【Jesuit】カトリック大阪大司教区【正平協】Tres.
92 :
小林 徹也:
日本社会はカトリックの教育や福祉を利用したが、真に恵みを受けるために
洗礼を受けるものは少なかった。今振り返れば、それらは全て意図的に
コントロールされていったとしか言いようが無い。
現在でも、ミッションスクールの90%の生徒が非信徒であり、洗礼を受けさせるつもりが全く無い両親の子供である。
彼らは、自分たちのステータスと教育の質のためにカトリックを利用したが、最近では妨害するような生徒を誘導している。
カトリックは、国際交流分野での円滑なコミュニケーションと、日本民族の優位性を示す為に利用すればそれでいいと考えているようである。
すなわち、日本民族にとって利用価値が無ければ、カトリック信仰は必要なく、巧妙に邪魔すべきだと考えている。巧妙に邪魔すればわからないし、
法律で問題化しなければ、言い訳していれば済む。
反抗するものや気づくものたちは、社会的圧力を最大限にかけて黙らせればいい。
そんな風に考えているとしか、感じられない。私の体験し、見てきた内部の状況ににおいては。
93 :
小林 徹也:2006/06/25(日) 12:52:48 ID:mnpH9Eor
私の祖父、小林四郎の子供は5人いた。長男の敏雄は、長年・東京大学付属病院に
職員として勤務し、現在は退職して老年の最後の日々を過ごしている。
この小林四郎の長男・敏雄の人生は周囲には穏やかで堅実なものに見える。
しかし、この敏雄の長男・道夫、すなわち私のいとこが、まず、若い時(20代前半)に異常な事故を体験する。
友人と車に乗り、助手席に座っていた時に、バイクの青年が交差点で突っ込み、激突して車は横転、
運転していた友人は死亡し、道夫は車から投げ出されて大怪我をした。
その後、リハビリを続けながら、公務員として役所勤めをしている。事故の後遺症が継続しているので、
結婚はできなかった。50才代に入った現在も独身である。
これは、確認できる最初の決定的な不審な事故の現われだが、これ以前にも祖父の子供たちの代に、
明らかにヤクザがらみと見える、不審な出来事や取り囲んだ人間関係が確認できる。
これから書いて記録していくのは、祖父が戦時中の1944年に胃がんで死亡した後の、戦後の小林家に継続してきた
不審な不幸と人生の破壊の連鎖についての記録である。
まるで、何者かが、小林四郎の子孫に「黙れ。発言力を持つな。迷惑だ。」と言ってきたかのようであると、私には見える。
上記の小林家の一件と、私が高校在学時にローマカトリックの洗礼を受けた後に体験した
ローマカトリック教会組織内での妨害工作は、別の流れであるが、私の人生で合流している。
私が所属していた東京・三軒茶屋教会は、戦後の歴史の中で伝統的にフランシスコ会・ローマ管区の
イタリア人司祭たちの担当する教会であったが、周到な日本人による妨害工作にイタリア人宣教師たちは激怒していた。