☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート15

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303名無しさん@3周年
>>295
一人の旅人が山道を歩いていると、ふと、うしろに異様な物音がする。ふり
かえってみると、獰猛な大虎が追っかけてくるではありませんか。
「こりゃ、たいへん」と走り出した旅人は「あっ」と息を呑みました。なぜ
なら前は絶壁だったからです。
「もはや、これまで!?」とあきらめかけたとき、崖っぷちにある大樹に巻
きついた藤蔓が絶壁の下に伸びているのが眼にはいりました。
「これは天のめぐみ、ありがたい」と、その藤蔓を伝って崖の中腹に降り、
ほんの一瞬の差で猛虎の餌食にならなくてすんだのですが、「ああ、助かっ
た」と思った途端、藤蔓をにぎりしめている手が間もなく体の重みを支え切
れなくなっていることに気付きました。
「下に降りよう」、そう思って下をうかがうと、こはいかに。とぐろを巻い
た大蛇が口をあけて旅人の落ちてくるのを待っております。
「こりゃ、いかん」と、近くに足場をさがすと、四匹の毒蛇が近寄らば噛み
つくぞ、といわんばかりに赤い舌をペロペロ出しております。ぞっとして上
を見ると、命の綱と頼む藤蔓を、樹の根もとで白と黒のねずみがガリガリか
じっている。まさに絶体絶命、旅人はブルブルッと身ぶるいしました。
その時、旅人の頭上二メートルほどのところの樹の枝にぶらさがっていた蜂
の巣から、蜂蜜がポトリと落ちてきて、偶然にも旅人の口にはいりました。
「ああ、うまい!」、旅人は陶然として酔ったように、絶望の現実を忘れて
しあうのでした。
304名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 17:30:58 ID:ryf+rJE1
これは『仏説譬喩経』にある話ですが、何を意味するのでしょう。山道を歩く
旅人とは、起伏重畳の人生を歩む私ども人間の姿であります。いままでぼん
やりしておりましたが、ふと気が付くと、うしろから大きな虎が迫ってくる。
虎とは、各人が背負った業のことです。人間は、過去の悪業からのがれよう
と誰しも努力する。そして一時はうまくのがれ得たかに思うのです。それが
藤蔓にしがみついてほっとしている旅人の姿です。ところが、崖の下には大
蛇が、棺桶が蓋を開けているかのように待っております。死ぬのは嫌だ、近
くに生きる場はないかとみれば四匹の毒蛇。これは、一切の物体を構成する
地・水・火・風の四大元素のことです。四大不調などというように、この四大
元素の不調によって病苦があらわれるといわれるのですが、それだけではなく、
時に地震・洪水・火事・暴風となってたえず人間の生命をおびやかすのです。
藤の蔓は命の綱、つまり人間の寿命です。そのかけがいのない寿命を、黒白
の二鼠、つまり夜と昼が、不断に命の綱をかじっているのです。こういった
上下四囲、窮地の真っ只中にありながら、人間は不思議にもそんな暗い顔を
しておりません。それは、落ちてくる蜂蜜のしたたりが口にはいるからです。
蜂蜜とは、財欲・色欲・食欲・名誉欲・睡眠欲の五欲、つまりバグバグ儲けて
食い気と色気をたのしみ、苦労せずに偉くなりたい、こうした欲があるから
こそ生きているのも人間ですが、欲のために道を踏みはずし、さらに悪業を
重ねてゆくのも人間であります。