○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○

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24渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 ちょっと。脱線します
 外のスレで、渡海難は坊さんなんじゃないかと書かれています。坊さんではありません。坊さんではあり
ませんから、本願寺などとは違った考え方をしています。
 どういうところが本願寺などとは違った考え方なのか、そこを明らかにします。
 違いはたくさんあります。一番大事だと思うところを一つだけ書きます。

 教行信証 行の巻
 浄土五会念仏略法事儀讃に云わく、それ如来、教を設けたまうに、広・略、根に随う。終に実相に帰せし
めんとなり。 〜  如来常に三昧海の中において、網綿の手を挙げて、父の王に謂いて曰わく、王いま座
禅してただ当に念仏すべしと。

 五会法事儀讃略抄(専修寺蔵)、親鸞の肉筆文は言います。
 それ如来、教を設け下(たま)うに広略根に随(したが)ふ。終(つい)に実相に帰せしめむとなり。真
の無生を得む者には、熟(たれ)か能(よ)く此(これ)を与えむ哉(や)。然(しかる)に念仏三昧は、
是(これ)真の無上深妙の禅門なり。弥陀法王四十八願の名号をもって仏を為(な)して願力を 事(こ
と)にして衆生を度したまふ。 〜 如来常に三昧海の中に於(お)いて、網綿(もうめん)の 手を挙げ
て、父の王に謂いて曰わく、王今座禅してただ当に念仏すべしと。あに離念に同じて無念を求めんや。生を
離れて無生を求めんや。 〜 如来禅と名づく、二乗外道等の禅に非ず、信(まこと)に知る可し。