>>295 一人の旅人が山道を歩いていると、ふと、うしろに異様な物音がする。ふり
かえってみると、獰猛な大虎が追っかけてくるではありませんか。
「こりゃ、たいへん」と走り出した旅人は「あっ」と息を呑みました。なぜ
なら前は絶壁だったからです。
「もはや、これまで!?」とあきらめかけたとき、崖っぷちにある大樹に巻
きついた藤蔓が絶壁の下に伸びているのが眼にはいりました。
「これは天のめぐみ、ありがたい」と、その藤蔓を伝って崖の中腹に降り、
ほんの一瞬の差で猛虎の餌食にならなくてすんだのですが、「ああ、助かっ
た」と思った途端、藤蔓をにぎりしめている手が間もなく体の重みを支え切
れなくなっていることに気付きました。
「下に降りよう」、そう思って下をうかがうと、こはいかに。とぐろを巻い
た大蛇が口をあけて旅人の落ちてくるのを待っております。
「こりゃ、いかん」と、近くに足場をさがすと、四匹の毒蛇が近寄らば噛み
つくぞ、といわんばかりに赤い舌をペロペロ出しております。ぞっとして上
を見ると、命の綱と頼む藤蔓を、樹の根もとで白と黒のねずみがガリガリか
じっている。まさに絶体絶命、旅人はブルブルッと身ぶるいしました。
その時、旅人の頭上二メートルほどのところの樹の枝にぶらさがっていた蜂
の巣から、蜂蜜がポトリと落ちてきて、偶然にも旅人の口にはいりました。
「ああ、うまい!」、旅人は陶然として酔ったように、絶望の現実を忘れて
しあうのでした。