霊能より大事です
2 :
名無しさん@3周年:2006/01/14(土) 07:08:58 ID:whHmwRSo
楽々2ゲトー
3 :
名無しさん@3周年:2006/01/14(土) 07:10:22 ID:XcdG2vEx
3ゲタン
마음。
마음。 「マウム」と「マインド」は同一語源?
心は大事です
すべてのものは、心から起こると、仏は正しく知っている。
だから、このように知る人は、真実の仏を見ることになる。
( 楞伽経 )
すべてのものは、みな心を先とし、心を主[あるじ]とし、心から成っている。
汚れた心でものを言い、また身で行うと、苦しみがその人に従うのは、
ちょうど牽[ひ]く牛に車が従うようなものである。
しかし、もし善い心でものを言い、または身で行うと、楽しみがその人に従うのは、
ちょうど影が形に添うようなものである。
悪い行いをする人は、その悪の報いを受けて苦しみ、
善い行いをする人は、その善の報いを受けて楽しむ。
(首楞厳経)
--------------------------
み な さ ま 善 い 心 で も の を 言 い ま せ う
で、善い心とは、どんな心?
9 :
名無しさん@3周年:2006/01/29(日) 08:51:07 ID:4piuMLTU
>>8 >善い心でものを言い、または身で行うと、楽しみがその人に従う
ということですので、
もしこのスレで善い心でものを言い合えばここは【楽しみが生まれるスレ】
になるはずです。宗教の枠、信仰のあるなしの枠を超えて皆で「実験」してみましょう。
ここでの「楽しみ」とは、「悟りの楽しみ」とみました。
参考:【楽しみ】
この世の栄華にあこがれ、
愛欲に心を乱していながら、
さとりの道に入ろうとするのは難い。
世を楽しむことと道を楽しむこととはおのずから別である。
すでに説いたように、
何ごとも心がもとである。
心が世の中のことを楽しめば、迷いと苦しみが生まれ、
心が道を好めば、さとりと楽しみが生まれる。
(パーリ、増支部3-88)
10 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 09:01:40 ID:4GL2uclK
この板は「心と宗教」板。
「心」が「宗教」よりも、先です。
訂正
>>9 >ここでの「楽しみ」とは、「悟りの楽しみ」とみました。
「悟りの楽しみ」ではなく「道を楽しむこと」でした。
12 :
名無しさん@3周年:2006/01/29(日) 11:22:37 ID:8AAu+cx3
>>10 その通りだが、あんた、宗教とビジネスは両立しないってこと、知ってるか?
両立しているところは、単に世俗の団体。真理とは無縁の団体。
お前に言ってもわからんだろうけどな。
13 :
名無しさん@3周年:2006/01/29(日) 13:58:11 ID:3qNK6dts
マインドからの解放が悟り
14 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 14:00:50 ID:4GL2uclK
宗教とビジネスは両立するのが当たり前。
この世のすべては一つの枠で同化する。
15 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 14:08:34 ID:4GL2uclK
>>12 松下電器が良い例。
幸之助死後の松下電器が良い例。
今は白物の座は、シャープに奪われたでしょう。
黒物はよくわからないけど、シャープアクオスは元気よね。
16 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 14:22:16 ID:4GL2uclK
鈴木敏文、経済は心理学。
でも鈴木会長の言葉を読めば、宗教と言えるものがある。
世界中に日本語を外国語に変えたセブンイレブンジャパンの「タンピンカンリ」。
宗教とさえ言えるものが、セブンイレブンジャパンの経営を、世界がモデルとする。
17 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 14:37:47 ID:4GL2uclK
18 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 14:49:36 ID:4GL2uclK
藤原紀香さんの著作「藤原主義」は名著と思う。
単なる芸能人の本じゃない。
成功哲学、宗教、ビジネスが融合した作品。
19 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 15:09:11 ID:4GL2uclK
そして何と言っても、みんなが2ちゃんねるを使えるのは、ビジネスと宗教を一緒にした、京セラ名著会長稲盛和夫がいたから。
20 :
希美 ◆55nynIr58w :2006/01/29(日) 15:23:32 ID:4GL2uclK
そしてキリスト教出版社でなく、日本看護協会が次のような本を出したことが、宗教とビジネスは同一の現れ。
「黙して、励め」(病院看護を拓いた看護修道女たちの19世紀)
著者:シオバン・ネルソン
訳者:原田裕子
発行:日本看護協会出版会
3800円+税 ISBN4-8180-1078-2
〜本書内の推薦の言葉より〜
中世の看護修道女会は、会則に看護活動をうたっていても、イエスをもてなそうと忙しく立ち働くマルタ(労働修女)よりも、イエスの足元に座ってみ言葉をひたすら聞くマリア(観想修女)のほうに重きを置いていた。
それがいまや、もてなしの心つのらせ有用な労働をするマルタこそが社会に求められ、実際に役立ったのだった。
(中略)
修道女であることと看護師であることとどちらかを選ばなければならないとしたら?と問われたシスター寺本松野が、ためらわずに看護師を選ばれたことを想う。
看護師であることは修道女であることなのである。
それも、マルタであるということである。
すべての人びとには、清浄[しょうじょう]の本心がある。それが外の因縁によって起こる迷いのちりのために覆われている。
しかし、あくまでも迷いの心は従であって主ではない。
月は、しばらく雲に覆われても、雲に汚されることもなく、また動かされることもない。
だから、人は浮動するちりのような迷いの心を自分の本性と思ってはならない。
また、人は、動かず、汚されないさとりの本心に目覚めて、真実の自己に帰らなければならない。
浮動する迷いの心にと らわれ、さかさまの見方に追われているので、人は迷いの巷[ちまた]をさまようのである。
(首楞厳経)
22 :
名無しさん@3周年:2006/01/30(月) 09:25:04 ID:qVo90Wge
人には清浄の本心がある 清浄の本心を覆うちりのような迷いの心を本性と思ってはならない
と経典に書いてあります。
人には清浄の本心があると思う?
23 :
名無しさん@3周年:2006/01/30(月) 11:19:05 ID:Y0wK4ZWw
韓国人の心
実に良スレですな。
heart
27 :
名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 17:31:13 ID:Wo2HFrpJ
オレノココロハオレノモノ
28 :
誘導: