キリストの愛は素晴らしい

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1一般のクリスチャン
ここの版はキリストの愛を語っていく所です。
もちろん愛を語るのは誰でもクリスチャンならおkです。(サロメさんなども来てくれるとありがたいです)
その中に疑問、質問などがあったらどんどん聞いてください、ノンクリスチャンの人たち、
なるべく多くの人がキリストの愛に気づき、救われることを祈っています。

聖書には書いてあります、誰だってイエス様を信じる者は救われる・・と。
2名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 10:33:41 ID:U06Yp8lB
ここに愛がある
3名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 10:35:13 ID:g6XdBxdk
マスィーフ・イーサー・アクバル!(イエス・キリストは偉大なり!)
4名無しさん@3周年 :2006/03/19(日) 10:48:48 ID:jHe6WS86
わたくしよりもわたくしをよく知っておられる。
造り主だから、あたりまえかもしれんが。
5名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 11:07:13 ID:G5hWjmkz
神様は頚動脈よりも近い御方だからね。
6名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 11:58:42 ID:xUkE+/pV
あなた方全ての人が愛されています。
神様は全ての人の神です。
その愛に早く気づいてください。
イエス様は私のために十字架にかかってくださいました、あなたのためにもです。
この世にあなただけが生きていたとしてもイエス様はあなたのために十字架にかかってくださいましたでしょう。
7名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 13:35:17 ID:IlvtsvJn
質問〜!

キリストはどんなふうに僕を愛してますか?
具体的に教えてください(・∀・)
8名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 16:11:13 ID:O8QwPVGx
勝手にあるかどうかもわからない罪を背負い込んで
挙げ句の果てには恩きせて。
好きで産まれてきたんじゃないんだよ
愛してるんじゃなく恩をきせてるだけだろ?
9暇人:2006/03/19(日) 16:27:40 ID:3f9rccfs
おおぉ 遂にサロメ愛のスレッドが・・
どういう展開になることやら。。。

>>7
お約束では
あなたの罪を身代わりで購うために
十字架にかかられたほど
あなたをイエスは愛されています

これを8さんみたいに「恩着せ」と取る方もいれば
イエスに感謝する方も。。
人それぞれでございます
10名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 17:10:25 ID:oEkOhHSx
キリストの福音が多くの人に伝わればいいですね。
アーメン
11名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 17:48:52 ID:tmUPnI5D
どうか口汚い言葉で書き込まないでほしい、某コテハンさま。
12名無しさん@3周年:2006/03/19(日) 17:58:27 ID:VNhRaYRl
http://6724.teacup.com/olive/bbs
私のストレスによる「腸痙攣」のせいで、
腸の動きが止まってしまっていて、また血がうっ血して
腸内で3箇所に腫れ物が出来ております(手術が必要)
※ちなみに「痔」とはまったくの別物です^^;
そういう訳で、便が出るにもそこを通ってくる事が
出来にくいみたいです。
普通の「便秘」とは訳が違うのでして。。。
野菜を食べようが何を食べようが、便秘薬でも・・・
出・ま・せ・ん!(泣)
浣腸で無理やりです。それでも十分出ない事が多くて、
そうなるとただお腹が苦しい状態になります;;
毎日、いつもガスがお腹に溜まって本当に苦しいのです。
病院にかかっていますが、精一杯で今の状態です。
ストレスが無くならない限り、治らないと言われています
13名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 09:01:07 ID:nvXzIfvi
>>8
恩ですか・・やはりそういう風に取る人もいるんですね。
イエス様が十字架にかかった見返りに何かもらおうとしましたか?地上の中で一番苦しみを受けただけではないですか。(まぁもらうも何もありませんが神ですから、
もしイエス様が喜ぶとすればやはりそれは救われることです)

単にあなた達が救われるためにこの地上に来てくださったのです。罪は蛇からイブから来ました。
罪を背負い込んだのは自業自得なのです、罪を望んでしまったのですから。
そしてそれが人間の体にしみ込んでしまった。この時点で普通は僕らは神と共にはいられません。
しかし、キリストを通すことで清くなり、永遠の命を得られるのです。これほどの愛がありましょうか?
神様を過小評価というか小さく見ている人もいます。しかしよく考えてください、人間にとっての蟻は微妙に食物連鎖などでつながって
必要です。しかし神様にとっての人は本来人間にとっての蟻よりも小さい存在なのですよ。

しかし神様は人間を私を愛してくださり、その一人子をおあたえになってくださった。
早くその愛に気づきましょう、そして救われましょう。
14名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 10:07:13 ID:WEJF0Nxf
質問〜!

1 アダムとイヴが木の実を食べただけなのに、どうして僕まで悪くなるんですか?
2 イエスが処刑されたことで、どうしてその罪が許されるんですか?
3 もし、イエスが処刑されなかったら、僕はどうなってたんですか?
4 永遠の命って何ですか?

からかっているわけではありません。
ノンクリでも納得できる説明きぼんぬ!
15名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 11:27:11 ID:QbcLtrYH
>>14
1、原罪は人の原型として存在し、智恵を得て人になってしまった以上付きまとう人としての苦しみを現します。

2、人として生きるべく定められた律法に束縛されたとき、全ての人が罪に堕ちているという逆説のテーゼを命と引き換えに現した故に生贄の羊として象徴的に捉えられたためです。

3、キリスト教にとっての必然ですので、主の処刑は免れません。がキリスト教に影響された事例と影響されなかった事例とが歴史上大きく動き、現在が大きく違ったものであったといえます。人にはわかりません。

4、あなたがいまここに生きて全てのものに影響を与えた瞬間のことです。
16名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 17:33:14 ID:u78HetUu
>>15 ご回答ありがとうございます。

ここで、また質問があります!

5 「原罪」=「知恵を得たことによる人としての苦しみ」ならば、
イエスが処刑されたことで、人としての苦しみがなくなったということですか?
イエスが処刑された後も、人としての苦しみは消えていないと思うのですが。

6 キリストを通して清くなるとはどういうことですか?
「永遠の命」=「いまここに生きて全てのものに影響を与えた瞬間のこと」ならば、
キリストと関係なく、僕はすでに永遠の命を持っていることになります。

凡人でもわかるような平易な文章でお願いします(・∀・)
17一般人。:2006/03/20(月) 17:37:38 ID:JTV+PUoQ
>>14
1.アダムとイヴが人の原型なら、木の実は迷いの象徴と考えています。アダムとイヴ即ち、人本来の存在を迷い(木の実)を
 食べる事によって、曇らせてる状態。本来は悪くはないのですが、木の実によって悪夢を見ている状態と考えます。

2.人類の罪の代わりのイエスの処刑と象徴的な印象があるのですが、もう一つ人間本来の神聖を体現されたものと考えています。
 イエスも神の子とはいえ、地上での存在で人間的束縛を免れませんでした。しかし、最後の処刑でまさに本来の神の子へ
 戻られたのだと考えます。それこそ人類へのメッセージ(人間の本来の存在)を伝えられたのだと考えます。

3.それは判らないです。ただ、イエスが、神の使い(神そのもの)として地上に光臨された時点でそういう状況にはなりえなかったでしょう。
 なぜなら、イエス(神)の意思を伝える重要な手段であったからですし、ある意味その為に地上に生まれでたからです。

4.抽象的な表現で扱われがちですが、人間本来の存在、神が創造した本来の生命と考えています。
18一般人。:2006/03/20(月) 18:00:13 ID:JTV+PUoQ
>>16
 
 5.それは、イエスのメッセージを誤解されてる事から来ると考えています。それは人本来の存在を
 「原罪」=「知恵を得たことによる人としての苦しみ」を得ることで曇らせている、イエスはいろんな、
 場面でこの事を伝えられていると思います。イエスが神の子で、人間が神が創造して生まれたのな
 ら、人間的知恵で曇らせずに、そのままを受け入れなさいと言われてるのだと思います。人間の本当
 の存在を。イエスは最後の最後でそのメッセージを伝えられたかったのだと思っています。

 6.キリストを通して清くなるとは、まさにキリストの本来のメッセージを素直に受け入れる事を意味してる
 と思います。キリストが言わんとしてる事を真に理解し、自分の存在と世界の真の姿を知る事によって、
 人間は本当に救われるのだと思います。いわばキリスト(真理)を通して本来の自己を発見する。(清く
 なる)のだと考えています。


 
19一般のクリスチャン:2006/03/20(月) 19:25:56 ID:cYgWwCRt
>>一般人さん>>15さん
ご回答有難うございます。

誰だってイエス様を信じるものはイエス様を通して救われるのです。そして何の苦しみも無く、幸せと賛美のみがある、天の国に入れるのです
確かに死ぬ直前にイエス様を信じても救われます。しかしもちろん早く信じたほうが素晴らしい恵みを受けるのです。
裁きとは悪い物に罰を与えると思われがちですが違います。裁きとはそれ相応に応じて何かを与えることを指すのです。
子が死んで喜ぶ親はいません(一般は)、あなたの親だってそうでしょう、そして時々には厳しさを、そして愛を感じたことでしょう。
しかしわが父なる神はあなたの親以上に厳しく(正しい厳しさですよもちろん)、そして計り知れないほどの愛をもっていらっしゃるのです。
20名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 19:54:47 ID:WKM2rbAM
イエスの一派はいいよな。
こっちは油の切れ掛かった国の外もんなんでね。
いつも歎きと歯軋りさ。ダビデのようにレイプ殺人してねぇーけど、神には大罪人に見えるんだとさ。
21名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 19:57:51 ID:Qkp+VQ5k
キリスト教は非白人の間で広がっている。
たとえば中国、とか。中東ではどうなのか知らないが。
22クリスチャン:2006/03/20(月) 21:55:47 ID:cYgWwCRt
>>20
大罪人も何もありません、律法を一つでも破れば律法全体を破ったと同じことだと聖書にも書いてあります。
“殺してはいけないとおっしゃられた方は姦淫してもいけないとおっしゃられたからです”

ちなみに嘘も罪です。あなたは嘘を一度でもついた事が無いといえますか?
例え罪を一つしか犯していないとしてもその時点で既に神様とは相容れないのですよ。
しかしイエス様はそのような私達のために来てくださったのです。
“医者は病人のためにいるように、私は罪人のために来たのだ”。なんと素晴らしい愛でしょう。
2314:2006/03/20(月) 22:03:52 ID:u78HetUu
>>17-18 一般人。さん ご回答ありがとうございます!

なるほど、人間的知恵による迷いが人間の本来の存在を曇らせており、
キリストの本来のメッセージを受け入れれば、人間は本来の自己を発見して、本当に救われるということですね。
(わずか2つのレスの中で、「本来」という言葉を10回も使われていますね。)

そこで、その本当の意味を知りたいので質問させてください。

7 人間の本来の存在とは、何ですか?

8 キリストの本来のメッセージとは、何ですか?

9 人間が本当に救われるとは、どういうことですか?
2414:2006/03/20(月) 22:10:03 ID:u78HetUu
>>19 一般のクリスチャンさん ご回答まことにありがとうございます。

イエス様を信じれば、苦しみがなく、幸せと賛美のみの世界に入れるのですね。
すばらしい話だと思います。

10 それは、死んだ後の話ですか?それとも、生きている時から、天の国に入れるのですか?

11 生きている時からであるならば、イエス様を信じているクリスチャンには、何の苦しみもないということですか?
25一般人。:2006/03/20(月) 23:12:50 ID:JTV+PUoQ
>>23
7.これを書き込むのは少し躊躇しました。というのは一般的に見ても正道からはなれてるのではないかと
 考えたからです。ですから本来などと、曖昧な表現を使ったのです。 
 説明できる量も限られてますし、上手く説明できないかもしれません。まず、人間の本来の存在は何か?
 という事ですが、それは先ほど申し上げたアダムとイブに繋がります。木の実(迷い)によって本当の自己
 を忘れてしまった人間。人間は本来、神から創造されたと考えます。これから行う説明は神は全知全能
 で、完全であるという根本思想から成り立っています。その完全である神から創造された人間が不完全な
 わけがない。しかし、現実、世界は戦争、飢餓、犯罪、救われないことも確かに多いです。なぜ完全である
 はずの人間が、不完全な状態であえいでいるのでしょう?それは神の創造された本来の自己を木の実(迷い)
 で覆ってるからです。神の創造されたままの人間は、完全であり本来、不幸などはありえません。ずばり言うと
 その迷いとは物質(肉体)であると考えています。人間の本性は肉体ではなく、霊性にあると思います。(霊性
 という表現は本来違うと思うのですが、あてはまるものがなかったもので)
 といっても、死んだあとの霊体や霊魂のことではないと考えます。輪廻転生する(存在自体が変わり逝く)もの
 ではなく、神の創造した頃から首尾一貫からわない存在(霊性)が本来の人間そのものだと考えるからです。

8.キリスト本来のメッセージとは、肉体ではなく、霊性(本来の自己)を悟りなさいと、仰ってるのだと思います。
 不完全ではなく、神に創造された完全な存在であるよと、諭しておられるのだと考えています。


26一般人。:2006/03/20(月) 23:16:15 ID:JTV+PUoQ
>>23

9.人間が救われるとは、まさしく本来の存在を取り戻す事です。神が創造されたままの人間を取り戻す事です。
  そのままの目で世界を見てみたらこの物質の世界の矛盾を知る事だと思います。本当の人間はそのままで
  すでに救われています。それは神の愛を一身に受けてるからです。しかし物質世界は、その神の愛が少しし
  か届きません。(迷いで覆われてる為)この世界に生まれた以上、物質世界からの矛盾は避けられないかも
  しれません。しかし、本来の自己を取り戻し世界の真理が見えた時、自分の回りからまず、良い方向へ変わって
  いくものだと考えています。それが世界中に広がれば物質世界であっても、そのまま天国になりえるのです。
   ただ、大事な事は人間の本性は、永遠であり移り変わりません。そういう意味では、先ほど申し上げた様に
  人間が救われると言うより、本来、人間はすでに救われた(神に見守られた存在)と言えると思います。
27名無しさん@3周年:2006/03/20(月) 23:40:02 ID:j7o/+DFk
わたしが地上に平和をもたらすために来たと考えてはいけない。
平和ではなく,剣をもたらすために来たのだ。
わたしは人をその父と,娘をその母と,嫁をそのしゅうとめと争わせるために来たからだ。
人の敵は自分の家の者たちだろう。
わたし以上に父や母を愛する者は,わたしにふさわしくない。
また,わたし以上に息子や娘を愛する者は,わたしにふさわしくない。
自分の十字架を取り上げてわたしの後に従わない者は,わたしにふさわしくない。

マタイ10章より。いや〜キリストの愛は本当に素晴らしいですね〜www
2814:2006/03/21(火) 00:26:45 ID:cQtKLp80
>>25-26 一般人。さん ご返答ありがとうございます!

一貫して筋の通ったお答えに感銘を受けました。

神の創造されたままの本来の人間には、不幸などはなく、
それを取り戻すことが、救いなのですね。
そして、それをキリストが諭しておられるということですが、

11 では、実際にどうすれば、本来の人間を取り戻すことができるのでしょうか?

ノンクリの救いのためにお聞かせください(・∀・)
29一般人。:2006/03/21(火) 02:16:48 ID:oiLq34n8
>>28
本来の人間とは霊性であるがゆえに、この物質世界で完全に本来相を取り戻すことは無理だと
思います。ただ、取り戻すとか戻さないとかに関わらず、不変に存在してるのも事実だと思い
ます。人間の本体はあくまで霊性であって、肉体の人間は、例えれば何万ものフィルタ−越し
に写った残像に過ぎないものだと考えています。すなわち、今、現にここに天国が広がってい
るのですが、物質世界の迷い(罪)によって深く覆われている。今のこの世界はまさにその世界
と考えています。ではどうすれば少しでも、天国に近づけるか? ということです。

人間が物質世界に生まれて(現れて)る以上、どうしても物質的な制約は免れません。
しかし、キリストの真理を実生活で体現する事によって、物質世界でも地上天国を築けると考えて
います。
本来の人間を取り戻すというのは、まず自分の霊性(神性)を知るということが原点だと思われます。
自分が本来、神より愛され、祝福され、いつ何時でも見守られてる存在、大切な存在であるという事
を自覚する必要があると思います。人間は自分自身の尊さを自覚できた時、他人にも尊敬と敬意を
表す事ができるからです。自分自身が変わると周りの世界も一変します。他人に優しくできますし、
またそういう人間はまず、他人からも優しくされます。自分の本来相は完全であり、何時も神と一緒だと
いう大安心の元で生活できますので、少々のストレス(人間関係や将来の不安)にも動じなくなると
思います。
これらは身近な生活での姿勢ですが、人間(肉体)として生まれて(現れて)いる以上、死というもの
は避けられません。人間の本体は霊性ですので死という概念さえないと思われますが、肉体の人間は
そうはいかないです。ただ、キリストの教えを理解し、自己の神性というものを自覚されれば、これから
の人生、この最大の難関にもなんとか折り合いをつけて生きて行けるものと私は考えています。
30名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 09:04:22 ID:ZZ75z58p
>>27
w?

普通に愛じゃないか。神様がただ甘やかすだけの存在だとでも思ったか?
たわけが。信仰というものがそれほどに重いものだということを知れ。
31名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 12:28:11 ID:pxZ2MXjP
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛せよ」
これは言うことは簡単ですがとても難しいことです。私自身もとても出来ているとは思えません。
しかし聖書には完全になれ、と書いてあります。肉体がある限りはっきり言ってそれは無理です。
しかし完全になろうと、完全に近づこうとしない限り、出来ることも出来ないのです。
100%を出そうと、目指そうとして始めて80パーセントに達するのです。

ですからキリストのようになるのははっきり言って無理です、しかしその計り知れない愛を見習い、そのようになろうとして
初めて愛を与えられると私は思っています。
神様はあなたを愛されています、どうかその愛を受け入れてください。
そうすればどんなに喜ばしいことでしょう。
32一般人。:2006/03/21(火) 12:37:09 ID:CHStFT2V
>>27
解釈によって違うと思っています。それはイエスの生き方を見れば判ると思います。
一部をとりあげて拡大解釈をするよりは、あくまで全体を見て解釈されるべきだと思います。
まず、−わたしが地上に平和をもたらすために来たと考えてはいけない。−
というのは、地上(物質世界)に神に造られた本当の平和はない、現世での即物的な平和をもたらす
為に来たとは考えてはいけないと仰られているのだと思っています。
−平和ではなく,剣をもたらすために来たのだ−と言うのは、ここで言ってるのはあくまで物質的な平和です。
物質的な平和は有限です。やがて朽ち果て無くなってしまいます。そういう平和ではなく、剣というのは真理
(神の教え)をもたらす為に来たのだと仰られているのだと思っています。
−わたしは人をその父と,娘をその母と,嫁をそのしゅうとめと争わせるために来たからだ。−
これは、イエスが説く神の教えは、現世の人間を混乱に陥れるかもしれない。
いかに、この世界の人間が、神の教えとかけ離れて生きているか。それを理解させるには多くの混乱と争いを
与えるかもしれない、そう仰ってると解釈しました。
−人の敵は自分の家の者たちだろう。−
ここで言われてる自分の家の者とは現世の人間(自分)の家(心の中)に住んでいる価値観(自分自身が肉体
であり、物質の世界が唯一の世界と勘違いしている心)を言っておられるのだと思っています。
人(霊性)の敵は肉の人間の心だよ。と仰ってるのだと思います。
33一般人。:2006/03/21(火) 12:38:09 ID:CHStFT2V
>>27
−わたし以上に父や母を愛する者は,わたしにふさわしくない。
また,わたし以上に息子や娘を愛する者は,わたしにふさわしくない。−
ここで言われているわたしとはイエス自身ではありますが、あくまで肉体としてのイエスではなく、
神の身使い(神ご自身)としてのイエスを言われてると思います。したがって、神性なる神の愛に
気が付かず、物質世界の人間に執着してはならないと仰ってるのだと思います。物質の世界の人間
はやがて滅びる(肉体であるが故に)しかし、神の愛は永遠であり、何時もそこにある。それに気
づかない者は、わたし(神の愛)にふさわしくない。(資格がないと言うわけではなく、たんに気
づかないだろう)と仰ってるのだと思います。 
−自分の十字架を取り上げてわたしの後に従わない者は,わたしにふさわしくない。−
ここは難しいのですが、おそらく自分の十字架(本来の自己)を取り上げて(見出して)
わたし(神の意思)の後に従わない者(理解しようとしない者)は、わたし(神の愛)にふさわしくない。
(気づかないだろう)と仰ってるのだと思いました。
34名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 15:37:24 ID:6f16q6Jj
なるほど…。

一般人さんは2ちゃんじゃまれに見るまともな人だ…。
35名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 19:41:40 ID:/XrrGDRq
ほかの動物は生き方に迷いなど抱きません。また死も怖がりません。
そして律法も存在しません。

人間のみが迷い、怖がり、そして良いことと悪いことの識別があるのです。そして罪悪感も。
しかしイエス様を信じれば迷いも減ります(クリスチャン的にどう生きるかなどの迷いはあります)。
死の怖がりもありません。しかしクリスチャンになったから罪を犯さないわけでもないです。
失敗もします。さらに金持ちになるわけでもないです。迫害を受ける可能性は逆に高くなるでしょう。
しかしキリストのために苦しみを受けるなら天で素晴らしい恵みを受けます。またクリスチャンになることで霊も清くなります。

一時の金など何のためになるでしょう?どうせ肉体が死んだら持っていけないのです。あらゆるものをなげうったって天には入れません、永遠の命を手に入れることは出来ません。
イエス様を通さない限り。
36名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 19:52:00 ID:/XrrGDRq
聖書には過去のことで反省はしても後悔はするなと書いてあります。
これはだれにでも良く言えることです。特に殺人など・・
クリスチャンになったらもちろんそのことで苦しむでしょう。しかし、そのことで後悔はするな、それよりも明日のことを考えろと書いてあります。
そう、クリスチャンになったことは生まれ変わったことです。そう、キリスト教とは未来ことを考える宗教なのです。過去がいくら汚れていたとしても
そのために救われない人はいません。なんと素晴らしき愛でしょう。
3714:2006/03/21(火) 21:10:12 ID:aiwL7DEC
>>29 お答えありがとうございました!

なるほど、自分が神様に愛されていて、見守られている大切な存在
だということを自覚すれば、本来の人間を取り戻せるのですね。
そうすれば、他人に優しくでき、他人からも優しくされるし、
人間関係や将来の不安などのストレスにも動じなくなるということですね。

つまり、神様は僕らを大切に愛して見守ってくれていて、
それを自覚すれば、迷いや苦しみがなくなる。
そして、キリストが自分を犠牲にしてそれを教えてくれたということですね。

ありがとうございました(・∀・)
3814:2006/03/21(火) 21:12:21 ID:aiwL7DEC
キリストは自分を犠牲にして神様の愛を教えてくれたということですね。

12 神様は、僕をどんなふうに愛して、見守っているのですか?

39一般人。:2006/03/21(火) 22:41:13 ID:sXEwyv/E
>>38
12 神様は、僕をどんなふうに愛して、見守っているのですか?

人間の本性は霊性です。霊性(本来の人間)は何時も神の愛に包まれています。それは今の私達(肉体の人間)
には、計り知れないほどの愛でしょう。私達の本性が霊性である以上、今、現に、その愛に包まれているのです。
それは今後も永遠にその愛は変わらないでしょう。ただ、物質世界に生まれて(現れて)いる以上、その愛には
大きな制約が課せられているのも事実だと考えています。物質世界が迷い(罪)に包まれている以上、神の愛の
光もわずかしか届いていないと思います。これは決して神の愛が小さいという意味ではなく、私達が、物質世界
(肉体)という悪夢をみていることが要因だと考えられます。神は必死に(表現が不適切かもしれません)愛の
手を差し伸べているのに私達(肉体の人間)が、気が付いていない状態と考えられるからです。それではどうし
たらよいのか?
それは、悪夢という夢から覚めればよいのです。キリストも現世で必死にそのことを説いておられたと思います。
夢から覚めるにはキリストの真理、神の教えを受け入れる事だと思います。受け入れると言うのは、たんに知識
(肉体の脳)で蓄えるものではなく、心(魂)を揺り動かす、例えれば自身の存在自体で、受け入れるとでも言いま
しょうか、そういう過程が必要だと思います。それが本当の意味で真理を理解したと言えのではないかと思います。
仏教で言えばまさに悟りを開くとは、この事だと考えています。しかし実際、これをやり遂げろと言われても、雲を
掴む話、まさに人生を掛けての一生の課題といえると思います。その課題に命を掛けて挑まれてるのが、ここの
スレにおられるクリスチャンや、仏教で言えば修行僧だと考えております。
40一般人。:2006/03/21(火) 22:43:20 ID:sXEwyv/E
>>38
それでは私を初め一般の人はどうすれば神の愛を感じられるのか?それは、私やあなたの存在自体を考えれば
容易に答えが出ると思います。神は人間を創造された。今の私達が肉体の人間であっても、人間の本体(霊性)と
決して繋がってないわけでないのです。今、私達が生きているのは神の愛の力です。神の愛の力によって生かさ
れているのです。私達の体の神秘はまさに神の愛から来るのです。私は常に生かされてる事に感謝しないといけ
ないと自分に語りかけます。それに神は完全であり、完全なる善です。人間のあらゆる善の行為はは神さまが、
私達を愛してくださっているが故に行えるものだと確信しております。神は完全であるが故に、すべての人の個
性(性質)というのを判っておられます。故にあなた自身の事もあなた以上に判っているのです。物質世界に生
まれた(現れた)以上、神の愛の制約はありますが、神さまは常にあなたを愛し、常に助けようとされてる事を
忘れないでいただきたいと思っております。
4114:2006/03/21(火) 23:04:58 ID:cQtKLp80
>>39-40 一般人。さん お返事ありがとうございました!

僕らが生きていることも、善い行いができることも、神様の愛の力であり、
神様は僕らのことを僕ら以上によく分かっていて、常に僕らを愛し、助けようとしてくれている。
僕らの肉体が迷いに包まれているために気づかないでいるけれど、
人間の本性である霊性は、いつも計り知れないほどの神様の愛に包まれているということですね。

神様の愛、キリストの愛はすばらしいです。
ノンクリの質問に丁寧に答えてくださって、本当にありがとうございました(・∀・)
42一般人。:2006/03/22(水) 18:58:28 ID:YMBapkZG
>>1
よく考えましたら、ここはクリスチャンやその関係に詳しい方の掲示板でした。
それなのに私の様な、一般の人間が長々とレスをつけたことを恥ずかしく思い深く反省しております。
それに、キリスト教徒の方やクリスチャンから見たら私の書き込んだレスは異端なのかもしれません。
それを堂々と書き込んだことを、深くお詫びします。
もう書き込みませんので、どうかお許しください。
一般のクリスチャンさん申し訳ありませんでした。
43名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 20:44:03 ID:YhnOwH7w
いや良スレですたよ
44名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 01:03:17 ID:S7jvLSRZ
他スレにもどんどん書き込んで下さい>一般人さん

2ちゃんはえらそうに我こそは正しいとか主張する変な人多いからw
なごむよ  あなたみたいなまともな感覚の人は(異端かどうかじゃなくて
姿勢?みたいなのがねまとも)

んでは  横レスごめん
45名無しさん@3周年:2006/03/23(木) 05:54:08 ID:SYftTQRw
いや、やめた方がよい。
狭量馬鹿コテからの暴言、気晴らしの餌食となるのが関の山。
46一般のクリスチャン:2006/03/23(木) 09:33:05 ID:l8L6B4qd
>>42
いやどんどん書き込んでください。
多少の疑問点はありますが、意見を聞けるだけで貴重なものです。

でその疑問点ですが地球上では天国は築けない、天国に近い物は
出来ます、聖書にも予言されています、まぁエホバの証人などの問題で
良く出てきますがまぁ1000年王国ですね。これはエデンの園みたいな
所です。確かに幸せにあふれていますが、サタンが入るとそこは争いの
場所に変わります。さらに地球に終わりが来るため1000年王国は
やはり1000年で終わるのです。しかし天国は違います。争いも無く
幸せと賛美のみがあるのです。あとパラダイスと天国は違う物です、ご注意を。

あと重大な点を、救われるにはイエス様が十字架にかかり私達のために
死んでくださり、そして復活した。それを信じれば良いのです。
47一般人。:2006/03/24(金) 02:18:30 ID:Rhe9oWWf
一般のクリスチャンさんの広いお心と、書き込んで頂いた方の暖かいお心ざしに感謝します。ありがとうございます。
恥を承知でお願いするのですが、もし、許されるならこれからも一緒にキリストの教えを学ばせて下さい。 
お願いします。

48一般のクリスチャン:2006/03/24(金) 16:05:12 ID:LCmsPwQ/
>>47
いえいえ、こちらこそお願いしたいぐらいですよ。
一人一人の意見を聞いてこそ相手の考えなどがわかりますからね。
これからもどんどん書き込んでいってください。
49一般人。:2006/03/24(金) 22:06:23 ID:bYYGZcW8
>>48
一般のクリスチャンさん、暖かいご返事ありがとうございます。ご理解感謝いたします。
それで、この間の天国の話ですが私の考えとしてまず、神が創造したままの世界を天国と捉えております。
それに人間知の迷い(罪)で覆われた世界をこの物質世界と捉えています。前に地上天国と表現した事があ
ったと思いますが、それがご指摘の1000年王国、エデンの園、パラダイスに近いものと考えました。(もちろん
方向性という意味で、描かれてる世界を今の物質世界と比べるのはナンセンスですが)
−サタンが入るとそこは争いの場所に変わります。−サタンというのは私の考えとしては物質世界の妄想(
人間が肉体であり、世界が有限である事から起こる争い)を象徴的に表現してるものと考えました。
ただ、悪魔(サタン)といえども全能の神である創造主が創造された被造物と記されてる所もある様ですが、私
としては創造主が作られたとは考えておりません。あくまで創造主から創られたものはすべて完全な善であり、
不変的な存在であり、状況や場所により移り変わるものは、本来、神の創造物と認めないと考えております。
この地上(物質)世界では地上天国は築けても、根本が物質妄想の世界なので、常に神の真理を意識しないと
奪い合いの争いが起きやすい世界でもあると思います。それに物質世界は有限であるため、ご指摘のとおりい
つかは滅びることになります。(さらに地球に終わりが来るため1000年王国はやはり1000年で終わるのです)そ
れにひきかえ、天国はまさに仰られるとおり、争いも無く幸せと賛美の世界であります。それが最初に申し上げ
た神の創造したままの世界であると考えております。

もう一つ救いのお話ですが、たしかに−イエス様が十字架にかかり私達のために死んでくださり、そして復活
した−このことさえ信じていれば、救われると思います。ただ、生来の理屈っぽさなのでしょうか。なんとか自分
なりに納得させようと色々と意味を捜してしまうのです。そのままを受け入れておられる敬虔なクリスチャンにして
みれば信心がたらないとお叱りをうけそうです、まさに信心では当然ながら足元にも及ばないのですが。
私としてみれば、まだまだキリストの愛を真に感じ取るところまで行ってないという事だと思います。
50一般のクリスチャン:2006/03/25(土) 09:13:07 ID:zcscjOMH
>>50
ナルホド、とても筋が通っていて理解しやすかったです。
これはこれで良いと思います。なぜなら根本的なイエス様の復活の部分をちゃんと解っておりますから・・
サタンの部分はちょっと疑問ですが、特に言いません、私は先生ではありません、先生になる資格もありません。
私はただの一般のクリスチャンです。何か変なことを言って悪い証になるのはいやですから疑問に思っても詳しく解らないところは解らないと言いましょう。

救いの話も大体解りました、あなたは私なんかよりずっと信仰を持っているようにも見えます。
あなたは十分信仰を持っているクリスチャンだと思いますよ。
信仰を持っているクリスチャンほど罪の重さ、罪悪感に苦しみ、またイエス様の教えなどを完全に理解し伝えられないこと
あるいは救われる人を増やせない自分自身を憎み苦しみます。あなたはへりくだっています。
私はあなたは本当に信仰を持っているように見えますよ。

ちなみに自分自身を憎みますと、書きましたが憎むのは自分の肉です、舌です。
自分の霊を憎んではいけません。
51名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 11:27:20 ID:LiXdVdvw
あっごめん
長すぎて 読む気が起こらん。。。
52名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 11:36:04 ID:SKp/chPZ
読めるところだけ読めばよろしい。
書けるぶんだけ書けばよろしい。
53名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 12:46:21 ID:m+KdznhR
全ての人間を愛しようとしてる割にユダヤ人は(ry
54一般人。:2006/03/25(土) 18:21:10 ID:8iJkFwuT
>>50
一般のクリスチャンさん、貴重なご意見ありがとうございました。
私も、まだまだ理解が足らないのだと自分が書いたレスを客観的に見て思いました。
学ぶべき事は、始まったばかりだと思っています。学に傾くのは信仰上良くないのはわかっているのですが...。
それにあまりに文書力がなく、伝えたい事の要点を整理できてないみたいです。駄文で長くなってしまうのがその
証拠だと...。読んでる側の労力を考えると申し訳ないです。それと私が十分信仰を持っているクリスチャンなど
と、とんでもない、私には勿体無いお言葉です。私はただの一般人で単なる屁理屈屋です。
また、機会があればご指摘のほどよろしくお願いします。
55名無しさん@3周年:2006/03/25(土) 19:47:20 ID:ZvFjUCRr
教えてください。
神は何故悪を放置するのでしょうか?
神は何故悪を防いではくれないの?

5歳になる幼児が母親の虐待で生を閉じました。
母親は罪深いでしょう...
しかし、幼児に何の罪があるのでしょうか?
悪があるなら幼児を守ってください。
なぜ守れないの?
なぜ?
死ぬために幼児は生まれてきたの?
幼児には愛が届かないの?
なぜ?
56一般のクリスチャン:2006/03/26(日) 19:00:27 ID:mkZzPGCu
>>55
神はなぜ悪を放置するのか?
意味があるからです。サタン、また悪霊たちがいる限り悪はなくなりません。悪がなくなる時が来るまで・・
サタン、悪霊たちがいなくなるのは千年王国の始まりの後です。
神は何故悪を防いでくれないの?防いでないわけではありません。
赦されない悪は防いでいるでしょう。

幼児に何の罪があるでしょうか?無いとは限りませんが、ほとんど無いと言っていいと思います。
なぜ幼児は赦されたから死んだのです。しかしその死にも意味があります。
この世に意味が無いことなどありません。サタンにさえ意味があります。
死ぬために幼児は生まれてきたのか?そんなわけではありません。なぜなら全員一回は死ぬからです。
それが遅いか早いかの違いです。神がいないなら長く生きたところで5歳で死んだ幼児より幸せか?といったらそうでもないとおもいます。
しかし幼児に愛は届かないのか?そんなことはありません。
クリスチャンになったからこの世で何か物理的に得するとは限らないと書きました。
それにより余計に苦しくなることのほうが多いと。
喜びなさい、その幼児は今神の元にいます。長く生きた人生によりゲヘナに投げ込まれるのなら長く生きた人生に何の得がありましょう?
幼児ほど愛されている人間はいません。なぜなら天の国はこのようなものの国なのです、と聖書にも書いてあります。
57名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 09:21:50 ID:cNmudqCU
>56

ほんの僅かな罪で虐待されるの?
なぜ?
善も悪も区別もつかぬ幼子に
なぜ、サタンを押し付けるの?
なぜ?
サタンに虐待されるために生まれてきたの?
愛すなら現世において愛を導かないの?
愛が届いていないよ?
死ぬまで愛は届かないの?
現世で生きるより天国で愛されるなら
現世に意味がないよ。少なくても幼児には
58名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 13:22:58 ID:YUmSDEYj BE:414073049-
>>1
宗教に洗脳されすぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
59名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 13:42:09 ID:JBmndeJJ
洗脳されてることにすら気付いてない
「救い」ようがないな
60名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 16:44:50 ID:YUmSDEYj BE:828144498-
>>56
宗教だから
61名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 20:33:56 ID:SJqfBPqa
>>56
>長く生きた人生に何の得がありましょう?
幼児ほど愛されている人間はいません。


幼児に謝れ。100万回謝れ。
愛されず、生きたくても生きてゆけない無念さを知れ。
お前は人として間違っている。
人として間違っていないと言うなら、宗教が間違っている。
62名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 20:37:33 ID:SJqfBPqa
>>長く生きた人生に何の得がありましょう?
幼児ほど愛されている人間はいません。

こんな主張をする愛は歪んでいる。
自分の子供にそんなセリフを吐くのか?
頭冷やして出直せ、人として間違っている。
63一般人。:2006/03/27(月) 21:31:56 ID:ETfLXPKH
>>62
書かれてある文のとり方にもよると思います。
−長く生きた人生に何の得がありましょう?−  これはあくまで、神の居ない世界で生きることです。
その前の箇所、ゲヘナに投げ込まれるのなら−  ある意味、私達の居るこの世界は地獄に近いものかもしれません。
現代人は神とともに生きる(真の信仰を持った)人間が少ないからこういった、悲しい事件、事故が起きるのだと思います。
その幼児は今神の元にいます。−  神の元、まさしく天国でしょう。人間にとって一番幸せで、本来いるべきところに居ると
書いてあります。最終的に幼児は救われたとあるのです。
ただ、現実問題、幼児の悲しみは計り知れなく、どんなに慰めの言葉を書いても当てはまらないでしょう。まさに地獄です。
ただ悲しい事にこういう事件は今の日本でも、めずらしくなくなってきています。だからこそ一般の人間も神(キリスト)
の真理も学ぶべき時がきているのだと思います。
64名無しさん@3周年:2006/03/27(月) 22:11:07 ID:nb6WosgV
>>63

おまえは正気か?
自分の子供が誘拐され
5年も虐待され続けても

>幼児ほど愛されている人間はいません。

などと言うのか?
人として間違っているぞ。
神がおわすなら、何故 愛の力をお貸しくれない?
と嘆くだろう。
神を愛すばかりに、目が曇ったんじゃないか?
アンタに全能の力があり、自分の子供が虐待され続けてたらどうする?
身を呈して助けるだろ? それは愛じゃないのか?
それとも、お前は助けないのか?
65希美 ◆55nynIr58w :2006/03/27(月) 22:21:38 ID:wzvVpycd
キリストの愛
サンダーシングかな
66一般人。:2006/03/27(月) 22:26:54 ID:bozjlVAX
>>64
そうですね。確かに、私が当事者だったら...と思うと、気が狂うでしょう。
私の意見が軽すぎました。申し訳ないです。
この問題は非常に重く、どんな説明でも軽くなりそうで...。
でも、一応私の考えも書かせていただきます。長くなりそうなのでまた下の方に続けて書きます。
67一般人。:2006/03/27(月) 22:32:08 ID:bozjlVAX
>>55
神は何故悪を放置するのでしょうか?
神は何故悪を防いではくれないの?

あくまでも、私の考え方です。
神はまず、悪をつくりません。神は全知全能、完全なる善であり、完全なる愛です。
だったらなぜ、この世界に悪が存在してるのか?ですが、この世界は本来、神の創造された世界から、
かなりかけ離れた世界だと考えています。なぜそうなったかですが、あなたは死んだ後の世界を信じますか
? 宗教の話をする時に欠かせないのが、死後、人間がどうなるか? だと思いますが、実際人間は
この肉体が死んでも生き続けるものと考えております。証拠はないです、当然ですが。ただこの根本的
な考えがなければ、人間はただ、死(無)に向かっていく、基本的に寂しい虚しい存在になって、これでは
そもそも神さまを論じる事さえ無意味になりそうです。なにが言いたいかというと、要はこの肉体は仮の存
在だという事です。そして、その仮の存在の住むこの世界も、仮の世界だと考えています。ではなぜ、人
間は肉体が死んだ後の世界を知らず恐怖するのでしょう?それは自身の本来の存在を忘れて、人間は肉体で、
この物質世界が唯一の世界だという妄想に取り付かれてる事からくるものと考えています。なぜ、妄想に取り
付かれてるか? ですが、悪夢を見ている人間になぜ悪夢をみているのかという問いと同じで、神の創造物以外
は、ただ現れてるに過ぎず、妄想(悪夢)が実在しているのではありません。妄想は取り払えば、悪夢は覚めれ
ば消えてしまうからです。ただいえるのはこの物質世界は不完全で、そこに暮らす肉体人間も不完全です。それら
を全能なる神がお創りになるはずがないのです。神は何時も、すべてを愛し助けようとします。しかし、肉体と
いう妄想に取り付かれた人間は、この愛に気づかないのです。けっして神は悪を放置してるわけでもないし、そ
もそも神は悪という概念をお創りになりません。あくまで間違ってるのは肉の人間の妄想とそれから発生する物
質世界です。宗教の目的はその妄想を払い、本来(本当の)人間と本来(本当)の世界を取り戻す事を自覚させ
る為のものだと考えております。
68一般人。:2006/03/27(月) 22:34:04 ID:bozjlVAX
>>55
幼児に何の罪があるのでしょうか?

 悲しい事です。もちろん幼児に何の罪もありません。しかし、先ほども申しあげた様にこの
不完全な物質世界には往々にこの様な不幸が存在するのも事実です。それでは、私達はどうす
ればよいのか?それは神さまの真理を学ぶ事だと思います。真理を真に理解し、神さまの真理
を実生活に反映させることです。そして神さまは私たちの常に味方であり、常に最善のお導き
ををしてくれると自覚する事です。今の世界、社会にどれほど常に神さまを意識して生活され
てる方がいらっしやるでしょう?神さまは何時も待っています。こちらが振り向いてくれる事
を。
神さまの本当の世界は完全な善であり、完全な愛です。本来の人間(私達の本体)は何時もそこ
で暮らしています。その人間、一人、一人は愛に溢れています。神さま(キリスト)の真理を理
解してお祈りすれば、この不完全な物質世界の中であろうと、神さまはきっと応えてくれます。
むしろ今か、今かと待っているのです。神さまは、何時も助けようとしてくれます。ただ私達
(肉体の人間)がそっぽを向いてしまっているのです。一人、一人が、神(キリスト)の真理を
実生活で体現できれば、この様な不幸はありえませんし、これが世界に広がれば、もっと平和な
世の中になるものだと思います。
69一般人。:2006/03/27(月) 22:38:24 ID:bozjlVAX
>>55
死ぬために幼児は生まれてきたの?

いいえ、違うと思います。前にも言いましたが、この物質世界は非常に不完全で、肉体人間も不完全です。
本来の神の創造された世界、人間はこの様な悪やあやまちを起こしませんし、ありえません。それは世界(
物質)人間(肉)であるところによる悪夢です。これを神さまの所業と思ってはならないし、肉の人間を
本当の自己だと思ってはならないと思います。人間の本質は霊です。私達はいま肉体という悪夢を見ている
状態だと思います。神の真理から遠い人間はなおさらです。不幸にも幼児はそういった悪夢に包まれてしま
った人間に巻き込まれてしまったのです。現代、こういった悲しい事件が増えています。だからこそ、神の
真理の教育が必要だと思うのです。

幼児には愛が届かないの?

先ほど申し上げた様に、人間は肉体が死んでも生命は存続すると考えます。したがって、幼児の魂は今も生き
続けています。輪廻説をここで持ち出すのは違うと思うのですが、人間は姿、形を変え、膨大な時間を掛け
神の御許に向かって、進化(ダウィーンの進化論とは違います。あれは物質世界の観点から見たものです。)
していってるのではないかと考えています。ただそういった進化とは、関係なく、あくまで人間の本性は霊です。
もうすでに神の御許に居ますし、最初から救われています。もちろん、幼児の本性も常に神の愛に抱かれている
のです。この物質世界でどんな不幸がおころうと、私達の本質は何時も神と一緒であり、常に愛に抱かれている
という事を忘れないでほしいと思います。その愛をこの物質世界で少しでも実現するために、神の真理を学び、
神にお祈りをし、少しでも神さまを身近にかんじてほしいと思っています。

長文すみません、あくまで今の私の考え方です。
70一般のクリスチャン:2006/03/28(火) 08:07:13 ID:VlkcA+kS
>61
ちょっと言い方がまずかったですかね。まぁもう一回考えて見ましょう。
生きても生きていけない無念・・ですか。
生きていても何の特にもならず、早く死にたい人だっています。
要するに生きていても幸せのみがあるわけではないです。もちろん苦しみがあるから幸せがある、という人だっているでしょう。

もう一回言いましょう、幼子ほど神様に愛されている人はいません。なぜでしょう?それは彼、または彼女が純粋だからです。
大人になると変なプライドや、また過去を自分の力ですすんできたと誇り、盲目な人が増えてきます。
しかし幼子は違います。純粋で、神の愛を受け入れています。だからこそ天の国はこのようなものの国なのです。と言われているとおりです。
全ての財産、努力をしても罪を犯した時点で天には入れません。そう、人生をなげうってしてもその人生により、神の愛を受け入れ、救われないとしたら天には入れないのです。
だから、その長い人生により、ゲヘナに投げ込まれるならなんのとくがありましょう・・と言ったのです。

勘違いしないでください、その人生に意味が無いと言っているわけではありません。ただ、その人個人の得、つまり天、永遠の幸せ。が得られないなら、天に入れる幼児より損していることになります。
まぁ損、得とはその人個人によっていがいますが、まぁそういう表現をとらせていただきました。
>>64
私はクリスチャンになったからといって物理的な苦しみがなくなるわけではありません、と言いました。
さて、ここで考えて見ましょう。そう、親はその身をなげうってしてでも子を助けるでしょう。
そう、全ての親である神様は人間が味わえる最大の苦しみを受け、その子を救ってくださったのです。
人間はあくまで物理世界でしか子を助けられません”。そう、彼を結局待ち受ける“死”からは救ってあげられないのです。
しかし、神様はその死から拾い上げ、自分の下に幼児を置いてくださいました。

あなたは物質世界と天、どちらが良いと思うでしょう?
71名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 08:31:05 ID:ambjBfhw
>>70

じゃあ、その現実を味わって見れ
それを体験してなお世迷言を吐けるのかね?
アンタは言葉でしか理解できていないようだね。

幼児にとって母親は愛そのものなんだよ?
分かるかい?
それを受けずして、虐待のみで生きていくのだよ。

アンタにとってイエスズが父であり安らぎを与える以上に
愛なんだよ。
それを受けずして心で灰となって朽ちていく。
幼児は一身をもって愛を求めたはずだ。
いや、求めずにはいられない。
そんな生活が寝ても覚めても死ぬまで続くんだ。

天国で救われるだと?
ふざけるなハゲ、幼児の頭の中には天国の概念すらないんだよ。
逃避する行き先すらないないんだ。
分かるかい?
信じるて逃げることもできずに、愛を知らずに朽ちていくんだ。

天国で救われるから、なんて世迷言は通じないんだよ。
信じる信じないは個人の自由だ。
だが、あんたの信仰眼で幼児は幸せなんて語るんじゃねえ。
神に媚を売るばっかりで目が曇っている。
幼児の無念を知り、知った上で不幸が無くなるように
愛を広げていくのが宗教者の務めだろ。
不完全な神でも愛を教えてくれた、世の中から不幸がなくなるように愛を広める、それが大事なんだろ。
神におべんちゃらし、不幸に蓋をするのはやめれ。
72一般のクリスチャン:2006/03/28(火) 10:02:01 ID:2kchd2VY
>>71
愛は神から来る物です。
他人のために命を捨てるほど素晴らしいことはありません。と、聖書には書いてあります。
さらに精神的に受けるダメージは人それぞれです。耐えられない試練はありません。
もちろん私はその死んだ幼児ではありませんからどんな生活だったか完全にはわかりません。
しかしあなただってわからないでしょう。例えばあなたはいじめられたことがありますか?
僕はあります。そのいじめられた時が幼児だったらまだ泣き、叫ぶ事が出来、まだましかも解りません。

しかし、ある程度育ってくるとそれを内に閉じ込め、周りに気づかれないようにすることを覚えてしまいます。
そっちの方が僕はつらいと思います。もちろん幼児にとってどんな苦しみだったのかは想像することしか出来ません。
しかし、虐待されたまま生きて苦しむよりは、天に行くほうがマシ、という考え方も出来るのではないでしょうか?(あくまで考え方です。私個人です。キリスト教の思想とはあんまり関係ありません

幼児には天国の概念、さえない、人によってはそうかもしれません、しかし幼児は死を怖がりませんよ。
もちろん死の苦しみや、痛み、目の前の恐怖などはあります、しかし死の後のことは怖がりません。なぜでしょう?
逆に大人になると死の後の恐怖があるものです・・どっちが苦しいかはおまかせします。

そのとおりです、不幸がなくなるように愛を広めるのが私達の役目でもあります。しかし、悲しいかな、サタンなどがいる限り不幸はなくなりません。
幼児の無念を知れたらどんなに良いことでしょう。しかし、私はその場で訴えを聞いたわけではありません。
僕のその頃の概念で、虐待を受けていたらどうだったか・・というものしか考えることは出来ないのです。
ちなみに虐待かどうかはわかりませんが僕はちっちゃい頃(いまこそなくなりましたが)鞭で打たれたり(血は出ませんでしたが)、定規でたたかれたりしていました。
その頃の記憶はさすがにあいまいですが、やはり物理的な苦しみしか無かったですよ、ちっちゃい子供は心で動きます。
どんなに苦しみを受けようと、ちっちゃい子供は最後まで親を信じ、心の中のどんなにちっちゃい愛でも見つけるのではないでしょうか?
73名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 11:14:58 ID:wjFvPzZy
>>1
キリストの愛はすばらしいって、一体どのようにすばらしかったのですか?

このスレを読んでも、全然すばらしい体験など書いてありません。
すばらしい「っぽい気がする」の誤りではないかと思われます。

ただ、
「ジーザスが磔になって死んでくれた。だから有り難く素晴らしいんだ」と
ロボットのように言ってるだけだし。
無意味なラクガキばかり。

74☆林檎の目☆:2006/03/28(火) 11:49:35 ID:4WqfdydV
キリストの十字架が人の罪を贖い、その罪を赦して下さるためにあったこと、
人と神様とのあった深く分け隔てられた溝(罪)のゆえに、
罪の中に絶え入るしかなかった人が神様との交わりを回復させて下さったこと。

それは「自分自身の罪」のことに焦点を当てずには、
あなたの言う通り、意味がわからないことだと思います。
今の自分という存在がどのようなものか、ということを見つめないのならば、
哲学でさえ、ただの机上の空論です。
哲学でさえそうだとしたら、なおさら自らの救いとキリストの愛についていえば、
「自分という存在」、もろもろの自分のうちにある汚れを見ないで、何を見るというのでしょうか。

キリストの愛は素晴しいと心の底から言えるのは、自分という存在をどれだけ見つめられるか、
そして、神様ご自身を知らされることにあるのではないかと思います。

カルヴァンは「神を知ること」と「自分を知ること」は表裏一体の関係にあると言っていましたが、
僕もそうだと思います。
75Love Jesus ◆Fhcps.A/9I :2006/03/28(火) 12:55:16 ID:SM6H2y24
神聖で安全な天の国からわざわざ危険な罪びとだらけのところへ
来てくれたってことは、これだけでもかなりの愛だと思う。
76名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 13:19:51 ID:G5gYnqYP
だから、そんなこと言ったら、
オウム信者の頭の中と変わらんって。
松本が聖なるところから地上の日本に降りて刑務所に
入ってくれたとか、そんなのと同じことを
想像しては繰り返し喋くってるの。
かなりやヴぁいことになってるってことにお気づきでないところが
またやヴぁいんだなこれが。
77Love Jesus ◆Fhcps.A/9I :2006/03/28(火) 15:40:05 ID:/UPQq259
オウムのしたこと、キリストのしたこと、その違いがわからないの?
78名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 17:09:51 ID:20cN2kCG
見もしないで、キリストが水上歩行したと思い込んでる。
松本が空中飛行したと思っている信者と、脳内の構造はおなじだよ。
79Love Jesus ◆Fhcps.A/9I :2006/03/28(火) 17:32:33 ID:/UPQq259
松本がとんでもないことをしたことは明らかだ。
80名無しさん@3周年:2006/03/28(火) 21:18:30 ID:FQoYU80a
キリストも当時の法律を犯したぞな。
その当時の概念では犯罪者で死刑。
81名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 00:58:50 ID:xJNbmkHb
長い間、つくづく思っていたことなのだが、
2chのクリスチャンたちは、何故『根本問題』である神の激しい『怒り』を語らない?
人間は神に『呪われてる』と語らない?
そして、人間は神の怒りの故に『死んでいる』と語らない?
人間は、神の怒りを受けるために生まれる、と語らない?
愛ばっか語っていて、肝心の神の『義』を語らない。何故だ?
これをはっきりさせないと、>>73さんのような意見が出て来る。
根本問題をはっきりしないから、イエスの十字架の救いの意味があいまいになっている。
82名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 01:09:57 ID:xJNbmkHb
さらに付け加えると、
神を恐れなければならないのに、恐れていない。
クリスチャンは、神を恐れ、神を愛する人ではなかったか。
ところが、「恐れ」の部分がすっぽり抜け落ちている。
これがとても気になった。

罪を犯しても後で悔い改めればいいや、なんて軽い意見を見たことがある。
これは神をなめている態度だな。
83名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 01:28:50 ID:NHuFWaoL
またここに、勘違いした人が...。
84名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 02:25:52 ID:4xI6esJF
旧約に影響され、文脈どおり読んだだけの、宗教マニアってとこか。
85名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 04:49:53 ID:rC9VHBdn
本当に素晴らしいよな
どいつもこいつも平等に価値がないってことなんだろ?
86名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 06:49:11 ID:Le96rQ6l
キリスト教は十字軍が一般ピーポを惨殺しまくり 他国に侵略しまくり それを正当化
オウムより酷い
87一般のクリスチャン:2006/03/29(水) 08:51:45 ID:rx9iWj4H
>>85
平等な価値はありますよ、そして救われるチャンスもその人の性格などにも会わせて色々あります。
>>86
勘違いをしないでください。十字軍はキリスト教ではありません。
>>82
確かにその人はなめていますね。
もちろん私たちは神を恐れなくてはいけません。しかし人間は神にのろわれているわけではありません。
そしげ神の怒りを受けるために生まれてきたわけでもありません。私たちは神の怒りゆえに死にます、それは確かでしょう。
もともと人間に苦しみはなかったのですから。なぜ愛ばかり語って義を語らないのか?
愛が理解できなければ義、すなわち神様を理解できないからです(完全になんて誰にも理解できませんが)。
88名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 09:41:56 ID:r9FuLrgg
魔女裁判で殺しまくってるだろ。
つかな、神の意思がわかんねーのに
自己解釈で説教たれるしな
司祭、牧師って神への冒涜だろ。
イエスズが教会築けて言ってるかね?
神を隠れ蓑に権威(説教)を気取る人間がたちわりいよ。
免罪符まで編み出す始末。
神とか愛とかほざくなら、被災地にいますぐ飛べよ。
89名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 09:49:08 ID:zoe+XICI
別にキリスト教の教えに関してはまあ敢えて何も言わないが
俺が嫌いなのはクリスチャンだな。


とりあえず水をぶどう酒に変えた時の化学式を言ってみろ。
90名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 09:59:17 ID:lENGvoIS
91名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 12:25:11 ID:hV8dpfCE
私の肛門は美しい。
92信じる事は美しい 一般人。:2006/03/29(水) 21:20:26 ID:v59bPdST
 
 そのとき、イエスはニコデモに言われた。「モーセが荒れ野で蛇(へび)を上げたように、人の子も上げられねばならない。
それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子(みこ)を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、
御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既(すで)に裁かれている。神の独り子の名を
信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇(やみ)の方を好んだ。それが、もう裁きにな
っている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は
光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

ヨハネによる福音(3:14-21)
93名無しさん@3周年:2006/03/29(水) 22:28:04 ID:lYo4hlYd
>>89
わたくしも同感。
随分と煮え湯を飲まされましたから。
94名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 00:31:46 ID:d3Bv1DZi
>そして救われるチャンスもその人の性格などにも会わせて色々あります
今、必要なんだよねそのチャンス
でも必要な時にはちっとも来ないよね
だから意味ねえんだよ
95名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 00:40:55 ID:JLzTYA9p
救いを「現世的利益」とか「心理的な満足」と勝手に読み替える人っているよね。
>94みたいな人とかw
96名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 00:41:19 ID:rcAJ+I1P
自分がキリストの愛とかを素晴らしいと感じるのは構わないが
他人に意見したり押しつけがましく薦めるのはどうかと思う。
人それぞれがデリケートな事情を抱えてることを分かってない気がするね。
傷ついた人って、知たり顔で助言してくる未熟者には敏感なものだよ。
97名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 00:55:39 ID:rcAJ+I1P
>>95
wとか、結局見下し笑いでしょ。
それに、>>94さん自身にどうこうレッテル貼らず、
その考え方に対してコメントした方がよいと思うけどなぁ。

それと、「救い」のことと解釈していたけど
やれ資金が与えられたとか
アパートの更新料が只になったとか
孫が無事に遠足から帰ってきたとか
そんな話を教会の証とやらで
うんざりするほど聞いたよ。

こういう考え方、個人的には嫌いだ。
でも、本人の支えになるなら、それもありだとは思う。
98一般のクリスチャン:2006/03/30(木) 07:19:54 ID:BJOpfano
>> 94
今このスレを見てる瞬間にチャンスは与えられているのですよ。
自分の罪を悔い改め、イエス様を信じれば良いのです。

ちなみに資金が与えられたというのは恵みであって救いではありません。
>>89
なぜクリスチャンが嫌いかは解りませんが、とりあえず化学式で説明できないとは言っておきましょう。
説明できるのならそれは奇跡ではないじゃないですか。
99名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 08:57:05 ID:WB+h+HYI
神とか愛とかほざくなら、被災地にいますぐ飛べよ。
100名無しさん@3周年:2006/03/30(木) 08:59:28 ID:eQ81FWWk
一連のおとぎ話や、夢物語のようなものを
どうして確信できるのか、部外者にはその思考回路が理解不能。

理想とする生き方については賛同できるが、「実践者」のお粗末さにはうんざりした。

信徒でない相手を見下して
常に断定的な物の言い方をする傲慢な態度はムカつく。
質問や批判に対する攻撃性・被害妄想・逆ギレぶりには呆れ返るばかりだ。

自分ができもしないことをどうして人に薦められるのかが不思議。
どうして、私はイエス様の教えを通してこのように思います、努めています
と言えないのかが不思議。

この意味で、>>95の態度など、よほどましな方だ。
基地外、低能、文盲などと平気で書き込むクリスチャンが2ちゃんに溢れているから。

中には本当に謙虚な態度の人もいるが、よほど探し回らないと無理。
2ちゃんでは、大威張りで暴言吐くクリスチャンがマイナス伝道を繰り返している。
101名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 12:37:26 ID:8JDMfYgi
>>98
罪?俺に何か罪があるか?
俺をこんな薄汚い世界に堕とした造物主の方がよっぽど犯罪者じゃねえか

恵みでも救われるだろ?救いじゃん
飢えてる子供がいたとしてそいつに必要なのは救いの言葉か?それとも一切れのパンかね?
きれいごとほざいて何もしないやつより悪いことやってたまに善行施して救ってる奴の方が何ぼか
マシだわ
102風の主:2006/04/02(日) 13:50:49 ID:FPaxsgHk
自分が正しい。だから相手が間違っているという論法をかえませんか?

神を語るスレで、それは見苦しい。
私はイエスを知りたいと思って、ここにきました。
どなたか協力していただけますか?
私はクリスチャンではありません。
どこの宗派にも属していません。
よろしくお願いします。
103一般人。:2006/04/02(日) 14:33:23 ID:dSenVWZn
これはキリスト教だけではなく、宗教全般に当てはまる事だと思うんですが、まず、本人が
救われる事が第一(救われるというのは、あくまで今の生き方をより良くすると言う意味で)
だと思っています。現在、数多くの宗教、宗派があり表面上、統一性がなく、混乱する所も
あります。ただ神の真理は一つであると私は思いますし、それがどういう形のものであれ、
実際にあるものと私は信じています。ただ真理というのは、何時も神の側にあるべきであり、
人間が完全に把握できるものではないとも思っています。たくさんの宗教、宗派の中から
これが、完全な真理だというのを人間である以上、断定することはできないと思いますし、
その証拠もありません。ただ、宗教、宗派によって少しずつ、違った形で神の真理が含まれて
いるのではないかと思っています。要は各個人に合った、各個人が目標としている人生に合った
形の宗教、宗派を選らぶことではないでしょうか。それで本人が救われてはじめて他人への働き
かけが、できるのではないかと思っています。キリスト教でも宗派によっていろいろと違いますし、
キリスト教が嫌なら他の宗教もあります。真剣に宗教をやられている方やクリスチャンの心情は
判らないです。ただ、人間は幸福を目指して生きるべきものであると思っています。それが宗教
によって阻まれるべきではないですし、またそういう存在ではないと思っていますから。
104風の主:2006/04/02(日) 15:05:21 ID:FPaxsgHk
すごくわかりやすいですね。
いいんじゃないですか。それがあなたなのだし。

105名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 19:47:41 ID:WkZVHQMT
すばらしいとか、すばらしくないという次元は低い。
106一般のクリスチャン:2006/04/02(日) 21:47:41 ID:japzLm7H
>101
嘘は罪ですよ。もちろんその時にはパンでしょう、その後に救いの言葉を言うべきです。
聖書にも言葉だけでは駄目だと書いてあります。
救いとはその場しのぎのことでしょうか?助けることと救うことは違います。
>102
自分が正しくて相手が間違っている、それはパリサイ人ですね。
私は信仰が深いとは言いません、だからちょっとはそれが含まれているかも解りません。
しかし信仰が深いクリスチャンは逆に自分は罪人だといいます、パウロは私は罪人のかしらです、と言っています。
私の言葉は正しいとは言いません、あくまで個人の意見です、しかし聖書は間違っていません、ですからもし聖書の言葉を引用するならそれは間違っていないのです。

>風の主さん
イエス様を知るにはまず聖書を読むことです。
イエス様は神の子であり神と一つであります。イエス様は愛の象徴です。イエス様は人間の模範です。
107風の主:2006/04/02(日) 21:59:48 ID:FPaxsgHk
106さん、ありがとうございます。
私は、聖書を読むつもりはありません。
私はクリスチャンではないし、そうなるつもりもありません。
なぜなら、宗教自体から中立でありたいためです。
私はイエスを偉大だとは考えますが、彼だけが神であるとは認めません。私も神だからです。

私がイエスを知りたいのは、そこに私が知りたい何かがあるからで、教義に興味があるわけではないのです。
108名無しさん@3周年:2006/04/02(日) 22:47:59 ID:MKMTUCsp
エス様は人間の模範です
109名無しさん@3周年:2006/04/03(月) 00:39:22 ID:jiFfb9Ep
>>106
しかし聖書は間違っていません、ですからもし聖書の言葉を引用するなら
それは間違っていないのです。

なぜ盲目的にそういえる?

都合のいい引用によって歴史上どれほどの悲劇が繰り返された事か。
どんなに優れた書物でも解釈の仕方によってはまったく別ものになる。


聖書は間違っていません、聖書の言葉を引用するならそれは間違っていないのです。


なんて軽々しく言うのは良くない。

それに、聖書から引用された言葉をそのまま語ったってなにも伝わらないよ。
聖書にはこう書いてあるから、それが正しいんだ。なんて言葉を押し付けた
だけでしょう?

旧約なんて、倫理的にはずれたところ一杯あるよ。それも聖書に書いて
あるから間違ってないといえるなら、説得できるだけの解釈等をあなたの
言葉で書けば?
110風の主:2006/04/03(月) 05:19:45 ID:3Nsh+mIt
109さん、同意です。
聖書がかかれたのは、イエス没後、300年が経過していました。人の記憶というのは風化もすれば、あいまいにもなるのです。

各地に散らばっていたイエスの逸話に、さまざまな尾鰭がついたのは、当然のことだったと考えます。
伝説的な話が多いのはそのためだと思います。
111風の主:2006/04/03(月) 05:29:27 ID:3Nsh+mIt
そして、それをそのまま編纂しても、それがイエスをそのまま表しているかと言えば、疑問です。

神の教えは変わらない。ただ、情報というのは、「受信者の主観」が在るために。いくらでも解釈できてしまうのです。
そして、「イエスの偉大さ」を強調しようとしたため、編纂者の主観が入り込む余地が生まれてしまったと思います。
112風の主
当時の世界は、混沌としており、それをなんとか平和に導きたいという思いもあったかも知れません。
その思い自体は愛であると考えますので、なんら問題はなかった。
ところが、思いが強ければ強いほど、そこに「編纂者の主観」が入り込む余地が生まれてしまったと考えます。
だからこそ、ありもしない寓話も生まれた。イエスの行為がすばらしかったために、事実とは違うイエスが誕生してしまったのではないかと思います。