaya-dharmaの六合釈を考えると、詳述は煩瑣になるので避けるが、格限定複合語と判断できる。
辻文法の[§109, U, 2. 格限定複合語]の[単純な格関係では説明できない場合]、
及び[附録A 格の用法, W. 与格, 6. 述語的用法]の[帰着するところを示す]を参照。
訳は「消滅(に帰着する) もの(法)」となる。

utpAda-vyaya-dharminも格限定複合語であり、「dharmin(性質を持つもの)が
[utpAda-vyaya(生起・消滅)という性質]を持つ」という文を複合語の形に変えたものである。
つまり、「生起・消滅(という性質を持つ) dharmin」という関係だ。

なお、どちらも、前分・後分以外の事物を修飾しているわけではないので、所有複合語ではない。

ここで注意してもらいたいのは、前者のdharmaと後者のdharminで意味が根本的に違っていること。
前者は「もの」であり、後者は「性質を持つもの」である。
dharminに含まれるdharmaの部分は「もの」ではなく、「性質」という意味だ。

このdharmaの質的変化から、[基体・属性関係を基にする論理学の発展の影響を受けて、
vaya-dhammA saGkhArA が aniccA vata saGkhArA uppAda-vaya-dhammino に書き換えられていった]
のではないか、という推測も可能だろう。