【天界と】エマヌエル・スウェーデンボルグ【地獄】

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625神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 10:27:45 ID:cHSKEGVK

死後の世界はありません。

おわり。
626神も仏も名無しさん:2009/02/07(土) 11:41:52 ID:hHXOHKH6
感覚的迷妄。
地球に生きてる人達が地球が太陽の周りをまわってるのに気付かなかったのと同じこと。
紫外線も見えないくせに視覚を信じるのはコペルニクスを迫害したカトリックとある意味似てるんじゃない?
宇宙人だって日本政府が信じようとしてる時代に。
死後の命は可能性を残しておくのが賢明な態度でないのかな。

627620:2009/02/07(土) 22:54:59 ID:7soy70/s
>>624

ありがとうございます。やはり、祈りと試練のプロセスなんですね。

私は、読書派で祈りの時間は、皆無なんです。

それで、そういう意見もでるわけです。

ある程度、祈りの習慣のある方には、どの派であっても、一定の常識的理論体系があればそれでいいのかもしれませんね。
628神も仏も名無しさん:2009/02/08(日) 15:39:57 ID:Zcmo5hJi
>>627
おお! 私の書き込みが何か示唆になったのなら、これほど嬉しい事はありません!
あなたの祈りが祝福されるように、主にお祈りし続けます。

祈りもまた 戦いと学びですが、主が導いてくださります。
依存症で七転び八起きな私が言うのですから、間違いありません。
仰る通り、本当の意味で祈りがしっかりしている人は、派閥に限らず
思慮ある良い信仰をお持ちの方が多いような気がします。
祈りの人になりたいものです。
629627:2009/02/09(月) 22:00:02 ID:7gzDf586
>>628

ありがとうございます。やはり、理論的な話より、その方の実体験に基づくお話は説得力があります。
うすうす感じていたことが、明確になりよかったです。
祈れるようになれるように、主に祈ってみたいと思います。
ただ、これだと、祈れない人は永遠に祈れないような・・・。
630神も仏も名無しさん:2009/02/11(水) 05:59:46 ID:hMaVviJI
天界か
631神も仏も名無しさん:2009/02/12(木) 13:45:07 ID:o4KYwljl
>>629
"祈らない"と"祈れない"では、少し異なる気がしますが、
端的に言うと、自己責任なのです。

ルカ11章にあるように、祈ることは主の命令(みこころ)です。
「求めよ、さすれば与えられる」と言うとおり、
祈りは主との絆となっていくことでしょう。

ただ、霊的な幸福と同じく 辛酸も味わって、
「自分がいかに可能性を与えられ、前進できるか」
「実際は自分がいかに無力で、些細な事に翻弄されるか」
ということも少しずつ教えられています。
これぞ"あたかもの原理"ではないでしょうか。

一筋縄ではいかないもので(特に私は……)、
「信じなさい」とひたすら繰り返しておられるのも頷けます。
632629:2009/02/16(月) 20:23:05 ID:mFMjY8Bu
>>631

そうですね。自己責任、神は義であり、愛である、お方ですから、自己責任において、タラントにおいてそれを使わなかった僕には厳しいのでしょう。甘えるのもいい加減にしろ、という感じですか。愛と義の神というのは、本当に理解が難しいです。
633神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 18:05:49 ID:zpKILRz3
「甘えるのもいい加減にしろ」というより、
「勘違いしてはいけない」という方が適当かも。

「聖書は私について証している。」
「律法の一点一画も過ぎることはない。」
「十字架を負いなさい。」
と言われるている事からも、まるで入場券のような救いを期待するのは、
主の慈悲に対する勘違いなのです。
ただ、律法的になるのも勘違いなのが難しいところです・・・。
634神も仏も名無しさん:2009/02/26(木) 22:12:17 ID:aIappGmL
スはカテキズムを引用してるから信仰態度はカトリックと同じなんじゃない?
主に直接近づきまつることと言ってるから権威主義的なものや形式主義的なものを取り去ったもの という感じがするけど
635神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 10:18:46 ID:C3BblzmJ
取り去ったわけではなく、
権威や形式は、内的なものを表す器として役立つように用いなさい、
という感じなのでは?

一言にカトリックといっても、実際的な信仰と迷信的な信仰では、雲泥の差がある。
ス氏はルーテル教会の牧師の息子だったから、
ス氏個人の信仰生活にはその影響があったかもしれない。
著作からはそんなカトリックのような雰囲気は微塵も無いように思うけれど・・・。
636神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:22:14 ID:clzDOgz+
「権威や形式は、内的なものを表す器として役立つように用いなさい、」

舌足らずでごめんなさい。カトリックの権威的または形式的なものについて言いました。

637神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 17:51:06 ID:clzDOgz+
「著作からはそんなカトリックのような雰囲気は微塵も無いように思うけ・。 」

スは三位一体性やコンスタンチノ−プル信条を否定しているのではなくより明確にしています
だから修正キリスト教と呼ばれているしス自身カトリックから(おそらく権威主義、形式主義から)離れれば救われると言ってます
どうしても救われないのは信仰のみによる救済を文字どおりに確認した人々(そんな人実際にはカルトしかいません)
スは死後の救済は生前の行いにあって教皇が決めるものではないし、隣人愛を否定したところの信仰によっても救われないと言ってるようです

638神も仏も名無しさん:2009/02/28(土) 19:27:19 ID:clzDOgz+
信じるのみでは誰も救われない。仁愛の生活を送るものが救われる。

ジェネラルチャ−チの説教
これどちらかというとカトリック的だべ。
639神も仏も名無しさん:2009/03/01(日) 10:37:14 ID:X+Nn4IOn
>>636-637
なるほど。仰るとおり、著作は否定するのではなく
"訂正と明確化"に主眼を置いていますね。
「アタナシウス信条」という本は特にそうだと思います。
おかげで新しい見方を発見できました。ありがとう。

>>638
カトリックでも、教義の食い違いがあるだろうから定義は難しいでしょうね。
このスレのどこかに書いていた人がいたけれど、
カール・ラーナーに似ていると思います。
宗教界の状況は、まるで士師記の最後のよう。
640神も仏も名無しさん:2009/03/02(月) 20:33:27 ID:54t1vhIy
>>638

しかし、主により頼むことなしに自力で仁愛の生活を送ることはできない。

となり、結局は、ルターの信仰義認へと戻っていくのです。

よって、カトでもプロでも悔い改め、信仰のみに生きる人は救われるが、自力で仁愛に生きようとする人は救われない。

となります。
641神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 23:07:00 ID:z70Y168m
ルタ−自身は祝福された人々のなかにいるとスはいってます
卓上語録や他の論文を総合的に研究した人達は行いの重要性をみとめていてスはカトリックもプロテスタントも教理の点では結局のところ同じだといってます
小さな子供はもし先生が好きならそのいいつけを守るし守らないなら先生を嫌ってるということになりませんか?
いろんな言い訳をして守ろうしないのはやっぱり嫌ってるからだと思うのですが。
好きならばなんとか失敗しつつも守ろうとするものですよね。
そういう子供を見て先生はどう感じるでしょうか。


642神も仏も名無しさん:2009/03/03(火) 23:20:34 ID:z70Y168m
主により仁愛の生活を送ることは信仰義認かどうか
行いは音調を汚すからかえって行ってはならない、義認、転嫁など。
信仰義認とか代理贖罪論はそういうもんだから。
643神も仏も名無しさん:2009/03/07(土) 08:59:18 ID:Pk6fxdMS
「黙示録を読む」
メールマガジン:
http://archive.mag2.com/0000007108/index.html
644神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 19:53:15 ID:atfdXp4f
>>641

小さい子供は自力で行おうとしますよね。
しかし、我々は自力で行うことはできない。
ここに気づかないと、ス派の行いという迷宮に陥ってしまうこととなる。


645神も仏も名無しさん:2009/03/10(火) 19:54:55 ID:atfdXp4f
>>642

行ってはならない、ではなく、自力では行えない、ということです。
646神も仏も名無しさん:2009/03/15(日) 15:11:31 ID:DirFcwCu
>>645

自力で行えない、というのは行ってはならないということとどう違うのですか?

あなたはどういう人ですか?
647神も仏も名無しさん:2009/03/15(日) 18:11:20 ID:5TNKC1lk
公教要理

第二部 守るべきこと
185* 救霊(たすかり)を得るには、天主の御教(みおしえ)を信ずるだけで足りますか。
  救霊(たすかり)を得るには、天主の御教(みおしえ)を信ずるだけでは足りません。罪を避け、徳を修め、すべての御掟を守らねばなりません。
    汝若し生命に入らんと欲せば掟を守れ」(マテオ 19:17)(マテオ 7:21)
霊なき肉体の死せるが如く、行いなき信仰も亦死せるなり」(ヤコボ 2:26)

361* 人は自分の力だけで教を信じ、掟を守り、救霊を得ることができますか。
人は聖寵に依らなければ、教を信じ、掟を守り、救霊を得ることができません。
「我を離れては汝等何事も為す能わず」(ヨハネ 15:5)(エフェゾ 2:8、フィリッピ 2 :13)

366 助力の聖寵が与えられれば、それだけで直に救霊を得ることが出来ますか。
   救霊のためには、助力の聖寵が与えられるだけでは足りません。之に力をあわせることが必要であります。
648神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 09:46:55 ID:HrFDqI+z
age
649神も仏も名無しさん:2009/03/16(月) 23:07:48 ID:swKFyAhQ
>>646

意味がぜんぜん違います。

ちょうどいいので647さんのコピペをすると、

「我を離れては汝等何事も為す能わず」(ヨハネ 15:5)

これが自力では行えない、ということであるし、

信仰義認のいきすぎた解釈として、さらに

642さんのコピペすると、

行いは恩寵を汚すからかえって行ってはならない、

これが行ってはならない、とする誤った解釈です。

私は、信仰義認の教えが納得できず、ス派で十選しましたが、ス氏の教えでは救われないのではないか、とおもい正統派に戻ろうとしているものです。
650神も仏も名無しさん:2009/03/19(木) 19:21:27 ID:7ctZuuw+
ありがとうございます。
でもちなみに
『之に力をあわせることが必要であります。 』
というのは自力のことではないですか?
ス神学では自力で行うことも本質的な意味ではすべて他力なのです。
ただその表現が難しいのでカテキズムをあげてみました。
大差はないようですね。。
勉強になりました。
651神も仏も名無しさん:2009/03/22(日) 22:16:10 ID:TF8JDcf7
霊界はない。
完。
652神も仏も名無しさん:2009/03/25(水) 09:35:28 ID:zUGsQTMW
a
653神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:13:29 ID:+WN9cBUT
人は亡くなると最大三十年中間の世界に行きます
生前と変わらない生活をするうち本性をあらわにして天国か地獄に行きます。回忌供養が必要なのも三十年。それを過ぎると必要ないです。てもお盆とかハロウィンになると地獄に堕ちた人も子孫のところに帰ってきます
なのでちゃんと供養して下さい。お骨をひもろぎにして帰るのですが散骨してしまうと現世に帰りにくくなるらしいので近い人は気をつけてください。また脳死は死ではないので臓器移植考えてる人は心臓止まるまで待ったほうがいいです。
654神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:14:26 ID:+WN9cBUT
ペットにはペット専用の天国があるし子供向けの天国もあります。いわゆる水子地蔵 保母の天使もいます。なので安心です
655神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:15:17 ID:+WN9cBUT
あの人と一緒のお墓はやだという人もいるかも知れません でも死んだら霊の世界に行くのでお墓は関係ありません 地獄に行った人は天国の人に近づくことすらできない別世界です 家柄も身分もこの世だけのもの
656神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:26:07 ID:+WN9cBUT
霊界では照応した姿になります 純粋な人は子供に 悟りのある人は老人に よこしまな人は化け物になります
657神も仏も名無しさん:2009/03/27(金) 01:26:58 ID:+WN9cBUT
だいたい普通の人ですと20代から30代くらいの姿になってほぼ止まります 個人差はありますがこの間死んだおばあちゃんも時間が経つと若返ってることが多いです
658ポポイ:2009/04/12(日) 17:52:53 ID:WxUMhBvv
浪々ポントスさん、あなたのホームページをあなたの死後も利用させていただきます。
ちょっと言わせていただければ、ホームページがカトリック主義に傾いています。
ヴァッスーラの本の中で、プロテスタントも含めて、三本の柱とイエスは言っています。
私は最近、主イエスキリストと会話できるように成りつつあります。そこで、聖母崇拝の正しさを
かなり理論的に証明します。スウェーデンボルグ補完みたいな感じで。かなり将来的ですが・・・。
皆様、ウィキペディアに書いてあるスウェーデンボルグの「最後の審判」に対する批判はこう考えては
どうでしょうか?ヨハネの黙示録で、ヨハネは「未来の天国の情景」を見せられています。
スウェーデンボルグも「未来の天国」を見たのではないのでしょうか?
「最後の審判」の年代は間違っているとは思いますが・・・。
「悪人の子は悪人、善人の子は善人」それでは自由意志はどうなるのでしょう?と
私はイエスに尋ねましたが、イエスは答えてくれませんでした。
問い自体は正しいけれど、スウェーデンボルグ的に書けば「神的摂理により現世
で、知る事は許されなかった」という事になります。
スウェーデンボルグ主義者のHPでは、「天界の秘義」からの引用ばかりで、
それではまるで「スウェーデンボルグ教徒」みたいです。
それはそれで私は「救われる」と思いますが、一般人からは
外見的に「キリスト教徒」にあまり見えないと思います。
659神も仏も名無しさん:2009/04/23(木) 23:36:40 ID:/v1t1B3B
あげ
660神も仏も名無しさん:2009/04/24(金) 07:13:45 ID:mgYzL8L/
ヴァッスーラは個人的には怪しいと思ってる。
差しさわりの無いことばかり言ってるし、スウェーデンボルグも含めて
夢想家というか神秘家は、ものごとをあまり建設的な方向には向かわせない。
イエスは、極めて世俗的な例えで神の概念を語った。
現実から遊離してしてしまった宗教家は狂信者とあまり変わらない。
661660:2009/04/24(金) 07:16:07 ID:mgYzL8L/
あ、神秘的なものとか奇跡とか否定してるわけでは無いです。
ただ、それに重点を置きすぎると超心理学とかムーとかオウムになってしまう
と言いたいだけ。
662神も仏も名無しさん:2009/04/24(金) 11:04:50 ID:d9+Kyie7
スウェーデンボルイ教徒
とはどうちがいますか」
663神も仏も名無しさん:2009/04/25(土) 12:49:59 ID:D8Zmwle0
>>660
ヴァッスーラは、
「新しい主の祈り」「マリヤを天の皇后として云々」とか言っている時点で怪しすぎる……。

イエスの譬えには、その中に目も眩むほどの深さがあります。
ス氏の著作は、神秘と極めて世俗的なもの(現実)が別たれたものではなく、
表裏一体のものであることを証しています。
神秘と実際が異なるように見えるのは、捉えている側がそれを分離させているにすぎません。
心を動かす建設的な神秘は、普段の生活のうえで十二分に確認され得るものです。

>>662
崇拝対象はイエス・キリストなので、その呼び方は相応しくないでしょうね。
便宜上、Swedenborgian(スウェーデンボルグ派)と言われているようですが。
664神も仏も名無しさん:2009/04/25(土) 18:02:32 ID:seJX3Cgy
伊勢神宮とは働きが違うから一概に言えません
国家という単位で働かれるのが伊勢の神様。
それぞれの個性や役割があって得意分野があるのが神社の神様です。
特に個人的な開運なら産土神社で十分ですし、皇大神社の場合は神仕組み(神様のみ心)が成就することをお祈りするのが通例になってます。
でも諸願成就祈願もしてくれるので普通の神社とあんまり変わりません。
ただ個人的な体験から言うと支部の末社にしばらく祈っているだけで憑き物がとれたようにすっきりすることはよくあります。

〉おてんば学長さま。
665ポポイ:2009/04/26(日) 06:58:50 ID:QDfBXuEQ
私の所に、キリストが現れて、「ヴァッスーラの後継者になってほしい」という事を
言われましたが、東アジアから後継者とは茨の道ですな・・・。

パウロが地獄に行ったという事はないと思います。キリストは「恐怖の宣言」
をよくしているからです、された本人は気づいていませんが・・・。
キリストは全知全能なので、誰が最終的に地獄に行くのか?知っているのです。(予定説ではないですが・・・)
ケリオットのユダに最初に会ったときは凄く悲しい表情をしています。シュンマイと
いう律法学者には「あなたは私を今後知る事は決してないでしょう」と言っています。
でも、パウロに「恐怖の宣言」をしていません。
これでも、納得できない。つまり、パウロが地獄に行ったと思う場合、ある人が名誉欲から
「正しい教え」を述べたとした場合、その教えは間違っていますか?
誰かが名誉欲から十戒を教えた場合、その十戒自体は間違っていますか?
666神も仏も名無しさん:2009/04/28(火) 20:09:07 ID:fV/D2kL9
666
667おてんば私立学院総長 ◆gqBBZUnUPk :2009/04/29(水) 06:54:41 ID:lGxeVQz5
>>664
    -------- ̄ ̄ ̄--------___
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 ヽ_________________________________________/
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   ̄-二二二二二二二二二二二---
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 | 6  |    ●  |ミ |   ●  |
 ヽ   ヽ    ̄  |ミ  丶  ̄  .ノ|  
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     ヽ   / iiii|||||||||||||||ii_ 丶|
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  / \.\       ̄ ̄    |
 /   \ \          //\ 
/   / ヽ \  ̄------- ̄/へ  \
   / ☆ ヽ \     // ☆\ \
    ヽ ☆ ヽ \  //  ☆ /
      ヽ ☆ ソ  / ヽ \ ☆ /
       ヽ / /  ヽ  \/
668神も仏も名無しさん:2009/05/01(金) 22:36:15 ID:pAT/u8wD
南無観世音菩薩
669エレミヤ:2009/05/03(日) 11:18:33 ID:s/zCootM
召命された年齢がエレミヤに似ているので、エレミヤに変えました。
ヴァッスーラにメールか手紙を送りたいのですが、どうすれば良いのでしょうね。
正確にはイエスは「ヴァッスーラが病気に成った時に後継者に成って欲しい」と
言いました。本格的に私に啓示が来る時期はハッキリしています。
ある意味、一番楽かも知れないですね。日本から預言者というのは。
カトリックや正教会の事に触れて、ヨーロッパや北米から批判や罵倒が来ても、
私は英語がほとんど読めないので(w。
670エレミヤ:2009/05/04(月) 12:39:55 ID:pj7oqwbD
今は別に私を狂人だと思っていても、構いません。
しかし、本当に啓示を受けた時は、「奇跡」か「未来の預言」が起こります。
それが印になると思います。というも、人々が傲慢なので、「教え」のみ
だったら、誰も信じないし、人々は後世にそれを「残さない」のです。
私はプロテスタントの人なので、むしろ「キリスト教の一致」に貢献できます。
マリア崇拝をしているのは、正教会とカトリックです。
プロテスタント陣営がマリア崇拝をしなければ、プロテスタントは
正教会とカトリックと合体できないのです。
プロテスタント陣営から、マリア崇拝の正しさを述べる事で、キリスト教の統一に貢献できます。
671神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:09:13 ID:cR8HoONT
預言者は神の言葉を預かる者。
迫害必須で人びとを正しい道へ叱咤し連れもどすのが役割でした。
予言は将来起こることを言い当てること。
予言すれば結果に執着するようになります。
外れれば恥をかくし、名誉も信頼もなくします。。
悪い未来なら尚更外れなければならないのに、予言する人は自分の名誉を守るために予言が当たることを願うようになります。
そしていつしか魔物の使いとなり、正しい人びとも惑わし地獄へ道連れするようになります。
もしも正しい予言なら予言はしないし、悪い予言なら外れるために努力するはずですが、彼らの多くはたいした実力もお金もない人達なので影響力もないし、逆に予言を売り物にしてお金儲けする人達ばかりです。
672神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:09:53 ID:cR8HoONT
ジャンヌがミカエルの予言を唄っていたとき、誰もそれを本気にしなかったし、動かされる人はいませんでした。
人びとが動かされたのは、ジャンヌ自ら剣をとって先陣に立ってしかも勝利を重ねるようになってから。
マホメットも当初、預言を信じたのは面倒見のよい年上の奥さんだけ。
誰かのお告げです、と言っても人びとは動かないし、世の中は何も変わりません。
673神も仏も名無しさん:2009/05/05(火) 15:12:26 ID:cR8HoONT
スウェーデンボルグは十分なお金も名誉もあったし、だから自費出版することもできました。
神様のご用に使われるのは、まずしっかりとした社会基盤に根差して自分のことはもちろん人の面倒すら見れる人ではないでしょうか?
スウェーデンボルグ信者というのはまずスウェーデンボルグ自身の人格が高潔だったのはもちろんもともと立派な人だから彼の言うことを信じたし、彼自身の存在で多くの人びとを感化したのです。
キリストとの出会いも亡くなるまで明かにしませんでした。
何故ならキリストの予言です、と言っても何も変わらないからです。
結局、本人の社会基盤や実力に応じて、本人の力と言葉においてのみしか影響力はないのです。
674神も仏も名無しさん
霊能には多くの落とし穴があって、普通の人はたちまちこの穴に落ち込み、そして二度と上がってくることはありません。
スウェーデンボルグの根幹は、有用性、役立ちですから、予言、霊能は必要ないのです。