930 :
絵里子 :2006/11/25(土) 21:04:55 ID:N+DEMBUt
>>929 私は禁欲主義者ではありませんから何でも楽しむ方ですが、あまり懲りすぎないないようにしてください。
劉貴珍さんの気功をネットで見たのですが、立派な方のようです、チベットで学ばれたようですし、非常に重要な覚醒に至る8段階を記載されていました。
これは仏教の段階(チベットも)そのものですが、最終の3つが、光を見、光に入り、光に成るという覚醒の実証を表すものです。
だからそれを目標とされれば、宗教の系統や派閥を超える重要な部分です。
Mutantさんとの対話の中で信仰しているのが、貴方の質問されている内容そのものですので、一度目を通してください。
どんな人間的手段(自力)も神による救済(他力)を呼び出すための手段に過ぎません、目が開かないと(覚醒がないと)神の手が見えないために、神の手(光)を見、掴む事が自助努力です。
老子の「道徳経」自体は簡明な81章から成っていて、訳者が注釈をつているだけですから、読みやすい本を買われたら良いのでは。まず図書館で色々見てください。
神は罰も与えないし、強制もしないし、愛だけを常に放射しているだけです。SMの世界とは異なります。
罰は実際には神性法則に背くことによる自罰に過ぎません。
931 :
絵里子 :2006/11/26(日) 01:46:13 ID:sC/fsaWM
>>929 また冷たかったようですね。ヤハウェって何の言葉か知ってますか?
YHVH 発音はYod Hey Vau Hey。YHVHに Adonai(神)の母音a o iだけをゲマトリアの法則に従って,
逆にして i o a としてYHVHの中に入れて、Yihovah(エホバ)。YHVHでなくYHWHを使った場合は、
Yihowah(ヤハウェ)と読むのですが完全な後世的造語です。YHVHは創造の四界を意味するヘブライ語。最初のYが第一界、
次のHが第二界、その次のVが第三界、最後のHが我々が住む第四界です。聖書には遙かに深い意味が隠されています。
翻訳に異議はあるのですが、第一界は霊界、第二界は心界、第三界は形成界、第四界が物質界とされています。
ヤハウェが本当は神そのものを示す言葉ではないことが分かりますか?
絵里子さん 無限を思考するのは大変です。 創造の謎・・・ これは神がある目的、ベクトルをもって為した・・・ 何処へ向かうため? 以前書いた神の国の進歩性に繋がるのでしょうが・・・ 何処へ向かうのでしょう・・・ 相対し、動く世界でありながら方向性を持つ・・・ ほんとに答えを推論できます? 今のところ私は発散し、分裂していきます。 一つの場所へ導けるのかしらん・・・ もう少し、悶々と一人思考します。。。
933 :
絵里子 :2006/11/26(日) 02:44:16 ID:sC/fsaWM
>>932 お久しぶりですね。こんな夜中にまだ起きてるのですね?私は明日の院生発表の準備で今日は徹夜です。
貴方も無理されないでね。
世界中の神話が、人間の住む世界は、たとえば北欧神話オディーンでは「Midzgards=中間の国」、古事記でも「中つ国」、
有名な創作物語「指輪物語」でも「中つ国」と語られる。神の国と何かの国との中間点、神の反対とは?
神の「中つ国」創造の目的は?ファンタジーではないのよ。「生命の木」もあらゆる国の伝承にある、時には「虹の架け橋」とも呼ばれる。
神の国から「中つ国」への虹の架け橋、生命の木。生命の木の根が神の国にあり、地上界へ枝を張り実を実らす。
実の数は常に10個、枝の数は12。
絵里子さん院生なんだ お疲れです・・・私はそろそろ眠ろうかとうつうつしてました。 うん。「中つ国」ね。 自由意志→堕罪→救済→神の国の進歩が時間軸に支配されない神による創造ならば この中途半端な「中つ国」もまたベクトルをもって創造されてるんだよね。 中間点って表現もいいね。 そう。光に背を向けていながら決して悪でも闇でもない。中間。 これまた不可思議な存在だよね人間。 なぜ?いっそのこと光も闇も包含したこの世界、そして今この時こそ既に神の国 ってしたほうが説明としては楽ではある・・・ けど、そりゃファンタジーか・・・ Ωをロジックでまとめようとしても無理が出ると思うんだけどな〜・・・ n次元に方向性を与えるんだよ?これって可能・・・なのか・・・? もっとも光と同体すれば全てが明らかにされるのだろうけど。 ヨハネ1 3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らか にされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに 似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリスト のありのままの姿を見るからです。
んじゃそろそろ寝ますね。 絵里子さん明日は発表頑張ってね。 それにしても私自身の信仰が何処に向かっているのやら・・・ 自分の中に無数の変数による軸が現れているのを感じてます。私は水面の木の葉のごとく ぷかぷか漂ってるだけですがねw 宙に浮遊しながらまるで不安がない不思議な感じです。 とりあえず導かれるままに。 おやすみなさい。
936 :
コテん :2006/11/26(日) 09:11:22 ID:VwhOZImv
>>930 冷たさを感じて昨日はレスしませんでした。
スラング使われて不愉快でしたでしょうか。かれこれ3年くらい放置プレーのMy HPを
そう言われてピッタリなので多用しています。
>> ・・・・・・・・・・・・SMの世界とは異なります。
これは絵里子さん流のジョークですよね? 怒ってるようにも受け取れて・・・
すぐ冷たくなるのは絵里子さんの場合、上丹田にばかり気を置いているからで、中丹田
(胸の奥)に置くと良いです。クンダリーニ覚醒者は愛情が勝手に湧いて来るようになる
といいます。また中国の仙人は花を愛でることでも知られています。
中丹田を覚醒させるとそうなる感じです。アナハタか、或いはコーザル体か?
僕はオカルト整体師に意図的に施術されて、以前にも増してか弱い存在が愛しくて
ならなくなっています。
考えるときは上丹田、話す時は中丹田から話すと良いです。
>>931 では取りあえずエホバの方が伝統的に使用されて来たのでエホバの証人の主張が
正しいということでOKですね?
初めて聞くことなのでどう返答していいか迷っていますが、個人的にはまた学者の言葉
遊びな感じもしています。この名前の由来を考慮して、神は一個の霊体として認めるの
ですか、或いはタオだと?
まぁ人間には神の姿かたちはどうでも良いことかも知れませんね。
物質じゃないんだし。
937 :
コテん :2006/11/26(日) 09:49:56 ID:VwhOZImv
霊体は光を発する。霊界は霊だけなので影は無い。
この世は光を受け止める世界。それゆえ影(闇)が存在する。
この世は光に向かうための世界。それゆえ光が注がれる。
では光が注がれない世界もあるのかも知れない。人が地獄と呼んでいる世界?
アダムは影に興味を持つという無用なことをした。
なーんて、ファンタジーなことを言ってみる。。。
>>935 >>それにしても私自身の信仰が何処に向かっているのやら・・・
僕も今そんな感じです。神は霊体だから一個の存在のはずなんだ。
だけど宇宙開闢を行うほどだから、とてつもなく大きいのかもしれない。
その巨大さをタオと表現したのかもしれない。
妄想は尽きない・・・
938 :
絵里子 :2006/11/26(日) 11:08:52 ID:sC/fsaWM
コテんさんへ、 まったく怒っていません。その逆です。ニタニタしながら書いたのが本心です。 顔を見ずにジョークすると誤解を生むので気をつけますね。 エホバの証人はよく知りませんが、一度その教会(でいいのですか)の人が来て、世界は6千年前に始まったと説明されたので。 一番古い屋久杉の年輪は7200年ですけど、と言ったらキョトンとしていました。 そろそろ出かけます。
939 :
コテん :2006/11/26(日) 12:47:38 ID:70C7XaVk
>>938 そうでしたか、安心しました。
感情で愉しむ人と理屈を愉しむ人では中々合い入れ難い部分が生じますね。
まるで擦れ違う男と女のように・・・ (なにムードに浸ってるんだオレ!
エホバの証人スレの荒れ方が面白くて閲覧してたのでいくらか知っていますが、
その人はアダムの誕生が6000年前だと言いたかったのだと思います。
1975年がアダムが誕生して6000年目だと教えられているようです。
本当ですか?
あの人たちって組織の代表(統治体という)の言うことを鵜呑みにさせられている
人たちなんで、自分の前頭葉を全くと言って良いほど使ってないんですよ。
だから自分たちが自信を持っている教義に対してツボを突いた理屈を返すとピタッ
と思考が止まるんですよ。そしてシドロモドロになる人が多い。
鵜呑みにさせられる理由は神の組織の基で信仰は一致していなければならない
という信条の元、発言権、決定権は統治体だけが行使することを許されています。
ま、簡単に言えばマインドコントロールされたカルト集団ですね。
・・・・・・・・・・・・・
でもね、キリスト教の中で一番マトモか? とも思ってます。
三位一体の否定。聖霊を人格的存在とは認めていない。クリスマス、ハロウィンを
祝わない。マリア崇拝、偶像崇拝をしない、など。
でも最大の過ちの一つが人間の霊体を認めていないということです。
つまり現行のキリスト教にまともなのは一つも無いということでFAで良いですか?
悲しき世の中だ。エホバは何をしているのだろうか。。。
気をつけて、いってらっしゃい!
940
941 :
絵里子 :2006/11/26(日) 19:04:58 ID:sC/fsaWM
>>939 安心してくださいね。6000年というのは推測ですが、聖書に「神の一日は1000年」とあるので、
6day x 1000year = 6000yearとしてしまったのだろうと思います。YHVH or YHWHはすでに百科事典マイペディアでも、
キリスト教徒の誤認であると書いています。私はそれを見てヘブライ語の語源的意味を調べその内容を記載しただけです。
従ってこれは当然カバラが発祥ですね。さらに言うと、YHVHは聖なる4文字と言われ、生命の木の四界であり、ヤハウェを「神」
と解釈するにはかなり無理があり、むしろ「神が降下した段階的な道」となる。さらなる解釈も可能で、
YHVHは「神の4つの諸力」と言うこともできる。ユダヤ教およびカバラのこの文字は非常に複雑な展開を持っている、と言うのが私の感想です。
この謎が解明されれば、キリスト教の宗教観を一変させる可能性を秘めているでしょうね。また「キリスト」はギリシャ語の「塗油された人」の意味ですが
「覚醒した者」ということであり、仏陀も「悟りを得た人=覚者」の意味ですから全く同じ用語になる。
神は(基本的には)霊体ではないが、逆に神の現れ自体は様々な様相を持つので、そういえないこともない、という答えになる。
これは仏教でも同じで、如来とか菩薩と言うが結局は「根源のもの」からの現れであり、仏教も(ある意味で)一神教である。
神道の場合も諸神は別のことを意味していると感じています。どの宗教も、「最高神」と称されるものは一つであり、残りの神々は派生または別の存在物(神の被創造物)
ではないかと思っています。
942 :
コテん :2006/11/26(日) 20:37:50 ID:TfhBZU+k
>>941 なにやらまた新手の情報が・・・
僕の宗教知識なんて学研のエソテリカシリーズなので、この板の猛者の言ってること
には着いて行けませんw 宗教に手を出したのも氣に関する理解の為だし。
でも絵里子さんとか、聖霊ってなんですか?スレのフーテンさんの内容は
バックグラウンドがしっかりしてるので理解し易いですね。
で、思い出したんですが、聖書に誰は何歳のときに誰の父になったっていう記述が
どこかにありましたよね。その記述を逆算するとアダム誕生の年代が解るらしいです。
エホバの証人によると。
それで千年統治が来るということで1975年がアダムから丁度6000年なのでその年
にハルマゲドンが来ると予言してたらしく、来なかったんでかなり信者が減ったそうです。
6年前にも来るとか言ってたかな? そういう教会です。
「塗油された人」というのは「王権を与えられた者」という意味ではないですか、一般的には。
キリストが面白いのは他の覚者と違って神が付きっ切りの感じがすることですかね。
>>神は(基本的には)霊体ではないが、
もう物質以外は全て霊体と氣にしてしまってます。。
東洋の宗教は根源からの表れっていう感じはしますね、言われてみると。
最近またエソテリカの宗教本6冊買ったのでゆっくり読みます。
>>937 光に向かうわけですが、もとは闇の方が先行して在ったのですね。そこに光が
創造された。闇が先行していながら光に向かうことが解脱であるとは不思議なもの
です。
涅槃、天の国とは光も闇もなく創造以前の混沌なのかもしれません。
一切の「名」が存在しない。在るのみ。
>>神は霊体だから一個の存在のはずなんだ。
そうですね。霊というよりも意思なのかもしれません。それはわかりません。
そして一元に辿り着くというのも同意です。
私はクリスチャンとしては異端になりますが独自の解釈信条として三位一体を超え
一元多神の立場を取っています。
>>939 ちなみに宗教にまともなものなんてあるんですか?
神は宗教を通して語っていてもバイパスである人間がバイアスをかけ迷わせますね。
名こそ迷いであり、言は毒です。
信仰は神が個人の語るものだと思っています。比較として害の多少で決めるならば
キリスト教は有害であると思います。
ただ、神との関係を知る上で聖書は大きなヒントを与えてくれますし、絵里子さんは
認めないでしょが、私は他力信仰に確信を持っています。イエスは光であると
信じてますよ。
もちろん自力も存在します。
ここで絵里子さんに聞きたいのですが自力信仰とは
何に基づいて功徳を積み上げるのですか?四締八正道ですか?トーラーですか?
944 :
絵里子 :2006/11/26(日) 21:02:57 ID:sC/fsaWM
>>942 「王権を与えられた者」、ある意味で正しいと思います。「王権」の解釈の問題でしょうね。
どこの国の王権かと言うことです。イエスは「カエサルのものは、カエサルに返せ、神のものは神に返せ」と言いましたね。
イエス自身は地上的利益、価値は自分のものではないと表明している。イエスは「神の国の王権を与えられた者」である。
そこの支配者ということではなく、自分自身の支配者でありマスターである。その者は神の国に永遠の住処を得る。
イエスに神が付きっ切りの感じがするのはメシアであるからです。特別の使命を負った覚者である。覚者には違いがない。
なぜならそれは心の状態を言うからである。特命を負った覚者である。仏陀もそうであり、弥勒菩薩もそうだと言われている。
コテんさん、基本的に私は宗教批判者ではありません、ただ多くの宗教(例外はある)が同じ事を目的としすばらしい導きをしている、
心の問題を取り扱わせれば宗教に勝る者はない、しかし、それぞれの解釈の中に執着し過ぎていて、偏狭で、排他的である場合が問題だと思っています。
しかも、なにか効率が悪い。どこかファンタジー過ぎる、禁止的過ぎる、それを何とかしたいと私は思うだけです。
945 :
絵里子 :2006/11/26(日) 21:13:32 ID:sC/fsaWM
>>943 何に基づいて功徳を積み上げるのですか?・・・
「功徳」をどのように解釈されますか?
>>945 自力救済を達成するために得る神の法、光に向かうために積み上げる高徳。実践。
947 :
絵里子 :2006/11/26(日) 21:23:46 ID:sC/fsaWM
>>946 私は第一に「神の絶対的善」に背かない状態になることと考えています。もちろんその中身が完全に分からないために、
つまり、「見れども見えず、聞けども聞こえず」であるから。貴方の言う、
「自力救済を達成するために得る神の法、光に向かうために積み上げる高徳。実践」。と成なる。
その方法は、知識、知恵、心、霊、そしてそれが(宿されている)肉体を清め高めそれを達成できるための容器、道具、乗り物
と成すこと。と考えています。
>>947 絶対的善でありながら、各々の人間の『知識、知恵、心、霊、そしてそれが
(宿されている)肉体を清め高めそれを達成できるための容器、道具、乗り物』
によるならばあまりにも不安定で相対されたものではないですか?
あなたがいみじくも使った『神の絶対善』とは時間にも空間にも左右されず
あるものですから、だからこそ、神と人間との間には霊的に絶望的な断絶が
存在するのです。
絶望であるがゆえに絶対善は他力により完遂される。
っで、論理整合すると思いませんか?
絶対善を求める割には神が創造した人間はあまりにも不完全すぎる。それは悲劇と
しかい言えないほど。或いは喜劇か。
深夜まで落ちます
950 :
絵里子 :2006/11/26(日) 21:39:08 ID:sC/fsaWM
>>948 絶対善は神の状態であり、人がそれと一体となることが悟りであり、そうなった者が覚者ですから、
悟りを得るために、「知識、知恵、心、霊、それが(宿されている)肉体を清め高めそれを達成できるための容器、道具、乗り物」
と成すのが修行の体系です。不安定を克服することが修行ですあり、相対された者となる必要がある」。
そうです、絶望に近い断絶があるから、命をかけて戦い抜いた者しか覚醒できていない現実があります。
私がMutantさんに興味を持った、唯一絶対の理由はそれです、「絶望」とされたことに対してです。
逆に「他力による救済」の現実的方法はどうなるのでしょうか?
951 :
絵里子 :2006/11/26(日) 22:15:26 ID:sC/fsaWM
>>950 でもMutantさんも、自力も必要と考えてられるわけだし、私も他力は常時注がれていると考えている、
ただその注がれているものを見て掴むのは自力がないとだめであり、掴んだ後も一体化するためにはある程度の自力が
必要だと思っています。ただMutantさん、「他力での救済」は本当に実際にどういった方法があるのか教えてください。
私の知識不足があるかも知れません。
952 :
絵里子 :2006/11/26(日) 23:08:44 ID:sC/fsaWM
>>942 コテさん、遅くなりました。「聖霊」って質問されてたですね。最初にいわないといけないけど、自分自身の確信度は70%です。
そもそも、三位一体の定義自体が抽象的でよく分からないのが難点ですが、私は東方教会の見解がより正確なのではと思っています。
つまり、「父のみから発せられるSpirit」であると。Holy Spiritは炎の舌または鳩で象徴されていますね。
はっきり思い出せないが、「イエスの弟子の額に炎の舌が入った」とか、ヨハネ14章17で「Spirit of Truth」とされていることだと
思っています。つまり「真理を与える神(父)の霊」。
が出てきますね。
953 :
コテん :2006/11/26(日) 23:29:22 ID:TfhBZU+k
>>952 急に言葉遣いが変わったですね。
神もイエスもみ使いも人間も気を出せるけど、聖霊と呼べるものを出せるのは神だけ、
というか神の氣だけが聖霊と呼ぶべきものだ思います。
以前は神の代理でみ使いが力を行使する場合、それも聖霊と呼んで良いかなと
考えてました。つまり神に属する力は全て。
でも、そうすると識別がし難くなるんで止めました。
確信度70%というのは聖霊が氣だと言うことについてですか?
954 :
絵里子 :2006/11/26(日) 23:50:37 ID:sC/fsaWM
>>953 敏感な人ですね、どうしても理論的になっている時には仕方ありません職務ですから。そんなに指摘しないでくださいね。
信じられないでしょうけど、普段はアイスクリームが好きでケラケラ笑う普通の女の子ですよ。
(変身)
そうだと思います、「神だけの真理の力」。インドのサンキャ哲学で言われる、3つの要因が三位一体ではないかとも推測しています。
Rajas,Tamas,SattvaのSattvaの事ではないかと。70%は私の言っていることの自体の信憑性。
(変身)
コテんさん、私、今日はさすがに疲れたので、お風呂入っておやすみね。バイバイ
955 :
コテん :2006/11/27(月) 01:18:05 ID:RsTIEiOa
>>954 あ、今風呂から上がった!(^◇^;) 0:00丁度
別に意味は無いか・・・
>>信じられないでしょうけど、普段はアイスクリームが好きでケラケラ笑う普通の
>>女の子ですよ。
いえいえ、そんなことないですよ。心のバランスが取れていなければ平衡の取れた
見たかは出来ないし、甘露を出せる状態を維持するのも難しいでしょう。
て、人の評価してる場合じゃないなorz
見逃してた、霊だから英語ではSpiritか。まあ高密度の氣を感じて霊だと思うのは
当然ですね。西洋に「石の上にも三年」の文化があったらデカルトに惑わされずに
氣や人間の霊体について研究が進んでもっと正しい見解を示したかも知れないですね。
ひとつ経験談を:
金丹もだいぶ成長して氣の量も膨大になった頃、指先からの氣の放出量も多くなって
ピリピリどころか痛くて痛くて堪らなくなってた。で、複式呼吸しながら太極拳の練習を
してた時に手の平が自分とは別の存在感を表すようになったんですよ。
手の周りが揺らめいているようにも見えた。で、気持ち悪くて振り払うんだけど取れない。
手の平だけ氣をさらに練った神(しん)のレベルにでも達したんじゃないかと考えてます。
もうね、あの頃は書籍もろくに無い頃で自分がどのくらいのレベルなのか、これで良い
のか、この先どうなるのか解らず不安抱えたままやってましたね。
練精化氣 精を練って氣と化す
練氣化神 氣を練って神と化す
練神環虚 神を練って虚に還る
神(しん)の状態では自身の内から知恵が湧き出てきますが、虚の状態になると外界の
理知と繋がるそうです。ここまで来れば神の創造の目的も解るかも知れませんね。
アカシックレコードとか関係してくるのかも。。
956 :
コテん :2006/11/27(月) 01:29:07 ID:RsTIEiOa
>>943 > 光に向かうわけですが、もとは闇の方が先行して在ったのですね。
そうなんですか。どこかの聖典にでも書かれてあるのでしょうか。
> ちなみに宗教にまともなものなんてあるんですか?
うーむ、あるとすれば つ[個人的主観、偏見]
> 比較として害の多少で決めるならばキリスト教は有害であると思います。
あ、言ってしまった!
僕もどうしてもキリストだけは別な気がするんですよね。
インドの宗教指導者だかヨガ指導者の中に、「我々にはメシアが居ない」ということを
認めている人も居るようです。
この言葉には奥深い意味を感じるんですよね。
>>絵里子さん 私は教会に通うようになり12年になります。ですから思考のはじめに聖書という媒体を 用いて聖書ストーリーを順に追っていったんです。 創造→堕罪→エデン追放→族長時代(律法(=自力救済のメソッド)の付与)→新約、メシア時代(他力の付与) 一度旧約聖書に書かれてあるトーラーを読んでいただくとわかりますが まず、現代の我々にとって履行は非常に困難です。初めに神がモーセに石版を与えましたが その矢先にイスラエルの民は金の子牛を祭壇に祭り、神の怒りを買ったのは有名な 話です。 神からトーラーが与えられたその歴史的瞬間にすら人は神を離れ、更に旧約 聖書は人間が神といかに離反していったかを綴った書物でもあるのです。 つまり旧約聖書は人間の神への離反、そして霊的断絶をテーマとしているといっても 過言ではないと思います。 次に神の性質について思考しました。 コテンさんが仰るように創造は一元に収縮していきます。 創造が無限に連鎖したとしても必然として「一元」に向かっていきます。 そして聖書では神は全知全能の創造主であることを記載します。 全知全能でかつ善ならば被造物もまた全て善であります。善からは善しか生まれない からです。つまり我々被造物全てが神の霊的性質を継承するものであり、 その限りにおいてこの世の全ては 創世 1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、 それは『極めて良かった。』夕べがあり、朝があった。第六の日である。
次に神の時間軸について思考しました。 神は時間、空間にも支配されません。それは仏教でも同じですね。 自由に時間を行き来するならば、イエスが磔刑に処された後、イエスの贖罪効力がスタート したのか?というと非常に疑問です。 愛と定義される神、時間、空間に支配されない神が果たして、磔刑後の人間にしか他力救済を 施さないのか?人間の誕生以来、全ての人間にその救済は普遍的に行き渡ると考えるのが妥当と 判断しました。ここの根拠は被造物が善であり、神の分霊でありそれは『極めて良かった』を 根拠します。つまり創造の働きは今尚連続性を持って為されるに関わらず救いにのみ期限を加えるのだろうか? っというテーゼと共に救済もまた時空間を超え為すことは当然に可能だからです。 次に信心について思考しました。 ローマ 3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる 人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するよう になるためなのです。 ローマ 3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。 律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。 ローマ 3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義 が示されました。 ローマ 3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。 そこには何の差別もありません。 ここではイエスの名を強調していますが、神が全世界を創造され、それは善いもので、ひいきなく救いを 与えるならばイエスという名に関わらず『光に向かう信心』こそが信仰であると判断しました。 名はあくまで人間が付すものですからね。 それでは何によって救われるのか? 問題の根幹に入っていきます。 救いとは何であるか?そもそも罪とは何であるか? 罪とは光に反すること。背を向けること。我々が肉に霊を宿す限り光に背を背かざるを得ません。 かといって、イエスは人間が何かをしたからといって中途半端な功徳など微塵も求めません。 絶対善は絶対善しか求めないからです。
>>956 解釈の仕方なのでしょうけど・・・
創世 1:1 初めに、神は天地を創造された。
創世 1:2 地は混沌であって、『闇』が深淵の面にあり、
神の霊が水の面を動いていた。
創世 1:3 神は言われた。「光あれ。」『こうして、光があった。』
創世 1:4 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
創世 1:5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。
第一の日である。
創世記の国産みの物語でははじめに闇があるんですね。
光が闇の中にあるという一元でありながら二元世界を彷彿させる記述なんです。
内容的にはゾロアスター教に近いのかもしれません。
とても不思議な箇所です・・・
そして、闇があるから光が輝くという事実もあるのですね。
光の中には光は存在しない。闇の中でこそ光が存在する。。。
だから、私はこの清濁併せたこの混沌した社会そのものが神の国であるかも
という暴論もどことなく論理性を帯びたもののように感じてしまうのです
>>あ、言ってしまった! 正直、キリスト教及び教会、特に教職者には失望の連続です。 しかし敢えてこの中で私の為すべきことを為すべきか思案中です。 光がここに私を導いたのですから。そして、聖書から受けた薫陶、 啓示は計り知れないものがありますから聖書研究は ライフワークとしていきたいのですけどね。
961 :
絵里子 :2006/11/27(月) 13:31:54 ID:Pv3Q7BlH
私はMutantさんの真摯な姿勢と深い思索的葛藤は好きですね。思索の鏡。男にしておくのは惜しい。 最初から順番に最後まで簡単に流します。 1)だから、一般的な人心はそういった状態であり、「見ることも聞くこともできない」哀れな状態に陥っているのは事実です。簡単であればこの世はすでに一元化されていたでしょう。 2)そうです、神の創造の当初はこの物質界も完全であったことを示しています。ただその後に堕落が起こってしまった、自由意志の故に、 そして人間がこの物質世界を悪の国と成さないために、神は人間を神の国(あくまでも心、意識の状態のこと)から追放しの創造力をかなり縮小させた、 だから物理的に神の国から地上界へと人間が移動したのではない。 3)そうです、だから神の救済措置は、人間を追放した時点からスタートしています。
962 :
絵里子 :2006/11/27(月) 13:33:16 ID:Pv3Q7BlH
4)信心について。 3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。(神の光は万民を分け隔てなく照らす) 3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。(ユダヤ的狭心的教えではなく、もっと広く深く正しい神の認識に従った律法の確立) また、英文では3:24 being justified freely by His grace through the redemption that is in Christ Jesus.となっていて和文では「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」と訳されている。 不明確な翻訳である。まず、by Christ Jesusではなくin Christ Jesusであり、byとは大違いである、キリストの意識の中にある (それは人間個々人の中にも潜在する意識=父は私におり、私は父におり、あなた方はわたしにいる)redemption(救出力)をthrough(通じた)by His grace(恩恵)でjustify(正しきが証明)されることと訳すのが文法的にも正しいはずです。 自力の証明ともなる。ただしby His graceのHisがこの約の要点である、なぜ大文字であるのか?聖書の中で途中でHe、Hisとなる場合は「神」の代名詞の場合が多い。 特に創世記は殆どがそうである。つまりイエスではなく神の恩恵であり、イエスからの恩寵ではないことが要点。 5)創造の章 だから、2)に述べたように元々この物質界は神が創造した「神の国」と同じ状態であったことが書かれているし、現在でも人間が心の状態をキリスト意識に向けるならば、 その人にとってはこの世も当然(その人にとっては)神の国の状態となる。二元性から一元性へ向かうのは心、意識の状態である。
963 :
絵里子 :2006/11/27(月) 14:19:12 ID:Pv3Q7BlH
>>955 コテさんいいですね。「虚」というか老子はそれを「根に帰る」と言っています。
劉貴珍さんの瞑想の階梯を歩まれたらどうですか?やはりSahasraraはどうしても開いていく必要がある。
そうすることでインスピレーション(神の導き)が思考過程を通さずに直感的に把握できる。
そうしないと達成までには無限の時間を要する、というか不可能に近い。それが少し開けば少し理解でき、その理解が
さらに理解を刺激し、後は魔道と利己心と慢心にさえ気を許さなければ、実は自動的に悟りの状態に接近し達成されるはずです。
最初の壁の突破さえできればいいのですが、普通の人はイエスが言うように「ドアをノックもしな」ければ、「結婚式に呼ばれているのに、
実際には来る人は殆ど無い」。
964 :
コテん :2006/11/27(月) 20:28:59 ID:j9Ct3uYc
>959 僕的には聖書は基本的に人間が地上にいた場合の肉眼の視点で記されていると 考えているんですよ。66書全部、原則として。 だから聖霊は気だよとかそういう記述は無く、肉眼の視点で比喩的に書かれている。 天での神と御子の会話などはそこ(霊界)に人間が居た場合の話。 なのでこの創造の部分はまだ溶岩が流れているかもしれない地上に人間が居た場合 の視点で、そうすると空(天)はまだ暗雲に覆われていて、暗雲を分けると太陽の日差 しが降り注いだと解釈しています。 だからこの部分では光と闇の存在の順番は考察できないと考えます。今も星は生まれ 続けているからその順番で良いんじゃないかと。 >960 どこかの教会に入るというのは社会(一元世界)に出るために学校に行くこと、という ふうに最近考えるようになりました。 偶像が初期の信仰心を助けるように、でもそれは根源の現れに過ぎないように。 仙人修行のためにどこかの寺に身を置くことはするでしょうが、仙人がどこかの寺に 属しているという話は聞いたことがないです。祭られてはいるけどそれは人間の行い。 ヨガ行者はどうなんだろう? 今の聖書解釈の多くは実の伴わないもっともと思える理屈のごり押しでしょ。三位一体 とかクリスマスとか。空論でも力で押すからそれが正しいような気になってしまう。 力で押す理屈は危険な方向に向かうと思うんですよね、色々と。 気功やヨガ修行など「静」の重要性が避けられない価値観の元ならもっと正確な正直な 解釈を行ったと思うんですよ。といってもこれはどこの世界も同じか。 まあ、初めからデカルトの妄想を真に受ける程度の文化水準なんだろね。 聖書は確かに創造者からの贈り物だと思う。そしてそれを解く確かな鍵は東洋が発見 していると思う。こうやって東西のバランスが取れている。さすがは創造者!!
965 :
コテん :2006/11/27(月) 21:08:37 ID:j9Ct3uYc
>>963 僕がやっている少林内勁一指禅は劉貴珍氏もやっていたものです。
でも劉氏は改良して独自の功法に変化していたみたいですね。
劉氏の本一冊持ってますが気功療法の本なので瞑想系の功法は書いてなかった。
もう金丹の再生は無理なので、まずは入静と自発動功という状態を維持するようには
目標立ててます。でも社会生活送りながらだとこのレベルも結構大変なのですよ。
だから来年広い部屋に引越して、それから本格的にやろうと思ってた。
太極拳やると ||壁
思い出したけど、手が存在感出してたときに気を見てましたね。目の前で手を左右に
揺らすと白いもやが一瞬見えてた。で、そういう錯覚を見たくない性格なので見て見ぬ
ふりしてましたね。
だから見えるということを知っておけば不安がることもないし、功力の目安になります。
神か虚のレベルの人は常時氣を見てるんですよ。合気道開祖の植芝守平とか気を
見て相手の動きを先読みしてたんですよ。
966 :
絵里子 :2006/11/27(月) 21:58:32 ID:Pv3Q7BlH
>>965 親切な先輩がいて課外にタダで教えてくれるといので時々道場におじゃまして合気道教えてもらったことがある。
円天の理だとかいって振り回されましたけど、理にかなった動きが面白かったですね。
後で植芝吉祥丸とか言う先生の書かれた本をいただきましたが、大本教とかの神道系の宗教的流れが合流していたような記憶があります。
本の中では、満州事変かに出兵されて、鉄砲の弾の飛んで来る道筋も見えたと書いてありました。
>>964 ちなみに三位一体はどこがおかしいと感じてますか?
私は三位一体には態度保留の立場です。
真理も危険性も含むと思ってますので。
職場からですので長レスできません。
帰宅してからレスしますので、こてんさんのおかしいと感じる理由を教えてください。
では。
968 :
コテん :2006/11/27(月) 23:20:07 ID:j9Ct3uYc
969 :
コテん :2006/11/27(月) 23:40:18 ID:j9Ct3uYc
970 :
絵里子 :2006/11/28(火) 00:07:37 ID:BgvCD4gS
>>968 コテんさん、変なのに呼び出さないでね、ズルイ。これは聖書に何も説明がないので聖書から参照できない。
でも興味深いのを今回は老子先生からいただくことにしました。
老子第42章(創造性の原理)
「道から一が生み出される。一から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ。
三つから万物が生み出される。これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、あらゆるものによって包まれる。長所もなく、価値もなく、孤立したものを何も好まない。」
老子先生は三位一体を創造性の原理であると定義しているようです。私が注釈すると:一次元世界から二次元世界が生成され、その統一性の中で物質界が存在する。
(父)である一次元性の中に潜在的に包含された陰陽が、物質界の中に陰陽の二次元要因(子)を送り込むが、それは(聖霊)である真理の霊(スピリット=力)によって養われている、となります。
また、ユダヤ教のカバラはそれを明確に定義しています、3つの創造原理はAleph、Mem、Shinであると。Alephは神の息、Memは神の水、Shinは神の火であると。
その意味は老子と大差はありません。だから聖書では聖霊(真理の霊Spirit)を炎の舌(Shin)で図示する原因となったのではと思います。
>>868 確かに「三」に囚われるとおかしくなるのですね。
しかし、フーテンさんも述べているように、そもそも父と子が同一であり、
子が「父よ」と呼びかけるときそれはイエスでなくとも父子の関係になる。
一体という意味では、私が述べた一元多神と同義であり、そこは真理であります。
「三」という数字がおかしくしてるんですよ。
「三」はあくまでも象徴的なものとして捉えられるならば別になんら問題はない
解釈ですよ。あとは仰る通り政治的な目的も働いて無理やり三位一体の理論体系を
構築した感もありますから、そこには背景が背景なだけにやはり危険性も含むと・・・
確かにフーテンさんのこの見解が的を射てますね。
ちなみに私は汎神論的クリスチャンですので、信条部分でフーテンさんとは
微妙にずれるのですが・・・フーテンさんはもっと狭義の神解釈のようですから。
神は絶対善故に救われるものは絶対善とされ、それ故にそのものは神である。
もしも混じり物を許さないのならば、神の内在るのは神ですからね。
そうでなければ神の絶対聖が崩壊してしまう。
フーテンさんのこの微妙なニュアンスからも決して三位一体が荒唐無稽な 与太話ではないことを読み取っていただければと・・・ あまりにこてんさんが三位一体を槍玉に上げてるので突っ込んでみましたw >>とにかく三位一体は、論理矛盾していながら否定すると間違いになる 引っかけ問題の傑作として、俺は認めてるんですよ。 そして、この言葉遊びにも似たキリスト教の言に対する異常な執着が キリスト教そのものを無明としてしまってるのですがね・・・ 三位一体なんてどうでもいいんですよ。本来。 ただ、あっても「ふーん」程度なもんで、光に向かう作業にはほとんど意味をなさない もんです。もっとも、神学なんてものはほとんどがその類ですけどね。 そして、このキリスト教の執着そのものが迷いであり、私がキリスト教を有害で あるという理由なんです。キリスト教は名に固執します。 名を捨てる作業を説いた釈尊は真の覚者ですね。 もっとも、釈尊もイエスもなく、光は一なのですが。
>>961 そこで疑問が起こるんですね。
人間の罪、苦しみの根源は釈迦の言う生老病死であり、これは全て肉体に機縁する。
何故に神はこの不完全なる肉を備えたのか?
またはこの肉は堕罪以前には別物だったのか?
堕罪と同時に意識に変化が発生したのか?
確かに意識は堕罪後変化しますね。善悪を知るようになりました。
所謂認識の二元化ですね。。。
つまり認識が堕罪以前にはどのようなものだったのか?
意思を持ち、肉を持ち、尚神のうちに住まう認識とは・・・
うーん・・・とりあえず電池切れ・・・
>>男にしておくのは惜しい。
この言い回しが妙に気になるw
絵里子さんがどんな女性像または男性像を持ってるのやら
974 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/11/28(火) 03:52:31 ID:aWN07c7T
>>961 >男にしておくのは惜しい。
おまえも馬鹿だな。所詮は女。女に生まれた者は、阿羅漢にはなれても、仏陀にはなれない。
つまり、自らの能力で、悟りを開くことはないだろう。所詮は女の浅知恵。
お前は、己のその業ゆえに、女として生まれたのだ。それがわからんのか?
どうせいうなら、おまえこそ、女にしておくのは惜しい。
男と、女の意味がわかるか?女は、自らを男性にしなければ、真の命はない。死人のままだ。
三位一体は、聖書には直接書かれてはいない。後の者が決めた教義だ。
だが誤りではない。聖霊への導きあながち嘘でもない。ま、なんとか会とやらの三位一体の教義や、
連中の手により、キリスト教をバッタもんにしたのは、意味があるんだがな。
男と女は本来一つであった。男と女が一つあったとき、死はなかった。男と女が別れたとき、人に死が入り込んだ。
父とは男性である。聖霊とは女だ。子宮を持つ女は、命を生み出す。女は子を生む。
父のものを相続するのは父の子である。父に似せて創造された子は、父である。
975 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/11/28(火) 04:13:51 ID:aWN07c7T
罪を犯した悪霊共は父の元を離れているが、聖霊は父と共にいる。 元の夫から離れ、肉の異性と結ばれる女は、全て姦淫の罪を犯している。 姦淫により生まれた子は、全て呪われる。その報いは、死だ。 誰もが、自分の肉の父と、肉の母を憎まない者は、油塗られし者、キリストにはなれないだろう。 肉の父と母は、私に偽りの命を与えた。 だが真の父である天の父と、真の母である聖霊は、私に真の命を与えたもう。 アーメン。
976 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/11/28(火) 05:26:44 ID:aWN07c7T
恋人といるかけがえのない一時。心地よい音楽が流れ、最高に幸せな時間。 だがこの幸せな一時も、いつまでも続かない幻。 かけがえのない恋人とも、私達の時が終われば、いつかは別れが来るだろう。 肉の幸せは、なんとはかなく、もろいものか。 だが、真のクリスチャンなら、愛し合う二人は、永遠に結ばれる。 真のクリスチャンなら、たとえこの肉が滅びようとも、今の私が消え去ろうとも、永遠に一つに結ばれる。 元の花婿と結ばれる女は、永遠に一つに結ばれるのだ。こうして愛する二人は、永遠に結ばれる。 人がどうして自由意志を持ったかだと?あたりまえだ。父に似せて創造された子は、父である。二人は一つなのだ。 父がどうして自由意志を持たないであろうか。父である子が、どうして自由意志を持たないであろうか。 他力本願などと寝言を言ってる奴に、救いはない。絶対他力というが、その他力とは、誰の力のことだ? おまえは、自分が何者か知らないのだ。自分を救うのは、自分自身しかいない。
977 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/11/28(火) 05:37:23 ID:aWN07c7T
人は無知の中にいる。無知は、再びこの世の生存を生み出すだろう。 お前は何者か?お前はどこから来て、どこへ帰るべき存在なのか?それを知る者は少ない。 自分を救うのは、自分自身しかいない。 己の心を変えるのは、己自身しかいないのだ。 他人に対する嫉み、嫉妬。我々が持って生まれた、利己心。これらを大事にし、そのままにしている者は、 助からないよ。時が終わる時、永遠の無に帰されるだろう。肉を殺す者を恐れるな。恐れるなら、このことを真に恐れよ。 真の無をね。
978 :
コテん :2006/11/28(火) 07:08:20 ID:lGIF1WeO
>>970 へ、変なの?! これは失礼しました。 ズルイ云われても(´・ω・`)
聖書といっても翻訳が色々あるんで諸所の背景も必要かと思いまして。
「道【神】から一【子】が生み出される。一【子を通して】から二つのもの【陰陽物質界】
が生まれ、二つから三つのもの【陰陽が交わったもの】が生まれ。」
は、どうでしょうか。
三つから万物が生み出されるとは、陰陽の融合と、その交わったものの分離が繰り
返されることによってということです。これは陰陽論だったか、易学だったか・・
老子先生は数字を使ってるから3というは意味を持たせ易いですね。まあ聖書との
ルイージは確かにありますね。
老子先生の方が詳しいのは凡人に教えた記述と覚醒した先生との違いかな?
絵里子さんを変なのに呼び出したお陰でまた理解を得ました(・∀・)
979 :
コテん :
2006/11/28(火) 07:20:30 ID:lGIF1WeO >>972 そうですね、キリスト教に3を持ってくるのは厳しいですね。
今気付きました。
これからは三位一体と言われたら「そうだね」て感じにしときます。
突っ込んでくれてありがとう!