883 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 02:33:31 ID:b8YvIgCq
釈迦の教えは何も難しいものではない。
かいつまんで言うと、彼の教えは、この世の生存は苦である。
苦を滅するということは、もう生まれてこないということだ。
不死の境地とは死なないということだ。
死なないということは、生まれてこないということだ。
原因なければ、結果無し。
それはこの世への生存を生む原因となる、この世への執着を絶つということだ。
そこに涅槃はある。この真理を知らずに、この世への生存は苦であるということを知らない
無知なる者は、この世への執着が絶てず、輪廻を繰り返し、再び苦しみでしかない、
この迷いの生存、つまり、この世の生を繰り返す。ということだ。
原始仏典などを素直に読めばそういうことになる。何もねじ繰り返して、無理な解を作る必要もない。
ただシンプルな教えではあるが、その境地は、誰にでも手にできるというものではないらしい。
どうやら、瞑想により、現世においても、その境地を知ることができるようだが、
残念ながら、その手法は失われてしまっているようだ。なぜなら、今の仏教徒を見ればよくわかる。
釈迦の在生中は、比較的多くの、出家、在家問わず、その境地を知り、
阿羅漢がいたようだが、今の仏教徒を見る限り、皆無に等しい。八正道すら否定する禅宗などはなしにもならん。
884 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 02:36:33 ID:b8YvIgCq
>>882 俺はカラスだが。わかってる人にはバレバレだったと思うけど。
いやなにね、暇だからつい、頭のいい馬鹿を、からかっちまった。
今度は聖句スレでも行ってやるかな。
885 :
p:2006/09/18(月) 02:39:01 ID:xhDpxakn
カラスさんだったか。
あんたは梵天を見てないの?
見てなければ、そこまで的確な現代仏教批判は出来ないと思っていたが。。。
どっちにしろ大したもんだ、読んでてスッキリした。
886 :
220:2006/09/18(月) 03:00:42 ID:Aj3IBtqL
>>833 世の中を苦しか感じない人にとっては、ありがたい教えなのか知らないけど、
大勢の人々はそんな風には感じていません。
喜びや楽しみは何処へ行ってしまったのでしょう?
仏教の受け入れ難くしている理由の一つだと思います。
887 :
p:2006/09/18(月) 03:02:39 ID:xhDpxakn
仏教も教団維持とか、国教にまでなっちまうと色々と事情があるからね。
伝言ゲームやっているうちに色んなもんが混じってくると思うよ。
一人ニッバーナを目指すなら、あまり政治色が強く無いヨガが一番かもね。
>>854 悟ったから出来ることなど、取り立てて言う程のもんではないでしょ。
一番の違いは、もう悟りを求めなくなること、これに尽きるんじゃね。
>世界を平和に導いたとか飢えで苦しむ人々を救ったとかいう実例が数多くあるのでしょうか?
梵天の意志がそうなら、とっくにそう言う世界に成ってるがな。
ただ、仏教国は穏やかで平和的なことは確かだなぁ。
貧乏人は多いけど表情は明るいぜ。
888 :
p:2006/09/18(月) 03:11:12 ID:xhDpxakn
あと、仏教国は乞食が多い!
貧富の差がデカイじゃないかと思うが、
よく考えてみると、日本では乞食が成り立たないんだな。
徹底的に民衆に無視される。だからホームレスに成るんだよ。
仏教国では、貧しいものに施しをする心が有るから、乞食が成り立つんだな。
日本は何でも行政に押しつけようとする、老人介護などもそうだな。
889 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 03:36:07 ID:bkupeZnP
すべては運命と言っていいくらいどうしようもない。
結局、運命論に帰結する。
つまり悟りは起こるものなんだよ。
方法はない。
起こるものに方法なんかない。
悟りが必要なくらいの苦しみがあるかないか。
その苦しみと出会うかどうかは運命だ。
人の感情や思考も運命であり自由ではない。
自由意志はない。
運命が人の感情や思考をして、
運命がその人が悟るかどうかを決める。
運命論を否定しようするエゴの強い奴は、
よく理解もしてない量子論などを持ち出し反論するが、
量子論では運命論を否定できないことを知っといた方がいいだろう。
因果が成立しなくても予測できなくても運命論は否定されないんだよ。
890 :
220:2006/09/18(月) 03:43:28 ID:Aj3IBtqL
>>887 > 一番の違いは、もう悟りを求めなくなること、これに尽きるんじゃね。
「ひっとして神秘的、超人的な能力でも身に着くのか?」と思ってしまう人もいるかと思うのですが、
個人的には「人間はそれ以上でもそれ以下でもなく、お釈迦様も所詮は人間でしかない」と思ってます。
悟りというものが人間を如何様に変えるのかは良くワカリマセンが、
人間を丸くする程度のものではないかと思います。
> 梵天の意志がそうなら、とっくにそう言う世界に成ってるがな。
だよねぇー
世界の宗教は理想と現実が反比例して平和に導くよりも争いの火種になっている部分が多いような・・・
> ただ、仏教国は穏やかで平和的なことは確かだなぁ。
それって仏教が及ぼす思想的影響によるものでしょうか?
元々の民族的、風土的なもんじゃない?
891 :
220:2006/09/18(月) 04:00:04 ID:Aj3IBtqL
>>888 > あと、仏教国は乞食が多い!
良くワカランけど気候的な違いなどによるのでは?
厳しい気候の地域では「乞食=即死」になってしまうけど、
穏やかな気候の地域では、それなりに生きて行けるんちゃうんかなぁ〜
892 :
p:2006/09/18(月) 04:21:43 ID:xhDpxakn
>>890 >> ただ、仏教国は穏やかで平和的なことは確かだなぁ。
>それって仏教が及ぼす思想的影響によるものでしょうか?
>元々の民族的、風土的なもんじゃない?
風土に依るもんかも知れないし、そうでないかも知れない。
ただ、不毛な争い事(争い事全てを否定するのではない)の原因は、
過剰な欲望にあると言うこと。
仏教はこの欲望をコントロ−ルする事を、修行に取り入れている。
結果として、争い事は最小限に抑えられていると思うのだが。。。
現代日本のコマーシャリズムは不毛な欲望を煽りすぎ!
>>891 日本にも昔は乞食が居たのだよ。今はホームレスになっちまったがね。
893 :
220:2006/09/18(月) 05:09:39 ID:Aj3IBtqL
>>892 仏教国の多く人々が仏教的修行を積んで欲望をコントロールしているって事はないでしょうけど、
修行僧の生き方から集団真理的な影響を受けているのかも知れませんねぇ〜
894 :
220:2006/09/18(月) 05:20:42 ID:Aj3IBtqL
895 :
p:2006/09/18(月) 05:35:53 ID:xhDpxakn
>>893 男性は皆一度は出家しますよ。
徴兵ならず徴僧みたいなもんですw
カラスの唄さんのレス遅ればせながら読み終わりました。
キリスト教だったんですねー
私はグノーシスくらいしか興味なかったんですがね。
改めてキリスト教に興味持ちましたよ、いやぁー感謝!
896 :
220:2006/09/18(月) 06:05:59 ID:Aj3IBtqL
897 :
p:2006/09/18(月) 06:10:02 ID:xhDpxakn
>>896 東南アジア一帯ですが、
タイは商業主義に犯されてますね。
ミャンマーは現役ですよ。
898 :
220:2006/09/18(月) 06:32:02 ID:Aj3IBtqL
>>895 短期間修行しただけでは修行的な成果は殆ど無いと思うけど、
出家したという経験が自負になっているのかな?
向こうの坊さんは尊敬されているみたいだしw
899 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 07:06:23 ID:VHPwVIrb
>>871 お題を頂戴いたします。
>何度も何度も言うが、釈迦は、一切皆苦だと言っているのだよ。
一切皆苦ならば、苦から苦は生じんでしょ?
(この論理はわかりますね)
苦が生じないならば、四諦は無効になる。→無苦集滅道
(簡単に言うたら、そういうことなんですよ)
ですから私は、一切皆苦には逆説的な絶対肯定の意味が含まれえいる。
と、
かようの言うておるんです。
世俗の論理を「色」といいます。
勝義の論理を「空」といいます。
(色即是空です)
つまり、この二相にて調はねば、釈尊の本義には到らんのです。
900 :
名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 09:26:31 ID:/V61BAeb
私の名前は悟得悟(さとうさとる)と申します。
901 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 11:32:35 ID:b8YvIgCq
>>899 八正道には、正見というものがある。
俺がひとつ正しいものの見方というものを教えてあげよう。
確かに君にというとおり、楽の裏に、苦があるというものも真理だろう。
だがそうだからといって、一切皆苦の教えを、無いものにしてはいけない。
釈迦のいう四諦の真理とは、君らの言葉遊び、そんなことを言っているんではない。
一切皆苦とは、たとえ楽があっても、この世では、それはいつまでも続かない。(一切行無常)
人はその楽が過ぎ去った後、またその楽の時をくるのを渇望するだろう。
愛するものとの出会いは喜びだ。だが、この世に生きる限り、
その愛する人との出会いも、いずれ必ず別れ来る。死による別れ生前の別れにせよ、
別れは必ずやってくる。(一切行無常)
そのとき人は悲しむだろう。繰り返すが、楽しいひと時も、いずれ終わりの時が必ずやってくる。(一切行無常)
楽しいひと時は、この世では永遠に続かないのだ。(一切行無常)
若いあなたは美しい。若い私は美しい。この肉体は美しい。だがそれも、
いつまでも続かず、いずれ、老い朽ち果てる(一切行無常)
どんなに楽しくこの世を過ごしても、それはいつまでも続かず、いずれ生老病死を迎える、
この世の生存は、結局は苦しみでしかない。(一切皆苦)
結局この世に生まれる人の人生は、死によって幕を閉じるのだ。(一切皆苦)
釈迦のいう一切皆苦とは、こういうことを言っているのだ。
こういうことをこういうものの見方こそ正見というのだよ。
正見とは、四諦の真理を正しく見るということだ。しかし仏教の根幹とも言える、四諦の真理を、
お得意の言葉遊び、屁理屈で、無いものにしてしまい、皆に間違った教えを言いふらす。
法を汚し続ける君の罪は重いよ。
902 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 11:34:39 ID:b8YvIgCq
>>899 ちなみに苦から苦は生まれる。
ケースによれば苦はさらなる苦を与える。わかるかい?
君の言葉遊びは、今日はさえないようだな。突っ込みどころ満載。
あたかも、母が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとしいける
ものに対しても、無量のこころを起こすべし。(149)
また全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。(150)
(スッタニパータ)
慈しむ心はどこから生ずるのか。
苦から生ずるのか?
905 :
釈迦原理主義者:2006/09/18(月) 13:23:31 ID:XQFt+/J1
なんだ、カラス・ケロンパ(戯論派)はまだ蔓延っていたのか。
906 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:08:45 ID:b8YvIgCq
>>905 なにが戯論派だ。難しい言葉使うのが、仏教だと勘違いしてんじゃねぇの、おまえ。
馬鹿だから。君ら、肝心な問いには、何も答えられないじゃないか。
お前達の能書きから導き出される結論が正しいのなら、釈迦の教えなどあってもなくても
一緒だ。単なるマイナス思考による苦の消滅を唄う仏教など、現代には必要ないのだよ。
そこんとこわかってんの?
ところでお前は、釈迦が形而上のことなど話すわけが無いと言い切っていたよな。
一方では、テーラガータの長老の話を引用して、『現世での』ニルヴァーナ到達シーンをわざわざ書き込んでおいた。
なんて言っていた。釈迦やその弟子達は、それは不死の境地だと言っている。
釈迦が形而上のことを語っていないのなら、瞑想により、トランス状態にでもなっていたのかい?
そんなのが悟りなら、シャブでもやってろって。薬入れて、ハイになってりゃ、善悪もくそも無く、ニルヴァーナ
の気分だぜ。ククク。
お前達の言う、釈迦の悟りは、単なるこの世の意識革命なら、心の訓練だけですみ、瞑想などする必要もない。
また、単なるマイナス思考による苦の消滅を唄う教えなら、先にも言ったように、現代には必要の無い教えだ。
最近の意識革命に関する書物、成功者達の哲学など学んだほうが、よほどためになる。われわれに必要なのは、
自分の能力以上の楽を求めず、ただしの覚悟だけできていればいい。お前達の能書により導き出される結論が
釈迦の教えなら、仏教などやるより、そのほうがよほど有意義な人生を送れるってもんだ。
907 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:16:20 ID:b8YvIgCq
別に仏典は、聖書などと違い、たとえで書かれていない。
なにもあれこれ解釈する必要はないのだ。
それを愚か者達は、普通に書かれている文言を、あれこれ屁理屈を捏ね回しては、
いろんな解釈をし、元の意味からどんどん違うものにしていっている。
連中、それが頭がいいと思っているから、困ったものだ。
白いものを、白だと書いてあるのなら、それでいいのだよ。
それをあれこれ屁理屈を捏ね回して、白だと書いてあるものを、
やれ黄色だ、黒だとやってきたのが、仏教の歴史じゃないのかね〜。
連中頭がいいつもりでいるが、救いようのない馬鹿である。
908 :
釈迦原理主義者:2006/09/18(月) 14:17:00 ID:XQFt+/J1
正確に嫁
909 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:22:42 ID:b8YvIgCq
>>906 訂正
文末から二行目にある、
>ただしの覚悟だけできていればいい
は、
>ただ死への覚悟だけできていればいい
ということな。
910 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 14:25:47 ID:b8YvIgCq
>>908 ところで君のハンドルは何かのギャグかい?
釈迦が泣いてるぜ。
君はお呼びじゃないよ。レベルが低すぎる。
911 :
釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 14:43:53 ID:XQFt+/J1
>>906 再びカラス・ケロンパは正確に嫁。
1+1=2だと言っているのに、
1+1=3が正解なのに1+1=5だと言ったという奴と
話はできん。無駄。だから再び
>>873 で、『779 :名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 09:54:54 ID:CVGrV6d5
1.現在の状態を、「生」
2.肉体活動の滅を、「死」とするなら
3.受精以前を、どう称するのでしょう。言葉が存在しないのでしょうか。
そして2.と3.は誰も経験した事がなく確かな事は誰も「知らない」。
もちろん妄想や想像は語れましょう。
だとすれば、1.についての真相について誰も確かな事は語り得ないはずですね。』
⇒が発端となった。
912 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 14:50:28 ID:VHPwVIrb
>>901 >四諦の真理を、
>お得意の言葉遊び、屁理屈で、無いものにしてしまい、皆に間違った教えを言いふらす。
>法を汚し続ける君の罪は重いよ。
いやはや、おそれいります。
では私が「四諦」について説明いたします。
四諦というのは真理ではなくて”苦を滅するプロセス”をいうておるんです。
ですから、メクラは四諦を参考に苦を滅したらいいんじゃないですか?
だけど四諦には「苦を滅する方法論」までは書いてない。
これはね、
食堂に逝って、メニューを見ている段階なんですよ。
メニューだけじゃ〜、彼岸までは渡れんでしょ?
だけど、参考にはなる。
こういう教えを参考にして〜〜彼岸まで逝くのです。
そして、
彼岸まで逝ったら、こういうものは全部捨てて宜しいのです。
(これを無苦集滅道というんです)
913 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:01:12 ID:b8YvIgCq
>>911 馬鹿じゃないのお前。
お前や他の人が知らないからと言って、釈迦も知らないってことになるんだよ。
何のための瞑想だ?死んだらどうなるか?釈迦は、
無明に囚われたものは、再び母胎に入り、迷いの生存を繰り返すと、はっきり言っているじゃないか。
お前は目クラか?おまえの理屈だと、釈迦も、妄想や想像で能書きたれていたと言うことだよな。
初期仏典を見る限り、釈迦やその弟子達は、普通に、前世のことも語っているし、形而上のことを普通に語っている。
それを、ある弟子とのエピソードのひとつだけを取り出し、その弟子には、形而上のことを語らなかったからと、
釈迦は一切形而上のことは語らなかったとする、君らの思考回路は意味不明だよ。
ま、馬鹿になに言ってもわかんねぇだろうけど。
914 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:17:55 ID:b8YvIgCq
>>912 >だけど四諦には「苦を滅する方法論」までは書いてない。
>これはね、
>食堂に逝って、メニューを見ている段階なんですよ。
>メニューだけじゃ〜、彼岸までは渡れんでしょ?
書いているよ、たわけが。
四諦とは、苦諦、集諦、滅諦、道諦といってな、道諦とは、
苦を滅する道(彼岸に渡る道)のことを言って、それは八正道だといっているんだよ。
なにが、無苦集滅道だ。あんたは、仏教と言うより、般若心経教だろ。
四諦の真理を軽んじ、八正道すら捨てよと能書きたれるおまえが、なにが仏教だ。
もう一度言うよ、自分がそう考えるのは勝手だ。だが法を汚し、間違った教えで
他の人を迷わし、正しいことを語る人の言葉から、皆の耳を塞げさせるような行為は許されない。
君の罪は重い。
で、あんたの結論を言ってみろよ。
あんたごまかしてばっかりじゃないか。一休が悟りだろ。
あんなのが悟った人だと言うのなら、釈迦の八正道もくそも必要ないわけだ。
何でもかんでもないとか言い、一休を悟った人とする君らは、
釈迦の教えとはまったく違う方向に行っていると知るべきだね。
一休など、ただの煩悩にまみれた、凡夫の一人に過ぎない。
915 :
釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 15:28:38 ID:XQFt+/J1
>>913 ・再三繰り返し
>>911 ・779での『現在』、『経験』という語ー釈迦のことをいっているのではない。
これ本当に小学生レヴェル以下の読解力だな。
もちろんカラス・ケロンパは 『経験』しなくとも確かな事を語れるのだな。
916 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:33:53 ID:b8YvIgCq
>>915 屁理屈ご苦労さん。ぼくちゃんいくちゅでちゅか?
917 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:39:11 ID:b8YvIgCq
>>915 >『経験』しなくとも確かな事を語れるのだな。
ちなみに俺が経験したと言ったところで、お前達が信じると言うのか?
自分達が経験したものでなければ、どうやって俺がそれを証明できる。
前にも書いたが、それは自分自身で確かめるしかない。
自分自身で確かめられなければ、信じるしかない。
言ってる意味がわかるかい?
918 :
釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 15:39:53 ID:XQFt+/J1
>>916 たしか 8 9 3 才だったと思うが、忘れたな。
カラス・ケロンパのとっちゃんボーヤはいくちゅですか?
で、前世と来世の経験を踏まえて、現世につき確かな事を
自分の言葉で語ってくらはい。
919 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 15:40:43 ID:VHPwVIrb
>>914 >四諦の真理を軽んじ、八正道すら捨てよと能書きたれるおまえが、なにが仏教だ。
八正道を捨てろ。
とは、私は言うてないですよ。
だいたいが、凡夫には何が正しくて、なにが正しくないのか?
っという根底からしてメクラの状態です。
つまり、眼が開かんと八正道そのものが迷いの道になります。
>>913の縁起説にしましても、八正道の「正思」にはなってませんね。
ちなみに縁起説を解説しますと、
この説は、メクラのために「無明の連鎖」を説明したもの。
(縁起説・逆観もメクラのための説明です)
ようは、無明さえなければ・・・この連鎖そのものもない。
これが勝義諦空による「正思」なりや。
<机龍之介・花押>
920 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:40:46 ID:b8YvIgCq
かえすがえす、信じるものは救われるとは、よく言ったものだ。
921 :
釈迦原理主義者 ◇XQFt+/J1:2006/09/18(月) 15:44:35 ID:XQFt+/J1
923 :
p:2006/09/18(月) 15:48:20 ID:9urT9K8R
釈迦原理主義者ってやっぱりギャグで付けたコテだな。
何も解っちゃいないではないか。
オレはカラスの唄氏の言っていることはよく解るし。
あの体験のあるものは、机氏や、あんたのような反応をしないこともよく解る。
924 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 15:49:52 ID:b8YvIgCq
>>919 >この説は、メクラのために「無明の連鎖」を説明したもの。
>(縁起説・逆観もメクラのための説明です)
そういうのを屁理屈だと言っているんだよ。
お前の説明で何で釈迦が、再び母胎に入るだろうなどと言うんだよ。
せいぜい言葉遊びで、白いものを黒いものだと説明して、悟ったつもりでいなよ。
925 :
p:2006/09/18(月) 15:53:42 ID:9urT9K8R
机氏は空の体験までしかしてないだろ、
空に固執しすぎ。
まして中道が悟りなどとは、何をか言わんや。
日本仏教の限界が見えますな。
926 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/09/18(月) 16:01:55 ID:b8YvIgCq
駄目だ、今日もまた口の罪を犯してしまった。
正語は守れない。今日も明日もあさっても。私の心は弱い。
釈迦の教えを、まったく違う意味としているのいるのに、これが釈迦の教えだと
能書きたれるものがいるとつい、エキサイトしてしまう。
キリスト教徒が、キリストを語りながら、イエスの掟など必要ないなどと能書きたれる
信仰義認の連中の能書きをみても、エキサイトしてしまう。
心が汚れてしまったので、この辺でいったん落ち。
927 :
p:2006/09/18(月) 16:07:08 ID:9urT9K8R
>>926 俗世に生きて居るんだ、それもしようがない。
928 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 16:09:17 ID:VHPwVIrb
>>924 では、もう少し簡単に説明します。
釈尊の出家の動機というのは「生老病死」の苦からの脱却でして、
出家の本懐は、この問題だけ解決されればいい訳です。
貴殿のように、釈尊の言説を拡大解釈したら、
ますます法から遠のきます。
釈尊が偉大なのは、こういったシンプルなテーマにして、
それが見事なまでに人間洞察を成し得た偉業かとおもいます。
先ずは原点に戻ることです。
「生老病死」。
そうなんです。「生老病死」は人間の問題なんです。
これだけ解決すれば、他は全部悟ってますね。
なんにも心配はいらない。
929 :
p:2006/09/18(月) 16:13:47 ID:9urT9K8R
>>928 では、一休さんが「死にとうない」と言ったのは、
悟ってないということでいいのですね。
930 :
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2006/09/18(月) 16:26:53 ID:VHPwVIrb
>>928 一休は、無明の因となす人間の固定観念を見事なまでに寂滅した、
その境涯は、後世の手本となります。
つまり、菩薩というのは、生き方そのものが末代まで影響をあたえ、
限りなく民衆は一休に学ぶことができる。
菩薩というのは、そういうもんです。
一休は悟ってましたね。
見事に悟ってました。
白隠は解らんですけど。
931 :
バカ梵:2006/09/18(月) 16:57:23 ID:IRs/2b7R
>>929 それ、最後のジョークじゃないの?
なーんてね
そうそう、最後のとんちかも