せったん老師が語る

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315名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 19:40:14 ID:o/zueTm3
本来茶道なんて言葉ないんじゃないの、茶を飲むそのことだけでしょうね、禅
道みたいに座るそのことに理屈はいらないんでしょう。
316名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 21:15:20 ID:U+1dOATl
>>315
茶道に、主客がありますが、2畳ほどの狭い空間に膝をつき合わせ、ある時は、主客が交代していく。

わたしとあなた
つまり、主客が、もはや、分けがたい。
主客一如の空間では、ないでしょうか。
317名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:43:10 ID:POvp3Ejs
禅問答

 夏目漱石の『夢十夜』をお読みになった人は、第ニ夜に、「無」の一字を思いつめて煩悶する侍の話があったのをおぼえているだろうか。
 あの「無」の一字のために座禅を組んで「無とはなんだ」と苦悶する姿。あれこそ、いわゆる禅問答を描いたものである。
 わけのわからないことを称して「禅問答のよう」というが、いったい禅問答がいかなるものであるか、例をあげろと言われてパッと浮かぶ方はどれだけいるだろうか。

 禅問答とは、臨済宗の寺で行なわれる、悟りへの修行である。

 修行中の僧は、「師家(しけ)」と呼ばれる師匠の僧から、問題を与えられる。
この問題を「公案(こうあん)」という。公案を与えられた僧は、多くは座禅をしながらこの回答に取り組むのである。そして、回答を得たと自分なりに感触を得たら、師家の所におもむいて自分の考えを表現する。
 この回答に対し、師家がOKを出すことで、晴れて悟りを開いたということになる。
この一連を総称して「禅問答」と呼んでいるのである。

 こうして書くと、たいしたことではないように思うかもしれないが、とんでもない。
与えられる公案とは、とんだくわせものなのだ。
『無門関』という公案を集めた本から引用しよう。

   趙州和尚、因みに僧問う「狗子に還って仏性ありや」 趙州云く「無」
     (趙州和尚にある僧が問うた「犬に仏性はありますか」 趙州は答えた 「無」)

   趙州、因みに僧問う「いかなるかこれ祖師西来の意」 州云わく「庭前の柏樹子」
     (趙州和尚にある僧が問うた「なぜ達磨はインドからきたのですか」 
     趙州は答えた 「庭にある柏の樹だ」) 

 なんのことだとお思いになるだろう。答えなければならないのだ。
大乗仏教では、「山川草木悉有仏性」といい、あらゆるものに仏になる可能性があると言っている。
それが「無い」とはどういう意味なのか。
1番目の公案はそれを答えろというものである。ちなみに、この公案が『夢十夜』に出てきた「無」の元となっている。
 2番目はひどく人を食っている。達磨がインドから渡ってきたわけが柏の樹だとは、なにを言っているのかわけがわからない。これに対して答えよというのだ。


318名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 01:44:44 ID:POvp3Ejs

 生半可な論理では通用しない。おそらく、お読みになった皆さんに浮かんだ回答は、即座に師家に突っぱねられてしまうはずだ。「無門関」は言う。
「平生の気力を尽くしてこの無の字を挙げよ」と。言葉尻を捕らえた言葉遊びでもなく、やけくそになった支離抜いたとき、自分だけの回答が出てくるというのだ。     

 不思議なことに、そのときの回答は、見た目には理屈にあっていないように見えるのだという。
論理的にもあっていないし、時には、壁を叩く、飛び上がるなど、言葉を使わない表現も使われうるという。
これに対する師家の回答も、時には弟子を殴りつけたり、指を一本立てるだけのときもあるなど、まるでパフォーマンスを見るかの如き様相。
 にもかかわらず、弟子と師家の間には、確かに「無」に対しての相互の了解があるという。そして、この通常の論理を超えたコミュニケーションが可能となった状態。
それが禅で言う「悟り」なのだという。
 このあたりについては、実に多くの研究書が出ているのであるが、結局のところは、実際に体験していない者にとっては、以心伝心という言葉でしか言えないもののようだ。

 『無門関』は岩波文庫から刊行されている。興味のある方はお読みになるのも一興だ。
論理を超えた公案の数々を見ていくと、その思いがけぬカッコよさに引かれてしまう人もいるかもしれない。
 だが、うかつに公案に取り組むのは危険もある。きちんとした師家につかずに公案と取り組むと、時に、論理の破綻したスタイルこそ正しいという思いこみ。
わけのわからないことで相手を煙に巻くのが快感になるといった、おかしな者になる危険があるという。
禅はこれを「魔境に入る」と表現している。
 「それは間違いだ!」と弟子を指導できる師家のもとでの修行でない限り、凡夫の我々としては、チラリと流し読みする程度のほうが無難のようだ。

 そういえば、掛け軸や扁額の中には、禅問答から取った言葉も多い。「日々是好日」、「平常心是道」などは茶席でよく見かける。
 もともとの公案から離れて、1行だけ切り取られると、含蓄のありそうな言葉が浮かびあがってくる。
 禅寺と無縁の我々は、このように無難となった禅問答の破片を見て、しばし一碗の茶を味わおうではないか。
319ようやくしのぎやすい季節となりました:2006/09/06(水) 02:31:27 ID:POvp3Ejs
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
320名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 18:55:28 ID:HfOpjBXz
戦国時代の茶は今生の別れ、つまり明日はどうなるか分からないこの身をそこいらにある粗末
な器で点てるたのでしょう、保身の為又道楽の一部じゃなかったのでは。
321名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 19:17:34 ID:POvp3Ejs
>>320
うん、戦国時代の武士の間では、そうだったろうね。

禅の喫茶の作法が、原点だから、茶道って。
322名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 22:30:39 ID:KddNgjvq
暗闇でたくさんの人魂が漂うスクリーンセーバー「人魂 スクリーンセーバー」
http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/09/08/hitodamascr.html

硬貨の絵を見て合計金額を解答しよう「お金の計算」
計算プリントを自動生成できるExcelマクロ。正解表示や印刷も簡単
http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/09/08/okiniiri.html

第277回:海洋怪奇シューティング「ヴェイカント・アーク」
弾切れを回避しつつ戦う個性的な作品
http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/09/08/vacantark.html
323名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 23:05:16 ID:KddNgjvq
一切唯心造(甘露門) いっさいゆいしんぞう

(細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より
 「一切(いっさい)は唯(た)だ心の造るものなり」と読まずに、「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」と読みます。
 盆の季節になると各寺院では、施餓鬼会(せがきえ)――釈尊在世当時、弟子の阿難(あなん)尊者が、「定命尽(じょうみょうつ)き餓鬼道に堕ちるのを免れたくば、餓鬼に十分な食事の施しをせよ」
と陀羅尼経(だらにきょう)を唱え供養する修法を釈尊より伝授されたことより始まったといわれる、餓鬼、すなわちむさぼりの心を持つ者への食(じき)の施しをする行事――が修行されます。
その折り、大勢の僧が独特の節回しで唱和する経文に、『施餓鬼―甘露門(かんろもん)』というのがあります。
その初めに、
若人欲了知(じゃしんにゅーりょうしー) 三世一切仏(さんしーいしんふー)  応観法界性(いんかんはかいしん) 一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)・・・

若(も)し人、三世一切(さんぜいっさい)の仏を了知(りょうち)せんと欲しなば、応(まさ)に法界(ほっかい)の性(しょう)を観ずべし、一切唯心造なり、と。

―もし仏のこころを知ろうとするならば、宇宙一切の諸法の本性を唯だ心造(しんぞう)なりと観ずべし。
324名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 23:08:23 ID:KddNgjvq
 「一切」とは、すべての現象、存在を意味します。
「唯」とは、ただそれだけ(・・・・・・)のこと、私たちの周囲のすべての存在現象は「心」の働きであり、「心」が造り出したものにすぎないというわけです。
すなわち、あらゆる存在は心より現出したものにほかならず、心のほかに何物も存在しないのです。
 白隠禅師はあるとき、一人の若侍から地獄の有無を問われます。
白隠は若侍を一瞥して言います。
「貴公は見たところ立派な武士だが、いい年をして、まだ、地獄が有るのか無いのかとはあきれたことだ!」とくそみそに罵倒し、あげくの果てには、不忠の臣、不孝の子よ!腰抜け侍!と口を極めて面罵(めんば)します。
初めは有名な高僧の言うことだと歯をくいしばって耐えていた若侍も、ついに我慢しきれなくなって、やにわに刀を抜いて白隠に斬り掛かります。
白隠和尚は巧みに逃げまわりますが、ついに追い詰められて一刀のもとに斬り伏せられようとする刹那(せつな)、白隠は「そこが地獄だ!」と鋭い叱声(しっせい)を飛ばします。」
 その一語を聞いた若侍は正気を取り戻し、なるほどと合点します。
さきほどの鬼面もどこへやら、思わずそこに平伏して、笑みさえ浮かべて言います。「わかりました。地獄の所在がしかとわかりました」と。
すると白隠もにっこり笑って、「そこがまた極楽よ!」と事もなげに言い切ります。
 地獄も極楽も所詮、心の中にあったわけです。心が造り出したものにほかならないのです。
 有無・得失・善悪・美醜・愛憎など、一切の相対的差別の見方も、これすべて心の造り出したものです。
相対的世界があるからそこに争いがあり、悩みがあり、迷いがあるわけです。
 法界すべて一切唯心造と達観すれば、自然にそれらの対立が泯然(みんぜん)と消えて、真如(しんにょ)そのままの心になることができるのです。
まさに仏の心を知ったというべきです。

至道(しどう)は無難なり、唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う。但(た)だ憎愛莫(な)くんば、 洞然(どうねん)として明白なり

と『信心銘』にある通りです。一切唯心造、この語を知的に理解することはやさしい、しかし、一切唯心造を達観して、洞然として明白になることは難しいものです。
325名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 19:20:10 ID:hktep+Ab
茶道でも禅道(こんなのあるかどうか)でも自分の言葉で言う、言えたろ×言えなければ○
○△□・・・
326名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 00:21:28 ID:OKRwv8wd
いなかったイエスに、徒労な時間の空費・・・って、まだやるつもり

キリストって、メシアのギリシャ語訳だけどイエスもギリシャ語訳で、ユダヤでは、ヨシュア。これは、よく知られた事だと、思う。
ユダヤ教におけるメシア、だったのか、ヨシュアは・・・
2500年後の現在からは、否、である。
イスラエル人は、こう言う。
「ヨシュアは、存在しなかった、何処に存在していたという同時代の証明が、あるのか?」
なるほど、存在していたという証明が、無い。

美というものはない。そして、醜というものもない。
まして、顔は自ら見ることは出来ない。
顔は、自己のためのものではなく、他人へのメッセージにすぎない。
美というものはない。そして、醜というものもない。

そそ、境界がない。すべてが、同時。

問い1
犬を犬と呼ばず、何と呼ぶか?(犬から、犬という名詞を奪ったものを、犬と呼ばず、(・_・?)ハテ、何と呼ぶのか?)

問い2
ほとけからほとけという名詞を奪った。では、何と呼ぶか?

富士山を、見たか?新幹線の窓越しにではなく。
又、飛行機の窓の下に見たのではなく。地に足をつけてみたのか?
また、裏富士を見たか?
こころがふるえる。富士は。

わからないことは、自己にこそ、問え。
327名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 01:09:48 ID:UyNSwxkq
和光同塵(道徳経) わこうどうじん

『枯木再び花を生ず −禅語に学ぶ生き方−』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より
  「光(ひかり)を和(やわら)げて塵(ちり)に同(どう)ずる」と訓読み出来ますが、「和(わ)光(こう)同塵(どうじん)」と音読みする方が禅的です。
 この句は中国道教の祖、老子の『道徳経』第四章に「其の光を和げて其の塵に同ずる……」とあるのに始まります。
 「和光」とは自分の持っている高い道徳的品性と秀れた才智の輝きを和げる、即ち、表に出さない事を云います。
「同」は同化の意で人を感化して自分と同じくさせる意。「塵」はちり(・・)やごみ(・・)の事で汚れた現実の娑婆(しゃば)世界を指します。
即ち聖人君子がその知徳を和げて、つまり隠して俗塵の世界に入って衆生済度する事を云うのです。
 真実、禅の悟りに至った道人は学んだ法も、修した道も少しも表に出さず、悟りだの、迷いだの、仏だの、神だの、その影さえ見せず、
馬鹿なのか、利巧なのか、偉いのか、仏なのか、凡夫なのかさっぱり見当がつかない境涯で長屋の八つぁん、熊さんの手合いと同居して、人知れず衆生を教化済度してゆきます。
その消息を「和光同塵」と云うわけです。
この句が禅にとって重要な句である事は、
「韜光(とうこう)晦跡(まいせき)――光をつつみ収めて跡を晦(くら)ます」
「入(にっ) ?(てん)垂手(すいしゅ)――市街に出て手を下して済度する」
「入泥(にゅうでい)入(にゅう)水(すい)――泥に入り、水に入るように済度する」
等々、同義語が沢山ある事によっても頷けます。
328名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 01:13:49 ID:UyNSwxkq

 「和光同塵」を地で行った人物に「七福神」の一人布袋(ほてい)和尚がいます。
七福神とは市井(しせい)で福徳長寿の神として信仰されている「恵比須(えびす)」「大黒天(だいこくてん)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」「弁財天(べんざいてん)」「福禄寿(ふくろくじゅ)」「 寿老人(じゅろうじん)」「布袋(ほてい)」を云いますが、
その中で体が大きく、額は狭く、腹は太く垂れ下り、半裸で一本の杖を持って、大きな袋を背中に負った人物が布袋和尚です。
元来この人は中国の後梁(こうりょう)の時代の禅僧で、名は契此(かいし)、明州(みんしゅう)奉化(ほうか)県の生まれで、九一六年、同地の嶽林寺(がくりんじ)で遷化(せんげ)(死亡)したと伝えられています。
 背中の袋の中には身のまわりの物一切を入れ、履物も衣類も経本も食物もなにもかも一緒に入れて持ち歩き、市街に出て施されるものすべて喜んで貰う。
食べ残りは袋の中に入れて貯えます。
雨の日は草履で馳け歩き、天気になると木履(きぐつ)でゆっくり歩き、休む時は袋を側より離さず膝を立てて眠ったと伝えられています。
 人柄も天真爛漫で腹が減ったら袋の中のものを食べ、満腹になると所かまわず眠るといった居住不定で、
悠々閑々灑々(しゃしゃ)落々(らくらく)、名利を求めるわけでもなく、見識ぶるでもなく、威張るでもなく、
誰に会ってもニコニコ笑うという「喜心」と、そのべんべんたる太鼓腹の「太心」と、欣々として優しい両眼の「愛心」とを以て接し、会った人は誰でも、自然に福徳円満な気持になり、人々は長汀子(ちょうていし)、
また、布袋と呼び親しんだと云われています。
この布袋さんの遊戯(ゆげ)三昧(ざんまい)の所、和光同塵の端的です。
329名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 02:33:21 ID:UyNSwxkq
「あやかしよりまし」(06/09/09)
- “あやかし”と呼ばれる妖怪と主人公が繰り広げる物語を綴ったサウンドノベル
http://tomsawyer.main.jp/
330名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:10:10 ID:UyNSwxkq
ダルマさん 書き下ろし
南禅寺派 兵庫県・長福寺住職 原田太胤
 
 今から約1,600年前、南インドの香至国(こうしこく)の王様は、信仰心が厚く、高僧を招いては教えを受けておりました。
ある日、王は高僧に御礼として大きな宝石を差し上げた所、僧は王様の3人の王子に対して「この宝石に勝る宝があるでしようか」と質問されました。
第1、第2の王子は「この宝石に勝る宝はありません」と答えましたが、
第3の王子は「この宝石の光は他を照らすことが出来ても、自らを照らすことは出来ません、他を照らし自らを照らし、一切の迷暗を照破する宝石、それは人間誰しもが持っている智慧、智慧こそが最もすばらしい宝石です」と答え、これを聞いた僧は大きく肯きました。
この第3王子こそが、後の達磨大師(ダルマさん)です。
 父の王が亡くなってから出家をして師の下で40年余り修行され、禅の教えを伝える為、現在の中国広州に達したのは西暦 527年とも言われております。
嵩山(すうざん)少林寺に住し、壁に向 かって9年の間石の上で坐禅をして、禅の教えが伝わる機会を待ち続けました。
この時の様子が、手足の無いダルマとなり、七転八起、9年間坐り続けた不撓不屈(ふとうふくつ)の精神が、今日一般に知られているダルマさんのイメージを形成したのではないでしようか。
 苦しい事や悲しい事、暗い世相であっても大丈夫。
生まれ乍らに頂いている宝石。
智慧の燈が内も外も照らし続けていることに気が付き、「この生命の働きを大切に、善い方向に使わせて頂きます」という想いを持ち続けることが、ダルマさんの教えに叶い、お心にも添うことになりましよう。
 
 辷(すべ)っても 転んでも 起き上がる達磨かな
331名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:23:28 ID:UyNSwxkq
禅の達人たち
禅問答・碧巌録を読む  立花大敬著 湖文社

?(ほう)居士(こじ)は衝州衝陽県の人である。字は道玄。代々、土地の名家であって多大の財産家でもあった。
若くして儒教を学び、科挙を受けんと出かけたが途中で僧に出会った。
その僧は言った。
「どうして科挙など受けなさる。合格、不合格は誰が判断する。人ではないか。人とはわずか五十年ほど生きる者にすぎぬ。そんなものが小さい眼、近くしか見えぬ眼で、これは合格、これは不合格とより分ける。
そんなより分けの合格の側に入ろうと夜を昼についで努力勉強し、合格と聞いては有頂天になり、不合格と聞けばションボリし、人によれば絶望の果てに自殺する者もあるという。ああ、何というあわれなことであろう。
 しかし、この世に絶対の眼を持った、永遠寿命の体現者がいらっしゃる。その方こそ仏陀である。このお方の眼には一部の狂いもない。
どうせ、合格を目指すなら、どうして仏の眼に合格することを目指されぬのか」


「不動の自己とやらを悟って外物を否定するのは容易だが、外物を追い、外物を応対して、しかもそこに不動の自己を現してゆくというあり方は難しい」
 禅に志すほどの者が外物を対象に快楽を追求していてよいはずはない。それは誰でも知っていることである。
 ところが、逆のところで引っかかってしまう者が多い。

 つまり、欲望を否定して、外界への働きかけが禅道に反するのだとして無為の自己にどっしり腰を落ち着け、どこへも出かけようとせぬ者がいる。
 これは大きな間違いである。
 本来の自己は無相といわれる。この無相の意味を取り違えているのである。
 無相とは何事にもタッチせぬというのでなく、次々出てくる物との出会いに柔軟に対応してゆく。
例えば、子供が来れば親となり、教え子が来れば先生と転じ、妻が来れば、ただちに夫となる。
そのように時々転々と何のひっかかりもなく見事に形を変えて転じていく。それが無相の自己である。
 そういう無相の自己さえ手に入れば、世界の果てまで物を追いかけてゆくとしても、決して自己を見失ったということにはならない。
物を追っているところに自己が転じて次々と不動であるからだ。
332名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:24:48 ID:UyNSwxkq
三聖透網金鱗
 人はすべて因縁因果の網の中にいる。それにがんじがらめなのが人間である。
いったん空を悟り、自由と解放を喜んでいても、いつまでもそこにとどまっていてはならない。
再び因果の網の中に戻って、おのが因果の流れにしたがって、力量に応じて、自らの能力を、人々のために使っていかねばならない。
 雪峯のように千五百人も弟子を養う大輪のバラの花のような存在もあるし、趙州のように片田舎の貧乏寺で自らの口に入る食物さえ乏しく、木の実を拾ってまで生活しなければならず、弟子もほんの数名しか集まらなかったという、野辺に咲くイヌフグリの花のような存在もある。
しかし、そのそれぞれが、その因縁のまま、バラはバラ、イヌフグリはイヌフグリのまま、最も美しい花を咲かせた。
333名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:25:50 ID:UyNSwxkq
洞山語録より
洞山の先師である雲巌禅師の忌日に洞山道場では供養の法要が行われていた。
その時、ある僧が洞山に質問した。
「師は先師の供養をしておられますが、果して先師を認めておられるのですか」
洞山は言った。
「半分は認め、半分は認めぬ」
僧が言った。
「どうして全部お認めにならぬのです」
洞山が言った。
「もし、全部認めたら、先師を裏切ったことになろう」

 生命というものは、生きて活動しているという事実においては同じである。洞山も雲巌も同じであるが、その表現については個々別々だ。
 もし、先師の生命の表現を、そっくりそのまま真似て、これこそが正しい禅なんだなどと主張したら、その人は自らの生命の個性を十二分に発揮できなかったのだから、先師の禅を正しく嗣いだことにならぬであろう。
 もし、私に「君は碧巌録を師として参究してきたわけであるが、それを認めるのか」とたずねる人があったとしたならば、私もやはり、「半分は認めるが、半分は認めぬ」と答えねばならないだろう。
 碧巌録とは生命の尊厳(巌)と、それが何のさわりもなく巧妙に転じていくさま(碧)を、各禅者の実例をもとに記録したものであるから、私はもちろん、諸手を上げてそれに賛成し、それを師として、これからも学んでゆきたい。
 しかし、生命は抽象概念にあらず、あくまで個であって、私は趙州にあらず、臨済にあらず、雲門でもない、私は私である。
 .私には、私の禅があって、この禅は広い世界に唯一のもの。洞山であろうと、徳山であろうと、これに関しては指一本ふれさせるわけにはいかないのである。
334名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:27:02 ID:UyNSwxkq
 碧巌録第五十一則には巌頭禅師の言葉として次のように書かれている。
「わしと雪峯(巌頭と雪峯はどこへ行くのも一緒で、ともに励ましあった禅友であった)は生まれは同じだが、死ぬときは別だ。
もし、末後(まつご)の句(ギリギリの一句)が聞きたいというのなら教えてやろう。

 只這是(ただコレコレ)と」


あれ(遠くにある)ではない
それ(近くにある)でもない
ただ、これ(自身にある)である
すべてが自身にある
そのこれが今、本を読む、犬の鳴き声を聞く
空の青さを眺め、大きく伸びをする
そんなこれ・これにこそ、すべてがある
あれでもない、それでもない、これである
しかし、そのこれはどれ(不定)である
刻々進展してやまぬ、固定せぬものが生命である
だからこれではない、どれである
しかし、そのどれこそが実はこれなのである
だから最後に言おう
どれもこれもわが命であると
335名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 23:44:31 ID:UyNSwxkq
「生命とは、この命を生かし切ること」

松原哲明

 自分がいったい何者で、何をするために、この世に生を受けたかを見極めること。
ですから、今、この生を、どうやって生きたらよいのかが本当によく判りません。
おたがいに、この年齢になって、真面目にどう生きたらいいの?≠ニは、恥ずかしくて聞けません。
 これらのことを明確にして生きてゆかないと、本当に何もしないで一生が終わってしまいます。
 そんなこと、嫌だ!と心の中で叫んだのが出家前のブッダでした。

そして六年におよぶ猛烈な修行の末にブッダは悟りました。
この一度の生涯で、人間は二度と手に入らない命を使い切るために生まれたのだと知ります。
現代風に言いますと、一本のロウソクのように燃えつきるまで、一筋の光を放って生きよと示されました。
ロウソクがロウを流すように、私たちも汗と涙を流せる、かわかない心の人間になれと。

命を使い切ると書いて、それが人間として生きてきた私たちの使命≠セということが判りました。生命とは、この命を生かし切ること。そのようにも展開して行けます。
 ブッダはこの人間一人一人を大海の一針≠ナあると解きます。深い深い大海の底に眠っているたった一本の針。
あなたがここに生まれることができたのは、その針を拾いあげてもらったようなものだ、という、このブッダの言葉を深く味わっていただきたい。

 ブッダはまた、この人間一人一人を妙高の線≠ニ説きます。
現在、生きとし生ける存在の全ては、高い高い山の頂上から一本の細い糸が垂れ下がってきて、山の麓に落ちている一本の針に通ったようなもの、と。
みんな原点から今につながっているから、線という字を使った、そのおしえの深さも味わっていただきたい。
そうやって熟読していくうちに、この命は親そのものの命であり、先祖が今に生かしてくれるために生かし続けてくれた、それを現在、預からせてもらっている人生―そう気づいたとき、ブッダ仏教の門が大きくあなたを迎え入れてくれます。
 我々一人一人は大海の一針≠ナあり妙高の線≠アの命を使うため、生かし切るために生まれてきたことが、ようやく見えてきました。
そして、そんな私たちに、人生に師を持ちなさい、人生は航海、師という船頭なしでは暴走するぞ、といましめられるのです。  
336名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 00:03:15 ID:18CmCs5i
第8則 翠巌眉毛

【本則】
翠巌「この夏安居では、私が講義を担当しました。   この翠巌に眉毛があるかどうか、見てください」
保福「泥棒はビクビクするからなあ」
長慶「おや? 生えて来たぞ」
雲門「関」

【解説】
翠巌令参(スイガンレイザン)は雪峰禅師の弟子。というか、ここに出てくる4人とも雪峰禅師の門下生です。仲間内ということで、気さくな会話をしている。
翠巌さんが雪峰禅師の代講をし夏安居も最終日。それを兄弟子たちがからかっている様子。

「眉毛うんぬん」は「嘘をつくと眉毛が抜ける」という迷信があったから。「ほらほら、眉毛はあるでしょ? 嘘ついてなかったでしょ?」と笑いを取りに来ている。
もしかしたら翠巌さんは眉毛の薄い人で、これはネタだったのかも知れない。
一番弟子・長慶の「生えて来たぞ」もツッコミだし。最後の雲門さんも一言「関」と言って退けているが、これも意味がなく単に「カーン」と言ったんじゃないか。
講義の終わりの鐘をマネて「はいはい、おしまい」(笑)。「関」に「関所」の意味を読む解説もあるけど、深読みしても仕方ないだろう。

とは言え、本当はどんな講義であれ「嘘」である。
仏法は言葉にすれば差別が生じます。眉毛が抜けるどころか、地獄落ちです。それを覚悟の上で、大衆の前で講義しているのです。
自分だけ大安心の境地(大宇宙との一体化)に住んでいては恥ずかしい。たとえ地獄に堕ちてでも、他者救済(下化衆生)のほうが先決です。そこまで命懸けなんだから、きちんと受け取ってもらえる講義をしなくちゃなりません。「いかがでしたか?」。

兄弟子たちも、翠巌の気持ちはよく分かっています。みんな一言ずつ悪口を言って、一緒に地獄に堕ちようという魂胆です。
翠巌ひとりに良い思いはさせないぞ(笑)。地獄に堕ちたら、みんなで地獄の大掃除です。どこまでも禅を広めてやる。碧巌録の禅師たちがやたらお喋りなのは、みんな来世は地獄行きと決めているから。
だから、無駄口一つない。「さ、あなたも覚悟してお聴きなさい」。この段の意図はそこかも知れません。
337名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 19:01:56 ID:18CmCs5i
警視庁(ハイテク犯罪)
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/index.htm
338名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 23:22:14 ID:18CmCs5i
【廓然無聖】かくねんむしょう
 梁の国の王、武帝が中国に到着した達磨大師(だるまだいし)に尋ねた。
「私は仏塔を造り、経典を写させ、僧侶をもてなしてきた。
 こうしてきた私にはどんな功徳があるだろうか?」
「功徳など、ない」と達磨は答えた。
「ならば…仏教における最高の真理は、何だと言うのか!?」
「廓然無聖」
「空っぽで何もないだと!?それなら、私の目の前にいるおまえは何者なのだ!?」
「知らぬ」
 その後、達磨大師は魏の国の嵩山少林寺に去ってしまったそうです。


# 廓然無聖とは「カラッとした空っぽなもので、聖なるものも、真なるものも何もない」という意味。

『碧巌録』第一則
339名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 23:04:19 ID:Gt9nJ1Eh
【日々是好日】にちにちこれこうにち

 雲門文偃(うんもんぶんえん)が弟子たちに向かってこう言いました。
「わたしは過去の日々のことは、問わない。これからの15日間の日々の中で、何が一番大切なことなのか考えて、一句にして持ってきなさい」

 それから15日後、誰もその一句を作ることが出来ませんでした。

すると雲門は、自分で作った一句を弟子たちに示した、

「日々是好日(にちにちこれこうにち)」


『碧巌録』第六則
340名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 23:06:35 ID:Gt9nJ1Eh
【趙州洗鉢】じゅうしゅうせんぱつ

 入門したばかりの僧が、趙州和尚に尋ねました。
「私は、修行に入ったばかりの者ですが、仏教の根本を教えてください」

「朝食は、終わったのかね?」

「はい、食べ終わりました」

「それならば、自分の茶碗(ちゃわん)を洗いなさい」


『無門関』第七則
341名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 23:13:22 ID:Gt9nJ1Eh
【倶胝竪指】ぐていじゅし

 どんな質問をされても、ただ指を1本立てるだけの倶胝(ぐてい)という和尚がいました。
ある時、和尚の留守に来た客が留守番をしていた小僧に、法の説き方を尋ねました。すると小僧は和尚のマネをして指を1本立てて見せたのです。

 この事をあとで聞いた和尚は、小僧のその指を切り落としてしまいました。あまりの痛さに泣き叫ぶ小僧に、和尚は言いました。
「おい、こっちを見ろ!」

 小僧が見ると、和尚は指を1本立てていました。その瞬間、小僧は悟ったという。


『碧巌録』第十九則
342名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 23:23:35 ID:Gt9nJ1Eh
【平常心是道】びょうじょうしんこれどう

 趙州(じょうしゅう)がまだ修行中の頃、師匠である南泉(なんせん)に、こう尋ねました。
「仏道の道とは、いったいなんでしょうか?」

 南泉は、馬祖(ばそ)の言葉を用いてこう答えた。
「平常心(普段の心)が道だ」

「なるほど、その平常心を目標として努力すればよろしいのですね」

「いや、目標とすれば道をそれてしまうだろう」

「しかし、目標がなければ、道を求めること、道を知ることができませんよ」

「趙州よ、道とは、知るとか知らないとかいった問題には属さないのだ」


『無門関』第十九則
343名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 23:56:46 ID:Gt9nJ1Eh
【拈華微笑】ねんげみしょう

 王舎城(ラージャグリハ)の近くの霊鷲山(りょうじゅせん)の頂上で釈尊(しゃくそん=お釈迦様)が説法を続けていたそんなある日の事。
その日は一言もいわず、そばにあった金波羅華(こんぱらげ)という花をひとつ拈り取ってみんなの前に示して見せただけだった。

 その場にいたほとんどの弟子たちは、その意味がまるで分からなかったのだが、たった一人だけ、摩許迦葉(まかかしょう)だけは、にっこりと微笑み、うなずいたという。
それを見た釈尊は、静かに口を開いた。
「口では説くことが出来ない真実の教え全て、・・・摩許迦葉に伝授することにしよう」


『無門関』第六則
344名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 20:36:16 ID:GUAOTmT8
見 跡 (四十五)

弘舵郎

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮べ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は日々旅にして、旅を栖とす古人も多く旅に死せるあり。
 月日はハクタイのクワカクにしてと始まる芭蕉の「奥の細道」の発端の句である。
私の好む文句で身も心も旅にかきたてる句である。
高邁なことをいうなあーと感心していたらこれには下敷きがあった。
そのことは後にして、芭蕉は元禄二年の秋、奥の細道の旅を終り清書は元禄七年四月とあるのでこの間原稿を推敲してたわけである。
不易流行とか、かるみとか、高悟帰俗等むづかしい理念のことは数ある専門書にまかせ、ただ芭蕉さんの立った所に佇んでみたくて歩いてきた。
 初めは平成五年の四月に哲明住職や南無の会の中島先生の案内で多賀城、松島、象潟、最上川、羽黒山、出雲崎、市振、山中、全昌寺、永平寺、種の浜、気比神社等とまわり、
終点大垣の芭蕉記念会館に到着したのが四月二十四日とわが日記にある。
旅程の穴うめをせんものとスタートの深川芭蕉庵を訪れたのが平成十年の十一月四日それから暇を見つけては、千住、草加、室の八島、日光裏見の瀧、黒羽の雲巌寺、乙字の瀧、殺生石、白河の関、須賀川、この十月飯塚(飯坂温泉)と尋ねまわり、
残る鳴子、尿前、山刀伐峠、尾花沢とまわり来年春には立石寺の桜をみて終わりにしたいと願っているがどうなることやら。
 さて、その下敷きをご紹介しますと『この書き出しの気合のようなものは李白の「春夜桃李園二宴スル序」の「ソレ天地ハ萬物ノ逆旅ナリ光陰ハ百代ノ過客ナリ、シカシテ浮世ハ夢ノゴトシ」を踏まえて発してるようである。
(中略)「ソレ天地ハ萬物ノ逆旅ナリ」を入れておいた方が通じやすかったのではないかという気がわたしはする』とある。
わたしとは富士正晴先生のことである。逆旅は旅の反対だから宿屋の意で、この天地自然は萬物の休み場所であるの意味であろうか。
年も、月も日も時間は宿屋を通るパッセンジャーなのだ。
泰道老師の説く「これから通る今日の道、通りなおしのできぬ道」が頭に浮かんだ。
345名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 20:52:10 ID:GUAOTmT8
一度きりの人生どう生きるか ー 松原 哲明

 無明とは明らかになしと申す文字にて候

 沢庵宗彭禅師(1573〜1645)の著、『不動智神妙録』の冒頭の一句である。
沢庵が柳生但馬守に示した剣禅一致を説いた書物である。
 沢庵はいう。人生は、そもそもが、無明なのだ。未知なのだ。
だから人生は、迷うことだと。
迷うから人生なのだけれど、その道を究めつくした達人たるものは、いつまでも迷ってはおられないのだと示している。
 さて人生は、未知なものである。どれくらい生きたらどういうことになるのか、人生なるものを一度全部生きたことがあれぱその体験をもとに生きてゆくことができるけれど、とにかくはじめての一生だから、みんな工夫しながら、手さぐりで生きている。
みんな口には出さないけれど、自分の人生に自信がないし、疑心暗鬼なのだ。
口にすれば底が破れるから、出さないだけである。
 人は、みな、迷う。
でも、大切なことは、達人たるものはいつまでもくよくよ迷ってはいないということである。
迷うということは、そこに立ち止まるということだ。
だから達人も迷うけれど、瞬時にしてそこから立ち去る。
いうことは易しくやることは難しいことだけど、いつまでも一点に立ち止まらないことが、迷いから脱けきるコツである。
たとえば、一輪の花があるとしよう。花は自ら芽を出し花を咲かせ、やがて実を結ぶ。常に前向きである。
決して退かないし立ち止まらない。立ち止まったら死を意味するからだ。(中略)
 この身は無常なのに、本当にこの身が無常であると実感していない人間を無明というと、いい換えてみれば、一生が一回しかないという真実を、ひっ迫して考えてない人があまりに多すぎるということだろう。
一生が一回なんだぞといっても、どっぷりとぬるま湯につかってのらりくらりと生きている人が多すぎるというのだ。
一生が一回から、こんなことしてられないという人間が、少なすぎるのである。(中略)
 人生にはテーマが必要なのだと思う。
 人生に師匠が必要だと私は思う。
そういうことを知っている人間が人生の師を持たぬのはおかしいではないか。
未知の人生をどう生きるか、それを的確に教えてくれる人生の師を、草むらをかきわけても一日でも早く見つけよと禅では教えている。(後略)
346名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 19:45:39 ID:R1UEYlBo
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347名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 20:54:27 ID:R1UEYlBo
レッテル貼り
2006年08月31日 / 六雁レジュメ 人間成長編
 
一つめの「欲求を手放す」門を通過して、あなたはさもしい欲求に打ち勝つことを覚え、心が以前より自由になりました。
でも、ここまでの心の状態では、まだ「自分なりの考え」に取り付かれているはずです。
 また、あなたは望みを純粋な価値あるものに置き換え、正しい心のあり方を覚え始めましたが、洗い流すことが難しい「価値観」が、まだ残っています。
 自分なりの考えや価値観は、すっかり心に馴染んでいるため、なかなかその間違いに気づかないものです。
たいていの場合、自分が知ろうとしている真実や、根本的な原理と混同して捉えています。
 以前に比べれば、競争や争いの影響を受けることは少なくなってきた

直感とは、思考活動をしていないときに、「宇宙の英知」が人間に語りかけてくる言葉である。
 つまり、宇宙からのメッセージを受け取るには、頭脳のスイッチをオフにしておかないといけない、ということになります。
では、スイッチをオフにする方法は何でしょうか――。
それは、「気持ち」に意識を集中させることです。
 直感を磨くのにも、強い意志と根気が大切です。
直感を発達させるには、まず、このような「常識」を疑ってみる必要があります。
「頭脳による『思考活動』は、心による『直感』よりも優れている」
 それができたら、今度は少しずつ、頭脳から心へと、理性から気持ちへと、意識の重心をシフトさせていきます。
そうすれば、だんだんと、直感がどんなふうに感じられるか、どんなふうに聞こえるかがつかめるようになってきます。
直感にしたがって行動する習慣をつけ、それがどんな結果になったか、ノートに記録を取ってみましょう。経験を積み重ねるうちに、直感と『直感のようでいて、実は頭脳のおしゃべり』との違いが、識別できるようになってきます。
 私たちは、時として「こうでないといけない」と、特定の結果に執着するあまり、直感のアドバイスを無視してしまうことがあります。
 人生の質を高めたいなら、どんなときでも、自分の気持ちに正直に行動すること。
しかも100%正直に。
348名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 20:57:05 ID:R1UEYlBo
 私たちは、無意識のうちに、ありとあらゆるものに評価や判断を下してしまう「クセ」があります。
これがいわゆる「レッテル貼り」です。
なにげない「調子はどう?」の挨拶に始まり、もっとデリケートなことにいたるまで、私たちは、常に分析や批判を求められています。
これは、すっかり習慣として定着していますから、レッテルを貼らずにいると、逆になんだか物足りないような気がするくらいです。

 このレッテル貼りこそが、私たちから真実を見失わせてしまう元凶です。

 すべてのものは、ありのままで完璧なのに、レッテルを貼ると、それがわからなくなってしまうのです。
すべてが不完全に見えてしまうのです。その上、エネルギーも停滞してしまい、自由に流れなくなります。
 レッテル貼りをした瞬間、レッテル、すなわち「かたよった考え」は、レッテルを貼った対象(人、もの、出来事)に対するあなたの気持ちと合体して、ひとつになります。
これが、エネルギーを滞らせ、不快感をもよおさせる原因です。レッテル貼りをやめない限り、ギクシャクした人間関係や、特定の不愉快な状況は、なんどもなんども繰り返されます。
 私たちは、つい、何にでもレッテルを貼りたがるものですが、実際には、この世には、正しいことも、間違っていることも、良いことも悪いことも存在しません。
正邪の観念は人間の思考が勝手に作り出しているだけであって、あくまでも相対的なものに過ぎません。
すべての出来事は、純粋なひとつの出来事なのです。
それが真実です。単なる出来事に、「○○だ」とレッテルを貼るから、単なる出来事は、レッテルである「○○」にすりかわってしまうのです。
これでは完璧な人生を楽しむことなど無理な相談です。
人生を完璧にする唯一の方法は、すべてのものを、ありのままで完璧だと受け入れることなのです。
349名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 20:59:40 ID:R1UEYlBo
 エクササイズは、次のような手順で行いましょう。
まず、レッテルの貼りついている気持ちを、レッテルを貼らずに、ありのままで感じます。
こうすれば、気持ちにくっついている余計なエネルギーが解放されます。
この余計なエネルギーが、あなたが痛みと感じていたものの正体です。
 誰かに腹を立てている人は、ある事実に気づいていません。それは怒りというものは、いつも自分でこしらえている、ということです
。私たちは、誰かが自分を怒らせた、あるいは、怒るように仕向けた、と考えるものですが、実際は違います。
誰かの欠点を見つけるということは、あなた自身に、自分でまだ認めたくない、同じ欠点がある、ということなのです。
それで相手の欠点に共鳴しているのです。
 これからはもう、レッテルを貼るのはやめて、怒りを手放しましょう。
そうすれば、相手を受け入れるだけでなく、自分自身をもありのままに受け入れることになります。
誰に対しても、何に対しても平和な心でいることが、自分の心を平和に保つ方法です。
自分の心を平和にするために、ほかの人と平和をつくるのです。
 誰かを許すとき、実際に許しているのは、自分自身です。厳密に言うと、相手と共通する自分の一部分を許しているのです。
誰かを愛するなら、それは、実際には自分を愛していることを意味します。

 グループ内にもめごとや問題が生じたとき、何よりもまずなすべきことは、グループに対して平和な気持ちを持つことです。
グループ内に不調和があるということは、グループの目的が明確でないか、あるいは目的があっても、それが宇宙と調和していないか、もしくはグループの中で目的から逸脱した行動をとっている人がいるのかの、いずれかを意味します。
 自分を愛していない限り、人を愛することはできません。
350名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 21:01:58 ID:R1UEYlBo
 次に、メンバーに対する決めつけやレッテル貼りをすべて手放します。
レッテル貼りをすると、エネルギーを閉じ込めてしまいます。
レッテル貼りをしている自分に気づいたら、レッテルを貼っている相手全員について、「許しのエクササイズ」をしましょう。
決め付けがすっかりなくなるまで、毎日エクササイズを続けます。
それができたら、こんどはメンバーの一人ひとりに無条件の愛を抱くことに専念します。
誰かにレッテルを貼るということは、実際には」、自分自身の一部にレッテルを貼っていることを意味します。
同じように、誰かに無条件の愛を抱くということは、それまで愛せなかった自分の一部分を愛することなのです。
このことを自分にいい聞かせれば、エクササイズは比較的スムーズに行えるのではないでしょうか。
 コツは、結果をあせらないことです。
グループと平和な関係が築けるまで、ゆっくり時間をかけて、エクササイズをしましょう
。あなたがグループと平和関係を保ってはじめて、目的の達成に取り組めるのです。
 グループの形態によらず、すべてのグループは、完璧なサポートグループになる可能性を秘めています。
たとえ、メンバー全員のありのままの姿に完璧さを見出せる人が、あなた一人だけだったとしても、あなたの力だけで、グループ全体のエネルギーの流れを自由にすることができるのです。
一人のエネルギーには、グループ全体のエネルギーを根底から変えてしまうパワーがあるのです。
 むろん、無条件の愛とサポートを与え合うメンバーが多いのに、越したことはありません。でも、それは絶対条件ではありません。
さらに付け加えると、無条件の愛とサポートは、必ずしも行動で示さなければならない、という意味ではありません。
行動で示すケースも、もちろん出てくるでしょうが、金品を与える、何かをしてあげるなどの義務が伴うわけではありません。
無条件の愛とサポートは、すべて意識レベルで行われるものです。
意識レベルで無条件の愛とサポートを表現すれば、それは物質的なレベルにも、しっかり反映されてきます。
 どんなグループにおいても、一番重要なことは、目的を決めることです。
さらに、メンバーのインスピレーションを刺激すべく定期的にそれを更新していくことです。
351名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 23:23:50 ID:bEkGclAV
黄檗宗とは

日本の禅宗は、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の3宗がある。黄檗宗は当初、臨済正宗黄檗派と称していたが、明治9年に黄檗宗と改めた。

『唯心の浄土 己身の弥陀』
『唯心(この世で実在するのは心だけであり、総ての事物、現象は心の働きによって仮に現れたものである)の浄土(汚れや迷いのない土地、佛の世界)己身(自分の身、自身)の弥陀(阿弥陀仏)』と説かれている。

「無限の自由と愛の世界この身このままが仏である」

私たちは、本来、心の中に阿弥陀様がおられる。
自分の心の中に極楽浄土を見いだし、心の中にいる阿弥陀様に気づかされることである。

ところで、黄檗山萬福寺は、中国福建省福清市漁溪聯華村にあり、唐の太宗の時代である貞観5年(631)に、六祖慧能禅師の法を嗣いだ正幹の開創した般若堂がその始まりとされている。
徳宗の時に建徳禅寺と改められ、黄檗希運禅師(?〜856)が黄檗山と名付けたと云われている。

名も萬福寺と改められた。

中国明朝末に、福建省福州の黄檗山萬福寺で、住職として大いに禅の教えを広めていた隠元隆g禅師が、日本からの度々の招きに応じて、江戸時代の承応3年(1654)に長崎に渡来した。

この時、多くの弟子や職人を伴ってきた。また、隠元隆g禅師が渡来することを聞いて、日本の各地から大勢の修行僧が禅師を迎え、弟子となり教えを受けた。
御水尾法皇や徳川将軍も帰依をされた。

徳川家綱公より現在地(京都府宇治市)に寺領10万坪を与えられ、中国の黄檗山萬福寺を模して、明朝様式の禅寺を創建した。
伽藍建築や仏像造りには、隠元隆g禅師とともに渡来した職人達が、力を奮ったという。

寛文元年(1661)萬福寺が創建され、隠元隆g禅師は、古黄檗(中国黄檗山萬福寺)よりとって黄檗山萬福寺とし、初代の住職となった。

江戸初期から中頃にかけて、黄檗山の住職は、殆ど中国から渡来した僧侶であった。
従って、朝夕のお勤めをはじめ、儀式作法や法式・梵唄はその伝統が受け継がれており、今日の中国・台湾・東南アジアにある中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通している。
352名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 23:57:12 ID:bEkGclAV
黄檗宗(おうばくしゅう)
日本での禅宗の一派。開祖は隠元。大本山は宇治市の黄檗山万福寺で、末寺は約500。

同じ禅宗の臨済宗、曹洞宗がいずれも鎌倉時代の初期に伝来したのに対し、隠元の来日は江戸時代の初期だった。
彼の禅は教義や修行などの面ではそれまでの臨済宗との違いはなかった。
しかし、臨済宗がはやくから日本化していたのに対し、隠元は異民族国家清に反対する中国の国粋化運動に思想的影響をうけていたので、自分は中国禅の正統派であることを強調し、独自の宗風を生んだ。
黄檗山万福寺の山号寺号も隠元がすんでいた中国の地名からとったもので、住持(寺の主)も第13世まではすべて中国僧であり、仏像や建築、修行生活も中国様式であった。
隠元についで第2世となった木庵性(もくあんしょうとう)が、禅僧のしたがうべき規則である清規(しんぎ)を確立し、江戸白金に瑞聖(ずいしょう)寺をひらいて関東の拠点とした。
木庵の後継者鉄眼道光は、1678年(延宝6)に黄檗版「大蔵経」を完成し、その板木は現在も宇治万福寺にのこっている。
また、彼は飢饉をすくうために、「大蔵経」作製のための資金をなげうったことでも知られる。
第5世高泉性(こうせんしょうとん)が中興したのちはしだいに衰退にむかう。1874年(明治7)、臨済宗に合併させられたが、2年後にふたたび独立した。
黄檗宗の宗風は臨済宗の禅に明代の念仏禅をくわえ、読経は唐音、儀式などの決まりは明朝風である。
隠元、木庵に即非如一(そくひにょいち)をくわえた3人は黄檗三筆として知られるほか、明朝風の芸術を数多くつたえた。
353名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 23:59:15 ID:bEkGclAV
隠元(いんげん)

1592〜1673 江戸初期に中国(明)から渡来した禅僧で、日本黄檗(おうばく)宗の開祖。
福建省の出身で、諱(いみな)は隆g。1620年に出家し、37年に中国の黄檗山万福寺の住職になった。
54年(承応3)、長崎、興福寺の逸然性融(いつねんしょうゆう)らの願いで来日を決意。
63歳にして、弟子20人あまりをともない、興福寺にはいった。
のちに、江戸にむかい、将軍家綱の尊信をうけ、生涯日本にとどまって念仏禅を布教するようにもとめられて、宇治に黄檗山万福寺をたてた。
これは、中国のものと山号寺号が一致するだけでなく、建築や生活様式まで明風で、密教や浄土教のいりまじった独特の明朝の禅をつたえるものだった。
その影響は仏教各派だけでなく、隠元と交渉をもった多くの人にもおよんだ。
書にすぐれ、弟子の木庵、即非とともに「黄檗三筆」とうたわれた。
なおインゲンマメなども隠元がつたえたとされるが、彼がつたえたのはただしくはフジマメだったといわれる。

鉄眼(てつげん)

1630〜82 江戸初期の黄檗宗の僧。
鉄眼は号で、諱(いみな)は道光。
肥後の人。
13歳で出家し、浄土真宗の僧となったが、隠元が来朝して新しい禅を説いていることを知ると、その門にはいった。
ついで、隠元の高弟木庵についてまなび、その法をついだ。
1668年(寛文8)鉄眼は仏教聖典である「大蔵経」の版木をつくって印刷することを決意した。
版木をおさめるために宇治万福寺に宝蔵院をたて、南は九州から東は江戸まで、各地をまわって経典の講義をしたり喜捨をつのったりして資金をあつめた。
途中で2度の大飢饉(ききん)があり、あつめた喜捨を難民救済に投じたため作業はおくれたが、十余年をへて「鉄眼版大蔵経」は完成した。
その版木4万8275枚は、現在も宝蔵院にある。
354名無しさん@3周年:2006/09/20(水) 14:09:15 ID:iOOd8Y9E
「方言変換太郎くん」v2.0(06/09/15)
- 標準語で書かれたテキスト文章を津軽弁や博多弁など全9地方の方言に変換
http://www16.plala.or.jp/spichilz/

355名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 00:00:12 ID:iOOd8Y9E
「SeaLevel2 海面上昇シミュレーター2 世界版」v1.00
- 世界各地の主要都市周辺が海面上昇時にどの程度海面下に沈没するかシミュレート
http://www6.plala.or.jp/anyoung/
356名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 00:10:45 ID:9i5sjsOF
◎◎ 人生相談総合スレッド@哲学板 ◎◎
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1096590923/
357名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 19:05:51 ID:9i5sjsOF
法 話


法話一覧に戻る
禅と蝉 書き下ろし
兵庫県・霊雲寺住職  林 学道 
 今夏の蝉の初鳴きを私が聞いたのは、七月の六日だったと記憶しています。
ジーと押し殺した声で鳴くニーニーゼミでした。
やがてアブラゼミの声を聞くころ、夕方や明け方には、ヒグラシのカン高い鳴き声を耳にしました。
 暑さの厳しい毎日は、ほとんどがシャーシャーと鳴き騒ぐクマゼミ一色でした。
お盆の前後からミンミンゼミの鳴く声に、そろそろ秋の気配を感じ、ツクツクホウシは、その極めつけでした。
 処暑を過ぎてもまだ厳しい毎日ではありますが、早朝、犬の散歩に出ると吹く風に肌寒さを感じるようになって来ました。
でもまだ日中の暑さは立派なものです。でも芙蓉の花の蕾が膨らんで来た今、少しずつではありますが、変わって来ました。
 シャーシャーと鳴く蝉の鳴き声がほとんど聞かれなくなって来たのです。
ミンミンゼミもツクツクホウシも今日などは、嘘のように少なくなってしまいました。
 でも時折り、最後の最後までゆく夏を惜しむかのように一生懸命に泣き続けている蝉の声を耳にします。
ほんの小さな体の響鳴管を力一杯響かせ、大きなスピーカーに負けずと周囲の物には目もくれず只管(ひたすら)鳴き尽くしている姿には、頭が下がります。
 そう言えば禅語の中に、「寒蝉古木を抱き、鳴き尽くして更に頭を廻らさず」とありました。
蝉の一生というのは、土中で数年、地上で数日と言われるように短いものです。
 私たちのように七十〜八十年ぐらいは生きることが出来ると、一日の中の数時間といっても無駄ではないと思いがちです。
何をするにしてもまだ時間は十分にあると思ってしまいます。
 他人や他所事にとらわれずに自分のやるべき事を一生懸命にやりなさい。
生死事大(しょうじじだい) 無常迅速(むじょうじんそく) 時不待人(ときひとをまたず) 謹勿放逸(つつしんでほういつすることなかれ)と、教えられているようです。
蝉は、禅に通じているのでしょうか。
358名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 19:22:25 ID:9i5sjsOF
法 話
四恩の大切さ 永源寺派 滋賀県・生蓮寺住職 横山 玄秀
 恩という字は、原因の下に心と書く。原因を心にとどめるという構成である。
恩とは、何がなされ、今日の状態の原因は何であるかを心に深く考えることなのである。
もっと簡単に言えば、してもらったことを思い出すことである。お蔭さまの心である。
 恩の考え方は、ややもすると、封建的な古い考えであると思う人があるが、それは恩の正しい意味がわかっていないのである。
 中国の諺に「恩を受けて恩に酬いざるは禽獣に等し」とあり、恩知らずを罵っている。
 ところで、我が国に欧米から権利とか義務の思想が近代になって入ってきて、民主主義の根幹となった。
しかし、それが近頃では、権利だけを主張し、義務を忘れるという身勝手な風潮が蔓延するようになってきたのである。
 物が豊かになり、福祉が充実してきた今日の繁栄の裏には、その享受を当然と考える人は少なくない。
当然だと思う気持ちには、感謝の念は湧かない。
そして、恩を忘れると権利ばかり主張するようになる。
権利・義務には他への厳しい要請があるが、恩は自覚するものである。
 恩について、仏教ではさまざまな経典に説かれている。
『正法念処経』には、母の恩・父の恩・如来の恩・説法法師の恩の四恩が説かれているし、『大乗本生心地観経』では、父母の恩・衆生(社会)の恩・国王(国家)の恩・三宝(仏・法・僧)の恩の四恩を説いている。
 また、同じく『大乗本生心地観経』には、父母の恩・師長(先生)の恩・国王の恩・施主の恩という四恩も説かれている。
 人の人たる道は恩を知り、恩に報いるべきと四恩の経典は説いている。
 弘法大師は、「恵眼をもって観ずれば、一切衆生は皆これ、わが親なり」と説き、道元禅師は「一切衆生斉しく父母の、恩のごとく深しと思うて、作す所の善根を、法界にめぐらす。」と仰せられた。
 自分の生命を知り、家族の力添えを知り、社会の仕組みを知れば、恩にゆきあたる。他に厄介をかけずに生活はできないのである。
359名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 19:23:47 ID:9i5sjsOF

今から十年位前に、臨済宗の寺院であったエピソードをご紹介する。
 それは、ある寺院で大きな法要があり、一派の管長様を特別にお願いをされた。
管長様は、三百人程の檀家さんの前で、父母の恩・国の恩・師の恩・衆生の恩について法話をされたのであるが、そのお話を聞いていたある大学生が手を挙げ管長様に、
 「質問してもよろしいでしょうか?」
 と訊ねた。お許しが出たので、その大学生は話を始めた。
 「私は恩なんて必要ないと思います。国の恩なんて、国民は税金を払っているのだから、国がサービスをするのは当然である。師の恩なんて、私たちは授業料を払っている。
また、親の恩なんて、頼んで生んでほしいと言ったものではない。勝手につくったものである。
それよりも、お金が大事。お金があれば何でもできる。
だから、勉強して良い会社に就職して高い給料をもらう。そして、いつかは社長になる。
やはり、お金が一番。恩なんて関係ない。」
 このように言ったものだから、周りの檀家さんはびっくりし、堂内は騒然となった。
そして、管長様は、どのような答を出されるか誰もが注目をしたのである。
 管長様は一言、
 「お前さん、いくら欲しいのか?」
 と。大学生は、理屈で答えが返ってくると思っていたので、予想外の言葉に驚き、焦った。
 「一千万円か?一千万円やるぞ。その代り条件がある。」
 大学生は一千万円もらえるというので心が動いた。
 「条件て何ですか?」
 「お前さんの命をよこせ。」
 「一千万円位で命をやれるものですか。金なんかで命は売れませんよ。」
 すると管長様が怒って、
 「その大事な命は誰から頂いたものだ。父母だろうが。その命を育てたのは誰か。先生じゃないか。平和の国におられるのは誰のお蔭か。お前さんは自分のことばかり言っている。恩を忘れた者は餓鬼という。それが解らん奴はここから出て行け。」
 と一喝された。大学生は困ってしまったのであるが、後日、彼は
 「管長様のお蔭で目が覚めた。あの時、管長様とお出合いし、叱られて本当に良かった。」
 と語っている。今は立派な社会人である。 
360名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 19:25:18 ID:9i5sjsOF

理屈は言うが、命というものを全く考えず、命があるのが当り前というのが前提になっている。
当り前になって感謝がなくなっている。
今は恵まれすぎて、何もかも当り前になり、有り難みがなくなっている。
 人間は、一人で生きていくことはできない。
たくさんの人に支えられているから、生きていけるのである。
世間は、恩という陰の力が働いている。
その力によって私たちは、生かされているのである。
361名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 19:49:05 ID:9i5sjsOF
法 話

彼岸花  岩手県・慈恩寺住職  古山敬光
 なぜか、あの彼岸花が好きです。
彼岸花とはどなたがネーミングして下さったか、この響きがとてもいいです。
 なにが好きかというと、秋彼岸近くになり気が付くと静かに咲いている。
やがて彼岸も過ぎ、秋風が吹き始めるころ、気が付くと、静かに姿を消しているのです。
 わずか1週間ほどと言うはかない生命ながら、時期を間違えず訪れ、ひととき目を楽しませてくれてサーッと去っていく。
しかも、この秋彼岸の時期にですから、まるで仏さまのようです。
 私たちが、悩み、苦しみ、迷っている時にどこからともなく、スーッとあらわれ、いつしか、笑顔が戻ると、またスーッと姿を消される。
 この彼岸花、別名「曼珠沙華」(まんじゅしゃげ)“天上の花”という意味だそうです。「これを見る者は自ずから悪業を離れるという」(仏教辞典より)
 出来たら何度も何度も見て悪業を離れたいものですが。
しかし、残念ながら罪を犯さずには生きていけないのです。
いま、頂く食べ物すべてには、いのちがあるのです。
そのいのちを頂くわけですから、これほどの罪はないでしょう。「飯を食うではなく、ご飯を頂くのです」という言葉通り、まさに頂くのです。
 諸々の悪業も、犯さずにはおれないけれども、出来るだけ犯さないように努力することは可能でしょう。
最小限に止めることは出来るはずです。
 それにはやはり「そうだ、そうしよう」「そうだったのか、そうだったのか」と自分自身への目覚めこそが大事なことであります。
そこがそのまま彼岸でもありましょう。
 彼岸花は、厳しかった暑さもいつしか去り、人々に彼岸の訪れを告げ、目を楽しませ(利他行)(生)、彼岸も終わり、風の音に秋を感じる頃(老、病)いつしか、こっそりと姿を消していく(死)。
 そのような人生でありたいと私は思っているのかもしれません。

  曼珠沙華咲いて 
  ここがわたしの寝るところ    山頭火
362名無しさん@3周年:2006/09/22(金) 23:18:58 ID:lmiKizXX
いうな地蔵
相国寺派 福井県・海岸寺住職 石崎 靖宗
 私の住んでいる福井県は、嶺北(れいほく)と嶺南(れいなん)という名で大きく二つに分けられ、その分岐点が木ノ芽峠周辺だ。
この奥行きの深い山嶺は、かつて都と北陸道諸国とを結ぶ交通の難所だった。
気候風土や方言なども、ここを境に様変わりする。
木ノ芽峠(標高628メートル)を通る北陸道は、平安初期に 開削(かいさく)された古い官道で、敦賀から今庄へ抜ける最短路。
道元禅師や親鸞聖人、新田義貞、織田信長、豊臣秀吉らの戦国武将、さらに江戸時代には芭蕉がここを通った。
戦国時代には、この近辺にいくつもの城が築かれ、信長と朝倉勢、一向一揆勢の戦場になっている。
その木ノ芽峠付近に「言奈(いうな)地蔵」という珍しい名のお地蔵さんが安置されており、それは弘法大師の化身であるともいわれ、興味深い逸話が残されている。

 昔、大金を所持した旅人を乗せて、木ノ芽峠を越えた馬子(まご)(昔、おもに、人を乗せた馬を引くことを職業とした人)がいた。
寂しい峠越えだ。馬子は周囲に人気がないのをいいことに、その旅人を殺して金を奪った。そして周囲を見回すと、確かに人はいなかったが、そこには一体のお地蔵さんがおられた。
旅人は苦笑いしながらたわむれに、
 「おい、そこの地蔵、今の一部始終を見ていたかも知れぬが、この事は人に言うなよ 」
 とひとり言を言って立ち去ろうとした時、お地蔵さんが、
 「地蔵は言わぬが、おのれ言うな」
 と返事をされた。驚いた馬子は腰をぬかしそうになりつつ、その場を這いながらやっとのことで峠をあとにした。
 その後、年を経て再びその馬子がこの峠を越した時、年若い旅人と道連れとなり、よもやま話をしてお地蔵さんの前に来た。
その霊験あらたかなお姿を見て、馬子は感きわまって思わずぬかづき涙を流し始め過去の過ちを悔いた。
旅人は不思議に思い理由をたずねると、馬子は先年の悪事を語り、ありし次第を告げた。
お地蔵さんの忠言どおり、馬子は自身の口で「地蔵は言わぬがおのれ言う」羽目に陥ったのである。
はたしてこの旅人こそ先年殺された旅人の息子で、親のかたきを尋ね歩いていた。
息子はやっと見つけて嬉しかったが、このような山中では気が引けるので、共に敦賀まで降りてから名乗りをあげてこれを討ちとったとのことである。
363名無しさん@3周年:2006/09/22(金) 23:22:48 ID:lmiKizXX

 この話は現代の我々にも通じるところがある。
うちのお寺は海水浴場が近いが、いつも砂浜に心ない人たちによるゴミが散乱している。
またお寺の隣に竹やぶを挟んで車道があるが、竹やぶにも空き缶やゴミが絶えない。
誰も見ていないからという考えでは、程度の差こそあれ前出の馬子と何も変わらない。
いつも新聞の社会面を賑わしているうんざりする事件にしても大同小異である。
 誰も見ていないから悪いことをする、これほど醜い悪行があろうか。
誰も見ていないからこそ善いことをするのが人間本来の姿。
禅では古来より陰徳を積めとうるさく言われる。
陰徳はめだたぬように、きわだたぬように、さりげなく、ひっそりと自分のなすべきことをすることだ。
 さてその禅の初祖は達磨大師だ。
達磨は、西暦520年ごろお釈迦さまのおられた国インドから海路中国へ渡り、禅のこころを伝えに来た。
ときの梁(りょう)の武帝は仏法に深く帰依していたので大いによろこび、達磨を首都金陵(南京)の宮中に招いた。
そして、
 「私はお寺をたくさん建て僧侶に供養してきた。どんな功徳があるか」
 と達磨に問う。達磨はにべもなく、
 「どれもこれも功徳にならん」(『五灯会元』より)
 とつっぱねる。
功徳を期待してするなら、どんな善行でも役にたたない。
褒められよう、ニュースに出されようとの物欲しさの心が、せっかくの善行をマイナスにする。
エゴ的行為を信心の名で美化しようとする醜悪さを、達磨はズバリと抹殺する。
 自分の善行をひけらかす、また隠れて悪いことをする。
そういう人は他人の目を気にして自分自身を裏切っている愚かさに気がつかない。
364名無しさん@3周年

これは今の小中学校のボランティア活動にも似たようなところがある。
(*参照)その記録が残され受験のとき志望校へ提出する内申書に反映される制度になっているらしく、子供もそれを承知の上で活動に励む。
それではたしてボランティアと呼べるのか。
そういう制度にしてしまった大人の浅はかさ、あるいは前述の事件やゴミのモラルの低下など、根本的におかしい風潮の現代社会。
それこそ言奈地蔵の天罰が下りそうだ。
 陰徳とはひらたく言うと人や物を大切に粗末にしないこと、また人に尽くし、物を活かして使うことだ。
するとその人には人徳が具わってくる。
人徳とは「人がら」のこと。人がらはその人の持ち味だから、読書や聴講などだけで得られるものではない。
理屈ではなく陰徳という行為、経験の積み重ねによって人徳が形成される。
奈地蔵の教訓を生かした、こころの開発を期待したい。