>>403 >聖書に天動説など書いていないのですが
聖書の記述は最初から最後まで科学的に正しいとかいい始めると、キリスト者は天動説も支持しなければ
ならなくなるでしょう。マルティン・ルターは、コペルニクスの『天球の回転について』が出版される4年ほど前
に地動説についての噂を聞き、「ヨシュアが留まれといったのは、太陽に対してであって、地球に対してでは
ない」「その男(コペルニクス)は自分が馬車に乗って動いているのに周りの風景の方が動いていると思い込
んでいるようなバカ者だ」とし、地動説を批判しました。
確かに、神の意志で太陽が静止したり、逆行したりすることが語られている箇所(ヨシュア記10:12−13、
列王記下20:11)があります。
「主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主に向かって言った、
『日よ、ギベオンの上に留まれ、月よ、アヤロンの谷に安らえ』。民がその敵を撃ち破るまで、日は留まり、月
は動かなかった。これはヤシャルの書に記されているではないか。日が天の中空に留まって、急いで没しな
かったこと、おおよそ一日であった。これより先にも、後にも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は
一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである」(ヨシュア記10:12−14)
太陽がもともと動いていないのなら、太陽に「留まれ」ということは無意味になります。だから、太陽が地球の
周りを回っているのであって、逆ではなく、コペルニクスの地動説は聖書に反する異端の説であるというのが
ルターの批判の根拠だと思われます。今日では、「聖書には天動説など書いてない」とか「地動説を迫害した
のは、当時のカトリック教会やルターの勘違いだった」とかするキリスト者が多いわけですが、聖書の記述に
即していえば、ルターの批判の方が筋は通っています。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/kgh_sb11.html