47 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 00:02:33 ID:hnZfcOjU
ドラマ「水戸黄門」では先の副将軍水戸光圀公は身分を明かさないとき、すなわち民衆の中へ切り込んで行かれるとき、 必ず「私は越後のちりめん問屋の・・・」と言ってたではないか。
君たち、これを悪と思うか?
五欲にまみれ真実の仏教とは、いかなる教えなのか、全く知らない、すなわち「どう生きるか」しか知らぬ愚かな大衆に、いきなり「阿弥陀如来の本願」「親鸞聖人」と言っても聞く人は、稀の中の稀というのがわからないのかい?
それを尊い仏縁を結ばせていただきながら、それがものすごい価値のあることだとわからず、今になって、だまされたと勘違いしてるのは愚の骨頂だよ。
まさに迷いの深さのあらわれです。
「ああ、阿弥陀如来の本願には、生まれ変わり死に変わり、多生を重ねてもあえないのに、今あわせていただいた親鸞は何という幸せ者か。
真実の他力の信心(浄信)は、億劫という長年月さまよっても獲得できないのに、今、この親鸞に恵まれたとは、不思議の中の不思議、何かの間違いではなかろうか。
遠く仏縁を慶ばずにはおれない。
もし今生で、人生の目的を果たせず暗い心(疑網)に閉ざされたまま、晴れてこの身に救われなかったらば、未来永苦しまなければならなかった。危ないところを助けられた。
この世で必ず救い摂ると約束なされた阿弥陀如来の本願(摂取不捨の真言)に、間違いはなかった。
悪を悪とも知らず、業を業とも感ぜぬ悪性が、こんな広大な身にどうして救われたのか、まったく想像も及ばぬ本願(超世稀有の正法)まことだった。本当だった。
すべての人よ、弥陀の本願を真剣に聞いて、今生で人生の目的を果たし、手遅れになりなさるなよ」