坐禅と見性第三十五章

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927魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/22(水) 11:36:18 ID:fDKLPyUe
今も、きこえるなー。

1階の特定の部屋でのみ、きこえて2階では、きこえない、この不思議。
928名無しさん@3周年:2006/02/22(水) 13:56:39 ID:6TmSPkLA
>>927
それなら取り敢えず病気じゃないようだね。
耳付近の動脈血管の通りが良くなかったりすると太鼓や電車のような音に聞こえるらしいけど。
この場合血栓だと命取りの危険性がある。
原因云々言ってるより、病院でCRTで看てもらう方が効果的。
929魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/22(水) 21:01:45 ID:CgoM0qJH
ディズニーの新しいアニメ(TVでやってる)には、おもしろいものがある。
哲学的な示唆を含んでいるようなアニメ。見て得したよ!
>>926
> >>925
> だから、あはなんだ。

解りやすいんだ、あはって・・・

七誌さんは、どう?
931名無しさん@3周年:2006/02/24(金) 05:45:27 ID:Nmt010uk
>930 ←異常
932魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/24(金) 11:24:42 ID:y+YZdvmm
金メダル

キタ━━━━━━(`∀´)━━━━━━!!!!!!
933名無しさん@3周年:2006/02/24(金) 23:00:34 ID:jTbV89yL
アズマックス!
934うすら:2006/02/25(土) 11:49:16 ID:b9wMh5uu
仏道をならふといふは、自己をならふなり
935ネオ ◆XRhOafI0.w :2006/02/25(土) 12:35:06 ID:n6/VCx2J
おう、おう、おう、うすらキタ━━━━━━!!!!!!
936うすら:2006/02/25(土) 13:08:03 ID:b9wMh5uu
ネオ久しぶり〜、木っ端みじんになりながらようやく、道元にたどり着いたかな。
937名無しさん@3周年:2006/02/25(土) 13:45:23 ID:7EkEhcn0
自己を習うというのは、自分がどのように成り立っているかをしること、基もとの自分に
気づくことだった。
自分をしることは言葉や知識でしることではなく、自分のからだでしることだった。
逆に言葉や知識で理解しようとすれば、一見速そうだけれど、実は永遠に仏法や道元禅師の
伝えようとしたことが解らない。
去年うすらさんだったと思うけれど、仏鈴が何故あるのかという質問があって、私は正法眼蔵
摩珂般若波羅蜜多の如浄禅師の言葉で答えたことがあった。
仏鈴が何の為にあるのかを知りたくなったのが、それまで全く仏教の知識や関心のない私が
仏教を学ぶきっかけになった。
そして結果的に仏鈴の音で見性した。
見性には言葉も知識も要らなかった。将に不要なものだ。
938ネオ ◆XRhOafI0.w :2006/02/25(土) 14:59:29 ID:n6/VCx2J
>>936
うすら久しぶりー、坐は続けてるみたいやね
木っ端微塵になりつつも、忘れて、忘れて、ついには跡形もなく
道元はやはり只管打坐だね

>>937
あー、これ無心の人だろ、たまーに来る
939うすら:2006/02/25(土) 15:10:55 ID:b9wMh5uu
基の自分を体験する前段階なのか、今までのうみが吹出したのか、精神分裂症を体験しました。お蔭様でアルコール依存も直り適切な薬を病院で貰ってる最中です。さてさて今後どうなることやら
940ネオ ◆XRhOafI0.w :2006/02/25(土) 15:27:05 ID:n6/VCx2J
それは大変だったね・・・ 探求はメンタルヘルスを志すものではないけど、気をつけてね、
書き込めるくらいなのだから心配ないと思うけど、元気そうで
941うすら:2006/02/25(土) 15:49:26 ID:b9wMh5uu
はくいん禅師も心の病になったらしいし大丈夫やと思うW
942ネオ ◆XRhOafI0.w :2006/02/25(土) 16:23:05 ID:n6/VCx2J
夜船閑話ね。まぁぼちぼちとw
943魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/25(土) 17:14:43 ID:syBrxsZj
◯が、マジすぎて笑える(激ワラ
944うすら:2006/02/25(土) 18:20:04 ID:b9wMh5uu
須らく回光返照の退歩を学すべし
なるほろ、なるほろ。せったん老師が以前よく言うてたな
945名無しさん@3周年:2006/02/25(土) 18:23:47 ID:gxJg4Y+L
うすら、とうとうやったようだな
946魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/25(土) 18:43:45 ID:D2x+mR3D
うすっぺらだよなぁ〜。ほにゃららは^^。なんなんだ、こいつはw
947魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/25(土) 18:44:44 ID:D2x+mR3D
こやつ
948うすら:2006/02/25(土) 21:44:07 ID:b9wMh5uu
マントさん俺の事言ってる?もしそうなら大当たりです。
949魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/25(土) 22:12:58 ID:D2x+mR3D
うすらさんのことじゃないよ。
>>949
> うすらさんのことじゃないよ。

じゃあ、おれのこと?
(°°;))。。オロオロッ。。’’((;°°)
951名無しさん@3周年:2006/02/26(日) 12:20:48 ID:oBaPur9O
最近座禅やってるけど、終わった後すがすがしい気分になるね。
いろんな刺激が新鮮に感じられて。ごはんも美味しく食べられるし。健康にも良いのもわかる。
952魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/26(日) 18:40:01 ID:Y4+dETnO
まあ、坂本龍馬は、イギリスには、行ってないだろうよ。もし、本当に行って
たら暗殺されずにすんだかも、しれないが。(ワラ

一つ教えておくが、暗殺されるような奴は、英雄ではない!(ワラ
高知の銅像も、もういらんよ(ワラ
953せったんmyoejoe:2006/02/26(日) 20:55:13 ID:iXJfGmJQ
あしびきの雪ふり袖の如くして出雲の阿国が問ひ越すはいつ
出雲の阿国が伝えたという綾子舞の里、柏崎鵜川の上流にある、出張費15万だってさ、いい踊りだよう、だれか出資者いねえかな、お寺でお披露目。
954せったんmyoejoe:2006/02/26(日) 20:57:37 ID:iXJfGmJQ
木沢なむ山沢ならむ標立ち女川とふ雪振袖の
近くに風の座という変わった喫茶店もあるよ。
955せったんmyoejoe:2006/02/26(日) 20:59:47 ID:iXJfGmJQ
そうよなあほんにさ、早く生死に決着をつけて下さい、こーんなにいものないよ、毎日がお祭りってなもんの、三つ四つのころだわさなあ、えへへ。
956名無しさん@3周年:2006/02/26(日) 21:15:46 ID:YiT1Ib5p
三つ四つの子供は、女の尻さわったりせんがな
957名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 00:16:45 ID:TCtgdPle
出戻りのモラトリアム
958うすら:2006/02/27(月) 07:41:34 ID:sNam9itJ
永遠のいま
959名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 09:09:16 ID:x9MNkiN+
言葉に表せない見性をあえて言葉に表せば、
差し当たり、その言葉が表せる一部分的な意味で
例えば数字の「0」は見性に近い表現になるでしょうか?
その頭で思う「0」のようなものと、身・体・呼吸、実際の生活など全てとが一体になって
初めて見性の入り口みたいな感じ?
哲学の解説書などを読んで、0についての話が あ〜そんな感じか、
と思えたものですから。
どなたかお教え頂ければ幸いです。
960せったんmyoejoe:2006/02/27(月) 11:37:17 ID:LK6ndlMq
ゼロを知る人すべからくゼロを去って下さい、うっふっふ三つのがき女の尻をさわる、だからなんだというが如きのをさ、まったく免れることなくんば担いで帰る以外になく。
961名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 12:38:20 ID:x9MNkiN+
↑せっかくレス頂いたのに大変恐縮なんですが、
文が難しくて分りませんm(__)m

ゼロを知る人すべからく=ゼロを知っているならば?
ゼロを去って下さい=ゼロは忘れてください?
だからなんだというが如きのをさ=?
まったく免れることなくんば=?
担いで帰る以外になく=?

ほんとすみません。。古語な感じの文は苦手なもので
できれば現代語のたとえでレス下さるとありがたいです。
962名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 12:51:33 ID:MU2TDwgW
元々生まれた時点ではゼロなどという概念も、知識も、言葉も無かったという事です。
あったものをそのまま受け入れたということです。
963名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 13:07:00 ID:x9MNkiN+
↑有難う御座います。概念や言葉などなにも無いところを、あえて
たとえば公案のように無理矢理に言葉にたとえて文字に表すと、
そのレベルでは、たとえば仮に「0」のようにある訳でもでもない訳でもない
あるがままの姿(もちろん0のような姿形があるわけではないが)、
とそんな感じ?まだてんでダメでしょうか??
964名無しさん@3周年:2006/02/27(月) 18:29:24 ID:jSvOVrcI
あっはは
女の尻なら、担いでいっても苦にはならんか
まあ、そのとうりなんだがな
965名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 02:09:16 ID:q5q20W0y
「ゼロ」歳児を引き合いにした時点で、せったんも>>963も表現的には似たような物ではないか。
try now

空から落ちてくる透明なタライをギリギリまで我慢するゲーム「SoraKaraTarai」
http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/02/27/sorakaratarai.html
967名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 13:40:46 ID:k7/WUI71
あれこれ考えるのを止めてみる。
どうせ考えたってわからないのだから。
まァ、何も考えず音に身をゆだねてみなさいよ。
968名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 15:15:18 ID:x+VX28vA
典型的な「分ってない人」ですみません。。

>>965 ゼロ歳児??ゼロを引き合いにしてるのがペケでしょうか?
言葉を引き合いにしてる時点でペケということでしょうか?

>>967 禅・見性からは完全に離れて、禅学として言葉に表した場合、
それでも「0」は多少なりとも見性のニュアンスなしでしょうか?
969neo ◆u12SwCEviQ :2006/02/28(火) 17:18:31 ID:C68hqZOB
禅、見性から離れるなら他スレへ行くがよろし
970名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 20:15:08 ID:x+VX28vA
↑ ごめんなさい、私は場違いみたいです。。。
差はあれども、初関通ったのも、最後の大悟徹底したのも
言葉としては「見性した」という表現になるのでしょうか?
971魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/28(火) 20:18:26 ID:+zGcY172
なんで、このスレから出て行けになるのか?
とても、見性してるやつの言葉では、ないようなw
>>959
> 言葉に表せない見性をあえて言葉に表せば、 差し当たり、その言葉が表せる一部分的な意味で例えば数字の「0」は見性に近い表現になるでしょうか?
> その頭で思う「0」のようなものと、身・体・呼吸、実際の生活など全てとが一体になって 初めて見性の入り口みたいな感じ?
> 哲学の解説書などを読んで、0についての話が あ〜そんな感じか、 と思えたものですから。 どなたかお教え頂ければ幸いです。
>>961
> ↑せっかくレス頂いたのに大変恐縮なんですが、 文が難しくて分りませんm(__)m
> ゼロを知る人すべからく=ゼロを知っているならば?
> ゼロを去って下さい=ゼロは忘れてください?
> だからなんだというが如きのをさ=?
> まったく免れることなくんば=?
> 担いで帰る以外になく=?
> ほんとすみません。。古語な感じの文は苦手なもので できれば現代語のたとえでレス下さるとありがたいです。
>>963
> ↑有難う御座います。概念や言葉などなにも無いところを、あえて たとえば公案のように無理矢理に言葉にたとえて文字に表すと、
> そのレベルでは、たとえば仮に「0」のようにある訳でもでもない訳でもない あるがままの姿(もちろん0のような姿形があるわけではないが)、 とそんな感じ?まだてんでダメでしょうか??
>>968
> >>965 ゼロ歳児??ゼロを引き合いにしてるのがペケでしょうか?
> 言葉を引き合いにしてる時点でペケということでしょうか?
> >>967 禅・見性からは完全に離れて、禅学として言葉に表した場合、 それでも「0」は多少なりとも見性のニュアンスなしでしょうか?

横レス・・・スマン
ゼロは、禅で言えば「空」でしょうか、「無」でしょうか。
ゼロは、インド人の発見ですが、これが全くのなんにもないという意味ではないんだそうです。
ゼロにはなんにもないんですが、そこから、何かがあるほうへ進んでいくのが、ゼロ、なんだそうです。
ゼロが、ゼロではないんですよね。
一切皆空(いっさいかいくう)
あなたのゼロで言うならば、「物質は、ゼロである。」と言う事と同じでしょうね。
また、色即是空(しきそくぜくう)とも、同じでしょうか。

973魔法のマント ◆zPDVctO00E :2006/02/28(火) 21:13:23 ID:qAsQ0tZz
『宇宙の柱』
>>973
ただたんに、はしら つながり ですが・・・

> 柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか
975名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 04:13:49 ID:a/c4i3q1
『大疑は大悟の基』
大いに疑問を起こすことは、やがて大いに悟(さと)る基になるということ。疑問を持たなければ悟りは得られない。
976名無しさん@3周年
>>972 すみません、相手にしてもらって。

>ゼロは、禅で言えば「空」でしょうか、「無」でしょうか。
0は空・無でもあり、また空・無でなくもあるかと。
なので、この意味では0は空でも無でもないように思うのですが。。

>ゼロは、全くのなんにもないという意味ではないんだそうです。
>ゼロにはなんにもないんですが、そこから、何かがあるほうへ進んでいくのが、ゼロ、なんだそうです。
>ゼロが、ゼロではないんですよね。
お話がゼロの哲学で、禅や見性とは異なるのでは?

>一切皆空(いっさいかいくう)
>あなたのゼロで言うならば、「物質は、ゼロである。」と言う事と同じでしょうね。
>また、色即是空(しきそくぜくう)とも、同じでしょうか。
ほんとごめんなさい。。お話の意図を汲めません。
別のお話を頂ければ幸いです。