【Jesuit】カトリック大阪大司教区【正平協】Tres.

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82小林 徹也

いったい、どうして、あなたがたは私と私の家族に謝罪をせずに、自分たちの導いた非キリスト教徒の若者たちを ”ウェディングチャペル”の十字架の前で、気分よく結婚させることができるのか? これほどの恐ろしい偽善と傲慢と、真実を知る愛の神への侮りがあるだろうか?

それに気づけないとすれば、あなたがたにとって神とか宗教は、生活のインテリアに過ぎず、単なる人間の思想でしかない。

私と私の家族、一族への誠意ある謝罪と償いが無ければ、あなたがた信仰者でない日本人が"ウェディングチャペル"で、十字架の前で、気分よく婚姻を誓って立つことなど、できるはずがない。
あなたがたとあなたがたの育てた若者たちが、愛である神を侮って、冒涜しているにすぎないことになる。 これから、さらにこういった状況が霊的次元で継続し、裁きが深まっていくことになるが、 それでもいいのか?
83小林 徹也:2006/06/25(日) 11:01:30 ID:mnpH9Eor

私の祖父、小林四郎には子供が5人いた。
祖父は、栃木県の地主の長男として生まれ、東京帝国大学で化学や農学を学んで卒業し浦和師範学校(現在の埼玉大学)の教授をしていた。
近隣の久喜女学院の指導や地域の農業の理論指導も行ったようである。

戦争の遂行と協力に抵抗したかった祖父は、太平洋戦争の数年前、栃木の実家の家督を帝国海軍中将(帝国海軍No.2レベルの地位)であった
実弟の六郎に譲り、大宮聖公会教会の横に家を買い、移り住んだ。宣教師とも親しかったと言う。父と叔母は、聖公会の聖愛幼稚園に入れられた。
父の所有する幼稚園の卒園写真は、現在もそのまま残る教会建物の前である。

おそらく、実弟の地位を利用して、祖父に圧力をかけることも、軍人たちの目的だったのではないか。
祖父は、紀元2600年の祝いには、宮中に招かれた地域の名士のひとりであり、天皇との団体記念写真と、いただいた勲章が残されている。
祖父が、軍人が台頭していった昭和初期に、どのような抵抗をしたかは伝えられていないが、政府要人や官僚が殺害されていく中で、
次の世代の教育者として、いかに苦しんだかは想像を超える。

祖父は、1944年に胃がんで死亡したと伝えられている。
戦後、小林家(実弟のものになっていた。)は栃木の所有地を農地改革で分割して地域に提供した。
残された祖母と父の兄弟姉妹は、大宮の家から、同じ埼玉地域の草加に移り住んだ。

戦後の小林家に明らかに継続する、何らかの隠れた右翼勢力による巧妙かつ悪賢い、
人生への妨害破壊工作と封じ込めについては、次に記載する。