宗教はいらない。自分の内に神は存在する

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601名無しさん@3周年
ロム者ですが。
「風」さんは、昔読んだ禅に出てくる「野狐禅」にそっくりという感じが
しました。うろ覚えですが、ちょっと書いてみます。

ある若い僧が「自分は善悪を超越して、悟りに到った」と主張した。彼は、
ありがたい経文をベリベリ引き裂いて、便所紙に使って見せた。ところが、
師匠はそれを「野狐禅」だとして退けた。

もし、人間の本質が「神」であって、何をしようとも自由ということならば、
この若い修行者の悟りは本物だということになるでしょう。しかし、そうでは
ないと言う。

私は、悟りどころか禅の修行体験もない人間ですけど、要するに「経文は経文と
して、便所紙は便所紙として、正しく使え」ということではないかと思います。
ものには既に定まった「道」があって、ものをどう使っても自由、ということでは
なく、その「道」に従って使うときに、本当の意味で「自由自在に使える」という
ことではないかと思います。

殺人する自由を論じる前に、「人というのはお互いに殺しあわずに共生するのが
『道』だ」というのが先にあると思います。「道」に反した自由は、単なる濫用に
すぎません。