>>886 音声資料は親鸞聖人の教えではないと思います。
親鸞聖人の教えのどこに、誰それに従わないと助からない、
という言葉があるのでしょうか?
何々しないと助からないと言うことはほとんど言えないと教えられますが、
少なくとも、そのような気持ちを持とうとするのはいいことなのではないですか?
900 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 00:19:32 ID:FWTslR/9
クリスマスにサンタにプレゼントお願いしたいのですが…(50才・男性)
>>898 興福寺奏状に「霊神に背く失」があるところをみると、
阿弥陀仏以外の諸仏諸菩薩、天神地祇を廃する念仏者がいたんだろうね。
また、親鸞聖人も署名したと言われる七箇条制誡には
1)天台・真言の教説を破せず、阿弥陀以外の仏・菩薩を謗らないこと
2)諍論をしないこと
3)念仏者以外の人を嫌いあざ笑わないこと
4)念仏門には戒行なしとして、婬・酒・食肉をすすめたり、
造悪を恐れるななどと言ったりしないこと。
と、諸天どころか諸仏、諸菩薩を謗る念仏者(謗法罪だな)がいたようで、
法然上人はそれを押さえようとしている。
蓮如上人も
「一 諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
一 諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
一 信心をとらしめて報土往生をとぐべき事。」
という三箇条の掟を出しているところをみると、かなり根深かいようだ。
おもろなっとるねー
ほんで、ほんで、どうなるん?
アッつい、あっつい、あっついのう。
>>887 では今後も、あのような内容の会合が親鸞会でなされる事は一切無いということですね。
やったらそれは親鸞聖人の教えではないということで。
>>905 でも従わずに助かるとも言えないと思いますよ。
907 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 09:10:17 ID:uSUps7zY
児玉さんもセクハラW部さんも反省して、
今後あのような会合はしないと言っています。
908 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 09:45:04 ID:urYHLSpH
>>906 隊長!
カルト教義洗脳者約1名(ID:V/vfKWoJ)ハケーンしました!
隊長て誰よ
910 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 11:26:41 ID:XQBN+h/s
911 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 13:18:41 ID:nmV6PCU7
面接官「特技は嘘勧誘とありますが?」
学生 「はい。嘘勧誘です。」
912 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 14:38:05 ID:Uhvze+nW
>>ALL
亀田興毅をなめんなよ!
913 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 16:54:01 ID:fO0y2AN0
今夜あたり信心決定しそうな悪寒
914 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 17:32:34 ID:uSUps7zY
詐欺師高森
セクハラW部
915 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 18:07:15 ID:Fnaa23Nz
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ < フー 自作自演も疲れるぜ
(゚Д゚Λ)_Λ \____________
( ̄⊃・∀・))
| | ̄| ̄
(__)_)
アンチ
916 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 18:10:43 ID:+x9ln0YI
今日W部さんにお尻さわられちゃいました・・・・・
917 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 18:32:10 ID:C20iegRm
アホや
夏だ!
夏といえば、花火!
920 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 19:02:56 ID:urYHLSpH
夏といえば、祭り!
祭りといえば盆踊り!
921 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/08/03(木) 19:55:48 ID:3iDYGZoE
>>828 >宗祖が教行信証でなにを書いているかを教行信証を引かずに論じても意味がない。
墨を塗ってる裏本教行信証を使っている人に、表本の教行信証を引用しても通じるわけがない。
聞く耳がなく無宿善のおぬしに解説してみても、どうしようもない。聞く耳ができ、宿善開発
したら、そのとき尋ねるがいい。
>断章取義や
掲示板での議論には掲示板なりの制約がある。断章取義になるなと言っても、断章取義になら
ん議論が、こんな掲示板でできると思っているのか。掲示板というのは、断章取義の限界の中で
しか議論はできないだろう。馬鹿馬鹿しい。
要するに相手の議論は「断章取義」だと言って、揚げ足を取るぞと待ってるという分けだ。
さあ、待っているから揚げ足を揚げてこいというわけだ(苦笑)。
>改変を加えるのも話しにならない。
「親鸞聖人は生涯、御名号のみを本尊として仰がれてたいたことは、種々の記録によって極め
て明白である」(白道燃ゆ)
改変は、親鸞会のお家芸。ヘソが茶を沸かす。
>こんな文章はどこにもない
<苦笑> 親鸞会発行の書籍を使えばこういうことになる。
僕はおぬしの家庭教師じゃない。あんたらの本には載ってないんだろう。南無阿弥陀仏と阿弥
陀仏との関係を、これほどはっきりさせている言葉は少ないが、親鸞会はここにも墨を塗ってる
んだろう。まあ、カルトの御仁とは、付き合いきれないね。
>二種法身の概念規定について論ずるなら文拠が必要だ。
二種法身の議論は
>>508か出した議論だろう。僕はそんな議論をしたいと思っちゃないよ。あ
んたと議論してると疲れるよ<苦笑>
922 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/08/03(木) 19:56:58 ID:3iDYGZoE
>当然、禅念仏をしたという仮説も、法照禅師を引文した程度の論拠ではなく、はっきりとそれ
を勧めた出拠がなければ妄想に過ぎない。
最初から聞く耳の無いひとに、説明するつもりなんかは、微塵もないんだよ。
今まで行の巻のそんなところ、読んだこともないんだろう。言われてチラッと墨を剥がしたが、
見たくもなくて、また上から墨を塗り直したか。
「はっきりとそれを勧めた出拠を出せ」?。<苦笑>
座禅して念仏せよは、親鸞さんが僕に向かって対機説法で語ってくれたこと。座禅が嫌いなお
ぬしに話していることではない。外道の坊主は座禅が嫌い<苦笑>。文句は親鸞さんに言ってく
れ。
「法照禅師を引文した程度の論拠ではなく」
コンナコト イウ ヤツ ト マジメ ナ ギロン ナド デキル ワケ ガ ナイ<苦笑>
>親鸞会も真聖全を使っていると聞くがな。 貴方は高森さん? <苦笑>
>>830 >ここは小学生相手に法話する場じゃない
大人でも小学生の常識も忘れた人には、小学校の教科書に出ている様なことを説明しなけりゃ
ならん。
ににんがし、にさんがろくを忘れた大人に、ににんがし、にさんがろくを説明するのに、微積
分や三角関数を持ち出す奴はおらんだろう。
阿弥陀仏が架空じゃないって?。実在しているって?
桃太郎さんは、宇宙のどこかに存在していると確信している御仁には、小学校れべるの話をし
なけりゃならんだろう。そこで、原子物理学や、近代経済学の話をもってきてどうするの?
阿弥陀仏は架空だと言っても、イソップの話も通じない御仁には、こちらは相手ができません。
923 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/08/03(木) 19:58:07 ID:3iDYGZoE
>論を発表するなら、文拠を添えるべきだ。論拠のない仮説など妄言にすぎない
教行信証の行の巻にまで墨を塗っている人に、何を語れというんだい?もう見解の相違という
外はない。あとは何とでも言ってくれ。僕はもう、貴方に降参だ。降参だ。降参だ。
(・_・)o尸~~マイリマシタ〜 (あはは)
バカも休み休み言うもんだよ。
>架空ではない。正信偈「摂取の心光、つねに照護したまふ。」
何とでも言ってくれ。馬鹿馬鹿しくて、笑うのにも疲れたよ。
「摂取の心光、つねに照護したまふ」と、親鸞さんが言えば、それが実在の証拠になるって?。
実在しなければ、「摂取の心光、つねに照護したまふ」ことはないのか?
源氏物語に惹かれ、源氏物語を必死に研究している研究者はいくらでもいる。そんな人は、主
人公の光源氏などをまるで自分の親友、恋人のように褒めちぎるだろう。
光源氏を自分の恋人のように褒めちぎっている人がいれば、それで光源氏の実在性が照明され
たなどという御仁は、世界の中でおぬしだけだろう。
きりぎりすさんの足下で、せっせ、せっせと働いて見せてくれた蟻さんは、二千年後の今日で
も、働くことの大切さを子供達に教えてくれている。
さらに今後、二千年後子供達にも教え続けるだろう。
蟻さんの知恵の光、全ての子供達に、働くことの大切さを漏れなく教えようという摂取の心光
は、いついつまでも、変わらず子供達を照護したまふのよ。それでもきりぎりすさんが訪問した
ありさんが宇宙のどこかに実在すると、真面目に信じている奴など、親鸞会のおぬしらだけだ。
架空のもので、摂取の心光、つねに照護したまふものなど、いくらでもある。摂取の心光、つ
ねに照護したまふとも、架空性には何の影響もない話だ。
アリとキリギリスの話を聞けば、六歳の子供でも、働くことの大切さが少しはわかる。ありさんが摂取の心光をつねに照護したまふている何よりの証拠だ。
座禅して念仏もうしてみなさいな。必ず効果が出る。それこそ「摂取の心光、つねに照護したまふ」証拠だろう。
924 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/08/03(木) 20:00:51 ID:3iDYGZoE
>教行信証と言っても、中身の違うもの
何とでも言ってくれ。小学生の常識もないノータリンは相手にできん。
>>831 >あんたは殆ど賛同されないんだ。
おおきなお世話だ。小学生の常識もない奴に賛同されたら迷惑だ。
>この一言は、はたして真実か?
子供の砂場の泥いじり。言葉遊びのままごと遊び。
小学生の常識もないと思ったら、幼稚園の園児のような遊びがしたいか?
言葉遊びなどは卒業したらどうよ?。「この一言は、はたして真実か?」何を馬鹿なことを
言っているのか?
言葉遊びがなくなれば、おぬしにはすることが無くなるのか?。
>それを証明することを 〜 生涯をかけて究明したんだよ。
おぬしの言っていることは間違っているというつもりはないが、おぬしが言えば、夢遊病者の
うわごとだ。
>その辺の酔っぱらいの妄言とは違う。
自分の夢遊病の寝言癖を治療してから言ったらどうよ。
>仮説を裏付ける論拠さえ確かならいくらでも聞く
話を聞くと言うことは、謙虚に聞くと言うことだ。相手の話を、条件付けず、色を付けずに聞
くと言うことだ。
教行信証行の記載を軽んじるおぬしに、まともに話が伝わるなど、こっちは全く思ってない。
仮説を裏付ける論拠などと、そんなものが、おぬしの耳に、まともに届くはずがないだろう。
顔洗って出直してこい。「果たして真実かなど」、言葉遊びのままごと遊びから足を洗い、小
学校の教科書をもう一度読み直すといいだろう。大人の話はそれからだ。
夏といえば、盆踊り!
盆踊りといえば、盂蘭盆!
>墨を塗ってる裏本教行信証
無根拠
>断章取義にならん議論が、こんな掲示板でできると思っているのか。
論点ずらし
こっちは親鸞会が意図的に断章取義を取っていることを批判しているんだ
あんたの場合は古文の読解力不足のせいでそうなっているのかもしれんがな。
>改変を加えるのも話しにならない。
読解力不足による決めつけ
こちらは親鸞会ではない。
改変の見本
>>551 >阿弥陀仏というのは、南無阿弥陀仏をほめたもう徳号なり(蓮如)
妄言を補強するために文を改変するなど論外だ
>あんたらの本には載ってないんだろう
データーベースソフトを使って検索しても存在しない
あるのは、あんたの文章の改編元である
>>653だけ
>>508 阿弥陀仏が虚仮でないことを証明したのが二種深信の論理
>今まで行の巻のそんなところ、読んだこともないんだろう。
>『仏本行経』による。[法照]〈なにものをかこれを名づけて正法とする。
>もし道理によらばこれ真宗なり。好悪今の時すべからく決択すべし。
>一々に子細朦朧することなかれ。正法よく世間を超出す。持戒・座禅を正法と名づく。
>念仏成仏はこれ真宗なり。仏言を取らざるをば外道と名づく。因果を撥無する見を空とす。
>正法よく世間を超出す。禅・律いかんぞこれ正法ならん。念仏三昧これ真宗なり。
>性を見、心を了るはすなはちこれ仏なり。いかんが道理相応せざらん〉。{略抄}
持戒座禅は正法である
しかし、末法の凡夫にとって念仏成仏が真宗なのである。
という意味だな。
親鸞聖人は持戒座禅を権教であると見ていた。
末灯鈔
聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、
仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。
仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。
また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。
>>922 >阿弥陀仏が架空じゃないって?。実在しているって?
仏教学の理の上では実在するとは言えない
しかし、有見、無見への執着を払拭できる聖者なら話は別だが、
有無の見にとらわれた凡夫のための阿弥陀仏である。
架空=虚仮であるというのは言い過ぎだ。
>教行信証の行の巻にまで墨を塗っている
原文を改編し仮説の論拠とするような人間が何を言っても説得力なし
>>924 >教行信証行の記載を軽んじる
行巻
諸仏称名の願[浄土真実の行][選択本願の行]
「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり」
まあ、あれ
>>551 >阿弥陀仏というのは、南無阿弥陀仏をほめたもう徳号なり(蓮如)
これが載っている真宗聖教全書でも註釈版でもいいからページ数を言ってごらん。
無いから。
原文を改変して平気な嘘吐きに言われても…ねえ?
>仮説を裏付ける論拠
>「果たして真実かなど」、言葉遊びのままごと遊び
旧仏教から浄土宗へ突きつけられた古い設問であると同時に、
十余ヶ国の境を超えて訪ねてきた念仏者の設問でもあり、
我々が問われる設問でもある。
酔っぱらいの妄言しか言えない、あんたにとってはままごとなのかもしれんがな…
>>927 > 持戒座禅は正法である
> しかし、末法の凡夫にとって念仏成仏が真宗なのである。
>という意味だな。
ちょっと踏み込みすぎたかな?
しかし行巻での大行の定義とは
>つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。
>大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。
>この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。
>極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。
>ゆゑに大行と名づく。
江戸宗学で学派によって大行の定義は違うが、まあ素直に読めば大行は称名だな。
名号には法性法身から生じた阿弥陀仏によって、諸々の善法が摂せられている。
それが持戒座禅も不要であるという末灯鈔の文につながる。
935 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/08/03(木) 22:15:32 ID:GtgvzxnU
>>931 >改変の見本 <誤解だけ解いておこう>
蓮如上人御一代記聞書
23一 不可思議光仏、無碍光仏も、この南無阿弥陀仏をほめたもう徳号なり。しかれば、南無阿弥
陀仏を本とすべし」と、おおせそうろうなり。
「不可思議光仏・無碍光仏も」を「阿弥陀仏とは」と書いたらいかんのか?
┐( -"-)┌ヤレヤレ..
しばらく多忙。
936 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 22:50:15 ID:0YbyVcT8
937 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 23:07:56 ID:s0RUinTj
>>935 >「不可思議光仏・無碍光仏も」を「阿弥陀仏とは」と書いたらいかんのか?
昔の法戦を読んでるみたい。
渡海さんと同じような事を、高森会長が言っていた。
会員の人、覚えてる?
>>935 >阿弥陀仏というのは、南無阿弥陀仏をほめたもう徳号なり(蓮如)
>不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり、
「不可思議光仏、無碍光仏”は”」と「不可思議光仏、無碍光仏”も”」だと
全体の文意が違ってくるだろ。
不可思議光仏、無碍光仏"も"徳号(弥陀の徳を讃えた名号)って意味だろう。
>>551 >阿弥陀仏は架空の存在なんだ。阿弥陀仏というのは、
>南無阿弥陀仏は素晴らしいんだぞと教えるため
>に名乗ってくれている、名乗りなんだ。
にはならない
こちらの仮説(wだが、
ここでの不可思議光仏・無碍光仏は真宗で一般的に使われる名号の
「南無不可思議光如来」「帰命尽十方無碍光如来」の九字名号と十字名号のことだろう。
おそらく存覚上人の『弁述名体鈔』(真聖全5)を受けての蓮如上人は発言したんだ。
弁述名体鈔冒頭
>高祖親鸞聖人御在生のとき、末代の門弟等、安置のためにさだめおかるる本尊あまたあり、
>いわゆる六字の名号、不可思議光如来、無碍光如来、無碍光仏等なり。
>梵漢ことなれども、みな弥陀一仏の尊号なり。
すみません、誰か会長の顔が分かる写真をお持ちでしたらアップして欲しいのですが。
大きさや新しさは問いませんので、よろしくお願いします。
その蓮如上人の発言によく似た弁述名体鈔の該当部分は、
尊号真像銘文を受けていると考えていいだろう。
>不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり、
「南無阿弥陀仏"を"ほめたまふ」
まあ"
南無"がついていることと"を"が気になるところだが。
「尽十方無碍光如来」と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。
「尽十方」といふは、「尽」はつくすといふ、ことごとくといふ、
十方世界を尽してことごとくみちたまへるなり。
「無碍」といふはさはることなしとなり、さはることなしと申すは、
衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。
「光如来」と申すは阿弥陀仏なり、この如来はすなはち不可思議光仏と申す。
この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。
渡海が来ると荒れる・・・
「大先輩の王者でも『あれ?』という判定で防衛したことはある。救われることはあるし、運も実力のうち。判定で選手が泣いたり、笑ったりを繰り返すのがボクシングだ」
943 :
名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 23:52:31 ID:L81vkGgd
蚊目打乞木がなんだって?
書きかけで送信してしまった
>不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり、
「南無阿弥陀仏"を"ほめたまふ」
まあ"南無"がついていることと"を"が気になるところだが、
徳号について(化巻)
徳本とは如来の徳号なり。
この徳号は一声称念するに、至徳成満し衆禍みな転ず、
十方三世の徳号の本なり。ゆゑに徳本といふなり。
ここでは「南無阿弥陀仏」の六字名号を指して徳号といっている。
そして尊号真像銘文には帰命尽十方無碍光如来の釈では
「帰命尽十方無碍光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、
また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり。
「尽十方無碍光如来」と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。
と、帰命尽十方無碍光如来(帰命付きだが)と南無阿弥陀仏が同意である事が示される。
”南無”については弁述名体鈔には
「六字の名号、不可思議光如来、無碍光如来、無碍光仏等なり。」で、
不可思議光如来や無碍光如来に、南無がついてない。
(尽十方無碍光如来の場合は帰命がついているはずだが)
だから「不可思議光仏も無碍光仏”も”、南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり」となったんだと考えられる。
すごいね。
なんやかんや言っても、一番大事なのは御名号!
皆の者、南无阿弥陀仏のいわれを聞きなされ!!!