■■■リバイバルミッション■■■

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558神も仏も名無しさん
元・現を問わず、利場身・hcc(ついでにいうならイエス福音)の人は、
黙想を体験されたし。だいたいこの系統の宗派は饒舌すぎるのではないか。
この過度の騒々しさや過激さが、法友からもひかれる原因になっているのは、
そちらのほうがよくおわかりのことと思う。新興宗教は伝統宗教の寡黙さを批判
するが、饒舌なら人はわかってくれるのかといえば、日本の場合はノーである。
むしろ饒舌であるがゆえに、薄っぺらで深みがないと簡単に見透かされてしまう。
ここの饒舌さは、自分が神から愛され救われたと実感した結果、自然と
多幸感が湧き出てハイになり、キリストの話をするのが楽しくて仕方がないという
より、自分の要求が通るまでわめいている幼児のそれである。ひょっとしたら
この系統の宗派の信者は、自分が神から愛され救われたという実感を持った
ことがない(持つことができない)のではないか。彼らの中にあるのは、
常に「神から見捨てられるかも」という不安感だけではないのだろうか。
もしそうであれば、この系統の宗派の教えは間違っているということだ。
口を開けばリバイバルリバイバルといい、自分たちのところに多くの人が
与えられるようにと、強烈な祈りを展開しているようだが、同信の者が
「あれではね」というところに、どうして今まで宗教を信じることのなかった
者が来るだろうか。今のままでは絶対にだめだと危機意識を持ち、どこかに
出口はないかと模索している者は多いと思う。歴史的にみても、プロテスタントは
カトリックから出ている。差別と偏見の目で見る者もいるだろうが、それは
ひとまず横に置いて、とにかく黙想会に参加してみること。これはプラスに
こそなれ、決してマイナスにはならないのだから。