53 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :
私が師から学んだ、そして恐らく最も重要な、第二の教えは、世界の諸宗教は、たがいに矛盾したり反対しあったりするものではない、という素晴らしい真理です。
それは一つの永遠の宗教のさまざまの面に他ならないのです。
かの一つの永遠の宗教が、生存のさまざまの段階に適用され、さまざまの心やさまざまの人種に適用されているのです。
かつて私の宗教とかあなたの宗教があったことはなく、私の国の宗教やあなたの国の宗教があったこともありません。
数多の宗教などは、存在したことがありません。かの一つの宗教があるだけです。
一つの無限の宗教が永遠を通じて存在し、これからも存在するでしょう。そしてこの宗教が、さまざまの国にさまざまの形でみずからを表現しつつあるのです。
それゆえ、われわれはすべての宗教を尊敬し、できる限り、それらすべてを認めるように努めなければなりません。
諸々の宗教は、民族や地理的位置に応じてのみならず、個々人の力にも応じて現れているものです。
ある人にあっては、それは強烈な活動として、働きとして現れています。
別の人の場合には深い信仰として、更に別の人には神秘主義として、更には哲学として、また他の形で現れています。
われわれが他者に向かって、「あなたの方法は正しくない」と言ったら、それは間違っているのです。
おそらく、その天性が愛である人は、他者に善をなす人は宗教への正しい道を歩んではいない、と思うでしょう。
それは彼の道ではないので、従って正しくないのです。
もし哲学者が、「おお、哀れな無知な者たちよ、愛の神について彼らが何を知っている、と言うのだ、しかも「かれ」を愛するという、
彼らは自分がしていることの意味を知らないのだ」と思うなら、かれは間違っています、彼らは正しいのでしょうし、かれも正しいのでしょうから。
54 :
シコオ ◆yPJlKmeyCM :2006/03/21(火) 22:25:59 ID:Q+fvrm8y
真理は一つであろうがしかし同時に多数である、われわれはさまざまの立場から、同一の真理をさまざまの姿に見るのである、という、
この重要な秘密を学ぶことは、絶対になされなければならないことです。
そうすれば、誰にも反対することなく、われわれはすべての人に無限の同情を持つでしょう。
この世界に生まれたさまざまの性質がある限り、同一の宗教真理はさまざまの適応を必要とするのである、
ということを知って、われわれは互いに忍び合わなくてはならないのだ、ということを理解するでありましょう。
自然が多様の中の単一であるのとまさに同様に−−現象界の無限の変化、現象界のこれらすべての多様性を貫いて、
「無限なるもの」が、「不変なるもの」が、「絶対なる単一」が存在する−−あらゆる人の場合もそうなのです。
小宇宙は大宇宙の縮小された反復にすぎません。これらすべての変化にもかかわらず、その中を貫いて、この永遠の調和が流れているのです。
われわれはこれを認めなければなりません。この考えは、他のすべての思想にも増して、今日緊急に必要なものだと私は思います。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ