870 :
名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 10:26:30 ID:A2Dk2BY/
871 :
やや:2006/06/01(木) 16:18:55 ID:El96zw5u
>>858 発明と発見は同じではないよ。
あなたがどこを否定しているのか、この文章では説明になっていない。
あなたの言う悟りって何なのか知りたかったなぁ。
872 :
名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 16:54:01 ID:MJWTAvxZ
>あなたの言う悟りって何なのか知りたかったなぁ。
書いたら、いくらくれる?
おれも忙しいしね。暇つぶしなんだから掲示板なんて。
でも簡単にかけば悟り=気づきですよ。
それの積み重ねですよ。
まあ、生長の家を妄信してる間は絶対無理。断言する。
868さん、わかりやすい説明ありがとう。
潜在意識は肯定?
潜在意識が宇宙意識と繋がっていると言う考え方についてはどう思いますか?
「ただ座る」と言うのが大切なのはそう思いますね。
いろんな意識がじゃまして「閃かない」ということですね。
ただ座る・・と言うのが難しいわけですが。
出来る人に言わせると、それが出来るようになれば宇宙意識と繋がると言うことなのでしょう。
874 :
やや:2006/06/01(木) 17:00:16 ID:El96zw5u
>>872 あなたの気づいた結果が一連の書き込みだとしたら、とても参考になりますね。
それが他の否定になることはもったいないと思いますが、あなたの実感の確認も意味がある行動ですから、
これからも精進してください。
875 :
名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 17:52:22 ID:MJWTAvxZ
>他の否定になることはもったいないと思いますが、
否定すべきものは否定する。あたりまえのことです。
まちがった方法論では、たどりくけませんよ。
ほんとうに甘くはないですよ。
人生の時間が無限ならかまいませんがね。
有限ですから。
876 :
名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 17:58:09 ID:xo/687F9
>でも簡単にかけば悟り=気づきですよ。 それの積み重ねですよ。
>まあ、生長の家を妄信してる間は絶対無理。断言する。
そのとおり。悟りは因果を、つまり原因があり結果があるという あたりまえをただ知ることで
信仰という迷妄から 解脱することですから
信仰していたら 悟れないんです。仏教でも最終的には 教えをも捨て去るのが目的です。
877 :
名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 18:28:14 ID:MJWTAvxZ
>あたりまえをただ知ることで
そうそう、それが難しいんだな。
>生長の家自体は悪い宗教ではないですが問題のある人が結構います。
>無理やり生長の家に誘ったり、入らないと災いが起きるといったり。
おいらが会った痴呆講師で一番印象的だったのは、谷口雅春こそが仏陀の生まれ
変わりだと言い張って聞かなかった。
879 :
やや:2006/06/02(金) 12:48:55 ID:WEPXYHJr
>>875 否定すべきことを否定することは大切ですね。
でも、その「すべきこと」が的外れである可能性は、あなたにとっても0ではないでしょう?
そこの部分ですよ。もったいないといったのは。
>>876 信仰と悟りはまったく別物だと言うことですね。
先に与えられた情報で、見落としてしまう部分が生まれますからね。
>>878 彼なりの実感だったのでしょう。
真実はどうか、自分はそんな実感に行き着くのか・・想像だけではわからない部分があります。
自分で確かめる・・それが私のやりかたです。時間はかかるでしょうが、自分で試行錯誤して
得た情報には、充実感はありますよ。
880 :
やや:2006/06/02(金) 12:58:57 ID:WEPXYHJr
信仰と悟りは別物、方法論が違うと言っても、どちらが優れているどちらが間違っていると言う物では
ないと思いますよ。
ちょうど小乗仏教から大乗仏教が生まれてきた(人々が必要とした)経緯に似ています。
もちろん、教える立場教えられる立場が生まれた弊害もあり、間違った特権意識に支配されてしまった
部分もありますけどね。
私たちだって、とりあえず原典そのままを理解するところからとっかかることは出来ないわけだし。
信仰がきっかけ・・であることを馬鹿には出来ないんじゃないかな。
881 :
名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 19:00:54 ID:BhMJ6X9K
信仰を持たずに悟りを得たというならスゴイ気がするが、
その悟りというものが、本当に信仰レベルを超越したものなのか?というのが疑問。
実際、その悟りが「単なる信仰だ!」と言われた時に、
>>876は否定することが出来るのであろうか?
客観的に見て「信仰イコール迷妄」というのは、自分で自分の首を絞めている様にしか見えない。
あと、因果の法則に肯定的である生長の家を前にして、信仰を持っていると因果の法則を悟れないという理屈も可笑しい。
882 :
誌友:2006/06/02(金) 19:07:29 ID:+nPjeQWo
>>841 >裁判とは争うことだからね。
違うんやなぁ(笑) わからんかなぁ。 和解については色んな宗教が言うてるけど
戒律を守ることによってそれを成すんやなくて、「そうすると気分がよく、
そうしないと気分が悪い」いうた身体感覚を基にしてんやで。およその宗教のいう
「和解」いうもんとはな。
「人を憎んではいけない」「人を恨んではいけない」ということを、もしモラルで
やろうとするとストレスがたまって健康によくないわな。憎しみも恨みも本来、モラル
で解消できるもんではないからな。
もし君が仮りに「怒りに腹が煮えくりかえ」ったとするわ。でもそのような怒りは
身体によいはずがない。それを顔にも現さずに、心に納めるっちゅうことは病気のもと
や。
人を憎んだり恨んだりすること、それは精神というよりも寧ろ身体反応が先に
来るねんや。人を憎んだり恨んだりした途端に、憎しみや恨みのネガティブな情報
いうもんは相手に届く前に、まず自分の身体の細胞に送ることになるんや。
人を傷める前に自分を傷めてしまうわけや。
883 :
誌友:2006/06/02(金) 19:08:43 ID:+nPjeQWo
「和解」に逆らうて害意や恨みの気持ちいうんは自分の意識で作る。
もう一度言うわ。「このコンチキショーめが、殺してやりたい」と人を殺してしま
いたいほど憎んだ場合、その気持ちは自分の身体の細胞が最も先にキャッチすんね
んで。確かに憎しみの情いうもんは、その場に始まる殺戮のエナジーとなって、
まぁ一時的な戦いの効果やレベルアップのもとにはなれる。
でもな、憎しみの情の功罪はさっきも言うたように相手に届く前に、まず自分の
身体の細胞に送ることになるんや。人を傷める前に自分を傷めてしまうわけな。
これは余談やけど、離婚して恨みつらつらの元カップルには癌が結構多いと
いう報告も見たことあるわ。
だからな、そんな病気のもとは、さっさと裁判で、第三者たる弁護士に委任して、
あとは司法の判断にまかせることな。 わかった?(笑)
884 :
名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 19:12:43 ID:89VA+AKf
>>881 俺は
>>876ではないけれど、君ピントハズレ 相当ね。アハハ。
君、生長の家?あ〜やっぱりダメだわ。
885 :
誌友:2006/06/02(金) 19:13:01 ID:+nPjeQWo
>>872 >でも簡単にかけば悟り=気づきですよ。 それの積み重ねですよ。
>>881 >客観的に見て「信仰イコール迷妄」というのは、自分で自分の首を絞めている
>様にしか見えない。
同意(笑)
でもな、何を信じる、何を信じないってことで簡単に片付けられんでぇ。
なぜなら宗教であろうが科学であろうが作法であろうが武道であろうが学問であろ
うが仕事であろうが何だって自得することが中心課題な。
例えば生長の家の光明実践委員をしてないから、聖使命会員やないから、
東京の全国大会に行かんから、宇治や長崎の練成を受けへんから・・・
「生長の家の教義について語る資格がない」という人がたまに居るが意味のない言やな。
本で研究した者の方が、じかに教わった者よりも深く理解するということも大いに
あり得るからな。特にこの宗教団体では。
886 :
誌友:2006/06/02(金) 19:14:52 ID:+nPjeQWo
でも世の中には人間の五感で知覚できないものの方が確かに多い。
世の中の常識といわれるものの99.9%は仮説やからな。
これに対してエセ合理主義の人らは「手で触れて、目で見えること以外は信用しない」
なんていう前近代的なロジックでふんぞり返るから始末が悪い。氣の感覚に
目を開こうとする場合、これが第一の障害になってはるんやけどな。
こんな人は口を揃えたように言うな(笑)
「氣いうもんがあるなら、俺に感じさせてみてくれよ。実際に感じることが出来たら
信じてやるから」。(笑) まったく滑稽やな(笑)
虫のええこと言うとったらアカンて。
887 :
誌友:2006/06/02(金) 19:15:50 ID:+nPjeQWo
例えば数学が嫌いで出来へん人が「数学を出来るようにしてみてくれ。出来るように
なったら、数学を好きになってみせるから」。例えば仕事、そやな、物売りが嫌いで
出来ん人が「億ションのセールスで成果(契約)をとれるようにしてみてくれ。出来
るようになったらセールスを好きになってみせるから」と言われたら、どう答える?
苦労しても中々出来ないのだから「できるようにしてみてくれ」言うのは虫がよすぎ。
これと同じで、なかなか氣を感じることができない人が、感じようと努力もしないで、
感じさせてみてくれと開き直るのは虫がよすぎやな(笑) 自分自身の鈍い感性を
磨こうともしないで、「私の頭を良くしてみて下さい。良くしてくれたら、分かって
あげるから」と言うようなものや(笑)
閉ざされた自分の感性の上にどかっと腰を下ろして開き直っていては、氣感覚を育てる
ことは出来へん。氣といわれるものは誰もが自分の身体のアンテナでキャッチしてる
わけやから、脳がそれを解読できるように訓練さえすれば、誰でも感じることができる
もんや。何処に行くか集まるか徒党を組むかとか、そんなもんやない。
氣なんていうと抵抗をしめす人が特に日本人に意外と多いな。面白い事に、欧米人は
説明すると氣ということを容易に受け入れるけど、日本人はなんぼ説明しても受け入れ
へん人が多い。それでいて日常生活では氣(気)という言葉であふれておる(笑)
888 :
誌友:2006/06/02(金) 19:18:15 ID:+nPjeQWo
>>864紅茶氏
いつも考えさせられることがある。信仰いうもんは、それを学んだ後は生命をかけて
自分の考えを貫く道ではなかったんか?
自分自身の道を切り開いていけん人間やったら、そこに信仰をやっていく意味がある
んか?ましてそこに就職して、信徒を導いていこうやなんて・・・。
自分自身の決めた道を切り開いていく。それができずに終わるなら、信仰など止めた方が
いい。
人間がどのように生き、何を成し、どのように死んでいくかはその人の生涯作品
やで。自分の人生やからな。駄作として送ってしまうか名作として築いていくかは
他の誰でもない自分次第で、価値判断の基準は自分の心や。
宗教団体に足を踏み入れたらわかるけど、二種類の人間が居る。
「帰依派」と「修行派」な。
教祖にどっぷりと依存して生きる「帰依派」と、
何事も自分でやろうとする「修行派」。修行派は自分で自分の人生を築いていこう
とする生き方や。信仰のための人生ではなく、人生のための信仰な(笑)
889 :
名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 19:52:48 ID:89VA+AKf
>>881 俺は876ではないけど、君に2つの質問をしよう。
@信仰の定義は?
>因果の法則に肯定的である生長の家を前にして、信仰を持っていると因果の
法則を悟れないという理屈も可笑しい。
Aでは生長の家で説く神は、何の因果によって生じたのだ?どのような条件
がととのったときに生じたのだ?
890 :
881:2006/06/02(金) 20:36:13 ID:rBzYpq1B
は?
何がダメなんだよ。ハッキリしてくれよ。
一応答えてやるけど。
>@信仰の定義は?
真理と思われることや、それに基いた教えを信じること。また、信じようとすること。
>Aでは生長の家で説く神は、何の因果によって生じたのだ?どのような条件
がととのったときに生じたのだ?
何が言いたいのか分からんが、単純に考えれば、
救いたい人と救われたい人が居て需要と供給の条件が整ったから。
生長の家の読本を読むと、いい事が書いてあるよ。
信者ではないけど、生活読本にはいいかも。
でも、実際に災いが起きてしまったら、役にたたないって感じがする。
892 :
名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 21:30:35 ID:89VA+AKf
>何が言いたいのか分からんが、
生長の家で説く、この世の創造神は、何の因果によって生じたのか?
ということ。
893 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 07:45:41 ID:nB1THTx4
>信仰を持たずに悟りを得たというならスゴイ気がするが、
禅や原始仏教には、信仰は基本的にはありません。信仰宗教ではありませんので。
解脱や悟りにいたるための方法論とその実践です。その方法論に帰依し実践します。
まあ、その瞑想法なりで悟れると信じれるからやるんだろ・・・・といえば信じてることになりますが仏教では帰依といいます。
>その悟りというものが、本当に信仰レベルを超越したものなのか?というのが疑問。
当たり前ですが悟りと信仰は違います。当たり前のことに気づくこと、自覚できえることと、信仰=信じることが違うことは明白です。信じるというのは、明白でないからこそ信じるのであって、悟りはあたりまえのことに気づくこと。悟りの究極にいたれば「信じる」
という部分がなくなって、すべてのことを自覚または気づきえたということになります。
894 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 07:46:55 ID:nB1THTx4
ある人が神を自覚した、神を感じた・・・・というときそれが本当のも
のなのかは、基本的にはわかりません。でも真理が一つなら真理までた
どりついた人には、判断できるでしょう。また真理にたどり着くために
プロセスや段階があれば、上の段階にいる人には判断できるでしょう。
>客観的に見て「信仰イコール迷妄」というのは
私は信仰イコール迷妄とは言ってません。妄想信仰がいけないとはいいましたが信仰を切り捨ててはいません。
895 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 07:49:28 ID:nB1THTx4
>因果の法則に肯定的である生長の家を前にして、信仰を持っている
と因果の法則を悟れないという理屈も可笑しい
因果律とは物事には原因と結果があるということです。生長の家では
、宇宙を創造した神がいるとしていますが、その神は何の原因の結果
によって生じた神なのでしょうか?
いきなり万能なる神を想定し、人間はその神の子であると想定し、神
の子であるから無限の力をもっていると想定し・・・・・想定と言えば
聞こえはいいですが、妄想です。
他の人が説く神を信じたり、自分が勝手に作り上げた神を信じたり・・・
・それを私は妄想と言っています。信仰が悪いとはいってません。妄想
信仰がいけないといっています。妄想のうえにさらに妄想の理屈を重ね、
その妄想を規準に事実を歪めて解釈(病気はないなど)していれば・・・
・・当たり前のことに気づけるはずないじゃないですか。正しく自覚
できるはずないじゃないですか?
「ケチ人は便秘になる」こんな妄想を信じるんですか?
正しい信仰とは?神とは自ら感じえるまで求め修行するしかないでは
ないですか。ただ、そのなかで、安易なビジョンやお告げで悟りを得
たとか神のお告げを得たとか・・・魔境に入らないように「只管打坐」
の教えを紹介しました。
私は、原始仏教や禅の立場の人間ではありません。宗教版だから、そのよ
うな立場で話をしているだけです。原始仏教では、神は取り扱いません。
修行の実践に神は必要ないですから。お釈迦様は相手によって法を説きま
したが、ある人には「神は存在する」といいある人には「神など存在しない」
と答えています。ようは、答えは自分でつかめ・・・・ということでしょう。
>救いたい人と救われたい人が居て需要と供給の条件が整ったから。
つまり人間の思惑でつくったのが君の思う神だと。想定した神を信じるのが信仰であると。
じゃあ、どのような想定をするのかが問題ですね。
896 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 13:50:34 ID:P6ZlKTsy
895貴方のカキコは嘘。
あるところでは因縁は無い。
あるところでは前世の因縁。
雅春の書いているものを寄せ集めてください。
ぜんぜん違う事を書いています。ダカラ生長の家では因縁はこれであるという定義すらないのが
正しいのです。
環境問題ばかりやるからオカシイ。それより環境は心の影。
影を掴んで苦しむのは迷い。とこれも甘露煮書いてある。
それなのに環境問題を、取り扱うのは影と掴んで追い求める無に等しい行い
のはずが今では環境環境。その矛盾に気が付かない信者も、どうかしている。
そんな人の集まりが生長の家<笑い>
897 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 13:53:53 ID:P6ZlKTsy
この宗教には矛盾だらけの教義
教義が無いのです。その点で言えば神道と同じ。
だから信者は神学論争すらない。矛盾だらけの生命の実相で神学論争
ができるわけが無い。
フグ喰うても死なない。ヴィタミンCも体内で生産できる。
痛いと感じなければ痛くない。そんな人たちは、人間ではありません。
898 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 17:01:22 ID:jIczoZoK
899 :
895:2006/06/03(土) 17:16:59 ID:nB1THTx4
>>896 貴殿の言うとおり。
雅春は小説でも書く感覚で書いていたのでしょう。
馬鹿げたごとだらけの雅春の本を読んで、まともに信じ込める人たち・・・
まともに自分で考え判断することができないらしい。
論争する力もないような人たちなかりで、こちらとしては得るものがない、
もうそろそろずらかろうと思っていたので、これを機にサイナラ〜。
また、いつの日か気が向いたら、覗くかもしれんけど。
900 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 17:38:29 ID:6J9jLd9/
901 :
881:2006/06/03(土) 19:00:36 ID:xxayOP26
>>895 創造神は「宇宙をつらぬく法則」であると説明しているから、
因果律も神であって、神と因果律が共存することに矛盾は無い。
因果律だけで全てを解明したつもりになってるのは、ある意味幸せだが、
そんな事を知るためダケに信仰帰依方法論をしてるのだとしたら間抜けに思える。
結局、そんな悟りというのは他宗教を否定するエネルギーにしかならないのではないだろうか?
むしろ世の中とって害。
>つまり人間の思惑でつくったのが君の思う神だと
そこで言ってる神は創造神ではなく、生長の家の神。
創造神は創る側であっても創られる側でないのが普通だから、
創造神のことを言ってるとは思わなかった。
902 :
895:2006/06/03(土) 19:52:58 ID:nB1THTx4
>創造神は「宇宙をつらぬく法則」であると説明しているから、
因果律も神であって、神と因果律が共存することに矛盾は無い。
因果律だけで全てを解明したつもりになってるのは、ある意味幸せだが、
「創造神は「宇宙をつらぬく法則」であると説明している」→そういうふう
に想定しているだけでしょう。想定してるだけですよね。想定してるだけで
すよね。想定してるだけですよね。想定してるだけですよね。そういうふう
に想定して説明してるだけですよね。
う〜ん。痛い。すべてを神としてるから因果律も神であると帰納させてるだ
けでしょうが。
因果律とは原因があって結果があるという事実なのですよ。神ではなく事実
なのですよ。わかるかな?事実なの事実、神じゃないのわかるかな?わかる
かな?わかるかな?わかるかな?わかるかな?わかるかな?わかるかな?わ
かるかな?事実なの事実。
お釈迦様は、科学のない時代において今の宇宙は、ビッグバンで生じたもの
であるといい、宇宙は収縮と拡散(収縮による爆発=ビッグバン)、消滅と
生成を繰り返しているといいました。お釈迦様のビックバンをも認識できる
ほどの力をもってしても、宇宙の始まりは感知できなかった。宇宙の始まり
が「神(の創造)によりはじまった」ということは認識できなかったといっ
ています。お釈迦様は正直ですよね。勝手に神を作ったり想定してないです
よね。妄想から出発してないですよね。勝手に神を想定し、宇宙に始まりが
あったと想定し、そのはじまりをつくったのが神であると想定し・・・・・
全部想定の世界ですよね。
想定するだけなら何でも自由に想定できますよね。想定したこと信じるから
信仰ですよね。
その想定が醜いばあいには妄信信仰といわれてもしかたがないですよね。
903 :
895:2006/06/03(土) 19:54:03 ID:nB1THTx4
心で、そう思うことにも因果がある・・・・これが仏教の因果です。
心でそう思うことにも原因があるというのです。そして一つの結果が
生じるにはさまざまな要因によって結果が生じる・・・・これが因果
律。
当たり前ですよね。種だけあっても発芽しない。水、温度、光、土・
・・・様々な条件がそろわないと発芽しない。
なのに心で思えば実現する・・・・・これは事実ですか?妄想でしょ
う。心が身体の影響を受けてるのは事実なのですけど。身体に関して
はまだぜんぜん書いてませんが、心もなにかの影響うける以上、心で
思うことがすべての始まりというのはおかしいですよえね。
いくら心で思っても実現することと実現しないことがある→事実。
神がこの世を創造した・・・・・その神は何の因果によって生じたの
ですか。人間が勝手にそう想定しただけですよね。神がこの世をつく
ったと想定してるだけですよね。宇宙の法則を神として、その法則も
この世も神が創ったと勝手に想定してるだけですよね。想定するだけ
なら自由になんでもできますよ。
別に仏教の話もちださんくてもわかる話ですよね。因果が神ではなく
事実だと。
生きとし生けるものを生かし給える祖神が身 もっと罪たまる咲き生えたまえええ
吾が生くるは吾が力ならず 天地を貫きて生くる祖神の生命ぃぃぃぃ
吾が業は吾が為すにあらず 天地を貫きて生くる祖神の力ぁぁぁぁぁ
天地の祖神の道を伝えんとアレマ獅子性交の家の狼守りませ イユーッ(゚∀゚)
吾れ今 五官の世界を去って 失踪の世界に入る
世界平和の祈り(゚∀゚)
神の無限の愛 吾に流れ入り給いて 愛の霊光燦然と輝き給う
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給おぉぉぉぉ(゚∀゚)
住吉大神 宇宙浄化の祈り(゚∀゚)
住吉大神いでまして宇宙を浄め給う あーおーうーえーいー
住吉大神わが日の本を浄め給う あーおーうーえーいー
住吉大神ここにあつまれるすべての人々の生命を浄め給う あーおーうーえーいー
尼照らす祖神の噛みのメスまるの命ぃ照らし国静かなりぃぃぃぃ イユーッ(゚∀゚)
905 :
名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 22:16:46 ID:P6ZlKTsy
やはり右翼だな!
906 :
895:2006/06/04(日) 05:44:13 ID:0EgMRd4r
>因果律だけで全てを解明したつもりになってるのは、ある意味幸せだが、
そんな事を知るためダケに信仰帰依方法論をしてるのだとしたら間抜けに思
える。
「因果律だけで全てを解明した」と誰かがいったか?信仰とは信じることで
しょ。真実だと思って信じるだけでしょ。真実だと認識・知覚・体験つまり悟
りえたら信じる必要ないでしょ。そんな簡単ことがわからないの?
もし神というのが存在するとして、認識・知覚・体験つまり悟りえたら信じ
る必要はないですよね。
>信仰帰依方法論をしてるのだとしたら間抜けに思える。
信仰を否定してはいませんよ。究極の悟りを得た場合、信仰は必要ないはず
でしょ。机上の理屈かもしれませんが。必要ないといってるんですよ。また、
原始仏教や禅には信仰はないです。
信仰から出発する方法もあってはいいと思いますよ。方法論として。
でも信仰というのは、何かを信じるわけですから、何をどう信じるかが大切
ですよね。神をどう定義するかが重要ですよね。生長の家の場合、妄想だら
けですから、妄想信仰がいけないよといってるだけですよ。妄想に妄想を積
み重ね、その妄想を規準に認識したり考えようとしてるから馬鹿だといわれ
るんですよ。事実から出発しないといけにのに妄想から出発し妄想的規準で
判断するから・・・・・・・いつまでたっても悟りどころかあたりまえのこ
とさえわからなくなってるんですよ。
907 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 08:28:16 ID:LpbtNPqa
聞くところによれば、昭和天皇さまは
「雑草というものはない」と言われたそうですが、
谷口の剪定思想は、この趣旨と矛盾するのではないでしょうか?
生長の家は、一見右翼のポーズを取りながら、
実はオオミココロに背く逆賊なのですか?
>>904 アナウンサーや役者の発声練習ですかwww
イユーーーーーーーーーーッ(゚∀゚)
912 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 13:18:39 ID:k+r5OBFh
907さん
そういうことでしょう。
天皇は右翼特に秩父宮を嫌われていた。
秩父宮の思想と226事件 東条 荒木陸相、北一輝 清張と
一連のリンクがあるわけです。
共産党ですら宮中晩餐会にまれかれました。清張はないし、これからもない。
それは右翼が嫌いなのです。皇族華族を調べてみてください。
以外にアカが多いのです。つまりオオミ心を自分の都合の良い思想として
説明しているだけで天皇の思想とは何の関係もないことを、さも
天皇の意見の如く主張していた。まあ日本人を欺いていたという事です。
信者にはその催眠術が今でも聞いているみたいですよ。
913 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 13:23:23 ID:k+r5OBFh
それと忘れてはならないことは昭和天皇は現憲法をむしろ進んで
取り入れたということです。
他の人が反対しても天皇は、よしとしたわけです。
長州の作った憲法は国を滅ぼしたわけでそれよりは数段宵としていたわけです。
ここが昭和天皇の明晰なところで左翼、例えば吉本隆明なども
名君かも試練と書いています。松本清張も、天皇制は否定していますが
天皇個人に対する非難は、無いといえます。昭和史発掘などでも
悪口はでてきません。天皇はリベラルであったと思いますよ。
皇室は武力を嫌うからね、穢れを嫌うから
尼寺住み親の髪の魅す麿の命射てらし国静かなりぃぃぃぃ イユーッ(゚∀゚)
915 :
やや:2006/06/04(日) 16:34:48 ID:vvDX6UUu
>>902>>903>>906 同意します。
そこまでわかっておられるのならば、疑問を持ってきた人にどういう言葉掛けをしたらいいのかも
おわかりでしょう。機縁がある立場ならば。
(ブッダも、自分の悟りだけで終わらせると言う行動は選ばれなかった・・)
しかし、お忙しい方のようなので、私がその役割に答えられる限りは答えていこうと思っています。
私にはわかるんだが・・で終わったら、ただの自慢話ではないですか?
917 :
名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 17:47:52 ID:g/Gi36Y7
生長の教えは究極のプラス思考のススメでしょう。確かに矛盾点もあります。
がしかし、「病気は無い」ぐらいの強い気持ちを持つほうが自然治癒力も
高められ、結果が良い方向に逝くのも確かです。もちろん絶対ではないですが。
心で強く思う事で願望が100%実現するということもないでしょう。
がしかし、願望が実現する可能性は高くなるとも言えます。
消極的思考よりは積極的思考を身に付けたほうが自分のプラスになるはずです。
そういう意味で妄想であれ何であれ生長の教えを学ぶのは良いことと思います。
918 :
名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 02:03:10 ID:wXDaQTG7
ここの信徒さんは、天皇家の雅子さんに対してどんな感想
をもってるんですかねー 気になるw
純子さんは信徒さんの気持ちをがっちり掴んで離さない!
生長の家組織は安泰でよいねぇ
919 :
895:
>心で強く思う事で願望が100%実現するということもないでしょう。が
しかし、願望が実現する可能性は高くなるとも言えます。
心で強く思う事・・・・・は一つの要因でしかありませんよ。物事が成り立
つためには、さまざまな要因が揃ってこそ成り立つのであって、本人の思い
は、その要素の一つに過ぎません。
例えば、人気を得、スターになった芸能人はその人気を持続したいと強く願う
でしょうし、努力もするでしょう。でも人気は落ちていきます。本人の思い
の強さなど関係ないですね。これは大衆の思いが主導し時代に応じて創られ
るのがスターだからでしょう。
そもそも芸能人になりたいと願っても成れない人、デビューできてもまった
く人気が出ない人さえたくさんいるわけで・・・・・この人たちは思いが強
くなかったから結果がでなかったのでしょうか?
>願望が実現する可能性は高くなるとも言えます。
可能性=確率 心で思う強さと叶う確率は比例しません。
目標や願望の難易度というものがありますからね。
あなたはエゴの強い人でしょうね。だから当たり前のことがわからないのだ
と思いますよ。
成功哲学やプラス思考は、エゴを強める危険性・傾向があるように思います
ね。