952 :
名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 22:52:52 ID:nECbyTz0
あれ、なんでも解釈できてから言いなさいね。
それまで小口も慎めよ。
953 :
名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 00:18:47 ID:HbS+/ped
聖書がわかっているって何がわかってる事になるの?
聖書のわけわからない抽象的な文字列を、
現代科学で真とされているものに結びつける解釈ができればいいのか、
果ては信者のお好みに沿う世界観と結びつける解釈ができればいいのか。
954 :
220:2006/11/04(土) 01:20:02 ID:s7HnufFc
>>949 >「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと
> あばらの一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人か
> ら抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。」(第2章第22節)
自然の摂理を知らない人間の書いた文章ですね。
まあ昔の書物には良く見られることです。
男と一緒にではなく後付けで女を創っているのは、
男性社会であることを表していると言えます。
著者が女性であれば、このように表現することは無かったでしょう。
男のあばら骨から造られていることから、
女は男の所有物であると解釈することもできます。
良い意味で受け取れば「自分の体の一部であるから女性を大事にしろ」ですね。
なんせ文章が抽象的ですから如何様にも想像を膨らませることが可能です。
中には、あばら骨は「天地創造の歴史の記憶およびその遺産」を表現していると解釈している人もいます。(ぶっ飛びですw)
955 :
聖霊大王:2006/11/04(土) 11:39:04 ID:3vNRt5+/
220んの聖書には、こう書いてある、、
「始めに220がありき、220が言葉を語った、220が聖書の内容を決定すると、、」
シルバーバーチとFと霊医殿の内緒ストックに書き込まれたものです
他にも霊視相談 そして 他にもあるもようです。
私の子供とは、無関係ですが、第3者のお子さんに 被害が行く可能性があります。
見つけ次第 訂正文を添付するよう 促してください!
80 :本当にあった怖い名無し :2006/11/03(金) 22:46:03 ID:C+ZMP0sm0
広島の中学生のみなさんへ
あなたの中学に「古川」さんはいますか?
中2の男子生徒です。 もしいればその子に、このスレをみせてください。
F ◆DmBzJffhoY 古川才子 あなたのお母さんは病気です。
御願いします 明日から 貴方は 3ちゃんねるへといえば 解かります。
貴方は、2ちゃんねるに対して どのようなイメージを お持ちですか?
返事 お待ちしております。 貴方に大霊の祝福があらんことを
957 :
名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 11:50:37 ID:HbS+/ped
220まだいたのか。1年ぶりに覗いてみたら。
こういう感情的な板で常に平静的なレスをよく書いていてくれたね。
959 :
教会暴走族:2006/11/04(土) 14:19:42 ID:OmO2837J
コーランは220が書いたのだ。
961 :
名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 17:17:45 ID:MBMJ1dMn
>こういう感情的な板で常に平静的なレスをよく書いていてくれたね。
<まったく大笑いだね。どっかの誰かさんが無理やりこじつけた
トンチンカンな解釈を真に受けて書いて、それにまた同意するバカ
もいる。
>女は男の所有物であると解釈することもできます。
<解釈は全部でたらめな上に、女性差別ときている。
主なる神がこんなたわけたことするか。
962 :
名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 17:35:50 ID:wV1zgpgg
そう解釈することもできる(可能)と書いてるだけだろ。
文章が抽象的なので、どう解釈することもできるよ。
どう解釈するのが正解だという事はない。
聖書自体がどのようにも解釈できるという事実があるだけで。
その中で961は正しい解釈と誤った解釈があると主張しているわけだが、
その判断基準は何?
もしそれがはっきり言えないのなら、
自分のあげた聖書の一例の正しい解釈を聞かせてもらってもいい。
963 :
名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 17:37:16 ID:MBMJ1dMn
ついでにもう一つ珍約を紹介しておこう。
●女性はいかにして造られたか
聖書によると、最初に造られた人間は、男性であった。女性はあとから造られたのである。最初の女性エバは、最初の男性アダムの「あばら骨」(肋骨)から造られたとされている・・・・」(創世記:2.21~22)
アダムのわき腹から、エバを造るために「あばら骨」の一部が取られた。とすれば、アダムはその後死ぬまで、あばら骨の一部が欠けたままだったろう。しかしこれは後天的なものだったので、あばら骨の欠損が、
子孫に遺伝することはなかった。 エバが「あばら骨」から造られたという記述について、群馬大学医学部の細胞学の権威、黒住一昌教授はこう述べている。
「"あばら骨"のような比較的短い骨の骨髄(骨の芯のやわらかい部分)は、赤色骨髄であって、盛んに細胞分裂をして、急激に増殖する骨髄細胞を含んでいる。
神はアダムからエバを造るときに、この骨髄を用いられたに違いない。・・・・骨髄細胞は盛んに分裂増殖するので、細胞培養によってモノクローン抗体を造る
ときに利用されている。この細胞を培養すれば、人ひとりの数の細胞ぐらい、わけなく出来る」
細胞学的に見ると、このように男の中に、女の基本的特質がすでに含まれている。それで神は、男から女を造られたのである。また、もう一つ大切なことがある。
男の染色体がXY、女がXXだと、それら4つの染色体がかけあわされた後に生じるものは、やはり、必ずXYかXXである。そしてXYが生じる確率、およびXXが生じる確率は、
ともに2分の1ずつである。つまり人口の半分は男で、半分は女になる。黒住教授の言っているように、「神の創造のみわざは、まことに妙にして、完全」 なのである。
そもそも、なにを主なる神が言われているのかまるでわかっていない。
聖書は教義によらないと誰にも正しい解釈はできない。
964 :
220:2006/11/04(土) 18:19:41 ID:mBPow+EU
>>957 お久しぶりです。
何処の誰かは存じませぬがw
議論の場においては感情的になったほうが負けです。
>>957 ただ流れ読めてなくて妄想たれながしてるだけだから、
感情的になる理由もない。本人が冷静な人間かどうかとは
まったく関係ない。
966 :
220の妄念プライド思想以外、他は洗脳され、有害らしい、:2006/11/05(日) 17:07:43 ID:ocVrhTAH
がんばれ、220、、
967 :
名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 18:24:51 ID:PBrU0I9R
「主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと
あばらの一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人か
ら抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。」(第2章第22節)
>自然の摂理を知らない人間の書いた文章ですね。
まあ昔の書物には良く見られることです。
<旧約は人によって書かれたものであるにせよ、神の口授を受けて書かれた
ことさえも理解出来ていない。
感情的もなにもバカらしくって、アホらしくってね。
もっと勉強して出直してきたら?
1000鳥合戦はまだですか?
969 :
名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 20:54:42 ID:d9LTSwGJ
何で神の口授を受けて書かれたとか知ってるの?
理解できていないからアホらしくて勉強不足と感じるのではなく、
それを信じていないからそう感じるのでは?
勉強して理解できることなら教えてもらいたいが。
ピラミッドが誰の口授を受けて作成されたかも教えて何でも知っているひと。
あと早く
>>962で言ったようにそれの正しい解釈を聞かせて。
970 :
220:2006/11/06(月) 10:19:46 ID:L4m8Nygy
>>967 信者の中にも神の口授ではないことを認めている人がいますよ。
> GEN02:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
後からこんなこと言ってるけど、アダムに生殖器は付いてなかったの?
971 :
220:2006/11/06(月) 10:41:02 ID:L4m8Nygy
あと神の語り口調が所々ヘンなんだよね。
> GEN02:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
はアダムに対して語ったことなら
> GEN02:18 主なる神は人に言われた。「人が独りでいるのは良くない。お前に合う助ける者を造ろう。」
となるはず。
翻訳上の問題?
972 :
220:2006/11/06(月) 11:05:17 ID:L4m8Nygy
> (GEN03:01~GEN03:06)
> 蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
> 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
> でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
> 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
> 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
この蛇と女のやりとりは誰からの口授?
神が観察していのかな?
> GEN03:13 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
神は知らなかったように装っているし、女もこれだけしか語ってない。
聖書に本当も嘘もないと思うけどねw
そもそも古代の神話と思想が書かれた書物ってだけのことだし。
宗教がかかわると本当に面倒になるもんだよ。
宗教がかかわるとでもないんだな、利権がかかわるとだな。
975 :
220:2006/11/06(月) 19:17:24 ID:L4m8Nygy
> 聖書に本当も嘘もないと思うけどねw
聖書の中の世界だけで済む話しだったらねw
聖書に本当を求める時点でどうかと思うけどね。
現時点での本当が何かも分からないのに大昔のものの中に嘘もへったくれもないとおもw
977 :
名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 20:41:18 ID:bOg+LN4B
> GEN02:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
はアダムに対して語ったことなら
> GEN02:18 主なる神は人に言われた。「人が独りでいるのは良くない。お前に合う助ける者を造ろう。」となるはず。 翻訳上の問題?
聖書は地上の人間にも、霊界の霊にも、天界の天使にもそれぞれの理解度により分かるように書かれています。すなわち、人間には文字上
の意味で、霊界の霊や天使には、相応 Correspondentiea による霊的意味で。理屈はさておき、くだんの部分の霊的意味は下記のとおりです。と
「一人でいる」とは、主によって導かれるのに満足せず、自分とこの世によって導かれる願望を言います。「かれのための、ふさわしい助け手」
とはエゴのことで、次に「女を建てるためのあばら骨 costa aedificata in mulierem」と後述されています。
古代において、一人で住むとは、天的人間のように、主によって導かれる人のことでした。
彼らを冒す悪も悪霊も存在していませんでした。他民族を追放してひとり住むことは、ユダヤ教会では天的人間
の表象でした。したがって(みことば)の随所で、主の教会がひとりで存在すると言います。
エレミヤ書を見ると「立ち上がれ。安心して住んでいる静かな民を攻めよ。、、、かれらは門も閂もなく、一人
はなれて住む」(エレミヤ49.31)
預言者モーセによると、「イスラエルは安心して住んだ、ひとり離れて」(申命33.28)「ああ、ひとり住む民よ、
民族の中に数えられていない」(民数23.9)
ここでの「民族」は、悪い人達を指します。最古代教会の子孫は、ひとりで住むのをいやがりました、天的人間のように、
主によって導かれるもではなく、ユダヤ教会がそうであったように、民族の仲間入りをすることを願いました。それに憧
れを求めましたから、「人がひとりでいるのは、よくない」と言われます。
憧れを求める人間は、すでに悪のなかにいます。そしてそれを主は許されます。
978 :
名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 20:44:18 ID:bOg+LN4B
「かれらのためにふさわしい助け手」とは、エゴを意味します。それはエゴの本性から、
あとに続く(みことば)からもわかります。しかし今ここでは、教会の人を扱っていますから、
先天的に善良な人を指し、そのような人に、エゴが与えられました。だから。「かれにふさわしい助け手」
となります。
エゴ proprium について語ることは無数にあります。まず物質的・現世的な人のエゴは
どんなふうでしょう。また霊的人間、天的人間ではどうでしょう。
物質的・現世的人間の場合、エゴは本人のすべてです。エゴ以外は、何も知りません。
エゴが失われたら、自分が滅びると思います。霊的人間の場合も、エゴは同じように映ります。
主があらゆる(いのち)であり、英知と理知を与え、思考と行動とを与えられるのを知り、
それを口にしても、実際はそう信じません。
天的人間になると、主が万物の(いのち)であり、思考と行動を起こさせるのを認めます。
そのように感じ取るからです。ただしエゴを恋い慕うようなことはしません。エゴを求めない
にもかかわらず、主からエゴを与えられています。そのエゴには、善と真理のあらゆる幸福感
が結ばれています。天使たちは、このようなエゴを持っていて、最高の平和と静けさの中にいます。
かれらのエゴの中には、主に属するものが存在します。主こそ、かれらのエゴを導かれ、かれらのエゴ
を通して、かれら自身を導いておられます。このエゴこそ天界祖そのものです。それに対し、物質的・現世的人間
のエゴは、地獄的です。
エゴとはなにかについて述べるのは、また、いずれかの機会にしましょう。
カントは、エゴを醜悪と言っていますが、彼も実体をとらえられなかったくらい、エゴこれには深い意味があります。
979 :
220:2006/11/06(月) 23:43:10 ID:L4m8Nygy
>>977 > 聖書は地上の人間にも、霊界の霊にも、天界の天使にもそれぞれの理解度により分かるように書かれています。
聖書には、そのようなことは書かれていませんよ。
それに霊界や天界でも聖書は出版されているのでしょうか?
> 人間には文字上の意味で、
> くだんの部分の霊的意味は下記のとおりです。
霊的意味を文字上の意味にすることができるのですか?
だったら初めから・・・
>「一人でいる」とは、主によって導かれるのに満足せず、自分とこの世によって導かれる願望を言います。
>「かれのための、ふさわしい助け手」とはエゴのことで
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」は神が言ったことです。
なぜ神が、アダムが心情を勝手に決め付けているのですか?
それに他の動物は、つがいで創っておいて「人が独りでいるのは良くない」は無いでしょうw
>「かれのための、ふさわしい助け手」
「彼に」は神ではなく著者(ストーリーテラー)の語り口調ですね。
霊的意味というよりも、聖書の言葉に主観を投影してますね・・・orz
980 :
220:2006/11/06(月) 23:44:00 ID:L4m8Nygy
× なぜ神が、アダムが心情を勝手に決め付けているのですか?
× なぜ神が、アダムの心情を勝手に決め付けているのですか?
981 :
220:2006/11/06(月) 23:45:05 ID:L4m8Nygy
○ なぜ神が、アダムの心情を勝手に決め付けているのですか?
982 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 01:25:44 ID:KAi02s8e
旧約をやると誰もが信じ込む嘘、まずかこれからでしょうか。
いわゆる創造論、これが根拠になっている旧約「創世記」の霊的意味は、
正統教会の教えているような「神による宇宙創造」では決してありません。
したがって、「創世記」に科学的解釈を加えても何の意味もありません。
継続期間としての六日間は、人の再生状態について記されています。
すなわち、
第一日は、先行する第一の状態で、幼児時代から、ほぼ再生前の頃までを。
第二日は、第二の状態で、主のものと、人のエゴのものが分離される状態を。
第三日は、第三の状態で、悔い改めを。
第四日は、第四の状態で、愛に促され、信仰に照らされた状態を。
第五日は、第五の状態で、信仰にもとづいて話し、真理と善の中にみずからの
心が固まった状態を。
第六日は、第六の状態で、信仰と愛に始まって真理を口にし、善を行うときの
状態をあらわしている。
再生する場合、人がみなこのような状態に達するわけではなく、現在は、大半の
人が、ただ第1の段階に留まるだけである。第二段階にたすうる人もいくらかい
るが、第三、第四、第五段階に至るひともあるが、第六段階は、まれであります。と
983 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 01:34:46 ID:KAi02s8e
継続する六日間は、一般的に言って、人の再生状態を指しています。
だから第1章5節は、「夕となり、また朝となった」とある。つま
り朝・夕ではなく、夕・朝の順に記されている。「夕」は、暗闇、
影、不信仰の状態を示し、「朝」は、光、心理認識、信仰のある
状態を示すため、夕から朝にかけて、心が照らされ、暗闇に信仰
の光が射してくる人間再生の過程を表わすものとして説明がされ
なくてはならない。第1節:はじめに神は、天と地とを創造され
た。はじめとは、人が再生に向かって出発する最初の時期を指し、
天とは、内部人間を指し、「地」とは、再生前の人間で、外部人
間を指している。創造するとは、再生させることの意味です。
第2説 地はうつろで、むなしく、闇が淵の面にあり、神の霊が
水の表面を動いた。再生前の人間は、「うつろで、むなしい地」
あるいは善も真理も植えつけられていない「土」。闇は主への信
仰については、全く無感覚の無知。「淵の面」とは、そのような
人間の貪欲、およびそれに由来する偽りのことを言っており、
「神の霊」とは、主の慈しみを指している。創世記は、すべてこ
のような霊的意味で解釈されなければなんの意味もないのです。
984 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 01:45:37 ID:KAi02s8e
したがって、
「主なる神は、人を深く眠らせ、眠ったときに、そのあばらの骨
を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。人から抜き取ったあばら
骨で、女をつくられ、人のところへ連れてこられた。(第21-22節)
の部分の霊的意味は、
みことばでは、「骨」はエゴを意味し、そのエゴが主によって、
生かされたと記されています。(イザヤ58.1166.14詩篇35.10エゼキエル
37.1,4-6)「あばら骨」とは、生かされないエゴのこと。「女」と
は神によって生かされたエゴのことです。「人のところへ連れて
こられた」とは、人にエゴが与えられたという意味です。
男のあばら骨から女が生まれたのではありません。女が意味してい
るエゴは、女とは騙されたという意味からきており、人を騙すのは
エゴ以外のなにものでもなく、つまり、自己愛と世間愛です。と
985 :
220:2006/11/07(火) 02:08:45 ID:QtQfPp31
986 :
220:2006/11/07(火) 02:23:44 ID:QtQfPp31
> 正統教会の教えているような「神による宇宙創造」では決してありません。
創世記が書かれた時代は天動説ですよ。
初めに「光あれ。」と言ったのは、
ビッグバンなどではなく太陽を灯しただけです。
これから読者の頭の中で天地創造の過程をイメージさせるのに、
真っ暗の状態だとヘンだからねw
987 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 02:26:33 ID:KAi02s8e
旧約「創世記」第17節「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」これは、どんな意味しょう。
主からいただく感知力をすべて使って、何が真理で、何が善か知ることは許されていますが、自分やこの世から出発してはならないと言われます。
感覚的な科学知を通して、信仰の神秘を探求することは許されていません。天的なものが死んでしまうからです。
人は感覚と科学知を通して、信仰の神秘を探りたいと思うようになりました。それが最古代教会の堕落と、子孫の堕落の唯一の原因でした。それは、
全教会の堕落の原因になります。そこから偽りだけでなく、生活上の悪がもたらされました。
現世的・物質的な人間は、心の中で、「信仰や信仰にかんする事柄を、感覚を通して分かり、科学知を通して理解できるようになればいいが、
そうでないなら、わたしは信じない」と言います。自然的なものが霊的なものに矛盾することはあり得ない、みずから確信しています。つまり、
感覚的なものから、天的・神的なものを学びたいと思うわけです。しかし、それはらくだが針の穴を通れないのと同じように、あり得ないことです。
988 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 02:28:27 ID:KAi02s8e
そこから英知を味わいたいと思えば思うほど、盲目になります。そうなれば何も信じなくなり、霊的なものの存在も、永遠の(いのち)の存在も、信じなくなります。
つまり、「善悪を知る木から取って食べる」とは、このようなことです。食べれば食べるほど本人は死んでいきます。
反面、この世でなく、主からくる英知を味わいたいと思う人は、心中、主を信じなくてはならないと言います。つまり主が
(みことば)の中で語っておられることを信じます。
それが真理だからですが、その原理原則から考えを進めます。ここで人は、合理性・科学知・感覚・自然を通して、いちおう
確認を取りますが、確認が取れない場合、それを切り離します。
989 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 02:49:06 ID:KAi02s8e
「人知は、人間固有のもので、自己愛と世間愛です。自己愛(エゴ)とは、自分だけが眼中にあり、
他の人はとるに足りないか、なきに等しいものの性格です。もしある人を多少なりとも評価すると
すれば、自分を尊敬してくれるか、あがめてくれる人に限られます。つまり、自分自身をあがめ、
自分をあがめてくれなければ、人には何の好意も寄せない性格です。そのような自己愛の奥底には、
偉大なるもの、出来れば元首、あわよくば神になりたいという欲望が隠されています。
また、地位とか名誉のための地位や名誉への愛とは自己愛のことです。富や財産への愛のためにする
愛は世間愛のことで、まさにどんなやり方であろうと、他人の持っている善益を所有したいと思う愛
のことです。
これに対し、天的愛と隣人愛は真っ向から対立しています。前者は、地獄を形成し、後者は天界を形成
しています。真の信仰を持つ人は、これを信じますが、神を否定し、人知と自然しか認めない人は、
これをあざ笑います。いずれを信じるかは、人は自由です。神は、人を神の雛形として創られたのですが、
神のロボットとして作られたのではありません。人の自由意志をそこなわないため、悪は許されていますが、
人の意思と理性に常に働きかけをされ、それにより、悔い改めが出来ることを願い、人は誰も皆、天界に行
けるように願っているとの事です。」と
990 :
220:2006/11/07(火) 02:51:00 ID:QtQfPp31
991 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 03:07:28 ID:KAi02s8e
>ビッグバンなどではなく太陽を灯しただけです。
<主の宇宙創造は、「創世記」にはなく、ヨハネの福音書にあります。
「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
万物は言葉によってなった。成ったもので、言葉によらずに成った
ものは何一つなかった。、、、」(ヨハネ第1章第1節)
現代科学が教えるところは、宇宙(時空)は、約137億年前の無から始
まりました。と
聖書の神は、言葉からと、、、言葉とは神の「愛」と「英知」からで
すと教えています。と
992 :
名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 03:23:02 ID:KAi02s8e
>>982-984のような考えから創世記 第1章の文面は書けませんよ。
<創世記第一章、個々全体の霊的意味を解釈できればわかりますよ。
青草、水に這うもの、トリ、大型海獣、ケモノ、家畜、さらに
カインとアベルの物語も、ノアの箱舟も、大洪水も、主がなにを
言われているのかも、、、、、
993 :
220:2006/11/07(火) 04:24:34 ID:QtQfPp31
>>991 <主の宇宙創造は、「創世記」にはなく、ヨハネの福音書にあります。
創世記は、この世でしょ。
<「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によってなった。成ったもので、言葉によらずに成った
<ものは何一つなかった。、、、」(ヨハネ第1章第1節)
は、あの世じゃないの?
それとも宇宙誕生と一緒に、あの世が出来たとでも?
>>992 もし貴方が神の立場で、以下のことを人に伝えようとしたときに、創世記 第1章のように話すのですか?
「人のエゴのものが分離」
「悔い改め」
「愛に促され、信仰に照らされた状態」
「真理と善の中にみずからの心が固まった状態」
「善を行うときの状態」
994 :
220:2006/11/07(火) 06:16:54 ID:QtQfPp31
<「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によってなった。成ったもので、言葉によらずに成った
<ものは何一つなかった。、、、」(ヨハネ第1章第1節)
は創世記 第1章を省略しただけのようですね。
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