1 :
小さなヨハネ:
イエズスは穏やかな身振りで、ゆっくりと話す。藍色(あいいろ)の服から浮かび上がるその顔は、ちょうど彼のいる所に降り注ぐ新月の光の下で、より青ざめて見える。天にかかる月の一つの小さな
句読点、天の、そして地球の主人を愛撫する光の刃(やいば)。
「他の人たちを別にして、あなたたちをここに集めたのは、あなたたちがわたしの友人だからです。
十二使徒によって果たされた最初の試みの後、活動するわたしの弟子たちの輪を広げるために、ま
た、わたしの継承者としてあなたたちにわたしが授ける人びとから指導されることの最初の反応を、
あなたたちから聞くために、わたしはあなたたちを呼んだのです。万事うまくいったとわたしは知っ
ています。わたしは祈りをもって、知性も心も新しい力を得て念祷(ねんとう)から出て来た使徒た
ちの霊魂を支えました。この力は人間の学問研究に由来せず、神への全面的な委託に由来します。
2 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:26:58 ID:nf0/Pcfd
より多く与えた者たちは、より多く自分を忘れた者たちです。
自分自身を忘れることは骨の折れることです。人は記憶の積み重ねであり、一番声高(こ
わだか)なのは自我そのものの記憶です。この自我とこの自我とを区別しなければなりませ
ん。神を記憶し、自分は神から来たという自らの起源を記憶する霊魂によって与えられる霊
的自我があり、自分自身と、情念を専(もっぱ)ら包含する無数の要求を記憶する肉の劣等
な自我があります。またこの数々の情念は──一つの合唱になるほど多くの声であるから
──またもし霊魂がよほど強靱(きょうじん)でないと、神の子というその卓越性を記憶す
る霊魂の孤高の声を制圧してしまいます。それゆえ──一層刺激を与え、生き生きと力強く
保持していなければならないこの聖なる記憶によらなければ──弟子として完全であるため
に、ありとある記憶、要求、人間的自我の小心翼々たる思慮(しりょ)において、自分自身
を忘れることが出来なければならないのです。
この最初の試みにおいて、わたしの十二人の使徒の中で一番成果を上げたのは、自分を一
番忘れていた者たちです。彼らの過去を忘れていただけでなく、彼らの限界のある人格まで
も忘れていました。彼らは、自分がどうであったかを最早思い出さず、何も恐れないほど神
と融け合う者たちです。他の何者でもありません。
3 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:28:12 ID:nf0/Pcfd
誰かはなぜよそよそしく、打ち解けないのですか? なぜなら彼らの習わしとなった疑
念、彼らの習わしとなった考察、彼らの習わしとなった偏見を思い出すからです。他の人た
ちのあの寡黙(かもく)さはなぜですか? なぜなら彼らの教えの無力さを思い出し、恥を
かくのを、あるいはわたしに恥をかかせるのを恐れるからです。更に、他の者たちのあの自
己顯示欲(けんじよく)はなぜですか? なぜならこの者たちは、彼らの習わしとなった傲
慢、目立ちたい、世の喝采(かっさい)を浴びたい、頭角(とうかく)を現したい、『ひと
かどの人物』でありたいという願望を思い出すからです。最後に、ある者たちが確実で、説
得力をもち、勝ち誇る律法学者のような雄弁で、他人に即座に自分を明らかにするのはなぜ
でしょうか? なぜなら、この者たち、そしてこの者たちだけが──その時までは謙遜で、
人目を避けて生きることを願い、適時とみるや途端に自分に授けられた首位の威厳を発揮す
ることを知り、決してうぬぼれることのない者たち──神を思い出すことを知っているから
です。最初の三つの部類は、劣る自我を思い出している。別の、四番目のそれは最高の自我
であり、恐れなかった。神を自分と共に、自分のうちに神を感じているので恐れることがな
かった。おお! 神と共に在ることから来る聖なる大胆さよ!
4 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:29:39 ID:nf0/Pcfd
今、あなたたち、使徒、弟子たち、あなたたちよ、聞きなさい。あなたたち使徒はこの概
念をすでに前にも聞きました。今はそれらをもっと深く理解するでしょう。あなたたち弟子
は、まだこの概念は聞いたことがないか、断片的にしか聞いていません。それらを心に刻む
必要があなたたちにもあります。キリストの群はますます増加するだろうから、わたしはま
すますあなたたちを使うでしょう。なぜなら、世は、その中心、牧者であるわたしに対し
て、またわたしの群に対して逆らう狼(おおかみ)を増加させて、ますますあなたたちに襲
いかかるだろうから、わたしは教義とわたしの群を防衛する武器をあなたたちに持たせた
い。群は充分でも小さな羊飼たちのあなたたちは充分ではありません。血を苦(にが)くす
るか、それとも欲望を錯乱(さくらん)させる草を食(は)んで誤りを犯すことが羊たちに
許されるとしても、あなたたちが同じ間違いを犯して多くの群に破滅をもたらすことは許さ
れません。なぜなら、偶像的羊飼がいる所では、羊たちは毒によって、または狼の襲来に
よって滅びると考えなさい。
6 :
?小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:31:23 ID:nf0/Pcfd
あなたたちは地の塩であり、世の光です。しかしもしあなたたちの使命が欠如するなら、
味気の無い、役に立たない塩になるでしょう。あなたたちはそれを贈物として頂戴(ちょう
だい)しながら、それを人間性という気の抜けた汚れた水で塩抜きし、官能の腐敗した甘味
料でそれを甘ったるくし、神の生っ粋(きっすい)の塩に塵芥(ちりあくた)を、傲慢、貪
欲(どんよく)、暴飲暴食、色欲、憤怒(ふんど)、怠惰(たいだ)、嫉妬という塵芥を塩
の一粒が、それぞれ七つの悪徳を七倍にするように混ぜ合わせたのだから、神はそれを再び
あなたたちに与えることは出来ないし、最早何ものもあなたたちに再び味をつけることは出
来ないでしょう。その時、あなたたちの塩は方向を失った惨めな塩粒の石、歯の下で耳障り
な音を立て、口中に土の味を残し、料理をまずくし、口から吐き出される石以外の何もので
もなくなります。食用外での使用にも適さないとすれば、人間的任務に対しても、七つの悪
徳の中に振りかけられた一つの知識はどんな害を及ぼすでしょう。その時、その塩は地上に
振り撒(ま)かれ、民の無頓着な足で踏みつけられるしかありません。どれだけの、どれだ
けの民はこのようにして神の人びとを踏みつけることでしょう! なぜならこの選ばれた人
たちは、選ばれた者の、天的な者の味を持つからこそ受け入れられるのに、最早その実質が
無い単なる屑となり、無頓着に踏みつけられることを民に許したのだから。
あなたたちは世の光です。あなたたちは、ちょうどこの太陽を失う最後の時、そして月が
銀色に光る最初の時であるこの最良の時のようです。高い所に置かれた者は輝き、迂闊(う
かつ)な目にも時には高所に止まるから見られます。言うなれば霊魂の鏡と言われる物質的
な目は、霊魂の息吹、しばしば気づかれないが、人間がダイモンでない限り常に生きている
息吹、本能的理性が至高者を配置する天の息吹を映しています。そして、人は人生に少くと
も幾度かは天を探し求めて、あの高みに目を上げます。
7 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:33:12 ID:nf0/Pcfd
幼い時からわたしたち皆がエルサレムに入りながらしていることを、どうか思い出してほ
しい。視線はどこに向けられますか? 神殿の大理石と黄金の凱旋(がいせん)によって戴
冠されるモリア山に向けられます。また、神殿の囲い地にいる時は? 陽光に輝く貴重な円
蓋(がい)を見つめます。その聖なる囲い地に散在する中央大広間、その柱廊、その中庭の
何と美しいことか! しかし目は天空へと走ります。もう一度、歩いている時を思い出して
ほしい。その長い道程、単調さ、疲労、暑熱、泥をほとんど忘れるために、わたしたちの目
はどこへ向かいますか? たとえ小さくても、遠くにあっても山の頂上へと向かいます。ま
たもし平たくて変化に乏しい地上にいれば、山の頂上が現れるときどんなに安堵することだ
ろう! ここは泥だって? あそこには清澄さがあります。ここはむんむんして暑いって?
あそこには涼しい大気があります。ここは目に制限があるって? あそこは広々としていま
す。そして、ただあの山頂を見るだけで、日中の暑さを忘れるかに思われ、泥がねちねちし
なくなり、歩くことを嘆かなくなります。そして、次いでもし山の頂に一つの町が輝いてい
るなら、そうだ、その時その町を感嘆しない目があるでしょうか。ほとんど空中に横たわる
山頂のあまり美しくない場所であってもそういうかもしれません。また、真の、あるいは偽
りの宗教が、可能とみるや高所に神殿を建て、丘や山が無ければ、神殿を築く土台や礎石を
積み上げるために肉体労働も辞さず神殿を築くのもそのためです。なぜそうするのですか?
なぜなら神殿は、その視線をもって神への思いを呼び起こさせるものであることが必要だか
らです。
8 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:34:25 ID:nf0/Pcfd
同様に、あなたたちは光である、とわたしは言いました。夜に明りを点(つ)ける者は、
その明りを家のどこに置きますか? 竃(かまど)の下の穴の中に置きますか? 物を貯蔵
する洞穴に? それとも木の長椅子の中に? それともただそれを枡(ます)の下で圧し潰
しますか? いいえ。そんなことをすれば明りを点けるのは無駄です。明りは棚の上に高く
置くか、あるいは天井から吊(つ)るした燭台置きに灯します。高い所に置くのは部屋全体
を明るくし、そこにいる皆を照らすためです。しかも高くに置かれるのは、まさに神を思い
出させ、光となることであり、その役割の高さにいなければならないからです。
9 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:36:01 ID:nf0/Pcfd
あなたたちは真(まこと)の神を思い出させなければなりません。だからあなたたちの内部
に七重(ななえ)の異教を奉じてはなりません。さもないと、この、あるいはあの神に捧げ
られた森と共に涜神の高所になり、あなたたちを神の神殿のごとくに見ている者たちを、あ
なたたちの多神教に引き摺(ず)り込むことになるでしょう。あなたたちは神の光をもたら
さねばならないのです。汚れた灯心(とうしん)や油をよく吸っていない灯心は煙るばかり
で明りの用を果たさず、悪臭を放ち、照らしません。埃(ほこり)だらけの石英ガラスの奥
に隠れたランプは燦然(さんぜん)とした心地好さを醸(かも)し出さないし、艷々(つや
つや)とした鉱石上の眩(まぶ)しい光の戯(たわむ)れを見せてくれません。そして、ダ
イヤモンドを含む遮蔽(しゃへい)物を不透明にする黒煙のベールの奥に光を沈滞させます。
10 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:36:51 ID:nf0/Pcfd
神の光は、仕事そのものがその接触や反応、また期待外れによってつくり出す金屎(かな
くそ)を、毎日丹念に払い落とす的確で迅速な意志のあるそこに輝きます。神の光は、祈り
と愛徳の油が充分に浸透した灯心のあるそこに輝きます。神の光は、もし神のしもべが燻
(くすぶ)るあらゆる情念の黒煙から、その霊魂の難攻不落の石英グラスを明るく保存する
なら、神の完全さのそれぞれが聖人のうちに英雄的に実践された一つの徳を生起させ、無限
の輝きへと増大します。難攻不落の石英。難攻不落の! (イエズスはこの説教の結論を雷鳴
のように轟(とどろ)かせ、その声は自然が造った円形闘技場に鳴り響く)。
11 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:37:43 ID:nf0/Pcfd
神のみが、あの石英に線を引く権利と力を持ち、その意志のダイヤモンドで、その至聖な
る名をそこに記すことが出来ます。その時、その名はこよなく純粋な石英の上に超自然的美
の生き生きとした切子面をしるす飾りとなります。しかしもし、主の愚かなしもべが自分
と、すべて、ひとえに超自然なその使命の視点のコントロールを失うなら、サタンの火の鉤
爪(かぎづめ)で造られる怪(あや)しげで悪魔的な暗号の、版画ではなく引っ掻(か)き
傷の偽りの飾りを彫らせます。その時、感嘆すべきランプは最早美しく常に全体を照らして
輝かず、火炎で端の欠けた水晶の塵芥(ちりあくた)の下に窒息させられ、壊れ、皹(ひ
び)が入らなくても、煤煙が蓄(たくわ)えられ、徐々に入り込み、台無しにして、曖昧さ
を許さない自然のしるしのもつれを招きます。
愛徳を失い、日々、上昇するために彼らの上昇を待つ群を高みに連れて行くために、上昇
することを拒む羊飼たちは災い、三倍も災いです。わたしは彼らをその地位から追放し、彼
らの煙を全部消してしまって、げんこをかませるでしょう。
12 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:40:17 ID:nf0/Pcfd
しばしば反逆し、常に傲慢な、時として悪魔的な学問を詰め込むために、知恵を放棄(ほ
うき)する教師たちは災い。三倍も災いです。なぜなら──あなたたちは聞き、そして考え
なさい──もし人間一人ひとりは、人間を神の子とする成聖をもって神の似姿となる定めを
もつのなら、教師と司祭は、地球上にある時からすでに神の子というその様相だけを、これ
だけをもつべきだからです。全霊の、完全な人には、この容貌(ようぼう)がなければなり
ません。その弟子たちに神を熱望させるために、それがなければならないのです。人間の知
識の偶像となる、超自然的教義の教師たちに呪いあれ。
彼らの無味をもって、悪しく生きている彼らの肉の生温(なまぬる)さをもって、三位一
体の神以外のありとある神々の眩惑(げんわく)的出現で溢れている彼らの眠気(ねむけ)
をもって、人びとの心と神の富を増大させる超人間的熱望以外のありとある打算をもって、
彼らの死んだ水の中に、彼らを『命』と信じ込んで彼らについて行く者たちを引き摺(ず)
り込みながら、人間的にさもしく、愚鈍に生きているが、霊魂の死んでいるわたしの祭司た
ちは災いであり、七倍も災いです。
13 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:42:24 ID:nf0/Pcfd
わたしの小さな、愛すべき群を堕落させる者の上に神の怒りは落ちます。あなたたちのも
のぐさによって、あるいは主のしもべたちの不履行によって滅びる者たちにではなく、どん
な時でもどんな時代でも、またあらゆる状況にしたがって、またあらゆる結果にしたがっ
て、わたしはあなたたちに釈明(しゃくめい)を求めるだろうし、罰するだろう。
これらの言葉を憶(おぼ)えておきなさい。そして今は行ってもよろしい。わたしは山の
頂に登ります。あなたたちは眠りたければそうしなさい。明日、この羊飼は真理の牧草地に
群を導きます」。
14 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:49:50 ID:nf0/Pcfd
15 :
小さなヨハネ:2006/03/25(土) 23:54:10 ID:nf0/Pcfd
age
マリア・ヴァルトルタという人が書いた「私に啓示された福音」が出典で、
「小さなヨハネ」というのはハンドルネームなんやね。
最初見たとき「小さなヨハネ」という本からの引用かと思った。
17 :
名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 00:28:51 ID:/wLsM9dR
聖書読めよ
18 :
名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 13:44:36 ID:x21CRe28
>>1 スウェデンボルグがチャネリングしたいエスの言葉を掲載してください。
19 :
名無しさん@3周年:2006/03/26(日) 21:54:53 ID:sQxR5Wnw
神はすべてのすべて
神は命、すべてのみなもと
サタンも神なくしては存在しえぬ
20 :
小さなヨハネ:2006/03/26(日) 22:00:34 ID:ZcsnskBB
age
21 :
小さなヨハネ:2006/03/26(日) 23:02:01 ID:ZcsnskBB
age
ageるだけじゃなくて何か語ってよ。
ここに文章を貼ったのも思い入れがあるからでしょ。
23 :
?小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:31:52 ID:fCwS5ylP
131|アックヮ・スペツィオーザでの説教。
『他人のものは何であれ盗んではならない』。ヘロデの罪。
一九四五年三月十五日。
「神は人それぞれに必要なものを与えられます。これは真実です。人には何が必要でしょ
うか? 栄耀栄華(えいようえいが)ですか? 大勢の使用人ですか? 数え切れない田畑
や牧場のある広大な土地ですか? 落日と共に始まり、日が上るまで続く宴(うたげ)です
か? いいえ。人に必要なのは一つの屋根、一切れのパン、一着の服です。生きるためには
不可欠のものです。
周りに目をやってみなさい。誰が一番朗らかで、健康ですか? 誰が恙(つつ)が無い健
やかな老年を送っていますか? 道楽三昧の人たちですか? いいえ。誠実に働き、欲求
し、生きる人たちです。彼らは色欲に毒されず、強さを失いません。快楽や暴飲暴食に毒さ
れず、しなやかです。羨望に毒されず、溌剌(はつらつ)としています。それに反して、貪
婪(どんらん)な者はますます自らの平安を殺し、鬱々(うつうつ)として楽しまず、妬み
あるいはやり過ぎで干涸(ひから)び、年よりも老けて見えます。
24 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:32:27 ID:fCwS5ylP
『盗んではならない』という掟は、『他人のものを欲しがってはならない』という掟と併合
できます。事実、極端な欲望は盗みに至らしめるからです。これからあれへと行く短い一歩
でしかありません。あらゆる欲求は不法行為でしょうか? わたしはそうは言っていませ
ん。一家の父親は畑で、あるいは職場で働きながら、それによって子らのためにパンを得よ
うと欲求しますが、真実、罪は犯していません。それどころか父としての義務を果たしてい
ます。しかし、人生の悦楽しか追求せず、その欲望を満たそうとして人のものを我が物にす
れば、その人は罪を犯します。
嫉妬! もし貪婪(どんらん)と嫉妬でないなら、他人のものに対する欲望とは一体何で
しょうか? わたしの子らよ、嫉妬は、神から人を引き離し、サタンと手を組ませます。あ
なたたちは、他者のものを欲しがった最初の被造物はルシフェルであったとは考えません
か? 彼は大天使の中でも一番美しく、神の寵愛を得ていました。これをもって満足すべき
でした。彼は神に嫉妬し、彼が神になりたいと欲し、そして悪魔になったのです。最初の悪
魔です。
25 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:33:40 ID:fCwS5ylP
第二の例。アダムとエワはすべてを所有し、地上の楽園をとことん楽しみ、神との友情で
固く結ばれ、神から与えられる恩寵の賜物によって至福の日々を送っていました。彼らはこ
れで満足すべきでした。彼らは善悪の知識をもつ神に嫉妬し、神の顰蹙(ひんしゅく)を
買ってエデンから追放されました。最初の罪人たちです。
第三の例。カインは、アベルと主との友情を妬みました。そして最初の殺人者になりまし
た。
アロンとモーセの妹マリアは、兄に嫉妬し、イスラエル史上最初の癩(らい)者となりま
した。
26 :
小さなヨヘネ:2006/03/27(月) 01:34:25 ID:fCwS5ylP
わたしは、神の民の全浮沈に一歩一歩あなたたちを連れて行けるでしょうが、そこにあな
たたちは、節度を越えた欲望が、その保持者を罪人となし、その保持国を懲罰に値するもの
とするのを見るでしょう。なぜなら個々人の犯す罪は積み重なり、国々の罰を引き起こし、
こうして砂漠の砂の粒々のように、世々にわたって積み重なり、国とそこに住む者たちを埋
没させる地滑りを引き起こすからです。
わたしはあなたたちに模範として幼子たちを引き合いに出しましたが、それは彼らが単純
で信頼に満ちているからです。きょうはあなたたちに言います。欲望から解き放たれている
小鳥たちに倣いなさい、と。
27 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:35:33 ID:fCwS5ylP
見なさい。今は冬です。果樹園に小鳥たちの食べ物は僅かです。しかし小鳥たちは、夏に
冬の食べ物を蓄える心配をしますか? いいえ。主に信頼しています。一匹の芋虫、一粒の
穀物、一握りのパン屑、一匹の蛙、水上の一匹の蠅がいつも自分たちの餌袋に運ばれてくる
のを知っています。小鳥たちは屋根下の暖い棟とか、羊毛や綿の一房が自分たちの冬の塒
(ねぐら)のためにはいつだってちゃんと用意されていることを知っているし、巣造りのた
めの枯れ草や雛のための充分な食事が必要な季節ともなれば、野原には香り高い枯れ草があ
り、果樹園や畝溝(うねみぞ)には汁の豊富な食べ物があり、空中や大地には昆虫が潤沢で
あることを知っています。そして、『創造主よ、わたしたちに与えてくださり、これから与
えてくださるであろうもののために、あなたに感謝』と、そっと歌い、愛の季節が来れば花
嫁と睦(むつ)み合い、雛が孵(かえ)れば自分たちの繁栄を見て、勢一杯声を張り上げて
創造主を讃美しようと待ち構えています。
28 :
?小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:40:25 ID:fCwS5ylP
この小鳥ほど陽気で幸せな被造物がいるでしょうか? にもかかわらずその賢さは人の知
性に比べれば何でしょうか? 一つの山に比べれば、シリカの鱗片(りんぺん)のようなも
のです。しかしこの小鳥はあなたたちに教えています。まことにあなたたちに言いますが、
不純な欲望を抱かずに生きる者は、小鳥の陽気さを所有します。彼は神に自らを委ね、神を
父だと感じています。彼は昇る日に微笑み、下りる夜の帳(とばり)に向かって微笑みま
す。太陽は彼の友であり、夜は彼の乳母(うば)だと知っているからです。彼は人に恨みを
抱かず、人の復讐にもびくともしません。何一つ、人を傷つけていないからです。彼はその
健康や睡眠について託つことはありません。誠実な生き方は病気を遠ざけ、安らかな眠りを
与えることを知っているからです。最後に、彼は死をも恐れません。良い行いをしてきたの
で、神の微笑を浴びることしかできないと心得ているからです。
29 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:44:48 ID:fCwS5ylP
王も死にます。金持ちも死にます。死を遠ざけるのは王笏(おうしゃく)ではなく、不死
を買うお金でもありません。王の中の王、主人の中の主の前では王冠も金貨も笑止千万なも
のであり、ただ一つ価値をもつのは、律法のうちに生きられた一生だけです!」
「あそこのあの奥にいる人たちは何を言っているのですか? 話すことを怖がることはあり
ません」。
「アンティパはどんな罪を犯したのですか? 盗みですか、それとも姦(かん)淫ですか?
そうわたしたちは言っていたのです」。
「わたしはあなたたちが他人の振りを見ず、むしろ己れの心を見張ればいいと思います。し
かしあなたたちの問いに答えましょう。彼は神よりも肉を礼拝する偶像崇拝の罪、姦淫(か
んいん)の罪、盗みの罪、不法な欲望の罪、殺人幇助(ほうじょ)の罪を犯しました」。
「アンティパは、救い主であるあなたによって救われるでしょうか?」。
「罪を悔い改め、神に立ち返る者たちを、わたしは救うでしょう。罪を悔い改めない者たち
に、救済は無いでしょう」。
30 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:47:29 ID:fCwS5ylP
「あなたは彼を盗人だとおっしゃった。でも何を盗んだのですか?」。
「彼の兄弟からその妻を。盗みは金銭のみに限られません。ある人から名誉を奪うのも、あ
る娘の処女性を奪うのも、ある人からその妻を奪うのも、ある隣人から牛を、あるいは果樹
を奪うのがそうであるように、盗みです。その上、淫蕩あるいは偽証によって加重された盗
みには、邪淫の、あるいは姦通の、あるいは虚偽の罪が加重されます」。
「売春する女はどんな罪を犯しますか?」。
「もし彼女が結婚していれば、夫に対する不倫の罪と、盗みの罪を犯します。もし独身であ
れば不浄の罪と自分自身に対する盗みの罪を犯します」。
「自分自身に対するですって? 自分のものをくれてやっているのに!!」。
「いいえ。わたしたちの体は、神の神殿である霊魂の神殿となるために、神によって創造さ
れました。だから誠実に維持されねばならないのです。そうでなければ霊魂は神の友情と永
遠の生命を奪われる被害者になります」。
31 :
?小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:50:36 ID:fCwS5ylP
「それでは、一娼婦はもはやサタンのものであることしかできないのですか?」。
「あらゆる罪はサタンとの売春です。罪人は、金で買われた女のように、不法な情交を通じ
て汚らわしい儲けを得ようとサタンに我が身を売るのです。人を不浄な動物にも等しいもの
とする売春の罪は、重大な、極めて重大な罪です。しかし、あなたたちは他のあらゆる大罪
がそれよりも軽いと思ってはなりません。偶像崇拝についてわたしは何を言おうか? 殺人
については何を? それでもなお、神は、黄金の牛を造ってしまったイスラエル人たちを赦
されました。二重の罪を犯したダビデを赦されました。悔い改める者を神は赦されるので
す。痛悔が罪の数と重大さに見合うものであれば、わたしはあなたたちに言いますが、より
痛悔する者はより多く赦されるだろう、と。痛悔は愛のあり方だからです。効果的な愛のか
たちです。悔い改める者は、その痛悔の念をこめて神に言います。『わたしはあなたを愛
し、あなたから愛されたいので、あなたの御立腹には耐えられません』と。そして神はご自
分を愛する者を愛されます。だからわたしは、より愛する者はより愛される、と言うので
す。完全に愛する者はすべてを赦されます。そしてこれは真実です。
32 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:52:32 ID:fCwS5ylP
行きなさい。しかしその前に、町の門に子だくさんの一未亡人がいて、飢え死にしかかっ
ていることを、あなたたちに知ってほしい。借金を払えずに家を追い出されました。そし
て、彼女を追い出すことしかしなかった家主に、未だに『ありがとう』と言える人です。わ
たしは彼女と子供たちにパンを買うためあなたたちの献金を使いました。でもあの人たちに
は避難する場所が要ります。憐れみは主が最も喜ばれる生贄(いけにえ)です。あなたたち
はどうか善良であってください。わたしは主の名において、あなたたちに報いを約束しま
す」。 人びとは何ごとか囁(ささや)き合い、相談し、論じ合っている。
その間にも、イエズスは、ほとんど視力を失っていた男を完治し、病む嫁のもとに来てく
ださるようにと、イエズスに頼み込むためにドコからやって来た老女の話に耳を傾ける。
33 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 01:54:23 ID:fCwS5ylP
age
34 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 16:45:40 ID:fCwS5ylP
age
35 :
イエス・キリスト:2006/03/27(月) 16:47:25 ID:GH1dAasA
たまご
36 :
名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 16:47:50 ID:UUe6tGl4
37 :
?小さなヨハネ:2006/03/27(月) 19:39:02 ID:fCwS5ylP
age
38 :
小さなヨハネ:2006/03/27(月) 22:48:29 ID:fCwS5ylP
age
バチカンはワルトルタの著作を私的啓示とは認めてない。
40 :
小さなヨハネ:2006/03/28(火) 00:41:58 ID:BCqBnaO4
age
41 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 00:43:58 ID:pF0HF7Pn
ワルトルタの文章は啓示ではなくて小説ですよ。
啓示と誤解させるような表現は慎みましょう。
>>1
42 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 00:50:09 ID:GsIGlvSQ
バチカンは酷いことしたよね。十字軍で一杯人、殺しちゃったよね。
謝ろうね。
43 :
?小さなヨハネ:2006/03/28(火) 03:11:42 ID:BCqBnaO4
age
44 :
小さなヨハネ:2006/03/28(火) 03:16:10 ID:BCqBnaO4
北イタリアの霊的風土とマリア・ヴァルトルタ
北イタリアと聞けば、人はまずアルプスや湖水地方、ポー川や川に沿って続く葡萄畑を連
想するかもしれない。また、あの名高い詩聖ダンテを、さらには『いいなずけ」の作者ア
レッサンドロ・マンゾー二を連想するかもしれない。この神の祝福に満ちた地に、摂理はま
た一人の女性神秘家を誕生させました。その名はマリア・ヴァルトルタ(1897年-1961年)。
この女性はベッドに寝たきりの状態で、1943-51年にわたるわずか8年の間に、122冊の
ノートを書きつづけ、それは1万5千頁にのぼりました。時は第二次大戦の末期、爆撃の恐
怖や避難生活を余儀なくされる中で、一日も書くことを止めることはありませんでした。し
かも一度書かれたものは、見直すことも書き直されることもなく。今日、それは17巻の著
作となり、翻訳版も多く刊行されています。『自叙伝」『福音』『ノート』など。その中身
たるや、ベッドから立ち上がって図書館へ、まして聖地へ足を運ぶこともなかったのに、神
学者や聖書地理学者が舌を巻くほどの聖地をめぐる精緻な記述、専門的なガイドブックにも
描かれていない詳細な描写が認められるという。聖書にはほんの一行か、あるいは全く出て
こないイエズスと弟子たちとの深遠な対話の連続。アラマイ語で交わされているはずの彼ら
のことばを、彼女はイタリア語で聞き、イタリア語で書き取るという不思議。<私は主のペ
ン>と証言するかのように、彼女の右手だけは死後もなお白く残っていたという。1961年
10月12日、わずかの人に見守られたその人は息を引き取りました。病床について28年、
65歳の聖なる生涯でした。
なお、彼女の作品は自分の見たまま聞いたままの情景描写の部分と、イエズスや聖母マリ
アのことばを書き取った口述筆記の部分の文体の違いは、一目瞭然です。
45 :
小さなヨハネ:2006/03/28(火) 03:20:22 ID:a14G+Jkr
作品をめぐるいくつかの証言
アゴスティーノ・ベア(1881-1968)
(イエズス会士。教皇庁立聖書研究所長。ピオ十二世教皇の聴罪司祭。)
何年か前に、マリア・ヴァルトルタの作品をタイプ原稿で読んだ。特に、聖書解釈、
歴史、考古学、地形学の分野に注意を払って読んだ。聖書解釈に関しては、検討した限
り、特に際立つ間違いは見つけられなかった。間違いは見つけられなかったどころか、
考古学上の、また地形学上の記述の著しい的確さには舌を巻いた。1952・1・23 ローマ
ウゴ・ラッタンツィ(1899-1969)
(ラテラネンセ大学神学部教授。教皇庁諮問委員。)
数年前、わたしはヴァルトルタの作品全部を読んだ。中等以下の教育を受けた女性で
ある著者が、不可思議な力の影響をこうむらずに、これほどとてつもない課題と内容を
もつ書物を書くことなど絶対に不可能だと、わたしは考える。…この全集には、思索に
しても、文体にしても、光彩を放つ見事な頁が散在している。その心理的状況の描写
は、シェークスピアにも比肩し、ソクラテス流の会話の運びは、プラトンのそれも彷彿
とさせる。 1952・1・21 ローマ
46 :
小さなヨハネ:2006/03/28(火) 03:21:23 ID:a14G+Jkr
ニコラ・ペンデ(1880-1970)
(ローマ大学医学部教授。臨床医、また依頼されて詳細にわたって診察もする。)
この作品は、文体といい、言葉と表現形式の美しさといい、そこそこの文学的教養を
そなえた女性からとはとても期待できない、正真正銘の名作だと私は思う。その本質的
な特徴において四福音史家のそれに合致し、符号しているのみならず、より細部にわ
たって彫り刻まれ、四福音史家が書いていない、贖い主の人としての生涯の空白へ脱落
部分を埋めている、と断定せざるを得ない。しかし、医者であるわたしが驚きと賛嘆を
禁じ得ないのは、十字架上の臨終者キリストの場面の叙述である。それは、経験豊かな、
ほんの一握りの老巧な医者のみが語ることができる現象学である…。 1952・1・23 ローマ
ガブリエレ・マリア・ロスキー二(1900-1977)
(修道司祭。マリアに関する神学、マリア論の権威。ラテラネンセ大学神学部教授。)
マリア・ヴァルトルタの未発表、あるいは発表された書物から明らかになった彼女の
マリア論は、わたしにとってまことに一つの啓示であった、と率直に告白しなければな
らないと感じている。マリアに関係する書物全体をもってさえも、"神の傑作"(マリア)
についてのかくも明快な、かくも強烈な、かくも完成された、かくも生き生きと輝
きを放つ、かくも心を魅了する、単純素朴だが同時に崇高な一つの思想を、わたしに与
えることはできなかった。 1973 ローマ
(主著『マリア・ヴァルトルタの作品における聖母』1973年は日本語への全訳進行中。)
47 :
小さなヨハネ:2006/03/28(火) 15:11:03 ID:a9kqOOja
age
48 :
名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 15:16:07 ID:ic9qFF+l
イエズス会氏ね
49 :
小さなヨハネ:2006/03/28(火) 22:26:18 ID:a9kqOOja
age
50 :
小さなヨハネ:2006/03/29(水) 02:18:48 ID:ReTO60Jp
age
51 :
?小さなヨハネ:2006/03/29(水) 11:53:14 ID:ReTO60Jp
age
小さなヨハネって、「小さな石」の仲間か?
53 :
小さなヨハネ:2006/03/29(水) 23:16:51 ID:ReTO60Jp
age
54 :
?小さなヨハネ:2006/03/29(水) 23:18:12 ID:ReTO60Jp
今夜もこんばんわage
何か語れ。age荒らしは感心しない。
56 :
小さなヨハネ:2006/03/29(水) 23:56:45 ID:ReTO60Jp
何か語りましょうか?
いや、いい。
58 :
小さなヨハネ:2006/03/30(木) 00:00:55 ID:ReTO60Jp
じゃあ、age
59 :
小さなヨハネ:2006/03/30(木) 02:46:40 ID:mKcYS+re
語るのを断られたので、ひたすらage
60 :
小さなヨハネ:2006/03/30(木) 03:34:23 ID:mKcYS+re
age
61 :
小さなヨハネ:2006/03/30(木) 14:59:20 ID:mKcYS+re
age
62 :
?小さなヨハネ:2006/03/30(木) 23:06:24 ID:mKcYS+re
age
63 :
名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 23:07:35 ID:wXihqh5+
りらっくま?
64 :
小さなヨハネ:2006/03/31(金) 00:31:10 ID:OF6kCCWH
りらっくま。
http://www.hvri.catholic.ac/rick.htm キリストの人間性を十字架上で死なれた全知の神でなく、単に人間的なものにしてしまう
ニュー・エイジの、アリアン・ネストリウス的異端になるであろうと思われる人たちが支持するのは、
もちろん、ウェルナーだけではありません。ヴァティカンが断罪したマリア・ワルトルタの
"The Poem of Man-God" (人・神の詩)がその一例です。これについてもわたしたちは完全な
報告を受けていますが、この本のタイトルさえもが異端的であると言うだけでも十分でしょう。
キリストは神になった人ではなく、人になった神ではありませんか? 本の内容もタイトルと同様、
キリストを神であれば当然知っていそうなこと(ヨハネ二・二十五)を知らない無知な人間として
描写しています。また、罪を容認した人としても描かれていますが、キリストは片時と言えども
そういうことをなさらなかったはずです。しかし、一言で言えば「人・神の詩」は尊者アンナ・カタリナ・
エンメリック著「イエス・キリストの生涯」の猿真似です。ただ内容はすべてが反対になっています。
両者は相容れません。その結果は、尊者アンナ・カタリナ・エンメリック著の本が聖パウロ女子
修道女会経営の書店の棚から消えて、その代わりに「人・神の詩」が売られることになりました。
66 :
名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 01:28:45 ID:GnVsa2Z0
全知全能なら十字架も不要では。
67 :
名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 13:30:35 ID:ULgCr7YF
それよか人類2000年振り返って、
【まだイエスは救世主だと言い張れますか?】
【それとも人間やめますか?】
となるのではでは?
68 :
名無しさん@3周年:2006/03/31(金) 13:40:37 ID:ULgCr7YF
イエスはユダを裏切りました。
あれだけ「私は命を張る!」と言い張って誓ったお方がです。
周囲に民衆がいない時のイエス様の言動はまるで君子豹変でした。
ユダは言い放ちました。
「センセ。その誓った口で真理を裏切るのですか」
たちどころにイエスに聖霊が降った!
いそいそと館を出るイエス様にペテロは尋ねた。
「センセ。何処に行かれるのですか」
イエスは答えた。
「貴方方は聖書を読んだ事がないのか。預言者の言葉を信じないのか。神の子はパンツいっちょで悲劇のヒーローとして死に、裸の王様のモデルになる事を!!」
こうして身勝手極まりないカスの死に方預言が成就するのでした。
でも、事実だろ。
誰も聞いてない死に方を預言してな。神ってあくまでも一番を誇示し、勝ちたいんだな。だろ?!
テーゾク
170|第二の山上の説教。恩寵の賜物と真福八端。
成聖の恩寵、すなわち霊魂の命。わたしたちの霊的霊魂に置かれたあの極めて霊的なもの。
恩寵は罪という死からあなたたちを守るゆえ、あなたたちを神の子らとするが、死んだ者
は、父の家、すなわち天国で、わたしの王国すなわち天で『生きて』いません。聖化し、生
命と王国を与えるこの恩寵とは何でしょうか? おお! 多くを語ってはなりません! 恩
寵は愛です。したがって恩寵は神です。完璧に創造された被造物のうちに自分自身を見て感
嘆し、自らを愛し、自らを凝視し、自らを熱望し、この財産を増し加えるために、この増加
を楽しむために、他者であるにもかかわらず、自分自身を愛するために、彼のものであるも
のを与えるのは神です。
おお! 子らよ! 神のこの権利を詐取(さしゅ)してはならない! その財産を神から
奪ってはならない! この神の熱望を裏切ってはならない! 彼は愛のために働くことを考
えなさい。たとえあなたたちがいなくても彼は常に無限なものであろうし、その力が減るこ
とはないでしょう。しかし彼は、その無限の尺度において計り知れず完璧であるから、自分
のために、また自分のうちには望まず──すでに無限なるものであるがゆえにそれは出来な
い──ただ、その被造物人間を含む宇宙のために愛を増し加えたいと望みます。そのため
に、あなたたちに恩寵すなわち愛を与えます。それは、あなたたちが、あなたたちのうちに
聖人たちの完全さをもってそれを抱(いだ)き、神がその恩寵と共にあなたたちに与えたこ
の財宝から引き出されたあなたたちのすべての聖なる活動、あなたたちのすべての英雄的生活によって増大したこの財宝を、神が在(ましま)す無限の大洋、すなわち天に再び注ぎ込
むためです。
愛の完璧な、完璧な、完璧な水槽! あなたたちは存在し、あなたたちの存在には死は与
えられていない、というのもあなたたちは神であることにより*神のように永遠だからで
す。あなたたちは存在するだろうし、あなたたちの存在に終わりは与えられないだろう、と
いうのも、自らの功徳で豊かになってあなたたちのもとに戻って来ることにより、あなたた
ちを十二分に養った聖なる霊たちのように不滅な者だからです。あなたたちは生き、養わ
れ、あなたたちは生き、豊かになり、あなたたちは生き、こよなく完全な霊である神から、
今、初めて母の乳を飲む生まれたばかりの赤子に至る諸霊の通功であるあの至聖なるものを
練り上げなさい。
おお、学の有(あ)る者たちよ、あなたたちの心の中でわたしを批判してはなりません!
『この人は狂人だ、この人は嘘吐きだ! なぜならあの罪のせいで我々がもっていないはず
の恩寵を我々はもっている、と言って狂人みたいなことを語るからだ。なぜならもう我々は
神と一体だと言って我々を騙(だま)しているからだ』と、言ってはなりません。はい、罪
はあります。はい、断絶はあります。しかし、贖罪主の力の前で、父とその子らとの残酷な
断絶である罪は、新しいサムソンによって震動を加えられた城壁のように崩壊するでしょ
う。すでにわたしはそれを掴(つか)み、それを揺さぶったので、それはよろめき、サタン
はわたしの力の前ではなすすべもなく、また、多くの獲物(えもの)をせしめようとしてい
たのに人間を罪に引きずり込むことがより難しくなったと、怒りと無力感で震えています。
なぜならわたしが、わたしを通してあなたたちを有し、わたしの父のもとに連れて行くであ
ろう時、そして、わたしの血が、またわたしの苦しみが浸透してあなたたちを潔白、かつ強
靭にすることにより、あなたたちの内に恩寵は生き、目覚め、力あるものとして戻り、あな
たたちがそれを望むなら、あなたたちは勝利者になるであろうからです。
神は、思考において、聖化においてさえ、あなたたちに暴力をふるいません。あたなたち
は自由です。しかしあなたたちに力を与えます。サタンの王国に対してあなたたちに自由を
与えます。あなたたちは再び自分に恐ろしい地獄の軛(くびき)をかけるか、それとも霊魂
に天使的翼を持つか自由です。兄弟なるわたしと共に、あなたたちを導き、またあなたたち
を養うための不滅の食物は全部あなたたちにあります。
『 シナイ山の厳しい道ではないもっと楽な別の道をとって神とその王国を得るにはどう
すればいいのですか?』と、あなたたちは言う。
他に道はないのです。あの道です。しかしながら脅(おど)しの色合いを通してではなく、
愛の色合いを通してそれを見ようではありませんか。罪を犯さないことなど出来はしな
いと、罪を犯すのを震えながら待ちつつ『もしこれをしないなら災いだ!』と言わないよう
にしましょう。むしろ、『もしこれをするならわたしは幸いだ!』と言って、超自然的な喜
びに彈(はず)んで、刺(とげ)だらけの潅木(かんぼく)の茂みから姿を現わす薔薇の花
冠のように、律法の遵守(じゅんしゅ)によって生まれるこの真福八端に向かって身を躍
(おど)らせようではありませんか。
『心貧しければわたしは幸いだ、天の王国はわたしのものであろうから!
柔和であればわたしは幸いだ、わたしは地を継ぐであろうから!
反乱を起こさず泣くことが出来るわたしは幸いだ、わたしは慰められるであろうから!
肉を飽かせるパンと葡萄酒よりも義に飢え渇くならわたしは幸いである。義はわたしを
飽かすだろう!
慈悲に富むならわたしは幸いだ、神の憐れみはわたしに注がれるだろうから!
心が清ければわたしは幸いだ、神はわたしの清い心の上に屈(かが)み、わたしは彼を
見るだろうから!
平和の霊をもつならわたしは幸いだ、神から我が子と呼ばれるだろうし、平和のうちに
は愛があり、また神は彼に似る者を愛する愛なのだから!
義に対する忠実のために迫害を忍ぶならわたしは幸いだ、わたしが地上で受ける迫害に
報いて、神、わたしの父はわたしに天の王国を賜るであろうから!
おお神よ、あなたの子であることを知るために、侮辱され、嘘吐きのごとく非難される
ならわたしは幸いだ、これによって悲嘆ではなく、喜びはわたしに来るはずだし、これこ
そ、同じ理由で迫害されたあなたの最良のしもべ、預言者たちにわたしを肖(あや)から
せ、この人たちと共にわたしは、わたしのものである天において同じ報いを分け合うこと
を固く信じているのだから!』
救いの道をこのように考えましょう。聖人たちの喜びを介して。
age
原子力兵器を駆使して大闘諍をおこしなさい。
これが神の契約です。
age
>77 ご協力ありがとうございます。
age
まだこんな事やってたのか、お前はw
81 :
age:2006/04/02(日) 05:43:01 ID:TVK6OqeF
age
82 :
風の主:2006/04/02(日) 13:24:29 ID:FPaxsgHk
ヨハネさん、はじめまして。お聞きしたいことがあります。
あなたは書かれている内容をどうやって学んだのですか?
私はイエスを知りたい。
最近、「イエスだったらこう思う」とか「あのときのイエスはこう考えたのだ」という思いもよらない思考が浮かび上がってくるのです。
知りたいのです。アドバイスをしてください。
>82
ごらんの通り、イエスさまがすべてわかりやすく語っておられるので、
私が何か付け足すことはないと思っています。ましてやアドバイスなんて
できる身分ではありません。
84 :
風の主:2006/04/02(日) 21:46:50 ID:FPaxsgHk
では、どのように学んだのか教えてください
どのように学んだのか、一口で説明はできません。
一口で言うとすると、愛すること、です。
※私は「イエス・キリストは父なる神」の小さなヨハネさんとは
別の人間です。
別人だったのか、それは失礼w
でも、スウェーデンボルグは読んだことがありよく知っています。
当時の小さなヨハネさんが、どうしてカトリック信仰とスウェーデンボルグを
両立できるのか不思議です。きちんと読めば理解できることですが、これらの
二つは教義の面で互いに相容れませんから。
88 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 05:20:32 ID:7MMzTcVF
スエーデンボルグはパウロという男について
鋭く批判しているそうだ。
まったくパウロは最低な人間だったようだ。
読んだことないのでスエーデンボルグは知らない。
>>88 俺もうろ覚えだが...
確か、『霊界日記』に書いてあった記述で、スエーデンボルグはそれを公に
するつもりはなかったようだ。彼の神学的著作の中では、パウロ批判が一切
ないどころか、パウロ書簡を引用さえしている。
批判の内容とは、彼が一度は天界の高みへ到達するような「悟り」を得たにも
関わらず、やがて「聖者」として思い上がってしまったことと、悪魔の中でも
最大の者と「契約」して、契約と引き換えにキリスト教の教義を骨抜きにする
ことに加担したから。具体的には、「不義を退け、義を求める」という意思を
貫き、試練に際しては義を選んで行い、しかもその行いを自分の功績とは考え
ない謙虚な人だけが天国へ迎えられる、という本来のイエスの教えを、
「キリストを信じるというだけで、救われる」という「信仰義認」にすりかえて
しまい、口だけで義を唱えて実行する気がない偽善者を大量生産し、地獄へ落ちる
犠牲者を多数出したから。
90 :
89:2006/04/03(月) 08:24:06 ID:0S7jPdd/
幸いにも、メモが残っていたから、参考にどうぞ。
「聖言の文字の意義と偽善者について、パウロについて」(No.4413、静思社版)
己が業に功績をおこうとするため、聖言の内なる意義を何ら意に介しない或る
一人の者がいた(それはパウロである)。かれは長い間わたしから遠ざかっており、
また最悪の部類の霊共の間にいた。かれは今は最悪の悪魔共と交わり、今自らの
ために霊共の或る天界を形作って、これにかれ自身から楽しさを、しかし欲情と
快楽との楽しさを与えようとした、そのことをまたかれは企てもしたが、かれは
そのためさらに悪いものとなり、投げ落とされてしまった。その際私は彼に、
それは天界ではなく、地獄であると話したが、実際それは黒い地獄へに変わった
のである。とくに彼はその周りに偽善者らを得ようと願ったが、その者らについて
私は彼らと話したのであり、私のもとに数日にわたって偽善者らがいたが、
そのことを私は歯の痛みにより知ることができたのである。すなわち、彼らは声も
立てないで絶え間なく私を脅迫したが、そのことはパウロから来ていることが認め
られもしたのである、彼は聖言の内なる意義を憎んでおり、その憎しみの怒りの
結果彼の周りに偽善者共が引き寄せられているのである、事物はこのように関連
付けられているのである、なぜなら偽善者らは何一つ信じてはいないで、依然、
聖言の文字の意義を尊重するからであるが、そのことは彼らがそこから多くの事柄
を取り出し、それを用いて一般人を説得し、かくして自らが敬虔なものとして見える
ことができるためである。
91 :
89:2006/04/03(月) 08:57:52 ID:0S7jPdd/
スエーデンボルグが説くところは、人間はうわべだけの「外的な人間」と
本質である「内的な人間」に分かれ、死後も残るのは内的な人間だけである
こと。そして、内的な人間の「豊かさ」は、その人がどれだけ本心から「自分
自身に対するように神と隣人を愛するか」だけの指標で表されるということ。
悪魔は、内的な人間を貧困にすることを望んでいるので、いろいろと形を
変えてエゴイズムへと人を駆り立てる。パウロは、「キリストが犠牲になって
人類すべての罪を購ってくれたのだから、安心せよ。」と説いたため、
「罪をいくら犯しても許される、罪犯し放題」と勘違いする人間を増産する
ことで悪魔に貢献した。最近では、ニューエイジで「善悪などない」とか、
「善悪を決めるのは個人だ」という教えを流行らせて、罪の意識を放棄する
やり口を広めているのが特徴。
92 :
風の主:2006/04/03(月) 11:21:22 ID:3Nsh+mIt
ありがとうございます。
ボルグについて、パウロについて、調べてみたいと考えます。
93 :
89:2006/04/03(月) 13:09:32 ID:0S7jPdd/
おやおや、いつのまにかボルグスレになってしまっていますね。
私はちなみに、スウェーデンボルグを真の啓示とは思っていない、カトリック信徒です。
「信仰のみ」を言い出したのはパウロでなく、ルターだと思いますよ。
パウロがローマ書で言っていることと、ルターの主張とは同じではないと
思っています。でも、教義を神学的な見地から議論するより、小さな愛徳を
実行することの方がよほど価値があると思いますよ。
95 :
89:2006/04/03(月) 16:14:42 ID:0S7jPdd/
>「信仰のみ」を言い出したのはパウロでなく、ルターだと思いますよ。
パウロの贖罪論から「人間がもしも罪から逃れられない存在であるならば、
厳しすぎる戒律を定めた創造主こそが悪の根源だ」という発想が出てくるの
は時間の問題です。マルキオン主義が、「贖罪のキリスト」を強調する
ルカ福音書と、パウロ書簡だけを正典としたことは、むしろ自然だったと
思われます。
ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/gnousisu/marukion.htm 私は、パウロ書簡が罪を人間から「棚上げ」し、善悪の区別をあいまいにした
結果、グノーシス主義のような異端の温床を作り出したと考えています。
96 :
89:2006/04/03(月) 16:49:58 ID:0S7jPdd/
精神医学用語に「二重拘束状態」というのがあります。
一言で言えば、「解決不可能な課題を与えて、がんばれ」と煽る状態、車
のアクセルとブレーキを同時に踏み込むような状態のことです。
こういう状態に追い込まれると、人間は心身症になります。
パウロ、ないしその後継者のルターは、人間に「原罪」のレッテルを貼り、
自力では解決しようがない「解決不可能な課題」を全人類に与え、「その解決
法は、唯一キリストにすがることである」という暗示をかけた。カトリック
ならば、ラテン語で粉飾された秘蹟を万能薬であるかのようにふれ回り、
人間を教会に隷属させた。言うことを聞かない領主は破門をちらつかせ、臨終に
秘蹟をやらないぞと脅した。
ところが、福音書を読めばわかるが、イエスは「私の言葉を実践せよ」と言って
いるだけで、「秘蹟を受けよ」とも「罪の購いを受けよ」とも言っていない。
イエスの主張は、やろうと思えばどれも自分の力でできること、努力次第で
いくらでも進むことができることです。だから、「二重拘束状態」には陥ること
がない。
健全なる信仰は、「二重拘束状態」のような不健全な環境、「原罪」でもって
人間の努力を否定するような誤った環境の中で育つわけがありません。
97 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 18:13:11 ID:zcg2oMYR
イエス・キリストの実際の説教がどんなものだったか、なんて
タイムマシンでも使わなければわかりっこないよ。
タイムマシンがなくても過去のことをいくらでも
実際に見聞きできる人はいる。アカシックレコードという
人間の活動の全記録にアクセスする技術があればよい。
99 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 18:45:54 ID:WMCoz3BO
>実際に見聞きできる人はいる。
それが妄想でないという確証はあるのか。
それを言い出したらキリスト教は非真実だ。
101 :
名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 19:22:15 ID:ErIFFS76
信仰の確証においてキリスト教とニューエイジを分かつものは無いと言うことか。
信仰義認については、私は以下の文書に完全に従うことを表明します。
「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でありますように。
出典:カトペディア2004
1999年10月31日、カトリック教会とルーテル教会世界連盟は、ドイツのアウク
スブルクで「義認の教理についての共同宣言」に調印した。これによって、16世
紀の宗教改革以来、論争の核心となっていた問題がようやく解決を見た。教皇ヨ
ハネ・パウロニ世は同日の「昼の祈り(アンジェラス)」で、この合意を「キリ
スト者の間に再度一致を回復する容易ならぬ道のりの画期的な通過点」と評価し
て、次のように述べている。「この文書はエキュメニカルな神学研究を継続し、
残された問題に立ち向かい、確固とした希望をもって将来これらの間題を解決す
るうえでの堅固な基盤となります」。また、「この文書は歴史上の記憶を清め、
共通のあかしを行うために貴重な働きをするものでもあります」。
103 :
名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 00:05:09 ID:iAm8HxHk
なぜキリストはフルチンでないか?
正解:世にも粗末な粗チ…
イエスの性器について語る文書は存在しない。
不遜な妄想にふける非人間は去れ。
106 :
名無しさん@3周年:2006/04/04(火) 14:07:03 ID:bbJkf1OI
イエスは男性性の象徴か、女性性の象徴(変性女子)か?
108 :
風人:2006/04/06(木) 11:33:33 ID:0fILgvpR
その微生物が宇宙を構成してる
>>97 今の我々は聖書を読めばいい。
そもそも聖書は譬えの書であって、字義はあくまでも家の土台、
あるいは人間が着ている衣服のようなもの。よって仮にワルトルタが真実を述べていたとしても、
秘められた内意についての手がかりとなるかどうかはなはだ疑問だな。
まあ臨場感たっぷりなのは結構だが、それだけのことだ。
聖書の文字の意義に秘められたアルカナ(秘義)は
主御自身の啓示によらなくては到底分かるはずもない。
スウェーデンボルグは自らの自著を主や天使から直接そのアルカナを授かり、
それをそのまま書いたと主張している。
問題はそれが真実かどうかだが、各々読んで自ら判断するしかあるまい。
ま、俺は信じているがね。「天界の秘義」などは、ありゃ単なる妄想狂に書ける代物じゃない。
110 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/11(火) 14:26:05 ID:zZ6HMrKN
魂はその本性からして女である。それは子宮さえ持っている。
彼女が父の元にいたとき、彼女は処女であり、同時に男女の姿をしていた。
しかし彼女が、この身体の中に落ち込み、この命の中に来た時、彼女は盗賊の手に渡った。
無法者共は彼女をかわるがわる犯した。彼女はその身体で、この無法者共と
交わり、夫でない者を、夫として信じ、姦淫の罪を犯した。
彼女が、その身体で、無法者と交わり、生み出したものは、嫉妬であり、妬みであり、そして死である。
彼女が、この姦淫者共に顔をそむけ、、元の夫のところに帰ろうとしても、この姦淫者共は、
彼女を追いかけ、説得し、また、忠実な夫を演じ、言葉巧みに彼女を騙し続けた。
しかし天の高みにいる父が彼女を探し当てたとき、彼女は、自分の家から離れ、姦淫を重ねる自分を激しく
悔い、父に救いを求めた。彼女は全身全霊で、父に救いを求める。
「救いたまえ父よ。私は我が家を捨て、処女の部屋から逃げ去りました。もう一度私をみもとに戻してください」
父は彼女の有様を見て、自らの哀れみにふさわしい者だと判断するだろう。
彼女は自分の家を捨てたので、苦難が多いのだ。
さて、魂の淫行においては、聖霊が預言している。預言者エレミヤは語る。
もし夫がその妻を離縁し、女が去って他の男を受け入れるのなら、女はその後に彼の元に帰ることができようか。
この女は完全に汚されたでのではないか。おまえは多くの羊飼いと淫行した。しかも私に帰ってきたと。
主は言われた。お前の目を高みに上げよ。そしてお前が淫行したところをみよ。
お前は路に座し、お前の淫行と悪事によって。地を汚したではないか。そしておまえは多くの羊飼いを、お前の過ち
のために受け入れた。お前はあらゆる人と交わって、恥知らずであった。お前は私に、
身内の者として、あるいは父、あるいはおまえの処女の創始者として呼びかけなかった。
111 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/11(火) 14:28:45 ID:zZ6HMrKN
また預言者ホセアは語る。
来なさい、お前達の母とともに裁きを受けよ。彼女は私の妻ではなく、
私は彼女の夫ではないであろう。私は彼女の淫行を私の目から除き、彼女の姦淫をその乳房の間から除くであろう。
私は彼女を生まれ出た日のように裸にし、彼女を水の無い地のように荒野にするだろう。
そして私は彼女を乾きのうちに石女とするであろう。私は彼女の子を憐れまないであろう。彼らは淫行の子らだからである。
彼らの母が淫行をし、その子らを恥辱に追いやったのだから。彼女がこう言ったからである。
「私は私を愛する人々と淫行をしよう。彼らは私にパンと水と外衣と、衣と、葡萄酒と油と、そして、私に役立つあらゆるものとを
与えた人々である」だから見よ、私は彼女を閉じ込め、姦淫者たちの後を追いかけることができないようにするだろう。
そして彼女が彼らを探し、彼らを見いださないときに、彼女はこう言うだろう。
「私は私の先の夫の元に帰ろう。あの日々は今よりも私によかったから」
112 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/04/11(火) 14:29:19 ID:zZ6HMrKN
魂が、いたるところを走り回り、彼女が出会う者と交わりをなし、自身を汚している限り、彼女は自分が受け入れるに
ふさわしい者共の苦難のもとにある。しかし彼女が、その中にある苦難を知り、父に向かって泣き悔い改めるのなら
そのときに父は彼女を憐れみ、彼女の子宮の向きを外側から、内側にと変えるだろう。
その際、彼女は固有性を獲得する。なぜなら身体の子宮は内臓と同じく、身体の内側にあるのだが、魂の子宮は、
男性と同じく、外側を覆っているからだ。魂の子宮が、父の意思で、内側に向くと、
彼女は水に浸り、直ちに彼女を抑えていた外側の戯れから清められる。それはちょうど汚れた上衣が水に浸され、
戯れが取れるまですすがれると、それが清くなるようなものである。
魂の清めは、彼女(魂)が、先の要素を更新することである。こうして再び彼女は向きを変える。これが洗礼なのだ。
彼女は女である。一人では子を生むことは出来ない。だから天の父は、彼女の為花婿を遣わす。
彼は彼女の兄弟であり、長子であり、元の夫でもある。彼女は以前の淫行を放棄し、身を清めた。彼女は花嫁に
生まれ変わったのである。彼女は新婦の部屋で身を清めた。彼女は本当の花婿を待ち続けた。
そして花婿が来た時、彼女は花婿と結ばれる。この結婚は、肉体的な結婚のごときものではない。
文字通り、互いに合一するのだ。妻が、夫とはなれる前まで、父の元で一つであった。そして再び彼女(魂)は、
本来の夫、真に愛する主と一つとなったのである。女の主人は、その夫である。
預言者が詩篇の中で語ったものである。
わが娘よ聞け、見よ、耳を傾けよ。お前の民と、お前の父の家を忘れよ。王はお前の美しさを慕った。
彼はお前の、”主” だからである。
以上ナグハマディ文書、魂の解明より。
男と女は一つであった。男と女が別れたとき、死が入り込んだ。男は在って在る者。女は男のハートである。
113 :
響子 ◆tGGx9EmFXM :2006/04/11(火) 14:48:03 ID:XpTAWo4l
イエスは人間です。
私は識別した。一つのものを二つに別けてしまったのだ。
そして私はいる。私とは何者だ?本当の自分を覆いつくす、私というお前は、何者なのだ?
時が来れば消えてなくなる幻ではないか。
いつまで眠っているのか、目を覚ませ!本当の自分を呼び起こせ!
私の大切な思い出。楽しい思い出、悲しい思い出、恋人との大事な思い出、
これらは私の記憶の中で行き続けている幻。
そして私の時が終わる時、全ては消えてなくなる幻。この世の生は、はかない。私という意識ははかない。
全ては消えてなくなる幻。おぉ父よ!私は本来の自分に戻れないのか!
私は見捨てられる存在なのか!。私は私が好きだ。私は、私という幻を愛している。私という意識は、はかなくも悲しい。
なんとはかなく悲しいものなのか・・・
私は悪い人間だ。今日も、善悪を識別する私の意識は、私の心を汚し続ける。
●マリア・ヴァルトルタ「私に啓示された福音」第3/上巻より
170|第二の山上の説教。恩寵の賜物と真福八端。
『心貧しければわたしは幸いだ』。
おお! 富に対する悪魔的渇きよ、どれほどの妄想をお前はもたらすことか! 富者の中
に、貧者の中に。その黄金、すなわち崩壊したその霊の最悪の偶像のために生きている富
者。富者には金があるからというだけで富者を憎んで生きる貧者は、有形の殺人を実行しな
くても、あらゆる種類の災禍(さいか)を富者たちのために願望し、その頭上に呪いを叩き
つけます。悪事はそれを実行さえしなければ悪事でないのではなく、実行したいと願望しな
いことが必要なのです。ある人にその人の災難と死を願望し悪態をつく者は、実際に人を殺
す者と大差(たいさ)はない、というのも、彼のうちには憎んでいる者が死ぬのを見たいと
いう願望があるからです。まことにあなたたちに言いますが、この願望はまだ放出されては
いないけれども、すでに胎内で形成されている胎児のように、抑(おさ)えられている一行
為以外の何ものでもないのです。悪意のある願望は暴力行為より長く、行為そのものがより
深くに残るから、毒し、破壊します。
心貧しい者は、富者であっても金(かね)のために罪を犯さず、それを愛にして、彼の黄
金を彼の聖化にします。彼は救い、また絶望から立ち上がらせるために、自らを与えること
を喜びとし、けちけちせずに自分を与えるあの砂漠の中の泉に似て、愛され、祝福されま
す。もし貧しければ、その貧しさの中で喜び、黄金に対する飢渇から自由である者の快哉
(かいさい)の美味なパンを食し、また悪夢に魘(うな)されることもなく、ぐっすり眠
り、清新な気分で目覚め、貪欲(どんよく)も嫉妬心も無く、果たす仕事は常に楽(らく)
にさえ思われるのです。
人を富者にするのは、物質として黄金があり、精神的なものとして愛情があります。黄金
には金銭のみならず、家、田畑、宝石類、家具、家畜、その他生活を物質的に裕福にする一
切が含まれます。愛情においてはすなわち、血縁、婚姻の絆、友情、知的富、公的キャリア
があります。見ての通り、第一の部類に関する限り貧者は、『おお! それがわたしにとっ
て何だ! 持っている人に対してわたしが焼き餅を焼かなければいいのだし、それで問題は
落着します。好むと好まざるとにかかわらずわたしは文無しなんだから』と、言うことがで
きますが、第二の部類に関しては、人びとの中でも指折りの文無しであっても、邪(よこ
し)まに霊の富者になれるのだから自戒しなければならないのです。節度を破って或何かに
愛着すれば、罪を犯します。
あなたたちは言うでしょう、『ということは、神がわたしたちに授けてくださった良いも
のを憎まなければならないのですか? では、なぜ神は、父と母を、妻を、子らを愛せよと命
じ、〈あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ〉と、命じられるのですか?』と。
あなたたちは見分けなさい。わたしたちは父と母、妻と隣人を愛さなければならないが、
『わたしたち自身のように』、と神が言われる尺度において愛するのです。ところが一方、
神は、万事に超えて、わたしたち自身のすべてを超えて愛されるべき方なのです。この女は
その乳でわたしを養ってくれたから、またあの女はわたしたちの胸で眠り、わたしたちに子
らを産んでくれるから、という具合いに、わたしたちが隣人の中で最も愛すべき者たちを愛
するように神を愛さないことです。そうではなく、わたしたち自身全体で、すなわち人間の
中にある愛する能力のすべてをもって、すなわち子としての愛、夫としての愛、友としての
愛、そして、おお! 良識を欠く、と言って憤慨しないでほしい! 父としての愛を傾けて
神を愛するのです。そうです、わたしたちは、子のために栄養に富む食物を手に入れ、愛を
込めて育て、その身体的、知的成長のために心を配り、その出世を願う一人の父親がその子
にすると同じ世話と心遣いを、神の利益のためになすべきです。
愛は悪ではなく、またそうなってはなりません。神がわたしたちに授けてくださる数々の
恵みは悪ではなく、そうなってはなりません。それは愛です。それは愛のために与えられて
います。愛情と幸せにおいて神がわたしたちに授けてくださるこの富を、愛を込めて用いる
ことが必要です。またこれらを偶像にせず、聖徳のうちに神に仕える手段とする者のみが、
それらに罪深い愛着がないことを示しています。その時、聖なる神、至高の富を獲得するた
めにより自由になろうとしてすべてをかなぐり捨てる心の聖なる貧しさを実践します。神を
獲得することは、すなわち天の王国を所有することです。
愛さなければならないが、それにはバランスがある、順序があるということを
イエス様は言われているんですね。それにしても、公的キャリアや家族までもが
霊を豊かにしてしまう(=満足させてしまう)ということは驚きです。
気をつけなくてはいけません。大きな恵みをいただいたからといって、調子に
乗らず、常に控えめであることを求められるのですね。時々、考えます。
こうして日本に生まれてきたというだけで、大きな恵みであることを...
聖週間に入りました。主のご受難を黙想し、ともに苦しみ、
喜びを持ってご復活を祝いましょう。たとえ世が復活の神秘を覆い隠し、
嘘で塗り固められたあらゆる偽りを提示しようとしても、私たちはキリスト
の復活にのみ希望を託し、キリストととも自己に死に、新しい人として復活し、
この世においても天で生きるように、ひたすら愛することができますように。
キリストの言葉は、本当にすばらしいですね...何度読み返してもため息がでてしまいます。
しかし実際に実行に移すには、なんと多くの障害が自分の心の中にあるのでしょう!
洗礼を受けて霊を洗われたにしても、これらの障害、すなわち神でないものを
優先する自分と戦いつづけなくてはなりません。この霊的戦い続ける数少ない人々を
励まし、萎えてしまいそうになる信仰を支えるために、こういったヴァルトルタのような
お恵みは与えられているのです...
124 :
ペガサス:2006/04/12(水) 14:12:00 ID:XhTWXE93
>115〜117
心の貧しい者、天国は彼らのものである。 (マタ5:3)
貧しい者、神の国は彼らのものである。(ルカ6:20)
イエスは何を語ったか?
(心の)富んでいる者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がやさしい(マタ19:24)
富んでいる者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がやさしい(ルカ18:25)
そして、イエスは幼子を呼び寄せ言われた。神の国はこのような者の国である(ルカ18:16)
イエスは、富んだ者とは、心の富んだもの、つまり(聖書)知識の富んだ者(譬えば、律法学者)
を意味し、心の貧しいとは、知識に乏しい者(譬えば幼子)を意味されたのである。
イエスは、人殺しのバラバ、売春婦のマグダラのマリアをも赦されたが、律法学者たちを
白く塗られた墓よ! として憎まれたことからも、心の富むというイエスの言葉の意味を
理解できるであろう。
イエスの言われる通り、神以外のものに罪深い愛着を持たないように注意したいと思います。
物質的富、精神的富のいずれも、神に仕え善をなすための賜であり、神のみ心を超えてそれらに
執着することはすなわち偶像化することである、との教え、真摯にうけとめ研鑽につとめましょう。
そういえば、ヴァルトルタ3巻上の中には、「祈りという偶像礼拝に陥ってはならない」という衝撃
的な言い回しもありました。どうぞ皆さん、神に届かない口先だけの祈りになっていないか、祈りの
時の自分の状態を確かめてください。完徳への道は、まだまだ続くのです....
今日は聖土曜日、聖堂にご聖体の無い日です...
昨日、受難の黙想のためにバルバロ訳の方の「受難」を涙でドロドロになりながら
深夜に読みふけりました。今マリア様はひたすら復活を待ち望み祈っておられるの
ですね。
まもなく、復活前夜祭が始まります。私も小さな奉仕の役目をいただいていますので
がんばります。
127 :
名無しさん@3周年:2006/04/15(土) 18:59:27 ID:fBqVHGGK
宗教は絶対ではなかった。
基督が来なかったら、基督教もなかった。
宗教は時々に応じて、宗教がもたらされる。
>>「神への恨み言を吐かないイエス・キリスト」
・・が追加されたのは十字軍の前後、と書きましたが理由を省いてしまったので
追加します。
1.第一回十字軍でエルサレムを占領した十字軍は、略奪の限りを尽くした。
2.その汚い金をローマ・カトリックは受け取った。
3.そのため、異教徒の神殿を荒したせいで磔にされたイエス・キリストを、否定し
なければならなくなった。
4.間違い無い悪行をした十字軍を継続すると、神に対する侮辱とされる。
5.「聖書」に追加を加え、ついでに十字軍の継続に問題になる所も変更した。
こんな所でしょうか。3.がちょっと足りない気もしますが・・指摘があれば追加
します。言葉は心になり、心は行動になり、行動は歴史になって行く様です。更に
・・、
6.反対者は「魔女」として、どんな高位の人でも処刑した。
・・でしょうね。「魔女狩り」が極めて盛んになるのは十字軍より後だと記憶し
ています。十字軍以前とは歴史の流れ方が全く違っています。彼らが重んじてきた
「宗教」が極端に変容した結果と考えるのが自然です。
Time : 2001/ 2/ 7(水) 20:04:15
129 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 08:10:43 ID:YXv5TGkO
昨日はすばらしい徹夜祭でした。夜の11時ちかくまでお祝いをしていました。
今日はこれから年に一度の復活のミサです。今日もいつもより荘厳なミサ、
とても楽しみです。今まで四旬節でずっとつらい気持ちで過ごしてきました
ので、やっとご復活を迎えることができて喜びもひとしおです。
130 :
?小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 08:20:37 ID:YXv5TGkO
170・8『反乱を起こさず泣くことが出来るわたしは幸いだ』。
地球上には悲しみがあります。また悲しみは人に涙を流させます。悲しみはあり
ませんでした。しかし人間はそれを地球に持ち込み、その知性の堕落は、それを増
大するためにあらゆる方法を用いてますます研究を重ねたのです。病気に加えて落
雷、嵐、雪崩、地震に由来する災害、これに人間は苦しみ、また何よりも苦しませ
るために──なぜならわたしたちは自分たちではなく、他人のみが苦しむのを願
い、苦しみを与えるためにその方法を考えようとするから──ますます巧妙な精神
的冷酷さでますます恐るべき殺人兵器を考え出します。サタンというその王の密
(ひそ)かな扇動によって、人間が、どれほどの涙を人間に流させていることか!
にもかかわらず、まことにわたしはあなたたちに言います、これらの涙は障害とは
ならず、それどころが人間を完成します、と。
131 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 08:21:08 ID:YXv5TGkO
人間は不注意な子供であり、軽率でぼんやりしていて、落涙が彼を大人にし、内
省的にし、聡明にしない限り、生まれつきの知恵遅れです。泣く者だけが、また泣
いたことのある者だけが、愛することを知り、理解することが出来ます。泣く兄弟
たちを一様に愛し、彼らの悲しみを理解し、悲嘆に暮れて一人でいることが、どん
なによくないことかに精通したその善良さで、彼らを助けるのです。彼らは神を愛
することを知っています、というのも、神以外の一切が悲しみであると理解し、神
の胸に顔を埋(う)めて泣けば、悲しみは晴れることを理解し、信仰を粉々にせ
ず、祈りを枯渇させず、反乱には一指も触れさせず、本性を変え、悲しみから慰め
となる甘受(かんじゅ)された涙を理解したからです。
そうです。主を愛しつつ泣く者たちは慰められるでしょう。
132 :
名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 08:39:18 ID:yA4Q750i
イエスはガリラヤ地方の訛りで説教していたのだろうか。
地域によって訛りがそれぞれあったと想うがどんな言葉で
話していたのだろうか。
心貧しきもんは幸せやで、天国はあんさんたちのもんや
とか聴こえたのかな。
>132
きっとそうでしょうね。
そう言えば、福音書を方言に訳していた人が居たのを思い出した。
なかなか味わいがあったな。
135 :
ペガサス:2006/04/16(日) 13:36:01 ID:j21gMcie
>>132 イエスはアラム語で語ったと言われているが。
だが、カペナウムで発掘された、イエス在世当時の石柱の頭部に
アーカンサスの彫刻を見たのだが、これは当時のガリラヤ地方が、
かなりヘレニズム化していたと思われる。つまりイエスは当時の
コイネーをよく知っていたであろうと考えられるだろう。
なお、イエスの言葉として旧約聖書の引用が多いことは、イエス
がヘブライ語にも通暁していたと考えられる。
余談だが、イエスは単なる大工ではなく、在エジプトの子供時代
から、宗教的にかなり高度の教育を受けたのではないかと、私は
考えている。
136 :
?小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 13:57:42 ID:YXv5TGkO
アラマイ語による「主の祈り」
Abbun dbashmayo, netquadash shmokh, titeh malkutock;
nehweh sebyonokh, aykano dbasmayo of baro
hab lan lahmc dsunquonan yawmono
washbuq lan hawbayn wahtohayn
aykano dofhan shbaqn lhayobayn.
wlo telan lnesyuno, elo fason men bisho;
metul dilokhi malkuto
whaylo wteshbuhto lolan olmin.
Amen.
137 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 14:06:13 ID:YXv5TGkO
無理矢理にカタカタ表記するとどうなるでしょう。こんな感じでしょうか。
アブン バシュマヨ、ネッカダッシュモフ、ティテェ マルクトック、
ネウェ セビョノフ、アイカノ バシュマヨ オフバロ
ハブラン ラムク サンクォナン ヤウモノ
ウォシュバクラン ハウバイン ウォトハイン
アイカノ ドファン シュバクン ルハヨバイン。
ウロテラン ディロクヒ マルクト
ウァイロ テシュブト ロラン オルミン。
アーメン。
138 :
名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 16:51:30 ID:ElIi+9Fi
>>136-137 日本語にするとどうなるのですか。
共同訳等の聖書のように翻訳するのが順当ですか?
139 :
小さなヨハネ ◆vdW7DUuck6 :2006/04/16(日) 19:43:58 ID:YXv5TGkO
>138
私にはさっぱりわかりません。また和訳にもいろいろあるので、どれが
一番適当なのかも私にはわかりません。ただ、字の並び方からおおよそ
推測することはできるとおもいます。Abbaが父というのは知っているので
Abbunがその変化であることは想像がつきません。
♥
141 :
age:2006/05/04(木) 20:44:43 ID:4RbM9ppl
age
142 :
名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 22:32:31 ID:F0ZhN6yN
クリスチャンもノンクリスチャンもムスリムも仏教徒もない。同じ人間。
143 :
名無しさん@3周年:2006/05/10(水) 23:27:55 ID:dT++zBTJ
>>142 もちろんその通り。
誰かそれを否定しましたか?
144 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 00:06:14 ID:7AZvLNjB
毎日殺し合っている。「キリスト」の名において。
145 :
名無しさん@救急車:2006/05/11(木) 01:25:48 ID:FNiuxrPG
実際に、キリストの何倍ものなまなましい血が、流されているのを
見てみぬふり。
146 :
名無しさん@3周年:2006/05/11(木) 02:13:46 ID:vEKoOcgf
昔から多くの血が流されてきました。
「キリスト」のゆえに、
「アラー」のゆえに、
「民衆」のゆえに、
「ポアの真義」のゆえに、etc。
嘆かわしいことですね。
147 :
名無しさん@救急車:2006/05/11(木) 08:20:47 ID:FNiuxrPG
「殺人」のことをキリスティズムと呼んでみる。
刑罰としての死刑や、戦争で敵を殺す事は、殺人ではないんだけどね
あったまわりぃな、おまえは
149 :
名無しさん@救急車:2006/05/11(木) 16:09:30 ID:FNiuxrPG
ポアですか?
150 :
Mb:2006/05/27(土) 00:12:34 ID:VC7oO3iX
イエス先生は、人々の聞く力に応じて、色々な例を挙げて
説明した。「漏れは昔っから分かってたことを、
分かるように言ってるだけだ。」
弟子どもは、「私たちには、なんでああいう風に分かりやすく
説明してくれないんですか」と先生に文句を言った。
すると先生は、弟子を蹴り倒して言った。
「学のない人間には、それなりの説明の仕方をしなけりゃ
分からんのだ。できる奴は自分で勉強できるけど、できない人間って
いうのは、丁寧に教えてもらわなかったら分かるはずのものも
分からんのだ。お前らは一応は教養があるんだから、少しは自分の
頭を使って考えることを覚えろ。」
151 :
Mb:2006/05/27(土) 00:16:24 ID:VC7oO3iX
「分かったつもりになってるような輩が天国の門を通るのは、
針穴にロープを通すよりずっと難しいんだよ。」
152 :
Mb:2006/05/27(土) 00:32:11 ID:VC7oO3iX
「天から授かった命というのは、増えるものなんだ。
芥子粒みたいな小さな種が、鳥が巣をかけるような大木になる。
普段食ってるパンだってそうだろ? だから、女が……普通は
だいたい四十キロくらいのもんだろう。その……生地が。
で、それにちょびっとその……『種』を加えると、こう……
あっちゃこっちゃ……パンに胸とか腰とか尻とかあるかどうか
分からんけど、つーか無いんだけどさ、全体にこう……特に
腹とかってじゃなくて……膨らんでくるわけだよ。分かるだろ?」
イエスの言葉の片言隻句をダシにして、世の中を余計に惑わせてしまっているのが今日のキリスト教の実態ではないのか?
こうなると、ダシに使うわけだから、岡田茂吉の言葉を借りると「鰹節信心」となってしまう。
しかも現実に強烈な阿片性を醸し出してしまっているわけだから、共産党やマルクス主義者にそう指摘されても文句は言えない。
154 :
Mb:2006/06/01(木) 23:39:09 ID:MxySvACU
>>153 同意。
「一粒の麦もし死なずば……」って、死んじゃったら芽ぇ出さねぇじゃん。
あれって(教会に対しての)自己犠牲を説く言葉じゃなくて、「リスクを
恐れるな、失敗は無駄ではない!」という(信念を持つ人間に対する)
励ましの言葉のはずだよな。
キリスト教っつーのは本来自由化のムーブメントのはずで、だからこそ
『ジーザス・クライスト・スーパースター』なんていう作品ができた訳で、
逆行してる感じは確かにあるよな。
イエスの言葉はイエスによって書かれたのではなくて、その使徒たちによって記録された。
だから、その使徒たちによって建てられた初代教会の信仰が真に聖書的な信仰。
157 :
155:2006/06/04(日) 13:02:56 ID:+Y/CbXDA
スマソ。155はリンク失敗。
そこのHPの左側メニューの中の「Q文書とは」というのを見てちょうだいね!
158 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 22:31:03 ID:RgmJOw/J
神の子も受肉した以上、小便もするしクソもする。ま。ナニーもするわな。
159 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 22:32:45 ID:RgmJOw/J
受肉した以上、十字架で果てた時、小便糞に鼻水垂らした神の子イエス。
受難劇だけリアル化するのは卑劣w
160 :
名無しさん@3周年:2006/06/08(木) 22:35:59 ID:hCdoHVu1
>イエスの言葉はイエスによって書かれたのではなくて、
>その使徒たちによって記録された。
そうだね、ゴーストライターの草分け的な奴らだね。
マタイならマタイが弟子になる以前の記録も
マタイの福音書に書かれている。これをおかしいと思わない人はいないだろう。
聖書は、何者かによって捏造された話である。
162 :
シッタカブッダ:2006/06/15(木) 16:42:37 ID:zDeNvlEZ
福音書は、今は四つだけだけど、初期原始キリスト教の頃は三十以上あったんだって・・・!
163 :
Mb:
>>157 バーネット・ストリーターの「Q文書仮説」自体信じてないし。
1)公式版としての『マタイ』が成立。
2)民衆版としての『マタイ』のダイジェスト版&訂正版として
『マルコ』が成立。
3)『マタイ』『マルコ』を統合した形で『ルカ』が成立。
4)『マタイ』『マルコ』『ルカ』を俯瞰した形で
解説本・注釈本として『ヨハネ』が成立したが、これが
正典として認められたのは何かの間違いとも謂える暴挙。
著者のヨハネは成立当時の原始キリスト教の中枢にいた
人間、あるいはその弟子と思われ。『ヨハネ』の捏造
疑惑はあってしかるべきだが、一世紀末には成立してた
のが確認されているので、『ヨハネ』のアバンギャルドな
性質が、キリスト教を現在まで生き延びさせてきた
エネルギーの源泉という稀ガス。