果たして因果応報って確実な法則なのでしょうか?

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210名無しさん@3周年
>>196のような大言を吐いたからにはキチンと説明してもらおうか
ささっ、早く!
それともハッタリなの〜??
>>208よ、因果応報について説明を求む
211名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:20:56 ID:RiDgJe1o
>>209>>210
俺の睡眠時間を削ってどうしようというんだ・・・w

「因果応報」という言葉についてであるなら、
それは、(物理法則のように絶対的制限のある)因果を素にして、
恣意的な(ある価値観のもとに関連付けられた)、事象の関係を記述したものに過ぎない。
それは、その言葉を使用する者が恣意的にストーリーを組めるということだ。
だから、「歴史的差別に仏教は加担した」と言われるし、
事実そういう面はある。
このスレの主軸がはっきりしないので何とも言えんが、
原因と結果という、物理的(或いは論理的)因果関係は誰も否定することはできない。
そこに、どのような意味を持たせるかによって変わってくるんだよ。
この意味でいけば、「因果応報は確実な法則ではない」。
君は賢そうだから、解るだろ?
212名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:24:45 ID:524aSKI8
 ちょっと失礼横レスします。
 別トピの説明で因果が適切に語られていたので参考にされて下さいませ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~siren/sub/es11.htm
仏教的な因果律、カルマ因果応報の法則
http://www2.odn.ne.jp/nakai-juku/explanation/karma.html
数学的因果の法則
http://www.yobology.info/text/Causality/causality.htm
213名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:38:28 ID:RiDgJe1o
>>209>>210
読み下せば、
「因果応報」→「因果は、まさに報いられるべし」だな。
ということはどういうことか?
前提として、「自分の果は、自分に来なければならない」ということになる。
勿論、仏教的に(或いは勝義として)それは正しいのであるが、
ここで、注意しなければならないのは、
果が、そのまま因になるということではない、ということ。
Aさんのaという行為がありBさんのbという行為があり、
CさんがDという目に遭ったと。
さて、以前にCさんはcという行為をしているが、
それがDという果の因となったわけではない。
現代科学のように、直前の因を捜し求めることは可能な場合もあろう、
しかし、それを言ったら、交通事故の責任は問えなくなる。
ある恣意的な文脈で因果関係を捉えることが要求されるのだよ。
仏教に於いては、それが、悟りであったり涅槃であったり、
地獄極楽という脅しとともに用いられる道徳的規制であったりするわけだ。
その際の、ストーリーの作り方、価値観の設定の仕方が、
>>196のような多様性を産むのだよ。

214名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:44:39 ID:X35bQh+v
>>211
でもそれは、言葉の定義付けをされないで議論が進んでるからだろ?
まず定義を定めて話せばいいんじゃね?
@結果には原因が必ずあるのか?A結果は必ずしも原因を必要としない、とかさ。
これについてはどう思うんだ?
@を是とするなら因果応報というものがある可能性が議論として広がり、因果応報が確実な法則であることに近づく。
Aを是とするなら因果応報は必ずしも存在しないということになり、因果応報は確実な法則とは言えないことになる。
さあ、応えてくれ!
その次に(人の行動、行為、感情など)は因果応報ではどう扱うかを議論すればいいんじゃね?

あなたは因果と因果律、因果の法則、因果応報、善因善果悪因悪果と
善因楽果悪因苦果の区別を理解してるそうだから、簡単なことだろ?

でもなんか回答が本を写してるっぽいなーw
215名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:47:30 ID:RiDgJe1o
>>214
@だと思いますよw
216名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:53:36 ID:X35bQh+v
>>215
で?
217名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 00:58:36 ID:RiDgJe1o
>>214
私は、因果律という言葉の意味するところが
実はよく解りません。哲学畑の人は好んで使用しているようですが・・・。

>>196に註をつけましょう。
因果・・・原因と結果。あるいは、原因により結果があること。
     ただし、この場合は、直接因と直接の果を指す。
因果の法則・・・物理法則と見ていいんじゃないの?
因果応報・・・上記二つを踏まえた上で、直接因はあるにしろ、
        関連のある場合、離れていても結び付けて括られる関係。
        (だから、私はこの言葉は好きではない)
善因善果悪因悪果・・・もっとも流布している仏教的語彙。
        解りやすく、教えやすいため利用されてきたものであろうが、
        必ずしもそうではないことは、人生経験豊富な者、
        周りの状況が見える者にとっては、すぐに疑問の湧くフレーズ。
善因楽果悪因苦果・・・上記と似てはいるが、上記よりも利用範囲は広がる。
        なんとなれば、自身が果を受ける、という原則が、上記よりも
        明確になるため。
218名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:01:25 ID:RiDgJe1o
>>216
因果応報という概念には、
「こうでなければならない」「こうであってほしい」
という価値観が入り込むということだよ。
219名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:10:57 ID:X35bQh+v
>>217
では217さんは原因と結果の関係は常にあると認められるが、
原因が直接の結果とは確認しづらい(できない)関係にあるものは、
確かに今起こった結果は、昔のある特定できる原因によるものだと第三者的に
立証できないので、直接の因果応報ではない可能性が大いに認められる点で
、因果応報は確実ではないと言う意見ね。

ではこの意見に反論ないしは、原因と結果はどんな場合も直接の因果応報だと
立証できるという方、意見をどうぞ!
意見がなければ、または217の意見よりも納得できるものが出なければ、
このスレ上では因果関係は確実な法則とはいえないという結論になります。
確実派の方の意見を求む!
220名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:12:57 ID:X35bQh+v
>因果関係は ×

因果応報は ○

訂正
221名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:19:16 ID:RiDgJe1o
寝る前に覗いて良かったwww
>>219
因果関係が不定だというのではない。
「因果応報という概念が、恣意的である」と言っているのだ。
また、
>因果関係は確実な法則とはいえないという
に関しては、因をどこに設定するか果実をどこに設定するか、
で、大きく変わるということが解りませんか?
唯物論的に、因果は一意であるでしょう。
が、それが何千万分の一秒というようなミクロの因果では意味がない。
ある価値観のもと、ある目的のために、
妥当な因果関係を見出すのが、教義なのであろう。