○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○

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615渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
双樹林下往生・難思往生・難思議往生という場合の往生とは、仏道を学ぶ世界に加わるという
ことだ。通学している自分の学校の学園祭で観客に向かって歌を歌っても、芸能界に入ったとは
言わないが、自分が歌った歌をレコーディングし、流通機構を介してCDを販売すれば、芸能界
に入ったと言われるだろう。通学する学校の同人雑誌に小説を投稿しても文壇に入ったとは言わ
ないが、芥川賞、直木賞を受賞すれば文壇に入ったことになるだろう。芸能人の世界を芸能界と
いう。作家の世界を文壇という。仏道修行者特に浄土教仏道修行者の世界を極楽浄土という。芸
能人は芸能界にデビューする。作家は文壇にデビューする。仏道修行者は極楽浄土にデビューし
て往生する。

 往生は、輪廻を断絶する。まず、分かりやすい輪廻から考えよう。
 獣の心で獣の行為をする者を獣という。鬼の心で鬼の行為をする者を鬼という。人間の心で人
間の行為をする者を人間という。生きとし生けるものには、意思と行動がある。意思を「願」と
言い、行動を「力」という。
 昨日まで人間の心で人間の行動をしていた者が、今日は鬼の心で鬼の行動をしだすことがある。
さっきまで有頂天でいた者が、突然に獣となり、さらには地獄にも堕ちる。地獄の底で真人間に
なることを誓ったものが、ほとぼりが冷めると再び獣となることもある。
 馬鹿だった。馬鹿だった。人はしばしばこのように後悔する。後悔して、後悔して、後悔し、
舌の根の乾かない内に、次の瞬間には鬼の手下になって鬼となる。鬼になって有頂天になること
もある。
616渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/09(水) 17:53:10 ID:uqYvccsE
 鬼となり、獣となり、あるいは真人間になり、そして地獄にも堕ちる。節目節目で人は意思と
行動が変わる。意思と行動が変われば、人は人格が変わる。人間が変わる。古い自分が死に、新
しい自分が誕生する。新たな人格を持ち、新たな決意で再起し、新たな行動を起こして新たな人
生をスタートしても、やがて人は彷徨する。心は急ぐが、行動が言うことを利かない。何をして
いいのかわからない。あるいは人は疲弊する。行動は惰性で続いていても、心は早々と変わって
しまう。意思が変わり、行動も継続を放棄すれば、挫折する。
 人は、生(再起)・病(彷徨)・老(疲弊)・死(挫折)を繰り返す。再起と挫折を繰り返す。
生・死・生・死を繰り返す。中途半端に再起すればやがて中途半端に挫折する。中途半端な挫折
は、中途半端な再起を生み出すだろう。仏教ではこれを迷いという。

 釈迦の十二因縁の法則は、無明を原点にして生老病死に至る。人は生死・生死を繰り返し、生
死・生死の一こま一こまの中で獣となり、鬼となり、有頂天になったかと思えば、地獄にも堕ち
る。獣が鬼になっても、獣の中の霊魂だけが鬼になったのではない。獣の全人格が鬼になったの
だ。鬼が天を舞うように有頂天になれば、鬼の霊魂だけが有頂天になったのではない、鬼の全人
格が鬼になったのだ。
617渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/09(水) 17:54:30 ID:uqYvccsE
 人は、自らの無知と無能を本質とし、再起・挫折・再起・挫折を繰り返す。今のこの私の再起
・挫折・再起・挫折、生・死・生・死は、私の肉体の誕生で始まった物ではない。肉体の消滅で
終わるものでもない。今のこの私の再起・挫折・再起・挫折は、無明を本質とし、過去、無数の
人々が始めなき始めから繰り返してきた再起・挫折・再起・挫折の無明と寸分の違いもない。今
のこの私の再起・挫折・再起・挫折は、無明を本質として生・死・生・死を繰り返す。無明は霊
魂だけの問題ではない。精神だけの問題ではない。肉体だけの問題でもない。これは、私の意思
と行動の全ての本質である。その同じ無明をもって、やがて今後も無数の人々が寸分の違いもな
い同じ再起・挫折・再起・挫折を経験していくだろう。今、この私が無明を本質として、鬼とな
り、獣となり、地獄にも堕ちていくこの道は、かつて、無数の人々が、私と同体の無明(霊魂で
はない)を本質とし、繰り返し繰り返し浮沈を繰り返してきた同じ道である。今後も無数の人々
が、私と同体の無明(霊魂ではない)を本質として繰り返していく同じ道である。

 私の無明は、決して私で始まった物ではなく、私の死で終わるものではない。無限の過去から
無限の未来に向け、とどまることなく続く同体の無明の一本道の一部を、今、私は私の生老病死
として経過しているのにに過ぎないのだ。

 千年の暗室であっても、一本の蝋燭の火で破れる。無明は一度破れれば、二度と戻ることはな
いない。さあ、光に向かおう。浄土教はこのように、光の世界への移行(往生)を勧めてくる。
    つづく