41 :
ゴンザレス高山:
<39のつづき
そして、「抗議が殺到して電話やFAXが使えない」といった低次の、NTTにでも
言うべきクレームレベルの講談社の訴えを、東京地裁は96年、驚くべきことに損害
についての具体的根拠もなしに「相当な被害を受けた」と認めて、幸福の科学側に1千
万円の支払いを命じたのだ(注2)。
(注2)この判決は控訴審において、120万円に減額された。
しかし、「週刊現代」記事等、講談社の悪質さが暴かれた今回の最高裁判決から考えれ
ば、一連の言論の暴力に対する幸福の科学信者の抗議は全く正当であり、講談社のいう
業務妨害による損害賠償請求などは「天に唾するもの」と言えよう。
どだい、「不良品」に対してクレームは許さない、といった態度は人をバカにしたもので
ある。「言論の自由」があるから責任を問われないという理屈は成り立たないのであって
、当前のことながら職業倫理というものは、どんな職種にもある。
つい先日も、東芝が製品に対する顧客からのクレームをはねつけたのちに、対応に一部
不当なところがあったことを認めるという事件があった(コラム参照)。これを見ても、
「たとえ虚偽の報道であっても、それに対する抗議は一切受け付けない」といった講談社
の態度はいかに異常であり、悪質かが理解できよう。
−信者の抗議は基本的信仰権である−
このような事実に鑑みれば、抗議を「業務妨害」とすり替えた講談社の損害賠償請求を、
司法が認めたことは、言語道断である。
42 :
ゴンザレス高山:2005/12/26(月) 19:25:34 ID:SC/LpotT
<41のつづき
そもそも、宗教に対する正当ならざる攻撃に対して、信者一人一人が抗議するのは、基本的信仰権であるといってよい。
宗教改革以降の近代社会成立の歴史を振り返れば、こうしたことは法律以前の常識であり、マスコミが事実上の第一権力
として立ち上がってきた今日、それが理解されないとすれば、「信教の自由」を保障した憲法20条は“空文”と言うしか
ないであろう。
宗教の使命は、善を推し進め、悪を押し止めることであり、間違いに気づかせて魂を救うことこそ、その努めである。「間
違ったものには屈しない。正論ならば筋を通す」姿勢こそが本来の宗教のあり方であることを、日本社会は知らねばならない。
−間違ったものが長く繁栄したためしはない−
いずれにせよ、間違ったものが長く繁栄したためしはない。講談社はその典型というべきで、今回の最高裁判決のつい数日前
にも東京高裁で名誉毀損で敗訴するなど、敗訴が相次いでいるのは、その表れといえる。
今回の最高裁判決で講談社の信用は完全に地に墜ちた。このような会社をリーディング・カンパニーとしていては、日本の出
版界そのものの信用にもかかわることを業界関係者は顧慮すべきである。
また今回の判決は、講談社の信用失墜と裏腹に、いかに幸福の科学の社会的信用が高まっているかを示したものであり、わが
国において正しい宗教に対する理解が一段と進んでいることの証であろう。いまや、日本社会の中に確実に、真理が浸透し始
めているのである。