301 :
270:
>>299 ちょっとややこしいが、我々人間はあくまでも神(人間)に似た形、神(人間)の像であって、
本当の人間というは神ただ一人ということだよ
これを神的人間性という
303 :
270:2006/09/16(土) 23:18:00 ID:BESNdIRv
304 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 23:32:25 ID:3+JUzOXz
>>302 >我々人間はあくまでも神(人間)に似た形、神(人間)の像
何故、人間が神に似なければならないのか・・・、理解に苦しみます。
305 :
名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 23:36:44 ID:kcY4hgnV
>>304 残念だが神にかたどって造られた以上仕方ない、あきらめなさい
君はもし神に似た像でなければ、こうやって意志することも
考えることもこのスレを見ることもできなかったのだよ
それとも犬や猫のほうがよかった?
ちょっと遅レスだがヒンズー君にレスを返しておこう
さてと、君は
>>234でヨハネ16:12を引用したが、同じ16章の25節でイエスはこうも言っている
「 これらのことを、私はあなたがたにたとえで話しました。
もはやたとえでは話さないで、父についてはっきりと告げる時が来ます。」
ヒンズーの人である君に言ってもしょうがないのだろうが、これをどう思う?
主御自身がやがてたとえの真意が明かされる時が来ると約束されている
主御自身が御自身の秘密を明かすのである
また、 「論理の出発点は説明できず三位一体説も神もわれわれ人間の理解を超えたものなのです」
とも君は234で書いた、つまり主発点それ自体は確実に存在するであろうが、
しかしそれは説明できず理解も出来ないと君は書いた、確かにそうだろう。
では君は君の言う出発点を、それが何かはっきりは分からないにせよ、
それでも出発点というものは存在するということをいかにして見いだしたのであろうか?
モーツァルトの音楽の美は、実際に彼の作品を聴くことで初めて味わうことができる
彼が紙にペンでスコアを書き、それをオーケストラが鳴り響かせることによって。(今は家電製品があるけど)
しかし実際の音になり、人の耳に届くまでは、作曲者以外は誰もその美を味わうことはできない
モーツァルトの音楽を一度も聴いたことがない人がモーツァルトの音楽の美を味わうことができようか?
人から噂は聞くことができるだろう、「モーツァルトの音楽はいいよ、一度聞いてみたら」と
他人のいろんな情報からモーツァルトの音楽がどんなものか想像はできるが、
しかしやっぱり実際に聞いてみないと正確なことは何一つ分からない
つまり我々は、出発点を直接見ることはできず、出発から発した終局点を知覚しうるに過ぎない
その終局点(結果)は出発点を内包しており、出発点の完成点、究極点であり、
その知覚された終局においてのみ出発はそれを見いだせる人間にのみ秘めた形で己の本質を表す、
つまりモーツァルトの美は実際に音として鳴り響く終局点(それ自体は単なる空気の振動に過ぎないが)
を耳から採り入れることによって初めて美という出発点を終局の中に見いだすことができる(不思議なものだが)
まあ何度も何度も聞いて頭で憶えてしまって頭の中で響かせるってこともあるが、それは置いとくとしてw
あるいは君が
>>247で紹介した無神論者が精巧な模型を見なければあそこまで根源の法則に想いを
馳せることはなかったことである程度理解できるだろう、いわば終局は出発という本質の本質が
形を取ったもの、いわば「可視的出発」と言えなくもない
つまり出発点としてのみの神性を追い求め、崇めることは、
モーツァルト本人があくまで曲想を本人の頭の中で暖めている段階で、
まだその曲が世に出ておらずその曲がどんな曲か分からないのに、
その段階でその曲を味わおうとしているようなものなのだ
あるいはヴェートーヴェンが第8交響曲しか発表してない段階で、
「いやー彼の第9交響曲は素晴らしいね」と言ってるようなものだ
あるいはぶどうの実ではなくぶどうの種でぶどう酒を作ろうとしているようなものだ
神的な出発点というものそれ自体に想いを馳せるなとはいわないが、
結局それのみをいくら人智で空想してそれが何なのか、どんなに考えても空想の域を出ない
つまりひたすら神性の出発点のみを崇めるということは、結局知らないものを、知り得ないものを、
どうやっても正確に把握し得ないものを、あるいは悪い意味で絶対無を崇め信じるようなもので、
むしろその実態は無神論、自然崇拝に近く、実は神的なものは何も信じていないと言えるかもしれない
聖書の神は「初めであり、終わりである神」であり、決して初めだけの神、あるいは終わりだけの神ではない
かつ初めの神と終わりの神の二神が存在するわけではない、そんな風に考える者は聖書が分かっていない
実はあくまでヒンズー君にいってるのではなく、
聖書を信奉する者へ言ってるのだけどね
いやいや皆さん大層長文で失礼しました
他の方、どしどしレスしてね♪
310 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 00:23:29 ID:5gUq+AS6
>>305 見ましたが、どれも空想論でしかありません。
>>306 >神にかたどって造られた以上
あきらめるもなにも、そんなこと認めてなどおりませんが・・?
君が認める認めないの問題ではないよ
それが事実だということ
では君は人間は誰が造ったと思う?
君も無神論者か?
312 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 00:34:58 ID:5gUq+AS6
>>311 何が事実なのですか?
だれも事実を証明できていませんが?
無神論者ではありません。
神は存在すると信じていますが、
皆の言うような、イエスであったり、
偶像であったりする考え方がおかしいと思っています。
では君の信じる神とはいかなるものかな?
314 :
ヒンズー:2006/09/17(日) 00:46:34 ID:W9fvsb3O
すみません返すの遅れました
小さなヨハネさんによると
>なぜキリスト教がこれほど広がったのかというと、それは
主が神であったからです。主が神だったからこそこれほど
の影響力があったのです
とのことですがいろいろ議論の余地はあるとおもいますが
キリスト教が人類に対して果たした役割は非常に大きいと思います
やはり神を信じていたからこそ偉大な科学、芸術が生まれたんでしょう
それが論理的に一貫しているかはともかく
神への思索なしにあれだけの文化を築くのは不可能だったと思います
いやいや君は私の100倍は誠実だよ
そらからなんつーか、人間って見えない神に想いを馳せるのが好きなんだよね
でもね、できればね、君は聖書も読むようだから、
神とはインマヌエル、すなわち、「わたしたちとともにおられる神」である
すなわち言葉が人となった見える神であることを、
今は無理でも将来分かるようになれば、
君はそこらのキリスト教徒よりずっと偉大になれるよ
ちょっとwikiでヒンズーのことを調べてみたけど、おそらくシヴァ神というのは
贖いの方面の神性をあらわしているように思える、後の二神は現時点ではよく分からん
キリスト教での贖いというのは、神御自身が地獄と戦い、
これを征服して新しい天界と教会を設立し人類を救うことにある、
地獄とは人間が産み出す悪と誤謬のこと
この贖いの業も今のキリスト教界では真意が知られていない
ヒンズー教にはありませんか、英雄の冒険神話とか、世界救世の話とか
316 :
ヒンズー:2006/09/17(日) 01:06:50 ID:W9fvsb3O
信仰というのは恋愛にもたとえられると思います
男女が恋をするのはホルモンの作用によるものである
というのはたしかにそのとおりですが人を好きになっている最中に
そういう考え方をする人はいないと思います
パスカルもこう言っています
人間のむなしさを十分に知ろうと思うなら恋愛の原因と結果とをよく
眺めてみるだけでいい
原因は私にはわからない何かであり、その結果は恐るべきものである
317 :
ヒンズー:2006/09/17(日) 01:25:22 ID:W9fvsb3O
そうですね 自分はヴィシュヌ派を信仰していますが
ヴィシュヌは世界が闇に包まれたときさまざまな姿に化けて
悪と戦い世界を再構築する神です
英雄の冒険神話とか、世界救世の話とか多いです
318 :
188:2006/09/17(日) 01:29:35 ID:zJntEm17
こんばんは、
>>188です。
おお、だいぶレスが進んでますね。
皆さん、聖書や神について並々ならぬ関心がおありのようで。大いに結構。
>>307、
>>308 神について、あなたは
「ウーシア(本質)とエネルゲイア(活動)」という言葉をご存知でしょうか。
聖書によれば、神の「ウーシア(本質)」は、我々限界ある被造物である人間には完全には理解できません。
しかしながら、神は我々人間に、聖書を、また主なる神であるイエスご自身を通してご自身を啓示され、つまり「活動(エネルゲイア)」されました。
我々はこの「神のエネルゲイア」によって、神について、また人について、また人の状態と救済について大切なことを、幸いなことに知ることができるのです。
あなたは
>>308で、
>出発点を直接見ることはできず、
とおっしゃっています。
その通り、そもそもの出発点である神の本質ουσιαは、見ることも、理解することも不可能です。
しかし、神はモーツァルトが実際に曲を書き、残したように、またイエスや歴史において実際に曲を「演奏」されたように、我々へενεργειαされたのです。
なので、「出発点を見る=本質をいかにして知ることができるかどうか」という話は、人間の側ではしなくてよいし、そもそも、聖書によれば、そんなことはできません。
319 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 01:40:14 ID:zJntEm17
神について知りたい?
ならば神の幸いなενεργειαである聖書に聞くことです。
しかしながら、人は神のουσιαを理解できる、などとは考えない方がいいでしょう。
ムリに解釈しようとすれば、神が一人芝居のスタンドプレイヤーになったり、
なぜだか三つになったり、
父なる神と子なる神がケンカを始めたりしてしまいます。
これらはすべて、
「神のουσιαを人間が完全に理解しよう」
という一種の傲慢の結果、生まれてしまうもので、
結局、聖書に啓示された生ける神とは程遠いものになってしまうのです。
ヒンズー君、君への返事はまたいずれとすることにするよ
>>318 確かに「いまだかって神を見た者はいない」と聖書に書かれてある
しかしその次に「父のふところにおられるひとり子の神が、
神を解き明かされたのである」(ヨハネ1:18)と書かれてあるのをどう読む?
つまりこの人が見えない神を解き明かされたのなら、
この人の言葉を追うことによって見えない父とはいかなるものか、
ある程度は把握し、理解しうるのではないか?
でなければ、解き明かされたとは書かないだろう
321 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 02:19:01 ID:zJntEm17
>>320 さっそくのお返事ありがとうございます。
>しかしその次に「父のふところにおられるひとり子の神が、
>神を解き明かされたのである」(ヨハネ1:18)と書かれてあるのをどう読む?
この「ひとり子の神が…解き明かされた」ことこそ、神のエネルゲイアである、といえるでしょう。
>確かに「いまだかって神を見た者はいない」と聖書に書かれてある
そう、神のウーシアを見ることは、人にはできません。
322 :
ヒンズー:2006/09/17(日) 02:21:04 ID:W9fvsb3O
「父のふところにおられるひとり子の神が、
神を解き明かされたのである」
どういう意味なのか考えてもよくわかりません
暇なときに本を読んで考えてみたいとおもいます
323 :
クリスチャンの婚前交渉を許さない会:2006/09/17(日) 02:23:42 ID:GFRAQUPc
>>322 いずれの機会に説明してあげよう
>>321 あなたも父なる神と、子なる神を、それぞれ独立した人格を持つ別神と
考えているのですか? ヨハネ10:30には「私と父は一つです」とありますが
今日は日曜とはいえ、だいぶ夜も更けた
小生ひとまず落ちる、では
326 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 03:08:27 ID:2eimDGTm
てかキリストって最近生まれてきたんじゃねーの?
その前の聖書の神はTHVHだよな?
それが転生してのがキリストってことになってんの?
じゃあなんでキリストは「神が〜」とか他人のことのように言ったり
神の子という設定になってんの?
というかお前ら比喩表現ってのを知らないの?wwwwwww
327 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 03:23:22 ID:zi5SYNWF
自作自演
328 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 18:43:25 ID:pysiwueI
実にクリスチャンは主イエス・キリストが神であることを知りません。
それを知ったらどれほど救いがあるでしょう。父なる神がそれほど
私たちを思ってくださったということを。
329 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 18:45:31 ID:pysiwueI
しかしながら、それを知ることは長い長い試練を経験しないと
無理でしょう。試練を通じて初めて人間は神を求めるのです。
330 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 18:54:53 ID:pysiwueI
神を知ることは出来ない出来ないと言う人がよくいます。
しかし、そんなことはないと思います。神は私たちに知って
欲しいと願っておられる筈です。そうでなければどうして
この世に降られて、磔にまでなるでしょう。
331 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 18:56:04 ID:pysiwueI
神を知ることは出来ないと言う人は結局は無神論なのだろうと
思います。
332 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 18:58:03 ID:pysiwueI
>>327 私は自作自演はしません。嘘をつかないと言えばそれも嘘に
なるでしょうが、嘘はできるだけつきたくないと思っています。
333 :
ゆみちゅん:2006/09/17(日) 20:01:01 ID:zi5SYNWF
小さなヨハネさんへ、謝罪します。誤解でした。m(_ _)m
334 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 21:02:13 ID:2eimDGTm
神はヤハウェで神の子がキリストで、2人は別物じゃないの?
335 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 21:12:23 ID:hCd4nRX/
キリストが神なら偶像崇拝を禁止している教会にキリスト像があるのはおかしいだろ
336 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 21:22:10 ID:pysiwueI
>>333 どういたしまして。
>>334 神に子はいません。神は唯一の存在です。
>>335 偶像とは彫刻のことを意味しているのではありません。
わたし達の欲望を意味しているのです。それらを崇拝
してはいけないという意味です。
337 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 21:30:08 ID:pysiwueI
神について知ることはできないと言いながら、片方で
神の三位一体論を講釈するのです。知ることが出来ない
と言うのならそれは嘘ということです。
一位三体というべきだろう。
霊がいて、イエッスがいて、
神さんがいるなら、
俺は今後、一位三体と言う。
用語は、正確に翻訳しなければならない。
341 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 21:38:56 ID:pysiwueI
神を知ることはできるのです。
ホセア6・3
「我々は主を知ろう。
主を知ることを追い求めよう。
主は曙の光のように必ず現れ
降り注ぐ雨のように
大地を潤す春雨のように
我々を訪れてくださる。」
アヴィラのテレサ/自叙伝37章・2
「よりよく神を知る者は、より多く彼を愛し、
たたえると私は知っておりますから。」
342 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 21:41:27 ID:pysiwueI
>>338 三神を考えているのなら同じです。胴体が一つで頭が
三つある神など化け物です。そんなものはありません。
343 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 21:45:14 ID:pysiwueI
実に一般の人を基督教から遠ざけているのはこの三位一体論です。
神が三人いるなどと信ずるのは正気の沙汰ではないと常識ある
者は皆思っているのです。それでは近づけません。
344 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 21:52:37 ID:pysiwueI
主はわたし達に主を求めよと言われます。
ルカ11・9−13
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば
与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をた
たきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める
者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに
蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるの
に、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良
い物を与えることを知っている。まして天の父は求める
者に聖霊を与えてくださる。」
詩篇53・2−3
神を知らぬ者は心に言う
「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。
神は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
345 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 21:58:35 ID:x/rh9FUa
だめだこりゃ。ひとり芝居モードに入っている。
>実にクリスチャンは主イエス・キリストが神であることを知りません。
おいおい、神が肉において現れたことを告白する人たちがクリスチャンだよ。
これはちょっと思い込みが過ぎませんか?
346 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:15:52 ID:x/rh9FUa
>>343 三位一体は三神論ではありません。
父、子、聖霊の三格位(ペルソナ)にいまして、ひとりの神(ホモウシア)です。
子は父の中におり、父は子の中におります。聖書にそう書いてあります。
神が重層的とか、相互内在だからと言って、主イエスが父であるとか、
みどり児が御父だとか、普通は決して言いません。
父が子の中におり、子が父の中におるのは、別の位格(ペルソナ)だから可能です。
347 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:27:06 ID:2eimDGTm
三位一体なんて聖書のどこに書いてあるんだ?
もしイエスが神の子じゃなくYHWHという神自身なのなら
なんでイエスは自分は神だと言わなかったのか。
なんでイエスは神の「子」と書いてあるのか?
348 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:31:46 ID:LT0Cw8jz
>>346 一人の人間でも、男、日本人、作家、みたいなものか。
でも、人間の父、子という言葉を使うのは、誤解を招くと思う。
違う言葉で、父、子、聖霊を説明できないのだろうか。
というか、三位一体の父、子、聖霊の定義って何?
349 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:33:53 ID:2eimDGTm
いや、だから聖書のどこに書いてあるんだよ・・・
三位一体とか妄想というか人間が勝手に考え出した解釈だろ。
350 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:46:38 ID:x/rh9FUa
>>347 イエスは言っております。「わたしはある」と!
YHWHの意味は知っていますね?
351 :
小さなヨハネ:2006/09/17(日) 22:47:25 ID:pysiwueI
>>347 主はご自身が「私はある」であると言われています。
それは神の別名です。
ヨハネ8・24
だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、
わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを
信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬこと
になる。
しかしなぜ子と言われたのか、それは推測ですが、後世になって
私たちは主が神であることを信じなくなることを主はよく御存知
であり、全く主を神と切り離してしまうと私たちは神を認識しなく
なってしまうのでやむを得ず、子と表現して神との関係をかろう
じて保つことを良しとされたのだと思います。
352 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 22:58:24 ID:2eimDGTm
YHWHの意味はヘブライ語動詞の「なる」の使役・未完了形だから
「(私は)ならせよう」という意味だが
353 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 23:02:01 ID:2eimDGTm
でも俺はYHWHの意味説にはあんまり賛同できないんだ、
なぜなら古代ヘブライ人の間では数多くの記号や印を文字でつかっていた。
YHWHの発音はたとえヘブライ語でも発音するには難解すぎる。
えやぁほわぁうヴぇぁ〜って感じ発音しなくちゃならないが、いくらなんでも無理が
あるでしょ。
だから個人的には象形文字のようにYHWHというのは神を表す記号だと
思ってる。
354 :
名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 23:26:14 ID:LT0Cw8jz
>>350 それって、我思う、故に我あり、と同じだと思う。
355 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 02:10:54 ID:S9osIL8g
356 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 02:21:37 ID:S9osIL8g
357 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 02:58:41 ID:S9osIL8g
ヘブライ語は昔は母音を書かなかったので文脈であてはめて判断すると
聞きましたが、するとかなり難しいですね。
359 :
りかい:2006/09/18(月) 04:42:15 ID:+YK6z8vv
神は矛盾を含むのでしょうか?
360 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 07:17:28 ID:rrLZtOhY
>>346 >三位一体は三神論ではありません。
>父、子、聖霊の三格位(ペルソナ)にいまして、ひとりの神(ホモウシア)です。
>別の位格(ペルソナ)だから可能です。
「別の位格(ペルソナ)」とは別人という意味です。別人が一人とは
全くの矛盾であり、良識のある人にはそれは明らかに間違いであること
が分かります。だから基督教は受け入れられないのです。
361 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 07:22:11 ID:rrLZtOhY
>>359 神が矛盾した存在なのではなく、矛盾した存在である人間に
合わせた表現で書かれているに過ぎないのです。そうでない
と人間は受け付けないからです。
地球が自転しているにも拘らず、日が昇ったと言うのと同じ
です。
362 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 07:26:13 ID:rrLZtOhY
>>357 ホームページの作者は主イエス・キリストを唯一の神ご本人と
認識しているのでしょうか。単に神と等しい方で、父なる神と
並んで二人の神というなら間違いです。それは三神論に過ぎま
せん。
363 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 07:30:34 ID:rrLZtOhY
神は知ることが出来ないと言いながら別の位格だなどと
説明する事自体矛盾しています。知ることが出来ない
なら無神論です。
364 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 07:31:06 ID:S9osIL8g
365 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 07:36:52 ID:2wUB0gqn
俺の推理じゃ、ヤハウェ=神で
キリストは神の次に座する神の子(たぶん明けの明星かミカエルのどっちか)
で、それがなんらかの形で地に降臨して人間として生を受けたのだと思う。
366 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 08:00:39 ID:S9osIL8g
365さんの考えかたは異端のエホ証そっくりダョ。イエスを最初の被造物天使長ミカエル或いは 箴言にある神の知恵と同一にしようと思い込み 傍目から見ると笑えるけど、某団体は最初の被造物明星ルシファ・ルシフェルとイエスを混同してしまい いわゆる悪魔教会が誕生している コワイよ!
367 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 08:22:01 ID:2wUB0gqn
エホ証???
とにかく俺は無宗教だからどこにも属してないよ。
カトリックもプロテスタントもその他のマイナー宗教も賛同できない。
どうして神を知ったり聖書を信じるのに宗教組織が必要なの?
ナチュラルに古代書物として聖書を読んでる俺はそれが知りたい。
俺の記憶じゃ、最初の被造物はミカエルじゃなく明けの明星だと思ってる。
それにルシファって名前は聖書にないから明けの明星のことを指すのだろうけど
、たとえ明星が地に落とされようとも、元々高位であった事実や被造物として
つくられた順序は変わらないだろう。
368 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 08:38:19 ID:S9osIL8g
マア 立派な考え方ですこと。同意いたします。(^^)♪
369 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 09:34:32 ID:cdd3yj3j
キリストもヤハウェも神ではない。
神であれば、聖書の訳分からん引用はせずに、
皆に分かるように説明できますか?
どのスレ見ても屁理屈こねているだけで
誰一人として説明できている人はいません。
中には必死に自分なり説明しようとしている人もおりますが
その姿勢には賛同します。
370 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 10:42:33 ID:rrLZtOhY
>>369 真理を心から希求する人でないと神は見出せないでしょう。
説明することは難しいのです。据え膳を要求するような人は
真理には遠い。
371 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 10:47:45 ID:rrLZtOhY
神を認識するには真理を探求しようとする飽くなき願いと
強烈な試練が必要です。その願いを持ち、試練に耐え抜く
だけの力を持ち合わせる人は少ないのです。
372 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 12:50:01 ID:S9osIL8g
いわゆる狭き門ね♪
373 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 13:06:18 ID:gcEqLrZg
>>21 レムナント自体が、ちょっと怪しいところだと思うけど。
少なくとも、メジャーではないよね。
そんなところに出入りしていても、全然身元の証明にはならないよ。
374 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 13:10:33 ID:gcEqLrZg
>>371 あなた、なんでカトリックになったの?
カトリックに相反する思想(スウェーデンボルグ)を信奉しながら、
そこで洗礼を受けるのは、カトリックに対しては勿論、自分に対しても失礼では?
375 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 13:16:26 ID:gcEqLrZg
>>360 神は、何でもできる。
銀河系を作ることも、宇宙を生み出すことも。
よって必要であれば、三つの顔を持って三様に振舞うこともおできになる、
これがキリスト教の共通認識。
論理的におかしくはないと思うが。
376 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 13:42:48 ID:S9osIL8g
人は自分が理解できる形に神をあてはめようとする。
378 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 23:09:40 ID:cdd3yj3j
379 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 23:52:04 ID:rrLZtOhY
>>374 主の教会は本来一つであり、それはカトリック(ギリシャ正教?)
であろうと思ったからです。三位一体は並列的ではなく重層的に
捉えるなら間違いではないのです。現に主を神と認識している人
はカトリックにもいる(いた)でしょう。マザー・テレサやピオ
神父のように。
380 :
小さなヨハネ:2006/09/18(月) 23:56:48 ID:rrLZtOhY
>>378 今まで説明したとおりです。主は「私はある」という方
です。それは神という意味です。
そして基督教がこれほど影響を持ち得たのはそれが真実
であったからです。
381 :
ゆみちゅん:2006/09/18(月) 23:58:39 ID:S9osIL8g
寝よ。
イエスが神なことは聖書をチャンと読めば明らかですよ!
ヨハネ1:1言葉は神なりき。
異端な聖書でない限り
我はアルパであり、オメガであり、最初であり最後であり
一度は死んだが 代々限りなく生きている。
キリストでしょ。
我が神 我が主
トマスはイエスに向かって叫んでいるよ
ステパノも同様に
主イエスよ!
382 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 00:41:55 ID:ou0RCu3s
ローマ書3・29、30
それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でも
ないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神
は唯一だからです。
ローマ9・5
キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、
アーメン。
ヨハネの手紙1・5・20
わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内
にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。
キリストに倣いて/3・21・1
いとも甘美でいとも愛すべきイエズスよ、(中略)私の神よ、
キリストに倣いて/3・21・2
なんとなれば、私の主なる神よ、
キリストに倣いて/3・21・3
ああ私のもっともお愛しする浄配イエズス・キリストよ、もっ
とも潔い愛人よ、すべての被造物の支配者よ、飛んで行って主
の裡(うち)に休むことができるように、真に自由な翼を私に
与えてくれる者はだれでしょうか。ああ主のいかに甘美でおい
でになるかを、ゆっくりと見ることのまったく許されるのは、
いつのことでしょうか。私の主よ、私の神よ。
383 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 00:58:07 ID:ou0RCu3s
>>381 そうです。その通りです。そして主は唯一の主、唯一の神
です。
>>374 教会もこれらの言葉にあるように、最初は主を唯一の神と
認識していました。後世になって三位一体論が出てきたの
です。
主はファリサイ派の支配する神殿に登られました。私たちは
人に躓いてはなりません。
384 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 01:00:53 ID:ou0RCu3s
失礼。トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』は
後世のものです。
385 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 01:03:35 ID:ou0RCu3s
天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和
あれ。
われら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ、主
の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。主なる御ひとり子、
イエズス・キリストよ。神なる主、神の子羊、父のみ子よ。
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。世の
罪を除きたもう主よ、われらの願いを聞き入れたまえ。
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。
主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、
イエズス・キリストよ。
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。アーメン。
386 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 01:14:07 ID:ou0RCu3s
父の右に座すとは隣りに坐るという意味ではありません。
力を発揮するという意味です。私たちが利き腕の右腕で
私たち自身の動作をする・力を発揮するのと同じ意味です。
387 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 01:17:20 ID:ou0RCu3s
私たちの右腕とは私たち自身のことであり、父の右腕とは
父ご自身のことなのです。
388 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 01:21:08 ID:L49Mr+ll
自殺できねーなら殺しあって死ねばいいのに。
宗教この世にいらねての。まじ信者全員早くしね。
389 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 02:24:34 ID:T6Q9HTF2
390 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 06:20:38 ID:if0wY2kS
391 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 20:01:29 ID:nzkz7qUO
使徒たちは主イエス・キリストが唯一の神であることを知って
いました。彼らは主以外に父なる神が天におられるなどとは
考えもしなかったのです。彼らにとって神と言えば唯一の
存在であり、お一人に決まっていたからです。
もっと他の人も来て欲しいね。アルフークとかサロメとか我さんとか。
393 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 20:49:06 ID:38MayfsH
神ですか・・・。
その神は人間に何を望んでいたのでしょう
宗教間の争いを望んでいたのでしょうか
世界各地の宗教戦争によって多くの命が失われました
それでもキリストを神と呼べますか?
394 :
ゆみちゅん:2006/09/19(火) 20:55:30 ID:if0wY2kS
父というのはあくまでも神の見えない属性、
すなわち無限の神性そのものを指しているのであり
子というのは神の見える属性、すなわち受肉した神の人間性を指す
あるいは父とは神の神的善(愛)であり、
子とは神の神的真理(知恵)である
と書いてもイマイチピンと来んだろうなあ
396 :
ゆみちゅん:2006/09/19(火) 22:17:56 ID:if0wY2kS
チンプンカンプンなのら。おやすみなさい
397 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 23:30:15 ID:nzkz7qUO
>>393 人が神を認識しなくなったから戦争を始めるようになったのです。
人類の神が唯一であり、同じ神であることを知ったら戦争など
起らなくなるでしょう。だからこそ主は自らを示すために世に
来られたのです。アラーの神もエホバも主も阿弥陀仏も同じ
一人の神を指してそう呼んでいるのです。
398 :
名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 23:32:20 ID:gpxKmTnx
天では、私たちは見ることができませんが、神は父です。
神が人の間に現れたとき、神は御子です。
そして神が人の中に入られたとき、神は御霊です。
御父は御子にあって人の間であらわされ、
御子は人の中に入るために御霊になられました。
御父は御子の中におり、御子は御霊になったのです。
その三つはひとりの神です。
399 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 23:35:28 ID:nzkz7qUO
人間が戦争を起すのは人間のせいであって、神のせいでは
ありません。神はそんなことを望んではいないのです。
人間が神を忘れて神をないがしろにしていることを表わ
すために敢えて主は磔にあわれたのです。それは人間が
神を亡きものにしていることを表わしているのです。
400 :
小さなヨハネ:2006/09/19(火) 23:48:56 ID:nzkz7qUO
私たちは魂と身体と動作から出来ています。それぞれが
違う私たちではありません。神も同様です。父と子と
聖霊とはそういうことです。神を信じない者のために
そういう表現をするのです。そうでなければ全く
主を排除してしまうからです。かろうじて主は神と関係
があるとうっすら認識させるためです。主が神ご自身
であるのに。