■■受肉論の誤謬告発スレッド■■

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1名無しさん@3周年
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/1737/1084031772/28-32
> D主イエスが人として生まれたのはマリヤからですが、父なる神と同質の神の
> 御子として生まれたのは造られたすべてのものより先であり、マリヤは神の母
> ではありません。コロサイ1:15-17

確かに「カルケドン信条(>>4-5参照)」では、
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/kato.html
「神性においては、この世の前に父から生まれたが、
この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、
われわれのため、われわれの救いのために、
神の母(Θεοτόκος・生神女)、処女マリアから生まれた。」
となっており、これを否定すると「単性論」になります。
しかし、これは御子の本性(φύσις)が2つあるという意味で、
御子の位格(πρόσωπον)が人格と神格とに別れるという意味ではありません。
御子の位格は唯一の神格です。 御子の位格の唯一性を認めない場合、ネストリオス異端になります。(>>2参照)
本スレッドで採り上げた教理は、公教及び正教に限るものではなく、
福音主義を掲げる教会でも認められているものです。(>>3参照)
2名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 13:41:07 ID:IJi0PQ8H
マリアが「神の母」というのは、三位一体の唯一の神性の母という意味ではなく、
御子なる神格の母という意味です。
例えば、もし「神の子」が神性の子とすると、
三位一体の唯一の本性の子ということになり、
キリストは御父の神性の子、聖霊の神性の子、御子自身の神性の子になり、
サベリオス異端になります。ですから、「神の子」は御父なる神格の子という意味でなければなりません。
御父が神格であるということは、御子も聖霊も神格ということになります。
御子は一つの神格であって、人格ではありえませんし、神格と人格に分かれることもありません。
コンスタンチノープル公会議(381年)でにおいても、御父と御子と聖霊のことを、
三つの神格 "the three divine persons" と呼ばれています。
http://www.piar.hu/councils/ecum02.htm
So what is presented here is the synodical letter of the synod of Constantinople held in 382,
which expounded these doctrinal decisions, as the fathers witness,
in summary form: namely, along the lines defined by the council of Nicaea,
the consubstantiality and coeternity of the three divine persons against the Sabellians,
Anomoeans, Arians and Pneumatomachi, who thought that the divinity was divided into several natures;
and the enanthropesis (taking of humanity) of the Word,
against those who supposed that the Word had in no way taken a human soul.
3名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 13:41:40 ID:IJi0PQ8H
ルター派は「和協信条」の中でマリアを「神の母(Θεοτόκος)」であることを認めています。
「日本福音ルーテル教会」の公式ホームページ
http://www.jelc.or.jp/JELC/whatsjelc.html
「日本ルーテル教団」の公式ホームページ
http://www.jlc.or.jp/
「旧新約聖書が信仰と行為の唯一明確なる規範たることを主張し、
信条として使徒信条、ニケア信条、アタナシオ信条、アウグスブルク信仰告白、
同弁証論、大・小教理問答、シェマルカルド信条、和協信条を採用します。」
「和協信条」
http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/wakyou.html
「第8条 キリストの位格について
7. マリヤは人の子を宿し生んだのではなく、神の子を宿し生んだ。それゆえ、神の母である。」

"The Lutheran church-missouri synod" の公式ホームページ
http://www.lcms.org/
http://www.lcms.org/bookofconcord/fc-ep.asp
"12] 7. Hence we believe, teach, and confess that Mary conceived and bore
not a mere man and no more, but the true Son of God; therefore she also
is rightly called and truly is the mother of God."
4名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 13:55:22 ID:IJi0PQ8H
また、改革・長老派で承認されている「カルケドン信条」の中で、マリアを「神の母」であることを認めています。
http://www.calvin.org/souritsu.htm
「日本基督改革派教会信仰規準の前文」
教会ハ古[いにし]へヨリ使徒信条、ニカヤ信条、アタナシウス信条、
カルケドン信条ナル四ツノ信条ヲ教会ノ基本的、
普遍的信条トシテ共有シ来レリ。
カルケドン信条は>>4-5を参照。

カルケドン信条とは、23人の主教により起草され、カルケドン公会議451年10月22日第5回総会で定められた信条です。

以下がそのギリシャ語の全文です。

Επόμενοι τοίνυν τοις άγίοις πατράσιν, Ενα και τον Αυτόν
όμολογεΐν Υίόν τον Κόριον ημών Ι. Χριστόν συμφώνως άπαντες
έδιδάσκομεν: τέλειον τον Αυτόν εν θεοτητι και τέλειον τον
Αυτόν εν άνθρωποτητι. θεόν άληθώς και άνθρωπον αληθώς τον
Αυτόν, εκ ψυχής λογικής και σώματος, όμοούσιον τω Πατρί κατά
την Θεοτητα και όμοούσιον τον Αυτόν ήμΐν κατά την ανθρωπότητα.
Κατά πάντα ομοιον ήμΐν χωρίς αμαρτίας.
5名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 13:57:37 ID:IJi0PQ8H
>>4のつづき
Πρо αιώνων μεν εκ του Πατρός γεννηθέντα κατά την θεότητα.
Έπ' εσχάτων δε των ήμερων τον Αυτόν δι 'ημάς και δια την
ήμετέραν σωτηριαν εκ Μαρίας της Παρθένου της Θεοτόκου κατά
την ανθρωπότητα.
Ενa και τον Αυτόν Χριστόν, Υίον, Kopιoν, Μονογενή εν δύо φύσεσιν
άσυγχύτως, άτρέπτως, αδιαιρέτως, άχωρίστως γνωριζομενον.
Ουδαμου της των φύσεων διαφοράς άνηρημένης δια την ένωσιν, σωζόμενης,
δε μάλλον της ιδιότητος έκατέρας φύσεως και εις εν πρόσωπον και μίαν
ύποστασιν συντρεχούσης.
Ουκ εις δύо πρόσωπα μεριζομενον ή διαιρούμενον, αλλ' Ενα και τον Αυτόν,
Υίόν και Μονογενή, θεόν Λογον, Κύριον Ι. Χριστον.
Καθαπερ άνωθεν οι προφήται περί Αυτού και Αυτός ημάς
ό Κύριος Ι. Χριστός
έξεπαίδευσε και τо των πατέρων ήμΐν παραδέδωκε σύμβαλον.
6名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 13:58:31 ID:IJi0PQ8H
次は、単性論異端に関する誤謬について。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1105172441/906-907-n
906 :名無しさん@3周年:05/01/23 00:07:11 ID:H6q4WvLn
>>901
キリストは人性に於いて完全に死にました。

907 :おたあ ◆wHb3.gs/E2 :05/01/23 00:08:45 ID:kl8rn2SW
>>906
神性において死を味わった もね

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1106450104/36-n
36 :おたぁ ◆OwjWTI5Ujw :05/01/23 16:19:52 ID:kl8rn2SW
『食卓語録』の中で(32)、ルターは、十字架上でキリストの人間性だけが苦しんだという思想に反対して、
キリストの人間性のみならず神性も苦しみ、かつ、死んだと言っている。これは明らかに、キリストにおける
神性と人間との間の属性の交通から由来したルターの発言であるが(略

こちらの方がまともです

以上の、おたあ◆wHb3.gs/E2もしくはルターの信仰の内容に単性論の誤謬が見られます。
>>7以降のソースを参照してください。
7名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 14:17:27 ID:IJi0PQ8H
カトリック教会および東方正教会は、
十字架上で苦しみ死んだのは神性においてではなく人性においてであるとしています。

http://www.d-b.ne.jp/mikami/catech.htm
111 イエズス・キリストは神性に於てお苦しみになり、おなくなりになりましたか。
イエズス・キリストは神性に於ては、お苦しみになることも、おなくなりになることも出来ません。
それは全く人性に於てであります。然しイエズス・キリストは天主の御子でありますから、その御苦しみの功徳は限りがありません。叉、その御業は、どのように小さくとも、限りない功徳となるのであります。
「公教要理、カトリック中央協議会編集、1952」

「十字架上の死」
主の公生涯の終りに十字架上の死が待ってました。
これは神父(かみちち)の正義の要求でもありました。
主は人間の罪をつぐなう方法として、神と人との仲保者の立場から死を選びました。
その主の十字架上の受難と死の効力は全人類に及ぶ救いとなりました。
信者はこのことを信じ、主の教えを疑わず従うことが大切です。
信経には「十字架に釘うたれ、苦しみを受け」とありますが、イイススの苦しみは真の現実の苦しみであり、夢や幻ではないことを示しています。
「葬られ」とつけ加えられていますが、これは確実に死んだことを示しています。
苦しんで死に、葬られたのは主の人性であって神性ではありません。
神性は地獄にくだって聖人らの霊を救い出し、十字架の右の盗賊が自分の罪を認め悔い改めたとき、主は彼を楽園に導かれました。
復活祭の聖歌も「ハリストスよ、汝同じ時に体にて墓に寝(い)ね、霊にて地獄にくだり、盗賊とともに天国にあり、父と聖神とともに宝座にいませり。満たぢるところなき神なればなり。」
とこの事件を歌っています。
「正教要理、日本ハリストス正教会教団、1952、p.51」
8名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 14:18:01 ID:IJi0PQ8H
カルケドン公会議 451年10月22日第五総会において採択されたカルケドン信条>>4-5の序文抜粋。
・・・処女が神の母であることを否定している。他の者は一つの本性の混合を導入し、愚かにも人性と神性は一つであると主張し、
この混同によってひとり子の神性が苦しんだと言っている。
・・・また、古いローマの司教レオがエウティケスの誤謬を滅ぼすためにフラビアヌス大司教にあてた書簡を、
ペトロの信仰宣言に合ったもの、邪悪な教説に正しい教義を教えるものとして受け入れる。
「H. デンツィンガー編集, A. シェーンメッツァー増補改訂, 浜寛五郎訳, “カトリック教会文書資料集 改訂版 : 信経および信仰と道徳に関する定義集,” エンデルレ書店, 1996.」

カルケドン信条を起草し採択した23人の教父らが、「愚かにも」と形容したのは、明らかにおたあ◆wHb3.gs/E2 やルターたちの思想のことです。
更に、彼らは公会議の中でレオ一世教皇のフラヴィアヌス書簡の正統性を認めていますが、
例の書簡では救主の十字架の苦しみが神性とは別の人性によるものとはっきり断言しています。

だから他にも多くの例がありますが、死んでしまった友のことを憐れんで泣き悲しむことと、埋葬後四日目も経った墓の石を取り除けさせ彼に命令を与え、生き返らせること、
十字架にかかったことと、昼を夜に変えて全地を震わせたこと、
また釘にはりつけになったことと、信仰を示した盗人に楽園を開けたこととが、異なる本性に属するように、
「レオ一世教皇 フラヴィアヌスへの書簡、中世思想原典集成〈4〉初期ラテン教父、上智大学中世思想研究所 (翻訳)、平凡社、1999年」

カルヴァンはカルケドン公会議の正統性を著書の中で認めています。

そういうわけで、ネストリウスは当然エペソ会議で断罪された。そして、それと同様、後年、コンスタンティノポリスとカルケドンの会議でエウティケスは断罪された。
すなわち、キリストにおける両性を混同することは、これを分離することにおとらず許されないからである。
「カルヴァン キリスト教網要U、渡辺信夫訳、新教出版社、昭和37年」
9名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 15:26:35 ID:mYM5rBqF
キリスト教って難しい・・・
10名無しさん@3周年:2006/01/05(木) 23:52:32 ID:fcl21DUV
ここはソース保存専用スレ
11名無しさん@3周年:2006/01/15(日) 23:57:06 ID:/QgxoLxv
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
12名無しさん@3周年:2006/01/25(水) 00:24:01 ID:D/jG+5KV
福音派のキリスト論は滅茶苦茶だというのがよくわかります。
13名無しさん@3周年:2006/02/07(火) 00:37:00 ID:8+zpnUEu
あげ
14名無しさん@3周年
バプテストは矛盾だらけ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1114271286/