真如苑−その真実・3

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273名無しさん@3周年
ご利益と精進を辞めたらどうなるかの2つテーマについて以下転載です。基本的にまとまった説明になっていると思う。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「お力」と「いんねん」
 「お力」とは、縁起の法に基づいて、前述「双親さま」「両童子さま」らを祈り、苑の修行の体系の「実践」によって得られた、結果的な霊験のことを指す。
 苑の教理では、修行をすることなく神仏に利生(いわゆる「御利益」)を求めて祈ることを「神仏を遣い物にする御利益信仰」として敬遠し、「お力」による霊験・救済は、様々な苑の修行、日々の生活の中での「実践」の結果的な果実として得られるとする。
 同時に、開祖が修行した醍醐寺は修験道に縁が深かったこともあり、霊験があること、救われていくことも重要視される。
 また、それらの修行は最終的に「「いんねん」を切る」ことによって身軽になって修行を進め、さらには涅槃経に説かれる常楽我浄の境涯に到達することがその目的とされる。

「因縁(いんねん)」とは、本人の業(本人が元来もっている考え方のクセや霊的な傾向)苑以外の方法論では、それら「いんねん」を切ることはなかなか出来ず、救われないと説かれる。
故に、苑の修行から遠ざかることは、それらの障碍に晒される結果となるとして忌まれる。