>>328 >>330さんの遠藤周作さんが好きとの意見に少し引っかかったものが
あるので意見を述べさせてもらいます。
率直に言って自分は、現代カトリックの抱えるキリスト教としての問題
をさらに複雑にミスリードしていたのではないかと思っています。
たとえば遠藤さんはヒックの『宗教多元主義』に関心をよせ、『深い河創作日記』9月5日にも次のようなものが記されています。
【数日前、大盛堂の二階に偶然にも棚の隅に店員か客が置き忘れた一冊の本が
ヒックの『宗教多元主義』だった。これは偶然というより私の意識下が探り
求めていたものがその本を呼んだと言うべきだろう。かつてユングに出会った時
と同じような心の張りが読書しながら起こったのは久しぶりである。
ヒックは基督教神学者でありながら世界の宗教は同じ神を違った道、文化、
象徴で求めているとのべ、基督教が第二公会議以後、他宗教との対話と言い
ながら結局他宗教を基督教のなかに包括する方向にあると批判している。
そして本当の宗教の多元主義はイエスをキリストとする神学をやめ、つまり
イエスの受肉の問題と三位一体の問題にメスを入れるべきだと敢然として
言っているのである。
この衝撃的な本は一昨日以来私を圧倒し、偶々、来訪された岩波書店の方に
同じ著者の『神は多くの名を持つ』を頂戴し、今、読み耽っている最中である。】とか宗教の根本にあるものとして
【神というのは存在ではなく、働きだと思った方がわかりやすい。】
ということを書かれているわけです。「イエスをキリストとする神学をやめ」
とか「神というのは存在ではなく、働き」という言葉を平気に使用する感覚
というのは少しキリスト教としてもカトリックとしても枠外にあるものなの
ではないかと自分には感じられるのです。
カトリック作家の言論や意見について読み手が鵜呑みにするのは危険です。