【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ6【議論】

このエントリーをはてなブックマークに追加
749キュロス:2006/02/25(土) 19:16:05 ID:b8T/uIIB
ホセア アモス と来れば次は当然 イザヤ を読むんだろうね。
時代背景を簡単にふれておくと

イザヤは ユダの王ウジヤが死んだ年(前742)に預言者として
証明を受けた。それはイスラエル王ヤラベアム2世が死んで(前746)
間もないころであった。

当時はアッシリヤが バビロンやシリヤの 征服に乗り出し その他の
複数の小国を征服して都市を略奪・住民を強制移住 させていた。

また サマリヤがダマスカと同盟して ユダに対して侵攻していたが
それが 逆にアッシリヤの侵略に すきを与える結果となった。

サマリヤは破滅は決定的となり ユダの未来も微妙なものとなっていた。
750ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/26(日) 00:30:05 ID:qTnDWEqH
ゾロアスターは面白いw...もちろんゾロアスターを
信仰するわけじゃないよ...キリスト教と聖書の主張が
まったく整合性がないので、なんだろと思っていたら、キリスト教
のドグマはゾロアスターがシッカリ説明してるという事だよ
聖書の編者はゾロアスターに嫌気をさして聖書を編じてますよ
それをキリスト教徒は殆ど理解してないんだよ...
聖書に三十幾つかの天国の説明があっても、キリスト教会の天国は
ゾロアスターの天国だから、聖書の天国の説明は皆無だろ
普通ならルカ福音書**−ooの天の国「神の国」はどうのこうの
と言う説明が本来の経典説明のはずなんだけど、そんなの聞いた事が
ないw...ゾロアスターの天国を信じてる奴が聖書の「天の国」を
説明できるわけがないて...わはははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは

キリスト教徒に聖書から「天の国」を論じた自分が若かったよ
わはははははははははははははははははははははははははははははは
ははははははははははははははははははははははははははははははは
751mono ◆HfNWSGfVro :2006/02/26(日) 18:13:40 ID:g6mrkufb
ヨルダン社のW・バークレーの聖書注解が、売りにでているのよ。
すっごく欲しいんだけどね、ここ数日悩んだんだけど今回は諦めた。
次はいつだかわかんないけど。
このスレも良いし、なんてたってタダだしね。
そんな訳でアゲ。
752キュロス:2006/02/26(日) 19:20:12 ID:+6SHx/9u
ウェルギリウスの牧歌 第4歌4-10
>クーマエの巫女に歌われた最後の時代がやって来た
>偉大なる世紀の秩序が新たに生まれる
>いまや乙女は帰りきたり、サトゥウヌスの王国は戻ってくる
>いまやあたらしき種族が高き天より送られる
>聖きル−キーナよ、生まれてくるみどりごに微笑みたまえ
>子のこの下に、まず鉄の種族は絶え、黄金の種族がたちあらわれよう。

「クーマエの巫女」とは シビェラと呼ばれる女預言者
「乙女」とは 正義の女神

ウェルギリウスは 前70年頃の生まれ前19年に死んだ
ギリシャのホメーロスに匹敵する ラテン文学を代表する
詩人らしい。

これ イザヤの7:14 9:5 のメシヤ預言と似てるよね

じつはこれ アウグスティーヌスー以来ウェルギリウスによる
キリスト預言と解釈されてきたらしい。
753キュロス:2006/02/26(日) 22:15:28 ID:WIjGTqZJ
ヨハネ福音書
>19:12 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。
>しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、
>あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」

ある本を読んでいたら この箇所と18章38節を根拠に ヨハネ福音書は
ローマに好意的だと記述してある。

また 19章21節以下で ローマを代表するピラトが ユダヤ人の
願いを 退け「ナザレのイエス ユダヤ人の王」という罪状書き を
そのままにしたことも ローマに好意的だ と書いてある。
しかし 本当にそうだろうか。

また ローマを代表するピラトが書かせた イエスの罪状書き
の意味は ピラトのイエス理解が 間違っている事を 主張して
いるのではないだろうか。
754キュロス:2006/02/26(日) 22:22:33 ID:WIjGTqZJ
>>753
ヨハネ福音書
>2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんな かかわり が
>あるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
>13:8 ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」
>と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、
>あなたはわたしと何の かかわり もないことになる」と答えられた。

確かに ローマを代表するピラトは イエスを釈放しようと
努めているように解釈できるように描かれている。
しかしそうではなく ローマを代表するピラトは イエスの十字架との
 かかわり を避けている様にも 見えるわけですね。

上記の箇所は イエスとの「かかわり」が重要だと主張している
ようにも見える。

受難物語でピラトは イエスの十字架をとの かかわり を避けている
つまり イエスの十字架とは無関係 だとしているのだと 思う。
そして イエス理解も その罪状書き で間違っていることが
主張されている。

以上の考察から 明かに ヨハネ福音書は ローマに好意的ではないと
言える。これは明かにこの福音書では ローマ人は 救いから外されて
いる あるいは選ばれてはいない という事だ。

エルサレム戦争で神殿が陥落して 100年もたっていないのに
明かにユダヤ人が記述した ヨハネ福音書が 親ローマ的な
わけがないよね。
755ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/26(日) 23:13:16 ID:qTnDWEqH
>>754
>エルサレム戦争で神殿が陥落して 100年もたっていないのに
>明かにユダヤ人が記述した ヨハネ福音書が 親ローマ的な
>わけがないよね。
原子爆弾を落とされて数十万人の人間が死んだ日本人が、新米的な
分けないよな...わはははははははははははははははははははは
はははははははははははははははははははははははははははははは

親ローマの人達はエルサレムが陥落しても親ローマ的だろうし
反ローマの人達はエルサレムが陥落しなくても反ローマだよ
その教会の主張は、その教会の書き物に直接反映する場合と
直接には反映しない場合があって、その教会の置かれた立場や
信者のレベルを考慮しないと判断できないよ...


756(−−) ◆xJ2IloU.N. :2006/02/27(月) 08:53:14 ID:XpWWmYbQ
>>721
私は、まさにその事が大切だと思うんです。
つまり、聖書の「その文書」がどのように生み出されたか、と言うことは、
決して、聖書の「聖典性」を破壊したりはしない、と思うのです。

料理の素材は、確かに大切かも知れない。
けれども、料理人の手を通して供された料理を、私たちは味わうわけですよね。
しかるべき後に、この美味しい料理の素材は?となるわけで、
料理そのものを味わう前に、素材がどうの、料理人がどうのというのでは、
一体何のための料理なのか?と思うわけです。

ところで、カトリック教会、東方教会の「聖書と聖伝」に対して、
プロテスタント教会は、「聖書のみ」を掲げるわけですが、
宗教改革の形式原理である「聖書のみ」は、何を根拠にしているのでしょうかね。
もちろん、改革者の思想であることは明らかなわけですが、
聖書以外に、根拠となるものがあるのでしょうかね・・・
757キュロス:2006/02/27(月) 20:51:51 ID:ier1Wfjv
>>755
エルサレム戦争後 ユダヤ教パリサイ派ヒレル系が 主導になり
ヤブネに サンへドリン的組織を再興する 経緯を調べてみなよ。

ユダヤ教パリサイ派ヒレル系が ヤブネで主導権を持つわけ
だけれど その事でユダヤ教非ヒレル系は ヒレル系に屈服するか
それとも そのヤブネ体制の外へ出て行くか しかないわけだ。

とうぜん ヤブネ体制は ローマの公認を得ているユダヤ人を
代表する組織だ。この組織外に出るということは ユダヤ人と
しての権利をローマが保障しない と言うことなんだよ。

つまり ヤブネ体制外ユダヤ人 から見れば ヤブネ体制内
ユダヤ人はローマ帝国とつるんでいる と見えるんだよ。

そして ヨハネ福音書を記述したのは ヤブネ体制から追い出された
非ヒレル系の集団だ という説だ。

キリスト教とユダヤ教は ヤブネ体制成立以前に 別々の宗教に分かれた
と言う説を 上記の説とつなげると ヨハネ福音書は キリスト教徒が
生んだ文章ではなく ユダヤ教非主流派が生んだ文章だ という説が出
て来るんだよ。
758ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/28(火) 01:01:43 ID:TjDFYrKC
>>757
>キリスト教とユダヤ教は ヤブネ体制成立以前に 別々の宗教に分かれた
>と言う説を 上記の説とつなげると ヨハネ福音書は キリスト教徒が
>生んだ文章ではなく ユダヤ教非主流派が生んだ文章だ という説が出
>て来るんだよ。
あのねぇ、キリスト教徒という馬鹿信者がこの時代にいるわけ無いだろ
みーーーーんな、ユダヤ教非主流派だよ...だから何回も言ってるだろが
小さユダヤ教非主流派をかき集めて、アホみたいな連立教団を作ったのが
エレナイオスだろうし、それでできあがった連立与党教団がキリスト教会
だって...その時にインテリジェンスの高いマルキオンやグノーシス
は少数野党になったんだって...

759ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/02/28(火) 01:29:26 ID:TjDFYrKC
イエスがどれほどの物か...
1宗教的カリスマ性としては
 洗礼者ヨハネ>>>ナザレの大工の子イエス
 一般民衆に対しては月とすっぽんの違いがあります
2共同体の指導者としての政治力は
 弟のヤコブ>>ナザレの大工の子イエス
 ヤコブがいなかったらキリスト教会なんかとっくに消え去ってます
3神学的論理力として
 グノーシスやマルキオン>パウロ神学>>>ナザレの大工の子イエスの主張
760名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 01:59:29 ID:1DVPXD52
>>759
おまえ一回病院で診てもらったほうがいいよ。
キリスト教に何の恨みがあるのか知らんが、この粘着ぶりは異常だから。
761名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 02:06:25 ID:soFjF5CQ
>>759
ココモスキーが教会批判のための聖書読みをしていることが明快に示される箇所。
信仰聖書批判研究者ココモスキー。
無神論を唱える者でもないのに信仰聖書に敵愾心を発揮するのは、妬みか功名心か。
762名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 02:06:58 ID:1DVPXD52
ここでひとつ真理を示そう。

イエス=釈迦>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>ムハンマド

ムスリムが、どの面下げて>>759みたいなこと言えるんだい(苦笑)

だからお前は馬鹿なんだよ、バカモスキー。
763名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 02:20:39 ID:1DVPXD52
もうひとつ真理を述べよう。
信徒の質。

仏教徒>>キリスト教徒>>>>>>>越えられない壁>>>>>>オウム=イスラム教徒。

自分達軒に食わない相手は信徒レベルで、平気で殺し、それで良しとするお前たちは、馬鹿さ加減では、キリスト教徒の非ではない。
なんだいあの風刺漫画ひとつであの騒ぎは。たく中世でもあるまいし、今は21世紀だぜ。

わかるか?バカモスキー。ムスリムのお前が、自分達のことは棚に上げ、よくキリスト教徒をつかまえては、馬鹿だ、馬鹿だと言えるもんだな。

馬鹿は、お前だよ。バカモスキー。
764名無しさん@3周年:2006/02/28(火) 02:35:07 ID:soFjF5CQ
愛と憎は相対する事象であるが、対極ではない。
憎は愛の変化したものであり、愛の対極は無(関心)である。

マザーテレサは、無関心の中で孤独に死んでいく命に温度を与えた。
カラスの罵倒も愛。ココモスキーの挑発も極低温の愛。
人は孤独ではなく、熱い愛が与えられていることが聖書に示される。
765カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/02/28(火) 03:02:47 ID:1DVPXD52
エクレーシア。真の教会とは、この世が現れる前からあるものだ。

妬み、憎しみ、争う、この世は、欠乏の中にある。

完全なる一致。

ブレーローマの中に充満するアイオーン達には、それらのものはない。
なぜならそこは、欠乏なき、完全なる一致だからである。そこには愛が満ちている。
766名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 03:08:49 ID:sDtuA2WU
脳が硬化したココムスキーは愛を語れない。
聖書が愛を語っていることに関心が無い。
批判するべく聖書を用いるのみ。
767サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2006/03/01(水) 20:37:18 ID:r3VXy3Df
愛を語るものは多いが
知る者はすくない
768名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 20:39:13 ID:p8T6wcvF
そう思い込んでるだけ
自分が知ったつもりになってるよ みんな
769名無しさん@3周年:2006/03/01(水) 20:47:00 ID:eWFM8ZYU
この板でイスラム教が嫌われる一つの理由には君の言動のせいでもあるんだよ。
ココモスキーよ!そういうわけで、これまでの罵詈雑言を改め、これからも
老身に鞭打ってアラブ在来の猛者を平らげた預言者ムハンマドっぽくがんばりたまえ。
770ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/02(木) 01:52:49 ID:9hjLl1FD
>>759
一部修正を加えます
>1宗教的カリスマ性としては
 洗礼者ヨハネ>>>ナザレの大工の子イエス
 一般民衆に対しては月とすっぽんの違いがあります
−>洗礼者ヨハネ>ナザレの大工の子イエス
>2共同体の指導者としての政治力は
 >弟のヤコブ>>ナザレの大工の子イエス
 >ヤコブがいなかったらキリスト教会なんかとっくに消え去ってます
−>弟のヤコブ>>>>ナザレの大工の子イエス
>3神学的論理力として
 >グノーシスやマルキオン>パウロ神学>>>ナザレの大工の子イエスの主張
−>グノーシスやマルキオン>>>パウロ神学>ナザレの大工の子イエスの主張
771名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 11:06:25 ID:2/HxOSLa
知る者と言えるのは、預言者のような体感者か、キリストに出逢った者。
それ以外は、聖書、洞察、により結果として認め、語る者でしかない。
772mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/02(木) 19:58:25 ID:tCPrqCtK
新改訳 マタイ26;50
    イエスは彼に「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。
    そのとき、群集が来て、イエスに手をかけて捕らえた。
新共同 マタイ26;50
    イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた
    すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。

どちらも「友よ」と、ユダのことを呼んでいる 
     
     マタイ5;44
     しかし、わたしは言っておく。敵を愛し自分を迫害する者のために
     祈りなさい。

「敵のために祈る」ということは、多くの人の知っている聖句だけどキリスト者
は言っているだけで、実行できないから嫌われちゃうんだろうね。
でも無力であることを見つめることは大切だと思うね。
773罪深いキリスト者:2006/03/02(木) 20:58:58 ID:cEEdhkmY
ゴメンナサイ
774名無しさん@3周年:2006/03/02(木) 21:47:50 ID:2/HxOSLa
ココモスキーが、敵のために祈るという真理、の属性内の実践者である事実。
但し、良心の向きが異なる。
775キュロス:2006/03/02(木) 22:11:29 ID:uizzAIje
ヨハネ福音書 新共同
>19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」
>と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

ヨハネ福音書 フランシスコ会訳
>イエズスはすっぱい葡萄酒を受け取ると「成し遂げられた」
>と言って、頭を垂れ、霊をお渡しになった。

人の命は 神からの贈り物である事は 創世記の天地創造物語を
読めば だいたい解るだろう。

そこでだ 人の命は 死ぬことを運命付けられた 惨めな存在ではなく
その命は 神から それぞれ使命 を与えられている とヨハネ福音書は
主張している ように思える。

だから イエスは その神から与えられた使命を「成し遂げられた」
から 命の霊を 神に渡した のです。
776キュロス:2006/03/02(木) 22:12:26 ID:uizzAIje
>>775
ヨハネ福音書
>11:4 イエスは、それを聞いて言われた。
>「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。
>神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

この話しとか 9章3節の話しから 人の命は神の栄光の為に
神から贈られていることが 解る。

しかも それは人が単独の努力ではなく 神の協力があって
始めて 神の栄光を表すことができると ヨハネ福音書は主張
しているように 思う。
777キュロス:2006/03/02(木) 22:34:27 ID:uizzAIje
創世記
>2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、
>その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。

ヨハネ福音書
>20:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。
>「聖霊を受けなさい。

ヨハネ福音書の 復活したイエスが 弟子達に聖霊を与える記述と
創世記の 神が人に命を与える場面は 良く似ている。

この箇所は 神からの人に対する新しい命の贈与とも読める。
その新しい命は 従来の命の中に 復活したイエスから弟子達に
与えられている。
これは 神の永遠が 人の時間の中に入ってくることを 表している
ような気がする。つまり 瞬間と永遠につながって 永遠になる
ではなく 瞬間の中に永遠が入ってくる 瞬間が永遠になる 事を
主張している ような気がする。

なんと言おうか
神の時間が 人の日常の中に入ってくる あるいは
人の日常生活の中に 安息日という聖なる時間が入ってくる
事により 人も聖なる時間を神と共に過ごす と言うような
感じかな。
778名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 00:28:17 ID:QgC3Wmiw

      彡ミミミミミ    
カタ     ( ´┏┓`) <俺は 甘さに 溺れないぞ
  カ.タ__| ̄ ̄ ̄‖)__  
   /   | NEC‖/ /|
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
  | キュロス聖句研究室.|/
779名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 10:57:55 ID:QgC3Wmiw
           【光】

    関心・有・互いの認識・求める心

┌──────┐    ┌────────┐
│愛・自己犠牲 ←相転→ 憎しみ・自分中心 │
└──────┘    └────────┘
 秩序        ↑   混沌  
            対        
────────────────────
            極        
            ↓        
       
無関心・滅び 自己のみ・自己をも無とする心・孤独

           【闇】
780名無しさん@3周年:2006/03/03(金) 12:20:56 ID:MecPgMED
AAがうまい。
781ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/04(土) 00:25:17 ID:nOG+wOXX
>>772
ユダの事を「友よ」と呼んでるのは意味深です。ユダはこの段階では
本来の意味の「友=同士」だった可能性があります。
ヨハネ福音書の「行ってなすべきことを今すぐしなさい」は、ユダの行為
がイエスの了解事かあるいはイエスの指示によるものと言う事です。
つまりユダにサタンが入ったと言う聖句は、実はその前からイエスに
サタンが入っていて、イエスとユダが何かを画策してユダがその役回り
を実行したと言う事です。....キリスト教会ではこんな解釈は
100%不可能ですが、サタンがキリスト教会の「悪魔サタン」では
なく旧約で言う「人を惑わす物」、イエスがキリスト教会の「神様」では
なく、「ナザレ村の大工の息子」であり、ユダがキリスト教会の言う
「裏切り者」ではなくイエスから財務係りを任命された「同士」で
あれば、この様な解釈になります。またそうでなければこの際の
イエスとユダのヤリトリは疑問が残る物が多いです。
山上の垂訓の「汝の敵」とこの「友」とはおそらく殆ど関係ないと
思います。山上の垂訓がイエスの本当の言葉かどうかもサンザン
論議されてますが、僕はこの「汝の敵を愛せよ」は、イエスより
大分後の人達の主張だと思います。

イエス
782もらみら ◆HfNWSGfVro :2006/03/04(土) 07:44:12 ID:G1rEApxQ
ココモ先生 おはようございます。
反論たっぷりしたいのですが、出かけますので
夜書き込みます。   ムカッ。
783mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/04(土) 07:46:05 ID:G1rEApxQ
変換まちがえました。
784mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/04(土) 20:44:58 ID:G1rEApxQ
> ヨハネ福音書の「行ってなすべきことを今すぐしなさい」は、ユダの行為
> がイエスの了解事かあるいはイエスの指示によるものと言う事です。

マタイの26章を読むと、ユダヤ教会はイエスをだまして捕らえ、殺そうと
相談していますよね。しかし祭りの間は騒ぎがおこるのでいけないと
話しているんですね。騒ぎが大きくなるのを承知で
イエスは、ご自分を過ぎ越しの羊としてささげたんですよ。

普通に読むと、そう考えるんじゃないのでしょうか?
785ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/05(日) 00:31:40 ID:549TkFps
>>784
>騒ぎが大きくなるのを承知でイエスは...
まず騒ぎが結果として大した事にならなかっんじゃ無いですか?
キリスト教徒にとっては大変な出来事なので、騒ぎが大きくなったと
誤解してると思いますよ。
>ご自分を過ぎ越しの羊としてささげたんですよ。
過ぎ越しの羊って何ですか?何の為に「過ぎ越しの羊」になったんですか?

イエスはユダに何を指示したかわかりますか?
このイエスとユダのヤリトリはどういう状況で、何処で
なされたか判りますか?
786mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/05(日) 20:37:43 ID:d8mcW2eF
>>785
夕食の席でヨハネ福13;18 で引用されている、詩篇41;9のダビデの子
アブサロムのクーデターのこと話しているんてすね。

ユダは自分の期待を優先して、イエスに絶望したんですね。都合のよい
救い主を求めて、イエスを理解できずがっかりしているところに、サタンが
忍び寄ったのだと思うのね。それでもイエスは最後まで、ユダを守ろうとして
話をしようと思い、すぐ近くの席にすわらせたのだと思いますよ。
787ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/06(月) 00:31:05 ID:CEbWytBx
>>786
>ユダは自分の期待を優先して、イエスに絶望したんですね。
ユダはイエスに何を期待したんですか?それに対して実際のイエス
に絶望したと言う事でしょうが、ユダの主張とイエスの主張が
食い違うという事だと思いますが、ここの部分をもう少しはっきり
させて欲しいんです...
ユダはイエスに対して何を求めたのですか...?
それに対してイエスはどう対応したんですか...?
実はこの考え方もしばらく一般的だったんですがよくよく調べると
矛盾だらけなんですね...
>都合のよい救い主を求めて、イエスを理解できずがっかりしている
>ところに、サタンが忍び寄ったのだと思うのね。
イエスを一番理解していたのはユダだと思います。少なくとも
他の弟子達よりはずっとイエスを理解していたと思います。
イエスから見ても一番心を許せたのがユダです。だから資金管理を
任せたんです。世の中には
1...理解できるがその主張に同調できなくて逆らう場合
2...理解できてその主張の趣旨に従ってへいへいと従う場合
3...理解できなくて何がなんだかわからなくてしたがってる場合
4...理解できなくて気分的に不愉快だから逆らってる場合
でユダの場合は1です。ユダはイエスを一番理解していながら
そんな幼稚な事ができるかどうか疑問だったんだろうと思います。
ただユダはイエスに対しての恩義と言うべきか愛情だと思いますが
ユダヤ教会の祭司たちとの交渉役を担ったんだと思います。
それで交渉決裂で挫折したんだと思います。
>それでもイエスは最後まで、ユダを守ろうとして
>話をしようと思い、すぐ近くの席にすわらせたのだと思いますよ。
僕はユダがこの人(イエス)を最後まで思いをとい遂げさせようとして
最後までイエスの近くにいたんだと思います。
788mono ◆HfNWSGfVro :2006/03/06(月) 19:34:01 ID:aBIae+H8
>>787 ココモ先生
ありがとうございます。
ユダがイエスに求めていたものは現実に於いての神の国。自分たちがさまざまな
不幸から逃れ、平和に暮らすことを描いていたのだけど、ちっとも変わらない。
さまざまな奇跡を目の当たりにしてしたけれど、神の国の実現への奇跡は起こらず
逆恨みしたんです。現実の人の思い(貧乏、病気、ローマから開放など)の解決を
イエスに期待し、イエスの教え(悔い改め)が理解できなかったんですね。

わたしが思うユダは、 > 4...理解できなくて気分的に不愉快だから逆らってる場合
ですね。

しかし何故、ユダだったんでしょうね? 魔が差すってことは日常茶飯事あるでしょう?
ここのところは、怖いとこですよね。
789名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 20:38:09 ID:r91MeBvP
>しかし祭りの間は騒ぎがおこるのでいけないと 話しているんですね。

エルサレムでは、祭の間には、よく暴動が起きたんだ。だから、祭りの前に、
片付けたということ。
790名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 20:41:34 ID:r91MeBvP
>ユダの事を「友よ」と呼んでるのは意味深です。

マタイだけでしょう?
マルコ、ルカは、そういっていない。
だから、マタイの文脈から、「友よ」と書かれた意味を判断しなければいけ
ない。マタイは、あまり調べていないから、今回はパス。
791名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 20:47:33 ID:r91MeBvP
ヨセフスのユダヤ戦記にもあるが、パリサイ派(正確には、後に、そう呼ば
れる、といべきか)は、自分たちの考えに合わないユダヤ教徒を、ユダヤ当
局に告げ口して、殺させるということを、よく、したらしい。
792名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 20:55:22 ID:r91MeBvP
イエスも、できれば、神の気が変わって、自分が生き延び、ユダヤ人が
 神によって救われることを、望んだのかもしれない。
だから、ユダに対して、これみよがしに、パンを浸して見せたのかもし
れない。
 だが、神の心は変わらなかったということなのかもしれないな。
793ココモスキー ◆VAutiIin4w :2006/03/06(月) 20:56:09 ID:CEbWytBx
>>788
イエスが求めていた物も現実の神の国です。あの世の物でもないし
空想を求めたのでもないと思います。だからイエス一行はエルサレム
に上ってきたんでしょ...エルサレムに来て、あの世の神の国の話を
一般の人達に言っても全く無駄ですよ...それをペテロ達は武力で
行おうとしたのに対し、イエスは言葉で行おうとしたんでしょ...
それで神殿を襲撃していわゆる解放区にしたと言うのが、この事件の
始まりですよ...ところがそれが官憲には反乱と捉えられ、首謀者
の摘発を考え始めるんですよ...それがマタイ26章ですよ...

ここまでは聖書に基づくシナリオですが以下は僕の推測です。

イエスはこの行為が摘発の対象になる事を察知したと言うか
エルサレムに来る前から想定内の事だったんでしょうが、その摘発が
信者皆に及ばない様に、一番信頼していて事態を把握してるユダに官憲
との交渉役を指示したんですね...自分が捕まれば、弟子達が事態を
察知して逃げ出してくれると思ったんでしょうね...以下省略

>しかし何故、ユダだったんでしょうね? 魔が差すってことは日常茶飯事あるでしょう?
>ここのところは、怖いとこですよね。
どの部分が「魔が差し」て行われた事ですか、官憲と交渉した事は
事前にイエスが知ってた事なので(行ってなすべきことをしなさい)、
「魔が差して」行われた事ではないですよ...
魔が差してする事は、「そんな事はしてはならないと思いつつ、気が
緩んで思わずしでかしてしまった」時に使う言葉で、イエスから「
やりなさい」と言われて行う事は、魔がさしてしたのではありません
イエスの指示に従ったまでです。

794名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 21:42:52 ID:r91MeBvP
それだけの武力があったのであれば、イエスの死後、ヤコブらは、神殿で
福音を説かなかったであろうにwww
795名無しさん@3周年:2006/03/06(月) 21:52:14 ID:r91MeBvP
>ヨハネ福音書の 復活したイエスが 弟子達に聖霊を与える記述と
>創世記の 神が人に命を与える場面は 良く似ている。

>この箇所は 神からの人に対する新しい命の贈与とも読める。
>その新しい命は 従来の命の中に 復活したイエスから弟子達に
>与えられている。

にもかかわらず、聖霊の時代が終わったことに、キリスト教徒が、何の痛痒
も感じていないのは、不思議だ。
というよりは、バカだからだ、と言った方がいいのだろうな。
796カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/06(月) 23:41:46 ID:2zBXKtFF
>言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。〜ヨハネ1.10

>「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。
>あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、
>あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。
>だから、世はあなたがたを憎むのである 〜ヨハネ15.18〜15.19

>>793
>イエスが求めていた物も現実の神の国です。あの世の物でもないし
>空想を求めたのでもないと思います。

おまえは馬鹿だな。聖書がまったく読めていない。
イエスを、この世の益を求めて争いにあけくれた、ムハンマドなどと一緒にするな。

イエスの教え、釈迦の教えを、唯物論的に解釈して悦にはいる頭でっかちアホ共、アホ学者共は、なんとかならんのか。
797カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/03/06(月) 23:50:09 ID:2zBXKtFF
>>793
おまえ随分聖書研究、ちゅうか粗探しに精を出し、
この世の自分の貴重な時間を無駄に過ごしているようだが、
あるがままをあるがままに受け入れる。何の先入観もなしに読まないと、
聖書に書かれている本当の意味は見えてこないんだよ。

おまえのように唯物論が真理だと固定観念、決め付けで読んでる奴はな。

お前達のやってること。
天の御国という単語がでてきた。真理は唯物論に違いないから、唯物論的に
無理やり解釈する。イエスが唯物論を真理としたのか、観念論を真理としたのか、知りもしないくせに。
自分の思い込みで無理やり自分の気に入る解釈をする。
これも己のエゴの強さゆえ。

愚か者のやることだよ。
798カラスの唄 ◆S5WLCcUno2
イエスは言われた。皇帝のものは皇帝に、私のものは私に返しなさい。

言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

>>790
>ユダの事を「友よ」と呼んでるのは意味深です

それはイエスも罪人だったからだよ。

〜トマス
>ある人が彼に言った”私の兄弟たちに、私の父の持物を私と分けるようにと言って下さい”。彼がその人に言った、
>”人よ、誰が私を分配人に立てたのか。彼は弟子たちに向かって、言った、”私が分配人なのか”

自戒の言葉。
この聖句の意味を、俺はよく知っている。