>>164 真理と格闘し続けるのは難しいが、まあ頑張ってみてくれ。
大体は勝利するか敗北するかしちゃうからね。
ある禅師が精進食しか食べていないのに、やたら恰幅が良いことを、
弟子に指摘されたところ「大悟し、煩悩の火が身を焼く事が無くなった為だ」
みたいな事を言ったのだが、まあ本人曰く「勝利」だろうな。
それで禅行が「終わり、完成」ってのが少々ひっかかるが・・・
もし、あなたが太りだしたら格闘が終りつつある証拠で、
その状態がハッピーだったら、他の人に分け与えるのも良いかもしれないが、
あんまり格闘を終らせたくなさそうだなぁ・・・w
これからも格闘の結果の「解」が小出しに出てくる事を期待するよ。
話、思考がループしないよう気をつけてな。
宗教というものは、「光”だった”」人間が求める物のような気がする。
それはそうと、去年の冬に仙台の雪山を仲間と登ったんだけど、
半ばで俺はもう結構疲れてて、柄にもなく”神”というかそんな感じの
超越した存在に心を同調させようとしたわけね。
そしたらね、危ない崖から飛び降りちゃおうか、みたいな危うい
考えが一切頭に浮かんでこないんだな。生かされていると言うか。
そんなこんなで、キリストの言った「死んでも生きる」という言葉の意味が
実感できたような気がしたよ。
雪山で俺を生かしてくれた程の存在が、寿命で肉体が滅びたからって
その人間に死を与えるとは思えないわけだ。
まぁ神父の目にどう映るかは分からんけども。
167 :
1:2006/04/30(日) 18:48:36 ID:9CAZTXlA
ニーチェの分析枠組みを借りて、ディオニソス神に象徴される非個別化原理とアポロン神に象徴される個別化の力があるとして、
私はと言えば間違いなくアポロン神に魂を売っている。私の自我体勢の中ではディオニソス神はタブーであり、排除される。
酒席なんてのはディオニソス神光臨の儀式のようなものだが、私は酒席が大嫌いである。つまりディオニソス神の到来を禍々しいものとしてみているのである。
アンチ・ディオニソス(バッカス)なのだ。要するに、俺は無粋なやつ、ノリの悪いやつなのである。
ところで、究極絶対神なるものは、アポロン的な側面とディオニソス的側面を統合した全体であるはずである。
つまり究極絶対神に忠義を誓うと言うことはこの矛盾する両側面を抱え込むと言うことなるのである。
168 :
1:2006/04/30(日) 19:02:52 ID:9CAZTXlA
「私」を否定破壊していく過程が人生。
私をぶっ壊し、ぶっ壊し、ぶっ壊し、ぶっ壊し続ける。
もう壊れない、壊せないと言う境地があるのかどうか。そんな境地があったら「悟り」(あがり)だろうが、
想像も付かないね。
究極の宗教の片鱗が見えた気がする。
幼い頃は「求めよ、さらば与えられん」を生き、
成熟したら「誰でもそれを捨てるものはそれを得る」を生きる。
しかし最終目標は成熟した人間が安心して「求めよ、さらば与えられん」を
生きられるようにすることであり、そのための宗教なのではないかと思う。
>>166 人間の中の「生きて、存在して当たり前」という意識は、
普段は観念のベールに覆い隠されている事が多いですが、
正常に動作すれば「光」と思える善の部分で、
某尊師の宗教では「コーザル体」と呼ばれ、私の理論からすれば、
神ルシフェルが配剤する「魂」といえる存在です。
その「魂」は、あなたの推測どおり肉体の死で滅ぶものではない、
と私も思います。
しかしイエスの言いたかったのは、だから「死を恐れるな」ではなく、
もっと積極的に「死ね」ということで「魂以上」を目指す事だと思います。
魂=骨、観念=肉だとするなら、イエスは「肉を捨て骨を断て」で、
仏教よりマクロ的な教義で、魂のサイクルを破壊した先に「天の国」を見出す、
という教えなので、一口に宗教といっても色々かと思います。
>>167-168 「無我の境地になる」「真我を得る(梵我一如)」正反対にも関わらず
どちらも「悟り」らしい響きがあるから不思議だw
あなたは忘我という形の、無我の境地に対しては否定的でありながらも、
「我」サイドである自分を破壊し、無我サイドを知ろうとしている。
だが、それは両者を得る、という結果に結びつくのだろうか?
これは「全一なる者」と「全零なる者」の両立の試みだろう。
究極絶対神でありながら、唯一神で無いという可能性はあるのか?
難しいね。
>>169 古くはインドのカースト制度が「求めよ、さらば与えられん」の制度で、
泥棒のカーストなんかも存在するが、釈迦の時代には既にカーストと
各個人の自我の欲求が遊離しており、「何で俺はコレやってんの?」と
思った人は、カーストを離れサモン(遊行僧)に成らざるを得なかった。
そして現在は魂の欲求と社会システムの一致を試みる、という宗教は
廃れているが、それは魂を観察する学問が未熟なこと以上に、
魂、我を滅却する教義が流行しているのが理由だろう。
172 :
1:2006/05/03(水) 21:40:12 ID:cRZCVYuF
いや、無我なら否定する必要は無いわけですよ。否定すべき自己が無いからね。
俺は凡人だからすぐ我が生じてくる。だから一々否定しなきゃなんないと言うだけの事。
173 :
1:2006/05/03(水) 21:42:17 ID:cRZCVYuF
老子は満たすためには空っぽでなくてはならないと言ってるが。
空無の境地に至れば、かえって神(無限大)を得るだろう。
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
175 :
萌教:2006/05/06(土) 02:18:02 ID:Hj0KmyWH
色白、眼鏡、みつあみ、制服orブルマを着たAカップまでの少女を神と崇める。秋葉原を人類発祥の聖地とし、一日5回秋葉原に向かって゛萌゛と叫ばなければならない。お昼は必ずメイドカフェで。最近話題になった電車男のエルメスを救世主としている。
また服装も決まりがあり、眼鏡とバンダナは絶対、あとはファッションセンターしまむらで購入しなければならない。
>>172-173 神=大宇宙、我=小宇宙だとして、設計、全体の構造自体は相似形かもしれない。
だが総出力、出来る事に関しては異なり、神の日常業務と人の日常業務の
在り方は違うような気がする。
うまい例えではないが、矢というのは発射すると、最初熱せられていても
直進すると空気によって冷却される。しかし弾丸は最初冷えていても
直進すると空気によって熱せられる。これは規模の違いで事象が
正反対の結果になる一例だ。
>>175 問題はメイドカフェのメイドさんが、どう見ても神に見えない
清純派と呼ぶのも憚られることだな。
177 :
名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 06:03:30 ID:lpmi8kVq
保守
178 :
名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 06:59:30 ID:0C3fhWDC
おまんこ教
179 :
バカ梵:2006/05/23(火) 11:06:09 ID:sR320AwD
否定・破壊は早いけど危険だな。自我にしがみついたままだと、地獄へ一直線。
肯定・解体していく方向で是非。
180 :
名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 11:36:00 ID:68duuTDf
結局、仏教にいきつくんじゃないの?
同族嫌悪以外の「嫌悪」って無いように思うんだけど、神父はどう思う?
>>178 ま、要素としては昔からある。
関西で創るなら、『男女子』教か。
父と母と御子の名によりて... 三位一体の秘儀を行うわけですな...。
>>181 ヤクザを嫌悪する人は多くても、虎や狼を嫌悪する人は少ない。
猛獣より恐ろしい銃や刀剣に到っては愛着や畏敬の念すら感じるかもしれない。
この流れだと人間に近いものほど嫌悪の対象になるような感じだが、
実は伏兵が居り、ゴキブリなどの小動物や汚物などはヤクザ以上の嫌悪度数かもしれない。
私が思うのに嫌悪度数とは、個人の意識に不法進入してくる「感染」度数の気がする。
結局ダメージを受けるにしても、虎の爪や刀剣は「正面突破」で小動物が媒介する
病原体みたいに「見えざる敵」ではなく、気苦労が少ない。
それと同じでヤクザや、いじめられっ子に対する嫌悪は、各人の「卑しさ、弱さ」という
見えざる敵に対する警戒心が→嫌悪になっていくのだろうか。
逆に強盗や通り魔は、正面突破型の存在なので、嫌うだけ無意味。
おそらく強盗同士、異常犯罪者同士は、その間に同族嫌悪は無いでしょう。
「嫌悪」とは精神的な「架空の否定」でしょうから、リアルな否定者、破壊者には無縁、
そして、とことんまで物質的、リアルの世界に突入すると嫌悪の無意味さを悟るかもしれません。
多分、それが少年マンガの、殴り合い→友情の定理を裏付けているのでしょうw
>>183 _, ,_
ん、んんっ・・( `(` ) < 神父 久しぶり〜!
( つ⊂ )
ヽ∩ヽ _ つ
∪
じゅって〜〜〜む
・・・・・って、あなた誰でしたっけ?
>>184 さては、前教会に来てくれた田舎に住んでいる女の子か?
>>182 健全な性の宗教というのは以外に少なく、グノーシス的な仏教、キリスト教が
問題外なのは、そうだとしても、ユダヤ教も女子割礼のせいで、
女性が性感を失ってしまう。
純粋なお米教、もとい男女子教が出来たら、それは人類史的な進歩だろう。
ところで俺の金玉を見てくれ、こいつをどう思う?
それと、境界性人格障害をどう思う?
>>187 >ところで俺の金玉を見てくれ、こいつをどう思う?
ビ、ビューティフルかと思います・・・(;´Д`)
>それと、境界性人格障害をどう思う?
境界性人格障害(以下ボーダーと略す)の心の原風景というのは、
実は、それこそが「素」の人間の心であり、人間が創造の神々だったころの
記憶であろろうが、その原風景は現在の凋落した宇宙においては、高望みにすぎない。
そして宗教は神々の時代へのノスタルジーであり、極めてボーダー的発想なのに対し、
科学、物質主義は、その反対に人間が凋落することで世界に適応する法であり、
この宇宙において妥当性がある。
仮に生涯ボーダーに徹する事が出来たなら、それはそれで幸福かもしれないが、
普通は現実の宇宙の絶対性に従わざるを得ない。
それ対する反逆は唯一、死によって表現することが出来る。イエス然り。
自殺者とは凋落に対する脱落者、ボーダーの道の完走者だろう。
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) <ノスタルジーって言われるのヤダヤダ!
`ヽ_つ ⊂ノ
_, ,_
(`Д´ ∩ < でも結局宇宙が凋落してるから、その凋落に身を任せた人間のほうが
⊂ ( 生き生きしてるのヤダヤダ!
ヽ∩ つ
〃〃
∩
⊂⌒( _, ,_) <でも宇宙や人間が凋落したからといって、目指す先にあるものの価値も
`ヽ_つ ⊂ノヒック 凋落しているというわけではないのかもね・・・・・
>>189 >でも結局宇宙が凋落してるから、その凋落に身を任せた人間のほうが生き生きしてる 〜
いや、生き生きしていないと思いますよ。辛うじて虚しさから逃れているだけかと。
ホリエモンの事を「魂が無い」と形容した人がいましたが、確かに旧き神々の恩寵を捨てたら、
ほとんど魂が無くなる。しかし人間の防衛本能は某かの目的を見つけ辛うじて「暇つぶし」を
させてくれ、生存できるようになるが、その退廃的な生は破壊しか生み出さない。
旧き神々とは人間の輝かしい感情であり、生きる喜びだが、同時に調和、完成を意識できない
アホ種族でもあるので、だから滅んだ。そしてボーダーを見ても判るように、人間が
神々の真似事をしても滅ぶ。そして神々から離れ、妥当、真っ当に生きても滅ぶ。世界全体が。
おそらく世界、宇宙に、生存存続への正しい答えというのは、何処にも無い。
なんとか知恵を働かせて、ダメダメな現行種族、旧種族(神)の腐ったパズルのピースを
組み合わせて、使いものになる何かを見つけるしかないでしょう。
ヤハウェのように一つの家族から始めようとしても
どうせ失敗するのだろうか?
>人間の防衛本能は某かの目的を見つけ辛うじて「暇つぶし」を
させてくれ、生存できるようになるが、
この感覚わかる。
俺の親は無意識の内に子供の存在を消滅させようとしていて、
このままでは俺の存在が無意味なものになると危機感を抱いて、
なんとか暇つぶしの中に快楽を感じながら生きてきた。
神父の言うとおり破滅的ではあったけど、俺にはそれしかできなかった。
今俺はまともに成長し、残念ながら親は全くの成長を見せず、
結局俺が昔から感じていた違和感は、俺のほうが「親」だったのだ。
とはいえ、神父が言うように神々の真似事をしないようにしなければな。
現種族を見極め、 旧種族の失敗を踏まえて、その時代その時代に
合わせて生きていくしかないのか。・・・・・今は神父のお尻の中で安らごう
>>191 >ヤハウェのように一つの家族から始めようとしても、どうせ失敗するのだろうか?
このヤハウェは嫁さんがいて子供がいる至高神「エル」としてのヤハウェですか?
だとするなら多分ダメでしょうね。伝統的な「家族」の意識の絶対性は、
神々の持ち物であり、人間にとっては幻に過ぎず、物質世界において、それを維持しようと
試みれば強制力、一種の暴力的な「制度」が必要になってくるかと思います。
意外かもしれませんが、人間が忠実に再現できるのは「唯一神の愛」イエスのような愛で、
相手を慮りながらも、親や嫁さんに「あなたは誰だ?」と言えてしまう絶対的中立性、
これこそが凋落した世界における、ささやかな愛であり無理のない形かもしれません。
この世界の唯一神とは、善と悪をひっくるめた「泥状」の神であり、あまり
ありがたくないものですが、全ての「許し」が含まっているのでしょう。
あらゆる義務の不履行、権利の放棄こそが神の道かと思います。
この間、飼っているカメが恩知らずにも、私の手に噛み付いてきて、肉を食いちぎられましたが
カメと私の間の唯一神的な愛には、いささかの揺るぎも無いです(少なくとも私のほうにはw)
至高の神は「泥」であり、いかなる進歩とも、定型=契約とも無縁の
「在るがまま」かもしれません
>>あらゆる義務の不履行、権利の放棄こそが神の道かと思います。
幼いころから、わかってはいたさ。でもつまらないプライドと保守心がそれを許さなかった。
そういう目で見ると、小学校の友達の中にはすでに光の道を歩いているんじゃないかと
思うような人もいた。いや、実際そうだったのかもしれない。ただ俺はこの年になっても
その道を歩むことを恐れている。自分が自分でなくなるような気がして怖い。
高校に入って、皆に好かれながらも俺に、「俺はみんな嫌いだよ」と言った友人がいた。
俺はその友の中に神を視た気がした。 俺にできる些細な事と言えば、
その友のために命を捨てることなのかも知れないなんて思うのは結局アフォなんだろうな。
>>この間、飼っているカメが恩知らずにも、私の手に噛み付いてきて、肉を食いちぎられましたが
カメと私の間の唯一神的な愛には、いささかの揺るぎも無いです(少なくとも私のほうにはw)
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) <痛いことさらっと言っちゃヤダヤダ!
`ヽ_つ ⊂ノ
_, ,_
(`Д´ ∩ < そういう時の動物って無関心にしか見えないからヤダヤダ!
⊂ (
ヽ∩ つ
〃〃
∩
⊂⌒( _, ,_) < ところでヤダヤダスレをどう思う?
`ヽ_つ ⊂ノヒック 実は神父の教えに結構近い人間の姿な気がする・・・・・
195 :
1:2006/05/31(水) 06:36:12 ID:w+v2Hr4L
宗教こそ究極の思想であり、この上さらに付け加えることは何も無い。
よってこのスレは終了といたす。
有意義な議論が出来たことを神に感謝し、日々の生活に帰りましょう。
ヽ \
少しは懲りろ! ./ \ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧/  ̄ < また貴様か!
(;´Д`) i i i \______
/ ヽ _ i i i--、
./| | | |  ̄ ̄ ̄ |:::::|.
/ \ヽ/| | ノ__ノ..
/ \\| |
/ /⌒\ し(メ .i i i . .
/ / > ) \ ノノノ
/ / / / .\_ ザックザック
し' (_つ /:::::/::... /ヽ
; "ノ・ ./∴: / )i iヽ-、_へ ,ヘ
'',, : :―― / / i i i iヽ . ̄ ゙― ノ /
n_ _/; i .ノ / /ノ-' ̄ ゙ ― 、__ノ
_ノ 二二二、_( _Д_ ;)-ヽ_ノ-'
>>1 ゙ー ''~ ∨ ̄∨
「現実」と「宗教」とは
魂にとっての「昼」と「夜」なのではないだろうか
198 :
1:2006/05/31(水) 19:19:24 ID:w+v2Hr4L
>196
何を懲りろと?すまんが別スレでやってくれないか?
199 :
1:2006/05/31(水) 19:27:28 ID:w+v2Hr4L
このスレはこのまま落とします。
ボーダーだの引きこもりはメンヘル板ヒキ板へどうぞ
>>1
おまいさんが立てたスレではあるけど、なにも立てた後ずっと
責任を持つ必要もあるまい。
俺はもう少し気の向くままにここでレスしていたい。いいだろ?
201 :
1:2006/05/31(水) 20:42:18 ID:w+v2Hr4L
いいもなにもそりゃ自由だが、どうせなら自分でスレ立ててやってくれないか?
>>567 神の道と言っても、現行の人間にとっての「然り」であり、それが実現された後
しばらくしたら、その「然り人」も自分が自分でなくなるような気がするかもw
神=世界の全てだとするなら、中の構成物が変われば、神全体も変わるでしょう。
で「この年」の方にアドバイスするのも僭越なんですが、「みんな嫌い」になって、
色々なものをゴミ箱に捨てても、別な形で新しい「自分」が出てきますよ。
そして案外、普通にゴミと認識したものと接し、普通に楽しめる。
多分その友人にとって、あなたは「大事なゴミ」かもしれません。
「抜けた歯」とかランドセルでも、あまり粗末にしなくないみたいな。
>>194 >そういう時の動物って無関心にしか見えないからヤダヤダ!
そうでもないですよ。「痛い、痛い!」というと、口を離して、こちらを見て
「アイム・ソーリー」みたいな顔しますもん。でも確実に人間の肉の味憶えたなw
>ところでヤダヤダスレをどう思う?
私も
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) <ヤダヤダ!
`ヽ_つ ⊂ノ
の気分で寝ることはありますがw起きたら「その先」を考えるようにしています。
もっとも簡単に「先」なんて見つからないですけどね。どの問題にしても。
>>1 「究極の宗教を創る」をリタイアするなら仕方が無いが、
私はリタイアしないので、代わりにこのスレを使わせてもらうよ。
つーか、あなたは別な板で、よく顔を合わしている気がするが・・・
>>197 >「現実」と「宗教」とは魂にとっての「昼」と「夜」なのではないだろうか
往々にして現実(日常?)が宗教になりがちだ。
そういう切り替えが出来る時点で「信仰」ではなく「思考」だろう。
1氏には信仰を抜け出て欲しかったが、まあ仕方が無い。
204 :
1:2006/06/01(木) 03:20:12 ID:4TG/DFx1
>203
俺は信仰なんか持ってないよ。
205 :
1:2006/06/01(木) 03:21:09 ID:4TG/DFx1
俺はキリスト者であったことなど無いから、抜け出るも糞も無い。
206 :
1:2006/06/01(木) 03:27:43 ID:4TG/DFx1
>203
リタイアしたのではなくて卒業したのだよ。
207 :
1:2006/06/01(木) 04:50:32 ID:4TG/DFx1
卒業したなんていうとまた誤解を呼ぶかもしれませんがね。
まぁ、ひとつ仲良くやりましょう。スレの枠を超えて、我々は、この世に実存する同志じゃありませんか。
>>205 信仰とは一元論的な思考であり、キリスト教とかは関係が無い。
「神」や「霊」にしても、その存在は自明ではなく「もし無ければ」が
常に共存しているのが通常の思考なんだんが「信じる」と、その選択肢が
無くなる。あなたが以前に言っていた「究極の宗教を生きる」の結果
二元論も含めた、以前の思考が別なものに変わったのなら良いが、
ノーマル宗教の「信仰」が究極、が結論なら、私は「NO」と言わざるを得ない。
私の見地は「信仰=屁のツッパリにもならない妄想」であり、
他の目的の道具としても有害無益であると思う。
209 :
1:2006/06/01(木) 21:50:06 ID:4TG/DFx1
>208
「もしなければ」と言う問いが生じるうちは、君の信じる神は現実の質量を持たぬ空虚な観念に過ぎない。
そんなものは信じなくて結構だと俺も思うよ。
210 :
1:2006/06/01(木) 21:55:09 ID:4TG/DFx1
自らageてしまった・・Orz
>>211 伺いました。そこでボチボチやりましょうか
>>209 「信じる」という状態そのものが、魂の脆弱な状態だと思うよ。
ダイヤモンドは砕けても水は砕けないように、何が出てきても
余裕を持って対応できる「猫足立ちの境地」が、おそらく最強。
ここでの究極への追求は終るとしても、あなたに新しい発見があれば
またスレでも立ててくれ。そして、このスレは私も保存するから、
もし無くして、また読みたくなったらメールでもくれ。
213 :
名無しさん@3周年:2006/06/17(土) 17:35:14 ID:PRz/Dtc+
日本にはまだあまりないけれども、
聖書を用いて新宗教を作るのは
案外簡単かも。
エホバの証人みたいに、既存の教会とは
関係ない新会派を勝手に作っても
信者は来てしまうのだろう。
214 :
名無しさん@3周年: