神道に救いなしと宣伝するくしこに騙されてはなりません。
神道に救いはもちろんあるのです。
まず、「救う」の語義を知りなさい。
つらい、どうにもならない、苦しい、そういう状態から引き上げ軽くするという意味です。
気力の失われた心を元の状態によみがえらす元気を与えるのが神道の極意です。
元気とは気を元に戻すことであります。正気とは気を正すことであります。
気とはこの宇宙を縦横に巡っている目に見えない神の力です。
それは大地を巡り、人体を巡ります。
気が病めば病気になり、狂えば狂気になり、よどめば気色が悪くなるすなわちオーラが悪くなります。
気が生命であり神の力であり、キリスト教徒の言う聖霊です。
さて、救うの語に対応するのは、「起死回生」です。
循環する中で、季節とともに、気はおとろえます。それを奮い立たせる行事が神道にあるのです。
その最初は、やはり、イザナギノミコトでありました。
イザナギノミコトは一度黄泉の世界に入り、そこから脱出してよみがえったのです。
死んでよみがえった神様はほかにもいます。大国主命もそうです。殺されてもよみがえった不死の神です。
この死んでも蘇る、一大事に当たって、奇跡的回復を遂げさせる術を与えるのが神道です。