唯識説における空の思想について語ろう

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実在論と観念論、
空の定義について深くしりたい
2名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 03:04:40 ID:P/gLPm/x
むしろイ`
3名無しさん@3周年:2006/01/20(金) 13:08:57 ID:8MTbNGCs
余裕の3ゲット  フォーおまんこしたい!!
4名無しさん@3周年:2006/01/25(水) 02:29:23 ID:74pyOyzy
由仮説我法 有種種相転 彼依識所変 此能変唯三
謂異熟思量 及了別境識 初阿頼耶識 異熟一切種
不可知執受 処了常与触 作意受想思 相応唯捨受
5名無しさん@3周年:2006/01/30(月) 02:49:31 ID:mLl2gakO
唯識は空を実存において完成するものである
6名無しさん@3周年:2006/02/07(火) 04:40:32 ID:L8QImqrm
唯識思想は人間の悪が何故生まれるのか そしてそのことを如何に解決するかを説く人間救済の理論である
7名無しさん@3周年:2006/02/07(火) 04:44:40 ID:L8QImqrm
唯識三年倶舎八年
8名無しさん@3周年:2006/02/08(水) 03:29:11 ID:P9DsXLgZ
一切の法は他によって存在する であればそれは自性がない 自性がなければ その存在は空である では空なるものを認識している自己とはそもそも何者なのか? 我々が認識しているものはいかなる存在なのか?そもそも存在とは何か?
9名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 03:03:34 ID:kQgf7fPJ
人間はどうしても物事を二元的に考えてしまうけど 唯識の修行者達がその認識のあり方を まず自己認識の徹底した分析から出発しているのは とても良い 何故なら時代が変わっても常に真だから
10名無しさん@3周年:2006/02/17(金) 22:38:23 ID:yEGvlq6z
このスレは続きそうもないな
11名無しさん@3周年:2006/02/21(火) 12:25:57 ID:5G2bHCFX
↑確に[空]についての話題は難しい ちょっと高級な話題だね 一般人にはなじまない
12名無しさん@3周年:2006/02/21(火) 18:29:29 ID:f2y1R4Ae
空って、そら?から?
13南無大師遍照金剛:2006/02/21(火) 18:38:13 ID:WOKKh0qw
(゜_゜)vー〜クウ
14名無しさん@3周年:2006/02/21(火) 18:53:55 ID:MHRosdzp
空観について一般的な説明は知ってるが、ではいざ実際に空の世界を考慮して生きてるかと言うと心許無い
15名無しさん@3周年:2006/02/22(水) 22:45:25 ID:oNtqxltU
空の世界などという概念は無い。
世界は空である、なら正しい。
世界は空でない、も正しい。
16名無しさん@3周年:2006/02/23(木) 00:41:58 ID:Xk4dkh3y
三自性
三無自性
17名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 22:38:31 ID:7XPl1I8D
唯識説は、スタチックな空観から脱却して、空・不空を超越する覚りへの心の遷移をダイナミックに説く。
18名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 22:44:09 ID:YKBWaRMn
唯識は仏教としてまちがえだという人もいる
が、境地がホンモノに近ければ実質問題ない。
19名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 23:01:22 ID:7XPl1I8D
>>18
よくわからない。
ホンモノとは?
ホンモノに近いとは?
20名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 23:30:08 ID:J5Wa/BRN
唯識を極めるにはヨガの修行が必要。
21名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 12:37:52 ID:KIB5wTwx
↑そこが重要ですね 五重唯識観の修行については薬師寺周辺から漏れてきませんね 唯識仏教は修行者と学者の仏教だけどいいとこついているんだがなぁ
22名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 11:39:47 ID:LJ+bNzCX
今日の新聞にロダンの考える人の像が載っていた アコには苦悩する姿にしか見えない それに比べれば中宮寺の弥勒菩薩像は苦悩を断ち切り空を表現する完成された人格を感じるなぁ
23名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 11:49:56 ID:LJ+bNzCX
続き)自然を人間に都合のよいように変えようとする民族と 自らが宇宙そのものなろうと考える思想の違いが如実に表現されている
24南無大師遍照金剛:2006/03/05(日) 11:54:13 ID:RtJtf6zj
(゜_゜)ホォホォ
25名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 11:54:33 ID:KahQI6rJ
>>21

唯識は密教のように公開されない修業があるんですか。

それは残念です。公開されるに足る自信がないものと個人的
にはうけとめます。
26名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 14:53:14 ID:LJ+bNzCX
↑それは誤解のように思う そもそも仏教は出家の教え 世俗におりてきて救うということは後代の教え 世俗のままでは成仏はありえ無いというのが基本 釈迦はそれほど八方美人ではなかった 唯識仏教では未だに葬式はしない 釈迦の教えからはそれは正解
27中観派:2006/03/05(日) 14:57:58 ID:vgWS+QiW
>>25
中道的に考えると教えを強制することはできず、教えを請いに来た人だけに
教えを説く。
28中観派:2006/03/05(日) 15:14:10 ID:vgWS+QiW
辞書には唯識派は中観派と共にインド大乗仏教の二大系統の一と書いてありますが、
中観派は唯識派の中に属するのですか?それとも唯識派と中観派は別ものなの
ですか?
29名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 16:47:00 ID:5L/x6peJ
>>28
別物です。

中観派は、それまでの部派仏教(アビダルマ、説一切有部)に対して
これを完全に否定しますが、
唯識派は、アビダルマの教理を一部引き継いでアラヤ識縁起を大成させました。
また、唯識派は中観派に対して「空(という概念)に捕らわれ過ぎる傾向がある」として
批判することもあったようです。

・・・と言っても、唯識派の提唱したアラヤ識縁起は、
やはり説一切有部に対する根本的なアンチテーゼが基礎にありました。
別々の流れを持ちますが、
中観派・唯識派共に諸法無我・一切空が教理の根本にあったことは共通項としてみていいと思います。
まあいずれも、いわゆる般若経典群を根本に置く教派ですからね。

唯識派が中観派に批判した件については、
中観派内でも「空執」といって、「空(という概念)に執着する迷い」を戒めてもいます。
30中観派:2006/03/05(日) 17:10:59 ID:vgWS+QiW
>>29
中観派の空(という概念)に執着する迷いとはたとえば地球は絶対あるのに「地球はあるかもしれないしない
かもしれない」と考えることですか?
31名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 17:27:10 ID:5L/x6peJ
>>30
う〜ん、察するにですが、「空執」というのは、いわば
「真理としての空を感得している状態ではなく、
『空』という意識(←唯識で言うところの)に捕らわれている状態」
みたいなものかと思います。
32名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 17:36:25 ID:5L/x6peJ
>>31補足
つまり、あえて言うならば
「真理として全人格的に体得される『空』」と、
「第六意識において概念として生み出される『空』」というのがあって、
「空執」というのは、後者に執じるということかと思います。

勿論、意識において「空」を知覚することは、
一切空の感得に至る階梯として大事なことです。
これがなければ、教理を学ぶことすらできません。
しかし、そこに留まっていてはいけないぞ、という戒めでしょう。
33中観派:2006/03/05(日) 17:41:43 ID:vgWS+QiW
>>32
概念として生み出される『空』の具体例を教えてください。
34名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 17:55:47 ID:5L/x6peJ
>>33
そうですね・・・具体的にと言われても、心の中のことなので
どこまで言及できるかわかりませんが、私の場合で言いますと
例えば、般若心経を読んでいて
「色即是空 空即是色」の一文に差し掛かる。
このときに、私などはこれまで仏教書などで読んできた
「空」についての解説なり、一切が流転輪廻する様を茫洋と想起したりします。
また、
もうじき桜の季節にもなりますが、散りゆく桜を見てはふと
諸行無常、延いては一切空の教理について思い浮かべたりなどしますが、
こうして思い浮かべたりするところの「空」は
意識において概念として生み出しているものだと思います。

概念として生み出されるものに執するのは、これは我執ですから、
それについて戒められるのではないでしょうか。
35中観派:2006/03/05(日) 18:04:58 ID:vgWS+QiW
>>34
分かりました。概念にとらわれすぎず、概念を考えなさすぎずですね。
36名無しさん@3周年:2006/03/05(日) 18:23:47 ID:5L/x6peJ
>>35
そうですね。
必要なものでもあり、執じてはならないものでもあり。
夕飯の準備をするのでまたねノシ
37瑜伽行中観派:2006/03/05(日) 20:57:03 ID:LJ+bNzCX
唯識は中観派の空の直系である 瑜伽行派の無相唯識派と中観派の結び付き
38名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 01:03:10 ID:e+Q1vmT4
ヴァスバンドゥage
39名無しさん@3周年:2006/03/07(火) 12:10:45 ID:bD6YH7Yx
↑すごい 天才だなぁ
40名無しさん@3周年:2006/03/11(土) 00:53:24 ID:NhzDE1FI
アーラーヤー!
41名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 10:23:36 ID:BleBgYlu
このスレは空を体現しているものです
42名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 11:49:00 ID:/leVyiQ6


43名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 12:35:45 ID:V8IGL0cQ
「空」を「真如」と同義語のように使っている人が
けっこう多いような気がします。
でも、「空」は「妄念」「妄想」「実体がない」という、
否定的な意味が強いでしょう?
般若心経で
「舎利子よ。
色(物質)は真如と異なるものではない。
真如は色と異なるものではない。
すなわち色は真如であり、
真如は色だ。
受・想・行・識も同様である。」
というのより、
「舎利子よ。
色(物質)は実体のない妄想と異なるものではない。
実体のない妄想は色と異なるものではない。
すなわち色は実体のない妄想であり、
実体のない妄想は色だ。
受・想・行・識も同様である。」
というほうが、 私はしっくりきます。
唯識は、実体のない妄想(空)を除き去った状態をめざしますね。
44名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 12:40:42 ID:Y4esERlC
空即真如、
真如即空。

否定即肯定、
肯定即否定。

創造即破壊、
破壊即創造。
45名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 12:50:34 ID:V8IGL0cQ
《『否定即妄想 肯定即妄想
破壊即妄想 想像即妄想
「あ、妄想しちゃった」即妄想
「これが真如だ」即妄想
…ではないかなぁ?』
即妄想》
即妄想…
46名無しさん@3周年:2006/03/18(土) 13:06:25 ID:V8IGL0cQ
浄土教の祖である世親菩薩の説いた五念門においては、
作願門(意で往生極楽を願う)をシャマタ行とし、
観察門(意で阿弥陀仏や浄土の相を観じる)をビバシャナ行とします。
心で一心に往生を願う時も、それ以外の雑念が心に浮かんでくる。
それらの雑念は空である妄念であるので追わないようにする。
これがサマタ行になる。
そうして妄念を払いつつ、
阿弥陀仏を観想することを意識的にする。
勝手に湧いてくる妄念は追わず、
心の中を、智慧をもって自覚的に観ずる行のみとする。
結果、心の中のできごとに目覚めているようになり、
心の主催者、支配者となる。
五感からの刺激に感情が反射的に波立ったときも、
口に南無阿弥陀仏と称え、往生を願って阿弥陀仏を想うだけで、
瞬時に感情を制することもできる。
おまけに、極楽にも往生できる、一石二鳥の修行。
47名無しさん@3周年:2006/03/21(火) 17:48:49 ID:CZjEZQrZ
阿弥陀仏即妄想?
48けちゃっぷ:2006/03/22(水) 08:15:57 ID:7FZPxH5q
>>47 阿弥陀仏即空、即妄想。
49名無しさん@3周年:2006/03/22(水) 15:34:17 ID:KrmcVFBO
आत्मधर्मोपचारो हि विविधो यः प्रवर्तते।
विज्ञानपरिणामे ऽसौ परिणामः स च त्रिधा॥ १॥

唯識三十頌 triṁśikāvijñaptikārikāḥ 梵漢対照
ttp://www.nyx.net/~dbachman/sanskrit/trimsika_chinese.htm

□になってる字はMS-IE以外、NetscapeとかFirefoxとかなら見える。
MS-IEでもメモ帳とかにコピーすれば見える。
50名無しさん@3周年:2006/04/10(月) 13:57:42 ID:1fbb56Uf
http://miyashita1.hp.infoseek.co.jp/qqq/shugyou%20.htmより引用

『唯識三十頌釈』(ステラマティ)・・・目的@人・法無我を教えるため。その
ことによって煩悩障(我執による煩悩)所知障(法執による煩悩)の二障を
断じ、解脱(涅槃)と一切智者性(菩提)を得させるため A二無我を説く
ことによって、唯識という理を理解させ、悟りの智慧(十地の初地以上)を
開かせる唯識(の道)に次第に入っていかせるため B外界が実在す
ると主張したり、究極(勝義)において、識も何もかも一切は無いと主張し
たりする極端な見解を打破するため。
51名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 16:55:32 ID:EXFG/h3j
ここで言ってる「唯識」と名づけられたものとは、要するに簡単に言えば
何でしょうか、それは要するに、どうも

  「妄念には実体がないのだから、そんなものにとらわれになって
   悩むことはない、そういう実体のないものなのだから、そうだと
   はっきり認識すれば自然に消えていくでしょう、そんなものだよ、
   だからそう悟って誰でも妄念から離れることができるでしょう、
   そうすれば清浄なものだけが残るでしょう、それが悟りなわけです」

ということを主張している、と受け取って大差ないですか?これでよろしい
ですか、どうですか?

もし違うという場合は、そこでいろいろ書いておいてください。
52名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 17:38:27 ID:FCs6JPdl
vijnaptimatraとは(そのように)認識されたもののみという意味です。
日常では五根を通してしか世界を知りえない。
直接知覚するためにはヨーガを習修するしかない。
53名無しさん@3周年:2006/04/23(日) 22:10:08 ID:+L05VXRG
 唯識と深い関係があるのは金剛頂経の五相成身観ですね。
ただ唯識成立時から時間が経ているので、当時行われていたものと同じではなさそう。
54名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 08:20:09 ID:rj8r7inT
ヨーガには自律神経を整えるタイプのものと、クンダリーニ・ヨーガのように
自律神経を混乱させ、脳内麻薬を放出することで神秘体験を得るというもの
があると思っています。
瑜伽行派のヨーガはどちらに位置付けられるものなのでしょうか?
もし後者なのであれば、ドラッグに冒された妄想と正見をどのようにして区別
できるのでしょうか?
55名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 10:18:16 ID:qZ/uilzd
禅定を自律神経云々と捉えるのは、オウムのヘッドギアと同じ発想です。
そのような分析的発想では禅定は理解できません。
木を見て森を見ずということです。
例えば、「恋愛」とは・・・前頭葉でドーパミンが云々
と言うようなもの。
まず仏教ヨーガはドラッグは用いません。
確かに禅定にはプリーティ(喜)が含まれますが、本質ではありません。
56名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 10:48:24 ID:rj8r7inT
>>55
お答えありがとうございます。
自律神経云々と書いたのは、クンダリーニ系ヨーガによる瞑想体験談を見るにつけて
「自律神経失調症の症状に似ている」と感じたためです。

>まず仏教ヨーガはドラッグは用いません。
どこかのカルト教団のようにドラッグを外用するなどとは思っていませんが、「火の呼吸」
などを行った場合、脳内に麻薬物質が放出され、あらぬ幻覚を見てしまうのではないかと
思っています。
こういったものに溺れず、正見を見極めることができるかどうかが判らないので質問した
次第です。

瑜伽行派のヨーガがこのように激しいものであるかどうかは知らないので、見当違いの
質問だというのでしたら、失礼の段お詫び申し上げます。
57名無しさん@3周年:2006/04/24(月) 22:27:48 ID:MvuUU3Gg
>>54
 クンダリーニ・ヨーガもヨガの一種なので同様に心身制御の技術です。
 幻覚を見たとしても基本的には精神のコントロール下にあるはずです。
 自律神経が混乱し、幻覚に溺れているならそれは自律神経失調症です。
 「火の呼吸」はハタ・ヨーガの技法を指しているのですか?
 仏教でも母タントラ系後期密教ではハタ・ヨーガ的な技術が含まれています。
 それ以前の瑜伽行派では行われていなかったのでは。
5854:2006/04/25(火) 10:18:31 ID:952rh2WL
>>57
>クンダリーニ・ヨーガもヨガの一種なので同様に心身制御の技術です。

はい。 私もそういう認識です。 ただ、一般的な健康ヨーガは自律神経を肉体と協調させ、
心身を同期させるものである反面、クンダリーニ系のヨーガは自律神経と肉体を乖離させ、
心身をバラバラにするものであるため、非日常的な体験につながりやすいと思っているの
です。 (そういった意味で師が必須であると考えています。)
なお、「火の呼吸」はクンダリーニ・ヨーガで用いられる呼吸法だと認識しています。

>幻覚を見たとしても基本的には精神のコントロール下にあるはずです。

ここのところがよく判らないのです。 瞑想下において自ら得たことが幻覚でないと言い切れる
自信がないという感じかな。 このため、そもそも唯識はなぜ瑜伽行を必要としたのかが納得
できないでいるのです。

この辺りを学べるものがあればご教授ください。

5957:2006/04/25(火) 21:08:27 ID:6dBk3trd
>>58
 健康ヨーガとはアーサナ(座法)中心のヨガの事ですか?
「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」では様々な座法の後でクンダリーニに関する技法も記述してます。
そこではお互いに相反する技法ではなく、一連の心身制御の技法群です。

 「火の呼吸」を用いるクンダリーニ・ヨーガとは、どの流派のどんなやり方ですか?
私が知っている有名な教典では心身をバラバラにするのではなく、心身統合について書かれています。
例えば「ヨーガ・クンダリー・ウパニシャド」や「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」等です。

 クンダリーニ・ヨーガは肉体的技法が多いので、見たものが幻覚かどうかで悩む必要はないのでは。
もちろん見えた光を使ってさらに禅定を深めるやり方もありますが。

 唯識は詳しくないのですが、似ているものに「数論」(サーンキャ説)がありますね。
数論を読むとまるで禅定から出る過程を説明しているかの様です。
数論もヨーガ学派と関係が深いので、唯識も瑜伽行の体験と関連していると思われます。
6054:2006/04/26(水) 07:58:45 ID:Q70trrgb
>>59
>健康ヨーガとはアーサナ(座法)中心のヨガの事ですか?

はい、そのつもりで書いていました。 でもクンダリーニに関する技法も記述されているものがあるわけですね。

クンダリーニ・ヨーガにも流派があるのですか。 それは知りませんでした。
うーん、、、頭が混乱してきた。 

唯識の瑜伽行を勉強する前に、体系的なヨーガを勉強する必要がありそうな気がしてきました。
何かお勧めのものはありますか?  質問ばかりで申し訳ないです。
6157:2006/04/26(水) 21:08:31 ID:ZJ2IxVk7
>>60
 クンダリーニ・ヨーガは教典、指導者、団体ごとに様々で決まった形はありません。
 唯識の瑜伽行は私も知らないので、どんなものか興味がありますね。
 お勧めのものですが、「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」を知らないのなら、とりあえずこれの日本語訳をお勧めします。
 ・「ヨーガ根本経典」(佐保田鶴治)平河出版
   「ヨーガ思想入門」の章があり、ここで「ヨーガ思想の歴史」と「サーンキャ哲学の概要」が大雑把ながら説明されてます。
   次にヨーガ学派の重要なテキストである「ヨーガ・スートラ」の訳があります。
   またハタ・ヨーガの代表的なテキスト、「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」の訳もあります。
  他にもいくつかありますが、まとまった良い解説書はあまりないようです。
6254:2006/04/27(木) 07:58:18 ID:zJIIWUrx
>>61
ありがとうございます。
まず「ヨーガ根本経典」に目を通し、「ヨーガ・スートラ」を読んでみようと思います。

>唯識の瑜伽行は私も知らないので、どんなものか興味がありますね。

そうですね。 ネットで調べても、この辺りの情報はほとんど見つけられなかったのですが、
とても興味をそそられるところです。
(唯識の八識についての文献的情報はそれなりにあるのですが、瑜伽行を飛び越えて一気に
 密教にまで飛んでしまっているようでミッシングリングを探しているような気になってきます。)
6357:2006/04/27(木) 20:47:06 ID:9bmiJbtL
>>62
 唯識成立後は徐々に関連した技法が確立していったのでしょうか。

 ただ唯識成立時はあまり複雑な技法はなかったのかもしれませんね。
例えば現在タイで行われてるような大乗仏教成立以前の技法のように。
ただ瞑想は技術よりも資質がものをいうので、弥勒、無着、世親にはそれで十分だったかもしれません。
6454:2006/04/28(金) 20:23:25 ID:GFp2zUzn
>>63
>ただ瞑想は技術よりも資質がものをいうので、弥勒、無着、世親にはそれで十分だったかもしれません。

うーん、、、技術よりも資質、、、それって凡夫にとってはちょっと悲しいですねぇ。
まぁ、千里の道も一歩からということもあるので、現世で修行したら来世ではちっとは
資質も備わってるかもしれないということに希望を抱いてがんばります。。。 ^^;

6557:2006/04/28(金) 21:30:17 ID:jUCKUL/V
>>64
 特別な資質が必要なのは新たな思想や技法体系を生み出す場合です。
普通の人は既にある優れたもの学んでいけばいいのでは。
6654:2006/04/29(土) 20:29:37 ID:2uAnBXHM
>>65
>特別な資質が必要なのは新たな思想や技法体系を生み出す場合です。
>普通の人は既にある優れたもの学んでいけばいいのでは。

なるほど、それは一安心です。 とは言え、やはり正しい師につくということが大事そうですね。
もう少し唯識の瑜伽行がメジャーになってると嬉しいんですが。
当面は基礎技術の獲得に邁進することにします。

ありがとうございました。
67名無しさん@3周年:2006/05/04(木) 17:56:10 ID:Xv70DmDI

人間というものは自分を固定した存在=肉体人間と思い誤まり、自分と他人を区別
して他人を苦しめたりあるいは物事に執着し業(カルマ)を作ったりします。あら
ゆる物質的存在を実在として認識している限り、五感・自我を中心とした歪んだ不
完全な認識しか出来ないからです。人間は本来、如来(大宇宙に遍満する叡智)で
あるため、本当は悩んだり苦しんだりすることはあり得ないのです。

「如来蔵経」(訳)・・・それらの煩悩の蔽いに纏われた衆生たちの内部に、その如来
と同じく一切を過つことなく認識する智慧をもち、眼をもった如来があって、坐禅
をくんで不動でいるのを見る。如来はこのように、煩悩によって汚された衆生たち
すべての内部に、如来の本性(=法性)が動くことなく存在し、衆生が輪廻の諸道
のいずれにあろうともなんら汚されないでいるのを見て、それら衆生の内なる如来
たちは、私とそっくりだ、と言う。

  http://miyashita1.hp.infoseek.co.jp/qqq/mikkyou.htmより引用
68名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 00:30:49 ID:mlZIneNc
>>43
>「空」を「真如」と同義語のように使っている人が
>けっこう多いような気がします。
>でも、「空」は「妄念」「妄想」「実体がない」という、
>否定的な意味が強いでしょう?


空と同義語としての真如は、妄分別すなわち散動の対象(境)となるもの
が何もないことを意味しているから、無相(animitta)と呼ばれます。
つまり真如は、無分別智が縁ずるところの境 のことです。無相の境を縁ずる
から、識るもとの識られるものとの平等平等な境智不二です。
三性に配当すれば、空・無相・真如は真実性に摂せられます。

*中辺分別論にも、真如が空と同義だという記述があります。

真如も空も無相も真実性も、共通項は無為法ですね。
69名無しさん@3周年:2006/05/18(木) 22:47:47 ID:ZmsIs3+Z
>>68
そういうことを語っていてはいかん。空もへったくれもないというものだ。
意識の中から空だの相だのを追い出すことだ。
般若経など、詠んだ途端に般若から遠ざかるのだ。
70宗教大学者:2006/05/20(土) 22:17:42 ID:IagQvelN
空は残念ながら定式化できません。仏教各宗派によって意味が違います。禅の空と真言の三蜜加持の空、唯識の空、おのおの宗教体験で定式化していますので相手側を否定してもむなしいことです。
71武庫川女子大学総長 ◆myPniVOfR6 :2006/05/21(日) 02:42:25 ID:c6CrDB+a
「空」とは千変万化に変わりゆく可能性のあるものの総称なのでは?
逆に、万古普遍のそれは「實」。
ま、とりあえずは自分ではそう定義させてもらっている次第でしてw
72名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 10:39:33 ID:aGEMN4aD
人智で定義できるのであれば空ではない。
そもそも空は人智を超越するものとして措定されたのであるが、元祖般若経典ですら端的に説明していない。
73宗教大学者:2006/05/21(日) 11:41:03 ID:K6f5aH++
諸行は壊法である、放逸ならずして、目的を完遂せよ、仏陀の最後の言葉、そこに空の深い意味あり。住することなくしてその心生ず。
74あぼーん:あぼーん
あぼーん
75名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 12:07:29 ID:aq1qAFxe
>>1
か、語れぬ・・・「空」は語りえぬのじゃ〜!
「語りえぬ」とも語れぬのじゃあぁぁぁぁぁ!

ハァッハァッ・・・ガクリ
76名無しさん@3周年:2006/05/21(日) 14:24:54 ID:lyPc4zau
↑語ることの出来ないところで語る! 禅僧はそこのところで苦しむ 六祖恵能しかり 白隠しかり
77宗教大学者:2006/05/21(日) 16:31:56 ID:K6f5aH++
唯識よりも中観派が主流の会話になりつつある。そういう私の生活感覚も、臨済禅的、中観派的だけれども、ま。唯識で語ろうや。
78宗教大学者:2006/05/21(日) 16:34:40 ID:K6f5aH++
唯識は識、認識のエネルギーのみぞ残る。ということで、真言の方のほうがおもしろいことがいえると思うが。いかが
79唯識瑜伽行派:2006/05/21(日) 19:02:03 ID:lyPc4zau
唯識でいう 相分の考え方は現代の環境問題について解決の糸口になるような気がする 特に瑜伽師地論のなかの分別瑜伽品で弥勒が請問するところは現代の量子論を先取りするものではないかな
80宗教大学者:2006/05/21(日) 19:43:56 ID:K6f5aH++
>79>唯識は心理学の完成させる力のほうがあるかんじがするのだが。環境問題は草木成仏の思想、天台、真言のほうがちからがあるかんじがする。いかが。
81唯識瑜伽行派:2006/05/21(日) 23:19:52 ID:lyPc4zau
73↑諸法は壊法である 仏教の冷徹な眼力はさすがですね 唯一信じられる物理学の法則 即ち熱力学第二法則 いわゆるエントロピーの法則をズバリ突いている 又最後の応無所住而生其心は悟りのなんたるかが表れている
82名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 17:33:09 ID:GfPr0Yu8
いいか、空は思想でもアイデアでもないのだ、ただ、何も有為を作り出していない
あるがままの姿なんです
83唯識瑜伽行派:2006/05/22(月) 20:09:39 ID:11tos0Eo
80↑ うーん ナルホド 考えさせますね 釈迦の慈悲は草木まで及びますからね
84唯識瑜伽行派:2006/05/22(月) 20:29:04 ID:11tos0Eo
唯識の最終目的はアラヤ識の転依 即ち転識得智に在るわけで 其処までいくと天台も律も華厳も ましてや禅も唯識も区別はないと思う 悟った者には経典や論書は必要ない 十牛図の人牛倶忘は其れを表している
85名無しさん@3周年:2006/05/22(月) 20:43:55 ID:jWHUecy8
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

86宗教大学者:2006/05/23(火) 18:12:41 ID:qr7TQ106
84<でも、臨済禅は相当変わっているからな。日常生活へこれでもか、と流入していく、仕事の集中力とか、出来事への対応力とか、一番極道で、サービス精神ゼロ、容赦なしだ、でも私の日常生活。
87宗教大学者:2006/05/23(火) 18:20:29 ID:qr7TQ106
唯識座禅は唯識に、認識のエネルギーにすべての現象を溶け込ます。仏の姿を自分の体と一体化する。参考薬師寺の僧、橋本ぎょういん和尚、コテコテの唯識原理主義者。
高田和尚の師匠、でも禅の山田無文和尚と仲良し。みなさんチャレンジだ。
88名無しさん@3周年:2006/05/23(火) 20:59:19 ID:WNjiTFLg
戦争に一番柔軟に融通できるのも禅だろう。
89唯識瑜伽行派:2006/05/24(水) 14:29:36 ID:fIco5OE/
86.87↑ ナルホド リンチー臨済義玄は希にみる天才 88↑ それはいえますね
90◇2ch従業員違法HP「yogavercity」◇:2006/05/24(水) 16:13:52 ID:SUHltpXM
◆2ch従業員違法HP「yogavercity」◆
ヨーガヴァーシティ(yogavercity)<※英語で検索すると出る>
というサイトがあるのですが、
http://homepage.mac.com/maharsin/2005/2005.html

このおっさん、外国の文献ひっぱりだしてきて、一部のヨーガ
団体の誹謗中傷しまくって、動画に流すし、団体の秘伝を
ほんの少しアレンジして、我がで考えたかのようにHPに
無断掲載するし、挙句の果てに、ヨーガ教材とかいって、
本名も身元(和歌山在住)も明かさず、HPで違法な商売するは
宗教的な電波を偉そうに流しているわりには、やってることが
目茶目茶(笑)以前からどこの誰なのか気になってたが、
なななんと、2ちゃんねる宗教板のスレ作りを担当している
2ちゃんねるの桜(プロ固定)だったのですね(苦笑
他の団体の悪口くそみそに書いて、違法行為やタブーのやりたい
放題やってる基地外なので、誰か本名と住所がわかる人は、
ぜひ教えてください(笑)http://maharsin.com/
91◇2ch従業員違法HP「yogavercity」◇:2006/05/24(水) 16:19:12 ID:SUHltpXM
◆2ch従業員違法HP「yogavercity」◆

俺はかつてこのおっさんほど異常な似非宗教家を見たことがない。
なにせ俺が知ってるだけでも、もう4,5年以上もの間、病的なまでに
SRF団体やパラマハンサヨガナンダのクリヤをインチキ扱いにし、
自分では実践もしないし、できもしないのにHPでは、クリヤAだのBだのと
ほんの少し自分でアレンジしたヨガナンダの秘儀を、我がで考案したかの
ように無断掲載して電波に垂れ流し、固有名詞や人名はカタカナやひらがなを
おりまぜて、検索されてもひっかからないよう、関係者の非難をできるだけ
避けるよう2ch掲示板まで使用して、同じことばかり何年もくりかえして
誹謗中傷しつづける異常者yogavercity ←このおっさんの名前と住所を
教えていただいた方には、賞金をつけま(笑)
92名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 16:23:58 ID:SUHltpXM
http://homepage.mac.com/maharsin/2005/2005.html

頭の正常な方なら、このおっさんのおかしさが、2,3分
HP見ただけで理解できるかと・・・・

何せ内容のわからないオナニー理論を延々と繰り返している
キモイものとなってるから(笑)
93:◇2ch従業員違法HP「yogavercity」◇ :2006/05/24(水) 16:28:26 ID:SUHltpXM
↑↑↑
平静を装っても、名前ランに入れている内容を自動的に削除させるよう
2ch管理側で設定していることがもろにばれているwww
こんなちょっとしたことからも、「yogavercity」のおっさんか
もしくは阿部将英が冷や汗タレナガラ見ていることがわかる(笑)
942ch宗教板従業員 阿部将英とは?:2006/05/24(水) 16:30:46 ID:SUHltpXM
■阿部将英どりーむろっじ★マルチ詐欺フルフィルメント瞑想
http://d-lodge.com/dream1-a.html 顔写真入りHP
★2ちゃんねる従業員宗教板運営担当阿部将英(覚せい剤中毒)
阿部将英の住所〒242-0021神奈川県大和市中央4−14−24−806在住
95あぼーん:あぼーん
あぼーん
96唯識瑜伽行派:2006/05/24(水) 19:32:57 ID:fIco5OE/
話しがそれてすみませんが…玄ジョウが持ってきたサンスクリットの経典1335巻はいったいどこに消えたんですかね? それと十七地経…
97名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 20:20:32 ID:4utr6imI
イスラム軍の侵略によって焼き尽くされたと聞いております。
98名無しさん@3周年:2006/05/24(水) 21:53:55 ID:WPBqo4Zu
>>96
玄奘に限らず、サンスクリット本は翻訳が終わると廃棄したようだ
一説では、玄奘が般若心経をつくり、さらにサンスクリットに翻訳したとか。。。
ここに↓
>>http://fkk.cside.com/framepage4
99唯識瑜伽行派:2006/05/25(木) 00:16:08 ID:eoCLMCb6
↑ナルホド これで長年の疑問が解けた サンスクリット原典が消滅しているのに般若心経だけはサンスクリット原典がある それも日本に伝っております
100唯識瑜伽行派:2006/05/25(木) 00:25:01 ID:eoCLMCb6
空を数式で表したらどうなりますかね?
101名無しさん@3周年:2006/05/25(木) 21:21:35 ID:Q+PfxEDB
102宗教大学者:2006/05/26(金) 20:22:04 ID:RsD3USa/
数式というよりも物理学的と考えたほうがいいだろう。中間派、無であり、唯識、浄土、真言等は粒子的であり、生命学者のやなぎさわけいこさんだったけ、いっさいは粒子であるといったのは名表現だと思うよ。
103宗教大学者:2006/05/26(金) 20:23:44 ID:RsD3USa/
102の一切は粒子である。般若心経の解釈のこと」
104名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 20:54:20 ID:g8+AYRRk
粒子の所依は何ですか?
粒子は粒子自体ですか?
105宗教大学者:2006/05/26(金) 20:57:22 ID:RsD3USa/
唯識では認識のエネルギー、真言では六大無碍、原子、大日如来の光、、浄土では無量寿光。
106宗教大学者:2006/05/26(金) 20:58:55 ID:RsD3USa/
おのおの体験しないと難しいね。禅では粒子は存在しない。
107名無しさん@3周年:2006/05/26(金) 22:44:50 ID:YYorSOr7
原子(粒子)実在論って、『唯識二十論』で反論されてるんじゃ中武?
108唯識瑜伽行派:2006/05/27(土) 00:52:36 ID:6ZBooag4
般若経の空を[説明]しているのが三性三無性だと理解しているが 間違いないだろうか? それにしても事物を説明するのに人間の言葉のなんたる不完全さよ!
109名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 01:10:47 ID:sX2YLvgp
↓なのがありました。(空を数式で表わすという命題に関して)

<ゼロ>というのは、何も無いのだけれども〔n−n=0〕〔nx0=0〕という式に於いて成立している......
中略――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ですから、ゼロにしても無限にしても、個々の凾数式の中に有用性を持って現れて来る性質が有るのです。
この凾数式というのは言わば縁起式で、ゼロや無限は、何も無い癖に凾数式の中に現れて、凾数式・凾数関
係を成立たせ・意味付けるもの・としての有用性の<働き>が在るのです。云々。
110名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 01:22:26 ID:sX2YLvgp
法界の流れとか大悲の所流というときの「流」は、
勝義諦と世俗諦との等質を意味しています。三性三無性は
浄品分である聞思修の三慧ですから、じっくり取り組むべきだと思いまする。
111唯識瑜伽行派:2006/05/27(土) 09:34:28 ID:6ZBooag4
109↑ で 其の数式は?
112名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 11:39:07 ID:qzziaAxI
空とは、数式自体も存在しない。
何らかの数式を措定すること自体、空から離れている。
実体として捕らえられず、概念としても捕らえられないから空と呼ぶ。
ところが、これを捕らえられると『識』が想ってしまう。
ここからの脱却をどう実践するか、という問いに対する一つの回答が
いわゆる唯識ということになります。
中観が、スタチックに空を説こうとするのに対し、
唯識は、具体的に、ダイナミックに空に到達することを説く。
113宗教大学者:2006/05/27(土) 15:30:37 ID:860vj5F/
臨済宗、曹洞宗、中観派は空を言葉では語らない。ところが、唯識、真言、天台、においては瞑想と経典の融合ゆえに言葉で語り、宗教体験とセットになっており言葉で説明
できないという立場は捨てるに近づく、宗教体験の世界を言葉で語らなければならないから。中観派の立場から言えば。唯識、真言、天台の体験世界や語りは異端となるだろうな。
114宗教大学者:2006/05/27(土) 15:38:07 ID:860vj5F/
中観派の流れの臨済宗、曹洞宗は言葉、表現否定するし、唯識は倶舎論とか小乗的な理論要素があり。それとの関連で空を語る。
115名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 18:45:16 ID:0GADy5K7
0ってふしぎだな。
0だけだとなんにもないのに
すうじのあとにつなげると
100000000000000000000000000000
ほら
すごいいっぱいになっちゃった

      3ねん3くみ たかふみ
116宗教大学者:2006/05/27(土) 18:47:15 ID:860vj5F/
無一物無尽蔵?????
117宗教大学者:2006/05/27(土) 18:52:56 ID:860vj5F/
粒子は空として、体験的に例え的にいったのよ。唯識は何なが残る感じがある。体験的に親切な思想だけれども。
禅は八識に一刀を下すで、破壊してしまうから。語れないというのがすっきり感がある。
118名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 18:53:48 ID:0GADy5K7
でもね
0.1000000000000000000000000000001
って、
いっぱいならべると
こんどはどんどんちいちゃくなるぞ
やっぱり0ってふしぎだな。

      3ねん3くみ たかふみ
119名無しさん@3周年:2006/05/27(土) 18:55:08 ID:0GADy5K7
みすった。
0.000000000000000000000000000001
どっちでも
いいか。
120宗教大学者:2006/05/27(土) 19:28:35 ID:860vj5F/
無上正覚公言せりき、だねーーーー
121名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 00:21:21 ID:ZjbHQvgX
>>111
>109↑ で 其の数式は?

ゼロを空に置き換えて、要するにそれは関係性の中において初めて意味合いを持つ
ということが解ればいいんじゃないですか。(数式自体への質問でしたら、そういう
板で聞いてみてください。m(__)m)
122名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 00:31:08 ID:ZjbHQvgX
>>112
>実体として捕らえられず、概念としても捕らえられないから空と呼ぶ。

まるきり捉えられない、気配すらない、文字通り不可得ならば、空という術語
さえも許されないのではないですか。心にしてもそうです。不可得と言いながら、
現に心と立名している。まるきり見聞覚知できないものに対しては、如来さえも
それを語ることは不可能でしょう。されども如来は、無分別智の生ずる所の大悲
に因りて、正法を安立して衆生を救済せんと欲し、大乗十二部経を説く。
123名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 00:48:18 ID:Qbqk+LsW
仮設
124名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 00:59:45 ID:V+pQD6w3
あらためて質問させてください。
「空」とはどういう意味?
「○○は空だ」とはどういう意味?
125名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 01:01:18 ID:V+pQD6w3
>>5 「空を完成する」という意味は?
126名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 01:24:42 ID:V+pQD6w3
>>68 空・無相・無願をまとめて三解脱門と呼びますよね。
空=無相なら、空(無相)と無願の二解脱門でいいのでは?
分別判断された法はすべて空であり真如ではない。
空ではない真如は無相である。
故に何かに執着したり欲したりしない、無願となる。
127名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 01:28:11 ID:V+pQD6w3
遍計所執性は空である。
円成実性は無相である。
故に覚者は何にも執着せず何も欲しがらない、無願の境地となる。
128名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 01:36:39 ID:V+pQD6w3
遍計所執性(空なる妄念)も、円成実性(無相なる真如)も、
依他起性(縁起・因果)である。
悟りも迷いも縁生縁滅。

覚者はそれについて、ありのままに目覚めている。
129名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 02:27:14 ID:AJbC/waW
E=mc^2
130唯識瑜伽行派:2006/05/28(日) 03:15:16 ID:bWRYnHVK
114↑ 頓悟とざん悟 いわゆる南宗と北宗ですか? もっとも唯識派の経典である解深密経等はアビダルマにドップリですからね 私みたいな能無しには此方のほうが合っているんですが
131宗教大学者:2006/05/28(日) 07:30:48 ID:NQsp9PbN

実は雑種なのです。禅は禅でも雑種。相当、密教的な力を借りている。5宗派の仏教の混合している。
唯識、浄土、日蓮宗、などは体験重視で捕らえているので表現がうまくできないときが多い。粒子の説明など。
132宗教大学者:2006/05/28(日) 07:31:18 ID:NQsp9PbN

実は雑種なのです。禅は禅でも雑種。相当、密教的な力を借りている。5宗派の仏教の混合している。
唯識、浄土、日蓮宗、などは体験重視で捕らえているので表現がうまくできないときが多い。粒子の説明など。
133名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 08:01:37 ID:Xpo01pNF
>>68
> 空・無相・無願をまとめて三解脱門と呼びますよね。
>空=無相なら、空(無相)と無願の二解脱門でいいのでは?

空・無相・無願といっても、三法が個々に独立してあるわけではないですからね。
三解脱とか二解脱とかと分解しなくてもいいんじゃないですか。
六識が生じるとき、常に六根に依止し、且つ六境として現れるように、空も無相
も無願も常に三人三脚で依り合っているんじゃないですか。

>>43
>「空」を「真如」と同義語のように使っている人が
>けっこう多いような気がします。
>でも、「空」は「妄念」「妄想」「実体がない」という、
>否定的な意味が強いでしょう?

(そっくりコピペは好まないけど)
空の原語はsunyata。玄奘訳では空性と空とを厳密に区別するが、真諦や羅汁は
sunyataも空と訳する。これは思想が違うからである。玄奘訳では空性は真如と
同じであり、二空所顕の真如というような場合の空は単に否定ないし無の意味で
ある。空性は無為の真如を意味するが、空は有為の妄法の否定を意味し、妄法が
無となることによって空性・真如が顕れる。有為と無為とは峻別される。羅汁や
真諦では妄法の否定がそのまま真如に融合する。ここでは有為と無為との間に不
二の関係がある。だから羅汁や真諦の伝えた空思想や唯識思想について空と空性
とを訳し分けるのは適切ではない。
134名無しさん@3周年:2006/05/28(日) 08:09:27 ID:Xpo01pNF
>>124
>「空」とはどういう意味?

一切諸法皆空ですから、不空も空だということです。不空だけ除外されたら、
皆空に反します。空不空無二です。しかしこれでは単に理法にすぎません。
実際の行においては、転依を得て初めてそれは成立するのだと思います。
135宗教大学者:2006/05/28(日) 09:17:05 ID:NQsp9PbN
>>124>>瞑想をしてみること、ちゃんとした仏教の師について。法相宗、天台宗、臨済宗、曹洞宗、南方仏教。おのおの表現は異なるが。体験的に知るのが大事
136唯識瑜伽行派:2006/05/29(月) 02:31:07 ID:clNFq87M
ちょっと一服 ここの書き込みはなかなかいい趣きをだしていますね 見捨てたもんじゃないな 唯識と空について続けましょう それではお次の方どうぞ!
137名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 02:33:25 ID:k6A/vcFu
グダグダ語るより135の言葉に尽きる。
138宗教大学者:2006/05/29(月) 18:13:01 ID:KgU7UiR2
唯識は、世親、無じゃくは、真言、密教、天台、浄土、日蓮宗、修験道の先祖という
感じがする。な何か巨大なエネルギーに収められるといった感じだ。先ほどの空だけれども、
エネルギー、粒子的なものに収められるという感じがするのだ。唯識はすべての現象を識に溶かし込むと
いった修道法から、体験的にそう思えるのだ。
139瑜伽行中観派:2006/05/29(月) 22:04:06 ID:clNFq87M
どちらさまか 五重唯識観についてご説明できるかたおりませんか
140名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 22:51:31 ID:hEGw3E5L
141名無しさん@3周年:2006/05/29(月) 23:00:37 ID:lPRm8IGY
    |┃≡
    |┃≡
 ガラッ.|┃∧∧    
.______|┃´・ω・) <つまらん、おまえたち言ってることはつまらん
    | と   l,)
______.|┃ノーJ_
142名無しさん@3周年:2006/05/31(水) 23:17:12 ID:xs8faLLm
心は自分の外には脱出できない 逆に心の外にも自分は脱出不可能 このことについては異論はないね?
143宗教大学者:2006/06/01(木) 04:09:18 ID:4tJ3oEpk
139<<よくわからんけど。薬師寺の橋本ぎょういん和尚がある仏像のすがた、仏の姿、目とか耳とか全身の部分を自分
の体に観想するというのは知っている。自分的には薬師寺の薬師如来を観想して識のみという感触は味わえるな。
144名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 06:51:33 ID:fbBLuFE0
・・・
145名無しさん@3周年:2006/06/01(木) 09:53:28 ID:pF0kDLva
中宮寺弥勒菩薩のアルカイックスマイルでも無条件に救われる
アルカイックスマイルをさせられたときに
146宗教大学者:2006/06/01(木) 17:53:51 ID:4tJ3oEpk
唯識の実践的な事で語れる方、聞きたい。こちらは密教的な力をとうして解釈しているので、横着にしか知らない。
147名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 07:25:29 ID:VM+TgffZ
あぁ僕と同じだねぇ
148名無しさん@3周年:2006/06/02(金) 12:16:20 ID:b+nIRRTy
自己の行の功徳を他者に回向(えこう)することについて、
唯識的な説明は可能でしょうか?
回向と転変は、同じ梵語から訳された言葉だったと思うのですが。
149宗教大学者:2006/06/02(金) 19:07:07 ID:tWaVJlS+
148<<よくわからんけど、仏の三身で他受用身かなんとかいとったやつだったかな。
うまく説明できる人お願い。大学者といいてはいるが、密教の力を借りて、解釈しているので、
はっきりと言葉は憶えてないよう。天台密教で顕教は密教だ星人なのでおぼえてない、賢い人
教えて差し上げて。
150名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 00:19:00 ID:pm6TDi/J
唯識の実践者というわけではないし、うまく「回向」に結び着くかはちょっと不明なのだけど、
『唯識三十頌』を読み返していて最近思うようになってきたことをつらつらと書いてみます。

第28偈「その時唯識に住する。二取の相を離れるが故に」とあるのは、
究極的に唯識観法によってまず至るのが、「二取」からの脱却であることを示す。
「二取」とは、我と世界とを分別vikalpaするという、我々の認識活動(妄想)の根源的作用なわけだが、
これを離れて無分別智へと転じる。即ち、識vijnanaから智・般若prajnaへの劇的な転回が果たされる。

ここで一旦、アラヤ識縁起から離れ、十二支縁起の流れでの「取」に置き換えて
このことを考えてみると、
現在の「取」から脱するゆえに、次の「有」は生起しない。ゆえに、次の「生」もなく、「老死」も起こらない。
また逆に現在の支を逆に観じていってみると、我と他との分別を滅(所知障から離脱)するが故に
前の「(渇)愛」や、「受」による楽・苦・不楽不苦といった作用も、執着する必然性がなく、解体されて無価値化される。
「触」、「六処」による認識作用は、「愛」や「受」に向かう必然性がない(煩悩障からの離脱)ので、三(四)法印・縁起・四諦をあるがままに観察して
これを「識」までダイレクトに伝える。
「識」は、三(四)法印・縁起・四諦をそのまま認識するので、これは「智」へと
「転依」する。かくて、過去において「無明」(真理に対しての昏さ・迷妄)であったことが
現在において解消され、今度はこの「智」に基づいての「行」が為されるようになる。
151名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 00:20:13 ID:pm6TDi/J
さて、ここでもう一度アラヤ識縁起の文脈に戻ってみる。
「転依」によって、「アラヤ識」は「大円鏡智」と転じる。
ゆがみなく一切をあるがままに観じるという円満なる智慧の鏡においては、
我ら衆生が無明によって苦しんでいる姿がそのまま映る。
私たち凡夫は、苦しんでいる人をみても「自分はもっと苦しい」とか「まだ助けを出さなくてもいいかな」とか
「俺にはカンケーないし」などと、煩悩に汚れた瞳で物事を捉えてしまい、
それによって自損損他して自らの悪しき業を積んでしまうわけだが、
大乗仏教において想定される仏覚者は、大円鏡智によって
衆生の苦しみをそのままこころに写し取ってしまうのだから、衆生の苦悩は即ち我が苦悩と観じられ、
いてもたってもいられなくなる。ここにおいて慈悲の心が発動する。
かつてのマナ識は平等性智に転じているゆえ、一切の衆生に向かって平等にこの慈悲を発する。
かつての前六識は妙観察智と転じているゆえ、衆生にむかって善巧方便を発動し、これを回向する。
・・・何気に繋がったかな・・・?

ここにおいて、自利利他円満の大乗的仏覚者像が浮かびあがる。
浄土仏教における「阿弥陀仏の本願力(他力)回向」であるとか、
密教における「森羅万象を通じて今まさに説法を回向する大日如来」といったブッダ観、
また、釈尊の過去世からの修養乃至初転法輪に至るという、行為そのものに慈悲を見出す法華久遠仏思想も、
この唯識思想の提示した「大円鏡智」という境涯の措定によって成立し得たのであり、
またここにおいて広く大乗諸派を会通しうる原点が確認できるのではないだろうか。

言葉使いで変なとこあったらごめんなさい。
まだまだ勉強中なおんで。広く識者のご鞭撻賜りたく。
152名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 01:05:50 ID:pm6TDi/J
>>151追加と訂正。
・追加
華厳の法界縁起による海印三昧、インダラ網も会通の対象に追加。

・訂正
まだまだ勉強中なもんで。
153名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 05:30:24 ID:CmI7Jb6i
>>151 興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
154宗教大学者:2006/06/03(土) 10:20:33 ID:Io2eZQvF
>>151真言、浄土等の唯識根源論、同意します。唯識は自己へ世界の流入、真言は自己から世界への流出。唯識の三身、他受用身かなんかが関係しているような。
これについて誰か説明してちょ。
155名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 11:10:09 ID:2RAyn/XK
中国仏教は須らく唯識の影響が色濃く反映されています。禅でさえも。
その割りに日本文化への影響は薄い。
コ一:最澄論争が中途半端に終わってしまったことに要因があるのではないでしょうか。
156宗教大学者:2006/06/03(土) 11:18:41 ID:Io2eZQvF
禅は曹洞宗に、道元のほうが唯識の影響を感じるけれども。臨済宗はあまり感じないなー、橋本ぎょういん和尚は臨済宗は寝言のあまりと痛烈に批判されている。多分、
不親切すぎるという事がいいたいとと思うのだけれども、自分も不親切だと臨済宗について思う。竜樹過激派だから。
157宗教大学者:2006/06/03(土) 11:47:05 ID:Io2eZQvF
他受用身、三身について誰か教えて。
158名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 12:14:36 ID:epDNnSSB
>>156
>臨済宗はあまり感じないなー

臨済義玄は、禅門に転向前は、主に唯識を学んでたんじゃ?
だから、反対命題も含めて結構、影響あるような。
それと、圭峰宗密が、そもそも華厳の人だし、やはり、「禅と
唯識」は、影響関係が深いと思う。
159宗教大学者:2006/06/03(土) 12:19:45 ID:Io2eZQvF
臨済宗は錯、否定至上主義で語るのを否定するからな。見性は本当に世界と一体化するし、隣の犬は自分だという独特の体験、生き様を大事にするからな。
160宗教大学者:2006/06/03(土) 12:28:35 ID:Io2eZQvF
高徳の臨済宗の僧にはべれべらと語れない、一言一句語るのに緊張感がある。自分が特に敏感にならざるを得ない。柔らかな唯識とは違う世界がある。
161あぼーん:あぼーん
あぼーん
162宗教大学者:2006/06/03(土) 17:10:22 ID:Io2eZQvF
というわけで、唯識の神秘の感じる。三身、他受用身について知りたいの、教えて。
163名無しさん@3周年:2006/06/03(土) 20:59:21 ID:2RAyn/XK
三身、他受用身は唯識に限った用語ではないはず
164宗教大学者:2006/06/04(日) 00:20:01 ID:+5QrD1xn
>>163、ゆえに、唯識の立場で知りたい、きっと天台、真言、浄土への源流を感じるから。
165名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 22:47:51 ID:18swHvKS
??
少なくとも、中国では唯識法相宗は天台宗よりも古い。
日本でも法相宗は南都六宗。
166名無しさん@3周年:2006/06/04(日) 22:59:52 ID:yapP+43B
>>165
>少なくとも、中国では唯識法相宗は天台宗よりも古い。

はぁ〜? 
中国では、天台宗の方が、古いよ。

天台大師智ギ    (538-97)
玄奘三蔵    (600-664)
慈恩大師基   (632-82)

もしかして、菩提流支三蔵(508-535)の地論宗、真諦(499-569)の摂論宗
のこと言ってるの?
167名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 18:28:27 ID:c578xkZS
インドなら、中観派と唯識派にのみだよーーん。
168宗教大学者:2006/06/05(月) 18:37:12 ID:c578xkZS
>>139ユガユイシキ派さんへ、五重唯識観について、唯識初歩という本に結構かいている。あの橋本ぎょういん和尚のお弟子さんが書いている。名前が
思い出せない。結局、唯識は無所得の智をもって世界をとらえる事のようだ。臨済宗は智を否定してしまうのだけれども。無所得のみ、現在唯一残る竜樹直系、否定しまくり、空のみ。
169唯識喩伽行派:2006/06/05(月) 20:42:34 ID:6ipXTU9L
168 宗教大学者さん 大変ありがとうございました
170名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 20:59:32 ID:rPmS0low
般若を智と呼ばずして何と呼ぶのだろうか?

>否定しまくり

否定するからには、否定する対象があるわけですね。


     
171宗教大学者:2006/06/05(月) 21:14:24 ID:c578xkZS
>>170最初からあるもの。臨済宗は如来蔵思想の影響がある。見性は一体化する、肯定に転ずる。活殺自在という言葉は否定、肯定を自在に操ること、無形がゆえに自在
。んんケンシロウみたい。否定は竜樹の王道。否定して、肯定に転じ、また否定へ、とにかく無形を求められる。
172名無しさん@3周年:2006/06/05(月) 21:49:24 ID:rPmS0low
>臨済宗は如来蔵思想の影響がある。

「現在唯一残る竜樹直系」とどのように結びつくのですか?
173宗教大学者:2006/06/06(火) 17:54:31 ID:4MsE51oH
竜樹の立場では、語ることのできない空、論理を否定し、否定のみよって空を得るという立場で。仏智、弥勒菩薩は想定しない。
論理的に空をとらえ、智を想定し、説明しようとする唯識の立場、この二つの違いはわかりますよね。
臨済宗の立場は明らかに、修行のプロセスにおいても、まず、否定しまり、170で語られた論理性をも否定し、否定することをも否定するわけです。
これは竜樹直系の思想だと、理解できますね。また、竜樹の中論において、一度、空に達した後、現実生活にもどり、仮、悟りの生活というべき場面を
想定しています。これも臨済宗は想定しています。日々、是好日という表現がありますね。ここまでが、竜樹との共通項で、唯一これほどの共通項があるのは
臨済宗のみです。違いがある。それが如来蔵思想の影響があるところです。竜樹の仮の場面で、それが現れるわけです。見性の体験、世界と一体化し、隣の犬が
自己である体験をする、それに生きる場面なのです、犬に仏性あるか。という問いに回答は二つあります。ひとつ、無。これは竜樹の立場、二つ、有る。これは
如来蔵の立場です。この説明は禅の立場としては相当まずく、正しくはないのですが。如来蔵の影響を唯識的に、論理的に説明する方便として、ご理解してください。
犬の仏性の正確な是の解答は修行の足らない私なのでうまく答えられません。
174名無しさん@3周年:2006/06/07(水) 12:51:20 ID:Lgq84yHs
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。
日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、
ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。
読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。
どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。
やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。

http://soejima.to/(副島隆彦の学問道場)
http://geopoli.exblog.jp/(地政学を英国で学ぶ)
http://amesei.exblog.jp/(ジャパン・ハンドラーズとアメリカ政治情報)
http://www.aynrand2001japan.com/index1.html(藤森かよこの日本アイン・ランド研究会)
http://www.tkataoka.com/(片岡鉄哉のアメリカ通信)
http://d.hatena.ne.jp/leeswijzer/  (leeswijzer: boeken annex van dagboek)
175宗教大学者:2006/06/07(水) 17:46:48 ID:XHuHzMzJ
174さん、フェルナンド、ソシュールという哲学者とその結論をしっているか?その結論と一致するものがここにある、よく勉強したまえ。
176名無しさん@3周年:2006/06/07(水) 22:49:29 ID:xOPjA81p
>>173
どうも禅を掴んでいないようだ。
思想などというもの捨て去ることを目指すのが禅。
龍樹も如来藏もへったくれもない。
177宗教大学者:2006/06/08(木) 04:12:15 ID:qwfyaxp/
>>173そう、おっしゃる方がでてこられると想像してました。唯識の方が論理で来られるので。それに
合わして、全の立場を捨て語ったのみです、故に、この説明は相当まずいと前置きしたのですが、、、唯識には、
橋本ぎょういん和尚という方が亡くなられていますが、おられました。その方は、禅、公案を寝言の余りと痛烈に
批判なさいました。このように、唯識は論理性を要求されるので、合わせてそういったのみです。私の禅の立場でしたら、
あなたの意見と同意権です。しかし、ここは禅を語る場所ではなく、唯識についての場であり、その方々に合わせた論理的に
書き込みしなければ、意味がありません。おわかりいただけたでしょうか。
178宗教大学者:2006/06/08(木) 04:14:01 ID:qwfyaxp/
全の立場<禅のまちがい。
179宗教大学者:2006/06/08(木) 04:14:53 ID:qwfyaxp/
173>>176のまちがい。
180唯識喩伽行派:2006/06/09(金) 12:54:16 ID:89BP6zij
唯識を説く仏教は最終的には唯識そのものを越えることを目指す それは縁起をも越えることをを意味する その境地は虚論寂滅を説く中観派と変わらない 真理は多様に語られる
181唯識喩伽行派:2006/06/09(金) 13:04:09 ID:89BP6zij
続き…勝義諦つまり超越的境地を直示する中観に眼指ししながら 我々凡夫がこの世界をどう理解するかと言うことに就いて微細に説く 預流 一来 不環 アラカン そして仏果
182宗教大学者:2006/06/09(金) 16:27:19 ID:o3DtNsW2
181の微細はおもしろいですね。チッベト密教をほうふつさせますね。実は、粒子的と感じるのはそこなのです。
183yogacarin:2006/06/09(金) 16:59:23 ID:Hn1vZpQb
なぜ中観の後にユガ行派が登場したかよく考えるべきである。
中観派もユガ行派もともに実践的な修行体系(これをマールガという)
がある。中観派には現観があり、ユガ行派には五道がある。
理屈好きは理論にばかり目が行き、決して実践しようとしない。
例えば料理の本を読むのは好きだが、実際に作りたいとは思わない・・・
みたいに。
理論は行を助けるためにあり、悟りの内容ではない。
マールガこそが勝義と世俗をつなぐ唯一の階梯である。
唯識が知りたければ入無相方便相に直入することだ
184名無しさん@3周年:2006/06/09(金) 17:27:16 ID:MxhpOTco
唯識派の瞑想を一般人に手解きしてくれる寺ってあります?
185宗教大学者:2006/06/09(金) 19:16:36 ID:o3DtNsW2
183さん、橋本ぎょういん和尚が示してくれます。
184さん、写経は説法は奈良、薬師寺がしているので、聞いてみては。
186名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 18:36:32 ID:OnR6fS5u
187名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 19:20:19 ID:6L+nkjlP
はい、186さん、このお方は本当に唯識への情熱を持った方で、唯識の必要性を本気で考えられていました。私は臨済禅ですが、
この唯識のスレでは、、この方に敬意を表して、知識なしですが、論理的な姿勢で唯識に触れたいと思っています。いささか、密教感覚が
強すぎるのが問題ではありますが。
188唯識喩伽行派:2006/06/10(土) 19:21:52 ID:DT0SUOeX
183さんへ ご指摘のことは確かにそのように思います 現実は食うために修行はままなりません まして高度管理社会 高度経済社会においては米一粒たりとも喜んで喜捨する人間などおりません しかし必ずや 仏果を得る との誓願は捨てる訳にはいきません
189唯識喩伽行派:2006/06/10(土) 19:27:41 ID:DT0SUOeX
続き 相手は三アソウギコウだと思っています 実際私は 経典ひとつ聞いてハッと悟りを得る六祖のごとき天才は持ち合わせては今せん
190名無しさん@3周年:2006/06/10(土) 22:29:03 ID:OnR6fS5u
平成13年にNHK教育
心の時代〜宗教・人生〜『心の秘密を解く−仏教の深層心理・唯識』横山紘一
は非常にまとまり良く唯識について説明していた。
テキストもNHKとは思えないくらいの佳品といえよう。
191唯識喩伽行派:2006/06/10(土) 22:30:45 ID:DT0SUOeX
連続投稿失礼します…私の修行?方法は一日約4〜5時間静かに独坐することです 今まで理解出来たことは 瞑想と禅はハッキリ違う 禅は生命の流れを掴むこと の2点だけです 我流ですがヨガのモットー[続けよ!]をいつも心に刻んでおります
192唯識喩伽行派:2006/06/11(日) 01:27:39 ID:w8DLENGL
中論24―10 言語によらなくては勝義の真理は示されない 勝義の真理に到達しないならばネハンは証得されない [示す]ことと[証得]の間に私は人間の救い難い不浄と世界の深き苦悩を観る
193宗教大学者:2006/06/11(日) 09:19:21 ID:xgd/fzhg
192こそ、唯識の立場で、唯識の必要とされる理由でしょう。橋本ぎょういん和尚は説明したがらない、臨済宗禅を、寝言の余りと、痛切に批判されたのであります。
194宗教大学者:2006/06/11(日) 09:21:27 ID:xgd/fzhg
密教病発生!。勝義をを見ると。チベット密教の勝義の光明の体験が。。。。また、粒子の世界、んん困った。
195唯識瑜伽行派:2006/06/11(日) 18:42:57 ID:w8DLENGL
宗教大学者さん なるほど橋本和尚はそんなに臨濟禅を攻撃していたのですか しかし臨濟宗にはスーパースターがイパーイ居りますね
196名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 20:25:58 ID:HAoXIWJ7
喜捨されるに値する徳分が具われば、おのずと喜捨されるようになる。
修行不足の者にとっての信者からの供養は、真っ赤に燃えている鉄を
食べるのに等しい。分相応の小欲知足、満足であれば、不平不満も言
わずに済む。
197唯識瑜伽行派:2006/06/11(日) 20:35:15 ID:w8DLENGL
190↑ その横山先生が何年か前に性相学辞典の編纂の件で寄付を募っておりましたね
198名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 21:17:14 ID:xgd/fzhg
ゆがゆいしきさん、でも、山田無文和尚を弟子とおっしゃていた。あの山本玄峰和尚に寝言の余りと言ってやったとある。
臨済宗の世界と対象の距離が零的感覚が、唯識派や、橋本和尚は問題視してたのだろう。空は語られるべきだと。論理性が必要だと。
199名無しさん@3周年:2006/06/11(日) 21:18:08 ID:xgd/fzhg
198は宗教大学者です。
200唯識瑜伽行派:2006/06/12(月) 07:33:24 ID:F7o5REew
空は語らるべき…考えさせられる言葉ですね あの山本和尚にたいして信じられナ〜イ
201宗教大学者:2006/06/12(月) 11:37:21 ID:BdwxFg9p
橋本和尚はなぜ、人間は迷い、混乱するのかを語られるべきかを坊主は言わなきゃだめだと考えたのでしょう。
何故と回答の義務を要求したのでしょう。
202宗教大学者:2006/06/12(月) 11:44:39 ID:BdwxFg9p
192の中論24―10 言語によらなくては勝義の真理は示されない 。この部分は竜樹本人よりも、唯識派及び後期中観派が重視している感じがしますね。
ここがチベットでの禅と後期中観派の論争になり、チベットでは、ゲルク派、ダライラマ系の理論派が優位に立ち。在家的な小宗派のニンマ派に禅の流れが流入していきます。
203唯識瑜伽行派:2006/06/12(月) 15:28:04 ID:F7o5REew
202↑ なるほど その部分の解釈が…いや本当に参考になります
204唯識瑜伽行派:2006/06/13(火) 01:47:16 ID:NaIoi7wl
禅…オイラの禅に対する率直なストレートな印象を表明します…それは余りにも[中国的だ]と感じる 昨日まで友人であったものが今日は刃でいとも簡単に殺される 情け無用 など…その延長線上にゲンジョウ法師のサンスクリット原典に対する扱い方…
205宗教大学者:2006/06/15(木) 09:26:25 ID:ikc7jw66
臨済宗禅はつくづく、エベレストのようだと思います。禅の師匠の語る世界を2年半にして、理解するようになる。
初めて会ったときの狼の鳴きまねは、感動でした。これは、いきなり、十牛図の9なんですが。その時はいつかは、そこへ行きたいと思ったものです。
最近やっと、琵琶湖の波のおと、鳥のさえずりと戯れ、一つを楽しむ。
去年の大晦日に師匠の語る世界。いきなり、十牛図の10の世界だ。9の世界を遊び始めてやっと10の入り口に入り口にかかる。
本当につくづく、臨済宗禅の方はエベレストのようなこと言うとおもいます。
206宗教大学者:2006/06/15(木) 09:33:33 ID:ikc7jw66
北伝の阿含経に釈迦が語った言葉。
心が清浄なき時は修羅、餓鬼、天人等の全世界に向かって。無上正覚を語らないが。
心が清浄な今、修羅、餓鬼、天人等の全世界に向かって。無上正覚を語る。(公言せりき)
と言った言葉。大乗仏教はおのおのの立場で、この言葉の世界を求めたのでしょうね。
207名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 13:51:45 ID:RfvaGF2u
>>1

此処でいう実在論と観念論とは、
どのような意味で仰っておられるのでしょうか。
有外境論と唯識ということでしょうか。
もし、そうであるならば、唯識は観念論ではないと思います。
『所取(認識対象)がないときには、能取(認識)することもない(『唯識三十頌』28頌)』
とされます。ですから「能取のみ」があると主張しているわけではないと思います。
空とは、所取と能取が無いことだと思います(『中辺分別論』第一章第一頌)。
208名無しさん@3周年:2006/06/15(木) 23:03:25 ID:kINOa9BB
>>205
言うことを聞こうとするから、エベレストに見えるのです。
学者をやめて概念を捨て去りなさい。十牛図も捨てなさい。
聞くなら唯識の言葉にすべきです。
読むのでもいい。
209名無しさん@3周年:2006/06/16(金) 10:19:17 ID:UVyk6nJj
>202
それはゲルクの考えもしくは、ゲルクの影響を受けた山口図違法らの考えですね。
あとニンマはサルマの対語ですから、本当は宗派じゃないんですけどカギュもニンマですしね
みな誤解してますね。
あとチベットに流入した禅は北宗ばかりでなく牛頭宗も入ってますから。
禅も初唐と晩唐、宋代ではぜんぜん違うんですよね。
日本人はそれをみな繋がっていると信じてますから、ちょっと無理がある。
210唯識瑜伽行派:2006/06/17(土) 22:05:35 ID:IX+oShd7
臨濟宗大聖寺27世花山院門主がおなくなりになりました ごめいふくお祈り致します
211名無しさん@3周年:2006/06/19(月) 17:50:12 ID:XyYXsDmC
>>209カギュもニンマですしね

どうゆう意味? ニンマの影響があるということ?
212宗教大学者:2006/06/19(月) 19:37:39 ID:zqdn/yOi
チベット密教の学問的な厳密な名称区別は、知らんけど、どうでもいい。
神秘体験上では各派の感触の違いはあるんだな。
つまり、学問的にいくら主張しても余り、意味なし。
唯識は別だろうけど。
213唯識瑜伽行派:2006/06/22(木) 23:16:23 ID:1XnUSiDa
話しを整理したい [唯識説は唯識そのものが目的ではない 唯識という見方を通して次なる段階を目指す]ここまでは異論ないですね!
214名無しさん@3周年:2006/06/23(金) 12:20:42 ID:T49yUlI6
>>213 仏道なのだから、当然そうでしょうね。
215名無しさん@3周年:2006/06/24(土) 17:53:25 ID:v5iD1hEe
唯識説とは無分別智と呼ばれる無漏智の立場に由っていますので、
識の考察といっても、それは心理学とか精神分析のような客観的
学問とは別のものです。
また無分別智=忘我のような神秘体験とは違うのは云わずもがなです。
216宗教大学者:2006/06/24(土) 20:38:29 ID:5v+iZ7/C
215さん、そのネタで、ぐいぐい、いって、。。
智と日常生活について、唯識で
そこが知りたい。。
217名無しさん@3周年:2006/06/26(月) 22:32:49 ID:no+husp1
常に日常生活に節度を持てば、阿頼耶識が薫習されて自分が変わる。
遍計所執性 ⇒ 依他起性 ⇒ 円成実性
218宗教大学者 :2006/06/27(火) 13:10:21 ID:U9V4nbBi
智を得た、日常生活は、どんな、感じだろうか??
219名無しさん@3周年:2006/06/27(火) 22:27:18 ID:t+YFMmrL
体験するしかないのでは?
220宗教大学者 :2006/06/28(水) 10:20:22 ID:v4u7Cn7N
219さんへ、体験は、想定できても、、、という問題。
体験者の視点を聞きたい、
聞けば、こちらは、センス抜群ちゃんなので、わかるので、、
超能力があるのよーー、
いや、直観力というべきか。。。
221唯識瑜伽行派:2006/06/29(木) 00:32:14 ID:8RgnF59G
種子を伏し 因縁を断ずる しかるのち我と世界を空じる 空じたことをも更に空じ尽す その足跡は残らない その行動の手の跡はだれにも見つからない 己れが動いたのか世界が動いたのか…
222唯識瑜伽行派:2006/06/29(木) 12:39:44 ID:8RgnF59G
皆さんに質問があります 無明は人知を越えているでしょうが あえて表現すると 一体[無明]とは何ですか 皆さんはどう考えますか?
223名無しさん@3周年:2006/07/01(土) 22:44:37 ID:B9+dV3+H
無明とは、賢しらな人知に溺れている状態です。
224名無しさん@3周年:2006/07/02(日) 04:40:46 ID:DGVqTRAy
問う者 としての投稿者
>>218
尋常の日常生活 ですよ。
225名無しさん@3周年:2006/07/02(日) 22:53:01 ID:dz9ec9Lb
心経にも無智亦無得と申します。
226:宗教大学者 :2006/07/04(火) 12:20:13 ID:Ks5Cyhoi
最近、精進という感覚が重要ではと思う。勇猛な精進。それが智だったりして、、
227唯識瑜伽行派:2006/07/04(火) 15:55:49 ID:iAA2yCXk
それがアルファでありオメガではないでしょうか とてつもない深い言葉ですね 三才の子供でも知るが100才の老人でも行うのは難しい
228宗教大学者:2006/07/04(火) 20:58:13 ID:FHAarqqe
神経性胃炎に悩まされて、臨済宗禅のワールドで気づき、神経性胃炎大菩薩なのだ、
日常生活の臨済宗禅の用い方に気づいて。。
唯識の勇猛な精進に行き着いたの。。
229名無しさん@3周年:2006/07/04(火) 22:56:51 ID:UoULCbOr
無明に閉じ込められし者よ
230名無しさん@3周年:2006/07/05(水) 13:37:07 ID:14/DFyPh
胃炎になるのは腹黒いからです
精進を怠りなく
231唯識瑜伽行派:2006/07/08(土) 15:57:21 ID:FNlvZ6pd
精進……か….
232名無しさん@3周年:2006/07/08(土) 18:01:45 ID:UCbTXD9l
そもそも誠実に生きていなければ、精進など何の意味もありません。
233名無しさん@3周年:2006/07/08(土) 21:15:41 ID:76TlqbwT
布施波羅蜜
持戒波羅蜜
忍辱波羅蜜
精進波羅蜜
禅定波羅蜜
智慧波羅蜜
234名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 15:36:11 ID:cI0liKHr
食う寝るところに住むところ
235名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 22:23:31 ID:f+pYVB0E
この題材はやはり高級なんですね 16日も投稿がない…それもそうだね 唯識っていうと 仏教思想の頂点だものね 投稿する方もそれなりに限られて来るでしょう
236名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 02:14:22 ID:bCisvM6T
唯識派って、あの似非瑜伽師の仏教を衰退させた犯罪グループのことですか?
237名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 06:39:38 ID:Kli7o6By
「こだわらない」
238承狂:2006/07/26(水) 16:04:46 ID:VegCyu4m
唯識とは、人の精神を異熟と思量と了別境の三種だと断定した。
空とは、中観派が唱える概念。説一切有部の思想に対して空を唱えた。
中論で、輪廻する個人の精神なんて無いと証明されたが、唯識仏教では、空と輪廻が同じレベルで扱われた。


個人的には、唯識は単なるヨガ師の妄想だと思う。

239名無しさん@3周年:2006/07/26(水) 20:28:00 ID:tcAKMHYM
唯識は仏の境界
240名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 00:15:22 ID:hURYMp6D
>>238
うーん、、、唯識の重要なところは、
仮設として唯識の構造を立て、
「そうした心の動き一切が迷いそのものである」と、
最終的に唯識構造そのものを
超克するところにあると思うのだけれど・・・
説一切有部への批判的立場ということで言うなら、
我法二空の立場を基本にしているし。

阿頼耶識縁起というのはたしかに新基軸であったわけだけど、
十二縁起のヴァリエーションとしてアリなんじゃなかろかと個人的には
思っている。

ただ、唯識から本覚思想やら如来蔵思想やらが派生したという指摘は
免れ得まいとは思う。
241承狂:2006/07/27(木) 00:48:27 ID:CQfyKUZw
えっと、空の中には無明は無く無明の尽きる所も無く、乃至老死も無く老死の尽きる所も無いのでは?
と、輪廻思想全否定な私は妄想してみたり。
242名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 01:11:15 ID:L5IkQN4T
如来蔵は別もの。編纂時期から判断するのは間違い。
243承狂:2006/07/27(木) 22:02:09 ID:CQfyKUZw
相依性の解釈に関する視点の相違ですね。

個人的には、如来蔵はウサン臭いと思ってるけど。
244名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 22:39:01 ID:L5IkQN4T
ウサン臭いのは中観と唯識のほう。如来蔵はまとも。
245名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 23:18:32 ID:hURYMp6D
>>241
我執煩悩が滅して心が空じられた境地では、そうなのだろうと思う。

>>242
それは失敬。

まあ、私も最近チョット興味を持って勉強してるだけだから
取り立てて唯識ばかりを持ち上げるつもりもないのだけれどね。
246承狂:2006/07/28(金) 04:26:59 ID:KZ8pYrrr
それでは、244サン。
スレタイに付いて、御高説を承りたい。
ねー?オセーテ?
247承狂:2006/07/28(金) 23:07:47 ID:KZ8pYrrr
勉強不足なんで、違うかも知れないが、その時は笑ってコラえて?
如来蔵は、一切ウジョウ、更には非情にまで如来になる可能性があるとかゆー仮説と聞く。
慈悲キシャな視点から観れば、そう見えるのかも知れないが、現実的には、アサハラやショウニチの様なクズには、厳罰が下るべきであり、自己の信念に依って、コレに類するクズに対して擁護するよう導く論は、社会的に見て、ウサン臭いとしか思えない。
反論があれば、まず、スレタイに対しての見解を述べてからにしてね。
248宗教大学者:2006/07/29(土) 11:49:53 ID:uNIpnexq
うーーーむ。
唯識を結構読んだが、、
結論は、、、
無分別智、佛智による世界の最解釈??
三界唯心??
249承狂:2006/07/29(土) 16:09:32 ID:QeTK8GRl
どーーーも。
お邪魔してます。
唯心とか言われると、観念論にしか聞こえない私。
250名無しさん@3周年:2006/07/29(土) 22:29:36 ID:NXLwDNom
>>249
お釈迦様も観念論者?

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。」(『法句経』中村元訳)
『真理のことば、感興のことば』岩波文庫
251承狂:2006/07/30(日) 05:31:58 ID:3IJhd4lZ
イイエ。
『バラモンは行いに由ってバラモンとなる。』
だったっけ?
釈尊は求道の為の理を説かれた、どちらかと言われればリアリストだと思ってます。
252承狂:2006/08/01(火) 13:48:21 ID:ncwGkCc/
如来蔵の人は、もう飽きたのかな?
唯識と中観を否定して、如来蔵の正当性を論証して欲しかったな。
253名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 15:11:13 ID:JkhJgzxF
松本道弘の「私はこうして英語を学んだ」という本は、絶版になつたのか、知りたい。
あれは、いい本だ。親鸞会に破壊された信念を回復できる。
254名無しさん@3周年:2006/08/01(火) 22:37:58 ID:kRokDekz
>>251
「リアリスト」ってのも、語弊がありそうだけどな。
そもそも仏教が問題にするのは「苦」。
これは心を離れては扱い得ないことだ。

中論にせよ唯識にせよ如来蔵にせよ、
方便として説かれた言語の地平(教え)から向こう側へブッコ抜けなきゃ
ただの妄念にしかならんだろう。

『中論』読んで「空だ!」と思っても、
その「空」と思ったこと・思われたことをも空じなければ、
せっかくの『中論』も言葉遊びの域に堕すんじゃないだろうか。
255承狂:2006/08/02(水) 09:30:43 ID:WUb+L6BL
詰まり、修行者としてのリアリズムですよね。
ん?語弊が有りましたら、如實か、如法でも。
でも、仏教用語の方が語弊が有りそうな気がしない事も無い事も無い様な気が…。
256承狂:2006/08/02(水) 13:44:59 ID:WUb+L6BL
うおおおぉぉぉーー、唯識と中観を否定した如来蔵の論が読みてー。
後、唯識に付いて誰か説いてー。
それと、俺の中論の解釈は我流が混じってるから、余りマジに考えるなよ〜。

ハァハァ、
以上、中年の主張でした。
257承狂:2006/08/03(木) 09:36:33 ID:OPuguTf6
見渡せば、ヤソばかり。
某書に曰く。
『全てが無自性では無い』と。
皆さん、某かの『普遍の存在』が好きなのかな。
『一切は相依性』であり『縁起』に因り在るってだけではダメか?
258名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 21:33:57 ID:SiYg1UqI
>一切は相依性

唯識ではこれを「依他起性」といいますね。
一切は相依相関の縁起において成り、かつ壊するのであるから、
ものごとの固定的実体は無い。
ゆえにこれを「依他起無自性」とも。

259承狂:2006/08/03(木) 21:58:58 ID:OPuguTf6
お!
しかしですね、マア、タエキでもヘンケイショシューでもエンジョウジツでもイイですけど、其が成立する識が在る訳ですよね。
悪取空者に近い立場ですけど、一切が相依性って識も含まれるべきだと思うんだが如何。
260名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 22:12:24 ID:SiYg1UqI
>>259
>一切が相依性って識も含まれるべきだと思うんだが如何。
無論です。
アラヤ識も、一切業の異熟・相互の縁起によって転変します。
261名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 22:27:35 ID:SiYg1UqI
色々書いてみたいのだけれど、ちょっとうまくまとまりません。
今夜は借りたビデオ見ないと明日返却だもんで。
ちょっと思いついた分だけメモ書きだけ残しておこうかと思います。

・「識」とは「迷い」
・十二縁起が「迷い」の縁起を説いたが如く、アラヤ識縁起も「迷い」の縁起の教説
・覚者における「空」は涅槃、凡夫における「空」は苦
262承狂:2006/08/03(木) 22:50:35 ID:OPuguTf6
260氏へ。
了別境と思量は、器官と脳髄作用ですが、異熟は仮定でしょう。ってーと議論にならないかな。
私には絶対変わらない『アラヤシキ』を信仰してる様に見えるんだけど。
263名無しさん@3周年:2006/08/03(木) 23:09:15 ID:SiYg1UqI
>>262
「アラヤ識」を、「固定的普遍の自我」のように捉えて崇めたならば、
それはもう仏教でも唯識でもないでしょう。
ただ、この指摘は重要だと思います。
「アラヤ識」をアートマンの如くに見立てさせかねないところは、
唯識説の危ういところではあろうと私も思います。

あと、了別境や思量は、即物的作用に還元して捉えるのではなく、
あくまでも認識作用そのものの、ある働きとみたほうが
よいのではないかと思います。
264承狂:2006/08/03(木) 23:52:06 ID:OPuguTf6
続きは明日にでも。
寝ます。
265承狂:2006/08/04(金) 21:45:19 ID:+pIm0VMq
どーも。
仕事中にいろいろ考えたけど、ちと微妙な論点なんで、名無しサンさえ良ければ、メールで語りませんか?
後、即物的で何か不都合があるのかな?
求道に於ける自他の認識で、法だけを依所とすべきって事かな?
私は仏教の原理主義者では無いんで、現実に即さない論は否定しますよ。
266名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 23:28:27 ID:S1TT8Nuq
>>265
こんばんは。
元々、筆不精なタチなので2ちゃんのほうが気軽に話せたり・・・なんて^^;
ちょっと検討してみます。

>後、即物的で何か不都合があるのかな?
うーん、そうですね・・・。
大雑把に言うならば、カテゴリーミステイクが生じる、ということです。

例えば、科学的な視座においてならば、
視・聴・嗅・味・触覚は、それぞれ該当する身体器官の働きに
還元してしかるべきだと思います。
科学は、「モノがいかに関連しあってどのように働くか」を論じる分野ですから、
そうでなければならないとも言えるでしょう。
(そして、それはおそらく、ホルモンの分泌加減だとか電気信号の出方だとかに
集約されるでしょう。)
267名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 23:29:26 ID:S1TT8Nuq
科学的視点というのは、「はじめにモノありき」です。
これは実体論に繋がります。というか、実体論を基礎とします。
果ては粒子だのなんだのと、どこまでも細分化されもするでしょうが、基本的には
「モノが実在する」という視座に則った上での分析ということになります。

対して、仏教的視座は
ご存知の通り「一切空」を基礎とするわけですから、
「実体としてのモノが実在する」という視点とは、相入れぬ部分を持つのです。
(といっても、これは「無」の主張でもありません。「非有非無」であり「空」です。)

まあ、つまり大雑把にいうと、土台となるコンテクストがそれぞれに異なるのです。
「どちらが正しい」ということを、あえて主張するつもりはありませんが、
それぞれの差異を無視して同一視すると、それぞれの領域に対して
不当な干渉を与えたりもすることになるかと思われたもので。

仏教の縁起説は勿論、因果律なわけで、
これをもって「仏教は科学的だ」と称されることもあるようですが、
それは科学の地平で扱われる因果律とも、
ある種、趣を異にするものとみておくことが、それぞれのために大事だと思います。
268名無しさん@3周年:2006/08/04(金) 23:52:02 ID:S1TT8Nuq
いわゆる、身体器官としての「五感」と、
唯識における「了別境」との差異を少し述べてみようと思ったんですが、
明日も仕事なもので今夜はもう寝ます。
お休みなさ〜い。
269承狂:2006/08/05(土) 00:11:09 ID:NiRm0/gI
土台の違いですか。
うーん。
私見ですが、観念論と実在論は、視点の相違に過ぎず、世界は観測者を内包して運行します。
所謂、盆が一にょの如き論ですが、この視点で見ると、科学は観測可能かつ追実験可能な領域に関する最も合理的仮説であり、私の認識する仏法は、求道の過程に於ける最も合理的指向です。
仮に大統一理論が完成されるならば、其に因り万物理論が記述されるならば、私は仏教を捨てます。
自トウミョウ法トウミョウをカヨウに解釈します。

意味不明かな?
270承狂:2006/08/05(土) 00:13:46 ID:NiRm0/gI
寝る。
271名無しさん@3周年:2006/08/05(土) 00:38:17 ID:P5oKtNP7
>>267
それは、唯識ならではの見解では?仏教では、
個物の存在(実在(固定的普遍的実在ではなく、あくまで素朴実在(?)としての))を
前提としていると思われるが?
でなきゃ、(この身体がなければ)現世において涅槃を見ることはかなわない。
五蘊が無我である、とは五蘊がないわけじゃない。
泡沫の如しと言われる時、それを、文字通りの幻影・幻想と見てはならないと思う。
だから、死に際して、般涅槃・無余涅槃と言われるのではないかなw

横槍失礼仕ったw  ノシ
272承狂:2006/08/05(土) 06:58:31 ID:NiRm0/gI
横槍なのかな。
ならば、私もそうかな。
スレヌシも学者サン達も来ないから、イイんじゃない?
273承狂:2006/08/07(月) 21:38:48 ID:/nYKI6Qc
中観のスレ立てようとしたが、私の携帯ではダメみたい。誰か立ててくれないかな〜。
一異と五求が未だに分かんないから、誰か教えて?
274承狂:2006/08/09(水) 03:06:20 ID:f6ROQOuX
268サンは、何か気に触ったんかな?
だったらゴメンね。
にしても、仏教哲学は人気ねーな。
唯識は日本仏教の根幹なのになー。

フッ、信者ばかりで行者は少ないのかな。
275名無しさん@3周年:2006/08/09(水) 03:08:30 ID:rXvArYR6
優勝目指してがんばれ〜八重山商工
276承狂:2006/08/09(水) 04:41:02 ID:f6ROQOuX
↑見た瞬間、別のスレかと思った。
277名無しさん@3周年:2006/08/11(金) 09:50:41 ID:z0Ch+RPh
唯識……って宗教ですか?
278承狂:2006/08/11(金) 10:40:49 ID:ZIPGf4LB
はい。
仏教哲学の一つで、釈迦がなくなって上座部が、更に下って中観派が、またまた下って唯識派です。そして更に下って天台ケゴンとか最終的にはヒンズーと交わる密教に至ります。唯識派は、我が国には法相宗として伝わったらしいです。
279名無しさん@3周年:2006/08/11(金) 14:47:47 ID:6SOH17qS
倶舎(阿含経・道昭(藤原)・刹那刹那にその本体が滅・法相に吸収)
(1)阿毘達磨倶舎論(小乗一切有部の論書、阿毘達磨発智論の注釈、大毘婆沙論
           の教理を世親が組織的批判的にまとめたもの)
(色法、心法、心所有体、不相応法、無為法の五位に分け、更にそれぞれを細別して七十五法)


法相(玄奘三蔵・道昭(藤原)・興福寺・行基・瑜伽行唯識学派・五所各別(ごしょかくべつ))
(1)般若経・般若心経・金光明最勝経
(2)唯識30頌(第七の末那識、第八の阿頼耶識)


華厳(大安寺(今は東大寺)・唐僧の道セン(道弱)・新羅僧の審祥)
(1)華厳経(毘盧遮那佛・無礙円融の法界縁起三千大千世界、
       一即多、全てに佛性がある(一乗主義)重重無尽、相即相入)


成実(印度の訶梨跋摩(カリバツマ)の作・羅汁の翻訳・百済僧の道蔵)
 真俗の二諦を立て、俗諦(世俗の世界)は有、
          真諦(真実の世界)は空と説く。即ち俗諦においては諸法を
 五位八十四法に分類し、真諦においては実有を否定して
 一切皆空を説くのである。これは小乗の
 説一切有部の教説
仮名心、法心、空心の三種の心を滅する
仮名心(けみょうしん)は常識的に一切諸法を実有となす考え
無所有、即ち無をみているのであるからこれをを滅する必要がある。
空心が滅するのは真理作用のなくなった状態の
滅尽定(めつじんじょう)と、前世の果報である身体がなくなった
無余涅槃(むよねはん)とに入った時
280名無しさん@3周年:2006/08/11(金) 14:52:26 ID:6SOH17qS
三論宗(竜樹(般若経)・高句麗僧の慧灌・元興寺(今は東大寺)・空観や中観)
三論玄義(破邪顕正(正観が顕れる[破邪の外に別に存在するのではない、破邪の究竟])と
     真俗三諦(真俗二諦は中論 [有(う・存在)と説くのが俗諦、一切は畢竟空であると説くのが真諦])と
     八不中道(生・滅・去・来・一・異・断・常の八迷を破)との 三科)
(1)中論
(2)十二門論
(3)百論の三

三経義疏(さんぎょうぎしょ)とは
(1)法華経義疏・
(2)勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)・
(3)維摩経(ゆいまきょう)義疏(ぎしょ)

律(戒律・唐僧の鑑真和上・唐招提寺・律蔵)
(1)男僧250戒尼僧348戒、等
(2)大乗戒として三聚浄戒
   1,攝律儀戒
   2,攝善宝戒 
   3,攝衆儀戒(鑑真が開いた戒壇を東大寺戒壇堂が引き継いだもの)
 小乗律(漢訳)四十五部のうちの四分律→ 大乗一実円頓とする
→ 取って代わる: 天台最澄の大乗の菩醍戒(十重四八軽戒)に変へる顕戒論(けんかいろん)

・無二無三(むにむさん・みにむざん)
1.仏教用語。法華経の教えで、成仏の道はただ一つ一乗(法華経)にあるのみで
二乗(顕密(お経に現れるのと秘密教の2つで、2番目の秘密教?)・
   法華経(五時教判)と華厳経(華厳五教)の2つ目の華厳経?)や
三乗(声門乗(仏の声を聞く)  縁覚乗(単独で修行を積む)
  菩薩乗(悟りを目指す))にはないということ。出典:「法華経−方便品」
281承狂:2006/08/11(金) 18:22:07 ID:ZIPGf4LB
↑と、書いてあったの?
意図が判んないけど。
282承狂:2006/08/16(水) 01:34:44 ID:Dwx4OiyT
277サンは、ヒョッとして、唯識が宗教では無く、哲学だと言いたかったんだろうか?
なら、宗教と哲学の線引きに選るな。
なんて、ユーてみたり。
283承狂:2006/08/17(木) 22:15:20 ID:c9jnxdtP
うはははは。
このスレは中観派が占拠した。
ドーダ。我が結界は破れまい。

マァ、単にシカトされてるだけとも言うがな。
284名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 18:20:21 ID:F/amc+34
一異門破。
『中論』十八品一頌
もし我が五蘊と同一なら、生滅する。
もし別異なら、五蘊相を持たない。
(故に我は正しくない)

五求門破。
中村元『龍樹』p136
@AとBが同一、AAとBが別異、BAがBを有する、
CAがBの拠り所、DBがAの上に依っている、以上の論破。
285名無しさん@3周年:2006/08/18(金) 19:16:04 ID:F/amc+34
『唯識三十頌』に拠れば、処と執受はアーラヤ識の不可知の所縁。境の了別は前六識。
『三十頌安慧釈』に拠れば、処は器世間、執受は有根身と種子。

『摂大乗論』所知依分に拠れば、アーラヤ識と雑染諸法は同時に交互に因となる。この相依が依他起性。
厳密に所知相分に拠れば、依他起性とは、アーラヤ識を種子とする、虚妄分別所摂の諸識。
諸識(とは唯識にも関わらず、非有で虚妄に過ぎない対象として顕現することの拠り所)は、
アーラヤ識と雑染諸法(とは諸識を拠り所としている非有なる対象)の相依と不可分であるから、
この相依を依他起性としても問題はない。
『三十頌』では、異熟・思量・了別境の三種の転変を分別とし分別とは依他起性だと定義する。

アーラヤ識=一切種子識と諸法の相依に拠り、種子は増長する(『三十頌安慧釈』に拠れば因転変)。
相依から離れてアーラヤ識はない。相依と、種子が結果する力が常に変化すること(増長)は不可避故に、
アーラヤ識は流れの如し、つまり刹那滅。刹那滅でないならば増長しえない。従って我ではない。
『解深密経』でもアーラヤ識を我と誤解することについて注意している。

実在論や観念論に対し、徹底的に行為論的だと思われる。
行為(上記の相依)から離れて、主観や客観、個物や普遍を認めない。
唯心論ということで二元論的観念論と誤解しがちだが、
『三十頌』27頌以降等に拠れば、唯心を主張目的にしているのではない。
有外境論批判等の目的の“手段”としての唯心論であろう。
286承狂:2006/08/18(金) 22:33:42 ID:0WSgDCaP
284・5さんへ。
ありがとうございます。
私は中村氏の同書から、中観にハマりましたが、某論に『八不に諸戯を断つ』と有ります。
自性の有るを否定しただけならば、形而上の全てに対応は出来無い筈です。
用ってヤツですか?その辺で悩んでるんです。

次にアラヤシキですが、仏教ですから、左様な論に成るは当然ですが、
私は、もっと低い所で納得出来ずにいます。
即ち、何故にカヨウな仮説が必要であるかです。
セツナメツ大いに結構。されど相依性に依って生じる識の依所の仮説を断定して仏説とする必要はあるか、っていう所です。

いやぁ、マジレスが来るとは思ってなかったわ。
やっぱ、その筋の方ですか?
287承狂:2006/08/20(日) 16:08:32 ID:jnkgkRtW
此処は相変わらずの過疎っぷり。
カソップリって何だか美味しそう。
288聖霊大王:2006/08/24(木) 17:19:10 ID:IGnxVZCi
あらすなよ、、ショウキョウちゃん、、
大したことないのに、理屈ばかり、戒は守らんは、、
289名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 12:09:28 ID:0EFe/7hb
唯識という施設の目的。
@空性への誤解としての空見への対策。
A一切皆空は、真に正しいが、では何故我等は輪廻しているのか。
滅諦・道諦には、この輪廻の構造を諦めること(集諦)が不可欠。
290承狂:2006/08/31(木) 22:23:27 ID:kNZLwlEz

輪廻とは、輪廻転生の事ですか?
輪廻する主体が無い事は『中論』十六参照。
或いは、還元主義的立場から見ても、有り得ないでしょう。
291名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 22:34:19 ID:uUHbuj07
>>290
無我の境地になれば無いんじゃね?
292承狂:2006/08/31(木) 23:49:18 ID:kNZLwlEz
若い頃は、無我夢中になろうとしたがね。
どうでもイイが、輪廻は仏教のオリジナルでは無く、インドの俗信で、仏教哲学とは別モノだ。
昔の日本人の場合は、死んだら山か海の異界に逝き、お盆等に帰ってくるって考え方。
何れにせよ、空の思想とは関係無さそう。
293名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 08:10:54 ID:9gAgGB3E
輪廻については『中論』二十六品他。『ラトナーヴァリー』でも説示している。
294承狂:2006/09/01(金) 14:12:14 ID:CKK5TbKC
ラト云々ってのは知らないけど、
中論の二六は十二支の記述ですよ?
分位縁起説については中村氏の『龍樹』P168を参照。
295名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 14:23:12 ID:NhjVDZfN
●一念三千(色々な因果応報の情景) ●止観(煩悩を止め、仏を観る)
●魔が差すのを防ぐ ●入我我入(菩提心を育てる仏性を保つ)
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/306865/bbs_plain?base=6097&range=10

中国史料などからの朝鮮略歴(抜けなど)
 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/306865/bbs_plain?base=6161&range=1

朝鮮歴史パターン1表
 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/306865/bbs_plain?base=6017&range=5

歴史教科書の抜け 燕雲16州の遼から, 紅巾党の元末明初
 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/306865/bbs_plain?base=6111&range=13

中国史料などからの朝鮮略歴(抜けなど)
 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/306865/bbs_plain?base=6161&range=1

イロハ(ABC)の条件によって罪を定めた
 http://otd3.jbbs.livedoor.jp/306865/bbs_plain?base=6087&range=6
296名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 14:34:54 ID:NhjVDZfN
儒学と禅宗@印度の敬神と瞑想(クリシュナ・仏教歴史・禅宗・真言宗ほか)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/951/1152063430/71-103

和魂漢才の流れ(私的) その1

道昭(法相宗・唯識など論蔵・遣唐使による文化輸入・興福寺・檀山神社(風水))
空海(真言宗・金剛般若理趣経(法相宗)・書道)
円仁(天台宗・妙見尊・赤山法華院・中国五台山(浄土宗)・
       長安(真言宗、天台宗−中国荊州玉泉山の関聖帝君))
栄西(天台宗葉上派・臨済宗・大豆料理(味噌・豆腐)・
              緑茶(宇治茶・茶道)・焼香(香道))
道元(臨済宗・曹洞宗)
源信(天台宗・浄土宗)
増上寺(浄土宗・黒本尊(家康を暗殺から救った夢お告げの))
徳川家康(儒学振興(朱印状貿易から
          朱子学中の最新、陽明学へ)・日光東照宮(風水))
297名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 16:44:52 ID:s8NVacOp
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。

電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
うつむいた母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。
親元を離れて新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になり毎月少しばかりの仕送りもできた。
結婚もして、孫を見せてやることもできた。

そんな母が去年の暮れに病気で亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、うわごとのように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
298聖霊大王:2006/09/01(金) 17:28:32 ID:fALcEWRg
ショウキョウちゃん、、唯識の話が聞きたいので、、
ショウキョウちゃんの頭の中だけの中論は聞きたくないんだけれども、、
299渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2006/09/02(土) 10:27:38 ID:DdP/Ur4P
 心と宗教板で、晴れて良スレの御認定を受けたことをお知らせします。
 □■ЯЯ親鸞仏教(浄土真宗)質問箱RR■□ http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1123906853/

 上記すれは、ノートントラップという仕掛けを受けました。インターネットウィルスを擬装した仕掛
けだそうで、他の板では以前から大変問題になっていたようです。
 詳しくはhttp://ansitu.xrea.jp/guidance/?Trap#NortonTrap

 ノートントラップが仕掛けられると言うことは、2ちゃんねるの場合、反対者から「良スレ」である
という認定を受けたことを意味するそうです。自分たちには全く反論の余地がないからどうから、どう
か意見を述べるのを止めて欲しい、そういう良スレであるという認定です。

 今回、親鸞仏教(浄土真宗)質問箱は、2ちゃんねるで「本願寺様の有志の方」からそのような認定
を受けたようです。
 浄土真宗とはどういう宗教か、親鸞仏教はどういう宗教か、既成教団本願寺のお坊様が、発言を「ヤ
メテクレー!」と、言いたくなる思想はどういう思想か、一度ご覧ください。
 ここには、本物の親鸞仏教、本物の浄土真宗があると、本願寺様の有志の方が認定くださいました。

 なお、ウィルスワクチンにノートンをお使いの方は、無効化ソフトがあります。
 http://www.geocities.jp/cen_hp/program3.html

 接続会社でウィルスと誤認して閲覧を拒否する場合があります。セキュリティを解除する方法がある
と思いますのでご研究下さい。

 ノートントラップは、決して恐い仕掛けではないようですが、ノートンの高度性を逆手に取った子供
だましのおもちゃで、今回、本願寺様のお坊様は、これにより親鸞仏教(浄土真宗)質問箱を御認定く
ださいました。
300渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2006/09/02(土) 10:28:15 ID:DdP/Ur4P
 なお、認定の背景が次のレスから見えてきます。
<続き>浄土真宗本願寺派 [19拍]
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150558501/400
このスレで「門徒」「一般人」「通りすがり」とか書く奴は決まって坊主な件
   <「浄土真宗本願寺派 [19拍]」で、発言されている方は、7割〜8割程度はお坊様でしょう>

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150558501/481
普段からお前さんが小馬鹿にしたレスをしてなければもっとマシなレスを返してもらえたろうに
  <「渡海難」の発言に被害者意識のお坊様がいらっしゃるようです>

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150558501/494
開けないからといって別スレたてないようにな。隔離スレは1つでいいからw
 <「渡海難」の発言には反論の方法がないから、もう発言をしないで欲しいという意味です。>

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1150558501/495
 ここにもコピペすればあいつ来れなくなるなw
<ノートントラップを浄土真宗本願寺派 [19拍]にも貼れば、渡海難がこなくなるだろうという意味
意です>
301承狂:2006/09/08(金) 13:28:53 ID:e0fPEFZf
誰か空について語れ。
オールウィハーフトゥドゥイズラーントゥキープトーキングだ。
302聖霊大王大王:2006/09/08(金) 13:54:02 ID:ZKonX+tE
しょうきょーちゃん、あらすから、ますます、過疎化するじゃないか、、
303聖霊大王大王:2006/09/08(金) 14:00:45 ID:ZKonX+tE
おいら、しょうきょーちゃんの御託より、唯識の考えを知りたいの!!!!
304名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 23:36:25 ID:9kaSY6rc
潜在意識をマナ識
無意識をアラヤ識

と考えれば唯識はそう難しいものではない。
305唯識ユガ行派:2006/09/30(土) 19:59:34 ID:aG0lygQC
↑304 なかなか良いところをついているような気がします ただ無意識というと どうしてもCGユングが想起されてしまう (私も言葉にとらわれているかも知れない)
306聖霊大王:2006/10/02(月) 10:59:04 ID:tdHp4ONS
識ひとつ、全世界が融合される、、全てが識に一体化、
世界も識と化す、、、識が智に転ずる、、、、
行いも識と化す、いや、智と化す、、
認識も識と化す、いや、智と化す、、
他人と関わりも識と化す、いや、智と化す、、
307唯識ユガ行派:2006/10/02(月) 17:50:14 ID:hwXnvJ8Q
中観でいかなる論理も矛盾に帰すことが表明され 仏教のめざすべき境地が明らかにされた 唯識はその境地に住する者がどのようにして 我々凡夫の世界に対応するかを説いた
308聖霊大王:2006/10/03(火) 10:46:04 ID:cKkvw//f
唯識は解りやすいとも、いえる、、、
ま、天台宗、真言宗もおもろいけれども、、
309唯識ユガ行派:2006/10/06(金) 20:27:49 ID:kQoZFHbj
空とはなにか? 人間の存在は自体がない 菩薩は無数の人を涅槃にひきいれるが 究極は 菩薩も涅槃にはいるひとも 実は存在しない 人の為に活動はするがそれにとらわれることがない 水に映った月はそれによって濡れることがない
310名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 22:11:18 ID:5xxee926
空に思想があったらたまらんなぁ
311名無しさん@3周年:2006/10/07(土) 00:44:58 ID:sZuwvQiU
>空とはなにか?
唯識的には虚妄分別に所取と能取の二者が無いこと、
依他起性が遍計所執性を常に離れていること。
中観的には縁起。といっても縁起は唯識では識転変=依他起性=虚妄分別のこと。
312聖霊大王:2006/10/17(火) 10:22:56 ID:wfVahdoi
唯識の修道法は、
南方仏教の修道法と、関係が深い気がしてきた、ヴィパサナーとの関係、、
慈悲の瞑想が唯識でも重要だと思えてきたぞ、、
思考の介在をなくす、サティもねえ、、
313名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 00:07:21 ID:cNcosxSq
お次の方どうぞ!
314聖霊大王:2006/11/19(日) 13:38:08 ID:tunFquSB
消えちゃあ、やだなもんで、
一如なる呼吸が根源かな、、、
315名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 21:45:41 ID:NThnEL7s
無ゥ‐ッ! 汝がそれだ!
316名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 09:03:32 ID:VOB23Aus
空論者 唯識論者 世俗の行者達は何処に行ったかな?
317名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 11:47:03 ID:bo2qM9eW
涅槃
318名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 19:06:15 ID:VOB23Aus
どっちのねはんかな?
319名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 19:26:35 ID:bo2qM9eW
ウヨムヨムジュウショどこへやら
320名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 22:41:11 ID:VOB23Aus
↑ウ〜ム お主 なかなか出来るな! ただ者ではないとみた その先を何というか
321名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 23:31:04 ID:bo2qM9eW
住所不定無職
322名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 00:02:41 ID:wf6FH7hu
↑ ムショに入ったフテェ住職か ウ〜ム なるほど
323名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 00:20:13 ID:xKbODGsE
エ〜、お後がよろしいようでm(_ _)m

チャンカチャンカチャンカチャンカ♪
324名無しさん@3周年:2006/12/11(月) 22:02:04 ID:wf6FH7hu
↑そうか お主は唯識における イッチャンティカを問題にしようという訳ですな ウ〜ム 深い!
325承狂:2006/12/14(木) 23:44:32 ID:cZW0Z40X
未だ、続いていたんだな、此処。
ちょっと吃驚。
326名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 00:01:09 ID:Kv1PDjlG
唯識って、輪廻する主体はアーラヤ識に存する、とか
そういうやつでしたっけ? 唯識3年、倶舎8年。
ユングの集合的無意識とも等値されるのが、
アーラヤ識であり、例のアレフという宗教団体も
一般人に、アーラヤ識の講座を開いて、非常に好評だったらしいよ。
327名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 04:28:53 ID:MXmx8qEm
へぇー そうだったの 確かに唯識と心理学の接近は現代では有益だと思う というか急を要するね 唯識の考え方は生身の人間から出発しているから普遍的に通用するよね
328名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 04:38:59 ID:MXmx8qEm
連投ごめん 上の 普遍的 という意味は 経典やある時代の僧を基本にしてないという意味. ある時代の僧を基本にすると現代には限界があるもんね 所詮経典や戒律は 悟った人間には必要ないもんね 余計な荷物だもんね
329聖霊大王:2006/12/19(火) 13:59:55 ID:iqLDgfBb
最近、唐招提寺を読んで、、律宗は、思想的に、、、無相唯識で、如来蔵で、法華経だと、わかった、、、、
法相は、、有相唯識だけどね、、、

無相唯識は日本にあり、滅んでいないとは、、、律宗に残る、、、、、
330名無しさん@3周年:2006/12/23(土) 00:44:47 ID:ZkNXm3wm
有相と無相の違いをオセ〜テください
331大王:2006/12/23(土) 19:25:01 ID:n3g2TC2i
有相は、、結局、識が残り、、智がある、、、
無相は、、結局何も残らず、、空、、
たぶんね、、、
332名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 00:02:09 ID:ZkNXm3wm
大王さん ありがとうございます マイトレーヤ アサンガ バスバンドゥ 等の著作を読むと彼等は無相唯識を説いているように思いますが…ゲンジョウになるとハッキリ有相を打ち出してますね
333名無しさん@3周年:2006/12/24(日) 21:19:38 ID:z3fTj+Bc
唯識思想はもしかしたら5〜 600年先の人類の思想ではないかな?
334大王:2007/01/02(火) 20:00:16 ID:rA1G82tm
hosyusuruzo,,,,
335大王、、:2007/01/07(日) 21:25:55 ID:NaFopqsC
最近、、唯識、、やっていないなあ、、易行コースになってる、、日蓮宗、時宗、西山浄土宗探検、、
336名無しさん@3周年:2007/01/09(火) 21:19:36 ID:EiMPzmvX
意は意識、マナ識は無意識、阿頼耶識は魂。魂は実在する。
空という概念を持ち出した般若心経がまちがっている。
337名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 00:39:36 ID:yH/MTFjE
般若心経の罪は相当に重い。
空は空論といって昔からバカにされていたじゃないか。
こんなものをありがたがっていたらダメ。
けっして悟れない。解脱できない。
338名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 01:09:54 ID:PqAoW7NI
好意的に空を語れば
唯識は夏目漱石の「則天去私」・・・少しづつ悟りに迫る
中観は西郷隆盛の「敬天愛人」・・・一挙に本丸を落とす
 
こうなるところだが実際には般若心経で悟った人はいないでしょう?
この経典の役割は何? こんな経典はいらないね。
339名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 16:19:53 ID:dDgAxyhX
般若心経はビックバン説の嘘を見事に見抜いていたそうな ほんまですか 霊魂の概念・・・ 霊魂とは何ですか
340名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 18:29:23 ID:nW5EQzRt
霊魂は実在し、霊は内容であり、魂は形です。
坐禅で見性するのは、霊魂であり、それ以外は見性に値しません。
あなたの霊魂についてのイメージはどんなものでしょうか。
341名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 18:35:07 ID:vxKh7flk
唯識・空の著述では岡野守也がいい!ちゃんと座禅もしている人です
342名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 18:41:11 ID:QHucDQqJ
「余れるもの」について語らえるかと思ったのですが、此処では
無理みたいですね。
煽るにしても、もう少し勉強していただかないと・・・・
343名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 20:01:40 ID:S9Y8dQML
>>342  
余りってオマケだろ。オマケより本体のほうが大切。
 
空がまちがいであり、般若心経がまちがいであったからには
般若の経典はどれもこれもまちがい。こんなもの捨てたらいい。
344名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 20:06:00 ID:3IPrditW
343 :名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 20:01:40 ID:S9Y8dQMLちゃんも、ガタガタ騒ぐのを捨てたらいい、、
捨てられんから、、般若心経があるんでしょうね、、
343は、、間違いない、、般若心狂教徒でしょうね、、
345名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 20:20:47 ID:/bhbdRo/
>>344
それでは教えてください。般若心経において空を説きながら、
他方でギャーテーという呪文を書いているのはなぜ。
346名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 20:45:31 ID:/bhbdRo/
わたしが言ってるのは<まちがってるもの>は捨てようということ。
まちがってなければ捨ててはダメでしょう。
みんな捨てたら導くものがなくなってしまう。
般若の教えはまちがってる、これがわたしの話です。
347名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 22:11:26 ID:dDgAxyhX
>340 ありがとうございます霊と魂の違い?が今いちよく分からない・・霊魂は実在しますが、その本質については私はスゥエデンボルグ、出口王仁三郎、ギャラップ調査団などの有名人等の文献から勉強させていただきました。正直難しいです
348名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 22:34:03 ID:4rCkMqw+
霊魂が実際にどういうものかは
自分自身で体験しないとほんとうのところはわからないでしょう。
釈迦の場合は〈満月が行って帰ってくる〉という内容です。
形は球、その中に内容としての自分自身=霊がいる。
なぜ内容がわかり形がわかるのか。内から見て外から見るからです。
〈行って帰ってくる〉ことで、これが可能になります。
349名無しさん@3周年:2007/01/11(木) 18:53:41 ID:7vOpVko2
この現実は縁起によって成り立つ。
縁起とは相互関係である。それゆえに現実は<空>である、
などと言ってる坊さんがいたら、頭をひっぱたいてやれ。
 
この現実は<空>ではなかったと、すぐに目がさめる。
空を見上げて歩けばドブに落ちる。
  
350名無しさん@3周年:2007/01/11(木) 23:06:43 ID:39V6MpNT
十牛図を思い出しました。
満月のような霊魂は、十牛図の第八、人牛倶忘の円相でした。
351名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 00:41:26 ID:3Op1VXWh
般若経はダメだけど、十牛図は求道者にとって参考になる。
ただし図の解説は論者によってズレがあるから、
アバウトに把握すればいい。
352名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 16:06:41 ID:dnNORxp9
345 :名無しさん@3周年:2007/01/10(水) 20:20:47 ID:/bhbdRo/
>>344
それでは教えてください。般若心経において空を説きながら、
他方でギャーテーという呪文を書いているのはなぜ。


多分、君が、捨てる事の大事さを気づくためさ。
騒ぐのも、捨てましょう、ということかもね。
353名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 16:52:37 ID:WnEG8oz1
>余りってオマケだろ。オマケより本体のほうが大切。

だれか突っ込むとおもってちょっと煽ってみたが・・・・
本当に知らないようなので一言いうと、「余りもの」と「本体」みたいな
相対的な話をしているのではない。このように相対的な理解こそが遍計所執、迷いそのもの。
ユガ行派においてavasistaはtathabhavasunyataであり『摂大乗論』では
総法(hdres pahi chos)である。ローマナイズのフォントの出し方が今ひとつ分からないので勘弁。
だから般若経典には無数の真言、陀羅尼が説かれる。
ユガ行派の空性は哲学でも屁理屈でもなく入無相方便相の修習のためにある。
まして、捨てるとか捨てないとか、そんな「にわか禅」みたいな問題ではない。

では自習を続けてください。
サヨウナラ
354名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 19:52:00 ID:PM64Vxjb
>>352 答えになってないけど。 大丈夫? 

>>353 余りものと残りものを混同してないですか。
残りものなら、「残りものには福がある」って言いますね。
あなたが言ってるのは残りものでしょう。
355名無しさん@3周年:2007/01/12(金) 20:44:54 ID:PM64Vxjb
真理に中観も唯識もない。それらは後からつけた理屈に過ぎない。
中観の最高の境地が魂であるなら、唯識の阿頼耶識も魂である。
真理ならどちらも究極で一致する。魂が人の種子。
  
中観の最高の境地が空であるなら、唯識の阿頼耶識も空である。
空が人の種子なら、それは無自生であり、その後の縁起は生じない。
人も世界も動いてるのにバカを言ってるんじゃない。
  
般若経典は空論であり、そんな屁理屈ドブに捨ててしまえよ。
騒ぐなといって、自分が騒いでることに気づきなよ。
356名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 03:42:53 ID:ERA5S+Id
>>351
自分が十牛図のどの段階にあるか、どうやって判定しているのですか?
参考のために教えていただけると幸いです。
357名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 09:47:58 ID:Bf447v6F
>>356
十牛図は求道者と牛と月という単純な要素で描かれている。
これらの要素をどう理解するかがポイントになる。
 
<牛>は求道者の欲望であり、第七までは自分の欲望との戦い。
牛をほんとうの自分だと解説してる人はまったくわかってない。
どの段階かは欲望をコントロールしている程度による。アバウトでよい。
より重要なのは第八の人牛倶忘。
 
第八の<月>は心身が脱落したあとの霊魂。これがほんとうの自分。
これを空と解説している人はまったくわかってない。
358名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 10:22:41 ID:ILXjqfax
>354
余り物と残り物の話をしているんじゃないんですけど・・・
avasistaのはなしをしているわけで・・・やはり分っていない。
心身以外に霊魂があるとは思いませんが月は「余れるもの」ですね。
そうそう
>空が人の種子なら、それは無自生であり、その後の縁起は生じない。
>人も世界も動いてるのにバカを言ってるんじゃない。
ほんと、こんな馬鹿なことを言ってては、永遠に玉ねぎの皮むきだ
359名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 11:17:24 ID:bhVL90pz
>>358
言葉は相手に伝わらないと無意味でしょう?
どんな話し方をするかであなた自身が見えてくる。
わたしはまったくのド素人、日常用語で話してほしい。
話をひっぱんないで、肝心なことを最初に話してほしい。
360名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 13:02:03 ID:bhVL90pz
>>356
自分の欲望との戦い・・・これは前進したり後退したりで、
少しづつレベルアップするもの。そのためこの段階だと決めづらい。
また第一から第八まで順序よく進むとも言いがたい。
もっと早い段階で第八に到達してしまう可能性もある。
第八が十牛図のハイライト。第九・第十は自ずから生じる。
361名無しさん@3周年:2007/01/13(土) 22:49:38 ID:ISCck0A/
十牛図の第八は月であり霊魂。
霊魂は霊体とはちがう。霊魂については >>340 >>348
霊体は形は体、内容は霊である。幽体離脱するのは霊体である。
362名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 00:35:22 ID:qj05RXX2
十牛図の<牛>は欲望だよね。
牛は見るからに、どう見ても欲望じゃないか。
ところが検索すると「ほんとうの自分」にしている解説が多いのだね。
変だね、バカだね、なんでこうなる・・・頭が転倒してるからだ。
363名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 09:42:57 ID:R/HlKJde
>355
理屈なんて関係ない・・・こう言う理屈を「屁理屈」と言う。
屁理屈こねずに坐れ
364名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 09:54:41 ID:l3RidqBt
>363
ただ坐れって高圧的な坊さんだね。坐る理由を話してからだろ。
理由もわからない能なしか。
365名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 13:36:55 ID:rDGb8Umb
十牛図を再び検索した。
どれもこれも全部、牛を真の自己にして、第八を空にしている。
どれもこれも、みんなまちがい。

どしてこんなことになるの? 第八を体験した人がいないから。
当たり前の話で、カラッポの〈空〉を体験したらウソになる。
 
それに牛はどう見ても欲望。牛は食欲旺盛な家畜だ。
牛を真の自己にしたら変だってことにどうして気づかない。
第八を空にするから、こんな馬鹿げた話になる。
頭が転倒してしまう。
366名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 15:24:28 ID:rDGb8Umb
十牛図の第八が<月>であることは
 
第七(忘牛存人)で、<月>を拝んでる図によって予告されてる。
367名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 17:49:59 ID:GcAZ8fc7
般若心経より十牛図のほうが簡単で正しい。
 
見性は生涯に一度で十分。何度も見性したなどとほざく坊さんは、
そう言うだけで悟ってないことを証明している。
十牛図の第十が大事だなどと言ってるヤツは悟ってない。
368名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 17:59:23 ID:R/HlKJde
お前もずいぶん高圧的だな。
悟ってのか?
369名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 18:05:48 ID:GcAZ8fc7
>368
わたしは理由を言ってるけど。
理由も言わずに、捨てろとか、坐れとか言う坊さんが高圧的なのだよ。
あなたを含めてな。坊さんは傲慢だな。
370名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 18:20:20 ID:R/HlKJde
理由を言っても高圧的だよ
あんた
それに、俺を坊さんと決めてかかるのも高圧的だ
たぶんあんた坊さんだろ?
371名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 18:22:32 ID:R/HlKJde
余計なことだが
高圧的な人間はたとえ正しくとも人から好かれないよ
高圧的な態度が嫌いなあんたには分かるだろ?
372名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 18:24:38 ID:R/HlKJde
ついでに言うと此処は2ちゃんだ
2チャンで偉そうに威張ってどうする?
現実を直視したくないからここに逃げ込むんだろ?
また〜りやろうぜ。
373名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 18:48:34 ID:wdLOJ93m
また〜りだと、ドアホッ。お前の理論をいますぐ言ってみろ。
374名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 21:04:48 ID:TTULaN1q
禅宗は不立文字とか言って悟りの内容をほとんど語らない。
 
その理由は、何も悟っていなかったから何も語れなかったというのが
ことの真相のようだ。
375名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 22:11:00 ID:m4ccrSII
理由を言わないで、捨てろ、坐れと無意味に繰り返す禅宗は、
 
中身を見せないで売りつけようとするインチキ商売に似ている。
  
理由を言わないのは中身がカラッポだからだ。
 
言わないのではなくて、中身がカラッポだから言えないのだ。 
376名無しさん@3周年:2007/01/14(日) 23:31:30 ID:1lj46QG7
寄り道したけど、般若心経の誤りはふたつある。
 
ひとつめは、<空>という、実体のない概念を最高の知恵にしている
ふたつめは、<空>を説きながら、ギャーテーという呪文を説いている
 
般若心経が誤っているからには、般若の経典全部が誤っているのであり、
これらは救いを求めてる人たちの迷いを深めるだけである。有害無益。
   
377名無しさん@3周年:2007/01/15(月) 00:25:08 ID:nzNBGxbv
般若の経典が消えれば、日本仏教はヒンズー教に近いかな。
現代のヒンズー教には一神教に脱皮した人たちもいる。
マハリシ、クリシュナなどの聖者もいる。バカにしたもんじゃない。
 
<空>を説きながら、ギャーテーという呪文を説いている。
これがなぜ誤ってるかについては自分で考えてね。
なぞが解けると悟りに大きく前進すると思う。
真言、陀羅尼などにも関係する。
378名無しさん@3周年:2007/01/16(火) 19:30:04 ID:4WBfwdDJ
般若心経はもう過去の遺物。<空>の概念も空論で終わった。
 
十牛図でたくさん。これを坐禅や瞑想の参考にしよう。
379名無しさん@3周年:2007/01/17(水) 19:29:40 ID:HzxozCR4
書店の宗教コーナーに行くと般若心経関係の本がかなりある。
これらの著者は<空>の支持者だ。よく覚えておくといいだろう。
最高の知恵が空? あなたが・・・<空>だ・・・カラッポ。
380名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 12:00:46 ID:Fj/7mGMZ
できたらこのスレでは空の否定やその押し付けではなく、
空の定義を教えてほしいのですが…
381名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 12:08:37 ID:ZmmunHKy
現時点では無理でしょうね・・・
あたま空っぽの人が張り付いてますからwww
382名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 12:42:42 ID:75ZP4wuV
別に頭が空でもいいんじゃないの?
383名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 15:43:35 ID:ZmmunHKy
おれは壊れたレコードや
オウム返しには耐えられない。
384名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 21:12:39 ID:75ZP4wuV
お前らは頭空っぽの方が夢詰め込めっていう有名な曲を知らないのか?
385名無しさん@3周年:2007/01/20(土) 22:18:54 ID:aIVbJsXi
笑顔ウルトラZで〜〜今日もアイアイアイアイア〜
386名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 22:00:53 ID:DymifHNl
スパーキング!
387名無しさん@3周年:2007/01/21(日) 22:04:37 ID:GCg2/63k
>386 (´,_ゝ`)プッ
388名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 06:37:55 ID:gowi/Cn7
あっそ
389名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 18:38:51 ID:6hTOSwti
十牛図について・・・
どなたかここに書いてある新解釈で十牛図の本を書いてください。
図や風景や天体写真などを使い、大きな字でレイアウト。
390名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 18:56:11 ID:h9V9GsYq
唯識三十頌を昨日、初めて読んでみた。
識の区別や性質はいいけど、完璧に転倒妄想です。
世親(ヴァスヴァンドゥ)は阿頼耶識が霊魂であることを知らない。
391名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 21:45:02 ID:/2DzFwPu
390↑さん もっと詳しく お願いします
392名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 00:34:02 ID:m0yDYHYD
わたしはまったくの素人であり、しかも唯識三十頌を昨日、ざっと目を
通しただけという、うすっぺらなので読み流してください。
 
八識の区別と、そのおのおのの性質に関しては正しそうに思う。
この話だけでもこの頌はすぐれたものであるとまず評価する。
 
ただ阿頼耶識を実体のない識にしてしまうため、我・存在の全体を
実体のないものであると結論する。そう結論するから
一切は依存関係にあり、「一切の存在は無性である」という話になる。
 
しかし阿頼耶識は霊魂であって形と内容をもっている。
そうすると我・存在は無性ではなくなり、仏教の前提である
唯識=空の概念はまちがいであり、仏教自体が成立しないことになる。
この世が実在するのに実在しないと結論する・・・転倒妄想。
393名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 01:00:56 ID:G+izpzZ5
>>392
阿頼耶識を「暴流のごとし」と喩える箇所があったと思う。
霊魂という固定的実体としてでなく、
自覚・無自覚を問わぬ認識作用全体の縁起の場として
読むべきではないかと思うが。

無常観を示す文章で知られる
「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず云々」は、
阿頼耶識の説明としても有効なように思う。
394名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 01:05:08 ID:G+izpzZ5
まあかく言う私も興味本意でちょっと勉強してるに過ぎないんだけど、
仏教思想の面白いところって、一見矛盾することを同時に示すところにあると思う。
うまく言えないけど、たとえばコインの裏表のようなもので、
裏の絵柄をみせれば「表と違うじゃないか」と言われ、
表の絵柄をみせれば「裏と違うじゃないか」と言われそうだが
どちらも違う立場から表現しただけで、同じことを言っている・・・みたいな。
395名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 01:35:54 ID:m0yDYHYD
>>394
信仰は個人の自由・・・おたがい参考にする程度でいいと思う。
 
世親が霊魂を知らないと判断したのは
阿頼耶識に形を見ていないからだが、「暴流のごとし」は正しそうの
疑わしい部分になる。霊魂は雲の中にじっと浮かんでいるのではなく
猛スピードでひたすらに走る。ただこの走りは「暴流のごとし」ではなく、
ひたすらな清浄さで時間の消えた世界を走り抜ける。
 
こんなことが書けるのも名無しのネットだからで、
名無しのネットがなければだれにも話さないし書かないと思う。
396名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 07:40:36 ID:rdK5uSGu
ユガ行派は何も机に坐って考え事してたわけじゃなくて
ヨーガの修習を通して思想を体系化したのでは?
ユガ行派の重要な点は思想ではなく修道の体系
世間道は出世間道に包摂される・・・なんて昔偉そうに書いてました。
397名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 20:08:50 ID:m0yDYHYD
再考しました。「暴流のごとし」は考えられなくはない。
煩悩で汚れた心にとって、阿頼耶識は「暴流のごとし」かもしれません。
たぶん体験が優先し、体験と思考によって三十頌ができたのでしょう。
ただ三十頌は、山の頂上直前、頂上の手前のように思います。
頂上に至れば阿頼耶識の形が見えるはずです。
398名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 21:24:03 ID:rdK5uSGu
アラヤに形象はありません。
したがってアラヤは一でもなく多でもない・・・なんてどうっすか?
399名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 22:35:00 ID:m0yDYHYD
そう思うのは自由でしょう。
ただ形のない識なのに、意識・マナ識・阿頼耶識に区別されることが
理解しにくい。川の流れに区別をつけるような困難さがある。
 
むしろそれぞれに、何らかの形があるほうが自然な気がする。
阿頼耶識は霊魂にあり、マナ識は脳細胞にあり、意識はマナ識を照らす
懐中電灯のようなものとして把握したほうがわかりやすい。
 
阿頼耶識の動きを感知できるか
何かを話すときに、話す内容を文章にしてから順次話すわけではない。
頭の中に、イメージが一瞬ひらめき、それを頼りに言葉がつむぎだされる。
このひらめきが阿頼耶識の動きではないかと思っている。
400名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 23:13:00 ID:G+izpzZ5
>>397
>たぶん体験が優先し、体験と思考によって三十頌ができたのでしょう。
このあたり同感です。
そういやこれも方丈記だったかな。・・・ふと思い出しました。
「一人一日の内に八億四千の念(おもい)あり。
念々に為すところこれみな三途の業なり。」

元々、ヨガ行者たちの内面観察と
アビダルマ仏教の心の縁起(煩悩論とか)が結びついて出来たのが唯識と
言えるでしょうから、
意識・マナ識・阿頼耶識とかも
彼らの内観行において、「認識活動の働き方」として
見出されたものと言えるのかもですね。

当時としては、
「脳という身体機関があって身体各部の神経反応を統合し云々」みたいな
科学的な観察もあり得ないわけですからね。
401名無しさん@3周年:2007/01/30(火) 23:20:06 ID:G+izpzZ5
>>399
>ただ形のない識なのに、意識・マナ識・阿頼耶識に区別されることが
>理解しにくい。川の流れに区別をつけるような困難さがある。

唯識構造の提示は
「仮設」あるいは「方便」にあたるんじゃないかと思ったりしてます。
「一切は縁起」ということを
内観を通じて体得するに至るために、仮に説いてあるもの、みたいな・・・
三十頌でいうと、第17偈で視点がぐるりと転換するところがあって、
そこがポイントのように思えたり。
402名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 23:20:23 ID:qDSHl+9B
たしかに第17偈で変わりますね。
それまでは事実の描写なのに、ここから論証のない主張のようです。
論証のない主張・・・我・存在は実体のない無相である。
 
阿頼耶識に形がなければ、認識は川の流れの波紋や渦でしょうか。
そうすると認識は、消えては現れ、現れては消えるのだから
無相と言ってもいいような姿をしているのかもしれません。
403名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 23:54:16 ID:SKf3IwEi
>>402
そうですね。
私としては、体証的な表現に近いのではないかと思う反面、
初期大乗仏教の般若思想を取り入れた際の
いわば「継ぎ目」のような部分にあたるのかと思ったりもします。

>そうすると認識は、消えては現れ、現れては消える
まさに「刹那滅」ですね。
404名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 00:00:03 ID:qDSHl+9B
一日に八億四千の念いですか。一秒に一万の念いですね。
これは阿頼耶識の想像を絶する能力です。
 
中観の<空>は唯識でいう阿頼耶識です。阿頼耶識なら
<空>どころか、まさに般若の智慧ではないでしょうか。
<空>という言葉は卒業すべきだと思っています。
405名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 00:30:43 ID:6KbTlPqm
>>404
まあ、方丈記?の記述は、最近目にしたものをふと思い出しただけなので
本来唯識とはあまり関係ないのかもしれませんが、
唯識の内観は、意思や思考、感情といった精神的な活動に限らず
身体的感覚といった面にも向けられた、
いわば身心全般の認識活動を対象としていたんじゃないかと思います。
それにしても1秒1万は凄い数え方ですが、
「自分でも意識できないくらい色んな認識が動いてる」くらいの
捉え方でいいと思います。
まあ、なんといっても阿頼耶識は「あらゆる行いの蔵」とされるわけですからね。

「空」については、、、難しいところですね。
唯識の提唱した先が、「空」ではなく「真如」と表現されたことから
それを初期大乗仏教からの逸脱の経過と指摘するのもあれば、
やはり「空」に結びつけて「初期大乗としての唯識」とするのもあったりで
ここは一筋縄じゃいかなそうなとこですね、、、ちょっと考えてみたいと思います。
406名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 11:29:41 ID:T+G0oYIZ
感想
せっかく認識主体、認識対象から離れるために「識」
があるのに、アートマンのように理解したら元も子もない。
407名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 18:45:44 ID:AamTJPzm
自分の道は自分で選ぶ。これがベスト。
どんな道を選んでも責任は自分自身にある。他人ではない。
ただし道をまちがえたら、出発点にもどらなければならない。
別の道にワープするわけにはいかない。
過ぎてしまえば短い人生、まちがえたらきついよね。
408名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 19:35:40 ID:GT7TPZxp
仏教は残念だけど転倒妄想。
 
ブラフマンとアートマンを説くヒンズー教のほうが正しい。
 
仏教の誤りは、縁起に足をとられ、事物に実体があるかないかを
 
検証していないことにある。実体と縁起は別の話である。
 
唯識も同じ。阿頼耶識が実際にあるかどうかを検証していない。
 
世親は阿頼耶識を仮にする根拠を語っていない。
 
仏教が誤った道を説いていたら?・・・その罪は重くないか。
409名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 21:03:08 ID:7cRtN2EG
いないと思うけど、十牛図第八の人牛倶忘や、唯識の阿頼耶識を
体験したいなら、命を失いかねないことを覚悟してください。
 
霊魂のときは仮死状態です。脱魂も奇跡的ですが、
再び戻ってくるのも奇跡的です。猛スピードで雲の中を走る霊魂を、
仮死状態のまま呼び戻す力がないと死にます。
 
人にはアートマン、すなわち実体があるから仏教は誤り。
特に空の思想・唯識の思想は魔道である。
410名無しさん@3周年:2007/02/01(木) 23:30:11 ID:6KbTlPqm
ヒンズー教徒ってこの板自体であんま見たことなかったからなんか新鮮だな。
ま、いーや。明日から旅行行くんで
また機会があったら覗きに来ますノシ
411大王:2007/02/02(金) 00:39:41 ID:WYH6OayV
ヒンズー教は、、論理的やれば、くずれる、、
70年代以降の西洋哲学の思想で論破できる、、論理的には、、、
仏教は、、それでも、論理的に残る、、、

神秘主義的には、ヒンズーは存在する、、が、、
論理的、西洋哲学的には、、ヒンズーは存在しない、、、
412名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 07:24:17 ID:cDAQai5w
たぶん408も411もヒンドゥー教とバラモン教の違いが分かっていないと思うね。

413承狂:2007/02/02(金) 11:16:57 ID:PFoSMBx9
411は、基督教と仏教を同時に信仰してる感情論者だからな。
論理的思惟なんか期待するな。
414名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 11:26:16 ID:FaQwQLB7
>>411
ヒンドゥーにはニヤーヤ、ナヴィヤ・ニヤーヤという論理学の巨頭があるんですけど。
しかもまだ完全に学者によって解明されてないのに、なんで分かるのか?
415名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 12:02:11 ID:cDAQai5w
妄想で分かってんでしょうね・・・
416大王:2007/02/02(金) 21:42:16 ID:WYH6OayV
ふーん、、、記号論なんて、しらねえだろうな、、、宗教論で、、正しいと、論じたいのだろう??
417大王:2007/02/02(金) 21:53:19 ID:WYH6OayV
まあ、神秘主義や、輪廻など、、実証不可能だし、、、論理では解けないわな、、
論理的に実証できうるものという、限定で捉えた場合、、ヒンズーは脱落するということだわ、、

神秘主義的に存在は認めるけどね、、、、
418承狂:2007/02/04(日) 12:51:53 ID:UEYLhlv8
オイオイ、ダイオウよ。
アッチのスレで俺が相手してやるから、半可通で恥ずいマネはよせよ。
419承狂:2007/02/06(火) 13:45:14 ID:tiUTBRqd
408に。
世親に関しては同意ですけど、
実体の説明が縁起ですぜ?

個体は細胞群で出来、細胞群は有機化合物で、分子はフォークってのも縁起だし、
時系列で見ても縁起だし。

シバ神のダンスよりは論理的だろ?
420名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 18:47:11 ID:y2dVf8zI
承狂さん、仏教自体がインド伝来の宗教だからね
 
まず作用・反作用で説明しようか。
 
これは関係であって、因果関係と相関関係を含んでいる。
 
これが縁起であり、作用・反作用には実体がないという結論になる。
 
しかし<作用点>がなければ作用も反作用も起こらない。
 
この<作用点>が実体だ。人間で言えば<命>
 
<命>は関係じゃなくて、形をもった霊であり、実体である。
 
仏教は、この<命>を捨象してしまったということじゃないか。
421承狂:2007/02/08(木) 01:34:02 ID:kyC/xBSh
そして、その作用点は、物理的観測や計測が不可能である為に、実に種々の仮説が提唱され、信じられているが、それが確認出来たからと言って、ソイツの心の制御が出来る訳ではない。
従って、その種の事は無記とされ、自心の事に当たるのが仏教哲学の初歩さ。
422名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 01:53:45 ID:/OilX7fT
霊魂は物質とちがうから物質を測定する機器では観測できない。
 
その人自身が心の中に探し、心の中で体験するしかない。
 
そういうことなので霊魂は個人的なものであるが、霊魂の形は球であり、
 
その内容が霊であるということは、昔から語られてきたことであり、
 
それを体験した人たちの共通する事項である。
 
これは神を推測させる内容を含んでいるのであり、霊魂が形を持つから
 
神ではないのであり、形をもたない霊という存在が神になる。
 
この霊、霊そのものを体験することが現実にありえる。神は体験できる。
 
つまり梵と我とは別物ということ。梵我一如は誤りである。
423承狂:2007/02/10(土) 02:16:40 ID:CB1RdNXK
カヨウな輩が多い為に、私は唯識を否定する。
424名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 11:33:14 ID:uJqMRISG
福音書に出てくる「豚に真珠」・・・真珠は球形である。
 
占い師の水晶球・・・これも球形である。
 
霊魂は球形かもね。
425名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 18:48:12 ID:uJqMRISG
太陽も月も地球も、宇宙の星々も球形である。 
 
そして霊魂も球形・・・やっぱしそうかという感動がある。
 
イエスはふたつのことを教えている。
 
神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
 
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
 
426承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/02/12(月) 18:59:03 ID:NGleli1K
ガルルルル
ウ~〜
427承狂 ◆nR84EH8w52
保守だ。
法をカタるイカさーん、唯識卅頌でも語れや。
バカ見た様な比喩とか使わずにさ。