つーか、2ch=世論ってこともしらねー奴がいるんだなwwwww
これはマジでうけるwwwww
2chを敵にまわすことは、国民の大多数を敵にまわすことだ!
■ルール
・荒らしは原則「禁止」&「放置」です。
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
・2ch議論はスレ違いなのでよそでしてください。
・AAはひかえめに。
最近とても思考停止としか思えない荒らし行為をする人がいます。
一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/
904 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 12:41:03 ID:cVtNuyEo
>>895 >大体、「絵像より名号」というのは相対ではなくて
>隠顕だろ?
祖師が一度も本尊について言及していないことについて。
また、渡海さんが指摘してシンパはひたすら無視してましたが、
祖師が「よく読みなさい」、と弟子たちに何度も勧める唯信抄に
「精進の機ならば、終日にとなふべし。
念珠をとらば、弥陀の名号をとなふべし。
本尊にむかはば、弥陀の形像にむかふべし。」
と出ている件について。
弥陀の形像とは絵像木像であるわけですが。
905 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 13:02:04 ID:ULmz6IQb
>>895 だいたい、その「絵像より名号」にしても、蓮如上人の説であるということは、
「明らかでない」「根拠にできない」ということになるんだよね? s会説では。
>これも「山科」の記述が「建立当初だと明らかでない」
>「明らかでないことを根拠にできない」という話です。
要するにs会としては、
A:「山科」の記述が「建立当初である」(この場合は、蓮如上人は
「木造本尊」を安置した)
B:「山科」の記述が「建立当初ではない」(この場合は、蓮如上人が
安置した本尊が何かは「不明」)
Aか、Bかは「明らかでない」ので、今のところは、どちらの可能性も排除
しないということでいいね?
906 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 13:05:08 ID:ULmz6IQb
907 :
老子を読んでね。:2006/03/03(金) 13:06:45 ID:Eg/h8GEA
いろんな意味で、ご苦労様だ。
909 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 20:31:53 ID:Up/FjlNB
>>904 >渡海さんが指摘してシンパはひたすら無視してましたが、
すいませんが、この人の書いたことは全然読んでません。
昔から、でたらめ書いて追求されると無視して暴言を書き続けるひとですから
レスする価値ないと思っています。
この文ですね。
「いままたこれを案ずるに、なお専修をすぐれたりとす。そのゆえは、もとよ
り濁世の凡夫なり。ことにふれてさわりおおし。弥陀これをかがみて易行の道を
おしえたまえり。ひめもすにあそびたわぶるるは、散乱増のものなり。よもすが
らねぶるは、睡眠増のものなり。これみな煩悩の所為なり。たちがたく伏しがた
し。あそびやまば念仏をとなえ、ねぶりさめば本願をおもいいずべし。専修の行
にそむかず。一万遍をとなえて、そののちに他経・他仏を持念せんは、うちきく
ところたくみなれども、念仏、たれか一万遍にかぎれとさだめし。精進の機なら
ば、ひめもすにとなうべし。念珠をとらば、弥陀の名号をとなうべし。本尊にむ
かわば、弥陀の形像にむかうべし。ただちに弥陀の来迎をまつべし。なにのゆえ
か、八菩薩の示路をまたん。もっぱら、本願の引導をたのむべし。」
他仏と阿弥陀仏を分けて
他仏に向かわずに弥陀一仏に向けというお言葉だと思いますが。
名号と形像を分けて形像に向くのが可か不可かという根拠ではないでしょ。
「形像に向くのも悪くないのではないか」という根拠だといわれるなら
当然、この御文からは臨終来迎をたのむのもよろしいことになります。
それでは真宗ではなくなります。
唯信鈔文意には解釈されて
「教念弥陀専復専」というは、「教」は、おしうという、のりという。釈尊の教勅な
り。「念」は、心をおもいさだめて、ともかくもはたらかぬこころなり。すなわ
ち選択本願の名号を一向専修なれと、おしえたまう御ことなり。」と
「選択本願の名号を一向専修なれ」とちゃんと「名号」と仰っています。
910 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 20:34:48 ID:Up/FjlNB
>>904 >祖師が一度も本尊について言及していないことについて。
言及されてないもなにも
御真筆の「愚禿親鸞敬信尊号」と書かれた御名号が現存しています。
御本尊が御聖教以下に位置づけられる根拠は?
911 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 20:39:24 ID:Up/FjlNB
>>905 >だいたい、その「絵像より名号」にしても、蓮如上人の説であるということは、
「明らかでない」「根拠にできない」ということになるんだよね? s会説では。
会の代表なんてこんな落書き板に書き込みしませんよ。
どこからこういう話が出てくるのかさっぱりわからないのですが。
横レスなら誰かが山科の木像本尊の話にけりつけてからにしてください。
とんちんかんな質問でうやむやにされたくないので。
2chに逆らう奴は国家反逆罪で死刑にできる法律が必要だな
うひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ
913 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:10:53 ID:QviT0z0Y
これって、W部さんの作った反論サイトですか?
『マインドコントロールとは何か?
「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について』
http://mindcontrol.skystorm.net/ W部さん、マインドコントロールと言われることを、相当意識しているみたいね。
悪いイメージを必死で払拭したいんだろうな・・・。しかし、
> 「親鸞会はマインドコントロールをしているのではないか」という批判があるようです。
> いまどき、こんなカビの生えた言葉を持ち出すこと自体、すでに時代遅れなのですが、
「カビの生えた言葉」と言いながら、
> 「宗教団体ということをカモフラージュしている」
> 結局、ここが最も問題なのだといいたいようですが、これでは、大山鳴動して、ネズミ一匹にもなりません。
> せっかく、マインドコントロールという問題を取り上げながら、実に薄っぺらい内容です。
「せっかく、マインドコントロールという問題を取り上げながら」なんて、言っているし。
そして、そのあとは、
> そもそも「マインドコントロール」などと言う、定義もあいまいなこの言葉には、学問的に
> 発展する要素はほとんどありません。
>
> だから今は、誰もこんな言葉すら使わないのです。(ごく一部を除いては)
こんなこと言ってる。なんか必死だね、W部さん・・・。
914 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:15:53 ID:QviT0z0Y
>>913の続き
>類似性
> ところで、マインドコントロールの手法といわれるものは、行為自体は一般社会においてよく行われていることであり、
> 礼儀としても当たり前のことですね。社員教育では、こういうことを徹底的に叩き込まれるでしょう。
> 学生時代から身につけていたら、むしろ「気配りのできる若者だ。しっかりしているね」、と評価されるかもしれません。
>
> 「オウム真理教などの破壊的カルトで用いる手法」を学者が「マインドコントロール」と名づけたからといって、
> それ自体は違法でも反社会的な行為でもない。ましてや、類似したことをしているからといって、
> 「だから破壊的カルトだ」と言えないことは、言うまでもありません。
>マインドコントロール論争は、やはり不毛
> 結局、宗教でマインドコントロールがどうの、というのは、それ自体、ほとんど不毛な議論になるのです。
>
> 一つの教義を布教すること自体が、マインドコントロールと言えば、いえるからです。いや、もっと広く言ってしまえば、
> すべての宗教、思想、教育、広告、セールス、相手に何かを伝えようとする人間の行為そのものが、
> 他者に与えるマインドコントロールになるからです。
>
> 逆に言えば、人間の思っていること、信じていることは、親や友だちと話し合った、教師から教えられた、本で読んだ、
> テレビや映画、ネットを見たなどなど、他者からの影響でないものは一つもありません。
>
結局、こういうのみてると、「マインドコントロールなんて一般社会でも行われていることだ。親鸞会がやって何が悪い!」
っていいたいのかな・・・。
915 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:22:02 ID:QviT0z0Y
>>914の続き
> さらに、「みなさんのご両親で、聞きたい人があったら、どうぞ部室に来ていただいてけっこうですよ」とか、
> 「本物かどうか確かめたい、という家族の方は、どうぞ講演会にらしてください」と呼びかけられてもいるようです。
>
>実にオープンではありませんか。
>事実、そうして親鸞聖人の教えとご縁を結ばれ、高森先生の講演会に参詣されるようになるご両親も、
>数多く見受けられます。これらの方も、マインドコントロールされているのでしょうか。さすがに、そうは言えないでしょう。
「実にオープン!」って、具体例一つだけだし・・・。
じゃあ、「引き離し対策」とか「親対策」、あと「兼部カット」なんてやるなよ!!って言いたい。
親鸞会必殺育成法
http://shinrankai.hp.infoseek.co.jp/data/ikuseihou.pdf
916 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:31:11 ID:zORpTpir
>>915 オープンって言ったって、
見せられるのはごく一部だからね。
その「ご両親」とやらに、
新勧の準備会合とか、幹部会合とか、
裏表無く見せてみいと言いたくなる。
917 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:42:20 ID:TKJGqhUl
>>909 >「教念弥陀専復専」というは、「教」は、おしうという、のりという。釈尊の教勅な
>り。「念」は、心をおもいさだめて、ともかくもはたらかぬこころなり。すなわ
>ち選択本願の名号を一向専修なれと、おしえたまう御ことなり。」と
>「選択本願の名号を一向専修なれ」とちゃんと「名号」と仰っています。
「選択本願の名号を一向専修なれ」って、(自分の三業で以って)「『名号本尊』
を拝め」って意味ですか? 違いますね。
「聞其名号」(仏願の生起本末をお聞かせいただく)の意味でしょう。
>>910 >御真筆の「愚禿親鸞敬信尊号」と書かれた御名号が現存しています。
それが、親鸞聖人が、真宗の教義安心のうえで、儀礼的な礼拝対象としての
(元来は、密教の概念である)「本尊」が必要であると言われてる根拠にな
るとお考えですか?
まあ、「『本尊』を祀る 」「『本尊』を拝む」という儀礼を決して否定され
てなかった根拠ではあると思いますが。
918 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:46:21 ID:t7aoRK90
>親鸞会必殺育成法
これが本物で改竄されてない根拠は出さずじまいだけど。
アンチは何の根拠もない批判ばかりで気楽だな。
919 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 21:47:33 ID:TKJGqhUl
>>911 >会の代表なんてこんな落書き板に書き込みしませんよ。
では、
だいたい、その「絵像より名号」にしても、蓮如上人の説であるということは、
「明らかでない」「根拠にできない」ということになるんだよね? (s会シン
パのあなたたの説では。
なら、いいんですね?
920 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:00:38 ID:zORpTpir
>>918 必殺育成法
改ざん改ざんと仰るのも気楽ですが、
私は資料そのものは見たことありませんが、
私が経験してきた親鸞会での活動は、必殺育成法そのものでしたよ。
第一、改ざんしていた偽物なら、
どうして著作権侵害でW部弘宣部長が削除要請なんて出すんですか?
自分のところの資料だから著作権侵害を主張出来るんでしょ。
921 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:08:46 ID:TKJGqhUl
>>909 >名号と形像を分けて形像に向くのが可か不可かという根拠ではないでしょ。
そもそも、いわゆるアンチサイドの多くの人のs会(あるいは、このスレにいけ
シンパの)主張に対する疑問乃至批判としては、「礼拝対象としての本尊」を「名号」
と形像に分けて(念を押しときますが、歴史的事実としてこの二種類の「本尊形式」
が、存在することを否定されてる方はいなかったと思います。)、親鸞聖人(や蓮師)
が「礼拝対象としての本尊」として、「形像を本尊として安置、礼拝すること」を
「不可」として排斥された根拠は無いということではなかったでしょうか?
922 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/03/03(金) 22:12:15 ID:/A3pOZDb
>>904 >この御文からは臨終来迎をたのむのもよろしいことになります。
唯信鈔の来迎は、臨終来迎の意味じゃないよ。
但有称名皆得往 観音勢至自来迎
彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
この意味の来迎だからね。来迎の意味は唯信抄文意で説明している。
議論のすり替えは止めようね。
923 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:12:33 ID:QviT0z0Y
924 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/03/03(金) 22:15:48 ID:/A3pOZDb
925 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:35:40 ID:BuHz3iqt
“なぜ、人命は地球よりも重いのか””なぜ、万人は平等なのか”
その本当の答えを、私たちは探し続けているのです。
926 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:36:52 ID:BuHz3iqt
生まれてくるのも、死んでゆくのも一人ぼっち。独生独死独去独来の人生を、無底の暗黒に向かって生きているのが、
すべての人間の実相。
927 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:37:37 ID:zORpTpir
>>923 そうだね。無責任に改ざんだって主張するなら、
どこが改ざんなのか、どこが事実と異なっているのか、教えて欲しい。
必殺育成法のこの部分が事実と異なるって言えば良いだけ。
簡単でしょ?なぜそれができないの?
無責任に改ざんだ改ざんだって言うのは楽チンだけど、
それじゃ誰も納得しない。(思考停止の親鸞会会員は違うかも知れないが)
例のホリエモンメールだって、メールクライアントのヴァージョンが違うとか、
署名欄が不自然だとかの指摘があった。
そういう指摘はないのかな?親鸞会会員さん。
928 :
名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 22:38:06 ID:BuHz3iqt
電光朝露の夢、幻がさめた時、死出の山路、三塗の大河をたった一人で
渡ってゆかねばならぬわが身の姿に泣くのです。
929 :
元々ぼら夫:2006/03/03(金) 22:49:57 ID:RYOSdqsa
乙〜☆
すんませんねぇ、お待たせしても〜て。やっと、お彼岸の参詣案内を発送しおわんぬ♪
ま、一息ついでにカキコしまつね。まず、『山科御坊事(1)』を先入観なくフツーに読んでみる。
タイトルには『山科御坊事並其時代事』とあるから、フムフムこれは、山科本願寺の事
及びその時代の事を述べようとする書物なんだな、とわかる。(1)の書き出しは、
わづかに55年のあひだ、とあるから、なるほど、半世紀しか存在せんかったお寺なんだ
って読み手は受け取る罠。
〜つづく〜
2chを批判する国賊は国外へ追放したいですね
2chを批判する=日本を批判すること
こういう連中をのさばらせるな。自由にさせるな。法律作って追放しよう!
931 :
元々ぼら夫:2006/03/03(金) 23:27:56 ID:RYOSdqsa
>>929つづき
で、今は鳥のすみかと化したこの地に、なんで本願寺が建ったんかいな?
という理由について、法敬(順誓)坊(蓮如の上足の弟子、御一代記聞書・実悟記に、
蓮如から頂いた名号が焼けてしまったが、それが六体の仏になったと見て、不思議な事だと
思って蓮師に話すと蓮師は、仏が仏になるのは別段不思議ではない。悪凡夫が
弥陀たのむ一念で仏に成ることこそ不思議なことよ、と答えた、というエピソードが
ある)(ナンマンダブナンマンダブ☆)そういった法敬坊が、この土地を特に選んだと言う。
〜つづく〜
932 :
元々ぼら夫:2006/03/03(金) 23:47:12 ID:RYOSdqsa
>>831つづき
さらに、善従(『山科御坊事』本文では従善となっとる)坊(金が森の道西)が、かつて、
まだ山科建立など話にも上がらなかった頃、用事で山科近辺を通り過ぎる途中、
わざわざ籠から降りて、その場所を指し「この道すじに仏法がひらけるであろう」
と言った。皆は年寄のもうろくと思っていたが、今、山科本願寺が建立され繁昌するのを
見及んで、不思議なことやと言いあったという。(『聞書(200)』)
そんないきさつをもつ土地が山科であったんやなあ、と読み手は思う罠。
〜つづく〜
>>930 >2chを批判する国賊は国外へ追放したいですね
>2chを批判する=日本を批判すること
>こういう連中をのさばらせるな。自由にさせるな。法律作って追放しよう!
やれるもんならやってみな。
934 :
名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:00:03 ID:zORpTpir
>>933 W部さんの指示ですか?
こういうくだらない事いい加減やめませんか?
虚しくないですか?
936 :
元々ぼら夫:2006/03/04(土) 00:01:53 ID:RYOSdqsa
スマソ
>>932のレスアンカーは
>>931也。疲れとるんやろか♪
>>932つづき
そういった土地に、堺にあったお寺の座敷がひとまず移築され、仮の御坊が建った。
ほどなくして、御真影(木像)安置のための御影堂が建ち、お墓所でなくお寺としては、
阿弥陀堂がなきゃならんってことで、阿弥陀堂が建ちました、と。で、阿弥陀堂は
どないな様相だったん?というと、三間四面で、今現在ある石山本願寺の諸堂と同じ
様式だったと。それでご本尊は何?とくれば、木像本尊(安阿という仏師が造ったもの)
と実悟さんはゆ〜とる訳でつね。
〜つづく〜
937 :
名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:04:42 ID:zORpTpir
938 :
名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:05:30 ID:Tmv7aU32
>>936 ボラ夫さん、頑張ってください。
応援しています。
∧_∧
( ´∀` ) このゴミ、どこに捨てたらいい?
/⌒ `ヽ
/ / ノ.\_M
( /ヽ |\___E)
\ / | / \
( _ノ | / ウワァァン ヽ
| / / |ヽ(`Д´)ノ|
| / / ヽ 渡海 難ノ
( ) )  ̄ ̄ ̄
| | /
| | |.
/ |\ \
∠/
940 :
元々ぼら夫:2006/03/04(土) 00:23:01 ID:+9+Sbzhu
>>936つづき
故に、な〜んの先入観もなく、この書を読めば、現在なんにも無くなっちゃった山科御坊→
建立前の土地にど〜ゆ〜いきさつがあったんか→建立の当初(堺御坊座敷移築→仮御坊→
御影堂建立→阿弥陀堂建立)→そして、その本尊と荘厳、と見るのが至極フツーの読み方やね。
で、それだけじゃものたりへんって方のためには、『帖外御文章』(62)が建立当初を、
蓮如上人みずから述懐しとりますので、リクエストあれば、解読しましょか?これも『山科御坊事』の
記事を裏付けるものになる。ま、明日もあるんで、本日はここまで〜☆
(^-^)/バイチャ♪
永遠に(^-^)/バイチャ♪
942 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2006/03/04(土) 00:29:54 ID:Rql2mMCC
>>909 >「選択本願の名号を一向専修なれ」とちゃんと「名号」と仰っています。
「専修」について二種あり、一つにはただ仏名を称す、二つには五専あり。 〜 (五専はみな)辺地・
胎宮・懈慢界の業因なり。かるがゆえに極楽に生まるといえども、三宝を見たてまつらず。
(教行信証)
親鸞が言う専修とは、ただ仏名を称することである。
ここまでは議論に対立はないようだ。
親鸞会の見解 仏名を称するとは、南無阿弥陀仏と書いた紙を礼拝すること。
渡海難の見解 仏名を称するとは、南無阿弥陀仏を声に出し、口で称えること。
「仏名を称することは、南無阿弥陀仏と書いた紙を礼拝することである。」親鸞会はそのように考え
ているんですね。違いますか?。仏名を称することは南無阿弥陀仏を声に出し、口で称えることだと
教わっていますか?。「仏名を称するとは、南無阿弥陀仏と書いた紙を礼拝すること」であると言え
ば、そういう見解は、仏教史上親鸞会が初めてだろう。
「仏名を称するとは、南無阿弥陀仏と書いた紙を礼拝すること。」このように考えれば、絵像や木像を
本尊して礼拝すれば、それは間違いということになる。
親鸞会は、基本的なことで間違いをしているんじゃないか?
「仏名を称するとは、南無阿弥陀仏と書いた紙を礼拝すること」であるといえば間違いである。仏名
を称するとは、南無阿弥陀仏を声に出し、口で称えることなんですよ。
「仏名を称するとは、南無阿弥陀仏と書いた紙を礼拝すること」と言えば、親鸞会のその見解は間
違いである。どうですか?。これに、証明が必要ですか?。
ボラ夫さんは このスレのオアシスです。
944 :
名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:32:43 ID:Tmv7aU32
>>940 ボラ夫さん、ありがとう。
普通の読み方を教えて頂きました。
帖外御文章の解説、
宜しくお願いします。期待しています。
渡海難は このスレのゴキブリです。
946 :
名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:35:37 ID:Tmv7aU32
>>945 恥知らずさんよ、人の事をゴキブリとか言う前に、
ちゃんと彼の意見に反論なり考察なりしたらどうだ。
君の姿勢は盗作してそれを自分の著作だと言い張っている、
恥知らずの高森顕徹に通じるものがある。
自覚せよ。
948 :
名無しさん@3周年:2006/03/04(土) 00:45:11 ID:Tmv7aU32
>>947 現会員でネト対策員のO田様も同じような趣味であらせられますよ。
正直信じられません。
渡海難の姿勢は盗作してそれを自分の著作だと言い張っていて、
恥知らずと言われている高森顕徹大先生とは比べものにならない
激しい池沼である。
何回2ちゃんを止めると言ったことかw