【天界と】エマヌエル・スウェーデンボルグ【地獄】

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374名無しさん@3周年
関係ないわけでもないから、ここでやらせていただくね。保存を兼ねて、ということなので、オフトピだがご勘弁。
私はいわゆる主義者であったことは一度もないのだが、ネット上でなぜか主義者(もどきも含む)とからむことがあってね、それで『結婚愛』『天界と地獄』くらいなら柳瀬訳で読んだ、そういうものです。
宗教板には、批判的にせよ信者にせよ、スウェーデンボルグを系統的に読んでその神学を明快に説明できる書き手がいなかったのですが、このスレが出来たことでちょっとは変わるかな、と思っている。だがいまはみなさん忙しいようだね。

さて、オフトピというのは、しばらく小さなヨハネ観察日記を書くからなんだが、まあスレ保全に協力と思っていただければ嬉しい。
375名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:01:54 ID:uoCfIRpD
小さなヨハネは、2001年の5月か6月頃から、ちらほら宗教板に出没するようになったんだが、最初はスウェーデンボルグについてはほとんど書いていなかった。
彼が本格的に活動し始めるのは2001年の12月頃か。
初代父スレ(あのスレッドは当時そう略称されていた)を立ててからだ。
詳しい経緯は、いまある新・父スレ3のはじめのほうにリンク集があるので、
それをご覧いただきたい。
376名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:09:35 ID:uoCfIRpD
そこで、当時はスウェーデンボルグをきちんと読んでいる人というのはいなかったので、反応は主に伝統的キリスト教のほうからきた。
たいていすぐに匙を投げてしまうのだが、そこで比較的彼にまじめに相手している数人のコテハンがいた。特にマリアというコテハンと、ブルネルスというコテハンが、継続的に相手をしていた。

マリアは元カトリック信者で「ちいヨハは相手のいうことを聴かずに自分の好きなことを述べている」「スウェーデンボリを信じるのはいいが、教会の伝承とは矛盾することを認めなさい」等々、ちいヨハにとってはかなり痛いところをついていた。
一方ブルネルスのほうは、特定の教派には所属しないがキリスト教史全般に詳しく、これは伝統的キリスト教の三位一体について、ちいヨハが誤解しているということを納得させようとがんばっていた(いまもやっているが)。
377名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:17:54 ID:uoCfIRpD
さてブルネルスのほうがこの三人のなかで最初に千日手に飽きてしまい、
「自分が信じてもいない三位一体を説明するのはしんどい」
ということを言い出した。【これはどうも小さなヨハネには「敗北」と受け取られたらしい。】一方、マリアのほうはそういうことはなくて、延々と押し問答が続いた。

ところが、小さなヨハネと関係のないところで、父スレは妙に盛り上がってしまい、三位一体全般を語るスレッドに変質していった。ちいヨハはあまり面白くなかったらしいが、それでもこまめに顔は出していた(w
事態が変わってくるのは父スレ3のときで、ここでちいヨハがふたつ【明らかな矛盾を自分で書いたのだ。】
ひとつは「スウェーデンボリはパウロ書簡も有用な書と認めていた」「スウェーデンボリはパウロが地獄にいるといっていた」で、これをブルネルスに質問というかつっこまれた。
もうひとつはスウェーデンボリの「聖言の書」の範囲で、それをいうために引用を出した直後に、「新約聖書全般を認めた」という発言をして、これもつっこまれた。
つっこまれた後、いまだと単に相手を罵倒して逃げようとするのだが、当時は気弱に「ヴァッスーラはすばらしいです…」というようなことをいって、そして、気力が続かなかったのか、しばらくこなくなった。
時期があいて戻ってきたとき、【ちいヨハの頭にはある妄想が生まれていた。】それが「ブルネルス=おかま巫女」説である。
378名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:30:14 ID:uoCfIRpD
筆者思うに、おそらく彼が本当に煙たく避けたかったのはマリアのほうだったのだろう。
マリアはヴァッスーラやワルトルタについても多少知識があり、それがカトリック内でも公的には認められないたぐいの幻視体験であることを知っていた。
そして教会の伝承と(ス氏も最近の幻視も一緒にしたうえで)幻視一般という形で、ちいヨハの表象世界を整理した。
そしてちいヨハが後者をもとにして、よく理解しないままで教会の伝承を「裁いている」ということを指摘していた。
いっぽう、ブルネルスのほうは、ワルトルタを「たんなるお話」と蹴ったくらいで(これも当時のちいヨハにはだいぶこたえていたようではあるが)、
幻視一般についてマリアほど徹底した批判は行わなかった。
また全般にブルネルスのほうがマリアに比べてやや態度が丁重だったともいえる。しかもおそらく自分から「もうやめたい」的な発言をしたくらいなので、ちいヨハには「組みし易し」と思われていたようでもあった。

また、重要なのは、ブルネルスが現実世界の誰かということは、当時スレッドのみならず板の共通了解であったので、しかもそれは本人が自分でさらしたようなものなので、あのちいヨハですら知っていたらしい、ということである。
マリアのほうは、元カトリックでやくざの女房でいまは神道の巫女をしているが、おかま、という眉唾な設定である。
対してブルネルスは上にも書いたように正体が割れているので、どちらかが自演かということになればマリアが自演だという結論は比較的出やすいように思われる。
もっとも、この二人の芸風は相当ちがっているので、そんなこと考えたのはちいヨハだけであることはいっておかなければならない(w。
379名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:35:03 ID:uoCfIRpD
さて、マリア=ブルネルス説を展開して、自己満足した後、ちいヨハは去っていった。
あるいはこれは実質的には逃亡だったのではないか。そして、いまの「反論できなくなると相手をののしる」ちいヨハの原型は、ここにあるように筆者は思う。

ここで指摘しておきたいのが、ちいヨハが再び宗教板に戻ってきて新シリーズ2の中盤まで、彼は一度もブルネルスというコテハンについては触れていないということだ。おそらくすっかり忘れていたのではないだろうか。
そして、この名前が出てきたきっかけは、ペガサス氏が別のスレッドである書物に触れたことがきっかけだと思われるのだ。
http://c.2chx.net/test/-/life7.2ch.net/psy/1160998301/703-712
380名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 09:42:17 ID:uoCfIRpD
>ブルネルスとやらはきみの疑心暗鬼、怖ろしいのだな。

これは、ペガサス氏のことばだろうか。筆者も同意する。ちいヨハのブルネルスは彼の疑心暗鬼の象徴、妄想の産物であって、コテハンのブルネルスともその背後にいるある哲学者とも関係がない。
しかしちいヨハは「恐ろしい論敵」をすべてそのこの「ブルネルス」に投影しており(だとしたら、そりゃあ恐ろしいよね)、彼にとっては、こちらの「ブルネルス」が実在なのだ。妄想患者にとって妄想が恐ろしいのと、同じような構造を筆者はここに見出す。

なお、あまたある論敵のなかでなぜこの名が選ばれているかについていえば、それは>>378に書いた二つの要因によるのではないかと筆者は考えている。
381名無しさん@3周年:2006/12/19(火) 10:15:37 ID:uoCfIRpD
なお、この同定が行われたのは、ちいヨハの折衷主義では一緒にされているサンダー・シングとスウェーデンボルグが、実際には排他的であるという指摘がペガサス氏他から行われているさなかのことであった。
ブルネルス=マリアの同定が、同じような矛盾の指摘に呼応して出てくることとあわせて考えると興味深い。
どうも結果から振り返ると、このときの指摘は彼にとって最後の一藁になったのではあるまいか。だれもかれもブルネルスというゆがんだ世界観はこのあたりから顕れるようになるからだ。

ところで、彼は実際には少なくとも最初の段階ではそれらの人格の区別がついていないわけではなかった、と筆者は思う。
ただ、一連の彼の発言をみると、彼は「自分がこうであったらいいのに」と思うことと「それがまことにそうであること」の区別が容易につかなくなるらしい。
だから、最初は、これとあれが別人でなくひとりだったらいいのに、と思っているうちに、区別がつかなくなってくる、そして本当の妄想になる、ということではないかと思っている。

このスレッドの住民の方なら、あるいはご覧になったかもしれないが、新・父スレ1で彼が複数の匿名スウェーデンボルグ信奉者から、ワルトルタとスウェーデンボリは両立しえないことを指摘され、弾劾されたとき、
彼はその場では「みな同じ人間がやっている」とは主張しなかった。
面白いことに、固定ハンドルを使わないときには彼は他人の発言を文体などから同定できないのだが、
固定ハンドルを使えばそれは敵が自演しているということになるのだ。
筆者には、ここにちいヨハの貧弱なペルソナ観が露呈しているように思われるが、
しかしここはあくまでもスウェーデンボルグのスレッドなので、ちいヨハ観察はこのくらいにしておきたいと思う。
筆者がちいヨハに望むことは、しばらくネットを離れて、できれば医者にいってほしいということだが、しかしそれは彼の相手をする人がいる限りは、ありえないことのようにも思われる。