ttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1130245199/6 聖書の聖典論【聖書は神のことばより抜粋】
(1)『十全霊感』
聖書の全部分は同等に神の霊感を受けて記されている.
⇒これは、自由主義者たちの言う「部分霊感」すなわち、聖書には霊感を受けた
箇所と、受けなかった箇所がある、という立場を否定します.もし、この部分霊感
の立場を認めるなら、「誰が霊感を受けた場所を決定するのか?」という、
『究極的権威』に関する疑問と、聖書自身の主張と相反する疑惑が残ります.
神の啓示の書である聖書から、人間の理性と常識(それは誰一人として一致する
ことがないと思いますが)に反する部分を取り除いたら、後に残るものは
一体何なのでしょうか?
(2)『逐語霊感』
神の霊感の程度に関するもので、神の霊感は一語一語の言葉の選択にまで
及んでいるという立場を採ります.
⇒「思想霊感」すなわち、霊感が及んだのは、聖書記者の思想にだけであって、
言葉の選択に関しては、誤りを含んでいる可能性があるという立場を否定します.
誤り無き神が誤り無き真理を、誤りのある人々の言葉で伝達されたとは
考えられません.
(3)『動力霊感』
聖書記者達が、聖霊の特別な助けを与えられて聖書を記録する時、彼らの
個人的な性格や活動と少しも抵触しなかった事を意味します.イザヤはイザヤ
らしく、パウロはパウロらしく記しました.
⇒「自然霊感」「天才霊感」すなわち宗教的な天才がひらめきを感じて記した
という考えを否定します.
⇒また、聖書の一言一句が、記者の人格や個性とは関係なく、機械的に、ちょうど
ワープロとして記者が使われたという「機械霊感」を否定します.